第1章 急速な景気後退に陥った日本経済 第3節
第3節 景気回復へ向けた展望
前2節では、我が国が陥った厳しい景気後退の状況について分析した。しかし、2009年春頃からは、持ち直しの動きを示す指標が見られるようになっている。こうした動きが持続し、景気が回復へと向かう条件は何だろうか。外需主導か、内需主導か、という論点をどう考えるべきだろうか。本節では、内外における過去の回復パターンを振り返った後、今後、景気の回復につながると見られる動きを探る。あわせて、回復を展望するに当たってのリスクについて整理する。
1 内外における景気回復のパターン
多くの場合、景気回復に向けた第一の条件は在庫調整が一巡することである。今回は、在庫調整の規模が大きかったため、特にこの点は不可欠といってよい。問題は、その後、需要が順調に回復し、「二番底」を防ぐことができるかである。内外の過去の回復パターンを調べることで、この問題を考えてみよう。
(1)日本における回復初期のパターン
まず、我が国の戦後の景気循環における回復初期のパターンを需要項目別の寄与に着目して概観する。次に、最近の2回の景気拡張局面についてやや詳しく調べる。最後に、二番底、あるいはL字型回復といった望ましくないパターンについて、過去に類似のケースがなかったか検討する。
●回復初期の牽引役は公需から輸出へ
我が国の戦後の14回にわたる景気循環について、その拡張局面で実質GDP成長率の需要項目別の寄与度がどうなっていたかを見よう。具体的には、景気の谷から3四半期後までの平均成長率(年率)を比べてみる(第1-3-1図)。その結果、次のような特徴が見出される。
第一に、最近では輸出主導の回復となる場合が多い。ただし、輸出の寄与が大きいときは、輸入の寄与も大きい。したがって、純輸出という意味での外需の寄与は必ずしも大きいとはいえない。
第二に、公需の寄与が小さくなっている。特に13循環ではほぼゼロ、14循環ではマイナスの寄与である。公共投資削減の効果がはっきりと現れている。
第三に、個人消費(民間最終消費支出)の寄与も最近は小さくなっている。もっとも、例外として、第8循環では第13、14循環より個人消費の寄与率が小さかった。この第8循環は短命に終わっている。
このように回復パターンは時を経るごとに変わっていることから、今後の回復シナリオを探るためのベンチマークとしては、過去の平均的な姿より、最近の景気循環に着目したほうが的確であろう。
●最近は輸出主導型だが国内民需も景気の足を引っ張らない程度には回復
そこで、第13、14循環について、回復の初期における実質GDP成長率の動きを、需要項目別に見てみよう。主要な需要項目の伸び率と寄与度に着目する(第1-3-2図)。
伸び率については、第一に、輸出の伸びが圧倒的に高いが、第13循環では住宅投資の伸びも際立って高いこと、第二に、景気の足を引っ張っていた設備投資が、谷以降では落ち着いた動きになること、第三に、公需、個人消費は低調なこと、が指摘できる。
寄与度については、第一に、輸出主導は変わらないが、GDP押上げ効果としては在庫の積み増しも重要であること、第二に、個人消費が弱いながらも成長を下支えしていること、第三に、これといって景気回復期を通して牽引役となる項目があるわけではなく、各項目が入れ替わる形で少しずつ寄与していること、が分かる。
これらを踏まえると、最近における景気の立ち上がりは、輸出の回復が重要な契機になったことが確認されるが、同時に、国内民需が少なくとも顕著に景気の足を引っ張らないという状況下で輸出主導型の回復が実現したと考えられる。
●「二番底」「L字型回復」も輸出の減少ないし低迷で出現
それでは、在庫調整が一旦は終了したかに見えたが、再度、調整局面に入ったケース(「二番底」)はあったのだろうか。また、景気の谷は脱したものの、その後の成長が極めて弱いケース(「L字型回復」)はあったのだろうか。そして、これらがあったとすれば、どのような場合に生じたのだろうか。
「二番底」については、過去に何度か出現したと見られる。例えば、第二次石油危機後の景気後退局面の後半(第9循環のうち81年末~83年初め)、バブル崩壊後の景気後退局面の最終段階(第11循環のうち93年春~)が挙げられる(第1-3-3図(1)(2))。両者は程度の差はあれ、共通のメカニズムによって生じている。すなわち、一旦は在庫率が低下して生産が上向くかに見えたが、そのときに輸出が減少に転じ、再度、在庫率が上昇に向かっていることである。そのため、生産の持続的回復は先送りされることになった。両者の違いは輸出が減少に転じた背景にあり、第二次石油危機後はアメリカの景気回復が短命に終わって世界同時不況に突入したが、バブル崩壊後はアメリカの景気が「踊り場」的状況にあるなかで円高が生じて輸出が打撃を受けた面が強い。
「L字型」については、直近の景気拡張局面(第14循環)が該当すると考えられる(第1-3-3図(3))。このときは、景気の山から半年程度で生産が横ばいとなり、「踊り場」的状況が1年近く続いた。イラク情勢の緊迫化、戦争の勃発を背景としてアメリカの景気が一時的に弱まり、日本からの輸出が横ばいとなった。景気後退に至らなかったのは、企業の慎重な姿勢が続いて在庫率が低下傾向で推移したことによる。
このように、「二番底」「L字型回復」は輸出の動きを契機に出現したことが分かる。もっとも、輸出が減少すると必ず景気が腰折れするわけではない。腰折れしなかったケースとして、78年前半(第9循環における景気回復の初期)が挙げられる(第1-3-3図(4))。このときは、「機関車論」の下で我が国が公共投資を積極的に行っていた時期であり、輸出の減少にもかかわらず公需により生産が押し上げられ、在庫率も低下の一途をたどった。
(2)諸外国における回復パターン
我が国の最近における景気回復初期は輸出主導型であった。なお、景気拡張局面を通して見ても、最近では輸出主導型になっていることはいうまでもない。それでは、この現象は日本特有のものだろうか。海外における状況を調べてみよう。
●景気回復の初期にはどの国でも輸出が高い伸び
G7及びデンマーク、オランダについて、各国における景気の谷から3四半期後までの実質GDP成長率と需要項目別の伸び率を比べてみよう(第1-3-4図(1))。これらの数字は、過去3回の景気拡張局面の平均値である。G7以外で特にデンマーク、オランダを選んだのは、それぞれ「フレキシキュリティ」「ポルダーモデル」22として知られる柔軟な労働市場モデルを持っており、それらが個人消費の動きにどう影響しているかを見るためである。それによれば、以下のような観察が可能である。
第一に、ほとんどの国で輸出の伸びが大きい。英国ではやや伸びが低いが、それでも他の需要項目と比べて遜色はない。世界の景気が連動しているなかで、最近では新興国の高成長が世界の貿易量を押し上げていることなどから、先進国はどの国でも景気拡張局面、とりわけその初期において輸出の急増が生じやすいと考えられる。
第二に、日本とドイツは個人消費(民間最終消費支出)の伸びが低い。個人消費の伸びが特に高いのはアメリカや英国であり、輸出の伸びが比較的低い国である。なお、デンマーク、オランダで特に消費が強いわけではない。
第三に、各国で総固定資本形成の伸びがプラスとなっているが、日本はほとんど伸びていない。日本については、最近の景気拡張局面では公共投資を減少させてきたことがその原因と見られる。
●日独の個人消費の弱さの背景に雇用者報酬の伸びの低さ等
日本とドイツにおける個人消費の弱さはどこに原因があるのだろうか。雇用者報酬、及び形態別消費の動きからこれを探ってみよう(第1-3-4図(2))。
第一に、日本、ドイツは雇用者報酬が伸びていない。特に、日本に至っては景気回復初期において雇用者報酬が減少していることが特徴である。個人消費の伸びが高かった国のうち英国は雇用者報酬の伸びも非常に高い。しかしアメリカは低く、所得の伸び以上の消費を行っていたことになる。また、デンマークでも雇用者報酬の伸びは高い。デンマークで雇用者報酬が伸びた割に消費が伸びなかった背景としては、支払利子の課税対象からの控除に係る控除率の引下げ等の影響などが考えられる23。
第二に、多くの国で耐久財の伸びは極めて高く、日本も同様である。しかしドイツは耐久財の伸びも弱い。また、デンマークは耐久財消費が減少しており、雇用者報酬の伸びが高い割には個人消費が伸びない要因となっている。
第三に、日本は半耐久財、サービスの伸びがいずれも相対的に低い。特に、消費に占めるウエイトの高いサービスの弱さが、消費全体の伸びが低い要因として重要と考えられる。また、日本において伸びが低い半耐久財には、被服などが含まれており、高齢化が影響している可能性がある。
●輸出、個人消費の伸びを高める要因として為替レート、雇用者報酬がそれぞれ重要
以上で見た輸出、個人消費の伸びの違いについて、もう少し詳しく調べてみよう。ここでは、過去3回の景気拡張局面について、上記各国の輸出、個人消費の伸びを縦軸にとった。横軸には、それぞれ実質実効為替レート、実質雇用者報酬の伸びを示した(第1-3-5図)。
まず、輸出の伸びは、為替レートが増価するほど低いという関係が見られる。一般には、輸出主導の回復にとって、為替レートが自国通貨安に動くことが好条件を与える。ただし、日本は、過去3回の局面のいずれにおいても、諸外国と比べて為替が円高方向に推移したにもかかわらず、輸出の伸びが比較的大きかったのが特徴的である。
次に、個人消費の伸びは、実質雇用者報酬の伸びと比較的強く連動している。したがって、景気回復の初期に労働市場が素早く反応して所得を押し上げることが、消費主導の回復にとって好条件となる。日本は、上記のとおり景気回復初期において雇用者報酬が減少しており、この点が消費の伸びの弱さに関係していると考えられる。
●日本では回復の中盤に輸出から設備投資へバトンタッチ
回復の初期においては多くの国で輸出の伸びが高く、輸出の伸びが回復のきっかけとなっているようである24。それでは、景気回復の中盤ではどうか。ここでは、景気回復の1年目と2年目で需要項目別の伸びを比べることでその点を調べよう(第1-3-6図)。
第一に、2年目には総じて輸出の伸びは鈍化する。これは日本にも当てはまる。例外は伸びが加速した英国、変わらないドイツだけである。輸出は立ち上がりが急なため、2年目は「巡航速度」に落ち着くといった面もあると考えられる。
第二に、日本、ドイツ、オランダでは個人消費の伸びが2年目に高まる。すなわち、輸出の増加によって開始した景気回復が、個人消費にも波及する形になっている。ただし、このうち日本とドイツでは2年目でも個人消費の伸びはGDPの成長率を相当程度下回っており、景気のエンジンが個人消費にバトンタッチされた、といえる状況ではない。需要項目における輸出のウエイトが相対的に大きいオランダの方が、日本やドイツよりも輸出の増加が消費に与えるインパクトが大きかった可能性がある。
第三に、日本、アメリカでは2年目に総固定資本形成が伸びを顕著に高めており、フランス、オランダも2年目の方が伸びが高い。特に日本は1年目と2年目の差が大きい。総固定資本形成の伸びの大部分は民間設備投資であると見られる。
以上をまとめると、日本は外需から内需のバトンタッチが部分的にできている。ただし、個人消費への波及は弱く、設備投資への波及が際立っている。
(3)需要項目別の雇用者所得誘発効果
外需であれ、内需であれ、その増加によって雇用者所得が高まれば、個人消費の(さらなる)増加につながり、経済の好循環が生まれると考えられる。ここでは個人消費、設備投資及び輸出を中心に、その雇用者所得の誘発効果(すなわち所得創出力、雇用創出力の大きさ)を見ておこう。
●設備投資、輸出は個人消費より雇用者所得を多く創出
GDPの項目別に、それらが1単位増加したときに雇用者所得がどの程度生み出されるかを示す「最終需要項目別の雇用者所得誘発係数」を、産業連関表を用いて試算してみよう(第1-3-7図)。これによると、公需や設備投資、輸出は、個人消費と比べると、雇用者所得をより多く生み出すことが分かる。以下では、日本における近年の景気回復を主導した設備投資や輸出を個人消費と対比しつつその背景を分析する25。
個人消費の過半はサービスであり、サービスは労働集約度が高いと見られる。にもかかわらず、設備投資、輸出のほうが雇用者所得を多く生み出すのはなぜだろうか。
そこで、これらの需要項目について、どの産業における雇用者所得の創出が特に重要かを調べよう。すなわち、雇用者所得誘発係数に対する産業別の寄与度を比べるのである。それにより次のようなことが分かる。第一に、個人消費ではサービスの寄与が最も大きいが、設備投資や輸出でもサービスの寄与は相当程度ある。第二に、個人消費では商業がこれに次ぐが、輸出や設備投資でも商業の寄与はほぼ同じ程度ある。第三に、輸出では加工型製造業の寄与が非常に大きく、この点で個人消費との差が開いている。
一方、個人消費、設備投資、輸出に対し財、サービスを供給する産業のシェアを見ておこう。個人消費ではサービス、不動産がこの順に多く、次いで商業と加工型製造業である。これに対し、輸出は約6割が加工型製造業であり、素材型製造業、商業が続く。サービスの割合は極めて小さい。また、設備投資についても、加工型製造業と建設が合わせて7割程度となる。
以上から、次のような推論が可能である。第一に、加工型製造業が雇用者所得を生み出す力はそれほど小さくないのではないか。だからこそ、そのシェアが圧倒的な輸出の雇用者所得誘発係数が個人消費と比較して大きかった。第二に、輸出自体に占めるサービスのシェアは低いものの、加工型製造業等の輸出は事業所サービス等の需要、ひいてはそうした業種での雇用者所得を大きく誘発すると考えられる。第三に、建設が雇用者所得を生み出す力は大きいと見られ、これが設備投資の雇用者所得誘発係数が高い一因となっている26。
●加工型製造業は他部門を含めた波及効果が大きい
上記のうち、第一と第三の推論を補強するため、実際に産業別の雇用者所得誘発係数を比べてみよう(第1-3-8図(1))。これは、各業種の1単位の需要の増加が全産業でどのくらい雇用者所得を生み出すかを示す数字である。それによれば、予想されるとおり、建設とサービスで係数が最も高い。加工型製造業はそれより低いものの、金融・保険や情報通信と同程度であり、サービスの約8割に達している。一方、不動産は突出して低い。
サービスは加工型製造業と比べて圧倒的に労働集約的に見えるが、なぜ両者の間には2割しか係数の差がないのだろうか。それは、他部門への波及効果を考慮することで明らかとなる。確かに、生産1単位当たりの雇用者所得(雇用者所得係数)は、サービスが加工型製造業の2倍以上である(第1-3-8図(2))。しかし、各業種の最終需要が1単位増加したときにマクロの生産がどれだけ増加するかを見ると、他部門への波及の影響などもあって、加工型製造業のほうがサービスよりその効果は大きい。このため、雇用者所得誘発係数を比べたとき、加工型製造業とサービスの差は縮むのである。一方、建設も、製造業に次いでマクロの生産を増加させる効果が大きい業種の一つであり、これが設備投資が雇用者所得を生み出す力が大きい要因となっている。
●個人消費の増加は自営・家族従業者を含む就業者数を大きく誘発
以上の分析から、設備投資や輸出が雇用者所得を生み出す力は個人消費より大きく、これらの需要項目を起点として個人消費に波及するというシナリオの素地は十分にあることが確認できた。なお、設備投資は輸出の増加から派生する場合も多いことから、起点としては特に輸出に期待がかかる。同時に、景気回復のシナリオを考えるに当たって、以下の視点も重要である。
第一に、冒頭で指摘したように、公需は雇用者所得を相対的に多く生み出す。今回は、累次の経済対策を受けて公共投資が堅調に推移しており、これを起点として好循環が拡大するシナリオも考えられる。
第二に、サービスに対する需要は雇用者所得を多く生み出すが、サービス需要の大部分は個人消費など内需である。前述のとおり、我が国の最近の回復初期においては、諸外国と比べてサービス消費の伸びが弱いことが特徴的であった。この点が改善されれば、サービス消費の伸びが雇用者所得を生み出し、個人消費を起点とした好循環というルートも重要な役割を果たすようになると見られる(ただし下記の点に注意)。
第三に、所得ではなく就業者数の誘発では個人消費の力は大きい(第1-3-9図)。これは、個人消費が小売業・サービス業などを中心に自営・家族従業者を多く生み出すためと考えられる。このことは、個人消費関連の業種を平均すると、就業者当たりの生産性が低いことを示唆している。個人消費を軸とした景気回復の好循環を目指す場合、これらの関連業種における生産性向上が重要な前提となろう。
2 景気浮揚の方向に働く力
在庫調整の一巡につれ、景気回復が視野に入ってくる可能性が高いが、その際に最終需要の回復にも展望が開けていることが重要である。ここでは、最終需要の面から景気に浮力を与えると期待される要因として、政策効果の発現、交易条件改善の影響、海外経済における明るい動きについて点検する。
(1)政策効果の発現
ここでは、2008年夏以降の累次の経済対策の概要とその効果の発現状況について示すとともに、財政収支への影響に触れておきたい。
●異例の規模となった4つの経済対策
今回の後退局面が始まって以降、政府は景気後退のフェイズに応じて、4度にわたる経済対策をとりまとめ、3度にわたる補正予算を編成した(第1-3-10表)。
第一に、2008年8月、サブプライム問題に端を発した世界的な成長鈍化と資源・食料価格高騰に対応するため、「安心実現のための緊急総合対策」が取りまとめられ、物価高対策や中小企業に対する緊急保証制度の創設などの施策が盛り込まれた。
第二に、2008年10月には、9月以降の米欧の金融機関破綻などによる世界の金融資本市場の混乱を受け、「生活対策」が取りまとめられた。ここでは、「生活者の暮らしの安心」、「金融・経済の安定強化」、「地方の底力の発揮」を3本柱に、定額給付金による家計支援や金融資本市場の安定化対策等が盛り込まれている。
第三に、2008年12月には、世界的な需要の大幅減が我が国の生産や輸出の急激な減少を引き起こしたことを背景に、「生活防衛のための緊急対策」が策定された。ここでは、雇用調整助成金制度の拡充などの雇用対策、政策金融における「危機対応業務」発動・拡充などの金融市場・資金繰り対策が打ち出されたほか、住宅ローン減税なども盛り込まれた。
最後に、2009年4月の「経済危機対策」は、輸出や生産など、企業部門の景気後退が深刻さを増し、雇用情勢や、国民全体の消費マインドといった家計部門にも深刻な影響が出始めていることを前提とした対策である。そこでは、雇用対策や金融対策がさらに拡充されたのと同時に、中長期的な成長力強化のために、環境対応車購入への補助などを実施する「低炭素革命」、地域医療強化への取組みなど「健康長寿・子育て」分野の施策等が重点的に打ち出された。
こうした累次の経済対策は、急速に景気が悪化するなかでとりまとめられたこともあり、その規模を順次拡大することとなった。国費について見ると、「安心実現のための緊急総合対策」では約1.8兆円であったが、「生活対策」では約5兆円、「生活防衛のための緊急対策」では約4兆円、今回の「経済危機対策」では約15.4兆円という規模になっている。「経済危機対策」のために編成された2009年度補正予算の規模は、過去の補正予算の中でも最大のものとなっている。
●公共投資の動向などに経済対策の効果が発現
このような異例の規模となった経済対策に盛り込まれた政策については、予算の執行に応じ順次その効果が発現してくると見られるが、現在のところはどのような政策効果が現れてきているであろうか。
第一に、公共投資分野において、前年を上回る実績が出てきている(第1-3-11図)。例えば、2008年の各対策において、学校の耐震化促進といった措置が盛り込まれているが、「公共工事前払金保証統計」によって年度内累積額の前年比で見れば、ここ数年必ず前年割れとなって推移してきたにもかかわらず、2008年度全体としては前年度を上回った。これは、98年度以来、10年振りのことである。
第二に、「景気ウォッチャー調査」27など消費者マインドを調査する統計において、年明け以降、消費者心理が上向く動きが見られる。このような前向きの見方をする回答者の中では、経済対策に盛り込まれた様々な措置の効果や、それらに対する期待に言及する者が増えている。
第三に、中小企業向け金融対策である「緊急保証制度」や雇用安定化のための雇用調整助成金制度など、中小企業金融や雇用のための各種セーフティネット整備のための各種施策が順調に実績を積み上げている。こうした実績が、企業倒産や失業の急激な増加を緩和する方向に働いている可能性がある。
また、2009年春以降、定額給付金、環境対応車の購入促進措置、エコポイント(付注1-5)といった個人消費関連施策の効果が発現しつつあり、セーフティネット機能発現のフェイズから、新たな内需創出に円滑に移行していくことが期待される。各種施策の効果の発現状況について、引き続き注意深く見守っていくことが必要であろう。
●財政収支は大きく悪化
このような果断な政策措置が一定の政策効果を生む一方、我が国の財政収支が急速な悪化を示しつつあることには十分注意を払う必要がある。
「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針(基本方針2001)」等に基づき、歳出削減努力が続けられた結果、構造的財政収支は2003年度以降2007年度まで改善傾向で推移してきた(第1-3-12図)。政策的経費を主とする構造的基礎的財政収支が常に財政収支の改善に最も寄与してきたことから、このような歳出削減努力が財政収支の改善に最も重要であったことが分かる。
ただし、2008年度及び2009年度は、2007年度に比べ、歳入面からは、厳しい経済状況を反映し、税収の大幅減が見込まれること、歳出面からは、社会保障の費用が引き続き増加することに加え、累次の経済対策により歳出が大幅に増加することから、財政収支も大きく悪化すると見込まれる(第1-3-13図)。
こうしたなか、政府は、財政の持続可能性を確保するため、国・地方の債務残高対GDP比を財政健全化目標の基本として位置付け、これを2010年代半ばにかけて少なくとも安定化させ、2020年代初めには安定的に引き下げることなどを内容とする「経済財政改革の基本方針2009~安心・活力・責任~」を閣議決定した(2009年6月)。この財政健全化目標の達成に向け、成長政策、歳出・歳入の改革の3つに取り組むこととしている。
(2)交易条件改善の影響
2008年秋以降の原油・原材料価格の大幅な下落は、リーマンショック後の日本経済にとって数少ないプラスの効果を及ぼす要因であったと考えられる。この効果はどの程度の大きさであり、また、その後の国内需要にどのようなタイミングで現れるのだろうか。「交易利得」という概念を用い、実質GDI(国内総所得)への影響、為替レート変動との関係、民需への影響のタイミングを見ていこう。
●2008年10-12月期には海外からの大幅な所得還流が実質国内所得の減少を緩和
原油・原材料等の輸入価格が上昇すれば、交易条件(輸出価格÷輸入価格)が悪化(低下)する。このとき、我が国はこれまでと同じ量を輸入するために、より多くの輸入代金を支払う必要が生じ、所得が海外に流出する。逆に、輸入価格が下落すれば交易条件は改善(上昇)し、所得が国内に流入する。こうした交易条件の変化による所得の流出入を示す概念が交易利得(流出の場合、交易損失)である。実質GDPに交易利得を加えたものが国内で得られる実質ベースの所得合計であり、実質GDI(国内総所得)と呼ばれる。直近の景気拡張局面から現在に至る期間の実質GDI成長率(前期比)の動きは、以下の3つ時期に区分すると理解しやすい(第1-3-14図)。
第一は、2007年秋までの景気拡張局面である。この期間には、当然ながら実質GDPは増加基調を続けた。一方、原油価格等の上昇が続き、交易損失が恒常的に拡大した。結果として実質GDIは増加したものの、その足取りは一層緩やかなものとなった。このときの景気回復が「実感に乏しい」といわれた背景には、こうした所得の恒常的な海外流出もあると考えられる。
第二は、景気後退局面に入った後、2008年7-9月期までである。この期間には、実質GDP成長率が鈍化から減少へと向かうなかで、交易損失の大幅な拡大が見られた。これは、実体経済の活動の弱まり以上に景況感の悪化を厳しいものにしたと考えられる。
第三は、2008年10-12月期以降である。リーマンショック後の急速な景気悪化によって実質GDP成長率は大幅に減少したが、交易利得は反転した。特に、10-12月期はこれまでに海外に流出した所得が一挙に還流した。
●2008年の円高は交易条件の改善に相当程度寄与
交易条件は為替レートの変動によっても影響を受ける。為替レートが円高に動いた場合を考えよう。我が国の輸入品は、原油・原材料を中心にドル建てで国際価格が決まるものが多く、為替レートの変化がそのまま円ベースの価格下落に反映されやすい。一方、輸出事業者は契約通貨ベースの価格競争力を維持するため、円ベースの価格下落を容認することが多いが、収益確保の観点からこれには限度がある。したがって、輸出価格と輸入価格の比である交易条件は改善する。
それでは、交易利得の変化のうち、どの程度がこうした為替レート変動の影響だったかを調べてみよう。具体的には、交易利得の前年差を、「為替要因」と「その他価格要因」に分解する。「その他価格要因」としては、契約通貨ベースの輸入価格、輸出品の国内生産コストの影響が考えられるが、主要な部分は前者のうち特に原油・原材料価格の変動である。結果を見ると、交易利得の動きの基調を決めているのは「その他価格要因」であるが、2008年においては「為替要因」のプラス寄与が比較的大きくなっている(第1-3-15図)。このように、2008年に生じた円高は、原油・原材料価格の高騰による所得流出を相当程度緩和したといえよう。
●交易利得の改善は時間をかけて民需を押し上げ
海外からの所得の流入は実質GDIを押し上げるが、実質GDPの成長にはつながるのだろうか。そのようなルートとして考えられるのは、企業や家計の実質所得が高まってその支出が増加することである。この効果を検証するため、過去における交易利得と民間需要の時差相関をとってみよう。結果を見ると、交易利得が前年と比べて増加(減少)してから、2年程度が経過した時点で最も実質民需の増加(減少)につながりやすいことが分かる(第1-3-16図)。すなわち、交易条件の改善は長期間の遅れを伴って民需の拡大をもたらす。また、民間需要の種類ごとの違いを調べると以下のようになる。
個人消費については、交易利得の増加から3~4四半期後に最も効果が生じやすい。これは、輸入物価から消費者物価への波及にはある程度時間がかかるが、消費者物価が下落すれば早期に家計が反応する可能性が高いことを示している。ガソリンなど価格が伸縮的な財では、輸入価格の下落から消費量の増加までの時間が特に短いと見られる。
住宅投資については、個人消費よりやや遅れて4~5四半期後に効果が大きくなっている。消費者物価の下落が家計の実質的な購買力を高める一方、資材価格の下落が住宅価格を引き下げる効果が働くと考えられる。
設備投資については、最初の1年程度はまったく効果が見られない。2年経過後に、漸く効果が顕在化する。設備投資の場合、計画に盛り込んで実施するまでに長期間を要することがその原因として指摘できる。また、投資コストの下落による直接的な効果というより、交易条件の改善傾向が確認され、長期的な経済の見通しが上方に修正されることが、設備投資の増加につながる面が強いためとも考えられる。
以上の分析から、2008年後半以降の交易条件の改善は、2009年後半に向けて潜在的な効果が次第に大きくなる可能性が高い。在庫調整が終了に近づき、先行きの展望が開けるなかで、交易利得による所得増が実際の支出につながり、景気回復へ向けた浮力として働くことが期待される。
1-4 交易利得の変化の国内における分配
交易条件の悪化(改善)に伴う海外への所得流出(流入)は、国内では基本的に家計と企業に分配されることになる。この状況は、「平成20年度年次経済財政報告」で示したように、最終財1単位における物価上昇分を、賃金、利潤等、輸入物価の寄与に分けることで判明する(コラム1-4図)。
その結果を改めて確認すると、原油価格等の上昇を受け、輸入物価のシェアは2008年7-9月期に至るまで大きく上昇を続けてきた。しかし、輸入物価の上昇は物価全体にはほとんど反映されることなく、そのしわ寄せは国内の家計および企業に回されていたことが分かる。2007年度まで、賃金のシェアと利潤等のシェアはともに低下し続けたが、その低下度合いはほぼ同じとなっており、輸入物価上昇の影響は家計と企業で等しく負担されていた。
2008年4-6月期以降、賃金のシェアが下げ止まりを見せる一方、利潤等のシェアは引き続き低下した。さらに2008年10-12月期以降は、原油価格等の反転を受けて輸入物価のシェアが急速に低下し、全体の物価も下落した。それによる国内の負担軽減分については、これまでのところでは家計の方により多くが回っているようである。
(3)海外経済における明るい動き
2008年後半以降の世界経済は、米欧等の金融危機が深刻化して厳しい「世界同時不況」の様相を呈したが、このところ明るい動きも一部に見られる。具体的には、第一に、金融危機は依然深刻ではあるものの、小康状態となっていること、第二に、各国で大規模な経済対策が実施され、直接的な効果が見られ始めたこと、第三に、こうしたなかで実体経済面でも悪化テンポの緩和が見られること、などである。
●米欧における金融市場の緊張度は低下
世界的な金融危機は依然深刻な状況にある。しかし、一部で改善の兆しが現れていることもまた事実である。その一例として短期金融市場における緊張の度合いを見てみよう。今回の局面では、アメリカのサブプライム住宅ローン問題に端を発した金融不安が拡大し、リーマンショックの後には、金融危機となってリスクプレミアムが大幅に上昇した。これを端的に示すのが、銀行間金利(LIBOR)とOISレート28とのスプレッドの動きである(第1-3-17図)。実際、このスプレッドは2007年夏に上昇していたが、2008年秋以降、アメリカと欧州を中心に一段と大幅に上昇した。
しかし、その後各国で政策金利の引下げや流動性供給策、信用不安対策等が実施された。アメリカ、欧州ではこれを受けて、2009年初にかけてスプレッドは大幅に低下した。我が国も含め、2007年前半の水準と比較すると依然高いものの、その後はやや安定的に推移しており、短期金融市場における緊張度が低下していることを示している。
なお、同様の動きは、社債利回りの国債利回りとのスプレッドでも観察され、長期金融市場においても緊張が緩和されていることが分かる。
●各国における経済対策の実施とその効果
アメリカでは、2009年2月に成立したアメリカ再生・再投資法の下で大規模な需要刺激策が実施されている。同法により総額7,872億ドルの財政負担がなされることとなっており、2010年9月までに4分の3、2011年9月までに9割が執行される見込みとなっている(第1-3-18図)。こうした経済対策による景気浮揚効果が十分に発揮されれば、GDPギャップの拡大は半分以下にとどまるとの見方もある29。
アメリカ以外でも、欧州、アジア等の各国で経済対策が実施されつつある。GDP比で見たとき、欧州の対策はアメリカと比べ財政出動の規模は小さめであるが、中国では極めて大規模な対策が実施されている30。中国の対策には、2年間で総額4兆元の投資計画の実施などが含まれるが、実際に固定資産投資の増加テンポが高まるなど、対策の効果が発現し、景気は持ち直している。また、ドイツやフランスでも自動車の販売台数が前年比で増加に転ずるなど、直接的な効果が一部で見られている。
●アメリカにおいて経済の収縮テンポが緩和
こうしたなかで、急速な悪化を続けてきたアメリカの実体経済においても、経済の収縮テンポが緩やかになってきている。
まず、企業部門の動向を見よう(第1-3-19図(1))。製造業の景況感を示すISM総合景況指数は、2008年後半から急速に悪化したが、2009年初以降は改善している。こうした動きの背景には、在庫調整の進展があると考えられる。在庫率は2008年後半に急速に上昇したが、2009年以降、わずかながら改善が見られる。
今回、打撃の大きかった家計の状況はどうか(第1-3-19図(2))。マインド面を示す消費者信頼感指数に注目すると、2007年以降低下傾向となってきたが、2009年初以降は改善が見られる。大規模な経済対策が実施されるなかで、景気回復への期待が高まっているものと考えられる。大幅に悪化していた個人消費についても、下げ止まりつつある。
海外におけるこうした動きが景気の持ち直しにつながれば、我が国からの輸出も持続的な回復が可能となろう。
3 リスク要因
今後の景気を展望するに当たってのリスク要因として、以下では[1]大幅な雇用調整、[2]デフレ、[3]海外における景気の下振れ、といった可能性に関して、現状をどう評価するかを見ていこう。
(1)大幅な雇用調整のリスク
2009年春以降、生産が持ち直すとともに、所定外労働時間は増加に転じ、有効求人倍率の低下テンポも緩やかになっている。一方で、このところ雇用者数の減少が明確となり、失業率の上昇が続いている。雇用者数や失業率は一般に景気に遅行するとされ、生産水準が極めて低い状況にあることを踏まえると、先行きその一層の悪化が懸念される。ここでは、失業プールへの出入り、雇用保蔵の状況、生産調整との関係について調べることで、雇用の先行きリスクを浮かび上がらせる。
●「就業者から失業者」の確率の高まり
最初に、失業者と就業者、非労働力人口の間の移動(フロー)の状況を明らかにしよう。すなわち、毎月どの程度の割合で失業から脱し、あるいは新たに失業者が生まれるかを、「失業者から就業者」「失業者から非労働力人口」「就業者から失業者」「非労働力人口から失業者」の4通りの確率として推計する(第1-3-20図)。その結果、今回、失業率の上昇が比較的遅かった原因として、次のような点が指摘できる。
第一に、「失業者から就業者」の確率が、最近まで比較的高い水準のまま、ほぼ横ばいで推移してきたことである。過去2回の後退局面を見ると、2001年は低い水準で横ばい、97~98年は比較的高い水準から低下傾向にあった。したがって、過去10年程度と比べると、2008年までは失業者が翌月に就職できる確率が高く、そうした状況がさほど変わっていないことが分かる。
第二に、「就業者から失業者」の確率が、景気後退後1年程度は横ばいにとどまったことである。過去2回の後退局面では、企業のリストラ姿勢が強まるなかで、景気の山から半年程度でこの確率が急上昇に転じており、これが失業率の上昇に大きく寄与したと考えられる。
第三に、「失業者から非労働力人口」の確率が、当初は上昇したことである。過去2回の後退局面では景気の山からすでに低下しているが、今回は一時的に失業者の非労働力化が進み、失業率の上昇を抑えた面もあると考えられる。
ただし、「失業者から非労働力人口」の確率は2008年前半から低下に転じている。さらに懸念すべきは、2008年末頃から「失業者から就業者」の確率が低下し、「就業者から失業者」の確率が高まっていることである。生産水準と不釣り合いな雇用者数の重みに耐えられない企業が出てきていると見られ、今後こうした企業が増加すれば、この確率はさらに高まる可能性がある。
●企業の雇用保蔵は過去の景気後退局面と比べても大規模
それでは、現在、どの程度の企業がどの程度の雇用者を生産に見合わない形で「保蔵」しているのだろうか。ここでは、「雇用保蔵」を実際の常用雇用者数と生産に見合った最適な雇用者数の差として把握する。最適な雇用者数とは、「適正」な労働生産性を、平均的な労働時間で達成できるような雇用者数である。ここでは「適正」な労働生産性として、2通りのケースを用いよう。一つは、稼働率が最も高いときの労働生産性である(ケース1)。もう一つは、最近時点で雇用過剰感がゼロであった2005年当時の稼働率に対応する生産性である(ケース2)。その結果を見ると、次のようなことが分かる(第1-3-21図)。
第一に、全産業、製造業とも、2008年10-12月期になって雇用保蔵が急速に増加している。これは、リーマンショック後に生産活動が大幅に低下したことに対応している。なお、全産業では製造業に先立って2008年4-6月期から急速な増加が始まっており、非製造業を中心として常用雇用者を確保しておこうという動きが強かったことが示唆される。
第二に、今回の雇用保蔵は過去と比べても大規模である。具体的な数については幅を持って見る必要があるが、2009年1-3月期で全産業607万人(ケース1)又は528万人(ケース2)、製造業369万人(ケース1)又は328万人(ケース2)の規模となった。特に、全産業では、すでに80年代以降で最大の水準に達している。
このように、今回の後退局面では雇用保蔵の増加テンポが速く、結果として規模も大きくなっている。雇用保蔵は当面の生産との対比では過剰雇用と捉えられることもあるが、必ずしも不合理なことではない。スキルを持った人材を社内に確保し、人的資本の毀損を防ぐことは、需要が回復したときに機会を逃さないために必要な面もあり、そうした長期的視野から意図的な雇用保蔵が行われている可能性がある。
なお、2009年4-6月期は、生産が持ち直す一方、現実の雇用者数がさらに減少していると考えられ、雇用保蔵は1-3月期と比べ減少することが見込まれる。
●労働時間による調整一巡により焦点は雇用者数による調整へ
それでは、生産調整との対比で見た場合、雇用調整がどのように進められてきたのだろうか。過去3回の景気の山から谷まで、及び今回の景気の山から2009年2月及び4月(製造業は5月)までのそれぞれについて、生産と労働投入(就業者数×総実労働時間)の変動率を比べてみよう(第1-3-22図)。なお、全産業ベースの「生産」としては、全産業活動指数を用いる。それによれば、過去と比べた今回の特徴として、以下のような点が指摘できる。
第一に、生産と対比した労働投入の調整の度合いは、今回、これまでのところは相対的に小さい。全産業、製造業とも今回は生産の減少率が極めて大きく、労働投入の減少率も過去の後退局面と比較して大きい。しかしながら、生産の減少程度と比較すると労働投入の減少は小幅にとどまっている31。
第二に、労働時間の減少率そのものは、過去と比べてもすでに大幅となっている。すなわち、生産の大幅な落ち込みに対応して、企業は残業の削減や休日の増加などによる対応を急速に進めたことが分かる。
第三に、全産業ベースの就業者数の減少率は、ITバブル崩壊後の後退局面と比べて小幅にとどまっている。しかし、今回の局面においても、就業者のうち自営・家族従業者の減少は相当程度進んでいる。これは、前述のように常用雇用を中心に保蔵が行われ、雇用者数が比較的維持されてきたことを反映した結果と考えられる。
企業にとって、生産の減少に見合わない労働投入を持続することは困難である。したがって、雇用者数の一段と大幅な減少、失業のさらなる増加を防ぐことができるかは、今後、生産がどの程度のスピードで回復していくかにかかっている。過去との単純な対比では、これだけ労働時間が削減されればすでに限界に近く、生産の迅速な回復がない場合、雇用者数の大幅な削減へと重点が移ることが懸念される。ただ今回は、雇用調整助成金の拡充により、休業に伴う企業の負担が大きく軽減されている面もあり、その影響がどのように推移するかについても注視する必要がある。
(2)デフレに逆戻りする可能性
2007年秋から2008年夏にかけて、原油や穀物価格の高騰が消費者物価にも波及し、デフレよりインフレを懸念する声も目立っていた。しかしながら、その後、原油等の価格は急落に転じ、リーマンショック後の景気悪化とあいまってデフレ懸念が再び強まることとなった。ここでは、この間の消費者物価の変動を振り返った後、企業や家計のインフレ期待がどう変化したか、需給ギャップの拡大は物価の先行きにどのように影響するかを確認することで、デフレに逆戻りする可能性について考察する。
●消費者物価は緩やかな下落へ
デフレとは、物価が持続的に下落する状態である。物価の指標としてはGDPデフレーターや消費者物価が代表的であるが、以下では消費者物価に着目する。その最近の動きを振り返り、基調的な部分がどう推移してきたかを確認しよう(第1-3-23図)。
まず、「コア」指数(生鮮食品を除く総合)は、2007年夏までは横ばいであったが、一旦は急上昇し、2008年夏以降は急落した。2009年に入ってからは横ばい圏内の動きに戻り、春以降は緩やかに下落している。この間、その前年比伸び率に寄与したのは、石油製品と食料であったことが分かる。「その他」の寄与は小さいが、この中にも電気料金など原油価格の直接的影響が及んだ品目が含まれる。2008年度にかけての原油や穀物価格の高騰は消費者物価を押し上げたが、その効果は一部の品目に集中していたといえよう。その後については、2008年末頃から石油製品がマイナス寄与に転じたことに加え、2009年春からは食料のプラス寄与縮小などが「コア」指数の押下げ原因となっている。
次に、内閣府が消費者物価の基調判断の際に重視している「コアコア」指数(生鮮食品、石油製品、その他特殊要因を除く総合)を見よう。「コアコア」は、2007年末頃から2008年夏まで緩やかな上昇を示した後、横ばい圏内の動きに戻り、2009年春以降は緩やかに下落している。これは主として食料の動きによるところが大きい。なお、穀物価格の変動の消費者物価への波及は原油価格と比べ遅く、2009年に入ってようやく消費者物価の押下げに寄与するようになったといえよう。
以上から、最近の消費者物価の動きは原油や穀物価格の変動による面が大きく、一時的なものと評価できる。また、穀物価格の下落の影響は今後も現れると見られるが、それも一時的な現象と考えられる。したがって、コアコア指数が下落しただけでは、デフレに戻ったという判断にならないことに注意が必要である。持続的な物価下落という意味でのデフレに逆戻りするかどうかについては、これらの要因以外の下押し圧力がどう働いていくかを見極めることが重要である。
●企業の物価見通しは「下がる」が増加、家計も「上がる」が減少
それでは、企業や家計は物価の先行きをどう見通しているのだろうか。企業の見方として消費関連企業の3ヵ月後の販売価格見通しDI(「上がる」とした企業の割合-「下がる」とした企業の割合)を、家計の見方として1年後の見通しDI(定義は企業の場合と同様)を調べたところ、以下の特徴が見られる(第1-3-24図)。
第一に、いずれの見通しについても、現実の物価の動きと相前後して変化し、2008年後半からDIが低下に転じている。その結果、2009年3月には「下がる」とする企業が圧倒的に多くなり、また、家計でも「上がる」とする回答が大幅に減っている。なお、家計の回答は「上がる」と回答する割合が高い傾向にあるため、その点を勘案した過去の期待インフレ率との対比で推測すると、2009年1-3月期の期待インフレ率はゼロに近い上昇率と考えられる。
第二に、2009年3月のDIは、家計、企業とも2006年~2007年初めの水準より低くなっている。これには前述の穀物価格下落の波及が遅れて現れていることなど一時的な要因も含まれている可能性があるが、景気悪化を反映して物価が下落すると予想している面も大きいと考えられる。このことは、企業の見通しのうち、一時的要因の影響が相対的に少ない「対個人サービス+外食・宿泊」で、DIが特に大きくマイナスとなったことからも推測される。
●需給ギャップの拡大は遅れを伴って基調的な物価を押し下げ
このように景気が悪化するなかで物価の見通しが下向きになってきているが、実際に需給ギャップの拡大は物価にどの程度の影響をもたらすだろうか。GDPギャップと消費者物価上昇率のこれまでの関係から考えてみよう。
一般に物価は需給環境によって変動するが、需給環境の変化がすぐに物価に反映されるわけではない。消費者物価、特にその基調的な動きは、通常、マクロの需給環境を示すGDPギャップの変化に遅行する。これは、石油製品などの市況商品を除けば、価格の改定には相当の時間がかかるためである。特に賃金の変化は景気に遅れることから、人件費のウエイトが高いサービスの価格などは、この傾向が強いと予想される。そこで、横軸に1年前のGDPギャップ、縦軸に消費者物価(コアコア指数)の前年同期比をとってフィリップス曲線を描くと、おおむね右上がりの関係が観察される(第1-3-25図(1))。
しかし、このような指標の組み合わせの場合、2007年にGDPギャップがほとんど変化していないにもかかわらず、1年後の2008年の物価は前年比で上昇しており、右上がりの関係が消失してしまう。これは穀物価格上昇に伴う動きであり、必ずしも基調的な変化とはいえない。この部分を均して見るため、食料も除いたいわゆる「米国型コア」指標を用いてプロットし直してみよう(第1-3-25図(2))。その結果は、2001年以降、ほぼ一直線で右上がりの関係となる。それ以前の期間についても同様の処理をすると、期間ごとに高さは違うものの、右上がりの関係が比較的明瞭に浮かび上がる。なお、期間ごとの高さの違いは、基調的な期待物価上昇率の違いを反映したものと考えられる。
こうした分析から推論すると、リーマンショック後の大幅なGDPギャップの拡大は、もしそれが続く場合、2009年以降の基調的物価を大きく下落させるおそれがある。現在の基調的な期待物価上昇率は長期にわたるデフレ的な状況を経て形成された面があり、これを上方にシフトさせるのは容易ではなく、むしろ低下が懸念される状況になりつつある。したがって、デフレ防止のためには、マクロ的な需給の改善を急ぐ必要があろう。
(3)海外経済の下振れ
前述のとおり、世界的な金融危機は依然深刻であるが、2009年に入ってからは小康状態にある。そうした状況の下で、アメリカなどの景気悪化のテンポにも緩和が見られる。しかし、世界景気が回復に向かうというシナリオには不確実性が高く、下方リスクが大きい。そのようなリスクとして、[1]米欧を中心とした、金融市場と実体経済の悪循環の長期化、[2]財政収支の悪化を背景とする長期金利の上昇、[3]各国における雇用情勢悪化などが挙げられる。
●金融危機と実体経済の悪循環が長期化する懸念
アメリカの景気が回復するとしても、それは政策措置に強く依存したものであり、政府やFRBの取組によって金融市場が安定しなければ、金融市場と実体経済の悪循環が長期化し、景気回復がさらに遅れる懸念がある。また、英国を始めとした欧州についても、金融市場と実体経済の悪循環の長期化が懸念される。
ここでは、米欧における住宅市場の先行きについて考えてみよう(第1-3-26図)。95年以降の住宅価格の動向を見ると、アメリカ、英国ともに90年代後半にはほぼ名目GDPに沿った上昇を示していた。2000年代以降、住宅価格の上昇が顕著となり、2006~2007年にピークとなった後下落に転じている。住宅価格は、名目GDPとの対比で見ると、今後も調整が続く可能性を示唆している。アメリカについては、ケース・シラー住宅価格指数先物価格で見る限り、ピーク時と比較して4割減にまで調整が進むことが見込まれている。また、英国でも四半期ベースで見ると、住宅価格は2009年1-3月の時点においては、ピークの2割減程度となっている。
こうした住宅価格の調整について、過去の日本の経験と対比してみよう。日本の住宅地公示地価(三大都市圏平均)の動きを振り返ると、91年にピークを付けた後、約15年間にわたって下落を続け、ピーク時の半分以下の水準になっている。こうした日本の経験を踏まえると、米欧における住宅価格の調整が長期化する可能性も否定できない。
●政府債務残高の対GDP比はアメリカで上昇し、欧州でも高水準
アメリカにおいては、大規模な経済対策を実施しており、今後、債務残高が増加する可能性が高い。国・地方を合わせた債務残高のGDP比の推移を見ると、2000年には56%程度であったが、2007年末時点では63%程度にまで上昇している(第1-3-27図)。こうした状況の中での対策の実施であり、景気悪化に伴う循環的収支の悪化と合わせて債務が増加し、その持続可能性への懸念を生じさせた場合には、国債価格が下落し、長期金利の上昇から実体経済に悪影響を及ぼす可能性がある。
一方、欧州各国について見ると、ドイツ、フランスでは2000年代前半は債務残高のGDP比が拡大してきたが、安定化に向けた努力を行ってきており、英国、イタリアでも近年の債務残高のGDP比は縮小ないし横ばい傾向で推移していた。ただし、いずれの国も景気悪化や対策実施に伴い財政は急速に悪化している。また、今後についても、各国の債務残高のGDP比は、2010年にかけて上昇する見通しとなっている。
米欧において長期金利の上昇が景気に悪影響を及ぼす場合には、日本の輸出の伸びを抑える方向に働くことに留意が必要である。
●各国における雇用情勢悪化の影響
世界的に景気が後退してきたことを受けて、各国において雇用情勢が急速に悪化している(第1-3-28図)。アメリカにおいては、2010年には失業率が10%を超える水準となる可能性が指摘されており、所得・雇用環境の悪化が個人消費をさらに下押しするおそれがある。欧州においては、これまで失業率の上昇が緩やかであったドイツやフランスでも上昇が見られる。今後、2010年には失業率がユーロ圏では11%台、英国でも9%台まで上昇することが見込まれている。こうした雇用情勢の悪化は、以下のルートから世界的な景気の下振れをもたらす要因となる可能性がある。
第一に、雇用情勢が厳しいなかでの回復は、足取りの弱いものとなる可能性がある。経済対策などを背景に、一時的に消費が伸びたとしても、雇用が安定しなければ持続的な回復にはつながらないであろう。
第二に、雇用情勢の悪化は社会不安につながる可能性があり、これを政治的に解決するために各国が保護主義的な政策をとる可能性がある。保護主義によって、貿易や投資が阻害されれば、三角貿易などを前提として効率的な国際分業体制を構築してきた各国の産業が大きな打撃を受けるおそれがある。