昭和58年
年次世界経済報告
世界に広がる景気回復の輪
昭和58年12月20日
経済企画庁
81年後半以降の大幅な景気後退は,82年11月には底を打ち,景気は回復に転じた。金利水準が高いこと等から,当初はゆるやかなものに止まるとみられていた回復速度も,戦後の景気回復期の平均とあまり変わらず,需要項目別にみても83年当初の個人消費,住宅投資中心の回復から設備投資を含めた内需全般の拡大へと推移しつつあるなど,景気は力強い回復をみせている。
82年末までの景気後退期の特徴を需要項目別にみると,耐久消費財を中心とし-た個人消費の急減,在庫投資の減少を主因に,実質GNPは81年10~12月期,82年1~3月期と大幅に減少した。その後,個人消費は底固い動きを示し,在庫の削減幅も縮小したものの,設備投資,純輸出の減少等から4~6月期,7~9月期の実質GNPはほぼ横這いに推移した。10~12月期には在庫削減幅の拡大から実質GNPは減少を続けたものの,個人消費,住宅投資の増加等から,最終需要は増加に転じた(本文第1-1-2表参照)。
83年に入り,個人消費,住宅投資が引き続き好調を持続したのに加え,在庫削減幅も縮小したこと等から,実質GNPは1~3月期に前期比年率2.6%と6四半期振りに増加に転じ,4~6月期には同9.7%と大幅な増加を記録した。その後,7~9月期には,個人消費,住宅投資の増勢は若干鈍化したものの,設備投資の大幅増,在庫積増し等から実質GNPは同7.6%増となった。10~12月期は個人消費,設備投資の拡大が続き同4.5%増(暫定推計)と景気は引続き拡大している。
鉱工業生産は,81年7月のピークから82年11月までに12.3%減少した後増加を続け,83年10月には過去のピークを上回り,その後も増加を続けている。
雇用情勢は,失業率が82年12月に10.7%となるなど戦後最悪の状況となったが,その後の景気回復に伴い就業者数が増加し,失業者数が減少したことから,失業率も83年11月には1か月で0.5%ポイント改善して,8.2%まで低下するなど改善してきている。
物価の動向を見ると,83年に入ってからも,石油価格の低下,賃金上昇率の鈍化,食料価格の落ち着きなどから,物価上昇率は鈍化を続け,7月には消費者物価上昇率(前年同月比)は2.4%まで低下した。その後,消費者物価上昇率は年率5%前後の水準で推移し,11月の前年同月比は3.2%の上昇となっている。
一方,82年にドル高を背景に赤字幅を拡大した貿易収支は,83年に入り,他国を上回るアメリカの景気回復や,中南米の累積債務問題の影響も加わって,更に赤字幅が拡大した。これに伴い,82年に赤字(112億ドル)に転じた経常収支も赤字幅が拡大している。
82年後半に金融政策の一部緩和等から急速に低下した金利は,83年に入りマネー・サプライの急増に伴う金融引締懸念の高まり,財政赤字の拡大等から下げ止まり,その後連邦準備制度理事会(FRB)がやや引締め気味のスタンスに移行したこともあって,若干上昇する局面もみられた。
アメリカ経済は83年末現在,力強い拡大を続けており,84年もかなりの成長を達成するとの見通しが大勢を占めている。しかし,引き続く大規模な財政赤字と高金利,拡大が予想される貿易及び経常収支の赤字,インフレ再燃の可能性等,今後の持続的成長にとっての懸念材料もある。
個人消費は趨勢的に増加傾向にあるサービス消費を中心に,82年初以降,景気後退の中でも緩やかながら増加を続けた。更に,83年4~6月期には耐久消費財を中心に,前期比年率10.3%増と急激な増加を示し,今回の景気回復の原動力の一つとなった(第1-1図)。
83年に入ってからの個人消費の急速な増加は①80年以降の買い控えにより,潜在的に需要が高まっていた耐久消費財の消費が82年央以降の金利低下,消費者信用残高の減少等を契機に急増したこと②物価の鎮静化,景気回復,個人所得税減税等による実質可処分所得の増加③インフレの鎮静化と雇用情勢の改善等に伴う個人貯蓄率の低下などによるものである。
実質個人所得をみると,金利の低下に伴い利子所得は減少したものの,83年に入って,物価が鎮静化し,また,景気が回復したため賃金給与所得が増加に転じたことを主因に増加に転じた。また,81年10月,82年7月,83年7月と3回にわたり行われた個人所得税減税の結果,81年末以降現在に至るまで,個人可処分所得の伸びは個人所得の伸びを上回っている(第1-2図)。所得税減税の規模(3回の減税の累積でみて)は,82年が個人所得の約1.4%,83年が同約2.5%に上るとみられる。
個人貯審率は,所得税減税により税引後利子率が上昇したものの,82年初以降の物価の鎮静化,株価の上昇等に伴う金融資産残高効果に加え83年に入ってからは雇用情勢の急速な改善に伴う消費者マインドの改善もあって低下傾向を続けた(第1-3図)。
また,後にみるように,アメリカでは,家計,企業,政府の各部門を合わせた貯蓄率(国内貯蓄率)が不況期に低下する傾向が強く,そのため個人消費主導型の自律的景気回復パターンをとることが多い。今回についても,このような状況がみられた。
実質民間設備投資は82年に前年比4.7%減少し,83年1~3月期も減少を続けたが,83年4~6月期には実質GNPに一期遅れて増加に転じ,7~9月期には前期比年率16.4%増と大幅に増加した。業種別にみてもほとんどの業種で増加に転じており,商務省の調査によれば,今後も増勢が続くと見込まれている。
長期金利は昨年央以降低下したものの,その水準はまだ高く,物価の鎮靜化から,実質金利はむしろ若干上昇している。それにもかかわらず民間設備投資が急速な回復をみせているのは,①景気の急速な回復に伴う稼働率の上昇,②賃金上昇率の鈍化等による企業収益増及び収益増加期待の高まり,③早期投下資本回収制度による資本コストの低下等によるものとみられる。
75年の景気回復期と今回の回復過程の稼働率の動向を比較すると,民間設備投資の増加が始まった四半期(前回は75年7~9月期,今回は83年4~6月期)における稼働率の水準は前回が75.9%,今回が73.9%となっている。今回,稼働率が相対的に低い時点から設備投資が増加に転じた原因としては,物価上昇率が前回に比較してはるかに低い水準にあることから,減価償却による節税額の割引現在価値を考慮した資本コストが低下したことや,将来見通しの不確実性が低下したことによる面が大きいと考えられる。また,今回の稼働率の上昇ペースは前回より急速であり,11月現在79.2%まで上昇している(第1-4図)。
税引後企業収益の国民所得に占める割合も75年の回復期に比較すると低いものの,生産の回復,賃金上昇率の鈍化等から,83年4~6月期以降急速に増大している。
更に,83年に入ってからは,企業収益の将来にわたる増加期待が強まっていることが,株価と長期金利の関係からうかがわれる。(第1-5図)期待される企業収益が一定の下では,金利と株価は負の相関を示す。しかし,82年11月以降の株価と金利の動向をみると,金利が横ばいもしくは上昇しているにもかかわらず,株価はおおむね上昇を続けている。これは,市場において企業収益増加期待が強まったためとみられる。
住宅投資は個人消費,在庫投資と共に今回の景気回復のけん引車となった。実質住宅投資の動向をみると,アメリカでは80年初から82年秋までの大幅な落ち込みの後,82年10~12月期以降急速な増加を示し,83年7~9月期の前年同期比は54.0増となった。
このように住宅投資が著増したのは①82年央以降の住宅抵当金利の低下②79年から82年にかけての住宅投資の減少に伴う住宅在庫の調整の進展③1950年代後半のベビー・ブーム期出生世代が住宅取得年齢に達したこと及び人口の南部・西部への移動等を背景とした住宅需要の高まりなどによるとみられる。しかし,83年央以降の住宅抵当金利の高止まりから,住宅着工件数は8月に年率190万戸の高水準に達した後,やや弱含みで推移している (第1-6図)。
在庫投資の実質GNP成長率に対する寄与度をみると,82年は△1.2%とマイナスであったが,83年1~3月期には最終需要の回復等を反映して,前期比年率2.0%とプラスに転じた。その後も4~6月期同2.8%,7~9月期同2.5%とプラスの寄与を続け景気回復の一つの要因となった。また,7~9月期には81年10~12月期以来7四半期振りに在庫削減から積み増しに転じ,景気回復が本格化したことを示している。
82年に前年比マイナス8.2%と大幅な減少を示した鉱工業生産は,83年に入り,まず,耐久消費財の生産が増加に転じた。その後,中間財,原材料と川上部門へ回復が波及し,8月には設備資本財も前年同期比で増加に転じた。この結果,鉱工業生産は全体として,82年11月以降連続して前月比増加を続け,83年10月には,81年7月に記録した過去のピークを上回った。また,景気回復1年目の11月の前年同月比は15.9%と戦後の景気回復期の1年目の平均14%を上回る高い伸びとなった(第1-7図)。
鉱工業稼働率も12カ月連続で上昇し,83年11月には79.2%とボトムから9.6%ポイント上昇した。(前回のピークは81.7%)
アメリカの雇用情勢は,82年11月に失業率が10.7%と1942年以来の高水準となるなど,戦後最悪の状況となった。しかし,83年には景気回復に歩調を合わせた着実な改善をみた。すなわち,11月の就業者数は前年同月比(356万人(3.5%)増,失業者数は同254万人(21.4%)減となり,失業率は8.2%まで低下した。
過去の景気回復過程では失業率は景気回復初期に大幅な改善は示さなかった(戦後の平均では景気回復1年間に失業率は0.9%ポイント低下)が,今回の回復過程では,回復1年目にして,2.5ポイントと急速な低下をみせた。これは,アメリカの生産年齢人口(16才以上人口)増加率が70年代以降徐々に低下し,83年1~9月期には前年同期比が1.1%まで低下し,労働力人口増加率が低水準となったことによる面が大きい (第1-1表)。
このように,雇用情勢は全体として改善をみせたが,非白人や若年層の失業率はなお極めて高く,地域的にも五大湖周辺から南部にかけて高失業が続くなど,構造的な問題は残されている。
物価は83年に入り,景気回復の中で引き続き鎮静傾向を保った。消費者物価上昇率は,83年に入ってからも,エネルギー,食料品,住宅関係等全般的な価格上昇率の鈍化から,7月には前年同月比2.4%まで低下した (第1-8図)。
このように,景気回復の中でも物価が鎮静化を続けた要因としては,①賃金上昇率の鈍化,②石油価格の低下,③ドル高に伴う輸入品の値下がり等のほか,④82年央から83年央にかけ若干の緩和はあったものの,FRBが基本的にはマネー・サプライの抑制姿勢を貫いていたことを指摘できよう。
賃金上昇率は戦後最悪となった82年末の雇用情勢,物価の鎮静等から83年に入ってからも引き続き低下した。
主要労働協約における初年度賃上げ率(生計費調整条項のない協約)は82年平均の7.0%から,83年7~9月期には2.7%まで低下し,近年にない低水準となっている。特に,鉄銅業,建設業等における協約では,賃金は切り下げられ,アルミ製造業,農業用機械製造業等では伸び率がゼロとなった。また,全協約期間(平約31カ月)を通じた賃上げ率も低下しており,今後の物価の安定に寄与するものとみられる (第1-2表)。
実質賃金上昇率は物価の鎮静化から,名目賃金上昇率の低下にもかかわらず,82年初にプラスに転じ,83年も高水準で推移した。
一方,労働生産性は生産の急速な回復等から改善し,その結果,単位労働コスト上昇率は83年に入って大幅に低下した(第1-9図)。
需要停滞,高金利の長期化等から82年に大幅に低下した企業収益は,83年4~6月期以降,①生産の拡大,稼働率の上昇等に伴う生産性の上昇,②賃金上昇率の鈍化,③82年後半の金利低下等により急速な改善をみせた。
税引後企業収益の国民所得比の動向をみると,79年末以降,長期にわたる低迷を続けた後,83年1~3月を底に上昇に転じている(第1-10図)。
上でみたような賃金・物価・企業収益の動向等を反映して,アメリカの国内純貯蓄(個人貯蓄+法人企業内部留保+政府財政黒字)がどのように推移しているかをみてみよう。
国内純貯蓄の国民所得比は順調な景気拡大期にあった78年の8.6%から,82年には1.9%まで6.7%ポイントも低下した(第1-3表)。
この原因をまず,家計部門についてみると,個人貯蓄率は,物価の鎮静化が著しかったこと等から82年には過去の不況期(例えば,75年)と比較するとかなりの低水準まで低下した。このため,過去の不況期と同様,個人可処分所得の国民所得に占める割合は増加したものの,82年の個人貯蓄/国民所得比は78年とほぼ等しい低い水準となった。
企業部門については,アメリカでは不況期に,企業収益/国民所得比と企業収益に占める内部留保の割合がとも低下する傾向にあり,企業部門の貯蓄である企業内部留保の国民所得比は78年に比べ82年には2%ポイント低下した。
連邦政府のマイナスの貯蓄である連邦政府赤字の国民所得比は78年から82年にかけて4.3%ポイント拡大している。商務省の推計によれば,このうち,2.9%ポイントは景気の悪化によるものであり,構造的な赤字の拡大(減税等政策変更による赤字増-インフレによる黒字増)によるものは1.4%に過ぎないとみられている。(レーガン政権の減税策による減税額の国民所得比率は82年約2%,83年約3%と試算される。)このように,78年から82年にかけての国内純貯蓄/国民所得比率の低下6.7%ポイントのうち,景気の悪化による部分が約5%ポイントと大半を占めるものとみられる。
83年に入り景気の回復から企業内部留保は顕著な増加を示している。また,州・地方政府の黒字は増税,歳出削減の結果増加している。しかし,財政赤字の国民所得比は,7月に所得税減税が実施されたことから82年を更に上回っており,個人貯蓄率も低下している。
今後,景気拡大に伴い,企業内部留保は更に増加し,景気の停滞に起因する財政赤字は縮小すること等から,アメリカの国内純貯蓄/国民所得比率は上昇することが予想される。また,個人貯蓄率も上昇する可能性が高い。しかし,年率5%程度の実質GNP成長を達成した76年から78年においても,景気変動による財政赤字の減少は緩やかであったこと,84年には構造的財政赤字が削減される可能性も小さいことを考えれば,全体としての国内純貯蓄の増加速度は緩やかなものとなる可能性が高い。
貿易収支は82年にドル高等を背景として赤字幅が拡大し,年間で364億ドルの赤字を記録した。(ドル相場の動向は前掲第4-1-3図参照)83年に入り,ドル高に加えアメリカの景気回復速度が他国を上回ったことなどから,輸入の伸びが輸出の伸びを上回り,貿易収支赤字は1~9月の累計で417億ドルと既に82年1年間の赤字額を上回った。
地域別の貿易収支動向をみると,累積債務問題が顕在化したラテン・アメリカ向けの輸出が83年に入ってからも減少を続け,対ラテン・アメリカ貿易収支は大幅に悪化した。また,対EC貿易収支は,ECとアメリカの回復速度の違い,ドルの対欧州通貨高等から83年4~6月には赤字に転じた。対日貿易は依然大幅な赤字ではあるが,83年1~6月の水準はほぼ前年同期に見合っている(第1-4表)。
経常収支は,貿易収支赤字の拡大に加え,金利の低下に伴う投資収益黒字の縮小,ドル高に伴う旅行収支の悪化から貿易外収支の黒字幅が縮少したために,1979年以来3年振りに赤字に転じた。83年に入ってからも,同様の傾向が続き,1~9月累計で既に252億ドルの赤字となり,既に,過去の最高(79年148億ドル)を上回っている。
7~9月の経常収支赤字を年率換算すると約500億ドルとなり,現在までのドル高の効果が84年の経常収支に影響を与える可能性が強いこと,引き続き,アメリカが他国(特に,EC諸国)に比べ相対的に高い成長を続ける見通しが強いこと等を考慮すれば,84年の貿易,経常収支は83年を更に上回る大幅な赤字を記録するものとみられる。
政府及び連邦準備制度理事会(FRB)は,サプライサイド重視とインフレ抑制最優先の立場から,減税・歳出削減及び通貨供給抑制を推し進めてきた。しかし82年に入り,基本路線に変更はなかったものの,予想を上回る財政赤字の拡大,景気後退の長期化,インフレの鎮静化,国際金融不安の発生等を背景として財政面では一部増税を決定し,金融面では年後半にマネー・サプライ管理面で柔軟な対応をとった。
83年に入り,景気回復が本格化するにつれ,金融政策はやや引締め気味のスタンスに移行した。一方,財政面では赤字が急速に拡大したが,赤字削減の方法についての議会と政府の対立等から,大幅な赤字の削減は行われなかった。
81年2月の「経済再生計画」に沿った「経済再建のための1981年租税法」により,個人所得税減税,早期投下資本回収制度(ACRS)等が実施された。しかし,その後の景気後退等から当初の予想以上に財政赤字額が拡大したため,82年8月には「82年租税負担の公正と財政節度に関する法律」による税収増加措置がとられた。その後,高水準の失業率が継続するなかで議会等の要請もあって,83年1月には公共事業の実施(連邦ガソリン税の引上げ等を財源とし,83~86年度にわたり総額710億ドル)等を内容とする「ガソリン税引上げ法」が,3月には雇用対策や公共事業の実施(総額46億ドル)等を内容とする「1983年雇用対策法」が成立した。
83年1月に議会に提出された84年度予算教書では,赤字削減策がとられない場合84年度~88年度の累積財政赤字は13,470億ドル(内84年度は2,310億ドル)に上ると予想された。これを①84年度歳出の83年度水準への実質凍結②国防費の一部削減③医療,健康保険制度,社会保障制度の改革等長期的構造改革による赤字削減④条件付で86年度~88年度に発動する増税措置(スタンドバイ・タックス)により,7,900億ドル(内84年度は1,888億ドル)に圧縮することが提案された(第1-5表)。
その後の議会における予算審議をみると,赤字削減の方向では一致をみたものの,その方法について,民主党が多数を占める下院は83年の所得税減税の中止,85年以降の所得税区分のインデクセーションの中止と国防費を含めた歳出削減を主張したのに対し,上院案は84年度における増税,下院より政府案に近い歳出削減を中心とするものとなった。両院の妥協により6月21日には84年度予算第1次決議が行われたが,その内容は84年度に120億ドルの増税実施(政府案では,84,85年度は新たな増税措置をとらぬ),国防費の伸びの実質5%への圧縮(政府案は10%),不況対策費等の非国防支出を政府案に対し215億ドル積増すこと等,政府案とはかなり異なるものであった。
このような政府案と議会案の相違等から,議会では「1983年社会保障法」(歳出,歳入両面にわたる社会保障制度の改革を内容とする。)が3月に可決された以外には,増税措置,歳出削減等具体的な赤字削減策は何ら決定されなかった。また,新年度の始まる10月1日までに13本の歳出予算法が全ては成立しなかったため,84年度暫定予算が可決された。
83年度の財政赤字額は1,954億ドルと,予想以上の景気回復から当初見通し(予算教書見通し2,077億ドル)を下回ったものの,82年度実績の1,107億ドルを大幅に上回った。84年度についても,84年が大統領選挙の年であることから,大規模な赤字削減策はとられず,引き続き大幅な赤字が続くものとみられている。
79年末以降,FRBによりマネー・サプライ抑制を中心に引締めが続けられてきた金融政策は,基本姿勢は維持されつつも,インフレの鎮静化,景気後退の長期化,国際金融不安の発生等を背景に82年後半には一部緩和の姿勢が明らかとなり,市場金利は7月以降急速に低下した。また,公定歩合も7月から12月にかけて7度にわたり漸次引き下げられた(第1-11図)。
83年に入ってからも,FRBは緩和気味の政策スタンスを続けたが,マネー・サプライの急増に伴う引締め懸念の高まり,財政赤字の拡大等から市中金利は下げ止まった。その後,FRBは景気回復の明確化等を受けて,5月末からは,それ以前より引締め気味のスタンスに移行し,市中金利はやや強含みで推移した。
83年2月に明らかにされたFRBの83年金融政策方針では,当面の金融政策は引続きインフレ再燃を回避しつつ,金融緩和を進め,景気回復を支えることが目標とされた。マネー・サプライ目標値は新金融商品の導入(MMDA(82年12月),スーパーNOW勘定(83年1月))等から短期的な振れの大きいMlよりM2をより重視することとし,M2の伸び率の83年目標値は,MMDA導入に伴うM2への資金流入を考慮して前年目標を1%上回る7~10%とした(実質的に前年並) (第1-6表)。
しかし,5月後半以降,景気回復の明確化や,マネー・サプライの増加テンポがインフレの再燃を伴わぬ息の長い経済成長を達成するためにはやや速すぎるとの判断から,政策スタンスを若干引締め気味に変更した。
8月末以降,マネー・サプライの増勢は鈍化し,MlもFRBの監視目標圏内に収まったことから,金利は比較的安定した推移を示した。
84年のアメリカ経済を左右するとみられる重要な要素は①財政赤字の大きさと金利の動向,②インフレ再燃の可能性,③貿易,経常収支赤字の大きさと,そのドル相場への影響等である。
財政赤字については,景気循環による部分は84年度に改善が見込まれるものの,84年が大統領選挙の年であること等から大幅な縮小は予想されず,財政面からの金利押し上げ圧力は続くと考えられる。しかし一方で景気回復に伴う民間貯蓄の増加は,金利押し上げ圧力を緩和するとみられる。
84年の物価上昇率は,石油価格が低下した83年に比較すれば高まるものの,FRBが基本的にマネー・サプライ抑制のスタンスを続けていること,賃金上昇率が近年にない低水準であること等から引続き落ち着いた動きを示すものとみられている。
貿易,経常収支はドル高,アメリカと他国の成長率格差等から急速に拡大しており,84年には,かつてない大幅な赤字が予想され,ドル相場に与える影響が懸念されている。
需要項目別の動きとしては,民間設備投資が,今後の金利動向いかんによる面を残しつつも,稼働率の上昇,賃金上昇率の鈍化等による企業収益の増加等から,84年の景気拡大の中心となるとみられる。一方,個人消費については,物価の鎮静を背景に,引続き安定的に増加すると予想されるものの,83年のように,景気拡大をリードする可能性は小さいとみられる。住宅投資は潜在需要がなお強いとみられるが,現在の住宅抵当金利の水準を考慮すれば,増勢は鈍化せざるを得ないとみられる。また,世界景気の回復から,輸出は増加するものの輸入増がそれを上回り純輸出は83年に続き,8伴もGN P成長率に対しマイナスの寄与を続ける可能性もある。
このように,84年のアメリカ経済は,財政赤字,貿易,経常収支赤字等の問題を抱え,成長速度も83年に比較し鈍化はするものの,民間設備投資の拡大を中心に,かなりの成長を達成するとの見方が多い (第1-7表)。
1981年から後退を続けていたカナダ経済は,83年に入り,個人消費,民間住宅投資の増加,在庫調整が終りに近付いたこと等から回復に向かった。さらに年央以降,民間設備投資も増加に転じ,景気回復は着実なものとなりつつある。また,失業率は景気回復を反映し低下傾向にあるが,依然高水準である。
82年に減少した実質GNPは,83年に入り,耐久財を中心とした個人消費の増加,民間住宅投資の増加,在庫投資の減少幅の縮小から増加に転じた。具体的には4~6月期前期比1.8%増の後,7~9月期には民間設備投資も増加に転じ同2.O%増となった。83年初より増加に転じた鉱工業生産は,着実に増加を続け10月には81年のピークより5%低い水準にまで回復している。
消費者物価は,82年央から上昇率が純化し83年11月には前年同期比4.2%まで低下した。卸売物価も3%台で推移する等,物価は鎮静している。一方,失業率は,83年に入り低下傾向にあるが依然11%台と高水準にある。また,貿易動向をみると,82年後半からアメリカ向け輸出を中心に輸出が増加し貿易収支は黒字幅が拡大した。しかし83年央以降国内需要の拡大から輸入が急増し黒字幅は縮小に転じている。経常収支も82年に黒字に転じたが83年に入り7~9月には赤字(季調後)に転じている。
81・82年と不況が続いたことで歳入が減少し,また失業給付金の増大等により歳出が増加したこと等から,財政赤字は拡大した。82年央以降のインフレの鎮静化がみられたため,政府は83年4月,財政赤字の縮小,景気刺激策を中心とした中期的な経済政策を発表した。
82年の実質個人消費は,前年比2.1%減と戦後2度目の減少となった。非耐久財・サービス消費は横ばいで推移したものの,耐久財・半耐久財消費は大幅な減少となった。これは実質可処分所得の伸び悩み,高水準で推移した金利,また失業率の上昇等の要因によるところが大きい。耐久財の中心となる乗用車販売をみると,82年は,金利が高かかったことに加え,ガソリン価格が急増したこともあり前年比25.7%減と大幅に減少している。また住宅着工件数の減少から住宅関連財消費も低調であった。
83年に入り,82年央以降の金利の低下,インフレの鎮静等から,耐久財・半耐久財消費を中心に個人消費は増加に転じた。乗用車販売をみると,82年の大幅減の反動もあって,4~6月期には前期比20.5%増と急増している。
また,住宅着工の増加から住宅関連財も増加している。
一方,個人所得の動向をみると,82年中,名目可処分所得の伸びは緩やかなものであったが,それ以上に個人消費が低調であったため,個人貯蓄率は15.1%と前年に比べ1.3ポイント上昇した。その後83年に入り,公的負担の上昇等から可処分所得は減少している。しかし,個人消費は増加しており貯蓄率は4~6月期には10.4%にまで低下している。
82年の民間住宅投資は,住宅抵当金利が高水準で推移したこと等から前年比23.1%減と大幅に減少した。住宅着工件数でみると,住宅抵当金利を低く抑える政策(MURB)等から,81年末から82年初にかけて増加したものの,その後の低調(82年9月8.8万戸)から,82年で12.6万戸(前年比29.5%減)と61年以来の低水準となった。
その後,82年10~12月期に住宅投資は増加に転じ,83年4~6月期には前期比23.6%と急増した。これは,82年央以降の住宅抵当金利の低下,住宅取得価格の低下,また,住宅空屋率が低下したこと等の要因による。しかし7~9月期には,5月に住宅補助金措置の期限が切れたこともあって同5.1%減となった。住宅着工件数であると,5月には27.5万戸と81年のピークを上回る高水準となったが,それ以後減少しており,10月には11万戸にまで減少している。
民間設備投資は,80,81年と堅調な伸びを示したが,82年には前年比11.2%減となった。これは,金利が高水準で推移したこと,カナダでは企業にとって設備投資決定の大きな要因となる企業収益の減少(OECD報告),稼働率の低下等の要因による。特に稼働率の低下は,機械設備投資に大きな影響を与えた。産業別では,林業,金属鉱業,製造業,流通部門での減少が大きかった。しかし,設備投資の約3分の1を占めるエネルギー部門での投資は比較的好調であった。
83年に入っても年央まで減少が続いたが,7~9月期には金利の低下,企業収益の改善(4~6月期前期比132.3%増),稼働率の上昇等から前期比0.9%増と増加に転じている。建設投資は依然として減少を続けているが,機械設備投資は,稼働率の上昇に加え,技術革新導入に伴う投資の増加から,4~6月期から増加に転じている。さらに,設備投資の先行指標である設備投資財受注をみると,機械設備財を中心に(9月前月比18.1%増)増加しており,今後も機械設備投資を中心に民間設備投資は堅調に増加していくとみられる。
政府支出は,インフレ抑制,財政赤字の拡大等から,82年前年比0.9%増と比較的緩やかな伸びとなった。しかし83年に入り,減少が続いている。
(5)在庫投資在庫投資は,82年に調整が行われ,GNP成長率を2.8%低下させた。81年末にはまず小売部門で在庫調整が行われ,82年初めには,卸売部門,製造業で調整が始った。
しかし83年に入り在庫削減幅が減少したことから1~3月期にはGNP成長率を2.3%上昇させている。さらに,7~9月期には在庫は積増しに転じており(9.5億加ドルの積み増し)在庫調整は一巡した。在庫率も8月には1.77か月にまで低下し81年の水準を下回っている。
82年の鉱工業生産は前年比10.6%減となり,特に10~12月期にはピークであった81年4~6月期から66.4%低下した。特に鉱業,輸送用機器の落ち込みが大きかった。
その後,83年に入り,アメリカ向け輸出の増加,国内需要の増加等から回復に転じた。しかし,83年7~9期でピークである81年4~6月期の94.6%の水準にしか達していない。これは,電気機器,鉱業が増加はしているものの,前回ピークを大きく下回っていることが大きい。
81年後半まで7%台で前年並の水準であった失業率は,82年に入り生産の減少等を反映して上昇し,10~12月期には12.7%と史上最高となった。労働供給は,労働力人口の減少,参入率の低下等から上昇率は鈍化していたが,それ以上の需要の減少が大きかったためである。特に若年層の失業率は急増し20%を超えた。
その後,83年に入ると生産の拡大を反映して,失業率は低下しつつある。
7~9月期には,労働力人口が6.7万人増加した一方,就業者は14.3万人増加し,失業率は11.7%にまで低下している。しかし,その水準は依然高水準であり,若年者層の失業率も低下したものの19.3%と高水準にある。
消費者物価は,景気後退の始まった81年央より低下し,82年では前年比10.8%増まで低下した。さらに,83年に入り鎮靜化が進み10月には前年同月比4.9%増と,72年8月以来の低水準となっている。これは,輸入物価上昇率の鈍化,エネルギー価格の統制,賃金上昇率のガイド・ラインの設定等の影響によるところが大きい。
また,卸売物価は79年以降低下を続け82年前年比6.1%増と鎮静化した。
さらに,83年に入り鎮静が続いた。83年央以降一次の上昇等から下げ止まり傾向にあったが10月前年同期比3.3%増となっている。
賃金上昇率(COLA条項を除く)をみると,81年に前年比13.3%増となった後,82年は同10.0%増と低下した。さらに,83年に入っても,労働市場の悪化,物価の鎮静化等を反映して低下し,4~6月期前年同期比5.9%増と78年以来の低い伸び率となっている。
81年好調であった輸出(通関ベース)は,82年に入り,輸出額で前年比0.9%増,輸出数量で同0.1%増と減速した。これは生産が好調であった食料品や,アメリカ向け乗用車の輸出が増加したものの,世界的な不況を反映して,その他の輸出は減少したためである。その後,83年に入っても,アメリカ向け輸出を中心に増加が続き,1~9月累計で輸出額前年同期比2.7%増,輸出数量同2.5%増(1~7月)となった。
輸入(通関ベース)は,82年に輸入額で前年比14.5%減,輸入数量同16.0%減と大幅減少となった。これは,3分の2を海外に依存している機械・設備財が,国内設備投資の不振から大幅減となったこと,81年に不振であった石油生産が82年に回復したため,石油輸入量が減少したこと等によるところが大きい。しかし,83年に入り国内需要の回復を反映して輸入は増加し,1~9月累計で輸入額前年同期比4.6%増,輸入数量1~7月累計同5.5%増となった。
この結果,82年には183億加ドル(81年74億加ドル)へと拡大した貿易収支黒字(国際収支ベース)は,83年に入り,輸入の伸びが輸出の伸びを上回ったため,1~9月累計(季調前)で129.6億加ドル(82年1~9月累計129.9億加ドル)と若干減少している。
貿易外収支は,対外債務の増加・金利の上昇等からサービス支払いが増加したこともあって赤字幅が拡大した。経常収支は,82年に貿易収支黒字の拡大から30億加ドルの黒字(81年58億加ドルの赤字)に転じたが,83年には,1~9月累計で8.8億加ドルの黒字(82年1~9月累計18億加ドルの黒字)と黒字幅が縮小した。さらに7~9期では1.9億加ドルの赤字(季調済)となっている。
資本収支をみると,長期資本収支は,81年にエネルギー産業・不動産業を中心にカナダ企業のアメリカ系企業株式取得が急増したこともあって黒字が縮小した。しかし,82年には直接投資の減少,海外起債の増加等から大幅な黒字となった。83年に入り,海外起債が減少しており,黒字幅も1~9月累計24.8億加ドル(82年同83.9億加ドル)と縮小している。一方,短期資本収支は,81年に大幅な黒字となった後,82年には,カナダ特許銀行が外貨資金を海外に流出したこと等から大幅な赤字に転じた。しかし,83年4~6月期には流出も止まり黒字に転じている。
連邦政府と地方政府を合わせた一般政府の財政赤字(GNPベース)は,81年の40億加ドルから82年には186億加ドル(対GNP比5.3%)と拡大した。歳出が,失業給付の増加等から前年比17.1%増加したのに対し,歳入が景気の後退を反映して同6.9%増しか増加しなかったためである。カナダ大蔵省の推計によると財政赤字の拡大の90%は,連邦政府の財政赤字によるものであり,その中でも特に循還的赤字によるところが大きいとしている。逆に,地方政府は,増税等により24億加ドルの黒字となっている。
83年に入っても連邦政府の赤字は拡大しており,1~7月累計で178億加ドル(82年同124億加ドル)となっている。また,政府は83年度の財政赤字(予算ベース)を313億加ドル(82年度実績243億加ドル)と見込んでいる。
トルドー現政権は,80,81年とインフレ抑制を重視した緊縮的な政策をとった。また,所得政策として,政府職員(労働力人口の5%)に対して,83~84年にかけての賃金上昇率を5~6%に抑える(Fedra15/6Program)等の施策も行った。これらの効果もあって82年半ばよりインフレは鎮静に向い,また,対米ドルレートも安定していたことから,緩和的な財政・金融政策が可能となった。
現政権は,83年4月下院に対し,財政赤字の縮小と景気刺激を内容とした中期的な経済政策を含む予算案を提出した。この予算案では,83年度の歳入の伸びを前年比6.8%増,歳出の伸びを12.5%増と見込んでおり,財政赤字は313億加ドル(GNP比8.1%,82年度実績243億加ドル)としている。また,83~86年度にかけて中期的な経済政策として,①特別再活生化計画(S RP)として,(i)公的資本形成を4年間で24億加ドル行う,(ii)民間設備投資を刺激するため,投資税額控除等の減税の実施,投資及び輸出決済のため特別再活生化基金(SRF)の設立(費用は4年間で48億加ドル),②持家取得貯蓄優遇制度(RHOSP)等により民間住宅投資の促進,③6万人の雇用創出のための11億加ドル支出(NEED)等による雇用促進策,④技術先端産業の育成,研究・開発投資の促進,⑤製造業売上げ税率の1%ポイント引上げ(84年10月~88年12月),個人所得税減税及び税控除額の引上げ等の租税政策である。この結果,83年度19億加ドル,84年度7億ドルの減収を見込んでいるが,85年度には18億加ドルの増収となるとしている。
カナダ銀行は,75年に政策目標として,M1の伸び率を10~15%の範囲に決めていたが,81年にこれを4~8%とした。その後,82年後半までM1の伸び率は目標圏を下回っていたが,82年12月より新金融商品導入の影響もあって急増した。そのため,カナダ銀行は,M1の伸び率を目標とすることを中止し,新たな方策(M1Aを指標として用いる等)が検討されている。
金利動向をみると,80年以降公定歩合の市中金利連動制が採られていることもあって,金利はアメリカの金利動向を敏感に反映した動きを示していた。82年中の動きをみると,6月に,対米レートの低下等から金利上昇をもたらす結果となったが,その後はアメリカの金利低下を反映し低下した。83年に入るとアメリカの金利上昇もあって,金利は下げ止まっている。
1984年のカナダ経済は,83年に始まった景気回復が続き,また景気刺激的な財政政策が行なわれること,アメリカの景気拡大に伴い輸出の好調が続くとみられること等から,GNP成長率の一層の高まりが予想される。
インフレ鎮静,賃金上昇率の低下等から名目所得の伸びは緩やかになるとみられるものの一層の消費性向の上昇等から耐久財消費を中心に個人消費は増加が続くと思われる。住宅投資も住宅投資促進策(SRP)の導入により,83年に比べ伸び率は低下するものの,増加は続くとみられる。また,民間設備投資も,機械設備投資を中心に増加していくとみられる。生産は,アメリカ向け乗用車輸出の増加等から,輸送機器を中心に増加し,また輸出もアメリカ向けを中心に増加が続くとみられる。しかし,国内需要の増加から輸入も増加するため貿易収支はやや悪化すると予想される。また,不安要因としては,財政赤字の拡大,高金利が考えられる。
失業率は,生産の増加を反映して低下するとみられるが,84年平均も依然2桁の高水準にとどまると予想される。一方物価は,緩やかな賃金上昇,食料品価格,海外物価の鎮静からさらに鎮静化が進むと予想される。
1983年のイギリス経済は,81年央以降の緩やかな景気回復を続けた。実質成長率は82年を上回る3%程度となると見込まれている。インフレ率も5%台へと顕著に低下した。一方,失業率の上昇傾向は年央頃までにほぼやんだものの,年末にも12%台の高水準に止まっており,失業者総数も300万人を上回っている。
前2年にみられた経常収支の大幅黒字は,83年に入って貿易収支が赤字化したため,1~11月計13億ポンドヘ急減した。ポンドの対ドル・レートが年初来約14%も急落したにもかかわらず,輸出が伸び悩み,輸入は急増したことによる。
83年6月の総選挙で圧勝し,二期目となったサッチャー政権の経済政策は,引続き民間活力の回復によるイギリス経済の再生を目指している。このため,インフレ抑制を最優先とする財政金融政策が維持されており,マネー・サプライの伸びの抑制,財政赤字の縮小がはかられている。
実質GDP(生産ベース)は,82年1.5%増に続いて,83年1~9月の前年同期比も1.8%増となり,83年全体では2~3%の増加が見込まれている。83年の回復持続の主要因は,①個友消費が増加を続けたこと,②住宅投資の引続く回復,③設備投資の低下がやみ,増加に転じたことなどである。
一方,在庫調整はほぼ一巡したものの本格的な積み増しはみられず,輸出も夏頃まで停滞を続けた。
個人消費は82年夏以降,賦払信用規制の廃止やローン金利の低下などもあって急速に立直り,82年下期の前期比は3.0%増となった(82年は1.3%増)。
その反動もあって,83年1~3月期には前期比1,2%減となったが,その後は増加を続けており(4~6月期同1.6%増,7~9月期同0.5%増),83年の政府見通しも当初の21/2%増から31/2%増に上向き改訂された。
83年の個人消費の増加は,耐久消費財需要が前年に続いて好調である(83年上期の前期比5.8%増,82年下期同16.1%増)ほか,衣料,サービスなど全般にわたっている。とくに,乗用車需要が強く,新車登録台数は1~8月の前年同期比17.9%増と大幅な伸びとなっている(82年下期は同9.5%増)。
個人消費が83年に予想以上に強い増勢を維持したのは,①名目所得の伸びは小幅化しているが,インフレ率の鈍化が大きいため,実質可処分所得が減少から小幅増に転じたこと(83年上期の前期比0.6%増,82年0.6%減),②インフレ率の鈍化による実質資産価値の増加などから貯蓄率の低下が続いていること(82年平均10.8%,83年4~6月期8.3%),③消費者ローン金利が緩やかながら低下を続けており,銀行などからの個人借入れが増加傾向にあること,などを背景としたものとみられる。
実質住宅投資は,82年に前年比11.O%増と4年振りに増加した後,83年に入ってからも回復を続けている(上期の前期比4.0%増)。民間住宅が81年央以降,増加に転じたのに加えて,公共住宅(82年のシェア35.8%)も82年下期からは回復傾向を示していることによる(83年上期の前期比はそれぞれ3.9%増,4.1%増)。
民間住宅が引続き順調に回復しているのは,①過去3年にわたって回復が続いているものの水準はまだ低く,83年上期の水準は80年平均を5.2%下回っていること,②住宅抵当金利が83年6月に引上げられたが(10→11.25%),82年11月までの水準より低いこと,③住宅協会や銀行による貸付け競争が続いていること,などを背景にしたものとみられる。
これに対して,公共住宅の回復は,政府支出が全体として抑制されている中で,83年度予算では住宅建設の促進策がとられており,また,地方自治体の建設計画未達成の減少がはかられたことなどが影響しているとみられる。
実質総固定資本形成は,82年に5.8%増と3年振りに増加したが,83年上期には非住宅投資(82年の総固定投資に占めるシェア85.7%)が再び減少したことから,前期比0.5%減となった。
83年上期の非住宅投資の減少は,主として,民間産業固定投資(シェア同63.3%)が製造業の前期比7.3%減を中心に減少したことによる。しかし,製造業固定投資も,83年1~3月期を底に回復を示しており,4~6月期の前期比1.5%増,7~9月期同2.0%増となった。もっとも,この7~9月期の水準は後退前のピークである79年平均をまだ43%も下回っている。
製造業を含めて企業投資が回復に転じたのは,①企業利益が82年下期以降増加傾向にあり,83年上期に前期比8.5%増となっていること,②稼働率も,前2年の一進一退から,83年に入って明確に上昇していること(82年平均74.3%から83年7~9月期には77.0%へ),③金利の低下(プライム・レートは83年初の12%から10月には9%へ),④景気回復の持続見通しなどから企業の投資意欲が改善したこと,などによるとみられる。
最新の貿易産業省の投資見通し調査(12月発表)によると,83年の製造業投資は実質約4%減のあと,84年には実質9%増(リースを含む)となると予測されている。
今回の回復局面では,在庫調整が長びいており,80,81年の大幅在庫削減の後,82年上期には一服したが,下期に再び減少し,年全体でもマイナスとなった。しかし,82年には前2年にくらべると削減幅が縮小したことから,GDP寄与度はプラス0.7%ポイントとなっている。
83年に入ると,上期には流通段階の一部に在庫積増しがみられたためプラスとなり,GDP寄与度は3.1%ポイントにのぼった。しかし,製造業部門では4~6月期以降再び在庫削減がみられ,とくに7~9月期には約4億ポンドに拡大した。流通部門のうち卸売在庫も前期プラスの後,7~9月期には大幅減(3.4億ポンド)となった。
このように83年に入ってからも在庫調整が部分的に継続したのは,景気の先行きに対する企業の慎重な見方や,ポンド相場の不安定な動きなどを反映したものとみられる。しかし,年央以降は,企業の景況感が改善を続けており,製造業在庫率(在庫水準/生産)も7~9月期には99.3(1979=100の指数)へ低下し,原燃料輸入も秋以降急増するなど,在庫調整は年内にほぼ一巡したものとみられる。企業の在庫判断も83年央以降は,正常以上の在庫をもつ企業比率が低下を続けている。
鉱工業生産は,81年5月を底に上昇に転じたものの,82年2.1%増,83年1~10月の前年同期比1.9%増と回復テンポは緩やかであり,後退前のピーク時(79年4~6月期)の水準をまだ約8%下回っている。しかも,この回復には北海石油・ガスの生産(80年のシェア12.3%)が大きく寄与しており(82年14.3%増,83年1~8月の前年同期比10.O%増),これを含まない製造業だけについてみると,82年0.3%増,83年1~10月の前年同期比0.4%増にとどまっている。
製造業のなかで,83年に回復の著しかったのは中間財部門であり,1~9月の前年同期比は3.6%増となった。これに対して,消費財部門では同0.6%増にとどまり,投資財部門では同1.4%減となっている。
製造業の生産回復が,このように83年に入ってからも緩やかであるのは,在庫調整が長びいたこと,個人消費の回復が引続き輸入増にまわっていることなどを主として反映したものとみられる(83年1~10月の完成品輸入は前年同期比20.1%増)。
79年来の大幅な雇用調整も,83年に入ってようやく一巡のきざしを示しており,雇用者数の減少は83年上期に5.5万人へと著しく小幅化した(前年同期は20.3万人減)。すでに,サービス産業では年初来増加に転じており(上期約11%増),これまで減少幅の大きかった製造業でも83年上期の減少は約12万人に減少した(前年同期は約14万人減)。
失業者の増加傾向も83年春以降ぱ,高齢失業者に対する優遇措置(約16.2万人の失業減)もあって歯どめがかかり,失業者総数は83年初の325万人から11月現在308万人に減少した。新卒者の就職も前年よりは改善しているといわれる(9月の学卒失業者約20万人)。18歳未満の新卒者を除く失業者(季調値)でも,1~3月期の300万人から11月現在294万人へ減少し,失業率も同じく12.6%から12.3%へ低下した。
未充足求人数は,82年下期以降増加傾向にあり,83年に入ってからもほぼ一貫して増加し,11月現在16.3万人となっている(前年同月は11.4万人)。
このように失業率はなお12%台と記録的な高水準にとどまっているものの,83年春以降,雇用情勢の悪化はピークをこしたとみられる。これは,主として,①79年央から83年央まで約220万人の雇用減をみた今回の大幅調整がほぼ一巡し,生産性の回復が続いていること,②賃金引上げ率の鈍化や,若年雇用促進のための各種対策などによる新規雇用増,③緩やかながらも生産の回復が続き,企業者の景況惑も改善していることなどを背景としたものである。
政府は83年にも,若年職業訓練計画(YTS)などを中心に各種の雇用対策を実施している。総対象人員は82年央の65.7万人から83年央には約55万人に減少しているが,これらの措置により,約30万人強の失業減となっていると推定されている。
失業率の記録的高水準を背景に,協約改訂による妥結賃金引上げ率は,82年の平均7.5%についで,83年にも鈍化を続けており,7~9月期には5.3%となった(CBI調査)。前賃金ラウンド(82年8月~83年7月)における妥結賃上げ率は,民間6~6.5%,一般政府51/4%,公企業6.5%で全体では6%と推計されている。
週当たり賃金上昇率も,82年6.9%,83年1~10月の前年同期比5.6%へと緩やかに鈍化している。しかし,平均賃金収入は,景気回復にともなって所定外給与が増加していることもあって,83年夏以降はやや上昇テンポが高まっている(7~9月期8.2%,10月8.7%)。
生産性の伸びが,82年3.1%の後,83年上期3.2%と引続きみられることも加わって,賃金コストの上昇率は,83年に入って一段と鈍化している(82年4.9%,83年上期3.0%)。
消費者物価上昇率(前年同月比)は,82年4月に一桁となった後,さらに急速な鈍化傾向を続け,83年5,6月には3.7%と68年以来の低水準となった。その後は,前年の非常な落着きを反映してやや高まったが,11月現在4.8%であり,1~11月でも前年同期比4.5%にとどまっている(83年第4四半期対比の政府見通しは,3月の6%から11月の5%へ下方改訂)。
この物価の著しい鎮静化には政府のインフレ抑制を最優先とする政策スタンス堅持のなかで,①賃金コスト上昇率が鈍化したことが大きく寄与しているが,このほかに,②82年夏から年末にかけての季節性食品の値下り(82年下期に約2割低下),③住宅抵当金利引下げによる住居費の低下(同4.6%低下),④83年に入ってからは,鉄道運賃の引下げ(1~9月2.8%低下),バス,電気料金など国有企業関連のサービス料金の安定も寄与している。
一方,生産者価格(卸売物価にかわる新系列)は,82年には,一次産品価格や原油価格の軟化による輸入価格の上昇率鈍化(13%から4%へ,10~12月期の前年同期)を反映して,原燃料,工業品とも上昇率の鈍化を続けた(原燃料は81年9.2%から82年7.3%へ。工業品は同じく9.5%から7.8%へ)。83年に入ってからは,ポンド相場が一段と低下し,一次産品価格も持直したことから輸入価格は上昇テンポをやや高めており,原燃料価格の上昇率も7~9月期8.1%へ高まった。しかし,工業品については,賃金コストの上昇が小幅化していることや,これまでの原燃料価格の落着きなどを反映して年末まで5%台の小幅上昇にとどまっている。
貿易収支は,81年の30億ポンドの大幅黒字から82年には21億ポンドの黒字に縮小した後,さらに83年には,1~11月累計14.5億ボンドの赤字へと急速に悪化した。
83年の貿易収支の赤字化は,もっぱら非石油収支赤字幅の拡大(82年28.8億ポンド→83年1~9月59.2億ポンド)によるものであり,石油収支は,石油価格の低下や輸出数量の伸び悩みにもかかわらず,83年1~9月にも47.9億ポンドと前年同期の34.4億ポンドを上回る黒字となっている。
この非石油収支の悪化は,主として輸入が①在庫調整一巡による原材料輸入増(83年1~9月の前年同期比15.9%増),②消費需要の回復による完成財輸入増(同20.1%増),③ポンド相場低落による輸入単価の上昇(同10.3%)などから,83年1~11月の前年同期比13.7%増と急増したことによる。
一方,輸出もポンド相場の低下(対ドル・レートで年初来11月末までに約9.7%減,実効レートで同2.3%減)にもかかわらず,工業品輸出の伸び悩み(83年1~9月の前年同期比2%増)もあって,83年1~11月の前年同期比は9.2%増と輸入の伸びを下回った。このため工業品収支は82年4~6月期以来の赤字基調が続いている(1~9月の累計16.7億ポンド)。しかし,輸出の不振も,夏以降は対米輸出が8~10月の前3か月比24%増となったのをはじめとして,対先進国向けで回復を示しており,最悪期は脱したとみられる。
貿易収支は赤字化したものの,貿易外収支がそれを上回る黒字基調を維持しているため,経常収支は83年に入ってからも黒字を続けている。しかし,83年1~11月の累積黒字幅は12.6億ポンドと,82年54億ポンド,81年65億ポンドと比較すると大幅に縮小した。
資本等収支は,83年にも,個人の海外投資,銀行部門の純資本流出が続いていることなどから長期資本が上期に26億ポンド減(前年同期は35億ポンド減)となっている。一方,短期資本収支は黒字傾向を続けており,また,調整項目も上期には大幅黒字となったため資本等収支の赤字はかなり相殺され,上期の総合収支は小幅黒字(48億ポンド)となった。
金・外貨準備は,総合収支が黒字ではあるが,ポンド相場の急落時(1~3月,6~8月,11月以降)に介入を行なっていることもあって,83年中,180億ドル前後の水準を続けた。
インフレ率は予想以上の低下を示したものの,政府は83年にも,インフレ抑制を続けて経済パフォーマンスの改善を確保し,生産および雇用の持続的成長の基盤をつくることを政策目標としている。
金融政策は,インフレ率の持続的低下を目的としながらも,景気情勢や為替レートなどを考慮して,前年に続いて機動的に運用されている。
マネー・サプライの伸び率の漸減が「中期財政金融戦略」の主要目標の一つであり,83年2月~84年4月についての年率増加率目標は前年より上下各1%引下げられて7~11%となっている。82年度の実績をみると,中間目標とされているM1,ポンド建てM3,民間部門流動性II(PSL2)の3指標ともほぼ目標内におさまった。
83年度に入ってからも,中心のポンド建てM3の伸びは,2~10月に年率10.5%増と目標内にある。民間資金需要が個人部門の住宅資金需要増を中心に増加を続けており),財政赤字も大幅となっているものの,主として83年夏における国債の対非銀行大量売却(上期51億ポンド)や民間部門の対外純資本流出増などが,ポンド建てM3の伸びを抑制したものとみられる。一方,M1とPSL2の伸びは,目標よりかなり高くなっているが,前者については,名目金利の低下により保有が相対的に魅力を増したこと,後者については,住宅組合への資金流入がいぜん大きいことなどを反映している。
なお,蔵相はマネー・サプライの管理をより的確にするために,最も基本的指標であるMO(流通通貨プラス銀行の対イングランド銀行自由準備)についても,今後は考慮していく意向を明らかにした(83年10月)。
金利については,83年にも引続き高金利の是正がはかられたが,アメリカの高金利やポンド相場の急落もあって,前年にくらべて小幅の引下げにとどまった。市中銀行の貸出し基準レートは,83年初のポンド相場低落時に11%に引上げられた後,4~10月間に0.5%ずつ4回引下げられて9.0%となった。しかし,インフレ率も大幅に低下しで4%台となっているため,実質金利は依然5%台にとどまっている。住宅組合の住宅抵当金利は,82年には低下をつづけた(13.5→10%)が,83年6月,預金増をはかるため111/4%に引上げられた。
財政面では,金利上昇をもたらさないように公共部門借入れ所要額(PS BR)の対GDP比を中期的に引下げることが引続き基本的目標とされてぃる。
83年度予算案(83年3月発表)は,前年度のPSBRの縮小がほぼ見通し(対GDP比31/2%)内におさまると予測される中で,個人・企業の税負担軽減と政府支出の追加増などを通して経済の持続的回復をはかることを目的とした。
税制面では,①基礎控除額の14%引上げ等の所得税減税(初年度約20億ポンドの歳入減),②国民保険料使用者追加負担の料率引下げ(現行2.5%を83年4月より1%,8月より0.5%へ引下げ,初年度2.2億ポンド),③石油税減税(現行20%から87年までに段階的に撤廃,初年度0.5億ポンド),④住宅取得にたいする優遇強化(初年度0.5億ポンド),⑤中小企業にたいする優遇強化(中小企業法人税率の引下げ,40ー38%),⑥間接税引上げ(酒,たばこ,ガソリン,自動車登録税など,合計4.6億ポンドの増税),など83年度純額19億ポンドの減税措置がとられた。
支出面では,支出総額を「政府支出計画」(83年2月発表)より3億ドル下回る1,193億ポンド(前年度比約6%増)とし,実質ではほぼ横ばいにとどめられた。しかし,この忰内で,①児童手当の引上げ,②失業手当の改善,③追加的雇用対策,④住宅建設の促進,⑤産業用技術革新対策など,合計2.4億ポンドの新規施策が追加された。
支出の抑制については,引続きキャッシュ・リミット制(現金支出上限の設定)や公務員の削減など支出節減がはかられている。また,国民保険負担料率は4月より1/4%引上げられた(雇用者9%,雇用主10.45%)。これらの措置でカバーされない赤字増は予備費より支出することとし,PSBRは82億ポンド(対GDP比23/4%)と前年度の計画どおりに引下げられた。
しかし,83年度に入って,歳出が失業給付増などにより予想以上に急増し,PSBRも大幅に増加したことから,7月末,政府支出を計画内に抑制するための一連の措置がとられた(中央政府行政費の1%削減,国有資産の売却増など)。その後,PSBRの伸びはやや小幅化したものの,4~10月のP SBRは約71億ポンドと,前年同期の20億ポンドを大幅に上回っている。
こうした財政赤字増を背景に,11月央の財政計画概要(AutumnState一ment1983)で,政府は83年度PSBRは100億ポンド(GDP比3÷%)に拡大するが,84年度については,支出総額を1,264億ポンド,PSBRを80億ポンド(GDP比21/2%)と2月発表の政府支出計画どおりとすることを明らかにした。このため,歳出削減が予定どおりすすまない場合には84年度予算では増税の可能性もあるとしている。
83年11月発表の政府秋期見通しによると,83年の実質成長率は3%と春期見通し(2%,3月)を上方改訂しており,84年についても同程度の成長を見込んでいる。
84年には,これまで予想以上に好調を続けた個人消費の伸びが鈍化(83年31/2%→84年21/2%)する一方で,固定投資(21/2%→4%)および輸出(去%→4%)の伸びが高まるとみている。
インフレについては,84年央に若干高まるものの,年末には41/2%に低下し(83年末は5%),経常収支は83年の小幅黒字から84年にはゼロとみるなど,よりバランスのとれた回復を続け,雇用情勢の悪化はやむとみている。
OECDの見通しは,84年にも景気回復が続くが,個人消費の伸びの鈍化を政府より若干大きくみていることなどから,実質成長率は21/4%とやや低目の伸びとなっている。この成長率の下でも,雇用は若干増加し,失業増はくい止めうるとみる。
民間主要機関の見通しは,実質成長率については2~3%とほぼ共通してみているが,物価上昇率(第4四半期対比)については4.5~6.8%と見方がわかれている。この中で,全英経済社会研究所(NIESR)の見通しは,実質GDP2.0%増,消費者物価上昇率6.8%と最も慎重なものとなっている。
西ドイツでは80年春以降約3年間景気後退が続き,実質GNPは81年が前年比0.3%減,82年が1.1%減と,戦後初めて2年連続のマイナス成長を記録した。このように不況は長期化したが,大幅な財政赤字を抱えて財政面では緊縮策がとられ,金融面では,アメリカの高金利を背景にマルク相場の軟化と資本流出が続いたことから西ドイツでも高金利政策がとられた。こうした中で失業者数は戦後最高水準に達した。
82年夏以降はアメリカの金利低下もあって西ドイツにおいても金融緩和が本格化し,雇用対策として投資補助金の支給が決定され,また10月にコール新政権(保守・中道連立)が誕生したこともあり,企業家マインドは著しく改善した(第4-1図)。
実体経済面においても,住宅投資や機械設備投資が82年中に増加を始めたこともあって景気は82年末にかけて底入れした。83年に入ると,個人消費,在庫投資も増加し,実質GNPも増加に転じるなど景気は3年ぶりに回復を始めた(83年は前年比1.2%増)。今回の景気回復の特徴は,内需,特に固定投資が中心となっていることである。従来景気回復のリード役となっていた輸出は,82年秋以降減少し,むしろ今回の景気回復を緩やかなものにとどめる要因となった。
景気回復に伴って失業者数も季節調整値でみると83年夏にはピークを越したが,84年も引続き高水準の失業が見込まれている。こうした中で,労働組合は週労働時間の短縮による雇用機会の拡大を要求しているが,経営者側はコスト増による競争力低下につながるとして反対している。
不況期に鎮静化をたどった物価は,83年に入ってからも,夏場に一時上昇率が高まったことを除き,さらに鎮静した。
財政面では緊縮政策による歳出削減と,予想外の景気回復による歳入増から財政赤字縮小が進んでいる。金融面では,83年3月の公定歩合引下げ以来,マルクの対米ドル相場の低下と,資本流出が続き,秋以降はやや引締め気味の政策がとられることとなった。
84年は引続き固定投資に主導された景気回復が続くとみられる。
実質GNPは80年1~3月期をピークに減少し始め,81年に前年比0.3%減,82年は1.1%減を減少幅を広げた (第4-1表)。しかし,83年に入ると増加に転じ,1~3月期に前期比0.6%増,4~6月期1.1%増,7~9月期0.2%増となった。(83年は前年比1.2%増)実質GNP増加の要因は1~3月期が個人消費,在庫投資,4~6月期以降が固定投資,在庫投資といずれも内需であり,輸出は減少して,成長にマイナスの寄与をした。
実質個人消費は81年に前年比1.2%減,82年に2.2%減と戦後初めて,しかも長期にわたって減少を続けた。しかし,82年10~12月期には前期比0.1%減となって底入れし,83年1~3月期には1.8%の大幅増となって景気回復への足がかりとなった。4~6月期以降は再び減少するなど基調は弱いが,前年同期よりは持直している(83年は前年比1.0%増)。
このように,個人消費が持直したのは,物価上昇率の鎮静化が主因となっている。所得面では,賃金上昇率が低水準にとどまり,大量の失業者が存在する中で,賃金・俸給所得は減少を続けた。こうした中で,金利低下を背景に年初に満期となったプレミアム付き貯蓄預金が消費に回るなど貯蓄率は低下を続け (本文第2-1-9図参照),83年7~9月期には12.9%となった。
品目別にみると,79年下期より長期にわたって不振を続けていた乗用車の売上げが,83年に入ると増加に転じた。
実質機械設備投資は他の需要項目よりも遅く81年に入ってから減少に転じ,82年央には他に先がけて底入れしたのち,83年も順調な伸びをみせた(83年は前年比4.5%増)。
このように,機械設備投資が今回の景気回復のリード役となったが,これにはシュミット政権時に雇用対策としてとられた投資補助金(注)の効果が大きいとみられる。また,82年10月に誕生したコール新政権が,民間活力の強化を政策として掲げ,83年度予算にも営業税減税を盛込むなどしていることから,企業家マインドも82年秋以降急速に改善した (前掲第4-1図)。
稼働率も82年9月の74.9%を底に,生産の増加に伴って上昇し,83年9月には79.1%となった (第4-3図)。
低い賃金上昇率と,就業者数の減少による高い生産性の伸びにより,生産単位当り労働コストは83年に入って大幅に減少し(第4-2図),このため企業収益もかなり改善をみせた。83年4~6月期の資本分配率は28.8%となり,これは60年代後半に比べればかなり低いものの,79年の水準まで回復している(第4-2図)。
建設投資は82年1~3月期をボトムに,需要項目の中では一番早く増加へと転じた。83年1~3月期には厳冬の影響から大幅に減少するなど変動が激しいが,増加傾向にある(83年は0.9%増)。
建設投資がこのように好調なのは,住宅投資が82年春以降急速に回復したことが主因となっている。住宅新規受注数量でみると,83年7~9月期の水準は,81年10~12月期のボトムに対し40.8%増となった (本文第2-1-13図参照)。住宅投資が急速に回復したのは,①シュミット政権時にとられた減価償却の割増償却限度額の引上げ(82年7月末から),コール政権による負債利子控除限度額の引上げ,住宅建築つなぎ融資,公共住宅の建設追加,など住宅建築促進策がとられたこと,②住宅建築価格の安定(80年夏の前年同月比11.7%→83年2月の1.2%),③住宅抵当金利の低下(81年9月の11.91%→83年春の8%台),などが要因となった。
産業用建設も,82年初をボトムに,前述の投資補助金の効果もあって82年末にかけて緩やかながら増加がみられた。
実質在庫投資は82年上期に大幅に積増されたが,その後予想外の景気不振から再び在庫調整が行われた。完成品在庫に対する企業家判断をみても(本文第2-1-16図参照),82年末にかけて過剰感が一段と増した。
しかし,83年に入ると内需の回復とともに在庫過剰感は縮小し,実質在庫投資も積増しへと転じた。実質GNPの前期比増加寄与度でみると,1~3月期が1.3%,4~6月期が0.6%,7~9月期が0.7%となった。
鉱工業生産は80年に前年比0.1%減,81年に2.2%減,82年に3.2%減と減少幅を拡大させながら3年間減少を続けたあと,83年初からは増加に転じた(第4-3図)。
生産が増加へと転じる主因となったのは,前述の投資補助金の発注期限である。82年末に国内向け資本財の新規受注数量は急増し(第4-3図),このため,資本財生産は83年初来持直した。次に,83年初来在庫投資が積増しへと転じたことから,基礎財生産がかなり急テンポで増加した。さらに,83年初の個人消費の持直しから,消費財も83年初来増加した。しかし,これは7月の付加価値税引上げもあり,緩やかなものにとどまった。建設部門も82年初来の建設受注の回復から増加傾向にある。
このように,鉱工業生産は83年初来増加に転じたが,7~9月期には前期比横ばいと増勢が鈍化した。これは,資本財国内向け新規受注が年末年初の急増後不振となったことや,付加価値税引上げの影響とみられる。製造業輸出向け新規受注は夏以降,基礎財,消費財を中心に持直している。
失業者数(季調値)は景気悪化から80年春以降増加し始め,82年には年平均183.3万人,失業率は7.5%となり,83年には225.8万人と戦後最高水準に達し,失業率も9.1%へ高まった(これまでの最高は1950年の186.9万人,11.O%)。
しかし,景気回復を反映して83年春から失業者数の増加テンポは鈍化し始め,8月の233万人(季調値)をピークに減少へと転じた。失業率(同)も6月の9.5%をピークに低下を始めた (第4-4図)。
雇用者数(季調値)も,83年1~3月期まで減少幅が拡大していたが,4~6月期以降は減少幅が一段と小幅化した。
操短手当受給者数(原数値)は82年末から83年初にかけて急増したが,その後は急速に減少している。
83年度の賃上げ交渉は,失業問題の深刻化や,物価鎮静化傾向を背景に,どちらかといえば経営者側のペースで進行した。賃上げのペース・メーカーであり西ドイツ最大の労組である金属労組(IGメタル)についてみると,賃上げは3.2%(当初要求6.5%)で妥結し,同労組による83年の消費者物価上昇率見通し4.5%,及び82年度の同労組の賃上げ率4.2%をも下回るものとなった。
しかし,物価上昇率が予想以上に鈍化したことから,81年央以降マイナスを続けていた実質賃金上昇率は83年に入るとわずかながらプラスに転じた(本文第2-1-2表参照)。
84年の雇用見通しも厳しく,83年と同程度の失業者が見込まれる中で,労働組合側は週労働時間の短縮(現行40→35時間)や,早期定年制の導入(65才→58才)による雇用機会の拡大を要求している。これに対し,政府や経営者側は週35時間制はコスト増(ケルンのドイツ経済研究所によると平均18%のコスト増)による競争力低下につながるとして反対している。
12月半ば,金属労組執行部は,84年度賃金交渉において週35労働時間制の導入と3~3.5%の賃上げ(84年の消費者物価上昇分)を要求することを決定した。
物価上昇率は81年秋をピークに鎮静化した。消費者物価上昇率をみると,81年10月に前年同月比6.7%となったあと,82年夏にかけて間接税や公共料金引上げから一時上昇率に高まりがみられたが(6月5.8%),その後は再び鎮静化し,83年5月には2.4%と78年11月以来の低い上昇率となった (第4-5図)。
このように消費者物価上昇率が鎮静化したのは,引締め政策の効果,また本文 第2-1-6図に示したように,原油価格低下によるエネルギーの寄与,豊作による食料品価格低下の寄与が大きかった。
83年7月1日に付加価値税が標準税率で13→14%に,軽減税率(食料品,書籍等)で6.5→7%に引上げられたこともあって,83年夏には消費者物価上昇率はやや高まりをみせたが(8月の前年同月比3.O%),その後は再び鎮静しており,83年平均では前年比3.0%の上昇(82年は5.3%)となった。
80年末から82年春まで輸出は順調な伸びをみせ,景気の落込みを下支えしていたが,その後83年夏まで減少を続けた。これは,世界的な不況による需要減退に加え,産油国,非産油途上国の累積債務問題の悪化,主要輸出相手国であるフランス,イタリアの緊縮政策が原因となった (本文第2-1-4表参照)。
このため,従来の西ドイツの景気回復は輸出にリードされるパターンが多かったが,今回はむしろ輸出の減少が景気後退を長引かせ,また,当初の景気回復を緩やかなものにとどめた。
83年夏からは,輸出も回復へと向った。これは,アメリカ向けが,同国における力強い景気回復,マルクの対米ドル相場軟化による価格競争力改善から急増したこと,及び西ドイツの輸出の約半分を占めるEC諸国向けが年央以降持直したことが主因となった。
他方,輸入は83年春以降内需回復や輸入物価の上昇などから増加に転じた。1~10月間の輸入は前年同期比1.6%増であり,輸出は同0.1%減であった。商品群別輸入をみると,エネルギー関連は同7.8%減(数量では0.8%減)となったものの,その他原材料が0.3%増,完成品中間生産物が4.7%増,完成品最終生産物は7.7%の著増となった。
輸入の伸びが輸出の伸びを上回ったことから貿易収支黒字は83年初来縮小傾向をたどった。
経常収支は79年から81年まで3年間赤字を続けたあと,82年には黒字に転じた。しかし,83年に入ると貿易収支の黒字幅が縮小し始めたことから,7~9月期には季節調整値で再び赤字となるなど改善テンポは一時鈍化した (第4-2表)。
西ドイツの構造的な赤字項目である貿易外収支,移転収支をみると,どちらもすう勢的に赤字幅が拡大傾向にあった。うち,貿易外収支は82年から赤字幅が縮小し始め,83年に入ってからも旅行収支赤字の縮小や投資収益の改善から赤字幅縮小が続いた。移転収支は82年まで赤字幅が拡大したが,83年に入るとECへの拠出金の減少を主因に赤字幅が縮小している。
資本収支動向をみると,長期資本収支は82年に78年以来4年振りに大幅赤字となった後,83年7月まで赤字を続けた。これは,米独間の金利格差とマルクの対米ドル・レート下落を反映して,西ドイツからアメリカヘ資本移動が起ったためである。西ドイツからアメリカへの民間長期資本の流出は82年が64億マルク,83年1~9月間は43億マルクであった。しかし7~9月期にはEC諸国からの長期資本の流入が大幅になったことから,長期資本収支も7~9月期には黒字を計上した。短期資本収支は,83年に入るとEMS再調整を見越して大量の投機的資金が流入したが,3月の調整後には流出した。
82年10月成立したコール新政権は,それまで肥大化を続けてきた政府部門を縮小し,民間の活力回復を図ることを政策として掲げた。こうした見地から83年度予算は前政権時にも増して消費的支出が削減され,投資促進策がとられた(詳しくは,本文第3章第3節1の(3)及び経済月報58年3月号に訳出した「1983年西ドイツ政府年次経済報告」を参照のこと)。
83年度予算の前提となった実質GNP成長率はゼロであったが,その後の見通しでは1%へと上方修正された。こうした動きを反映して83年の歳入の伸びは予算に盛込まれた歳入の伸び2.4%を上回り,一方,歳出は0.9%と予算の3.5%を大幅に下回ったことから,83年の純借入れは予算の409億マルクを下回る315億マルクとなった。このため,81年に史上最高となった財政赤字は,82年に続き83年も赤字幅が縮小した (第4-3表)。
84年度予算でも,公務員給与,失業関係給付,年金等消費的支出を中心に65億マルクの歳出削減を行い,歳出の伸びを前年度実績見込み比1.6%増と,前年をさらに下回る低い伸びに抑えている。一方,83年の付加価値税引上げによる84年度の増収分を財源に36億マルクの企業減税等,投資促進策が盛込まれている。純借入れも,成長率見通しの改善により336億マルクと政府予算案の373億マルクよりも縮小することとなった。
82年夏以降,アメリカの公定歩合引下げを背景に金融緩和が本格化し,公定歩合は年末までに7.5%から5%へ,ロンバート・レートも9%から6%へ引下げられた。
83年に入ってからも金融緩和政策が続き,2月には手形再割引枠が拡大され,3月には公定歩合が4%へ,ロンバート・レートが5%へと引下げられた。これは,総選挙後の政情安定を背景に,景気回復の促進とEMS内の緊張緩和を目的としてなされたものであった。
しかし,その後アメリカで金利が上昇したこともあって金利格差が拡大し,西ドイツからアメリカヘ資本が流出,マルクの対米ドル相場も下落が続いた。
また,中央銀行通貨量は83年に入ると,目標圏4~7%(10~12月期平残の前年同期比)を大きく上回って増加した(本文第2-2-4図参照)。これはEMS調整を見越した投機的資金の流入,1月にプレミアム付き貯蓄預金が満期となったことなど特殊要因が重なったこともある。
こうした情勢下,通貨供給量を目標圏内に抑え,資本流出とマルクの下落に歯止めをかけるため,9月上旬ロンバート・レートが5%から5.5%へと引上げられた。その後連銀のやや引締め気味の政策運営の効果もあって,83年の中央銀行通貨量は約7%増(同)となった。
84年の中央銀行通貨量の目標増加率は,84年の潜在生産力成長率が2%,避けがたい物価上昇率が3%という前提の下,4~6%(同)と決定された(83年12月)。
83年初夏以降,それまでの内需増加に加え,外需にも増大がみられるようになったことから,83年の実質GNPは1%増(春季合同報告では0.5%増と予測)となろう。
84年については,企業収益の改善,稼働率の上昇等により民間設備投資,うち特に建設投資の増大が見込まれる。また,先進国向けを中心に輸出も引続き増加するとみられる。一方,個人消費は,雇用者所得の伸びが小幅なものにとどまることから,緩やかなものとなろう。こうしたことから実質GN Pは2%増となる。消費者物価上昇率は83年と同じ3%,経常収支は83年の100億マルクの黒字をやや上回る程度となる。雇用面での改善は期待できず,失業者数は83年の230万人から240万人へと増加が見込まれる。
企業の投資意欲は顕著に増大しており,これまでの投資の遅れを取戻そうとの傾向が84年においては益々強まることも予想され,特に建設投資には力強い伸びが期待される。個人消費についても,貯蓄の取崩し,消費者信用の利用から景気支持要因になると見込まれる。こうしたことから84年の実質G NPは2.5%増(83年は1%増)となろう。消費者物価上昇率は83,84年とも3%,失業者数は季節調整値でみるとピークを越え,年平均では83,84年とも220万~230万人と見込まれる。
社会党政権による景気拡大策等により81年央に底入れしたフランス経済は,その後本格的な回復をみないまま82年後半から再び後退し,83年に入ってからも停滞が続いている。83年の実質経済成長率は政府の当初見通し2.0%を大きく下回る0.2%前後になったとみられる。これは82年央の賃金物価凍結措置や83年3月フラン切下げに伴う緊縮強化政策の実施により,個人消費の不振が続き設備投資も減少しているためである。しかし緊縮政策の効果やフラン安による価格競争力の改善もあって春以降輸入が停滞し輸出が伸びるなど貿易収支は大幅に改善している。
インフレは83年に入ってからも9%台の高水準が続いたあと秋から再び二桁上昇するなど,今後とも予断は許さない状況にあり,政府は84年も引き続きインフレ抑制を主眼に緊縮政策を継続していく方針である。また雇用情勢も年央以降失業者数が203万人台で横這いに推移したが年末に急増するなど厳しさを増している。
先進主要国が景気回復基調にある中で,84年もフランスの景気は停滞するとみられている。物価統制も継続され,また84年から始まる経済5カ年計画の基本項目として社会保障関連支出の抑制が盛りこまれていることなどから産業界・労組の不満も高まっている。しかし金利の高止まりやフラン安を防ぐためにも,インフレの収束が鍵となっており,それには緊縮政策持続に対する国民の協力が不可欠である。
82年央以降賃金凍結措置を主因に鈍化した個人消費(実質GDPベース)は,83年1~3月期に前期比0.4%減とほぼ3年振りにマイナスを記録したあと,やや持ち直したものの依然停滞基調にある (第5-1図)。これは賃金上昇率の鈍化,社会保障給付の減少に加え,3月の緊縮強化策に伴う課税所得の1%追加徴収などの内需削減策により,実質可処分所得が減少していることが大きく影響している。しかし,家計は所得面でのデフレ効果を貯蓄率を引き下げることで対応し,不振ながらも消費を維持してきたとみられ,貯蓄率は82年初より減少傾向にある。
個人消費の動向を小売り売上数量(フランス銀行調査)でみると,82年前半までは高水準で推移したがその後弱まり,83年に入ってからは一段と落ち込んでいる。品目別にみると82年に200万台を突破するなど好調であった乗用車新規登録台数(81年比12.1%増)は83年に入って頭打ちとなったが(1~11月前年比1.3%減),中古車を中心に自動車販売は緩やかに伸びている。しかし家電・家具等のその他の耐久消費財の売上は83年初以降大きく落ち込み,夏以降衣料も減少した。さらに10月には食料品売上の減少も加わって小売売上数量は前月比5.8%減と急減した。
81年以来不振を続けている設備投資は,83年に入ってからも減少傾向にあり,景気停滞の大きな原因になっている。
82年後半から落ち込んだ企業設備投資は,83年に入って1~3月期に一時増加したものの4~6月期には前期比3.8%の大幅減となり,その後も減少を続けている(7~9月期前期比0.1%減)。国立統計経済研究所(INSE E)の製造業投資予測調査(11月)では83年の企業設備投資は実質で4%の減少が見込まれている。こうした不振は①ミッテラン政権当初の雇用拡大,賃金率引上げ策などの結果生じた企業負担の上昇と,その後の価格凍結措置により企業収益が悪化したこと,②企業の流動余力の不足に加え,産業資金供給の慢性的不足と銀行の慎重な融資態度,③高金利,内需低迷などから企業家が資金借入を手控えていること,④国有化等の政府介入強化が投資意欲の減退を招いた,などの点が挙げられる。
政府は83年に入ってからも設備投資促進策として,①産業近代化基金を設立し(9月),公的保証付きの低利長期融資を行う(84年資金規模50億フラン),②7月からの市中貸出規制枠カットについては,企業設備貸出を対象外とする,③84年度予算案において工業部門に対する助成金を19%拡大する(特に公営企業への資金供与は128.5億フランと前年度当初予算案の74.5億フランに比し72.5%の大幅増),④第9次5カ年計画案(84~88年)でもエレクトロニクスを重点に5年間で1,400億フランの投資を予定(うち国家投資550~600億フラン),などの諸策を講じている。一方これまでの国有化企業を重視し,公的介入を柱とした投資拡大策から,今後は民間セクター,中小企業の活力重視,さらに市場原理の尊重,介入の限定化などといった新しい政策方針も打ち出されている。
住宅投資も減少が続いている。民間住宅着工件数は1970年代初めの年間55万戸の水準から78年には44万戸まで低下していたが,81年に40万戸,82年で34万戸とさらに減少した。これは住宅コストの高騰,高金利などのほか,構造的な問題として,①住宅戸数の充足に伴う着工件数の減少といった欧州各国の長期的な傾向に加え,②77年の住宅政策改正に伴う住宅建設援助の削減などが原因となっている。
在庫投資は83年1~3月期にフラン切下げを見込んだ輸入業者の積極的な積増などのため大幅に増加した。しかしその後の消費の不振や設備投資の減少により,自動車・設備財を中心に在庫過剰感が強まって調整を余儀なくされた。7~9月期は天候不順に伴う農産物在庫の減少も加わって在庫投資がマイナスに転じ,10月以降も特に自動車の在庫調整が進むなどGDP減少要因となることが見込まれている。
82年に入ってから夏場にかけ顕著に落ち込んだ鉱工業生産(土木・建設を除く)は,その後一進一退を繰り返しながら83年夏まで緩やかながらも増加傾向を示した(第5-2図)。これは83年央に電気機械・エネルギー部門で一時的な変動があったほか,年初以来内需の低迷に対し海外からの需要が持ち直したことを反映したものとみられる。INSEEの景況調査によると海外需要は4~6月期以降資本財を除き,自動車・中間財を中心に急速に上向いており,これが鉱工業生産の下支えとなっている。また,年初以来企業家の景況感は極めて悲観的なものであったが,秋以降在庫過剰感がやや薄らぎ,受注も低水準ながら増加するなど若干の改善もみられている。しかし,生産の先行き見通しについては依然弱いものとなっている。
建設業は82年以降不振が続いており,天候不順のため83年初来落ち込んでいる農業生産とともにGDPのマイナス要因となっている。
政府は81年以来雇用問題を最優先課題として,ワークシーアリングを中心に積極的な失業対策を行ってきた。特に82年1月から連帯契約の奨励策により直接雇用創出を図ったこともあり,81年以降増加の一途をたどってきた失業者数(季調値)も,82年8月の204.6万人をピークにその後,わずかながら改善した(政府発表では82年2月~83年3月まで3.1万件の連帯契約締結件数があり,それによる雇用創出は34.0万人とされている)。しかし,長びく景気停滞と83年春以降の緊縮強化策により83年5月から再び失業者数が増加し,年後半は203万人台の高水準が続いた後,11月には209.7万人と最高記録を更新した。一方,未充足求人数は83年に入ると一転して減少に転じ9月には前年を32.9%も下まわる近年にない低水準となった(第5-3図)。また企業倒産件数は83年1~11月累計で前年比10.2%も増加した。さらに7月プジョーグループが7,371人の人員整理を発表したのを始め,大量解雇の計画発表が相次ぐなど雇用情勢は厳しさを増しており,今後失業者数はさらに増加するものとみられている。なお,プジョーの解雇計画では,政府・労組を含めた妥協案が未だ成立しておらず,労働者のストライキが長期化するなど深刻な社会問題となっている。
こうした中で政府は10月の閣議で,職業訓練計画の実施(1.5万人を対象),半年~1年半の短期雇用契約の認可など,夏以来検討してきた雇用対策を決定した。また,赤字拡大を続ける失業保険会計(83年末赤字見込約50億フラン)を立て直すため,7月より失業保険料率を1%引上げることを決定した(雇用者側0.6%,労働者側0.4%)。
賃金物価凍結措置(82年6~10月)により82年央以降急速に鈍化した消費者物価は,82年10月にようやく前年同月比上昇率が1桁になったものの,83年に入ってから9%台が続き9,10月には再び2桁上昇となるなど騰勢に目立った弱まりが見られていない(第5-4図)。83年末の消費者物価上昇率は政府目標の8%を超え9.5%程度になるものと見込まれている(82年末9.7%)。このように物価が他の先進主要国に比し高い上昇率となっている理由は,公共料金・家賃等のサービス価格が83年前半に大きく上昇した後,秋から食料品価格が高騰したためであるが,フラン安による輸入インフレもかなり寄与したとみられる。11月の輸入原材料価格は82年平均に比し33.5%も上昇した。こうした点から政府は84年末の消費者物価上昇率を5%に抑えるため,企業(工業及びサービス部門)に対し価格について政府との協議を義務づけ,ガイドライン方式による価格統制を84年も継続する方針を発表している。電気・機械工業など一部では既に価格の自由決定が認められているが,工業部門全体の3分の2は政府の価格統制下にあると言われており,これら企業の価格自由化要求が今後さらに強まることが予想される。
時間当り賃金上昇率(生産労働者)は,賃金が凍結された82年央以降大幅に鈍化し,83年中も政府の賃金政策(賃上げ率を目標インフレ率8%以内に抑制させ労使間で賃金協定を行なう),企業経営・雇用情勢の悪化などから低下傾向にある(第5-4図)。しかしインフレが長引いていることもあって2桁台の上昇が続いており,82年の平均15.4%から83年4~6月期は10.4%となった。消費者物価上昇率を差し引いた実質賃金上昇率も,82年10~12月期に賃金凍結後の一時的反動の後,83年に入って鈍化している。83年末時点での賃金上昇率は前年比9.4%と見込まれ,実質でほぼ前年末と同水準となったものとみられる。一方83年の実質可処分所得は,賃上げ分を保険料引上げ分と相殺する等の措置もあったため,前年比で0.5%以上の減少が見込まれている。政府は84年の公務員給与を5%以内に抑えるなど,今後とも賃金抑制方針を続けていくことから家計購買力の増加は期待できない状況である。
83年の貿易動向をみると輸出は先進主要国の景気回復や,3月のフラン切下げによる価格競争力の改善などから4~6月以降高い伸びを示したのに対し,輸入は春の引締め強化以来内需の減少を背景に落着いた動きを続けている(第5-5図)。
輸出(フラン建て)は83年1~10月累計で前年同期比13.5%増と好調裡に推移した(数量ベースで3.5%増)。貿易の中心であるEC域内輸出(82年フランスの輸出総額に占めるシェア48.8%)は西ドイツ向けを中心に増加しているが伸びは小幅なものとなっている。最も顕著な伸びを示しているのはアメリカ向けで(同シェア5.7%),4~6月期に前期比11.5%増,7~9月期には同30.0%と大幅に増加した。商品別には,これら先進国向けを主に,穀物・酒類などの農産物・食料品をはじめ,繊維,軽機械等の伸びが続いている反面,途上国,産油国向けのプラント,重機械等は不調である。こうした中で12月に中小企業の輸出振興をねらいとした,信用面,手続き面における為替管理の一部緩和が実施された。
一方輸入(同)は,春場にフラン切下げを見込んだ原材料のかけ込み輸入がみられたものの,内需が全般に落ち込んだことや石油備蓄取り崩しもあって,1~10月累計で前年比5.3%の増加にとどまり,数量ベースでは2.5%減少した。
82年に933億フランの記録的な赤字となった貿易収支(通関ベース),は83年に入り輸出の好調,輸入の停滞から赤字幅が大幅に縮小した。1~11月の赤字累計は423億フラン(前年同期863億フラン)となり,83年の赤字を半減させるという政府目標はほぼ達成された。これは3月以来とられている緊縮強化政策の最も大きな成果となった。しかし,これはフラン下落による価格競争力改善によるところが大きく,生産性を向上し先端技術部門等についてのフランス企業の国際競争力を今後いかに伸ばしていくかという根本的な問題は依然として残っている。
一方貿易外収支は83年に入って対外債務に対する利払いの急増などから黒字幅が減少している。このうち旅行収支の黒字は82年(121億フラン)を上回る見通しであり,このため3月以降実施していた旅行者用外貨持ち出し制限がクレジットカードの規制を除いて12月20日以降緩和されることとなった。
こうしたことから経常収支の改善も著しく82年の赤字793億フランの後,83年7~9月期には3億フランの赤字にとどまり,1~9月期でも343億フラン(前年同期637億フラン)と赤字幅の大幅な縮小がみられている (第5-1表)。
長期資本収支は7月にECから37億ドル調達したことなどから7~9月期に268億フランの黒字となった。しかし,対外債務の増加とこれに伴う利払いの増大が今後のフランス経済を圧迫していくことが懸念されている(対外負債総額…82年末442億ドル,83年末530億ドル)。
インフレ抑制を骨子とした82年6月からの引締政策への軌道修正に続き,83年3月21日のフラン切下げ(2.5%切下げ,マルクは5.5%切上げ)に伴い,財政赤字の削減,個人消費の抑制等の10項目の緊縮強化政策が決定された (第5-2表)。政府はこの措置により83年の内需を650億フラン(GDPの2%)抑制し,今後2年間で貿易収支を均衡させるとしている。これまでのところ貿易赤字は前年比半減を達成できたが,緊縮強化実施による内需の低迷が続き企業倒産・失業者の増大,家計の購買力低下などがみられる。また,インフレが期待された程抑制されておらず,その先行きが今後も予断を許さない状況にあることから,政府は84年も緊縮政策を進めていく方針である。
83年の金融政策は,インフレ抑制,フラン防衛,信用コストの適正な引下げを柱に,マネー・サプライ目標値の引下げ,直接貸出規制枠のカットなど引締めを一層強化する一方,高金利水準の是正を図るスタンスがとられている。
マネー・サプライM2は3月の緊縮政策の一環として83年の増加目標値(83年11~84年1月の各月末平均の前年比)が当初の10%から9%へ引下げられ(82年目標値は12.5%~13.5%),これに合わせて83年後半の直接貸出規制枠(82年12月決定)が削減された(一般貸出の増加率(年末残高比)を当初3%から2.5%へ,消費者信用専門機関には同5%から3%削減する等)。
こうしたこともあって,1~9月のM2の増加率は年率5.5%と目標値を下回っているが,多額の国債発行(83年の国債発行金額は640億フラン,82年は同400億フラン)などの影響もあり,最終的に目標値を遵守できるかどうかなお楽観はできない。84年についてもマネー・サプライM2の増加目標値を5.5%~6.5%とし,信用規制も一段と強化するなど今後ともインフレ抑制の観点から金融引締めを継続していく方針である。
一方金利動向をみると,83年も政府は投資を刺激するため利下げを積極的に進めようとしたが,世界的な金利高止まり,通貨情勢への配慮,物価水準がなお高いことなどから,短期金利はほぼ横這い(プライム・レートは83年初の12.25%で不変,コールレートも12%台で推移),長期金利はわずかに低下したにとどまり(長期国債利回りは83年初14.15%から10月13.40%)金利はなお高水準にある (第5-6図)。フランは3月のEMS調整で実質対マルク8%切下げられた後も,依然弱含みで推移している。
83年の財政政策は,3月の緊縮強化措置で財政赤字(当初予算1,177億フラン)を,歳出削減,歳入増加により200億フラン圧縮させる政策をとった。しかし,船舶建造融資やレバノン・チャド関連の軍事費等の増加による歳出増が発生し(3月の緊縮措置における歳出削減目標額150億に対し,結果的には140億フランの削減となる見込み),一方歳入面では当初予算に比し150億フラン減収が見込まれている。このため83年の財政赤字は1,187億フランと当初予算比10億フラン増加したものの,GDPの3%内に抑制する目標は達成されたとみられる。景気対策としては企業の近代化のための投資助成(9月の産業近代化基金創設等),雇用拡大のための職業訓練計画(7月,10月),低迷した造船業界のてこ入れ策(11月)などが実施されたが,選択的なものにとどまった。
また9月に発表された84年度予算案(第5-3表)は,歳出の前年度北伸び率を6.3%(83年度は同11.9%,82年度同27.7%)と一段と鈍化させ,財政赤字を83年同様GDP比3%以内とする極めて緊縮的な内容となっている。歳出面では一般事務費の伸びを3%増と物価上昇率(84年平均見込み6.1%)以下に抑制し行政の効率化を進める一方,歳入面では中・高所得者層に対する超過累進付加税導入等の税制改革により税収確保を図ってぃる。ただフランス産業の振興,国際競争力の強化のため研究開発(前年度当初予算比15.5%増),産業界への補助(同19.2%増),雇用対策(同23%増)等の関連予算には重点的配慮が払われている。
ミッテラン政権の下,84~88年のフランス経済を方向付ける第9次5カ年経済計画の草案が9月に明らかにされた。84年度予算案もこの計画に配慮を示したものであり,同計画の実施予算総額3,505億フランの内84年度への組み入れ額は594億フランとなっている。
同計画では運営のための5項目の条件(①社会保障関連予算の抑制②家計消費の節制③企業環境の改善④財政負担の抑制⑤公共支出の厳格な管理)を前提に12の優先的施策計画が掲げられているが (第5-4表),フランス産業の近代化,若年層の職業教育に重点が置かれ,今後の経済産業政策の動向をうかがうことができる。
84年のフランス経済は設備投資の減少,個人消費の不振などから依然停滞を続けるものとみられる。政府見通しは,84年の実質GDP成長率について,総固定資本形成の減少が続くものの主として輸出の伸びにより1%に達するものと見込んでいる(第5-5表)。しかし企業収益,操業度等の改善がみられず設備投資の減少は政府見通し(0.5%減)にとどまらないとの見方が多い。また内需に目立った回復が見込めないことから輸出依存型にならざるを得ないとしても,現在の輸出増加のペース(83年7~9月期の前年同期比18.1%,フラン建て,FOB)が続くかどうかも疑問である。
INSEEの短期経済見通し(12月発表)によれば,少なくとも84年前半までは景気は停滞する。実質可処分所得は減少傾向を強め(83年10~12月期から84年4~6月期の間に約1%減),失業も増加する(83年央から84年央にかけ約20万人増加)とされている。またOECDの見通し(83年12月発表)でも,設備投資は政府,企業,住宅のいずれも減少が続くが(84年3.5%減),輸出の増加により84年の実質GDP成長率はゼロと見込んでいる。
消費者物価については政府は年末比で5%の上昇を見込んでいる。政府は当初83年末までの物価ガイドライン方式を84年末まで継続するなど緊縮政策を緩める気配はみられないが,企業側,労組から不満が高まっている。しかしインフレが収束して緊縮政策も緩和されれば個人消費も上向き景気のリード役となることが期待ができることから,フランスの景気好転の時期はインフレ率の収束テンポに左右されることになろう。
貿易面では輸入が景気停滞から伸び悩む反面,輸出は今後もフラン安による競争力の改善から,景気拡大を続けるアメリカ向けを中心に伸びると予想される。このため貿易赤字は83年に続き大幅に縮小するとみられている。因みに政府は84年の貿易赤字を70億フラン(INSEE見通し100億フラン)と見込んでいる。
このように84年のフランス経済は停滞が続き,インフレ,国際収支等のファンダメンタルズは改善は見込まれるにしても,景気の回復・拡大局面にある他の欧米主要国に比し依然劣位にとどまる可能性が大きい。このためEM S内でのフランに対する圧力はなお続くものとみられる。
1983年のイタリア経済は,輸出は増加しているものの,引続く大幅な設備投資の減少に加え,個人消費も減少していることなどから実質GDPは2年連続マイナスになると予想されている。
こうした需要の減少を反映して生産および雇用情勢は改善されていない。
生産は前年比でみると年初以来大幅な減少が続いている。また,失業者数は若年層を中心に増加しており,失業率は戦後最高を記録している。物価は石油,農産物を中心とする輸入価格の低下ないし安定や賃金上昇率が低下したこともあり,鈍化傾向が続いている。対外面では貿易収支の改善,観光収入の増加もあって総合収支は改善している。
80年以降後退に転じたイタリア経済は,83年に入っても回復のきざしが見られず,戦後最長の景気後退を続けている。
GDP成長率は82年下期に前期比年率6.1%減(上期2.9%増)と大幅な減少を示したあと,83年上期にはさらに1.1%減と減少を続けている。しかし,下期には景気停滞の長期化等から設備投資が引続き減少するものの,輸出および政府消費の増加に加え個人消費も増加するため,GDP成長率は前期比年率2.8%のプラスとなるとみられている (第6-1表)。
需要動向の動きをISCO(国立景気研究所)のビジネス・サーベイによる企業経営者の受注・在庫判断でみると,受注(総合)は82年に世界景気停滞等による内外需の不振により減少したあと,83年に入り外需を中心にやや改善しているものの依然低水準である。こうした動きを反映して80年初以来高まった在庫過剰感は依然強い (第6-1図)。なお,83年1~9月の大型海外受注実績は約5兆リラ(1~3月期1兆8,000億リラ,4~6月期1兆リラ,7~9月期2兆2,000リラ)となっており,現在交渉中のものを含めても83年の受注額は82年の8兆6,000億リラを下まわるとみられる。海外受注の大部分はドル建であり,ドル高・リラ安を考慮した場合,更に減少幅は大きい。
個人消費の動向をみると,82年に前年比0.3%の微増のあと,83年上期には実質賃金の減が大きく影響して前期比年率2.0%減となった。小売売上高(実質)は82年7~9月期を境に減少している。一方,乗用車新規登録台数は,81年に物価高騰による買い急ぎ等から前年比17.9%増と高い伸びを示したあと,82年は増勢が鈍化し(同5.3%増),83年に入ってからは大幅な減少となった(83年1~9月期の前年同期比は19.4%減) (第6-2図)。
固定投資をみると,82年に設備投資を中心に大幅に減少したが,83年下期に至り製造業稼働率が下止まり傾向もみられることから設備投資の減少幅がようやく鈍化するとみられる。
第6-2図 イタリアの小売売上数量,新車登録台数,実質賃金の動き
生産は80年春をピークとして下降が続いてきたが,83年央頃から低下傾向に鈍化がみられる。しかし雇用情勢は81年初以降急速に悪化している。
鉄工業生産は,81年末から82年初にかけやや持ち直すかにみえたが,その後は低水準横ばいで推移している。これは世界的景気停滞による需要減退とともに,労働協約改定交渉の難航からストライキが多発したことが原因と思われる。
生産の内訳を部門別にみると,83年1~9月の前年同期比で,衣料11.3%減,機械10.1%減,金属8.7%減,非鉄金属8.6%減,化学6.6%減,輸送機械2.9%減といずれも減少している。一方,財別(季節調整値,前9か月比)では,資本財9.3%減,中間財7.2%減,消費財5.1%減となっており,特に産業機械は落ち込みが大きく,企業向け輸送機械がわずかに増加している。
しかし,化学繊維,化学,輸送機械等一部業種には回復の兆しもでてきた。
こうした生産活動の停滞を反映して,80年7~9月期以降急速に低下した製造業稼動率は,中間財部門での低下が著しく(83年4~6月期68.6%)82年後半以降も低水準横ばいで推移している(83年4~6月期70.O%)。しかし,9月に主要部門で最後まで残っていた金属機械部門の労働協約交渉が妥結したこともあり,外需の回復とともに今後の生産回復に期待がもたれている。
雇用情勢も,80年7~9月期以降悪化している。労働人口は83年7月に前年同月に比べ22万人増加している反面,景気停滞の長期化等から就業者数が8万人しか増加せず(商業・サービス部門では27万人増加したものの,工業部門では19万人減少した),失業者数は14万人増加し約226万人と依然高水準にある。なお失業者数の約75%は若年労働者である。失業率は80年4月の7.O%を底に上昇を続けており,83年4月には9.9%まで達した。7月にはやや低下したものの,9.7%となっている(第6-2表, 第6-3図)。
81年より下降に転じた物価上昇率は,82年央に一時的に上昇したものの,その後は鈍化傾向がみられる。
物価の推移を四半期別にみると,卸売物価は国内需要の停滞から鈍化しており83年1~3期,4~6月期とも前期比1.6%増,7~9月期2.3%増となった。7~9月期の上昇は,農産物価格の上昇とドル高による原油輸入コストの増加による。
一方,81年後半より需要の減退や引締政策の影響で低下していた消費者物価の上昇率は,82年7~9月期に公共料金の引上げ等により再び上昇したあと,83年に入り鈍化している。原材料価格や農産物の安定に加え,各産業部門での労働協約改定交渉妥結が大幅に遅れたこと,4月末にファンファーニ前内閣が総辞職したあと8月にクラクシ新内閣が誕生するまで長期間政治空白が続き必要な経済政策措置が講じられず公共料金等が据え置かれたことが寄与している。しかし9月に電気料金等,10月には家賃の値上がりがあり,また最近のドル高による輸入インフレや原材料価格の上昇も予想され,インフレ再燃が懸念されている。こうした中で,クラクシ新内閣は9月大型流通業者との間で80品目の物価自主規制を84年1月まで行うことで合意した。しかし流通業界の約70%を占める個人営業の小売店が参加していないため,その効果は疑問視されている (第6-4図)。
物価が鈍化してきていることや物価スライド制(スカラ・モービレ)改定に伴う新労働協約締結の遅れもあり,物価上昇分を差し引いた実質賃金上昇率は82年7~9月期以降83年4~6月期までマイナスで推移した。最低協約賃金上昇率(鉱工業)は,82年7~9月期以降低下している(前年同期比で83年1~3月期16.7%,7~9月期15.3%,7~9月期15.5%)。
82年5月31日イタリア産業連盟が一方的廃棄を労組に通告して以来半年以上もめにもめたスカラ・モービレおよび3年ごとの労働協定の改定を中心とした労働コストをめぐる労使交渉は1月22日政府労使間で合意した。主要点は(1)スカラ・モービレの改定については賃金手当算出のための指数の基準年を75年から82年末に改め手当の15%カットを図るとともに,付加価値税の増税および為替レートの変動分を加味しない。(2)ベース・アツプを3年間で最高10万リラ引上げる。(3)84年7月から1年間で労働時間を40時間短縮する等である。なお,今回の妥結の前提条件として公共料金引上げ抑制などにより83年および84年のインフレ率をそれぞれ13%,10%に抑制することとしている。各年末に政府労使代表が予定したインフレと現実のインフレ動向をチェックし後者が前者を上まわれば政府がその分補てんすることとなっているが83年に関しては既に予定インフレ率の目標達成が困難であり,このことは,財政再建計画にも大きな影響を与えよう。
81年に一たん改善をみせた国際収支は,82年に悪化したものの,83年央以降再び改善してきている。
貿易収支(通関ベース,季節調整値)の推移をみると,80年から大幅に悪化したあと83年に入り改善しつつある。1~9月累積赤字額は前年同期の4.6兆リラから3.4兆リラと1.2兆リラ縮小した。これは繊維・衣料をはじめ機械類および輸送機械の輸出が好調であったことや国内景気の停滞による鉱工業生産の大幅な落込みが原材料輸入の減少につながったこと原材料価格が安定していたことおよび原油価格も低下したことにより輸入が大幅増加とならなかったことによる。貿易収支(原数値)を石油収支と非石油収支に分けてみると,石油収支は81年以降の大幅赤字が続いている(83年1~9月期23.3兆リラの赤字)。一方,非石油収支は,80年の赤字のあと,81年以降輸入抑制措置等の効果もあって黒字となっている。なお,石油輸入が食料品とともに貿易収支赤字の主因となっていることに変りないが,ドル高にかかわらず石油収支赤字が拡大しなかったのは原油価格の低下に加え,国内景気を反映して石油消費が減少したことによると思われる(第6-6図)。地域別でみると,東欧諸国向けのシェアが増加している。
経常収支は,82年には貿易収支赤字が拡大したこともあって10.2兆リラの大幅赤字となったが,83年1~6月期は貿易収支の赤字縮小や観光収支の黒字拡大から赤字幅が縮小している。
総合収支は,82年には経常収支赤字の拡大や資本収支黒字の縮小から81年の15兆リラの黒字から25兆リラの赤字に転じたが,82年は経常収支の改善から1~9月期では黒字となっている (第6-3表)。
金融政策をみると,中央銀行は83年1月より市中金融機関に対する貸出規制の強化および預金準備率引上げ等を内容とする信用規制措置を実施した。
しかし,適正な資金配分を歪めるおそれがある,弾力的な政策運営が困難になる等の理由から7月には同規制を撤廃,各行による自主規制にまかせることとした。また同月貿易省は引続き金融引締めを行うとしながらも生産体制の再建を図るべく,イタリア経済にとり大きなウエイトを占める輸出拡大を意図し,EC域外向け輸出に対する輸出金利を引下げた。
一方,公定歩合等の金利は,プライム・レートがまず2月0.75%,4月0.5%と相次いで引下げられた。同4月にはEMS再調整(3月21日)後リラ相場が堅調に推移,物価の勝勢鈍化も予想されたこと,原油価格の引下げやスカラ・モービレ改定によるインフレ圧力の低下が期待され,国内短期金利が低下傾向にある等の理由から公定歩合が82年8月より9か月ぶりに1%引下げられ17%となった。公定歩合の引下げに伴い5月プライム・レートが再度引下げられ18.75%となった。
財政政策では,ファンファーニ前内閣が財政赤字削減政策の一環として,82年12月末および83年1月に特別消費税の導入等の増税措置およびバス等の公共料金引上げを行った。4月29日ファンファーニ内閣は長年の課題であったスカラ・モービレ改定が決着したことイタリア経済が最悪期を脱したこと等を理由に総辞職した。この後,8月12日戦後初めての社会党出身のクラクシ首相による5党連合による内閣が発足した。同内閣はインフレ抑制と財政赤字削減を経済政策運営の柱とする旨,発表し,9月央財政赤字削減の第1弾として社会保障関連支出を約2兆リラ削減することを決定既時実施した。
84年度予算は9月末閣議決定されたが,予算案の骨子は84年度のインフレ率を10%まで引下げ,財政赤字を83年度並の90兆リラ以内に抑えるという緊縮型となっている。このため各種税率の引上げによる歳入増と医療・社会保障関係支出の削減による歳出減をねらっているが,労働組合の強い反発が予想される。
84年の経済見通しについて,政府とOECDはともに実質GDP成長率は2.0%増となり景気は回復に向うとみている。その内訳をOECDの見通しでみてみると,個人消費は実質可処分所得の増加に比べ貯蓄率が横ばいと予想されることからプラスに転じる(83年11/2%減→84年2%増)。内外需とも増加が予想されるため,企業マインドの慎重さもやわらぐものの,信用コスト高が依然障害となり在庫積増はわずかである。設備投資は需要増が明確化するまで減少が続くであろう。一方,輸出は為替レートが変化しないという仮定の下ではイタリア製品の競争力の低下や内需増により増加幅は低下するものの増加を続け,貿易外収支の拡大により経常収支は黒字となるとみている。
オーストラリア経済は投資,個人消費の不振,在庫の大幅削減などに干ばつの影響も加わって81年末より7四半期に渡って実質GDPが減少し,深刻な景気後退を経験した。しかし83年央より個人消費や輸出の増加,在庫積み増し,干ばつ終了後豊作に転じた農業生産等から景気は急速に好転している。実質GDPは4~6月期の前期比1.4%減後,7~9月は同4.4%増(農業部門生産寄与度は2.1%ポイント)となった。こうした中で悪化を続けてきた雇用情勢も83年末より改善している。一方消費者物価は82年末導入の賃金凍結の影響を主因に83年央に2年振りに一桁台へ騰勢鈍化した。
82年央以降低下傾向に転じた各種金利は依然高水準ながら83年央以降一段と低下している。財政は82/83年度(7~6月)に引続き83/84年度も景気浮揚をめざした赤字拡大予算となっている。
実質個人消費は81/82年度の3.6%増後,82/83年度は0.9%増と大幅に伸びが鈍化した。屋賃,衣類への支出は増加したが,乗用車,燃料,タバコ,アルコール飲料等多くの費目に対する支出が減少した。これは賃金の伸びの鈍化,雇用者数の減少,農家所得の減少などから実質可処分所得の伸びが大幅に鈍化したこと(81/82年度3.9%増-82/83年度0.1%増),景気の先行き不透明惑から貯蓄率力吐昇したこと(82/83年度初11.7%-年度末12.6%)なとによる。しかし83年7~9月期には移転所得増等による実質可処分所得の増加,雇用の回復,インフレ沈静化などから個人消費は4~6月期の前期比1.7%減から,同1.5%増へと大幅に増加した。10,11月にも小売売上高(名目)が前2か月比2.8%増と増加するなど,回復が続いている。
実質民間設備投資は82年初来不振を続け,81/82年度の18.7%増から82/83年度は15.7%減と著しく後退し,83/84年度も不振が予測されている。これは世界的不況やエネルギー国際価格の軟化といった外的要因,労働コストの大幅上昇,国内の高金利による国際競争力・企業収益の低下などの内的要因による。
部門別の推移を民間企業新規設備投資支出額(名目)でみると,鉱業部門は81/82年度50.2%増,82/83年度24.8%増,83/84年度予測25.4%減,製造業部門は同20.5%増,12.7%減,29.5%減,うち基礎金属部門同52.2%増,21.4%減,56.7%減となっている(全体では25.9%増,1.5%増,19.7%減)。
一方実質民間住宅投資は資金供給不足,地価や建築資材価格の高騰,高金利等から81年央より不振となり,81/82年度の2.8%減後82/83年度は25%減と大幅に減少したが,83年4~6月期より回復に転じ,前期比1.9%増,7~9月期同1.7%増となっている。民間住宅建築許可件数(名目)でみると,82暦年の25.6%減後83年初より増加に転じ,1~3月期前期比8.8%増,4~6月期同4.7%増,7~9月期同13.O%増となっている。こうした順調な回復は金融機関の住宅ローン融資枠拡大,政府の優遇策,住宅ローン金利の低下(83年1月13.5%→12.5%,9月12.5%→12.O%)などによる。
工業生産は内需の低迷等から81年央より減少に転じ,81/82年度の横這い後,82/83年度は8.3減と,急速に減少した。部門別では食料・飲料が増加した他は全て減少し,特に基礎金属,輸送機械の減少が著しかった。しかし4~6月期より回復に転じ,前期比2.4%増,さらに7~9月期同1.O%増となり,景気回復を裏付けている。
こうした生産の動向を映じて雇用の伸びは82/83年度1.4%減と過去30年来最大の減少を記録した後7~9月期より前期比0.6%増,10月前月比0.1%増と緩やかな増加に転じた。失業率は81/82年度平均6.2%から82/83年度9.O%へ上昇後83年9月の10.4%にまで高まった。以後は景気回復を映じて10月9.9%,11月9.6%,12月9.2%と急速に低下している。
消費者物価上昇率は労働コストの大幅上昇,公共料金引上げ等から81年末より2桁台の高水準で推移した(81/82年度10.4%,82/83年度11.5%)。82/83年度に上昇した費目は交通費,食料,住宅維持費,タバコ・アルコール等で,一方衣類,住宅費は低下した。しかし83年7~9月期には賃金凍結の影響もあって,衣類,住宅,交通をはじめ全費目の上昇率が低下して,9.2%と2年ぶりの1桁台となった。
82年12月に旧政権下で導入された83年からの賃金凍結措置(公務員6~12か月,民間企業労働者6か月)について,3月発足したホーク新政権は,4月11~14日の国内経済サミットで,①公務員賃金の凍結は9月までとする,②81年7月に廃止した賃上げ中央決定方式を復活するなどの合意を政・労・使間で得た。次いで9月23日,連邦調停仲裁委員会は①同方式復活の認可,②10月6日以降半年間の賃上げを1~3月期,4~6月期の消費者物価上昇率に等しい4.3%とする,③今後半年毎に直前2四半期の消費者物価の動向に基づいて賃上げを調整する等の裁定を行った。
こうした中で賃金(男子平均週給)上昇率は81/82年度14.5%,82年7~9月期前年同期比16.4%,10~12月期14.1%と消費者物価を上回る騰勢を示していたが,83年より1~3月期の9.2%から7~9月期の6.0%にまで急速に鈍化した。
輸出(季調値)は82/83年度に数量の2%増,輸出価格の7%上昇から,8.4%増と前年度の2.0%増から増勢を強めた。このうち農産物の輸出は干ばつの影響から穀物が25.8%の大幅減となる一方食肉は屠殺増により21.4%の大幅増となり,全体では4.2%の減少であった。非農産物の輸出は,石炭・コークス等鉱物の34.1%増,金属・同製品の17.6%増等総じて増加し,全体で18.1%の増加となった。その後7~11月間にも前5か月比14.3%増と,10,11月の農産物輸出の急速な回復もあって増加が続いている。なお3月の豪ドル切下げ(10%)の効果も4~6月期以降の増加に寄与している。
輸入(同)は数量は12%減少したため,価格が9%上昇したものの,82/83年度に3.5%減となった(前年度17%増)。資源関連投資プロジェクトの延期や乗用車販売不振等により機械・輸送機械が5.7%減少し,金属・同製品も12.1%の著減となるなど総じて減少した(燃料(3.2%増),食料(13%増)のみは増加)。しかし83年4~6月期より増加に転じ(前期比8.5%増),83/84年度7~11月間では前5か月比6.8%増と増加した。
貿易外収支(原数値)赤字幅は82/83年度56.4億豪ドルと前年度(55.8億豪ドル)並みであった。これらにより経常収支(同)赤字幅は,81/82年度の88.7億豪ドルから82/83年度69.4億豪ドルへと大幅に縮小した。7~11月累計でも25.8億豪ドルと前年同期32.1億豪ドルを下回った。
民間資本収支は82年後半に海外の金利低下から7~12月累計52.1億豪ドルと,前年同期の25.3億豪ドルを大幅に上回る入超となった。その後83年3月5日の総選挙における労働党の勝利予想から選挙直前2週間に巨額の資本流出が起こったため,2月は5.3億豪ドルの流出となった。これに対処した労働党新政権による3月8日の豪ドル10%切下げ(主要貿易相手国の通貨変動を加重平均した貿易加重指数を81.5から73.3へ変更)後は,海外より金利が高いことや豪ドルの強含み化もあって,3~11月累計76.1億豪ドルと前年同期(102.8億豪ドル)には及ばないまでもかなり大幅な流入となった。特に10,11月はホンコン,フィリピン等アジア諸国からの政情不安による資本逃避を主因に累計21.4億豪ドルの大幅入超を記録した。一方政府部門はローン返済等から3~11月(8,10月を除く)に流出が続いた。これらにより資本収支は82/83年度93.7億豪ドル,83年7~10月累計36.9億豪ドルとなった(81/82年度102.3億豪ドル,82年7~10月累計37.3億豪ドル)。
管理フロート制下にあった為替制度は10月28日,対米ドル直物レート決定の弾力化等一部弾力化された。次いで12月9日,①豪ドルの完全フロート制への移行,②非居住者の豪州での借入れ規制の撤廃,③資本の本国送金規制の撤廃等一連の金融制度緩和措置の12日からの実施が決定された。これは直接的には豪ドル切上げ予想による83年後期の大量の資本流入に対処したためであるが,基本的には従来より進めーられてした自由化の線に沿う決定であった。
通貨供給量(M3)は外資の大幅流入や大幅な財政赤字等から81/82年度末6月の前年同月比11.0%から83年11月13.4%にまで増加し,政府の目標値9~11%(84年4~6月期の前年同期比)の上限を大幅に上回っている。また民間企業の資金需要の不振も続いており,各種金利は順調に低下している。プライム・レート(10万豪ドル以上当座貸越金利)は83年6月16.00%→9月14.00%→11月13.25%と引下げられている。なお12月29日,政府は今後の経済成長を予想以上とみて,同予測値を10~12%へ改定した。
政府は8月議会提出予定の83/84年度予算案発表に先立ち,5月198,財政赤字の縮小を図るべく前政権の歳出入計画の見直しを発表した。これは不要不急経費の削減等により83/84年度9.9億豪ドル,84/85年度20.4億豪ドル,85/86年度21.9億豪ドルの節約を図ったものであった。83/84年度については社会保障費も含む9.9億豪ドルの歳出削減の一方,雇用促進のための住宅建設促進等公共投資で5.6億豪ドルの歳出増加が予定されている。財政赤字は当初予測の96億豪ドルから92億豪ドルヘ減少するものと予想されている。
83/84年度予算案は8月23日議会に提出された。その内容はインフレ抑制最優先策と矛盾せず,金利や国際収支に過度の負担を与えない範囲で財政面から最大の景気刺激効果を与えようというものである。歳出は失業対策事業の実施,住宅補助,公共事業の大幅拡大等を盛り込みながらも前年度の18.5%増から15.8%増へと伸びを圧縮している。このため歳入も82年11月からの所得税大幅減税,法人税や石油課徴金の減収等から前年度の9.1%増から8.6%増へ伸びが鈍化するものの,財政赤字は83.6億豪ドルと選挙公約の85億豪ドル以下に収まる見通しである(前年度実績44.7億豪ドル,GDP比は前年度実績2.8%から4.7%へ拡大)。
オーストラリア経済は82/83年に深刻な景気後退下で賃金の伸びの抑制,物価の沈静に一応の成果を挙げた。83/84年度は財政の景気刺激的な運営,干ばつの終了,海外の景気回復,前年度の大幅削減から積み増しに転じるとみられる在庫投資などにより急速な回復が見込まれている。
予算策定時の政府見通しは,実質GDPを82/83年度の2.O%減から83/84年度に3.0%増へ急増するとしている(うち農業部門は17.4%減から20.O%増へ)。これは民間設備投資は引続き不振ながら,公共支出,個人消費,住宅投資,輸出が増加し,輸入の減少が続くことなどによる。その他予算案の前提となった経済見通しは①雇用の伸び1.5%増(82/83年度1.4%減),②賃金上昇率年度平均7%(同11.4%),③消費者物価上昇率同7.5%(同11.5%)などである。
一方12月発表のOECD見通しでは,実質GDP(数量,市場価格ベース)の84年暦年の伸びを5.25%増(83年1.25%減)と,農業生産の急速な回復等により7月時点の予測4.5%増から上方改訂している。
ニュージーランド経済は81/82年度(4~3月)に拡張的財政・金融政策のもとに内需が拡大して,実質GDPは2.9%増の成長を遂げた。しかし82年央より景気は後退に転じ,82/83年度は0.7%のマイナス成長になったとみられる。これは82年6月より実施された賃金・物価凍結を機に,前年度の回復を主導した個人消費や民間設備投資が不振となったことや,世界的不況による輸出の不振,在庫の大幅削減等による。しかし83年に入って輸出の回復,インフレの急速な沈静化等一部に明るい兆しも出ている。
財政スタンスは82年10月の所得税減税後拡張的となり,83/84年度予算案も赤字幅を大幅に拡大している。金融政策はインフレ抑制最優先に82年よりマネー ・サプライの引締め等引締め的に運営されていたが,凍結令によるインフレ沈静化により83年8月に金利が引下げられた。
貯蓄率が81/82年度の2.2%から82/83年度0.1%へと急減したにも拘らず,実質個人消費は1.9%増から1.8%減へと急減した。これは実質可処分所得が凍結令により1.3%増から4.3%減へと著減したことや,金融引締めが主因である。しかし同所得は82年10月の減税の効果で10~12月期より4四半期連続増となったため(10~12月期前年同期比0.8%増→83年7~9月期4.4%増),実質小売売上げが83年初来増加に転じた(10~12月期前期比4.5%減一1~3月期同3.8%増4~6月期0.2%増)。一方乗用車販売(名目)は3月のNZドル切下げ(実効レート6%)による値上げ前の駆け込み需要等から一時的急増はあるが,趨勢としては82年央以降不振が続いている(82/83年度11.7%減,83年4~9月前年同期比23.8%減)。今後も凍結令の延長もあって個人消費は当分弱含みで推移するとみられる。
住宅建築許可件数は82年3月をピークに減少しており,81/82年度の31.6%増後,82/83年度は15.9%減,83年4~6月期前年同期比5.4%減となった。これは金利規制等による抵当資金融資の減少,凍結令による実質所得の減少などによる。しかし7,8月には前年同2か月比11.1%増と急速に増加した。これは①移民の純流入への転換,②8月の住宅低当金利の引下げ,③建築コストの上昇率の鈍化などによっており,今後も引続き回復が見込まれている。
実質民間固定資本投資は81/82年度の19.4%増後,82/83年度は3.1%増と鈍びが鈍化する一方,政府部門は13.8%増から27.5%増へと増勢を増した。82/83年度に「シンク・ビッグ・プロジェクト」と名付けられた資源開発プロジェクト関連投資はピークに達し,83/84年度以降減少するため,今後設備投資は不振が見込まれている(OECDでは実質総固定資本投資を82年実績の7.1%増後,83年0.5%増,84年5.75%減と予測している)。
第7-3図 ニュージーランドの個人消費の動向(月平均原数値)
製造業生産指数は81/82年度の7.7%増後,82/83年度2.4%減と減少した。四半期別では82年10~12月期より83年4~6月期まで年率6.O%減,10.3%減,9.1%減と3期連続減少し,今後も当分停滞が続くとみられている。生産設備稼動率も82年4~6月期の89.6%をビークに83年同期84.7%にまで低下した。
労働市場をみると,雇用者数は81/82年度の1.0%増から82/83年度は0.5%増へと伸びが鈍化した。四半期別では83年初より減少に転じ,1~3月期年率0.8%減,4~6月期同1.4%減と悪化している。一方労働力人口は80/81年度の0.5%増後,81/82,82/83年度に各1.5%増と増勢が強まった。これらにより登録失業者数は,82年10~12月期平均62.8千人から83年7~9月期同78.2千人へと急上昇した。今後も労働力人口は人口年齢構成の変化,女性の労働市場への参入,移民の純流入への転換等から増加する一方,雇用も当分増加が期待できず,失業者数は引続き増加するとみられている。
82年6月導入の賃金・物価凍結令(賃金,物価,地代,家賃,金利の一年間の凍結令,ただし公共料金,直接税,輸入価格上昇分については価格引上げを認める)により消費者物価上昇率は82年の15.3%後,83年1~3月期の前年同期比12.6%にまで沈静化した。しかし依然高水準にあるため,83年5月23日,同令の84年2月末までの延長を決定した。以後7~9月期同5.4%増まで急速に騰勢鈍化し,83年全体では3.6%と15年来の低水準になったと伝えられる。
80年央以降物価の伸びを上回っていた賃金上昇率も81/82年度の18.7%後,82/83年度7.8%,83年4~6月期前年同期比0.2%,7~9月期同0.1%へと急速に伸びが鈍化した。
輸出は81/82年度の14.3%増後,82/83年度は4%増にとどまった。これは食肉の大幅減,羊毛,酷農品の伸び悩み,林産物価格の軟化が主因である。
しかし83年初来貿易相手国の景気回復や一次産品価格の上昇などから急速に回復し,1~3月期前期比12.6%増,4~6月期同14.3%増,7,8月計前2か月比5.2%増と増加した。一方輸入の伸びは81/82年度の18.5%増後内需・生産の低迷を映じて82/83年度7.4%増へ鈍化後,4~8月計前5か月比2.6%減と減少した。この結果貿易収支黒字幅は81/82年度の6.7億NZドルから82/83年度4.9億NZドルへと縮小後,4~8月計9.6億NZドルと前年同期の0.6億NZドルを大幅に上回る拡大となった。このため経常収支赤字幅も82/83年度に前年度の11.4億NZドルから16.4億NZドルへと拡大後,83年1~8月累計0.8億NZドルと,前年同期の12.3億NZドルから大幅に縮小した。
為替面では3月8日,豪ドル切下げに続き,NZドルを貿易相手国の加重平均バスケットに対し6%切下げた。
通貨供給量は81/82年度に拡張的金融政策により急増した後,82年央以降賃金・物価の凍結や財政引締めから伸びが鈍化したが,同年10月以降所得税減税や経常収支の大幅改善等から再び増加した。こうした推移をM3の年率でみると,82年6月13%→10月9%→83年3月12%となっている。この間資金需要の低迷,インフレ沈静化などから規制対象外である預金金利は低下した(6か月未満譲渡性預金金利10月16.5%-3月12.6%など)。政府は過剰流動性を吸収すべく3月21日,高金利のキーウィー国債を発行した他,金利引上げ(TB3か月もの金利11.25%→12.0%など)も実施した。これらによりM3は4月の10%から6月は8%にまで伸びが鈍化した。次いで8月にはインフレ率の大幅な低下に伴い,金利引下げを行った(TB同金利12.O%→7.8%など)。その後M3は9月12%へと再び高まっている。
82/83年度予算では,財政赤字幅はインフレ抑制最優先の見地から前年度実績の2.8%減に縮小され,対GDP比は前年度の6.3%から5.5%(見込み)へと縮小した。しかし83/84年度予算案(7月議会提出)では,景気後退による税収の伸び悩み,債務償還費の大幅増,公共事業関連費の増額等から,対GDP比9.5%の巨額の赤字発生を余儀なくされている。これは歳入が間接税引上げにも拘らず,82年10月の所得税減税(中間所得階層の標準税率の一律10%引下げ)等から2.4%増にとどまる一方,歳出は国債発行の累増,景気・雇用に配慮した産業開発費,運輸・通信施設費等公共事業関連費の増額等から13.1%増に上るためである。
このように82年央より急速な景気後退に入ったニュー-ジーランド経済は,輸出の回復や輸入の減少から経常収支が大幅に改善した他,凍結令によるインフレ率の低下などの明るい指標も出てきた。今後8月の金利引下げの景気下支え効果も期待される。しかし主要プロジェクト関連投資の83/84年度以降の減少を補う民間設備投資の盛り上りも,生産設備稼動率の大幅低下等により当分期待できないこと,凍結令による所得の減少から個人消費も弱含みと予想されることなどの懸念もある。ニュージーランド経済研究所では83/84年度の実質GDPの伸びを0.5%増程度と見込んでいる。OECD見通し(12月発表)では83年の0.5%減から84年横這いとしている。需要項目別では個人消費0.5%増(83年1.5%減),政府消費0.25%増(0.25%増),総固定資本投資5.75%減(0.5%増),輸出4.25%増(4.5%増),輸入1%増(2%減),在庫の増加率寄与度0%ポイント(2%ポイント減)となっている。
なお84年2月の凍結終了後の賃上げについては4月1日の小幅の賃上げ(約5%)後物価統制を続け,その間政・労・使間で賃金交渉方式について検討すると見る向きが多い。
韓国経済は,82年に輸出の不振等から成長率は低迷を続けた (第8-1-1図)。しかし,83年に入ると,固定投資の急増,個人消費の回復から比較的高い成長率に回復し,また,4~6月期になると輸出も回復してきている。また,物価上昇率は顕著に低下し,加えて国際収支面でも改善の兆しがみられる。
金融政策は,83年中抑制的マネー・サプライ管理を続け,一方,財政面では,84年度予算を建国後初の黒字予算とするなど健全化を図っている。
82年の実質個人消費は前年比3.8%増と,81年と同じ低い伸びであった。これを,都市勤労者家計消費支出の要因別寄与度でみると(第8-1-2図),実収入の伸び悩みが消費支出増加率を抑えている。しかし,年後半の物価鎮静化から物価要因のマイナスの寄与が小さくなった。83年に入っての実質個人消費は,上半期に7.6%増,7~9月期5.9%増と緩やかな回復基調にある。これは,物価が引続き鎮静しているほか,景気回復による賃金収入の増加,消費マインドの回復によるものとみられる。特に,82年は不振であった耐久財消費が増加してきている。
総固定資木形成は,80,81年と2年連続して減少した後,82年には前年比11.5%増加した。これは主として,年後半からの民間建設の活発化による(81年同18.2%減から82年は同24.8%増)。住宅及び商業用建築の許可面積をみると(第8-1-3図),実質収入の改善傾向や金融緩和等を反映して82年7~9月期から大幅増となっている。83年に入って政府・通貨当局は民間建設の過熱抑制の姿勢を示しているものの,依然高水準にある(1~9月に前年同期比32.7%増)。
一方,機械・設備投資は81年は前年比6.4%減,82年も同1.5%増と不振であった。これは,第2次石油危機後の経済の停滞,及び輸出不振で製造業の稼働率も低く,また,企業収益も低迷し,企業家の先行きに対するコンフィデンスも十分改善していなかったためとみられる。83年に入ると,上半期に8.9%増,7~9月5.6%増とやや立ち直りの兆しもみられるが,輸出が本格的に回復するまでは基調は弱いとみられる。
製造業生産の動向をみると(第8-1-4図),81年初から7~9月期にかけて対米輸出の増加を反映して対前年同期比増加率が高まったが,その後の輸出不振とともに生産は停滞に向い,82年4~6月期及び7~9月期には2%台,通年でも5.O%という低い伸びにとどまった。個人消費の伸び悩みを反映して消費財,特に耐久消費財の生産が不振であったほか,生産財生産の伸びも低いものとなった。しかし,82年10~12月期からようやく上向き始め,83年に入っての伸びは,製造業全体で,1~3月期14.8%4~6月期14.8%,7~9月期17.9%と生産活動の活発化を示している。特に,建設活動の活発化・消費の回復から,建設資材や自動車・冷蔵庫等耐久消費財の生産が好調である。
現価は,80年末をピークとして上昇率が著しく低下してきている (第8-1-5図)。
卸売物価上昇率は,80年の前年比38.9%から81年20.4%,82年には4.7%に低下した。これは,燃料価格の騰勢鈍化に加えて,国内経済活動の停滞から資本財・消費財の価格が安定化してきたことによる。83年に入ると,1~3月期前年同期比1.4%,4~6月期同0.3%それぞれ上昇,7~9月期には同0.4%下落と一段と鎮静している。これは,4月に石油製品・電力価格が引下げられ,また,食料品価格,資本財価格ともに極めて落ち着いているためである。
一方,消費者物価も82年には急速に鎮静化し,下半期には4%台の上昇にとどまった。これは,主として,食料品,光熱費の上昇率鈍化による。83年に入ると食料品価格はやや上昇率を高めたが,光熱価格の一層の鎮静化等から,4~6月期3.7%,7~9月期2.5%と安定している。8~9月にかけてナフサ系石油製品価格が引上げられたが,10月の卸売物価は前年同月比0.6%下落,消費者物価同2.4%上昇と依然鎮静している。
賃金動向をみると,製造業常用雇用者月収の上昇率は,名目では鈍化しているものの,消費者物価上昇率で割引いた実質では81年の前年比1.3%減から82年には7.6%増と増加に転じた。特に下半期には,物価の鎮静から伸び率が高まった。83年に入っても,ほぼ8~11%の伸びとなっており,これが堅調な消費を支えているとみられる。
貿易面(ドル・ベース)をみると(第8-1-6図),82年の輸出は極度に不振であった。韓国の経済成長にとって輸出は牽引車であり,過去20年間平均年率36.7%の伸びを記録し,2度の石油危機に際しても2桁の伸びを維持したが,82年にはわずか2.8%の増加にとどまった。輸出価格は前年比4.2%下落し輸出数量も7.4%という低い伸びにとどまった。輸出数量の変動要因をみると (第8-1-7図),82年の輸出には,国内物価の安定と為替レートの下落が増加要因として寄与していたが,世界景気の停滞による世界輸入の減少が大きく響いていた。83年に入ると先進国の景気回復から世界輸入が回復し始め,韓国の輸出も4~6月期以降上向いてきている。1~3月期の前年同期比9.4%増から4~6月期には同21.6%増,7~9月期も同15.7%増となった。金額ベースでみても,83年1~3月期の前年同期比0.4%減を底として,4~6月期には同10.8%増,7~9月期同10.0%増と回復しつつある。品目別にみると,船舶,機械,電子機器を中心とした重化学工業品が目ざましい増加を続けているのに対して,繊維等の軽工業品は減少している。
輸入は,82年には国内景気の停滞等により前年比7.2%減となった。83年に入っても,国内生産・需要の増加から資本財や消費財の輸入が増加しているものの,原油輸入が大幅に減少しているため,輸入の伸びは緩やかである(1~10月に前年同期比5.7%増)。
国際収支面をみると(第8-1-1表),82年の経常収支赤字幅は大きく縮小した。これは,輸入の低迷により貿易収支が,また,海外建設収入の増加により貿易外収支がそれぞれ改善したことによる。83年に入ると,輸出の不振に海外建設収入の低迷が加わって,1~3月期の経常収支赤字幅は10.4億ドルと前年同期の3倍にも達っした。その後,輸出は回復基調にあり,また対外利払いの軽減もあって,7~9月期には貿易収支,貿易外収支とも黒字に転じ,経常収支は4.5億ドルの黒字となった。1~10月の経常収支赤字の累積額は10.1億ドルであり(前年同期は15.1億ドル),海外建設収入が年末に来て急回復していることもあって政府年間目標額の△20億ドルを下回るとみられている。資本収支面でも商業ローン及び貿易信用の好調な取り入れがみられ,1~10月の総合収支は9.4億ドルの赤字となった(前年同期は38.5億ドルの赤字)。金・外貨準備高は,3月末を底に徐々に増加しており,11月末には64.8億ドルとなった。
83年6月末の対外債務残高は,82年末から10億ドル増えて382億ドルとなったが,5か年計画の改訂(後出)では,86年末の残高を474億ドルにとどめるとしている(当初計画では645億ドル)。
82年には年初から年央にかけて再三にわたって景気刺激策が採られたが,83年には,国内景気過熱と国際収支悪化を配慮して慎重な姿勢を維持した。特に,82年7~9月期に私債不正事件に伴う金融不安防止措置を採ったため過剰流動性が発生し,土地投機・建設ブームに火をつけたという反省もあって,マネー・サプライ増加率を厳しく抑制する姿勢に転換した。M2の管理目標を82年11月に復活させ,83年末の前年比増加率の目標を,83年初には18~20%としていたのを漸次引下げ6月には15%を目標とした。実績をみても,82年12月末の前年同月比27.0%増から83年10月には14.8%増となった。しかし,12月には,8月に発覚した「明星グループ事件」の余波を吸収するため,管理目標を15.5%に引き上げ,また,11月末の実績も前年同月比16.4%増となっている。一方,公定歩合は,82年6月に5.O%に引下げられたあと,その水準で据え置かれている (第8-1-8図)。
財政面をみると,84年度(1~12月)一般会計予算は,歳出を前年度当初予算比0.3%減の10兆3,863億ウォンとする極めて抑制的なものとされた。歳入は税収の伸びを6.8%と見込むなど前年比5.3%増の10兆9,667億ウォンと見積もられ,建国後初の黒字予算(5,804億ウォン)となった(この一般会計における黒字は食糧管理基金等特別会計の赤字に充当され,これにより統合会計における赤字は,82年度の2兆ウォンから1兆ウォンに縮小することになる)。項目別にみると,一般行政費,国防費が各々前年度当初予算比0.4%,0.9%増と抑制され,また経済開発費は5.6%減とされた一方,教育費,社会開発費はそれぞれ4.6%増,3.3%増とされた。
政府は,83年末に第5次経済社会発展5か年計画(82~86年)を石油価格の低下やインフレ,国際収支面での予想以上の改善等により全面改訂した。
主要な改訂内容は,計画の残存期間(84~86年)に,GNPデフレーター上昇率を年率1.8%(当初計画では10.2%)に抑え,この物価安定を基盤として年率7.5%の着実な成長を図り,経常収支も86年には4億ドルの黒字に転換させる(当初計画では36億ドルの赤字),というものである。このために財政・金融面での緊縮を続け,マネー・サプライ(M2)増加率は12%に抑制することとしている(当初計画では22%)。
台湾では第2次石油危機発生以降,景気は鈍化を続け,輸出・投資の不振から82年の実質GNPは前年比3.9%増と74年以来の低い伸びにとどまった(81年同5.0%増)。
しかし,83年に入ってアメリカの景気回復に伴い対米輸出が急増したこと等により景気は着実に回復した。実質GNPは1~3月期前年同期比4.5%増,4~6月期同6.3%増,7~9月期同8.6%増(暫定値)と,増勢を強めた。83年通年では前年比7.1%増と見込まれている(目標5.5%増)。企業の稼働率も約80%に達しており,鉱工業生産も急増している。一方,物価は鎮静し,卸売物価は下落を続け,消費者物価上昇率も鈍化が著しい。また,貿易収支は大幅な黒字を記録しており,外貨準備高が急増していることもあって輸入規制緩和策が実施されている。失業率は83年1~3月期3.O%,4~6月期2.5%,7~9月期2.8%となっている(82年2.1%)。
81年秋以来,金融緩和策が実施されており公定歩合は83年3月まで8回にわたって引き下げられ,史上最低の水準となった(13.25%-7.25%)。通貨供給量(M1)増加率は83年春以降20%前後(前年同期比)で推移している。
83年度(82年7月~83年6月)は税収減から多額の歳入欠陥が生じると見込まれるため,83年度後半には経常支出の5~10%の切りつめを行うことが決定された。また84年度予算は歳入,歳出共に3,231億元(前年比4.5%減)の緊縮型となっている。
81年秋より投資減税(10~15%)や機械設備関税の半減措置等の投資促進策が実施されたにもかかわらず,82年の機械設備投資は前年比5.4%減少し,固定資本形成は同0.3%減少した(81年同3.1%増)。また,在庫投資も大幅に削減された(実質GNP増加寄与度マイナス2.3%)。一方,個人消費は物価の鎮静化等により前年比4,2%増加し,政府消費は同6.1%増となった。
なお,輸入の減少により純輸出は急増した(実質GNP増加寄与度2.8%)。
固定資本形成は83年に入っても不振を続け,上期前年同期比7.4%減少した。しかし,工場の設立許可件数が急増する(1~10月同35.2%増)など下期に入って,民間設備投資がやや改善し,7~9月期の固定資本形成は同1.9%減にとどまった。こうした中で投資減税,機械設備関税免除措置は83年末で廃止されることとなったが,企業の中長期資金に対する低利融資等は継続するとしている。華僑・外国人投資は83年前年比6.4%増加した。在庫投資は,83年下期にようやく積み増しに転じた(7~9月期の実質GNP増加寄与度1.6%)。一方,個人消費は上期前年同期比4.3%増,7~9月期同6.O%増となり,政府消費は各2.7%増,3.7%増となる等消費も増加している。また,輸出の急増により純輸出は急増し,実質GNP増加寄与度は1~3月期2.O%,4~6月期7.2%,7~9月期4.6%となった (第8-2-1表)。
世界的な景気の停滞や台湾元高により,82年4~6月期以降輸出は前年同期比で減少を続け,82年には前年比1.8%減少した(第8-2-2表)。しかし,83年に入ってアメリカの景気回復のため,対米輸出が急増した(83年前年29.4%増)。このため輸出総額も上期の前年同期比5.6%増から下期には同20.3%増と急増し,83年には前年比13.1%増となった。日本,香港向けは,各同4.6%増,5.0%増にとどまった。品目別にみると電子製品,履物,金属製品等が急増した。
一方,輸入は景気の低迷による需要減,原油価格の下落等から82年に前年比10.9%減少し,83年上期も前年同期比6.O%減少した。しかし景気拡大による需要の増加に伴い,原油,非鉄金属等が急増したため下期同21.5%増となり,83年全体では前年比7.4%増加した。
83年の貿易収支は累計48.3億ドルの大幅黒字となった。特に対米黒字は66.9億ドルに達している。経常収支も1~9月37.3億ドルの黒字となった。
このため外貨準備高は11月末118.5億ドルに達している。こうした中で,9月に594品目の農産物,石油化学原料等の輸入規制を緩和・撤廃する等輸入促進策が実施されている。
輸出・投資の不振から82年の鉱工業生産は前年比2.1%減少した (第8-2-3表)。83年に入って輸出が回復し,在庫も積増しに転じたこと等から急ピッチで生産は回復し,上期前年同期比7.7%増から下期同18.0%増加し,83年全体では前年比12.9%増となった。このうち製造業は同14.9%増加し,中でも重工業生産は22.5%増と急増した。また電気・ガス・水道業は11.2%増加したが,鉱業は4.4%減少し,住宅建設業は8.1%減と依然として不振を続けているものの,下期に入ってやや回復している。
農業生産は2年続きの不作から回復し,82年前年比1.3%増加したが,83年には,天候不順により前年比0.2%増にとどまったとみられる。しかし,米の生産は252万トンと計画目標(210万トン)を大幅に超過した。
石油,一次産品価格の下落,景気の低迷により,82年の卸売物価は前年比0.2%下落し,消費者物価は同3.O%の上昇にとどまった。83年に入って景気は回復したものの,石油価格の低下などにより輸入物価が下落したため,物価は一層鎮静している。卸売物価は上期前年同期比1.5%,下期同0.9%各下落し,消費者物価も同2.8%の上昇から,同横ばいとなった。83年通年では卸売物価は前年比1.2%下落した(目標は5%以内の上昇)。消費者物価上昇率も同1.4%と65年以来の低い伸びとなった。また,輸入物価は同2.5%,輸出物価は同0.9%各下落した。
行政院の作成した84年計画では実質GNPを前年比7.5%増とし,個人消費同7.3%,政府消費同5.5%,民間投資同8.7%,公共投資同6%の伸びを見込んでいる。また,①輸出・入額は各294億ドル(前年比17.7%増),242億ドル(同20.9%増),②卸売物価,消費者物価は各3.3%,4.3%の上昇③鉱工業生産7.9%増(鉱業2.O%増,製造業8.8%増,住宅建設業2.6%増,電気・ガス・水道業6.5%増),農業生産0.5%増,サービス業8.0%増,④失業率を2.7%から2.1%に低下させる等を内容としている。
82年のタイ経済は,農業部門の不振とそれによる国内需要の低迷により,過去数年間最低の成長率にとどまった。しかし,83年に入ると農業生産の好調が見込まれるほか,農産品価格の上昇等もあって消費需要が回復してよるとみられ,また,投資活動も活発である。一方,輸出は極度に不振であり,貿易収支赤字は前年に比べて倍増してきている。
82年の実質GDP成長率は前年比4.2%増と,81年の同6.3%増,第5次経済社会開発計画の目標6.6%をともに下回った(第8-3-1表)。部門別にみると,農業生産が,干ばつと農産品価格低迷による増産意欲の減殺から,81年の6.8%増から0.1%増にとどまったほか,鉱業も世界的な需要不振から0.2%減と2年続けてのマイナスとなった(81年は3.3%減)。製造業は,81年の6.4%増から82年には5.8%増となった。
農業生産指数をみると81年の前年比8.2%増から82年は0.8%増となった。
特に穀物は81年の9.3%増の豊作から82年には0.1%減となった。米,メイズが干ばつで減産となったはか,砂糖きびも価格低下による作付面積の減少から大幅減となった。一方,タピオカは輸出の増加と価格上昇から好調であった。83年に入ると,降雨不足で播種が遅れたがその後は十分な降雨に恵まれ,米,メイズ,タピオカ等で増産が見込まれ,農業生産は4%程度増加すると見込まれている。
82年の製造業生産は,GNPベースで5.8%増となったが,第5次経済社会開発計画における目標の7.6%を下回った。農産品価格低下による国内需要の低迷及び過剰在庫圧力による稼働率の低下により,やや停滞感を免れない。特に,農業機械や輸送設備等の農業関連業種及び建設資材等が不振であった。食品加工産業は全般に好調で,特に砂糖きびは81年の大豊作に比べれば82年は減産となったものの豊富な在庫に恵まれたため,砂糖精製業は70%近い増産となった。83年に入ると,国内需要の回復から,自動車やタイヤ,セメント等の建設資材の生産が活発化している(1~6月に,自動車は前年同期比35.0%増,セメントは同8.7%増)。しかし,砂糖精製や電子回路等の輸出向け製品生産は停滞している。
名目個人消費は,82年には前年比8.9%増にとどまった(81年は同16.8%増)。物価上昇率の鈍化を考慮しても低い伸びであった。これは,国際市場での農産品価格低下のため農家所得が低下したこと(名目で2.2%,実質で7.O%低下)によるところが大きい。一方,都市部の俸給生活者の賃金が年初に引上げられたため,バンコク市内百貨店売上額は,4~6月期,7~9月期に前年同期比2桁の増加を示した。83年に入ると,農産品価格の持ち直し等から農家所得も増加して,個人消費は全体として回復してきているとみられている(但し,バンコク市内百貨店売上額は1~6月に同3.4%増とやや停滞している)。また,利子率の低下から耐久財消費も82年10~12月期以降活発化しており,自動車販売台数は,1~6月に同23.7%増(推計)となった。
名目総固定資本形成は,既に81年に前年比6.8%増と停滞していたが,82年は同0.5%減となった。特に民間投資が同6.8%減と不振を極めた。投資委員会に対する奨励投資申請額をみると,82年は同84.7%減と大幅に落ち込んだ。また,工場建設許可額も同46.7%減少した。しかし,年後半から利子率が引下げられ,また香港からの逃避資本の流入等もあって,建設投資は活発化し,83年に入っても好調を持続している(1~6月にバンコク市内建築許可面積は前年同期比21.7%増)。また,奨励投資申請額は1~6月に240億バーツと前年同期の3倍を記録し,工場建築許可額も同66.8%増と活況をとりもどしている。
82年中に物価は急速に鎮静した(第8-3-1図)。これは国内経済活動の停滞及び石油や資本財等の輸入価格の安定によるものである。また,前年の豊作による食料品価格上昇率鈍化の影響も大きい。卸売物価上昇率は,81年の前年比9.6%から82年には0.9%に低下した。特に食料品価格の下落が大きく寄与している。卸売物価全体としても82年下半期には前年同期比で下落した。しかし,83年4~6月期には,工業製品が石油価格及び電力料金の引下げ等を背景に下落に転じているにもかかわらず,農産品が前年の不作から上昇し始めたことにより,同1.3%,7~9月期も同3.8%と再び上昇率が高まる兆しもみえている。消費者物価上昇率も,消費の回復,経済活動の活発化から,83年1~3月期の同2.4%から,4~6月期同3.6%,7~9月期同4.8%とやや高まっている。
10月1日から最低賃金が改訂されたが,引上げ率はバンコク首都圏で3.1%等であった。
貿易動向をみると(第8-3-2表),82年の輸出は前年比4.4%増と伸び率が1桁にとどまった。これは,世界的な景気停滞による需要不振からすず,ゴム等原料輸出が2年連続減少したこと,食料品輸出が数量的にはかなりの増加を示したものの価格低下のため金額的には低い伸びにとどまったことによる。83年に入って,米,メイズ,タピオカ等の輸出価格はいく分持ち直してきたものの,82年の不作による供給不足あるいは先進国側での輸入制限(タピオカ)等により数量が大幅減に転じてしまい,1~8月の輸出は前年同期比17.O%減と依然大きく落ち込んでいる。輸入をみると,国内生産・需要の低迷及び金利高による在庫取り崩し等から82年は前年比9.3%減となった。83年に入ると,建設活動の活発化や消費需要の増加から資本財や消費財が大幅に増加しており,また,在庫積増しの動きもあって,1~8月の輸入は前年同期比14.1%増となった。しかし,石油価格の低下から燃料輸入は減少している。
国際収支面をみると(第8-3-3表),商品貿易収支は,82年には,輸出の伸び悩みにもかかわらず,輸入が大幅に減少したことから顕著に改善した(81年の657億バーツの赤字から,82年は361億バーツの赤字)。このため,経常収支の赤字も,81年の561億バーツから82年には231億バーツに縮小した。83年上半期には,輸出の不振に加えて輸入の活発化から商品貿易収支赤字幅は再び拡大した(82年1~6月80億バーツの赤字,83年1~6月は333億バーツの赤字)。一方,観光収入及び海外労働者からの送金の増加(特にサウジアラビアから)により,サービス収支及び貿易外収支の黒字幅は拡大しており,1~6月の経常収支は198億バーツの赤字となった(前年同期は24億バーツの赤字)。資本収支をみると,香港からの資本入流等により,82年1~6月の86億バーツの黒字から83年1~6月には180億バーツの黒字へと大きく改善しており,総合収支では12億バーツの黒字となった(前年同期は5億バーツの黒字)。
金融政策は83年に入って一段と緩和した。公定歩合は82年中に3度にわたって14.5%から12.5%まで引下げられたが,83年に入ると,さらに経済活動に刺激を与えるため,1月に公定歩合を11.5%に引下げ,また,2月には商業銀行の預金準備率を19%から17.5%へ引下げた。しかし,その後,貿易収支赤字の拡大からバーツ切下げ予想が生じたことから,資本流出防止の観点から12月には公定歩合を1.5%ポイント引上げ13.0%とした。
一方,財政政策は引締め的である。9月14田に成立した84年度(83年10月~84年9月)予算は,歳出規模で1,920億バーツと前年度比8.5%の伸びに抑えられた(83年度予算は同9.9%増)。しかし,財政赤字は,83年度の260億バーツから320億バーツヘ拡大している。政府は財政赤字の縮小を図るため,11月に外国旅行に対する課税や事業税改定等広範な税改正を発表した。
83年6月時点でタイ銀行(中央銀行)は,83年のGNP成長率を,鉱工業生産の回復と農業生産の平年並みの増産とから5.5~6.O%と見込んでいる。
また,物価動向は下半期も鎮静傾向が持続して通年で3.5~4.0%の上昇(消費者物価)となるとしている。
また,12月発表の経済社会開発委員会(NESDB)の貿易動向予測によると,83年の貿易赤字は32.5億ドル,84年も31.1億ドルとみており,経常収支は83年23.2億ドル,84年20.8億ドルの赤字と予想している(82年の貿易収支,経常収支はそれぞれ15.7億ドル,10億ドルの赤字)。84年の輸出は83年(63.9億ドルと推計)比16%増の74.1億ドル,輸入は同(96.5億ドル)9%増の105.2億ドルと見込んでいる。
第3次5か年計画の3年目に当る1982/83会計年度(82年4月~83年4月のサウジ・アラビア経済は,非石油部門は依然堅調であるものの,世界的な石油需要の減少傾向が続いてたことから石油部門の生産は大きく減少していると思われる。
また,貿易収支,経常収支とも石油収入の減少から黒字幅が大きく減少している。財政も石油収入の減少による歳入減から,財政赤字を見込んでいる。
1981/82会計年度(81年5月~82年4月)のサウジ・アラビア経済をみると,非石油部門の生産は堅調(前年度比9.8%増)であるものの石油部門の生産が急減(同10.O%減)したことから,実質GNPは前年度の同7.9%増を大幅に下回って同1.5%増の成長となった。82/83会計年度に入っても,非石油部門は増加を続けたが,石油部門は世界的に石油供給過剰状態が続き,減少となったとみられる。
非石油部門の生産をみると,82/83会計年度は,前年度比7.5%増となり,伸び率が減少したものの,世界的な不況を考えると高い伸びとなった。また,第3次開発計画の目標値(同6.2%増)も上回っている。
非石油民間部門では,農業,工業部門の増加を中心に同8.1%増となった。農業部門はGDPに占めるシェアは小さい(3.4%)が,政府援助により近年著しく成長している。政府援助として①整備された農地の分配②充分な水の供給,③農場への投入・産出物に対する助成金の支給,④サウジ農業銀行による融資等が行われている。特に,小麦の生産の増加は著しい。また,工業部門では発電機,セメント,化学肥料の増加が目立っている。さらに,83/84年度に入りサウジ・アラビア基礎工業公社(SABIC)による鉄鋼,石油化学プラントで稼働を開始するものもあり,工業部門の一層の増加が予想されている。
非石油の政府部門は,石油収入の減少から財政支出の削減調整が行われたこともあって,同6.3%増と前年度(同7.O%増)の伸び率を下回った。
82年のサウジ・アラビアの原油生産は,日量648万バーレル(以下「日量」を略す。)前年比34.0%減と急減した。これは,世界の石油需給が一段と緩和したためである(本論第1章2節参照)。特に,82年10~12月期から83年初にかけては,大量の在庫取崩し,暖冬の影響から,供給過剰の状態が著しいものとなった。そのため,サウジ・アラビアの原油生産は,83年1~3月期には406万バーレルと過去のピークである80年(990万バーレル)の半分以下にまで減少した。
こうした中,OPECは3月のロンドン総会で基準原油価格を引き下げ(アラビアン・ライト,34ドル/バーレル→29ドル/バーレル),全体の生産上限を1,750万バーレルとし,それに基づいて各国の生産を割当てた。しかし,サウジ・アラビアは,石油の需給に合わせ生産を調整する「スウィング・プロデェ-サ」(供給調整生産国)として生産を行うことになった。そのため,石油の不需要期である4~6月期の生産は423万バーレルと,1~3月期に続き低迷した。
その後,アメリカの景気回復等から石油需要の回復のきざしがみられ,サウジ・アラビアの生産も増加し,7~9月期には560万バーレルとなった。
サウジ・アラビアの石油収入は,81年に原油価格の上昇から1,018億ドルと史上最高となったが,82年には原油生産の不振から705億ドルに減少した。その後,83年に入り原油価格の引下げ,原油生産の減少から一層減少したとみられる。
物価動向をみると,国内生産,輸入による財・サービスの供給が豊富であったことや,マネー・サプライの伸びが緩やかであったこと等から鎮静化した。
82年の生計費指数(都市生活者を対象)は前年比横ばいとなった(前年は2.8%上昇)。医療費,繊維,運輸・通信費は上昇したものの,家賃・燃料・水,娯楽・教育費等は,下落した。
しかし,家賃の規制の緩和が83年初から行われたこともあって83年に入り家賃・燃料・水が上昇し,1~3月期前年同期比8.6%となっている。また,繊維は上昇率がたかまり,娯楽・教育費は下落から上昇に転じる等,生計費指数は上昇し1~3月期同3.5%増となっている。
サウジ・アラビアの貿易(輸出+輸入)は,76年以降増加を続けていたが,82年は石油輸出の減少のため前年比20.1%減と減少した。しかし,輸入は増加を続けている。
輸入(FOB)は,81年1,149億リヤル(前年比22.3%増)の後,82年は1,420億リヤル(同23.6%増)となった。財別にみると,設備機械,輸送用機械の増加が目立ち,特に自動車は前年比43.1%増と急増している。また,輸入先についてみると,地域別では依然ヨーロッパの比率が高く(82年42.3%)次いで,アジア(同28.6%),南北アメリカ(同22.5%)の順になっている。また国別では,アメリカからの輸入の比率が高く(同21.0%),輸入額では前年比14.2%増となったが,比率は低下している(81年21.4%)。次に日本,西ドイツからの輸入の比率が高く,輸入額はそれぞれ同22.1%増,同34.4%増となっており比率も上昇している(日本81年18.3%→82年19.6%,西ドイツ81年9.6%→82年11.O%)。
輸出をみると,81年3,753億リヤル(前年比12.2%増)の後,82年は石油輸出が同34.3%減(数量ベース同35.3%減)と急減したことから2,495億リヤル(同33.5%減)となった。輸出先をみると,アジア向けの比率が上昇している(81年31.5%→82年43.8%)が,ヨーロッパ,アメリカ向けの比率は低下している。特にアメリカ向けの比率は81年の13.2%から82年は7.8%へと大幅に低下している。
この結果,貿易収支は,最高となった81年の2,610億リヤルの黒字から,82年は1,081億リヤルの黒字へと黒字幅は半分以下に減少した。さらに,83年に入ると,石油需要の引続く低迷,原油価格値下げにより一層の輸出減が予想され,貿易収支の黒字幅も縮小しているとみられる。
貿易外収支をみると,81年1,313億リヤルの赤字から82年は1,037億リヤルの赤字と縮小している。これは,国内石油部門や民間部門における投資の海外への利益送金が減少したこと,また支払いの40%以上を占める政府部門での支払いの減少等のためである。
このような貿易収支の黒字の縮小が大きかったため,貿易外収支の改善はみられたものの経常収支は,81年の1,297億リヤルの黒字から82年には45億リヤルの黒字へと黒字幅が激減した。さらに83年には,貿易収支黒字のいっそうの縮小から赤字へ転ずる可能性もある。
一方,資本収支をみると,80~81年の経常収支の大幅黒字は主にサウジ・アラビア通貨庁による海外資産の取得に充当されてきた。しかし,82年には政府部門の資本収支は,海外資産の取得の減少,さらに一部資産の取崩しもみられ,274億リヤルの出超と出超幅が減少した(81年1,433億リヤルの出超)。また,民間部門,石油部門では81年から入超に転じている。
増加を続けてきたサウジ・アラビアの歳入(実績)は,82/83会計年度には,石油収入が前年比43.2%減少したことから2,463億リヤル同33.1%減となった。また歳出(実績)は,予算では増加を見込んでいたが,歳出削減が行われ2,438億リヤル,同14.4%減となった。財政収支は,80/81,81/82会計年度の大幅黒字から,25億リヤルの黒字と黒字幅は縮小した。
さらに,83/84会計年度予算は,赤字財政を見込んでいる。歳入(予算)は,石油収入の減少(前年比39.O%減)から2,250億リヤル(同28.2%減)を見込んでいる。一方,歳出(予算)は,投資支出を同26.O%減と減少させていけることもあって2,600億リヤル(同17.O%減)となり,財政収支は350億リヤルの赤字を見込んでおり,この赤字は資産取崩しで対処するものとしている。
一方,サウジ・アラビアは85年から始まる第4次5か年計画の策定中であるが,ナゼール企画相によると,新計画では湾岸協力会議(GCC)諸国の経済・社会的統合の達成とともにサウジ・アラビアの総合的開発目的を達成するために,天然資源の開発,主要インフラストラクチャーの建設などを含む新目標を設定する方針である。
82年のメキシコ経済は,8月の債務返済難の表面化に伴ないIMF,アメリカ等からの融資を要請せざるをえなくなり,また政権交替もあって混乱に陥った。ペソの大幅な切下げもあり,インフレ率は年末に100%近くに達した。政府は従来の経済拡大政策から緊縮政策に転換し,実質GDP成長率はマイナス0.2%と落ち込んだ。
82年末に発足したデ・ラ・マドリ政権は,この経済危機克服のため財政支出の削減,輸入の抑制等を掲げた「緊急経済再編計画」を発表して経済再建に取り組んだ。83年に入って財政赤字は減少し,経常収支も黒字に転化するなど,金融不安解消の面ではかなり改善がみられた。しかし,公共投資の削減,大幅な輸入制限等から生産活動は停滞し,失業者も増大した。インフレ率も騰勢は鈍化しつつあるが,83年末で約80%に達している。
84年は,緊縮政策を継続しつつ経済回復にも配慮するという経済運営方針が示され,投資や輸入の増加が見込まれている。
メキシコは,経済拡大政策の推進により,78~81年に国内総生産(GDP)年平均8.5%の高成長を遂げた。しかし,82年には財政赤字の増大,インフレの高進,累積債務問題等から緊縮政策に転じ,工業,建設業,運輸・通信業等多くの部門でマイナス成長となった。農業も干ばつの影響から不振であり,全体として前年比0.2%減と落ち込んだ (第9-1表)。
需要面をみると,個人消費は81年の前年比7.3%増から,82年は1.5%増にとどまった。また,固定資本形成は81年の14.7%増から,82年は16.8%減と大幅に減少した。内訳は,公的部門が12.7%減,民間部門が20.0%減となっている。
83年も内需の低迷,輸入抑制等による生産活動の停滞,引続くインフレの高進等から,GDP成長率は政府見通しでマイナス3.5%程度と推定されている。
鉱工業生産(電力,建設を含む)の動向を四半期別に前年同期比でみると,81年10~12月期以降伸びが急速に鈍化し,82年7~9月期以降はマイナスに転じている。特に,原材料や部品の不足等による製造業の落ち込みが目立ち,資本財や耐久消費財の生産は,前年同期比で二桁の減少が続いている。業種別では,自動車が82年7~9月期以降大幅な減少となっているが,化学は比較的好調である(第9-1図)。
原油生産は,81年7~9月期から82年4~6月期にかけて,前年同期比で10%前後の増加となり,伸びが鈍化した。しかし,債務返済難表面化以降アメリカへの輸出増加等もあって,7~9月期,10~12月期はそれぞれ同23.0%増,35.1%増と高い伸びとなり,82年平均では日量274.6万バレル,前年比18.8%増となった。83年1~3月期以降は前年とほぼ同水準の生産が続いており,1~9月平均で日量268.0万バレルとなっている。
建設活動は,公共事業の抑制等から,82年10~12月期以降低迷している。
巨額の財政赤字の存在,ペソの大幅切下げ,マネー・サプライの増大,賃金の大幅引上げ,公共料金の引上げ等から,インフレは騰勢を強め,消費者物価上昇率は82年末に前年比98.9%とそれまでの最高を記録した。部門別の内訳は,食料・飲料・たばこが89.8%,衣類・履物98.5%,住宅82.9%,家具・家庭用品96.8%,医療・衛生98.1%,運輸167.5%,教育・レジャー80.6%,その他サービス98.O%となっている (第9-2表)。
83年に入っても,食品,ガソリン等の価格引上げが続き,消費者物価上昇率はさらに高まって,83年4月に前年同月比117.2%とピークに達した。しかし,5月以降騰勢は鈍化し,年末の前年比上昇率は80.8%となり,政府目標はほぼ達成された。
82年8月の対外債務返済難表面化に伴い混乱に陥ったメキシコ経済を再建するために,政府は財政赤字の縮小等を中心とする緊縮政策をとった。財政赤字の対GDP比は,80年の75%から81年には14.5%へと急上昇し,82年は17.5%とさらに拡大した。83年予算では,政府系企業の投資抑制,補助金の削減を図る一方,税制改正,公共料金の引上げ等によって増収を図った。
83年1~9月の財政赤字は7,040億ペソで,計画額より約2千億ペソ減少し,インフレを考慮した実質では前年同期比60%減となった。このため,83年の財政赤字をGDPの8.5%以内に抑制するという政府目標は達成されると見込まれている。
最低賃金の引上げ率は,82年63.1%,83年43.7%となっており,物価上昇率をかなり下回った。84年1月1日からの最低賃金は,平均30.4%引き上げることが決定された。
82年の輸出は210.1億ドルで前年より8.2%増加したが,伸びは大幅に鈍化した。上半期は先進国向けの輸出不振等から,前年同期比で減少となったが,下半期は石油輸出の増加やベソの大幅切下げ効果もあって同30.7%増と急回復した。
石油の輸出額は164.8億ドル(前年比13.1%増)で,輸出に占める石油の割合は,81年の75.O%から82年には78.4%へと高まった。その他の商品では,工業製品は前年比4.0%増となったが,コーヒー,綿花等の農産品は同16.7%減となった。
輸入は,外貨危機に対応して厳しい輸入制限策がとられたため,82年1~3月期に前年同期比でマイナスに転じた後,期を追って減少幅が拡大した。82年合計では144.2億ドル,前年比39.7%減と大幅な減少となった。資本財の輸入は,81年に前年比約40%増と急増したが,82年には一転して同40.6%減と著しく減少した (第9-3表)。
長年赤字が続いていた貿易収支は,82年は輸入の大幅減により65.8億ドルの黒字となった。一方,貿易外収支は,観光収支黒字が81年の1.9億ドルから82年には6.2億ドルへと増大したものの,対外利子支払いの急増から95.5億ドルの赤字となり,赤字幅がやや拡大した。82年の経常収支は26.8億ドルの赤字となったが,貿易収支の黒字転換により,前年に比べ赤字幅は大幅に縮小した。
資本収支をみると,短期資本流入の急増によって,80年,81年は黒字が大幅に拡大した。しかし,債務返済難の表面化により82年7~9月期は赤字に転じ,82年の資本収支黒字は急減した。82年末の外貨準備高は,前年末より32.4億ドル減少し8.3億ドルとなった(前掲第9-3表 及び第9-4表)。
原油輸出価格の推移をみると,世界的な需給緩和を反映して,81年後半以降低下傾向にある。イスムス原油(軽質油)の公定価格は,OPEC諸国の原油価格引下げに伴い,83年2月以降バレル当たり3.5ドル引き下げられ29ドルとなった。マヤ原油(重質油)も同時に2ドル引き下げられて23ドルとなったが,アメリカでの重質油需要の高まりを反映して,8月及び10月に1ドルずつ引き上げられバレル当たり25ドルとなった。なお,1日当たりの原油輸出量は約150万バレルで,内訳はイスムス原油が45%,マヤ原油が55%となっている。
83年に入ってからの輸出入の動向をみると,輸出は原油価格の下落等から伸びが鈍化し,7~9月期は前年同期比で5.4%減となった。工業製品の輸出は増加が続いており,輸出総額に占める割合も1~9月で14.9%と,前年に比べ増加している(前年同期は12.5%)。
輸入は1~3月期に前年同期比70.8%減と大幅に減少した後,減少幅は縮小したものの低水準が続いている。資本財の輸入は1~9月の前年同期比で68.3%減とさらに落ち込んでいる。
貿易収支は1~9月累計で95.9億ドルの黒字となった。このため経常収支も同期に35.4億ドルの黒字となり,前年同期の45.1億ドルの赤字に比べ大幅に改善している (前掲第9-3表)。
なお,82年12月に外国為替市場の自由相場制が復活したが,当初はペソの大幅切下げを伴い管理相場との乖離は58%に達したが,83年9月には13%にまで縮小した。
政府は83年11月中旬に,議会に対して84年の連邦予算案とともに84年の経済政策基本方針を提出した。同方針は,現在の緊縮政策を継続しつつ,経済回復にも配慮するという姿勢を示している。概要は以下の通りである。
①インフレ抑制を最優先課題とする。
②財政赤字を削減するため,補助金を合理化し,経常収支を抑制する一方,公共料金の引上げにより増収を図る(財政赤字の対GDP比5.5%)。
③投資支出を55%増加させ,雇用の創出,民間投資の回復,生産・社会資本の増大を図る。
④為替政策としては,現行の二重相場制を維持し,海外及び国内経済の動向に応じて為替レートを調整する。
⑤貿易面では,輸入代替と非石油製品の輸出増加を図る。
⑥84年中の公的部門の対外債務残高の純増額を40億ドル以内に抑制する。
⑦84年前半は経済の落ち込みを回避し,後半は回復を図る(GDP成長率はO~1%程度)。
また,大蔵省による国際収支の見通しでは,経常収支が83年の35億ドルの黒字に対し,84年は10億ドルの赤字と見込まれている。赤字転化の主因は,国内生産の回復を図るために輸入が50億ドル増加する一方,輸出は12億ドルの増加にとどまり,貿易収支黒字が減少するためとされている。
82年のブラジル経済は,前年に続き引締め政策がとられたことから,生産活動は停滞し実質GDPも1.2%増と低い伸びとなった。また,対外債務の増大により利子支払いが急増する一方,外資流入は減少し,年末にはIMFの融資を要請せざるをえなくなった。インフレ率も前年末と同様100%近くに達した。
83年は,輸出の増加と輸入制限の強化等により,貿易収支黒字は大幅に増大した。しかし,インフレは月を追って騰勢を強め,年末の前年同月比上昇率は211%に達している。工業生産は,外貨不足に伴う原材料の輸入減などから減少している。累積債務問題では,IMFの融資が一時中断されるなど困難な状態が続いたが,9月のIMF総会時に包括的救済策が議論され,民間銀行団との融資交渉も進展し始めた。
84年も緊縮政策が継続され,貿易収支黒字は増加が見込まれているが,景気の停滞は続くと予想されている。
82年の実質GDP成長率は1.4%増で,前年(1.9%減)に比べやや回復したものの低い伸びとなっている。部門別にみると,農牧業はトウモロコシ,米などの生産は順調であったが,霜害によりコーヒーの生産は豊作であった前年の55%減となった。大豆も作付けの減少などから14%減となり,全体として2.5%減少した。アルコール計画により助成が行われているサトウキビの生産は,前年比20%増と大幅に増加した。
工業は停滞が続き,大幅な落ち込みとなった前年と比べ横ばいであるが,石油の生産が大幅に伸びたことから,鉱工業全体としては1.2%増となった。
また,商業は前年比横ばいとなり,運輸・通信,金融はそれぞれ4%増となった (第9-5表)。
83年に入ってからの鉱工業生産の動向をみると,1~7月の生産指数は前年同期比7.8%減と落ち込んでいる。原油生産は83年も増加が続き,1~8月の平均で日量32.3万バレル,前年同期比24.2%増となっている。石油消費量に占める国内産出量の割合も,82年の26.3%から83年には34%程度になる見込みである。
一方,緊縮政策による政府系企業の投資予算削減や外貨不足による原材料の輸入減少等により工業生産は減少が続き,1~7月の前年同期比は8.2%減となっている。特に資本財の生産は同22.2%減と大幅に減少した。製造業16業種のうち同期に生産が増加したのは,食料品(4.7%増)と薬品(2.4%増)だけで,機械(19.6%減),非金属鉱物(17.4%減)をはじめ他の14業種は減少となっている。上半期に前年同期比22.2%増と高い伸びを示した自動車生産も,7~9月期は同3.3%減となった。
農業生産をみると,当初は前年比6%程度の増加が期待されていたが,東北部の干ばつや南部の洪水による影響などから4%程度に低下すると見込まれている。主要作物の生産は,トウモロコシ1,926万トン(前年比12%減),米787万トン(19%減),コーヒー340万トン(83%増),サトウキビ2億1,553万トン(16%増),綿173万トン(10%減)などとなっている。
工業の不振に加え,農業生産も小幅の伸びとなったことから,83年の実質GDPは再び3.5%程度のマイナス成長になると予想されている。
主要6都市の平均失業率は,1月の6.30%から4月に7.17%まで上昇した後,7月には6.82%まで低下したが,9月は8月に続きやや上昇し7.12%となっている。
マネー・サプライの抑制,商業銀行の中央銀行への強制預託率引上げなど金融引締めの強化等により,82年前半の物価上昇率は幾分鈍化した。しかし,社会投資基金の創設による出荷段階での課税強化,金融引締めの緩和,クルゼイロの引続く切下げ等から,後半は再びインフレの騰勢が強まり,82年末の総合物価指数の前年比上昇率は99.7%と前年(95.2%)を上回った。内訳をみると,卸売物価は生産財,原材料価格の伸びは前年に比べ低下したが,耐久消費財や家庭用品の大幅な値上がりから,97.7%高と81年末をやや上回った。生計費は101.8%高と前年並みの高水準となり,81年末には大幅に低下した建設コストも108.0%高と再び上昇した。
マネー・サプライの増加率も82年末で前年比69.7%増となり,抑制目標である50%を大幅に上回った (第9-6表)。
83年に入ると,2月のクルゼイロの大幅切下げと度々の小幅切下げ,石油製品や小麦などへの補助金削減,干ばつや洪水などの影響による農産物価格の値上がり等から,インフレの騰勢はさらに強まっている。総合物価指数の前年同期比上昇率は1~3月期106.4%,4~6月期121.3%,7~9月期157.3%と期を追って伸びが高まり,10~12月期は約205%となった。
インフレ要因の一つとされている給与調整制度についてみると,給与の引上げ率をインフレ率以下に抑制するため,83年に入って数回にわたり大統領令が出された。しかし,インフレ急騰下で国会の承認がなかなか得られず,10月下旬に発効した大統領令第2065号(給与調整幅を全体として全国消費者物価指数上昇率の87.5%までに抑制することを骨子とした法令)が11月上旬にようやく国会で可決された。
82年の輸出は201.8億ドルで,前年比13.4%減と大幅に減少した。これは,クルゼイロがドルに対して過大評価となっていたこと,一次産品市況の低迷,先進国の景気停滞などの影響によるものとみられる。品目別にみると,輸出の4割を占める一次産品は,コーヒーは増加したものの,大豆・同製品,粗糖などの減少により前年比8.8%減となった。また,輸出の6割を占める工業製品は,輸送機器,一般機械・機器等の減少から同15.8%減となった。
輸入は,総額の5割を占める石油・同製品が前年比9.7%減となったほか,国内の不況や政府系企業の輸入枠削減等の輸入規制強化によって,原材料,資本財ともに大幅に減少したため,前年比12.2%減と前年に続き減少した (第9-7表)。
82年の貿易収支は,前年に続き7.8億ドルの黒字となったが,輸出の不振により,年初の政府予想30億ドルを大きく下回った。貿易外収支は,対外利子支払いの急増等から170.5億ドルの大幅な赤字となり,経常収支赤字は162.8億ドルと拡大した。また,外資流入の減少により資本収支黒字も大幅に縮小したため,総合収支は前年の6.3億ドルの黒字から89.6億ドルの赤字となった(後掲第9-8表)。
83年の輸出入の動向をみると,輸出は2月のクルゼイロの大幅切下げ(約30%),クレジット・プレミアム制度等の輸出促進策,アメリカを中心とする先進国の景気回復などから,4月以降前年同期比で増加に転じた。4~6月期15.6%増,7~9月期11.5%増,10~12月期10.6%増と大幅な増加が続いている。
輸入は,石油輸入の減少や外貨不足に伴う輸入制限の強化等から,1~9月の前年同期比で23.1%減と大幅な減少となった。10~12月期も同13.3%減と減少幅は縮小したものの低水準となっている。この結果,83年の貿易収支黒字は65億ドルとなり,年間目標(63億ドル)を達成した(前掲第9-7表)。
ブラジルの対外債務(短期を除く)は,83年3月末で751.3億ドルとなっている。うち全体の75.6%を外貨借入れが占め,以下国際機関,政府機関等からの輸入金融が18.3%,起債が3.4%などとなっている。また,公的部門の借入れは528億ドルで,全体の7割を占めている。大蔵省の見通しでは,短期債務も含めた債務残高は83年末に919億ドルに達するとみられている(第9-9表)。
なお,累積債務問題の経緯については,本論第4章第3節の 「2.債務国の経済調整」を参照されたい。
政府が国会に提出した84年度連邦予算案によると,84年の予算総額は23兆6,720億クルゼイロとなっている。うち国庫歳入は21兆5,866億クルゼイロで,これは83年の修正予算に比べ89.5%増であるが,200%に達したインフレ率からみると実質では大幅な予算縮小である。予算案説明書によれば,予算支出は教育,保健等の社会部門と地域開発に重点が置かれているが,すべての部門にわたる公的支出の削減を打ち出した緊縮型予算となっている。
また,9月にIMFに提出された趣意書によると,公共部門の赤字の対G DP比は82年で16.9%となっているが,83年は15.2%,84年は7.0%と見込まれている。国際収支面では,84年の貿易収支は90億ドルの黒字,経常収支は60億ドルの赤字が見込まれている。実質GDP成長率は明確な数字をあげていないが,アメリカのウォートン経済研究所の予測では,83年マイナス2.7%,84年マイナス2.0%となっている。
ブレジネフ政権下でのソ連経済は,計画の度重なる未達成,成長率の低下に象徴されるように長期にわたって不振を続けた。しかし,アンドロポフ政権になって,経済建直しのため種々の対策がとられた結果,経済情勢の一部に改善の動きがみられる。もっとも,ソ連経済を取り巻く客観情勢は依然厳しく,経済改善の動きが本格化して,再び活力ある経済成長を取り戻すことができるかどうかは,繰り返し叫ばれている経済の効率化の成否いかんにかかっていると言えよう。
18年もの長期政権となったブレジネフ政権下で最後の経済計画となった83年計画は,ブレジネフ末期の経済・社会の沈滞ムードを象徴するかのように,ほとんどの計画目標が未達成となった (第10-1表)。工業生産は構造的問題 (本文第1章第6節参照)に年初の異常寒波の影響や鉄道輸送の混乱等のボトルネックの激化も手伝って計画目標を大幅に下回る戦後最低の増加率にとどまった (第10-1図)。農業でも穀物生産が4年続きの不作に陥った。また基本建設でも相変らず計画の未達成が続いた。こうしたことから,西側のGNP成長率に当たる国民所得成長率(物的生産部門の純生産高,サービス生産は含まれない)は前年比2.6%と低目に設定されていた計画目標の同3%にも及ばなかった。
ブレジネフ死去(82年11月)にともなって登場したアンドロポフ政権は,ブレジネフ路線の継承を明らかにしていたが,経済不振の克服に向けて前政権よりも現実主義的な政策を展開し,経済再建に努めた。綱紀粛正,労働規律強化,テクノクラート重用による人事刷新等で体制引締めを図る一方,労働者の生産意欲を高めるべく消費財の供給拡大,サービス改善,労働刺激システムの厳格な運用等の対策が講じられた。また,経済の効率化,生産性向上を目指して,企業自主権の拡大(84年より実験開始),労働集団の発言権・責任の増大(83年8月労働集団法の施行),科学・技術革新の促進等の注目される決定を行っている。
こうした中で,天候が回復したこともあって83年の経済計画では工業生産,労働生産の向上,鉄道輸送等の幾つかの重要目標が超過達成された。工業生産は78年以来5年振りに計画を達成した。農業でも,穀物生産が4年続きの不作を脱して2億トンの大台を回復したとみられている。ボトルネックとなっていた鉄道輸送も貨物取扱い高が計画目標を大幅に上回った。しかし,こうした経済指標の好転にも拘らず国民所得成長率は前年比3.1%と82年よりもやや高まったものの計画目標(同3.3%)には僅かに到達しなかった。農業生産目標の過大な設定,基本建設面での計画の遅れ,等が影響していると考えられる。
アンドロポフ政権にとっては自らの政策を盛り込む上で実質的に最初の計画となる84年経済計画は,経済効率の改善を引続き中心課題として,復調部門の改善傾向を維持し,不振部門をテコ入れすることを主たる内容としている。しかし,諸目標は第11次5か年計画で定められた目標よりも低く,83年実績近くに設定して計画達成に万全を期している。84年初からは,企業自主権拡大の実験が5つの工業省で実施され,また集団請負方式の作業形態がさらに広範に採用されるとみられ,こうした動きが経済の一層の改善を促すかどうか注目される。
ソ連工業は,70年代央以降増勢鈍化が目立つようになり,70年代末からは低目に設定した計画目標をも下回る低成長が続いていた。しかし,アンドロポフ政権の強力なテコ入れに天候回復も手伝って,83年に入り復調を示し,総生産は年計画目標を久々に超過達成した(第10-1表)。
第10次5か年計画期(1976~80年)にすでに年率4.4%増の低成長に陥っていた工業総生産は,82年に前年比2.9%増と計画目標の同4.7%増を大幅に下回るとともに戦後最低の伸び率を記録した。構造的問題の深化に加えて,年初の異常寒波による生産中断,鉄道輸送の混乱等が強く影響したとみられる。部門別にみると,全般に増勢鈍化が顕著であったが,鉄鋼・非鉄金属,建設資材,軽工業部門はほとんど停滞した (第10-2表)。また,粗銅,プラスチック・合成樹脂,貨車,自動車,セメント等の重要品目の生産量が前年を下回った。
83年に入って工業生産は復調を示し,総生産は前年比4%増と計画の同3.2%増を大きく上回った。また工業における労働生産性上昇率も前年比3.5%と計画の同2.9%を上回った。生産計画の超過達成は5年振り,労働生産性向上の計画達成は実に8年振りのことである。部門別にみると,機械・金属加工,食品工業等の部門が比較的高い伸びを示した(第10-2表)。また,近年不振を続けていた鉄鋼・非鉄金属,建設資材部門も伸びを高めた。しかし,政府の消費財増産運動にも拘らず軽工業は停滞を続け,こうしたことから生活・家庭用品の増産は小幅にとどまった。
農業はソ連経済の「アキレス鍵」と言われて久しく,政府の農業基盤整備努力にも拘らず,79年以来4年連続の不作となった。しかし,83年は天候の回復もあってようやく一息をついている (第10-3表)。
穀物生産は78年に2億3,740万トンと記録的豊作となった後,82年迄毎年2億トンを大きく割込む不作となった(ソ連は81年以降の穀物生産量を公表しておらず,アメリカ農務省の推計に基づく。 前出第10-1図)。このため,大量の穀物を輸入したもののなお飼料の供給逼迫は避けられず,畜産は後退を余儀なくされた。また,綿花,ビート,ひまわり等の経済作物も不作となり,軽・食品工業への順調な原材料供給を困難にした。
しかしこうした困難も83年になってようやく緩和されている。83年の穀物生産は2億トンの大台を回復したとみられ,飼料事情の好転から畜産も大幅な拡大をみた。穀物,ビート,家畜・家禽,ミルク等の生産量は82年を上回った。この結果,農業総生産は前年比5%増となった(計画は前年比10.5%増と過大とも言える水準に設定されていた)。
穀物生産の回復にも拘らず,現在の生産水準では穀物自給は困難である。
このためソ連は83年8月アメリカとの間で新長期穀物協定を締結した。期間は83年10月から5か年間で,ソ連の穀物(小麦とトウモロコシ)義務買付量を年900万トン,アメリカ政府と無協議で買付けられる上限量を年1,200万トンといずれも旧協定の5割増に改訂している。
82年5月に採択された「食糧計画」は,農産物の自給達成に向けて大幅な増産の方向を打ち出しているが,米ソ穀物協定からみる限り,農業の対外依存体質は暫くの間変らないであろう。政府の農業増産への積極的取組みは変らず,83年3月には農業に集団請負方式を全面的に導入して生産性を高めることを明らかにしている。
経済計画の順調な遂行の大きな妨げになっていた流通面のボトルネックは新政権による鉄道部門へのテコ入れもあって83年に入りやや緩和されている。
総貨物取扱い高は82年に前年比1.2%増と計画(同3.O%増)を下回った後,83年には前年比4%増と年計画目標の3.6%増を大きく上回った。注目される鉄道輸送では83年の貨物取扱い高が前年比4%増と計画の同2.2%増を大きく上回った。鉄道部門の不振は,車輛不足,荷役作業の遅れ,ダイヤ編成等管理体制の問題等に負っているとみられる。新政権は運輸大臣を更迭する一方,鉄道輸送の改善に党・政府をあげて取り組んだ結果,ようやく事態の改善がみられるようになっている。
基本建設では,新政権になっても計画の遅れ,投資の分散,コストの上昇等依然として多くの問題点が指摘されている。しかし,83年は投資活動自体は活発であったとみられる。
総投資高(固定投資)は82年に前年比2%増となった後,83年には前年比5%増と高い伸びを示した。近年,投資は資金確保の困難から,大幅な拡大が期待できなくなっている。そうした中で83年の投資高が目標を上回る伸びを示したことは注目される。また,固定フォンド(機械,構築物等)の操業開始は82年の前年比5%増の後,83年も同5%増となった(第10-1表)。
雇用面をみると,人口動態要因から80年代に入って労働力の伸び悩みが顕在化するようになっている。労働者・職員数は82年平均で11,520万人と前年比1.1%増となった(76~80年平均増加率は1.9%増, 第10-1表)。さらに,83年には前年比0.8%増となっている。サービス等の非生産部門の労働力需要の高まりから,工業での雇用拡大は次第に困難になっている。
このため,とかく問題となっている企業の過剰雇用(生産計画達成のため企業は必要以上の労働力を抱えていると言われる)を是正するとともに,労働生産性を大幅に上昇させることが急務となっている。政府は,今なお4割近くを占める手作業を削減するとともに,労働規律強化,作業集団の役割増大等によって生産性を高め,労働力の増勢鈍化の影響を極力回避しようとしている。そして83年8月には労働集団法が施行された。これは,労働集団の計画作成や企業経営への参画を法的にも認める一方,労働成果に対する集団責任を明確にして,規律違反や怠業に対する監視体制を強化することが内容となっている。
国民の所得動向をみると,労働者・職員の月平均賃金は82年に前年比2.8%増となった後,83年には同2.4%増と引き続き増加した。コルホーズ農民の労働報酬は82年に前年比4%増となった後,農業生産の回復もあって83年には同7%増と伸びが高まった。賃金所得の計画を上回る増加にも拘らず,国民1人当りの実質所得(賃金所得の外に年金,医療・教育・文化等への給付を含む)は82年に前年比0.1%増と停滞し,83年にも同2%増と計画の3%増を下回る低い伸びにとどまった(第10-1表)。
消費面をみると,計画を上回る貨幣所得の伸びにも拘らず,国民の需要に見合った消費財の供給が依然として不十分とみられるため,小売売上高(国営・協同組合商業)は82年に前年比0.1%増,83年は同2.7%増と計画(それぞれ3.1%増,5.4%増)を下回る状態が続いている。
政府は需要に見合った消費財の増産を強く打ち出しており,生産から販売に到るネットワークの改善等に努めている。また,需給逼迫緩和を図るため,企業に賃金上昇と生産性向上の間の均衡を保つこと,単位賃金支出当りの消費財生産のガイドラインを守ること等を強く求めている。
物価は,自由市場(ルイノック)を除いて固定制がとられているため市場経済圏に比べて極めて安定している。しかし,新政権になって83年2月に一部消費財の値上げがあったのに続き,4月,9月,12月には割高あるいは販売不振とみられる商品の値下げが実施された。こうした小刻みの価格調整によって価格面からも需給調整を図っている。
82年の貿易をみると,輸出は前年比10.6%増,輸入は同7.2%増といずれも81年に比べて増勢が鈍った (第10-5表)。輸出の増勢鈍化は全輸出の54.7%を占める対社会主義国輸出が輸出単価の大幅上昇(前年比12.1%)にも拘らず,数量面で同2.4減となった結果である。対自由主義国輸出は,エネルギー価格の低落のため輸出単価が前年比5.5%低下したものの,数量が同18.5%増と81年の2倍の伸びを示したため,金額では前年並みの増勢となった。
交易条件をみると,自由主義国との交易条件はほとんど変らなかったが,社会主義国との交易条件は,引き続くエネルギー価格の引上げから目立って改善した(第10-2図)。
貿易収支は,対西側先進国貿易収支赤字の縮小(8.6億ルーブル→0.4億ルーブル)と対途上国貿易収支黒字の著増から82年には67.5億ルーブルの黒字と過去最高を記録した (第10-2図)。
品目別にみると(第10-6表),輸出では全輸出の4割を占める石油・石油製品が82年には前年に引続き高い伸びを示した。しかし,非エネルギー原材料は低迷した。一方,輸入では資源開発,天然ガスパイプライン建設,陳腐化した設備の更新のため機械・設備,輸送機器,鋼管等が高い伸びを示した。しかし,81年に著増した穀物,肉・肉製品は82年には減少している。
83年の貿易をみると(第10-5表),輸出は1~9月前年同期比8.1%増とさらに増勢が鈍った。一方輸入は同6.O%増と82年同期並の伸びを維持した。地域別にみると,西側先進国との取引不振が目立ち,輸出入ともに1~9月前年同期比1.4%増と停滞した。エネルギー価格の低下,農業回復による食糧輸入の減少等が影響したとみられる。
第11次5か年計画の4年目にあたる84年経済計画は,経済効率の改善を引続き中心課題として,復調部門の改善傾向維持,不振部門のテコ入れを目指す内容となっている。アンドロポフ政権にとって自らの政策を盛り込む上で事実上最初の計画となる84年計画は,諸目標を第11次5か年計画で定められた水準よりも低く,83年実績付近のどちらかと言えば控え目の目標を設定して計画達成に万全を期している (第10-1表)。工業総生産目標は前年比3.8%増と引続き3%台の水準に置き(第11次5か年計画の年平均増加率は4.7%増),83年実績よりも低くしている。工業における労働生産性上昇率目標は前年比3.4%としており,生産増加分の大半を生産性向上によって実現しようとしている。このように全般に慎重な目標設定の中にあって,農業生産は,大幅な増産を展望した「食糧計画」の実現とも絡んで,前年比6.4%増と83年よりも高い伸びを計画して増産に極めて意欲的に取り組んでいるのが注目される。
84年経済計画の資金計画を為す84年国家予算は歳入3,661億ルーブル,歳出3,658億ルーブル(いずれも前年予算比3,3%増)と83年予算(前年比5.5%増)に比べて低い伸びになった (第10-7表)。予算構造をみると歳入では,利潤納付,取引税等の社会主義経済からの収入が91.6%,所得税等の国民からの資金の受け入れが残りの8.4%を占め,両者の関係はここ数年ほとんど変化がみられない。歳出面では経済再建に向けての資金需要が高まっているとみられ,国民経済費の比率が引続き高まり全体の56.8%を占めた(82年54.1%→83年56.0%)。一方,社会・文化費(教育費,国家社会保険・保障等),国防費等は,構成比に大きな変化はみられなかった。
84年は経済建て直しを進めるアンドロポフ政権にとって,正念場の年となろう。年初より企業自主権拡大の実験が開始され,同政権の改革姿勢が本格的に検証される。また83年中に相次ぎ採られた対策が定着するか否かも明らかになろう。政権指導者が長期にわたり公衆の面前に現われないという不安
中国では81年に大幅な投資の削減等厳しい引き締め策が実施され,成長率が鈍化した。しかし,81年下期に引き締めが緩和された後は,工業生産は期を追って増勢を強め,83年にも計画を大幅に上回った。また農業生産も好調であり,輸入の増加にもかかわらず貿易収支は黒字となっている。
しかし,第6次5か年計画期(81~85年)では,経済の効率化が最優先の課題となっており,いわゆる「内包的成長」が追求されているものの,効率化は計画ほどの進展をみせていない。エネルギー・輸送不足も解消されていない。
また,調整期に入ってから分権化が進められた結果,中央の掌握する資金が減少しており,歳入の国民所得に対する割合は79年の32.9%から82年に26.5%に低下した。このため政府は新たな税の徴収等により中央への資金の流入をはかっている。
政府は投資等重要事項については指令的手段を用いて計画を遂行するが,それ以外については,価格,税,金利等市場メカニズムを活用して調節し,経済の活性化と効率化を進める方針である。このため,調節機能として金利が重視されると共に銀行の監督機関としての役割が強化されている。83年10月より中国人民銀行の中央銀行としての機能が強化され(通貨発行,金融政策の策定,研究等に特化),国内銀行を統一的に管理することとなった。また統計の重要性が認識される中で「国家統計法」が84年より施行されている。
84年には第6次5か年計画の目標に従い,工業前年比5%増,農業4%増と安定成長のもとで工業企業の生産コストの2%引き下げ,l,800万トン(標準炭換算)のエネルギー節約等経済の効率化を一層推し進める計画である。
82年の工農業総生産額は前年比8.7%増と81年実績(4.6%)を大きく上回った (第11-1表)。
農業総生産額は比較的天候に恵まれたこと,生産責任制(注)の実施等により82年前年比11%増と急増した(81年同6.O%増)。食糧生産は栽培面積の減少(前年比1.4%減)にもかかわらず,前年比8.7%増の3.5億トンに達し,綿花や油料作物等経済作物生産も急増した (第11-2表)。83年は食糧栽培面積の増加もあって夏収食糧(冬小麦中心で年間食糧生産の約2割を占める)生産が前年比1割以上の増加となった。そして①南部の洪水,北部の干ばつ等厳しい自然災害が生じたものの収穫期には好天に恵まれたこと,②生産責任制の実施による生産意欲の向上などから,83年の食糧生産は前年比7,5%増(約3.8億トン)と史上最高の水準に達した。生産過剰のため作付面積が削減された油料作物の生産は減少したが,綿花は約25%増となる等経済作物生産も好調で,83年の農業総生産額は前年比5%以上増加すると見込まれている。
なお,82年の新憲法制定以来人民公社の解体が進められているが,83年10月時点で既に9,028の人民公社で12,786の郷政府(末端の行政単位)が成立するなど政社分離(注)が進んでいる。また,特定の作物栽培を専門的に行う農家の戸数が全体の13%に達し,生産責任制が9割以上の農家で実施されるなど農村の変貌は著しい。
工業総生産額は,83年上期前年同期比8.8%増からさらに増勢を強め,83年全体では前年比10.2%増と年計画(4~5%)を大きく上回った(82年同7.7%増)。これは重工業生産が83年前年比12.1%と計画(3.9%)の約3倍の伸びを示したことによるところが大きい(82年同9.9%)。重工業のうちエネルギー生産は同5.1%増加した(82年同5.6%増)が,依然として設備の2~3割がエネルギー不足で稼働できない状況にあるとされている。また,鉄道貨物輸送量も4.5%増加したが,輸送部門の隘路は解消されていない。こうした中で,減産する計画であった粗鋼生産は83年前年比7.5%増となり,小型トラクター,自動車等機械類の生産も急増している (第11-3表)。
政府は3月末の工業交通工作会議に引き続き,6月の全国人民代表大会でも重工業の生産を適度に抑制し,軽工業を優先的に発展させる方針を再確認した。このため,1~3月期には前年同期比2.5%増と低迷していた軽工業生産も83年前年比8.4%増と計画(4.1%)の約2倍の伸びとなった(82年同5.7%増)。耐久消費財では洗濯機・冷蔵庫等の生産が急増しているほか,砂糖,ビール等食料品工業が好調である。しかし,生産の好調な伸びには需要に見合わぬ製品の生産増加分も含まれており,経済の効率化は計画ほどの進展を示していない。
82年の固定資産投資総額は前年比26.6%増加した。このうち集団所有制企業による投資や個人による住宅建設投資の占める割合は各14.5%,15.1%に達している。また,82年の基本建設投資総額 (注)は上方修正された計画(445億元)を大幅に上回り,555億元となった(前年比25.4%増)。これは投資総額の約5割を占める国家予算外投資(地方,企業の自己調達資金利用の投資等)が同45.7%増と急増したことによるところが大きいが,予算内投資も同10%増加した。投資の配分をみると住宅投資は同26.9%増加し,投資総額に占める割合は25.4%に拡大した。またエネルギー,輸送部門向けは,前年比各11.1%,41.4%増加し,その占める割合は18.3%,10.3%となった。また82年には116の大・中型プロジェクトが生産を開始した。
83年には,当初予算外投資の大幅削減(前年比47.4%減)により基本建設投資総額を前年比8.6%減とする計画であった。しかし,上期に予算外投資は前年同期比9%増加し,予算内投資も同25.6%増加したため,基本建設投資総額は同17%増となった。同時に非効率な重複投資の増加が顕著となり,セメント・鋼材等の資材不足,エネルギー不足傾向が一層強まった。また,不足資材価格の上昇もみられたため,政府は7月に生産財価格管理を強化した。また,既存プロジェクトの見直しを行い,9月末までに5,361のプロジェクト(投資総額18.5億元)の建設を中止・延期し,銀行による投資資金貸出を抑制する等厳しい措置をとった。このため,基本建設投資総額の伸びは鈍化し,1~9月で前年同期比11.6%増となった。特に地方・企業による自己調達資金利用の投資は同3.6%減少し,国内銀行融資を利用した投資も3.3%増にとどまった。
83年1月より「エネルギー・交通重点建設基金」を設立し,予算外投資や都市集団所有制企業の納税後利潤の10%を徴収しているが,7月には基金への拠出比率を15%へと引上げることを決定した。また,10月より予算外投資に対して建築税(10%)を徴収する等中央への資金の流入をはかっている。
79年以来,政府による農産物買い上げ価格,賃金引上げ等消費拡大策が実施され,国民の所得は着実に増加している。第6次5か年計画期には所得の急増がインフレを招かぬよう労働生産性の上昇に見合った所得の増加をはかる方針である。
しかし,国営企業労働者の賃金総額は82年前年比7.4%増と国営工業企業の労働生産性の上昇(2.3%)を上回った。83年上期の賃金総額は前年同期比6.7%増加した(工業企業の労働生産性は1~8月同6.4%上昇)。また,集団所有制企業労働者の賃金総額は,82年8.1%増,83年上期7.7%増と国営企業労働者の賃金の伸びを上回った。平均賃金でみると82年に国営企業労働者が前年比3.0%増,集団所有制企業労働者が同4.5%増加した。
賃金の構成も変化しており,出来高給,各種奨励金の占める割合が増加している (第11-4表)。特に賃金総額の10.9%を占めるに至っている奨励金は82年に前年比10.4%増加し,83年に入っても急増していることから,政府は奨励金の乱発傾向の是正を呼びかけている。
また,農産物買い上げ価格の上昇,農業生産の好調に加え,自留地の拡大,農産物供出比率の低下等により農民が自由に販売できる農産物の割合が増加していることもあって,農民一人当たり年収は年平均2割近い急増ぶりを示しており,82年にも前年比20.9%増となった。このうち家庭副業収入の占める割合は38.1%に達している。
国民の所得や生産が増加しているため消費も好調に増加している。商品小売総額は82年前年比9.4%増,83年1~10月前年同期比10.5%増となった。
特に農村部では82年に前年比11.8%と都市部の伸び(6.2%)を大幅に上回った。また農業用生産財は同11.8%増と消費財の増加(8.9%)を上回った。消費財の小売総額は83年1~9月前年同期比10.3%増加したが,野菜,水産物の需給は依然逼迫している。
また,所得の増加に加え,79,80,82年と相次いで預金金利が引上げられる等貯蓄振興策が実施されていることもあって,銀行預金残高は82年に675億元(前年比29%増)に達した。特に農村部で34.5%増と都市部の伸び(26.3%)を上回った。さらに83年末には預金残高は約892億元(前年同期比32.1%増)に達した。
一方,流通ルートの多様化を進め国民生活の便をはかると同時に,雇用拡大のため奨励されている集団所有制企業,個人経営企業の発展はめざましい。都市部の集団所有制企業,個人経営企業の販売額は82年に販売総額の各16.1%,2.9%を占め(78年7.2%,0.1%),労働者の占めるシェアも各5.9%,0.3%に達している(78年5.1%,0.04%)。失業者数は79年以降年を追って減少し,83年に約300万人にまで減少したとみられているが,新規就業者の多くが集団所有制企業等に吸収された。
物価の凍結等厳しい物価抑制策が実施されたため,81年の小売物価上昇率は前年比2.4%に鈍化した(80年同6%)。82年7月には「物価管理暫定条例」が採択される等物価抑制策が継続され,82年の小売物価上昇率は前年比1.9%となった。83年1~9月には前年同期比1.1%とさらに鈍化している (第11-1図)。
82年以来不合理な価格の是正が徐々に行われている。82年1月にも腕時計,白黒テレビ,トランジスタ・ラジオ等の価格が引下げられたが,83年1月には化学繊維,時計,フィルム,カラーテレビ,扇風機等の価格引下げと綿布の価格引上げ等が実施された。これは,綿布は価格が割安のため,生産不足であり,化学繊維は逆に価格が割高で生産過剰となっている現状を打開するため採られた措置である。この結果,綿布とポリエステル綿混布の価格対比は1対2.4から1対1.4に縮小した。また,耐久消費財の価格は技術進歩,大量生産によりコスト安になったため引き下げられた。この結果,83年1~9月化繊布,腕時計,カラーテレビ等の価格は前年同期比で1割以上低下した。また酒,煙草,茶等の価格も低下した。しかし,綿布価格は18.6%上昇し,需給逼迫のため野菜,水産物等副食品価格は2.9%上昇した。
一方,価格の自由化も進められている。政府は82年10月に160品目の日用雑貨品の統制価格を廃止したが,83年9月には,それを350品目に拡大する旨決定した。しかし,生産資材等重要品目については統制価格を適用し,価格管理を強めている。
また,84年からは品質向上のため,機械類の価格に品質格差を設ける等価格体系の是正をはかっている。
世界的な景気の停滞,引き締め策の実施により,81年以降,輸出入総額の伸びは鈍化した。82年の輸出(元ベース)は前年比13.1%増加したが,機械設備輸入の急減等により,輸入は同4.8%減少した (第11-5表, 第11-6表)。このため,貿易収支は90.5億元(約48億ドル)の黒字を記録した(81年25億元の黒字)。
83年には,エネルギー消費の多い製品の輸出を抑制するものの,機械,電気製品を中心に輸出を前年比4.8%増加させ,技術,機械を中心に輸入を急増させる(同25.3%増)計画であった。81年初に建設中止または延期が決定されていたプロジェクト復活の動きもあり,南京エチレンプラント等8大化学プロジェクトの建設再開等が決定された。
83年上期には機械・技術輸入の急増により輸入は前年同期比7.3%増加した。一方,輸出は原油,石炭等が減少したため,同2.1%増にとどまった。
83年全体では輸入(ドル・ベース)が同6.O%増,輸出が同0.8%増となったものの,貿易収支は38.6億ドルの黒字となったとみられる。
83年に入って輸入が増加したため,82年に減少した先進国との貿易もやや回復している。OECD向けの輸入は83年1~7月前年同期比3.2%増加した(82年前年比16.8%減)。一方,輸出は同期に7.5%減少した(同1.2%増)。
82年に急減した対日輸入(前年比31.O%減)は,機械,鉄鋼等を中心に83年1~10月前年同期比32.3%増加した。輸出は同期間に7.7%減少したが,貿易収支は依然2.7億ドルの出超となっている。
また西ドイツ,イギリスからの輸入も83年1~8月前年同期比各24.1%,63.5%増と急増している(輸出は各4.7%増,2.0%減)。
一方,83年の対米貿易は急減した。これは米中繊維交渉が決裂し,83年1月よりアメリカが中国の繊維製品32品目に対して輸入規制を実施し,中国はアメリカからの綿花,化学繊維,大豆輸入を停止し,小麦等その他の農産物輸入を削減したことによる。この結果1~9月の対米輸入は前年同期比40%減少し(農産物輸入は73%減),輸出も同4%減少した。しかし,繊維交渉は7月末に妥結し,アメリカは中国製繊維品輸入の2~4%増を認めることを決定した。このため,8月に輸入規制が解除された。中国の対米穀物買い付け額は11月時点で400万トンにとどまっているが,中国側は米中長期穀物協定(81~84年)に基づく輸入義務量の残り200万トンを買付けると表明している。
79年以来,貿易総額に占める発展途上国の割合は増加し,逆に共産圏の割合は減少している (本文第1-6-2図参照)。82年の発展途上国向け輸出・入額は前年比各4.4%,3.4%増とやや鈍化した。共産圏向け輸出・入額は81年に急減した後,82年に各9,O%増,0,4%減と若干回復している。特にソ連向けは各8.3%,42.5%増と急増した。
81年以降,貿易収支は黒字を続けており,アメリカ中央情報局(CIA)の推計によると,82年の経常収支は70億ドルの黒字,資本収支は15億ドルの赤字となっている。外貨準備高(金を除く)は82年の113億ドルから,83年9月には140.7億ドルへと増大した。また金保有高は1,270万トロイオンス(4.7億ドル)となっている。
79年より外資の導入を開始し,累計126.4億ドルの融資を受けているが,返済は比較的スムーズに行っており,83年9月末の対外債務残高は30億ドルと発表されている。83年10月には工業製品輸出拡大のため香港向け船舶輸出に対して,初めてバイヤーズ・クレジット(564万ドル)を供与する等の動きもみられる。
中国は香港,台湾,韓国に次ぐ第4の繊維製品輸出国であり,年間約35億ドルを輸出しているが,12月にはGATTのMFA(多国間繊維取り決め)加盟を承認され,84年1月にはIAEA(国際原子力機関)に正式加盟した。
また,西ドイツと投資保護協定(83年10月),アメリカと産業・技術協力協定,カナダと投資保障協定に調印(84年1月)する等対外経済交流の活発化をはかっている。