昭和39年

年次経済報告

開放体制下の日本経済

経済企画庁


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総説

昭和38年度の日本経済

短かった景気上昇

 昭和38年は景気回復の年であった。国際収支は前年の6月ころから均衡を回復しており、公定歩合は37年10月、11月、38年3月、4月と4回引き下げられた。鉱工業生産は12月を底にして38年1月から上昇に向かった。しかし上昇期間は短く、38年末から39年初にかけて金融引締政策が実施され、早くも調整過程に入った。経済企画庁の景気動向指数に示すように、景気上昇期間が、前々回は33ヶ月、前回は39ヶ月であったのに比べてずっと短く、約15ヶ月で好況感があらわれないうちに頭をうつことになった。これは、日本経済に構造的な変化がおこり、景気浮揚力が乏しくなったことを示すものであろうか。これで景気の一循環が終わったとみるべきであろうか、あるいは上昇局面中の一時的な調整期であろうか。景気調整政策をうまくおこなえば、これからも安定した景気上昇を実現できるだろうか。

第1図 20系列による景気動向指数(C.D.I.)

 景気上昇期間が短かった直接の理由は、景気回復がはじまってから後の、生産、輸出、輸入の上昇率に不均衡が大きかったため、国際収支の赤字が大幅になったことである。景気が上昇に向かってからの1年間の鉱工業生産、輸出、輸入の上昇率を、過去2回の回復期と比べてみると、 第2図 の通りである。前2回は、輸出の増加率が最も高く、次いで輸入または生産という順であった。従って、景気が回復して生産が高まり、輸入が増えても、経常収支の均衡がくずれることはなかった。昭和38年は、これと全く反対で、輸入増が一番大きく、次いで生産、輸出という順だった。景気回復の始めの37年12月から38年12月までの1年間に輸入が38%、生産が20%増加したのに、輸出は18%増とこれにおよばなかった。これでは国際収支バランスがくずれるのは当然である。 第3図 のように、引き締め解除期の昭和37年の10~12月期には経常収支と長期資本収支を合わせた基礎的収支は月平均約40百万ドルの黒字であった。しかし経常収支は38年1月から払い超となり、赤字幅は毎月拡大していって、7月からは基礎的収支でも支払い超過となった。

第2図 景気上昇開始後の生産と輸出入為替の動向

第3図 貿易収支、経常収支、基礎的収支の推移

 そこで、次に、生産、輸出、輸入の増大の理由を分析し、アンバランス発生の原因を検討しよう。


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