平成7年
年次世界経済報告
国際金融の新展開が求める健全な経済運営
平成7年12月15日
経済企画庁
第3章 国際金融の新展開と東アジア
90年代に入って,先進国間の資金フローのみならず,東アジア,中南米などの新興経済への資金フローも拡大している。(注3-1)90年代前半の資本移動拡大期における国際的な資金の流れには,次のような特徴が見られた。
アメリカでは,他の先進国に先駆けて景気が回復し,特に94年中の景気拡大は勢いが強かったため,輸入拡大が輸出拡大に比べ大幅だったことがら,資本流入が大幅化した。ドイツは,東西ドイツの統一コストを賄うために政府支出が増大し,財政収支が黒字から赤字に転じたことから,資本輸入国になった。
日本では,91年以降の成長の伸び悩みによって輸入が低迷したため,経常収支黒字が拡大し,その結果,資本輸出も拡大した。
しかし,94年以降,アメリカの金利が上昇に転じたことを背景に,アメリカからの資本流出(特に証券投資)は減少し始めた。こうしたアメリカの資金の流れの変化が,94年末のメキシコ通貨危機の重要な背景となっている。
90年代前半に再び途上国への資本流入が活発化した背景には,①アメリカを始めとする先進国の金利が,90~93年にかけて低下し続けたこと,②東アジアの高成長持続,中南米での経済改革進展に伴うインフレ沈静化・成長加速,東ヨーロッパの市場経済移行の進展により,国際金融市場で「新興経済ブーム」が起こったこと,が挙げられる。
しかし,94年以降,中南米向けを中心に,途上国への資本流入が鈍化し始め,特に94年末のメキシコ通貨危機以後は大幅に減少した。
国内の貯蓄投資バランスの観点から,東アジアと中南米への資本流入の特徴を比較すると,東アジアでは,貯蓄率(国内総貯蓄/GDP)が高水準で推移するなかで投資率(国内総投資/GDP)が上昇したため,資本流入が拡大した。これとは対照的に,中南米では,投資率がほぼ一定で推移するなかで,もともと低水準にあった貯蓄率が更に低下したために,資本流入が拡大した (第3-1-2図)。
(特徴5)90年代前半に拡大した途上国への資本流入の流入形態別特徴を見ると,銀行借款と公的融資が伸び悩むなかで,直接投資,株式投資からなる「非債務性」資金の流入が大幅に拡大した。また,債券投資も拡大しており,「証券化」が進展した (第3-1-3図)。
80年代初めの途上国への資本流入拡大期には,大型のシンジケート・ローンを中心とする銀行借款が,途上国への資金流入の主要形態であり,民間資金フロー全体の6割を占めていた。しかし,93年になると,銀行借款のシェアが低下する一方,直接投資が民間資金フローの4割,証券投資が5割強(株式投資が3割,債券投資が2割強)を占めた。80年代以降,多くの途上国,特に新興経済において,「外向きの政策」がとられ,投資諸規制が緩和されたことが,直接投資の拡大に寄与した(外向きの政策とは,貿易自由化,外資規制の緩和,輸出を抑制する割高な為替レートの修正などを指す。)。また,証券投資の拡大の背景としては,90年代に入ってから,アメリカを中心とした先進国の投資信託(特定国の証券のみを投資対象としたカントリー・ファンドを含む)などの機関投資家が,新興経済への証券投資に積極的になった点が挙げられる。
以下では,主要先進国と主要発展途上地域における80年代~90年代前半の資金の流れの変化について,上にあげた特徴を中心に,詳しく検討してみよう。
ここでは,80年代と90年代前半の資金フロー拡大期における主要国,地域別の資金フローの推移と,その背景にある貯蓄・投資バランスの変化を見ることによって,90年代前半の資金フロー拡大期の特徴を明らかにする。
主要先進3か国(アメリカ,ドイツ,日本)のネット資金フローは,80年代前半以降概ね大幅となっているが,その推移を見ると,80年代初頭を底に拡大し始め,87年前後をピークに縮小に向かったが,90年代前半に再び拡大した。また,発展途上地域(東アジア,中南米,中東産油国)では,80年代初めと90年代前半に,ネット資金フローの拡大が見られる(前掲第3-1-1図)。
アメリカ,ドイツ,日本の資本収支(外貨準備の増減を除き誤差脱漏を含む)を見ると,83年頃から87年頃にかけて,アメリカでは資本収支の黒字(資本流入)が拡大する一方,ドイツ,日本では資本収支の赤字(資本流出)が拡大しており,これらの国々では,それぞれ,この期間に,ネット資金フローが拡大していたことがわかる。これはアメリカの大幅な経常収支赤字,日本,ドイツの経常収支黒字を反映したもので,アメリカが資本需要国,ドイツ,日本が資本供給国であったことを示している。
′その後,アメリカ,ドイツ,日本の各国のネット資金フローは,80年代末にかけて縮小したものの,90年代に入ると,アメリカと日本で再び拡大した。90年代前半には,アメリカへの資本流入が拡大し続けるなか,ドイツも資本需要国に転じ,ドイツへも小幅ながらも資本が流入した。一方,日本のみが引き続き資本供給国となっていた。この背景としては,①アメリカでは,景気回復による輸入の増加から,再び経常収支の赤字が拡大したこと,②ドイツでは,東西ドイツの統一コストを賄うために財政収支が悪化し,経常収支が赤字に転じたこと,③日本では,91年以降の景気の低迷によって輸入が減少したため,経常収支の黒字が拡大していたこと,が挙げられる。
また,すべての先進国(OECD加盟国,94年加盟のメキシコを除く)へのネット資金フローを見ると,80年代半ばのアメリカへのネット資本流入の拡大と,EC市場統合をにらんだ90年前後のヨーロッパ諸国へのネット資本流入の拡大によって,80年代半ばから90年まで先進国へのネット資本流入は拡大傾向にあった。しかし,90年代に入ると,アメリカへのネット資本流入に加え,ドイツが資本輸出国から資本輸入国に転じたため,日本の資本流出が相殺され,先進国のネットでの資本移動は小幅なものとなった。しかし,94年には,アメリカの金利上昇によりアメリカへのネット資本流入が大幅に拡大し,ドイツヘのネット資本流入が小幅拡大する一方,日本からのネット資本流出は小幅縮小したため,先進国合計のネット資金フローは,大幅な流入超となった。
次に,発展途上地域への資本流入(ネット)を,その大宗を占める東アジア,中南米,中東産油国への資金の流れについて見ると,80年代初めには,中南米や東アジアへの資本流入が急増した。特に,中南米への資本流入は,東アジアへの資本流入に比べて大幅に増加した。また,80年代初めには,途上国のうち,中東産油国が資本供給国となっていた。しかし,82年のメキシコ債務危機を契機に,累積債務問題が深刻化したことから,それ以降,80年代を通じて途上国への資金フローは停滞した。この時期には,中東産油国も資本受入国に転じた。80年代半ばから後半にかけては,途上国への資本流入が停滞する中で,相対的にリスクが低く,金利が高かったアメリカに資金が流入したものと考えられる。
90年代に入ると,東アジア,中南米などの新興経済を中心に,途上国への資本流入が拡大している。なお,91~92年にかけて,中東産油国への資本流入が急増したのは,湾岸危機に際して,先進国から中東産油国へ,公的資金が流入したためである。94年には,先進国の金利が上昇する中,東アジアは,93年と同様,高水準の資本流入を維持した。しかし,中南米では,証券投資形態での資金の流入が大幅に縮小したため,資本流入が減少した。
世界の資金フローの大宗を占める主要先進3か国について,資金の流入(負債の増加),流出(資産の増加)に分けて,グロスの資金フローを見ると,ネット資本移動が拡大した80年代半ばにおいて,アメリカでは,主にグロスで,証券投資,直接投資などの形態での資本流入が増加することによって,ネット資本流入が生じており,ドイツでは,主に証券投資形態によるグロスでの資本流出が増加することにより,ネット資本流出が生じていた。他方,日本では資本移動が両建てで拡大するなかで,ネットで資金が流出していた。
再び資本移動が拡大した90年代前半には,アメリカ,資本流入国に転じたドイツでは,両建でで資本移動が拡大したのに対し,日本では,グロスでの資本流出入が低迷するなか,ネットで資本が流出している,また,94年に入ってからは,グロスて見て,アメリカからの資金流出(特に証券投資),ドイツの資金流出入が縮小しており,先進国からのグロスの資金供給が減少している(第3-1-4図)。
国際資本移動におけるアメリカの役割について考えてみると,アメリカにおいて,90年代前半に資本流入が拡大する一方で,証券投資形態での資本流出が拡大し,特に93年に資本流出が大幅化したことは,この期間,アメリカが,いわば「世界の金融仲介機能」を強めていたことを表している。94年以降,主にアメリカの金利が上昇に転じたことを背景に,アメリカからの資金流出が減少し,アメリカの「金融仲介機能」を支えていた大幅な資金流入と大幅な資金流出という構図にも変化が生じた。こうしたアメリカをめぐる資金の流れの変化が,94年末のメキシコ通貨危機の重要な背景となっている(第1章第2節3参照)。
こうした資本の流れの変化の背景には,各国の貯蓄投資バランス(国内の総貯蓄と総投資の差)の変化があると考えられる。つまり,国内の貯蓄投資バランスは,ある国から資本がネットで流出している場合(資本収支の赤字)には,貯蓄超過となっており,逆に,当該国へ資本がネットで流入している場合(資本収支の黒字)には,投資超過となっている。
まず,先進3か国の貯蓄投資バランスの変化を見ると,アメリカは,政府部門の貯蓄率(政府貯蓄/GDP,政府貯蓄=歳入一経常支出)が80年代,90年代を通じて低迷していることを主因に,投資超過となっており,恒常的にネットの資本輸入国となっている。ドイツは,80年代はネットの資本輸出国であったが,90年代に入るとドイツ統一のコストを賄うために財政収支が悪化し,貯蓄超過幅が縮小したことにより,ネットの資本輸入国に転じている。日本は,80年代は,歳出の抑制などの緊縮的財政政策や景気拡大による税収の増加によって政府部門の貯蓄率が上昇したことから,また,90年代は成長の伸び悩みによる企業部門の投資率(企業部門の総投資/GDP)低下から,それぞれ貯蓄超過が拡大し,ネットの資本輸出が拡大した(第3-1-5表)。
世界における資金還流において,投資収益率の低い国から高い国への資金の流れは,資源の効率配分をもたらす。しかし,アメリカは,貯蓄率低下により大幅な資本流入国となっている。アメリカのように,既に資本の蓄積が進み,限界的な投資収益が低い国に資金が流れ,東アジアや中南米などの旺盛な資本投資を必要としている新興経済への資金流入が滞ることは効率的な資金配分の妨げとなる。したがって,先進国の貯蓄不足の主因となっている財政赤字の削減が必要であり,特に,高水準にあり,今後更に拡大すると予想されているアメリカの財政赤字の改善が重要である。アメリカの政府部門においては,貯蓄率自体がマイナスとなっているため,歳出・歳入構造の抜本的な見直しが不可欠である(第2章参照)。
次に,90年代に入って著しいネットの資本流入が見られる新興経済のうち,東アジアと中南米の貯蓄投資バランスの変化を比較してみると,東アジアでは,貯蓄率の上昇を上回る投資率の上昇により,貯蓄超過幅が縮小したため,ネットで資本が流入した。他方,束アジアとは対照的に,中南米では,貯蓄率低下により,貯蓄投資バランスの貯蓄超過幅が縮小したため,ネット資本流入が拡大した(前掲第3-1-2図,ここで東アジア,中南米に含めた国は,同図の注参照)。
94年には,①先進国における景気回復・拡大によって民間部門を中心に資金需要の高まりが見られたことや,②アメリカの金融引締めに伴って途上国から先進国への資金の引き揚げが見られたことを背景に,先進国全体から途上国への資金流出が減少した。その結果,幾つかの途上国では,通貨や株価が下落するなど,マクロ経済が不安定化した。したがって,貯蓄率の低いメキシコなどの途上国においては,資金流入の変動によって自国のマクロ経済に大きなショックが生じないよう,海外資金に大きく依存した経済構造を改め,国内の貯蓄率を高めていく必要がある。そのためには,インフレ抑制・経済安定化によって民間貯蓄を促進するとともに,政府部門の歳出削減が不可欠である。
途上国へのネットの資金フローは,特に,80年代初めと90年代前半に拡大している。90年代前半のネット資金流入拡大期においては,①民間資金の流入拡大,②非債務性資金フローの拡大,③証券投資の拡大,④新興経済と呼ばれる東アジアや中南米への資本流入の集中,が特徴となっている。
長期的な観点から,途上国へ流入している資金の特徴を検討するため,70年以降の途上国への長期資本の流入動向(ここでは,途上国への外国資本の流入から,資本の引き揚げ,償還などを差し引いたもの)を見ると,90年代前半に入り,民間資金の流入が著しく増大していることがわかる(前掲第3-1-3図)。
80年代初めまで,途上国への資金流入は順調に拡大していた。このうち民間資金の占める割合は,70年代には途上国への資金流入の半分程度に過ぎなかったが,途上国への資金流入が拡大した80年代初めには,6割を超えていた。しかし,82年に発生したメキシコの流動性危機を契機に,中南米を中心に累積債務問題が顕在化したため,途上国への資金流入は全体として大きく落ち込み,80年代中頃まで停滞した。この間,民間資金フローが大きく落ち込む一方,公的資金フローが途上国への資金流入を下支えする構図となっていた。
停滞していた途上国への資金流入は,87年以降再び拡大に転じた。90年代に入ってからも,①先進国の金利低下,②東アジアの高成長持続,中南米でのインフレ沈静化・成長加速,東ヨーロッパの市場経済移行の進展により,国際金融市場で「新興経済ブーム」が起こったことから,途上国全体への資金流入が拡大し,特に93年には,途上国全体への資金流入が急増した。90年代前半においては,民間資金フローの拡大が顕著で,93年には,民間資金フローは,途上国への資金フロー全体の7割以上を占めた。他方,公的資金フローは,途上国への資金フロー全体に占めるシェアは低下しているものの,70年以降堅調な増加を示し,90年の湾岸危機に関連して急増した後は,横ばいで推移している。
なお,94年の途上国への長期資本の流入は,93年に比べてやや増加したと見られている。
また,90年代における途上国向け民間資金の受け手の構成を見ると,90年代に入って,民間部門が受け入れる比率が高まり,公的部門の受け入れ比率が低下している。70年代には,海外からの民間資金の受け手は,主に途上国の政府や公企業などの公共部門に限られていた。しかし,90年代になると,資本受入国の民間部門への資金フローが急増し,途上国向け民間資金フローに占める途上国の民間部門向け資金の比率は,90年の45%から93年には70%に高まった。
途上国の民間部門への資金の流れが拡大したのは,①80年代後半以降,直接投資が着実に増加するとともに,②資本市場の整備や国内民間企業の成長により,途上国の民間企業による債券や株式の発行が拡大し,途上国への資金フローにとって,証券投資が次第に重要な役割を果たすようになってきたことによるものである。
途上国向けの民間資金フローの形態別特徴を見ると,①民間資金フローの中心であった「債務性資金」の銀行借款が縮小する一方,90年代に入ると直接投資,株式投資といった「非債務性資金」フローが拡大している。また,②90年代に入ると,資金調達・運用手段の多様化を図るため,証券化が進展してお9,株式投資,債券投資の形態での途上国への資金フローが拡大している。
80年代初めの途上国向け民間資金フローの拡大期には,銀行借款が途上国への民間資金フロー全体の6割を占め,途上国への資金流入の主要形態となっていた。しかし,累積債務問題の顕在化により,80年代を通じて銀行借款の流入は停滞した。その後,再び資金フローが拡大した90年代前半には,直接投資,株式投資に加え,債券投資のシェアが増加し,銀行借款のシェアは低下している。直接投資は,80年には,途上国への民間資金フローの1割程度にとどまっていたが,93年には4割程度となり,途上国への民間資金フローの形態の中で一番大きなウェイトを占めている。株式投資は,80年代には,極めてわずかであったが,90年代に入ると急速に増大し,93年には民間資金フローの3割近くを占めている。債券投資も80年代には,そのウェイトは小さかったが,90年代に入ると増加し,93年には2割程度を占めている(OECDによれば,途上国の国際金融市場からの資金調達(債券及び銀行借款)のうち,ユーロ債及び外債による資金調達は,94年には,47.5%を占めており,85年の21.7%から急増した)。
民間資金フローは,経済改革の進展している東アジアや中南米の新興経済に集中している。途上国への資金流入が拡大した80年代初めと90年代前半を比較してみると,途上国への民間資金フローのうち東アジアの占める比率は,80年には16.2%に過ぎなかったが,94年には47.7%まで上昇しており,民間資金フローの東アジアへの集中度が一層高まっている(第3-1-6図①)。
89~93年の累計額における民間資金の流入額の多かった途上国の上位20か国を見ると,東アジアと中南米諸国に集中しており,これら上位20か国で,途上国への民間資金フロー全体の6割以上を占め,さらに,20か国の中には,東アジアの6か国,中南米の8か国が含まれている。このうち,中国,メキシコが民間資金フローの最大受入れ国となっていた(第3-1-6図②)。ただし,メキシコでは,94年から95年前半にかけて,大幅に資本流入が減少したと見られる。
94年の途上国への長期資金流入(公的,民間含む)は,93年に比べやや増加したとみられる。しかし,94年に入ってからのアメリカやヨーロッパ諸国の景気拡大に伴い,先進国の金利が上昇し,先進国と途上国との間の収益率格差が縮小したことから,途上国への証券投資は減少したものとみられる。特に,アメリカの資本流出入は,90年代に入って両建てで拡大していたが,94年には,資本流出が減少する一方で,資本流入が増加しており,アメリカの(グロスでの)資本供給国としての役割は低下し,資本需要国としての性格が強まった。
形態別に見ると,途上国向けの公的資金は微増となったとみられる。途上国向けの長期資金フローのうち大きなシェアを占める直接投資は,増勢を保った。途上国への民間銀行借款には大きな変化は見られない。直接投資に次いでシェアの大きい証券投資では,94年初めからの米国の金利上昇により,途上国から先進国への資金の引き揚げが見られ,また,途上国による債券発行も減少した。株式投資についても,幾つかの新興株式市場が,調整局面を迎えており,民営化による株式発行も鈍化している。証券投資形態での資本流入の減少は,東アジアに比べて中南米において顕著であり,中南米へのネットの証券投資は,自国資本が海外へ流出したこともあって,94年は急減した。
IMF“International Capital Markets”(95年8月)によれば,94年の途上国へのネットへの民間資金フローは,中南米を中心に証券投資の流入が大幅に減少したため,93年に比べ減少した。94年末に発生したメキシコ通貨危機を契機に,新興市場への投資リスクが再評価されており,95年に入ってからも中南米への資金フローは,債券の発行が大幅に減少するなど,7月までは停滞が続いていた。しかし,それ以降中南米への資金フローも回復しつつある。
このように94年以降の途上国への証券投資の減少は,先進国の金利水準の変動という途上国にとっての外的要因によって,途上国への資金フローに大きな変動が生じる可能性があることを示している。また,メキシコ通貨危機は,短期の証券投資の流入に依存した資本流入構造を持つ国においては,急速な資本の流出が生じらることを示した。そのため,途上国が海外からの資金の安定的な流入を図りつつ,成長を持続するためには,どのような政策運営をするかが,途上国政府にとって重要な政策課題となっている。
世界の資金フローを見ると,80年代は先進国間の資金の流れが中心であったが,90年代に入ると先進国から途上国への資金の流れが拡大している。なかでも,高い経済成長を遂げている東アジアへの資本流入が活発化している。ここでは,まず,東アジアに対する資金フローの特徴を概観し,東アジアへの資金フローがなぜ拡大しているのかについて検討する。また,近年拡大が著しい直接投資と証券投資について,その動向の特徴を明らかにする。
東アジア(統計のとれない香港を除く)へのネットの資金フローを,国際収支上の外貨準備を除く資本収支(誤差脱漏を含む)で見ると,東アジア全体としては,80年代,90年代を通じて(88年を除く)資本収支の黒字が続いており,資本流入超過となっている。80年代後半には資本収支の黒字幅が縮小したものの,90年代に入って黒字幅が急速に拡大している。このことから,世界経済の中で高成長が続く東アジアが,ネットの資金需要地域となっていることがわかる(第3-1-7図)。
東アジアの国・地域別の資本収支の動向をみると,80年代後半に韓国,台湾,マレイシアで赤字(資本流出超過)となった時期があったものの,90年代に入ってからは,台湾が常に赤字となっているのを除くと,おおむねすべての国で黒字となっている。
ただし,ある国が資本の輸出国か輸入国かを判断するには,資本収支だけでなく,外貨準備を併せて見る必要がある。資本収支に外貨準備を加えたものは,国際収支上,経常収支の額と等しいため,ここでは経常収支の動向を見てみる。アジアNIEsは,80年代後半以降,韓国を除くと経常収支がおおむね黒字となっていることから,韓国は資本輸入国であるものの,台湾,シンガポールは資本輸出国化していることがわかる。これは,台湾とシンガポールでは,通貨当局が外貨準備を大幅に積み増すことによって,資本を海外に供給しているためである。また,統計のとれない香港についても,経常収支が黒字とみられることから,資本輸出国となっていると考えられる。
なお,中国では,93年には,急速な経済成長に伴う輸入の拡大により,経常収支が赤字となったが,それを埋め合わせる形で資本収支黒字が大幅に拡大した。94年には,経常収支が黒字に転じたが,中国への資本流入が大幅に増加し,東アジア地域において最大の資本流入国となっており,外貨準備高が大きく拡大している。
東アジアへの資本流入が活発化している背景としては,次の点が挙げられる。
まず,資本の需要側の観点から見ると,①東アジア諸国が急速な経済成長を続けるなかで,設備投資やインフラ整備のための旺盛な資金需要が生じていることが挙げられる。東アジアでは,貯蓄率と投資率が共に高まるながで,投資が貯蓄をなお上回っており,不足する資金を海外から調達している。
また,資本の供給側の観点から見ると,②東アジアでは,インフレ率が低く,為替レートが安定しているなど,経済パフォーマンスが良好で,政治的安定度が高いため,他の途上国と比ベカントリーリスクが相対的に低いことや,③90年代に入って先進国の景気が低迷し,また金利が低水準にあるなかで,先進国における収益性の高い投資機会は限られており,高い成長を続け投資収益率の高い東アジアに先進国の投資家の資金が流れこんだこと,④80年代後半以降,東アジア各国で外資に対する規制緩和や金融・資本市場の自由化が進み,東アジア諸国の金融市場へのアクセスが容易になったこと,などが挙げられる。なお,⑤先進国の機関投資家などの国際分散投資の活発化によって,80年代に先進国に集中した投資資金が,新興経済に向かったことも一因と見られる。
世界銀行の“World Debt Tables”によると,東アジア地域全体への長期資本の流入(ネット)は,90年代に入って急増しているのと同時に,流入形態が多様化している。一般的に途上国において,直接投資,証券投資の流入が拡大する中で,東アジアでも,80年代半ばまでは公的融資(資本の出し手が先進国政府,政府機関である融資)の占める割合が大きかったが,80年代後半以降は直接投資の拡大が顕著であり,90年代に入ってからは証券投資が急増している(第3-1-8図①)。
東アジアへのネット資本流入全体に占める各形態のシェアの推移を見ると,民間銀行借款のシェアは,80年には62.2%を占めていたが,その後80年代後半には,大きく低下した(86~89年平均1.3%)。90年代に入ると,再びシェアが高まっているが,80年代初めの水準と比べるとかなり低い(90~93年平均15.0%)。一方,直接投資のシェアは,80年には10.3%に過ぎなかったが,80年代後半以降急速に高まり,80年代後半平均は51.7%,90年代前半平均は44.9%となっている。また,証券投資のシェアは,80年には2.1%にとどまっていたが,80年代後半以降拡大しており,80年代後半平均は11.4%,90年代前半平均は22.9%となっている。ただし,流入形態の変化は各国・地域で一様ではなく,以下のような特徴が見られる。
アジアNIEsでは,他のアジア諸国に先行して成長してきたことから,80年代後半には,既存債務の返済が進み,直接投資を除く各形態で資本流出超過となった。90年代に入ると,証券投資の流入が大きく増加したため,再び資本流入超過となっている(第3-1-8図②)。
ASEANでは,80年代以降資本流入超過が続いている。従来公的融資や民間銀行借款の比率が高かったが,80年代末以降,直接投資が大きく増加している。また,93年には証券投資が急増している。民間銀行借款は,80年代末以降,流入が続いていたが,93年には各国とも返済超過となった(第3-1-8図③)。
中国では,80年代後半以降,大規模なインフラ投資などによる強い資金需要のため,多額の資本が流入している。特に93年には,直接投資が前年比131%増となったほか,証券投資も急増しており,ネットの資本流入額は412億ドルに達している(第3-1-8図④)。
一方,中南米主要国を見ると,80年代後半には公的融資が流入する一方,銀行借款が大きく減少したことなどにより,ネットの資本流入は停滞していた。しかし,90年代に入ると,証券投資の流入が急激に増加するなど,ネットの資本流入が拡大している。また,直接投資については,80年代以降,比較的安定的に流入している。90年代前半の途上国への資金フロー拡大期においては,中南米では証券投資のシェアが高かったのに対し,東アジアでは直接投資のシェアが高かったことが特徴的である(前掲第3-1-8図①,⑤)。
東アジアの資本調達に占める民間銀行借款のウェイトが低下した要因としては,次の点が重要である。資金の受け手側の要因としては,①アジアNIEs(韓国を除く)では,貯蓄率が向上して経常収支が黒字に転じたことを背景として,既存債務を返済していることに加え,主としてアジア域内向けに新規の銀行借款を供与していることにより,銀行借款に関しては,ネットの資金の受け手からネットの資金の出し手に転じている(例えば,韓国でも,海外からの借入れを行うと同時に,過去の負債の返済やASEANなどへの借款の供与を増大させている)。②東アジア諸国の政府は,直接投資規制の緩和や,国内株式市場の整備などの株式投資促進策により,非債務性資金のパイプ拡大に努めている。
一方,資金の出し手側の要因としては,先進国の銀行が,債務危機以降,途上国への貸出しに慎重になるなかで,アメリカにおける不動産不況や日本におけるバブル崩壊などにより,銀行部門のバランスシートが悪化したため,先進国経済に比べて相対的にリスクの高い途上国への新規の融資を抑えることにより,資産の質の向上を図ってきたことが挙げられる。なお,88年に導入されたBIS加盟国の銀行に対する自己資本比率規制(いわゆるBIS規制)で,途上国向け債権のリスク・ウエイトが高く設定されたため,日本の銀行が含み益減少でBIS規制達成が厳しくなり,途上国向け借款を抑制したことも一因であるといわれている。
民間銀行融資がネットの資金フローに占めるウェイトは低下した。しかし,会社設立後の年数,利益水準,株主数などの上場基準を満たさないために,国際資本市場からの株式や債券形態による直接調達が不可能な企業や,国際的な資金調達を始めたばかりの企業にとっては,民間銀行融資は依然として重要な資金調達手段であると考えられる。
世界的に見て,資金の調達・運用手段の中心は,民間銀行借款に代表される間接金融から,債券,株式といった証券の発行による直接金融へと変化している。(注3-2)こうした証券化の流れは,各国金融市場における金融の自由化・国際化を背景に,80年代に入り,急速に進展している。金融の自由化・国際化に伴い,内外金融機関の間の競争,新たな金融商品の導入,企業情報の開示や格付機関の整備などが進み,証券化が進展する基盤が整備された。そのようななかで,より多様化する資金の運用・調達のニーズにこたえる形で証券が広範に利用されるようになった。資金調達者にとっては,自己のニーズにあった期間,額,形態の証券を発行することによって,より低いコストでの資金調達が可能になり,また資金運用者にとっては,自己の利益を最大化するような流動性,収益性,安全性をもった商品を選択することが可能になるなどのメリットが生じる。
東アジアにおいても,80年代に,シンガポールや香港市場において,90年代に入ってからは,他の東アジア諸国でも金融の自由化・国際化が進められ,各国の金融市場は,国際金融市場の影響を強く受けるようになった。それと同時に,東アジア国内の資金調達者は,高まる投資需要をファイナンスするために,また,資金運用者は,経済成長により蓄積された資産を運用するために,証券を活用したことから,東アジアの金融市場においても証券化が進展した。
80年代半ば以降,東アジアへの直接投資が増加している背景には,①東アジアでは経済ファンダメンタルズが比較的良好に保たれ,高成長が続いていること,②85年のプラザ合意以降の円高の急速な進行によって,日本の製造業企業が生産コストの低い東アジアヘ製造拠点を積極的に移転させたこと,③東アジアが経済成長を遂げるに伴い,アジアNIEsで自国通貨の増価や貨金上昇に伴う国際競争力の低下が生じ,アジアNIEs企業がASEANや中国への進出を拡大させていること,④成長を続ける東アジアの国内市場への販売を目的とした,製造業・サービス産業の直接投資が増加していること,⑤80年代後半以降,特にASEAN諸国を中心に外資規制の緩和が進んでいること,などが挙げられる。
こうしたことを背景に,東アジアヘ進出した企業の収益性は高く,東アジアへ直接投資を行なうインセンティブは強い。通産省が実施したアンケート調査により,90年代前半(90~92年平均)の日本の製造業部門の対外進出企業の収益性(売上高経常利益率)を地域別に見ると,北米▲1.1%,中南米▲0.03%,ヨーロッパ▲0.5%に対して,アジアは4.5%であり,アジアに進出した企業の収益性は他の地域よりも高くなっている。
東アジアへのネットの資金流入は,90年代に入って急速に拡大しているが,なかでも直接投資の形での資金流入が最も多く,同じく90年代に資金流入が拡大した中南米において,証券投資のシェアが最も高かったのと対照的である。
東アジアへの直接投資の特徴としては,①80年代後半以降,東アジア向け直接投資が急速に拡大しており,途上国への直接投資全体の大半を占めていること,②民営化関連の直接投資資金は,従来中南米に多く流入していたが,近年では,東アジア向け民営化関連投資が急増していること,③アジアNIEsやASEANでは,90年代に入り,投資環境の悪化(地代,人件費の上昇など)から投資受入れの伸びが鈍化する一方,中国やベトナムなど新しい投資先が台頭していること,④アジアNIEsは,ASEANや中国へなどの直接投資を拡大させ,近年では資本輸出地域としての性格を強めていること,などが挙げられる。
今後とも,直接投資受入れが継続的に拡大するためには,東アジア諸国が良好な投資環境を維持していくことがことが重要である。
世界全体の直接投資(グロス)において,先進国への直接投資のシェアが低下する一方,途上国への直接投資のシェアは拡大しており,80~84年平均20.7%から90~94年平均33.8%へと上昇している。また,金額で見ても,途上国への直接投資は,85年の110億ドルから94年の779億ドルへと7倍以上の増加となっている。
途上国への直接投資の地域別内訳(途上国向け直接投資全体に占める各地域のシェア)を見ると,85年時点では,東アジアのシェアは28%,中南米のシェアは38%と,中南米向け直接投資が東アジア向けを上回っていた。しかし,90年時点では,東アジアのシェアが42%,中南米のシェアが30%と,東アジア向け直接投資が中南米向けを上回った。さらに94年になると,東アジア向け直接投資は,途上国への直接投資全体め過半(55%)を占め,中南米向け(24%)など,その他の地域への直接投資を大きく上回っている。金額では,85年に31億ドルだった東アジア向け直接投資は,90年には111億ドル,94年には420億ドルとこの10年間で約14倍の拡大となっている。このように,80年代後半以降,東アジアへの直接投資は急速に増加しており,特に90年代に入ってからは,途上国への直接投資は東アジアヘ集中している(第3-1-9図)。
東アジアへの直接投資の拡大の一因としては,民営化関連の投資資金の流入の増加も挙げられる。民営化関連投資とは,世界銀行の定義によれば,受入れ国の公営企業の民営化に,少なくとも一部使用される投資資金である。ただし,民営化投資の一部は証券投資として計上される。すなわち,株式の10%以上を所有している会社の株式を購入する場合は,直接投資に分類されるのに対し,株式保有率が10%以下の会社の株式を購入する場合は,証券投資に分類される。
民営化は,中南米の経済改革において中心的な役割を果たしてきたが,東アジアでも,マレイシアやフィリピンにおいては,積極的な民営化政策がとられた。例えば,マレイシアでは,83年にマハティール首相が「民営化の指針」を発表して以来,財政負担の軽減,民営化による効率化,生産性の上昇を目指して民営化が進められた。85年のマレイシア航空の民営化に始まり,マレイシア国際海運公社,国家電力局など93年末までに70社余りが民営化された。また,フィリピンでは,アキノ前政権下の80年代後半以降,財政赤字削減を主眼として公営企業の民営化が活発化した。91年末現在で政府によって民営化を勧告された公営企業は301社にのぼり(うち部分的,または完全に民営化を実行した企業は216社),90年10月に3.2憶ドルで売却されたノノク鉱業会社を飴め,大型企業の民営化も目立っている。
従来,民営化関連投資は,主に中南米へ多く流入しており,88年から93年までの累計では168億ドルと東アジアの約3倍にのぼっている。東アジアで,これまで民営化関連投資が低迷していた理由としては,①東アジアでは,中南米などの地域に比べ,マクロ経済運営が良好で財政赤字も小さいため,財政赤字を削減するために公営企業を民営化するインセンティブが弱かったこと,②中国やベトナムなどの東アジアの市場経済移行国は,段階的な所有制の転換を進めており,東ヨーロッパ諸国やロシアで実施されたような公営企業の急速な民営化は行われていないこと,が挙げられる。しかし,93年には中南米向けの民営化関連投資が減少する一方,東アジア向けは92年の約2倍に急増し,中南米向けの額を初めて上回った(第3-1-10表)。
公営企業の民営化は,財政赤字削減に寄与するだけでなく,非効率な政府部門を縮小する一方,民間の活力を活用して,経済を効率化するのに役立つ。すなわち,民営化によって,政府の役割を医療や教育など政府でなければ提供できない財・サービスの供給に限定し,民間企業が実施できる事業をできるだけ民間に任せることによって経済を効率化することができる。また,民営化によって企業の効率化が促進されれば,その後の拡張投資や更新投資が期待できる。東アジアにおいても,今後,海外からの民営化関連投資が増加すれば,東アジア経済の効率化に寄与するものと考えられる。
80年代後半以降急増している東アジア向け直接投資も,地域別にその動向を見ると,投資対象地域が変化してきていることがわかる(第3-1-11図)。80年代後半には,まずアジアNIEs向けが拡大し,やや遅れてASEAN向けが拡大した。90年代になると,アジアNIEs向け,ASEAN向けは共に増勢を鈍化させていたが,94年には再び増勢を回復させた。中国向けは,90年代に入り,特に92年から93年にかけて急増したが,94年には中国経済引締めの影響などがら増勢が鈍化した。その他のアジア諸国への直接投資動向を見ると,近年では,ベトナムやインド向けが増加しており,特にベトナムでは,先進国企業に加え,アジアNIEsやASEANからの投資が増加している。
こうした直接投資の地域別動向の背景には,先進国やアジアNIEsなどの投資国が,直接投資対象国をシフトさせていることが挙げられる。80年代半ば頃,日本やアメリカは,まず,順調な経済成長を遂げ,インフラ整備が比較的進んでいたアジアNIEsへの投資を開始した。続いて80年代末以降は,投資対象国をASEANヘシフトさせ,その後90年代以降は,中国やインド,ベトナムへの投資を増加させている。また,日本やアメリカからの直接投資が先行して行われていたアジアNIEsでは,国内において,労働集約型産業からより資本・技術集約型産業へと産業構造の高度化が進むと同時に,80年代後半頃から安価な労働力を求めて,ASEANや中国などへの直接投資を急増させており,資本輸出国としての性格も強めている。さらに,近年では,ASEANから中国,ベトナム,インドへの直接投資の流れも見られる。
東アジアへの直接投資が拡大した要因には,前述したように(本章第1節2(2))様々なものが考えられるが,政策的な要因としては,東アジアにおいて,積極的な外資導入政策がとられていることが重要である。外資導入政策は,①外資の進出規制業種や出資比率の制限の緩和などの外資規制の緩和,②法人税など各種税の減免や,外資企業に対する輸出入手続きの簡素化などの外資優遇措置,に大別できる。
外資優遇措置は,アジアNIEsに比べ,直接投資受入れの拡大がやや遅れたASEANや中国において積極的に導入されてきた。しかし,過度の外資優遇措置を設けても,直接投資の受入れ拡大には直接的には結びつかないことも多く,結果として,外資優遇措置が税の減免による税収の低迷や,補助金の拡大による政府支出の拡大につながる可能性も考えられる。例えば,中国やマレイシアでは,海外からの直接投資のかなりの部分がラウンド・トリッピングであると考えられる。ラウンド・トリッピングとは,自国の外資優遇政策を享受することを目的として,第三国・地域に設立された本国企業の現地法人を通じて行われる投資である。外資優遇措置がラウンド・トリッピング(ラウンド・トリッピングの問題点についての詳細は付論参照)の形で悪用される場合には,本来企業が支払うべき税収が徴収できなかったり,補助金が支払われたりして,政府の財政に大きな負担となる。また,結果として資源配分が非効率となる可能性もある。
直接投資の受入れを継続させるには,投資受入れ国・地域において,外資規制緩和を進めると同時に,インフラ整備や労働力の質の向上のための教育の充実を図り,当該国・地域の経済のファンダメンタルズを良好に保つことが最も重要である。
直接投資は,銀行借款や証券投資と異なり,資本とともに経営ノウハウや生産技術などの経営資源の移転を伴うため,投資受入れ国の生産力を拡大するだけでなく,技術水準を向上させ,輸出の拡大や産業構造の高度化をもたらす。
また,進出した外資系企業との競争を通じて,国内企業の生産性が高まる。東アジア諸国が経済ファンダメンタルズを良好に保ち,今後とも直接投資の受入れが継続的に拡大すれば,東アジアの持続的な経済成長に大きく寄与すると考えられる。
東アジアにおける証券化の特徴としては,①東アジア諸国では債券市場が未発達な国が多く,その結果,国内金融市場における証券化は,株式が中心であったこと,②未発達な国内債券市場にかわり,国際金融市場におけるユーロ債や外債の発行によって対外資本取引の証券化が進んだこと,③東アジアの証券市場は,90年代に入り,急速に発展しているものの,依然市場に厚みがなく,豊富な資金量を持つ外国人投資家の影響を強く受けやすいこと,などが挙げられる。
今後,東アジアにおける証券化は,①先進国から東アジアへの証券投資フローの高まりだけでなく,②東アジアから先進国への証券投資フロー,そして③東アジア諸国間の証券投資フローの高まりという形で,一層進展していくことが予想される。
90年代に入ると,93年末にかけて,東アジア諸国への債券形態での資本流入は拡大したが,その中心は,東アジア諸国の企業による国際金融市場での債券(ユーロ債,外債)の発行によるものであった。ユーロ債とは,その債券の表示通貨の発行国以外の国々で発行される債券で,しばしば国際的なシンジケー
《コラム3-1》 ユーロ市場ユーロ市場とは,通常は,ある国の通貨で表示された資金をその通貨の発行国以外の国で取引する市場のことを指す。
ユーロ市場は,ユーロ・カレンシー市場とユーロ証券市場の2つの形態に大別できるが,ユーロ・カレンシー市場では,預金・貸出の形態で取引が行われており,ユーロ証券市場では,証券(ノート,債券,株式)の形態で取引が行われている。
ユーロ市場は,①各国の国内規制(例えば,準備積立義務)に縛られることが少なく,②市場の参加者も国際機関,各国政府,金融機関など多様であり,取引額も大きいこと,などから市場原理が働きやすく,きわめて競争的,効率的な市場となっている。
ユーロ市場の成立は,1950年代後半に,①イギリスが,ポンド危機に際して,為替管理を実施した結果,ポンドの代わりにドル建てでの貿易金融が促進されたこと,②ソ連・東欧諸国が,アメリカにある自国資産の凍結を恐れて,ドル預金をロンドン市場に移したことなどにより,ロンドン市場で米ドル建ての預金が増加したこと,が起源であるとされている。その後も,60年代には,アメリカが国際収支赤字に際して,ドル防衛策として金利平衡税を課したことにより,アメリカからヨーロッパヘドル建て債券の起債がシフトしたこと,70年代には,石油ショックに際して,OPEC諸国のオイル・マネーがユーロ市場を通じて経常収支赤字国へと還流されたこと,によりユーロ市場での取引が拡大した。また,80年代前半には,中南米における累積債務問題の発生により,途上国の投資主体のユーロ市場への参加が減少したものの,80年代後半からは,世界的な証券化の流れを背景にユーロ債市場が急速に発達したことを受けて,ユーロ市場での取引は拡大を続けている。
ト団によって複数の国々にまたがって募集される。例えば,ロンドンや香港で発行される米ドル建て債券はユーロ債である。また,外債とは,ある国の債券市場で,非居住者(外国企業,外国政府,国際機関など)によって,主に,その国の通貨建てで発行される債券のことである。例えば,東京市場で発行される米国企業の円建て債券(サムライ債と呼ばれる)やニューヨークで発行される日本企業のドル建て債券(ヤンキー債と呼ばれる)は外債である。ここでは,その動向を分析した後,国内債券市場の動向について見ていくことにしよう。
東アジア諸国は,90年代に入り,国際金融市場からの資金調達を活発化させているが,その中心は,民間銀行借款から債券発行に移行しつつある。東アジア諸国の債券による国際金融市場からの資金調達は,90年代に入り急増している。東アジア諸国のユーロ債と外債の発行額をみると,90年から93年にかけて,それぞれ7.7倍,9.4倍に急増した。また,東アジアによる国際金融市場での債券発行は,域内の債券市場での発行は少なく,主に先進国の債券市場とユーロ債市場で行われている(第3-1-12図)。
債券による資金調達が増大した要因を,債券を発行する東アジア諸国の側から見ると,①経済発展に伴い,東アジアの債券発行主体の信用力が高まり,国際金融市場へのアクセスが容易になったこと,②債券発行を拡大することは,資金調達手段の多様化により資金調達コストの低下につながるとともに,資金のアベイラビリティーを高めることから,東アジア企業が積極的に債券発行を活用したことなどが挙げられる。一方,債券を購入する側の要因としては,90年代に入り,先進国の金利が低水準で推移する中で,先進国の投資家が高利回りの東アジア企業の債券への需要を高めたことが挙げられる。
次に,東アジア諸国による国際金融市場での債券発行を形態別に見ると,国際金融市場での起債総額に占める転換社債の割合が急速に高まっており,90年の8.0%から,94年には19.3%まで高まっている。これは,90年代に入って,アジア諸国の株式市場が活況を呈していたことから,株価の先高感が強く,転換社債の起債コストが低かったためである。実際,このような債券の多くは償還されることなく,株式に転換されたものと思われる。
東アジア諸国の国際金融市場での債券発行は,主にドル建てで行われている。94年の東アジア諸国の国際的な債券発行総額(ユーロ債と外債)のうち,72.0%がドル建てであった。これは,①世界的に債券発行は主にドル建てで行われていることから,ドル建ての債券発行は,債券の種類,価格,期間などの条件面で幅広い選択が可能であることに加え,②東アジア諸国の通貨とドルとの連動が強いことから,為替リスクも小さいためである。実際,93年にはアメリカの金利が低かったため,ドル建てで債券を発行する東アジアの企業にとって,起債条件が極めて良かった。そのため,93年には東アジア諸国による国際的な債券発行は急増したが,94年に米国金利が上昇に転じると,その発行額は減少に転じた。
このように東アジア諸国による国際金融市場での債券の発行が拡大する一方で,東アジア諸国の国内債券市場は十分に発達しておらず,国内市場での債券発行は増加しているものの,依然その規模は小さい。
東アジア全体(台湾を除く8か国計)の国内債券市場の発達を,流通市場の規模で見てみると,90年に1,835億ドルだった市場が,94年には3,381億ドルヘと順調に拡大している。しかし,依然その規模は小さく,東アジア全体の国内債券市場の規模は,94年時点で,日本市場の約10分の1,アメリカ市場の約20分の1にとどまっている。
東アジア国内債券市場の発達が遅れている原因としては,①東アジア諸国の国内の金融市場においては,銀行貸出を中心とした間接金融が依然として優位にあり,国内証券市場で資金を調達できるような優良企業に対しては,国内銀行が低利で融資を行っていること,②東アジアの債券市場においては,債券の発行手続きが煩雑であること,③香港やシンガポールでは,財政収支が黒字基調で推移したことから,国債を大量に発行する必要がなかったため,日本のように国債の大量発行が債券市場の発達を促すということがなく,また,国債金利が他の債券発行の基準金利として機能しなかっため,債券の価格付けが難しかったことなどが挙げられる。その結果,国内債券市場は企業の資金調達の場として十分に機能してこなかった。
東アジアへの株式投資は90年代に入り,急速に拡大したが,以下では,①先進国による東アジア株式市場への投資と,②東アジア企業による先進国株式市場での株式発行について,その動向を見ていくことにする。(注3-3)
80年代後半以降,特に,90年代に入って,東アジアの株式市場は活況を呈している。各国の株価の推移をみると,香港,フィリピンを始めとして,多くの国・地域で,特に,93年初めから年末にがけて株価が急速に上昇している。また,この間,上場企業数も大幅に増加し,時価総額は飛躍的に高まった(第3-1-13図)。
90年代に入ってからの東アジアの株式市場の活況は,①高い経済成長によって拡大した国内の中所得者層が,株式投資を行ったことに加えて,②海外(主に先進国)から大量の資金が,発展途上でその規模のまだ小さい東アジアの株式市場に流入したことによるものである。
東アジアへの海外からの株式投資は,90年代に入り急速に増大し,90年の15.7億ドルから93年の180.0億ドルへと11.5倍に増大している。このように,東アジアヘ株式投資資金の流入が拡大した要因としては,世界的な低金利を背景として,外国人投資家が東アジア地域の成長性に注目し,その株式をポートフォリオの中に組み込んだことがあげられる。特に,投資信託の一種で,先進国で数多く設立されているカントリー・ファンドは,外国人投資家に対する規制の厳しい市場や,外国人投資家にとっては情報の乏しい市場への株式投資が容易にできる利」点があることから,それを通じた東アジア諸国への株式投資が高まっているものと思われる。カントリー・ファンドとは,特定の国もしくは,特定の地域の市場に投資することを目的とした投資信託のことであり,主に,先進国投資家が,途上国株式市場へ投資する際に用いられている。
一方,発行者の東アジア企業の側も,①株式は非債務性の資金であり,その発行は自己資本の強化につながるというメリットを持つこと,②東アジア地域では,国内債券市場が未発達であったこと,③東アジア地域の政府及び金融市場関係者が規制緩和に取り組むなど株式市場の活性化に努めたこと,などから積極的に株式の発行による資金調達を行った。
東アジアへの株式投資の特徴は,インカム・ゲイン(配当収入)が低水準であったにもかかわらず,株価の値上がりを見込んでキャピタル・ゲイン(譲渡益)ねらいの投資が行われたことである。90年初の東アジア諸国株の株価収益率(PER:PriceEarningRatio)は高水準であったが,東アジア企業の将来性の高さに基づく株価の値上がり期待は根強く,株式形態での資金流入が増加して,93年には更にPERが高まった。PERが高いことは,株式発行による資金調達コストが低いことを意味するため,更なる株式の発行を生み,またそこに向けて資金が流入するという循環で株式形態での資金流入が膨らんでいった(第3-1-14表)。
次に,東アジア諸国の国際的な株式発行(国外市場での株式発行)について見ると,90年初までは,東アジア諸国が,国外市場で株式の発行を行い,資金を調達するということは少なかった。92年以降,香港市場での中国企業の株式(H株)の発行や,アジアNIEsや中国の企業のニュヨーク市場への株式上場といった,東アジア諸国による国際的な株式発行は急速に増加しており,その規模は94年で78億ドル(IMF調べ)であり,国際金融市場での債券発行額(ユーロ債,外債)のおよそ3分の1の水準となっている。また,株式発行者の国籍別構成を見ると,韓国,シンガポール,香港,中国などの特定の国・地域の企業に発行が集中している。
これまで,東アジア諸国は,ネットの資金の受け手と考えられてきたが,近年,東アジアの一部の国は,他のアジア諸国や先進国に対して,グロスで資金の出し手となっている。特に,ネットの資本輸出国となっているアジアNIEsは,資本収支,公的決済収支をあわせて国全体として見ると,経済成長により蓄積された資産や高まった外貨準備を背景に,他の域内諸国や先進国に対する資金供給者としての役割を強めている。
東アジア諸国の外貨準備の推移を見てみると,89年に1,509億ドルだった外貨準備高は,94年には3,021億ドルにまで積み上がっている。東アジア諸国の政府・中央銀行は,外貨準備を主にドル建て資産で運用してきた。東アジア諸国にとって,主な運用資産である米国債への投資額の推移を見ると,89年にはわずか26億ドルだった投資額(ネット)は,94年には,172億ドルにまで増大している。特に,台湾,香港,シンガポール,中国の投資額は非常に大きい。
94年に入り,アメリカの金利の上昇により,アメリカと東アジアとの間の実質金利差が縮小したことは,束アジアへの証券投資フローに大きな影響を及ぼした。特に,国際金融市場における債券発行は,実質金利差の影響を強く受けることから,東アジアの債券発行は,著しく減少した(前掲第3-1-12図)。一方,株式投資についても,東アジア地域において,インフレ懸念から金融引締めが行われ,株価に高値警戒感が出たことなどから,株式投資資含の流入は鈍化した。その結果,3月頃には,株価も下落に転じ,東アジアの株式市場は調整局面を迎えた(前掲第3-1-13図)。
また,94年末に発生したメキシコ通貨危機は,東アジア地域にも影響を及ぼした。95年初に,東アジアの株価は一時的ながら更に下落し,国際金融市場における東アジア諸国の起債も更に減少した。95年半ばには,ほとんどの国において株価はメキシコ危機直前の水準にまで回復しているものの,投資家が信用リスクを警戒し,市場の選別を強めていることから,95年の東アジアへの株式形態での資本流入は更に鈍化しているものと思われる。債券投資に関しても,94年末以降,アメリカの金利が下落に転じたことから,実質金利差が東アジアへの債券投資を抑制する効果は小さくなっているものの,投資家は依然として慎重姿勢を崩していないとみられる。もっとも,長期的な視野で考えれば,投資家にとって,東アジアの成長性の高さは魅力的であり,東アジア諸国の側から見ても,根強い資金需要をファイナンスするために海外からの資金流入は欠かせないため,東アジアへの証券投資は拡大していくものと考えられる。
高い経済成長を続ける東アジアでは,旺盛な投資資金需要,国内金融資産の蓄積,国内金融制度改革の進展などを背景に,国内の金融市場が急速に発展している。
また,東アジアでは,各国が外資規制を緩和していることや,香港市場やシンガポール市場が国際金融センターとして急成長していることなどから,域内の金融統合(域内の資本取引の拡大と,それを通じた実体経済の結びつきの強まり)が進展している。
資金の調達や運用の手段も多様化しており,例えば,93年から94年にかけて急速に拡大したドラゴン債市場(東アジアで発行・募集され,東アジアの複数市場で上場されるユーロ債)は,資金供給国としてのアジアNIEsと,資金需要者としてのその他東アジア諸国を結びつける機能を果たしており,東アジアにおける新たな資金調達手段の一つとして注目を集めている。(注3-4)
以下では,まず,東アジア国際金融市場の形成とその背景を概観した後,成長著しい香港とシンガポールの金融市場の特色を比較・検討する。また,①東アジア域内の金融統合がどの程度進展しているのか,②香港市場とシンガポール市場が域内の金融統合にどのような役割を果たしているのか,について検討する。
東アジアにおける国際金融取引は,60年代後半以降,シンガポール市場,香港市場を中心としたオフショア取引(非居住者間の金融取引)主導で活発化してきた。(注3-5)東アジアでは,70年代にマニラ,80年代に東京,台北,90年代に入ってラブアン(マレイシア),バンコクでもオフショア市場が開設されるなど,国際金融取引の拡大に向けて市場整備が進んでいる。ここでは,東アジア国際金融市場の形成とその背景を概観し,香港,シンガポールの金融市場の特色を比較・検討する。(注3-6)
東アジアの金融市場の中でも,香港市場とシンガポール市場では,60年代後半以降,オフショア取引の拡大などから,国際金融センターとしての機能が高まっていった。両市場が発展した外的要因としては,①東アジアの高成長が続
オフショア市場とは,通常非居住者から調達した資金を非居住者に対して運用する(外-外取引)ための市場を意味する。
外-外取引のオフショア市場は,一般的に,①内外分離型(ニューヨーク,シンガポール,東京など),②内外一体型(ロンドン,香港など),③タツクス・ヘイブン型(バハマ,ケイマンなど)の3つの形態に分類される。この他,マニラ,ラブアン,バンコクなどの東アジアのオフショア市場は,外一外取引よりもむしろ外-内取引(外貨の取り入れ)が中心となっているが,これら市場も通常オフショア市場と呼ばれている。
内外分離型の市場では,居住者と非居住者間の取引を遮断し,外-外取引の勘定と国内市場取引の勘定を厳格に区別している(ニューヨーク市場のIBG勘定,東京のJOM勘定,シンガポールのACU勘定など)。そして,外一外取引の勘定における取引に対してのみ,預金金利規制,預金準備率,源泉徴収課税などの適用が免除されている。
内外一体型の市場とは,居住者と非居住者の取引が自由に行われている市場である。内外-体型の市場は,金融取引に関する規制がほとんどないために,国内市場において外一外取引が拡大する形で自然発生した。
タックス・ヘイブン型の市場とは,税制面での優遇措置があるために,租税回避を目的とした外-外取引の市場である。そこでの取引主体は,(金融面の記帳だけを行う)ペーパーカンパニーが中心であることに加え,市場規模も小さいことから,実質的な金融市場とは言い難い。
オフショア市場が発展する条件としては,①金融・税制上などの規制,制約が少ないこと,②通信・情報などの金融取引に関するインフラが整備されていること,③政治・経済が安定していることなどが挙げられるが,東アジア諸国においても急速な経済成長に伴い,②,③の条件を満たす国が増加してきた。また,オフショア市場の開設は,東アジア諸国にとって,①自国市場の資金調達・供給機能の向上,②金融技術・ノウハウの国内金融市場への移転,③税収や登録料などの政府収人の増加,④雇用の拡大等のメリットがあることから,束アジアでは,政策的見地から,新しくオフショア市場を開設したり,その活性化を図る動きが見られる。
いているため,域内でインフラ投資・民間設備投資などへの旺盛な資金需要と,金融資産の蓄積が見られること,②日本では,外為取引規制や資本取引規制など各種規制の存在や,オフショア市場開設の遅れなど,金融市場の国際化が遅れたため,両市場が東アジア地域で国際金融仲介機能を果たす余地があったこと,③90年代に入ってからは,先進国の機関投資家がアジア株式市場への投資を積極化させていること,などが挙げられる。また,内的要因には,香港,シンガポールでは,①資本取引や為替取引の自由化など,いち早く国際金融取引の規制緩和措置がとられたこと,②通信,運輸,優秀な人材などハード・ソフト両面でのインフラが整備されていたこと,③英語,英国法が普及していたこと,などがある。こうした外的要因,内的要因が組合わさった結果,東アジアにおける資金の運用・調達の場として両市場が発展した。
両市場には,東アジア周辺地域の経済状況やビジネス事情などの情報が集積されており,近年,先進国や東アジアの金融機関は,香港,シンガポールの拠点を拡充している。その結果,国際金融センターとしての両市場の役割はますます高まっている。
90年代に入ると,タイやマレイシアなどのASEAN諸国でも,金融市場の整備が進み,オフショア市場の整備,金利自由化や外国為替取引の規制緩和,新しい金融商品やサービスの導入,国内市場の対外開放などが行われ,東アジア各国で国際金融取引の拡大に向けての市場整備が進んでいる。ここでは,香港やシンガポールに続く,東アジアの国際金融市場の整備状況を,オフショア市場を中心に見てみよう。
マニラでは,76年にオフショア市場が開設された。マニラ・オフショア市場は,①外国銀行支店からなるOBU(Offshore Banking Unit,外国銀行と非居住者の窓口)と,②国内商業銀行からなる拡大外貨預金制度(居住者の窓口)から構成される。OBUでは居住者との取引は原則として禁止であるが,拡大外貨預金制度では「外-内」取引(非居住者から調達した資金を居住者へ融資する取引)が大幅に認められている。マニラ・オフショア市場の資産総額の内訳を見ると,88年頃からOBUの資産が次第に減少する一方,拡大外貨預金制度の資産は増加しており,93年末の拡大外貨預金制度の資産残高は,OBU資産残高の4.5倍となっている。主に香港やシンガポールから調達した資金の大半は,拡大外貨預金制度によってフィリピン国内居住者へ貸し付けられており,マニラ・オフショア市場は外資導入に寄与している。
80年代に入ると,84年に台北,86年に東京でオフショア市場が開設された。
台湾オフショア市場は,内外分離型の非居住者間取引市場であり,オフショア取引につき,法人税,営業税,印紙税が免除され,預金者には利子源泉課税が免除される。しかし,台湾では,外銀の進出や銀行業務内容についての規制が厳しいことなどから,市場の規模は小さく,94年末の台湾オフショア市場の総資産残高は,シンガポール市場のわずが6%程度にとどまっている。
東京オフショア市場(JOM:Japan Offshore Market)は,内外取引を厳密に区分した内外分離型(非居住者間取引)市場である。JOMは東京市場の国際化の一環として86年に開設された。JOMでは,JOM勘定の総資産残高に占める円建ての比率(円建資産比率)が次第に高まると同時に,シンガポールや香港への円建て貸付けが拡大している。現在のJOMの資産規模は,他のオフショア市場の資産規模に比べると,ロンドン市場には及ばないものの,ニューヨーク市場を上回り,香港市場と肩を並べている。JOMの資産残高の伸びの推移を見ると,86年の開設から90年までは,香港,シンガポールのオフショア市場の資産残高の伸びを上回って順調な拡大を続けてきた(86年末と90年末の各市場の資産残高を比較すると,JOM6.5倍,香港市場2.9倍,シンガポール市場1.6倍)。しかし,90年代に入ると,JOMの資産残高の伸びは,香港,シンガポール市場に比べやや伸び悩んでいる(同じく90年末と95年5月末の各市場の資産残高を比較すると,JOMl.3倍,香港市場2.5倍,シンガポール市場2.0倍)。JOMには,内外遮断の実効を確保するため,各種規制が存在していることが,JOMの伸び悩みの背景となっていると考えられる。例えば,銀行が非居住者へ貸付けを行なう際には,貸出資金が本邦外の営業活動に使用されることを確認する必要がある。
90年代に入ると,90年にラブアン(マレイシア),93年にバンコク(タイ)でオフショア市場が開設された。ラブアンでは「外一内」取引,「内-外」取引(居住者から調達した資金を非居住者へ融資する取引)とも認められ,バンコクでは,「外-内」取引だけが認められている。現段階では,両市場とも「外-外」取引よりも「外-内」取引が大半を占め,両国のオフショア市場は,海外からの証券投資資金や短期資金の取り入れに大きく貢献している。今後,マレイシアやタイでは,オフショア市場の育成を通じて,香港やシンガポールに流出していた自国関連の国際金融取引を自国市場において実施すると同時に,今後経済関係の拡大が予想されるインドシナ3国や中国への資金供給機能を高めようとしている。また,マレイシアでは,クアラルンプールを香港に次ぐ国際金融センターとして育成することを目的として,95年6月に金融市場自由化の法案を成立させた。95年中には金融先物取引市場が開設され,また96年にはクアラルンプール証券取引所の取引が完全自動化される。マレイシアやタイは,今後,国際金融取引の分野において,先発のシンガポールとの競合関係を強めていくと予想されるが,現在のシンガポールのハード・ソフト両面でのインフラ整備状況(経済・ビジネス情報や金融機関の集積,人材など)を勘案すると,当面シンガポールの優位は変わらないと思われる (コラム3-3:東アジア国際金融市場の競争力の「格付け」参照)。
香港,シンガポールでは,オフショア市場,外国為替市場が発達している一方,債券市場の発達が遅れている。また,香港では,株式市場の発達が,シンガポールでは金融先物市場の発達がそれぞれ顕著である。以下では,オフショア市場,外為市場,株式・債券市場などを合わせた国際金融市場としての香港市場とシンガポール市場を比較して,両市場の特色を明らかにしていこう。
シンガポールでは68年にオフショア市場が創設されて以来,また香港でも70年代初め頃からオフショア市場が順調に発展している(第3-1-15図)。90年代に入ると,東アジアで大型インフラ・プロジェクトへの融資が相次いだことなどから,両市場の規模は急速に拡大している。香港市場の資産残高(95年4月末)は,7,736億ドル(前年同期比23.8%増)となっており,東京市場の95年5月末の資産残高(7,731億ドル)とほぼ同じ規模である。また,シンガポールのオフショア市場であるACU勘定(Asian Currency Units,アジア・ダラー市場とも呼ばれる)の資産残高(95年6月)は,4,817億ドル(前年同期比15.4%増)と香港市場や東京市場の約6割となっている。
両市場の発展の経緯を見ると,シンガポール・オフショア市場が,政府主導で育成され,厳格な内外分離型市場であるのに対し,香港オフショア市場は,香港に進出した外資系金融機関が貿易金融業務を行なっていたことを背景に発展してきた内外一体型の市場である。シンガポールでは,オフショア貸付収益に法人税が課されていたのに対し,香港では,78年までは非課税であった(以
東アジアの国際金融市場は,それぞれどのような点に比較優位を持っているのであろうか。ここでは,スイスの民間調査機関,IMD(international Institute for Management Development)の“The World Competitiveness Report1995”に基づいて,香港市場,シンガポール市場と東京市場とを比較してみよう゛(IMDは,年に1回,世界の政治,経済,学界のリーダーが一堂に会する「ダボス会議」と呼ばれる政策フォーラムを主催していることで有名である)。このレポートでは,一国の競争力を示すと考えられる生産や教育などの指標や企業経営者への意識調査などを基に,各国の競争力を評価している。
まず,世界各国の総合的な競争力を見ると,1位のアメリカに続き,シンガポール,香港,日本の順となっている。金融ファクターの競争力に限ってみると,1位シンガポール,2位アメリカとなり,香港は4位,日本は6位である(3位はスイス,5位はオランダ)。
香港とシンガポールについて,金融ファクターの内訳を見ると,まず,香港市場は他の市場と比較して,①銀行の企業向け信用フローが円滑に行われている,②国内の資本市場が,外国企業に対しても,国内企業と同様開放的である,などの点で優れており,市場整備が進んでいると評価されている。
シンガポール市場が比較優位を持つ項目は,①インサイダー取引規制が厳格に行われている,②中央銀行が自国の経済発展を促進している,③金融機関の法規則が金融市場の安定にとって適切である,などの項目である。このように,シンガポール市場については,金融当局の金融行政に関する評価が高い。
また,香港とシンガポールの両市場が,東京市場に比べて比較優位を持つ点には,①国内の資本市場が開放的である,②金融市場の洗練度が高く産業発展に貢献している,③金融機関の自律性が高い,④金融仲介業に対する国民の信頼が高い,などが挙げられる。東京市場については,①株価収益率が高い,②民間銀行の一行当たりの平均貯蓄額が多い,などの点で比較優位を持っている(表1)。
この他,オフィス賃貸料などの業務コストについて比較してみると,オフィス賃貸料,赴任者の住居費については,香港,東京,シンガポールの順に高く,また,サービス業の人件費については,東京,香港,シンガポールの順に高くなっており,シンガポール市場が業務コスト面での比較優位を持っていることがわかる。香港のオフィス賃貸料は,92年後半より高騰し,95年1月時点では,東京の約1.5倍の水準となっている。人件費についても,最近香港では,中国返還を見越して,北京語教育が重視されているため,英語のできる人材が不足し,金融部門で働く高技能労働者の人件費が上昇している。シンガポールでも,人件費や業務コストが上昇しており,95年1月時点でのオフィス賃貸料は,香港,上海,モスクワ,メキシコ・シティー,東京などについで高い水準となっている(表2)。
降17%の課税,現在は16.5%)。一方,シンガポールでは,非居住者預金利子が非課税となっていたのに対し,香港では,83年までは10%の源泉課税が行なわれていた。そのため,多国籍金融機関は,70年代後半から80年代前半にかけて,資金調達をシンガポール市場で,資金運用を香港市場で行う傾向がみられ,「調達のシンガポール,運用の香港」と呼ばれる分業関係がみられた。しかし,80年代後半以降は,香港での税制変更もあり,シンガポール市場の調達市場としての優位性は薄れていった。
両市場の資産残高を見ると,ユーロ・ドル,ユーロ円などの短期資金の貸し借りによるインターバンク取引残高のシェアが高い。ただし,香港市場は,シンガポール市場と比較して,インターバンク取引によって取り入れた資金を,非金融部門へ貸し付ける役割を担っており,80年代後半以降は,香港は中国への貸出を拡大している。また,近年ではシンガポール市場においても,インドネシアやマレイシアとの経済関係の深まりを背景に,ASEANの政府系企業や多国籍企業向けを中心に,非金融機関向け貸付が増加しており,従来の分業関係は次第に変化している。90年代に入ってからは,両市場からインドやベトナムなど新たな融資先への貸出も拡大している。
香港市場,シンガポール市場とも,外国為替市場(以下,外為市場という)の市場規模は大きく,売買高が近年急速に拡大している(第3-1-16図)。95年4月の1日当たりの平均売買高は,シンガポール外為市場では1日平均1,054億ドル(92年4月調査時点から43.2%増加),香港外為市場では910億ドル(同49.1%増加)となっており,それぞれ,ロンドン(4,640億ドル),ニューヨーク(2,440億ドル),東京市場(1,614億ドル)に次いで世界第4位,第5位となっている。
シンガポール外為市場では,現在,ドル,円,ドイツ・マルク関連の取引が中心であり,自国通貨であるシンガポール・ドルの取引は全体の5.6%に過ぎない。シンガポール政府は,シンガポール・ドルの為替レートの安定を重視しており,非居住者へのシンガポール・ドルの貸出規制を設けるなど,シンガポール・ドルの国際化には消極的である。
一方,香港外為市場では,ドル絡みの取引きが全体の77.6%と大宗を占めている。ドルとの通貨別取引比率(95年4月)をみると,ドル対日本円(全体の28.7%),ドル対ドイツ・マルク(全体の25.2%)の取引が中心である。しかし,アジア通貨などで構成するその他通貨とドルとの取引比率は8.3%と,92年4月の3.9%から大きく上昇している。今後,香港と中国との経済関係が緊密化するにつれ,香港外為市場での人民元の取引も増えていくものと予想される。
香港,シンガポールの株式市場では,共に上場企業数や投資家層は拡大しているが,現在のところ,より規制が少ない香港の株式市場の方が発展している。香港の株式市場は,83年の銀行倒産の頻発や,87年10月のアメリカの株価急落(ブラック・マンデー)の波及による市場の混乱を経験したものの,その後は順調に拡大している。特に90年代に入ってからは,中国企業の香港株式市場への上場(いわゆるH株,95年9月現在15社が上場)や,外国人投資家による投資の拡大によって,市場規模は急速に拡大している。上場株式の時価総額(94年)で市場規模を見ると,香港市場は東京市場の約8分の1程度であり,フランクフルト,パリなどのヨーロッパ市場よりはやや小さいものの,シドニー市場を上回る規模に達している。香港市場は,中国企業の株式上場により今後更なる市場規模の拡大が予想される。
一方,シンガポール市場は,香港市場の約2分の1(東京市場の約16分の1)にとどまっている。政府は,発展が遅れている資本市場について,95年1月に資本市場育成策(厚生年金加入者による厚生年金の積立金を用いたアジア株や先進国株式への投資を一定範囲内で許可,一部投資信託収益の非課税化など)を実施している。
香港,シンガポールでは,共に財政状況が比較的良好で,国債を発行する必要性があまりなかったことなどから,株式市場に比べて債券市場の整備が遅れており,近年両国の債券市場は,徐々に成長しつつあるものの,韓国やマレイシアの債券市場よりも更に規模が小さい。債券の発行額(91年)を比較すると,シンガポール債券市場での発行額は,香港債券市場での発行額の約7倍であるが,香港の債券市場に比べ規模の大きいシンガポールの債権市場でも,その発行額は,韓国の債権市場の約11分の1にとどまっている。また,債券発行額のGDP比率は,シンガポール市場で17.4%,香港市場で1.3%である。
しがし,東アジア諸国における資金需要が強まるなかで,香港,シンガボールに限らず東アジア諸国の国内債券市場が不活発であることを背景に,東アジアでは,ユーロ債・外債市場も発達が遅れている。そのため,東アジアの発行体によるユーロ債・外債の起債は,大半がヨーロッパ市場やニューヨーク市場で行なわれている。
92年頃からアジアNIEs,中国,タイの企業は,欧米市場でユーロ債・外債の発行を急増させており,東アジアの発行体によるユーロ債・外債発行額は,90年の245億ドルから94年には2,513億ドルとなっている(東アジアの発行体によるユーロ債・外債の起債は,ドルでの発行が多く,94年の東アジア全体のユーロ債・外債発行額に占めるドルのシェアは72.0%,円のシェアは16.4%)。
金融先物市場については,84年にシンガポールでアジア初の先物取引市場であるシンガポール国際金融取引所(SIMEX;Singapore International Mone tary Exchange)が,次いで86年には香港で香港先物取引所が創設された。
SIMEXについては,①休日取引や取引手数料の引下げなどの実施,②シカゴ商品取引所との相互決済システムによる24時間ディーリング体制,③94年の日経300先物・オプションの導入を始めとする新たな金融商品(現在SIMEXには,通貨,金利,日本国債,株価指数,金,原油の先物13銘柄と,ユーロドル,ユーロ円,日経平均のオプション3銘柄が上場)の導入によって順調に発展してきた。しかし,SIMEXについては,①上場金融商品が先進国の株価指数や外国通貨の先物・オプション取引に偏り,自国の金融商品が取り扱われていないことや,②92年よりシカゴ商品取引所が24時間取引システムを導入したことから,従来補完・協力関係にあったシカゴ商品取引所との競合関係が強まっていることなど,今後の市場の発展にとっての懸念材料もある。
一方,香港先物取引所は,SIMEXに比べ整備が遅れており,金融技術,手法などの面で劣っている。現在,香港先物取引所には,ハンセン株価セクター別株価指数,香港インターバンク金利など先物6銘柄,ハンセン株価のオプション1銘柄が上場されている。しかし,ハンセン株価指数先物以外は魅力のある商品がなく,93年はハンセン株価指数先物,同株値オプション以外の取引実績はなかった。香港での先物取引が低迷している背景には,①87年にブラック・マンデーの影響で香港証券取引所が4日間閉鎖され,その再開直後に決済不能の先物契約が続出し,香港先物市場に対ずる投資家の信任が損なわれたこと,②商品の流動性が少なく,商品の価格変動が大きいこと,③市場への新規参入が停滞していること,などが挙げられる。
オフショア市場,外為市場,証券市場などを合わせた国際金融市場(ないし国際金融センター)として,香港市場は,シンガポール市場との比較で,次のような強みを持っていると考えられる。
①シンガポール・オフショア市場は内外分離型市場であるため,オフショア業務しか許可されていない銀行が多い(94年3月末時点,全銀行132行中,オフショア参加銀行83行)のに対し,香港オフショア市場は内外一体型市場であるため,オフショア業務と国内業務の双方に従事できる銀行が多い(93年10月時点,全銀行371行中,オフショア参加銀行366行)。
②シンガポールでは,71年に設立された中央銀行の役割を持つシンガポール通貨庁(MAS:Monetary Authority of Singapore)によって金融取引が管理されているが,香港では,従来から香港政庁の市場への介入はほとんどなく,金融取引はより自由である。
③香港の税制は,シンガポールより簡素で,税率は,シンガポールの法人所得税が27%であるのに対し,香港では16.5%と低率である。また香港では,原則として国外源泉所得は非課税となっており(シンガポールではオフショア業務に係る収益には10%の軽減税率を適用),オフショア業務の収益にかがる税率が低い。
④香港の株式市場には,香港上海銀行とテレビ放送会社の株式を除いて外国人持株制限がなく,為替管理,配当課税もないため,外国人投資家が参入しやすい市場となっている。
⑤香港では,高成長が続く中国との結びつきが強まり,中国との貿易金融業務や中国のインフラ整備などのための資金需要が大きい。
逆に,シンガポール市場は香港市場との比較で,国際金融センターとして,次のような強みを持っていると考えられる。
①香港は,97年の中国への返還を控え,現行の資本主義制度の維持や言論統制導入の可能性などの様々な政治的リスクを抱えているのに対し,シンガポールの政治的リスクは比較的低い。
②東京や香港に比べ,英語を話せる労働力が容易かつ安価に調達でき,オフィス賃貸料も相対的に安い。
③シンガポールでは,アジア・ダラー市場とも呼ばれるオフショア市場(ACU勘定)や,金融先物市場など,一連の金融市場の開発・整備を進めている。
④香港政庁が香港市場の発展を自由な競争に委ね,国際金融センターとして 育成するという政策を基本的にとっていないのに対し,シンガポール市場で は,シンガポール政府が積極的に市場育成策をとっている。例えば,シンガポ ールでは,コンピュータによる株式の完全自動取引システムが整備されている が,シンガポール政府は,コンピュータを利用するファンド・マネージャーの 誘致を積極的に行なっている。この他,インサイダー取引規制などの法規整備 も進められており,シンガポール市場の国際金融市場としての機能強化を図っ ている。
⑤シンガポールは,「成長の三角地帯」(シンガポール,インドネシア・バタ ム島,マレイシア・ジョホール州)や,ASEANへの資金供給地としての役割 を担っている。また,ベトナムやミャンマーなどのインドシナ諸国やインドと の金融ビジネスも積極化させている。
90年代のアジア域内において,ネットでの資金需要の強い国は,中国やASEANが中心となると考えられるため,これら地域を後背地にもつ香港市場やシンガポール市場は,①先進国などの資金供給国と,アジアの資金需要国との金融取引を仲介する市場,および,②自国内の余剰資金を東アジアの資金需要国へ供給する市場としての機能が,今後ますます強まっていくものと思われる。このような状況下で,各国は,国際金融市場の整備を進めているため,東アジアの国際金融市場は,互いに競合関係を強めると同時に,各市場の特色や比較優位を生かして,相互補完的な水平分業機能を発揮していくものと考えられる。
香港市場については,オフショア市場,外為市場,株式市場などで,今後中国ビジネス関連の金融取引の比重が高まり,華南経済圏の金融センターとしての性格が強まると予想される。97年の香港の中国への主権返還後は,上海市場との役割分担が求められる。上海市場は,現在中国政府によって株式市場(90年創設)を中心に整備が進められており,政府は,将来的には上海市場を国際的な金融センターとして発展させていく方針である。しかし,香港市場では,これまでの人材や金融インフラ,情報のストックが厚いため,当面香港市場の役割は大きいと考えられる。香港市場の今後の課題としては,現行の自由な取引を維持しつつ,銀行監査の厳格化やインサイダー取引規制の導入など,金融市場の法規制の整備を進め,市場の透明性と安定性を高めていくことが挙げられる。
シンガポール市場は,従来からの東南アジアの金融センターとしての役割を果たしつつ,「成長の三角地帯」へのファイナンス機能をより強めていくものと予想される。また,現在,シンガポールの外為市場においては,ほとんどがドル,円,マルクでの取引が行なわれているが,政府が積極的に推進しているOHQ(Operational Headquaters:外国企業の地域総括本部)構想を背景に,シンガポールをアジア地域における企業活動の統括拠点とする外国企業が増えているため,今後ASEANなどアジア通貨に対する需要が高まるにつれて,タイ・バーツなど域内決済通貨のシンガポール外為市場での取引額も増えていくものと考えられる。シンガポール市場の今後の課題としては,現行の通貨当局による適切な市場管理は残しつつ,多国籍企業の資産運用拠点として,金融先物市場などでの市場参加者の拡大と商品の多様化を進め,香港市場や他のASEAN市場との差別化を図っていく必要があると考えられる。
東アジアでは,高い経済成長が続き,資金需要が高まっている一方で,金融資産の蓄積が進んでいる。また,80年代後半以降,多くの国・地域で,外資規制の緩和や国内金融制度の改革が行われ,金融の自由化・国際化が進展している。こうしたことを背景に,東アジアの金融市場は発展し,東アジア域内の資本取引の拡大と,それを通じた実体経済の結びつきの強まり(金融統合)が見られる。東アジアの金融統合が進展している背景には,香港,シンガポールといった東アジア域内の国際金融センターの発展が挙げられる。
実際に,東アジアにおいて金融統合が進展しているかどうかを見る前に,①東アジア金融市場と国際金融市場の間の金利裁定が強まっているかどうが,②東アジア金融市場において国際資本移動は活発化しているがどうが,の2点について検証してみよう。これらは,直接的には東アジアの金融市場と国際金融市場との金融統合の進展を示すものであるが,各国の金融市場の障壁が低くなっていることを意味することから,間接的に,東アジア域内でも金融統合が進展していることを示唆するものであると考えられる。
金利裁定とは,各国市場間で金利差がある場合に,金利が低い市場がら高い市場へと資金が移動し,金利差が縮小することであり,金利裁定の働きによって資金の運用がより効率的に行われるようになる。金利裁定が強まると,東アジア金融市場と国際金融市場の間の金利の連動が高まり,東アジア金融市場が国際金融市場の影響を強く受けるようになる。つまり,東アジア金融市場の国際金融市場への統合が進展することになる。
金利裁定の成否を検証する場合,先物カバー付き金利裁定の成否をみることが多い。(注3-7)しかし,多くのアジア諸国・地域においては,先物為替市場が十分発達しておらず,先物カバー付き金利のデータは利用不可能である。そこで,ここでは,東アジア諸国の国内金利と,投資家にとって代替投資資産の収益率であるアメリカ金利,ユーロ市場金利(LIBOR),日本金利との間の,先物カバーなし金利裁定が強まっているかどうか見てみよう(第3-1-17表)。
①1980~84年,②85~89年,③90~94年の3期間に分け,それぞれの期間の東アジア金利(1+r)と為替レート変化を織り込んだアメリカ金利など,(1+r*)*Δe(Δeは,為替レートの変化率)の比をとり,その平均と標準偏差を求めた。ここで,平均が1に近づくということは,東アジア金利とアメリカなどの金利の間の金利差が縮小することを意味し,また,標準偏差が小さくなるということは,東アジア金利とアメリカなどの金利の連動が強まることを意味している。(注3-8)分析結果をみると,90年代に入り,香港,シンガポールなどの金利とアメリカ金利やユーロ市場金利との比率は1に近づいており,また,その標準偏差も,おおむねすべての国で低下している。つまり,金融の自由化・国際化の進展につれて,東アジア各国の国内金利と,アメリカ金利,ユーロ市場金利,日本金利との間で,金利裁定が強く働くようになっている。
先物カバーなしの金利裁定が成り立つための理論的前提としては,①投資家が危険中立的である,②国際資本移動が完全である,③為替レートの変化は完全予見できる,の3つの条件が必要である。近年東アジア諸国における海外との資金の流出入が拡大していることを考慮に入れると,上述の分析結果は,国際資本移動がより円滑に行われるようになっている(つまり②の条件が満たされるようになってきている)ことを示しているものと考えられる。特に,香港,シンガポール市場の金利と,アメリカなどの金利との相関の高まりは,両市場を通じた国際資本移動の拡大に伴い,両市場が国際金融市場に統合されてきていることを反映しているものと考えられる。
次に,国際資本移動が活発化しているか否かを,東アジア各国の貯蓄率と投資率の相関関係を見ることによって,検証してみよう。貯蓄率と投資率の相関関係が高い場合には,国内の投資の増加は,国内の貯蓄の増加でファイナンスされていることを意味しており,国際資本移動は不活発であると考えられる。逆に,相関関係が低いときほど,国内の投資のファイナンスが,外国資本により強く依存することになるので,資本移動は活発であると考えられる。(注3-9)
上述の金利裁定のテストと同様,3期間に分けて検証した結果を見ると,80年代前半には,東アジアにおける国内貯蓄と国内投資の相関関係は高かった(統計上,貯蓄と投資が1対1の対応関係にあったという仮説を棄却できない)が,80年代後半,90年代前半と金融の自由化・国際化が進むにつれて,(統計上有意に)低下している(第3-1-18表)。投資率や貯蓄率には成長率や人口構成など様々な要因が影響を与えるため,断定的なことは言えないものの,この結果は,80年代以降,東アジアにおいて国際資本移動が活発化しており,外国資本を活用して国内投資が行われるようになってきていることを示している。
銀行部門を通じた東アジアにおける金融統合の進展には,特に香港市場,シンガポール市場という2つの国際金融センターが大きな役割を果たしている。
国際決済銀行(BIS)よると,95年1~3月期に,BIS報告銀行(先進国の銀行)がアジアに対して行った銀行融資(フロー)179億ドルの60%近くが,香港市場とシンガポール市場にある現地法人などを通じて行われており,95年3月末時点でのBIS報告銀行のアジア向け債権残高3,067億ドルのうち,約5割が両市場を通じたものとなっている。ここでは,香港とシンガポールの銀行が,東アジアの資金フローに果たしている役割について見てみよう。
香港の銀行の融資は,従来香港向けが中心であったが,80年代以降,香港外向けのウェイトが大きくなっており,銀行融資残高に占める香港外向けの比率は,83年末の22.4%から,95年3月末では58.0%まで上昇している。また,資金調達でも,香港外からの資金調達の比率が高まっており,香港の銀行部門全体(邦銀の現地法人の一部を含む)のバランスシートを見ると,海外の銀行に対する負債が総負債に占める比率は,83年末の41.1%から,94年8月末には57.7%まで上昇している。
香港の銀行の対外ポジション(資産・負債構造)を見ると,負債側は,データの制約により最近のデータしかわからないが,94年8月末時点では,対外負債全体の91.6%が銀行間(インターバンク)取引によるものである。一方,資産側をみると,対外資産全体に対する非金融機関向けの比率は,80年代は低水準で推移していたが,80年代末以降高まっており,83年末の16.9%から,94年8月末では45.3%となっている。すなわち,香港の銀行は,資金調達のほとんどをインターバンク取引によって行っているが,資金の運用先については,80年代末以降,非金融機関向け取引の比重を高めている。
次に,地域別の対外ポジションの動向を見ると,負債側では,日本に対する負償の比率が非常に高く,香港の銀行は,邦銀から多額の資金を調達している。その大部分は日本の銀行による外貨建て預金(主としてユーロ円預金と言われている)である。また,近年では,中国に対する負債(中国からの預金など)が,80年代後半と比較して急増している。一方,資産側を見ても,日本の非銀行部門に対する資産のシェアが高いが,80年代末以降さらにシェアが拡大している。これは,特に80年代後半に,邦銀が,香港にある現地法人銀行を通じて,日本国内の日本企業に融資を行うこと(インパクトローン)によって,日本の非銀行部門への資産(貸付)が増加したことなどによるものである。また,日本に対する資産以外では,中国を中心として,東アジアに対する資産が増加している。このことから,香港の銀行にとって,東アジアは,アメリカと並ぶ主要な資金運用先となっていることがわかる。特に,インフラ整備や新規設備投資などのため,今後も資金需要が大きいとみられる中国にとっては,香港における資金調達機能の重要性が高まっていくと考えられる(第3-1-19図)。
シンガポール市場について,オフショア市場(ACU勘定:Asian CurrencyUnits)の動向をみると,シンガポールの銀行のACU勘定における資産・負債残高は,83年末から90年末にかけて約4倍近い伸びを示し,順調に成長した(第3-1-20図)。その後,91~92年には減少したものの,93年以降,再び増加している。シンガポールの銀行のACU勘定における資産・負債の取引相手別構成を見ると,負債側では,インターバンクでの調達が増加しており,総負債残高に占めるウェイトが高まっている(83年末75.8%→94年末80.1%)。一方,非金融機関からの預金受入れは,90年代に入って増勢が鈍化しており,総負債残高に占めるウェイトも低下している(83年末18.4%→94年末15.8%)。資産側では,非金融機関に対する融資残高が順調に増加しており,総資産残高に占めるウェイトも,80年代に比べて高まっている(83年末27.2%→94年末35.0%)。
こうしたことから,シンガポール市場では,海外の銀行からの調達比率が高まっており,一方,調達した資金については,銀行間運用のシェアが低下し,非金融機関向け融資のシェアが増加していることがわかる。非金融機関向けの融資が増加していることは,シンガポール市場が,ASEANなどの近隣諸国への金融仲介機能を高めていることを示している。
次に,東アジア市場(ここでは,香港市場,シンガポール市場,東京市場)におけるシンジケート・ローン(大口の資金需要に対して,主幹事銀行が融資に参加する銀行を募集してシンジケート団を組織し,協調して融資を行なう融資形態)の組成状況(93年実績)を見ると,香港市場での組成が,247億ドル(東アジア3市場で組成されたシンジケート・ローンの64%)と,シンガポール市場の91億ドル(同24%),東京市場の46億ドル(同12%)を圧倒している(第3-1-21図)。
香港市場では,中国向けのシンジケート・ローンが組成される割合が高い。
また,香港向けのシンジケート・ローンの中には,中国企業の香港現地法人に対するものが多数含まれていると考えられる。このことから,香港市場は,中国への大口融資の金融窓口としての機能を果たしていることがわかる。加えて,香港市場はアジアNIEs,ASEANなどへのシンジケート・ローンの組成でも重要な役割を果たしている。このように,香港市場が東アジアへのシンジケート・ローン組成の中心地となっている背景には,世界の主要金融機関が,①香港に進出していることや,②それらの多くが,東アジアの統括拠点を香港に置いていること,が挙げられる。
シンガポール市場では,組成されたシンジケート・ローンは,その大半がASEAN向けであり,ASEAN諸国に対する銀行借款の供与に重要な役割を果たしている。シンガポール政府は,税制上の優遇措置を設けるなどして,シンジケート・ローン業務を積極的に支援しており,こうしたことから,最近では,中国向けの案件も見られるようになっている。
東京市場は,シンジケート・ローン組成地として件数,金額ともに香港,シンガポール市場に比べ規模が小さく,93年の東アジア向けシンジケート・ローンは中国向け(7件),タイ向け(5件),台湾向け(1件)にとどまった。東京市場におけるシンジケート・ローンの組成件数・金額が他の2市場に比較して少ないのは,①日本国内において,シンジケート・ローンによる資金調達を必要とするような資金需要(例えば,発電所,道路など大規模なインフラ整備)が大きくないこと,②邦銀の資産規模が大きいため,ある程度大規模な案件でもシンジケート・ローンを組む必要がないこと,によると考えられる。
このように,香港市場,シンガポール市場は,シンジケート・ローンの組成地として,近隣の中国,ASEAN諸国などへの銀行借款の供給に重要な役割を果たしている。急速な経済発展を続けるこれらの地域では,今後ともインフラ・プロジェクトなどに巨額の資金需要が見込まれることから,資金調達の場としての香港市場,シンガポール市場の重要性が一層高まると考えられる。
近年は,企業活動のクロス・ボーダー化に対応し,日本だけでなくアジアNIEsやタイの金融機関も,中国やインドシナなど自国企業の進出が活発化する地域への拠点整備を積極的に進めている。一方で,日本に支店を持つアジアの銀行の数は,85年には18行であったが,93年には25行に増加しており,相互進出が活発となっている。また,東アジアで組成されるシンジケート・ローンでは,シンガポールや韓国,台湾系銀行といった東アジア諸国の銀行の参加実績が増えている。銀行国籍別に見たアジア向けシンジケート・ローンの年間契約額では,92年以降,日本を除くアジア諸国の銀行の契約額の合計が,邦銀の契約額の合計を上回っている。
東アジアにおいては,近年,東アジア域内諸国の間の直接投資のフローが増加しており,域内の経済的な相互依存関係が強まっている(第3-1-22表)。以下では,日本とアジアNIEsの東アジア向け直接投資の動向を概観する。
東アジア域内の経済的な相互依存関係の深まりは,日本の役割に負うところが大きい。日本の東アジア向け直接投資は,85年のプラザ合意以降の急速な円高の進展に伴って,アジアNIEs向けを中心に急速に拡大した。89年度のピーク時には,大蔵省届出ベースで81億ドルとなり,84年度の約5倍となった。その後,バブル崩壊を契機とする日本の成長の伸び悩みによって,90年以降,全体としての日本の直接投資額は急速に減少した。90年代初めには,アジア向けの直接投資も,アジアNIEs向けを中心に一時停滞したが,中国向けが拡大したこともあり,アメリカなどの東アジア以外の地域向けに比べ,東アジア向けはそれほど減少しなかった。92年以降は,円高の進行もあり,再び東アジア向けの増勢が回復している。従来,日本の対外直接投資は,アメリカ向けのシェアが大きく,東アジア向けのシェアは比較的小さかった。94年度は,依然アメリカ向けシェアが42.2%と最大であるが,東アジア向けのシェアは全体の23.6%を占め,ヨーロッパ向けのシェア(15.2%)を初めで上回った。
近年アジアNIEsは,他のアジア地域への資本輸出元としての性格を強めている。アジアNIEsからの直接投資について見ると,香港企業が,80年代後半より主に隣接の中国広東省への投資を,また,韓国や台湾企業が,88年頃よりASEANや中国向けの投資を拡大させている。これら地域への投資は,アジアNIEsにおいて,自国の通貨高や労働コスト上昇によって比較優位が低下した労働集約型産業が中心であったが,90年代以降は石油化学やインフラ・プロジエクトなどの大型投資や商業などのサービス産業向け投資も増加している。また一方で,日本やアメリカからのアジアNIEsに対する直接投資は,資本・技術集約的な高付加価値の製造業部門や,金融・保険,貿易業などのサービス業部門で増加しており,アジアNIEsにおける産業高度化の原動力となっている。
ASEANの直接投資受入れ動向を見ると,規制緩和の促進や昇資優遇策の導入など,国内の投資環境の整備が進んだことを背景に,80年代後半頃から,まずタイやマレイシアで,やや遅れてインドネシア,フィリピンでも,アジアNIEsから多額の直接投資が流入した。最近,ASEANには,域内のサポーティング・インダストリーを担う中小企業部門が多く進出しており,従来日本などからの輸入に頼っていた生産設備や原材料・部品などの供給を始めている。
東アジア諸国による国際金融市場からの証券形態での資金調達は,90年代に入り急増している。そうしたなかで,最近一部の東アジアの国・企業は,東アジア域内の証券市場からも資金調達を行うようになっている。シンガポール,香港,台湾といった市場におけるドラゴン債の起債や,香港株式市場における中国企業の株式(H株)の発行はその例である。
ドラゴン債の発行は,91年12月にアジア開発銀行(ADB:Asian Develop ment Bank)が,計3億ドルの起債を香港,シンガポール,台湾市場で同時に実施したのが始まりである。ドラゴン債の市場規模は,93~94年に急速に拡大した。91~92年は,ADBによる起債がそれぞれ1件づつ行われただけであったが,93年には計11件,総額29億ドルの起債が行われ,94年は,さらにそれを上回る額のドラゴン債が発行されたとみられる。急速に成長しているドラゴン債市場は,資金供給者としてのアジアNIEsと,資金需要者としてのその他東アジア諸国を結び付ける機能を有している。また,東アジアの資金需要者のみならず,東アジア以外の資金需要者にとっても新たな資金調達先となっている。
ドラゴン債の発行は,93年中頃までは,ADBを除くと,国際機関や多国籍企業などアジア以外の発行体によるものが多かった。東アジア以外の発行体が起債を行ったのは,東アジア市場は華僑の資金運用の場となっているため,発行体にとって資金調達の多様化が図れることや,これら発行体の東アジアでの知名度を向上させる,といった理由からである。94年に入ると,東アジアの発行体による起債もでてきた。東アジアの発行体にとっては,自己の知名度が高い域内の市場で資金調達を行ったほうが,調達コストを抑制できるというメリットがある。
95年に入り,メキシコ通貨危機などの影響から,ドラゴン債の起債は減少しているようである。しかし,東アジアの債券発行体は,東アジア市場と先進国市場で同時に債券を発行する形での起債を続けていると言われており,資金調達の場として,東アジアの債券市場は,今後も一定の役割を果たしていくものと考えられる。
今後,東アジアにおいては,発電,通信,運輸など様々なインフラ・プロジェクトのための資金需要が高まっていくと予想されており,その資金調達の場として,ドラゴン債市場への期待は高まっている。一方,創設問もないドラゴン債市場には,①流通市場が未発達で,流動性が不足している,②決済機関がアジアに存在しないため,取引が行ないにくい,といった問題点が指摘されている。こうした問題点が改善されれば,ドラゴン債市場は,東アジアにおける国際的な起債市場へと発展していく可能性を持っており,それは,株式市場に比べて発達が遅れている東アジア諸国の債券市場の発達にもっながるものと思われる。
H株(中国企業が香港市場において,外国人投資家を対象に発行する株式)の発行は,93年7月に青島ビールが,9.7億香港ドルの株式を発行したのが始まりである。その後も,上海石油化工,広州造船,馬鞍山鋼鐵といった中国を代表する企業が,次々と香港株式市場への上場を果たしている。
H株の発行は,中国側,香港株式市場側の双方にメリットをもたらす。中国側のメリットとしては,まず第1に,中国企業の資金調達手段の幅が広がることが挙げられる。中国国内は高成長に伴う高い資金需要から,資金不足が慢性化しており,海外からの資金調達能力を高めることが不可欠である。第2に,香港株式市場への上場は,中国企業の国際的知名度と信用を高める。H株の上場は,香港市場の上場基準,つまり国際的な上場基準の下で行われるため,上場する中国企業の実力が国際的に保証されることになる。第3に,香港株式市場への上場は国営企業の効率化を促す。中国製造業の特徴は,小規模企業が1つの産業に多数存在し,産業全体の競争力が弱いことである。香港株式市場への上場は,それぞれの産業の核になる企業の形成を促し,その企業を中心とした企業の再編や大規模化を促すことから,中国産業の競争力向上につながる。
一方,香港株式市場側のメリットとしては,第1に,優良な中国企業を市場に取り込むことによって,中国向けビジネスの窓口としての国際的な地位を強固なものとすることが挙げられる。第2に,香港株式市場の規模・幅の拡大である。中国企業の上場は,香港株式市場の時価総額を高めるとともに,不動産・金融関連企業の比重が非常に高い香港株式市場の上場銘柄の構成を,すそ野の広いものへと変えていくことになる。
このようなメリットから,今後もH株の発行は,活発に行われていくものと思われる。特に,中国では,遅れているインフラ整備のために多額の資金が必要なことから,インフラ・プロジェクトへの資金調達にも,H株が積極的に活用されていくものと思われる。また,今後は,香港市場に限らず,中国企業が海外市場へ上場する動きも活発になっていくことが予想される。