昭和57年
年次世界経済報告
回復への道を求める世界経済
昭和57年12月24日
経済企画庁
79年に発生した第2次石油危機後アメリカ経済は,80年から81年にかけて周期の短かい後退一回復局面を経過した後,81年後半以降顕著な後退に向かった。特に同年10~12月期から82年1~3月期にかけて実質GNPは大幅な減少を示した。その後も消費や住宅投資が比較的底固い動きをみせたものの,生産の減少,雇用情勢の悪化が続くなど,景気は82年中,はっきりとした底入れの状況を示すに至らなかった。
81年には,年初低下をみせていた市中金利が,春以降再騰したことを背景に,4~6月期の実質GNPは,耐久財消費,住宅投資の減少を中心として前期比年率1.5%の減少に転じた。続く7~9月期は同2.2%の増加となったが,これは意図せざる在庫の大幅増加によるもので,この時期,鉱工業生産が減少に転じ失業率は上昇に向かうなど,景気は後退を始めた。
その後実質GNPは同年10~12月は耐久財を中心とした個人消費の急減,在庫投資の圧縮を主因に,82年1~3月期は在庫の大幅減少を主因に各々,前年比年率5.3%,5.1%と大幅な減少を続けた。4~6月期,7~9月期は個人消費が底固い動きを示し在庫も減少幅の縮小ないし増加をみせたことから,各々同2.1%,0.7%の増加となったが,設備投資・純輸出の減少等から最終需要は各々同0.9%,1.3%の減少を続けた。
鉱工業生産は81年7月をピークに82年11月まで減少傾向を続け,この間の減少幅は11.9%に及んだ。
雇用情勢は,81年8月以降,就業者の減少,失業者の増加がほぼ一貫して続き,81年7月には7.2%であった失業率がその後急速な上昇を続け82年11月には10.8%と1942年以来の記録的な高水準に達するなど戦後最悪の状況を呈している。
一方,物価は顕著な上昇率低下を続け,前年同月比上昇率で,消費者物価は81年の10.4%から82年11月4.6%へ,完成財卸売物価は81年の9.2%から82年11月3.7%へといずれも顕著な低下を示した。
貿易収支赤字は,ドル高を背景に82年以降特に拡大し,82年1・~10月累計で297.1億ドルと前年同期の286.4億ドルを上回った。またこれに伴い経常収支は82年1~9月累計で9.2億ドルの赤字(前年同期は54.0億ドルの黒字)に転じており,今後とも大幅な赤字拡大が予想されている。
82年初,通貨供給量の急増に伴い先行き金融引締強化の予想が生じたこと,予想財政赤字が拡大したこと等から再上昇した市中金利は,その後年央にかけて高水準で推移したが,景気回復期待の弱まり,インフレ鎮静化等を背景として,7,8月に急低下しその後も低下傾向を続けた。
このように,81年央以降後退を続けたアメリカの景気は,82年中においては,インフレ鎮静化,金利の低下等がみられるものの,はっきりとした底入れの状況を示すに至らなかった。
こうした状況の中で,今後,政府の経済政策がどのように展開されるかが注目される。
81年10~12月期に耐久財消費の落ち込みから前期比年率3.3%の減少をみせた実質個人消費は,82年に入り小幅ながら3四半期連続増加を続け,景気後退が続く中では比較的底固い動きをみせた。
これは,①趨勢的に増加傾向を続けているサービス消費が,今回の景気後退期においても増加を続けたこと,②耐久財消費は低調ではあるが,81年10~12月期の落ち込みの後各種販売促進措置に支えられた自動車販売の増加等により,82年上半期にはやや増加したことなどによるものである(第1-1図)。また,この背景には,賃金・給与所得は減少したが,利子所得・移転所得の増加や個人所得税減税に支えられ,また物価上昇率の低下もあって,実質個人可処分所得が底固く推移したことが挙げられる(第1-2図)。
しかし,耐久財消費の基調は弱く,82年7月の個人減税実施にもかかわらず,景気停滞惑が強まる中で7~9月期には前期比年率5.4%の実質減少に転じた。
一方,こうした中で個人貯蓄率は,80年,81年の各5.8%,6.4%から82年は1~9月平均6.8%(7~9月期6.9%)と上昇傾向をみせた。この背景としては,①実質金利の上昇による貯蓄インセンティブの上昇,②利子所得の限界税率引下げ,個人退職年金(IRA)掛金の所得控除拡大,免税貯蓄証書の認可等の貯蓄優遇策の影響などが考えられる。しかし,従来から景気後退期には所得の鈍化に先行して消費が弱まり貯蓄率が上昇する傾向があり,過去の後退期の70年,75年の貯蓄率8.0%,8.6%に比較すると依然低水準にあるといえよう。
実質民間設備投資は,80年後半に回復に転じ,81年は前年比3.5%の増加を示したが,82年に入り,急速な減少に転じ,四半期連続の大幅な減少となった。
商務省の調査(四半期毎)による82年設備投資見通しは,調査の都度下方修正され,82年10~11月調査では前年比名目0.5%減,実質4.8%減が見込まれているほか,83年上半期については実質ベースでは減少が続くと予想されるなど,当面の設備投資意欲は全般的にきわめて弱いものとなっている。業種別にみると,自動車・化学が81年後半以降,石油・1次金属が82年春以降減少傾向に転じたのに続き,比較的堅調であった電気機械も10~12月期には大幅減少が予想されている(第1-4図)。
こうした設備投資減少の背景には,①高水準の実質長期金利が続いたこと,②鉱工業生産の減少が続き,稼働率が極めて低水準となっていること,③景気停滞の長期化等を背景に企業の業積・財務内容悪化が続いたこと(後に詳述),④景気回復の時期・テンポに対する期待が逐次弱まっていったことなどが挙げられよう。
しかし一方で,今回の景気後退期における設備投資の水準は,生産・稼働率の水準の低さからすれば,過去の不況期に比べ相対的に底固いとの見方もできる。82年1~9月期の民間設備投資の対GNP比率及び稼働率は11.5%,70.1%で,70年は10.5%,79.3%,75年は10.2%,72.9%であった。これは,①更新投資・合理化投資の必要性が高まっていること,②電算機・通信設備等高技術産業分野における需要・投資が伸びていることなどが背景となっているとみられる。
実質民間住宅投資は,実質可処分所得の伸びの鈍化や住宅貸付金利の上昇から81年4~6月期以降1年にわたり大幅な減少を続けたが,82年4~6月期に増加に転じた。民間住宅着工件数は,81年10~12月期年率86.5万戸の低水準に落ち込んだ後,住宅貸付金利の低下等を背景に82年初以降徐々に回復をみせ,10~11月年率では127.9万戸の水準となった(第1-5図)。
81年を通じて増加を続けた実質在庫は,82年1~3月期の大幅減少(年率154億ドル)に続き4~6月期も減少を続けた。しかし7~9月期は,消費が期待されたほどの回復を示さなかったこともあり増加となった。製品在庫の対出荷比率は,82年1月の1.54(か月)の高水準から5月1.46と低下したものの,6月以降は上昇し10月には1.55と年初水準を上回った。従来の趨勢的な水準に比べ鉄鋼等を中心に製造業在庫の水準がなお高い。また82年初非常な高水準にあった自動車の小売在庫は年前半に顕著な減少を示したが,4~6月期の増産,その後の販売不振などから年央以降再び急増した。1年以上に及ぶ生産減少にもかかわらず,在庫はなお調整局面を続けているとみられる(第1-6図)。
80年後半から回復をみせていた鉱工業生産は,需要後退・在庫増加等を背景に81年7月をピークに以後1年以上にわたり急速な減少を続け,82年11月には前年のピーク比11.9%減,前年同月比7.3%減の低水準となった。また同月の製造業稼働率は67.8%で統計発表開始(1948年)以来の最低水準を記録した。
第1-7図 アメリカの鉱工業生産の推移と財別増減寄与度(前年同期比)
81年後半から82年初にかけては消費財・中間財・原材料とも生産減少が急速であった。その後2~7月においては,自動車等の消費財生産増加から全体の生産も減少幅が鈍化したが,需要回復期待の弱まり,ドル高等による一部輸入品の増加,設備投資の減退を背景とした設備資本財生産の減少継続などから,8~10月にかけて減少幅が拡大を示した。
81年上半期に平均7.4%であった失業率は,81年以降の景気後退に伴い同年9月以降一貫して急速な上昇を続け,82年11月には10.8%と1942年以来の記録的な高水準に達しており,雇用情勢は戦後最悪の状況にある。
81年7月から82年11月の間に,労働力人口は233万人増加した一方就業者は183万人減少し,この結果失業者数は782万人から1,199万人へと416万人(約53%増)の著増をみせた。失業率を労働人口の特性別にみると,10代の若年層(82年11月24.2%),黒人(同20.2%)の失業率が特に高いが,81年末以降,減産強化に伴う大量レイオフが多くの産業に拡がりをみせ,基幹的労働力である成人男子の失業率上昇が顕著となってきた。こうした雇用情勢の深刻化から11,12月にかけで雇用創出を図るためのガソリン税増税を財源とした公共事業計画が議会提出され,政府もこれを支持するなど,失業問題は政策上,最重要問題の1つに浮上してきた。
物価は,80年末以降エネルギー価格の騰勢鈍化等により上昇率が低下した後,81年央以降景気後退が進み金融引締政策が持続する中で,顕著な上昇率低下を続けた。
完成財卸売物価上昇率は80年上半期に前年同期比13.6%の高水準にあったがまず80年下半期にエネルギー価格を中心に低下をみせた。更に81年下半期から82年央にかけてエネルギー価格・食料価格の安定,設備資本財価格の上昇率鈍化等から顕著な低下を続けた。その後も,基調的には落ち付いた動きを示しており,82年7~11月の前年同期比上昇率は3.7%と低水準に落ち付いている(第1-9図)。
一方,消費者物価上昇率も80年上半期には14.4%と高水準にあったが,81年上半期において住宅ローン金利等を中心に低下をみせた。その後年央において同金利が再騰し全体の上昇率もやや上昇したが,同年10月以降は,エネルギー価格・食料価格・住宅ローン金利等の鈍化を中心に,ほぼ一貫して低下を続け,82年11月の前年同月比上昇率は4.6%と73年2月以来の低水準を記録した。
こうした物価上昇率低下の要因としては,政策的には,第2次石油危機以降の景気停滞長期化の中で,通貨供給量管理を中心とした金融引締政策が続けられたことが挙げられるが,一方の実態面では,①国内の景気後退による全体的な需給緩和,②2年続きの豊作等を背景とした農作物価格の安定化,③世界的な景気停滞に伴う石油等の原材料価格の軟化,④ドル高に伴う輸入品の値下がり,⑤賃金上昇率の大幅鈍化などが指摘できよう。
今後については,一部に82年後半の金融緩和基調から物価再上昇を懸念する見方もあるが,賃金上昇率の低下(後述)や今後の緩慢な需要回復予想などから,当面,物価は落ち着いた動きを続けるとの見方が多い。
雇用情勢の急速な悪化や物価上昇率の低下を反映して,賃金上昇率も81年央をピークに顕著な低下をみせた。非農業民間部門の1人当たり平均週賃金の前年同月比上昇率は81年5月の9.8%から82年11月2.9%に低下した(第1-10図)。
これには82年中の賃上げ率の低下が大きく影響している。82年は,景気後退・失業増大の中で主要産業が労働協約改訂期を迎えることとなったが,経営側の賃上げ抑制圧力の強まり,労働側の雇用保障重視への動き等を背景に,締結された協約内容は,特に賃金面において非常に厳しいものとなった。アメリカ最大の労組を擁するトラック運送業では,基本賃金が旧協約水準で凍結されたほか,生計費調整(COLA)の調整期間も半年から1年に延長された。また不況下の自動車産業では,個別企業毎に,協約期限の半年前に交渉が開始されるという異例の事態となり,フォード社,GM社では,雇用保障を行なう一方で,基本賃金の凍結,生計費調整の実施延期,付加給付の削減等を内容とする新協約が締結された。
こうした賃金上昇率の低下に加え,81年に低下を続けた労働生産性が82年に入り急速な雇用調整を背景に上昇傾向をみせたことから,非農業民間部門の単位当たり労働コストの前年比上昇率も82年に入って低下を続けた。
一方,実質賃金は,物価騰勢の鈍化が進んだ81年後半においても名目賃金上昇率低下から減少を続けたが,82年に入り,一層の物価上昇率低下等から低水準ながら横這い基調で推移した。
今回の景気後退期においては,企業の経営状況の悪化がとりわけ顕著であった。法人企業の税引後利益は81年中も減少傾向を続けたが,特に82年に入って著しい落ち込みをみせた(第1-11図)。
こうした企業経営の悪化の特徴としては,①79年後半以降の需要停滞・高金利の長期化により徐々に損益が悪化し,これに伴い借入依存度が短期資金を中心に高まるなど財務内容の悪化も進行していたこと,②81年後半以降は大幅減産に伴うコスト上昇や,特にインフレ鎮静化(ディスインフレーション)の過程での採算悪化や実質的な債務負担の増大などから急激な業績悪化に至ったこと,③こうした経営環境の著しい悪化により,雇用調整の拡大,設備投資計画の縮小等が急速に行なわれたことなどが指摘できよう。
こうした中で82年に入り企業倒産がさらに急増し,実働企業に対する企業倒産率は1933年以来の高水準となった。またその業種も多岐に及んだほか,大型倒産や金融機関の倒産も目立った。
81年は輸入の伸びが輸出の伸びをやや上回り,貿易収支(FAS-CIF)は前年比33.2億ドル悪化して396.8億ドルの赤字を計上した。81年末以降輸出は顕著な減少を続けた。一方輸入は,82年上半期は景気の後退を背景に特に石油を中心に減少したが,後半に入り工業製品を中心に大幅に増加した。このため年前半には縮小を示していた貿易収支赤字は,後半には拡大に転じ,82年通年では景気後退期にもかかわらず前年を上回る赤字計上が予想されている(1~10月実績累計350.4億ドルの赤字‐第1-1表)。
こうした輸出の減少,輸入の増加の要因としては,①西ヨーロッパ諸国をはじめ貿易相手国の景気停滞,②ドルの対主要先進国通貨に対する独歩高による交易条件の変化の影響が挙げられる。特にドル高の影響については,その上昇幅が大きかった上に,通常タイム・ラグを置いて貿易収支悪化を招くことから,今後83年においてもなお赤字幅が拡大するとの見方が強い。
一方経常収支は,81年は前年比29.5億ドル増加の44.7億ドルの黒字を計上したが,82年には,年央以降の貿易収支赤字拡大の影響により1~9月累計で9.2億ドルの赤字を計上している。OECDでは,今後も貿易収支赤字の拡大とともに,経常収支は82年の87.5億ドルの赤字計上に続き83年には312.5億ドルに赤字が膨らむと予想している。
81年において供給力重視とインフレ抑制最優先の観点から,減税・歳出抑制及び通貨供給抑制を推し進めてきた政府及び連邦準備制度理事会(FRB)は,82年に入り,予想以上に拡大する財政赤字,長引く高金利の持続,景気回復の遅れという悪循環状況及びインフレ鎮静化等を背景として,基本政策路線を踏襲しながらも,実際面では,一部手直しや柔軟な運営を呈してきたといえよう。
財政面では,予想される財政赤字の大幅拡大に対拠するため一部増税の実施が決定した。また,金融面では,特に年後半に通貨供給管理面でのFRBの柔軟な運営がみられる。
82年2月に発表された83年度大統領予算教書では,83~85年度3か年の財政収支赤字は,対策なき場合4,784億ドル(内83年度1,456億ドル)にのぼると予想され,これを,エンタイトルメント計画や連邦補助事業の圧縮,行政効率化による節減,税制改正など合計2,321億ドル(同541億ドル)の赤字削減計画により,2,463億ドル(同915億ドル)に圧縮すべきことが提案された。その後,景気後退や高金利持続等により予想財政赤字額が一層拡大する中で議会の予算審議が行なわれ,赤字削減の方向では一致をみたものの,その方法をめぐる民主・共和両党の対立(前者は国防費削減,後者は社会福祉削減に各々重点を置く)から審議ぱ難行した。6月下旬に政府の支持する共和党案に近い内容の第1次予算決議(83年度財政赤字1,039億ドル)が採択され,これに沿って策定された赤字削減措置の1つである「82年租税負担の公正と財政節度に関する法」と題する増税法が8月19日成立した3,これは,企業関連税制優遇措置の圧縮や,消費税関係の引き上げなどを中心として83~85年度の3か年で983億ドルの財政赤字削減を図ることを内容としている(第1-2表)。なお政府は,同法は増税というよりも税の公正化であり,個人所得減税は予定通り実施されるなど財政の基本方針は変化していないと表明した。
第1-2表 「税負担の公正と財政節度に関する法」による財政赤字削減額
その後,失業問題が一層深刻化したことから,政府も雇用対策重視の方向に向かい,政府の支持する雇用創出を狙いとした55億ドルの公共投資計画とその財源としてのガソリン税の引上げ(5セント/ガロン)を内容とする法案が,12月末成立した。
82年7月の政府の会期央見直しにおける83年度財政赤字規模は1,150億ドルであるが,景気回復期待が弱まっていることから,OECDの見通し1,700億ドルをはじめ83年度の財政赤字は82年度実績1.107億ドルから大きく拡大するとの見方が一般的となっている。
79年末以降,FRBにより通貨供給量抑制を中心に引締め策が続けられてきた金融政策は,82年には,基本姿勢の維持が標傍されつつも,景気後退の進行やインフレ鎮静化等を背景として除々に柔軟な運営姿勢が示され,市中金利は,年前半には高水準を続けたものの,7,8月に急速に低下し,その後も低下傾向を続けている。またこれに伴い公定歩合も7月から12月にかけて7度にわたり漸次引き下げられた。
82年2月に明らかにされたFRBの82年金融政策方針では,通貨供給量管理の基本方針は維持されM1の伸び率目標が前年の3.5~6%から2.5~5.5%(M2は前年と同じ6~9%)に引き下げられたが,その際一時的な目標超過は容認するとの柔軟な姿勢が示された。しかし1~4月において,金融市場では,M1の増加がその後の連銀による引締め強化を招くとの見方が強く,インフレ再燃懸念や財政赤字拡大によるクラウディングアウトの懸念も影響して,市中金利は景気後退にもかかわらず依然高水準で推移した。
しかしその後,①景気後退の予想以上の長期化,②インフレ鎮静化の定着,③政府・議会の財政赤字削減努力,④企業倒産等に係る金融市場の動揺に際し連銀が資金注入等の柔軟な姿勢を示したことなどを背景として,金融緩和期待が高まり市中金利は短期金利を中心に7,8月にかけで顕著な低下をみせ,その後プライム・レートも漸次引き下げられたほか,長期金利も低下傾向を続けた。これに伴って,連銀は7月以降12月にかけて7度にわたり12%から8.5%へと漸次公定歩合を引下げた(第1-12図)。
しかしながら,物価上早率が低下しており,実質金利の水準は依然高水準にあるといえよう。
また8月末以降目標上限を超過したM 1は,10月以降,一段と増勢を示しているが,FRBは引締めの姿勢をみせず,10月の連邦公開市場委員会(F OMC)では①M1 の目標超過を容認し,指標としてはM2,M3をより重視すること,及び②今後も実情に即した柔軟な金融政策運営を行うこと等が決定されたことが,その後明らかにされた。これらの理由として,①10月の免税貯蓄証書の満期到来や12月の商業銀行・貯蓄金融機関による金融市場預金勘定(MMDA)の導入等による預貯金間の大量資金移動からM1に歪みが発生していること,②当初予想したよりも,流動性需要が高いことに対する配慮,③インフレ鎮静化がほぼ定着し,景気面への配慮の必要性と余地が生じたこと等が表明されている。
82年中期待された回復には至らなかったアメリカの景気は,83年には,消費,住宅投資等を中心に徐々に回復に向かうとみられるものの,その回復は緩慢なものにとどまり,過去の回復期に比べ低い成長率となることが予想されている。
物価がコスト低下等を背景に当面落ち着いた動きを続け,金利もしばらくは低下基調が続くとみられることから,耐久財消費,住宅投資は緩やかな回復傾向が続くことが期待される。しかし一方で,減量経営等により高失業は続き個人所得は伸び悩むとみられることから,これらの回復は緩やかなものとなろう。もっとも7月に3回目の個人所得減税(限界税率の一律10%引下げ)が予定されており,年後半は消費等の回復が強まるとみられる。
また,設備投資の回復も年後半にずれ込むとみられるほか,輸出も西ヨーロッパ諸国の景気不振継続から回復が見込みにくく,全体としては,景気回復は年後半に強まるものの年平均では2%前後の低い成長率にとどまるとの見方が多い。
金利動向については,こうした緩慢な景気回復,インフレ率の低下,内外金融市場の不安定性等を背景にFRBは今後とも柔軟な金融政策運営を続けるとみられ,低下基調を予想する見方が多いが,財政赤字拡大によるクラウディングアウトの懸念は払拭されておらず,資金需要回復とともに金利が上昇する可能性もあるため,今後共整合的な財政,金融政策の運営が望まれている。第1-3表に政府,OECD,民間予測機関による83年経済見通し等を掲げておく。
1982年のイギリス経済は,前年央以降の緩やかな景気回復過程にあり,実質GDPはわずか1%弱ではあるが,2年ぶりにプラスに転ずると予測されている。しかし,雇用情勢は82年中むしろ悪化を続け,失業者数は年間約32万人増加して約300万人に達し,失業率も連月戦後最高記録を更新した。
一方,賃金,物価上昇率は82年に入って一段と低下し,消費者物価は82年初の前年同月比12%から11月には6.3%へと政府の当初見通しを大幅に上回る改善を示した。対外面では,国際競争力の低下により最近では工業品輸入が輸出を上回っているが,石油収支の黒字増から貿易収支,経常収支とも黒字基調を続けている。この間,ポンドの対ドル相場は石油需給の緩和などを背景に年末までに約30%低下した。
経済政策のスタンスは引締め基調を維持しているものの,景気回復の遅れやインフレ率の低下などを考慮して,弾力的な運営が行なわれており,とくに,金融面では,マネー・サプライ目標の引上げ,買いオペによる金利の積極的引下げが行なわれた。また,財政面でも,支出規模や赤字幅の縮小をすすめながらも,選択的な景気対策がとられている。
83年については,政府は個人消費および固定投資を中心とする内需の回復が続くほか,外需も若干増加するため,実質GDPは1.5%程度増加するとみている。しかし,失業者数は,増勢は鈍化するものの,いぜんとして増加傾向を続けるとみられる。83年中には,総選挙の繰上げ実施も予想されており,今後の政策運営が注目される。
実質GDP(生産ベース)は,80年2.9%減,81年2.4%減の後,82年1~9月には前年同期比0.6%増となり,82年全体でも0.5%程度増加すると政府はみている3,82年のこの小幅増加は,主として,①在庫削減が小幅化したこと,②個人消費の夏以降の回復,③住宅投資の立直りなどを反映したものであり,輸出は期待されたような伸びを示さなかった。
実質個人消費は,個人所得の伸び悩みから基調が弱く,80年0.1%減,81年0.3%増の後,82年上期にも前期比0.4%減とほぼ横ばいを続けていた。しかし,82年夏以降は賦払信用規制の廃止やローン金利の低下などもあって回復を示しており,7~9月期には前期比1.8%増加した(1~9月の前年同期比は0.3%増)。
小売売上げ数量(乗用車を除く)でみると,81年1.2%増についで82年上期には前期比0.9%増,7~9月期には同2.4%増となっている。とくに家具・電器類に対する需要が強く,上期の前期比3.7%増の後,7~9月期は同8.0%増と急増した。乗用車の需要も,7月末の賦払信用規制撤廃の後急増し,7~9月期の新車登録台数は前期比11.5%増となった。
住宅,消費者ローン金利の低下が耐久財消費の回復の主因の一つとなっているとみられ,新規賦払信用も7~9月期には前期比9.6%増加した。
もっとも,実質可処分所得は,インフレ率の鈍化にもかかわらず,賃上げ率が鈍化し,雇用減も続いていることから,81年の2.2%減の後,82年上期にも前期比0.5%減と減少傾向にある。また,個人貯蓄率も81年の13.4%から82年4~6月期には11.6%へと大幅に低下している。このため,夏から秋にかけての個人消費の増加は一時的なものとする見方もある。
実質政府支出(国民所得ベース)は,81年の0.3%増についで,82年上期にも前期比1.0%増と,小幅ながら内需の下支え要因となった。政府の支出抑制方針の下で,キャッシュ・リミット制(現金による支出額上限の設定)や公務員の定員削減などが実施されているが,移転支出,雇用対策費などが景気回復がおくれるなかで大幅に増加していることによる。
実質総固定投資の低下は,81年7~9月期を底に下げ止って反転したが,82年4~6月期には再び減少するなど,回復の足どりはまだ確かではない(81年8.2%減,82年上期の前期比2.4%増)。このうち,民間固定投資は,住宅,非住宅投資とも82年上期には前期比それぞれ8.5%,1.7%増加し,落ちこみの大きかった政府部門投資も同14.5%増,2.5%増とかなり持直している。
実質非住宅投資でみても,80年0.5%減,81年上期の前期比4.9%減の後,下期には同1.6%増,82年上期同1.2%増と回復を示している。この中で,製造業設備投資の回復は大幅に遅れており,82年7~9月期はほぼ横ばいとなったが,82年1~9月の前年同期比は10%減となっている(リース分を除く)。
これは主として,①最悪期は脱したとみられるものの,製造業稼働率が82年上期も70%台にとどまっていること,②企業利潤は増加を続けているが,労働分配率が依然として高水準にあること,③金利の急速な低下にもかかわらず実質金利はまだ高いことなどを背景として,企業家の投資意欲が依然として弱いことによる。82年12月発表の産業省企業投資予測調査でも,83年の製造業設備投資は前年比実質3.2%減と4年続きのマイナスの伸びを予測している(流通部門を含む企業設備投資では2.7%の増加)。
実質住宅投資は79年11%減,80年14.1%減,81年24.5%減と3年続きの大幅減の後,82年上期には前期比11.1%増と立直りを示している。まず民間住宅が81年4~6月期を底に回復をはじめ,下期は前期比横ばい,82年上期同8.5%増となった。公共住宅は81年中減少を続け前年比35.2%減の大幅減となったが,82年に入って上期の前期比14.5%増(前年同期比0.6%減)とかなり回復した。
民間住宅の回復は,主として,①住宅価格の低下(82年4~6月期の前6か月比12.3%低下),②銀行の積極的住宅融資,③住宅金利の低下(82年初15%→11月以降10%),④これまでの公共住宅建設の急減などを背景としたものである。公共住宅は,政府の支出削減方針から計画が縮小,延期されてきた。しかし,82年に入って,景気支持のために,地方自治体による住宅建設の促進がはかられており,83年度についても,公共住宅売却などを資金に繰入れて10%以上の投資増を計画している。
80,81年と大幅な在庫調整が続いたが(対GDP比それぞれマイナス1.5%,1.9%),81年下期にはその幅はかなり縮小し(同1.1%),82年上期にはわずかながらプラスとなった。しかし,7~9月期には再び大幅な在庫削減が行なわれた。この大型かつ,長期にわたる在庫調整によって,在庫水準はかなり低下しているものの,製造業在庫率(在庫水準/生産,1974年10~12月期=100)は82年7~9月期には105.6と79年平均(102.0)を上回っている。完成財在庫水準が正常以上とみる企業もなお多い(CBI,10月調査)。
個人消費が7~9月期に急増したが,これは主として,製造業および流通業の在庫削減によって充当され,生産の増加には直接結びつかなかったとみられている。
鉱工業生産は,81年5月に底入れしたものの,その後の回復テンポはきわめて緩やかであり,82年10月現在,この底の水準を約2%上回ったにすぎない。しかも,この回復は主として北海石油・ガスの順調な増産(9月までの1年間に14.5%増)によるものであり,製造業では5月の底の水準をさらに0.8%下回って15年来の低水準となっている。
夏以降,製造業生産が不振を続けているのは,①在庫調整が長びいていること,②輸出の伸び悩み,③輸入の急増,などを反映したものとみられる。
製造業の中でもとくに落ち込みの大きいのは,鉄鋼,自動車,非鉄,繊維,工作機械であり,10月の前年同月比はそれぞれ13.6%減,11.2%減,7.7%減,7.1%減,5.6%減となっている。しかし,一方で,電機,機械などは同7.4%増,4.5%増と増加した。
生産の回復が遅れる中で,雇用者数は減少を続け,失業率は戦後最高記録の更新を続けるなど,82年を通じで雇用情勢はさらに悪化した。
雇用者数は79年秋の2,318万人をピークに減少傾向を続げており,80年89万人減の後,81年には87万人減少した。その後,減少テンポは緩やかとなり,82年上期にも32万人減少して,82年央現在約2,100万人となっている。
前回の後退期には,生産の落ち込みが今回よりも小幅で,かつ生産回復も比較的に順調だったこともあって,雇用者数の減少は約25万人にすぎず,また,景気底入れの約1年後からは増加に転じた。これと対比すると,今回の雇用調整がいかに深刻であるかがわかる。
失業者数(新規学卒を除く,季調値,新系列)の増加傾向も続いており,81年に86万人増加した後,82年にも32万人増加し,12月には295万人に達した。この間,失業率も1.6%ポイント高まって12.7%となった。新規学卒を含む総数(原数値)では,310万人,失業率13.3%となっている。なお,失業統計の新系列は,失業者を従来の登録失業者から失業手当受給者に限定したのが主な改訂点であり,これにより失業者数は月平均17~19万人減少し,失業率で0.4%ポイント前後の低下となっている(11月発表)。
失業の急増に対処して,各種の雇用対策が導入されており,これによる失業純減は,81,82年に各30万人と推計されている。今後も特に若年層を対象にした職業訓練やワーク・シェアリング(仕事の分ちあい)の導入が予定されている。
雇用情勢の悪化が続くなかで,賃金上昇率はさらに鈍化し,週当たり賃金率の前年同月比上昇率は81年の10.1%から82年10月には6.0%へ,平均賃金収入は同12.9%から7.3%へ鈍化した。
81年8月~82年7月の賃金改訂交渉においても民間部門では平均7.8%で比較的早く解決したのに対して,政府部門では前年ほどではないが春から夏にかけて公務員ストが続発した(とくに病院関係労組)。しかし,最終的には一般政府部門で平均7.5%,公企業部門は平均7%で妥結した。82年8月以降の現行賃金改訂交渉については,CBIの11月調査によると,これまで妥結した改訂協約の52%が前年を下回り,40%が前年を上回っている。炭鉱労組が11月初,8.2~9.1%の賃上げを受入れ,ストを回避することを決める(前年の賃上げ率は9%)など,政府部門でもこれまでのところ比較的緩やかな上昇となっている。
消費者物価の上昇率(前年同月比)は,81年秋から年末にかけて一時上げ足を早めたが,82年に入ってからは再び鈍化傾向を続けており,年初の12%から11月には6.3%へと72年7月以来の低水準まで低下した。82年3月の政府見通しでは,82年10~12月期に9%とみていたから,予想を3%近く上回る改善である。この改善は,政府がマネー・サプライ,財政赤字の拡大をコントロールするなどインフレ抑制を最優先とする政策スタンスを維持しているのに加えて,主としてつぎの要因が影響しているとみられる。①賃金上昇率の鈍化および生産性の若干の改善から,賃金コストの上昇が鈍化していること,②石油,一次産品価格の低落により原燃料コストも引続き安定していること,③住宅ローン金利の低下,④好天などによる季節性食品の大幅値下りなどである。
上昇率の鈍化が著しい費目は,季節性食品(10月の前年同月比2.5%低下),衣料(同0.7%上昇),耐久財(同2.1%上昇)などであり,一方,依然として大幅なものは,国鉄,ガス,電気料金など国有産業関連(]同15.1%上昇),光熱費(同13.3%上昇),サービス(同10.1%上昇)などである。
工業品卸売物価の騰勢鈍化も同様にすすんでおり,前年同月比上昇率は年初の11%から11月には7.4%に低下した。とくに,原燃料卸売物価は,一次産品価格や原油価格の軟化による輸入物価の安定から,81年の13.6%上昇に対して82年には小幅上昇にとどまっている(1~11月間に6.2%上昇)。
81年に約30億ポンドの大幅黒字を計上した貿易収支は,82年に入って黒字幅を縮小しており,1~11月累計黒字は15.2億ポンドと黒字幅は半減した。
81年の大幅黒字は,主として,大規模在庫調整による非石油輸入の小幅増(前年比4.1%増),石油輸出の急増(同49.3%増),交易条件の改善(同3.0%)などによるものであった。
82年に入ってからは,輸出が1~11月の前年同期比8.5%増と前年(8.0%増)なみの増加を示す一方で,輸入は同11.6%増と前年(4.1%増)よりも早いテンポで増加している。数量ベースでみると,輸出はほぼ横ばい(1~10月の前年同期比0.5%増)となっているのに対して,輸入は同7.1%増となるなど名目ベースでみるより大きな差を示している。
82年の輸出増加は,主として,石油輸出の順調な拡大(1~9月の前年同期比12.8%増)によるものであり,非石油輸出は伸び悩んでいる(1~9月平均の81年下期平均比2.0%減)。工業品(不規則変動を除く)輸出も同1.3%減と81年の4.0%増から大幅に悪化した。これに対して,工業品輸入は同3.4%増(81年13.3%増)と増勢を維持している。このため,工業品収支が82年4~6月期以降赤字化し,4~9月の赤字幅は約6億ポンドにのぼった。相対的卸売物価でみた国際競争力は78年以降急テンポで悪化していたが,81年上期に一時好転した。しかし,その後再び悪化傾向を示している。
貿易収支黒字幅は半減したものの,なお15億ポンドの黒字と大幅であるのに加えて,貿易外収支も黒字を続けているため,経常収支は黒字基調を維持しており,82年1~9月には約25億ポンドの黒字となった(前年同期は44億ポンドの黒字,原数値)。
資本等収支は,個人の海外投資,銀行部門の純資本流出が依然大幅であることなどから赤字基調を続けているが,82年1~9月の赤字幅は約4億ポンドと前年同期の約70億ポンドに比べて急減した。
総合収支でみると,81年の6.9億ポンドの黒字についで82年上期も6.9億ポンドの黒字となったが,7~9月期には資本収支の赤字幅拡大から赤字化している。
金・外貨準備は,金の評価変えもあって82年3月に急減した後,下期に入って増加していた。しかし,11月以降はポンド相場の急落に対処して介入が行なわれたこともあって急減し,82年11月現在,180億ドル(前年同月は235.2億ドル)となっている。
インフレ抑制を最優先とする政策スタンスを維持しながらも,インフレ率の低下,景気回復力の弱さなどを反映して,経済政策の弾力的運営が行なわれている。
金融面では,82年度予算案発表時に,82年度のマネー・サプライの伸び率目標が上方改訂(5~9%→8~12%)されたほか,従来のポンド建てM3に加えて狭義のM1,広義のPSL2を目標とするように改訂された。また,マネー・サプライの抑制についても,従来の特別預金制度の補完措置(いわゆるコルセット制)による預金増についての規制は廃止され(81年6月),81年8月以降は新金融調節方式の下で,金利,為替相場などのうごきを重視しなから,市場操作を中心とする規制が行なわれるようになった。
こうした中で,マネー・サプライの伸びは,住宅資金などを中心に民間資金需要が依然強いものの,財政赤字幅が縮小し,また,国債の市中消化も順調にすすんでいることなどから,82年についてはほぼ目標の上限内におさまっている(2~11月のM 1 は年率11.1%増,ポンド建てM 3 は同11.3%増,PSL 2 は同8.8%増)。
第2-5表 イギリスのマネー・サプライ(ポンド建てM3)‐目標と実績
金利については,内外金利差やポンド相場などを考慮しながら高金利の是正をすすめており,とくに82年8月以降は,買いオペなどによる金利の積極的引下げが図られた。このため,市中銀行の貸出し基準レートは,82年11月までの約1年間に通算14回,累計7%引下げられ9%となった。しかし,11月末,ポンド相場の急落に対処して同レートは1~1.25%引上げられた。
82年度予算案(82年3月発表)は,引締めスタンスを維持しながらも,不況による企業経営の悪化,失業の急増を背景に,産業と雇用および消費者を重視した措置を導入した。すなわち,歳入面では,①個人所得税諸控除の引上げ(前年度基準比14%),②国民保険の使用者追加負担料率の引下げ(3.5→2.5%),③たばこ,酒,ガンリン,自動車登録税の引上げなどの措置により,82年度総額20億ポンドの純減税が行なわれた。歳出面では,大枠は81年12月発表の経済パッケージに従っており,追加的に住宅改良,産業用技術革新,エネルギー対策,社会保障諸給付の引上げ,雇用対策など合計3.5億ポンド増加して,総額1,149億ポンド,前年度比9.4%増,対GDP比約45%にとどめられた(81年度は前年度比10.8%増,対GDP比45%)。
これらの措置によって,公共部門借入れ所要額(PSBR)は81年度の105億ポンドから,82年度には95億ポンドヘ縮小し,その対GDP比も4 1/2%から3 1/2%へ低下するとされている。
81年度の実績をみると,歳入はほぼ計画どおりであったが,歳出が計画を下回ったため赤字幅が予想以上に急減した(105→87億ポンド)。82年度4~9月についてはPSBRが約46億ポンドとほぼ計画どおりとなっているが,とくに地方自治体の予算執行の遅れが目立っている。
政府は,82年11月8日,83年度公共支出計画概案などを中心とする秋期報告(AutumnStatement)を発表した。これによると,83年度支出規模は82年3月計画比0.5%減,前年度比4.7%増(実質ではマイナス)と引続き緊縮型とされている。しかし,景気回復の弱さを考慮して,①国民保険の使用者追加負担分の再引下げ(2.5→1.5%),②失業対策費の追加,③社会保障費の追加,④公共住宅建設費の追加(82年度計画比では21.4%減であるが,当初計画比で1.8%増)などの対策も盛り込まれた。
82年11月発表の政府見通しによると,82年の景気回復は,世界経済の停滞や長びく在庫調整のため,予想以上に緩やかとなったが,83年には,内需の引続く上昇,海外環境の改善から回復を続け,実質GDPの伸びも82年の1%から83年には1 1/2%に高まるとしている。
83年の内需の回復は,主として,個人消費の増加(実質2 1/2%),民間住宅の立直りなどを中心とする民間総固定投資の増加(実質5%増)などによるものである。在庫積増しの影響はGDP比1/2%程度にとどまる。輸出は横ばい,輸入は実質5%増とされている。これに伴なって,①経常収支黒字幅は縮小を続け,83年にはほぼ均衡する,②失業者数はさらに増加するものの,増勢は弱まる,③インフレ率はさらに鈍化して83年春には5%台へ低下し,年末までほぼこの水準にとどまる,などと予測している。
OECDや全英経済社会研究所(NIESR)の経済見通しは,政府よりも景気回復に慎重な見方をしており,83年の実質GDPの伸びも1%程度としている。
西ドイツでは,80年春以降2年間景気停滞が続いていたが,82年夏からは後退を始めた。実質GNPも80年4~6月期から82年4~6月期まではほぼ横ばいを続けていたが,7~9月期には前期比1.3%減と落込んだ。年平均でみても81年の0.2%減に続き,82年は1.2%減(速報値)となった。
このように,夏以降景気が急激に悪化したのは,これまで内需の落込みを下支えしてきた外需が,82年春から減少に転じたことによる。
景気の悪化と,労働力人口の増加等から失業者は一段と増加し,ついに200万人台となった。
景気,雇用情勢の悪化から,10月にはシュミット政権(社会民主党,自由民主党の連立)に代ってコール政権(キリスト教民主同盟,自由民主党の連立)が誕生した。
失業増を背景に賃上げは小幅化傾向をたどり,実質賃金は81,82年と2年連続前年比マイナスとなった。
一方物価は,82年央に増税や公共料金引上げから一時,上昇率が高まったものの,その後は鈍化傾向にある。
経常収支は,春までの輸出急増及び内需不振に基く輸入の減少による貿易黒字の拡大を主因として赤字幅が縮小し,82年はほぼ均衡するまでに改善した。
財政面では,財政再建努力にも拘ず財政赤字が拡大しているが,コール新政権は,さらに福祉関連支出を削減する一方,住宅投資促進などの景気対策を採用した。
金融面では,国内景気梃子入れのため夏以降金融緩和が本格化し,公定歩合,ロンバート・レートの引下げが続いた。
83年も世界経済の先行きが不鮮明なこと,また西ドイツでは83年3月に総選挙が予定されており,企業家の態度が慎重となっていることなどから,83年前半まで景気は落込みを続け,回復するとしても年後半,それもきわめて緩やかなものにとどまるとみられる。
81年に戦後始めて前年比減少を示した実質個人消費は,82年に入ってからも7~9月期まで3期連続減少となった(第3-1図)。
このように,個人消費が低迷しているのは実質可処分所得が減少しているためであるが,その原因として次の点が挙げられる。
① 賃金上昇率の鈍化-81年,82年と2年連続実質賃金は前年比で減少しており,かつその減少幅が大きくなっている。
② 失業者の増加-200万人台にのせ,まだ増加基調にあり,心理面からも消費を冷え込ませていると考えられる。
③ 社会福祉関係費の削減一財政再建策の一貫として,児童手当の引下げなど政府からの移転収入が減少している。
④ 増税等‐これも財政再建策の一貫として,酒税,タバコ税が引上げられた他,失業保険料率の引上げ,郵便料金の引上げが行なわれた。また一方では,所得税も累進効果及び物価上昇から実質的には増税となっている。
また,高金利の影響から,高水準を続げていた貯蓄率は,82年1~3月期に15.6%となった後,金利の低下や実質可処分所得の低下から,4~6月期15.0%,7~9月期14.0%へと下っている。
以上のように,今回不況期において,個人消費が景気下支え要因とはならず,むしろ景気悪化の主役となったのは,政策面からも抑制的な効果がもたらされた結果であるといえよう。
実質機械設備投資は,景気が下降し始めた80年春以降も1年近く根強い伸びを示していた。その後81年4~6月期から減少に転じ,82年に入ってからも7~9月期まで減少を続けている(第3-1図)。
個人消費とは反対に,設備投資に関しては,減価償却率の引上げ,投資補助金の支給といった投資促進策がとられている。それにも拘ず機械設備投資が不振である理由としては,①輸出需要が減少してきたこと,②稼働率が低水準にあり,なお低下していること,③83年3月に総選挙を控え,なお政情が不安定で,企業家が慎重となっていること,などが挙げられる。投資補助金の実施についても,82年2月に閣議決定されていたが,与野党間の抗争から法案成立が遅れたため,その効果は7~9月期までの段階ではまだ表われていないとみられる。
また,82年上期には,小幅賃上げを背景に労働コストの上昇率がやや鈍化し,企業収益も増加をみせたが,7~9月期には生産の落込みもあって再び労働コストが上昇し,企業収益も横ばいにとどまったことも影響しているとみられる。
82年8~9月に実施されたIFO経済研究所の投資予測調査をみても,製造業の粗固定投資は82年に実質7%減と前回(3~4月)調査の5%減よりも下方修正されており,83年についても前年比横ばいにとどめるとしている。
実質建設投資は,80年1~3月期をピークとして減少に転じ,厳冬の影響とその反動などから多少の変動はあったが,82年1~3月期まで減少傾向にあった。その後,4~6月期,7~9月期と持直し(第3-1図),7~9月期は1~3月期に比べ8.5%増となっている。
特に,住宅建築の持直しが大きい。新規受注数量でみると(第3-2図),81年10~12月期のボトムに対し,82年7~9月期は20.2%増となった。このように住宅建築が回復してきたのは,①82年7月末から,減価償却の割増償却限度額が引上げられたこと,②80年夏のピーク時には前年比11.7%も上昇していた建築価格が,82年夏には2.8%へと鈍化してきたこと,③住宅抵当金利も81年9月の11.91%に比べ82年末には9%台へ低下していることなどの理由が挙げられる。
またコール新政権は,景気対策として住宅建築の促進に重点を置いているため,83年も住宅建築は引続き回復するものとみられる。
産業用建設も,新規受注数量をみると,82年1~3月期をボトムとして持直してきている。
一方,公共建設は,大幅財政赤字を背景とした公共投資の削減から,緩やかな増加にとどまっている。
79年に原材料の値上りを見越しての備蓄から大幅な在庫積増しが行なわれたが,その後は在庫調整が続いた。実質在庫投資の実質GNPに対する比率をみても(第3-1図),79年10~12月期の2.5%をピークに,81年10~12月期にはマイナス0.8%まで低下している。
82年上期には再び大幅に在庫が積増されたが,これは予想外の景気不振による意図せざる在庫増によるものとみられる。IFO経済研究所による企業調査をみても,製造業の完成品在庫に対する判断は,多すぎると答えた企業の割合が,82年に入ってさらに増加している(第3-3図)。
鉱工業生産は80年初をピークに80年末まで低下し,年平均で前年比0.4%減と75年以来5年ぶりに前年の水準を下回った後,81年も同1.9%減とさらに低下した。
その後82年央まで低水準で横ばい状態にあったが(第3-4図),年央以降一段と落ち込み,7~9月期は前年同期比4.6%減となった。業種別にみると,鉄鋼業の生産が同19.4%の大幅減となった他,化学も同6.5%減と落込んだ。
このように生産が急激に落込んだのは,これまで生産をかろうじて下支えしてきた輸出向け受注が82年春以降減少に転じたことによる。
製造業新規受注数量をみると(第3-4図),国内向けが,80年春以降漸減を続け,82年に入ってからもさらに低下した。一方,輸出向けは80年秋以降急増し,82年初まで堅調を維持していた。しかし,その後は急減し,7~9月期は前年同期比12.2%減となった。
このため,輸出関連が主の電機,機械,自動車の生産が7~9月期にはそれぞれ前期比4.4%減,2.8%減,4.5%減となった。
景気の悪化から,失業者数は80年春以降増加を始めた。さらに,60年代前半のベビー・ブーム期の世代が市場に参入し始めたことが,ますます雇用情勢を悪化させた。
雇用者数(季節調整値)は80年10~12月期に減少に転じ,82年7~9月期までの間に62万人も減少した。82年上期には減少テンポが緩やかになったが,7~9月期には景気悪化を反映して再び減少幅が拡大した(第3-5図)。
失業者数(同)は,80年末以降100万人台となり,82年秋にはついに200万人台へと倍増した。失業率(同)も,79年末の3.5%から,82年12月には8.5%へと高まった。これは,戦後の混乱期を除いては最悪の状態であり,75年の不況期の時は7~9月期の120万人,5.2%が最高だった。また最近の特徴としては,職に就いたことのない新規学卒者や女性の労働市場への参入が続いていることである。
企業の倒産件数をみても,82年1~9月間で,8,553件(前年同期比43.4%増)と戦後最高となっている。8月には,西ドイツ第2の総合電機メーカー,AEG-テレフンケン社も和議申請を提出した。
82年度の賃上げ交渉は,景気低迷と失業者増加が続く中で行なわれ,例年賃金リーダーとなる金属労組は,81年12月に7.5%の要求を提出した。これに対し経営者側は,賃上げ時期を3か月ずらした上,生産性上昇率の範囲内の3%を回答した。このように労使双方の主張には開きがみられたが,労組側が要求していた財政面からの雇用対策(後述)が2月に閣議決定されたこともあって,3月には4.2%で妥結した。
他の組合もほぼこれと同程度の小幅賃上げにとどまったため,全産業時間当り賃金率も上昇鈍化傾向を続け,実質賃金上昇率は81年央以降マイナスとなっている(第3-1表)。
82年に入ってからも景気はますます悪化し,失業者数が更に増加する中で,10月成立したコール政権のブリーム労相は半年間の賃上げ延期を提案した。これに対し,労組側は,実質賃金が2年連続マイナスとなっていることから,83年度には実質賃金の確保と労働時間の短縮(週40時間から35時間へ)を目標に掲げている。金属労組は83年度の賃上げ要求を12月初旬,6.5%と決定した(83年の物価上昇率4.5%,生産性上昇率を2%と想定)。
物価上昇率は,81年秋にピークとなった後,鈍化傾向にある。これは,マルクの対米ドル相場回復,石油,その他一次産品の価格低下などから輸入物価上昇率が急速に鈍化したことが主因となっている(第3-6図)。消費者物価上昇率でみると,81年10月の6.7%から,82年4月の5.0%へと低下した。工業品生産者価格も81年9月の8.9%から,82年5月には5.9%となった。
その後,82年4年には酒税が,6月にはタバコ税が,7月には郵便料金がそれぞれ引上げられたことから年央には消費者物価が一時的に高まったが(6月5.8%),その後は再び鎮静化傾向にある。
商品輸出金額は81年中に急増し,年平均では前年比13.3%増となった。これはマルクの対米ドル相場の低下による価格競争力の回復が主因とみられる。地域別にみると,OPEC諸国向けが52.9%増,非OPEC途上国向けが23.4%増と急増した。他方,西ドイツの輸出の半分を占めるEC諸国向けは8.2%増の低い伸びにとどまった。
82年春まで輸出は順調な伸びをみせ,景気の落込みを下支えしていたが,その後は減少に転じた(第3-7図)ことから,景気悪化を加速させた。これは本文第2章第1節で述べたように,産油国,非産油途上国の外貨事情の悪化から,これら諸国向けの輸出が減少し始めたことが主因となっている(本文第2-1-4表②参照)。
一方,商品輸入金額をみると,内需不振から81年は年平均8.1%増と輸出の伸びを下回り,この結果貿易黒字は大幅に拡大した(第3-2表)。
82年に入ってからも,内需不振,過剰在庫を背景に輸入は春以降減少傾向にある。1~11月間では1.9%増と輸出の同8.0%増を大きく下回った。
経常収支は,79年5月以降赤字に転じ,79年全体では65年以来14年振りの赤字(110億マルク)を計上し,さらに80年には295億マルクの赤字と赤字幅が3倍となった(第3-2表)。
しかし,貿易黒字の拡大とともに,経常収支赤字は縮小し,81年10月には2年半振りに黒字を計上するに至り,81年全体では166億マルクの赤字へと縮小した。
82年に入ってからも貿易収支黒字は拡大を続け,1~11月間で448億マルクの黒字と,前年同期の226億マルクの黒字から倍増した。このため経常収支も1~11月間で3億マルクの赤字と,ほぼ均衡状態へ改善した(前年同期は217億マルクの赤字)。
一方,貿易外収支赤字は82年も漸増を続けた。うち旅行収支赤字の拡大は小幅にとどまったものの,81年に赤字となった投資収益収支が82年も赤字幅を拡大させた。また,移転収支も82年に漸増傾向をたどった。
資本収支をみると,81年に黒字が拡大したものの,82年には再び黒字幅が縮小した。これは長期資本収支が82年1~10月間に145億マルクの赤字となったためである。内訳をみると,民間部門が80,81年の赤字に続いて,82年も赤字幅を拡大させており,また政府部門も,80,81年は積極的な対外借入れを行なったのに対して82年は,1~10月間に41億マルクの黒字へ縮小した。一方,短期資本収支をみると,EMS内でのマルク切上げを見込んでの投機的動きもあって,82年に入り黒字幅が拡大した。
第2次石油危機後,再び財政再建が重視されたが,景気低迷に,よる税収の伸び悩み,失業手当増,高金利に伴う利払い増などから,結果としては財政赤字が拡大した。連邦政府の純借入れ額でみると,これまでの最高であった1975年の299億マルク(GNP比2,9%)に対し,81年は374億マルク(同2.4%)となった。
82年についても,当初予算では歳出額を2,405億マルク,前年度当初予算比4%増に抑え,純借入れ額も268億マルクに縮小させる計画であった。しかし,予想以上の景気低迷から第2次補正後では歳出は前年度実績比5.8%増に膨らみ,純借入れ額も397億マルクと,81年を上回る既往最高を更新している。
82年2月に「雇用促進,成長,物価安定確保のための共動発議」と題する雇用促進策が閣議決定された。その内容は,① 投資補助金の支給82年1月1日から12月31日までに発注されたか,製造が開始された企業設備投資に対して10%の投資補助金を支給する(ただし,過去3年間の当該企業の平均投資を上回る部分の投資に対してのみ。機械設備については83年中に納入または製造を終えること,建築物については84年中に完成したものを対象とする)。
② 復興金融公庫を通じた中小企業および環境保全投資③ 若年層雇用対策の拡充などであり,82年~85年にわたる合計120億マルクの規模の措置である。
政府はその財源として83年7月から付加価値税を引上げ(標準税率13→14%,軽減税率6.5→7%),またその見返りとして84年1月に所得税減税を計画していた。しかし,付加価値税引上げが野党の反対にあって法案成立が遅れ,結局5月に両院協議会において,付加価値税の引上げは見送り財源は83,84年の予算の中で手当することで与野党間に妥協が成立した。
前提となった83年の実質GNP成長率はゼロ,年平均失業者数は235万人。歳出額は2,532億マルク,前年度第2次補正後比2.8%増(インフレ率を4%と見込んでおり,実質では1.2%減),純借入れ額は409億マルクとなっている(82年12月成立)。福祉関係費や補助金の削減で歳出を抑制する一方,付加価値税引上げ,無利子国債の強制割当で歳入増を図り,住宅建築促進策などに充てる計画である(第3-3表)。
第3-3表 西ドイツの1983年度連邦予算に盛り込まれた主な措置
1980~81年にかけては,インフレ抑制もさることながら,内外金利格差,大幅経常赤字を背景とするマルク相場の軟化と資本流出など対外的問題に対処するために高金利政策が続けられた。
しかし,景気停滞の長期化,経常収支の改善,物価上昇率の鈍化を背景に81年秋以降,連銀は慎重ながらも金利を引下げ始めた。さらに82年5月には従来のロンバート貸付が,81年2月の同貸付停止時の金利と同じ9%で復活し,8月には,80年5月以来史上最高の7.5%を続けていた公定歩合も7%へ引下げられた。
このように82年夏以降,国内景気梃子入れのため金融緩和が本格化し,公定歩合,及びロンバート・レートは82年8月,10月,12月と3度にわたって引下げられ,82年末現在で公定歩合が5%,ロンバート・レートは6%となっている(第3-8図)。
第3-8図 西ドイツの公定歩合,ロンバート・レート,特別ロンバート・レートの推移
金利と並んで重要な政策手段となっている中央銀行通貨量の増加率も,79~81年は目標を下回る低い伸びに抑えられていたが,82年については目標圏4~7%(82年10~12月期平残の前年同期比・の上半分を狙った運営がなされた。82年10月には最低準備率の一律10%引下ざも行なわれた。しの結果,82年の中央銀行通貨量は約6%増(同)となった。
83年の中央銀行通貨量の目標増加率は,8s年の潜在生産力成長率が1.5~2%,避けがたい物価上昇率が3.5%という前提の下に,4~7%(83年10~12月期平残の前年同期比)と決定された(82年12月)。
景気は83年前半まで落込みを続け,年後半から回復に転じるが,そのテンポは極めて緩やかなものにとどまるとみられ,実質GNP成長率は82年マイナス1%,83年はゼロとなる。
需要項目別にみると,住宅投資が各種の促進策を背景に大幅に増加するほか,輸出も,アメリカの景気回復期待等から年後半には再び上昇に転じるとみられる。しかし,個人消費,設備投資は不振を続ける。
83年の失業者数は年平均230万人,失業率は9.5%へ高まるが,消費者物価上昇率は3.5%へ鈍化し,経常収支も100億マルクの黒字へ改善しよう(82年10月発表)。
第3-4表 西ドイツ政府,民間機関等の実質GNP成長率の予測と実績
①労働コスト上昇のテンポが緩み,また利子率が低下し,政府の投資促進政策が効果を表わすことによって投資意欲が再び高まる。②住宅建築促進策の効果により建設投資が増加する。③世界経済の情勢からみて,輸出は景気回復要因としては期待できない。④個人消費は弱含みのまま推移する。などの予測から,景気が上向きに転じるのは83年後半以降となる。実質GNP成長率は82年マイナス1%,83年はプラス1%,失業者数は83年平均で225万人,失業率は9.5%へ高まるが,消費者物価上昇率は4%へ鈍化,経常収支も50億マルクの黒字へ改善しよう(82年11月発表)。
81年央以降,社会党政権の積極的景気対策等により緩やかに回復してきたフランスの景気は82に入り,総じて停滞してきている。82年の実質経済成長率は政府の当初見通し3.3%を大きく下回る1%前後になったとみられる。
これは経済政策の修正等から景気回復の柱であった個人消費が次第に鈍化し,設備投資も不振が続いているためである。また純輸出も82年前半にはGDPのマイナス要因となった。
貿易収支赤字の急増,高インフレなどが続いているため,フランもしばしば売り圧力にさらされ,6月にはミッテラン政権成立後2度目のフラン切下げが行なわれた。もっともインフレはその後の賃金物価凍結措置により年末には4年振りに一桁台へ鈍化した。また雇用情勢も年央以降は失業者数が横ばいで推移するなど小康状態となった。
こうした中で政府は,それまでの景気・雇用を重視した景気刺激型からインフレ抑制しフラン防衛を目的とした緊縮型への政策の大幅修正を余儀なくされた。
83年もフランスの景気は停滞するとみられている。政府の緊縮型政策は,社会党の公約である公共部門を中心とした雇用の大幅拡大,社会福祉の拡充による不平等の是正などとは本来相入れないものであり,政権の支持基盤である労働組合のコンセンサスをいかにして得続けるかが今後の経済政策運営の大きな課題である。
81年央以降の景気回復の原動力となった個人消費は82年に入ってからも底固く推移したものの,個人消費(実質GNPベース)の前期比伸び率は,82年1~3月期以降,1.5%,0.7%,0.4%と次第に鈍化してきている(第4-1図)。また小売売上数量でみても4~6月期までは,高水準で推移したものの年央以降は落ち込んでいる。こうした消費の鈍化は,6月以降賃金凍結により所得の伸びが鈍化したことが大きく影響しているものとみられる。
品目別にみると,耐久財消費が堅調であり,とりわけ自動車販売の好調が顕著である。82年1~11月の乗用車登録台数は81年同期比11.2%増加しており,82年全体では,200万台を突破して79年の記録を更新するとみられている。
経済政策の緊縮化移行に伴なって,社会保障給付等の移転所得の伸びは鈍化することなどから今後可処分所得の大幅な増加は期持できない。INSEEの景況調査でも82年央以降,消費者信頼感は大幅に悪化しており,先行きの個人消費の鈍化を示していると言えよう(第4-2図)。
81年以来の設備投資の不振は82年に入っても続いており,景気停滞の大きな原因になっている。
企業設備投資は,81年に前年比3.5%少した後,82年に入っても4~6月期に一時増加したものの7~9月期には前期比2.1%減となるなど基調的には依然不振が続いている。これは,企業収益の悪化,高金利などに加え社会党政権の経済政策に対する不信感が経営者の間で根強いためである。政府は企業設備投資拡大策として,5月に決定した82年度補正予算案の中で,①職業税(不動産等の賃貸料,給与支払い総額等を基準に課される地方税)の50億フラン減税,②国有化企業の投資梃子入れとして30億フラン供与等を決定した他,11月には,①政府系金融機関の長期貸出金利の特別軽減(軽減額は約40~50億フラン),②減価償却の加速化(製造業,土木・建設業の設備投資について初年度から30~40%の償却を認める),③社会保険料率の据置き期間を83年6月まで延長することなどを内容とする企業負担軽減措置を発表した。
また政府は国有化企業(工業部門11グループ)の83年度設備投資額を270億フラン(82年度180億フラン)とし,政府資金を大量に注ぎ込む計画を発表するなど,国有化企業への介入を強める形で投資拡大を図ろうとしている。
また住宅投資も高金利などから不振が続いており,民間住宅着工件数は82年1~7月で前年同期比18%減となっている。
在庫投資は82年前半はフラン相場の切下げを予想して輸入業者が積極的に在庫積増しを行なったことなどから,実質GDPの押し上げ要因となった(OECDによれば82年前半はGDP寄与率年率2.0%)。しかし後半になると在庫過剰感から再び在庫調整が始まったものとみられGDPのマイナス要因となったと見込まれている(OECDては82年後半の在庫投資の寄与率は△0.5%とみている)。
81年央以降増加し始めた鉱工業生産(土木・建設を除く)は82年に入ってからは低迷を続け,夏場以降は一段と落ち込んでいる(第4-3図)。これは82年に入って外需を中心に需要の落ち込みが顕著となり,在庫水準が高まり始めた結果,再び在庫調整の必要がでてきたこと等を反映したものとみられる。部門別にみると消費財は堅調な個人消費を反映して比較的高水準で推移している。とりわけ自動車生産は好調な販売を背景して伸びが目立っている。一方資本財・中間財は,設備投資の不振から減少幅が大きくなっている。
INSEEの景況調査によると年央以降,企業家の景況感は一段と悪化しており,先行き生産の減少を見込む者が増加している。今後も消費の鈍化,投資の不振などを反映して生産は低迷を続けると予想される。
政府は雇用問題を最優先課題として取り組んできたにもかかわらず,雇用情勢は依然厳しい状態が続いている。失業者数(季節調整値)は政権成立時の174万から1年間で約30万人増加して205万人程度となった。また雇用者数も減少を続けた(第4-4図)。政府は雇用・失業対策として,①公共部門による直接的雇用創設(81年5.4万人,82年6.1万人),②ワークシェアリングの推進,③職業訓練の充実による若年者雇用の拡大等の政策を打ち出した。
これらのうち,政府はワークシェアリング政策を特に重視し,法定週労働時間の短縮(週40時間から39時間へ),有給休暇の拡大(年間4週間から5週間へ),公的年金受給開始年令の引下げ(65才から60才へ)などを公約通り実施した。政府はこうしたワークシェアリングを具体的雇用に結びつける方策として「連帯契約」(注)という奨励策を82年1月に創設した。政府の試算によるとこの奨励策により82年1~9月間に18.7万人の雇用創出があったとされている。こうしたこともあって年央以降は失業者数の増加が止まっているとされている。
また政府は,失業者の増加により赤字拡大を続ける失業保険会計(82年末120億フラン,83年末370億フランの赤字と推定されている)を立直すため,失業保険掛金を1.2%(経営側0.72%,労使側0.48%)引上げるとともに,失業保険給付額も引下げることを決定した。
今後の雇用情勢についてみると,政府は緊縮政策の長期化を明確にしていることなどから失業者は再び増加し始めるとみる向きが一般的である。
賃金・物価は81年央以降,騰勢を強めたが,政府の実施した賃金物価凍結置により82年以降急速に鈍化した。
まず物価の動きを消費者物価上昇率(前年同月比)でみると81年央以降騰勢を強め81年11月には14.3%まで上昇し,82年に入ってからも年央までは13~14%の高水準で推移した。政府はEMS内でのフラン切下げに付随して,6月11日から10月30日までの期間,農産物,生鮮食料品,エネルギー製品等を除2く全ての物価の凍結措置を実施した,この結果,消費者物価上昇率は大幅に鈍化し10月には9.3%と4年振りに一桁となった(第4-5図)。
政府は11月以降についても,83年の消費者物価上昇率を8%におさえるため,業者の自由な価格決定を行なわせず,ガイドライン方式により物価を引続き抑制する方針を発表している。
賃金上昇率も,81年央以降騰勢を強めた。賃金上昇率を時間当り賃金上昇率(生産労働者ベース)でみると,80年から81年初にかけて鈍化したものの(80年4~6月期16.0%から81年1~3月期14.2%),その後は再び騰勢が強まり,82年1~3月期は18.5%となった。こうした賃金の大幅上昇の要因としては,まず政府が社会的不平等を是正するために法定最低賃金(SMI C)を物価上昇率以上に引き上げたため,これが他の賃金水準をも押し上げたことがあげられる。さらに,82年1月より週労働時間の短縮が賃金カットなしで行なわれたことも影響しているとみられる。
政府は6月の一連の緊縮策のひとつとしてSMIC受給者を除く全ての給与所得の賃金を6月以降10月まで凍結した。この結果年央以降賃金上昇率は大幅に鈍化したとみられる。11月以降も政府は賃金統制は実施しないものの,国有化企業を含めた公共部門の83年の賃上げ率は目標インフレ率(8%)内に抑制し,民間ベアは公共部門ベアを勘案するという条件付で労使間の個別交渉とすることを決定した。しかし,企業と労組間の賃金協定をめぐる協議は必ずしも順調に行なわれておらず,ストライキが続発するなど政府のインフレ抑制策の先行きは予断を許さない状況となっている。
82年の貿易動向をみると輸出は世界的な景気停滞や競争力の低下などから低迷したのに対し,輸入は堅調な消費を背景に高い伸びを示した。
まず輸出をみると82年1~11月累計の名目値では(金額ベース)前年同期比9.5%増加したが実質では(数量ベース)年初来世界景気の停滞色の強まりとともに,落ち込んでいる(第4-6図)。もっとも年央以降輸出数量はいくらか増加し始めている。一方輸入は,1~11月累計の名目値は前年同期比16.3%の高い伸びを示し,実質ベースでも82年4~6月を中心に高水準で推移した。このため純輸出は82年前半,GDPのマイナス要因となった。輸入が高い伸びを示した主因は,フラン相場の下落に伴う輸入単位の上昇,及び消費回復による自動車,家電製品等の耐久財需要の増加などである。
輸出が低迷した反面輸入は高い伸びを示したため貿易収支の赤字は82年に入って大幅に拡大した(第4-6図)。82年1~11月累計の貿易収支赤字は867億フランに達し前年同期比ほぼ倍増している(81年同期は437億フラン)。地域別にみると,西独を中心とした対EC及び対日の貿易赤字が大幅に拡大している反面,対LDC(OPECを含む)貿易赤字は大幅に縮小し,又対米赤字はほぼ81年と同水準で推移している。
こうした貿易収支の大幅な悪化や,対外債務に対する利払いの増加などから経常収支は大幅な赤字が続いている(第4-1表)。また長期資本収支もかなり大幅な赤字基調が続いている。
こうした国際収支の大幅赤字に対し,政府は10月,13項目にわたる緊急貿易赤字解消策を発表した。その内容は,①省エネルギー②輸出促進③抑入抑制④その他の4本柱からなりたっている。とりわけ輸入抑制策として打ち出された措置は,全輸入商品に原産地表示を義務付けたり,通関書類のフランス語での作成を義務付ける等きわめて保護主義的色彩の強いものである。また,VTRの輸入通関手続を内陸部のポアチェに限定する等の措置もとられた。
81年央以降続けられてきた景気・雇用重視の積極的経済政策は82年に入ってから,緊縮型の政策へ大幅に修正された。
金融政策は81年央以降,一連の景気刺激策に応じ直接貸出規制枠の拡大等が行なわれるなど,量的には緩和基調が維持されてきた。マネー・サプライM2は82年9月現在では前年同月比12.2%の伸びと目標の12.5~13.5%を下回っているが,多額の国債発行(82年の国債発行金額の合計は約400億フラン)などから82年末時点の増加率の目標値突破は不可避との見方が多い。
金利面でも政府は投資を刺激するため利下げを積極的に進めようとした。しかし,フランが再三にわたって売り圧力を浴びたことから期持した程には金利は低下していない(第4-7図)。短期基準貸出金利でみるど82年年初の14%から年末には12.75%5へ低下したにとどまっている。フランは6月にEMS調整が行なわれた際ドイツマルクに対し10%切り下げられたが,その後も依然弱含みで推移し,フランス銀行はフラン買い支えのための介入を強化したため外貨準備は大幅に減少している(IMF統計では81年4月335億ドル,82年9月160億ドル)。このため政府は9月に40億ドルの対外直接借入(13億ドル既時引出,27億ドルはスタンド・バイ・クレジット)を発表したのに続き12月にはサウジアラビアから巨額の借入れを計画しているとみられている。
政府はインフレを抑制し,フランを防衛する観点から83年の金融政策スタンスを従来以上に引締め型に転換している。ドロール蔵相は12月の国家信用理事会において,金融政策の3大目標としてフラン防衛,インフレ抑制,信用コストの適正な引下げをあげ,83年のユネーサプライM1の増加目標値を10%(年末対比,82年は12.5~13.5%)に引き下げると発表した。また83年の直接貸出規制枠についても一般貸出の増加率(年末時点での残高増加率の上限)を82年の4.5%から3%へ引き下げた。
ミッテラン政権は就任以来景気刺激のため積極的な財政政策をとってきたが,インフレの高進や相つぐフラン危機などから緊縮型の財政政策への大幅修正を余儀なくされた。82年3月にミッテラン大統領は,財政赤字をGDPの3%以内に抑制する方針を打ち出し,5月の119億フランの82年度補正予算案も付加価値税の引上げ,金融機関への特別課税等の増税により財政赤字を当初見通し(955億フラン)に抑制する政策をとった。
また9月に発表された83年度予算案(第4-2表)は歳出の効率化,節約により,財政赤字を名目GDP対比3%以内の1,178億フランに圧縮する縮縮的な内容となっている。歳出の前年比伸び率は11.8%と82年度予算の27.7%から大幅に鈍化した。歳出面では行政一般経費を実質ベースで8%削減した他,公共部門での雇用創出等も大幅に後退させた(83年度予算案1.3万人,82年度予算約6.1万人)。ただフランス経済を近代化するため研究開発費,産業関係費などは大幅に増加させた。一方歳入面では税制面における連帯と簡素化が重視されており,累進税の最高税率を60%から65%に引上げられた他,高額所得者に対する臨時付加税の存続,キャピタルゲイン課税の簡素化等が実施された。
83年のフランス経済は,個人消費の鈍化等から停滞を続けるとみられる。政府見通しは,83年の実質GDP成長率について,個人消費は鈍化するものの,総固定資本形成が増加することなどから,2.0%と見込んでいる(第4-3表)。しかし,社会党政権の経済政策に対する不信感は根強く,また利潤の減少,操業度の低下等投資環境も悪いことから設備投資が増加するかは疑問である。OECDの見通し(82年12月発表)でも,政府部門,国有企業の投資は増加するものの,民間企業投資,住宅投資が減少することから総固定資本形成ぱ減少が続くとみている(83年△1.75%)。このため,在庫投資の減少等もあって,83年の実質GDP成長率をOECDでは0,5%と見込んでいる。またINSEEの短期経済見通し(12月発表)でも,少なくとも83年前半までは景気は停滞を続け,失業も増加を続けるとみている。
物価については政府は,年平均で8.3%の上昇を見込んでいる。政府はガイドライン方式によって賃金物価を政府目標内に抑制する政策をとっている。今後,インフレが鎮静化していくには労組,企業側がこうした政策に柔軟な態度で望むかにかかってこよう。
貿易面では,輸入が景気停滞から伸び悩む反面,輸出は,フラン安による競争力の改善から回復すると予想される。このため貿易収支は依然高水準ながらも,82年よりは縮小するとみられている。因みに政府は83年の貿易収支赤字を650億フラン程度と見込んでいる。
このように83年のフランス経済は停滞が続く見込みであり,インフレ,国際収支等のファンダメンヌルズも多少の改善は見込まれても,他の欧米主要国と比較すると依然劣位にことどまろう。このためEMS内でのフランに対する圧力は続く公算が強い。
ミッテラン政権の緊縮政策は,政権の本来の公約である雇用拡大,社会保障充実などとは相反するものであり,支持基盤てある労働組合や社会的弱者層の反発が今後強まることも予想される。社会党政権が成立しでから3年目に入る83年も,難問が山積みされており,フランスの経済と社会の再活性化をはかるミッテラン大統領の真価か問われる年となろう。
1982年のイタリア経済をみると,第二次石油危機以降の停滞が長びくなかで景気の回復はなお遅れており,成長率はわずかのプラスにとどまるとみられている。
81年に前年比マイナス成長となった実質GDPは,82年も引続く投資の減少に加えて個人消費や政府消費の増加率が低かったこともあり,輸出の増加等があったものの全体では低い伸びにとどまるとみられる。こうした需要の減退を反映して生産および雇用情勢も悪化が続いている。生産は年央まで前年比で増加していたが後半に入ってからは大幅な減少に転じ,水準自体もかなり低下してきている。また失業率,失業者数とも若年層を中心にさらに悪化が続いている。物価は石油価格が比較的安定的であったこと等もあっておおむね鈍化傾向が続いている。一方対外面では世界景気の停滞等により輸出は伸びなやみをみせているが,輸入も内需の不振から減少しており,貿易収支は多少の改善がみられる。
こうした中で81年央に発足したスパドリニ内閣(共和党)は,インフレ抑制と国際収支の改善を最優先課題として,金融・財政の引締措置を実施してきた。82年に入ってからはこれらの課題が多少改善に向ったものの,財政赤字が大幅に拡大してきたため新たな引締の措置をとったところ,閣内対立が生じるところとなり,同内閣は8月と11月の2度にわたり総辞職した。後継首相には再びキリスト教民主党のファンファーニ氏が就任したが,経済政策は当面前内閣の方針を継承し,引締めぎみに運営されるものとみられている。
81~82年の需要動向をみると,GDPベースでは設備投資が大幅に落ち込んでいるものの,消費および輸出がやや増加している。また在庫はいぜん高水準が続いており,企業の受注判断も弱く,小売売上げ等も低水準に推移するなど需要は総じて弱含みに推移している。
GDP項目の動向をみると,81年中は金融引締め政策等の影響から設備投資および在庫投資が減少し,個人消費も雇用の不安定化や可処分所得の減少などから若干の伸びにとどまっている。しかし政府消費は財政支出抑制方針にもかかわらず拡大しており,結果的に消費支出の水準を一定限度下支えすることとなった。また82年に入ってからは,在庫投資が増加に転じ,政府消費も引続き拡大しているものの,設備投資が景気停滞の長期化などからいぜん大幅に減少しているため,実質GDP成長率は81年の対前年比マイナスからプラスには転じるものの増加率は低水準にとどまるものとみられている(第5-1表)。
ビジネス・サーベイ(国立景気研究所〈ISCO〉作成)により,企業経営者の受注および在庫判断をみると,81年の受注は前年の急速の落込みのあと,ほぼ横ばいで推移している。これは,為替相場軟化による価格競争力の強まり等から海外からの受注が後半多少改善がみられたのに対し,国内の受注が盛りあがりを欠いたためである。82年になってからは,世界景気の停滞による外需の不振に加え,国内景気の引続く停滞から内需も低迷しており,4~6月期,7~9月期とも81年の水準を下回って次第に悪化してきている。こうした受注の悪化に伴い,81年中高かった在庫レベルに対する判断は,82年に入ってからはさらに高まっているが,景気の現状からみてこの先しばらく企業の在庫過剰感は続くものとみられている(第5-1図)。
個人消費の動向を小売売上高と乗用車新規登録台数の動きでみると,81年中低迷していた小売売上げ高は,82年に入ってからはインフレ鈍化に伴う実質賃金の上昇もあって徐々に上向いてきている。また乗用車新規登録台数は,インフレ高進による買い急ぎ等から81年中は対前年比増加率が著しく高かったが,82年に入ってからは水準はいぜん高いものの,増加率は徐々に低下してきている(第5-2図)。
第5-2図 イタリアの小売売上数量,新車登録台数,実質賃金の動き
生産は80年春をピークとして下降が続いており,82年後半になっても回復はみられない。また雇用情勢も81年初以降,急速な悪化が続いている。
鉱工業生産は,81年7~9月期にはそれまでの下降傾向が底をうち,10~12月期,82年1~3月期と回復していくかにみえたが,その後の内外需双方にわたる不振が著しく,4~6月期,7~9月期と再び減少しており,特に7~9月期の水準は一段と低下している。生産の内訳を82年1~10月の前年同期比でみると,輸送機械や工作機械等の減少から投資財が1.7%減となった他,中間財が2.4%減,消費財が0.8%減などとなっている。
こうした生産活動の停滞を反映して,稼働率は80年7~9月期以来低水準で推移しており,82年7~9月期には70.6%に低下している。最近は特に中間財部門の低下が著しく,82年7~9月期には69.4%と70%を下回っている。
雇用情勢もこのところ悪化が著しい。特に最近では女子を中心とした労働市場への参入増加等から,労働力人口が増加している反面,景気低迷の長期化等から就業者数は伸びなやんでおり,失業率の上昇が目立っている。失業率は80年4月の7.0%を底に上昇を続けており,82年1月には9.3%にまで達したあと,その後はやや低下しているが,7月には9.2%といぜん高水準が続いている。雇用者数(大企業)の水準を業種別に1~8月の前年同月比でみると,ほとんどの業種で減少しているが特に化学や輸送機械工業での減少が著しい(第5-3図)。
79年後半から81年前半まで高騰を続けた物価は81年後半より下降に転じており,82年央になってやや上昇がみられるものの,今後もゆるやかに鈍化するものとみられている。
物価の推移を四半期別にみると,原油価格の上昇率鈍化等により81年1~3月期まで低下が続いた卸売物価は,その後の為替相場下落による輸入価格の上昇等により再び上昇したが,82年に入ってからは再び低下がみられ,82年7~9月期には前年同月比で15.0%となった。一方消費者物価は,81年央までは前年比で20%を越える上昇が続いていたが,後半より需要の減退や政府の引締政策の影響もあって低下が続いており,82年4~6月期には前年同期比15.3%となった。しかしながら7~9月期には8月に公共料金の引上げ等が行なわれたこともあって再び上昇しており,上昇率は同16.7%となった(第5-4図)。
80年後半にやや鈍化した賃金上昇率は,物価の上昇が続いたこともあって再び上昇し,物価上昇率をさしひいた実質では81年4~6月期に5.4ポイントとなった。82年に入ってからは,物価の上昇率鈍化もあって急速に低下しており,7~9月期には実質でわずかなマイナスとなっている。最低協約賃金上昇率(鉱工業)は,80年10~12月期には前年同月比20.8%とそれまでより鈍化をみせたが,その後再び上昇し,81年4~6月期には同24.6%となった。7~9月期以降は再び一貫して下降しており,82年4~6月期には同16.2%となっている(第5-5図)。こうした賃金上昇率鈍化の背景には,物価上昇率の鈍化とともに,今回の賃金協約改訂交渉において雇用情勢の悪化を背景に,使用者側が労働コスト上昇の抑制をめざして厳しい姿勢をとって(前年同期比)いることも影響しているものとみられる。また経国連は82年5月,スカラ・モービレ(賃金の物価スライド)制度(現行の制度は83年1月に協定期限が到来する)の廃止を労働組合に通告したが,これに反発して労働組合は抗議ストを行っている。
80年に大幅な悪化をみせた国際収支は,81年央になって改善し,82年初には再び悪化したものの,その後はおおむね改善傾向が続いている。
貿易収支(通関ベース・季節調整値)の動きをみると,80年から81年前半にかけて大幅に悪化したあと,81年後半から82年前半にかけては改善傾向が続いている。輸出は81年中は為替相場下落による価格競争力の強まりや不況による国内需要の減退に加えて,地域的にはアメリカ,OPEC向け等の増加から,前年比29.0%増と大幅に増加(80年は同11.6%増)した。82年に入ってからは世界的景気停滞による需要の減退から1~3月期には増加(前期比14.7%増)したものの,4~6月期,7~9月期と2期連続の減少となっている。一方輸入は81年は為替管理の強化等による輸入抑制策や原油価格の鈍化傾向もあって,前年比21.4%の伸びにとどまった。82年に入ってからも内需の低迷等から,1~3月期には多少増加したものの,4~6月期には減少し,7~9月期も低い伸びにとどまっている。こうした輸出入の動向を反映して,81年4~6月期に5.5兆リラと拡大した貿易赤字は,10~12月期には2.9兆リラまで縮小した。82年1~3月期には再び5.0兆リラよで拡大したが,1~1O月の前年比でみると15兆リラの赤字となり,赤字幅は前年(同16兆リラ)より縮小している。貿易収支(原数値)を石油収支と非石油収支に分けてみると,80,81年と大幅な赤字となった石油収支は,82年になってからも為替相場の下落による原油輸入価格の上昇等から1~9月の前年比で20.2%増となっている。また非石油収支は,80年の赤字から81年は黒字となったあと,82年も大幅な黒字が続いており,1~9月の前年比では約2.2倍の伸びとなっている(第5-6図)。
(外為ベース)経常収支は,81年には貿易収支の赤字縮小や観光収支の黒字拡大もあって赤字幅が80年よりも縮小(10.1兆リラ→7.7兆リラ)したがって82年に入ってからは,1~6月では81年とほぼ同様に推移している。
総合収支は81年には資本収支の急速な改善もあって,80年の6兆リラの赤字から1.5兆リラの黒字に転じたが,82年1~3月期の大幅な赤字から1~9月ではいぜん赤字となっている(第5-3表)。
第2次石油危機以降の景気の停滞が続く中で,政府の経済政策は81年に引続き,82年もインフレの抑制と国際収支の赤字縮小をめざした緊縮型の経済運営がはかられた。これには81年央の政権交替により戦後始めてキリスト教民主党以外の政党で首相となったスパドリニ氏(共和党)が,自党の政治的基盤の弱さもあって慎重な経済政策を展開せざるをえなかった面も影響していたものとみられる。
金融政策をみると,貸出規制等の金融の量的管理は引締めぎみに運営された一方,金利は引下げ傾向にある。中央銀行の市中金融機関に対する貸出規制は,81年末には貸出規制枠を従来同様厳めに設定して継続した。82年になってからはリラ軟化の進行に伴い,為替相場の一層の軟化を見越した輸入業者からの借入れが活発となってきたため,貸出規制の一層の強化が5月末より実施された。こうした中で,最大の民間銀行であるアラブロシアーノ銀行が出資子会社の倒産から経営危機におちいるなどの事態が生じたため,貿易省は8月,海外持株金融会社に対する規制を強化した。一方公定歩合等の金利は,82年に入って世界的に金利低下傾向にあること,インフレも81年に比べ多少鈍化がみられること,失業の急増など景気の停滞が長期化してきていることなどのため引下げがはかられており,8月には公定歩合が1年5か月ぶりに1%引下げ(19.0%→18.0%)られた他,プライム・レートも3月と8月にそれぞれ0.7%,1%(21.0%-19.25%)づつ引下げられた。
財政政策はインフレ悪化と財政赤字拡大の懸念から総じて引締めぎめに運営されてきたが,公的企業の赤字が予想以上に拡大したこと等により年度前半の財政赤字が予想以上に拡大し,82年全体では当初予定の50兆リラを大幅に上回る70兆リラに達するとみられている。こうした中でスパドリニ内閣は,7月末に付加価値税率の引上げ等の歳入増加措置および公共料金引上げ等の歳出削減措置をうちだした。しかしながらこの措置をめぐって生じた閣内不統一から8月7日にはスパドリニ内閣は総辞職した。このあと8月23日に再び同一閣僚による第二次スパドリニ内閣が成立したものの,再び閣内不統一が表面化し,11月13日内閣は再度総辞職した。後継内閣は,12月1日にファンファーニ上院議長(キリスト教民主党)が組閣したが,総選挙間近との観測もあり経済政策は当面前内閣の方針を継承し引締めぎみに運営されるものとみられている。
83年度予算案は,7月末に決定された原案が政府内で検討されているが,内容は財政赤字を60兆リラ以下に抑えるために歳出の削減と歳入増加をめざした緊縮型となっている。
83年の経済見通しをみると,政府は実質GDP成長率を0.8%増と82年の1.0%増よりやや低下するとみている。また12月発表のOECD見通しによると実質GDPは1/4%増とさらに低い伸びが見込まれている。これは内需の引続く停滞傾向に加えて,経常海外余剰も横ばいにとどまるためとみられる。内需の内訳をみると,景気停滞の長期化から固定投資の減少がいぜん続くものとみられ(82年の23/4%減から83年は4%減),政府消費が引続き比,較的高い伸びを示すものの(2%増→13/4%増),個人消費の伸びはいぜん鈍いため(1/2%増→1/2%増),国内最終需要は横ばいにとどまるとみられている。輸出はOECD諸国向け,OPEC諸国向けともに振わないため増加率は低下し(53/4%増→2%増)。輸入も内需の全般的な不振を反映して増加率は鈍化するものと見込まれている(33/4%増→2%増)。この結果経常海外余剰も横ばいにとどまるとみられている。
政府の見通しによると,消費者物価上昇率は82年の16.3%から14.0%へとゆるやかな鈍化が見込まれる一方,貿易収支赤字幅は13.1兆リラから6.3兆リラヘ,また経常収支赤字幅は9.9兆リラから1.3兆リラへとそれぞれ縮小が見込まれている。
オーストラリア経済は80年初来内需中心の拡大を続けてきたが81年末から後退局面に入った。これは世界景気の低迷から減少傾向にあった輸出が大幅減となったことに加え,一次産品市況の軟化などから大型資源関連投資プロジェクトが延期されるなど,成長を主導してきた民間設備投資が急速に不振に転じたことによる。さらに堅調に推移してきた個人消費の減少,干ばつによる農業生産の急減も加わって景気は82年央に不振の度を強めている。この間実質GDPは80/81年度(7~6月)3.8%増,81/82年度3.2%増,82年7~9月期前期比0.6%減となった。
生産活動が不振に転じる一方賃金コストは大幅な上昇を続けて企業収益を圧迫し,雇用調整の進展,失業増加を促した。
物価上昇率も81年末より2桁で推移している。一方高水準にあった金利は82年央来低下傾向にある。
こうした中で政府は公共投資,政府消費を増額した景気浮揚型の82/83年度予算案を8月議会に提出した。同予算で所得税減税を盛り込む一方,物価,賃金の抑制を図るため12月には6か月及至1年間の賃金凍結も決定した。
需要動向
(1)個人消費に悪化の兆し
実質可処分所得の増加を背景に個人消費は80/81,81/82年度と堅調に推移した(実質GDPベース,各3.2,4.0%増)。この間自動車など耐久財への支出が大幅に増加し,衣服,家賃への支出がこれに次いだ。しかし景気後退,失業増加が進む中で82年7~9月期には好調であった乗用車販売が前期比2.2%減(名目)となり,堅調であった小売売上高も0.8%増(同)と伸びが鈍化したため実質個人消費は同0.6%減となった。一方緩慢な上昇傾向にあった貯蓄率は4~6月期の12.5%から7~9月期に13.0%へ上昇した。
民間住宅投資は資金供給不足,地価や建築資材価格の高騰などから81年央以降不振を続けている。これを住宅建築許可件数でみると80年の25.3%増の後81年1.7%増,82年1~10月計前年同期比24.1%減と急速に悪化している。
民間設備投資(実質GDPベース)はプラント設備を中心に80/81年度18.9%増,81/82年度18.5%増と急増して成長を主導してきた。しかし市況の悪化,海外の需要減などから資源関連大型投資プロジェクトが延期される中で82年に入って1~3月期前期比13.8%減,4~6月期2.1%減,7~9月期8.4%減と急速に減少している。民間企業新規設備投資支出額(名目)も81/82年度の26.6%増から82/83年度は6.0%増と急速な伸びの鈍化(うち鉱業部門49.9%増→21.4%増,基礎金属52.2%増→27.8%減)が見込まれるなど,今後の見通しも明るくない。
生産・雇用
工業生産は80年の横這いから81年に2.8%増と増加したが同年央より減少傾向に転じ,最近では82年4~6月期前期比2.7%減,7~9月期3.7%減と急速に落ち込んでいる。この間金属・機械機器,非鉄金属の減少,輸送機械,動力(ガス,電気)の増加が大きかった。なお在庫の積み増されてきた輸送機械は,乗用車販売が減少に転じる中で9月の生産が前月比6.0%減となり,今後も減少と見込まれている。
雇用の伸びは80/81年度の2.7%増から81/82年度に1.2%増へ鈍化した後82/83年度に入って横這いで推移している。また金属加工,鉱山,建設業など多くの分野で雇用の調整も進んでいる。これは生産活動の低迷に加え,高率の賃上げ,労働時間短縮の動きから企業収益が悪化していること,海外の需要減などによる。失業率も81年6月の5.3%まで改善した後12月6.0%,82年11月8.6%と急上昇し,1930年代来の高水準となっている。
物価・賃金
消費者物価上昇率は81年10~12月期に1年振りに2桁台(11.2%)に上昇し,更年後も1~3月期10.6%,4~6月期10.7%,7~9月期コ12.3%と高水準にある。この間食料品価格,交通費(82年初まで)は低い伸びにとどまったものの①医療費(81年9月より健康保険の個人負担分増額),②間接税(81/82年度増税,82/83年度増税及び新規賦課),③電力,燃料など州内公共料金の引上げ(81/82年度の州への交付金引下げに対処),④住宅維持費などは一貫して物価押し上げ要因となった。こうした要因の背景には高率の賃上げによるコスト増,豪ドル軟化による輸入物価上昇がある。
賃金の物価インデクセーション廃止後も大幅な賃上げが続く中で,官民両部門の6か月及至1年間の賃金凍結が決定された。
81年7月の同制度廃止後においては賃上げに関する労使間の合意が賃金調停仲裁委員会によって承認された。まず①12月の金属産業の週25豪ドルの賃上げ決定に続き②82年5月までに石油,運輸,自動車など主要民間部門でこれに準じた賃上げが承認された後③6月には金属,建設など多くの部門で週14豪ドルを標準とした追加の賃上げがあった。公共部門でもこう;した民間の動きに準じてブルーカラー,ホワイトカラーなど部門別の賃上げが決定された。また金属産業では81年12月に賃上げと同時に82年3月からの週38時間労働が承認され,これを契機に労働時間短縮の動きが広がって賃金コストの上昇はさらに加速された。以上の結果男子平均週給は81年7~9月期の前年同期比11.4%増から10~12月期13.1%増,82年1~3月期17.0%増,4~6,7~9月期16.4%増と,74,75年の20%台に次ぐ高い伸びを記録している。
こうした賃上げ圧力の物価,雇用への悪影響に対処するため,政府は12月7日連邦・州政府の1年間の賃金凍結を全国州首相会議に提案し,実施期間にばらつきはあるが全体として同意を得た。これにより連邦政府職員の1年間賃金凍結法が議会を通過し,また凍結から捻出される3億豪ドルを雇用促進の財源とすることも同時に決定された。各州においても6か月及至1年間の凍結法案立法化が進行している。民間部門については23日,賃金調停仲裁委員会が6か月間の凍結に同意した。
貿易・国際収支
81/82年度の貿易収支は33.6億豪ドルの史上最高の赤字となった(前年度は3.2億豪ドルの赤字)。これは世界景気の低迷から一次産品輸出が総じて伸び悩み(石炭,鉄鉱石は好調,砂糖,小麦,食肉は大幅減),輸出全体も1.2%増にとどまる一方,輸入が原油,化学品,資源開発関連の機械・輸送機器などを主に17.0%増と伸びたためである。恒常的赤字の費易外収支も58.5億豪ドルの大幅赤字となり,経常収支は92.0億豪ドルの記録的赤字となった。
一方資本収支は民間部門100.7億豪ドル(高金利を背景とした流入が中心),政府部門4.9億豪ドルの入超となり,全体では経常収支赤字を上回る105.6億豪ドルの巨額の入超となった。
しかし82/83年度に入って7~11月間に輸出(季節調整値)は前年度の豊作による穀物や食肉輸出の増加,石炭引取りの一時的集中などから前期比6.9%増となる一方,輸入(同)は内需の不振を反映して同3.8%減となり,貿易収支赤字幅(同)は前年同期の15.9億豪ドルから9.5億豪ドルヘ縮小した。もっとも輸出は今後干ばつの影響で大幅減が見込まれている。経常収支赤字幅も同期に前年同期の39.5億豪ドルから35.1億豪ドルヘ縮小する一方,資本収支は海外(特に日本)の公債購入の急増,政府部門の借入れ増から前年同期の24.6億豪ドルを大幅に上回る50.4億豪ドルの入超となった。
財政・金融
通貨供給量(M3)の伸びは外資の大幅流入を主因に80/81年度末6月12.7%と予算策定時予測値9~11%を大幅に上回った。しかし81/82年度に入って,財政・金融の引締め強化などからM3は81年12月10.6%,82年3月10.3%と伸びが低下してきた。その後外資の大幅流入,商業銀行の貸付増などから5月12.3%にまで上昇したものの年度末6月は11.4%と予測値10~11%をやや上回るにとどまった。以後も政府債券購入の著増などから10月10.2%にまで伸びが鈍化している。このように80/81年度より流動性がタイト化したことやインフレ高進,海外の高金利などにより各種金利は81/82年度に急上昇した(10万豪ドル以上当座貸越金利81年7月15.75%→82年4月17.50%など)。その後海外の金利低下や国内経済悪化などから年央以降低下傾向にある(同9月17.0%→10月16.5%→12月15~16%)。
81/82年度財政赤字幅は前年度の11.1億豪ドル(対GDP比0.9%)からさらに縮小して5.5億豪ドル(同0.4%)となった。これは公務員,軍人への給与増や失業給付,利払いが予測を上回ったため歳出が予算を1.1%超過したものの,歳入が所得税収増などから前年度比15.9%増と大幅に増加したことによる。82/83年度予算案(8月17日議会提出)はこれまでの引締めスタンスから拡大に転じ,所得税減税や社会福祉充実諸策を盛り込む「ファミリー予算」と称するものであった。歳入は間接税増税や個人所得税の自然増がある一方,法人所得税の減収(減税,景気低迷による)により11.3%増にとどまる一方,歳出は社会保障・福祉,住宅,運輸通信などの大幅増から13.9%増と前年度と同率の伸びとされていた。しかしその後干ばつ救済用補助金や失業手当が予測を大幅に上回るなど,歳出の予算超過が懸念されている。また歳入も各税収が不景気や貨金凍結を反映して予測を下回るとみられ,赤字幅は当初見積りの16.7億豪ドル(GDP比1%)を大幅に上回ると懸念されている。なおこれに先立ち7月に政府は急速な経済悪化に対し,石炭輸出税廃止,減価償却期間の短縮など一連の産業援助政策を発表した。
経済見通し
同予算案と同時に発表された82/83年度経済見通しは,12月14日,さらに下方改訂された。まず実質GDPの伸びは当初見通しの微減から2%減へと改訂された(うち個人消費1.5%増→横這い,民間固定投資15%増→15~20%減,輸入前年度並み(12.6%増)→減少。非農業部門横這い→微減,農業部門の不振さらに深刻化など)。また失業率は8%から10%へ,賃金上昇率は凍結実施により12%から11%へと改訂された。その他M3の伸び予測値9~11%(予測方法は年度末6月から月平均値へ変更),消費者物価上昇率10.75%(前年度10.4%)などの予測は当初のままであった。またOECD見通し(82年12月発表)では実質GDPの伸び82年0.75%増,83年0.5%増,(個人消費2.5%増,1%増,総固定資本投資1.25%減,0.75%)減など,消費者物価10.5%,10%,工業生産両年とも0.75%増などとなっている。
このようにオーストラリア経済は他の先進国よりやや遅れて景気後退に入り,高インフレ,高失業下で内外需とも当分悪化が続くと見込まれているが,賃金凍結によるインフレの沈静化や,83年末ごろからの世界景気回復の実現による83/84年度からの回復が期待されている。
ニュージーランドでは80/81年度(4~3月)の内需の不振による軽い景気後退から81/82年度は従来の輸出主導型と異なって,消費,投資の内需拡大による景気回復となった。この間実質GDPは0.1%減から3.5%増(速報値)へと拡大した。しかし81年末より回復の足取りは鈍り,82年に入って停滞色を強め,年央以降急速に悪化している。これは輸入の著増,輸出の伸び悩みなどによる経常収支赤字幅の拡大,高インフレなどによる実質個人可処分所得の減少などによる。また大幅な財政赤字ファイナンスの必要も加わって流動性が急速に逼迫し,各種金利は高水準で推移している。政府は82年6月の物価・賃金等凍結令の発表に続き,8月にこれと抱き合わせた所得税減税も盛り込んだインフレ抑制型予算を発表した。
小売売上高(実質,総額)は81年初来高率の賃上げによる実質所得増から好調に推移してきたが(1~3月期前期比1.5%増→7~9月期同2.5%増),10~12月期の同0.6%減後82年に入って1~3月期同0.8%増,4~6月期同0.7%増と伸びが鈍化した。今後も実質所得減から不振が予想される。また主要な景景指標である乗用車新車登録台数も81年から82年前半までの好調(81年7月~82年6月間の月平均8千台,前年度同7.1千台)後,7,8月と連続2ケ月同6.9千台と大幅に減少した。9,10月も大幅な減少が伝えられている。
住宅建築許可件数は81/82年度に金融緩和,海外への移民減から月平均1.6千戸,前年度比31.6%の著増となったがその後4~6月期同1.5千戸,7~9月期同1.3千戸と抵当資金の減少により急速に減少している。
民間固定資本投資は81/82年度に37.1%増と前年度の19.2%増から大幅に増加した(政府部門11.0%増-30.5%増)。82/83年度にはエネルギー開発関連投資は引続き好調ながら全体では19.7%増と伸びの鈍化が見込まれている(NZ経済研究所予測)。
生産活動を製造業生産指数でみると,81/82年度の8.6%増(前年度は6.0%減)後82年4~6月期は年率5.1%増と伸びが鈍化している。今後実質所得減による消費支出減から不振が予想されている。
労働市場をみると,81/82年に生産の拡大にも拘らず失業は悪化した。既ち81年5月~82年5月間に労働力人口1.4%増に対し雇用は0.7%増にとどまり,登録失業者数と失業対策事業従事者計の失業率はこの間4.9%から5.5%に高まった。これは卸・小売・製造業などで内需の拡大を長続きしないとみてこれに労働時間の延長,在庫取り崩しなどで対応したことによる。今後も景気の停滞,海外への移民減から,主要投資プロジェクトを除き雇用情勢の悪化が懸念される。
消費者物価は73年7~9月期以降2桁で推移している。最近では81年4~6月期の15.1%から82年同期の17%まで期を追う毎に騰勢を増した後, 7~9月期には16.6%へと上昇率がやや鈍化した。この間食料品価格は低下したもののその他の一次産品,住宅ブームを反映した住宅関係の上昇が著しかった。また82年中の上昇は公共料金の大幅引上げ(2月28日より鉄道運賃15%,4月1日より一般家庭用電気料金15%,郵便・電話・テレックス料金20~40%引上げ等)にもよっている。こうした中で労働組合が,賃金と減税のトレードオフ(年末の賃金交渉で賃上げ率を通常の15%から10%に縮小したら,一人週当り5~10NZドル減税する)の申し出を拒絶したことを契機に,政府は6月22日,賃金,物価,地代,家賃及び金利の一年間凍結(翌日より)を発表した。なお公共料金,直接税,輸入価格の上昇分については価格引上げが認められている。また7~9月期の物価が凍結令にも拘らず高水準となったのは,住宅費等で凍結以前の数字が使われたことにもよる。
賃金(週給)は80年央以降高水準のインフレ率を上回る上昇を続けてきたが,82年7~9月期には凍結令により伸びが急減した(前年同期比80年7~9月期21.0%増→82年1~3月期16.4%増→7~9月期10.0%増)。
81/82年度(10~9月)の経常収支赤字幅は17.5億NZドルと既応最高となった。これは①輸出が世界景気の停滞,諸外国の農業保護政策,一次産品市況の悪化などから食肉,羊毛などを主に4.7%増の67.2億NZドルにとどまる一方,輸入は海外のインフレ,NZドノり切下げにょる輸入価格上昇,内需の拡大などから17.8%増の65.1億NZドルに達し,貿易収支黒字幅が2.1億NZドルへと前年度の8.9億NZドルから大幅に縮小したこと(なお輸入は82年央以降景気の停滞から伸びが著しく鈍化している),②恒常的赤字の貿易外収支が,政府借り入れの金利支払いなどから前年度の17.3億NZドルから19.5億NZドルへと大幅に拡大したことによる。この間資本収支は政府部門借り入れ,民間部門の大型プロジェクトへの投資などを主に8.2億NZドルから19.5億NZドルへと黒字幅が大幅に拡大した。
なお為替制度は79年来採用されてきた小刻みかつ頻繁な調整方式(これによりNZドルは1か月約0.5%ずつ切り下げられてきた)であるクローリング・ペッグ・システムが6月末廃止され,73~79年に採用されていた必要時にのみ調整する以外は対通貨バスケットの価値を固定する方式の管理フロートへ移行された。これは輸入価格変動の物価への影響を緩和することを主目的としたものである。
通貨供給量(M3)は81年中に景気拡大,低金利政策などから急速に増加(80年末12.5%→81年9月末17.9%)した後,同年末より急速に伸びが鈍化した(81年12月16.7%→82年8月10.8%)。こうした中で各種金利が急上昇したため(CD金利81年11月14.1%→82年4月18.5%など),政府は6月発表の物価・賃金等凍結令に預金金利の上限設定や貸出金利規制枠の拡大を盛り込んだ。以後金利は高水準ながらやや低下した(1年物ファイナンス・カンパニー金利6月16.4%→8月15.8%など)。
政府は8月15日,インフレ抑制型82/83年度予策案を発表した。その特色は①賃金凍結による実質賃金減を補充する所得税減税(10月1日より),②財政赤字の増加を抑えるための歳出の伸びの大幅な抑制である。赤字幅は前年度の19.2%増から3.3%増と抑制されたが,対GDP比では同6.4%から6.8%への上昇が見込まれており,経済への悪影響が引続き懸念されている。
歳入は所得税減税による税収減を間接税引上げなどで補い11.4%増(前年度21.6%増),歳出は農業(最低価格保証制度による),エネルギーなどの産業開発が高い伸びを維持した他は,福祉国家として重点を置いてきた社会福祉,教育,医療部門を初め,軒並み伸びが大幅に抑制及至減少されて10.3%増(同21.3%増)と見込まれている。
このようにニュージーランド経済は82年に入ってインフレ対策が講じられる中で停滞の一途を辿っている。主要エネルギープロジェクトの好調による民間固定資本投資の増加はあるが,その設備は輸入に頼る部分が大きく,輸出の伸び悩みと共に経常収支赤字幅を拡大させる要因ともなろう。こうした中でオーストラリアとの貿易障壁を長期的に(1995年までに)撤廃するCE R協定(83年より実施予定)にも時期尚早との批判が高まっている。また凍結解除後の物価・賃金の動向も懸念される。
82/83年度についてNZ経済研究所は実質GDPl%増,インフレ率15.5~16%台,失業率は各種資源開発プロジェクトの推進からやや改善して3%台と予測している。またOECD見通しでは実質GDPを81年の3.9%から82,83年とも1%へ鈍化するとしている。
韓国経済の景気は81年に急回復したが,この間も企業の設備投資は力強さがみられず,81年秋頃から82年中にかけ輸出の伸びが著しく鈍化したこともあり,82年には工業生産が不振となり,景気は再び停滞局面に入った。特に輸出依存度の大きい同国経済にとって輸出不振の痛手は大きく,82年後半に兆しがみられた内需中心の景気回復の足を引っ張っている。もっとも,こうした景気停滞を反映して物価上昇率は5%程度に安定し,貿易収支赤字幅も大幅に縮小している。
政府は82年年初から年央まで再三にわたり金融・財政両面から景気刺激策を採っているが,経済不振の主因が外的要因にあり,国内的にも80年の不況下の物価高というスタグフレーションの苦い経験もあるため,大胆な景気刺激策が採れないでいる。83年度予算は前年比8.8%増というかつてない緊縮型となり,しかも歳入面で当初から国債発行を組込むという建国後初の赤字予算となっている。
81年の実質GNPは前年比6.4%増加したが産業別にみると(第7-1-1図),農業入その他サービス業が前年の大幅な落ち込みを回復した外,最も大きなウエイトをもつ鉱工業生産が前年比6.8%増に回復したことが大きかった。
82年に入ると実質GNPは上半期には前年同期比4.6%増と再び停滞局面に入ったが,7~9月期には同6.4%増とやや伸びが高まった。これは夏場以降の不動産景気によって建設業が大幅に増加したことによるものであり,鉱工業は依然不振である。
製造業生産の動向は第7-1-2図のとおりだが,その伸びを前年同期比でみると,81年7~9月期の15.6%増をピークにその後は再び鈍化し,82年1~3月期に5.4%増,4~6月期に3.1%増,7~9月期に3.3%増,10月に2.9%増と全く低調な伸びになっている。これは世界景気の停滞が長期化し,輸出の不振が続いているためである。
82年の米作は夏の千ばつと台風被害にもかかわらず前年の豊作(3,516万石)をやや上回る3,593万石となった。他に大麦,豆類,雑殻などを含む殻物生産全体では82年の4,949万石の後,83年にはこれを6.4%上回る5,200万石を目標としている。
需要面をGNPベースでみると,82年は建設活動の好調から投資の伸びは大きいものの,民間消費は低調であった。ソウル小売額指数を実質化してみても,82年2月以降連続してマイナスとなっており消費の弱さを示している。
81年中の消費者物価上昇率は13.6%と前年の同34.6%から大幅に低下した(第7-1-1表)。特に81年10~12月期には期間中上昇率が食料品価格の下落を主因にマイナス0.6%となった。その後,82年1~11月中の消費者物価上昇率は僅か3.6%となり,卸売物価の同期間中上昇率は2.0%であり,物価はこのところすっかり安定している。しかし総通貨供給量(M2)の伸びは6月末には前年同期比29.3%増となり,これまでの平均25%増に比べやや高くなっており,9月末の同33.6%増,11月末の同30.7%増と急増している。これは後述する「6.28措置」によって,これまでの厳しい通貨供給量管理政策を変更した結果であり,今後の物価再上昇不安の材料となっている。
もっとも,現実の物価上昇率は鎮静しており,80年,81年の2年間マイナスに陥った実質賃金上昇率も82年は9%の水準で妥結している。
貿易面をドル・ベースでみると,輸出は81年に前年比21.4%増の212.5億ドルと目標の200億ドルを上回った。しかしこれは1~9月の著増によるものであり),10~12月期以後の増加率は急速に鈍化しており(第7-1-3図),82年に入っては1桁台の伸びが続いており,82年1~10月では前年同期比4.2%増となった。世界的な景気停滞,保護貿易主義の強まりなど,厳しい環境のもと他のアジア諸国の多くが輸出の伸びがマイナスとなっている中,韓国では僅かながらプラスを維持した。
輸出構造も従来の軽工業品中心から重化学工業品中心に転換しつつあり,82年1~11月では,重化学工業品が99.5億ドルに達し輸出総額の50.6%を占めた。これは船舶・鉄鋼製品の輸出が好調であったことによる。また同期の地域別輸出シェアをみると,対米国向けが27.8%,劉日本向けが15.6%,対EC向けが12.9%であり輸出総額の約60%が先進国に依存している。
一方,輸入は81年には前年比で17.2%増の261.3億ドルとなったが,過去4年間の平均増加率26.8%と比べるとかなり伸び率は鈍った。82年に入ると,更に伸びは鈍化し前年水準を下回る月も多くなり,1~11月では前年同期比5.7%減少となった。これは国内景気停滞の長期化による輸入需要の減少,原油価格をはじめとした輸入物価が安定ないし大幅に低下したこと,農産物の豊作で米を中心に穀物輸入が大きく減少したこと等による。
国際収支面をみると(第7-1-2表),81年は貿易収支が輸出の好調から赤字幅が前年比10億ドル程減少し,貿易外収支が対外債務利子支払いの急増で赤字幅を拡げたものの,経常収支赤字幅は前年比9億ドル程縮小した。
82年に入ると,輸出入共に低迷したが特に輸入の減少が大きく,貿易収支は赤字幅が大幅に縮小したほか,貿易外収支も対外債務利子支払額の増加を上回る海外建設活動に伴う収益により赤字幅が著しく減少した。このため,1~9月期の経常収支赤字幅は前年同期の32.7億ドルから8.25億ドルへと約1/4に縮小した。もっとも資本収支面では,長期,短期とも資金導入が進まず黒字幅は大幅に縮まり,総合収支は前年同期並みの赤字が続いている(1~9月期で16億ドル)。このため,金・外貨保有額は81年末の68.9億ドルから減少傾向にあり,82年9月末には61.5億ドルとなっている。
一方,8月に発生したメキシコの対外債務返済繰り延べ要請は韓国にも大きな衝撃を与えた。現行5か年計画の終る86年末の対外債務残高を当初計画の645億ドルから500億ドルに縮小するなど外資導入枠を見直している。なお,81年末の韓国の対外債務残高は325億ドル(GNPの51.3%に相当)で,81年中の元利返済額は55億ドル(元金19億ドル,利子36億ドル)にのぼり同年の新規借款額に占める割合は42.2%に達している。しかしデットサービス・レシオ(元利返済額の対輸出比率)は13.7%で危険ラインの20%を下回っている。
82年の主な経済政策をみると第7-1-3表のように年初から年央にかけ再三にわたり景気対策がとられてきた。金利面では81年11月9日以降82年6月28日まで6回引下げが実施され,公定歩合はそれまでの15.5%から82年3月29日には5.0%に引下げられ,プライムレートは19.5%から82年6月28日には,10.0%にまで引下げられ,その後は年末現在までその水準が続いている。しかし世界景気の停滞長期化から輸出の不振が続き,年末まではっきりした景気の立直りはみられなかった。
特に5月の私債不正事件(巨額手形詐欺事件ともいう)は巨額に成長した私債市場の存在が問題となった(1972年にも私債凍結措置を実施している)。
このため,政府は7月3日に私債を陽表化する措置として金融取引を来年から実名で行う制度(金融取引実名制)を発表したが,その後の国会審議で仮名預金を一部認めること,実施時期を延期することなど大きく後退した。
なお,83年度(1~12月)予算は景気停滞の長期化で税収不振が見込まれるほか,各種減税措置もあり歳出規模は10兆4,167億ウオンの前年度当初予算比8.8%増と73年以来の1桁台の伸びに抑えられる緊縮型予算となった。
歳出内訳をみると,最もウエイトの大きい防衛費(32.8%)の伸びが5.4%と最も低く抑えられた。歳入面では税収不足分に赤字国債の発行(3,467億ウオン)を組込んだ建国後初の赤字予算となった。なお,国債発行額は国会審議の結果,インフレ誘発の懸念から政府原案(5,500億ウオン)より発行規模は縮小された。
81年8月に決定した第5次経済社会発展5か年計画(82年~86年)は,初年度の82年実績が計画を大幅に下回りそうなこと,世界景気の停滞の長期化など内外経済与件の変化に対応して大幅な修正を余儀なくされた(第7-1-4表)。主な修正点は,GNP,輸出入ともに当初計画の規模を縮小するものの,経常収支を黒字化し,対外債務残高を当初計画より160億ドル縮小したことである。
政府の83年度経済運用計画によれば,83年は経済成長率7.5%,消費者物価上昇率3~4%,貿易収支赤字幅を20億ドルに縮小させるとしている。成長率引上げの中心としては,世界経済の低成長見通しから,内需拡大に努め製造業生産を大きく増加させるとしている。ここでの不安要因の一つは,総通貨供給量(M2)増加率が82年末には30%に達し,通貨インフレの懸念があることで,このため政府は83年度経済運用計画の中でその増加率を20~22%に抑えることとしている。
台湾では第2次石油危機発生後,年を追って成長率が鈍化しているが,世界的な景気停滞の長期化による輸出と投資の不振から鉱工業生産が減少する等,82年に入って景気は一層低迷している。
実質GNPは81年の前年比5.0%増から82年上期に前年同期比3.9%増に鈍化した。82年全体でも3.8%増と目標(7.5%)を大幅に下回る見通しである。
輸出の不振を上回る輸入の大幅な減少により貿易収支の黒字は続いているが,貿易総額は1~11月前年同期比7.3%減少している。これは75年以来のことである。
また,鉱工業生産も減少しており,企業収益の悪化から企業の倒産件数の増加もみられた。失業率は82年10月に2.8%の高水準となった(81年1.4%)。
一方,物価は鎮靜化が著しい。
81年1O月より輸出・建設業及び中小企業に対する貸付増や貸付条件の緩和等優遇策の実施,機械・電子等17業種に対する投資減税の実施(10~15%)等景気刺激策を実施したが,82年4月,6月には更にその内容を拡充し,6月には公共投資の前倒し執行,投資減税適用範囲の拡大(17業種から全業種へ)等の実施を決定した。また,81年秋以降金融緩和策が採られ,8回にわたって公定歩合が引下げられている。
なお,景気の低迷により歳入欠陥が生じたこと等から83年度(82年7月~83年6月)の財政収支赤字は一層拡大するとみられており,政府は会計年度の後半に経常支出を5~10%削減することを決定しているが,景気浮揚策の一環として行われる公共投資等については優先的に配慮することとしている。
輸出は世界的な景気停滞による需要の減少,実質的にはドル・リンクしている台湾元の価格競争力がドル高により低下したこと等もあって,不振の度を強めており,81年の前年比14.1%増から,82年上期に前年同期比0.4%増に鈍化し,7~11月には同5.9%減少した。1~11月ならしてみても2.6%減少しているが,このうちアメリカ向けが6.7%増に鈍化し(81年20.8%増),日本,EC,香港向けは減少した。また品目別にみると主力の電子製品,繊維,履物,合板等ほとんどが減少しており,わずかに衣類,輸送機器,玩具等が増加した。
一方,国内景気の低迷,石油・一次産品価格の低落により,輸入は大幅な減少を続けている。81年の前年比7.4%増から82年上期前年同期比14.0%,7~11月同9.7%と大幅に減少した。1~11月では12.2%減少し,輸入の2割を占める石油が15.1%減となっているほか,機械,鉄鋼,木材等も急減している。
輸出を上回る輸入の不振により,1~11月の貿易収支は29.6億ドルの大福黒字となり(81年同期11.1億ドル),経常収支も1~9月に17.4億ドルの黒字となった(81年同期約1.0億ドルの赤字)。このため外貨準備高も急増している(81年末73.7億ドル→82年10月80.9億ドル)。
対日入超額削減のため82年2月より1533品目余りの消費財,大型トラック・バス等に対する輸入禁止措置(大型トラック・バスについてば1年間)を実施した。しかし,その後入超額が減少したので(1~11月前年同期比31.1%減の22.1億ドル),8月に842品目,11月に689品目の消費財に対する輸入禁止措置を解除した。
81年の実質固定資本形成は前年比3.1%増に鈍化した(80年15.5%増)が,82年に入って一層不振の度を強め,1~3月期に前年同期比8.2%減少したあと,4~6月期は同0.8%増と横ばいにとどまった。これは輸出の鈍化や,企業収益の悪化等により民間設備投資が不振を続げているためで,81年前年比9.7%(名目ベース)増から82年上期に前年同期比10.3%減となった。
また公営企業投資も一部の建設活動が完工に近づいていること等から82年上期に2.9%減少し(81年2.5%増),政府投資も8.9%増に鈍化している(同10.2%増)。
内訳では,建設活動は横ばい,輸送機械投資は増加しているが,機械設備投資が減少している。
一方,実質民間個人消費は所得の伸び悩みにもかかわらず,物価の騰勢鈍化もあって81年の前年比3.4%増のあと,82年上期には4.0%増加し,政府消費も増加を続けている。
鉱工業生産は輸出・投資の不振等から81年に前年比4.2%増に鈍化したあと,82年上期に前年同期比1.1%減少し,7~11月同0.1%増にとどまった。1~11月ならしてみても0.6%減となった(82年目標7.9%増)。1-11月の内訳をみると鉱業が4.9%減(81年16.2%増),住宅建設業が25.8%減(同11.1%増)と大きく減少したほか,製造業も1.4%増(同3.7%増)に鈍化した。
特に重工業の伸びは0.2%と軽工業の伸び(3.1%)を下回っている。また電気・ガス・水道業は1.9%増となった(81年1%減)。
一方,農業生産は81年に前年比0,6%減少したが,82年も畜産を除いて不振であり,前年比微減と見込まれている。
石油・一次産品価格の低落による輸入物価の安定,景気の低迷による需要減から物価は鎮静化が著しい。卸売物価は81年に前年比7.6%の上昇を示したが,82年1~11月には前年同期比0.6%下落している。また消費者物価上昇率も81年の16.3%から,82年1~11月に4.1%へと鈍化している。
こうした物価の急速な鎮静化に鑑みて,政府は81年秋より金融緩和策を採っており,81年10月以来8度にわたって累計5.5%公定歩合を引き下げている(13.25→7.75%)。
また,マネーサプライ(M2)は増加を続けており,81年の前年比13.8%増から,82年11月には前年同月比17.4%増となった。
「経済建設4か年計画(82~85年)」の2年目に当たる83年には財政・金融政策両面から輸出及び民間設備投資等の振興をはかることとなっている。実質GNPは81年実績(5.0%)及び82年実績見込み(3.8%)を上回る5.5%と目標設定されている。商品輸出・入額の伸びはそれぞれ8.1%(237億ドル),10.3%(209億ドル)となっている。また鉱工業生産の伸びは5.4%で,このうち鉱業3.0%,製造業5.5%,住宅建設業5.1%,電気・ガス・水道業を5.3%としているほか,農業2%,サービス業5.8%(運輸6.6%,その他5.7%)の伸びを見込み,卸売物価上昇率を5%以下,失業率も2%にとどめることとしている。
第4次5か年計画(1977年~1981年)の最終年に当った1981年の経済成長率(実質GDP)は7.6%を達成し,同計画の年平均成長率目標の7.0%を上回った。
しかし82年のそれは過去数年間の最低の4.5%(速報)成長であった。特に輸出は7~9月期には前年比マイナスとなるなど不振となったが,輸入の減少がより大きく1~9月期では貿易収支赤字幅は縮小している。こうした景気停滞と輸出不振は財政赤字の主な要因となっており,政府は税収増と貿易収支悪化防止のため,関税率引上げや輸入課徴金導入など輸入規制をとっている。一方,物価は極めて鎮静化し,海外金利の低下もあって政府は公定歩合を徐々に引下げている。しかし世界景気の停滞長期化から,タイの景気停滞感は深まっている。
81年のGDPは名目で前年比17.3%増加したが,この需要項目別内訳をみると,最もウエイトの大きい民間消費(対GDP比63.8%)が前年比17.0%増,そして民間投資(同15.2%)が同11.2%増と振わなかった。しかし政府消費(同12.1%)は同18.2%増,政府投資(同12.0%)は同33.4%増加しており,政府主導の成長であったとみられる。
一方,81年実質GDP成長率を産業別内訳でみると(第7-3-1表),全産業では7.6%増加し,製造業は同8.0%増,卸・小売業は同8.8%増と高く,農林漁業も前年比4.7%増(うち農業は同6.1%増)と比較的好調であった。
82年の農業生産は,北部,東北部の干ばつの影響で豊作であった81年をやや下回るとみられる。すなわち,82年の米収は精米ベースで1,100万トンと81年を6.8%下回る見通しであり,とうもろこし生産も81年の410万トンから82年は370万トンに減少したとみられている(FAO)。
鉱業生産は先進国の長期景気停滞による実需不振と国際市況の下落からすずなどの生産は大幅に低下し,81年の前年比6.6%減に続き82年1~5月期には前年同期比14.2%減と大幅に減少している。82年の工業生産は農産品関連業種に好調なものもみられるが,全体としては内・外需の減少と高金利による在庫投資の削減の影響から前年に比較してかなり不振となっている。例えばセメント生産は81年の前年比17.3%増から82年1~6月期には前年同期比7.3%増に鈍化しており,自動車生産は81年の同17.8%増から82年1~6月期には同23.2%の減少となっている。
81年の物価上昇率は卸売物価が前年比9.6%(80年は同20.1%)と大幅に騰勢が鈍化したが,消費者物価は同12.7%となり前年よりやや鈍化したものの2年連続の2桁上昇となった。
82年に入ってからは物価は急速に鎮静化している。消費者物価は前年同期比で1~3月期が8.4%,4~6月期が5.2%,7~9月期が4.3%と極めて安定している。この要因は農産物生産等の好調により食料品価格が安定していること,更に81年には各種公共料金の引上げが相次いで実施されたが82年にはエネルギー価格の安定などから逆に4月には一般家庭用電気料金の引き下げが実施されていることなどによる。こうした傾向は期間中上昇率でみると(第7-3-2表)さらに明確で,消費者物価の場合最も上昇が著しかったのは81年1~3月中であり,その後の上昇幅は小幅で82年には1.0%内に低下している。卸売物価の場合は81年10~12月以降,期中上昇率はマイナスが続いており,特に農産品価格は81年10~12月中に2.8%下落,82年1~3月中が3.3%下落,4~6月中が1.0%下落と下落が続いている。こうした物価の安定を背景に,毎年10月に改定実施している最低賃金の引き上げは,82年にはバンコックなどインフレ率の高い一部の地域を除いて凍結された。
貿易面をドル・ベースでみると,81年は輸出が前年比8.1%増,輸入が同.0%増と共に最近4年間の年平均伸び率(各々22%,27%)を大幅に下回った。この要因は,輸出は外需の停滞と世界的な穀物の大豊作にょる商品市況の低下が主因であり,輸入は通貨バーツの対米ドルレート切下げ(7月15B,8.7%)が大きく影響した。
82年に入っても先進国は一層深刻な景気停滞下にあり需要は減退し,保護貿易主義的な動きを強めた。その上,一次産品市況も不振を続けたため,タイの輸出は不振を続け82年上半期には1桁台の伸びを続けたものの,7~9月期にば遂に前年同期比減少を示すに至った(9.9%減)。一方輸入は,国内需要の不振に石油輸入の減少が加わり,81年下半期以降前年同期の水準を下回っており,82年4~6月期は同17.8%減,7~9月期には同7.0%減少した。こうした著しい輸入の減少から貿易収支赤字幅は82年には前年より縮小している(第7-3-1図)。
第7-3-2図はタイの主要輸出品の一部について価額・単価・数量の関係をみたものだが,82年に入って輸出単価が大きく低下した退のの数量の増加によって輸出価額の増勢を保っていることが判る。
82年上半期の国際収支面をみると(第7-3-3表),輸出の増加,輸入の減少によって貿易収支赤字幅は前年同期より大幅に縮小し,貿易外収支も好調であったため経常収支赤字幅は大幅に縮小し42億バーツとなった(81年同期は270億バーツ)。また,5月には世銀の構造調整資金のディスバースメントもあって(345億バーツ),資本収支黒字が経常収支赤字を相殺し総合収支では前年同期の52.6億バーツの赤字から5.3億バーツの黒字へと大幅に改善した。
タイでは為替レートの安定維持(1ドル=23バーツ)を政策目標の1つとしており,海外の高金利から公定歩合は81年7月以降基準貸付金利で14.5%と最近では最も高い水準が82年8月まで維持されるなど金融面では引締められていた。しかしその後,海外金利の低下に応じて8月10日には14.0%に,8月25日には13.5%,更に10月28日には12.5%にまで引下げられている(高率適用貸付金利は82年初の17.0%から10月28日の14.0%に引下げ)。
財政面をみると,景気停滞や輸出入不振による税収不足から政府は租税収入の増収等を目的に2月に個人所得税率の変更,新税導入等の税制改定をしたのに続き,10月15日にも①関税率の改定,②輸入課徴金の賦課(すべての輸入品に対して輸入税の10%),③消費税の引上げ,④所得税徴収制度の改善などの措置を発表した。また,83年度(82年10月~83年9月)予算は歳出規模で1,770億バーツ(約77億ドル)で前年度当初予算比9.9%増と過去5年間の平均伸び率17.4%に比べ厳しい緊縮型予算となっている。
81年10月からスタートした第5次5か年計画は,これまでの目的のような経済成長率追求ではなく,これまでの成長過程で生じた歪みを調整することにあるとしている。既ち,社会構造の調整として地方のインフラ整備に重点を移すなど地方開発を進めるとしている。なお,同計画の主な指標の目標値をみると,年平均で経済成長率は6.6%,物価は10.6%,輸出は22.3%増,輸入は18.1%増で,貿易収支は赤字780億バーツ,経常収支赤字は530億バーツとし,貿易収支・経常収支の対GDP比は各々82年の7.1%,5.4%から86年には5.9%,4.1%に低下させるとしている。
政府発表の83年輸出見通しは前年比6.7%増と従来に比べて控え目な見通しとなっている(82年は同13%増の見込み)。特に農産品輸出は82年の生産不振から前年比1.3%増に鈍化し,工業品輸出も同3.8%増とみている。
一方,タイ銀行は83年の経済成長率を約5.5%,インフレ率を5.5%と推計している。
サウジアラビアでは,過度に石油に依存する経済構造を是正するため,石油収入を源資とし,意欲的な経済開発が実施されてきた。
このような中で81/82会計年度までの経済動向をみると,物価は比較的安定し,非石油部門の生産が高い伸びを維持し,さらにGDP全体も相当伸びるなど,一定の成果がみられた。
しかしながら82年に入り,石油輸出が大幅に減少し,財政事情の悪化が懸念されるに到っている。今後,現行の経済開発速度を維持するためには海外資産を売却し,政府予算に繰入れることが必要とみられる。
第3次開発計画の初年度に当る1980/81会計年度(80年5月~81年5月)のサウジアラビア経済は,石油部門の生産の伸びが低下したものの,非石油部門の好調な伸びに支えられ,GDP(実質)が前年度の9.6%をやや下回ったものの8.1%の成長を示した(第7-4-1図)。
非石油部門では,過去2回,10年間の開発計画にもとずく政府支出によってインフラストラクチャーの近代化やヤンブー工業地帯等の地域開発の進展があり,生産の多様化がみられたところから前年比12%の伸びが維持された。
とりわけ民間部門の生産は前年度の伸びを上回り,12.7%増加した。これを付加価値ベースの生産でみると,まず生産部門では,①農林水産業で政府の奨励金支給もあって収獲面積が過去2か年に年率15%で拡大したところから生産が前年度比約12%増加し,②製造業では窯業,石油化学工業等のプラント完成によって生産が開始され,約13%の生産拡大がみられたほか,③電気・ガス・水道等でも,GDPに占める割合は小さいものの,30%の増加があった。しかし,過去5年間で最も高い成長を示した建設業ではインフラストラクチャー整備が一段落し,住宅建設の伸びも安定してきていること等から前年度比11%程度の伸びに留まった。
次にサービス部門では,国内の消費や投資の増加から流通産業で約20%の伸びがみられた。
また政府部門も前年度の10.1%を僅かに上回る11.0%の成長を示した。
以上みたように非石油部門,とりわけ民間部門の著しい成長によりサウジアラビア経済は,他の産油国と比べても順調な成長を遂げた。また,1981/82会計年度(81年5月~82年4月)においても非石油部門の生産が成長を主導する傾向が続き,GDPも前年度比12%増加したと伝えられる(ヤマニ・サウジアラビア情報相)。
1980年9月に発生したイラン・イラク紛争によって両国の石油生産が減少したことからサウジアラビアは,国際石油需給安定化のため増産を行った。
これにより81年1~6月期の生産は,日量1,020万バーレルと前年同期比40万バーレル,4.1%増加した。
この増産傾向は8月まで続いたが,その後,OPEC内でサウジアラビアの増産が消費国の石油在庫の増加をもたらしているとの指摘もあって,まず100万バーレルの減産が行われた。
さらに,11月には,サウジアラビアの主張する方向でOPEC各国の主要原油間の価格差(ディファレンシャル)が統一され,基準原油価格も2ドル/バーレル引上げられた。そこでサウジアラビアは,これらの価格水準を維持する目的もあって,生産上限を100万バーレル引下げ850万バーレルとした。
以上のことから81年のサウジアラビアの原油生産は982万バーレルで前年比0.8%減少した。
その後,世界の石油需給は一段と緩和し,サウジアラビアは82年4月以降の生産水準を700万バーレルに設定したものの,それを下回る生産が続いた。82年1~6月期で1は721万バーレル,さらに7~9月期には同国の財政上必要とみられる600万バーレルを僅かながらも下回り,592万バーレルとなった(第7-4-2図)。
サウジアラビアの石油収入は1980年に,上にみたような生産増に伴う輸出数量の増加と価格の上昇から前年比74.4%増加し845億ドルとなった。その後81年には専ら価格の上昇があり,1,012億ドルと同19.8%増加した。
サウジアラビアでは過去2桁台の物価上昇をもたらした要因である輸送能力不足が解消され,また政府の補助金支給等もあって物価は鎮静化している。
1981年の生計費(都市生活者を対象)指数の上昇率は,前年の3.7%の後,2.5%上昇に留まった。また,より広く商品・サービスをカバーする非石油部門のGDPデフレーターでみても前年の8.4%から7.8%へと上昇率は鈍化した(第7-4-3図)。
以上のような物価上昇率の鈍化要因をみると,第1に輸入物価の上昇率低下がある。ドル建て輸入物価(CIFベース)が前年比9.6%の上昇となり,サウジアラビア・リヤルの対ドルレートが1%上昇したことが加わり,リャル建ての輸入物価は前年の14.3%から8.6%の上昇に留まった。第2に補助金の支給があげられる。物価安定化のため政府は生活物資の生産及びその国内輸送に対し補助金(含む価格差補給金)を支給し,とりわけ食料品に対しては15億リヤル(約5億ドル)が支給され,このためもあって生計費中の食料価格も80年の7.5%高から81年1~9月期年率では4.7%へと上昇率は低下している。
さらに第3に外人労働者の増加を抑止し,サウジアラビア人労働者の質と量の拡大を図る,いわゆる「開発のサウジ化」のため教育投資が拡大され,そのため教育費上昇率も低下した。
上にみたように生活関連費用の上昇率鈍化によって物価の鎮静化が続いているものの,財政支出の拡大,雇用需要の増大や賃金上昇による生活水準の向上,補助金の増加傾向(81/82会計年度では食料品補助は2倍)等があり,さらに自国通貨の対ドル安もあってサウジアラビアの物価上昇圧力は未だ弱まっていないものとみられる。
1979年に大幅に伸びが低下したサウジアラビアの貿易(輸出+輸入)は,その後81年まで年率20%の伸びで増加した。もっとも82年には,輸出が世界の石油需給緩和から減少し,一方輸入は増加を続けるものとみられる。
81年の輸入(CIFベース)は1,353億リヤル(約400億ドル)と前年比22.1%増加した。
全輸入額のうち86%(81年)を占める民間部門の輸入を品目毎にみると生活関連物資の伸びが著しい。たとえば,①繊維・衣料が57%,②食料品も42%,③自動車は29%(各れも前年比)と伸びる一方,前年に79%増と最大の伸びをみせた建設用資材(セメント等)の輸入は,国内生産の増加と建設活動の停滞とによってほぼ前年並みとなった。
次に輸入先についてみると先進主要6か国(アメリカ,イギリス,西ドイツ,フランス,イタリヤ及び日本)からの輸入は全体の70%近くに達した。
もっとも国別にみると,アメリカ及び日本の2か国が全体の38%を占め,増加したのに対し,西ドイツ及びイタリヤからの輸入は5.6%減少した(81年1~6月期の前年同期比)。
以上のように,開発計画の進展に伴って増加した輸入は,82年1~6月期に年率1,430億リヤル(約418億ドル)に達し,前年同期比28.4%増と増加傾向が続いている。このような中でサウジアラビア政府は国産品の利用を促進するためもあって,マッチ,食塩,乾電池等の製品輸入に対する輸入関税を一般税率の3%から最高税率の20%へと引上げた。
一方,輸出動向をみると81年には石油輸出が数量ベースで2%減少したものの,価格が13%上昇したことから輸出全体も前年比11,4%増加して3,758億リヤル(約1,110億ドル)となった。もっとも82年に入り減少し,1~6月期には年率2,935億リヤルで24%減となった。
1980年に記録的な増加をみた経常収支黒字は81年も増加した。しかし,82年には上にみた石油輸出の大幅減少からその黒字幅も著しく減少するものとみられる。
サウジアラビアの経常収支黒字は,80年1,377億リヤル(約410億ドル)と前年比1,005億リャル増加した後,81年も,①石油輸出の増加,②サービス・移転収支赤字幅の拡大傾向の小幅化等から1,440億リヤル(約426億ドル)へと増加した(第7-4-4図)。サービス・移転収支の支払増のテンポが小幅化したのは,国内石油部門における投資の利益送金が前年と同程度に留まったためである。一方,この支払のうちほぼ50%を占める政府部門ではイランと紛争中であるイラクに対する援助資金の拠出がみられた。
そして以上のような経常収支黒字は主にサウジアラビア通貨庁による海外資産の取得に充当された,もっとも82年には,石油輸出の減少と開発計画に沿った輸入の増加傾向があり,経常収支の黒字幅は著しく減少するものとみられる。また,このため早ければ今年度中にも短・中期運用を主体とする海外資産の取崩しの可能性がアバルハイル財政・経済相によって言明されている。
物価安定と高い非石油部門の成長を目指して,開発計画に沿った予算編成を行ってきたサウジアラビアでは,現在までのところ,一定の経済的成果がみられ,また歳出を上回る石油収入もあって順調な財政運営が行れてきた。
そこで1982/83会計年度においても開発重視の政府予算が編成されたが,その歳出総額は前年度比5.2%増に留まり,石油収入減少等による歳入減少に対し慎重な配慮がなされている。
82/83会計年度(82年5月~83年4月)予算の歳出規模は3,134億リヤルで前年度予算と比べ5.2%の伸びとなっている。しかしながらインフレ率を考慮するとほぼ前年度並みとなり,また歳入規模は7.8%減少し,歳入超過額が特別基金に繰入れられた前年度までの予算と異り,収支均衡型の予算となっている。また,これまでの開発プロジェクト予算の未消化傾向から本予算の歳出総額に占めるプロジェクト投資比率を過去2か年の70%から65%へと低下させている。
支出総額の内訳をみると,治安・防衛費が総支出の30%を占める一方,国民の生活水準の向上を目的とする保健・医療,社会開発,教育のための支出及び物価安定化のための補助金支給の増額が特徴的となっている(第7-4-5図)。
なお,82年7月王位を継承したファハド国王は施政方針演説を行い,その中で①生産設備の拡充を目的とした現行第3次5か年計画の遂行,②教育,医療及び生活環境の整備を重視した第4次5か年計画(85~90年)の立案等を明らかにした。
政府が81年初から行ってきた財政金融両面からの引締め策は一応の効果を示し物価上昇は幾分鎮静化しており,また,貿易収支改善策の効果が表われ,石油価格の落ち着きもあって,81年の貿易収支は前年の28.2億ドルの赤字から12.0億ドルの黒字へと転じ,史上最高となった。一方,81年の経済成長率は1.9%減となり,82年も引続きマイナスとなることもありうる状態にある。GDPの37.2%を占める鉱工業生産の回復が遅れ,公共事業の縮小や金融引締め等で土木・建築業が停滞していること,貿易の不振で旅客を除いた運輸・流通部門も不振であること等がある。ただ金利の高騰により大幅増収になった金融業と,堅調な消費需要に支えられた商業は,国内景気と雇用の下支えとなっている。なお石油は82年上半期,昨年同期に比して2割増しの月産120万立方メートルを生産している。これは同期の輸入量の約3割にも当たる量で,輸入削減に寄与するとともに一部高品質油は輸出に向けられ外貨獲得に貢献している(第8-1図)。
81年の実質GDP成長率は1.9%減と鉱工業生産中心の産業構造となった60年代後半以降始めてのマイナス成長となった(80年は8.0%増)。部門別には第8-1表のとおり農牧業だけがコーヒーの大幅増産と畜産の回復でプラス6.8%増と昨年と同じ水準の成長を維持したものの,製造業ど建設の落ち込みにより,工業が5.4%減(80年は8.0%増)と成長率低下の要因となり,商業(3.7%減)の減少と,運輸・通信(0.5%減)の減少に波及した。
景気後退の主因となった工業部門では,鉱業が石油増産で2.2%増,電力が3.5%増となったものの中核的存在である製造業が前年の7.6%増から9.9%減へと大幅に落ち込み,建設も8.1%減と同様に大幅に落ち込んだ。
これらの背景としては,財政金融両面からの引締め策,金利自由化による高金利,企業ごとの輸入割当てによる輸入規制の強化,政府企業の対民間支払いの遅れ,生産性を無視した給与引き上げ等があげられる。
82年に入っても減少傾向は依然として続いている。特に,投資の減退,金融の逼迫を反映して資本財の生産が低調である。それに比べ消費財の生産は幾分堅調である。これは下に厚い所得政策と給料日後のまとめ買いにみられるような高インフレ下におげる換物志向の現れとも考えられる。
7月までの鉱工業生産指数をみると,1~5月昨年同期比5.0%減であったのに対し,1~6月は3.4%減,1~7月は2.8%減と減少幅が小さくなっている。しかし,各企業の在庫調整が昨年から今年にかけてかなり進んでいることや,輸入規制強化に伴う代替需要等がプラス要素となるものの,高金利下の引締め策,輸出環境の改善といった基調が変わらない限り,力強い回復は難しい。
工業部門の不振に対して,農業部門は好調である(第8-2表)。79~80農業年度以来豊作続きであり,今年も全般的に記録的豊作が予想されている。5月に生産融資委員会が発表した81~82農業年度の生産予想では,米,フェイジョン,ドウモロコシ,小麦とも一様に生産を伸ばし,穀物,油脂原料としては5,518万トン(前年度比3.2%増)となっている。ただ,前々年度,前年度と急増した大豆は,主要産地である南部地方の干ばつと国内需給安定を目的にフェイジョン,トウモロコシの作付を政策的に奨励したこともあって,前期の1,549万トンに対し157万トンの減産が予想されている。また伝統的輸出産品であるコーヒーも,昨年9月の大霜害の影響で収穫は半減する見込みである。
ブラジルは79年以降,農業重視の姿勢を強く打ち出している。これは,農産物の価格安定は直接インフレ抑制に結びつくことや,小麦,トウモロコシ等輸入依存作物の国産代替は国際収支の改善に寄与すること,また投資の回収期間が比較的短いこと等による。政府は手厚い助成策で農業経営の安定化をはかりながら,意図的に作物を多角化するとともに,中,南部諸州に偏っている穀物生産を東北部へ拡大することで,ブラジルの農業体質を強化しようと努めている。
しかし,農業融資や最低価格維持といった補助金に頼る制度は,多額の財政赤字を生み,インフレを助長させる原因ともなっている。そのため,国際機関はもとより国内においても,制度を見直しを求める動きが生じている。
今後のブラジル農業は天候とともに,制度の行く方に大きく左右される。
80年に史上最高の年間上昇率110.2%増の超インフレを記録し,81年に入ってからも,年初,金利自由化による金利急騰や工業品物価統制の段階的解除などから物価上昇率は一時的に更に加速し,3月には前年同月比121.2%増となった。その後石油価格上昇率の鈍化と財政の緊縮化,景気後退等を背景として年央からかなり上昇率が鈍化し,年間では前年比15ポイント低下の95.2%となった(第8-3表)。
内訳をみると,インフレ寄与率の3割を占める消費者物価(リオデジャネイロ市)が,食品,サービスなどの大幅なコスト上昇で100.6%増と前年(86.3%増)をかなり上回ったが,卸売物価(インフレ寄与率の6割)が94.3%増と前年に比べ27ポイントも大幅ダウン,建設コスト(リオデジャネイロ市,インフレ寄与率の1割)も86.1%増と前年に比べ26.9ポイントダウンし,インフレの下降に寄与した。
82年1~6月の物価上昇率は前年末比で47.0%増であった。これは前年同期よりもさらに1.8ポイント高い水準である。特に6月は,社会投資基金の創設による出荷段階での課税強化もあって,前月比8.0%増という昨年2月以来の高率になった。
しかしその後は7月6.1%増,8月5,8%増,9月3.7%増と鎮静化へ向かっている。これは昨年来の総需要抑制策と政府・民間の投資減退に伴う効果と,原油をはじめとする主要輸入一次産品価格の下落,3年来の豊作による農産物価格の安定とによるものである。
一方,インフレの元凶の主要因とされる各種補助金や半年ごとの給与調制度は,11月の総選挙にからんで大勢的には手つかずのままであり,また鉄鋼,電力,ガソリンなどこれまで延期されていた政府管理価格の調整や,バス,電話代等一部公共料金の値上げが避けられない見通しである。加えて最近一段と厳しさを増した輸入抑制措置は,収支改善と国内生産活動に寄与する反面,物価の上昇につながる恐れがある。
79,80年と28億ドル台の赤字を続けた貿易収支は,81年に輸出が15.7%増の232.9億ドルと順調に伸びた一方で,輸入が3.8%減の220.9億ドルへと後退したため,差し引きで12.0億ドルの黒字へと大幅な改善を記録した(第8-4表,第8-5表)。
貿易収支の黒字計上は,石油危機以降では77年の9,700万ドルがあるのみで,しかも12.0億ドルの黒字は史上最大のものである。
81年の貿易収支大幅改善の要因としては,以下の4点が考えられる。
①輸出面では,国内インフレと同率の95.1%という為替切り下げの加速(80年はインフレ110.2%に対して切り下げは54.0%)と,15%の工業品輸出プレミアムの復活(81年4月から),国内不況に伴う工業品を中心とした輸出ドライブ等。
②輸入面では,輸入規制強化と景気の急激な後退で,石油を除いたその他の輸入(81年で輸入全体の52.0%)が前年比15.2%減と落ち込んだこと。
③石油自体についても,価格上昇が鈍り輸入量がやや減少したため,前年比12.7%増と輸入が大幅に鈍化したこと(79,80年は各々52.6%増,46.9%増)。
④工業品の輸入代替が今では資本財部門へと急速に進んでいること。
なお,貿易収支は改善したものの,第2次石油危機の影響で,交易条件は79年の79から80年の65,81年にはさらに51へと悪化しており,81年の貿易収支改善は輸出の大幅な量的拡大と輸入量の削減によって獲得されたもので,価格面では輸入価格が14%上昇したのに対し輸出価格は逆に11%低下となっている。
82年1~9月期の貿易高は,輸出151.0億ドル,輸入147.4億ドルで,3.6億ドルの黒字であった。81年同期の貿易収支が2.4億ドルの赤字であったのに比べると好調のようにも見えるが,貿易額そのものは減少しており,輸出は81年同期比で11.2%(19.0億ドル)の減,輸入も同じく12.2%(20.4億ドル)の減となっている。すなわちわずかの貿易収支黒字も,縮小均衡の結果生み出されたものである。
ブラジルの国際収支は,第2次石油危機の発生に伴う貿易収支赤字の増大と外貨調達の困難等により,79年32,2億ドル,80年34.7億ドルと総合収支赤字を記録した。
81年に入ると,国際石油価格の上昇率の鈍化と輸入規制の強化で,貿易収支は4~6月期に大幅改善し,他方,中東紛争やポーランド問題等で,ブラジルのカントリー・リスクが見直され,国際金融における貸付けを積極化させることになった。
すなわち,年間では117.3億ドルの経常赤字をカバーしたうえ,178億ドルにのぼる外資調達が実現し,総合収支は前年の34.7億ドルの赤字から6.3億ドルの黒字へと大幅な改善となった。
ブラジルの国際収支および対外債務の見通しは,国際金利の動きや外貨借り入れの進捗などに伴い,刻一刻と変化している(第8-6表)。
対外債務(短期を除く)は82年6月,644.3億ドルとなっている。外貨準備高は82年3月末現在69.7億ドルと82年3月末の70.1億ドルより減少となった。82年における外貨借り入れは1~5月までの実績で88.4億ドルとはっているが,5月における調達額は10.4億ドルで,4月の20.0億ドルに対し,半減し,80年以来最低となった。
また対外債務は82年末には800億ドルを越えることが予想され,82年中の外債に対する利子の支払いは95億ドル,元本償還は72億ドルにのぼり,このため必要とされる外貨借り入れは150億ドルとみられている。しかしこの借り入れ見通しは貿易収支黒字30億ドルを前提としたもので,最近の傾向からみると,さらに必要借入額は増大する可能性がある。
なお,ブラジルの対外債務に関する最近の動きとしては次のようなものがある。ブラジル政府とIMFとの間の融資交渉が12月15日,合意に達した。
融資額はスタンド・バイ・クンジットを含み57億ドル前後になる見込みである。並行して外国銀行125行代表との債務交渉が行われ,83年度に返済期限のくる40億ドルの元本返済等についての交渉を開始した。
81年のメキシコ経済は,79年後半以来顕在化しつつあったインフレの高進,経常収支の悪化に直面しながらも,雇用の拡大,工業化の推進,農業の近代化といった年来の課題を優先させ,基調として引き続き経済拡大路線が踏襲された結果GDPの伸びは実質8.1%増にのぼり,4年連続の8%増を超える高度成長を達成した(第8-7表)。しかし,石油輸出収入の大幅な見込み違いに端を発して,ペソの過大評価が顕在化し観光収支の著しい悪化や工業製品輸出入不振を招き,さらに累増する対外債務の利子支払の急増から経済収支が著しく悪化,ペソに対する信用の失墜から82年2月になって大幅なペソの実質切下げが行われた。その後経済調整政策を実施したものの8月には対外債務支払問題が表面化した。これはアメリカ等の素早い対応により,緊急融資,返済繰り延べによって当面債務不履行を回避したが,従来の経済拡大政策全般にわたる見直しが必要となっている。
12月1日に行われた新大統領の就任演説において,ミゲル・デ・ラ・マドリッド新大統領は,危機に直面するメキシコ経済を再建するために次の10項目からなる「緊急経済再編計画」を明らかにした。
①財政支出膨張を抑制する。
②雇用を確保する。地方の窮乏地区ならびに都市の低所得地域に対して特別の雇用促進プログラムを推進する。
③進行中の事業は継続させる。ただし,継続に当たっては選別主義をとり奢侈もしくは計画の誤りによるものは中止する。
④公共支出の実施に当たって,規律,適切な計画,効率の高さ,および誠実さを保証するような規範を強化する。
⑤国民を扶養する基礎食糧の生産,輸入および流通プログラムを推進する。
⑥歳入増を図る。公共財政基盤を健全化するために財政改革を促する。
⑦優先度の高い国家開発事業に対しクレジット供与を行い,投機や正当化されない融資はやめる。銀行の国有化は既定路線であり,後戻りはしない。
国家による効率的な管理を実施するため金融機関を再編する。
⑧外国為替市場を国家の権限,通貨主権下に戻し,実際的で機能的な為替管理を達成するために,制度の見直しを行う。外国為替市場を再開することを推進し,また,輸出を促進し,製造業に必要な財・サービスを供給するための外貨獲得を円滑化するような現実的な交換レート達成を図る。公共財政の健全性に害を与えるような不合理な為替補助金を廃止する。輸入に対する厳格な管理を維持するとともに消費者にとってマイナスとなっている(保護を受けているセクターの)不当な利益を除くべく,各セクターへの保護を徐々に合理化する。
⑨連邦行政府が効率的かつ機敏に機能するため再編成を行う。
⑩当政権は共和国憲法で規定されている混合経済体制度に基づき経済運営を行う。
上記にも示されているように同大統領は全てについて意欲的であるが,社会不安を回避するためにも極めて矛盾した政策をとらざるを得ないことになる可能性もあり,今後の政策運営が注目されるところである。
81年までの高成長はほとんど全部門にわたる急速な生産の伸びに支えられたもので,特に石油,建設,電力,農業の生産増に負うところが大きい。石油を含む鉱工業生産の伸びは9.0%増で,うち製造工業は7.4%増の伸びにとどまったが,自動車産業などの急成長により,耐久財の生産の伸びは14.4%増(耐久消費財は13.5%増),資本財は15.1%増に達した(第8-2図)。この急速な成長を支えた要因は,ここ数年持続している財政支出の顕著な拡大と民間部門の投資増によるもので,投資の伸びは全体で前年比15.1%増(民間投資の伸びは同13.6%増)に達した。財政支出は同20.6%増の2兆1,083億ペソであった。
しかし,82年に入って2月のペソの実質切下げを伴う経済調整政策,4月の総合経済調整計画の実施等生産を取りまく環境は厳しいものとなっている。例えば4月の総合経済調整計画は,経常収支の悪化,インフレの高進,資本の流出等に対処し,経済の安定と均衡ある運営を目的としている。その具体的な内容は,財政支出の8%削減,非生産公共事業の廃止・停止,新規事業への投資の延期,公共および民間の輸入額を今後,81年水準(81年の輸入額;公的約82億ドル,民間約149億ドル)よりそれぞれ30億ドルの計60億ドル減に抑制するなど極めて厳しいものである。
これを受けて9月には,為替管理に関する一般規則が公布・施行され,輸入代金支払の制限を受けるようになり,また全品目が事前輸入許可制に移行するなどの施置を実施している。
このため,国内各種製造業は,必要な輸入原材料の調達,あるいはその輸入に必要な代金の調達が思うにまかせず,輸入在庫のあるところはそれに頼り,操業を縮小して営業活動を継続しているなど,経済活動は委縮しつつある。
通貨供給量の増加,国内需給ギャップの拡大,賃金の大幅引き上げ,公共料金の引き上げ,ガソリンの値上げ等の要因もあって,インフレ率は前年に引き続き高率を維持している。81年12月の消費者物価の上昇率は28.7%増になり,82年に入っても騰勢を強め,8月には,68.6%上昇となった(第8-8表)。
81年の総財政収入は,石油輸出収入の伸びの鈍化から1兆5,450億ペソにとどまったのに対し,総財政支出は,7月以降歳出予算の4%削減措置がとられたものの,総額で2兆1,083億ペソにのぼり,GDPの9%を超える赤字を生じた。年々の巨額の財政赤字とこれを補填する通貨供給量の増加はこの国の最大のインフレ要因であるが,この通貨供給の増加率は81年,一年間で32.7%に達し,4年連続30%を超えた。
他方,メキシコ政府がインフレの基本的要因としている国内需給のギャップは,供給力の拡大や運輸・港湾設備の整備に重点を置いた施策が展開されてきたものの,その縮小には時間がかかる。81年においても,国内生産の伸び8.1%増に対し,供給の伸びは9.4%増で,財・サービスの輸入は実質18.5%も増加,総供給に占める輸入の比率は13.5%(前年12.5%)に拡大し,国内需給のギャップはかえって拡大している。
81年の経常収支の赤字は117.0億ドル(80年67.6億ドルの赤字)となったが,その主因は石油輸出収入の大きな見込み違い,石油以外の商品輸出の減少,資本財を中心とする輸入増,観光収入の著しい悪化,対外利子支払の増等によるものである(第8-3図,第8-9表)。
81年の輸出は193.8億ドルで前年より26.6%増加したが,総輸出の71.2%を占める石油(天然ガスを含む)が138.0億ドルと40.4%伸びたものの,農産物でコーヒー豆が19.9%減少,製造工業では食品,繊維がそれぞれ12.4%減,10.2%減と著しく減少した。これは先進国向けの輸出不振に加え,ペソの過大評価が原因となったものである。一方,輸入は25.0%増,231,0億ドにのぼり,消費財の伸びが著しく減少したものの,旺盛な投資括動を反映し,資本財の輸入が43.0%も増加したことがこの主因である。
ペソの過大評価はまた伝統的な外貨獲得源である観光を大きく狂わせ,81年の7~91月期に観光収支は1.5億ドルの赤字になり,年間を通じると2.1億ドルの黒字を残したものの,黒字幅は前年より66.0%も減少した。さらに,国境取引では黒字はわずか0.9億ドルで前年より5億ドル(84.2%)の減少となった。
対外債務の累増はまた国際金融市場における金利の高騰と相まって,対外利子支払を急増させ,経常収支悪化の大きな要因となった。81年の対外利子支払は前年よりも50.6%も増加し,89.4億ドルにのぼった。
経常収支の大きな赤字を資本収支の黒字で補うのがこの国の国際収支の基本的なパターンであるが,81年には公的対外債務残高はさらに149億ドルも増加し,81年末には487億ドルに達している(第8-10表)。
81年末の外貨準備は資本収支の大きな黒字により,前年末より10.3億ドル増加し,50.4億ドルにのぼっているものの,国際収支面での困難は明らかであり,82年の対外債務支払問題につながった。
82年に入っても依然経常収支は改善されていない。82年4~6月期の経常収支は,14.1億ドルの赤字となった(82年1~3月期27.7億ドルの赤字,以下カッコ内は1~3月期の数値)。貿易収支の黒字は8.9億ドル(1.9億ドルの赤字)となり,前年同期に比して15.7億ドル(2.6億ドル)の改善となったが,その反面,貿易外及び移転収支の赤字は23.0億ドル(25.8億ドルの赤字)となり,前年同期に比してその赤字額を4.8億ドル(13.4億ドル)増加させた。貿易外及び移転収支の赤字幅増大の主因は公的債務利子支払の増加であり,4~6月期18.5億ドル(21.3億ドル)で前年同期に比して27.2%(136.9%)増加した。一方,資本収支は11.4億ドル(33.7億ドル)の黒字となったものの前年同期に比して47.2%減の大幅減少となった(3.7%増)。
82年7月末に760億ドルヘ大幅に増大した対外債務の累増は,国際金融市場における金利の高騰と相まって,対外利子支払を急増させ,82年上半期の経常収支悪化の大きな要因となった。82年上半期の経常収支の赤字は,41.8億ドルとなり,これは対前年比73.1%増の大幅赤字増加となった81年同期とほぼ同じ水準である。
外貨準備高は82年5月末現在39.2億ドルと81年末の50.4億ドルより減少した。
78年以来過度に石油に依存した経済拡大政策を推進してきたが,国際市場における石油需給の緩和とそれに対処するための原油輸出価格の見込み違い(81年6月に原油輸出価格のバレル当り4ドル引き下げ処置をめぐる閣内の意見の不一致,これはPEMEX総裁の辞任にまで発展している)が端緒となって,81年後半から財政面や国際収支面での困難となって現われた。
81年の石油の平均日産量は231.2万バレルで前年より18.2%増加,輸出は138億ドル(平均109.8万バレル/日)で,輸出額では前年より40.4%増加したが,年度当初の200億ドルの見込みに対して約60億ドルの減少となった。
8月上旬に表面化した対外債務支払問題に対処するため,政府は国際商業銀行に対する100億ドルの90日返済猶予を取りつけ,アメリカから石油輸出代金10億ドルの前払い,穀物及び食糧輸入にかかわる10億ドルの供与を受けたほか,BIS経由で8か国中央銀行から18.5億ドルの融資を取りつけ(一部融資履行),IMFからの資金供与を要請している。また,国内的には,外貨資金の流出を防ぐため,8月5日以降再度の大幅なペソ切り下げ等の処置を行い,9月1日銀行国有化と為替管理の強化を行った。これらの施策により政権の安定を図るとともに当面の債務不履行の危機を回避することができた。今後については,政策の見直し等を含む,新しい問題の本格的解決の動きが期待されるところである。これらは全て12月1日に新大統領によって発表された緊急経済再編計画を如何に具体化していくかにかかっているのである。これはすでに一部実行されている。こうした中で,2月,8月についで3回目の実質上のペソ切下げ(12月20日47.4%)が行われた。
対外債務支払問題に関しての12月に入ってからの動きとしては,西側銀行団からの50億ドルの融資取付け交渉(メキシコ政府は,約1,400行の外国銀行に対して,83年分として50億ドルの新規融資を要請した)。IMFの拡大信用供与決定(IMF理事会は12月23日,メキシコに対して3年間にわたる約40億ドルの拡大信用を供与することを決定した)などが行われた。しかし,80年代後半に元本の償還が本格化することなどからメキシコの困難な状況は当分の間続くとみられる。
ソ連経済は,第10次5カ年計画(1976~80年)期に続き,第11次5カ年計画(1981~85年)期に入っても低成長を続けている。そうした中,60年代央以降,長年にわたって政権を担当してきたブレジネフ共産党書記長が82年11月に死去し7,代ってアンドロポフを党書記長とする新指導体制が発足した。
新指導部は,ブレジネフ政権下で山積した経済諸問題の解決と現下の困難な経済情況を克服するために,厳しい調整策を強られよう。
1981年から始まった第11次5カ年計画もすでに2カ年が経過したが,計画の達成情況ははかばかしくない。アンドロポフ新書記長は就任早々の党中央委員会総会において経済の現況に強い不満の意を表明した。しかしこれに対して有効かつ具体的な手立てに乏しく,相当の期間経済不振は続くとみられる。
1981年のソ連経済は,年度計画目標の多くが未達成となるなど振わなかった(第9-1表)。81年の工業総生産は前年比3.4%増と前2カ年の増加率とほぼ同水準となった。しかし,これは5カ年計画目標はもとより,控え目とみられた年度計画目標をも下回る低い値である。農業総生産は,天候不順による穀物等の不作によって79年,80年に続き,前年比1.6%減と連続減少した。この他,建設や運輸などの部門でも計画未達成がみられた。こうした生産計画の未達成を反映して,経済成長率も伸び悩んだ。支出国民所得(物的生産部門の純生産高であり,サービス生産は除かれる)成長率は,前年比3.3%と80年の3.8%から鈍化した。
1982年に入っても,ソ連経済の困難な情勢に大きな変化はみられない。工業総生産は,前年比2.8%増(実績見込み)と年度計画目標を2%ポイント近く下回った。農業総生産も,4年連続の穀物不作によって前年比3%増の小幅な増加に止まった(計画は前年比約1割増)。相変らず運輸部門や建設部門の不振が報じられ,生産活動は全般に低調であった。このため支出国民所得成長率は前年比2%と戦後最低水準に落ち込んだ。
農業生産の低迷情況に対処して,1982年5月の共産党中央委員会総会で「1990年迄のソ連邦食糧計画」が,採択・公表された。この「食糧計画」は,ブレジネフ農政の総仕上げ的性格を持つものであり,農業投資の引き続く拡大,農工複合体の拡大・強化,生産刺激の強化等によって80年代末迄に食糧生産を飛躍的に高めようとするものである。しかし,「食糧計画」に示された農業投資目標,食糧生産目標等の達成は,農業の現況から判断する限り多大の努力を必要としよう。
1983年経済計画は,近年の計画未達成情況を反映して,より一層慎重な目標設定が為されている(第9-1表)。工業総生産目標はここ数年の実績水準とほぼ同じ前年比3.2%増と現実的内容となっている。こうしたことを反映して,経済成長率目標は前年比3.3%と82年計画および同実績見込みを上回る水準とはなっているものの,第11次計画水準を下回る低位に置かれている。こうした極めて慎重な83年計画の中でひときわ目をひくのは,工業における消費財生産の優先的拡大が明確となっていることである。このことは,国民生活の重視を掲げるアンドロポフ新政権が,その具体的措置として,日頃不満の大きい消費財の増産に本腰を入れたものと理解される。しかも,この課題を達成するため重工業や国防工業をも動員しようとしていることも注目される。
対外面では,81年のソ連の貿易は80年並みの前年比約17%の増加となった。しかし,82年に入って貿易はやや伸び悩むようになり,1~6月の貿易は前年同期比11%の増加となっている。ソ連貿易を取り巻く国際環境は,西側諸国の景気の長期停滞,コメコン諸国の経済不振,さらにはアフガニスタン,ポーランド問題に絡む西側諸国の対ソ経済措置等によって悪化している。
ソ連工業は,慢性的な農業不作による軽・食品工業の停滞,燃料採取,鉄銅・非鉄金属,建設資材等の基幹工業部門の不振化のため,計画目標を大きく下回る低成長が続いている(第9-2表)。
工業総生産は,前年比で80年3.6%増,81年3.4%増となった。さらに82年には実績見込みで前年比2.8%増と戦後最低を記録した。こうした工業生産の低成長の中で,1981年には1970年以来11年ぶりに消費財生産が生産財生産の伸びを上回った。第11次5カ年計画は消費財生産の優先的拡大を目指しており,その意味では,第11次計画路線に沿っていると言えよう。
工業生産計画の未達成が続いている理由としては,①原材料生産の不振,輸送の混乱等,供給面での隘路の発生,②設備・機械の陳腐化とそれらの更新の遅れ,③建設活動の不振化にともなう新規生産能力の稼働の遅れ,④労働生産性の伸び悩み等が指摘される。
主要工業品目の生産動向をみれば(第9-2表),燃料・エネルギー関連では,天然ガス生産が高い伸びを示しているものの,石油,石炭生産は極めて低い増加率となっている。ソ連では,燃料・エネルギー資源の主生産地が欧露地域から西シベリア地域に移行しており,この移行にともなって燃料・エネルギーの増産テンポの鈍化がみられる。しかし,天然ガスについては石油に代わる有力なエネルギー資源として重点開発が進められており,高い増産テンポを維持している。金属関連では,設備更新の遅れを主因として鉄鋼生産の停滞が顕著となっている。化学関連では,農業生産の拡大にとって重要な化学肥料の生産が伸び悩んでいる。機械・設備工業は全体としては好調な部門であるが,品目別にその内訳をみると増産テンポの跛行性が目立っている。農畜産機械や先端技術品目等は好調に拡大しており,特に,労働力不足を補い,生産性を高めることで大きな期待が掛けられている工業用ロボット(可変シーケンス・ロボット)は極めて高い伸び率となっている。他方,石油設備,貨車,自動車等の生産は停滞ないし減産となっている。さらに,セメントや木材等の建設関連品目の生産は低迷状態を続けている。また,農業不作を反映して肉類,乳製品の生産も停滞を続けている。一方,国民の関心の高い耐久消費財生産は,一時の低迷状態を脱して,計画に沿った拡大を続けている。しかし,依然として品質面の問題が指摘されている。
農業総生産は78年をピークに減少を続け,81年には前年比1.6%減となり(第9-3表),78年に比べて6.4%もの低下をみた。82年の農業総生産は,4年連続の穀物不作(アメリカ政府推計によるソ連の穀物生産は81年1億6,000万トン,82年1億8,000万トン)によって前年比3%増の小幅な増加に止まった(年計画は前年比約1割の増産を見込んでいた)。
1979年以降4年連続して農業が不作となっているのは,①天候不順が続いていること,②輪作体系の乱れ,施肥量の不足,風や雪どけ水による耕地の浸食等のため地味が低下していること,③農業機械の維持・補修が十分に行われていないこと,④コルホーズやソホーズの半分が赤字経営となる等,経営内容が悪化して生産意欲を削いでいることが指摘できよう。
こうした農業生産の低迷に対処して,1982年5月の共産党中央委員会総会において「1990年迄のソ連邦食糧計画」が採択・公表された。この「食糧計画」は,現下のソ連農業が国民の高まる食品消費需要を十分に満たしていないとの反省に立ち,①農業投資の引き続くき拡大,②農業と工業,さらにそれらに介在する流通機構を有機的に結び付けた農工複合体の拡大・強化,③農産物買上げ価格の引き上げ等による生産刺激策の強化,④赤字農業経営体の負債張消し,等によって農業基盤を強化して,80年代末迄には,農業生産を飛躍的に高める内容となっている。こうした路線は,いわゆるブレジネフ農政の路線であり,「食糧計画」もブレジネフ前書記長のイニシアチブで策定されたことが強調されている。
「食糧計画」は,主要農産物についての第12次5カ年計画(1986・~90年)期迄の生産目標を掲げているが,過去の農業生産のすう勢から判断して,これらの目標を達成するためには多大の努力が必要とされるであろう(第1-7-1表参照)。
広大な領域の中で経済活動を進めなければならないソ連にとって,運輸活動の好不調は死活を制すると言っても過言ではない。そして,近年,鉄道輸送を中心とする運輸活動の低迷が経済不振に拍車をかけている。全輸送部門の貨物取り扱い高は,81年に前年比2.3%増,82年1~6月では前年同期比2%減(81年,82年の年計画はそれぞれ前年比2.6%増,3%増)となった(第9-1表)。特に,貨物輸送の過半を担う鉄道部門の輸送計画未達成が目立つようになっている。
こうした事態に対して,ブレジネフ前書記長は公開の場で主務大臣を名指しで批判したが,アンドロポフ新政権は交通相の更迭等,人事の刷新という思い切った措置によって事態の改善に乗り出した。
建設面では,81年の総投資高は投資抑制策にもかかわらず前年比3%増となった。さらに82年1~6月の国家投資高は前年同期比2%増と年計画を上回る水準にある(第9-1表)。しかし,依然として,多くの投資対象物へ労働力や資財が分散することで建設計画が遅れがちであることが指摘される。このため,新規建設投資の抑制を徹底させ,既存設備の更新・近代化を図ることが大きな課題となっている。また,一連の建設関連省では建設組織そのものの問題から,資金や建設機械・設備を投入しても,建設作業が進まないという事態がみられ,運輸部門同様,新指導部によって鋭い批判が為され,特に問題が多いとみられた農村建設相は更迭された。
雇用面をみると,80年代に入って労働力の伸び悩みが顕在化するようになっている。国民経済全体の労働者・職員数は,前年比で80年の1.7%増から81年には1.4%増に鈍化した。さらに82年1~6月には前年同期比1.1%増に止まっている(第9-1表)。このように労働力の増勢が目立って鈍っているのは,人口増加率の低下の影響とみられる。このため,単純作業の機械化・オートメーション化によって労働生産性を高めることが急務となっている。すでに工業用ロボットの大増産等の施策は講じられているものの,それにもおのずと限界があり,このため労働規律を正し労働者一人一人の志気を高めることが生産性の向上につながるとの認識の下に,種々のキャンペーンがはられている。
所得面をみれば,労働者・職員の月平均賃金は81年に前年比2.1%増,82年実績見込みでは同2.6%増となった。また,コルホーズ農民の労働報酬は,81年実績,82年実績見込みとも前年比4%増となった。いずれも,第11次5カ年計画目標にほぼ沿った増加となっている( 第9-1表 )。一方,国民1人当りの実質所得(貨幣所得の外に教育や医療,住宅サービスなどの各種の国庫支出を含めたもの)は,81年に前年比3.3%増となった(年度計画は前年比2.9%増)。
こうした所得の増加傾向を受け,消費は堅調である。小売売上高(国営・協同組合商業)は,前年比で81年4.4%増,82年実績見込み5.0%増と年計画目標(それぞれ3.9%増,3.1%増)を上回る増加を続けている(第9-1,9-4表)。一方,生活サービス供与高は,前年比で81年6.2%増,82年実績見込みでは5.1%増とこちらは年計画目標をやや下回る水準で推移している。
1981年のソ連貿易は,ほぼ80年並みの増加テンポとなった。輸出は前年比15.1%増,輸入は同18.4%増となった。第9-5表にみられるように,80年とは異なり輸出増加の大部分が輸出数量の増加に負っている。81年の輸出数量は前年比14.2%増と74年以来の高水準となった。一方,輸入では,81年の輸入数量は前年比10.1%増と輸出数量同様高い伸びを示した。また,81年の輸出単価が前年比0.8%の上昇に止まり,一方,輸入単価が同7.5%の上昇となったため,交易条件は6.2%の悪化となった。この結果,81年の貿易収支黒字は44.7億ルーブル(62.1億ドル)と80年の51.7億ルーブル(79.6億ドル)から黒字幅を縮小させた。
取引圏別に81年の貿易動向をみると(第9-6表),社会主義諸国との貿易では輸出が前年比15.9%増,輸入13.1%増と80年に比べてそれぞれ増勢をやや高めたものの,他地域の取引と比べて相対的に安定した動きを示した。社会主義諸国との貿易では,従来より貿易収支は黒字基調にあるが,81年には44.5億ルーブルと過去最高の黒字を計上した。西側先進国との貿易では,輸出8.7%増,輸入15.2%増と80年に比べて輸出入とも増勢が鈍化した。特に,輸出が79,80年の好調から一転して伸び悩むようになった。これは,西側先進国の景気停滞とエネルギー価格の鎮静化の影響とみられる。発展途上国との貿易では,輸出が前年比26.2%増,輸入は同52.7%増と際立って高い伸びをみせた。これは,途上国からの食糧輸入の拡大や友好国に対する経済援助の増大を反映したものとみられる。
主要商品について輸出入動向をみると(第9-7表),輸出では,天然ガス,石油・石油製品等,エネルギー品目が相対的に高い増加率となっている。もっとも,世界市場におけるエネルギー価格高騰の鎮静化の影響を受けて,これら品目の輸出の増勢が鈍っている。また,機械類,木材・紙パルプ等が80年に比べ減少した。他方,輸入では,農業不作の影響を受け,穀物,食肉類が高い伸びを示した。また,消費財,鋼管等の輸入も高い伸びとなった。
(2) 1982年1~6月期の貿易動向……やや伸び悩み
1982年1~6月のソ連貿易は,前年同期に比べてやや伸びが鈍化している。輸出は前年同期比12.8%増(81年1~6月前年同期比14.8%増),輸入は同9.3%増(同じく21.8%増)であった。この結果,82年1~6月の貿易収支は4.9億ルーブルの赤字と81年同期(13.0億ルーブルの赤字)に比べて赤字幅を大幅に減少させている。
取引圏別にみると,社会主義諸国への輸出が前年同期比7.1%増と目立って鈍化している反面,輸入は同18.1%増と増加テンポを高めた(81年1~6月は前年同期比でそれぞれ17.7%増,11.6%増)。一方,西側先進工業諸国との貿易では,輸出が前年同期比23.7%増と再び増勢を強めているが,輸入は同6.1%増とやや伸び悩み傾向をみせた(同じく7.5%増,26.6%増)。また発展途上諸国との貿易では,輸出が前年同期比15.0%増と増加傾向を維持したが,輸入は同12.6%減と,ここ数年の著増傾向から一転して減少した。
最近のソ連貿易の特色は,厳しい国際政治・経済環境を映じて,輸出入ともに国によって増減格差が大きくなっており,跛行性が目立っている点にある。
1983年経済計画は,すでにみたような厳しい経済情勢を反映して,主要経済目標の多くがかつてない程の低位に置かれ,今までより一層慎重な目標設定が為されている(第9-1表)。
支出国民所得成長目標は,前年比3.3%と82年度計画および同実績見込みを上回る水準とはなっているものの,第11次5カ年計画水準を下回る低位に置かれている。
工業総生産目標は前年比3.2%増と史上最も低い計画目標となっており,ここ数年の工業総生産増加実績が3%台であり,現実的な計画内容となっている。こうした工業全体として低成長が見込まれる中で,消費財生産が前年比3.5%増と生産財生産の同3.1%増を上回り,消費財生産の優先的拡大を明確にしていることは注目される。農業総生産は前年比10.2%増と大幅な増加計画となっているものの,ここ数年の農業停滞情況からすると農業の回復を目指した計画目標とみられる。
総投資高は,前年比3.2%増,その中で9割近くを占める国家投資は同4.4%増といずれも第11次5カ年計画目標水準を上回る伸びとなっている。
投資抑制が呼ばれる中で,このように投資が増加するのは,5カ年計画期央のため必要投資が集中しているものとみられる。
民生面では,労働者・職員の月平均賃金は前年比1.9%増,コルポーズ員の労働報酬2.1%増といずれも第11次計画水準を下回る低い目標である。他方,小売売上高(国営・協同組合商業)は前年比5.4%増と第11次計画はもとより82年実績見込みよりも高くなっている。このように賃金所得の伸びの抑制と消費財供給の拡大によって,消費面の需給不均衡はやや改善されるとみられる。
こうした中で,1982年11月,60年代央以降長らく政権を担当してきたブレジネフ書記長が死去し,代ってアンドロポフ政治局員兼書記を党書記長とする新指導体制が発足した。新指導部は,ブレジネフ政権末期に一挙に噴出した経済問題を解決し,ソ連経済を安定成長路線に復帰させるため,厳しい経済調整策を強いられよう。すでに,その前段として綱紀の緩みの是正やより現実的な経済策の採用等の兆しもみせており,新政権の今後の動向が注目される。
中国では79年以来「調整,改革,整頓,向上」の八字方針から成る調整政策を実施しているが,その進捗過程において生じた大幅な財政赤字やインフレの深刻化,分権化によって生じた非効率等に対処するため,81年には調整強化策ともいうべき厳しい財政・金融引き締め政策を実施した。それは①基本建設投資,国防費等歳出の大幅な削減,国債の発行等を内容とする予算案の修正,②信用統制の強化と通貨発行の抑制,③基本建設投資や対外貿易,物価等に対する中央の統制を強化し,「改革」は「調整」に有利なものに的を絞る,等を内容としていた。
調整強化策の実施により81年の実質国民所得は前年比3.0%増に鈍化した(80年同5.2%増)が,財政赤字は80年に比べて5分の1に縮小し,インフレも鎮静化した。
81年上期には厳しい投資削減の対象となった重工業生産が大きく減少する等生産活動が沈滞したため,秋には重工業が見直され,追加投資が行われる等引き締めは若干緩和された。
81年秋以降,重工業生産は期を追って増勢を強め,82年の工業生産は計画を上回ったほか,生産責任制の実施等により食糧生産が史上最高の豊作と見込まれる等農業生産も好調に推移している。また,貿易収支も大幅黒字を記録する等経済情勢は好転している(第10-1表)。
82年11月末に開催された第5期全国人民代表大会第5回会議では第6次5か年計画(81~85年)が採択された。それは第1次5か年計画(53~57年)以来の詳細な内容を有しており,第7次5か年計画期(86~90年)及び90年代により高い成長を遂げるための基礎を築くため,調整政策を継続し,安定成長下で経済の効率化を進めることを最優先の課題としている。
81年の工農業総生産額は前年比4.5%増と80年の伸び(7.2%)を下回った。
工農業総生産額の25%を占める農業総生産額は81年に前年比5.7%増と80年の伸び(2.7%)を上回った。
これは,天候不順や栽培面積の減少(1.9%)にもかかわらず,食糧生産が1.4%増加したことに加え,綿花や油料作物等経済作物の生産が好調であったことによる(第10-2表)。
82年に入っても一部の地域で干ばつ・水害等の天候不順がみられたが,生産責任制の実施等による生産意欲の向上等から,夏収食糧及び早稲の生産が前年比7%増となり,年間食糧生産の2/3を占める秋収食糧の生産も好調であった。このため,82年の食糧生産は3.35億トンと史上最高の水準に達するとみられている(81年3.25億トン)。また,綿花,油料作物の生産がそれぞれ11.2%増,7.8%増と見込まれる等経済作物の生産や畜産も引き続ぎ好調であるため,82年の農業総生産額は前年比5%増と見込まれている。
工業生産をみると,81年には投資削減の対象となった重工業が前年比4.7%減少したため,軽工業が同14.1%増加したにもかかわらず,工業総生産額は4.1%増にとどまった(80年8.7%増)。しかし,81年8月末には農業・軽工業向け生産財,輸出向け製品の増産等製品構造の調整により重工業生産を増加させるべきであるという重工業見直し論が提起され,10~12月期より重工業生産は前年同期比で増加に転じた。
82年に入ってから重工業は一層増勢を強め,前年比9.3%増と軽工業の伸び(5.6%)を上回った。このため工業総生産額も7.4%増と81年実績(4.1%)及び82年計画(4~5%)を上回った。
品目別にみるとの石炭生産が前年比4.8%増,石油生産は0.8%増,発電量は5.2%増となった。また,81年に大きく減少した鉱山・発電設備が急増したほか,セメント,板ガラス,鋼材等も増加した。滞貨の増加等により計画的に生産調整が行われたため,一部の消費財の生産は減少したが,特にラジオの生産が急減した。(第10-3表)。
なお第6次5か年計画では軽工業の伸びを5%と重工業(3%)より高く設定しており,工業生産全体では農業と同じ4%の伸びを見込んでいる。
調整強化策の実施が決定された際には,81年の基本建設投資総額は前年比44.3%削減される計画であったが,経済活動が沈滞したため,下期に追加予算が組まれ,住宅投資等80億元が追加されたこと等もあって81年全体では同20.7%減の428億元となった。このうち国家予算内投資は26%減少し,分権化により80年に急増した予算外投資 (注)1 も14.9%減となった(第10-1図)。
また,81年に着工された大・中型プロジェクトは893にとどまった(80年1,106)。
民生向上策が実施されたため,非生産的投資(注)2の割合が増加し,41.3%を占めるに至った(80年33.7%)が,中でも住宅投資の基本建設投資に占める割合は25.5%に達した(同20%)。81年の住宅完工面積は1.3億m2となった(同1.5億m2)。生産的投資の中では重工業の占める割合が低下し,軽工業の割合が増加した。業種別にみると工業投資の中では電力,石油,建材,紡績,食品等の占める割合が増加している(第10-4表)。
82年は当初,基本建設投資総額を380億元に抑える計画であったが,その後追加投資が組まれ,計画は上方修正された(445億元)。しかし予算外投資の急増(26.2%)により計画内に抑えきれず,前年比18.5%増(525億元)と見込まれている。
第6次5か年計画期間中の基本建設投資総額は2,300億元とされているが,このうち重点部門であるエネルギー・輸送部門向け投資の割合は38.5%である。(輸送部門13%,石炭7.8%,石油7.6%,電力9%)。また,既存企業の設備改造・技術革新等に1,300億元の資金を投入する計画である。なお,計画期間中に施工する大・中型プロジエクトは890にとどめている。
一方,消費面をみると81年の商品小売総額は,所得の伸びの鈍化等により前年比9.8%に鈍化し(80年18.9%増),82年も前年比8.9%増にとどまるとみられている。
81年にはインフレ鎮静化のため報酬金支給の抑制等が行われたため,国営企業労働者の賃金総額は前年比5.2%増に鈍化し(80年18.5%),労働者一人当たり平均賃金は1.1%増にとどまった(同13.9%増)が,10月より従来相対的に低水準にとどまっていた小中学校教員,体育・医療関係職員の賃金引上げが実施された。一方,雇用拡大や民生向上の見地から優遇されている集団所有制企業労働者の賃金総額は81年に前年比10.4%増,一人当たり平均賃金の伸びは同2.9%と国営企業労働者を上回った(第10-2図)。また,農民一人当たりの平均純収入は生産責任制の実施や自留地の拡大による現金収入の増加から81年に前年比16.8%と依然として高い伸びを示した(80年19.5%)。しかし,財政困難の継続等により,79年に実施されたような大幅な農産物価格の引上げ(18品目平均24.8%)は今後行われず,国営企業についても労働生産性の上昇テンポに合わぜて賃上げをはかっていくこととしている。82年の職員・労働者の賃金総額は前年比7.3%増(81年6.1%増)と見込まれているが,第6次5か年計画では年平均4.9%増とされている。また,農民一人当たり平均純収入の伸びを6%,商品小売総額を7%増としている。
なお,消費の伸びが鈍化する一方,貯蓄の増加が続いており,国民の預貯金残高は81年末に前年末比31.1%増の523.7億元に達した。82年10月末には664億元となっている。政府は79,80年に続き,82年1月より長期預金金利の引上げ,新たな長期定期預金の設定などの貯蓄優遇策をとっている。また,同時に貸出金利を引上げ,資金の効率的使用を促すため金利機能の活用をはかっている(第10-5表)。
80年の小売物価は①財政赤字の拡大に伴う通貨の発行増により,貨幣流通量が増加したこと(前年比29.3%増),②財政負担の軽減のため,逆ざやとなっていた副食品価格の大幅引上げが行われたこと,③賃上げや報酬金の乱発による所得の増加に商品の供給が追いつかなかったこと,④経済管理体制改革の実施により価格の自由化が進んだため,企業による不当な価格引上げ(品質引下げによる実質的値上げや投機による価格引上げ等)が行われたこと等により急騰し,前年比6%上昇した(53~81年平均1.0%)(第10-3図)。政府は4月に「物価管理を強化し,不当な,形を変えた値上げを断固食い止めることに関する通達」を出したが,効果が上がらなかったため,12月には,物価の凍結等を内容とした「厳格な価格の統制,協議価格(注)の統制に関する通達」を出した。そして81年より,通貨発行の抑制,物価管理の強化,貯蓄の奨励や過剰購買力の抑制等厳しいインフレ抑制策が実施された。このため貨幣の流通量も前年比14.5%増に鈍化し,小売物価上昇率は2.4%にとどまった。81年11月には原材料価格引上げによるコスト増から酒・煙草販売価格の引上げが行われ,同時に生産性の向上によりコストが低下したポリエステル綿混織物の価格引下げなどの価格調整が行われたが,81年末近くなって再び物価上昇傾向がみられたため,82年初には「市場物価を断固安定させることに関する国務院の通達」を出した。中国の価格は製品の重要度によって①国が定める価格②国の定める範囲内で企業が定める価格③市場取引により需給関係で決まる価格に分けられているが,主なものは①であるとして,②③についても政府統制を強化し,違反企業に対する罰則等も盛り込んだ。また,82年1月には腕時計,白黒テレビ,ラジオ等の価格引下げが行われた。8月には「物価管理暫行条例」を施行し,物価統制を法制化した。このため,82年の小売物価は前年比ほぼ横ばいと見込まれている。
78年に大きく西側に門戸を開き,大量のプラント契約が締結されたこともあって輸入は急増したが,調整期に入ってから完成プラントの輸入抑制等輸入に対する慎重な姿勢が強まると同時に,対外貿易管理体制の分権化や輸出企業に対する優遇等輸出振興策が強化された。81年には調整強化策の実施により対外貿易・外資導入に対する中央の統制が強まり,耐久消費財の輸入規制等輸入抑制策が強化された。このため貿易総額の伸びは鈍化しているが,貿易収支は81年にほぼ均衡し,82年上期には大幅な黒字となった(第10-6表)。
世界的な景気停滞の長期化や農産物価格の低下等により輸出(ドルベース)は鈍化傾向を示しており,81年の前年比18.6%増から82年上期に前年同期比10.2%増となった。品目別にみると農産物・綿布等は減少したが,石油は15.0%増,機械・設備は19.0%増加した。輸出額に占める石油及び石油製品の割合は79年の16.4%から81年には20.2%に達している。これは国内生産量の13.7%を占める。
経済管理体制改革の一環として一定範囲内で地方ベースでも貿易を行えることとなっているが,価格引下げ競争の激化,国内で不足している製品をも輸出に回す等の弊害が表われたため,政府は統制を強めている。まず3月より79の輸出品に対して輸出許可制度が導入され,6月より石炭・農産物等34品目に輸出税がかけられることになった。
一方,輸入をみると81年下期には既契約プラントの導入が一段落したこと等により,前年比10.9%増に鈍化したあと,82年上期には前年同期比19.7%減少した。このうちプラント・機械類が43%減少し,鋼材・金属原料が23%減となったほか,綿花,化学繊維,耐久消費財等も減少した。
相手国別動向をみると対日輸入は82年1~8月に36.0%減少し(81年0.4%増),輸出が11.0%増(同年23.0%増)となったため,81年に引き続き対日貿易は出超となったが,貿易総額は76年以来初めて減少した。
また対米輸入も農業生産の好調から綿花等の輸入が減少したため,82年1~8月に前年同期比8.6%減少し(81年4.1%減),輸出は同25.3%増加した。
このため,対米入超額は6.4億ドルに縮小している(81年1~8月11.6億ドル)一方,対香港の輸出・入は82年上期にそれぞれ15.9%増,16.3%増と二桁の伸びを続けている。
貿易収支の黒字化に伴い,外貨準備高(金を除く)は急増しており,82年9月時点で92.2億ドルに増大した(81年末47.7億ドル)。
第6次5か年計画では輸出(8.1%)よりも輸入の伸び(9.2%)を高めに設定している。そして,輸出品の中では機械・電気製品の占める割合を引上げていき,軽工業品,工芸品,土産品の輸出を増加させ,エネルギー消費の多い製品の輸出を抑制し,輸入については新技術と基幹設備の占める割合を高めていく方針である。また,最近では81年初に一旦建設中止が決定された宝山製鉄所第二期工事,石油化学プラント等の建設を将来再開する意向が表明されている。
中国は791年より借款や直接投資の導入に踏み切っているが,80年頃から借款導入に対する慎重な姿勢を強めており,IMF・世界銀行等国際機関の融資,政府借款など長期低利の融資を重点的に導入している。82年には世界銀行から港湾の近代化,農業科学技術の発展のため約2億ドル,日本政府から82年度分円借款として650億円の供与が決定されたほか,初めてクウェート基金から約5,000万ドルの融資を受けることとなった。当初借款の利用状況は極めて低水準であったが,最近では徐々に利用されるようになっており,特に資源開発用資金は順調に消化されている。日本,フランス等の協力で進められている渤海,南シナ海等での石油資源開発は82年初に「海洋石油資源対外共同採掘条例」が公布され,初の国際入札が行われた。
また,近年,外貨獲得のため国際労務協力と対外工事請負を積極的に展開しており,ここ3年あまりの間に808件,約12億ドルに達している。そして43数か国・地域に技術者・労働者3万人余りを派遣している。
82年6月には初めて投資促進会議を開催し,諸外国に対して130のプロジェクト(うち外資分9億ドル)が提示される等,外資導入も多様化の方向で進展しつつある。
第6次5か年計画の内容は①工農業総生産額の伸びを年平均4~5%に抑え,財政収支の均衡と物価の安定を維持する,②このため引き締め基調を維持するが,投資資金に対する中央の管理を強め,エネルギー・輸送部門等に対する投資を優先的に配慮すると共に,既存企業の設備更新・技術革新投資の割合を拡大する。③民生の向上をはかり,国民一人当たりの消費を年平均4.1%増加させる(53~80年平均2.6%増)。④計画期間中の歳入・歳出の伸びをそれぞれ年平均3.3%,1.5%とし,年間30億元程度の財政赤字を見込む。⑤対外貿易・外資導入は計画的かつ積極的に行なう。⑥教育・科学・文化の振興をはかる。⑦5年間に合計2,9100万人を雇用する。⑧人口増加率を年平均1.3%以下に抑える等である。また,不合理な価格の改訂等を始め経済管理体制改革は第7次5か年計画期以降積極的に推進していくが,当面重点的に進めていく改革はA.企業の利潤上納制から納税制への切り換えB.拠点都市を中心とした地域間連携の強化C.商品流通径路の拡大等である。
また,第6次5か年計画の3年目にあたる83年については,①農業生産を4%増加させ,79年来続いている食糧栽培面積の減少を食い止め,食糧生産は2.2%の伸びを見込む,②工業生産は4~5%増加させ,品目別には石炭3.1%増,石油生産横ばいを見込み,エネルギー消費の大きい粗鋼は2.8%減とする。また化学繊維,原塩等については生産調整を継続する,③中央の資金管理を強化し,予算外投資を14%減少させ,基本建設投資総額は3.4%減(507億元)とする。④歳入・歳出をそれぞれ11.3%,11.0%増加させ,財政収支赤字は30億元を見込む,⑤輸出・入の伸びをそれぞれ4.8%,15.3%とする,⑥550万人の雇用を創出する,⑦エネルギー・原材料消費をそれぞれ2.5%,1~2%減少させることとしている。
また第6次5か年計画と同時に採択された新憲法では国家主席の復活と中央軍事委員会の創設を決めたほか,農村末端の行政単位である郷政府を復活させ,従来行政組織としての側面を合わせもっていた人民公社を単なる集団経済組織とした。また外国企業の投資に対する保証,人口抑制等についても言及している。
なお,82年春には,国務院機構の簡素化がはかられ,9月には党主席制が廃止され,総書記制による集団指導体制に切り換えられることとなった。