平成7年
年次世界経済報告
国際金融の新展開が求める健全な経済運営
平成7年12月15日
経済企画庁
第2章 アメリカの財政改革
アメリカでは80年代以降,財政赤字に歯止めをかけようとする制度的取り組みが幾度か試みられたが,十分な効果が上がっていない。このため,95年春には,財政収支均衡を憲法上で義務付けようという提案が議会で審議された(この提案は,下院では大差で可決されたが,上院では可決に必要な3分の2の賛成に1票足らず,議会を通過しなかった)。その後6月には,7年後の収支均衡を目指す予算決議が,10月には同決議に基づく財政調整法案が上下院で可決され,従来の制度改革で見送られてきた義務的支出の削減が大幅に盛り込まれるに到った。それまで財政均衡化に消極的だったクリントン大統領も,10年間で財政収支を均衡させるとの対案を6月に提示し,11月には,収支均衡の目標期限を7年後とすることについて,議会と基本的に合意した。本項では,財政収支均衡を目指すこうした動向を整理するとともに,今後の見通しについて考察する。
85年12月,財政収支均衡法(GRH法:The Balanced Budget and Emer gency Deficit Control Act of1985,通称グラム・ラドマン・ホリングス法)が成立した。この法律は,86年度以降各年度の財政赤字目標額を予め設定するとともに,施行5年後の91年度には均衡予算の達成を目指すもので,収支均衡の実現を目標とする初めての画期的な法律であった。
同法律では,赤字削減のための手段として,大統領に歳出項目全体にわたって一律削減命令を発する権限が付与された。一律歳出削減とは,年度当初の財政赤字見通しにおいて赤字見込み額が目標額を100億ドル以上上回ると判断される場合には,大統領の権限で歳出を一律に削減するという仕組みである。一律削減命令は強力な手段であったが,実際に命令が発せられたのは,85年と89年の2回に過ぎない。その主な理由は,一律削減の手続きが進められるのは当初見通しに基づいて赤字額が大きくなると見込まれる場合に限られ,年度に入ってから財政収支が当初見通しどおりに推移しなくとも当該年度中は何の措置もとられないという点にあった。こうした同法律自身に内包された「抜け穴」と,財政見通しが甘いものになりがちであったことがあいまって,GRH法の実効性は大きく削がれた。また,GRH法は,社会保障基金の収支を含めて財政赤字目標額を設定したこと,会計検査院に立法・行政府を拘束する権限を付与していたことなどの点でも問題を抱えた法律であった。87年には財政赤字削減目標年度の先送りや会計検査院の権限の見直しなどの改正が行われたが,赤字削減の実効性については不十分なままであった。
90年度に入ると,景気の後退や貯蓄貸付組合(S&L)の救済問題の発生などにより財政赤字は大幅に悪化した。そうした事態を打開するため,90年5月に,政府と議会による超党派の予算サミットが行われた。その結果,87年改正GRH法に更に修正を加える形で,90年包括財政調整法(Omnibus Budget Reconciliation Act of1990)が成立した。
90年包括財政調整法は,91年度から95年度までの5年間で予め定められた一定額の歳出削減を実現することを目的とし,新規立法による歳出の増加を抑制するなど,歳出抑制策をかなり具体的に規定した法律であった。特に,次の点が重要であった。①裁量的支出に対する一律歳出細減は,GRH法では年度当初の財政見通しに基づいてのみ行われていたが,年度途中においてでもその必要があれば行えるようになった。②義務的支出に対する一律歳出削減については,新たな義務的支出を設ける場合,または歳入減を伴う新施策を行う場合には,他の義務的支出の削減または他の歳入の増加が伴わなければならないとする「代替財源義務付け(pay-as-you-go)方式」を導入した。③財政赤字の目標値の設定には,積み立て過程にある社会保障基金は含まないとすることとした。
このように,90年包括財政調整法は,多くの点でGRH法の欠点を克服していたが,一方で,GRH法が掲げていた均衡予算の達成目標年度を,この90年包括財政調整法では設定せず(毎年度調整可能な総赤字限度額を設定),財政赤字の削減を目指す姿勢はかなり弱くなっていた。
93年1月発足のクリントン政権が発表した同年2月の経済対策を受けて,同年8月に93年包括財政調整法(Omnibus Budget Reconcilation Act of1993)が成立した。この法律は財政赤字削減に主眼を置き,一部投資促進も目的にしたものであるが,財政赤字削減については,基本的に90年包括財政調整法をベースに歳出抑制措置などを延長するとともに,個人所得税などの増税を実施することを主な内容とした。
財政赤字削減規模は,5年間で4,960億ドルとされ,歳出削減と歳入増でおよそ半分づつ賄うこととされた。歳出削減策は,90年包括財政調整法で設けられた裁量的支出の上限設定措置と,代替財源義務付け(pay-as-you-go)方式の98年度までの延長,およびメディケア・メディケイド支出などの抑制などによる。歳入増は,個人所得税・法人所得税・運輸燃料税の増税,高額所得者の社会保障給付に対する課税などによる。
93年包括財政調整法は,90年包括財政調整法の優れた点を取り込むとともに,政治的に反対の強かった増税措置を盛り込み,財政赤字を縮小に向かわせる現実的なアプローチがとられており,評価できる面が幾つか見られる。しがし,今後急増が見込まれる義務的支出を抑制するための措置がほとんど講ぜられていない点や,比較的租税を回避しやすい増税がなされており,十分な税収増が期待できないことが懸念されているなど,課題は依然残されている。
諸々の予算・財政制度の改正にもかがわらず容易に財政赤字が解消されそうにないことから(第2-2-1表),最近再び,憲法上立法府・行政府に対して財政収支均衡を義務付ける条項を設けるという制度改革が,議論されるようになっている。GRH法の前例が示すように,通常の法律だと比較的簡単に修正されてしまうが,憲法に均衡予算を義務付ける条項を盛り込んだ場合,簡単に変更できないので,財政赤字削減に向けた取り組みの実効性は高まることになる(憲法修正には,上下両院3分の2以上の賛成と4分の3以上の州議会の批准が必要)。94年11月の中間選挙で,共和党は95年に議会が取り組むべき課題10項目を掲げた「アメリカとの契約(Contract with America)」を選挙公約としたが,その中の第1の課題として,財政収支均衡を義務付ける憲法修正が位置付けられた。選挙では,共和党が地滑り的な大勝を収め,上院では8年ぶり,下院では実に40年ぶりに過半数の議席を占めることとなった。95年初めに新議会が召集されてから,共和党は公約通り「アメリカとの契約」の立法化を迅速に進め,収支均衡憲法修正案については,議会召集からわずか2か月の間に,上下両院において採決される運びとなった。
アメリカでは政府が借入れを行うことは基本的に認められるべきでないという考え方はかなり古くから存在し,合衆国憲法批准(1788年)から約10年後には均衡予算を義務付ける条項を盛り込む修正が検討されていたと言われる。また,19世紀半ばにはほとんどの州で州憲法に州財政の収支均衡を義務付ける条項が追加され,現在ではバーモント州を除く全ての州憲法が,財政収支均衡条項をもつようになり,それぞれ有効に機能している。しかし,連邦レベルで財政収支均衡の憲法修正が本格的に議論されるようになったのは,比較的最近のことである。議会で修正案が審議され投票にかけられたのは80年が最初であり,その後数度にわたり主に上院の委員会レベルで審議が行われたが,両院本会議で投票にかけられるまでに到ったのは,82年に一度あっただけで,95年が2回目のことであった。
95年春に審議・採決された憲法修正案の概要は,以下の通りであるが,基本的には86年以降審議されたこれまでの憲法修正案とほぼ同じ内容である。①大統領は予算教書において,歳出見込額が歳入見込額よりも大きくならないような予算案を議会に提出する必要がある。②議会もこの条件を満たした予算を成立させなければならない。③赤字予算を成立させるためには,両院でそれぞれ5分の3以上の賛成が必要である。④増税については,両院でそれぞれ絶対過半数(定数の過半数)の賛成が必要である。⑤均衡実施初年度は,2002年度もしくは州議会の批准が終了した翌々年度のいずれか遅い方とする。
均衡予算を義務付ける憲法修正への世論の強い支持を追い風に,下院では,ほぼ原案通りの内容が95年1月末には大差で可決された。しかし,その後上院では,3月初めの採決で,赤字削減の対象から社会保障基金を除外する旨の規定を盛り込むべきだとする民主党議員の反対があったことから,結局可決に必要な3分の2の賛成票に2票及ばず(ただし,ドール上院院内総務が同案の再提出権を留保するために敢えて反対票を投じているので,実質的にはl票差),憲法修正案は議会を通過しなかった。憲法修正については,憲法で義務付ければ赤字が減少するわけではなく,歳出削減などの具体策の検討がまず行われるべきだという見方や,財政赤字は削減されるべきだが,単年度で財政収支が均衡しているのが望ましいといえるかは疑問だという見方なども少なからずある (コラム2-2参照)。しかし一方で,各種世論調査などによれば,多数の国民が均衡予算を支持していることも事実である。そうした世論を背景にして,結果的には成立しなかったものの,憲法修正という手続き的には最も難しい制度改正を行ってまで,均衡予算を目指そうとする議論が大きな進展を見せたという意味で,95年前半の議会の動きは注目されるものであった。
憲法修正案は95年春に否決されたものの,均衡予算をめぐる議論はその後の議会で継続された。大統領への個別項目別拒否権の付与(議会から送付される歳出法案について,大統領が特定の項目のみに関し拒否権を発動できるようにするもの)などの審議が行われたが,議論のための多くの時間は96年度予算決議と,これを受けた財政調整法案の審議のために割かれた。予算決議とは,75年以降議会で毎年採択されている予算に関する議会決議で,予算審議対象の次年度から5年間程度の将来までの財政政策の基本方針と,それに基づいた財政見通しを内容とするものである。同決議は法的効力は有しないが,歳出・歳入法案はこの基本方針にしたがって審議されることから,予算編成において重要な役割を果たしている。議会共和党は,憲法修正案で目指した財政収支均衡の目標を,予算決議の中に盛り込む方針で審議を進めた。
そして,6月29日,上下両院は,2002年度までに財政収支均衡達成を目指し,大幅な歳出削減策を含む96年度予算決議を可決した(第2-2-2図)。その主な内容としては,次のようなものが挙げられる。①2002年度までの7年間で財政収支を均衡させる。②中間所得層に対する減税の規模は7年間で総額2,450億ドルとする。③医療・福祉の見直しと行政改革を行い,,7年間で総額8,940億ドルの歳出を削減する。④最大の削減対象である医療支出については,メデイケアを2,700億ドル,メディケイドを1,800億ドル削減する。
一方,クリントン大統領は,当初は共和党主導の財政均衡化へあ取り組みに対して批判的姿勢をとりつつも,議論への本格的関与を避け続けていたが,95年6月に入ってそれまでの政策スタンスを変更し,6月13日には,2005年度までの10年間で財政収支を均衡させるとの提案を行った。大統領案は予算決議と比べると,中間所得層に対する減税規模を小さくする一方で,メディケア,メディケイドなどの削減も小幅にしようとするものであった。
95年10月下旬には,予算決議に盛り込まれた赤字削減目標の具体化を図る財政調整法が上下両院で可決された。95年11月中旬には,これに反対する大統領と議会との間の対立で,連邦政府機関の一部機能が停止される事態などもあった。しかし,11月19日には大統領と議会の間で基本的な合意が成立し,大統領は,収支均衡の目標期限を2002年度とすることを了承し,議会は,医療・教育などの分野について「適切な予算措置を講ずる」ことを了承した。その後,同基本合意に基づいた調整が行われている。しかし,具体的な医療支出の削減幅など法案の詳細をめぐって,大統領と議会との間で厳しい交渉がさらに続くものと思われる。
94年秋以降の均衡予算をめぐる議論の盛り上がりを評価するに当たっては,各種世論調査に示されているように,均衡予算に対する支持が広く国民の間に存在しているという点が見落とせない。
均衡予算への支持が高いことの背景としては,次のような点が挙げられている。まず第一に,多くのアメリカ人が将来の(自分自身の老後や将来世代の)生活水準に懸念を抱くようになっているのではないかという点が挙げられる。
そうした懸念の強まりにより,将来世代に負担を残さないという規律を取り戻すべきだという主張に対する支持が高まっている(なお,合衆国建国以降世界恐慌までは,戦争ないし著しい不況の年以外は,連邦政府予算が大きな赤字を出すことはなかった)。また,連邦政府や既存政党に対する不信・不満が社会的に強まっていることが指摘されることもある。一つの端的な例としては,前回の大統領選挙で独立系のロス・ペロー候補が獲得した票数は,共和党のブッシュ前大統領の獲得票数の半数を上回ったが,共和・民主両党以外からの立候補者がそれほどの票数を集めたことは過去半世紀の間一度もなかったことであった。連邦政府や既存政党に対する不信・不満は,連邦政府の規模や活動領域の縮減を求める要求に繋がっていると考えられる。
現在,議会内の共和・民主両党と大統領が,そろって均衡予算を目指すという85年のGRH法以来の現象が起こっているとはいえ,医療保険制度を始め義務的支出の見直しには既得権益がからむため実現は容易でなく,国防費についても冷戦が終了したとはいえ地域紛争が絶えないのが世界の現状であることから大幅な削減は難しい。したがって,現在提案されているような7年後に均衡予算が現実のものとなる可能性は必ずしも高くないと言えよう。
しかし一方で,現在の財政改革論議が,80年代半ば以降のGRH法を始めとした諸々の予算制度改革の成果(例えば,歳量的支出の上限設定や代替財源義務付け)を踏まえた上で,義務的支出の抑制に焦点をあてて進められている点は軽視されるべきではない。財政赤字削減は困難な政策課題であるけれども,この課題に向けて10余年にわたって同じ議論の繰り返しが続いていたわけではなく,着実な進展が認められるのである。そうしたことを考慮すると,均衡予算に対する国民の支持の高まりを背景に,今後,中長期的に大胆な財政赤字削減が進められる可能性はあると見られる。
アメリカのエコノミストの多くは,現在の巨額の財政赤字が削減されることは経済的に見て望ましいと考えている点では一致しているが,財政収支均衡(財政赤字=ゼロ)を制度化しようとする取り組みに対しては評価が分かれるというのが現状である。大きく分ければ次のような3つの見方がある。
第1は,財政のスタビライザー機能(景気変動を緩和させる機能)を重視する立場である。これは,財政収支は景気循環に対応して変動するが,その変動は景気循環の振れ幅を小さくする働きを有しており,その点を積極的に評価すべきだと考える立場である。この立場からは,もし常に財政収支は均衡していなければならないとする場合には,財政の持つスタビライザー機能を奪ってしまうことになるので問題であると主張される。
第2は,政府の裁量的政策よりもルールを重視する新古典派経済学の考え方に立つ立場である。これは,財政赤字を例えば常に国民所得の1%以下とする―必ずしもゼロとすべきとはしていないがーというように政策ルールが決まっていれば,経済における大きな不確実要因が取り除かれることになり,その方が頻繁に政策変更が行われる場合よりも,経済にとっては望ましいと考える立場である。
理論的には,経済環境の変化に応じて最適と考えられる政策が裁量的にとられるよりも,初期の政策目標に合致した政策が一貫してとられた方が社会的な損失は小さいと主張される。
第3は,新ケインズ派と呼ばれる立場である。政府に景気変動をファイン・チューニングする優れた能力があるとは考えない点で第2の立場と見解は同じだが,固定的な政策ルールが良いとは考えず,経済環境の変化に応じてショックを相殺するような裁量的政策を限定的にとることが望ましいとする。この立場からは,GRH法の赤字削減目標についても,80年代末の貯蓄貸付組合(S&L)の破綻や90年代に入ってからの景気後退などの環境下にあって財政目標を変更することは必要なことであったと積極的に評価されることになる。
アメリカの社会保障制度は,1930年代に枠組みが整えられ,60年代に大幅に拡充された。その保障水準は,ヨーロッパの先進諸国などと比べれば低いものにとどまっていたものの,70年代半ば頃からインフレ高進と経済成長低下の中で,制度のもたらす負担の重みや歪みが意識されるようになった。
1980年代の共和党政権期になって,貧困層に対する公的扶助を中心に社会保障関連支出の抑制が図られたが,結果的にはその支出規模は緩やかに増大を続けた。そして近年,今後人口構成が高齢化するにしたがって,社会保障関連支出を始めとする歳出膨張圧力が,これまで経験しなかった高まりを見せることが確実に予想きれるようになる中で,抜本的な社会保障制度の見直しは,避けて通れない課題となりつつある。
本項では,現在制度改革の具体化が進展している医療・福祉制度を中心に,アメリカの社会保障制度の問題点と制度改革の取り組みを整理する。
アメリカの社会保障制度の第1の特徴としては,医療支出のウェイトが相対的に高く,その一方で福祉支出のウェイトが小さいことが挙げられる(第2-2-3表:福祉支出(welfare program)とは,一般に資力調査に基づいて貧困者を対象に実施される公的扶助制度による政府支出を指すことが多い。ただし,本章では,公的扶助のうち医療関連を除いた支出を指して用いる)。アメリカの公的医療保障は,給付対象が高齢者・障害者等と低所得者に限定され(前者はメディケア,後者はメディケイドと呼ばれる),対象範囲は全人口の2割弱にとどまるにもかかわらず,医療に係る社会保障給付の規模は,国民所得比で見て全国民対象の公的医療保障制度を有するヨーロッパ先進諸国や日本の規模を,やや下回る程度となっている(国民所得比:アメリカ4.9%,日本5.3%,イギリス6.3%,旧西ドイツ7.4%,フランス7.4%:90年度実績)。これは,後述するように,アメリカの医療費が国際的に見て群を抜いて高いことに起因している。また,アメリカの医療保障給付は,民間保険が主体となって行われており,社会保険の適用対象.を一部の人口に限定し,一般的な制度としていない点も,他の先進国と比べ大きく異なっている。
連邦政府の歳出総額に占める医療支出の構成比の推移を見ると,1965年に制度が発足して以降,一貫して拡大を続けてきたことが分かる。構成比は,70年から94年の間に約3倍に拡大しており,96年度には医療支出は国防支出を上回り,年金支払いに次ぐ大きな支出項目になると見込まれている。医療支出のウェイトが高い一方で,生活扶助などの福祉支出のウェイトは低い。また,福祉支出のウェイトは,アメリカは特にヨーロッパの先進諸国に比較しても低い。
これは,生活扶助などに対する社会的な許容水準が大きく違っていることによると言われている。医療・年金以外の社会保障給付の規模を国民所得比(90年度実績)で見ると,アメリカ3.5%,イギリス6.6%,旧西ドイツ6.9%,フランス17.2%となっている。
アメリカの社会保障制度の第2の特徴としては,公的な保障はヨーロッパの先進諸国ほど広範には実施されていないものの,その一方で,民間部門の保険やサービスが発達しており,公的制度を補完していることが挙げられる。91年における一般政府の社会保障関連支出(年金,医療,公的扶助,雇用,教育,住宅関連支出の合計)は11,650億ドル,GDP比20,5%となっているのに対して,民間部門の社会保障関連支出は7,564億ドル,GDP比13.4%にのぼる。分野別にみると,特に医療分野で民間部門が大きな役割を果たしているのが目立つ。総医療費のうち,公的支出によって賄われている部分は全体の半分以下に過ぎない(アメリカ45,7%,日本71.2%,イギリス84.4%,旧西ドイツ71.5%,フランス74.7%:1960-19900ECD Health Dataの推計による92年値)。
65歳未満人口の約4分の3が民間医療保険の被保険者となっており,また,65歳以上のメディケアの被保険者であっても,メディケアの給付範囲が限定されていることに対応して,約7割が民間医療保険を購入している。年金分野においては,企業年金が発達しており,従業員の約4割が企業年金に加入している。企業年金,自営業者年金,個人年金などの私的年金によって,高齢者世帯の所得の約10%が賄われている。また,福祉分野においては,非営利,営利ともに民間団体の果たしている役割が大きいが,特に営利組織によって,多くのサービスが提供されているのが特徴的である。
アメリカの社会保障制度の第3の特徴としては,アメリカ特有の人口動態が指摘できる。人口高齢化については,現在のところヨーロッパ諸国などと比べて高齢者人口比率は低いものの,2010年以降になって初めて高齢化が急速に進むと見られている。そうした事態を前に,既に他の先進諸国では経験されてきている,社会保障関連支出の膨張など,財政的な観点からの影響が縣念されるようになっている。また,人口高齢化の他に,近年移民の扱いが問題となっている。合法移民は基本的にアメリカ市民と同じ内容の社会保障を受けられることになっているが,移民は当初貧困であることが多いため,移民流入が大量になった場合には,彼らに対する社会保障給付を制限しようとする動きが生じることになる。
アメリカの社会保障制度は,1935年社会保障法によって,連邦政府が運営する公的年金制度の発足と州政府に対する公的扶助・失業保険への連邦補助金の整備が実現し,本格的に公的制度としてスタートした。その後,社会保障制度は,二度の大きな改革を経ている。
第1は,1965年のメディケア・メディケイドの創設である。1935年社会保障法の法案段階で,国民全体対象の健康保険を含めることも検討されていたが,医師団体の強い反対などにより実現しなかった。しかし,その後罹患率の高い高齢者だけでも保護するべきだとの認識が拡がり,1960年の社会保障法改正により,主に高齢貧困者を対象とする州営医療扶助への連邦補助金交付制度が成立した。これを契機に,さらにこの制度の対象外の人々との不平等の解消や,州の公的扶助負担の増加による連邦への負担肩代わりなどの要求が強まるようになり,健康保険創設の機運が高まった。そして,1965年改正により,65歳以上の高齢者全てを対象とする連邦直営の医療保険制度であるメディケアと,連邦の補助下で州が運営する医療扶助制度であるメディケイドが創設された。その後,70~80年代にかけては,インフレや貧困層の拡大に対応して,給付水準の引き上げや給付要件の緩和などが行われた。しかし,こうした改革は,高度な医療技術の発達を主因とする医療費の高騰とあいまって,医療に係る政府支出の拡大を招き,その結果,後述するように現在に到る新たな制度改革を求める動きにつながることになった。
第2の大きな社会保障制度改革は,1983年の年金制度改革である。この改革は,当時直面していた年金財政収支の悪化を回避するとともに,年金制度の成熟化と将来の人口高齢化を踏まえた上で,中長期的に財政的安定性を確保することを目的として行われた。「老齢・遺族・障害年金保険信託基金」の財政状況が極めて悪化していた(83年6月以降は給付支払いが不可能になると予測されていた)ことを背景に,改正案作成のために必要な政治的妥協は,比較的短期間に成立した。この改正により,社会保障税率の引き上げ,給付開始年齢の引き上げ(65歳→67歳へ),連邦政府職員などへの加入範囲の拡大などが実施された。その後,信託基金の収支は大幅に改善し,80年代末以降現在に到るまで,GDP比1%程度の黒字を計上するようになっている。
なお,社会保障法下の制度ではないが,民間年金基金を対象とした1974年年金改革法(ERISA法:Employee Retirement Income Security Act)の成立も,現在の社会保障制度体系を形作る重要な改革であった。それまで連邦政府は私的年金に対しては,税制上の優遇措置を設けるなどごく限られた範囲でしか関与していなかったが,私的年金が老後の所得保障に重要な役割を果たすようになるにつれて,保護・監督の必要性も広く認識されるようになった。1965年に私的年金制度に関する大統領の私的研究会が報告書を出してから10年を経て,年金運営の失敗や企業の倒産などから年金受給権を保護することを目的として成立したのが,1974年年金改革法であった。
他の先進諸国と同様に,アメリカにおいても人口高齢化が着実に進行している。今世紀初めには,65歳以上の高齢者はおよそ25人に1人の割合だったが,90年代には8人に1人の割合にまでなっている。1990年現在,総人口に占める65歳以上の高齢者の割合は12.6%(3,108万人)となっている。この割合は,イギリス(15.7%),ドイツ(14.6%),フランス(14,0%),スウェーデン(17.8%)などよりは低いが,日本(12.1%),カナダ(11.5%)などよりは若干ながら高い。また,アメリカの人口高齢化速度(65歳以上人口の総人口に占める比率が7%から14%に倍増するまでの所要年数)は,日本,イギリス,ドイツなどよりは遅いが,フランス,スウェーデンなどよりは速いと推計されている。
高齢者が絶対数においても人口比率で見ても増大している主な理由は,寿命の伸長と人口構成(1920年以前及び1950年代前後の年間出生数が多かったこと)に求められる。国勢調査局の高齢者人口の予測によれば,65歳以上の高齢者人口は1989年から2030年の間に2倍以上になる見込みである。なお,1989~2010年の間は高齢者人口の伸び率はやや鈍化するが,2010~2030年には高齢者の絶対数と総人口に占める割合は急速に高まる(第2-2-4図)。ベビーブーム世代(1946~64年生まれの世代)全体が高齢者層に入る2030年には,65歳以上高齢者の総人口に占める割合は22.9%(6,560万人)に達する。
このような人口高齢化が進む中で,現行制度に何ら変更がない場合,年金,医療を中心とする財政支出の大幅な増大は避けがたい。OECDの最近の分析(OECD Economic Out1ook No.57:95年6月)によれば,人口高齢化によりOECD諸国の財政状況は今後悪化することが予測されるが,アメリカは日本,イタリアに次いで大きく悪化すると見込まれている。OECD推計の前提条件となっている今後75年間の人口予測では,アメリカは高齢者人口比率(65歳以上人口の生産年齢人口に対する比率)は一貫して上昇を続けるが,最も高まる時期で40%程度にとどまるのに対して,他国は50~80%に達すると見込まれxている。それにもかかわらず,アメリカの財政状況の悪化が相対的に大きくなるのは,主に医療支出の増加のスピードが他国よりも高いと見込まれていることによる。
社会保障関連支出を賄うために運営されている信託基金(老齢・遺族・障害年金保険信託基金,入院保険信託基金,補完医療保険信託基金)の収支見通しを見ても,特に医療支出に関して財政的困難が予測されている(第2-2-5図)。メディケアのうち強制加入の入院費用保険(パートA)に充てられる入院保険信託基金は,今後一貫して支出が収入を上回り,2001年には支払い能力を喪失することになると見込まれている。また,老齢・遺族・障害年金保険支出に充てられる信託基金の収支は,現時点から2013年頃までは支出を上回る収入を得ると見込まれるものの,その後は支出が収入を上回るようになり,現行制度のままでは2029年には信託基金は枯渇すると見込まれている。
アメリカにおいては,社会保障制度に関して,社会保障基金の積み立てが不足した場合には,世代間の負担格差を拡大させる可能性があるという指摘のほか,次のような経済的な影響を指摘する主張がみられる。
第1は,社会保障制度と経済全体の効率性との関係である。所得保障や医療保障など,社会保障プログラムの中には,必ずしも公的部門が担わなければならないとは言えないものがあり,そうした領域にわざわざ官僚機構を介在させることは,非効率を拡大させることにつながるという見方がある。こうした見方は,例えば,最近の医療保障制度改革論議の中で,連邦政府が低所得者医療扶助(メディケイド)に関与するのは非効率であるので,プログラムを全面的に州政府に移管する,ないしは廃止すべきだとする主張の一つの理論的根拠となっている。
第2は,国民貯蓄率との関係である。社会保障制度が整備されるようになると,個人が貯蓄をする動機は弱められ,その結果,国民貯蓄率が低下するのではないかという指摘がある。こうした指摘は,これまでの実証研究において複数報告されている(A.Auerbach&L.Kot11koff“Simulating Alternative Social Security Responses to the Demographic Transition”(1985)など)。
第3は,労働供給との関係である。低所得者に対する生活扶助制度は,同所得層の労働力率を低めていると指摘されている(OECD Economic Surveys:United States1994)。この指摘は,すぐ後に述べるような観点とあわせて,最近の福祉制度見直しを求める声を強めることにつながっている。
人口高齢化とともに,社会保障制度,特に公的扶助との関連で看過できないのは,近年の移民流入の増加である。人口1,000人に対する新たに入国した合法的な移民の年間数は,1940年代0.7人,50年代1.5人,60年代1.7人,70年代2.1人,80年代3.1人,90年代(90~92年)5.7人となっている。90年代の水準は,今世紀中でも特に高い水準で,アジア人の入国を禁止する移民法改正(1917年)が行われるなど,アメリカ国内で移民規制の動きが強まった第一次世界大戦前後とほぼ同じ水準にまで達している。出身地域別には,近年は中南米とアジアからの移民が顕著に増加している。90年移民法改正時の論議などをみる限りでは,これまでのところ,再び移民制限を求めるような動きは出てきていないが,カリフォルニア,ニューヨークなど移民が集中している州においては,すでに移民流入は社会問題になりつつある(例えば,カリフォルニア州では94年に,非合法移民に対する教育・医療など公共サービスの提供を拒否するプロポジション187といわれる規則が成立している)。
このような移民の増大が社会保障制度との関連で問題を生じさせるのは,一般に移民の貧困率は高く,フード・スタンプ(低所得者に対する食糧切符扶助)や母子家庭手当てといった公的扶助に対する依存率も高くなる傾向があるためである。特に中南米出身のスペイン語系人口の貧困率は高く,1993年の統計によれば,貧困基準以下の年収の世帯数が全世帯に占める比率は,アメリカ全体では12.3%にとどまるが,スペイン語系人口のみでは27.3%と2倍以上の比率となっている。こうした移民が集中する州における福祉依存率(母子家庭手当てないし補足的保障所得を受給している人口の総人口に占める比率)は高くならざるを得ず,全米平均では7.6人であるのに対し,カリフォルニア州では10.7人,ニューヨーク州では9.0人となっている。当初貧しい移民が社会福祉に依存すること自体が直ちに問題視されるわけではないが,一旦福祉に依存するようになった者は自助努力を怠ることがしばしばであり,そうした状況を背景に,主に白人の中低所得層を中心に,福祉制度に対し不満を抱く人々が増えている。
クリントン大統領は,1992年大統領選挙での公約通り,医療保障制度改革を政権前半における国内政策の最重要課題として位置付け,93年から94年にかけて多大なエネルギーを傾注した。しかし,合意案を得るための調整作業は,94年10月の中間選挙目前まで続けられたが,結局不調に終わり,制度改革の課題は将来へ先送りされることとなった。
この間に行われた議論のなかで明らかになったことは,連邦政府の統制を強める形での国民皆保険の実現や,政府による医療サービス価格の抑制に対する支持は弱く,むしろ市場メカニズムに委ねることによって,医療サービスの質の改善と価格低下を促し,より多くの国民が保険を購入しやすい環境を整えていくのが望ましいとする考え方に対する支持が強いということであった。そうした緩やかに形成されたコンセンサスを踏まえながら,財政均衡化論議が高まる中,医療費抑制を中心として制度改革に向けた議論は,再び活発化しつつある。
アメリカの医療制度は,医療技術,調査研究の質の高さについては世界最高水準と言える。しかし一方では,国民全体を対象とする公的医療保障制度がないこともあって,以下のような問題も生じさせている。例えば,医療費の高騰は,連邦政府の財政赤字拡大の原因となっている。また,医療保障の本来の目的からすれば,保険による保障を受けられない人の存在は非常に深刻な問題である。これら医療保障をめぐるいくつかの問題は近年次第に悪化してきており,このため医療保障制度改革の必要性が強く指摘されるようになっている。
アメリカの医療制度の第1の問題点として挙げられるのは,医療費(公的・民間負担を含む総額)の高騰である。1人当たり医療支出は,1960年以降年平均4.6%で上昇し,これは1人当たり国民所得の伸びを大きく上回っていたため,医療支出が名目GDPに占める割合は60年の5%から92年には14%へ上昇し,OECD平均(8.4%)を大幅に上回っている(第2-2-6表)。医療支出の増加翠因を量と価格に分けてみると,メディケア・メディケイドが創設された60年代から70年代にかけては量の増加が主因となっていたが,80年代以降は価格要因の寄与が顕著な伸びを示すようになっている(93年大統領経済諮問委員会報告)。医療支出の名目GDP比は,先進主要国の中で最も高いものとなっているが,OECDの推計によれば,この差はやはり価格要因によるところが大きい(第2-2-7図)。そして,公的医療保障は人ロの2割程度しかカバーしていないにもかかわらず,こうした医療費の高騰に伴い,今や連邦財政の赤字拡大の最大の要因になっている。
アメリカにおいて特に医療費が高騰している理由としては,次のような点が挙げられる。①医療のような専門的な分野では,消費者は医療サービスや医療保険のコスト・パフォーマンスを的確に知ることが難しく,供給価格・量の決定はほとんど供給者に委ねられてしまう。アメリカでは他の先進工業諸国と違って,こうした状況を公的に監視したり抑制したりする仕組みが弱い。このため,民間医療機関間の競争的な環境の中で,高度な医療サービスが生み出されやすい環境が作られている反面,著しい医療費の高騰を招く結果となっている。②患者,医師,保険会社,政府は互いに費用を転嫁し合っており,コストを負担している意識が希薄であるため,費用を節約しようとするインセンティブが働きにくい。③医療保険制度が多様であることから事務経費が大きくなっている。
現行制度に変更がなければ医療支出は今後も増加を続け,アメリカ厚生省の予測によれば,医療支出のGDP比は2000年に18%,2030年に32%まで上昇するとみられている。医療支出の増加と,高齢者・貧困者に医療サービスを保障するための政府による移転支出の拡大は,前節で述べたように,将来の経済にマイナスの影響を与える可能性があるものと考えられる。また,医療費の高騰は,企業にとっても従業員に提供する民間医療保険料支払いの増大という形で重い負担となっており,アメリカ産業の競争力の低下や企業収益の圧迫を招く一つの要因どなっていると考えられる。
アメリカの医療制度の第2の問題点としては,政府・民問いずれの医療保険にも加入していない保険未加入者の人口割合の上昇が挙げられる。政府等公的組織を保険者とし全国民を対象とする強制加入保険制度が整備されているわが国や欧州諸国と異なり,アメリカでは高齢者,貧困者を除いて医療保障は基本的に民間保険に委ねられているため,保険を購入しない者,できない者が出てくる。医療費上昇による民間医療保険料の上昇や景気後退による雇用情勢の悪化などにより,保険未加入者は増加する。1980年代はおおむね好景気であったにもかかわらず,保険未加入者数は年平均2.5%で増加し,1992年現在約3,800万人,総人口の15%に達していると推定されている。保険未加入者は,病気が重篤になってはじめて救急治療室・診療所に運ばれ高額の治療を受けることが多く,こうした人々の治療にかかるコストの一部は未回収のまま膨大な額に上っている。
その他にも,次のような問題点が指摘されている。①無保険者などの治療にかかるコストを保険をもっている他の患者に対して上乗せ請求することが事実上行われており(cost shifting),このことが民間保険の保険料を必要以上に押し上げる要因となっている。②医療保険を夫うことをおそれて転職や自営業への独立を手控える労働者が増え(job lock),労働市場を硬直化させている。
③医療費を支払うことで資産を失い,経済的に破滅的な状況が訪れて初めてメディケイドの対象になるケースがみられる(spend down)。④保険会社は被保険者の病歴,年齢などに応じた保険料設定(risk classification)を詳細に行っており,病歴のあるものは保険料が高過ぎて事実上加入することができない。これらの現行の医療保障制度の問題点は,人々の社会生活全般に弊害をもたらすようになっている。
上記のような医療保障制度の問題点は,医療費高騰が著しくなった80年代初め頃から強く意識されるようになり,当時のカーター,レーガン政権下において,幾つかの改革が試みられた(付注2-4(1))。しかし,それらは基本的にメディケア・メディケイドの枠内での部分的な改革にとどまり,民間保険料の高騰や保険未加入者の問題を含めた抜本的な改革は先送りされた。そうした政策対応がとられたために,メディケア・メディケイドに係る政府支出はある程度抑制されたものの,その一方で,病院・医師はメディケア・メディケイド加入の患者の治療にかかったコストがしばしば十分に償還できないことから,かわりに民間保険加入の患者に上乗せ請求する,あるいは民間保険を購入していないメディケア・メディケイドの加入者の診療を拒否するといった事態が生じるようになった。
こうした状況を背景に,クリントン政権は,1935年社会保障法発足以来といわれる大規模な制度改革を提唱したのであった。1993年10月に明らかにされた医療保障法案(Health Security Act:以下クリントン法案)のポイントは,要約して言えば,国民皆保険と医療費抑制を同時に目指すということにあった(付注2-4(2))。1994年1月に始まった第103議会第2会期では,93年10月に明らかにされたクリントン法案の審議に多大な時間が割かれた。審議の争点は,政府による強制的な手段を講じてでも国民皆保険を実現することを狙ったクリントン法案に対して,政府による民間医療サービス市場への介入を極力排除するこどが望ましいと考える立場から反発する議会共和党が,クリントン政権と議会民主党側からどの程度譲歩を引き出せるかというところに集中した。
審議は難航したが,議会での成立に向けて民主党のミッチェル上院院内総務が調整役をつとめ,94年8月には,クリントン法案に比べ政府による強制を緩和した調整案を提示するに到った(付注2-4(3))。このミッチェル案に対しては,共和党中道派が歩み寄りの可能性を示すなど一時は合意成立が期待された。しかし,同案には支出増を賄うための増税が盛り込まれていたことなどから,94年10月の中間選挙が近づき模様眺めの態度をとる議員が増すにつれて調整は困難となった。そして,94年9月末には同会期中の改革実現は断念された。
医療改革が成功しなかった原因としては,クリントン政権の議会対策の未熟さが挙げられることが多い。しかし,そうした手続的な失敗を札さなかったとしても,改革の実現は容易でなかったとみられる。議会における修正経過を見ると,従業員の保険加入に対する企業の負担を義務付ける,あるいは中小企業や個人の医療保険共同購入組合への加入を義務付けるという強制的な措置によって国民皆保険を実現することに対する抵抗が,特に強かったことが分かる。
一方で,クリントン大統領は,92年大統領選から一貫して,国民皆保険の実現こそが最重要課題であるとする姿勢を崩さなかった。ミッチェル案は,連邦政府による統制を大きく緩和した案であったが,これによっても議会では妥協は成立せず,議会とクリントン政権の立場の隔たりはかなりあったと見なければならない。
もう一つの論点である医療費抑制については,国民皆保険に比べれば合意に近づいていたように見える。医療サービス市場の効率化を重視する考え方がより多くの支持を集め,保険料の伸び率の上限を設定することにより医療費の伸び率を抑える方式(クリントン法案は部分的にこの方式を採用していた)は反対された。また,保険料については,ミッチェル案では,直接的な規制によってコントロールしようとするクリントン法案のような考え方はとられず,保険料に対する課税により保険利用者のコスト意識を高めながら,医療プランの価格を抑制するという考え方がとられた。こうした手法をとることについては,かなり広範なコンセンサスが形成されたようであり,目立った反対は見られなかった。保険料の抑制方式についてコンセンサスが形成されたことの意義は,①医療費抑制のためにコントロールすべき対象は,個々の医療サービスの価格でなく,保険料(一定期間の総合的な医療サービスの価格を代表すると考えられる)とすること,②税制を活用しつつ市場メカニズムの働きによって保険料の抑制をはかるという方向が明らかにされたことにある。
クリントン大統領は,95年年初の一般教書演説の中で,引き続き医療保障制度改革の重要性を指摘しながらも,議会でクリントン法案が廃案になった経過を踏まえて,国民皆保険の実現には固執しないとする譲歩を見せた。一方,議会においても95年に入ってから,中長期的に連邦政府財政赤字の削減を図ろうとする動きが強まるなかで,増加率の最も高い医療関連支出を抑制するため,医療費抑制を中心として,再び医療保障制度改革をめぐる議論を活発化させようとする動きが強まっている。一度機を逸したため,当面改革を実現することは政治的に見て難しいだろうという見方は少なくないものの,これまでの議論を踏まえると,95年11月現在,政府による強制的な措置の導入が不可避となる国民皆保険の実現は困難となっているが,関係者の間で医療費抑制についての合意が成立する可能性は残されていると考えられる。
医療費抑制を中心として,医療保障制度改革をめぐる議論が,これまでの経緯を踏まえながら実現可能性のある形で進められるかどうかは,次のような点にかからている。
第1は,民間の医療保険市場で普及してきている管理型医療サービス供給(managed care:従来の出来高払い制に換えて,消費者,病院・医師,保険会社などの間の契約によって,消費者による医療供給者の選択や医療の質の評価などについて基準を定め,医療サービス供給側からの一方的な過剰診療をなくし,契約の範囲内で医療サービスが供給されるようにするシステムのこと)や,医療の質(特に診療の成果)と保険料の提示および消費者の選択を通じた価格競争(managed competition)を,国民皆保険のような大幅な制度改革を行わずに具体化できるかどうかという点である。第2は,メディケア・メディケイドの見直しだけに議論が限定されないことである。すでに80年代の改革努力の例に見たように,民間保険にしわ寄せする形でメディケア・メディケイドに係る支出を抑制しても,結局のところ現在の高い医療費の伸び率がさらに高まることにつながり,医療費高騰が続く以上,メディヶア・メディヶイドの増大は抑えられないからである。
これまで民間医療保険市場においては,高騰する保険料に被保険者が耐えがね様々な変化が起こってきた。最も大きな変化は,HMO(Health Mainte nance Organization),PPO(Preferred Provider Organization),POS(Point-Of-Service)などと呼ばれる管理型医療サービス供給が普及したことである。例えば,80年代に広まった管理型医療サービス供給であるHMOは,消費者と保険会社・医師・病院との間で定額・前払いの契約を結び,前払い料金の中で疾病にかかった時の治療や定期検診,健康増進サービスなどの包括的サービスを受けるというシステムである。過剰診療によるコスト増は供給者である病院・医師が負担することになり,医療機関側にコスト節約のインセンティブが強く働くことになる。
管理型医療サービス供給の普及により,過剰診療が減少し,事務処理経費などが節約されるようになると,医療支出は量・価格の両面で抑制されることになる。例えば,HMO登録者数が全米で最も多い西部地域では,実質医療支出の伸びが他の地域よりもかなり低い(80~91年の年平均伸び率は全米4.5%に対して,西部地域は3.4%)。また,医療サービス価格の上昇率は近年やや低下しているが,その要因としては管理型医療サービス供給の普及が相当程度寄与しているという見方も多くみられる。医療サービス価格の上昇率は依然として一般の物価上昇率をかなり上回っているものの,80年の年率10.9%,90年の9.1%から,93年には6.0%,94年には4.8%まで低下している(第2-2-8図)。
こうした民間保険市場における変化に対し,政府管掌の保険制度は,メディケアパートAについては定額制を導入するなどしているが,管理型医療サービス供給との制度的な隔たりは大きい。そのため,民間保険料への上乗せ請求(cost shifting)や事務経費の無駄が生じ,さらに医療費が高まっている。民間の医療供給体制はもはや管理型医療サービス供給が主流となっており,医療費抑制を図るため,今後何らかの方法で両者の調和を図っていくことが課題とされるようになっている。管理型医療サービス供給の普及を前提とすれば,今回の改革案の中にも見られたように,税制を活用しながら効率的に保険料を抑制していくといった積極的な措置を講ずる余地も生じてくる。
医療の質(特に診療の成果)と保険料の提示および消費者の選択を通じた価格競争(managed competition)に沿った制度改革は,他の先進諸国に比べ突出して高い医療費の水準を引き下げるほどの効果は期待できないものの,医療費の伸びを緩和するための一つの選択肢と考えられている。そして,これまでの議論の経緯からは,多くの関係者の支持が期待できる実現可能性の高い改革案だとみられる。ただし,財政均衡化論議が結論を急ぎ過ぎる展開になった場合には,メディケア・メディケイド支出の削減にのみ関心が置かれ,結果的に医療費の適切な抑制を図るためには不十分な制度改革が行われるのみで終わってしまうことも考えられる。
福祉制度と年金制度の改革は,ともにレーガン政権下で取り組まれた課題である。しかし,福祉制度改革は,連邦政府から州・地方政府に対する補助金の見直しがほとんど行われなかったため,十分な成果を挙げなかった。現在進められつつある改革は,かつての失敗を克服しようとしている。また,年金制度改革については,1983年に抜本的な改正が行われたが,その後の財政見通しの悪化を踏まえ,中長期的な視点から見直しを進めようとする動きが出てきている。
アメリカの福祉制度は,社会保険制度とともに連邦社会保障法に規定される諸々の所得維持プログラムからなっている。社会保険制度が各自の保険料拠出を財源としているのに対して,福祉制度は政府の一般歳入を財源としている。
また,社会保険制度が貧困か否かを問わず支給されるのに対して,福祉制度は一般に貧困者に対してのみ支給される。福祉制度には,①低所得で資産のない老人,盲人,障害者を対象とする補足的保障所得(SSI),②母子家庭手当て(AFDC),③低所得世帯の栄養改善を目的とする食糧切符扶助(フード・スタンプ),④低所得世帯に対する医療扶助(メディケイド:医療関連支出として前項でも取り上げたが,受給者個人の拠出を伴わない政府からの移転支出である点では,公的扶助の範嗜に入るので,本項でも若干言及する)などがある。
福祉プログラムは,かつてはもっぱら州・地方政府の事務であった。1935年社会保障法成立以降,連邦政府の役割が大きくなり,連邦予算に占める福祉支出の割合も大きくなった。現在も州・地方政府はそれぞれの財政事情などに応じて現金給付,現物給付などを行っているが,母子家庭手当てやメディケイドなどは,連邦政府からの補助金に大きく依存してプログラムが運営されている。現状では,州・地方政府の福祉支出のうち50~55%が連邦補助金によって賄われている。
福祉支出は,近年大きく増加している(前掲第2-2-3表)。1960~70年代にかけて増加した後,80年代の共和党政権下,その伸びは抑制されたものの,90年代に入ってからは再び伸びが高まるようになっており,連邦政府の福祉支出(メディケイドを除く)は,85年から94年の10年間に倍増している。公的扶助の受給者の特徴を見ると,老齢貧困者が減少している一方で,母子世帯が増加していることが先ず挙げられる。また,人種間の受給率の差が大きいことも指摘し得る。母子家庭手当てを受給している世帯の総世帯に占める割合を人種別に見ると,白人世帯は2%,ヒスパニック世帯は9.7%,黒人世帯は15.5%となっている(88年実績)。このように,福祉支出の動向は,人種別の人口動向と関わりをもっており,そして近年の中南米からを中心とする移民流入の増加は,福祉支出を拡大させる圧力を強めているとみられる。
最近の複数の世論調査結果によれば,多くの国民が赤字削減対象として福祉支出を1番ないし2番に挙げられる。その背景として,特に近年受給者が増加している母子家庭手当てを例に指摘されていることとしては,以下のような点が挙げられる(第2-2-9表)。第1は,現行の福祉制度下においては,安易に福祉に依存する人々が増えているのではないかということである。実際,母子家庭手当ての受給者となった者のうち約3分の2は一旦受給の必要がなくなっても3年以内には再び受給するようになっており,また約4分の1は延べ10年以上にわたって受給することになっている。第2には,母子世帯による母子家庭手当ての受給が,かえって未婚の母の増加を招いているのではないかということである。
そうしたことから,現行の福祉制度に対しては,以下のような観点から強い批判が出されるようになっている。①受給資格要件が寛大に過ぎ,そのため福祉依存体質の貧困層を生み出し,貧困者自身のためにもなっていないとの見方。②一部の富裕層を除けば,中間所得層の人々も実質賃金の低下を被り,経済的な豊かさを感じられない状況が続いているのに,福祉依存体質の者に対して受益が手厚くなっていることに対する反発。③伝統的な家族のもっ良さを保持するためにもこうした制度はできるだけ限定的に運用されるべきだという考え方。
社会福祉制度の運営は,基本的に州・地方政府に任されていることもあり,91年11月のミシシッピー州知事選挙での福祉政策論議をきっかけとして,90年代初め頃から福祉改革に関する議論は州政レベルで活発化するようになった。
上述のような現行の福祉制度に対する社会的な批判は,そうした議論のながで次第に明確になってきたものである。
クリントン大統領は上述のような世論の動向を見極めながら,福祉政策を積極的シこ推進する民主党リベラル派とは一線を画する政策スタンスをとり,福祉制度改革を政権の公約の一つとして掲げた。一方共和党は,従来から基本的に福祉制度は必要最小限とすべきとの立場をとっていた。94年6月,クリントン政権は福祉制度改革案を発表した。同年は医療保険改革の方に焦点が当てられたこともあり,この改革案は事実上廃案の形となったが,同年秋の中間選挙において共和党側が選挙公約(「アメリカとの契約」)の1項目として抜本的な福祉改革を取り上げたことから議論は再び進展をみた。
共和党案は,連邦政府の40以上の福祉プログラムを廃止し,代わりに使途を細かく特定しない一括補助金を州に交付することで州に権限を委譲するとともに,補助金総額を抑制し,5年間で約660億ドルの連邦歳出を削減するというものであった。
この共和党案の中では,具体的に,次のような提案がなされた。①現行福祉制度の現金給付プログラムの中で大きな位置を占める母子家庭手当てやメディケイドを州への一括補助金に置き換える。②現金給付の受給は延べ5年間までに制限する。③給付を2年続けて受けた者の就労を義務付ける。④現行の学校給食を廃止し,一括補助金化することによって各州へ給食制度を委譲する。⑤貧困層へのフード・スタンプ交付額の伸びに上限設定し,適用対象も制限する。⑥18歳未満の未婚の母親への母子家庭手当てなどの給付を停止し,さらに市民権を有しない移民は合法移民であっても,多くの福祉プログラムの受給対象から除外する。
こうした内容の共和党案に対しては,国防費,社会保障費あるいは中間所得層向けの種々のプログラムのために多くの予算が使われているにもかかわらず,福祉支出のみをターゲットとするのは,バランスを欠くものとの見方や,専ら大都市など福祉負担の大きい地域の住民の不満が高まっていることの表れに過ぎないとの見方もある。しかし,共和党が上下両院の多数派を占める政治状況の中で,この共和党案は,95年3月下旬には下院を通過した。民主党側は,同法案は子供,女性や貧困層,移民といった社会的弱者に厳しすぎる内容であるとして反対した。その後上院は,95年9月中旬に,民主党穏健派の主張を入れ,支出削減幅を縮減するとともに,未婚の母に対する支給停止を削除するなどの修正を行った案を可決した。
上下両院を通過したこの福祉改革法案は,前述したように,母子家庭手当てやメディケイドなどの支出の上限を設けることや,一括補助金として州・地方政府に福祉プログラムの権限を委譲することなどをその柱にしている。しかし,現行の連邦プログラムの内容を具体的にどのような形で州政府に委譲するか,補助金総額をどのくらい抑制するかなどの論点は,連邦政府と州・地方政府との役割分担に係わる新たな議論を生じさせる。
1960年代のジョンソン政権時の「偉大な社会計画」以降,福祉分野を中心とした連邦補助金の増大によって,連邦政府による州・地方政府に対するコントロールは強められた。この関係の見直しが行われたのは,80年代のレーガン政権期のことである。見直しの要点は,現在の改革案と同様,特定補助金の一括補助金化と補助金総額の削減であった。特定のプログラムごとに実際の需要に応じて補助金が交付される特定補助金を一括化した場合,個別のプログラムヘの支出を決定する権限は州・地方政府に移管される。州・地方政府は一括して交付された補助金の範囲内で支出を判断することになり,連邦政府は補助金支出を縮減することができる。また,プログラムごとの申請・認可などの手続きが省略されることからも,行政コストの節約につながる。81年度予算においては,それまでの21の特定補助金が四つの一括補助金にまとめられ,補助金に係る連邦政府支出は前年度比約25%削減された。しかし,81年度以降は大きな制度変更は実施されなかった。さらに80年代の改革について留意すべき点は,コミュニティ・地域開発,雇用,一般行政など,改革が行われたプログラムのほとんどは,州政府より小規模な郡などの地方政府の行政領域にあり,州政府の行政領域,すなわち所得保障や医療など個人所得移転のための連邦補助金にはほとんど手が付けられなかったということである(第2-2-10図)。
ところが,現在の改革案は,連邦財政に与える負担や現行制度に対する社会的な不満を考慮しなから,州政府の行政領域である母子家庭手当てやメディケイドの見直しに取りかかろうとしている。一方で,強い政治力を有する州政府は,既に94年秋の中間選挙の段階で「アメリカとの契約」の中に,「財源なき委託」(UnfundedMandates:連邦政府が財政上の裏付けなしに州・地方政府に業務を委譲すること)を制限する項目を盛り込むことに成功した。結局,「財源なき委託」に係る法案は,95年3月末に上下両院を通過した後,大統領の署名を得て成立した。これにより,連邦政府と州政府との間の役割分担を連邦政府の都合により安易に修正することはできなくなった。こうして,今後新たな福祉改革が実現するには相当の肝余曲折が予想される状況となっている。
しかし,かつてレーガン政権下で結局十分な成果が挙がらながった福祉改革の実現に向けて,現在着々と取り組みが進められていることは看過できない。
アメリカの公的年金制度は,医療やその他の社会保障制度と比較すると,ヨーロッパ諸国や日本などと制度的に似通っているということができる。連邦政府が一元的に管理運営を行っている全国一律の制度である老齢・遺族・障害年金保険(OASDI)は,発足してから既に60年を経過し,制度的に安定している。OASDIは,アメリカに居住し有償の仕事についている者に対して政府職員の一部などを除き原則的にすべての者に強制的に適用される。財源の大部分は事業主,被用者,自営業者から徴収される社会保障税によって賄われている。
1992年現在,65歳以上人口の92%がOASDIの適用を受けており,その家計収入に占めるOASDIから支給額の割合は40%となっている。アメリカの高齢者世帯においては,相当程度労働所得や資産所得を得ている世帯もあるが,OASDIは高齢者世帯にとって最大の収入源となっている。なお,民間年金保険が広く利用されているため,高齢者世帯の家計収入の10%は民間保険によって賄われている。支給開始年齢は,現在のところ,大部分のヨーロッパ諸国と同様に65歳とされているが,83年改正により,今後2022年までの間に段階的に67歳に引き上げられることとされている。
社会保障税は,連邦政府の一般会計とは別に設けられた社会保障信託基金として管理・運用されている。1983年改正以降,信託基金の財政は安定的に推移している。社会保障信託基金は,一般の会計勘定であるオン・バジェットとは別扱いとなっており,オフ・バジェットと呼ばれる。オン・バジェットとオフ・バジェットを原則として区別するようになったのは,90年包括財政調整法施行以降のことであるが,資金の流れに着目すると,両者は必ずしも分離されていないのが実情である。それは,社会保障信託基金の黒字は全て非市場性の国債購入に充てられており,事実上国防支出や医療支出を賄う役割を果たしているからである。
年金財政方式は,日本と類似しており,賦課方式と積立方式の折衷的な形がとられている。従来は賦課方式であったが,83年改正以降方式が変更された。
ベビーブーム世代が年金給付を受けとる時期になっても財政的に破綻を来さないよう,70年サイクルで計算した平準保険料が徴収され,基金は現在のところ継続的に積み上がっている。
現状をみる限り,公的年金制度は健全に運営されているように見える。しかし,社会保障税率の引き上げ,受給開始年齢の引き上げを飴めとする抜本的な改正が行われた83年には,信託基金の財政収支見通しは向こう75年間黒字を続けるとされていたが,近年その見通しは大幅に悪化してきている。最新の標準的な見通しによれば,信託基金は2029年には赤字化するとされており,悲観的な見通しによれば2012年に赤字化するとされている(1995Annual Report of the Board of Trustees of the Federal 01d-Age and Survivors Insurance and Disability Insurance Trust Funds:95年4月)。こうした下方修正は,83年の年金制度改正当時予想したよりも,人口動態や経済情勢が基金収支にとって好ましくない形で推移していることによる。
医療保険制度に比べより将来の課題であるため,現在のところ公的年金制度に関する本格的な制度改革の検討は行われていない。94~95年にがけて,義務的支出と税制の改革に関する検討を行った議会の超党派委員会は,年金制度について,受給年齢の引き上げ(67歳から70歳へ),給付の伸びの抑制,年金給付に対する課税税率の引き上げなどの検討を行ったが,結局具体的な提言をまとめるに到らず,年金制度改革のためのコンセンサス形成の難しさを示す形となった。しかし,83年改正が実現するまでには,制度改革が議会などでと9あげられるようになってから10年以上の歳月を費やしたといわれている。そうしたことを踏まえると,中長期的に財政節度を確保しようとする動きが強まる中,抜本的制度改正から10年余を経たばかりとは言え,かなり早い段階で新たな制度改革に向けた議論が具体化し始める可能性はあろう。
アメリカの社会保障制度体系の中で,代表的な制度は,社会保障法に基づき連邦政府が運営する老齢・遺族・障害・医療保険(OASDHI:Old Age,Survi vors,Disability and Health Insurance)と呼ばれる社会保険であり,その他に,根拠法規,財源,運営主体などを異にする公的扶助制度(政府の移転支出であり,受給者個人などからの拠出を伴わない制度)や失業保険などが複数運営されている。
OASDHIは,財政方式の違いから,老齢・遺族・障害年金保険(OASDI)とメディケア(高齢者医療保険,HI:Health Insurance)に区分される。老齢・遺族・障害年金保険は基本的にアメリカ国内のすべての就業者に適用される。メディケアは高齢者・障害者に限定された制度であり,全国民を対象とした医療保険制度を有する日本やヨーロッパ諸国とは異なっている。社会保険支出は,社会保障税によって賄われているが,連邦政府の歳入全体に占める社会保障税の割合は4割弱に上り,個人所得税に次ぐ大きな項目となっている。社会保障税収入のうち,約3分の2が0ASDI支払いの財源とされ,残り3分の1がメディケア支払いの財源とされている。
老齢・遺族・障害年金保険は,退職年金,遺族年金及び障害年金などの給付を行う全国一律の制度であり,連邦政府が一元的に管理運営を行っている。1992年現在,65歳以上人口の92%が老齢・遺族・障害年金保険の適用を受けており,連邦政府の歳出総額の約5分の1がこのための支出にあてられている。メディケアは,強制加入の入院費用保険であるパートAと任意加入の診療費用保険であるパートBから構成される。1993年現在,メディケア加入者は約3,590万人,支出額は935億ドルとなっている。この支出額は,歳出総額の約10%にあたる。この他の社会保険制度としては,州政府が主管する失業保険と労災補償保険があり,連邦政府はその運営に対し補助金を交付している。
公的扶助のプログラムの種類は多様である。メディケイド,母子家庭手当て(AFDC:Aid to Families with Dependent Children),補足的保障所得(SSI:Supplemental Security Income),フード・スタンプ(Food Stamp)などが代表的なものである。
メディケイドは低所得者を対象とした医療扶助であり,93年現在の受給者数は3,340万人,支出額は1,258億ドルとなっている。母子家庭手当ては親の不在,障害,死亡,失業によって養育を満足に受けられない18歳未満の貧困児童の援助を目的とする制度である。補足的保障所得は,生活に困窮している65歳以上老齢者,盲人,および障害者に補助金を与える制度,フード・スタンプは,低所得世帯に対する食料費補助制度で,普通の小売店で利用できる食料購入用のクーポンを連邦政府が支給する制度である。
公的扶助のうち,連邦政府財政にとって最も負担度が大きいのはメディケイドであり,次いで補足的保障所得,母子家庭手当てとなっている(92年度歳出比 メディケイド6.0%,補足的保障所得1.7%,母子家庭手当て1.3%)。
95年に入ってから,連邦税制の抜本的改革を求める議論が活発になってきている。
アメリカでは,直近では86年に大がかりな税制改革が行われており,「公平」,「簡素」,「中立」という三つの理念が指向された。最近の改革の動きを86年の税制改革と比較すると,次のような特徴が指摘できる。
①80年代半ば以降の国内貯蓄不足の深刻化に伴い,税制を通じて民間貯蓄を促進しようという考え方が広まっている。具体的には,現行の所得税制が民間貯蓄を減少させているという認識が,86年当時よりも強まっている。
②「簡素」の面で,更に大幅な簡素化を求める声が高まっている。
また,多くの改革案は,現在の財政赤字や高齢化による将来的な歳出増加を意識しつつも,増税という視点はとっていない。同じような状況にある日本や他の多くの先進国では,税制改革と同時に新たな歳入源確保の問題が議論されているが,アメリカでは,貯蓄の促進や税制の簡素化などによって経済の効率性を高めることに重点が置かれている。財政収支の均衡は歳出の削減によって行うという考え方が,広く支持されている。
こうした議論が昨今急速に・具体化,活発化した大きなきっかけは,94年秋の中間選挙に求められよう。同選挙で議会の多数派を占めた共和党議員の中から大胆かつ具体的な改革案が打ち出され,これに対して民主党議員が独自の案をもって応じ,税制問題は96年大統領選挙の一つの争点になりつつある。
アメリカの租税負担率は25,6%,租税負担率と社会保障負担率をあわせた国民負担率は35.0%であり,G5の平均(租税負担率30.6%,国民負担率37.9%)などに比べれば,低い水準にある。なお日本は,租税負担率が25,3%,国民負担率は37.9%となっている(以上いずれも92年,国民所得に対する比率)。
アメリカの税収構造(連邦・州・地方)を他の主要国と比較してみると,所得課税の割合が高く,消費課税の割合が低い。これは,税収総額の54.3%(92年)を占める連邦税において,所得課税の割合が9割近くと大変高いためである(第2-2-11図)。アメリカには,連邦,州,地方(郡・市町など)の3つの課税主体が存在し,州・地方レベルでは小売売上税が広く導入されているが,連邦税においては,消費課税は物品税・免許税など(「エクサイズ税」と称されている)のみで,消費支出全体を課税ベースとする包括的な連邦税制は存在しない。連邦税収の税目別内訳を見てみると,個人所得税が約7割,法人所得税が約2割で,消費課税は1割以下に過ぎない。なお,OECD加盟国で付加価値税を導入していないのは,アメリカのほかはオーストラリアだけとなっている。
このようにアメリカの連邦税制が所得課税中心となっている背景としては,①戦争,恐慌などのたびに歳入増強が要請されたことから,税率引き上げによって歳入を増加させやすい直接税が租税政策の中心となり,東西冷戦終了後もそのトレンドが続いていること,②他の先進諸国に比べて高齢化の進行が遅く,社会保障関連支出がこれまで比較的小さかったため,景気に左右されにくい付加価値税のような安定的財源の必要性が薄かったこと,などが指摘できる。
86年の税制改革では,「公平・簡素・中立」の理念の下,包括的所得税の実現が目指された。具体的には,各種の優遇措置を排除して包括的な課税ベースを回復し,これを財源に個人所得税の累進税率の簡素化と最高税率の引き下げ(11~50%の14段階から15%,28%の2段階へ)などが行われた。
この結果,まず「公平」については,課税ベースがより包括的となったため,水平的公平(同じ担税能力を持つ者は同じ租税負担をすべきであるという基準)が改善された。また垂直的公平(より高い担税能力を持つ者はより大きい租税負担をすべきであるという基準,「累進性」とほぼ同じ趣旨で用いられる)についても,法定税率はフラット化したものの,削減された優遇税制の大半が高額所得者層向けのものだったため,実効税率で見るとむしろ累進性は高まり,垂直的公平は強まった。
「簡素」については,各種優遇税制の廃止,税率の単純化などによって,徴税コスト,納税コストとも,一定程度軽減された。
「中立」については,包括的な課税ベースに一律に課税することによって,特定の経済行動に対するインセンティブを排除するという観点から,特定の所得(長期キャピタル・ゲイン,州・地方債利子など)や特定の支出(法人設備投資,個人退職年金貯蓄など)に対する数多くの特別優遇措置が削減,撤廃された。なお「中立」とは,租税制度が,家計や企業の経済行動にゆがみをもたらさないことを意味し,税制が中立的でないと,資源が効率的に配分されず,経済成長力が損なわれると考えられる。
税制の改善を求める動きは,86年以降も続いている。その主な論点は,①民間貯蓄の促進,②さらなる簡素化,の2点に集約できる。
最近の議論では,所得税が貯蓄よりも消費を促進する働きを持っているという点が注目されている。「公平・簡素・中立」の枠組みで言えば,現行税制が,個人や民間企業の貯蓄行動に対して「中立」でないということになる。そもそも「中立」という概念そのものに,ついて,86年には,種々の優遇措置を取り除いて,できるだけ広く包括的な所得を課税ベースとし,そこに一律に課税することが中立性を促進すると考えられていたが,現在は,所得税制をとる限り,たとえそれが包括的であっても貯蓄に対して中立でない,という捉え方が一般的になっている。
前節で述べたように,アメリカでは80年代半ば以降,国内貯蓄の不足が深刻化しつつある。その原因の一つは財政赤字であるが,一方で民間貯蓄の影響も無視できない(前掲第2-1-6図「減少するアメリカの貯蓄」)。アメリカの民間貯蓄性向を見てみると,もともと国際的に見て低水準である上に,70年代半ば以降更に低下してきた(第2-2-12図)。93年以降は,財政赤字が縮小する一方で,景気拡大に伴って国内投資が増加しており,民間部門の貯蓄投資不均衡が拡大している。またOECDによれば,アメリカの民間貯蓄は,90年代後半には更に低下するものと見込まれている(OECD Working Papers No.68“Ageing Populations,Pension Systems and Government Budgets:How Do TheyAf fect Saving?”)。
このように民間貯蓄の低迷は,86年の税制改革当時に比べて,一層深刻な問題になってきている。中でも家計貯蓄が国際的に見て低水準にあり,趨勢的にも減少している。
一般に,所得を課税ベースとする租税は,渭費を課税ベースとする租税に比べて,貯蓄を抑制する(言い換えれば,消費を促進する)と考えられる。これは,次のような意味で,所得ベース課税が貯蓄に対して二重課税となるからである。
所得ベース課税の場合,ある年の所得の全額を消費しようと,一部を貯蓄しようと,支払う税額は同額である。にもかかわらず,貯蓄をした場合には,将来得られる利子,配当,キャピタル・ゲインなどについても所得税を支払わなければならず,結局,貯蓄をした場合の方がより多くの税金を支払うことになる。これが貯蓄に対する二重課税問題である(なお,「二重課税」という表現はしばしば「配当の二重課税」の場合にも用いられるが,ここでの問題はそれとは異なる)。
消費ベース課税を支持する考え方によれば,この貯蓄に対する二重課税が存在するために,家計の所得のうち貯蓄に充てられる割合は,所得税が存在しない場合に比べて低くなる。すなわち,所得税は家計の経済行動に「中立」でないということになる。アメリカの所得税割合の高さと民間貯蓄の低迷は既に見た通りであり,近年この二重課税問題が一段とクローズアップされているのは自然な流れといえよう。
こうした貯蓄二重課税を解消しようとす′る提案には,①所得のうち貯蓄に回された部分を課税ベースから控除する貯蓄控除型(言い換えれば,消費に支出された部分だけを課税ベースとする)と,②貯蓄から得られる利子などの方を非課税とする資産所得非課税型(言い換えれば,労働所得のみを課税ベースとする)の二つのタイプがある。租税理論上で「消費ベース課税」という場合は,上記①の貯蓄控除型だけでなく,②の資産所得非課税型も含まれる。
①の貯蓄控除型のうち,間接税の形態をとるのが付加価値税や小売税であり,現在世界で実施されている消費ベース課税のほとんどはこれに属する。これに対して最近のアメリカでは,消費を課税ベースとしながら直接税の形態をとる提案が多くなされている。こうした租税は,支出税(expenditure tax)または直接消費税(direct consumption tax),消費所得税(consumed in come tax)などと呼ばれ,その中にも,①の貯蓄控除型と,②の資産所得非課税型の両方のタイプがある。
このように,貯蓄に対する二重課税を避けるには,課税ベースそのものを所得から消費へ変更することが必要になる。実際アメリカでは,これまでにもこの面での検討は行われてきた。
まず86年の税制改革に先駆けて,84年に財務省が大統領に対して行った税制改革報告(「公平・簡素および経済成長のための税制改革」)では,所得税の他に,支出税・付加価値税・売上税が選択肢として検討された(ただし,同報告は,税制変更に伴うコストや垂直的公平などの観点から,結論として所得税を推奨した)。92年2月に議会予算局が発表したレポート(「付加価値税導入の効果」)は,付加価値税の中立性を評価した上で,垂直的公平の観点などから,支出税の方がより望ましいとしている。さらに,93年大統領経済報告も,貯蓄に対する二重課税,所得測定のゆがみ(後述)など,現行所得税が抱える問題を認識した上で,消費ベース課税のメリットを指摘している。
このように,消費ベース課税の選択肢そのものは従来から検討されていたが,その議論は徐々に現実味を帯びてきており,95年の税制改革論議につながっている。なお,最近の提案の多くは,個人に対する課税を消費ベース課税に切り換えるだけでなく,法人課税についても,消費ベース課税に整合的な形態へ転換することを喝えており,個人課税と法人課税とを一体的に考えている。
消費ベース課税が支持を集めつつある背景としては,貯蓄に対する二重課税問題を解消できるという点が最も大きいが,これに加えて最近,所得税において課税所得を算出する際にゆがみが生じているという指摘も増えつつある。
所得税制の下では,課税対象となる「所得」が厳正に測定されることが望ましいが,現実には多くの便法や省略が用いられている。例えば固定資産については,その種類ごとに耐用年数が法律で一律に定められ,それに基づいて減価償却費が算出される。しかし,会計上の減価償却費が現実の資産の減価に等しいとは限らず,減価償却費が過大に評価される場合には,課税所得が減少して税引き後の収益率が上昇し,その資産への投資が過大となってしまう。っまり,租税が企業などの経済行動をゆがめている(中立的でない)ということになる。
同様の問題は,キャピタル・ゲインや帰属家賃の把握,インフレ調整などの手続きにも生じている。これらの手続きを厳格に行なうことは現実には非常に難しいため,税法上は,いずれも便宜的な方法が導入されたり,手続きの省略が認められたりしている。このため,所得によって実質的な租税負担格差が生じ,中立性が損なわれている。
前掲の84年財務省報告では,特にインフレによる課税のゆがみが重視され,減価償却費,売上(または製造)原価,受取・支払い利子,キャピタル・ゲインのすべてについてインフレ調整手続きを導入することが提案されたが,「簡素」の観点から結局見送られ,今日に至っている。
消費を課税ベースとする最近の提案の多くは,課税ベースを所得から消費に変更することで,こうした所得測定のゆがみの問題も解消されると主張している。
86年の税制改革によって,従来よりある程度簡素化された連邦税制であるが,その後約10年を経て,最近再びその複雑さが批判されている。上述したように,民間貯蓄促進に向けた動きは,「中立」,という概念そのものについて86年とは異なる捉え方をしているが,「簡素」化をめぐる最近の動きは,基本的に86年改革の延長線上にある。複雑さの内容を86年当時と比較しながら整理してみよう。
まず第1に指摘されるのは,所得控除,税額控除など各種例外規定の多さである。連邦所得税法は1913年に施行されて以来,その時々の政策的考慮,予算上の要請などから修正を重ねられ,大変複雑なものとなっている。こうした規定は86年の改革でかなり削減されたが,それでも,例えば95年度予算の個人所得税では,本来の包括的な課税ベースから得られるべき税収の37%が「租税支出」(tax expenditure:所得控除・税額控除・特別税率・課税繰延べなどによる税収の逸失)によって侵食されている(OECD“OECD Economic Surveys:United States1995″)。
第2に,個人所得税の税率については,86年に2段階に簡素化されたが,その後3回にわたって最高税率が追加設定され,現在は5段階(15,28,31,36,39.6%)まで増えている。
第3に,法人所得税に必須の減価償却手続きについても,近年4の煩雑さが指摘されている。アメリカでは過去の度重なる税制変更によって,固定資産の減価償却方法が取得時期に応じて異なっていることなどもあり,減価償却手続きは法人にとって大きな事務負担になっている。これは,86年にはほとんど注目さitていなかった視点であり,最近の多くの提案が法人課税も含めた形で抜本的な改革を行おうとしている一つの背景にもなっている。
第4に,個人所得税における納税申告が煩雑であるという指摘も多い。アメリカでは,日本と同じように給与所得の源泉徴収が行われているが,日本におけるような雇用主による年末調整制度がないため,給与所得者は必ず確定申告をしなければならない。個人所得税の確定申告提出件数は90年で優に1億件を超えている(日本の所得税の確定申告件数は94年で約1927万件)。申告書の様式も複雑で,例えば個人所得税の確定申告書の記入要項は,30ページを超える大部なものとなっている。
複雑な税制のもたらす弊害としては,次のような点が挙げられよう。
第1に,徴税コスト,納税コストの負担が大きくなる。
アメリカの徴税事務を所管している内国歳入庁(IRS;Internal Revenue Service)は94年現在,正職員だけでも10万人を超える人員を抱え,年間予算は73億ドル,1年間で2億件近い納税申告(個人所得税以外の申告も含む)を処理している。ちなみに日本で国税にたずさわる職員の数は,95年現在約5万7千人となっている。
一方,納税者にとっても,複雑な税制の下では,種々の取引記録を保管し,正しく納税申告するには多大の労力を要する。また,税制改正のたびにそれを理解すること自体,大きな負担である。ミシガン大学のJ.スレムロツドらが89年に実施した調査によれば,アメリカの平均的な個人納税者は,納税のために年間約27.4時間を費やし,税理士などに132ドルを支払い,合わせた年間納税コストは1人当たり354ドル(同年の1人当たりGDPの約1.7%)にのぼる。
そして,J.スレムロッドの95年の研究では,個人・法人の納税コストと政府の徴税コストの合計額は,連邦政府・州政府の歳入総額の約10%にあたるという。
第2に,各種優遇税制の存在は,課税ベースの侵食を意味する。侵食された課税ベースで必要税収を確保するには,税率を高くせざるを得ない。
第3に,各種の優遇税制は,節税行動の誘因どなる。節税行動が行われると,実効税率の高い部門には資源が十分に投入されなくなり,資源の効率的配分が妨げられる。例えば,アメリカでは従来から住宅購入にかかる借入金の利子について,一定の条件のもとに課税所得から控除することが認められているが,これは非住宅投資よりも住宅投資が優遇されていることを意味する。実際,国内投資に占める非住宅投資の割合は80年代前半以降低下している。一方,節税に費やされるコスト自体,経済全体で見ればムダなコスト(deadweight loss;死重損失)である。上で指摘した個人納税者の納税コストも,その内容をみると,節税のために費やされている部分が大きいことが明らかになっている。さらに,税制の熟知度の違いによって課税の不公平が生じてしまうのも問題である。たとえばアメリカでは,税還付の申告を行わないために,必要以上の税額を納めたままになってしまうケースが多いと言われる。
第4に,以上のような問題を通じて,租税制度に対する納税者の信頼が失われる。
上で述べたような認識から,86年以降も簡素化を目指す動きが続いてきた。
具体的には,90年以降2度にわたって,税制簡素化を図る包括的な法案が議会で検討された。しかし,既存優遇税制などの統廃合に対しては,既得権益を持つグループからの抵抗も当然強く,これら法案は,92年にはブッシュ大統領の拒否権発動により,94年には上院での審議未了により,いずれも実現せずに終わった。
複雑化した現行税制を段階的な改正で改善することは非常に難しいと言われる。そうした現実的な事情もあって,最近行なわれている提案のいくつかは,現行税制の修正(reform)ではなく,転換(replace)という方式をとっている(なお,95年9月19日には,法人に対する優遇措置の廃止など27項目や所得税率の簡素化などを含む税制改革法案が,下院歳入委員会で可決された)。
また,個人所得税の申告手続きを簡素化しようとする検討も行なわれてきた。たとえば前掲の84年財務省報告は,申告不要システムを部分的に導入し,その適用範囲を徐々に拡げていくことを提案した(ただし,結局見送られて今田に至っている)。一方,最近の税制改革案のいくつかは,申告制度そのものは維持しながらも,申告書のフォームを,たとえばハガキ1枚程度に簡素化するといった提案を行っている。
以上のような問題認識のなかで,現実にはどのような提案が行われているのであろうか。ここでは,これまで議会で提案された主な改革案を,次の二つの軸を使って整理してみよう。なお,双方の軸について政策目標のトレード・オフがあり,改革にあたっては困難な選択が迫られることになる。
課税ベースとして,所得と消費のいずれをとるかという軸である。これは,今回の税制改革論議で最大の争点になっている。
課税ベースを消費に変更する場合には,貯蓄に対する二重課税や,所得測定のゆがみ,減価償却手続きの煩雑さなどが解消される一方で,税制変更に伴うコストが大きく,また消費性向の高い低所得者層の負担が増す(逆進性が強まる)可能性がある,というトレード・オフが指摘できる。
これは,現在のアメリカで最も話題を呼んでいるフラット・タックス(Flat Tax:すべての課税ベースに単一の税率を適用する税制で,所得ベース課税型と消費ベース課税型とがありうる)を採用するかどうか,という軸である。現実の提案の中には,完全な単一税率は採用しないまでも,税率の段階数を現行の5段階よりも簡素化するというものもある。
税制のフラット化については,税の簡素化が図られる一方で,垂直的公平が損なわれやすい,というトレードオフが指摘できる。クリントン大統領はフラット・タックスについて,「公平を損なわずに税制を簡素化できるならば,私も検討するだろう」と述べている(95年4月)。
86年の税制改革では,包括的な課税ベースを回復することによって「公平・簡素・中立」が同時に改善される,という調和的な論理がとられたのに対し,最近の議論では,上で述べた二つの軸それぞれについてどのような立場をとるかに応じ,様々なタイプの提案が行われている。最近の主な改革案を整理して見ると,第2-2-13表のようになる。以下この表に沿って,各類型ごとに提案の内容を紹介する。
1)支出税
支出税は,先に述べた貯蓄控除型と資産所得非課税型の二つに分類できるが,現在のアメリカでは,このどちらを採用するかという論点よりも,「簡素」を優先して単一税率をとるか,垂直的公平を優先して複数税率をとるかが議論の焦点になっている。
なお支出税は,50年代のインドとスリランカで貯蓄控除型が一時的に導入された例があるだけで,現在支出税を実施している国はない。
i)フラット支出税
フラット支出税については,共和党の中から,①A.スペクター上院議員が95年3月に,②R.アーミー下院院内総務がR.シェルビー上院議員と共同で95年7月に,それぞれ提案を行っている。彼らの提案の骨格は,個人課税について資産所得非課税型の支出税制をとった上で単一税率を採用し(スペクター案では20%,アーミー案では17%(ただし経過措置あり)),かつ現行税制における標準控除(standard deduction)と人的控除(personal exemption)をほぼそのまま残すことで垂直的公平を確保する,というものである。
なお,標準控除とは,納税者の申告資格に応じて,所得額と関係なく一律に定められた所得控除のことをいう。現行税制では,申告資格として,夫婦合算申告者・特定世帯主・独身者・夫婦個別申告者の4区分が設けられている。また,人的控除とは,納税者の世帯人数に応じて定められた所得控除のことをいう。
また両案とも,法人に対しても,支出税と整合的な課税を行うことを提言している(付注2-5)。
フラット支出税の評価としては,次のような点が挙げられる。
①「簡素」の面で優れている。特に税率が完全に単一であることがセールス・ポイントである。アーミー案の原型といわれるスタンフォード大学のR.ホールとA.ラブシュカの論文(″TheFlatTaxin1995″95年1月発表)によれば,納税申告はハガキ1枚程度のフォームに簡素化され,しかも単純な計算で済むという。
②一方,垂直的公平の点では,標準控除と人的控除を設けても,税率そのものが完全にフラットなため,現行税制に比べて垂直的公平が弱まる。フラット・タックスに対する批判は,この点に関するものが最も多い。
なお,スペクター案とアーミー案との違いは,①前者が住宅ローン利子や寄付金の控除を認めるのに対して,後者はこれらを認めないこと,②前者が歳入中立的である(税制変更による税収の変化を予定していない)のに対して,後者は政府規模の縮小を目指していること,などである。
複数税率支出税は,課税ベースを所得から消費に変更しつつ,現行税制の累進性を維持しようとするもので,民主党のS.ナン上院議員と共和党のP.ドメニチ上院議員が共同で行った95年4月の提案がこれにあたる。彼らの提案の概要は次の通りである。
①個人については,所得のうち,消費に充てられた部分を課税ベースとする(貯蓄控除型)。
②個人に対する税率は8,19,40%の3通りで,現行所得税とほぼ同じ累進性を維持する。
③所得控除については,現行法の標準控除・人的控除はほぼそのまま適用されるが,実額控除については,住宅ローン利子・慈善寄付金・扶助費・一定の教育費だけが認められ,現行法のその他の控除項目は廃止される(医療費,州税・地方税額など)。
④法人については,基本的に売上高から仕入高を控除した部分に対して,税率11%の課税を行う。
複数税率支出税の評価としては,次のような点が挙げられる。
①垂直的公平を維持しつつ貯蓄に対する二重課税を解消できるという点が,この提案のセールス・ポイントである。
②「簡素」については,フラット支出税に比べれば,当然のことながら税率が多い分だけ劣る。
なお,S.ナンとP,ドメニチの案は,支出税の類型として貯蓄控除型を採用しているため,申告によって年間所得と年間貯蓄を証明しなければならず,書類保存の負担が大きいと考えられる。
支出税には,本文中で紹介したように,貯蓄控除型と資産所得非課税型の二つのタイプがある。
貯蓄控除型は,1年間の資金流入額(労働所得,資産所得など)から,消費以外の資金流出額(預金増加額など)を控除して求めた消費支出を課税ベースとする。貯蓄控除型の問題点としては,①高額の耐久消費財を購入した年には,課税ベースが極端に大きくなること,②資産・負債の一元的管理が必要であり,納税コストが大きいこと,③納税申告が必要(源泉徴収が不可能)なこと,などが挙げられる。
資産所得非課税型は,貯蓄控除型の欠点を解決するものとして考案された。労働所得のみを課税ベースとし,資産所得には課税しない。相続と贈与がないものとすれば,生涯の消費は生涯の労働所得に等しいから,労働所得に課税していけば,生涯を通じて消費に課税したのと同じ結果になる,という理論に基づいている。
資産所得非課税型については,次のような課題が指摘されている。①現実には相続や贈与が存在するので,公平性を維持するためには,世代間の資産移転を課税ベースに取り込む補完制度が別途必要になる。②キャピタル・ゲイン課税の機構が別途必要になる。③勤労世代に納税負担が集中する(この点については,年金所得を労働所得の延期分とみなして課税ベースに含めれば,緩和が可能である)。
消費を課税ベースとする間接税として有力な選択肢は,付加価値税と小売売上税である。
付加価値税はその「簡素」さ,「中立」性がヨーロッパ諸国で実証済みということもあって,アメリカでもかなり前から実務的な研究が進められている。
86年の税制改革でも現行税制の対案として詳細な比較が行われたし,92年に議会予算局が「付加価値税導入の効果」というレポートを発表したことも,既に述べた通りである。最近では民主党のギボンズ上院議員がヨーロッパ型付加価値税(税率20%)の導入を提唱している。
付加価値税導入の最大の問題と思われる点は,これまで付加価値税の経験がないアメリカでは,新たにこれを導入するコストが,他の選択肢に比べて大変大きいということである。93年のアメリカ会計検査院のレポートによれば,ヨーロッパ型付加価値税を導入した場合,徴税コストだけでも従来に比べて3~5割増加すると見込まれている。その他に納税者の側でも,新税制の習得,事務体勢の切り替えなど,多大な負担(納税コスト)が予想される。
一方,小売売上税に関する最近の提案としては,共和党のB.アーチャー下院歳入委員長のものがある。これは,所得税及びその根拠となっている憲法修正16条を廃止し,代わりに税率16%の連邦小売売上税を導入するという大胆なもので,これによって個人の申告義務がなくなり,内国歳入庁も廃止できるという。住宅ローン金利・医療費を非課税とするほか,低所得者層向けの配慮も行うこととされている。アメリカでは既に大半の州や地方において小売売上税が実施されているため,連邦税として小売売上税を導入するコストは小さいであろう。なお,同様の提案は,共和党のR.ルガー上院議員によっても行われている(95年4月)。彼らの小売売上税の提案は,消費ベース課税を志向する多くの改革案の中で,税務コストの削減を最優先したものの一つであり,現行税制の高コスト体質に対する批判として示唆に富んでいる。
付加価値税と小売売上税に共通の長所としては,①消費された所得にしか課税されないので,貯蓄が促進される,②捕捉力が強い,といった点が挙げられる。また,アメリカでは,還付制度を通じて輸出が奨励されるとうい点も注目されている。一方,問題点としては,垂直的公平が保てないという点が共通に指摘される。この点について,前掲92年の議会予算局レポートは,先に述べた支出税の長所を指摘している(最近一部に,負の人頭税を併用して付加価値税の垂直的不公平を緩和しようという提言もあるが,まだ議論が熟していない)。
なお,小売売上税は一般に,①付加価値税に比べれば脱税や節税を防ぎにくく,税収ロスが大きくなりやすい,②事業者向け販売と個人向け販売の判別が(特にサービス業などにおいて)難しい,などの現実的な問題点が多いといわれる。実際,先進国で小売売上税を実施している国は数少なく,小売売上税を実施している国でも税収総額に占める小売売上税額の割合は高くない。
消費を課税ベースとする改革案が共和党議員を中心に次々と発表される中で,民主党のR.ゲッパート下院院内総務は,95年7月,現行の所得ベース課税を維持したままで税制を簡素化する「フラッター・タックス(Flatter Tax)」を提案した。具体的には,個人所得税について,①納税者の75%に相当する低中所得層の所得税率を10%に一本化(それより上の所得者層には,所得に応じて20,26,32,34%の税率を適用)するとともに,②税額控除を住宅ローン金利だけに限定するというものである。ゲッパート議員によれば,これによって納税申告がハガキ1枚で済むようになり,全米で年間約3,000億ドル,45億時間の納税申告コストが削減されるという。企業課税については,大企業優遇措置の改善が挙げられている他は,基本的に現行法人所得税を存続させる形になっている。
彼の案は,①税制変更に伴う制度移行コストが小さいこと,②垂直的公平が確保されること,などの点において現実的に受け入れられやすいと思われるが,一方で貯蓄二重課税問題が未解決であることが最大の課題といえよう。
一般に,所課税論者の貯蓄二重課税問題に関する見解は必ずしも一致しているわけではないが,ゲッパート議員の場合は,「所得が増えない限り貯蓄は増えない」として,事実上二重課税の弊害を否定している。
なお,アメリカの現行個人所得税は,個人退職年金(IRA)拠出控除を始めとする諸々の貯蓄優遇措置が加えられているため,実質的には消費ベース課税に近くなっているという指摘が多い。ただし,税制を複雑化させる形でそうした措置が重ねられてきているため,純粋な消費ベース課税が目指す理念からは遠い状況にある。