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第1章 競争力の源泉としてのクラスター:産業集積からクラスターへ

第1節 国際競争力とイノベーション

1.国際競争力の考え方

●グローバル化の中で厳しさを増す国際競争
 第二次大戦後に発展した自由貿易体制の下で国境を越えた企業間、産業間の競争が展開した。特に、関税及び貿易に関する一般協定(GATT)の進展により貿易財に関する関税障壁の低下は世界市場における競争を加速した。さらに90年代に入り冷戦構造の崩壊により低廉な労働資源を抱える旧東側地域が世界市場に取り込まれる形でグローバル化が加速し、価格面での国際競争は激しさを増した。同時に世界的に波及したIT化の進展ともあいまって、企業の存続は単に国内競争に打ち勝つだけでなく国際競争の中で勝ち残ることを意味するようになった。
 資本、人材の国際移動が進むなかで国際的な競争は、伝統的な貿易財からサービス分野にまで拡大している。金融保険、通信、小売・流通分野も厳しい国際競争にさらされることとなった。
 こうした世界経済を取り巻く環境変化の中で国際競争に勝ち残るための企業・国家戦略に対する関心の高まりがみられる。これまでの海外における国際競争に対する考え方を整理し、国際競争力を高めるための具体的な取組、政策的支援の在り方について検討することは、産業、企業の今後の展開を考える上で重要な意味を有する。以下では国際競争力を考えるために、まず最初に国、産業、企業という異なる段階での競争力概念の整理を試みる。次に海外における競争力強化の政策的な取組の動きを紹介する。

●競争力の階層構造
 (1)国の競争力
 国の競争力は、世界市場に対して魅力のある財・サービス等の製品を提供し長期的に国民生活水準を向上していくような環境を国内の産業、企業に提供できるかどうかにかかっている(3)。国全体として競争力があるということは国内に存在する企業が付加価値の高い財・サービスを高い生産性の下で提供することが可能であることを意味する。これは同時に良好な経済活動の実績に現れ、国民生活水準が向上するなどの結果に反映されることとなる。実際の国際競争の主体は後述するように企業であり、産業レベルでの競争力比較も可能であるが、これらは国レベルでの競争が行われていることを意味するものではない。国の競争力は企業、産業レベルでの高い国際競争力を実現するような環境を提供しているかという点に依存し、これらが国全体としての高い付加価値生産性、生活水準の実現につながっていると考えられる。
 国レベルでの競争力概念に着目した考え方としては、スイスの国際経営開発研究所(IMD)が提供する国別の競争力指標がある。IMDは毎年世界競争力年鑑を公表し、各国の国際競争力について、数十か国を対象としたランキングを示している。世界競争力年鑑では国の競争力を「企業の競争力を維持する環境を提供する国家の能力」としている。IMDでは、各種の統計データとその国在住の有識者に対するアンケート調査に基づき、国の競争力を測定している。主観的判断を含むアンケート調査の回答によって順位が左右されるという批判もあるが、各国の競争力の相対関係を示すものとして活用されている。IMDは、国民経済全体のパフォーマンスとともに、企業が競争しやすい事業環境を保証するような国の政策や制度を競争力測定のための重要な要素としている。
 最近の国単位での国際競争力をIMDの成績でみると(第1-1-1図)、アメリカが1位を維持し、北欧諸国が高い順位を示す一方で、ヨーロッパ諸国等の多くの先進国の順位が低迷している点が問題となっている。
 (2)産業の競争力
 国としての競争力が十分に発揮されるためには、産業レベルでの競争力という視点が重要である。これは、「ある国に立地する特定の産業が、世界市場において発揮する相対的な競争力」と解釈することも可能で、貿易財であればその産業の輸出力の強さによって示すことができる。国の内部には様々な産業が存在するため、それぞれの産業ごとに国際競争力は異なり、その総合的な力が国全体としての競争力という結果に表れると考えられる。
 第1-1-2図は縦軸に世界市場の伸び率、横軸にある国の輸出が世界輸出に占める割合をとったものである。円の大きさは各産業の世界輸出市場の規模を示している。円の位置が上にあるほど当該産業の世界市場における成長性が高いことを意味し、右に位置するほどある国における当該産業の競争力が高いことを意味する。
 アメリカでは航空機産業の競争力が極めて高く、それに次いで産業用機器、電気機器、化学、自動車等の競争力が高い。ドイツでも産業用機器、自動車、化学等の競争力が高いといえる。アメリカやドイツで競争力が高い産業は世界市場における成長性も高い。これに対して中国は衣料品、繊維等の軽工業の競争力は高いものの、アメリカ、ドイツ等が強さを発揮する産業は劣位にある。国レベルでの競争力の強化は必ずしもすべての産業における競争力の強化を必要とするものではない。むしろ各国が有する人、資本、技術等の資源を踏まえて得意分野の競争力を伸ばす戦略が有効であると考えられる。国際的に競争力の強い産業は、高い付加価値を効率的に製品に盛り込むことによりその競争力を実現している。実際に産業内部の動きをみるためにはその産業を構成する企業の活動を解明する必要がある。
 (3)企業の競争力
 ミクロレベルでの競争の主体は企業である。国の経済発展を担うのは、競争力を持つ企業であり、競争力のある企業は国際競争に生き残ることができる。競争力のある企業とは、継続的な生産、販売活動等を通じて利潤を確保し、企業活動を続けられる企業ともいうことができる。
 経済のグローバル化が進展しインターネット技術の普及によりIT化が進むなかで企業間の競争は大きく変化しつつある。これまでの物理的・地理的な距離が取引コストの中に占める比重が低下し、国際的な市場が国内市場と一体化するなかでの競争を強いられる。こうした競争においては他社製品との差異性を確保できないような企業は厳しい価格競争にさらされることになり、長期的に市場で生き残ることは難しくなる。ここで生き残るためには他企業とは単純に競合することがないようなユニークな製品・サービスを提供し続けることが必要である。
 こうした企業の競争力、優位性の源泉はイノベーションの創出にあると考えられる。イノベーションとは研究開発等を通じて既存の製品・サービスよりも付加価値の高い製品・サービスをより効率的に提供する新たな生産・販売方式を導入することを意味する。企業レベルでのイノベーションはハイテク分野の先端技術に特化した技術革新に限定されない。新しいビジネスモデルの導入等も含め、他企業に対して優位な立場を確保し、企業の収益増をもたらすような企業活動の仕組みの変更を広く包含する。

●イノベーションと中小企業
 加速するグローバル化、IT化という企業を取り巻く環境変化の中で、大企業だけでなく競争力を持つ中小企業もイノベーションの担い手として重要であるとの認識が高まっている。各国の中小企業の地位をみても、企業数でみれば中小企業の数は圧倒的に多く、雇用創出の多くを担い、国内の付加価値の約半分を産み出しており、各国経済の中で重要な位置を占めている(第1-1-3図)。このような中小企業分野でイノベーションが生まれないような経済には力強い発展は期待できない。
 中小企業の特徴は、経営者のリーダーシップの強さにあり、大企業に比べ迅速かつ柔軟な意思決定を行うことができる。伝統的な産業分野についてみると、新たな市場ニーズに見合った商品やサービスの開発、生産性を高める組織的取組の導入、新たな手法の開発では大企業より革新的な場合が多い。また消費者の嗜好の多様化が生み出す新たな商品需要に迅速に対応できるのも中小企業の強みである。中小企業の中には、経営資源の乏しさという弱点を補うため、ニッチな分野に専門化し製品差別化を図り大企業とのすみ分けを行う企業も多い。
 最近の先端的な技術集約型・知識集約型の分野である情報通信技術やバイオテクノロジーのような産業においても中小企業は存在感を増している。シリコンバレーに代表されるようなハイテク・ベンチャー企業が集積している地域では、大企業の技術者が退職し、自分の特殊技術を活用して新たな企業を立ち上げるスピンオフが活発である。バイオにおいても、大学の研究室から生まれた技術を基にベンチャー企業を立ち上げることが頻繁に行われ、これらが数々のイノベーションをもたらしている。実際に、現在世界規模で大企業として活躍している企業の中には80年代以降にベンチャーとして出発した事例は多い。
 

●企業家精神と競争力
 既存企業の成長、発展とともに、企業の新規開業・廃業が活発に行われ、新陳代謝が高いことも競争力を決める重要な要素と考えられる。産業レベル、国レベルの競争力は必ずしも同一の企業の存続を必要とするものではない。むしろ、様々なイノベーションをもたらす異なる企業が市場に参入することにより、このような競争力は強化されると考えられる。企業家精神とイノベーションの結合は国際競争力という観点からは重要であり、両者を兼ね備えるような中小企業の厚みを持つ経済は国レベルでも強力な競争力を有することになる。


2.海外の競争力強化に対する取組

 国レベルでの競争力を意識した競争力強化のための政策的な取組や制度的な枠組みの設計の議論については、アメリカ、ヨーロッパで既に長年の実績がある。

 (1)アメリカ:イノベーション重視の競争力強化政策

●80年代の双子の赤字と競争力の低下
 1980年代に貿易赤字に苦しんだアメリカ経済では製造業部門で競争力が低下していることが指摘され、この問題に対応するためにレーガン政権は、83年に産業競争力委員会を設立、85年になっていわゆるヤングレポートがまとめられた。報告書では製造業の競争力回復のために技術、資本、人材、貿易等、様々な面で政策的な対応が必要であるとし、具体的な提言を行った。

●ヤングレポート以降の競争とイノベーションをめぐる動き
 しかし、ヤングレポートの提言の多くはいわゆる産業への国家介入を意味していた。そのため産業政策的な政府の市場への介入を好ましく思わない当時のレーガン、ブッシュの共和党政権期にはほとんど実行に移されなかった。そこで産業競争力委員会のメンバーは、86年に競争力評議会を民間組織として立ち上げた。競争力評議会は87年には「ニューヤングレポート」をまとめるなど精力的に競争力強化のための分析を続け、91年以降NPOに改組し、現在に至るまで産業競争力の向上のための提言を行っている。
 92年に選出されたクリントン政権は積極的な産業政策へと方針を転換し、このような競争力強化の考え方に沿ってハイテク重視の競争力強化政策に取り組むこととなった。民間企業の研究開発に対する政府からの補助金の投入や中小企業の研究開発支援策(SBIR、第4節)等が推進された。

●イノベーションとクラスター
 特に99年に競争力評議会から発表された「アメリカの繁栄のための新しい変化−イノベーションインデックスからの発見」というレポートはイノベーションを重視するなかで産業集積としてのクラスター(後述、第2節)という概念を評価する画期的な成果となった。ここでは、高成長を維持するためにはイノベーションを促進する必要があり、イノベーション能力の要素として、(1)クラスターの特徴が整っているか(企業、大学などの集積が存在し、企業戦略に沿った競争が行われている、生産及び需要が整っている、関連産業のサポートがあるなど)、(2)イノベーションのための環境が整備されているか(基礎研究への投資、研究開発支出に対する税制、リスク資本の供給、教育の水準、科学技術部門での有能な人材のプール、情報通信インフラ、知的財産権の保護、国際貿易・投資の開放、需要が洗練されていること)、(3)上記のクラスターとイノベーションのための環境整備のリンケージの三点を挙げている。
 さらに2003年には競争力評議会の中に、アメリカのイノベーション促進のための政府の新政策を後押しすることを目的として、全米イノベーションイニシアチブが設置され、IBMのパルミザーノCEOが共同議長に就任した。ここでの議論に基づき、イノベーションを推進するための資金面の支援の在り方や政府資金投入の有無等について、2005年初には「パルミザーノレポート」として政府への提言がなされる見込みである。

 (2)EU(欧州連合):アメリカを意識した競争力強化の取組

 93年に発足したEUでは、競争力の強化に関し域内各国が足並みをそろえるべく、政策の調整に努めてきた。95年には、競争力の維持、強化には企業のイノベーション能力が不可欠であるという主張に基づき「イノベーションに関するグリーンペーパー」が発表され、翌年には「イノベーションに関する第1次行動計画」が策定された。
 

●長期的な戦略目標と目標達成のための包括的戦略:リスボン戦略
 しかし、90年代後半、急速なITの発展により、IT産業及びIT利用産業が拡大するなど経済構造の変化が高成長に結びついているアメリカと比較すると、EUでは経済成長や労働生産性の伸びが低くとどまっていることが判明し、各国首脳間ではアメリカを始め、世界の主要国と競争するためにはEU全体としての戦略が必要であるとの認識が高まった。こうしたことを受けて、2000年3月、リスボン欧州理事会において、「より質の高いより多くの雇用と、より強い社会的な結束を伴って持続可能な成長ができるような、世界で最も競争力と活力を持つ、知識を基盤とした経済を構築する」とする今後10年の戦略目標と目標達成のための包括的戦略が合意された。この戦略は「リスボン戦略」と呼ばれ、EUの競争力強化のための政策の基盤となっている。
 リスボン戦略ではイノベーションの促進を最優先課題の一つとして位置付けている。同年9月には「知識主導経済におけるイノベーション」と題する報告書が発表され、これを契機に、EUレベルでの研究開発政策が強化されるとともに、イノベーションを誘発するための制度的枠組みについての研究や各国政策の紹介・普及を行うプロジェクト(4)が開始された。
 また、中小企業に着目した戦略もリスボン戦略の重要な柱の一つとなっている。2000年の欧州理事会では、「小企業憲章(European Charter for Small Enterprise)」が調印された。小企業は、イノベーション、雇用促進、欧州の社会的及び地域的統合の原動力であり、知識基盤経済においては持続的な経済成長を可能にする主体であるとされ、政策課題が示された。さらに同年、「企業と企業家精神、特に中小企業に対する多年度計画(2001〜2005年)」が理事会で採択された。各国の代表者が中小企業政策に対して合意したという点で歴史的に意味を持つものであり、中小企業政策が、従来の保護政策的な意味合いから、中小企業のダイナミズムを利用した競争力の向上をねらうものへと変化している点は注目される(5)
 このようにEUでは、アメリカに追いつくことを念頭に競争力強化を目指している。EU全体の研究開発費を増大させるなど量的な政策を拡大させつつ、最近ではとりわけ、「企業間の高い競争レベルによってもたらされる革新的な活動が競争力の強化の鍵となる要因である」(6)との共通認識の下、ハイテク中小企業(7)向けの研究開発支援、企業家精神の高揚、創業支援、地域におけるクラスターの発展推進、ネットワークによる企業連携等を重視する方向に政策の範囲を広げている。

 (3)OECD:イノベーションからクラスターへ
 
 OECDにおいては、EUと同様に経済が知識基盤型経済(生産・流通に加え、知識と情報の活用に直接立脚した経済)に向かっているとの認識の下、イノベーションを支える産学官という主体、それらの相互の連携と社会システムとのかかわりを重視するナショナル・イノベーション・システムの調査研究を行ってきた。経済発展の基礎となる企業のイノベーション能力を高めるのにクラスター政策が有効であるとし、近年、各国のクラスターの調査や各国政府のクラスター政策の分析を重視している。
 中小企業が経済の重要な役割を担うとの認識もEUと共通している。2000年にOECD主導で48か国によって採択された「ボローニャ中小企業憲章」では、ナショナル・イノベーション・システムにおいては中小企業が中心的な役割を果たすとし、中小企業の競争力の強化のための政策課題が示されている。この憲章では、EUにおける小企業憲章と重複する部分が多い。


 BOX:競争力ランキングで上位を維持するフィンランド

 国を挙げて競争力強化に取り組み、その成果が著しい成功例として北欧の国フィンランドが注目される。フィンランドは人口わずか500万人の国でありながら、IMD競争力ランキングで2004年に第8位(人口2,000万人以下のグループでは第1位)となっており、世界経済フォーラム(WEF)の競争力ランキングでも2001年から4年連続第1位となっている。
 フィンランドはもともと豊富な森林を利用した森林産業や金属機械産業が盛んであった。しかし、90年代初頭に、経済的に密接な関係のあったソビエト連邦の崩壊や、国内のバブル崩壊による深刻な景気後退が起こったことから、ITを始めとする新産業の創出、企業化促進の施策を関係機関が連携して取り組み始めた。94年には、80年代にITクラスター作りに成功したオウル市を例にして、COE(Center of Expertise)プログラムという地域産業振興のための施策が導入された。この施策では、全国14地域にCOEセンターを設置し、重点的に振興する産業分野を設定して、競争力のある製品、企業、雇用を増加させる取組が行われた。また、産学官の密接な連携の下、起業、マーケティング、さらには国際ビジネスの展開に至るすべての局面において支援機関を設置し、切れ目のない支援体制を敷いた 。
 90年代後半には景気が回復し、産業構造はIT主導型へと変換した。現在、17のサイエンスパークが全国の大学町に存在する 。
 


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