平成19年度

年次経済財政報告

(経済財政政策担当大臣報告)

−生産性上昇に向けた挑戦−

平成19年8月

内閣府


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第4節 経済成長と格差の関係

 一国の厚生水準の向上には、経済成長の過程で、家計部門における所得、雇用が増加することが不可欠の条件といえる。その一方で、マクロとしての家計部門の合計で成長していたとしても、その過程で、家計部門内における所得の偏り、いわゆる格差の拡大が生じる場合がある。格差の拡大自体が厚生水準にまで影響を与える可能性もあり、格差変動のメカニズムについて近年関心が高まっている。これまでにも、経済成長と格差との関係については様々な議論が展開されてきており、本節ではこうした問題を取り上げる。
 具体的には、アメリカ、英国といった諸外国で過去にみられた格差の歴史を振り返りながら、そこから抽出される格差の背景を考察する。その上で、過去の経済指標を用いた実証分析を行い、あわせて、格差に大きな影響を与えると指摘されているグローバル化の関係、IT化との関係も含めて検証することにより、格差と成長の問題を多面的側面から観察する。その他、税制面を含め、政策面での対応についても、理論・実証研究の面から分析する。
 なお、格差問題に関しては、今後の経済財政を考える上で、世代間の格差の是正も重要な政策課題となっている。


1 経済発展段階からとらえた格差の変動

●経済の発展の段階に応じて変化する格差
 格差の拡大と経済成長の関係については、古くからクズネッツの逆U字仮説が知られている。この仮説によれば、経済発展の過程で、主要産業が農業から工業へと進むにつれて、所得の不平等度が相対的に高い工業部門のウエイトが高まることによって、国内の所得格差は広がるが、その後、そうした工業化の進んだ都市に住む人々の工業都市への適応が進展していき、また、民主化社会における低所得者層の政治的力の増大を通じた法律や制度の整備が進むことなどにより、所得の不平等度が低下する傾向がみられることが指摘されている58。こうした仮説についての検証としては、世界銀行などによる様々な分析が行われている(第3−4−1図)。
 上記分析については、後述するとおり、本来一国の経済成長の時系列として当てはまる仮説を、発展段階の異なる多くの国の所得水準と格差指標によるクロスセクション・データを用いていることに関して問題があり、必ずしも適当でないとする指摘もある59

●経済発展段階に応じた格差拡大・縮小に関する要因
 経済発展の段階に応じて格差が拡大したり縮小したりする要因として以下が考えられる60
(1)労働節約的な技術進歩の普及
 技術進歩が進むと、機械で代替可能な非熟練労働の需要が減り、熟練労働の価値は相対的に上昇する。それに伴い労働市場では、非熟練労働者の相対的な賃金下落、熟練労働者の相対的な賃金上昇がみられるようになる。特に、産業革命後の近代化の過程では、農業部門と工業部門は均整には発展せず、資本集約的・熟練集約的な工業部門において飛躍的に生産性を高めるような技術進歩が起こり、労働集約的・非熟練集約的な農業部門の生産性上昇は遅れる傾向にあった。こうした部門間の労働生産性の違いに由来する賃金の格差が労働節約型の技術進歩の普及によってみられるようになる。
 この過程で、労働者が教育などを通じて技術を身に付けることにより、また農村から都市への移住により、より多くの労働者が生産性の高い工業部門に移ることにより、工業部門内の労働者が増え、社会全体としての格差は縮小に向かっていく。
(2)人口構造の変化
 出生率の上昇、幼児死亡率の低下、移民の流入など、人口構造が変化し、低賃金の若年・非熟練の労働力の割合が増えることによって、社会全体としての格差は拡大する。また、層の厚い外部労働市場の発達により、非熟練労働者が過剰になれば、相対的に非熟練労働者の賃金は低下、熟練労働者の賃金は引き上げられ、賃金面の格差が拡大する。
 その裏返しとして、移民制限の実施により、比較的非熟練労働者が多い移民の流入が国内労働力増加に占める割合が縮小すること、また人口構成の変化により壮年期の熟練労働者の割合が増加することを通じて、社会全体の格差は縮小することになる。
(3)人的資本の蓄積
 労働力の質の変化は、格差の変化に影響を及ぼすことになる。教育や訓練を通じた熟練形成の度合いや速さが部門間、企業間又は個人間で異なることにより、格差の拡大、縮小が生じる。これは、経済主体の問題にとどまらず、制度的・経済的仕組みの違いから、国ごとに格差の変化のスピードを異ならせる。例えば東アジアでみられるような人的資本蓄積の速い国がある一方で、一部のラテン・アメリカの国のような人的資本蓄積が遅れた国もある。こうした人的資本蓄積の度合いや速さの違いが、各国の格差の変化のスピードの違いとなって現れる可能性がある。
(4)その他資本の蓄積
 資本と熟練労働は補完的関係にあるのに対し、資本と非熟練労働は代替的な関係にある。よって、資本の蓄積によって非熟練労働の価値は低下し、格差につながることがある。

●アメリカの歴史上確認できるクズネッツのU字曲線
 アメリカにおける格差と成長の関係は、これまでクズネッツの逆U字曲線の主要な例とされた。19世紀前半には、製造業や運輸業を中心とした一部の産業で大幅な技術進歩が起こり、生産性の向上がみられ、格差が拡大した。その後、資本蓄積の鈍化や生産性上昇のアンバランスの改善、また移民の減少もあり、一時期格差は縮小した。その後、再度技術革新の進展に合わせて格差が拡大したこともあったが、1930年代に入ってからは、農業やサービス業で生産性が上昇し、部門間の生産性の平準化が起こったこと、また戦時中の移民の締出しの影響により非熟練労働者の流入が減少したことなどもあり、格差の縮小がみられるようになった(第3−4−2図)。

●英国でも長期時系列では、格差は一度拡大した後、20世紀に入ってからは縮小
 英国でも、経済発展の過程で格差が拡大した後、おおむね20世紀に入ってから縮小がみられるなど、格差と成長に関しアメリカと同様の動向がみられた(第3−4−3図)。18世紀から19世紀にかけては、英国工業部門での急速な技術進歩によって、部門間の不均衡な生産性の上昇、所得の低い非熟練労働者の人的資本形成の遅れがみられ、また、アイルランドからの非熟練移民の受入れ増加により、所得分配の不平等度が高まった。しかしながら、20世紀に入ってからは、これまで急速に技術進歩の進んだ分野の生産性上昇の鈍化、非熟練労働者の熟練化の進展、海外からの非熟練労働者の移民受入れの減少により、アメリカに比べてやや早い時期に格差の進行がとどまったとされる。


2 現代の海外諸国で再拡大する格差

●アメリカでは80年代以降に再び格差が拡大
 アメリカでは、80年代以降において、所得格差の拡大が大きくなっている。その中でも特に、トップ0.1%の所得のシェアが顕著に増加していることが分かる(第3−4−4図)。その背景として、レーガン大統領時代にとった各種の税制改革、特に大幅な所得税減税の実施が税の所得再分配機能を相当程度弱めたことが一因として指摘されている。
 具体的な税制改革の中身をみると、81年には、当時のアメリカ経済において問題とされていたスタグフレーション(不況とインフレーションの同時発生)の下で、納税者に重税感があったことを背景に、供給側重視のサプライサイド経済学の理念とも合致して、個人所得税率の引下げが行われた(第3−4−5表)。あわせて、法人税の加速度償却、投資に対する税額控除拡充などが行われている。さらに、レーガン大統領の第2期にあたる86年の税制改革においては、市場に与える税制の歪みを最小限にとどめようとする租税政策の転換を図るため、公正・簡素・経済成長を目指した中立的な税制の構築を理念とし、歳入中立を原則として個人所得税、法人税の税率引下げと累進税率のフラット化が実施された。また、あわせて、法人税の減価償却や償却期間の延長等修正が行われ、投資税額控除も廃止されるなど、課税ベースの拡大が行われた。
 ただし、こうした税制改革が直接格差の拡大をもたらしたかどうかについては明らかではないとされる61。当時はグローバル化による未熟練工の賃金の低下といった要因や、情報化の急速な進展により少数の人が一度に広い市場を獲得することができるようになった要因なども重なっており、税制改革の効果を独立して評価することは難しい。また、トップ0.1%の所得シェアの拡大は、TRA8662による法人所得から個人所得への振替えが行われたことが主な要因であり、格差は税制改正による見かけ上の現象に過ぎないとする見方もある63

●英国でも80年代以降に再び格差が拡大
 英国においても、80年代に入ってから、所得格差が再び大きくなっている(第3−4−6図(1))。背景としては、当時、労働市場、金融市場など様々な分野での規制緩和、国営企業の民営化など、経済成長をより重視する一連の改革が進んだこと、また、所得税の最高税率の引下げや間接税の引上げといった税制改正の取組とともに、失業給付、社会援助手当の縮小など社会保障制度の見直しが行われたことが挙げられている64
 こうした制度的な要因に加えて、技術革新の進展による熟練労働者と非熟練労働者の労働需要の違いによる賃金面での格差も現れてきたことも指摘されている65。また、グローバル化の進展により、貿易財を生産する部門での非熟練労働者の賃金が海外の低賃金労働との競争にさらされることによって、国内の熟練労働者の賃金と比較して、相対的に低下することも要因として挙げられる66。その他、無職世帯が増加する一方で、夫婦共稼ぎ世帯が増加するという社会的要因も考えられている67
 また、当時の株及び土地の資産市場の上昇などを受けて一部の層に富が集中したことを受けて、給与以外の所得による格差の拡大がみられている。実際、家計所得に占める給与の割合は60年代の70%半ばから80年代に60%程度に低下している。
 このように格差については指標から確認されているが、その背景としては、規制緩和、税制要因のみならず、技術進歩・グローバル化の要因、社会的要因、また資産市場の発展など、様々な指摘がなされている。

●大陸ヨーロッパでは格差拡大は相対的に緩やかではあるが、失業問題などが深刻化
 大陸ヨーロッパ、北欧において、80年代に入ってからの格差拡大をジニ係数でみると、アングロサクソン系のアメリカや英国などと比較して、おおむね緩やかなものにとどまっており、その水準自体も相対的に低いものとなっている(前掲第3−4−6図(1)))。
 しかしながら、ヨーロッパにおいて格差是正に寄与しているとみられる雇用慣行や手厚い失業手当には弊害もあると考えられる。労働者が自分に適した職がみつかるまでは長期失業を選択する労働インセンティヴ喪失の問題、手厚い失業手当による財政負担の問題、失業保険などの企業負担による競争力の問題などが生じたほか、景気回復局面においても、企業は、雇用に伴う負担を回避するため、雇用創出には向かいにくいという傾向がみられた。また、ヨーロッパ統合に向けた財政再建が進められる中で、財政上の大きな負担である社会保障制度もその見直しの対象となっていった。
 実際、大陸ヨーロッパでは、これまで高い失業が問題となっており、特に80年代に入ってからは、失業率が急速に上昇し、オランダを除き、80年代後半から90年代後半にかけて8〜10%程度に達している(第3−4−6図(2))。その背景の一つとして、充実した社会保障制度の存在が指摘されており、例えばドイツやフランスでは、失業前の賃金のおよそ60〜75%に相当する失業保険が、過去の被保険期間の長さや年齢に応じて、最長で3〜4年間支給され続けるなどの手厚い保護が用意された68
 雇用保護にかかる規制も比較的強い。OECDが2004年に公表した各種の雇用保護指数でみると、大陸ヨーロッパ、北欧は相対的に高い水準となっている(第3−4−6図(3)))。これらの制度が労働者間の賃金格差の拡大抑制に寄与してきた半面、手厚い失業手当が労働インセンティヴにとってはマイナスになることや、新たな労働市場参入を妨げる可能性もあり、失業を増加させる要因となった面があると考えられる。
 フランスでは、長期失業による「社会的排除」がみられ、平均賃金の半分以下の貧困層が10人中1人、600万人にも上ったとされる。またドイツでも、東西ドイツの統合の影響もあり、失業者が急増し、ピークの98年1月には449万人に達し、失業率は11%を超えたこともあった。イタリアでは、80年代半ばに、財政赤字の増大、社会保障の肥大化などから深刻な危機に直面し、その後の通貨リラの大幅な切下げ(30%)、多くの国営企業の民間部門への払下げなどが行われるきっかけとなった。このように、格差の拡大は比較的抑えられてきた一方で、様々な経済、社会、財政上の問題が生じた69
 一方、ヨーロッパの中でも、北欧諸国のうちスウェーデン、フィンランドにおいては、90年代後半から格差が拡大している。その背景として、スウェーデンでは、熟練・非熟練労働の賃金格差の影響が指摘されている70。また、フィンランドにおいては、直接税の見直しの影響が指摘されている71

●近年、先進国においては、格差の拡大が同時に進行する傾向もみられる
 以上みたとおり、これまでみられた格差と成長に関するクズネッツの逆U字曲線の関係が、近年の先進国においては、そのまま当てはまらないようなケースがみられるようになった。特に、アメリカ、英国、カナダといった先進国の一部について、それぞれの経済水準と格差の指標を時系列でみると、正の相関を持つことが示される(第3−4−7図)。その一方で、ドイツ、イタリア、フランスといったヨーロッパ大陸の国々においては、そうした明示的な正の相関がないことがうかがえる。また、ヨーロッパ大陸のうち、特に平等度が高いとされる北欧諸国は、ジニ係数が全体として低いものの、デンマーク以外のノルウェー、スウェーデンではわずかながら正の相関を持っていることが分かる。
 こうした国々以外のデータを加え、格差と成長の関係について45カ国の5期間パネルデータを用いた包括的な分析を行い、両者の関係は有意にプラスとなっている先行研究も存在する72。これまで、格差と成長の関係については、実証研究の分野で、成長を進めることによって格差が解消されていくというクズネッツの逆U字関係の存在を示すものが一般的であったが、当該研究では質の高いとされるデータを用いたパネル分析による実証分析を行うことによって、むしろ格差と成長には関係がないか、又は逆に正の関係があることが示されている(付表3−5)。ただし、本結果については、成長と格差に関する線形の推計モデル式の妥当性なども指摘されていることに留意する必要がある73


3 再拡大する格差の背景となる経済社会環境の変化

●近年の格差拡大の背景としての経済社会の変化
 かつてみられた成長と格差の逆U字関係が、近年になってみられなくなった理由として、各国の経済社会の構造、仕組みが過去から大きく変化してきたことが関係している可能性がある。そうした変化のうち代表的なものとして、IT技術の高度化、グローバル化の深化といった産業構造の変化、そして少子高齢化といった人口構成の変化が挙げられる74。新たな高度IT技術などの導入によって技術革新が進むと、代替される非熟練労働者の需要が縮小する一方、そうした新しい技術を扱うことができる熟練労働者の需要が高まることにより、一般的には、それぞれの賃金の格差が拡大することが考えられる。また、グローバル化が進み輸入比率が高まることによって、国際競争にさらされる分野である製造業の非熟練労働者は、賃金の低い国の非熟練労働者と競合することによって労働需要が低下し、賃金が下がる一方、熟練労働はより希少化するため、労働需要が高まり賃金が上昇するという二極化が進むことになる。
 また、少子高齢化が進むと、一般的にジニ係数が高い高齢者の割合が高まり、世代内及び世代間の格差に大きな変化はなくとも、人口動態要因によって、一国のジニ係数が見かけ上、上昇することも考えられる75。我が国の近年の趨勢的な所得格差の拡大は、高齢化という人口動態の変化が主な要因と考えられる。

●格差の拡大にグローバル化とIT化が一定程度寄与
 成長の過程で生じる格差の拡大に直接影響を与えると考えられるグローバル化の影響と技術進歩の影響の大きさに関する分析をみると、80年代のアメリカの製造業で起こった非熟練労働者から熟練労働者への需要の移り変わりは、労働節約型の技術導入によるところが大きく、グローバル化による雇用の移転の影響は小さいとする結果がある一方で76、異なるモデル、異なる輸入データなどを用いることによって、グローバル化が熟練労働の需要増を招く大きな要因であることを示す結果もある77。我が国における影響をみると、製造業については、技術進歩と経済グローバル化の双方によって、熟練労働者とされる高学歴労働者への需要シフトが生じていることを示唆する研究もある78
 ここでは、最近の我が国のデータを用いて、同様に熟練労働者の全体の平均賃金比率と技術革新とグローバル化のそれぞれの影響を分析する。先行研究にならい、便宜上、熟練労働者を高学歴とし、また、技術革新の程度を研究開発投資額で、グローバル化の度合いを東アジアからの輸入比率で測っている。
 その結果、先行研究同様、熟練労働者の賃金の全体の賃金に対する割合は、技術進歩の効果の方がグローバル化の影響よりも大きいことが示された。しかし、伸び率でみれば、輸入比率でみたグローバル化の進展度合いの方が研究開発投資額でみたIT化の進展度合いより大きく、熟練労働者の賃金の全体の変化に対する寄与率をみると、グローバル化の要因の方が相当程度大きい結果となった(第3−4−8図)。なお、技術革新やグローバル化の要因は、各労働者の相対賃金の変化の約1割程度を説明しているに過ぎず、この結果は、同様な実証分析を行った先行研究ともほぼ同様となっている。


4 格差拡大是正措置としての政策対応の考え方

●格差の拡大は家計部門の幸福度に負の影響
 格差が、家計に直接どのような厚生面での意味を持つのかを把握することは、政策対応を検討する際に重要な役割を果たす。一般論として、格差が拡大することが社会全体の安定にとってマイナスの影響を与える可能性があることは広く指摘されているところであるが、そうした影響を定量的に明らかにすることは、格差の問題と家計部門の安定化の関係をみる上で有益と考えられる。
 そこで、幸福度合いに関する国際的な研究プロジェクトが作成している指数79と格差に関する指数(ジニ係数、所得分布の歪度80)との関係について、多国間時系列分析を行った実証分析をみると81、格差の拡大と、幸福度の低下に相関関係があることが分かる(第3−4−9図)。あわせて、一人当たり所得が大きいことが幸福度合いを引き上げることもうかがえる。なお、各国間格差以外の国内要因による格差だけでみても、30%弱(ジニ係数指標)から40%強(歪度指標)を説明しており、国内部分の格差の大きさが幸福度合いにある程度影響を与えていることが分かる。
 こうした結果は、格差の拡大がそのまま放置されることによって、一国の幸福度で代理された厚生水準一般が低下する可能性を示唆している。また、我が国のみならず、各国で税や社会保障給付を通じた所得再分配に取り組むことの重要さの根拠となっているともいえる。

●所得再分配による格差拡大の抑制効果は、我が国で高まっている
 経済発展の過程で格差の拡大が生じることはあっても、そうした格差の拡大が努力のインセンティヴを阻害しない範囲で所得再分配により抑制されることは、社会の安定に寄与していることも考えられる。各国においても、市場所得でみた格差指標と比較し、経常移転(課税や社会保障などの政府から家計への移転部分)を行った後の所得でみると、相当程度緩和されていることが分かる(第3−4−10図)。特に、北欧諸国では、こうした所得再分配効果が強く表れている一方、アングロサクソン系のアメリカ、英国、カナダ、オーストラリアでは、相対的にそうした効果が小さいことが分かる。
 所得再分配効果としての税と経常移転それぞれの寄与については、各国でばらつきがある。具体的には、北欧諸国で政府から家計への経常移転の効果が顕著に大きいこと、また、大陸型のヨーロッパ及びアングロサクソン系の国々では、税による再分配が相対的に大きく、その中でもアメリカは唯一、税による再分配効果が経常移転による効果を上回っていることが特徴的である(第3−4−11図)。
 我が国については、厚生労働省の「所得再分配調査」により所得再分配による所得格差是正の効果をみることができる。これまでの推移をみると、効果自体は大きくなっており、内訳では、税に比べて社会保障による再分配効果の方が大きく寄与している(第3−4−12図)。こうした制度的な効果は、前述したアングロサクソン系の国々と類似しているが、その背景としては、特に我が国において、高齢化の影響によって社会保障移転の効果が大きく出やすくなっていることも一因と考えられる。いずれにしても、税・社会保障はともに所得再分配効果を持つため、これらの効果を全体として考えていくことが重要になると考えられる。

●アメリカなどでみられる税制と社会保障給付による低所得者層の支援策
 低所得層の支援に際し、所得税制と社会保障給付制度を併せて運用する「負の所得税」という議論がある。負の所得税のモデルは、低所得層に社会保障給付が付与され、高所得層には所得税が賦課され、制度上、社会保障給付と所得税課税が統合されている(付図3−6)。ただし、現実には、財政規模や受給面での規模などの懸念があり、負の所得税そのものを採用している国はこれまでのところみられない。
 先に述べたように、アメリカでは税による再分配効果が経常移転による効果を上回っている。低所得層に対する所得支援措置として、フード・スタンプ、TANF(Temporary Assistant for Needy Family:一時的貧困家庭補助)、メディケイド(医療保障制度)などがある。しかしながら、こうした生活扶助制度は、我が国や他の先進諸国に比べてきわめて小規模であり、低所得層に対する経済的支援と勤労意欲の向上の双方を併せ持つ勤労所得税額控除(Earned Income Tax Credit:EITC)が導入されている。EITCは、1所得の増加に伴って税額控除の増加が高まる段階、2所得が増加しても控除額が一定となる段階、3所得の増加に伴って税額控除の増加が低くなる段階の三つの段階を持つという特徴がある(付図3−7)。
 英国においては、1971年に勤労に基づく給付制度が確立されている8283。その後、労働時間に応じた世帯向け給付制度の導入、基準労働時間の見直しなどの改定が行われたが、99年になり、同制度は就労世帯税額控除(Working Families’Tax Credit:WFTC)に変更された84。このように、アメリカ、英国といったアングロサクソン系の国において、かなり早期の段階で、失業給付を補完するものとして採用されてきている。
 低所得者層の労働市場参加の促進や所得支援のための税制と社会保障給付を組み合わせた考え方については、フィンランド、フランス、オランダ、ベルギーなどでも取り入れられているが、背景となる各国の社会状況などが様々であることから、財政負担の規模や給付の有無、所得増加に伴う税額控除の逓増・逓減段階の程度など具体的な制度の仕組みも様々である85
 アメリカにおけるEITCの低所得者支援の効果については、幾つかの実証研究がなされている。例えば、OECD(第3−4−13図)によれば、勤労所得税額控除導入により、実際にシングル・マザーの雇用が2.4%増加、既婚男性で0.2%の雇用増加がみられたとされる。ただし、既婚女性については、勤労所得税額控除の前記3の部分で税額控除の増加が低下したことで、限界実効税率が相対的に上昇し、労働インセンティヴが失われた可能性があり、労働参加率が低下(−2.4%)することとなったことに留意する必要がある。英国のWFTCについても、子供のいる片親の場合で2.2%の就業率の向上がみられたほか、未就業のパートナーのいる既婚女性の就業についても、1.3%の就業率の向上がみられた。その一方で、アメリカの勤労所得税額控除のケースと同様、配偶者が働いている場合の女性労働者の参加率をかえって引き下げる(−0.6%)結果となっており、その影響の見方については留意が必要である。
 なお、こうした制度については、その運営に当たり、過誤支給・不正受給が大量に生じていること、生活扶助などの社会保障制度との整合性をとる必要があることなど、幾つかの課題が指摘されている。特に過誤支給・不正受給の問題については、アメリカの内国歳入庁は、勤労所得税額控除の申請額313億ドル(約3.7兆円)のうち、85〜99億ドル(約1.0〜1.2兆円)が過誤支給または不正受給(99年)であると推計しており、また、英国の歳入関税庁は、就労税額控除及び児童税額控除の申請額のうち、10.6〜12.8億ポンド(約2,332〜2,816億円)が過誤支給又は不正受給(2003年度)であると推計しており、現実の制度運営に当たっての大きな課題があることに留意すべきである。

●雇用制度の柔軟性と失業給付などの社会保障を組み合わせて成功したデンマーク・モデル
 貧困への対応策として、柔軟な雇用制度による労働者の雇用参加率の向上と雇用者保護のための社会保障との二つの政策を組み合わせる政策を採用する方法が特にヨーロッパで注目されている。オランダで、99年の労働に関する法制度の改正により正式に施行され、デンマークでも同様の考え方で90年代に導入された「フレキシキュリティ(flexicurity)」の制度である。これは、雇用の柔軟性(flexibility)と失業給付などの社会保障(security)とを組み合わせたものである。この制度の成功事例とされるデンマークのモデルによれば、1)雇用保護規制を比較的緩やかなものとすること、2)失業者に対する手厚いセーフティ・ネットを用意すること、3)積極的労働市場政策への充実した支援を行うことの三つの政策(いわゆる「ゴールデン・トライアングル」)を組み合わせることによって、社会保障制度と雇用政策を結び付けた。この組合せによれば、手厚い失業給付が労働供給の妨げになるという懸念は、各種の実証分析によれば問題となっていないことが示されている86。この背景としては、積極的労働市場政策への参加又は職探しを行っていることを給付の要件としていることが要因の一つとして考えられる。
 こうした労働市場改革の結果、デンマークでは、平均で全労働者のうち4分の1近くが毎年失業を経験しているものの、そうした失業者の大多数にとっての新規の就業率は高く、93年には10.2%に達した失業率が、2006年には3.9%へと大幅に改善するなどの成果を収めている(第3−4−14図)。
 その一方で、こうした制度の他国への導入については懐疑的な見方もある。特に手厚い失業給付や積極的労働市場政策には比較的大きな財政負担を伴い、デンマークのような租税負担が大きい国でのみ適用可能との指摘がある87ほか、デンマークの特殊性として、そもそも転職意識が高くフレキシブルな労働市場になっていること、終身雇用制度はなく同一労働同一賃金の仕組みが存在することも併せて指摘されている88。また、個別の政策ではなく、全体としての改革のパッケージが重要であり、例えば政労使の三者協調の伝統や労働者の平均スキルの向上などが導入の前提条件であったとの指摘もある89。したがって、デンマークのフレキシキュリティの成功を評価する際には、個別の政策のみならず、背景にある社会経済全体の仕組みとその改革の枠組みに着目することも必要であると考えられる。

●低所得者層の支援に有効な教育・訓練を通じた個人の能力の向上
 我が国においても、貧困への対応として、従来のセーフティ・ネットの充実に加えて、経済成長に資する労働市場改革が行われている。昨年末に取りまとめられた再チャレンジ支援総合プランや本年2月に基本構想が取りまとめられた成長力底上げ戦略においては、そうした視点に立った新しい取組と位置付けられ、今後、そうした政策に盛り込まれた各種施策の着実な実施が求められるところである(第3−4−15図)。
 今後、低所得者層の問題に対応するためには、特に、労働者個人に教育の機会が与えられることが重要になる。労働者個人が企業から求められる知識・技能を身に付けることによって、労働生産性を高め、その生産性に見合った賃金を獲得することが望ましい。また、これまでみたとおり、職業能力形成に対する支援については、各国で実施されているような失業給付の要件と組み合わせるといった考え方もありえ、今後の検討課題と考えられる。
 雇用形態による教育・研修機会の格差への対応も重要である。第1節でみたとおり、6割強の企業で非正規雇用者に対してもOJTがなされているものの、計画的なOJTや実際の職場を離れた研修であるOff-JTの実施状況でみると、正規雇用者と非正規雇用者で差が歴然としてみられることが分かる(第3−4−16図(1)(2))。その背景として、企業側のアンケートによれば、能力開発・人材育成の課題として、人材を育成しても辞めてしまうという懸念を持つ企業が多く90、こうした懸念は、特に雇用流動性の高い非正規雇用者に当てはまる可能性が高い。そのため、同一賃金・同一労働の均衡処遇の制度の確立とともに、雇用形態によらない教育・研修機会を提供するための仕組みをどのように設けるかが課題となる。その例として、「職業能力形成プログラム」91の提供の中で、フリーターや子育て終了後の女性などの職業能力形成の機会に恵まれない人への積極的な訓練・教育を行う制度の充実が求められる。その際、上記プログラムの履修実績や評価結果のほか、技能検定実績やこれまでの職務実績などを記載したジョブ・カードの活用が重要である。


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