昭和44年

年次経済報告

豊かさへの挑戦

昭和44年7月15日

経済企画庁


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第2部 新段階の日本経済

3. 成長経済の苦悩

(2) 社会的アンバランス

成長過程のなかで,社会的な生活の側面でもいくつかのアンバランスがとり残されている。社会資本の立遅れ,公害問題の深刻化,社会保障の問題,さらにはこれらに直接,間接影響されてわだかまつている精神的不満感など,物的に豊かな社会のなかでの新らしい型の貧困がみられる。以下こうした問題が成長との関連でどうして生じてきたかを中心にみてみよう。

1) 社会資本の立遅れ

第188図 一般政府固定資本形成と国民所得の比較

社会資本の相対的不足はいぜんとして解消されていない。そのため国民生活に不快や不便が感じられ,また産業面での効率にも悪影響がでているが,このような立遅れの背景は何であろうか。

一般に,成長経済であれば財政規模を大きくすることができるから,社会資本の拡充のテンポも速い。わが国では政策姿勢としても,社会資本の拡充が政府予算編成のうえで重視されてきた。この結果, 第188図 でみるように,欧米先進諸国とくらべ,1人当たりの国民所得の水準にてらしてみてかなり高い政府投資がつづけられている。

しかしそれにもかかわらず,社会資本に対する不足感にはいぜんとして根強いものがある。これはもともとわが国の社会資本が欧米先進国とくらべて,すでに戦前から不足の状態にあつたことにもよるが,さらに戦後の高度成長のもとで社会資本の需要が急速に増大したためでもある。

こうした社会資本の立遅れの実態を主として交通関連社会資本および生活関連社会資本を中心にみてみよう。

(ア) 交通関連社会資本

まず,道路,港湾,国鉄の交通関連社会資本ストックについて,国民総生産,民間資本ストックあるいは生産活動の基盤となる製造業資本ストックとの比率をみると,最近は,昭和30年代にくらべ,程度の差はあるがいずれも低くなつている( 第189図 )。

交通関連社会資本の直接の需要は貨客の輸送量によつて決まると考えられる。そこで貨客の輸送量についてみると,とくに35年度以降,生産活動の活発化にともなつて貨物輸送量が増大する一方,モータリゼーションの進行や都市化現象の深刻化によつて,旅客輸送量も顕著な伸びをしめしている。この結果,30年代以降,道路,港湾,国鉄それぞれの整備計画によつて,平均してみると投資の伸びは輸送量の伸びを上回つているが,資本ストックの伸びとしては相対的に不十分なものとなつている( 第190図 )。

これは投資規模が輸送量の増加による新規の投資需要と過去の投資不足による投資需要を十分にまかなうものでなかつたことを意味している。

また,円滑な輸送に必要な交通関連社会資本ストックを想定し,それと現実のストックとの関係をみるとどうであろうか。資本ストックの適正量を推計することには技術的な困難をともなうが,いま,資本の生産性が変らないなど一定の仮定をおいて32年度から42年度までの約10年間について,総貨客輸送量に見合うストックを推計し,それと現実の交通関連社会資本ストックとの関係を試算してみると, 第191図 のようになり,現実の交通関連社会資本ストックはかなりふえているが,総貨客輸送量の伸びに見合うまでにいたつておらず,したがつて輸送量に見合う社会資本ストックに対する現実のストックの充足率はむしろ次第に低下してきていることがわかる。

このような交通関連社会資本の不足の結果,道路,港湾,国鉄等の輸送施設において,円滑な輸送を阻害する渋滞現象が生じており,一部ではかなり目立つようになつている( 第192表 )。

もつとも交通関連社会資本では,私鉄のほか,トラックターミナル,専用ふ頭などのように民間資本の手で行なわれているものもある。

輸送量がふえて民間資本でも採算がとれる場合,あるいは輸送渋滞などで輸送コストが増大するのを防止する必要がある場合など,社会資本を補完するような民間資本の対応が行なわれ,30年代後半以降にはかなり活発になつている。昭和37年を基準にすると,民間トラックターミナルの設置箇所は43年には1.24倍(1,575箇所),大型船岸壁(民間施設)の延長メートルは2.28倍(131,929メートル)にふえている( 第193表 )。

こうした民間企業の対応策によつて交通関連社会資本の不足はある程度補完されているといえるが,社会資本不足がそれによつて解決されるものではない。また,トラック,船舶の大型化,専用化といつた輸送技術の革新自体が複合ターミナル(陸海空を有機的に結合)や海上コンテナふ頭などのような,質的に新しい交通関連社会資本を要請しはじめている面もある。

このような不足への対応策としては,交通関連社会資本の量,質両面の増強が必要であるが,この場合,各種輸送機関の技術革新の方向をふまえた総合的交通体系の確立によつて国民経済的にみて効率的な増強をはかるとともに,民間資本の積極的活用が必要となろう。

(イ) 生活関連社会資本

生活関連社会資本をたとえば住宅,上下水道,医療施設,道路,都市公園についてみると1人当たり国民所得水準の対比では,発展段階からみても医療施設を除いて国際的に立ち遅れているようである( 第194図 )。西欧先進国では産業革命以来,急激な都市化と工業化が進行するなかで生活関連社会資本が立ち遅れ,スラム街や都市河川の汚濁などを招いたため,はやくからその対策に力が注がれ,たとえばロンドン,パリの下水道普及率でみると,すでに19世紀末に80%と,かなり高い水準に達していた。こうした長い歴史のなかで拡充をはかつてきた西欧先進国にくらべると,明治以来先進国へのキャッチアップと軍事力強化に急であつたわが国において,社会資本,とりわけ生活関連資本の立遅れが大きいのはやむをえないことであつたかも知れない。つまり生活関連社会資本はわが国では明治以来立ち遅れてきたのである。そうしたなかで戦後の高度成長が都市化と工業化をさらに急激におし進め,アンバランスを拡大させた。

しかし,近年における不足感のもつとも大きな原因は,所得水準の上昇にともなつて社会的消費への国民の欲望が高まり,また私的消費とのアンバランスが拡大して,社会的アンバランスに対する矛盾意識が急速につよまつてきたことによる。

生活関連社会資本ストックを一括してとらえた場合,どの程度わが国は立ち遅れているのであろうか。社会的サービスに対する需要のレベルが所得水準によつて決定されると仮定し,さらに,社会資本ストックの生産性(1単位が供給する社会的サービス)が一定だとすれば,社会資本ストックと所得との比率は社会的消費の充足度を示す一つの指標とみることができる。国民生活審議会の答申(41年11月)などによるとほぼ西欧なみの社会生活の水準を確保するためには,国民総生産に対する生活関連社会資本ストックの比率は0.5~0.6程度とならなければならない(ただし民間住宅,道路を除く,以下同じ)。現実の比率は昭和20年代末の0.4から30年代に入ると低下し,近年は下げどまつているものの,ほぼ0.35前後で低迷している( 第195図 )。

わが国の国民総生産に対する公共投資の比率は国際的にみても高いグループに属し,その内容をみても,30年代半ばまでの産業基盤関連に重点を置いた政策から最近は前述のような生活環境施設の不足が認識されるにつれ,生活基盤関連投資に重点がうつされてきている( 第196表 )。

それにもかかわらず,望ましいストック水準に達しなかつたのは,経済成長率がきわめて高いために実際の投資が望ましい生活関連公共投資比率を下回る結果になつているからである( 第197図 )。

つまり望ましい水準を確保するためには,経済成長率が高ければ公共投資比率もそれだけ高くならなければならない。かりに,近年のすう勢(実質10%)がつづくものとすると,47年ごろには1人当たり国民所得水準が,1,500ドルに達する(現在のイギリス,西ドイツ,フランスなみ)。そのときまでに過去の不足を埋め合せて望ましい生活関連資本が確保されているためには,生活関連公共投資比率はかなり高くならなければならない( 第198図 )。

(ウ) 立遅れのメカニズム

以上のような社会資本立遅れの実態からみて,わが国のように,高度成長によつて後進国から先進国への急坂をかけのぼつてきた経済社会では,過去からの不足と新しい需要増に追いかけられて,社会資本の望ましい水準を確保することは困難なことであつたといえよう。しかも過去においては社会資本を拡充していくうえでいくつかの問題があつた。

第1は,社会資本の場合,需給を均衡にみちびく価格機能が欠如しているためにおこる財源調達の問題である。公共投資の財源は,料金か租税もしくは公債等によつて調達されるが,わが国ではこれまで高福祉・低負担をのぞむ嫌いがあつた。租税負担率は国際的にみてむしろ低かつたが,1人当たり国民所得水準が低いこともあつて所得税の課税最低限が低く,租税負担感が大きかつた。租税以外の歳入調達も健全財政の立場などから制約があつた。また運輸関係の杜会資本では公共料金の引上げによる資金調達には物価安定の必要からきびしい限界があつた。

第199表 政府総固定資本形成デフレーターの構成項目別上昇率

第2に,民間設備投資にくらべて公共投資は価格上昇の影響を受けやすいということがあげられる。とくに公共投資は,民間設備投資にくらべると,労務費の割合が大きく,また,砂利・石材など価格上昇の大きなものの比重が高い( 第199表 )。そのため公共投資の実質伸び率は名目支出の伸びをかなり下回る結果となつている( 第200図 )。また土地と密接不可分な事業が多く,地価高騰や土地取得難の影響を公共投資はよりつよくうける状況にある( 第201図 )。とくに,都市生活環境を改善するための公共的土地取得には地価が異常に高いことが大きな障害になつているし,交通施設新設の際の用地取得難および用地代の増大が最近とくに目立つている。土地取得の因難さが社会資本の充実をおくらせるという面も大きいといえよう。

第3は,財政支出が長期的には資源配分を重視していたにもかかわらず,短期的にはそれを多少とも犠牲にしなければならない場合もあつたことである。いま年々の公共投資の規模が国内需給,社会資本ストック対民間資本ストック比率,国際収支,制約条件としての財源の四つの要因のうちどれにつよく左右れてきたかをみると,収入の増減に左右されることが大きく,また国際収支への配慮も働いたことがわかる。これに対し国内需給や社会資本ストック対民間資本ストック比率との関連は必ずしも明らかでない( 第202図 )。これは,均衡予算主義がとられていたため,財政支出が収入に制約される面が多かつたことや,国際収支の悪化を契機に公共投資の規模の抑制や繰延べ等が行なわれたことがあつたためである。好況期には収入増で公共投資は増加したが,民間設備投資がそれを上回つて伸び,国際収支が悪化すると景気調整の観点から公共投資が抑えられることが多く,不況期には収入の伸びなやみから十分な公共投資が行なわれない場合もあつた。

このように,短期的な財政支出の決定が結果的に公共投資の伸びを不十分なものとし,結局長期的な資源配分のバランスが果たされなかつた面がある。

以上の事情からみて,わが国の社会資本が先進国なみの水準を確保していこうとするためには,租税や応益負担などの形で国民全体の負担は高まろう。したがつて従来の高福祉・低負担から高福祉・高負担へと通念の転換が必要であり,また,短期的な景気調整の面では公共投資に大きな負担のかからないよう配慮しなければならないだろう。それにしても,社会資本を充足する資源にも制約があるので,これからは公共投資の技術革新や費用・便益比率などを考慮した投資配分の効率化,さらに強力な地価対策の推進等についても積極的に実行していく必要がある。

2) 公害問題の深刻化

成長経済の苦悩を象徴的にあらわしているものに公害問題がある。

昭和30年代以降の高度成長の過程を通じて生産活動や消費活動は急速な伸びを示した。しかし,その反面,集積の利益を求める企業行動やエネルギー革命の進行などによつて産業公害が発生し,一方で人口の都市集中やモータリゼーションあるいは社会資本ストックの不足などから都市公害が目立つている。たとえばわが国の人口集中地区(1平方キロメートル当たり人口が4,000人以上の地区)のほとんどすべてが京浜,京阪神,中京工業地帯とその周辺に分布しているが,こうした地域では,昭和35年の1平方キロメートル当たり8,698人から40年には9,908人とその密度が高まつている。一方,これら人口集中地区における工場数の増加もいちじるしかつた。昭和35年における78,106工場から41年には113,518工場と6年間に45.3%の増加を示し,製品出荷額も6兆3,500億円から11兆8,100億円へと86.0%の増加を示している。( 第203表 )このような変化は公害を深刻化する大きな背景となつている。

まず,大気汚染についてみると,その発生の第1の要因は重油燃焼にともなつて排出されるいおう酸化物である。 第204図 にみるように,昭和32,3年以降石炭から石油へのエネルギー転換が急激に進展したことや,窯業土石,パルプ,紙,石油精製,化学,鉄綱などの製造業および電力業などの生産活動が拡大したことによつて重油の消費量は意増を示してきた。このような重油消費によるいおう酸化物の排出に加え,在来の石炭などによるふんじんが重なつて大気汚染を激しくしている。とくに,わが国の場合,多く使用している中近東産の原油には3%前後という多量のいおうが含まれていることが,いおう酸化物の増加に拍車をかけてきた。また,産業および人口の急激な都市集中は,大気汚染を地域的に集積する形となり,いつそう事態を深刻化させることになつた。

大気汚染の第2の要因は,モータリゼーションの急速な進展と道路交通施設の整備の立遅れである。自動車排出ガスには,人体に悪影響をおよぼす種々の有害成分が含まれているが,とくに過密地帯において,道路条件の悪さからくる交通渋滞の結果,一酸化炭素などが増加するという点が問題視されている。

つぎに,水質汚濁についてみると,一つには産業排水の増加が考えられる。染色整理,紡績,パルプ・紙,石油精製などの用水型工業の生産の拡大は排水源での処理が不完全であることなどから都市河川の汚濁をもたらしている。この場合でも,個々の工業排水に加えて,それらが集積することによつて汚濁をひどくしている。

第205図 上下水道の普及率

二つには,都市への人口集中にともない家庭排水が増加していることである。市街地人口の増大と消費の多様化にともない家庭排水が増加している。こうした排水の増加に対して,わが国の場合下水道の整備が遅れていることが都市河川の汚濁をさらに大きくしている( 第205図 )。

また,工場の操業,建設工事,自動車,航空機などの交通機関の運行にともなつて発生する騒音も全国的な問題となつてきている。

第206図 家庭のごみ排出量の変化

さらに,最近目立つてきた公害現象として,産業活動や生活内容の高度化にともなう固形廃物の増加がある。 第206図 にみられるように家庭からのゴミや,産業廃棄物がかなりの増加を示している。とくに最近,電気製品,自動車などの耐久消費財の廃棄物や建設廃材などの増加が目立つている。こうした固形廃物の増大に対して,その処理処分が追いつかず,生活環境の汚染や自然美の破壊がおこつている。

こうした事態のなかで,国や地方公共団体をはじめ企業でもようやく公害防止に対する重要性の認識が高まつてきた。

まず,公害防止技術については,排煙脱硫や重油の直接脱硫技術の大型プロジェクトによる研究開発のほか,国公立の試験研究機関において各種の研究開発が進められ,一方,企業においても,公害処理施設の整備が進み,そのための研究が行なわれるなど,この方面への関心が急速に高まりつつある。最近の排水処理,自動車排出ガス処理,脱硫,じんあい処理などの公害防除関係の技術導入の増加は,そうした傾向を示している。

第207図 面積当たり国民総生産

しかし,こうした動きは,いまだ緒についたばかりであり,現実の動きに対するにあまりにもその対策が遅れていることは,社会資本の不足,あるいは都市政策,立地政策の不完全さと相まつて深刻な事態を随所で発生させている。

さきごろ成立した公害対策基本法もこうした事態の進展を防くのが目的であるが,今後も住民福祉の立場から公害に対する法的規制措置をはじめとする各種措置のいつそうの拡充がはかられねばならない。

今日,こうした公害問題は世界各国で共通の悩みになつている。とくに,わが国の場合,工業化と都市集中化が急速であつたことに加え,面積当たりの生産活動が大きいということが事態をいつそう深刻化させた。イギリス,西ドイツ,ベルギー,スイス,オランダなどの諸国も 第207図 にみるように,現在わが国と同じ面積当たりの生産性を示している。しかレ成長率の高さからみてわが国の場合,今後も面積当たり生産性が上昇するものと思われるが,このことは,将来における公害問題のいつそうの深刻化の可能性を意味する。

経済が成長し,国民所得が高まる一方で,さきにみたように,公害現象は直接間接に外部不経済という形で国民生活にさまざまの負担を課してきた。こうしたいわば社会的費用をさしひいたものが,本当の意味で国民生活の向上の指標となるべきである。公害問題の解決を地道に前進させるための一つの手段は,公害現象の発生過程やその被害との関係,被害の規模と防除費用との関係など公害問題を客観的,総合的に把握する方法論を確立することである。そうした実態の究明の上にたつて公害による被害やその防除費用などの社会全体の費用をどうしたら最小にできるか,またその費用を合理的に分担するにはどうすればよいかという観点から,都市政策,立地政策,資源政策,技術政策を含めた総合的な公害対策をすすめるとともに,住民福祉の立場にたつた行政や企業の姿勢を確立することが必要である。

3) 社会保障の遅れ

(ア) 社会保障給付の水準

社会保障水準の国際比較を厳密に行なうことはむずかしいが,一つの方法として国民所得に対する社会保障給付費の割合をみると,アメリカ7.6%,イギリス13.8%,西ドイツ19.9%,フランス19.2%,イタリー15.0%(以上38年)となつているのに対し,日本は6.2%(41年)と諸外国にくらべ低い。一方,国民1人当たり社会保障給付費の伸びをみると1955年(昭和30年)を100とした場合,1963年(昭和38年)の指数はイギリス147,西ドイツ173,フランス157,イタリー195,スエーデン165であるのに対し,日本は203とイタリーと並んで高い伸び率を示している。

このように社会保障給付費が高い伸び率を示しているにもかかわらず,国民所得に対する比率でみると昭和30年の5.6%から昭和41年の6.2%まで11年間で0.6ポイントの上昇にとどまつている( 第208表 , 第209図 )。このようにわが国の社会保障給付の国民所得に対する比率が低いのは,経済成長のテンポが早く,社会保障給付の伸びがおよばなかつたことに加え,①年金制度が未成熟の段階にあること,②社会保障の主要な対象である老人層の総人口に占める割合が西欧諸国にくらべて低いことなどによるものである。なお,この点と関連して国民の租税や保険料負担が諸外国にくらべて低いことも忘れてはならない。

(イ) 内容のアンバランス

国民所得に対する比率でみると水準が低いということもあるが,それと同時に問題なのは,わが国の社会保障制度の内容にはかなりのアンバランスが存在していることである。

まず,医療保障(医療保険および公的扶助等による医療給付合計)についてみると,適用人口はほぼ100%,給付水準も国民所得比で3.6%(欧米水準は1963年で3.4%)と欧米各国に対してそん色はみられない。しかし,医療保険は制度が不統一で制度毎に給付にかなりの格差があり,他方保険料負担も制度間で不均衡となつており,その是正が必要とされている( 第210表 , 第211表 )。

年金の遅れも大きな問題である。年金は現在の労働力人口に対しては100%適用されており,しかも拠出年金の制度的給付水準は先進国なみであるが,制度が未成熟で実際の年金受給資格者が少ないため,年金給付総額の国民所得に対する比率は0.4%と,3%をこえる欧米各国にくらべいちじるしく低い。とくに老令者について年金給付の現状をみると,受給者は65歳以上人口の74%(昭和42年)に達しているが,その大部分は金額の低い老令福祉年金の受給者で,それを除けばわずか29%である。このため年金給付総額(恩給を合む)を65歳以上人口1人当たりでみると1人当たり国民所得の12.9%という水準にとどまつている。

近年,出生率の低下や平均寿命の伸長によつて,老令人口の割合は急速に高まつており,高齢者のみの世帯の割合もかなり高くなつている( 第212表 , 第213表 )。

しかも単に老人や,老令者世帯の数がふえたというだけでなく,その背後には大きな社会経済構造の変動をともなつている。かつて老令者は農家世帯,自営業主・家族従業者の比率の高さや,それを背景とする家族制度による伝統的な生活保障機構に組み込まれ,家業従事・家族扶養,楽隠居という形で労働し生活することができた。しかし,就業構造の近代化が進み,世帯の核家族化が進むにつれて,老令者の扶養様式は変らざるをえなくなつてきた。さらに老後のための貯蓄も物価上昇による減価を受けるという問題があるし,一般的所得水準の上昇によつて相対的減価も避けられない。多くの勤労者にとつて,健康で文化的な老後の生活を営むことはきわめて困難な問題となつている。こうした現状からみて消費者物価の安定が強くのぞまれるが,それと同時に今後は社会保障の面でも老人問題が重要な課題となろう。

(ウ) 社会保障の財源問題

今後社会保障の水準を引上げていくさいの最大の問題はいうまでもなく,いかにして財源を調達していくかということである。

財源調達の方法としては保険料の引上げ,ないしは国庫負担の引上げが考えられる。国際的にみると社会保障の財源調達の仕方には,大きくみて二つの流れがある( 第214図 )。一つはヨーロッパ大陸諸国にみられる型で,保険料中心主義をとるものであり,給付については所得比例的な要素が多く,給付水準も高い。もう一つは北欧諸国にみられる型で,国や地方公共団体の責任を重視するものであり,画一的な給付が基本となつている。わが国は,社会保険を中心に社会保障を拡大してきたことからどちらかといえば前者の型に属するが,社会保険方式は増大する社会保障財源を確保する手段として重要な役割を果たしている。

今後,高い社会保障水準を確保していく過程で,保険料や租税の増大というかたちで国民全体への負担は高まつていくことになろう。その際,公的扶助,公衆衛生等,租税負担によらざるをえないものが多く,国家財政への負担は増大する傾向にある。こうしたなかで社会保障全体の水準を高めていくためには,国と国民,雇用者と事業主の間で財源負担についての責任を明確にし,保険料負担によることが妥当な部分と,租税負担によることが妥当な部分を区分し,その拡充をはかつていくことがのぞましい。

第215図 国民総医療費と国民所得の推移

今後の社会保障財源を考えていくうえで,とくに問題となるのは現在すでに医療保障の国庫負担がいちじるしく増大傾向を示していることである。

わが国で使われる医療費はこのところ急増を示し,昭和36年度に5,000億円であつた総医療費は43年度には1兆8,000億円の巨額に達している。とくに薬剤費の増加がいちじるしく,医療費に占める比率も大幅に上昇している( 第215図 )。こうした薬剤費を中心とする医療費の異常な伸びの結果,このところ医療保険の国庫負担は年々上昇し,最近では社会保障関係費のなかで大きなウエイトになつており,問題となつている( 第216表 )。今後,社会保障全体の水準を高めていくためには,医療保険などについて,①低所得層への過重負担を回避しつつ保険料,国庫負担の適正な位置づけを検討するとともに,②各種医療保険制度の再編成を通じて,制度間のアンバランスを漸次解消していくなど努力を重ねていく必要がある。

またさきにみたように,社会保障の充実は保険料や租税による負担の上昇をともなう面が大きいだけに,社会保障の充実にあたつては緊急度の高いものから重点的に実現していく必要があろう。

4) 繁栄のなかの不満感

日本経済は高度成長をとげ,個人所得や消費も拡大したが,それにもかかわらず,生活の不満を訴える国民の声にはひきつづき高いものがある。

「国民生活に関する世論調査」(総理府広報室調べ)によつて,どのようなことが生活上の不満とされているかをみると,物価高や低収入という一般的な経済問題のほかに,住宅問題,公共施設などに対する不満感が多い( 第217表 )。これは,これまでのべてきたような経済的,社会的アンバランスの国民生活の次元における反映にほかならない。消費者物価の上昇は,こうしたアンバランスのなかで最も生活に密着したものであり,物価上昇に対する不満は家庭の主婦や老人世帯においてとくに大きい。低収入の問題はわが国の場合には社会保障の立遅れともかかわりあつている。わが国の家計貯蓄率は諸外国にくらべていちじるしく高いが,総理府「貯蓄動向調査」によつてその目的をみると,投資や利殖を目的とするものは少なく,病気や不時の支出(貯蓄保有世帯の8割,重複回答を含む。),老後の生活(同36%)といつた社会保障の不備を補なう性格のものが圧倒的に多い。こうしたことが,収入に比して貯蓄を高め,相対的に消費支出を抑えて低収入感を強めている面もある。住生活の整備の遅れは,とくに大都市およびその周辺部でいちじるしく,国民,わけても都市生活者の不満の源泉になつている。1人当たり室数は1室にも満たず(前掲 第194図 ),借家における家賃もその質にくらべていちじるしく割高である。建設省「地代家賃実態調査」によると,家賃は,1戸当たり住宅面積が10~20平方メートルと水準が劣つているアパート,借間等の民間賃貸住宅で1平方メートル当たり500円をこえている。さらに,持家に対する欲求も高いが,地価や建設費の高騰のため,その欲求が十分に満たされていない。

こうした日常生活面での不満感のほかに,これまでの急速な経済成長にともなつて発生した社会面での不満もある。その一つに技術革新が人間社会に及ぼす影響がある。繁栄の支えになつた急速な技術革新も一面では,中高年齢層や若年齢層の間に,これに対する適応の問題から不安感や不満感を高めている。二つには,戦後世代の成長と高等教育の普及などによつて,新らしい世代と古い世代との間に意識の断層が出つつある点である。これは世代間の対話を断絶させ,両世代の不満を高めている。三つは,情報化の進展によつて生まれる「管理された社会」に対するいわば拒絶反応が生じていることである。ややもすれば組織が持ちがちな非人間性に対する漠然とした不安が不満感となつてあらわれる面もあろう。

これらは,急速なスピードで発達していく経済や技術に対して,制度慣行がそれに対応しなかつたり,人間の精神が追いつかなかつたりするためにおこる不満という面を持つている。

国民生活面における不満の問題は,これまでに発生した経済的,社会的アンバランスを解消していくことで解決できる面も多いが,今後は,高度化する欲求方向を事前にくみとり,国民が現実に新らしいものを欲する前にそれを用意する政策がとられなければならないだろう。

不満が不満としてとどまるかぎり社会にとつて好ましくない。しかし,不満は進歩の原動力にもなりうるのである。生活面,社会面の不満を発展のためのエネルギーに変えていくことこそ,これから考えねばならないことであろう。