平成2年

年次世界経済報告 各国編

経済企画庁


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I 1989~90年の主要国経済

第14章 為替相場の推移

85年春以降の米ドル相場の低下傾向は,同年9月のプラザ合意を経て加速化し,86年,87年と継続したが,88年には低下傾向に歯止めがかかった。89年に入ると米ドルは一転して堅調となり,6月中旬には87年8月以来の高値をつけた。その後89年9月のG7を境に米ドルは軟調に転じ,代わってドイツ・マルクを中心とした欧州大陸通貨が,折りからのソ連・東欧諸国の改革,特にドイツ統合をめぐる情勢等を背景に堅調となった。90年入り後,一時春先にかけて強含んだが,その後再び軟化し,8月にプラザ合意以降の最安値をつけた後も下落が続いている。本章では,89年以降の米ドル相場を,堅調に推移した89年と,年央以降下落が続いている90年に分けて回顧することにする。

(89年に堅調となった米ドル)

米ドルは88年に低下傾向に歯止めがかかった後,89年に入ると総じて堅調な推移を示した(第14-1図)。年初にはアメリカ景気が底固さを示し,インフレ圧力が高まるなか,FRB(米連邦準備制度理事会)は引き締め姿勢を強化した。それにともないアメリカの短期金利は上昇し,2月の公定歩合引き上げと相まって,その他主要国との短期金利差は拡大した。こうして米ドルは金利要因が大きく作用する形でおおむね5月まで上昇傾向を辿り,6月中旬にはさらに投機的な動きも加わって,実質実効レート(モルガン銀行発表ベース,1980~82年=100)では87年8月以来の高値をつけた(6月13日96.6)。その後,西ドイツ等大陸主要国の政策金利引き上げや,FRBの緩やかな金融緩和による金利低下等から,アメリカとその他主要国との短期金利差が縮小するなかで,米ドルは7月にかけて一時軟化したが,8月には再び強含みとなった。

このように堅調に推移した米ドルに対して,9月下旬のワシントンG7ではドル高に対する強い懸念が表明され,為替市場における緊密な協力が行われたことから,米ドルは弱含みに転じた。これに対して秋以降上昇したのが,ドイツ・マルクを中心とする欧州大陸通貨である(第14-2図)。ドイツ・マルクは,ソ連・東欧諸国の改革の進展,および他国との金利差縮小等を背景に上昇を続け,フランス・フラン,イタリア・リラ等の欧州大陸通貨もドイツ・マルクと類似したトレンドを辿った。このようななかで,米ドルは89年中は下落を続けた。

(90年央以降下落を続けている米ドル)

89年秋以降上昇してきたドイツ・マルクは,おおむね90年1月上旬まで上昇を続けたが,2月上旬に発表された両独通貨統合に関わるインフレ懸念等からその後は2月下旬まで弱含んだ。また,円も2~3月にかけて下落したことから,米ドルは90年3月にかけて強含みとなった。

その後,5月上旬の東西両ドイツ政府による通貨統合に係わる正式合意を契機に,ドイツ・マルクを中心とする欧州大陸通貨は一時大幅に上昇した後,ジリ高傾向を強めた。また,5月上旬のワシントンG7後は円も上昇に転じ,英ポンドもERMへの加入期待もあって,5月以降上昇傾向を強めたことから,米ドルは5月以降総じて弱含みとなった。さらにアメリカの短期金利が低下するなかで,米ドルは7月以降下げ足を速めた。

8月初のイラク軍のクウェート侵攻を契機とする中東情勢の緊迫化にもかかわらず,米ドルは弱含み基調が続き,プラザ合意以降の最安値(前述の実効レート,8月17日84.4)をつけた。8月末から9月下旬にかけては,米ドルは一進一退の推移となったが,アメリカの金融緩和期待が生じるなか,英ポンドのERMへの加入(10月上旬)等もあって,米ドルは9月末以降再び下落し,最安値を更新している(前述の実効レート,10月平均81.8,11月平均81,1)。

(アメリカの資本収支)

アメリカのネットの資本収支を事後的にみると,米ドルが下落し,株式市場にも動揺がみられた87年には,公的資金がアメリカの経常収支赤字の3割をファイナンスした形になっており,民間の自立的なファイナンスの役割が低下していたことがわかる。これに対し,米ドルの下落傾向に歯止めがかかった88年,米ドルが堅調となった89年には,直接投資,証券投資の流入超が大幅となっており,民間部門によるファイナンスが重要な位置を占めた。しがし90年の上半期には,直接投資,証券投資ともに流出超に転じており,米ドル相場も春先に一時強含んだものの,再び軟化に転じている。

90年のドル安の背景を整理してみると,日本,欧州主要国がむしろ金融を引き締めぎみにしているなかで,アメリカでは金融緩和が行われて金利が低下してきていることが要因としてあげられる。加えて,アメリカの景気拡大のペースが大幅に鈍化し,また,8月の湾岸危機発生にともなう原油価格の急騰によって,景気後退に対する懸念が強まっていることがあげられる。さらに,貯蓄金融機関問題に象徴されるように,アメリカの不動産不況が主因となって,アメリカの金融機関の業況が著しく悪化しており,金融市場をめぐる不確実性の高まりがみられることも背景となっている。このようなアメリカの金利水準の低下,不動産不況は,日本を中心とした外国の投資家による証券投資,直接投資を細らせる結果となっている。日本のアメリカ向けの対外証券投資(取得-処分のネット)は,88年には362億ドルと全体に占めるシェアが40.1%だったものが,89年には265億ドル(シェアは23.3%)に縮小した後,90年上半期には年率換算で178億ドルの売り越しとなった。日本の株価が低迷するなかで,投資家が米国債の利食い売りを行っており,対米証券投資の先細りに拍車をかけている面もある。

こうしたアメリカの資本収支をめぐる動向は,今後の米ドル相場の展開を探る上で,1つの大きな鍵となろう。


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