第2節 デフレの進行と金融政策

第1章 力強い景気回復の条件

第2節 デフレの進行と金融政策

日本経済は、緩やかなデフレの状態にある。デフレの要因は、(1)安い輸入品の増大などの供給面の構造要因、(2)景気の弱さからくる需要要因、(3)銀行の金融仲介機能低下による金融要因、の3つがあげられる。現在、我が国では、企業は過剰債務、銀行は多額の不良債権を抱えているため、程度が緩やかであっても、デフレは日本経済に悪い影響を与えている。デフレは、主に次の2つの経路を通じて、企業の設備投資を抑制させるなど日本経済を下押ししている。(1)過剰債務を抱えた企業の債務負担を増加させる。(2)実質金利や実質賃金の上昇が企業の収益を圧迫する。

金融政策は、現在の経済を全快させる万能薬ではあり得ないが、日本銀行はデフレ圧力を和らげるためのさらなる施策を積極的に検討すべき段階にあると考えられる。

これらの点について、以下で詳しく検討しよう。

1 デフレの現状とその背景

 戦後初めてのデフレ

日本経済は、緩やかなデフレの状態にある。ここでのデフレの定義は、持続的な物価下落という意味である。デフレという用語は、我が国では景気後退と物価下落が同時に起こることという意味で使われる場合もある。しかし、ここでは、国際的に通常使われる上記の定義を用いている(14)

日本経済は、いつ頃からデフレにあるのだろうか。消費者物価指数(CPI、生鮮食品除く総合)は、99年秋以降前年割れしており、99年が前年比0.0%、2000年が同マイナス0.4%となった後、2001年(1~9月)は同マイナス0.9%となっている。このようにCPIという人々の消費生活に直接かかわる物価指数でみると、日本経済は既に2年程度緩やかなデフレの状態にある。一国の経済活動全般の物価水準を示すGDPデフレータでみた場合は、90年代半ば以降緩やかなデフレの状況にあり、2000年で前年比マイナス1.6%、2001年前半で同マイナス1.1%となっている。このような状態は、日本経済にとって戦後初めての経験であり、また戦後の他の先進国においても例がない(第1-2-1図(15)

コラム1-3

デフレがこれほどの期間続くのは、戦後の我が国にとって初めての経験であり、他の主要国でも例をみない。ただし、戦前まで遡れば、デフレの期間、程度ともに、我が国の現状を上回るようなデフレが、我が国を含め主要国においてたびたびみられた。

デフレの代表的な例としては、米国の大恐慌があげられる。米国では、1929年10月の「暗黒の木曜日」に株価が大暴落した。これをきっかけに、29年から32年にかけて工業生産は約半分に減少、実質GDPは約3割減少し、失業率も約3%からピーク時(33年)には約25%まで上昇した。この間、物価についても、29~32年の累計で、卸売物価は約32%、消費者物価は約20%の下落となった。この大恐慌で、米国のみならず主要各国が、成長率の落ち込みと物価の下落を経験した。

また、我が国では、明治以降の戦前期において、物価下落をたびたび経験している。特に、1920~31年にかけて、消費者物価が約36%下落し、日本経済は、期間、幅ともにもっとも大きいデフレを経験した(ただし、24、25年は若干上昇した)。特に、30、31年の2年間(昭和恐慌時)は、金解禁と世界恐慌の影響を受けて、それぞれ前年比10%以上の下落となった。21~31年の経済成長率は、年平均で1.8%にとどまった。この期間の前後の経済成長率は4%前後(10~20年平均3.5%、31~40年平均4.6%)であったので、この間の景気低迷が目立つ。

このように、戦前の恐慌時のデフレは、現在の我が国のデフレと比べ、大幅なものであった。

注1. 米国のデータはB.R.Mitchell(1998)、日本のデータは大川(1974、1978)による。

 デフレをもたらしている要因

日本経済はなぜデフレになっているのであろうか。ここでは、CPIが前年比マイナスとなった過去2年程度を念頭に分析する。

基本的には、次の3つの要因がある。また、これらの要因は相互に関連している。

  1. 安い輸入品の増大などの供給面の構造要因
    中国等からの安い輸入品の流入、ITを中心とした技術革新、流通合理化等の物価を引き下げる構造的な要因が、これまで以上に強まっている。
    安値輸入品の影響を具体的にみると、繊維製品やテレビ・VTRといった耐久消費財では、99年以降、輸入品が大幅に増加しており、なかでも中国からの輸入比率が上昇している。中国を始めとするアジア諸国の供給力増大による現地生産品の輸入増加が、製品価格を押し下げている(第1-2-2図)。
    なお、2001年は、為替レートの円安が進んでいる。こうした中、繊維製品では、輸入品の伸びに鈍化がみられ、また、中国からの輸入比率も既にかなり高い水準になっているために、今後、繊維製品については価格下落圧力が幾分弱まる可能性もある。一方で、テレビ、VTR等は2001年も輸入品に占める中国製品のウエイトが高まっている。これら電気製品やその他機械類については、中国での現地生産化が一段と進むとみられることから、当面、価格下落圧力が継続する可能性が高い。
  2. 景気の弱さからくる需要要因
    99年春から景気は回復したが、回復力は弱かった。2001年に入ってから景気は再び弱まり、年央以降景気悪化の状況がさらに強まっている。こうした景気の弱さから、需要が低迷し、物価を押し下げる力が働いている。
    第2章第3節でみるとおり、90年代を通じて、GDPギャップは拡大傾向にある。このようにバブル崩壊後の長期間にわたって、需要が弱い状態が続き、物価上昇率が趨勢的に低下傾向を辿る中で、人々のデフレ期待(人々の予想物価下落率)も徐々に拡大している(第1-2-3図)。
  3. 金融要因
    長期的には、インフレやインフレの逆であるデフレは、マネーサプライの動きによって決まることは知られており、マネーサプライが十分供給されれば、デフレは回避しうる。日本銀行ではこれまでになかった大幅な金融緩和策を講じているにもかかわらず、後述するとおり、十分な銀行貸出、マネーサプライの増加につながっていない。これは、物価を下げる構造要因と需要要因の力が強い中で、企業の過剰債務やそれと密接に関係する不良債権問題を背景に、企業の資金調達意欲が高まらないうえ、銀行の金融仲介機能が低下していることによるものである。

 デフレが日本経済に与える影響

デフレ・スパイラルに陥れば、経済に大きな悪影響を与えることは明らかである。デフレ・スパイラルとは、物価下落(デフレ)と生産活動の縮小とが相互作用してスパイラル的に進行することを意味している(16)。しかし、現状のように、CPIが前年比1%程度で下落する緩やかなデフレは、それ程の悪影響はないとの見方がある。また、日本の高物価構造の是正、技術革新の進展等による物価下落はやむをえない、あるいは望ましいとの見方もある。こうした見方については、どのように考えれば良いのだろうか。

貨幣の流通量を中央銀行が管理する現在の「管理通貨制度」が導入される以前の戦前の各国経済では、デフレはそれ程珍しいことではなかった。デフレはしばしば不況と同時に起こったが、デフレ下でプラスの経済成長を遂げた時期もあった。特に、19世紀後半の英国と米国ではともに、30年あまりの長期にわたって、年2%程度の緩やかなデフレが続いたが、その間当時としてはかなりの経済成長を持続した(英国の場合、1873~96年の年平均で小売物価下落率1.7%、成長率1.9%。米国の場合、1864~97年の年平均で消費者物価下落率1.9%、成長率5.6%)(17)

19世紀後半の英国と米国の経験は、年2~3%程度の緩やかなインフレが、経済にほとんど悪影響を与えないのと同様に、緩やかなデフレも経済にそれほど大きな悪影響を与えない場合があることを示している。しかし、現在の日本経済の置かれた状況にあっては、程度が緩やかであっても、デフレは経済に悪い影響を与えていると考えられる。それは、長期に経済が停滞する中で、銀行は多額の不良債権、企業は過剰債務を抱えており、しかも短長期の名目金利がゼロに近づいているという日本経済の現状では、デフレは以下で説明するルートを通じて、経済を下押ししているからである。したがって、出来るだけ早くこのデフレ状況から脱却することが重要である。

デフレは、主に次の2つのルートで、経済に悪い影響を与えると考えられる。

  1. 企業、特に過剰債務を抱えた企業にとって、デフレは実質債務負担を増加させるので、新規の設備投資を抑制する要因となる。
  2. 物価が下落する一方、名目金利や名目賃金がそれほど下がらない場合(名目金利はゼロ以下にならない)、実質金利や実質賃金が上昇するため、企業にとって収益を圧迫し投資を抑制する要因になる。

これらの点について、以下で詳しくみてみよう。

(i)企業の実質債務の増加による影響

多くの企業は、企業活動のため債務を負っており、債務が保有金融資産を上回っている。債務の返済額は名目額で決まっているので、デフレは実質的な返済負担(名目の債務返済額を物価水準でデフレートした実質債務負担)を増大させる。言い換えれば、デフレ下では企業の売上数量が同じであっても、製品価格が下がって、売上高(売上数量×製品価格)が減少する。その結果、企業は毎年のキャッシュ・フローからの債務返済が困難になったり、新規の設備投資がしにくくなったり、財務内容の悪い企業では倒産にまで至ってしまう、ということが問題となる。
デフレによって企業の実質債務残高が上昇すれば、企業の設備投資が抑えられることになる。実際、第2章第2節でみるとおり、純債務(債務-債権)残高の多い業種や企業ほど、設備投資姿勢が慎重化して前向きな投資が少ないという傾向がみられる。特に、90年代以降は、非製造業、中でも3業種(不動産、建設、卸小売)を中心に企業の過剰債務が問題となっており、また、地価下落が続く中で、保有土地資産価値も目減りしている。物価下落により売上げ・収益の名目値が伸び悩めば、名目ベースで決まっている債務の返済はより困難となり、実質債務残高増大の影響が強く現れると考えられる。
それでは、企業の債務の実態をみてみよう。97年度末以降の民間企業部門(金融業除く、法人企業統計季報ベース)の名目の純債務残高は、企業の財務リストラを背景に減少傾向にあり、3年間累計では1割強の減少(金額では約50兆円の減少)となっている(第1-2-4図(18)。もっとも、この間の物価下落(ここでは経済活動全般の物価指標であるGDPデフレータを用いると、3年間の累計で3.5%の低下)を考慮した実質の純債務残高の減少率は、名目値の3分の2程度にとどまる計算となる。さらに、業種別では、製造業、非製造業ともに純債務残高は名目ベース、実質ベースで減少しているが、非製造業とりわけ建設、不動産、卸小売の3業種では、バブル前に比べて債務残高の過大感が依然大きい。
以上では、デフレに伴う企業の債務負担の増加の影響を検討したが、債務や資産を通じた家計への影響はどうであろうか。家計全体では、借金よりも預金等の金融資産の方が多いため、物価下落による実質資産残高効果(保有資産の実質価値が増加する効果)により、消費を増加させることが考えられる。しかし、これまでの研究によれば、我が国の場合、家計の実質資産残高効果はあまり大きくない。また、本章第1節でみたとおり、消費者物価が下落している99年以降、ローン返済家計の消費の減少度合いが大きいことからも、家計全体での実質資産残高効果はさほど大きくないと考えられる(19)。ただし、こうした資産・債務を通じた効果とは別に、デフレは、人々に物価下落が継続するという見通しを生み、経済の先行きに対する不透明感を高めることによって、消費等への買い控えを引き起こすといった可能性も考えられる。
また、デフレは、政府の実質債務負担を増加させる効果も持つ。第3章第1節でみるように、我が国政府は90年代に財政赤字を大幅に拡大し、その結果、公債等の長期債務は巨額になっている(国・地方の長期債務は99年度末で約600兆円、GDP比約120%)。現状、我が国の政府部門は、保有金融資産を差し引いたネットでも債務主体となっており、デフレの進行は、名目での債務残高の増加以上に実質の債務負担を増加させている。それだけ、今後の財政再建への道のりがより厳しいものとなるといえる。
以上の分析をまとめると、デフレが実質債務の増加を通じて実体経済に及ぼす影響としては、主に企業の実質債務残高増加を通じて設備投資にマイナスの影響を及ぼして、経済成長率を抑制するというルートが特に重要であると考えられる。

(ii)実質金利と実質賃金の上昇による影響

金利を通じた影響をみると、物価下落により実質金利が上昇した場合、企業にとっては投資の抑制要因となると考えられる。実際、名目金利は、日本銀行の金融緩和を受けて低下しているものの、一段の金利下げ余地が減少している状況下、2000年秋以降、物価下落幅が拡大傾向にある。このため、実質金利はほぼ横ばいないし上昇傾向となっており、金融緩和効果が減殺される形となっている(第1-2-5図)。
次に、実質賃金の上昇による影響をみよう。物価が下落する一方、名目賃金が下方硬直的で十分に下がらない場合、実質賃金が上昇し、企業にとっては収益圧迫要因となる。このため、投資活動が抑制され、生産・所得の減少を通じて、最終的には消費にもマイナスの影響を及ぼすと考えられる。もし、名目賃金が物価の下落に応じて弾力的に調整されるならば、このようなマイナスの影響は起こらない。
それでは、現実の日本経済ではどうなっているだろうか。99~2000年にかけては、企業のリストラにより人件費が抑制気味となる中で、企業収益は増加した。本章第1節でみたように、企業は主にボーナスの調整、パートの活用を通じて、ある程度弾力的に賃金調整を行なっている。しかしながら、2001年は、物価下落率が緩やかながら拡大する中で、売上が伸び悩む一方、人件費の低下傾向が一服し、企業収益が頭打ちに転じている(法人企業統計季報ベース)。このように需要が減少しているときの物価下落は、人件費の抑制が遅れることから、下落率が緩やかでも企業収益に対して少なからず悪影響を与えると考えられる。
以上みてきたように、デフレは、(1)企業の実質債務残高の増加、(2)実質金利や実質賃金の上昇、を通じて、企業の設備投資行動を抑制させるなど、経済全体にマイナスの影響を与えているものと考えられる。

 「良いデフレ論」について

「生産性上昇による価格下落は好ましい」とか、「デフレは日本の高価格が是正される過程であり望ましい」といった「良いデフレ論」がある。このような考え方については、どのように考えれば良いのだろうか。次の2点を考慮すると、「良いデフレ論」には問題があると考えられる。

第1に、そもそも、物価下落については、一部製品の下落に伴う「相対価格」の変化と「一般物価水準」の下落を分けて考える必要がある。デフレとは、全体でみた平均的な物価水準が下がること(つまり一般価格水準の下落)であり、個々の価格(例えば、カジュアル衣料品、携帯電話の通話料等)が下がることとは、別の問題である。個々の財の価格が下落しても、個別品目の価格下落で生じた人々の実質上の所得増加分が他の財の購入に向かって他の財の価格が上昇すれば、全体の物価水準は下落するとは限らない。供給面の構造要因(安い輸入品、技術革新等)によって相対価格の変化が生じていることは我が国にとって望ましいことかもしれないが、全体の物価水準が下落して日本経済に悪い影響を与えていることはやはり問題で、デフレは「良い」とは言えない。

第2に、日本の高物価すなわち内外価格差の問題については、確かに、規制等によってこれまで国際競争にさらされていなかったような財の価格が、規制緩和等によって国際的な価格水準に収斂していくといった動きがみられている。しかし、内外価格差は、基本的には、そもそも貿易財(各種製品や農産物等の輸出入される財)と非貿易財(各種サービス等の輸出入されない財)の相対価格が国によって異なることによって起こる現象である。すなわち、貿易財の価格が国際的にみて一致するように、為替レートは長期的に調整されるため、諸外国と比較して非貿易財の生産性が貿易財の生産性よりも低く、非貿易財の価格が相対的に高い国では、非貿易財の内外価格差が必然的に大きくなる。この結果、貿易財の価格と非貿易財の価格を併せた経済全体での内外価格差も大きくなることになる。実際、日本では、自動車、電気機械等を始めとする貿易財の価格上昇率に比べて、サービス等の非貿易財の価格上昇率が、米国等と比べると長期的により高いという傾向がある(20)。長期的には、為替レートは貿易財の価格動向を反映して決定されるので、貿易財と非貿易財の生産性上昇のスピードに格差が存在するかぎり、内外価格差はなくならない(21)。内外価格差は、基本的には、サービスなどの非貿易財部門の生産性上昇を通じて、非貿易財の価格水準が貿易財の価格水準に比べて相対的に低下することによって解決されるべき問題であり、一般物価水準の下落というデフレによって解決される問題ではない(22)

2 デフレ経済下での金融政策

 デフレと政策対応

前項で述べたとおり、現在、我が国は、緩やかなデフレ状態にある。こうしたデフレ経済から脱却していくには、基本的には、日本経済が長期低迷から脱して、成長経済に転換しなければならない。そのために政府としては、規制緩和等による民間活力の発揮、不良債権問題の解決、財政改革等といった構造改革を推進し、産業の構造調整(低生産性部門から高生産性部門へのシフト)を図らなければならない。そして、企業や家計の将来への不確実性を引き下げることなどによって、持続的な需要創出を図り、需給ギャップおよびデフレ期待を解消させる必要がある。

短期的には、構造改革は新規の民間需要を顕在化させる面もあるが、一方で、不良債権処理等に伴ってデフレ圧力が一層強まることも想定される。さらに、デフレ自体が、必要とされる産業構造調整自体を遅らせてしまうことも考えられる。こうした状況下、デフレ圧力を和らげる効果が期待される金融政策について、以下で検討する。

なお、そうした金融政策の運営にあたっては、政府の経済政策と整合的なものとなるよう、日銀と政府は連絡を密にし、十分な意思疎通を図る必要がある。

 日本銀行の金融政策

まず、99年以降日本銀行がどのような金融政策をとってきたかレビューしよう。

(i)ゼロ金利政策の発動

日本銀行は、99年2月の金融政策決定会合において、「より潤沢な資金供給を行い、無担保コールレート(オーバーナイト物)を、できるだけ低めに推移するよう促す」ことを決定した。また、4月には、日本銀行総裁が「デフレ懸念の払拭ということが展望できるような情勢になるまで」、無担保コール・オーバーナイトレートを事実上ゼロ%で推移させることを表明した(23)

(ii)ゼロ金利政策の解除

ゼロ金利政策は、およそ1年半にわたって継続された。その後、日本銀行は、2000年8月の金融政策決定会合において、無担保コールレート(オーバーナイト物)を平均的にみて0.25%前後で推移するよう促すことを決定し、ゼロ金利政策を解除した。

(iii)2001年3月の金融緩和策

日本銀行は、2001年2~3月の金融政策決定会合で、金融緩和を実施した。特に3月19日には、(1)金融市場調節の主たる操作目標を、これまでの無担保コールレート(オーバーナイト物)から日本銀行当座預金残高に変更し、当座預金残高を5兆円程度とする(4兆円程度から増額)、(2)新しい金融市場調節方式は消費者物価指数(全国、除く生鮮食品)の前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで継続する、(3)日本銀行当座預金残高を円滑に供給するうえで必要と判断される場合には、月4千億円ペースで行っている長期国債の買い入れを増額すること、を決定した(24)。(1)によって、無担保コールレートはほぼゼロ%の状態に復帰したほか、(2)の時間軸の設定については、前回のゼロ金利政策時は「デフレ懸念が払拭するまで」というやや曖昧な基準であったが、3月の緩和策では「消費者物価指数の前年比が安定的にゼロ%以上」という明確な基準となっている。

(iv)2001年8月以降の追加緩和策

8月14日の金融政策決定会合では、日本銀行当座預金残高を5兆円程度から6兆円程度に増額するという金融市場調節方針の変更と、こうした調節方針のもとで、円滑な資金供給に資するため、長期国債の買い入れを月4千億円から6千億円に増額することを決定した。さらには、米国同時多発テロ事件等を受けて先行きの経済に対する不透明感が強まる中、9月18日の金融政策決定会合において、日本銀行当座預金残高の目標を6兆円を上回ることとしたほか、公定歩合を引き下げる(0.25%→0.10%)などといった措置を決定した。

 金融緩和策の期待される効果

こうした一連の金融緩和策によって、どのような効果が期待できるのであろうか。

中央銀行による金融政策は、金利や銀行貸出などに影響を与えることを通じて、需要の変動をもたらす結果、物価に影響を与える。現在のようなデフレ状況下に期待されるのは、マネーサプライ(現金通貨と預金通貨等の合計)や銀行貸出が増加すること、企業等の支出活動が積極化することである。ただし、中央銀行がマネーサプライや銀行貸出を直接増加させるわけではない。中央銀行は、民間金融機関と債券や手形の売買等を通じて、金融市場の資金量(具体的には、民間金融機関が預ける日本銀行当座預金)を増減させ、間接的にマネーサプライや銀行貸出に影響を与える。金融政策については、どのような手段を用い、どのようなメカニズムを通じて、金融機関や企業等の行動を変化させるのか、それがどれほどの効果を及ぼすのかを検討することが重要である。

これまでの一連の量的緩和について期待される効果としては、(1)金利の低下と貸出等への波及、(2)日銀当座預金増加による融資・債券購入の積極化、(3)為替レートが円安になること、が考えられる。

(i)金利の低下と貸出等への波及

まず、金利面では、長期・短期の国債金利等の市場金利の低下がもたらされ、銀行にとっては預金金利を含めた調達金利が低下する。また、金融機関等が、国債以外の金融資産の運用を増加させることによって、社債やコマーシャルペーパー(CP)の金利や信用スプレッド(国債との金利差)の低下も期待される。また、金利低下によって、地価や株価といった資産価格が回復すれば、銀行や企業のバランスシートが改善する。

貸出等については、調達金利の低下による利ざや(貸出金利-調達金利)の拡大や、銀行のバランスシートの改善を通じて、銀行の与信行動が積極化される。一方、企業側からみても、借入金の利払い負担の軽減や社債等の発行環境の好転につながり、企業のバランスシートの改善も手伝って、資金調達意欲が増す。

(ii)日銀当座預金増額による融資・債券購入の積極化

また、銀行の保有資産残高の中で利子の付かない日銀当座預金が増加すれば、銀行は収益機会を求めて融資や社債購入などを積極化させる。

(iii)為替レートの円安効果

さらに、国内金利の低下で相対的に金利の高い外貨資産への運用シフトが生じ、為替レートの円安がもたらされ、それが輸出の増加や輸出企業の収益好転につながって、景気を刺激することが考えられる。

 金融緩和策の効果の検証

金融緩和策のプラス効果は、以上のように考えられる。しかし、無担保コールレート(オーバーナイト物)がほぼゼロ%となり、これ以上引き下げることができなくなったこと等を背景に、日本銀行が金融市場へ資金を一層供給するさらなる金融緩和策に対する慎重な見方も少なくない。すなわち一層の金融緩和策の経済に与える効果に対する懐疑的な見方や、副作用に対する強い警戒感も存在する。この点をみるため、2001年からの金融動向をみてみよう。

まず、金利面からみると、無担保コールレート(オーバーナイト物)のほか、より期間の長めのターム物(2日~1年物)や、長短の国債、さらには社債等の金利も、2001年2~3月の緩和策後、速やかに低下している(第1-2-6図)。これは、99年から2000年にかけて実施したゼロ金利政策時よりも低い水準である。社債等の信用スプレッドも低下している。また、金利の期間構造を示すイールドカーブの形状をみると、ゼロ金利政策時(99年2月~2000年8月)より、2001年3月以降、中期(5年程度)の金利の水準がより低くなっており、金利低下余地が小さくなってきていることは注意すべきである。これは、中期的にみた景気の先行きに対する見方が慎重化するなかで、ゼロ金利政策時の「デフレ懸念払拭」よりも、「CPIの上昇率」という明確な基準が設けられ、金融緩和期間の長期化がより確実なものとして人々に予想されることになったため(時間軸効果)とみられる。ただし、金融緩和期間の長期化予想はデフレの長期化予想と表裏一体をなすものであり、この様に金利が低下したことは、人々が、デフレの長期化予測を織り込んだ結果と解釈もできる。また、ゼロ金利政策時と比べると、2001年春以降の信用スプレッドの低下幅は小さい。ゼロ金利政策発動時は、金融システム不安等から、当時の信用スプレッドは高止まりし、企業等の流動性懸念があった。これを解消する上でゼロ金利政策は大きな効果を発揮したと考えられる。この点、2001年の状況はもともと流動性制約は小さく、金利低下という面でも追加的な効果は限られたものとなっている。

次に、マネーサプライ、銀行の貸出への影響をみてみる。流通現金と日銀当座預金の合計であるマネタリーベース(前年比)は、99~2000年平均7%程度の増加から2001年9月には14%まで上昇率が高まっている。しかし、マネーサプライ(M2+CD)の伸びは、2~3%程度の増加にとどまっており、さらに民間銀行の貸出(貸出債権の流動化等特殊要因を除いたベース)については、2%程度の減少となっている。一方、民間銀行が保有する国債残高については、98年末に比べ足元の水準は2倍以上と大幅に増加している(第1-2-7図)。すなわち、日本銀行によってこれまでにない金融緩和策が行われているが、第2章第2節でみるとおり、企業の過剰債務と銀行の不良債権問題から、企業の資金調達意欲が高まらないうえ、銀行の貸出に対するリスク・テイク機能も低下しており、十分な貸出が行われなかったと考えられる。

為替レート(円/ドルレート)についてみると、2001年に入って円安となっている。ただし、2001年8月の追加緩和後は、むしろやや円高となった。為替レートは、国内と海外の相対的な金融・経済動向等で変動するので、日本の金融緩和自体は円安効果をもたらすが、この間、米国でも景気減速および金融緩和局面にあったため、一方的な円安に歯止めがかかっている状況といえる。

 金融政策としてさらに何ができるか

名目金利がゼロ以下には下がらず、金利低下余地が限られてきている中で、貸出等への波及は今のところ限られている。そこで、今後検討すべき金融政策としては、(1)長期国債の買い切りオペのさらなる増額等(さらなる量的緩和)と、(2)中長期的な物価上昇率の目標を定める「物価安定数値目標」の導入が考えられる。物価安定数値目標とは、中長期的な物価の安定を目指して具体的な物価上昇率の目標を設定する政策であり、人為的に高めのインフレを引き起こす、いわゆる「調整インフレ論」とは異なるものである。

なお、物価目標を誰が設定するのかについては、中央銀行が設定(具体例:スウェーデン)、政府が設定(イギリス)、中央銀行と政府の合意で設定(ニュージーランド、カナダ)、の3つの方法が考えられる。

(i)さらなる量的緩和、物価安定数値目標の期待される効果

この2つの施策を推進する立場の考え方によれば、次のような効果が期待される。

まず、さらなる量的緩和については、日本銀行が長期国債購入をさらに増額すれば、より長めのターム物等の金利低下が促される。さらに、銀行の融資姿勢の積極化等によって、いずれは銀行貸出等の増加がもたらされることが期待される。また、不良債権の最終処理を円滑に進めるためには、土地等の資産価格の下落を食い止めることも重要であり、一層の量的緩和は資産価格を下支えする効果も期待される(25)

一方、物価安定数値目標については、日本銀行が物価の安定に向けて最大限努力するスタンスを一層強く表明することで、金融政策の透明性が高まり、現在のデフレ期待の払拭がもたらされることが期待される。デフレ期待がなくなれば、実質利子率が低下し、設備投資へのプラス効果等が期待できる。既に、日本銀行は、CPIの前年比上昇率が安定的にゼロ%以上となるまで、日銀当座預金残高をターゲットとする量的緩和策を続けることとしている。しかしながら、ゼロ%以上を達成するための政策手段を明示していないほか、ゼロ%以上となった後の政策経路を示していないうえ、中長期の物価目標(例えば前年比+0~2%を目指すとするなど)を定めたわけではない。このため、上記のように期待される効果が十分に発揮されることが保証されていない。

(ii)さらなる量的緩和、物価安定数値目標に消極的な立場の考え方

一方で、これらの施策については、効果が期待できない、副作用があるといった反論がある。

一層の量的緩和を進めることに対する慎重な見方としては、次のようなものがあげられる。

  1. 貸出等へのプラス効果が限定的ないし不確実であり、そもそも抜本的な不良債権の処理を行い、企業のバランスシート調整を終わらせないと、どんなに金融緩和しても、将来性ある分野への投資・貸出が増加することにはならない。
  2. 長期国債買い切り増加によって、政府の財政規律が喪失するという懸念がある。また、それに伴い、金利が急上昇して国債価格が急落するリスク(長期国債を保有している日本銀行や金融機関等のバランスシートが悪化する可能性)等といった副作用が懸念される。

一方、物価安定数値目標については、次のような問題点が指摘されている。

  1. 将来、物価が上昇に転じたとき、インフレが加速して目標をオーバーシュートしてしまう可能性がある。
  2. 物価安定数値目標を織り込んで長期の名目金利が上昇し、その結果、長期の実質金利が下がらず、景気を刺激する効果が現れなくなる可能性がある。
  3. 構造的な問題を抱えている現在の日本経済において、期待物価水準と実際の物価水準を引き上げることは、明確な手段が明示されない限り困難であり、目標を実現できない場合には金融政策への信頼性が低下する(26)

(iii)さらなる量的緩和、物価安定数値目標に積極的な立場の考え方

このようなさらなる量的緩和や物価安定数値目標に関する懸念や限界について、それらの施策を推進する立場の人々がどのように考えているかを整理すると、次のようなものとなる。

まず、さらなる量的緩和は貸出や投資の増加につながらないという疑問については、確かにプラス効果は大きくない可能性がある。それでも一定の実質金利への効果が期待されるほか、貸出拡大や為替レート等への効果も不透明とはいえ多少は期待される。現下の厳しい経済情勢にあっては、考えられるあらゆる手段を検討し、採用していく必要がある。一層の量的緩和は財政規律喪失につながり、その結果、金利が急上昇するという副作用が生まれる可能性については、政府は、財政改革を進めるよう大きく踏み出しており、こうしたリスクは低下している。

物価安定数値目標導入で懸念されるインフレ加速については、現在の日本経済は、景気悪化とデフレの厳しい経済情勢にあるので、当面はインフレ加速を心配すべき状況ではない。また、物価安定数値目標によって、金融政策の信認が得られれば、人々に過度なインフレ期待を発生させることはなく、結果的にインフレの加速も避けられる。物価安定数値目標によって、長期の名目金利が上昇し、長期の実質金利が下がらないという可能性については、中長期的なインフレ期待が織り込まれれば、名目の長期金利は上昇する。しかし、長期金利が将来予想される短期金利の平均的な値であることを考慮すると、物価目標が達成されるまでは、金融緩和政策により、短期金利が低水準で推移するため、長期の名目金利の上昇は限られ、その結果、名目金利からインフレ期待(デフレ期待)を引いた長期の実質金利は低下する可能性が高い。物価安定数値目標は、インフレを一定目標以上に高めないという政策でもあり、金融政策の信認があれば、インフレ期待が目標以上に高まらず、従って長期の名目金利が大幅に上昇することは避けられる(27)。また、物価安定数値目標は目的達成の手段が欠如しており、金融政策への信頼性が低下するのではないかという点については、次のように考えられる。手段については、上述のさらなる量的緩和や人々のインフレ期待を通じた効果がある。中長期的には日本経済の潜在的な成長力は高いので、そうした潜在力ができるだけスムーズに発揮されるよう、金融政策が短期的にも最大限下支えすることが、金融政策への信頼性を高めることにつながる。

以上、さらなる金融緩和、物価安定数値目標を積極的に推進する立場と消極的な立場の論拠を整理した。金融政策は、現在の経済を全快させる万能薬ではありえないが、現在の景気は非常に弱く、さらに構造改革の推進で短期的には景気下押し圧力が強まることを考慮に入れると、日本銀行はデフレ圧力を和らげるためのさらなる施策を積極的に検討すべき段階にあると考えられる。また、こうした短期的なデフレ圧力をしのぎ、政府が打ち出している中長期的にみた経済の成長力確保につなげていくことが、金融政策が政府の政策と整合的なものとなり、金融政策の信認をもたらすことになる。