平成元年

年次世界経済報告 各国編

経済企画庁


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I 1988~89年の主要国経済

第12章 為替相場の推移

85年9月のプラザ合意によって加速された同年春以降の米ドル相場の低下傾向は,86年,87年と継続した。しかし,米ドルは88年にはドル安傾向に歯止めがかかり,夏場のドル高局面を除けばおおむね安定的な推移を辿った。89年に入ると米ドルは一転して堅調となり,6月中旬には87年8月以来の高値をつけた。本章では,88年以降の米ドル相場を,安定的に推移した88年と,ドルが堅調に推移した89年に分けて回顧することにする。

(88年に安定的な推移を辿った米ドル)

85年春以降のドル安傾向は,86年から87年にかけてもほぼ継続した。しかし,88年には夏場にかけてドル高となったものの,年間を通して米ドルはおおむね安定的な推移を辿った(第12-1図)。これはその他の主要通貨においても当てはまり,EMS(欧州通貨制度)参加通貨の間でも総じて安定した関係が維持され,EMSは87年1月以来現在まで調整が行われていない。

米ドルが安定的に推移した背景としては,①88年に入って,アメリカの対外不均衡の縮小傾向が顕著となってきたこと,②G7による為替安定を目標に置いた政策協調が続けられたこと等が挙げられる。

アメリカの貿易収支赤字を四半期平均でみると,85年が316.2億ドル,86年345.7億ドル,87年380.3億ドルと拡大していたものが,88年は296.3億ドルと明確な縮小を示した。これは,経常収支赤字についても同様で,87年には四半期平均で359.3億ドルだったものが,88年には同316.4億ドルとなった。一方,87年2月のルーブル合意に沿った為替安定のための政策協調も,G7諸国間で続けられた。88年4月のワシントンG7,6月のトロント・サミット,9月のベルリンG7と場面は異なったものの,基本的にはルーブル合意の精神が踏襲され,各国通貨当局による為替市場における緊密な協力がなされた。

年間を通じて安定的に推移した米ドルも,6月から9月にかけては堅調な展開となった。これは,貿易収支赤字が顕著な縮小傾向を示す一方で,アメリカ経済が力強い拡大を続けるなか,FRB(連邦準備制度理事会)が春以降引き締め気味の政策をとったために(公定歩合引き上げは8月),米ドル金利が短期を中心に上昇したことが要因である。

(89年は堅調となった米ドル)

89年に入ると,米ドルは総じて堅調な推移を示した。年初にはアメリカ景気が底固さを示し,インフレ圧力が高まるなか,FRBは金融引き締め姿勢を強化した。それにともないアメリカの短期金利は上昇し,2月の公定歩合引き上げと相まって,その他主要国との短期金利差は拡大した。こうして米ドルは金利要因が大きく作用する形でおおむね5月まで上昇トレンドを辿り,6月中旬にはさらに投機的な動きも加わって,実質実効レート(モルガン銀行発表ベース,1980~82年=100)では87年8月以来の高値をつけた(6月13日96.6)。

6月下旬以降は,西ドイツ等大陸主要国の政策金利引き上げや,FRBの緩やかな金融緩和による金利低下等から,アメリカとその他主要国との短期金利差が縮小したため,7月まで米ドルは弱含みに転じた。8月に入ると,アメリカ経済の軟着陸への期待,及び貿易収支赤字の縮小等により再び米ドルは強含みで推移した。

このように堅調に推移した米ドルに対して,G7は9月にドル高に対する強い懸念を表明し,為替市場における緊密な協力が行われたことから,ドルは弱含みに転じた。その後,一時再上昇したものの,10月半ばの株価急落によりF RBが若干の金融緩和を行ったことから弱含み,その後はおおむね横ばい推移となっている。


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