昭和54年
年次世界経済報告
エネルギー制約とスタグフレーションに挑む世界経済
経済企画庁
エネルギー制約とスタグフレーションに挑む世界経済
1978年末の時点で世界経済をみると多くの面で73~74年の石油危機がもたらした不均衡からの調整過程が進展していた。すなわち,日・欧のインフレ鈍化と景気上昇,主要国間の経常収支不均衡の縮小,為替の安定,産油国黒字の縮小などがそれである。1979年は,世界経済が78年にひきつづいて改善を進め,新しい持続的成長への基礎固めをすることが期待された年であった。しかし世界経済の流れは再び大きく変えられようとしている。
それは,世界経済に二つの重要な出来事が起ったからである。一つは第一次石油危機以後6年目にして再び石油価格が大幅に引上げられたことであり,他の一つは基軸通貨国アメリカがインフレの一段と高進する中で景気後退へ向うこととなったことである。
しかも,こうした事態は,多くの国で失業がひきつづき高水準にとどまっている上,生産性の伸び悩みやインフレ期待の定着による賃金物価の悪循環が強まっているところへ起こっている。また,輸入石油に対する依存度も改善はしたものの,その度合いは不充分であった。
そのため,1979年末の世界経済は,インフレの再加速,石油消費国の貿易赤字の拡大,成長鈍化,非産油途上国の国際収支赤字ファイナンスの困難化,産油国経常黒字の再拡大とそれに基づく国際通貨情勢の不安定化等の困難に直面することとなっている。
こうした状態で迎える1980年は,インフレが悪化する中で更に一段と成長鈍化するおそれが大きい。
まずアメリカの景気後退は当初予想されたより深く,かつ長いものとなりそうである。それはインフレ改善が中々進まない上に,相次ぐ金融引締めが景気に悪影響を及ぼすと考えられるからである。インフレの改善が遅れれば実質可処分所得の伸びが高まらず,GNPの大宗を成す個人消費回復のきっかけが申々出て来ないであろう。アメリカの景気は今後,個人消費,住宅投資の減少が金融引締めの影響とも相まって在庫投資,設備投資に伝播し,その過程で出て来る雇用の減少が実質所得を減少させて一段と個人消費や住宅投資を弱めるということになる公算が強い。
もっとも今回の景気後退は前回のような大幅な落込み(山から谷まで6.6%減)とはならないだろう。そう考えられる第一の理由は,前回の経験にこりた企業の在庫・設備投資行動が極めて慎重で,そのため過剰在庫・過剰設備が少ないことである。第二は住宅に対する潜在需要が強く,また住宅金融市場の制度変更や政策的措置により金融引締めの住宅投資に及ぼす影響がある程度緩和されていることである。第三は,日・欧の景気は,鈍化は避けられないにしてもひきつづき拡大し,ドル安の効果もあってアメリカの輸出は伸びつづけると考えられることである。
一方西ヨーロッパの景気は,イギリスを除いて1979年央時点でなお底固さを維持している。これは,西ヨーロッパの景気は総じて上昇局面の初期段階にあり,民間設備投資が西ドイツを中心に前回石油危機からの調整過程を終了して回復しつつあるからである。また在庫投資にも過大感はなく,前回時のような急速かつ大幅な在庫調整を強いられるおそれは少ないと見られる。
さらに対外面では独,仏を中心とした域内貿易の伸びがつづいており,アメリカの景気後退の影響は西ヨーロッパ経済に対しては比較的軽度なものにとどまると見られる。
問題なのは,やはり第二次石油危機によってもたらされたインフレ悪化の影響である。すでにこれまでの景気回復の主役を果して来た個人消費は,インフレ悪化による実質所得の低下から弱まって来ている。また各国ともインフレ抑制のため金融引締めを強化しつつある。もっとも,前回の場合とは異なって目下のところ緊縮政策に転じたイギリスを除いて財政面においても本格的な引締めに転じた国はないが,再び石油価格が引き上げられたり,インフレ高進が賃金上昇率を押し上げたりすると,より一層の引締めから自律的な景気の腰が折られる可能性も出て来よう。
以上要するに西ヨーロッパの80年の景気動向は自律的な回復力をインフレ悪化に対処するための引締めがどこまで削減するかによってきまるといえるが,79年と比較してかなりの成長鈍化は避けられないと見られる。
以上のような先進国経済の大幅な成長鈍化から,発展途上国経済も成長が鈍化するものと見込まれる。こうして世界経済は79年の成長鈍化にひきつづいて80年も75年程ではないにしろ(世銀推計では世界の成長率は1.5%),さらに一段と成長鈍化を余儀なくされることとなろう。
79年から80年にかけて成長鈍化に陥る世界経済も80年後半には再び上昇に転ずるものと期待される。しかし,より長い目で見ると,80年代前半の成長過程はこれまで以上に制約されたものとなる可能性が大きい。
世界経済の中期的な成長がかなり制約されると考えられる第一の理由は,いうまでもなく,エネルギー供給の不安定性である。前回がどちらかというと一過性のものであったのに対して,今回は供給の不安定性が当面のみならずかなり長期にわたる可能性が大きい。
そうした事態に対処するため,主要先進7か国は,79年6月OPEC総会直後の東京サミットにおいて,79年,80年のみならず85年についても地域別の石油輸入目標を設定した。それは85年についていえば,先進7か国の石油輸入量を78年の実績対比わずか日量約170万バーレル,約7%増に抑えるというものである。これが極めて厳しい制約であるのは,いうまでもない。
今後の先進諸国の経済成長に及ぼすエネルギー制約の影響をOECDは次のように分析している。すなわち,85年のOPEC増産可能量(79年対比)を日量550万バーレルとかなり多目に見積っても,相当のエネルギー節約努力のない限り79年~85年のOECDM国の可能成長率は年率3.3%にとどまるというのである。これは第一次石油危機以前(60~73年)のOECDの平均成長率4.9%はもとより,第一次石油危機からの回復過程(75~78年)の4.2%をも大幅に下回るものである。この程度の成長では失業の増大は避けられないと見られている。
世界経済の中期的な成長が抑制されると考えられる第二の理由は,根強いインフレである。世界的なインフレは,79年,80年とひきつづく世界経済の大幅な成長鈍化によっても余り改善されないだろう。アメリカのインフレの基調は,今回の景気後退過程においても余り改善しないと見られる。そのため次の回復期に向う時点でのインフレのレベルは前回の景気回復スタート時の水準をかなり上回るものとなろう。こうして景気のサイクルを繰り返す度にインフレの底が上ってゆくのは,賃金・物価の悪循環構造が定着した上,生産性上昇率が著しく鈍っていることが主因である。こうした傾向は西ドイツ等を除いた西欧諸国にも一層強くあらわれており西欧の物価上昇鈍化も十分なものとはなり得ないだろう。
インフレ体質が定着すれば,インフレ抑制のための引締めはそれだけ長びき,また景気回復のための刺激策はそれだけ慎重にならざるを得ず,政策面からも成長策がとりにくくなる。
その第三は供給能力の天井である。多くの国で第一次石油危機以降設備投資が伸び悩み,供給能力の伸びが大幅に鈍化している。第一次石油危機以降の設備投資の伸び悩みは,石油危機による世界的不況とそれからの回復の遅れで,アメリカを除いて需要がつい最近まで十分でなかったのが主因であるが,生産性を上回る実質賃金の上昇による利潤不足,根強いインフレによる不確実性の増大,技術革新の停滞等もその原因となっている。
78年にはアメリカの設備投資の伸びが高まったほか,日,欧の設備投資も回復に向い始めていたが,米,日,欧,いずれの地域も供給能力を十分増大させるまでに至らないうちに第二次石油危機に頭を叩かれるはめとなった。
資本設備の伸び悩みは,生産性の伸び悩みから潜在成長力を低める。また多くの国で現在まだ労働力人口が高い伸びを維持しているため,設備の完全雇用のために必要な生産水準が労働の完全雇用のために必要な生産水準を下回ってしまい,労働の完全雇用を妨げる要因ともなっている。
こうして世界経済は,放置すれば,当面のみならずかなりの期間スタグフレーション的状況から逃れられないおそれが大きい。
こうした事態を回避するためには,先進国,産油国,非産油途上国すべての努力と協力が必要である。とくにいぜんとして世界の生産と富の大半を所有する先進工業国の責任は重大である。
先進工業国は次のような課題に取り組んでいかなければならない。
その第一は,石油依存を低減させるためのエネルギー節約・代替エネルギー開発を促進することである。東京サミットの合意は是非とも実現させなければならない。そのためとくに重要なのは価格メカニズムの活用である。エネルギー(とくに石油)の実質価格はその稀少性に見合った形で長期的に上昇して行くこととなろうが,石油需給の一時的な変動によって,その長期的な趨勢から大きく乖離しないような価格が形成されることにより消費節約と代替エネルギー開発のインセンティブと勢いを失わないようにすべきである。
こうしてエネルギー節約と代替エネルギー開発を図りながら,同時に有限資源としての石油のより有効な活用と世界経済の安定と発展を図るため,産油国との対話協調の道を探るべきである。
先進工業国の第二の課題はインフレを抑制して適正な成長を確保するためのスタグフレーション体質の改善である。このために成すべきことは多岐にわたる。一つは生産性向上,供給能力増大のため設備投資・技術開発を促進することである。二つは,経済全体としての効率を増進するという観点から政府規制をふくめて政府の役割を新たに見直すことである。三つは,価格機構の有効性を確保するため内外両面での競争を促進することである。四つは,職業訓練・労働力の流動化等労働力対策の推進である。そのほか,賃金・物価の悪循環に陥っている国ではそれを防止するための有効な社会的合意ないしは仕組みを作り出すことも必要とされよう。
スタグフレーションは永年にわたって多くの先進国の経済社会に浸透した根深い病弊であり,それを石油危機のただ中で治してゆくのは容易なことではないが,これを実現しない限り先進国経済の再生はありえないのである。
さて先進工業国の第三の課題は適切な需要管理である。インフレ悪化の彼方に成長鈍化がひかえているため需要管理政策の選択の幅は極めて狭められているが,インフレ抑制なくして持続的成長を実現することは不可能であることを考慮すると当面インフレを重視した政策を維持する必要があろう。これはインフレが昂進し経常収支が大幅赤字となっている国についてはとくにそうである。
その第四は非産油途上国に対する市場の開放と援助の拡充である。第一次石油危機を非産油途上国がほぼ順調に乗り切って来られたのは,先進国市場への輸出が大幅に増大したことによるところが大きかった。今回も先進国が非産油途上国へ与えうる最大の援助は市場の開放であろう。市場開放は先進国自身のインフレ抑制,産業構造の効率化等に資するとの観点からも,積極的調整政策を前向きに展開していくことが必要である。
援助の拡充が重要なのはいうまでもない。とくに民間資金のほとんど流れていかない低所得国に対する公的援助の拡充が必要である。また役割を拡大すべき公的機関への出資等の増大も要請されよう。
その第五は,以上のすべてを中長期的観点に立って国際的に協調しつつ実行することである。貿易・資本の交流が進み相互依存がここまで増大した世界経済の中にあっては,自国だけが他から隔絶して安定や繁栄をむさぼることは不可能である。東京ラウンド,東京サミットの精神もこうした認識に基づいている。とくに,OPEC黒字の増大等に伴い再び国際通貨不安が頭をもたげて来た現在では,為替市場の介入や金融政策の運営において主要国が協力することが一層重要となっている。
国際協力の必要性は先進国だけでなく産油国,非産油途上国にも妥当する。
とくに再び巨額な資本保有者となった産油国が,その新しい力にふさわしい世界経済上の責任を担うことが期待される。そのためにはまず非産油途上国の困難を助けるため,援助・投融資の両面において,直接または公的機関を通ずる資金量を飛躍的に増大させることが要請されよう。また石油生産及び価格設定自体についても,世界経済の安定と発展のため良識ある価格・供給政策をとることが望まれる。
非産油途上国にも求められるものはある。それは,インフレ抑制,農業開発,工業化の推進,経済社会の近代化等厳しい自助努力である。
こうした中でわが国の責務もきわめて重いといわなければならない。
年々世界経済における比重を高めて来たわが国は,1979年現在GNPで米国の約半分,英,仏,の2国合計にほぼ匹敵する規模に達しているものと見込まれる。世界の総生産に占めるわが国のシェアは1950年の1%強,1965年の4%強に対して78年には10%強に上ろう。また共産圏を除く世界の輸出に占めるわが国輸出のシェアも1950年の1.1%,1960年の3.6%から78年には8.3%に高まっており,米の14.2%,独の12.0%についで第3位となっている。こうして名実ともに世界の経済大国となったわが国はそれにふさわしい積極的な役割を果していくことが要請されている。
すなわち,まず第一に,幸いにして未だスタグフレーション体質に冒されていないわが国は,OECDの協調的行動計画に沿いながら,物価安定に留意しつつ,経済の持続的成長を維持していかなければならない。それは,わが国自体にとって望ましいだけではなく,世界経済全体にとっても,その安定に資するところとなろう。
第二は,ひきつづき積極的調整政策を展開しつつ非産油発展途上国に対する市場開放を推進すべきである。非産油発展途上国のわが国に対する依存度は近年高まっており,米国市場が鈍化する中でこれら諸国の輸出ひいては成長を支えるわが国市場の役割は大きい。
第三は発展途上国援助の拡充強化である。わが国は,従来から政府開発援助を積極的に拡充し,三年間に倍増するとともに,民間ベースの協力についてもこれを補完しつつ推進することとしているが,今後ともひきつづき発展途上国援助の拡充強化を図っていく必要がある。
そのほか,エネルギー技術開発の協力,為替市場政策における協力,国際通貨制度の改善に対する積極的参加等の各分野で積極的な貢献をしていく必要がある。
世界経済のすべての構成員がこうしてその持てる力を糾合することにより,現在の世界経済の諸困難を克服することが期待されるのである。