第5節 まとめ

本節では、第1章で述べた日本経済を取り巻く環境や課題について、改めて整理する。

景気の現状と先行きのリスク

日本の景気回復は、「足踏み状態」となっている。これは、原油・原材料価格の高騰による企業収益の圧迫など所得面への影響に加え、サブプライム住宅ローン問題に端を発する金融資本市場の変動やアメリカ経済の減速から、輸出の弱含みや企業マインドの一層の慎重化が生じたことなどを反映している。ただし、これまでのところ雇用、設備投資のいずれについても過剰感はみられず、在庫調整の動きも一部の財にとどまっており、自律的に景気後退に陥る可能性は低いとみられる。

懸念材料は、アメリカ経済と原油・原材料価格の行方である。現時点では、アメリカ経済が減速する中でもアジア経済は全体として拡大しているが、2008年に入りアジアからのアメリカ向け輸出の伸びが鈍化し、日本からアジアへの輸出も弱い動きとなっており、アメリカ経済の減速の影響が間接的に及んでいる。アメリカでは、これまでの財政金融政策の効果によって景気が下支えされると見込まれ、この間に金融資本市場の混乱や住宅部門の調整が落ち着いてくれば、景気は持ち直してくると見込まれる。

しかし、アメリカ経済が景気後退に陥り、長期化するような場合、あるいは原油・原材料価格の高騰が更に続くような場合、日本でも景気の下振れリスクが顕在化する可能性があることには留意が必要である。また、原油価格等の高騰により企業が体力を消耗する一方、家計の実質所得が圧迫されるなど、所得面からの国内需要の下押しが強まることが懸念される。

世界的な構造変化に取り残されている日本経済

こうした事態は、日本経済がなぜ外的ショックに対し脆弱なのかを考える契機でもある。アメリカのサブプライム住宅ローン問題は、新興国の登場による世界的な資金フローの変化の所産でもあった。原油・原材料価格の高騰も、こうした構図の中で理解することができた。では、そこからどのような課題が浮かび上がったのか。

第一は、金融資本市場に関するものである。まず、日本に限らず世界共通の課題がある。例えば、重要なものを一つ挙げれば、過剰流動性の高まりとリスク評価の緩みが生じていた中では、最先端の金融技術によってリスクの分散化はできてもリスク総量の軽減はできないことが明らかになった。これは、今後の信用リスクの評価について問題を提起した。また特に日本については、金融機関の損失が欧米と比べ限定的であったが、金融資本市場を通じた影響は大きかった。その背景には、日本の金融資本市場の「厚み」のなさを指摘できる。膨大な金融資産を持つ日本の家計がその積極的な運用を図るとともに、金融セクターの競争力を高めるべき、という課題が浮かび上がった。

第二は、財・サービスの貿易に関するものである。新興国の高成長は内需だけによるものではなく、多分に外需に依存する面がある。したがって、その行方は、最大の消費地としてのアメリカ経済の影響を受けざるを得ない。その意味で、いわゆる「デカップリング」論に対しては、慎重な見方をすべきである。またこうした形での世界経済の連動性に対して、単純に内需依存を高めることは処方箋とはなり得ない。むしろ、日本企業はグローバル展開を更に推し進める中で、海外への拠点構築のみならず、国内市場を世界に向けて開き、日本自身がグローバルな競争の場となることが必要である。

賃金が伸び悩む状況で、原油・原材料価格の高騰の一般物価への影響は限定的

今回の原油・原材料価格の高騰は、所得流出の規模で、二度の石油ショック以来のものとなっている。しかし、2007年度の時点では、その負担は企業と家計が分かちあう姿となっており、消費者物価への転嫁は石油製品や食料など一部にとどまっている。

このように「川上」の物価上昇が「川下」の一般物価上昇につながらないのは、賃金が伸び悩んでいるからである。賃金の伸び悩みは、現象としては、定期給与上昇の抑制、非正規雇用の拡大といった形をとり、また団魂世代の影響もあった。だがその背景には、技術革新による影響とあいまって、中国などからの低賃金労働力が登場し、賃金の低下圧力が強まったことがある。また、輸出企業の賃金抑制姿勢は、「世間相場」重視の企業行動と長期にわたる低い物価上昇期待があいまって、国内の他の産業の賃金の抑制につながった。

したがって、現時点では、需給が引き締まる中での賃金と物価の好循環という形でのデフレ脱却には至っていない。他方、賃金が動かない以上、持続的な物価上昇と景気後退の組み合わせであるスタグフレーションに陥る可能性も小さい。

こうした検討を踏まえ、より長期的な課題として以下の二点が浮かび上がる。第一に、現在の物価上昇が一部の品目に偏っていることは、「価格シグナル」の現れにほかならない。これを正面から受け止め、省エネルギーや新エネルギーの利用など構造的な対応と、戦略的な資源確保を進めていくことである。第二に、外国の低賃金労働力との競合が問題となるような経済構造からの脱却である。スキルの高い労働力とそれを必要とする産業が育つよう、地道な取組が求められている。

政府の対応

政府は、原油価格の高騰に対しては、中小企業対策、業種別対策、地域の生活関連対策や、省エネ・新エネなど構造転換対策、エネルギー外交の強化などを含めた具体的な取組について、政府一体となって積極的に取り組んでいるところである。賃金の伸び悩みに関しては非正規労働者の正規雇用化の促進や最低賃金の遵守・引上げなどの対応を行っている。

また、今後本格的な人口減少社会に突入するが、そうした状況下でも持続的な経済成長を確保するためには、経済構造を内需主導型へと強化するとともに、その成長の成果が国民に還元されなければならない。そのためには成長力強化に向けた取組を着実に実施していくことが重要となる。

現下の経済状況やリスクの高まりにかんがみ可能なものから実施していくという観点から、2008年4月4日に中小企業の体質強化や雇用の改善、地域活性化につながる政策を中心に、「成長力強化への早期実施策」(2008年4月4日経済対策閣僚会議)を取りまとめた。まずはこれらの施策を着実に実施していくことが必要である。さらに、「経済財政改革の基本方針」(2008年6月27日閣議決定)において新成長戦略の具体策を示したが、内需中心の経済成長を実現していくために、これらに基づき更に改革を進める必要がある。

短期的なリスクの克服と中長期的な課題

以上みたように、現在、日本経済は下振れリスクに直面しているが、先行きについては、こうしたことを克服して、景気は緩やかに回復していくと期待される。また、今回の「外的ショック」による影響に対しては、「グローバル化のために苦境に陥った」のではなく、「グローバル化に主体的に取り組まなかったために苦境に陥った」と考えるべきである。今後は、世界経済の構造変化を踏まえ、その成果を取り込んで成長力を高めていくことが重要である。そうすることで、世界に先立って高齢社会を迎える日本が世界経済のリスクとならず、むしろ世界の安定に貢献していくことが可能となろう。