昭和56年

年次世界経済報告

世界経済の再活性化と拡大均衡を求めて

昭和56年12月15日

経済企画庁


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第5章 困難深まる共産圏経済と東西経済関係の諸問題

第1節 困難深まるソ連・東欧経済

1. 悪化するソ連・東欧経済―1976~80年計画の目標と実績

西側経済が相次ぐ石油危機で混迷の度を深める中で,ソ連・東欧経済はその計画運営によって不断の成長を示すかにみえたが,70年代後半に到って成長率が目立って鈍化するようになり,一部の国では,マイナス成長さえ記録した。1976~80年計画は,全ての国で未達成となり,1971~75年計画とは様変りの結果となった。

1976~80年計画では,内外の経済環境の変化を考慮して,ほとんどの国でその主要経済指標の成長目標が前期計画実績を下回る控え目なものに設定されていた。そして,国民経済のあらゆる分野での効率向上と質の改善が謳われ,それを主要原動力にして経済・社会の不断の発展を目指す方向が打ち出されていた。このことは,ソ連・東欧経済が従来辿ってきた粗放的・外延的発展()の方向が行き詰まりに達して,集約的・内包的発展の方向に路線を転換せざるを得なくなったことを示すものと理解される。しかし,この路線転換は困難であったとみられる。

(ソ連の場合)

ソ連についてみれば,第10次5か年計画(1976~80年計画)は,「質と効率」の5か年計画と規定され,少い資源投入によって多くの成果を獲得することを目指したものであった。このことは,投資の伸びを逐次低下させつつ経済の成長を維持するという関係に明確に表われていた。

しかし,工業生産は農業不振に伴う食品工業の伸び悩みとエネルギー産業,鉄鋼業,化学工業などの基幹工業部門の不振によって,計画の年平均6.3%増を大きく下回る4.4%増に止まった。

また農業不振が第9次5か年計画に続いて,ソ連経済の成長阻害要因となった。特に,79,80年と2年連続の穀物不作は,大量の穀物輸入にもかかわらず畜産の停滞を招き,国民の食生活にも多大の影響を与えることになった。

この他,輸送部門や,建設部門などにおいても計画目標は,未達成となった。

そうした中で,労働生産性の向上計画が未達成となったことは,ソ連経済の困難な状況を象徴している。第10次5か年計画では,国民所得の増加分の85~90%,工業生産増大の約90%,農業生産,建設・組立作業の増大のすべて,鉄道輸送の伸びの95%以上が労働生産性の向上によって確保されるとしていた。しかし,労働生産性は工業においては計画の年平均5.5%に対して実績同3.2%,建設では同じく5.4%に対して2.1%,鉄道輸送では3.7%に対して0.1%の上昇に止まった。

かくして,国民所得(物的生産部門の純生産高,支出ベース)成長率は,計画の年平均4.7%に対して同3.8%と第9次5か年計画に続いて目標未達成となった(第5-1-1表)。

(東欧の場合)

東欧諸国の1976~80年計画は,それぞれの国を取り巻く経済環境と発展段階の違いによって内容をやや異にしつつも資源を効率的に利用しつつ内外の経済不均衡を是正する方向で経済基盤の強化をはかり,その上に立って国民の生活水準向上を達成すると言う基本方向では,各国とも共通していた。

しかし,資源多消費型の経済構造は短期間では改造できず,一方では原燃料供給の伸びが期待できなくなり,需給は逼迫傾向を強めた。また,貿易不均衡は債務累積を招き,これに対して前向きの対策が効果をみないまま輸入抑制を余儀なくされ,それが生産面での隘路を招来した。

工業生産は,どの国も5か年計画目標を下回り,農業生産も前期実績の増加率を下回る国が多く,こうした状況を反映して国民所得成長率は全ての国で目標に到達しなかった。

2. 経済困難の原因―内的要因と外的要因

(1) ソ連の場合

ソ連経済のパフォーマンス悪化は,主に内的問題に起因しているとみられる。その根本にあるとみられる問題は,ソ連経済が粗放的・外延的発展段階から集約的・内包的発展段階への移行期にあるにもかかわらず,それを促す条件が整っていないことであろう。ブレジネフ共産党書記長は,第26回党大会(1981年2~3月)の基調報告の中で第10次5か年計画が困難だった基本的理由として,「質的側面よりも量的側面が前景に出ていた時期に定着した惰性,因習,習性の力がまだ完全に清算されていない」ことをあげ,経済管理の現状や計画作成のあり方について不満を表明した。

振り返れば,ブレジネフ政権が登場するとともに本格化した経済改革は,経済の集約的・内包的発展を目指す第一歩であった。農業国から工業国への急速な脱皮の過程では有効に機能した中央集権的計画管理制度も経済規模の巨大化にともなって計画の複雑化や経済管理機構の肥大化を招き,また一方で,経済の高度化にともなう多様な需要に応じ切れないなど硬直性をみせるようになった。こうした弊害を克服するために,企業の生産運営面における自主性をある程度認めた分権的方向が志向された。しかし,こうした経済自由化の方向は諸問題の発生によって修正を余儀なくされ,70年代に入って再び統制強化の方向がとられて,経済改革の目指した経済効率改善の成果はさしてあがっていないとみられる。

より具体的な側面をみてみよう。長期的観点に立つと,ソ連経済の成長鈍化の要因としては,①労働力の増勢鈍化が続く中で)(第5-1-2表),労働力不足が顕在化してきた,②資本装備度を高め,引いては労働生産性の向上を左右する投資が,従来の拡大テンポを維持できなくなった,③投資の分散,建設計画の遅れ,コスト上昇などで投資効率が低下した,④原燃料生産の遠隔地化と既存資源の枯渇化によってその生産の増勢が鈍化した,⑤農業生産の不安定性が克服されなかった,⑥インフラストラクチャー整備の遅れによる生産・流通面でのボトルネックが顕在化した,などがあげられる。また,多額の軍事支出もソ連経済にとって少からぬ負担になっているとみられる(ソ連の軍事支出は,西側推計によるとGNPの12~13%を占めると言われる)。

(農業問題)

ここで農業問題に焦点をあてれば,ブレジネフ政権登場とともに,農業部門は,重工業と並んで優遇された。具体的には投資の約2割が農業に集中され(ブレジネフ政権登場前の60年代前半の農業投資比率は約15%),機械化や化学肥料の多投化など農業近代化が推進された。このため,穀物生産はかなり増大した。しかし耕地の約2/3が気象条件に左右され易い地域であるため,豊凶の格差が大きく,農業生産は不安定にならざるを得ない。加えて,農業に於ける相対的低賃金等インセンティブの不足や生活環境の格差等が,農業の生産性を阻害しているとみられる。ソ連統計によっても,その生産性は,アメリカの20~25%に止まっている。

農業問題のもう一つの側面は,生産の拡大はもかかわらず,供給が需要に追い付かないことである。需要面では,所得水準の不断の向上と,食品価格の低位固定によって,畜産品などの消費需要が急速に高まっていると言われる。他方供給面では,畜産振興に力をつくしているが,飼料として大きな役割を果たしている穀物の生産は,例えば,第10次5か年計画では年平均2億1,500万~2億2,000万トンを目標としていたが,実績は2億500万トンに止まった。これに対して穀物を輸入することで飼料不足を補おうとしているが,それにも限界があって畜産の順調な発展は困難な状況にあり,食肉などの需給逼迫を招いている。

(エネルギー問題)

次に,エネルギー生産についても種々の問題がある。一つはエネルギー主生産地の東進化・北進化による問題の発生である。欧露地域の旧来の生産地が開発しつくされることによって増産が見込めなくなり,エネルギー増産の中心がウラル以東の西シベリア地域に急速に移動しているため,生産と消費を結びつけるのに問題が生じている。また,そうした自然条件が厳しく,かつ人跡未踏の地での資源開発を強いられることによって,生産自体を従来のテンポで拡大できなくなったことである。開発コストの年々の上昇(石油採掘コストは過去10年間に60%上昇したと言われる)にともなって,エネルギー投資は,すでに工業投資の約1/3を占めるに到っている。加えて,厳しい労働環境は労働力の定着率を低め,開発の遅れを招いていると伝えられる。

こうしたことは石油生産に顕著に反映し,第9次計画,第10次計画とも石油生産計画は未達成に終った。ただ天燃ガス生産は第10次計画の目標を達成している。

エネルギー生産の増勢鈍化は,ソ連一国として供給不足を招く状況には到諸国の発展段階っていない。しかし,コメコンの経済統合を推進するためにソ連はそれら諸国に一定のエネルギー供給を続けねばならず,また,西側諸国からの資本財や消費財,穀物輸入を賄うためにはエネルギー輸出に頼らざるを得ないことから,ソ連のエネルギー情勢は厳しくなっているとみられる。

(2) 東欧の場合

ソ連では,経済パフォーマンスの悪化は内的要因によって支配されているが,東欧諸国の場合は,労働力不足,経済非効率等の内的要因に加えて,交易条件の悪化,原燃料の供給不足等,外的要因に支配されるところも大きい。

それを検討する前に東欧諸国の経済的特質をみてみよう。第5-1-3表にみられるように,東欧諸国は3つのグループに分けて考えることが可能であろう。第一のグループは,東ドイツ,チェコスロバキアの相対的高所得国,第2のグループはハンガリー,ポーランド,ブルガリアの相対的中所得国,第3はルーマニアの相対的低所得国である。所得水準と工業化の水準が必ずしも平行するものではないが,概して工業化の進んだ国程,所得水準は高い。また,所得水準の低い国程,その成長テンポは高く,工業化への志向が強い。

さらに,対外依存度をみれば,それは所得水準の高低にはあまり影響されず,むしろ,経済規模が小さくなればなる程対外依存度が高いことがわかる。しかし,東欧諸国は,社会主義経済の特徴の一つとされた経済の自給自足性がソ連よりはるかに少く,その対外依存の程度は,西側の同じ程度の所得水準の国と比べてもほぼ同様である。

こうした,経済特質は,東欧諸国の経済戦略や経済制度を大きく規定してきた。相対的高中所得国の多くは,早くも50年代末期から60年代の初めにかけて粗放的・外延的発展方向が行き詰るようになった。そして,経済の集約的・内包的発展の方向が模索され,その結果が60年代後半に本格化した経済改革であった。これは,国によってニュアンスは違うものの計画管理制度の分権化を意味していた。そうした動きが特に目立ったチェコスロバキアでは,ユーゴ型の労働者自主管理と市場メカニズムを取り入れた経済モデルが模索された。またハンガリーでも市場メカニズムを取り入れることによって,経済の機動性を回復しようとした。チェコスロバキアでは,経済自由化に向けた改革は政治・社会の自由化要求による混乱で挫折し,再び旧来の計画管理システムに回帰したが,ハンガリーでは経済的困難が表出したにもかかわらず改革の枠組みは基本的に残った。これがハンガリー型誘導市場モデルと呼ばれるものである。ここでは中央計画は国民経済のマクロ的ガイドラインを示すに止まり,末端の経済単位である企業の計画とは直接関連をもたない。従って中央政府は,中央計画目標の達成に向けて,市場を媒体として,価格,財政,信用等の経済的手段を活用することで,各経済主体を誘導して行こうとするものである。

一方,相対的低所得国でも経済改革の動きが全くなかったわけではないが,粗放的・外延的発展の要素がより多く残っていたため,経済改革の緊急性に乏しく,ソ連型の中央集権的計画管理制度が温存された。しかし,70年代後半には,相対的低所得国も集約発展の段階に到達したとみられ,制度改革,経済評価システムの変更などによって,それに対応する動きがみられた。

しかし東欧諸国のこうした制度的枠組の変更も,急速に変化する内外の経済環境には十分に対応できなかった。このことが,東欧経済が困難に到っている根本の原因として指摘される。そしてそれは,貿易収支の大幅不均衡,債務の急増という結果となって表われている。

制度的柔軟性の欠除の問題に加えて,重要なのはエネルギー問題,労働力問題,そして農業問題であろう。

エネルギー問題については,東欧諸国でエネルギー自給ができるのは僅かにポーランド一国であり(第5-1-4表),それも豊富な石炭資源に負っているだけであって石油は輸入せねばならない。他の東欧諸国は程度の差こそあれ,軒並,外国に依存しなければならなくなっている。しかも,工業化の進展によってエネルギー自給率は低下する傾向にあった。他方,その主要供給国であるソ連のエネルギー生産が,東欧諸国の急速な需要増大を完全に満す程に増加しなくなったことはすでにみた。しかも,ソ連からのエネルギー供給価格は,西側市場に於ける程高くはないにしても(ソ連のコメコンへの石油供給価格は現在,西側市場価格に対して25~30%低いと言われる)着実に上昇した。このことが,東欧諸国のエネルギー問題を深刻なものとしている。

第5-1-5表 主要商品グループに関するソ連の対コメコン貿易契約価格指数と世界貿易価格指数

次に労働力問題をみると,東欧諸国は50年代末から60年代初に出生率の急速な低下にみまわれ,その影響が70年代の労働供給に影響を与えた。加えて,農業から工業への労働力の移動は次第に減少し,女子労働力の利用も限界に近づいたとみられるなど,労働需給は供給面から圧迫が加わるようになった。特にこの傾向は相対的高所得国程強い。そのため,生産性の向上を図ることが急務であったが,経済効率の向上は容易には進展しなかった。

農業面では,多くの国で長年の工業化の過程で農業が軽視され,生産基盤の弱体化を招いた。これに対し,所得水準の向上による国民の食料品消費需要の急速な高まりと多様化要求が農業生産,とりわけ畜産の拡大を求めたが,それに応えるだけの生産力を短期間に培うことは困難であったとみられる。こうしたことが,一部の国の食料輸入を増大させ,それがエネルギー・資本財輸入とともに貿易収支を悪化させる原因となった。

対外バランスの悪化は東欧諸国の経済成長の大きな制約要因となっている。東欧諸国は,西側先進国に対しても,ソ連に対しても貿易収支が赤字となっているが,とくに西側への債務が増大する中で西側への輸出を増大させることが不可欠となっているにもかかわらず,NICS等に対して競争力が劣り,十分な輸出ができないことが事態を一層困難にしている。

3. 改革への努力と今後の課題

(1) 1981~85年計画のねらい

ソ連・東欧諸国の1981~85年計画は,基本的に前期計画が目指した集約的・内包的経済発展路線を継承し,それを更に徹底・強化しようとするものである。それを,経済の均衡回復をはかり,国民生活の向上を不断に達成しながら実現しなければならないところに今次5か年計画の難しさがある。

ソ連の第11次5か年計画(1981~85年)は①生産の効率化によって経済成長の着実なテンポを確保する(第5-1-6表),②投資を既存設備の更新や技術再装備,未完成建設の早期完成に向けて集中し,新規建設や拡張建設投資はエネルギー等一部の部門を除いて認めない,③すでに蓄積された科学力の利用を重視する,④国民福祉の向上をはかる,などが柱となっている。言い換えれば,現有経済力の最大限の利用によって,国民福祉の一層の向上をはかるための安定した基盤を創ろうとするものである。従って,成長率をはじめとしてほとんど全ての計画指標が低目に抑えられている(第5-1-7表)。

東欧諸国でも,1981~85年計画はソ連同様経済効率の改善と経済不均衡の解消を目指し,その上に立って国民福祉の向上を図ることを目指している。

ただ,東欧諸国の場合には対外不均衡の深刻化を反映して,この問題の解決を最も重視しているのが特徴である。そのため,輸入依存の大きい原料・エネルギー資源の厳しい節約策を実施するとともに,輸出産業の振興によって輸出を伸ばして貿易収支を均衡化させるという方向がとられる。

こうした経済調整を成功させるためには何らかのシステム改革が必要となる。ソ連では,1979年7月に党・政府によって「計画化の改善および生産効率と作業の質向上に対する経済メカニズムの強化に関する決定」が為された。これは計画面では,計画の中心を中期計画たる5か年計画に置き,それを要として,長期計画(10~20年計画)と短期計画(年度計画)との結びつきや整合性を高め,それによって,経済社会目標をより効率的に達成することを目指している。また,経済効率を高めるため業績評価の中心指標を総生産高指標から付加価値指標に移すことを決めている。それに沿って1982年初には,67年以来の大規模な卸売価格の改定が実施されることになっている。

また,東欧諸国でも,こうした評価システムの変更や経済管理機構の手直し,貿易為替政策の変更等,種々の措置が打ち出されている(すでにハンガリーでは,ソ連・東欧諸国としては初めて,自国通貨の交換性を回復する方向が打ち出されている)。

(2) 1981年計画とこれまでの実績

1981年計画は70年代後半に一挙に表面化した諸矛盾を克服し,1981~85年計画の基盤を固める役割を持っている。そのため,主要計画指標は,1981~85年計画より更に低く抑えられている。農業総生産だけは,いずれの国も過去の趨勢から判断して意欲的な計画目標となっているが,工業総生産の増加率は,1981~85年計画の下限かそれを下回る計画となっており,国民所得成長率も,一様に1981~85年計画の下限付近に設定されている。

1981年計画の遂行状況は,国によってまちまちであるが,上半期の工業生産は東ドイツ,ブルガリアでは計画を上回ったが,混乱の続いているポーランドはもちろん,ソ連,チェコスロバキア,ハンガリーでは目標を大きく下回っている。農業面では,ソ連・東欧諸国ともに80年にひきつづき穀物不作が伝えられている。

(3) 問題点と今後の課題

ソ連・東欧経済が抱える問題はどれ一つをとっても,解決に際しては多大の努力が必要とされるものばかりである。また,これらを取り巻く客観情勢も今後更に悪化することが予想される。

原料・エネルギー問題では,開発コストのひきつづく上昇はさけられず,生産拡大には多大の資金と労力を必要としよう。一方,ソ連の資料で見てもソ連・東欧諸国はEC諸国よりも国民所得1単位当り1.4倍ものエネルギー多消費型経済となっていると言われる。そのため,省エネルギーが重要な課題となっている。とくにエネルギー自給のできない東欧諸国にとってそれは緊急の課題である。省エネルギー(より一般的には省資源)を達成するためには国際的価格構造と大幅に乖離した価格体系を是正することが必要とみられている。

また,農業問題についてみれば,この部門への多大の投資もさることながら,生産拡大に向けたインセンティブ策が重要な意味を持とう。たとえば,ソ連では,農工複合体の集約的発展策とともに都市近郊や農村住民の住宅付属地での生産増強を奨励する政策がとられている。これは,付属地経営の生産性が極めて高く,食品供給不足が続く中では,その役割が無視できなくなったためであろう。また,農・工従事者間の所得格差の是正とともに,農村での生活環境を整備することも生産刺激の重要な側面となる。

労働力問題では,出生率低下の影響で80年代に労働力不足が一層深刻化することが予測されている。しかし,労働力不足の問題については,供給面での制約もさることながら,単純労働の機械化の遅れあるいは非合理的労働配置,さらには労働力の定着率の低さ等,労働利用面での問題がなお大きくそれらの解決こそ真に重要な課題とみられる。従って労働力の合理的配置を促し,技術革新をスムーズに導入させ,また労働力を定着させることができるような経済メカニズムの整備が必要とされている。

対外不均衡の問題では,原料・エネルギー資源の消費節約,農業生産の安定化と合わせて輸出増加に向けた諸努力が一層必要とされている。

以上のような諸課題を解決してゆくためには,いずれ経済管理機構の根本的な手直しが必要となってくるものとみられている。

最後に,こうした諸問題の解決は窮極的な国民福祉の向上に不可欠であるが,それに伴う調整過程では一時的にせよ生活水準の向上にブレーキがかかることが予想され,それが急速に高まっている生活向上への国民の要求と衝突するおそれもある。すでにポーランドではそうしたおそれが現実化している。こうした事態を避けるためには経済の現状と経済的緊縮の必要性について国民の理解と協力を確保することが最も重要な課題とみられる。