平成7年
年次世界経済報告
国際金融の新展開が求める健全な経済運営
平成7年12月15日
経済企画庁
本年度の世界経済白書では,拡大基調を維持する世界景気の現状,95年前半の急速なドル安の背景,アメリカ財政の課題,国際金融と東アジアのっながりなどの観点から,95年の世界経済を分析した。本白書を終わるにあたり,各章の分析のポイントをまとめた後,マーケットの監視が強まるながで,各国が良好な経済ファンダメンタルズを維持することが一層重要になっている点などについて考察する。
世界経済の概観
・94年は,主要国で景気拡大の足並みがそろい,世界全体の経済成長率の加速が見られた。95年の世界経済は,アメリカなど一部先進国の経済が減速したが,全体として拡大基調を維持している。
南北アメリカ
・アメリカ経済は,95年前半に大幅に減速した。減速要因は,①94年中の金融引締めによる住宅投資と耐久財消費の減少,②95年初めからの在庫積み上がりとその後の在庫調整にある。95年半ばから回復の方向にある。
・94年末~95年初めのメキシコ通貨危機の影響から,95年に入ってからメキシコは大幅なマイナス成長となっている。
ヨーロッパ
・95年のEU経済は,全体としては前年並みの拡大基調を維持しているものの, 主要国の景気拡大テンポは,やや低下している。財政赤字削減が進まず,99 年の通貨統合の実現に懸念が生まれている。
・90年以来生産の縮小が続いていたロシアは,95年中頃に生産が下げ止まり,経済回復の兆しが見られる。しかし,インフレは年率70%程度と高い。
アジア
・アジアは,好調な景気拡大を続けている。景気過熱気味であった中国では,95年に入って拡大テンポはやや緩やかになり,インフレは20%台から10%台へ低下している。
国際金融
・ドルは95年前半に急落したが,年央以降反転上昇している。ドル安要因は,①メキシコ通貨危機を契機にドルから資本逃避,②95年初めの主要国金利差縮小,③日本の機関投資家の慎重な対外投資姿勢などがある。
・アジア通貨はドルとの連動性が強いが,95年前半のドル安局面では,85年や90年代前半のドル安局面と異なり,対ドルで強含んだ。
財政赤字の現状と見通し
・連邦政府財政収支は,近年やや改善傾向にあるものの,依然大幅な赤字を計上している。債務残高は,平時としては最高水準(GDP比50%超)に達している。公的年金・医療保障・利払い費が今や歳出の過半(96年度55%)を占めており,構造的に歳出抑制が困難になってきている。
・現行制度が不変の場合,21世紀初頭には大幅な赤字拡大が見込まれる。
アメリカの財政赤字の問題点
・財政赤字は国内貯蓄を低下させ,国内貯蓄の減少は国内投資の縮小にっながる傾向があるため,中長期的な経済成長力を低下させる。
・世代間の公的負担格差が拡大している。政府投資(GDP比)が低下する中での公債累積は,将来世代への公的負担先送りとなっている。また,高齢化の進展で,世代問の受益・負担の歪みが大きく拡大する。
・財政赤字削減の取り組みが不十分で,将来財政赤字が大幅化する場合には,「双子の赤字」が拡大し,ドルの不安定化を招くリスクもある。
財政収支均衡を目指す動き
・7年後の収支均衡を目指す予算決議が95年6月に,同決議に基づいた財政調整法案が10月に議会で可決された。11月には大統領も,7年後の収支均衡に基本的に合意するなど,均衡予算への動きが大きく進展した。
医療・福祉制度改革の展開
・歳出の中で最も増加率の高い医療支出の抑制が,財政改革の喫緊の課題となっている。民間保険市場の競争を活用する方策の検討が進んでいる。
・連邦政府の福祉政策を州政府に一括委譲しつつ,連邦補助金を大幅に削減する内容の「福祉改革法案」が95年秋までに上下院で可決された。
抜本的な税制改革
・①貯蓄不足の解消と②税制の簡素化を中心に,現行制度を抜本的に変革する税制改革論議が盛んになっている。従来の所得税に代えて消費支出のみに単一税率を課する「フラット支出税」が注目されている。
90年代前半の国際資金移動の特色
・82年の中南米債務危機以降停滞していた途上国への資金フローは,90年代に入り,東アジアや中南米の新興経済向けを中心に拡大している。
・アメリカは,90~93年に資本流出入をともに拡大し,世界の金融仲介機能を高めた。94年に入り,国内の金利上昇を受けて,証券投資を中心にアメリカからの資本流出が減少し,メキシコ通貨危機の背景となった。
東アジアへの資本の流れ
・台湾,シンガポール,香港は,80年代半ば以降,恒常的な資本輸出国となっている。
・東アジアへの資金フローは,銀行借款のシェアが低下(80年→90年代前半:62%→15%)する一方,直接投資(10%→45%)と証券投資(2%→23%)のシェアが高まっており,特に直接投資のシェアが高い。
東アジアの金融統合と国際金融センターの役割
・香港,シンガポール両市場の国際金融センターとしての発展を背景に,東アジア域内での金融統合が進展しており,国内金利と国際金利との裁定の強まりや,各国の貯蓄率と投資率の相関関係の弱まりが見られる。
・東アジアの金融統合は,シンジケート・ローンや直接投資のみならず,90年代に入り,東アジア市場での起債(ドラゴン債等)や株式上場(中国企業の香港市場上場など)によっても進展している。
資本流入への政策対応
・資本流入の大幅拡大は,①インフレ,②為替割高化による輸出抑制,また資本の逆流は,③外貨危機,④金利急騰による景気低迷,等の悪影響を及ぼす。こうした悪影響を回避する諸施策の組合わせが重要である。
・資金移動の規制や不胎化介入は,中長期的には,資本流入の大幅な拡大を抑えたり,その悪影響を減殺することはできない。海外からの資本の安定的流入には,良好な経済ファンダメンタルズの維持が重要である。
1995年は,94年末のメキシコ・ペソの暴落を契機としたメキシコ通貨危機が,世界経済に動揺を与える中で幕を開けた。メキシコ経済に対するマーケット(ここでは主に国際金融市場を指す)の幻減は,他の中南米諸国のみならず,アジアの高成長国にも一時的ながら波及した。また,メキシコにとって悪いニュース(badnews)は,アメリカにとっても悪いニュースとの見方から,メキシコ危機は,95年前半の急速なドル安をもたらした1つの要因ともなった。結局,国際金融支援策のとりまとめ,メキシコ政府の緊縮政策プログラムの発表・実施によって,一応の収束に向かった(メキシコ危機の要因,メキシコ・他の中南米諸国の現状については,第1章第2節を参照)。
メキシコ危機を契機に,途上国への証券投資の拡大が,しばしば問題視されるようになった。それは今回の危機の背景に,90年代に入ってからのメキシコへの証券投資の大幅拡大と逆流があったと考えられるからだ。80年代初めには,途上国への民間資金フローの中心は銀行融資であり,証券投資は民間資金フローのわずか5%程度にすぎなかったが,最近年では全体の半分以上を占めるようになっている。
しかし,証券投資を問題視する前に,次の2点を考慮する必要がある。
第1は,メキシコの対外借り入れが,「足の速い」証券の形でなく,銀行融資が中心であったならば,より「ましな」結果になっていたであろうかという点である。仮に何らかの理由で,証券投資の形での資金流入がなかったとしよう。その場合は,経済改革を進めNAFTA(北米自由貿易協定)やOECDにも加盟したメキシコに対して,90年代前半の「新興経済ブーム」のなかで,民間銀行が相当貸し込んだであろうことは想像に難くない。対外ファイナンスの形態の違いにかかわらず,財政規律の緩み,内外インフレ格差からメキシコ・ペソが割高化していたことに伴う貿易赤字の膨張と外貨準備の減少,それに94年に入ってからの政治情勢の不安定化によって,メキシコはいずれ外貨危機に陥ったであろう。その場合の対応は,どのようなものになっていたであろうか。
銀行融資は証券投資のように足が速くないので,おそらく銀行団とメキシコ政府の交渉という形,つまり82年のメキシコ債務危機の時と同様の対応になったであろう。そのような交渉は,銀行にとっては誰がどれだけ損をかぶるかという問題なので銀行間の交渉も容易には進まないし,また政府は「にがい薬」はなるべく飲みたくないので必要な政策変更も(95年初めの現実の事態の展開と比べれば)遅くなりがちとなったであろう。その結果,メキシコ経済の混迷は長引き,その間銀行の不良資産問題の処理が進まず,アメリカを始めとする先進国経済にとっての不安定要因がいつまでも取り除けない状況になったかもしれない。そうした状況に比べれば,証券投資の資金は足が速いだけに,ショックも大きいが,根本的解決も速く進んだと言えるかもしれない。
第2に考慮すべきは,証券化は国際金融でも国内金融でも,世界の流れであるという点である。国際金融取引(除く銀行間取引)の場合,80年代初めには銀行貸付が主流であったが,最近は,より資金コ又トの低い様々な期間のユーロ債や外債の発行を通じた資金調達が,非常に大きくなっている。また,先進国や中進国では,金融資産の蓄積に伴って,投資信託や年金基金などの機関投資家の運用資産規模が大きくなるに従い,証券を通じた資金の流れが大きくなるであろう。このような状況のなかで,途上国への資金の流れにも証券化が進んでいる。証券化が進むことによって,より多くの金融資源が利用可能になっていると考えることもできよう。したがって,途上国への証券投資の拡大傾向を巻き戻すのは難しいものとして,その対応を考えるのが現実的である。
途上国としては,国内貯蓄で賄いきれない投資を海外からの資金流入に依存するわけだが,そのうち証券投資の形での資金が増えてきている。特に新興経済と呼ばれるアジアや中南米の国々で,こうした傾向は顕著である。一般に金融制度が未整備で,国内金融資産の厚みも小さい途上国経済に,証券投資の形の資金が大幅に拡大したり,また逆流する場合には,経済に様々な悪影響を及ぼしうる。そこで途上国政府としては,そうした悪影響をできるだけ小さくしつつ,証券投資の安定的な流入を図っていく必要がある(そのための政策手段の組み合わせについては,第3章第2節参照)。
途上国政府にとっては,証券投資流入をうまく管理(manage)すると同時に,財政赤字抑制,貯蓄率向上,為替レートの適正化といった,経済ファンダメンタルズを改善する努力が重要である。良好なファンダメンタルズの維持は,長期的な成長確保という観点から,常に(証券投資の多寡にかかわらず)重要なことではあるが,証券投資の拡大に伴ってマーケットの監視が強まるなかで,その重要性は一層高まっている。マーケットをだまし続けることはできないし,またしばしばマーケットの懲罰は手厳しい。それだけに,常に「身ぎれいに」しておかなければならない,という圧力が高まっている。
また,国際社会としての緊急時の対応策を整備しておくことも重要である。今回のメキシコのように,急激な資金流失に見舞われた場合,当該国政府が必要な政策変更を実施に移す間,緊急の流動性確保が必要となってくる。その必要性は銀行融資が主体であった時代に比べ,一層重要となっている。
アメリカの財政赤字はここ数年,財政再建努力や好況による税収増加のおかげで減少しているが,しかし,現行の財政制度に抜本的な改革がなされなければ,今後財政赤字は確実に拡大していくと予想されている。現状では,ドルは国際決済通貨として使われているので,アメリカの財政赤字が拡大して貿易赤字が大幅に拡大(双子の赤字の拡大)することになっても,アメリカ政府がデフォールト(債務不履行)に陥る可能性はない。最後はドルを印刷して決済すればよいからである。
ただし,仮にそのような事態になれば,アメリカ国内で高インフレが起こるので,それが懸念された時点で,ドルが急落して,いわば強制的に貿易収支の改善,交易条件悪化を通じたアメリカ国民の生活水準低下がもたらされる。従って,アメリカもマーケットの監視にさらされている。とは言っても,大幅な゛資金流出や外貨危機の可能性と直面している途上国の場合と比べれば,マーケットの監視の力は弱いと言えるであろう。それだけに,アメリカの場合,経済の健全化にあたって自己規律に依存する側面が強くなる。
アメリカでは,共和党主導議会・民主党大統領という新しい政治状況の中で,財政赤字への取り組みが,従来にも増して活発化している。95年春には,財政収支均衡を憲法で義務づける憲法修正案が審議された。憲法を修正するためには定数の2/3以上の賛成を要するにもかかわらず,同修正案は下院で可決,上院で可決間際のところまでいった。また,政府支出の膨張・硬直化をもたらしている社会保障制度の大胆な改革案が提案されている。税制についても,貯蓄を奨励しかつ簡素化を図るという観点から,従来の税制の仕組みを抜本的に変更する税制改革案が検討されている。
アメリカが強い自己規律を発揮して,アメリカ経済の長期的発展に真に資するような,意味のある財政改革を実現していくことが望まれる。