平成4年

年次世界経済報告

世界経済の新たな協調と秩序に向けて

経済企画庁


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第3章 市場経済移行国の経済改革と世界経済への融合

第1節 中・東欧の経済改革

(明るい兆しのみられる中欧諸国の経済安定化)

中・東欧諸国における経済改革は,ポーランド等では既に3年近く経過し,改革がやや遅れて始まったルーマニア,ブルガリアでも2年近くになるが,第1章において概観したように,経済情勢はいまだに厳しい状況が続いており,どの国も明確な回復の動きを示すには至っていない。IMFによれば,中・東欧諸国の成長率は92年においても大幅な減少が見込まれている(マイナス9.7%)。ただ,全体として厳しい状況の中で,やや明るい兆候として,ポーランド,ハンガリー,チェコ・スロバキアのいわゆる「中欧」3か国では,工業生産の減少に下げ止まりの動きが現れ,またEC諸国を中心とした先進国向けの輸出も増加してきている。

中・東欧諸国がこの2年間の改革の過程で直面した多くの経済政策上の課題は,概ね次の3つに集約することが出来る。すなわち,90年の市場経済に向けての本格的な改革の導入にともない,まず,①物価上昇等による不安定化した経済を安定化させることと,②計画経済下の諸制度を,市場経済に適した制度へと切り替えていくことが,その優先的な政策課題となったが,コメコン市場が解体した91年からは更に,③主力産業が競争力を失った産業構造の調整を行うことが,それに加わった。

ほぼ2年を経過して,上記中欧3か国では,①については,概ね成功を収めつつある。②においても既に幾つかの部分的な成果を収めているが,大規模国営企業の民営化等を含め課題はなお山積されている。また③に関しては,輸出品目の変化などにその方向は現れてきたものの,それに適合した国内調整はまだ始まったばかりである。他の東欧諸国はまだいずれの課題においても,その取組みは緒についた段階である。

(中・東欧諸国の改革のシナリオ)

中・東欧諸国における経済改革の進め方がどのようなものであったかを,第1章第3節でみたドイツの統一の場合と比較してみると,その特徴は次のように言えるだろう。旧東西ドイツの統一では,両ドイツの通貨をほぼ等価なものとして,東ドイツ通貨を西ドイツ・マルクと交換したが,これは東ドイツにとっては,為替レートの大幅な切り上げを意味している。この結果,東ドイツの賃金水準が大幅に切り上がり,需要が高まることとなるが,供給面ではコストの上昇を通じ産業が急速に競争力を失うこととなる。また,統一後近いうちに両地域の賃金水準を同等にするとして,賃金水準の引上げを始めたことも,旧東ドイツ地域の購買力を拡大させ,コスト上昇による失業の増大を招いた。こうした需給面からの影響により超過需要が一層高まり,このギャップは西ドイツからの財・資金の流入によって埋められているという状況である。この結果,第1章でみたように,統一後のドイツは巨額な資金需要を生じ,インフレを避けるために同国の採る高金利政策は,ヨーロッパ各国に大きな影響を与えている。このように旧東ドイツは,旧西ドイツという統一相手を持ったケースであった。

これに対して,中・東欧諸国にはこうした手法を選択することは不可能であった。その上これらの国は,多額の対外債務を抱えており,輸出によって外貨を獲得する必要がある。このため,中・東欧諸国は,旧東ドイツとは逆に,需要サイドにおいては,緊縮政策によって需要の抑制を図るとともに,為替レートの切下げによって需要構成を外国財から国内財にシフトさせ,供給サイドにおいては価格自由化,貿易自由化を背景として,比較優位構造を反映した産業・貿易構造の再構築と,それを通じた生産拡大による雇用吸収を目指す,という構想であったと考えられる。これは,国内資金がなく海外資金も期待できない中・東欧諸国にとって,唯一選択できた市場経済への接近方法であったといえよう。

ここでは,中・東欧諸国の約2年間の経済改革の動きとその影響を,統計情報が比較的豊富な中欧3か国を中心に見ていくこととする。

1 価格自由化とその影響

計画経済では,ほとんどの財の価格は市場による需給調整によらずに政府によって統制され,価格が見直されることもあまりなかったため,その水準は長期にわたって本来の均衡水準を下回っていた。この結果,これらの諸国では超過需要が発生し,恒常的な行列・配給といったモノの「不足」状態が生まれ,他方では,消費が抑圧されることによって家計の購買力が強制的に貯蓄され,金融資産の過剰蓄積(いわゆるマネタリー・オーバーハング)が多くの国で生み出された。

また,財の間の相対価格にも大きな歪みがあり,貿易の国家管理や複雑な為替レートの仕組みによって,国内価格の構造は,全体として国際市場のそれとはかけ離れたものとなっていた。こうした結果,計画経済諸国では,価格は適正な資源配分をもたらしたり,需給を反映した生産へのインセンティブとなることがなく,貿易の構造も歪められたものになっていた。

価格自由化は,こうした相対価格の歪みを市場を通じた調整によって取り除いて,効率的な資源配分を図るとともに,価格上昇によってマネタリー・オーバーハングを吸収することを目的としたものであった。中欧3か国が実施した価格自由化の方法をみると,ハンガリーは68年から徐々に価格統制を削減してきた「漸進型」であるのに対し,ある時点に大多数の品目の価格を同時に自由化したポーランド(90年1月),チェコ・スロバキア(91年1月)は,「ショツク型」であったと言える(その他のルーマニア,ブルガリアは後者に近いが,ルーマニアはより漸進的である)。

(マネタリー・オーバーハングはほぼ解消)

まず,価格上昇によるマネタリー・オーバーハングの吸収という観点から,やや間接的な方法ではあるが,改革前後における通貨供給の指標であるM2の実質貨幣残高(消費者物価の上昇で調整したもの)の変化をみてみることにする(第3-1-1図)。これによると,ポーランド,チェコ・スロバキアでは,価格自由化導入直後に貨幣の実質残高が大幅に減少していることが分かる。ポーランドでは,価格自由化を行った90年第1四半期にM2が前年同期比で37.0%減少しており,90年全体でも前年比33.8%減と大幅な減少となっている。チェコ・スロバキアでも,価格自由化を導入した91年第1四半期には前年同期比33.7%減,91年前年比28.9%減とM2は大きく減少している。両国の実質GDPの変化をみると,ポーランドは90年には前年比12%減,チェコ・スロバキアは91年19.2%減(但しNMPベース)となっており,実体経済と比べてもマネーが大幅に減少したことが分かる。しかも,両国とも実質貨幣残高の水準は,消費者物価の上昇が鎮静化してきた現在でも,改革以前の水準には戻っておらず,一時的な減少ではないことが窺われる。これに対して,ハンガリーでは,貨幣残高は小幅な減少(90年前年比5.2%滅,91年同6.4%滅)に止まっているが,これは同国では1968年から価格の部分的な自由化が始められ,90年までには既にかなりの自由化が行われていたことを反映しているものとみられる。

(進展する相対価格の歪み是正)

次に,価格自由化後の中欧3か国の相対価格の変化を,消費者物価の品目についてみると(第3-1-2図),従来低く抑えられていたサービスや家庭用エネルギーを含む「非食料品」の価格上昇が平均を上回っているのに対し,各国とも食料品の上昇は平均を下回っている。また,これまで耐久消費財や衣服の価格が相対的に割高なレベルにあったことを考慮すると,現在,これらの財の旧価格体系が調整されつつあることが窺える。

また,第3-1-3図は,生産者物価指数における相対価格の変化を見たものである。3か国に共通した特徴としては,これまで割安であったエネルギーが平均を大きく上回って上昇しているのに対し,軽工業や食品産業の上昇が平均を下回っていることが挙げられる。エネルギーは,従来旧ソ連から安価な供給を受けて,国際価格より相当安価になっていた。しかし,ソ連からの供給削減と,91年のコメコン解体による輸入価格の大幅上昇から,各国政府は従来の価格を維持することが難しくなり,ポーランド,ハンガリーは,90年の自由化後も価格規制を続けていたエネルギー価格の自由化に91年から踏み切っており,チェコ・スロバキアは,91年の価格自由化と同時にエネルギーの大部分について自由化を行った。エネルギー産業の生産者価格が,平均を上回って上昇した背景には,各国政府がこうしたコスト上昇を反映した価格引き上げを行ったことがあると考えられる。

これに対し,食料品,衣料といった消費財産業の生産者価格の上昇は,平均より低くなっている。食料品の中には緊縮政策による需要の滅少から生産者価格が下落するものも出てきており,新規民間業者の増加や,輸入自由化による外国製消費財の流入によって,同部門の企業は製品価格を引き上げにくくなっているものと考えられる。

こうした相対価格の変化は,消費者の行動に影響を与えており,家計が消費する品目構造にも変化が現れてきている。第3-1-4図(1)は,ポ―ランド勤労者世帯の消費構造の推移を示したものである。これを見る限り,相対価格が割安となった食料品のシェアが増え(46.8%→56.0%),逆に割高となったサービスへの支出は19.3%から11.2%へ縮小するなど,所得水準の低下による所得効果の影響も考えられるが,家計の消費構造は相対価格の変動をある程度反映して変化している。(2)のチェコ・スロバキアの小売構造についても,同様の変化が認められ,92年第1四半期の構造を前年同期と比較すると,相対的に価格の上昇した非食料品のシェアが減少し,逆に価格が相対的に低下した食料品のシェアが上昇している。サービスについては,相対価格は上昇しているものの,シェアは僅かながら増加している。以上のように,家計のレベルでは価格変化に対応した行動が採られるようになってきている。

一方,企業部門に対しても,相対価格の変化は収益等に影響を与え始めている。後に見るように,ポーランドでは,相対価格が上昇した燃料部門などでは収益が好転しており,逆に機械産業や軽工業では収益は悪化している。

以上のような結果をみると,中欧3か国では,価格自由化によって,マネタリー・オーバーハングの解消が進むとともに,相対価格体系の歪みが調整され始め,各経済主体が価格をシグナルとした行動を採り始めるなど,価格自由化政策は概ね所期の効果を収めることが出来たといえよう。

2 マクロ安定化政策の成果

(1) 最も成功したチェコ・スロバキアの安定化政策

前述のように,一般に,抑圧インフレの下にあった計画経済諸国では,調整されなかった超過需要が長期にわたって蓄積されており,価格自由化直後には,その顕在化によって高率のインフレが伴うとされている。このため,自由化によって価格を均衡水準に移行させる際には,需要を抑えるための安定化政策が必要となる。ハンガリー,ポーランドは90年から,チェコ・スロバキア,ルーマニア,ブルガリアは91年から,それぞれ程度の違いはあるものの,価格自由化とともにこうした安定化政策を実施している。

ここでは,各国の安定化政策の評価を行うために,まず中欧3か国のインフレの状況をみていく。まず,最も早い時期から段階的な自由化を進めていたハンガリーでは,本格的な改革導入後もインフレ率は高まり続けたが,92年に入りようやく低下してきている。次いで,80年代から部分的自由化を実施し,90年に大部分の自由化を行ったポーランドでは,88年からの高率のインフレは鎮静化したものの,現在でも年率30%前後のインフレが続いている。これに対し,チェコ・スロバキアでは,91年から全面的な価格自由化が行われ,急速に高まったインフレ率は91年後半には急速に鎮静化し,ごく最近では年率で10%程度にまで落ち着いている(第1章2節参照)。

第3-1-1表は,中欧3か国の経済安定化の状況を,4つの指標から判断したものである。まず財政赤字をみると,ポーランド,ハンガリーでは91年対GDP比4%と高レベルの財政赤字となっており,92年に入っても財政支は大幅な赤字を続けている(ポーランドでは7月末現在30.5兆ズロチ(約23億ドル)に上っており,92年全体ではGDP比7.5~9%程度と予測されている。ハンガリーでは,8月末現在1,217億フォリント(約20億ドル)となっている)。その要因は,相対価格の変化や生産者価格に比べた単位労働コストの上昇,さらにはコメコン市場の喪失や補助金カット・実質金利引き上げによる資金フローの減少によって,特にポーランドでは,歳入基盤となっている国営企業の収益が急速に悪化する一方で,国営企業からの税収に依存した歳入構造が十分に変化していないためと考えられる。これに対して,チェコ・スロバキアの財政収支が比較的良い背景としては,他の2国と異なり,直近まで国営企業の工業品価格の上昇が民間主体のサービスを含む消費者物価のそれを上回っていたため,国営企業の収益が他の2国ほどには悪化していないと考えられることなどが挙げられる。また,租税滞納に対する追徴税率が高いといったことも挙げられよう。

通貨供給量では,本格的な改革を開始した時の水準から各国とも大幅な増加は示しておらず,マネタリー・オーバーハングの解消もあいまって,金融当局による通貨調節は概ね成功しているといえる。但し,後述のように,国営部門で企業間債務(売掛金支払い遅延の不良化)が増加している点には注意が必要である。

実質賃金の面では,ポーランドでの91年以降の伸びの高さがやや目立っている。これは後述のように,ポーランドの国営企業が労働組合による自主管理経営であるため,過度の賃金上昇が起こりやすい体質であることの現れといえよう。これとは対照的に,チェコ・スロバキアでは実質賃金はなお低下している。

最後に実質実効レートの推移をみると,ポーランドではインフレ抑制のためのアンカーとして,90年1月から91年5月まで固定レートが採用されていたが,この副作用として,91年には実質レートは56%と大幅な増価が生じた。一方,ハンガリーでは90年から,チェコ・スロバキアでは91年から,それぞれ主要通貨バスケットに対する部分的な変動制(予め設定した小幅の調整を連続的に行う変動制で,クローリング・ペッグ制と呼ばれる)を導入しており,実質実効レートは比較的安定している。

以上の4指標から判断する限り,チェコ・スロバキアが最も安定化に成功しており,ハンガリーがこれに次いでいる。一方,ポーランドは3指標で不安定さが見られており,安定化にはなお時間を要すると考えられる。中欧3か国以外のルーマニア,ブルガリアについては,経済指標に乏しいため評価は難しいが,インフレの加速にみられるように,安定化にはまだ至っていないものとみられる。

(2) ポーランドのインフレ要因

ここで,89年から極めて高率のインフレーションに見舞われ,現在も数10%のインフレが続いているポーランドについて,そのインフレ要因と,90年に導入されたインフレ抑制政策の効果を概観する。

(90年改革以前のインフレーション)

ポーランドでは,80年代の段階的な価格自由化と,農業・商業部門における小規模化・民営化の進展によって,超過需要は,公定価格市場と自由価格市場間のギャップ拡大をもたらした。こうした状況の下,政府は財政負担の増大を避けるために,自由価格に追随させる形で公定価格の断続的な引き上げを繰り返した。

自主的な価格・賃金設定が可能となった国営企業は,こうした物価上昇を補償する形で賃金の引き上げを行う一方,政府部門は,輸出競争力の維持を狙って,物価上昇に対して追随的な通貨の大幅な切り下げを断続的に行った。

また,こうした推移は,国内の流動性の態様にも影響を与えた。Mlとより広義の通貨の推移を見ると(付図3-1),この時期にはMlは減少傾向にあるのに対し,準通貨(外貨預金を含む)は89年に急増している。これは主に民間部門における外貨保有の増加によるものである。すなわち,インフレ高進と通貨の切下げ期待によって,国内通貨の収益率は外貨の収益率より大きく低下した(前者の収益率は金利-インフレ率,後者の収益率は金利-インフレ率+通貨の期待切下げ率)。このため家計を中心とした民間部門は,国内通貨を保有するインセンティヴを失い,代わって外貨保有の指向を高めたのである。こうした外貨需要の高まりは,ズロチに換算した外貨保有高を膨張させたため,国内の購買力は低下せず,80年代後半にはこうした外貨による通貨膨張が大きなインフレ圧力となったと考えられる。付図3-2は,88年以降のインフレ率の上昇要因を為替変動要因,賃金変動要因,価格自由化の代理変数である相対価格変動要因に分解したものであるが,89年後半のインフレ要因として為替変動要因が拡大している背景には,通貨切下げによる輸入価格の上昇を通じた影響以外に,こうした通貨膨張による影響の高まりもあったと考えられる。

(90年のインフレ抑制政策の評価)

ポーランドが90年初頚から導入した安定化政策は,(1)公定為替レートを闇レートのレベルまで切り下げて固定するとともに,居住者に対して外貨との交換を公式に容認し,(2)懲罰的な税制の導入によって,賃金の上昇を抑え,(3)価格補助金や企業補助金の削滅によって,89年に急増していた財政赤字を削減し,(4)政策金利を実質でポジティヴな水準まで引き上げる,といった内容のものであった。また同時に,価格のほぼ完全な自由化が導入された。この時期以降のインフレ要因については以下のように要約できよう。

まず,90年から導入された価格自由化は,国内の相対価格の大幅かつ急速な調整を引き起こし,インフレーションを加速した(付図3-3)。しかし,グラフを見る限り,この要因による上昇は一回限りの上昇に留まっており,91年第1四半期以降はマイナスとなっている。この結果,価格自由化による価格上昇が90年以降のポーランドのインフレに及ぼした影響は,短期的なものに留まったということができる。

次に為替レート要因であるが,90年初頭における為替レートの固定と部分的な交換性の回復は,それまでの外貨指向を国内貨幣指向に切り替えさせ,インフレ圧力となっていた国内の外貨を吸収することを可能にした。付図3-2を再度みると,為替変動要因は90年第2四半期から急速に縮小している。また付図3-1をみると,外貨建て預金が含まれている準通貨は89年にはGDPの45%にまで達したが,90年には同比率で15%まで縮小している。ここから,為替レートの固定は,少なくとも改革当初のインフレ抑制には相当の効果があったと考えられる。

最後に賃金要因である。ポーランドでは改革開始後も自主管理制度が維持されたため,労働者の賃上げ要求に屈しやすい企業体質は,国営企業にまだ根強く残っている。政府は,こうした企業による過度の賃金引き上げを抑制するため,「超過賃金税(POPIWEK)」を導入した。この税は,政府が定めた上昇率を超えて賃金を上昇させた国営企業に対して(91年から民間企業は免税),超過した賃金支払い額の100~500%を超過幅に応じて課税するものである。

同税制の導入後,90年5月までは,政府の認めた賃金上昇幅が小さかったこともあって実質賃金は落ち着いていたが,6月に政府が緊縮の小幅緩和を発表し,消費者物価上昇率に対する100%のインデクセーションを認めると,賃金引き上げ要求は急速に高まり,企業は,価格自由化と補助金の削減・撤廃による収益低迷にも関わらず賃上げに踏み切った。この結果,前期比でみたインフレーションの低下のスピードは鈍り,年率数10%のインフレという状態が続くこととなった。こうした結果を見る限り,超過賃金税にある程度の賃金上昇抑制効果があったことは間違いないが,国営企業の賃金上昇圧力による高インフレという体質は依然として根強いといえよう。付図3-2に示したように,91年に入ってからの高インフレの主たる要因が賃金変動要因であることからも,この点は確認されよう。

(改革導入以後の緩やかなインフレーション)

90年後半以降,インフレーションはなお高率の状態が続いている。これは付図3-2に見られるように,前述の賃金上昇によるところが大きい。これに加え,90年代4四半期から拡大し始めた財政赤字が,新たなインフレ加速要因となる可能性が高まっている。

財政収支の推移を見ると,80年代後半は,89年を除いて黒字ないし小幅な赤字であったため,89年までのインフレに財政赤字が与えた影響は小さかったと思われる。

改革導入以後,90年第2四半期までは,販売価格の自由化と前述の賃金上昇の一時的鈍化によって国営部門の収益が増加したため,法人税収は実質で増大を続けたが,その後,収益の悪化と,資金繰りの苦しくなった企業による滞納等によって同税収は実質で減少し,国営企業からの税収に依存した歳入構造への改革の遅れから,歳入は減少傾向となった(付図3-4)。これに対し,歳出は失業給付などの増大によって,横這いないし緩やかな拡大傾向が続いており,財政収支は,90年第4四半期から赤字が続いている。第1章第2節で述べたように,92年に入っても財政赤字は拡大を続けている。91年に制定されたポーランドの中央銀行法は,制限つきながら通貨発行による財政赤字ファイナンスを依然として認めており,こうした財政赤字の拡大が,今後インフレ圧力となる可能性が高まっている。

3 対外政策と貿易構造の変化

次に対外面をみると,90年からの2年間でかなり大きな変化がみられる。ここでは,貿易自由化政策の導入等政策面の変化と,コメコン市場解体が貿易構造にどのような影響を与えたかをみておく。

(1) 貿易・通貨の自由化

(数量規制の廃止と関税率の引き下げ)

各国は本格的な改革開始とほぼ同時に,貿易の自由化を実施した。ほとんどの数量制限が廃止され,関税が大幅に引き下げられた。また,それまで国家によって独占されていた貿易業務が民間へ開放されるとともに,外貨との部分的な交換性の回復,為替レートの一本化といった通貨面での改革も貿易自由化に貢献した。付表3-1は,中欧3か国がこれまでに行った主要な貿易改革を示したものである。

ここにも示されているように,各国は,貿易活動の国家による独占を廃止して民間の参入を原則として自由化した。これによって,貿易部門には多くの民間企業が新規参入した。ポーランドでは,91年末には輸入業者の約半分,輸出業者の約15%が民間企業となり(90年末はそれぞれ20%,5%),民間の貿易業者は,90年3月の約2,800社から91年6月には約12,600社に急増した。チェコ・スロバキアでも,登録された民間貿易業者(ただし国内流通業を含む)は90年末の約61,500社から,91年9月には222,800社となり,全企業の19.7%を占めている。

これに加えて,これ等3か国は,貿易調整の手段となっていた品目ごとの許可制や数量制限のほとんどを廃止し,平均関税率を低下させて(ポーランド,ハンガリー→13~14%,チェコ・スロバキア→約5%),自国市場を対外的に開放した。これは前述のように,価格自由化の一環として,国内産業の独占的な状態に競争を導入することを目的としたものであった。この結果,各国の相対価格体系は,海外からの影響に対してより敏感に反応するようになってきており,購買力平価で見た内外価格差も,ポーランド,ハンガリーの両国ではなくなってきている(第3-1-5図)。

(外貨の部分的交換性の回復と為替レートの一本化)

通貨政策の面では,外貨との部分的な交換性の回復と為替レートの一本化が行われたが,これは輸出業者に対しては外貨によって獲得した利益を保障するとともに,輸入業者に対しては取引機会の拡大をもたらすものであり,外貨の面から貿易自由化を保障するものといえよう。ポーランドでは,それまでの断続的な公定レートの切り下げを止め,90年1月から公定レートを一気に並行市場レート(いわゆる闇レート)のレベルまで引き下げて,為替レートを一本化し,同レートでの外貨との交換を国内に対して保障した。また,インフレ抑制のためのアンカーとして,91年5月まで,為替レートを当初の9,500ズロチ/ドルに固定した。その後,91年10月からは月約8%のクローリング・ペッグ制に移行し,対ドル・リンクから主要貿易国通貨のバスケットへのリンクへと切り替えた。

これに対し,チェコ・スロバキアは,90年から緊縮政策を導入して国内需要を低下させることにより,並行市場レートを増価させていくとともに,公定レートの引下げを行い,これによって両者の差の縮小を誘導したうえで,91年1月に為替レートの一本化を行い,ポーランド同様,国内に対する交換性を回復した。当初から対主要貿易国通貨バスケットであり,クローリング・ペッグによる調整を採用していた。

両国の実質レートの推移をみると(第3-1-6図),年率数10%のインフレが続く中で固定したポーランド・ズロチは,その後の名目での数次にわたる切り下げにもかかわらず,実質で大きく切り上がっているが,インフレが早期に鎮静化したチェコ・スロバキアは,名目での切り下げをほとんど行わずに,実質レートの維持に成功している。

上記の2国に比べ,ハンガリーは80年代から為替調整を始めているものの,公定レートと並行市場レートとの差は大きく(第3-1-2表),90年以後も緩やかな闇レートへの接近を図っている。交換性の面では,輸入業者に対しては例外品目を除いて自由な外貨購入を認めており,他の業者や一般市民に対しても,金額には限りがあるものの原則的に交換を認めている。公定レートは主要貿易国通貨のバスケットであり,調整は不定期に行われている。

(2) コメコンの解体と貿易のECへのシフト

(旧ソ連市場の喪失と交易条件の悪化)

91年に実施されたコメコン(CMEA)の解散は,中・東欧諸国に多大な影響を及ぼした。従来,コメコン域内では,取引内容の詳細が国家間協定で決められたため,その価格は需給やコストを反映しておらず,国際水準からも大きくかい離していた。また,域内決済に使われた「振替ルーブル」には,他通貨との交換性がなかった。91年1月からこうした制度が廃止され,同年6月にはコメコンが解散された。こうした変革は,中・東欧諸国に,交易条件の悪化と旧ソ連市場の喪失という2つの影響を与えた。

これまで中・東欧諸国はエネルギーや原燃料を旧ソ連からの安価な供給に依存していたが,その価格が国際水準に引き上げられたため,輸入価格はポーランド,チェコ・スロバキアとも91年前年比で35.9%上昇した(以下IFSベース)。これに対して輸出価格の変化は,コメコン市場への依存度や品目構成の違いから国によって差が現れており,ポーランドでは同18%上昇したが,チェコ・スロバキアでは4.8%低下している。この結果,交易条件は91年前年比でポーランドでは13.1%,チェコ・スロバキアでは30.O%悪化した。こうした交易条件の悪化は,各国の国民所得を滅少させるとともに,国内産業に大きな調整圧力を加えている。また,ソ連市場の混乱やコメコン解体を背景に,中・東欧諸国の対コメコン貿易は急速に減少し,その市場規模は89年から91年の間に半減した。これによって,各国の工業生産は大幅に減少したが,一方でECを中心とする西側市場への輸出は拡大した。

(比較優位を有する輸出品の台頭)

この両者の影響から,中・東欧諸国の貿易の地域構成,品目構成は大きく変化した。まず,89年まで多くの国で主要な輸出先は,コメコン諸国からEC諸国になった(第3-1-7図)。また,それに応じた変化として,主要な輸出品目も,89年とは違ってきている(付図3-5)。

こうした急速な変動は,短期的には中・東欧諸国に多大な経済的な損失をもたらした。しかし,中長期的にはこの新たな状況は違った意味をもってくると考えられる。すなわち,貿易国相手国がコメコン諸国からEC等の先進諸国にシフトしたことによって,中・東欧各国のコスト構造には,相対的な生産性の低下と相対的な賃金水準の低下という,2つの変化が生じたと考えられる。まず,貿易相手がはるかに効率的な先進諸国に移行したことによって,中・東欧各産業の労働生産性は相対的に低下した。この変化の大きさを,中欧諸国について計算してみると,工業全体の平均では,ポーランド30.O%,チェコ・スロバキア6.1%,ハンガリー7.1%の低下となっている。これに対して,相対的な要素価格,特に相対的な賃金水準は低下したと考えられる。これを同様に中欧諸国について計算してみると,ポーランド52.2%,チェコ・スロバキア45.2%,ハンガリー22.2%と大きく低下している。付図3-6は,ポーランドについて,産業別にこの計算を行った結果を示している。

この結果,労働生産性と賃金を合成した単位労働コストを競争力の指標として考えれば,ポーランドでは22.2%,チェコ・スロバキアでは39.1%,ハンガリーでは15.1%,競争力が相対的に改善したことになり,中・東欧諸国は,貿易相手が先進国に変ったことで,工業全体としてはかえって有利な環境を獲得したと考えることが出来る。これを産業別に見ると(第3-1-8図),各国の産業のほとんどで単位労働コストの相対比は改善しており,相対比が1以下,つまり貿易相手より単位労働コストが低い産業が幾つか存在し,その数は91年になって増加していることが分かる。また,国ごとに曲線の形状も異なっており,潜在的な輸出産業が異なっていることを窺わせ,付図3-5をみる限り,そうした産業の輸出増加は既に各国で現れてきているといえる。

(有望な労働集約型産業)

既存設備の老朽化や新規投資資金の不足から,今後,東欧諸国の資本/労働比率は,概ねEC諸国より低い状態が続くと考えられる。従って,東欧諸国とEC諸国の貿易は,要素賦存の違いからは,東欧諸国が労働集約的な財の生産に特化する可能性があり,農業や繊維製品などの労働集約的な工業製品については,既にそうした傾向が現れている(付図3-5)。

他方,相対的に資本集約的な機械産業をみると,3か国とも同産業の単位労働コストは貿易相手に対して低い(第3-1-8図)。このことは,中欧3か国が西欧諸国と同等の機械製品をより安価に生産出来ることを必ずしも意味しない。ポーランドについて,金属製品,一般機械,輸送機器3品目の平均単価を計算し,ドイツの同価格と比較してみると,ポーランド製品は,91年には市場レートでドイツ製品の20%程度,購買力平価で35%程度の価格となっている。また品目別に見ると,輸送機器の価格差が最も大きい。こうした大きな価格差は,同じ機械産業でも,付加価値や技術・品質のレベルでドイツ製品とは大きく異なる別の製品分野に,ポーランド製品は属していることを示すものといえ,ドイツ製品と直接に競合しない分野では,ポーランド機械製品のドイツ輸出も可能であると考えられる。

4 変化を迫られる国営企業

前述のように,90年後半からのポーランドでのインフレ再燃は,国営企業による実質賃金の引上げを主因とするものであった。第3-1-9図をみると,90年後半以降,ポーランド国営企業は全体として,一人当たり税引き後利益の減少に直面しているが,平均賃金は大幅に上昇している。つまり,国営部門は収益の減退にも関わらず,コスト削減の一環としての賃金抑制を行っていないことになる。これは,ポーランドの国営企業の多くが,労働者代表による自主管理組織によって運営されているため,賃金の引き上げが実施されやすいことによるものといえよう。こうしたポーランドの例にも見られるように,経済情勢の変動に対する中・東欧各国の国営企業の行動は,競争的な市場経済下の経済主体であれば当然期待される制約を持たないため,経済の安定化・回復の妨げとなっていると考えられる。

計画経済の下にある国営企業には,一般に「ソフトな予算制約」という特徴があると指摘されている。これは,1)倒産の恐れがない,2)政府から潤沢な補助金が受けられる,3)低い金利で銀行からの融資が容易に受けられる,といった条件の下で,企業経営者が収益性を考慮せずに,過大な投資や賃上げを行いやすいことを指している。こうした企業は,コストの上昇に対して無頓着であり,経営改善への調整努力も回避しようとするため,市場経済化を図っていく上では,企業部門からこうした体質を払拭する必要がある。そのため,後述の新規の民間部門の育成と既存の国営企業の民営化が,各国の経済改革の主要な柱としてあげられているといえよう。しかし,これには多大な時間が必要であるため,当面は国営企業の経営を一刻も早く正常化させる政策が必要となる。

90年の改革の開始とともに中・東欧各国は,企業部門に対して,1)投入/産出価格の操作による「補助金」供与の廃止,2)赤字企業への直接補助金の削減・撤廃,3)企業への実質貸出金利の引上げと破産法の制定を含めた金融規律の導入,といった改革を導入し,国営企業の予算制約のハード化と,それによる企業部門での構造調整の進展を目指した。

ここで,財務データが入手できるポーランドの国営企業について,最も簡単な粗利益(売上-コスト)をみると,89年の増加から90年には横ばい傾向となり,91年からは概ね減少傾向にある(第3-1-10図)。粗利益のこうした低迷の背景には,賃金の増加によるコストの増加と国外及び国内双方での交易条件の悪化があると考えられる。特に,国外面では,前述のように,ソ連からの安価な原材料供給の停止によって,交易条件が悪化した。

また,粗利益の推移は部門によって大きく異なっている。内外での交易条件悪化の影響を最も受けやすい機械工業では,粗利益/売上比率(第3-1-3表)が,89年の31%から92年1~2月にはほぼゼロへと大きく悪化した。同様に相対価格が低下した冶金や軽工業でも同比率は悪化している。これに対し,国内での相対価格が上昇した燃料・電力は,89年のマイナス5.2%から92年1~2月の5.8%へと改善し,通信インフラ整備が始められたことを受けて,通信部門も急速に改善している。政策的に販売価格を抑えられていた鉱業,燃料・電力部門を除いて,全般に89年には,ほとんどの部門で高かった粗利益率が,最近では,内外の価格変動の影響を受けてばらつきを見せてきていることが分かる。

業種間で現れてきた粗利益率の差は,売上のシェアにも現れている。第3-1-11図を見ると,燃料・電力部門等が拡大し,機械,軽工業,建設のシェアが縮小している。これらの結果から見る限り,ポーランドの国営部門内部でも,既にある程度の構造調整が始まっているといえる。

粗利益と税引き後利益の差は,ほぼ政府部門への純支払い額(納税額-補助金額)と考えられる(第3-1-12図)。この推移をみると,91年末まで上昇を続け,92年に入って大きく減少していることが分かる。このうち補助金額(推定)は89年まで上昇したが90年の改革開始とともに減少に転じ,91年第4四半期には逆に企業からの支払い超過となっている。計画経済下では,補助金は部門間の収益の均等化を図る手段として使われてきたが,間接・直接の補助金の喪失によって,この再分配機能が働かなくなった結果,国営部門は自らの努力で経営の改善を図らなければならなくなってきている。

次に,金融部門との関係をみると,中欧各国では実質貸出金利が大幅なマイナスとなっている時期があることが分かる(付表3-2)。これを国営企業に対する実質貸出の推移とともにみると,ポーランドでは,89年第2四半期から実質金利がプラスになったことを受けて,銀行からの借り入れは急速に減少した(第3-1-13図)。その後,90年の第2四半期に政策金利が引き下げられるとやや回復し,その後は横ばい気味の推移となっている。チェコ・スロバキアでは,91年第1四半期から経済改革が開始されたが,91年前半の実質金利はマイナスであった。このため,改革直後の実質貸出は比較的小幅な滅少にとどまった。90年第3四半期から実質金利はプラスとなったことから,実質貸出は横ばいに止まっている。ハンガリーは,漸進的な引き締めを実施していることから,実質貸出は徐々に減少しており,実質金利の推移を見ても,価格自由化による価格上昇(90年第1四半期にほとんどの品目,91年第1四半期にはエネルギーの自由化)があった時期を除けば,ほぼプラスが維持されている。この結果,これら諸国の国営企業は,全般に金融コストの上昇と資金の減少に直面しているといえ,特にポーランドではその傾向が強い。加えて既存債務のかなりの部分が不良化しているため,実際には国営企業部門の新規借入れは見かけ以上に困難になっているものとみられる。

こうした補助金の削減や金融部門からの資金借入れの困難に直面している反面で,企業が企業間の売掛金支払いを遅延させるという,企業間債務が増加している(付表3-3)。銀行からの借り入れが大きく減少したポーランドでは,特にこの債務が膨張しており,その規模は銀行からの借り入れを大きく上回っている。これに対して,国営企業への貸出が比較的保たれているチェコ・スロバキアでは,企業間債務は90年に入って急速に拡大しているものの,その規模は銀行からの借り入れに比べてまだ小規模にとどまっている。企業間の支払い遅延が不良債務化する,というような現象は,東欧各国における金融規律・企業規律の未確立に起因するものといえる。各国では倒産制度が導入されているものの,その運用は,企業行動に変化を与えるにはまだ不十分であると考えられる。

全体として,東欧各国の国営企業は,補助金の削減・撤廃,実質貸出金利の引上げなど企業への資金フローを制限する政策によって,調整への圧力に晒されてきている。しかし,金融制度の未整備やその運用の不適切から,企業は調整努力を回避する方向をとろうとしており,過度の賃上げを続けている。こうした事態の正常化には,適正な賃上げと明確かつ的確に運用される金融法規・制度が必要となっている。

5 拡大する民間部門と進展が遅れる国営企業の民営化

(民間部門の拡大)

中・東欧諸国では,経済改革の一環として民間の企業活動が自由化され,商業・サービス部門を中心に,新たな民間企業が急速に増加している。その一方で,既存の国営企業の民営化では,各国の努力は続けられているものの,なお部分的な成果にとどまっている。こうした中,チェコ・スロバキアが行っているバウチャー方式()は現在比較的順調に進行しており,今後この運営が成功すれば,民営化を加速するための先鞭となる可能性もある。

ポーランドでは,80年代後半から商業・農業での民間営業を認めており,経済に占める民間の比率はかなり高い。非登録の法人数は,92年初には4.5~5万件に達している。また,GDPに占める民間部門のシェアも,89年28%,90年35%とかなり高い。工業部門の生産も27%は民間企業が行っており,92年第1四半期の工業総生産は前年同期比8.6%の減少であったが,このうち民間企業は同36%増となっており,ポーランドの工業生産回復に大きく寄与していることが窺われる。雇用では,91年には個人農を含めて全体の50.6%と約半数が民間部門に吸収されている。

これに対し,チェコ・スロバキアでは,89年まで厳格な計画経済体制下にあったため,民間企業の成長は遅れている。民間部門がGDPに占めるシェアは,90年の5.3%から91年には8.1%と拡大したが,そのレベルはまだ低い。商業の登録を行った市民数は,90年末の約49万人から,91年末には134万人に達しており,このうち40万人は自営業である。また民間部門の雇用者数は,92年第1四半期までに100万人近くに上っているが,工業部門では92年1~2月時点でも民間企業の雇用者は4%にとどまっている。現在同国で進行している大民営化の第1回目が終わると,民間部門のGDPシェアは15~20%に拡大する模様である。

68年から市場経済化を開始したハンガリーでは,ポーランドと同様に民間企業は既に経済のかなりの部分を占めており,GDPに占める民間の比率は30%強とされている。中規模以上の法人数は,92年第1四半期にも15%以上増加し現在6万社を超えている。また小規模の非登録法人のうち,50万人は工業または商業に,150万人は農業に従事している。

上記のように,民間部門は急速に拡大しているが,その大部分は,新規参入と民営化された中小企業であり,大規模企業の民営化は,緩やかな進展にとどまっている。大規模国営企業は,各国のこれまでの主力産業でそれぞれ独占的な地位を占めてきており,国内労働力と国内資本の大部分を依然として占め続けている。民間部門の発達しているポーランドでも,国内固定資本の7割近くは国営部門に集中している。このため,新たな価格体系に沿った構造調整を進めるには,国営部門に集中している生産要素を比較優位に沿った部門へと移転していく必要がある。また,国の所有であることが,国営企業の経営者やそこに投資する金融部門の多くに,経営を破綻させても最終的には国の救済が期待できるとの誤った確信を抱かせており,さらにポーランド,ハンガリーにおける自主管理国営企業という企業形態は,過大な賃金上昇圧力として経済に対する不安定化要因にもなっている。このため,企業経営の自己責任という原則をより徹底し,経営改善を図っていくためには,所有権を民間に移転することが早期に必要となっているといえよう。

(各国の民営化の方法)

ここで各国が現在進めている民営化の動きをみると,小規模企業については,概ねそれまでの事業者や従業員に売却するか,または競売によって民営化が行われており,かなり進んできている。しかし,大規模企業については,方法に違いも見られるので,やや細かく見ていくこととする。

ポーランドでは,90年に国営企業民営化法が制定されたが,同法は民営化手続きの概略を定めたもので,具体的なプログラムを含んではいなかった。その後,91年9月に具体的なプログラムが国会に上程されたものの,政治的な混乱もあって承認に至らなかったが,92年10月にようやく具体的な計画が国会を通過した。このプログラムによると,国営企業はまず国有の株式会社に転換される。その後,一部の企業については株式を公開・売却するが,優良企業600社の株式は,従業員,政府,新設の投資信託基金(国家投資ファンド,NIF)の3者に10%,30%,60%の比率で分配される。一般市民は平均月収の10%を登録料として払えば,各NIFが発行する株式を1株ずつ入手することができる。また,政府保有分は公営部門従業員の年金原資として使われるが,将来は株式市場へ売却される。

これまでの実績を見ると,国営企業の株式会社化は92年3月時点でも504社(国営企業総数8,273社の6.1%)となっており,また何らかの方法で資産が既に民間に移転している大企業も,同時点で32社に止まっている。このような大企業民営化の遅れは,国営企業の経営に強い発言力を持つ自主管理組織の反対によるところが大きいと考えられる。10月に発表されたポーランド政府の新提案では,自主管理組織の民営化過程への参加が拡充されており,一般市民への配布対象とならない企業(大企業の中でも比較的小規模な企業)については,従来所有権移転庁が決定していた民営化方法を,計画施行後3か月間に限り,自主的に決定できることにしている。

チェコ・スロバキアでは,「大規模民営化法」に基づいて進められている。それによると,まず対象企業を国有の株式会社に転換して,国の機関への移管が行われる。その後,国民に有償でクーポン(バウチャー)を配布し,国民の投票を通じて各企業の株式価格をクーポン数で決め,クーポンと株式との交換を行う。入手した株式は,93年から第3者への金銭での売却が認められている。

現在までのところ,この過程は,当初計画に対する時間的な遅れはあるものの,比較的順調に進んでいる。第1段として選定された約2,000企業については民営化計画が了承され,このうち1,491社の株式(3,000億コルナ相当)がクーポンとの交換に当てられ,残りの509企業の多くは株式の直接売却によって民営化される。前者の株式については,91年10月から,成人国民一人に対して1,000ポイントのクーポンが1,035コルナ(約4,600円,チェコ・スロバキアの一人当たりGDP(1990年)約84,000コルナの12%程度)で販売され,適格者の3/4に当たる約850万人が購入した。ポーランドでは公的機関として計画されている投資信託基金を,チェコ・スロバキアでは約500の民間企業が政府の認可を受けて開業しており,うち437社がクーポン全体の72%を国民から預託された。92年5月までに企業情報が公開され,国民各自が自分の持つ1,000ポイントを希望する企業(複数も可)に投票した。そして,6月には約30%の企業株式(900億コルナ相当)がまず売却された。また,469社については需要が供給を上回ったため,2回目以降の売り出しに回された。第1回目の株式については92年中に5回の売り出しが計画されている。こうした実施過程で,顧客獲得のために投資信託が顧客に提示している配当率が過大である点や投資信託がインサイダー取引を行う可能性等,幾つかの問題点が指摘されており,政府では投資信託への規制法や証券に対する基本法案を準備している。

ハンガリーでは,国営企業の民営化は90年に設立された国家資産庁が中心となって実施しており,手法は「転換」(国営企業が簿価ベースで株式を発行し,それを従来の経営者,従業員が債務等とともに継承する)と株式売却の2つに大きく分けられる。同庁の発表によれば,これまでのところ,簿価ベースで全国有資産の10~15%が民間に売却され,92年末までには20~25%に達すると見込まれており,最終的には75~80%の売却が予定されている。「転換」については不正行為を防ぐために国家資産庁の監査が義務づけられており,91年には218社,92年にも5月までに72社の転換を監査している。これらの企業の多くは外国投資家に売却されており,これによる収入は91年には350億フォリント(GDPの1.5%程度)に昇っている。

全体として,ハンガリーの民営化は,90年当初の国家資産庁主導から,企業の自主的民営化を認める方向に動いてきており,また戦略的産業については,将来的にも(部分的または全面的な)国家保有を条件つきで認める「国家資産法」が国会に上程される等,民間への移転を当面の目標としているポーランド,チェコ・スロバキアとはやや異なる方向に向かっているといえよう。なお,92年1月に発効した新破産法は,債務の支払い遅延90日以上の企業に対し,60日以内の全債務者との返済計画の合意か,清算もしくは破産を義務づけており,92年4月には3,200企業が清算,2,000企業が破産となっている。

3か国の民営化をまとめると,ポーランド,チェコ・スロバキアは,居住者への株式移転に重点を置いた民営化を進めており,ハンガリーは内外投資家への売却と現存企業の転換という2つの手法を使っている。また,企業内の自主管理組織が強いポーランド,ハンガリーではそうした組織の民営化への参加に配慮した手法が採用されるようになってきており,そうした手続きを必要としていないチェコ・スロバキアと比べて,民営化の進展で遅れる可能性が出てきている。

6 市場に適した金融システムの確立

中欧3か国の金融制度改革の状況を見ると,中央銀行法,新銀行法の制定によって,(1)中央銀行からの商業銀行機能の分離,(2)金融政策と銀行監督に対する中央銀行の権限・独立性の確保,(3)商業銀行に対する貸出決定権限の保障,といった点ではある程度の進展が見られている。

中央銀行の独立性は,ポーランド,ハンガリーでは91年に,チェコ・スロバキアでは92年にそれぞれ発効した中央銀行法によって規定されている。ただし,国内の銀行のほとんどが国営であり,中央銀行による財政赤字の補填度が部分的に残されている状況では,中央銀行の独立性はなお不完全な状態にある。今後,長期的にインフレ状態を避けることが出来るかどうかは,各国の中央銀行の独立性の程度によるところが大きいことから,より完全な独立性を確保することが望ましい。

金融政策に必要な手段の整備についても,幾つかの進展が見られる。各中央銀行は,商業銀行の貸出量への数量規制を徐々に廃止し,金利や公開市場操作などを通じた間接的な制御へと移行している。商業銀行に対する資金供与は金利に基づくオークション制へと切り替えられ,ポーランド,ハンガリーそして92年に入ってからはチェコ・スロバキアでも,様々な種類の政府債,中央銀行債の発行が定着してきており,これらの債券による公開市場操作は金融調節の中での比重を高めている。

また,各国の新銀行法では,中央銀行に対して,商業銀行の必要準備高,流動性,外国為替の持ち高,個人客への貸出枠の上限などについて規定する権限が定められた。商業銀行の監査は,ハンガリーでは政府に対して責任を負う「国家金融機関監査庁」が行うが,ポーランド,チェコ・スロバキアでは中央銀行の専権となっている。しかし,企業・銀行の財務情報の不足や,そうした情報を分析する人材の不足から,金融システムに対する監査機能はまだ不完全となっている。

商業銀行が抱える国営企業向けの不良債権は,銀行部門での改革の進展を妨げる問題となっている。OECDの推計によれば,チェコ・スロバキアが最も多額の不良債権を抱えているのに対し,ポーランドでは小規模に止まっている。

これは,88年からの高インフレによって,ポーランド企業の債務が事実上消滅したためで,ポーランド銀行全体の貸出残高に占める不良債権は,90年末で8%に止まっており,この期間に銀行部門の収益も大きく改善した。しかし,91年のコメコン解体による収益悪化から国営企業の資金事情が急速に悪化したことから,不良債権額は再び拡大しており,政府は企業銀行債務再建法案を準備している。ハンガリーでは,90年決算時点で360億フォリントの不良債権が確認されており,引当金や政府の信用供与で対応したが,91年に不良債権額が更に拡大したため,92年6月には,商業銀行の不良債権を集約し,国営企業民営化による収益の一部を充てるという計画が,政府によってまとめられている。

チェコ・スロバキアでも,銀行部門の財務状況の改善のために,銀行部門の不良債権を集約・継承する機関が設立され,国が国営企業に提供した低利のローンに対しては市場金利との差額分の補償等が行なわれた。

以上述べたように,金融制度の整備にはある程度の前進が見られるが,経済の現状あるいは企業の状況からみる限り,監査機能を持った金融システムはまだ確立されていないといえよう。経済改革の導入に伴って,なお不安定な経済状態にある中・東欧各国では,貸し手に対する情報不足やリスク算定の困難等から,モラル・ハザードや信用機能の弱体化といった問題が発生しやすいと考えられる。先進諸国で機能している金融システムは,永年の経験の積み重ねから整備されてきたものであり,その複雑な組織・機能を短時日で実現することは困難であるが,今後,中・東欧諸国では,銀行部門の健全化や実効性のある監査機能を充実させることによって,経済の安定化とともに,成長部門への適切な資金配分を進めていくことが重要であるといえよう。