平成5年
年次世界経済報告
構造変革に挑戦する世界経済
平成5年12月10日
経済企画庁
本報告書では,現下の世界経済を,「総じて力強さを欠く先進国経済と堅調な東アジア経済」,「欧米経済の持続的成長のための構造・制度問題」,「差がみられ始めた市場経済移行国経済と好転のみられる中南米経済の現状と課題」,「経済活動グロ-バル化に伴う構造変化と先端技術産業をめぐる新たな貿易問題」という切り口から分析した。以下その内容を簡単にまとめた後,各国の今後の主な課題を検討しよう。
ベルリンの壁の崩壊,それに続くソ連の崩壊,ドイツ統一という,戦後の枠組みを突き崩す歴史的事件の続発とともに,90年代は始まった。そして最終戦争の危険や抑圧的政治体制からの解放により当時は明るいムードが支配的であった。経済面でも80年代後半の好況の余韻に「平和の配当」への期待が加わり,IMFの経済見通し(1990年5月)は,90年,91年の世界経済の成長率をそれぞれ2.3%,3.1%とした。しかし,現実には世界経済の成長率は90年2.2%の後,91年0.6%と予想以上に減速した。ようやく92年から成長率は上向いているものの,先行きについての不透明感がつきまとい力強い成長の兆しはまだみられない。しかし,地域別には総じて先進国の成長力の弱さと発展途上国の堅調さが目立っている。
先進国経済は,総じて力強さを欠く展開となっている。早くから景気後退に入った米,英,加,豪等では景気が回復しているが,世界経済をリードする力はなく,失業率は高水準なままである。アメリカではバランスシート調整や企業の雇用調整のため回復力が弱く一時失速の懸念もあった。しかし,情報関連設備投資の堅調な伸びや消費回復に支えられて92年後半から回復基調が定着してきた。今後もインフレ鎮静化,財政赤字削減による金利低下とバランスシート調整の緩和に支えられて景気は拡大基調をたどるであろうが,高雇用コストによる雇用の伸び悩み,国防支出の減少,財政赤字削減計画の実施等からそのテンポは緩やかなものにとどまろう。
イギリスを除くECでは設備投資の減少などから景気が低迷しており,既に高水準な失業率の一層の上昇が予想されている。しかし,各国とも大幅な財政赤字を抱えでいるため財政赤字削減を迫られており,金融政策もERMの変動幅拡大にもかかわらずドイツのインフレ抑制スタンスの影響を受け慎重な緩和にとどまっている。アメリカ・発展途上国向け輸出に頼り,民間内需の自律反転を待っているのが実情である。ドイツのインフレ抑制の迅速な成功,それに伴う各国金利低下が欧州景気回復の鍵となろう。
先進国経済が力強さを欠くのは,景気調整と構造調整の問題に直面しているためである。
① まず,80年代後半の好景気からの調整過程という問題がある。80年代の金融環境の変化等を背景とするイギリス,アメリカ,北欧諸国のバブルと,93年のEC市場統合へ向けてのECの投資ブームが,80年代後半の先進国の好況を牽引した。ドイツ統一も西欧に一時ブームをもたらした。現在,先進国経済は設備投資等のストック調整やバランスシート調整を行っている。その一環として金融機関,企業のリストラクチャリングが進行している。
② 次に,冷戦の終結も当面デフレ要因になっている。アメリカでは国防支出の削減が生産,雇用に影響している。旧共産圏の復興は予想以上に時間がかかりそうであり,先進国は支援を継続しなければならない。
③ 最後に,先進国経済は冷戦終結以前から数々の構造・制度問題を抱えてきたが,80年代後半の好況によりその解決を先送りしてきた。しかし,今や抜本的経済立直しが緊急課題となっており,こうした構造・制度問題への取組みは当面は総じてデフレ的に作用する。
西側先進国の経済成長率は石油危機を契機として低位に屈折し,高インフレ,高失業,大幅財政赤字に苦しむことになった。一つの解決策として,サッチャー主義,レーガノミックスが登場し,減税,規制撤廃等,経済の自由化が進められた。金融の自由化もその一環であるが,80年代後半のバブルをもたらす一因となった。アメリカでは,レーガノミックスは一時高成長をもたらし,アメリカ経済は世界経済の回復をリードしたが,大幅な財政赤字という後遺症を残した。大幅な財政赤字は,投資コストを高め民間投資の制約要因となる一方,経常収支赤字の拡大をもたらした。更に今回の不況において財政・金融政策の足枷にもなった。このため,持続的成長のために財政赤字削減が最重要課題となっている。一方,医療制度の不備は,医療費の大幅増と医療保険でカバーされない人々の増加という問題を深刻化させている。医療費増は財政赤字拡大の重要な要因であり,また企業の負担を重くしリストラクチャリングを促している。次の問題は,資本形成とともに研究開発の遅れ等が生産性の伸び悩みを招き,アメリカ経済の世界第1位の地位に影を投げかけている点である。更に,自由化の中で所得格差が拡大し,しかもそれが教育機会の不平等によって増幅されている。教育問題は前述した生産性の停滞にもつながっている。
東西対決の重圧を身近に感じた西欧諸国は,福祉社会の建設で共産主義に対抗した。石油危機後の経済の停滞に直面し,規模の利益を狙いとしたECの深化(市場統合・通貨統合)と拡大に解決を求めた。93年の市場統合を前にして80年代後半に投資ブームが起こり,「ユーロ・ペシミズム」は「ユーロ・オプティミズム」へ見事に切り換えられた。好況下のERMに基づく加盟国の金融政策の協調により,インフレは低位に収れんした。しかし,経済環境の変化に円滑に対応できないでいる。設備投資ブームの中身をみても,製造業の設備投資は合理化・更新投資が主体であり,技術進歩を伴うものが相対的に少なかった。
人材の育成や研究開発も不十分である。政府の構造不況産業や公企業への支援がなお重視されており,ECレベルの先端技術産業育成策も成功をおさめているとはいえない。高い非賃金コストや手厚すぎる福祉政策等から構造失業が増えている。政府・企業の負担は限界にきており,雇用政策,福祉政策の見直しが迫られている。
冷戦終結とともに市場経済移行へ踏みだした旧共産圏諸国の道のりは予想以上に困難なことが明らかとなってきた。一部に生産が立直りつつある国もみられるが,総じて各国で高インフレ,生産減が続いている。価格の自由化,経済の安定化という第一段階の改革が進むなか,市場経済を支える財政・金融,競争,所有権等に関する諸制度の整備,企業家精神あふれる経営者,効率的な民間企業の存在が市場経済移行にとって不可欠であることがますます明らかとなってきている。また,輸出が経済の復興に果たす役割は重要であり,①コメコンや旧ソ連圏の解体(サプライ・リンクの切断)の生産への悪影響や,②一部の国のEC等先進国向け輸出増による生産立直りがそれを示している。新たな比較優位に基づく効率的な国際分業体制に向けての調整過程にあるといえよう。市場経済移行国の中でも転換がうまくいっている中国経済の今回の過熱化は,マクロ経済の管理能力と,健全な金融制度の確立の大切さを改めて教えている。
先進国経済の低迷にもかかわらず,東アジアは堅調な成長続けている。特にアセアン諸国は活発な海外からの直接投資に支えられた投資や消費という内需が成長をリードし,自立的な成長が可能となりつつあることを示している。輸出もNIEs向け等,日米向け以外のシェアが高まっている。韓国では輸出の回復から景気が緩やかに回復しているが,最近では中国等アジア向け輸出のシェアも伸びてきている。またアセアン諸国への直接投資を増やしている。「失われた80年代」に苦しんだ中南米諸国も,世界的金利低下に助けられながら,一部の国を除き財政赤字の削減等の構造改革により経済が好転しており,信頼感の回復に伴い海外からの資本流入が復活している。アジア,中南米地域とも,直接投資等の資本輸出の受け皿になっている。しかし,両地域では,成長の一方で所得の個人格差,地域格差が拡大し,社会不安,政治の不安定化要因となっていることを忘れてはならない。また,アフリカ,特にサブ・サハラ地域の貧困化は継続しており,南北問題は南の分化により多様化,複雑化している。
目を世界全体に転じると,自由化を背景に,経済活動の広域化,グローバル化が一層進展している。直接投資の拡大により企業の世界展開が活発化し,それがまた貿易を拡大している。ハイテク製品の貿易と企業内貿易が増大している。経営資源は国境を越えて成長機会の多い地域へ向かう。安くて良質な労働力を抱え,市場経済・輸出指向政策を採った東アジアがこの流れにうまく乗り日米からの直接投資を引きつけて台頭した。それに刺激された中国は改革・開放政策へ転換し,目覚ましい成長を続けている。東アジア諸国,中南米諸国,市場経済移行国は,世界市場で先進国の競争相手となり,先進国経済の構造変革を迫っている。日本,アジアの相対的地位の向上は,経済の不振と相まって,欧米の危機意識を刺激した。保護貿易主義が高まり,最近は特に先端技術産業を巡る争いが激しくなっている。
以上のように世界経済がダイナミックに変化し,地球的規模の競争が激化している現在,各国は自らの経済立て直し,活性化に取り組まなければ生活水準の低下を甘受しなければならなくなる。
① 先進国は,経済各主体がリストラクチャリングを進めねばならない。政府は,財政赤字の削減を成功させ,経済の効率化を図り,民間部門の活力を呼び戻す必要がある。それが供給力の強化をもたらし,持続的な成長の条件を整え,技術革新,情報化のダイナミックな波がもたらす経済成長の機会をとらえる。更に,教育・職業訓練の充実向上,基礎的分野での研究開発の強化が重要である。「平和の配当」もやがて得られ,生産性の向上が促進されるであろう。地域固有の課題としては,アメリカは,根本的な医療改革の合意を見つけなければならない。また,社会の亀裂を生む所得格差の拡大の問題にも取り組む必要がある。特に教育機会の不平等を是正しなければならない。西欧は,規制の撤廃,民営化を進め小さな政府を目指さねばならない。過度に手厚い労働政策,福祉制度の見直しも避けられない。例えば失業者に対する施策としては,失業手当ての給付というような所得保障的な対応から,職業訓練,失業者への職業斡旋等の積極的なものへ重点を移す必要がある。EC統合は,世界に開かれた形で進めるべきである。また,景気低迷の中で経済パフォーマンスの差が広がっており,通貨統合は弾力的なスケジュールで進められる必要がある。
② 発展途上国,市場経済移行国は,引き続き,税収源の確保,中央銀行の中立性の確立等の財政・金融制度の整備,国営企業の民営化,競争政策の強化による独占・寡占状態の解体を図り,経済の安定化,効率化を進める必要がある。同時に,比較優位産業を再構築するとともに,海外からの投資の魅力的な受皿となるため,貿易・投資の自由化を進める必要がある。特に市場経済移行国では,企業家,民営企業の育成が喫緊の課題である。国民の競争に関する意識改革も求められる。
③ 各国,各地域グループ自身の経済改革,そしてそれに基づく競争が第一義的には世界経済にとって重要である。競争が効率を生み成長を促す。欧米では既に困難な改革に着手している。アメリカでは生産性上昇がやや改善してきており,情報化の進展も目覚ましい。このような動きは,経済立て直しの明るい展望を示している。93年からスタートしたECの市場統合も世界に開かれた体制が確保されれば,欧州にとって当初の狙い通りの新たな成長機会となるだろう。また,中東欧,ロシアに対する直接投資や市場開放等の積極的な支援を行うことが欧州の再活性化にも資するであろう。
世界経済の相互依存の深まりの中で,一国,一地域の利益と世界経済の利益との調和がますます大切になっている。先進国間の政策協調が求められるが,特に自由な貿易体制の重要性が強調されねばならない。貿易は基本的には共存共栄の活動である。欧米の一部に,経済の相対的地位の低下に狼狽し,保護貿易主義,更には「戦略的貿易政策」を主張する人たちがいるが,ダイナミックな変化を伴う資本主義経済においては経済力の地位に変動があることは驚くべきことではない。新興国の台頭は先進国に成長の機会を提供し,世界全体の繁栄につながることを認識すべきである。日本や東アジアの経済力の高まりは,まさに戦後アメリカが中心となって築き上げた自由・無差別・多角的な貿易,資本移動体制が生み出した成功物語であり,旧共産圏の計画経済に対する優位性の象徴である。当初,資本主義経済,自由貿易は弱肉強食の路線であり,貧しい国は永遠に豊かになれないという考え方が有力であったため,戦後独立した国々の多くが社会主義計画経済政策を採用した。しかし,その後の経緯は,開放経済指向路線の優位を如実に物語っている。貧しい国々の成長を促進し,それを吸収しながら世界経済全体が発展できるダイナミックな自由貿易体制を維持強化することが重要であり,ウルグアイ・ラウンドの早期妥結が強く望まれる。「戦略的貿易政策」は,一国の利益の追求であり,ゼロサムの貿易戦争に陥る危険があり,回避しなければならない。地域主義の潮流もグローバリズムに反しないものでなければならない。
同時に,先進国は,経済発展の流れから置き去りにされている貧しい国々や新たに世界経済に参加しようとしている市場経済移行国への支援を継続する必要がある。貧富の差が大きい地球社会に真の安定と発展は保証されない。
一方,経済活動のグローバル化,企業の世界展開は,制度の国際的調和,世界レベルのルール作りを一層必要とする。例えば,多国籍企業の活動の拡大は世界市場の寡占化の危険性を胎んでいる。特にダイナミックな規模の利益をもたらしうる先端技術産業の場合,注意が必要であり,各国は独占利潤の奪い合いを避けて世界レベルの協調による解決を模索すべきである。競争政策,産業政策,技術政策に関する国際的調整,国際的ルール作りが必要である。その際,二国間の交渉よりも多国間の協議による解決が望ましく,GATTの活用,機能強化が求められる。
以上の視点を踏まえて,日本は,まず景気回復を確実なものとしつつ,自らの構造改革に取り組む必要がある。内需中心のインフレなき成長,規制緩和・撤廃,市場アクセスの改善がその中心課題である。また,戦後自由貿易体制の下で先進国化に成功した国として,新たな成功物語作りに貢献する必要がある。そのため,発展途上国,市場経済移行国に輸出市場,資金と技術を提供しなければならない。更に,世界第2の経済力を有する国として,変化する世界経済の新たなフレームワークやルール作りに積極的に貢献していがなければならない。その際,発展途上国や市場経済移行国の声を反映させるよう努力すべきである。