平成元年
年次世界経済報告 各国編
経済企画庁
I 1988~89年の主要国経済
第11章 ソ連・東欧:ソ連,89年経済は減速へ
89年に入って分極化傾向を示してきた東欧諸国は,同年秋以降急速に民主化へと向かっている。民主化の背景には,低成長,インフレ,消費財・食料品不足,失業といった東欧の経済的困難があるが,同時に,ソ連が軍事介入を行わないことを繰り返し表明したことも,東欧の民主化を加速したといえよう。
ポーランドでは,89年9月に成立した「連帯」主導のマゾビエツキ内閣の下,東側との軍事的・政治的結び付きを尊重するとしながらも,西欧型の市場経済の構築を推進している。しかし,インフレが高進しており,消費者物価は89年前年比739.6%の上昇を示しており,同内閣はインフレの抑制を最優先課題としている。89年の前年比実績は,工業総生産が原材料不足を主因に3.4%減となり,同年の生産国民所得はl.5%減と不調が見込まれている。一方,農産物の生産は比較的好調と見られている。(3.0%増)。しかし,同年8月の食料品価格統制撤廃に伴う食料品価格の高騰により,農家の食料品売り惜しみが生じ,これがインフレを加速させており(食料品価格は89年前年比880%の上昇),このような経済自由化に伴う混乱をいかに克服していくかが課題となろう。なお,マゾビエツキ内閤は市場経済化に伴って,90年については経済計画を作成しないこととし,同年1月からバルセロビッチ蔵相の市場経済化プランを実行に移している。
ハンガリーでは,89年10月に共産党の指導的役割条項が憲法から削除され,共産党は「社会党」に改組し,国名がハンガリー人民共和国から「ハンガリー共和国」に変更されるなど,積極的な政治経済の民主化が進められている。90年3月に複数政党制による自由選挙が実施され,その後に大統領選挙の予定となっている。
89年1月に会社法が制定され,国営企業の株式会社化,個人による私企業設立の自由化,外国資本による企業経営,等が推進されている。工業総生産は89年1~9月期前年同期比1.6%減,消費者物価上昇率は同9月前年同月比18.1%の上昇,貿易は,輸出が同1~9月期前年同期比21.5%増(ルーブル建取引11.7%増,非ルーブル建取引29.3%増),輸入が同17.0%増(ループル建取引2,6%増,非ルーブル建取引29.1%増)と西側との取引シェアが増加している。
東ドイツでは,改革に一貫して消極的であったホーネッカー長期政権(71~89年10月)の退陣後,クレンツ政権の下で89年11月,「ベルリンの壁」の撤去を開始して外国旅行を自由化し,12月には憲法から共産党の指導的役割条項が削除されるなど,民主化政策が進められていたが,同月にクレンツ書記長以下共産党指導部が総辞職して,ギジ新書記長が選出され,党名も社会主義統一・社会民主党に変更された。90年5月には複数政党制による自由選挙が予定されている。東ドイツはもともと東欧では経済パフォーマンスが最も良好な国であり,西ドイツ経済との交流活発化や民主化による労働意欲向上等が進めば,再び経済が回復する可能制も見込まれる。
89年の前年比実績では,生産国民所得2%増(年間計画値4.0%増),工業総生産2.5%増(同4.2%増),同年1~9月前年同期比で小売売上高4%増(同4.0%増),貿易では同期間に約37億為替マルクの貿易黒字(88年は年間約31為替マルクの貿易黒字)を計上した。また,畜産物の国家買上げ高は計画を2~3%超過達成した。
チェコスロバキアでは,経済面での改革は進めながらも政治面での改革は慎重であったが,89年11月には「ベルリンの壁」の撤去開始という東ドイツでの民主化の流れを受けて,「市民フォーラム」を中心とした民主化運動が活発化し,ヤケシュ政権は退陣,ウルバーネク政権が成立した。新政権は,外国旅行自由化,政治犯釈放,共産党の指導的役割条項の削除,非共産党貝の閤僚登用,68年の「プラハの春」の再評価,などの民主化政策を実行した。しかし改革派勢力はこれを不十分としたため,組閣の見直しが行われ,共産党のチャルファ(後に離党)を首相とする内閣は,非共産党貝が過半数を占めるまでとなった。
89年12月にはドプチュクが連邦議会議長に,市民フォーラムの指導者ハベルが大統領に選出され,今後一層の民主化が進められるものとみられる。
89年1~6月期の前年同期比実績は,生産国民所得約2%増(年間計画2.2%増),工業総生産は省エネのために原燃料多消費型産業(鉄鋼,冶金等)の生産を抑制したことから1.1%増(同2.0%),小売売上高3.9%増で,農業生産は天候に恵まれたこともあって増産が見込まれている。同年1~5月の貿易は,輸出が対社会主義諸国0.1%減,対西側諸国17.4%増,輸入は対社会主義諸国0.5%増,対西側諸国7.9%増で,ソ連,東ドイツ,ブルガリア等社会主義諸国の減少が顕著な反面,西ドイツ,オーストリア,スイス等西側先進資本主義諸国との貿易が活発化している。
ブルガリアでは,ジフコフ長期政権(54~89年)の後,ムラデーノフ政権が成立し,90年1月に憲法から共産党の指導的役割条項が削除され,さらに憲法の大幅改正と自由選挙が同年中に予定されるなど,政治面での改革にも取り組み始めている。
89年1~9月の前年同期比実績は,生産国民所得は3.5%増,工業総生産3.5%増,農業総生産6.0%増,小売売上高7.8%増とおおむね順調であった。貿易は,輸出4.7%減,輸入9.9%減と輸入が大きく減少した。
ルーマニアでは,65年から続いてきたチャウシェスク長期政権が自主路線の下,民主化の進む東欧にあって保守的立場を堅持してきたが,89年12月,反独裁を叫ぶ民衆の蜂起により打倒され,救国評議会が政権を掌握した。新政権により民主化が進められるとみられるものの,混乱した政治経済の立て直しにはなおかなりの困難が伴うこととなろう。国名はルーマニア社会主義共和国から「ルーマニア」に変更され,90年5月に複数政党制による自由選挙が予定されている。
また緊急の経済措置として,輸出用食料品を国内向けに放出して食料不足の解消を図った。これは前政権が対西側債務返済(89年3月に完済)を最優先として,国内の消費財・食料品を切り詰めて輸出に回したために国内品不足となっていたものである。
工業総生産は89年1~8月前年同期比7%増,貿易では1~6月の対米貿易が米国のルーマニアに対する再恵国待遇停止により輸出入とも半減した。
ユーゴスラビアでは,89年制定の新企業法により,私企業の自由な活動が容認され,最も西側経済に近いスロベニア共和国ではGNPの7%程度にまで伸びている。50年代から続いた労働者自主管理の社会所有企業は,労働者経営の非効率・惰性から不振となったため,私企業の導入により活性化を図ることとしている。
工業は89年1~6月期前年同期比3.0%増,輸出は同年1~6月期前年同期比で,対西側諸国(ハンガリーを含む)12.8%増,対社会主義諸国4.0%減,輸入は同じく対西側諸国(同)15.0%増,対社会主義諸国2.6%減,また,消費者物価上昇率は89年12月前年同月比2,665%の上昇と高騰しており,90年1月より通貨ディナールの1/10000のデノミ及び西側通貨との交換性を回復する政策が実施された。