平成9年

年次世界経済報告

金融制度改革が促進する世界経済の活性化

平成9年11月28日

経済企画庁


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むすび

好調なアメリカ経済と踊り場にきたアジア経済

1997年の世界経済は,好調なアメリカ経済と踊り場にきたアジア経済の対比があらわれた時点と特徴づけられるかもしれない。

(アメリカ経済と「ニュー・エコノミー論」)

アメリカ経済は,今回の景気拡大が,97年4月以降7年目に入り,なお力強い成長を続けている。また,失業率が4%台まで低下する一方,消費者物価上昇率も2%台とインフレーションも顕在化せず,悲惨指数(失業率と消費者物価上昇率の和)も1968年の7.8%以来29年ぶりの低水準となっている。このような好調な経済の下で,アメリカでは,アメリカ経済の生産性はこれまでに比べて上昇し,インフレのない,また景気循環もない「ニュー・エコノミー」段階に到達したという議論が関心を呼んでいる。しかし,アメリカの労働生産性を見ると,80年代,90年代に上昇したというデータは,現在までのところ見出すことができず,このような「ニュー・エコノミー」論を支える根拠は乏しい。

確かに,失業率の低下と物価の安定は29年ぶりの事態である。これには,金融政策運営の成功,伸縮的な労働市場,70年代末からの規制緩和,情報技術革新の累積的効果などが寄与していると考えられる。しかし,実質賃金の上昇は限られたものである。80年から96年までで,実質GDPは50%増加したが,そのうち27%は企業利潤,22%は労働投入時間の増加によるもので,時間当たりの実質労働報酬は1%しか増加していない。この意味では,アメリカ経済の好調にも限界があると言えよう。

(ASEANの通貨下落とその要因)

アジアでは,ASEANのタイを中心に自国通貨の価値が下落し,景気が減速する国があらわれている。通貨下落の要因としては,自国通貨をドルにほぼ固定していたことにより,その価値が過大評価になってしまったこと,過大評価された通貨を外資の流入が支えていたこと,流入した外資が不動産投資など非生産的な用途に回されていたことなどによる。自国通貨の下落自体は,輸出競争力を復活させるものであり,減速した経済を回復させるものである。これは,94年末に通貨危機を経験したメキシコが,96年以降,高成長を遂げていることからも理解できる。しかし,通貨下落を招くにいたった過程で累積された不良債権の規模とその処理によっては,経済の回復は遅れるかもしれない。

(通貨統合に向かうヨーロッパ)

ヨーロッパではイギリスを始めとして,景気が拡大している。EUでは,主権を異にする国の間で共通の通貨を流通させようとする偉大な試みが始まろうとしており,そのための準備が行われている。統合後の通貨を安定したものにするためには,参加国が財政規律を強化し,新しく設立されるヨーロッパ中央銀行が,独立し,明確な目標をもって金融政策を行うことが必要とされている。ただし,通貨の統合によって,各国が景気対策として独自の金融政策を行う余地を失うことになる。最適通貨圏の理論によれば,域内の労働力の移動が各国の景気変動を緩和することになるが,欧州通貨統合は,完全には自由な労働移動のない地域での通貨統合という試みである。通貨統合は,経済的価値金越えた,統一欧州という理念に向けての壮大な実験でもあるのだろう。

金融のグローバル化と金融システムの改革

(規制改革の動因)

世界市場が一体化する中で,特に金融面でのグローバル化が進んでいる。金融のグローバル化の程度を,アメリカから世界に向けて流出し,また世界から流入した資本の合計でみると,その額は,96年においては1,440億ドルであったが,96年には8,318億ドルと5.8倍に増加している。資本が自由に動く中で,安い資金コストと効率的な運用がより一層求められている。金融システムにおいて,世界的な規模での制度間競争が生じており,その結果,各国の金融システムもおのずから改革を迫られている。金融市場間の競争によって,一国の金融制度改革は他国に波及している。

(業態間競争の激化)

これまで金融業については,いずれの国でも,金融機関の経営の健全性維持などのために,様々な規制が課せられていた。しがし,欧米諸国では,80年代までに,金利規制や証券売買手数料規制などの価格規制は撤廃され,銀行・証券業間や保険業との業態間参入規制についても,制度の改革が行われ,業態間の統合による様々なメリットを追求する動きが進められてきた。すなわち,業態間参入規制については,ヨーロッパでは制度改革により,実態的にもユニバーサル・バンクに向かっている。また,この規制は,アメリカでは形骸化している。これは,金融の技術革新を背景に,銀行と証券の違いが次第に小さなものとなり,利用可能な金融市場が世界的に拡大したことから,規制される側からビジネス・チャンスを求め従来の規制を見直す動きが現れたからである。

金融の技術革新が既存の規制を反故にした端的な例として,アメリカの預金金利に関する上限規制(1933年銀行法のレギュレーションQ)の撤廃が挙げられる。預金金利の上限規制は,70年代後半には証券会社にMMF(口座振り替えが可能で,小切手の切れる投資信託)を生み出させ,銀行側も対抗して開発したMMDA(類似のものだが銀行が開発したもの)などにより競争が激化し,その後レギュレーションQは撤廃されている。

アメリカの銀行・証券の業務区分を規制してきたグラス・スティーガル法の改正が進められており,現在,一般事業会社と金融業の相互参入を認めるかどうかが焦点となっている。

(国際的な制度間競争)

イギリスでは,中小のブローカー中心だった証券市場の規制が86年に撤廃(ビッグ・バン)きれた直後,ロンドン証券取引所の200余りの業者のうち23社が米国,欧州大陸の金融機関に買収された。その後も買収はつづき,現在では,ロンドン市場の主要なプレイヤーは海外の金融機関となった。しがし,ロンドンは,グローバル化によって低コストの資金調達等,金融サービスの利便性を向上させ,現在もニューヨークとならぶ金融センターの地位を維持している。この結果,イギリスでは,金融関連産業全体の雇用は以前より増加し,賃金も増加している。ビッグ・バン前後の84年から87年にかけて増加したイギリスの全雇用のうち74.8%が,金融・ビジネス・サービス部門で生みだされたものである。

ビッグ・バンは他の欧州諸国にも波及している。ドイツ,フランスなどの大陸欧州諸国もイギリスを追って金融市場改革を行っている。アメリカなどで,銀行業と証券業との兼業に対する規制がなくなりつつある。一方,ユニバーサル・バンク制度により,銀行業と証券業との兼業が認められてきたドイツでは,これまで,資本市場に対する規制を背景に,間接金融中心の金融制度が形成されてきた。しかし,為替の規制緩和がグローバル化を背景に国内金融資産の流出を生み出すに至り,資本市場の規制改革に着手している。フランスも世界の動きに刺激されて88年にフランス版ビッグ・バンを行い,資本市場改革に取り組んでいる。株式による資金調達の状況を見ると,ドイツでは改革直後伸びてその後伸び悩み,フランスではほぼ順調に伸びている。

アジアの中で,香港,シンガポールは早くから金融規制改革を進め,アジアの国際金融市場としての地位を確立している。両国のオフショア市場の規模は日本に匹敵するほどである。

(金融制度の改革と政策対応)

金融の自由化,規制改革は,これまで金融セクターの中で特別な地位を占めてきた公的金融に対しても,改革を求めている。ドイツ,フランス,イタリアの郵便貯金は,公社化あるいは株式会社化されている。

市場メカニズムを導入し,自由化,効率化が進む一方で,信用秩序を維持していく重要性も高まっている。信用秩序維持のための規制は強化されており,そのための監督制度の変更もなされている。金融業の業態変化に伴い,それを監督する体制も変化しつつある。イギリスでは,証券投資委員会が,銀行,証券会社を一元的に監督する体制となりつつある。業態の区分が曖昧になった結果,業種ごとに監督していたのぞは,責任の所在が明らかでないようになっているからである。

(金融の自由化と金融政策)

70年代末から80年代,金融自由化等を経験する過程で,マネーサプライと名目GDPの関係が,少なくとも一時的には,不安定化した。これは,金融の技術革新や金利規制の撤廃等による金融商品の多様化などから,金融資産間の代替が大きく進み,既存のマネーサプライ指標の安定性が低下したためである。

名目GDPとマネーサプライの関係が長期的には安定しているとしても,金融自由化によってその関係が不安定になる可能性があり,また,いつどの程度不安定になるかの予想が難しいとすれば,マネーサプライを目標とした金融政策の運営は難しくなる。そこで,80年代の後半以降,マネーサプライのような中間目標ではなく,むしろ最終目標であるインフレ率の目標を設定・公表する方法(インフレ・ターゲティング)がニュージーランド,カナダ,イギリスなどで採用されており,インフレ率の低下がもたらされたと評価される国もある。しかし,経済成長率は低下しており,インフレ・ターゲティングを採用していない国に比べ,現在まで特に経済パフォーマンスの改善は見られない。

また,ドイツやスイスではマネーサプライ・ターゲティングはなお実施されており,通貨統合のために設立される欧州中央銀行においても,インフレーション・ターゲティングとともに,その採用が検討されている。

金融政策のあり方が議論される中で,中央銀行の独立性を巡る議論が盛んになっている。中央銀行の独立性が高いほどインフレ率が低いという経験則があるが,例えば,独立性が高いドイツ,スイスの中央銀行では,ルールによる金融政策が採用されており,インフレ率を低下させるために重要なのは,中央銀行の独立性とともに,どのような金融政策を行ってきたかであると考えられる。

金融制度改革が,まったくなんの犠牲もなく,経済を活性化するとは言い切れない。銀行と証券の分離規制など金融業態間の規制を撤廃することは,諸外国で行われている金融システム改革の柱の一つであるが,規制によって保護されてきた業態では,痛みを伴うだろう。イギリスのビッグ・バンが,イギリス系の証券会社をほとんど駆逐してしまったということは,その痛みの例かもしれない。しかし,多くの国で,規制の撤廃によって金融システム全体が活性化され,金融業において今まで以上の雇用が創出され,GDPに占めるシェアも高まったのである。そして何よりも,グローバル化の中では,それ以外の道は残されていない。


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