昭和49年
年次世界経済報告
世界経済の新しい秩序を求めて
経済企画庁
73年暮の石油危機はそれ以前の総需要伸悩み傾向とあいまって,74年初めから国民総生産(GNP)を減退させ,第2次世界大戦後第6回目の景気後退に追い込んだ。景気後退下にあっても,物価は急騰し,国際収支の赤字が続いて,有効な景気てこ入れ対策の採用を阻んでいる。
最近の実質GNP上昇率は73年第1四半期の年率9.5%(季節調整ずみ)をピークにして,その後の3四半期は約2%にとどまり,石油ショックの激しかった74年第1四半期にはマイナス7.0%と戦後最大の落込みを記録した。続く第2四半期にはマイナス1.6%までもち直したものの,第3四半期にはマイナス1.9%となり,第4四半期にはさらに大幅な後退が予想される(第1-1表)。
この1年間のGNP主要構成項目の動きで注目されるのは73年第3四半期から第4四半期へかけての個人消費の実質減少である。原因はいうまでもなく石油危機であって,乗用車,同部品ならびにガソリン,燃料油,電気,ガス支出は激減した。74年第2,第3四半期にはそのいずれも回復し,個人消費全体も微増した。
しかしその反面では73年第2四半期以来の住宅投資減少傾向が止まらザ,さらに74年第3四半期には非住宅投資の減少が加わって,落込み幅を広げた。だが,3期連続のGNP減少に最も大きく寄与したものは在庫投資であった。58年価格の在庫投資は74年第1四半期に94億ドル,第2四半期24億ドル,第3四半期32億ドル(年率)減少し,最大のGNP減少要因となった。純輸出は74年第1四半期まではGNP増大要因であったが,第2,第3四半期ではマイナスに変わった。石油輸入代金の増高によるところが大きい(第1-2表)。
政府の財貨,サービス購入は73年第2,第3四半期には財政引締めを反映して減少したが,第4四半期と74年第1四半期は連邦財政の横ばい,地方財政の支出増から全体とすれば,微増となった。ところが第2四半期には連邦横ばい,地方微増の結果,合計では年率2億ドルの減少となり,第3四半期も横ばいに終わった。
1972年の好況を受けて73年初めにも鉱工業生産は好調を続けたが,製造業稼動率が80%をこえ,春ごろには原料不足も現われ,さらに6月には未加工農産物を例外とする物価再凍結が生産をはばみ,金融引締めもしだいに強化されて,9~11月の月平均増加速度は0.2%となって1~3月平均の0.7%をはるかに下回り,12月には石油危機の影響から減産に変わった。
今回の景気循環の後退局面では73年11月を鉱工業生産のピークとして,74年11月まで12カ月間に4.3%減少した。月平均後退幅とすれば,過去4回の景気後退時に比べ最も小幅である。
その理由は石油ショックの初期的影響で73年12月,74年1,2月の落込みは大きかったが,3~6月には立ち直ったからでもある。四半期別にみても,74年第1四半期の前期比年率6.6の減少が最大であり,第2四半期にはやや立ち直り,第3四半期横ばい,10~11月には落込み幅を拡大した(第1-3表)。
製品および原材料別に区分した場合,製品の増減傾向は総合指数と変わらないが,原材料は3四半期連続減少,10月にもまた同様であった。最終製品は第1四半期のショックが大きかったが,その後立ち直った。ただしその内訳で耐久消費財は住宅建築,乗用車不況を反映して第1四半期に年率27%も減少,第2四半期にもち直したが,第3四半期,10,11月にも減少した。
事業設備は3四半期を通じて,生産の落込みを下支えした。
製造業の操業率は70年第4四半期を近年の最低として,その後しだいに回復,73年第2~3四半期には83.3%に上昇,第4四半期から減少に変わって,74年第3四半期には80%台を割った (第1-4表)。
一方,製造業基礎資材(12部門)の操業率は72年第3四半期に90%台になって,その後73年第3四半期には94.3%まで上昇,第4四半期以降は減少し,74年第3四半期には88.5%になった(第1-5表)。
民間住宅着工数は金融引締めによって73年初めから減少し,74年10月には112万戸と前年同月の33.5%減となった。一方,住宅建築許可戸数は73年中漸減傾向を続け,74年第1四半期に一時上向いたものの,その後減少し,8月以降100万戸台を割り,10月には前年同月比41.8%減と大幅に減少した。
原因は高金利と建築資材の騰貴である。政府は5月12印こ住宅金融に103億ドル注入する措置によって20万戸の増築を期待した。その効果があらたかでなかったこともあって,10月フォード大統領新経済政策では10万戸を建築する資金を供給する措置が明らかにされた。
74年12月の公定歩合引下げは金利引下げ傾向を確認したものではあるが,長期金利が大幅に下げ,住宅金融機関に資金が流入し,個人,法人の住宅購入意欲を高めるまでには,まだ時間がかかりそうである。
設備投資は1973年まで3年間増大したが,74年第3四半期には実質で減少した。第4四半期も同様と予想される。74年全体とすれば名目12.2%増と予想されるが,73年の12.8%には及ばず,74年には物価が急騰したので実質でみると,前年並であろう。
なお75年上期には名目前期比4%増の見込みで過去3年間の最低,74年下期の4.5%増にも及ばない。
民間雇用は72年の8,170万人から73年の8,440万人へ3.3%ふえ,非農雇用では3.5%増となったが,石油危機の加わった73年第4四半期ではほぼ横ばいとなり,74年11月の民間雇用は8,570万人と前年同月比0.1%増にとどまった。その反面では失業が急増した。73年は好況の年であったため,失業数は前年比54万人減の430万人であったが,同年10月の410万人を底として,増大に移り,74年11月には598万人となり,前年同月を40.5%も上回った(第1-1図,第1-6表)。
失業率では73年10月の4.6%から74年11月の6.5%に急上昇,61年10月以来の高水準となった。とくに74年9月以降自動車産業等のレイオフを反映して,失業率の上昇は著しく,12月には一躍7%と予想される(第1-7表)。
性別失業率は74年9月現在,男子3.9%(前年同月3.0%)に対して女子5.7%(4.8%)と女子の方が高く,人種別には白人5.3%(4.2%),黒人その他有色人種9.8%(9.2%)であるが,16~19歳男女では16.7%(14.3%)と高率である。
失業対策としてはフォード大統領が新経済政策の一環として給付期間の延長と公共事業の拡大を目的として1975年度に10億ドル,76年度に13億ドルの追加支出を予定した。一方,12月初めの上下両院でば委員会段階で50億ドルの失業対策予算が可決され,失業給付期間を経過した失業者に13週間給付期間を追加し,失業保険の適用を受けなかったものには新たに26週間手当を支給するなどの措置が承認された。この予算が可決されたあと,大統領はさらに10億ドルを追加要請するはずである。
1人当たり週賃金(民間,非農部門)は72年の136.16ドルから73年の145.43ドルヘ6.8%ふえ,74年11月には157.47ドルとなって,前年同月比では5.9%高であった。1967年価格に直してみると,1972年の108.67ドルから73年の109.26ドルへほとんどふえず,74年にはむしろ減少し,同年11月には102.00ドルと,前年同月比では5.6%減になった。
民間非農実質時間当たり賃金指数(第1-8表)は73年第3四半期まではまだ前年同期比増であったが,第4四半期以降は減少に変わった。消費者物価の上昇に賃金が追い付けなかったからである。
なお生産性との対比でみると,71~73年には景気上昇局面であったことも加わって,生産性はかなり上昇して,実質賃金の伸びを上回ったが,74年にはいって生産性と実質時間賃金はほぼ同じ幅だけ減少した。
労使協約による初年度賃上げ幅は73年第1~3四半期まで7%台にあったが,第4四半期と74年第1四半期には6%台に下がり,物価・賃金規制の廃止された74年5月以降は急速に上昇,第3四半期には11.9%と二桁になった。協約有効期間中の年平均賃上率もほぼ同じ姑向をみせ,74年第3四半期には7.9%に達した。物価の上昇率が高いため,賃上げ率も加速,12月初め3週間ストの後妥結した合同鉱山労組(UMW)の場合だと,3年間に64%(付帯賃金を含む)に達するほか,生計費エスカレーター条項(消費者物価指数が0.4ポイント上がるごとに1時間当たり1セント賃金を引上げる)がこの組合としては初めて導入された(第1-2図)。
すでに72年末ごろから農産物価格の急騰を主因に高騰を続けていたアメリカの物価は,石油危機を契機として一段と加速し,これに71年8月以来実施されてきた賃金物価の直接規制の解除等の影響も加わって,74年には終戦後の混乱期と朝鮮戦争時を除いて戦後初めての二桁上昇を記録した。
まず卸売物価は72年4.6%上昇と比較的落着いていたが,73年には13.1%と二桁上昇となり,74年1-11月にも前年同期に比べ18.6%も上昇した。73年高騰の主役は農産物やこれを原料とする加工食品・飼料であったが,74年には石油製品や基礎資材をはじめとする工業製品が価格上昇の主因となった。とくに直接規制が相次いで解除された74年春以降は農産物等がかなり大きな変動をみせつつも落着きを示したのに対して,工業製品は年率30%をこえる騰勢を続け,これが卸売物価高騰のほとんどを説明するに至った(第1-9表)。
一方消費者物価は72年3.3%上昇と70,71年の上昇率をかなり下回ったあと,73年には6.2%上昇と再び加速し,74年1-10月には前年同期比10.9%上昇と1947年以来の二桁上昇となった。消費者物価高騰の主因は73年においては農産物急騰の影響を受けた食料品の高騰であったが,石油危機後から74年にはガソリン等の燃料や食料品を除いた商品,各種サービス価格が上昇の主因となった(第1-10表)。
74年の物価高騰の特徴としては,第一に石油危機による原油価格の大幅上昇が単に石油製品価格の急騰をもたらしたにとどまらず石炭等代替エネルギーをはじめ他の原材料の価格高騰を惹き起し,それが順次加工段階や流通過程に波及していくなど,極めて広範囲にわたって相対価格の調整が進行中であること,第二に71年8月以来続いた賃金物価の直接規制(73年7月より第4段階)が73年末来業種ごとに順次撤廃され74年4月末には原油を除き全廃された結果,鉄鋼や自動車などを中心に統制期間中に抑圧されていた企業のコスト転嫁や利幅拡大要求が一挙に表面化し,需給要因とは関係の薄い価格上昇圧力が74年5月から秋ごろまで強く作用したことがあげられ.る。
第一の特徴についてば本報告第2-14図に明らかなように,アメリカにおいては素原材料段階では74年央にはすでに上昇が止まり新しい均衡価格に近づいているのに対し,中間材料や最終財段階では直接規制撤廃の影響もあって年央においてもなお高騰を続けており,消費者段階ではようやく急上昇過程にはいったところである。このことは石油危機以前の価格体系から新しい均衡価格体系に移行するまでに相当長い期間を要することを示唆しており,74年秋以降景気が一段と停滞色を深めているにもかかわらず物価の根強い上昇が続いている状況とも符合している。
74年初来秋ごろまで著しい騰勢を示した物価も景気停滞が一段と深まりをみせた10月以降工業製品を中心にやや上昇鈍化の気配がみえてきた。卸売物 価は10,11月とも農産物の反騰から季節調整済前月比でそれぞれ2.5%,1.2%と大幅上昇となったが,74年初来毎月2.5%前後の高騰を続けた工業製品は1.1%,0.9%の上昇にとどまった。一方消費者物価も10月季調済前月比7で0.9%上昇と8,9月の1,2%より鈍化しており,とくに食料を除く商品.の上昇幅は0.6%とそれまでの毎月1%以上の上昇テンポからは半減した。
物価の著しい高騰に対して政府は73,74年には様々のインフレ対策を実施した(本報告第1章第3節および第2章第3節参照)。対策の中心1ま71年8月以来の賃金物価の直接規制と金融財政両面からの総需要管理政策であった
が,73年の需給ひっ迫期に直接規制の弊害面が表面化するに及んで73年末以来インフレ対策は直接統制によらない総需要管理政策を中心に進められた。
賃金・物価の直接規制は73年1月から事前申告制を廃止するなど緩和されたが,物価が急騰したため3,5月に再び強化され,6月13日には物価の再凍結が行われた。7月18日から第4段階に移行,事前申告制を復活させるとともにコスト上昇相当分しか値上げさせない厳しい規制を実施したが,すでに73年初来需給の極端なひっ迫を背景にヤミ市場の出現,生産意欲の減退,国内出荷を抑え輸出に回すなどの統制の弊害面が目立ちかえって物価上昇に拍車をかけるおそれも出てきた。このため73年10月以降業種別に漸次統制は解除され,根拠法の経済安定法が失効した74年4月末には石油製品を除いて全廃された。5月1日以降は法的規制によらずに企業や労組への説得と自粛要請,および賃金物価の監視を強める政策を進めている。フォード政権になった8月末には監視機構として政府高官8名からなる賃金物価安定委員会が設置され,9月にはインフレ問題の重要性を国民に訴えその協力を得るために政府,学界,産業界,労働界等各界の指導者を一堂に集め全米経済頂上会議とその一連の予備会議が開催された。 なお財政・金融政策については4および5を参照されたい。 インフレ対策としてはこのほか,食料増産の促進,政府の戦略備蓄物資の放出,一部農産物の輸出規制や事前承認制,輸入制限枠の拡大などの供給増大政策,投資税額控除率の引上げ(74年10月)など投資刺激策,独禁法の運用強化と罰則強化(74年10月)など競争促進政策も総需要管理政策を補完するために活用された。なお新経済政策の第10項としてインフレに打ち勝つための市民運動の展開が掲げられている。 またインフレの被害救済のために最低賃金の引上げや,食糧スタンプ計画の対象拡大と給付額の増額などの措置もとられた。
74年2月4 B,ニクソン大統領は75年度予算案を議会に送った。歳出3,044億ドル,歳入2,950億ドル,差引94億ドルの赤字であった。しかし完全雇用ベースでは80億ドルの黒字とみた。歳出の伸びは前年比10.8%で,74暦年の名目GNP上昇率8%(実質GNPでは1%)よりはやや大きかった(第1-11表)。
重点施策としては国防の強化,エネルギー独立計画を推進するための総合的エネルギー政策,地方公共団体や個人の役割を高めるためのニュー・フェデラリズムなどがあげられた。
アメリカの歴史としては初めての3,000億ドル予算であるが,しかし前年に比べてふえたのはすでに既往において支出をコシットされていたものの増加分をまかなうための支出である。そのうち70億ドルあまりは社会保障支出の増大であり,80億ドル余は老人医療保険や失業保険のような所得保証関係費である。国防費もまた70億ドルふえ,利払い負担も13億ドル増であった。
74年度予算では社会保障費を含めてかなり大幅な支出削減を行ったが,75年度予算にはニクソン大統領のかつての気はくはみられなかった。ウォーターゲート事件の重圧があったからであろう。
景気がすでに成熟段階にあり,やがては伸び悩むという予測から大統領は景気後退防止の役割を新年度予算にもたせる必要もあった。これがその1年前のブーム抑圧をねらいとする予算との違いでもあった。
73年初めには議会に対して大統領予算以上には支出しないよう要請したものだが,74年には,ニクソン氏の予想以上に景気が下押しすれば,大統領自らが予算以上に支出する用意があると語った。
国防費は75年度に877億ドルで前年に比べ71億ドル増にすぎないが,社会保障を中心とする所得保障は1,001億ドルで,前年に比べ151億ドルにもの増加に当たる。所得保障支払いはニクソン大統領就任当時の69年度予算では377億ドルであったが,6年後には3倍近くになった。さらに所得保障計画に含まれない老人医療保険,医療補助,食糧スタンプ,公営住宅などを加えるときは合計1,298億ドルとなり,支出規模の42.6%を占める。その後財政赤字増大の懸念が発生,一方ではインフレが高進したため,74年7月には75年度の支出を50億ドル削減するよう議会に要請9月20U3Iこはフォード大統領が今後数年間で200.億ドルの支出を繰延べ,または打ち切るよう要請した。
1973年初めには年率10%近い高成長が続き,物価の上昇率は卸売で年率10%を越え,消費者物価で8%にもなっていたので金融引締めは堅持され,さらに過熱傾向が強まったため,金融引締めは進行し,公定歩合(ニューヨーク連邦準備銀行)は8月まで3,4月を除いて毎月0.25%ないし0.5%引上げられ,史上最高の7.5%に達した。 その後公定歩合は74年4月まで変更されなかったが,連邦準備の金利操作によって,フェデラル・ファンド(わが国コールに相当)もプライム・レートも上昇した。 大銀行のプライム・レートは73年6月の7.5%から9月には10%となり,74年1~3月にはやや下げたものの,4月にはふたたぴ10%にもどり,以後連続上昇して,7月には12%の記録高となって,9月下旬まで続いた。
このような引締め政策はいうまでもなく景気過熱の抑制をねらいとしたが,しかし74年央すぎには鉱工業生産の伸び悩み,住宅建築関係指標の悪化,失業の増大など重要経済指標が悪化したため,7月16日の連邦公開市場委員会は「今後数カ月間通貨の総量を適当にふやす」方向に変わり,次いで8月20日の同委員会も同一方向を確認した。
現実の公開市場操作に当たっては一定幅の目標金利を設定し,フェデラル・ファンド・レートがこの範囲内におさまるよう通貨の供給を調節した。
一方,預金準備率は73年7月19日から要求払預金について0.5%引上げ次いで9月20日に大口CD(定期預金証書)増加準備率を8%から11%へ引上げたが,74年9月以降は緩和方向に変わり,9月4日には大口CDに対する゛増加準備率3%の廃止が発表され,さらに,11月28日から一部の預金準備率が引下げられた。 74年12月9日からニューヨーク,フィラデルフィアの2連邦準備銀行が公定歩合を0.25%下げて7.75%とした。理由として資金需要の減退と市場金利水準の下降があげられた。しかし公定歩合引下げ発表日と同じ日に失業率が一挙に0.5ポイント上げの6.5%となったと発表されるなど,経済停滞がしだいに深刻化したことも見のがせない。
プライム・レートは9月下旬から急速に引下げられて10月末には11%,11月末には10%となったが,12月には年末の季節的需要もあって,横ばいとなった(第1-4図)。
1974年8月ニクソン大統領がウォーターゲート事件で辞任したあと,フォード副大統領が新大統領に就任,10月8F3Iこその抱負を盛り込んだ新経済政策を発表した。内容はインフレ抑制を主なねらいとするが,景気浮揚対策も用意されていた。対策は10項目に別れているが,そのうちおもな点は次のとおり。
値上がりを防ぐため能力いっぱいの生産を農民に要請し,米,ピーナッツ,棉花の残存作付制限を撤廃するよう議会に要請。ほかに食糧価格を引上げている公私の制限的慣行を摘発する。国内の食糧供給を潤沢化し,「協力を通じて」貿易相手国の需要を充足する。
75年末までに1日当たり100万バーレル輸入石油を節約し,80年までに石油だきの発電所をなくする。大気汚染法を緩和する。
生産性を向上し,値上げをおさえるため公私の制限的慣行を一止する。独占禁止法違反の罰則および運用を強化,罰金を法人100万ドル,個人10万ドルヘ引上げる(これまでは5万ドル)。
優先株に対する配当を企業の税務会計上損金に認めて,増資を容易にし,設備投資の税額控除率をこれまでの7%から10%へ引上げる。
失業手当給付期間を13週間延長する(これまで,は平均26週間)。失業率が3カ月間6%をこえれば,地域社会改善計画を発動する。このため地域社会改善公団を設立する。これによって失業者を最長6カ月雇用する。
中低所得層に16億ドルの減税をする。ただし大統領提案をまたなくても,議会は税制改正法案を審議中であった。
10万戸の住宅を新築できるよう30億ドルの住宅抵当債を購入する。
高金利政策の影響を受けて住宅金融関係の金融機関一貯蓄・貸付組合,相互貯蓄銀行-には資金がはいりにくくなったばかりでなく,他の高利回り証券に資金が流出したので,これを是正する法案が議会に出されている。
政府はこれを支持する。
アメリカは国内経済の健全化ばかりでなく,他国の建設的な努力を補定する政策を追求しなくてはならない。アメリカが指導権を握るために適切な新通商法を議会で成立させる必要がある。
法人税および中高所得層に5%の付加税を75年いっぱい賦課する(45億ドル)。このほか75年度の歳出を3,000億ドルに抑える。
インフレは公敵第1号である。これにうち勝つためホワイトハウスに調整役を設けて,全国的な自主的市民運動を展開する。新経済措置の75,76年度財政に与える影響は次のとおり。
1)法人税付加税…………21億ドル(増収)
2)個人 〃 …………26 〃 (〃)
3)石油税の増収…………35 〃 (〃)
4)租税逃避防止…………9 〃 (〃)
5)低所得層減税…………25 〃 (減収)
6)その他の税制改正……20 〃 (〃)
7)雇用援助………………14 〃 (支出増)
8)住宅金融………………2 〃 ( 〃 )
9)投資減税
個 人………………6億ドル(減収)
法 人………………27 〃 (〃)
10)優先権配当……………1 〃 (〃)
差引歳出超過……………4
住宅金融が比較的少ないのは住宅抵当を購入したうえで市場に売却するため,その差損が1億5,000万ドル計上されたにとどまる。
なお,フォード大統領は11月268,46億ドル75年度支出節約を議会に提案した。このあと増税案を議会に提出しても,11月の中間選挙で下院の3分の2を野党民主党に握られたため,成立の見通しはまったく消え,むしろ投資減税その他の景気振興措置だけが実現しそうである。なお議会は33万の失業者を公共事業に雇用する計画と現在失業保険の適用を受ける資格のない失業者に対する手当を含む特別雇用援助法案(55億ドル)は12月17日両院協議会を通過した。
1971年,73年のドル切下げ効果もあって貿易収支は73年第2四半期にほぼ均衡し,第3,第4四半期と黒字幅を拡大,74年第1四半期にもなお黒字を続けたが,それ以後には石油輸入代金の増高からふたたび赤字に転落した。
73年の黒字化はドル切下げ効果のほか,世界的な食糧不足による農産物輸出の増大によるものであった。
過去1年間の動きをみると,73年第3,第4四半期には対ソ小麦輸出など農産物輸出が急増し,工業品輸出の増加も加わって,前年同期比増加率はそれぞれ47.2%,52.9%に達した。その後伸び率はしだいに弱まった反面,輸入は石油の値上がりによって激増し,前年同期比増加率は73年第3四半期の25.7%から74年第3四半期の54.8%に急上昇した(第1-12表)。
74年の貿易収支は赤字必至であるが,いま統計の得られる石油を除いた輸入額を出してみると155.8億ドル(季節未調整)となり,前年同期の259.5%増となった。一方,同じ期間の輸入総額は449億ドルから652億ドルヘ45.1%増となったにすぎない。もし,石油,石油製品の輸入が皆無だったと仮定すれば,22.2%増にとどまる。 また貿易収支から石油輸入を除いてみると,73年1~8月の38.6億ドル黒字から74年同期の141.7億ドル黒字へと黒字額が激増する。
その他輸入品では工業原材料の伸びが著しいが(74年1~8月の前年同期比増加率)輸入価格の上昇によるところが大きいと思われる。他方,輸出は農産物の伸びが激減し,工業製品,工業原材料はほぼ前年なみの増加を続けた(第1-13表)。
なお73年7月にはアメリカ国内の供給不足が物価高を招くことを恐れて,大豆などの輸出を許可制とし,10月に廃止,また鉄スクラップの輸出を規制した。74年には作柄の悪化から,主要穀物輸出を事前承認制(10月)とし,ソ連向け小麦の輸出を340万トンから220万トンに抑えるなどにより,輸出が抑制されたことも注意しなければならない。
貿易収支の悪化を反映して経常収支も73年第4四半期の16億ドル黒字から,74年第1四半期の2,300万ドルの赤字,第2四半期20億ドノレ赤字に拡大した。74年第1,第2四半期には政府の長期資本取引が黒字に変わり,一方上期の長期民間資本取引が悪化し,資本輸出規制の緩和から民間短期資本の流出が急増した。このため74年第1四半期まで4期黒字を続けた公的決済ベース収支は第2,3四半期に赤字となった(第1-14表)。
1973年4月10日ニクソン大統領が議会に提出した1973年通商法案は①関税,非関税障壁(NTB)の撤回と②過大黒字国の輸入障壁撤廃対策としての輸入課徴金,緊急輸入制限の合理化によって,アメリカのみならず,世界の貿易を拡大し,ガットの改善をはかろうとした。 ところが下院は73年12月にソ連がユダヤ人の移民の自由を認めるまで,対ソ輸出信用と最恵国待遇を禁止する抱合わせ法案をつけて可決,上院は74年12月13日可決し,20日の両院協議会と両院本会議で成立した。それ(74年通前法案)によると
1)関税引下げ権限(5年間)5%またはそれ以下の関税率は廃止でき,5%超は60%引下げることができる。
2)関税引上げ権限非最恵国税率の50%引上げ,または75年1月1日の関税率の20%引上げか,いずれか高い方を実施できる。
3)供給対策主要物資の供給確保目的に貿易協定を結ぶ交渉を大統領に指示する。
4)非関税障壁国際貿易に対する非関税障壁を調整し,引下げか,撤回かの交渉を行う。 この協定には上下両院の承認を必要とする。
5)2国間協定大統領は多間多協定よりも経済的利益になる場合には,2国間貿易協定について交渉する。
6)国際収支権限国益に反しないと判断されるとき大統領は一時的に課徴金または他の輸入制限措置を-とらねばならない。
7)関税委員会委員の任期を6年から14年に延長,定員を6人から7人にふやし,名称を国際貿易委員会に変える。
8)エスケープ・クローズ(免責条項)国際貿易委員会が重大被害ありと認めた場合,大統領はある種の積極的措置をとらねばならない。
9)労働者に対する調整援助輸入被害による失業労働者は調整援助を請求できる。
10)企業に対する調整援助技術,財政面の援助を商務長官に申請できる。
このほか共産圏に対する最恵国待遇の拡大などが規定されている。このうち,市民の海外移住を制限する国には最恵国待遇や輸出信用を与えないことになっており,かねて問題となっていた。この点についてはユダヤ人の出国を自由化しない限り最恵国待遇および輸出信用の供与を1年中止する権限を大統領に与えるジャックソン上院議員修正案が成立,両院協議会で調整,最終的には,①市民に出国の権利・機会を与えない国,②出国やビザおよび出国のための関連書類に対し名目以上の税を課す由,③出国希望者に名目以上の税,罰金,手数料等を課す国について最恵国待遇,信用保証,投資保証を与えない。
ただし本法成立後18カ月は適用除外できることになった。
アメリカ人は金の購入ならびに保有を1934年以来禁止されていたが,今日では日本をも含めて多くの国でこの制限が解除されており,アメリカ国内でも自由化の要求が強く,74年12月末をもって自由化されることになっていた。
ところがアメリカの金需要は巨額な金額に達するなどの予測が市場筋から出され,金相場高騰の一因となった。
こうした投機熱冷却目的に自由化の日程を6カ月延期する法案が民主党議員から出された。12月3日,それを審議する議会の公聴会でサイモン財務長官は75年1月6田こ200万オンスの公的保有金を放出すると述べて,世界を驚かせた。金相場の動きいかんによってはアメリカが金を放出することは一部に予想されたことではあったが,これほど早く,かつ明確に発表されるとは一般に考えられなかったからである。
この発表の数分後にロンドン自由金相場は6ドル余下げて1オンス=177ドルとなり,翌日こはさらに7ドル下げたのち,ややもち直して174ドルで引けた。カナダのウイニペツグ取引所でも同じ2日間に9.95ドル下げて176.65ドルとなった。
サイモン長官によると,①金自由化による輸入増を抑え,②金売却代金で財政赤字を補てんするのがねらいとされている。
しかしバーンズ連邦準備理事長は12月5日の同じ公聴会で自由化の半年延期に賛成した。理由は①金購入目的に貯蓄預金が引出され,②投資家の関心が株式から金に移り,株価が下がる,③金輸入がふえ,貿易収支の悪化を招く,④国際通貨体制に占める金の役割が未決定の現状では,公的保有金の大幅取崩しは好ましくないなどであった。
政府部内の見解の対立に議会がどう動くか判明しないが,金自由化の日程は迫っており,それまで議会の決定がくだされる可能性はほとんどない。
1973年12月268,商務,財務両省も連邦準備理事会は63年7月以来ドル防衛の一環として実施された金利平衡税その他の対外投融資規制を次のように緩和したー
1)株式ならびに債券に対する最高税率を11.25%から3.75%へ引下げる。
2)商業銀行の,対外融資わく(71年9月末の85%)を4%ふやし,残高1,000万ドルまでは自由とする。
3)在米外国銀行の対外融資わくを4%ふやし,適用を除外される残高を100万ドルか"ら1,000万ドルヘ引上げる。
4)対外直接投資の規制免除額を1,000万ドルから2,000万ドルヘ引上げる。
5)海外利潤再投下わくを従来の60%から100%に引上げ,本国送金義務を廃止する。
これは73年2月12日のドル切下げに当たりシュルツ財務長官が74年末までに廃止すると約束していたところであり,国際収支の好転と石油値上がりにともなう諸外国のドル需要をまかなうための措置であった。
次いで74年1月30日にはドル防衛最後のトリデとなっていた上記の資本流出規制を全廃した。 この結果74年第1四半期以降銀行を通じる資本流出がふえ,またアメリカ人による外国証券購入もふえた。
金融引締めはようやく緩和され始めたが,財政引締めとくに法人,個人の所得税付加税提案をフォード大統領が撤回したわけではない。ところが現実には失業者が11月600万,失業率では13年ぶりの高水準となり,自動車産業では12月に二桁の失業率になったもようである。 自動車不況の直接原囚は石油危機であるが公害対策費や人件費の増大を理由として,毎年のように値上げがあり,74年は1台平均400ドルの大幅値上げがあったのがエネルギー危機と相まって消費者の買控えを誘発した。加えて失業多発のおりから消費者購入意欲も著しく衰え,自動車不況は最悪事態を迎えようとしている。 自動車不況と住宅建築不振に加えて,設備投資が74年第3四半期から減少・に転じたため,景気の落込みがさらに促進される恐れが出た。12月初め発表の商務省予測調査では75年上期に4%増とされ,74年下期の4.5%増よりも増勢がゆるんだし,物価の上昇を差引けば,実質減となるだろう。連邦準備は金融緩和政策に転換し,一方,政府はこれまでのところ失業対策費の増額を予定し,住宅建築のてこ入れ,設備投資振興策,優先株配当の優遇などの手を打ってはいるもの,反面では75年末までに輸入石油を15%節約する需要抑制策もあって,経済刺激効果の一部が減殺される恐れがある。
そこで政府が次に打つ景気対策のいかんによって,75年の経済情勢にはかなりの変化が現われよう。 現状では民間予測の多くが75年央まで景気後退とみ,グリーンスパン大統領経済諮問委員長も春すぎまでGNPは落ち込むとしている。年央すぎに期待される回復も,あまり活発なものとは予想されない。
なお,OECD見通しでは,74年にマイナス1.75%成長,75年にも2%のマイナス成長とされている。
73年のカナダ経済は,1971年以降の景気拡大過程の3年目に当り,物価を除いてきわめて好調であった。すなわち,73年の成長率は,名目で14.9%,実質でみて,67年以来最高の6.8%を記録した(第2-1表)。
このような高成長の要因は,国民総生産の約6割を占める個人消費支出を軸にして,民間設備投資と輸出需要の盛り上りであったが,他方供給面では,生産能力は限界に達し,原材料,労働力不足が広範囲に拡がった。
過去1年間の動向を四半期別にみると,73年第2,第3四半期の不調のあと,第4四半期には実質年率10.4%増と盛り返し,74年第1四半期には減速しながらも,すう勢をこえる5.8%の成長率を達成した(第2-1図)。その後,景気は急速に後退局面に入り,第2四半期には実質成長率はゼロ,第3四半期は年率0.1%減と,2期連続ゼロ成長に陥ることとなった。
この要因は,まずアメリカを初めとする主要国の景気停滞による輸出の不振及び輸入の増加による対外部門の不調と建設コストの上昇による住宅建設の落込みであり,これに加えて合法,非合法の労働ストがひん発したことが挙げられる。
鉱工業生産の推移をみると73年第4四半期から盛り返したあと,74年第2四半期から停滞し,第3四半期には前期比伸び率1.2%減となった(第2-2図)。
住宅着工件数の推移をみると,若年層の住宅需要が強いことなどによって過去3年間ブームが続き73年には最高の269千戸に達したが,建設コストの上昇を主因に74年央から都市部を中心に急速に減少し,74年11月には前年同月比32%減の年率167千戸となった(第2-3図)。
石油危機の影響については,カナダは石油を自給できる体制にあり,また天然ガスも豊富であるのに加えて,政府が原油価格を1バーレル当り4ドルに凍結したので,輸入原油に依存している東部諸州を除いては,ほとんど直接的影響を受けなかった。しかし,74年4月以降原油価格が6.5ドルヘ引上げられたことと主要先進国の景気停滞による間接的影響によって,カナダの経済成長は大きな制約を受けることとなった。
73-74年のカナダ経済は,好景気局面から景気後退に向ったが,その間物価は一貫して急騰し,最も重要な政策課題となったのである。
73年の経済活動の活発化を反映し,72年秋の選挙の最大の争点であった失業率は,73年には5.6%,74年1-11月平均5.4%へと改善をみせ,アメリカとの失業率のかい離もなくなり,最近ではこれを下回っている(第2-2表,第2-4図)。
しかし,失業率は,70年以降の景気拡大期において,特に73年後半から74年初めにかけて労働力需給のひっ迫が叫ばれたときにおいても,いずれの四半期をとっても5.2%以下に低下することはなかった。
これは,73年43万人,74年11月までの1年間に34万人(季調済)と雇用が大きく創出されたにもかかわらず,若年及び婦人層の労働市場への参入が著しかったためである。また,カナダは地域が広大で労働力移動が円滑に進まないこと(州別の失業率格差がきわめて高い),手厚い失業保険給付があるために失業者が就職機会を慎重に選択できることが挙げられる。
消費者物価は,72年後半から騰勢を強め73年には前年比7.6%,74年1-11月平均で前年同期比10.7%へと上昇した。費目別にみると,食料品価格が72年夏の異常降雨による穀物を中心とする農産物の不作を主因に綜合物価上昇率の2倍近い速度で上昇し,国民の食生活に大きな影響を与えた(第2-5図)。
ところが,74年5月頃からは,住宅抵当金利の上昇を主因に住居費,石油価格の急騰による輸送費の上昇率が目立ってきた。第2-6図にみられるような石油製品価格の上昇は,輸送費のみならず住居費にも影響を及ぼしている。上昇寄4率でみると,73年には食料費が52%ときわめて高かったのに対し,74年IL9月平均で住居費が31%,輸送費が15%とウエイトを高めてきている(第2-3表)。
他方,消費者物価の先行指標とみられる卸売物価は,前年比でみて72年の7%から73年には21.5%と急騰し,74年1-10月平均でも前年同期比22.9%へと上昇した。最近の状況をみると,8月二10月には3カ月続けて,73年5月以来前年同月比20%を切る落着きぶりをみせてきた(第2-7図)。
以上のように,73-74年央頃までの物価上昇は,世界景気の同時的拡大による一次産品価格の上昇,世界的食料不足による農産物価格の高騰の国内価格へのはね返りという海外要因と国内需要の活発化による国内要因に求められるが,最近では世界景気の停滞によって需要要因は落着きをみせ,今後賃金の上昇によるコストプッシュ要因が強まるという見方が多くなってきている。
カナダの賃金上昇率は,72年までは消費者物価の上昇率を上回って伸びてきたが,73年及び74年1~9月平均では,逆に消費者物価を下回った。しかし,74年9月をみると,消費者物価の上昇率10.9%に対し,賃金上昇率はこれを上回り12.4%となっている(第2-8図)。
また,カナダ労働省調査による労働協約賃金上昇率の推移をみると,74年に入って上昇傾向が著しくなっており,第3四半期には14~15%に達している(第2-9図)。
74年に入って合法,非合法(山猫スト)の労働ストがひん発し,労働損失日数は,73年1-9月の461万日に比べて74年1-9月には805万日に急増している。業種別にみると,鉄道・航空・船舶などの輸送業・建設業・製紙業などに多い。
労働協約においてインフレによる実質賃金の目減りを防ぐための生計費条項(賃金の物価スライド制)の導入が最大の争点である。カナダ労働省の調査によれば,本年上半期において主要185件の労働協約中,生計費条項を採用したのは60件といわれる。例えば,去る11月に妥結したカナダ鉄道労組の労働協約によれば,75年の賃金は15%アップ,生計費条項の基づき,74年350ドル,75年には消費者物価が10%を超えた場合協議により相当額が支給されることになっている。今後賃金は大幅に上昇する見通しが強い。
73年の貿易収支は,輸出が前年比26%増の253億ドルに対し,輸入が25%増の233億ドルとなった結果,20億ドルの黒字を計上した。74年1‐11月においては,輸出が前年同期比27%増に対し,アメリカからの自動車,同部品など輸入が36%も増加したため,貿易収支は73年1‐11月の黒字19.6億ドルから4.8億ドルへと黒字は著しく減少した。これを四半期別にみると,貿易収支は73年代3四半期から漸次縮小し,74年代3四半期にはわずか47百万ドルの黒字に止まり,10,11月平均では赤字に転落している(第2-10図)。この要因は,カナダ貿易の約7割を占めるアメリカを初めとする主要先進国の景気が悪化したためである。
次に,国際収支状況を見ると,73年の経常収支は,貿易収支の好調によって改善したが,74年上期には,貿易収支の不調と旅行,対米利子,配当の送金増加を主因とする貿易外収支の悪化によって,経常収支は大幅に悪化した(第2-4表)。ひき続き,第3四半期も経常収支は5.2億ドルと赤字幅が拡大している。
他方,長期資本収支は,州政府の外債発行などにより流入傾向が続いている。短期資本収支は,内外の短期金利の格差によって,73年には流出したが,第4四半期以降は大幅に短資が流入している。その結果,綜合収支は74年上期には改善がみられた。
カナダドルの対米ドル交換レートをみると,71年以降安定的に推移していたが,74年に入ってから,カナダのエネルギー開発促進による外資流入増,対米石油輸出増加などによって,4月には過去16年来の最高値である1.04米ドルを記録した(第2-11図)。しかし,その後米ドル相場の回復と,カナダの経常収入悪化,原油の需給緩和などによって,カナダドルの対米ドルレートは急速に軟化しはじめ,9月現在1.01米ドル台にまで下ってきている。
74年9月トルドー内閣の施政方針演説が発表された。その骨子は,インフレとの闘いを重要かつ緊急の課題としてとりあげ,支出を抑制するが景気の停滞を招かないように努めるとし,インフレ対策を進めるに当っては,政府は一国民経済の各階層と話し合い,協力を要請するという方針を明らかにした。以下,主要な経済政策についてみてみよう。
現内閣の物価対策は,インフレの主因は国際的需給の不均衡にあるとみて,財貨及びサービスの供給拡大を最大の目標とし,他方インフレの影響を強く受ける低所得者,老齢者を救済するという立場を堅持し,野党の主張する賃金・物価の凍結を排除してきた。これまでの政府の具体的対策をみると,73年に製造加工業の法人所得税の10%減税を実施して40%とし,74年5月,消費者・法人省の外局として設けられた食品価格監視委員会の勧告を考慮しつつ,パン用小麦に対する補助金の引上げ,牛乳に対する補助金の導入,ガソリン等燃料価格の凍結などの措置を実施した。今後の措置は,施政方針演説で明らかにされてい名が:その概要は次の通りである。
①物資の供給拡大-食料生産の増加のため農家に対する助成措置の拡充,住宅建築の増加を図るため宅地のコスト引下げの資金援助,経済効率を向上させるため,中小企業に対する支援強化及び地域開発振興法の拡充,エネルギー供給増加のため国有石油会.社の設立などである。
②低所得者,老齢者の保護一食品価格監視委員会の機能の年末までの延長,新規住宅購入者に対する助成措置の適用,老齢者・退役軍人に対し76年以降年金の最高限度枠の引上げなどが提案されている。
これらの措置のほか,政府は企業の不当な値上げを抑えるための法案も提出する予定である。
個人所得税について,インデクセーションが74課税年度(74年1月)から実施されている。
その算定の基礎は,前年9月までの1年間の平均消費者物価指数の上昇率にスライドさせて各種所得控除額と自動的に引き上げることである。74年10月に,大蔵省は75年の個人所得税に適用されるインデックスを公表した。これによると,75年は1,174で73年に比べて17.4%の引上げである(74年のインデックスは1,066)。73-75年の各種所得控除額は次の通りである。
また,連邦政府は,73年11月よりカナダ年金計画,連邦職員給与において,消費者物価との完全スライド制を導入している。
74年11月ターナー蔵相は,適正な経済成長の維持とインフレ抑制を主眼とした新財政方針を発表した。これは,去る5月に連邦議会で否決された予算案を基本的に維持しつつ,その後の景気情勢の悪化に対応し,また資源課税問題で連邦・州政府間の調整営するなど若干の手直しを行ったもので,インフレ抑制を強調しながらも,景気刺戟策への転換を図っているのが特色である。
予算収支をみると,74-75年度はインフレによる歳入増が大きかったため,2.5億ドルの黒字となったが,75-76年度は10億ドルの赤字を見込み,これに予算外収支を加えると30億ドルの赤字という積極的な財政政策をとっている。予算編成の基本方針は,適切な需要水準の維持,減税,歳出抑制,地域開発など選択的景気刺戟,民間投資の拡大,低所得層の保護などであり,具体:的には次のような施策を講じている。
(物価対策)
①個人所得税の最低課税対象額を100ドルから150ドルヘ引上げ
②貯蓄性債券の利子・配当収入(年囮1,000ドルまで)の所得税の免除
③食肉,精製糖など生活関連物資に対する関税率引下げの76年6月までの期限延長
(住宅対策)
①住宅購入貯蓄計画を実施し,年間1,000ドルを所得税の課税対象からの控除
②建設,土木資材に対する売上税の引下げ
③中央住宅抵当公社に対する資金援助
(民間投資の維持)
①鉄道,車両等の売上税の廃止
②新規購入機械設備の2年間償却措置を無期限延長
③公害防止設備の特別償却制度の2年間延長
(資源課税)
①資源産業の法人所得税を48%から50%へ引き上げ,ただし,石油,天然ガス産業に対しては,アルバータ州など生産州との妥協を図り,所得税の連邦政府取分を74年は30%に据置き,75年28%,76年25%と漸減する方式を採用した。
②鉱業税,利権料等州政府への納付金は,連邦法人税の計算上損金とは認めない。
③採鉱費は,従来通り100%損金算入を認めるが,開発費は30%を損金扱いとする。
(特別付加税)74年5月から75年4月までの1年間,連邦政府に対する法人税10%の追加課税を行なう。
対象除外業種は,鉱業,石油天然ガス業,中小企業,製造加工業である。
カナダの公定歩合は,73年4月から数回にわたって引上げられ,74年9月には9.25%となっ,た(第2-12図)。
73-74年初めにかけての公定歩合の引上げは,経済の過熱を予防し,アメリカへの短期資金の流出を防ぐことに狙いがあったが,74年後半からはインフレ対策を含めた金融引締めを意図したものとなった。このような高金利も,最近における経済活動の停滞に伴う資金需要の緩和傾向を反映し,アメリカでの短期金利・プライムレートの低下に歩調を合せ,カナダでも10月に入って短期金利が下げ足に転じた。そこで,中央銀行は11月18日に公定歩合の9.25%から8.75%への引下げを実施し,これに伴い市中銀行はプライムレートを11.5%から11%に引下げた。また,中央銀行は,市中銀行の第二次支払準備率を現行の8%から7%に引下げ,12月1日から実施した。中央銀行総裁は,これらの措置をとっても,インフレが最大の問題であるので,金融引締めの基本路線は堅持すると述べ,準備率引下げによる市中銀行の流動性増加に対しては,公開市場操作を通じて,その一部を吸収する方針であることを明らかにしている。
カナダの外資政策は,基本的には経済成長を促進するため外資を歓迎するということであり,そのため資源産業及び製造業のうちでも自動車,化学,電機など資本,技術集約型産業は広汎な外資支配を受けることとなった(第2-13図,第2-14図)。
このような状況において,近年ナショナリズムの動きが高まり,73年12月に外資審査法(Foreign Invesiment Review Act)の成立をみた。本法の概要をみると,外国投資家が,資産総額25万カナダドル以上又は年間総収入300万ドル以上の既存企業の株式又は資産の取得により当該企業を買収する場合,及びカナダに新規企業を設立しようとする場合には,外資審査庁の許可を求めなければならないとされ,その許可はカナダ経済に著しい利益をもたらすと認められる場合に与えられる。このうち,既存企業による買収に関する施行規制は,74年4月に発効したが,外資企業の新規設立と非関連事業分野への進出規制に関する部分は,74年末までに発表される予定である。また,政府は,連邦法に基づいて設立された会社の役員の過半数はカナダ人でなければならないとする会社法の改正,カナダ会社が外資の所有によって輸出が阻害される場合の政府の介入などの措置を講ずる方針である。
石油を初めとする天然資源に対する連邦政府又は州政府の権限を拡大しようとする動きが活発になっている。
オンタリオ州以西の資源生産州では,ブリティシュ・コロンビア州の鉱産物利権料法案など利権料引上げの動きと相まって,連邦予算案の新鉱業税制による課税強化は,新たな資源開発に大きな影響を与えている。また,州鉱業税,利権料等州政府への納付金が連邦所得税から控除されないことは,鉱物資源に対する連邦政府の直接課税を意味し,憲法上鉱物資源の,管理,処分権を有する州政府との調整が問題となっている。
カナダは石油の自給国である。しかし,太平洋側の西部は,国産原油でまかない余分はアメリカの中西部に輸出し(73年1日当り110万バーレル),東部は輸入原油に依存する(同90万バーレル)という特殊な需給構造を有している。価格面では,アメリカ向けは国際価格の上昇にリンクして輸出税を引上げ(現在1バーレル当り5,2ドル),それを東部の輸入石油の補助金の財源とし,国内価格を国際価格に比べ低く維持している(同6.5ドル)。
74年11月下院において,マクドナルド エネルギー・資源相は,国家エネルギー庁の長期石油需給見通しに関する報告の線に沿って,今後対米原油輸出を漸減し,80年代前半には全く停止する方針であると述べた。
同報告の概要は,①76年までに西部から東部へのパイプラインが延長されても,国産原油の生産能力が漸減する結果,82年初めには生産と内需は均衡し,83年には1日当り20万バーレルの不足となる,②長期的にみて,80年代後半からは,新規国産原油,タールサンドからの採油が可能となるが,この間は生産能力の減退に応じ,原油輸出の削減が必要である,③従って,許可制の運用により,74年の対米原油輸出1日当り97万バーレルを75年には80万バーレルに減らし,82年末にはゼロとする必要があるというものである。
このような措置が実施されれば,国内の産油諸州,石油企業及びカナダ産原油に100%依存しているアメリカ西部の石油企業に打撃を与えることになり,今後アメリカの石油企業は供給源の転換を迫られることとなろう。同時に,国内でもエネルギー節約を行うことが必要であるとし,今後一連の政策が発表される予定である。 また,カナダの石油事業は,ほぼ全面的に外資企業の支配下にあることから,既存外資系石油会社の買収,石油,天然ガスの探査,アサバスカのタールサンド開発などを業務とする綜合的な国有石油会社設立法案が提出されている。
ウランについては,74年9月エネルギー・資源相は,ウラン規制に関するガイドラインを発表した。その概要は,ウラン輸出契約を行おうとする会社が当該輸出契約量以外に保有するウランが国内供給用として十分であるかどうかを厳しく審査しようとするものである。
カナダ経済は,実質成長率,71,72年とも5.8%,73年6.8%と順調に拡大してきたが,74年第2四半期からは,世界景気の後退の影響を受けて,鈍化に向いつつある。ターナー蔵相は,11月の予算演説において,74年の実質成長率を4-4,5%,75年は約4%との見通しを明らかにした。個人消費支出は,実質所得が安定的に増加しても,これまでのように景気を主導する力はなく,輸出,住宅建築にも多くを望み得ず,民間設備投資に最も期待がかけられている。
物価についてば,政府は現在の二桁インフレを一桁に抑える努力をするが,それは穀物の収穫見通しと賃金動向にかかっていると述べている。 75年の民間の経済見通しは,実質成長率1~4%,インフレは74年と同程度(74年1-11月平均10.7%),失業率6-8%(74年1-11月平均5.4%)というのが多い。例えば,カナダ経済審議会は,実質成長率74年の4.1%に対し75年は1.1%増,消費者物価は12%の上昇と予測している。
また,74年12月発表のOECD経済見通しによれば,75年の実質成長率は3.5%,物価上昇率は11.5%となっている。
1973~74年のイギリス経済は,73年秋の石油危機をはさんで大きく変貌し,ブーム的局面から一転して景気は停滞に向った。加えて,その後の炭鉱,発電部門などにおける労働争議の悪化はエネルギー危機をひきおこし,政府は11月央,非常事態を宣言して石油,電力の消費・価格規制を行うとともに,経済政策も引締めに転じた。 とくに,74年初から3月央にかけて実施された週3日操業制は,経済活動の大幅低下をもたらした。この異常事態のなかで行われた総選挙の結果,労働党が3年8カ月ぶりに政権に復帰し,炭鉱ストを解決するとともに,正常操業も再開されて経済活動の正常化がすすんだ。 労働党政権は,当初は,在庫を中心に需要の回復力が大きいと判断して,3月末の74年度予算案を引締め色の強いものとした。しかし,夏頃までには,それが過大な推定であり,むしろ需要圧力は緩和に向っていることが明らかとなったために,7月末の補正予算案で政策の手直しを行い,選別的なリフレ措置を導入した。 こうして,経済活動は秋頃までに,ほぼ石油危機発生前の水準まで回復がすすんだ。
しかし,この過程で,企業の流動性不足,利潤率低下が顕著となり,投資需要の急速な縮小が予想され,また,失業の増加が懸念されたために,10月の74年2度目の総選挙において,少数ながら過半数を制した労働党政権は,11月央,再び補正予算案により投資を中心とする景気刺激措置を導入した。 こうした景気停滞局面のなかで,74年中,物価の高騰,経常収支の大幅赤字という内外の不均衡はむしろ悪化を続け,イギリス経済に一段と暗い影をおとしている。
インフレーションについては,72年11月以来,法的強制力による価格・賃金規制が適用されており,それなりの効果をあげたとみられるが,国際商品相場の急騰,原油価格の4倍の引上げといった海外要因が72年秋以来のインフレ加速化の主要因であったために,二桁台の大幅上昇が続いた。とくに,74年に入ってからは,景気停滞により生産性が伸びなやむ一方で,賃金が生計費条項の発動もあって大幅な上昇を続けており,賃金コスト面からのインフレ圧力が強まった。 労働党のインフレ対策は,当初は前政権の所得政策第3段階を引きついだが,その後,価格規制をしだいに強化し,賃金については7月末の賃金委員会撤廃により法的規制から自主的規制方式に移行している。
労働党は今後も「社会契約」による自主的規制を基本としていく方針であるが,賃金,物価の引続く大幅上昇によって苦しい立場に立たされている。
経常収支は72年下期から赤字基調にあったが,原油価格の急騰により赤字幅は急拡大した。政府は,北海石油の開発が進行していることもあって,これによる国内経済へのデフレ的影響を最少限にするために,当面は海外からの借款によってこの赤字を融資していく方針であり,74年中,経常収支赤字幅を上回る巨額の外資取入れを行った。
イギリス経済は1972年春頃から急速な景気上昇過程にあったが,73年秋の石油危機を契機として上昇は挫折した。とくに:74年初から3月央までの週3日操業制という非常事態の下で経済活動は大幅に後退した。その後,-.景気はしだいに回復に向い,第3四半期までにほぼ前年のピーク時の水準に復しているものの,景気の浮揚力には問題が多い。
実質国内総生産は,69~71年のスタグフレーション期に,2%を下回る低成長を続けたが,72年には2.2%に回復し,73年には5.2%という,イギリスにとっては64年の5.7%につぐ高成長を記録した。とくに拡大テンポの高ま第3-1表 イギリスの国民経済計算りが著しかったのは,72年末から73年初にかけてであり,72年第4四半期の前期比年率は9.2%増,73年第1四半期は同じく18.4%増に達した。これは,輸出が72年春以来好調を持続しているのに加えて,内需も,72年度予算による景気刺激措置(所得税減税,自由償却制の導入,消費税率引下げなど合計12.1億ポンド)により急速な拡大を示したことによる。
しかし,73年央ごろまでには供給面の制約がしだいに目立つようになり,需給ギャップも73年秋にはほぼゼロとなった。このため,73年第2四半期の実質国内総生産は,前期の大幅上昇の反動もあって前期比年率8.8%減,第3四半期3.6%増にとどまった。
石油危機以降,この経済拡大は中断して,実質国内総生産は第4四半期に前期比年率3.2%減のあと,74年第1四半期に年率6.0%減となった。73年末に導入された財政,金融面での緊急引締め措置の効果もあって,個人消費,政府消費が減少し,また,在庫投資が生産制限の下で大幅な減少となったことによる。
正常操業復帰後,景気は回復に向い,実質国内総生産は74年第2四半期の前期比年率10.4%増のあと第3四半期も4.4%増となった。しかし,その水準は後退前のピークである73年第1四半期.の水準をほぼ回復したにとどまった。
このようにして,前保守党内閣がストップ・ゴー政策からの脱出を目ざして野心的に推進してきた成長政策によるブームも,1年足らずの短期間にとどまり,その後の1年間は石油ショックによる経済活動の縮少とそれからの回復に終始したことになる。
個人消費は石油危機発生までは上昇基調にあったが,73年末から74年初にかけての一連の緊急事態の下で,乗用車などを中心にかなりの停滞をみた。74年春以降は徐々に回復に向い,7月末の補正予算による付加価値税率の引下げなどもあって,第3四半期までに全体としてほぼ停滞前の水準に復した。 個入消費(実質)は,72年後半から73年初にかけて活発化した後,73年上期には前期比年率2.9%に鈍化していた(72年5.9%)。石油危機以降は,石油・電力の消費規制,石油価格の引上げ,賦払信用規制の再導入(73年12月17日)などから耐久財需要が直接の影響を受け,さらに,74年初からの週3日操業制により,消費需要は全般的な停滞を示した。この間,実質個人消費は73年下期に前期比若干の減少となったのに続いて,74年上期は前期比年率0.9%減となった。 とくに,耐久財は73年末から74年初にかけて大幅減となり,73年第4四半期および74年第1四半期の前年同期比は13%減(乗用車24.5%減,家具15.3%減)となった。
74年春以降は回復に向ったが,物価高騰による実質可処分所得の低下が続いていること,74年度予算案(3月26日発表)における所得税率引上げ,付加価値税の適用拡大による消費税増税などから回復力は予想を下回った。このため,政府は7月末の補正予算案において,付加価値税率の引下げ(10→8%)を中心とするリフレ措置を導入した。また,7月末からは年金引上げ(週当り,夫婦16ポンド)も実施された。こうした政策転換もあって個人消費は夏以降上昇を続けており,第3四半期にはほぼ停滞前の水準まで回復している。新車登録台数や新規賦払信用も春以降増加に転じたが,第3四半期の前年同期比はそれぞれ24.2%減,9.6%減となっている。
投資需要は石油危機発生後も増勢を維持していたが,74年春頃から企業の投資意欲は急速に衰えを示したため,政府は11月央の第2次補正予算によって投資促進措置を導入した。国内総資本形成(実質)は,72年秋から回復に向い,73年中,順調に増加しで前年比4..8%増(72年は2.4%増)となった。民間投資が,設備投資を中心に好調な伸びを示したためであり,それぞれ72年比7.9%増,12.6%増であった。
74年に入ると,民間投資は住宅建築の急速な低下などから減少に転じ,政府投資が住宅を中心に高水準を続けたものの,固定投資全体では,第1四半期横ばいの後,第2四半期には大幅減少し,上期の前期比年率は5.8%減となった。
民間住宅の低下傾向はすでに73年央頃からみられ,73年下期には前期比年率5.2%減,74年上期は同じく17.6%減となった。主として,71,72年にみられた住宅建築ブームの反動によるものであり,加えて,労働党政権による家賃の再凍結(74年3月より年末まで),金融の逼迫などが民間住宅部門の不振をさらに深刻化したとみられる。設備投資は74年上期にも前期を若干上回る高水準を維持した(前年同期比4.5%増)。これまで相対的に出おくれていた製造業投資が73年下期に続いて着実な上昇を示していることによる。すなわち,製造業固定投資は,72年9.7%減のあと,73年上期は前期比年率12.4%増,下期11.8%増,74年上期13.6%増となっている。
しかし,その後,企業の投資意欲は,74年度予算による法人税引上げ(40→52%),利潤規制の強化(流通業利潤率の10%削減,74年5月より),企業収益の低下および流動性の逼迫,高金利,景気先行き不安などから急速に衰えを示した。貿易産業省の投資動向調査は下向きに修正を重ねており,74年8,9月調査では,74年下期の製造業固定投資を前期比約8%減(74年12%増),75年3%減としていた。さらに,その後のCBI(イギリス産業連盟)の企業投資動向調査(10月後半実施)では,75年について10%減の大幅低下になるとみている。
在庫投資は73年中大幅な増加を示し,73年の高成長を支える羊要な柱であったが(GDP増額の34.1%),74午初の生産減のなかで,完成品を中心にかなり大幅の減少を示した(74年第1四半期のGDP減の約1.7倍)。しかし, この減少幅は74年度予算発表時に予想されたよりも小幅であり,在庫率は生産の減少幅が大きかったこともあって,第1四半期にはむしろかなり上昇した。このため,在庫回復を中心とする国内需要の上昇力は限られたものとなり,第2四半期にははやくも前期の減少分をとりもどした。こうした投資の先行き懸念から,政府は夏以降リフレ政策に転じ,とくに11月央の補正予算によって,主として企業の資金面からの投資促進措置を導入した。
鉱工業生産は,72年末から73年初にかけての急上昇の後も増勢を維持していたが,設備稼動率の高まり,原料不足,熟練労働力不足など供給面の制約から,しだいに拡大テンポの鈍化を示していた(73年上期の前年同期比9.1%増,下期5.1%増)。
石油危機以降は,非常事態宣言(73年11月13日~74年3月12日)の下で,石油供給の10%削減などの措置がとられ,年末にかけての電力節減措置に続いて,週3日操業制(73年12月31日~74年3月9日)という厳しい電力供給制限が実施された。
このため,鉱工業生産は73年11月~74年1月間に年率35.6・%減少した。その後,生産は回復に向い,3月初の炭鉱ストの解決,正常操業への復帰と正常化がすすみ,年央までには生産はほぼ危機発生前の水準に もどった(74年第2四半期の前年同期比0.8%減)。 しかし,下期に入ってからの生産活動は,需要停滞の著しい自動車,建設,,繊維などに加えて,ストライキが依然とし多発していること(鉄鋼,造船,自動車など)もあって活発さを欠き,第3四半期は前期比年率4.4%増,前年同期比0.9%減にとどまった。
受注残高は,74年に入ってからも高水準を維持しているが,機械工業新規受注は73年の30.1%増の後,74年1~7月には11.6%減に低下している。 このため,政府は74年7月の補正予算措置に加えて,9月中旬,とくに不況の深刻な建設部門に対する公共支出の追加増(75年度1億ポンド,76年度2,000万ポンド)を決定した。
73年末にかけて労働力需給はかなり逼迫して,完全失業者数(新規学卒,成人学生,北アイルランドを除く)は50万人を割り(12月47万人),失業率も2.1%に低下していた。73年末から74年初にかけての異常事態の下で,完全失業者は約55万人(74年2月)に急増し,一時解雇も1月約160万人,2月142万人を数えた。生産正常化とともに,こうした大量失業は急減したが,4月以降は,失業の増加傾向が明らかとなり,11月の完全失業者数は約61万人(失業率は8~11月2.7%)となった。 未充足求人数も,73年秋までは増勢を続けていたが,74年初に急減し,その後,若干回復したものの,下期に入って再び減少傾向を示している。 雇用者数は73年中は増勢を維持していたが,74年に入って減少傾向に転じた。 こうした労働力市場のうごきと,今後における失業者数の増大を懸念して,政府は,74年7月の補正予算において開発地域への助成を強化したのに続いて,8月中旬には開発地域への追加的助成(約2,500万ポンド)を発表した。
労働力需給の緩和が続いているにもかかわらず,賃金は74年に入って上昇テンポを高め,春以降,消費者物価を上まわる上昇率となっている。 賃金率(時間当り,全産業)は,72,73年には14%前後の上昇を示していたが,74年に入って,第1四半期14.9%増,第2四半期17.0%増,第3四半期20.5%増(いずれも前年同期比)と著しい上昇率の加速化をみた。 これは,所得政策第3段階(73年11月以降)において賃金規制が緩和され,生計費条項が導入されたばかりでなく,74年3月の労働党の政権復帰によって,炭鉱労組に対する大幅賃上げ(平均約30%)が特例として認められるなど運用が大幅に緩和され,さらに,7月末には賃金委員会を撤廃して,法的規制を自主的規制に移行したなどの,一連の制度的変更を背景としている。 生計費条項による賃上げは,5月以降,8月を除いて毎月発動されており,11月までにこの条項は通算11回,週当り合計4.4ポンドの賃上げを招来した。これの適用労働者数は当初は約600万人といわれたが,最近では約1,000万人に達しており,企業のコスト増は約23億ポンドに達すると推計ざれている。 景気停滞下におけるこうした大幅の賃上げは,賃金コストの急増を招いており,74年6月以降,国際商品相場の反落が明白になったにもかかわらず,コスト面からのインフレ圧力を強化させる主要因となっている。 労働党政権の賃金対策は,従来の法的規制にかえて「社会契約」による自主的賃上げ規制であり,政府が物価について抑制措置を幅広くとるのに対して,労組側も賃上げを実質賃金の維持にとどめ,次の賃上げまで少なくとも1年おくといった自粛を行うというものである。これは74年9月初のTUC′(労働組合会議)の支持を受けているが,下部組合にはこれを無視した賃上げを要求するものが少なくなく,これまでの方式についてはその効果を疑問視するみ方も多い(たとえばNIESR,全英経済社会研究所)。
消費者物価は,石油危機を境に二桁台を記録するようになり,上昇テンポもしだいに高まって,74年初の前年同月比12~13%高から春頃には15~160yo高へ,さらに7月以降は17%前後の上昇率を維持している。
国際商品相場の激動から食料品価格が引続き前年同月比20%近い上昇を続けており,光熱費や交通費が,政策的に抑制されていたものの,しだいに上げ幅を拡大し(光熱費は8,9月24.5%高,交通費は同じく18.5%高,前年同期比),また,工業製品も原燃料や賃上げなどによるコストの急騰から上昇テンポを高めているためである。
卸売物価(原燃料)は,すでに72年秋以降,一次産品価格の上昇を反映して2桁台にのせていたが,73年を通じて急激な加速化過程をたどり,原油価格が大幅に引上げられた74年初には前年同月比71.7%高に達した。しかし,その後はしだいに上昇テンポを緩和させており,秋までには40%を割るようになった。とくに,食品加工用原燃料は,年初の40%台から15%程度まで低下した。
こうした原燃料価格のうごきは,輸入単価のうごきをほぼ反映したものであり,石油危機前は,主として農産物,鉱産物の大幅上昇によって,また,石油危機以降は,原油の3倍前後の上昇によって強い上昇圧力を加えられている。
一方,卸売物価(工業品)は,74年に入ってじりじりと上げ足を速め,年初の前年比12.8%高から最近では25.7%高(9月)に高まっている。
こうした大型のインフレーションの進行に対して,労働党政府は,従来の所得政策第3段階の価格規制強化(流通業の総利幅の10%引下げなど),7月の補正予算における付加価値税率の2%引下げや地方税軽減などの措置を導入した。このほか,基本的食料品への補助金制度の拡充(バター,パン,牛乳,紅茶,家庭用小麦など),年金の引上げ,少額貯蓄債券についてのインデクセーション(75年度に実施の予定)などのインフレ中立化政策がすすめられている。しかし,一方で,従来からの公共料金に対する補助金政策を転換して,今後,徐々に撤廃していく方針であることを明らかにしている。
貿易収支は72年初来赤字基調にあったが,原油価格の大幅引上げによって,73年末から赤字幅は急拡大し,74年上期中にすでに前年の赤字幅(23.7億ポンド)を上回る赤字(27.2億ポンド)を計上,下期はさらに赤字の大幅化が予想されている。ただし,非石油収支についてみると,73年下期に赤字幅の急拡大をみ,年率21.3億ポンドを記録したあと,74年1~9月では年率16.3億ポンドの赤字とかなりの改善を示している。
輸出(f.o.b.,通関ベース)は73年に27.8%増となった後,74年に入ってからも順調に伸びて,1~10月間に前年同期比34.1%増となった。対米輸出の伸びが鈍化したものの(73年24.5%増,74年1~9月18.0%増),西欧向けではEC域内を中心として大幅な増加を続けていることによる(EC向けは73年37.1%増,74年1~9月42.0%増)。工業品輸出の好調が持続しているためだが,品目別にみると,74年には化学製品,機械などの大幅増が中心となっており(化学製品は73年32.5%増,74年1~9月72.1%増),73年に好調だった鉄鋼,自動車などは伸び率を鈍化させている(自動車は73年21.5%増,74年1~9月15.2%増)。 しかし,この増加の多くは輸出単価の上昇によるものであり,輸出単価は73年の13.1%増に対して,74年1~9月では前年同期比28.5%増に高まっている。 一方,輸入の伸びはさらに大きく,73年の42.4%増につづいて,74年1~10月では50.0%増に達した。この輸入増加の大半が原油の値上りによるものであるが,年初の週3日操業制やその後も瀕発するストライキにより内需の停滞にもかかわらず工業品輸入の大幅増加が続いていること(73年46.3%増,74年1~9月41.2%増),加えて,秋以降はポンドの実効レートの急落による輸入価格への悪影響なども重要であった。輸入単価は74年第1四半期に前年同期比53.8%高を記録したあと若干低下したが,秋以降は再び上昇した。 数量ベースでみると,輸出が74年1~6月に前年同期比5.8%増,輸入が同じく3.1%増となっており,73年の輸出11.7%増,輸入13.0%増に比.較して基調は改善傾向を示している。
なお,ポンドの実効レートは74年前半まではスミソニアン・レート比17%前後の低下にとどまっていたが,後半に入って,経常収支赤字幅の拡大,景気先行きに対する不安などから低下傾向を示し,とくに,11月の補正予算案発表と同時に,68年以降のポンド価値保証取決めを74年末で打切ることが明らかにされたことから一段と急落した。さらに12月央,石油関係の決済を今後はポンドからドルに移行させるというサウジアラビアの意向が伝えられ, アラムコが実際にドルによる支払いを要求したために,政府の大規模な買支えにもかかわらず,実効レートは急低下し,一時は21.9%減(12月12日)を記録した。その後,この意向が否定されたことからポンド相場はややもちなおしたが,年末から年初にかけて弱含みに推移している。
貿易収支の悪化により,経常収支赤字幅も急拡大して,73年の12.1億ポンドの赤字の後,74年上期20.9億ポンド,第3四半期8.5億ポンド,74年1~11月の累績赤字は36.2億ポンドに達した。こうした経常収支の大幅赤字にもかかわらず,外貨準備は74年1~11月間に約13.4億ドル増加して78.2億ドルを記録した。公共部門による引続く外資の取入れ(約41億ドル),産油国などからの資本流入(約40億ドル),政府のユーロ・シンジケート・ローンの引出し(25億ドルの契約のうち10億ドル)などにより大規模の資本純流入がみられたためである。
通貨供給量は72年,73年に急拡大を続けたが(M3の増加率,72年21.8%,73年27.1%増),74年に入って増勢はほぼ止み, 高水準横ばいとなった(M3の74年第3四半期,前年同期比は 12.3%増)。その増加の内容も主として製造業などへの民間貸出し増によるものであり,これまで急増した個人向け,不動産会社,金融取引などに対する貸出しは減少した。公共債の大規模発行,経常収支赤字の融資などに加えて,イングランド銀行による増加率ベースによる特別預金制度の引続く適用など慎重な金融政策の運営を反映したものとみられる。
一方,企業の投資意欲は急速に弱まっているものの,原燃料価格の大幅上昇により在庫手当ての必要資金が大規模化していることもあって銀行借入れ需要は引続き強い。このため,金融は74年下期に入っても引締り傾向を続けており,短期金利も高水準に維持されている。
金融政策は,73年下期に入って需給の逼迫,インフレ圧力の高まりなどを背景に急速に引締めに向っていたが,エネルギー危機の深刻化とともに年末にかけて一段と強化された。11月央の最低貸出し金利の13%への引上げ,特別預金制度の預入率引上げ(4%から6%へ)などに続いて,割賦販売条件規制の復活,増加率ベースによる特別預金制度の創設が発表された(12月17日)。 こうした政策の転換もあって金融はしだいに引締り,とくに週3日操業制の撤廃後は,生産の回復や在庫手当などから企業流動性の逼迫をみた。このため,金融政策は引締め緩和の方向で弾力的に運用されるようになった。最低貸出し金利は年初の引下げに続いて,4月央までに4回,累計1%引下げられて12%となり,さらに,5月末,9月末の引下げによって11.5%まで低下した。特別預金制度の預入率も4月央までに3回引下げられて3%となり,その後はこの水準が維持されている。73年末から導入された増加率べースによる特別預金制度も7月以降,適用基準が若干緩和された(利付預金残高増分の前月比1.25%→1.5%へ)。
さらに,11月央の補正予算の一環として,市中銀行に対企業信用を優先させることを要請し,新特別預金制度の75年以降への延長,産業金融会社(Finance for Industry,FFI)を通じる生産的投資のための中期資金の増額(10億ポンド,2年間)などの措置が導入された。
財政政策は,73年5月に公共支出の削減計画が発表されて,引締めの方向に向っていたものの,エネルギー危機の発生までは比較的ゆるやかに運営されていた。12月央,石油危機による供給能力の低下にみあって総需要を削減するために,公共支出の削減(74年度約12億ポンド),付加税の10%増税,不動産の開発利益に対する課税など,一連の引締め措置が導入された。
労働党政権による74年度予算案(3月26日発表)も,年初の週3日操業制による生産低下が約10%に達したのに対して,最終需要の減少はそれを下回り,したがって在庫の大幅減がみられたという判断に基づいて,引締め色のこいものとされた。
主な措置は,①大幅増税(所得税率引上げ,7.7億ポンド,法人税率引上げなど4.2億ポンド,付加価値税の適用拡大1.9億ポンド,タバコ税率の引上げ約2億ポンドなど,74年度合計13.7億ポンド),②年金,食料補助金,家賃の凍結など福祉的支出の増加(合計約7億ポンド),③公企業料金および 価格の引上げ(石炭,電力,運賃,郵便,鉄鋼),④国防費の削減などである。 こうして,歳入増が前年比32.9%と見込まれるのに対して,歳出は19.6%増に抑制されたことから一般会計は2年ぶりに黒字を計上し(約10億ポンド),公共部門の借入れ必要額も前年より約15億ポンド減の27億ポンドとなった。 しかし,74年夏頃までに,予算案作成時の生産の落ち込みが過大評価であり,需要圧力も弱まっていることが明らかとなったために,7月22日の補正予算案によって大幅な手直しが加えられた。 すなわち,①付加価値税率の引下げ(10→8%,7月29日実施。レギュレーターによる),②地方税の軽減など,③食料補助金支出承認の追加,④開発地域雇用促進割増金の増額(男子1人当り週1.5ポンド→3.0ポンド,8月5日実施),⑤配当規制の緩和(上限を5→12.5%へ。8月1日以降に終る決算期について適用)などである。 これらの措置によって,国内総生産は74年末までに年率2億ポンド弱(GDPの約0.5%)拡大され,消費者物価は10月までに約1.5%,75年末までに約2.5%だけ上昇率を鈍化させる一方で,公共部門の借入必要額は約3.4億ポンド増となるど政府は予測している。 さらに,8月央には低開発地域の雇用促進のための追加支出(2,500万ポンド)が,ついで9月下旬,建設部門に対する公共支出の追加(75年度1億ポンド,76年度2,000万ポンド)が発表された。 こうした政策措置もあって,景気の回復がすすみ,第3四半期までには,ほぼ前年の水準にもどり,消費者物価も8月の1カ月だけではあるが前月比(0.1%高にとどまった。この中で,企業の流動性が逼迫し,放置すれば75年中に大量の失業が発生することが懸念されたために,政府は11月中旬,本年二度目の補正予算を発表した。これにより,総需要は75年第2四半期までに年率6億ポンドの直接的な追加増が見込まれている。しかし,公共部門の借入必要額は約8億ポンド増加して63億ポンドとなり,前年度の44億ポンドをかなり上回ることとなった。
第2次補正予算の主内容はつぎの通りである。(1)企業の流動性対策(価格準則の緩和,在庫評価に特例を設けて法人税を一時的に軽減する,産業用建物の期初償却率を40%から50%に引上げる,民間企業投資向け中期資金貸付けの拡大,暖房器具の割賦販売条件の緩和など),(2)エネルギー対策(ガソリンの付加価値税率を8%から25%に引上げる,公共料金補助金の撤廃,新石油課税法案の提出など),(3)公共支出の縮小(今後4年間の年平均支出を2.75%以内に抑える,退職年金の引上げ,児童手当の増額など),(4)個人税および地方税の改制(利子配当税の最低限引下げ,富裕税の国会特別委員会検討,開発土地課税法案の提出,地方税の引上げ,資産譲渡税を従来の相続税にかえて導入する)などである。
石油危機以降の過去1年間,イギリス経済は,景気停滞のなかで,インフレと経常収支が一段と悪化するという大きな困難に悩まされ続けたが,この・三重苦からの脱出にはっきりした見通しがつかないまま新しい年を迎えようとしている。 政府の第2次補正予算案発表時の経済見通しは,工業品世界貿易量の小幅な上昇持続と国内生産の堅調化という前提に立って,実質国内総生産は74年の0.2%減に対して,75年上期には前期比年率2.6%増としている。輸出および政府投資の回復,個人消費と政府消費が増勢鈍化ながら上昇を持続することなどによるものであり,民間投資,在庫投資は低下,輸入も大幅な増加が予想されている。失業者の増加についても小幅にとどまり,100万人をかなり下回るとみている。 こうした政府見通しに対して,民間の予測はより厳しいものになっている。
NIESR(全英経済社会研究所)によると,実質国内総生産は74年の0.3%減のあと,75年上期にはほぼ横ばい,下期は前期比年率0.8%増,年間では1.6%増となっている。政府見通しと異なって,個人消費が実質可処分所得の減少(75年2%減)により若干減少するとみていること,また,個人住宅投資が10~15%の大幅減となることが主因とされる。
また,経常収支は輸出の堅調(実質3.5~4%増)により赤字幅が74年の37億ポンドから75年には27億ポンドヘ縮小(うち石油関係赤字が18億ポンド)するとされる。失業については,一連のリフレ措置によって,75年末までに90万人を数えるという前回(74年8月)の見通しは過大となったが,増勢は持続するとみている。消費者物価については,賃上げの加速化,補正予算による公企業料金助成の打切り発表,付加価値税率引上げ,ポンド減価による輸入単価の上昇などにより,75年20.9%高が見込まれている。
このNIESRの見通しは,産油国からの資金還流が公的機関を通してスムーズに行われ,先進国がこれ以上引締め措置や貿易制限をとる必要がなく,世界経済が大きな景気後退に見舞われない.ことを前提としている,また,ポンドの実効レートについて,はじめて計数的な予測値が示された(74年第3四半期から75年末までに4%低下)。
こうしたスタグフレーション下の経済運営は多くの困難をともなうが,今後のイギリス経済にとって,賃上げによるコスト・インフレをいかに制禦するかが中心的課題となろう。蔵相も11月の補正予算演説で「社会契約」による賃上げ自粛の重要性を強調しており,もしこれが実効をあげえない場合には総需要の再抑制を導入せざるをえなくなるとしている。
1974年の西ドイツ経済の特徴をひとくちでいえば,高率インフレと経済停滞の共存であり,その意味では典型的なスタグフレーションの年であった。
消費者物価の上昇率は年平均7.5%で(73年6.9%),朝鮮動乱以来の最高であり,また実質成長率はわずか0.5%で,67年(マイナス0.2%)を除いて戦後最低である。さらに失業率は年平均2.5%で,58年以来の最高であり,戦後最大の不況の年といわれた67年(2.1%)をすら上回った。また企業倒産数は1-9月間に5,529件,前年同期比42.4%増となったが,年間では7,500件に達するものとみられ,これも戦後の最高記録である(従来の最高は51年の5,802件)。 このように1974年は西ドイツ経済にとって多難の年であったが,これを国際的に比較すると,高率インフレとはいっても2ケタ・インフレに見舞われた他の先進諸国にくらべれば西ドイツのインフレ率は最も低かったし,また経常収支も大幅黒字を示し,殆ど軒並みに大幅赤字化した他の先進諸国ときわだった対照をみせた。 いま年間の推移を概観すると,73年末にとられた財政引締め措置の緩和や石油供給不安の解消と異例の好天候などから,年初に一時景気回復の兆がみられたものの,春以降再び景気は停滞的となり,実質GNP(季調ずみ)は第2四半期以降2期つづけて減少,失業も次第に増加し,年初の約2%から11月の3.7%へ急上昇した。輸出を除いて,国内需要が軒並みに減少したためである。物価は73年秋から74年はじめにかけて急騰したが,夏以降は次第に鎮静化した。こうした失業増と物価鎮静化を背景に,政策当局は秋以降慎重ながらも次第にリフレ措置を採用しはじめている。
実質GNPは,73年下期にほぼ横這いに推移したあと,74年第1四半期には前期比1.3%増とやや盛り返したが,これは主として異例の好天候による建設活動の盛行のためであり,その反動で第2四半期には前期比0.9%減となった(第4-1図)。この特殊要因を除くと,74年上期は73年下期にひきつづきほぼ横這いであったといえる。さらに第3四半期には前期比0.5%減となり,第4四半期も工業生産の動きからみて横這いないし若干の低下となるものとみられる。その結果,74年全体の実質GNPは前年比0.5%増(実績見込み)にとどまるとみられている。
また鉱工業生産(除建設)は,第1四半期に前期比1.1%減のあと,第2四半期横這い,第3四半期に前期比1.7%減となった。1-9月の平均では前年同期の水準と同じであった。
しかし生産の動きを産業部門別にみると,かなり顕著な跛行性がみられる。鉄鋼や化学はごく最近まで上昇基調を維持し,また電機や機械も高水準をつづけていたのに対して,自動車と繊維は73年春以来減少傾向に転じ,74年にはいって低下テンポが加速化して,前年同期の水準を下回るにいたった(第4-2図)。いま第3四半期の生産水準を前年同期と比較すると,鉄鋼6.7%増,化学1.6%増,機械2.2%増,電機1.3%増に対して,自動車12.2%減,繊維7.9%減となっている。電機産業でも家電部門は最近不振に陥っており,総じて消費関連産業の不振がめだつ。これに対して機械生産の高水準維持は輸出が好調なためであり,また鉄鋼や化学などの基礎財の生産も主として輸出向けである。また建設活動は年初に前記特殊要因で急増したあと減少をつづけ,第3四半期の水準は前年同期比7.5%減となった。
以上のような生産の停滞を反映して,製造業の稼動率も低下をつづけ,IFO研究所調査の製造業稼動率は73年4月の87.5%をピークに74年1月の84.5%へ低下,さらにその後も低下をつづけて10月には79%となった(第4-3図)。この稼動率水準は,67年不況時の最低(67年4月,77.9%)に近い水準である。
このような生産の停滞はもっぱら国内需要の停滞によるものであり,とりわけGNPの5割余をしめる個人消費の不振がひびいた。個人消費は既に73年春以降横這いないし微減傾向を示していたが,74年にはいってからは年初の大幅賃上げで春以降やや回復のきざしをみせたものの,なお停滞的基調から脱しておらず,上期の水準は73年下期比0.6%増(実質)にとどまり,前年同期比では1.1%減となった。小売売上高でみても,74年1-10月間に名目で前年同期比6%増であったが,実質では2%減にとどまった。とくに自動車をはじめとする耐久消費財の売行きが不振で,乗用車の新規登録台数は1-10月間に前年同期比19.6%減となった。ただし上期の前年同期比25.8%減に対して,7-10月間は5.8%減にとどまっており,減少傾向は一応とまったとはみられるものの,さりとて回復の兆候もない。こうした国内販売の不振に加えて,自動車の輸出も大幅に減少したため,自動車産業の苦境がつづいている。 いずれにせよ74年の個人消費はおそらく実質で前年比若干の減少か,せいぜい横這い程度とみられるが,このような経験は戦後はじめてであり,不況の年であった67年でも個人消費は前年比0.9%増であった。 こうした個人消費の不振は,景気後退による雇用減,超勤減や操短,安定付加税の徴収(73年7月-74年6月)などによる名目可処分所得の増勢鈍化と,インフレにより実質購買力が停滞したこと,また失業増や景気見通しの悪化により消費者の購買態度が慎重化したためである。 いま74年上期の個人所得の動きをみると協約賃金率は前年同期比11.7%増だったが,超勤減や操短などで実際の1人あたり賃金所得は10.9%増にとどまり,加えて雇用が1%減少したため,賃金所得総額は9.8%増にとどまった。これから安定付加税などで増えた税負担を控除すると,賃金所得純額はわずか8.6%増にすぎなかった。年金や失業手当などの振替所得の増加率は高まったものの(15.2%増),自営業主所得が3.3%減少したため,家計の可処分所得はわずか7.1%増にすぎなかった。上期における消費者物価の前年同期比上昇年は7.2%であったから,家計の可処分所得は実質で横這いであったといえる。
しかも消費者の購買態度が慎重化して貯蓄率が高まったため(73年の13.5%から74年上期の14.0%へ),消費支出はわずか6.6%増にとどまり,実質では1.1%減となった。
住宅建築の大幅減少も,74年の特徴の一つである。住宅建築は71-72年に非常な盛上りをみせたあと,73年春をピークとして次第に減少,とくに74年にはいってから急減した。これを住宅建築許可件数でみると,72年16%増,72年.9%増,73年上期19.1%増(前年同期比)のあと,73年上期は25.1%減(73年全体では14.4%減)となった。さらに74年1-8月間には前年同期比40.9%という激減を示した。
こうした住宅建築の不振は,金融引締めによる住宅金融機関の資金難と高金利,住宅価格の高騰のほか,71-72年の住宅建築ブームの過程での建て過ぎの反動という面もある。過去数年間住宅完成戸数は正常な水準を大きく上回り,その結果,新築の売れ残り住宅戸数は現在約20万戸に達するといわれている。
企業の設備投資意欲は,73年春の一連の投資抑制策で急激に頭打ちとなり,同年末の投資抑制措置の解除などで一時回復のきざしをみせたものの,金融引締めの堅持とコスト増による資金難,景気見通しの悪化などから再び低落した。これを国民所得統計による設備投資(固定投資から建設投資を除いたもの)の動きでみると,72年に実質0.1%減のあと,73年上期に前年同期比3.5%増と一時的に回復したが,同年下期には前年同期比0.5%増にとどまり,さらに74年上期には前年同期比9%減となった。また先行指標である資本財国内受注は,73年第1四半期のピークから第4四半期まで実質13.6%減少したあと,74年第1四半期には前期比6.3%増と回復したが,その後再び減少をつづけ,第3四半期の水準は第1四半期比12.9%減,73年第1四半期のピーク比で20.7%もの減少となった(74年1-9月間では前年同期比6.3%減)。また産業用建物の許可面積も,73年第1四半期のピークから74年第3四半期までの間に35%もの減少をみている。また投資予測調査でみても(IFO研究所調査),製造業の投資は73年に実質4.0%減のあと,74年も実質5.4%減とされ,さらに75年の予測も役1%減となっている。このほか同じ投資調査によれば,建設業の投資は74年に40%減,小売業15%減,卸売業7%減(いずれも名目)となっている。
製造業の投資はこれで連続4カ年減少したことになり,74年の投資水準は過去のピークであった70年にくらべて20%もの減少となる。その結果,製造業の生産能力の増加率も69-70年の平均8%,71-72年の6%から,73年5%,74年3%と鈍化したが(第4-4表),この3%という増加率は戦後の最低である(IFO研究所調査)。また企業部門全体(住宅産業,政府,家計を除くすべての経済部門)の生産能力増加率は,70-71年の5%近くから,72-73年の4%前後,74年の3.3%へ鈍化し,75年には2.6%となるものとみられている(ドイツ経済研究所調査)。こうした投資の減少と生産能力増加率の鈍化は,将来の成長余力からみて問題を残すものといえよう。
なお企業投資減少の一因となった企業利潤の減少を国民所得統計によってみると(第4-5表),企業の粗所得は72年10.4%増のあと,73年は8.8%増となったが,73年7月からの安定付加税や投資税の導入で企業の純所得(税引き後の所得)の増加率はわずか4.3%増となった。これを上期と下期にわけると,上期はまだ純所得の前年同期比増加率が7.8%だったが,下期にはわずか1%増にとどまり,さらに74年上期には2.3%減となった。
在庫投資は74年暮に石油危機後の思惑買いや自動車売行不振などから増えたが,74年にはいるとその反動で在庫べらしの動きがみられ,その後も景気見通しの悪化や資金繰りの悪化などから企業の在庫政策も慎重となり,全体として74年の経済動向に対してマイナスの作用をした(第4-6表)。
石油危機発生後に,それまで引締め政策の一環として実施されていた各種の租税上の抑制措置が撤回されたほか,それまで棚上げされていた財政支出の復活,74年2月発表の特別公共投資計画などのため,財政支出は74年中やや拡張的作用をおよぼした。政府消費は74年上期に実質で前期比1.5%増,前年同期比4%増と,それぞれ実質GNPの伸び率(1.0%および1.3%)を上回った。
また政府投資(固定投資総額の約2割をしめる)は72-73年間の実質横這いのあと,74年は実質で6.5%と大幅に増加した(ドイツ経済研究所推定)。公共建築許可面積の動きをみても,73年1-9月間は横這いだったのが,10-12月間に増加しはじめ,74年にはいって著増し,74年1-9月水準は前年同期を32.1%上回った。
また政府の土木工事発注額も同期間に前年同期を12.1%上回った。
輸出は73年にひきつづき74年も好調を持続して,1-10月間の輸出額は前年同期比29.9%増(73年は19.7%増)となり,輸出単価の大幅上昇(1-9月間に前年同期比15.5%上昇)を控除した実質でも前年同期比14%増と,73年の異常に高かった実質増加率(17.8%)をわずかに下回るだけであった。
こうした輸出の好調は74年の経済活動の最大の主柱となったが,同時に西ドイツ経済の輸出依存度も高まり,GNPに対する輸出(商品のみ)の比率は,72年の18.4%,73年の20.2%から74年上期の24.9%へ上昇した。これにサービス輸出を加えると,GNPに対する輸出の比率は29.8%にも達する。また鉱工業売上高にしめる輸出の比率も,72年の20.0%,73年の21.5%から,74年上期の24.1%へ上昇した。鉱工業売上高の輸出依存度は,66-67年不況時にも急増したが(65年の15.8%から66年17.1%,67年18.7%,68年19.8%へ),今回も同様な現象がみられたわけである。景気停滞期における輸出余力の増大と企業の輸出努力の強化がその原因である。
この点は,商品別にみた輸出の動きからも窺われる(第4-8表)。74年上期の輸出で最大の伸びを示したのは鉄鋼,化学などの基礎財であり,価額で57%,数量で20%も増加(前年同期比)した。
世界的な基礎財不足を背景に,比較的供給余力のあった西ドイツからの輸出が著増した。また繊維,衣料などの消費財産業も国内不況による輸出ドライブで急増した(数量で16.4%増)。さらに機械(19%増),電機(21%増)なども,74年上期中における世界的な設備投資の堅調と,西ドイツ製品の技術的優位などを背景に著増した。
上期の輸出を地域別にみると(第4-9表),工業国向けが約27%増に対して,途上国向け46%増,共産圏向け43%増となっており,途上国と共産圏向け輸出の著増がめだった。
輸出はこのように非常に好調であったものの,年間の推移としてみると,春以降増勢の鈍化がみえはじめ,とくに数量でみた場合にば春以降頭打ちとなり,最近はわずかながら減少傾向すらみられる(第4-10表)。この点は先行指標である製造業の輸出受注の動きからも窺われる。
73年央以降雇用情勢は次第に悪化し,雇用の減少,失業の増加,未充足求人数の減少などの現象がみられた。74年3月には有効求人倍率が67年以来はじめて1を割ったが,その後も失業数と求人数の較差がひろがり,10月には失業数(季調ずみ,以下同じ)83.5万人,求人数25.3万人となり,失業数が求人数の3.3倍となった(第4-4図)。また失業率は年初の約2%から10月の3.5%へ上昇したが,これは67年不況時をはるかに上回る高さである(67年の最高は2.7%)。また74年全体の失業率は約2.5%と推定されているが,これまた67年の年間失業率2.1%を上回る。政府は年初の経済見通しで,74年の失業率目標を約2%としていたが,実績はそれを上回った。また政府の中期的目標1%前後にくらべれば,はるかに高い失業率となった。
67年にくらべて今回の失業率がはるかに高まった理由は,1つには当初の失業率水準が前回より0.5パーセント・ポイントほど高かったことにもあるが,やはり賃金コストの増加率が高かったために企業が労働力を放出したことが大きな原因となったことと思われる。 こうした失業増のほか,操短による短時間労働者数も増加して11月現在で46万人に達しており,その多くは自動車,繊維,電機(通信機関係)などである。 政府は当初は失業総数の約半分がパート・タイムの婦人や年金生活者,健康上問題のある人々などで,事態はそれほど深刻でばなく,また失業手当や操短手当も充実しているとして,失業問題を軽くみる傾向があったが,最近は失業の急テンポの増加,労組からの突上げなどで,雇用対策に力をいれるようになってきた(後述)。
なお不況時にいつも問題となる外国人労働者の動きについて述べると,政府は雇用対策として73年11月末に外国人労働者(EC国籍を除く)の新規募集を当分停止する措置をとり,また,74年6月と10月に労働許可証をもたぬ外国人労働者をあっせんまたは雇用した者に対する罰則を強化し,12月には職業紹介所がドイツ人の就職あっせんを優先するよう指令するなど,外国労働者からめ国内雇用への悪影響を回避すべくつとめてきたが,実際には外国人労働者の数はそれほど減っていない。66-67年不況時には外国人雇用者数が66年9月-67年9月間に127万人から95万人へと35%減少したが(同期間におけるドイツ人雇用者の減少は2.4%)今回は73年6月-74年6月間に252万人から246万人へと,3.4%の減少にすぎなかった(ドイツ人雇用者の減少率は1.2%)。このように外国人労働者の減少が比較的少なかった理由は外国人労働者の新規募集を禁止したため外国人労働者を温存する傾向がみられた,長期滞在者が多くなった( 5年以上働いた場合,またはドイツ人と結婚した者は自動的に労働許可証をうけられる)などの理由によるものである。 なお外国人労働者の失業率は8月まではドイツ人のそれを下回っていたが,その後は相対的に高くなり,10月には総合失業率3%に対して外国人失業率3.4%となっている。
石油危機後,政府は74年の成長率をゼロとみて,賃金コスト面からの物価上昇要因を緩和するために,74年賃上げ率を1ケタに抑えるよう訴えたが,結局は12-13%の賃上げとなった。賃金率(時間あたり)の動きをみると,73年の平均上昇10.3%に対して,74年1-3月は前年同期比11.7%高,4一9月は前年同期比12.2%高となっている。実際に支払われた賃金の上昇率は前述した操短などで1パーセント・ポイントほど低かったが,他方生産性ばほぼ横這いであったから,賃金コストは当然大きく上昇した。これを74年上期についてみると,1人あたり勤労所得(税込み)は,前年同期比11.2%増だったが,1人あたり生産性は前年同期比2.5%増にすぎず,その結果生産物単位あたり賃金コストは8.5%上昇した(73年は7.5%上昇)。この上昇率は賃金爆発期であった70-71年のそれ(70年10.0%,71年9.6%)につぐものである。 こうした賃金コスト増大傾向から,政府は9月末に75年の指針資料を示し,75年の勤労所得上昇率を9.5%に抑えることが望ましいとし,そのためには74年暮から75年はじめにかけての秋闘における協約賃金率の引上げ幅を8-8.5%にすべきであるとした。その後10月末に妥結した鉄鋼労組の賃上げ率が9%におさまったこと(実際にはこのほかに好況一時金の支給や付帯給付などで約12%の実質引上げとされている),また官公労組の賃上げ要求が付帯給付を含めて10%弱となっていることなどから,75年の賃金上昇率はほぼ政府目標に近い穏かなものとなる見込みがつよまってきた。
これは景気後退と失業増加で,労組の関心が賃上げより職場確保に移ってきたためである。
物価情勢は,きびしい引締め政策の浸透につれて73年夏から秋にかけて一時鎮静化のきざしをみせていたが,その後石油危機の勃発により,同年末から74年はじめにかけて急騰した。工業品生産者価格の上昇率(季調ずみ)は7-9月の年率5.2%から10-3月の年率21.8%へと加速化し,また消費者物価の上昇率(季調ずみ)も7-9月の年率4.4%から10-3月の年率7.6%へと高まった。この時期の物価上昇は,石油と工業原料品及び鉄鋼,非鉄など基礎財の高騰によるもので,主として国際相場高騰の影響をうけたものであるが,一部は国内の石油買溜めの動きも原因していた。 しかし春以降は金融引締めの堅持と景気の悪化,食糧価格の安定化,石油製品価格の低落などにより,物価情勢は次第に落ちつきをとり戻してきた。 工業品生産者価格の上昇率は月平均1%となり,消費者物価の上昇率も月平均0.5%前後に推移している。前年同期比上昇率では,工業品生産者価格はさすがに2ケタとなり,10月現在で14.6%高,また消費者物価は7.1%高となった(年間では約7.5%上昇と見込まれている)。
このように74年の物価水準は,西ドイツとしては異例の大幅上昇となったが,国際的に比較して上昇率が最も低く,相対的に「安定」していたのは,なぜであろうか。
その主たる原因は,なんといっても他国にさきがけてきびしい総需要抑制措置をとり(73年春以降),その結果石油危機発生直前に景気が既に鎮静化していたこと,その後も金融引締めを堅持して,景気情勢がさらに悪化したこと,があげられる。そのため,需要超過型のインフレ要因は早くから消滅し,また原燃料や賃金コストの上昇も景気不振のために価格に転稼しにくくなったのである。
第2の要因は,マルク切上げによる輸入価格上昇の抑制である。いま74年上期の輸入単価の上昇率(前年同期比)を主要国について比較してみると,第4-12表のとおりで,日本,イタリアが80%,フランス,イギリス,アメリカが40-50%に達したのに対して,西ドイツの上昇率は24.4%にとどまっていた。このように西ドイツの輸入単価の上昇率が相対的に低かったのは,輸入構成の差もあるが,主としてマルク・フロートとそれによる切上げの効果とみるべきであろう。
マルク・フロートはこのほか,金融政策の自主性を回復させて金融引締めの有効性を高め,また輸出見通しを悪化させることで企業の投資意欲を抑えたという効果があり,この面からも物価安定に寄与した。
以上のような引締め政策とマルク・フロートの二つが基本的な要因であるが,このほか(1)食糧供給の改善による食糧価格の安定と,(2)74年にはいってからの石油価格の低落も,74年の物価上昇率を比較的小幅に抑えた要因として指摘される。
(1)についていうと,農産物生産者価格は74年はじめから低落しはじめ,1-9月の水準は前年同期を5.6%下回った。また食料品消費者価格の上昇率は1-9月間に前年同期比5.4%で,工業品の8.4%,サービスの7.6%を大きく下回っている(第4-13表)。
また石油製品価格は,生産者段階では73年10月-74年2月間に約44%上昇したが,その後は次第に低下し,10月の価格水準はピークの2月比で約30%低下し,前年同月比では31%高にとどまった(第4-6図)。消費者段階についてみると,燃料油の消費者価格は73年10-12月間に98.2%も暴騰したが,その後74年7月まで低落をつづけ,7月の水準は12月比38.8%低下,そのあともほぼ保合で,10月の燃料油価格は前年同期比13%高にとどまった。このように石油製品の価格が一時暴騰したあと,74年中低落ないし保合となっているのは,74年はじめの冬が暖冬であったことや,消費者の燃料節約意欲がつよかったこと(74年9月の灯油消費量は前年同期比13.2%減)などによるものである。なお政府が石油危機発生後も価格統制を行わず,価格が市場の需給関係できまったことも,74年における石油価格低落の背景となっている。
74年の経常収支は,73年にひきつづき大幅な黒字となったが,長短期資本の流出がつづいたため,総合(外貨準備の増減)では若干の赤字となった。
1-10月間の経常収支は累計199.4億マルク黒字で,前年同期の黒字90.8億マルクは勿論,73年全体の黒字幅(124億マルク)すら大幅に上回った。その原因は貿易黒字が415億マルクと,前年同期(267億マルク)を大幅に上回ったためで,貿易外と移転収支の赤字幅は若干の増加にとどまった。他方,資本取引は1-10月間に233.4億マルクの赤字となった。そのうち長期資本の流出額は37億マルク,短期資本(誤差脱漏を含む)の流出額は196億マルクの巨額に達した。年初来の内外金利差,ヘルシュタット銀行倒産(6月末)以降の西ドイツ銀行の信用低下,国内景気不振などの要因によるものである。
こうした資本の大量流出により,総合(外貨準備の増減)では1-10月間に34億マルクの流出となった。以上のように,74年の経常収支は戦後最大の黒字を示し,石油価格の大幅引上げより経常収支赤字に悩む他の先進諸国と著しい対照をみせたが,その原因はどこにあったか。
経常収支黒字拡大の原因となった貿易収支の動きを分析すると,(1)輸出が大幅に増加した(1-10月間に30%)(2)輸入の伸びが比較的少なかった(1-10月間に24.2%増)という二点につきる。輸出については既に説明したので,ここでは輸入について述べることにする。
西ドイツの輸入は1-8月間に前年同期比23.9%増加したが,これは全く輸入単価の上昇(26.8%)によるもので,輸入数量は2.3%の減少をみた。品目別にみても,食糧3.7%減,原料3.8%減,中間類5.6%減,完成品0.8%減となり,輸入数量が減らなかったのは半成品のみ(0.8%増)である。食糧輸入の減少は国内供給増加のせいであるが,他は景気不振の影響をまともに受けた。また輸入価格の上昇率が高かったとはいえ,他の諸国にくらべれば相対的に低かったことは,前述したとおりである。要するに,輸入数量の減少と,他の諸国にくらべて相対的に低かった輸入価格の上昇が,輸入額の増加を抑え,輸出の著増と相まって,貿易黒字幅を拡大したといえよう。
なお,74年中の推移としてみると,輸入数量は春以来再び回復しはじめており,それに伴い輸入額も増加しつつある。他方輸出は前述のように春以来頭打ち傾向をみせているため,貿易黒字は春以降やや縮少しはじめており,その結果経常収支の黒字幅も第1四半期の78億マルクから第2四半期69億マルク,第3四半期45億マルクと縮少傾向をみせている(第4-15表参照)。
石油危機後の西ドイツの経済政策は,石油価格の大幅引上げによるインフレ加速化の防止と,景気後退及び失業増の防止という両面作戦を追求してきたといえる。そのさい,石油危機発生後の73年暮から74年はじめにかけての時期は,どちらかといえば景気対策に重点がおかれていたが,年初に一時的に景気回復の気配がみえたのに加えて,物価の加速化と賃金の大幅引上げが生じたことから,春以降はインフレ抑制に重点が移るようになった。しかし秋頃から景気情勢の一層の悪化と失業の急増が顕著となるにおよんで,次第に慎重ながらも雇用面にも配慮しはじめ,12月以降はむしろ雇用対果の方へ重点が移りはじめた。
74年の金融政策については,前年にひきつづき引締め基調を堅持するが,情勢の変化に応じて弾力的に運営し,かつ市場要因による金利の低下傾向を阻止しないとの方針が年初に示きれた。その後おおむね資本流出などによる銀行流動性の減少に対しては準備率引下げ再割枠増加などの緩和措置をとり,また資本流入による銀行流動性の増大に対してはその逆の措置をとることで,それを中和させた(具体的な措置については,本文第1章第3節を参照)。また金利面においても,特別債券担保貨付利率の引下げなどを通じて,資金需要の停滞を背景とした金利低下傾向を政策面からも促進した。その結果,銀行貨出金利は概ね73年末をピークに74年中やや低下傾向をみせた。これを当座貸越金利についてみると,73年11月の14.02%から74年8月の13.55%低落したほか,コール・レートも漸次低下傾向をみせているが,長期金利は最近まで非常に高い水準を維持していた(第4-7図)。
他方,マネー・サプライの動きをみると,73年春め金融引締め以降急激に増加率が抑制され,74年にはいってもその傾向がつづいた。M2の増加率(前年同期比)についてみると,73年3月には20.4%にも達していたのが,同年12月には14.4%へ鈍化し,さらに74年9月末には4.4%へと鈍化している。74年にはいってからの通貨量増加テンポの鈍化は,金融引締め基調を背景に景気不振による資金需要の停滞を反映したものである。
その後,景気後退的様相のふかまりと失業増,物価の一応の鎮静化,賃金動向の安定化などを背景に,次第に金融緩和の方向に踏み出し,10月末には公定歩合引下げ(7→6.5%),債券担保貸付利率引下げ(9→8%),両割枠増額(約25億マルク)を実施したあと,12月19日にはさらに公定歩合と債券担保貸付利率の再切下げ(それぞれ0.5%)を行った。また12月はじめに,75年の通貨増加率を8%に抑えるという方針を明らかにしたが(75年は6%弱),これは一方で景気の若干の回復を促進すると同時に,他方で75年中に消費者物価上昇率を漸次引下げることを目的としたものである。
73年9月に閣議決定をみた連邦予算は,予算規模1,344億マルク,前年比伸び率10.5%で,74年の名目GNPの予想成長率と見合った中立型予算であったが,その後の石油危機の発生で雇用悪化の懸念が出てきたため,12月に一連の税制上の引締め措置の撤廃,それまで棚上げされていた財政支出の復活などの措置がとられ,さらに74年2月に特別公共投資計画(連邦6億マルク,州を含めて合計9.5億マルク)が発表された。さらに74年はじめの公務員給与の引上げ幅が政府予想より大幅であったため,結局議会通過(5月)時の74年度予算は総額1,364億マルクで,前年比12.1%増,赤字76億マルクと,やや景気刺激型の予算となった。その後,9月には第2次特別公共投資計画(連邦6億マルク,州3.5億マルク,合計9.5億マルク)が発表された。これは2月の第1次計画と同様,高失業地域を対象としたものである。さらに失業の急増を背景に12月には一連のリフレ措置が採用された(12月12日閣議決定)。その内容は次のとおりである。(1)民間投資促進を目的とした7.5%の投資補助金の交付(74年12月1日-75年6月30日までに発注または実施した設備投資),(2)特定のエネルギー節約投資に対する無期限の7.5%の投資補助金の交付,(3)公共住宅建築企業に対する7.5%の投資補助金の交付,(4)特別公共投資11.3億マルク(エネルギー供給の改善,道路建設,鉄道車両の購入等),(5)失業者の雇用促進を目的とした賃金補助金と移動補助金6億マルク(約30万人の雇用造出可能),(6)操短手当の支給期間延長(12→24カ月),(7)住宅特別償却の対象範囲拡大(第2次取得者にも適用),(8)中小企業投資促進のため政府融資枠の拡大(約10.5億マルク),(9)75年度予算に計上された連邦政府投資をできるだけ上期に繰りあげる,(10)連銀に凍結されていた安定付加税収入と投資税収入(11月30日現在残高約35.6億マルク,うち連邦15.6億マルク,州及び市町村約20億マルク)を取崩す(連邦分は前記(4)と(5)の原資にあて,州及び市町村分は75年度の投資資金にあてる)。 75年度予算については,7月はじめの閣議決定では予算規模1,473億マルク(前年比8%増),純借入額146億マルクとなっていたが,その後75年1月から実施される税制改革による減税規模が140億マルクと当初予想よりも増加,また歳入見積りが景気不振により予想以上に減少するなどの事情のため,赤字額は推定200億マルクを超え,これに州,市町村の赤字を加えると政府部門の赤字額は総額475億マルクと推定されている。
74年の物価安定化に一役果したものとして,カルテル法の改正とその運営の強化があげられる。長年の懸案であったカルテル法の改正は,73年のインフレ的環境のなかでその成立が急がれ,同年8月に議会を通過した。カルテル法改正の要点は,(1)再販売価格維持制の禁止,(2)企業合同の事前審査,(3)市場支配力濫用の規制強化にあった。このうち,市場支配力の濫用規制については74年にはいってしばしば発動されて電気カミソリ,ガソリン,自動車などについて値上げ撤回命令が出された。その結果一部の企業は値上げを撤回するなど,若干の効果をおさめた。物価水準全体に対して,これらの値上げがどの程度の効果をもったかは疑わしいが,少なくともカルテル庁による価格監視活動の強化が心理的に企業の価格ビヘービアに対して或る程度の効果をもったであろうと思われる。
74年は経済停滞の年であったが,政府は75年には実質成長率を約2%程度にのばすことによって失業の増大を防止したいと考えているようである。
9月末の「協調のとれた行動」で政府は労使双方に対して,75年の勤労者所得の伸び率を9.5%に抑えられるならばという前提の上で,75年の実質成長率3%という見通を示したが,その後の景気悪化から11月に見通しを修正して実質成長率2.5%とした。11月の修正数字によると,消費者物価の上昇率6.5%(74年見込みは約7.5%),失業率2.5%(74年見込みは約2.5%)となっており,さらに勤労所得の増加率9.0%,企業所得の増加は9.5%と予想されている。
この政府予測のほか,10月発表の5大研究所の予想,11月発表のドイツ経済研究所の予測,同じく11月発表の経済専門家委員会の予測などがあるが,いずれも65年の実質成長率2-2.5%,消費者物価の上昇率5.5-6.5%など,政府予測と大差はない(第4-17表)。
これらの予測数字は,いずれも12月の一連のリフレ措置発表前のものであるが,このリフレ措置発表時に政府はこれらの措置により75年の実質成長率2%をめざすと述べているから,現在では2%成長が政府目標とみてよいであろう。
75年はじめからの大幅減税が個人消費を刺激し,また9月と12月に発表された特別公共投資計画が75年中に漸次実施されていくであろうし,さらに民間投資刺激措置もとられたので,75年央頃からなだらかな景気回復が一応予想される。
しかし半面では,主要国の景気沈滞による輸出の頭打ちが予想されるし,74年中節約ムードを高めてきた消費者の購買態度いかんによっては減税の刺激効果も薄れてくる。企業の設備投資にしても,コスト増による利潤減や景気見通しの悪化により既に冷えており,投資補助金の交付だけで直ちに企業投資が増加するかどうか,若干の疑念もあろう。
しかし65年5月のノルトライン,ウェストファーレン州選挙,76年秋の総選挙などを控えていることもあり,政府は今回の措置で不十分ならば,さらに追加的な措置をとって失業増加の防止に極力つとめるであろうから,一応65年下期中には景気回復を期待することができるであろう。
72年後半から73年前半にかけフランス経済は世界的な好況の同時化のなかで順調な伸びをみせたが,73年10月の石油危機以降は成長に鈍化がみられ,73年年間の実質経済成長率は73年時点での予想(6.6%増)を下回り6.1%であった。74年に関しては4.7%を政府は見込んでいる。 生産は鉄鋼など設備財生産が好調な反面,自動車,繊維など消費財生産に停滞がみられ石油危機の影響がうかがわれる。一方で需要は,輸出が政府の政策的配慮(輸出金融優遇,産油国などへの輸出振興)もあり好調に推移し景気を支えている。個人消費はインフレ期待にあおられた換物指向から74年初にブームを迎えたが秋口以降所得税増徴,高率インフレから消費行動は慎重化しつつある。
また設備投資も74年春頃は設備不足に伴う生産能力不足から投資意欲は旺盛であったが,最近は,高金利,景気先行き見通し難などから鎮静気味とみられる。 こうした最近における景気先行き不安もあって,好況下でもそれほど減少をみせなかった求職者数は74年秋以降急増に転じ重大問題となっている。一方求人数は景気見通し難から雇用手控えが出始め74年初にも減少し秋口から急減している。
この結果労働需給はこのところ大幅に緩和されている。また倒産企業が増大するなかで郵便ストに代表される労働攻勢は秋以降急速に強まり社会的摩擦は高まっている。 国際収支面でも高値原油輸入から貿易収支は74年初より赤字へ転落,74年の累積赤字幅は220億フランにも達すると予想されている。この結果経常収支は大幅赤字に転じているが資本収支が外資取入れによる流入から黒字となり総合では均衡に近いとみられる。
72~73年の好況下でも需給ひっ迫,賃金上昇などから既に上昇基調にあった物価は石油危機を契機とする資源供給制約から輸入価格が急騰したことも加わったため二桁インフレを現出,経済政策は従来の成長至上主義から,インフレ抑制を含んだ多面的な政策運営が要請されてきている。
こうした時期にポンピドゥー大統領の急死に伴う大統領選挙が5月に実施された。
結果は与党候補のジスカールデスタン前蔵相が社共連合のミッテラン候補を僅少差で破り第5共和制第3代大統領に選出された。
フランス経済は73年に実質GDP成長率6.1%(前年比)を達成した。これは72年の6.0%,またEC諸国平均の5.6%を上回る高成長である。世界的好況下で好調な輸出・設備投資,堅調な個人消費などに支えられたものといえる。
しかしインフレ激化に伴う引締め政策の強化,石油危機の影響などから73年後半以降成長は鈍化し当初見通し6.6%(73年9月予想)は下回った。74年についても政府見通しは4.7%とフランスとしては低目の予想となっている(第5-1表)。
輸出は72年に前年比(季調済,以下同じ)15.7%増,73年に21.5%増を記録した(数量では各々13.6%,10.8%の増加)。74年に入り増加率は更に加速し上半期は38.4%増(数量では16.1%増),第3四半期も37.5%増と好調に推移している。
これを品目別にみると(第5-2表),全ての分野で増加しているが,約2割のシェアーを占める農産品が穀物,飲料,ワインを中心に安定的な伸びをみせているほか,化学製品,鉄鋼などの半製品も増加している。最終製品は自動車など消費財の伸びが鈍化しているため全体としては平均を下回る伸びとなっている。またカバー率をみると(第5-3表)農産品が大きな余剰をだしているあに対し半製品,最終製品はほぼ均衡ラインで,エネルギー関係に至ってはカバ一率はようやく1割である。
さて次に相手国別に輸出をみると(第5-4表)5割以上の構成比を占めるEC向けはほぼ平均増加率ペースで増加しているが,注目されるのは西ドイッ向けが伸び悩んでいる一方でイタリア,イギリス向けが増加していることである。西ドイツ向けでは自動車を中心とした消費財輸出が減少したことが大きく逆にイタリア向けでは農産品,粗製品の伸びが大きく貢献している。その他では発展途上国,中東産油国,東欧圏への輸出が最終製品を申心に大きく増えている。なお相手国別カバー率をみると(第5-3表)ECでは西ドイツとの貿易が赤字を拡大している反面,イタリア,イギリスとは黒字を計上している。中東とは石油輸入の関係で大幅な赤字となっている。
さて以上のような構造上の理由のほかに輸出増進の要因としては次の2点があげられる。即ち第1にフランが1月に単独フロートヘ移行して以来主要 ヨーロッパ通貨に対し実質切下げとなり輸出には有利となったこと,第2に政策面で産油国,東欧圏, 7-次産品産出国などへの輸出振興策をとったほか輸出金融を緩和したりして輸出増進に努めたことがあげられよう。
今後の見通しについては国際収支の項で述べるが74年の実質の伸び率は12.7%と73年(12.2%)を上回る見込みで75年も10.1%増を予想し輸出主導 型の経済運営の姿勢を堅持している。
個人消費は73年に実質で5.7%増を記録,好調に推移した。73年末から74年初にかけてはインフレによる価格先高見越しから家具,電気製品などに大規模な換物運動がおこり個人消費は急増した(第5-1図)。その後バカンスにかけてもこのブームは継続し家庭用品などへの需要もたかまった。しかし秋口以降,価格の顕著な上昇に加え引締め政策の漸次的浸透,特に所得税増徴の影響がでて消費態度は慎重化している。したがって74年の見通しは4.5%と伸び悩み75年も3.5%と伸びは鈍化する見込みである。
なお自動車需要はガソリンの値上げ,速度制限の実施,価格上昇などから大きく落ち込み,新車登録台数はこのところずっと前年水準を下回り最近時点(10月)では前年比約2割の大幅減少となっている。
72年後半から73年にかけての世界的な景気の高まりからフランスでも生産面で設備,労働力,原料供給などにボトルネックを生ずるようになった。経営者のアンケート調査をみてもこの傾向は顕著で特に設備関係のボトルネック感は労働力,原料供給のそれを上回るとされた(第5-2図)。これを財別にみると(第5-3図)消費財生産でのボトルネック感は73年初から半ばにピークに達したあと簿れてきている。これは石油危機の自動車産業への影響が大きいことから説明されよう。一方中間財,設備財は74年にかけてもひっ迫感は強いが設備財が鉄鋼など好況業種を抱え74年春頃にも不足を訴えていたのに対し中間財はやや弱含みに推移している。しかし一方で引締め政策が強化され,高金利,信用規制から企業の財務状態もひっ迫していくにつれ(第5-2図)景気先行き見通し難も加わり設備投資意欲は最近に至り徐々に鎮静化へ向かっている模様で9月の経営者アンケート調査では「生産能力は長期にわたった飽和から最近は緩和に向かいつつある」と指摘している。政府見通しでも他の諸国より高いとはいえ74年は4.7%増と73年の6.6%を下回る予想となっている。
次に簡単に在庫の動きに触れておくと74年後半からの景気好転により縮小傾向をみせていた在庫水準は73年後半でほぼ底を打ち74年初にかけては増加傾向にあり半ば以降は経営者見通しでは受注水準と逆転し急増している。これを財別にみると(第5-4図)消費財部門での在庫は自動車の意図せざる在庫 (第5-5図)も含めいち早く増加に転じたが中間財部門などでは受注が好調であるところから在庫水準は比較的低い。今後は景気の鎮静化,欧米先進国の景気停滞からくる輸出需要の低下などから受注がおちてくると予想されるため製品在庫を中心に増加に向かうとみられる。
73年上期に好調な伸びをみせた(前年比8.5%増)鉱工業生産は下期は自動車生産(第5-5図),繊維など石油危機の直接的影響を蒙った業種での停滞もあり第3四半期は7.6%増,第4四半期は4.9%増と増加率は鈍化しはじめた。74年に入り第1四半期に前期の反動もあって同5.9%増とやや持ち遣したものの以後は第2四半期4.4%増,第3四半期4.1%増とほぼ前年比4%台の増加にとどまっている。
こうした動きを業種別にみると(第5-6図),電力設備,製紙,金属加工,鉄鋼などが好調な反面,上述したように石油製品などのエネルギー部1門,自動車,繊維が平均の伸びを下回ったほか建設業も引締め強化のもとで伸び悩んでいる。
これを財別にみると(第5-7図),消費財生産が最近大きく低下しているのに対しその他は堅調で特に設備財生産は輸出需要の高まりなどから上昇している。
今後については消費財生産が需要の落ち込みから早急には回復せず,また海外需要動向に大きく左右されるとみられる中間財,設備財生産は欧米先進国の景気停滞が長引くにつれ鈍化気味に推移することは避けられない見込みで経営者見通しも横ばいないし減少を予想している(第5-8図)。
求職者数は景気回復下での減少もはかばかしく進まないうちに73年後半からは石油危機による景気見通し難からくる経営者の雇用手控えや女性労働者の市場進出から増加に向かった。そして,74年夏以降は季節的な新規学卒者の市場参入のほか自動車業界,繊維業界など不況業界からの失業増も相まち急増に転 じている。この増加ペースは他のEC主要国のうちでも西ドイツに次ぐものである(第5-9図)。また最近自動車業界では工場の一時閉鎖が拡がりレイオフも増大している。
第5-9図 増加する失業者数(1970年第1四半期=100)
一方求人数は生産停滞に見合い73年後半から減少に向かいはじめ74年秋から急減している。この結果,求職者数を求人数で除した求職求人倍率はこのとこう急上昇し9月は2.8倍に達し69,70年の不況時に匹敵する高水準となっている。 急増する失業対策として政府は10月に経営者団体と労働組合がかわした契約に基づき失業者に対し最大1年間,名目賃金の90%(実質の手取りではほぼ100%)を支給する措置をとり雇用安定に努めている。 しかしインフレ高進下での賃金の目減りもあって73年から74年にかけては労働攻勢に激しいものがあった。73年12月の物価高騰に抗議するゼネストに続き74年春には恒例の春闘が実施され,銀行,証券取引所などを含めストライキが頻発した。また10月には定貝増強,最低賃金引上げなどをスローガンに全国的に郵便ストが勃発,11月にはこれが電力,ガス,鉄道など公共企業に波及し11月19日に全国的ストライキが実施された(郵便ストは11月末終結)。
また引締め政策の強化,コスト増大などから企業の資金繰りは窮迫し企業倒産数は急増している。たとえば10月のパリ地区の企業倒産数は116件と前年同月に比べ約2倍,また資金難から大蔵省に援助を要請し届け出た企業数は11月初で4,350件にのぼり8月時点(1,011件)からみると大幅な増加である。
以上みたように雇用情勢はこのところ急速に悪化し,企業倒産も増加,ストライキが頻発するなどフランスにおいては最近社会的摩擦が強まっているといえる。
約4倍の原油価格引上げを契機に,既に上昇基調にあった物価の騰勢はさらに加速され二桁の高率インフレが現出した。
卸売物価はエネルギーを中心とした工業用輸入一次産品の騰勢が顕著でこれが工業製品価格を押し上げ,総合卸売物価水準を高めた。しかし74年以来の国際一次産品市況の低落から輸入原材料価格の上昇が鈍化し始めたため卸売物価の騰勢は比較的穏やかなものとなっている(第5-10図,第5-5表)。
一方消費者物価は,従来から高騰の大きな要因となっていた食料品価格が商品市況低落,特に夏頃からの食肉の値下りなどから上昇率が鈍化したのに対し,工業品価格はエネルギー価格上昇の影響を直接受けたため騰勢を強め急上昇している。サービス価格もガソリン,電気,ガス,石炭に家賃などの公共料金が引上げられたこともあり高騰している(第5-11図,第5-5表)。しかし,四半期間での上昇率をみると74年第1四半期の4.2%から第2四半期4.0%,第3四半期は3.2%と,最近はインフレ対策の効果もあって騰勢は根強いものの上昇率に鈍化がみられる。
第5-11図 部門別消費者物価指数の推移(1970-100)
こうした最近の高騰の原因としては原油価格上昇に基づく輸入コスト要因と賃金上昇によるコスト要因が大きいが,その他根強い上昇を支える根因として以下の要因も指摘できる。即ち食料の世界的な需給ひっ迫,基礎産業での生産能力不足といった需給要因のほか,アメリカの国際収支悪化により生みだされ節度を欠いて増大した国際流動性がマネーサプライを増やし為替相場維持を困難にさせた点もあげられよう(詳細は本文第2章参照)。
高率インフレ対策として政府は73年後半以降財政金融両面からの総需要抑制策のほか物価直接規制を継続するなどるなど,本文第2章でみたように多様な政策を打っている。
ここで簡単に各政策のスタンスをみると,まず金融政策は72年後半から徐徐に引締めへ転換,73年に入ってからは公定歩合の急速な引上げ,預金,貸出準備率操作を中心に引締め基調を堅持している。ただし74年後半に至り景気の先行き不安,企業倒産の増大などから部分的手直しがみられ,8月の預金準備率引下げ,8,9月の短期輸出前貸の銀行貸出増加率規制の枠外扱い,といった措置がとられ局部的な資金救済が図られている。
また財政政策は金融政策に比し比較的拡大気味に運営されていたが,73年末に所得税・法人税の前払い率引上げ,政府支出削減ないし繰延べなど引締め措置をとって抑制運営にかわり,74年6月には所得税・法人税の増税を中心に引締めへ転換している。75年度予算案も歳出規模は名目経済成長率を下回る緊縮型となっている。しかしこれも景気情勢の変化から最近は手直しがみられる。すなわち11月に74年2度目の補正予算を編成して経済社会開発基金を増やし,これを通じて資金難に陥っている中小企業に低利融資の道を開いたほか,不況色の濃い自動車業界に再編成促進のための新しい融資制度を打ちだしている。
戦後一貫して継続している物価直接規制については,年間価格管理計画を74年3月に継続,10月からはこれを改定し,現在年間20%近い工業品消費者物価上昇率を平均で年間8%程度に抑制し,一次産品市況低落を背景にした中間マージン削除効果を狙うなど依然厳しく運営されている。
賃金は製造業時間当り賃金(名目)は四半期計数で73年に入ると前期比で4%近い大幅な増加をみせ,さらに74年第1四半期には5.1%,第2四半期も6.1%と急増,前年同期比では各々17.5%,20.3%と大幅な伸びとなっている。こうした動きを購買力(実質)でみると,73年半ば以降は高率インフレの影響で購買力の伸びは漸減傾向をみせていたが,74年第2四半期には名目賃金の伸びもあって回復した(第5-12図)。
こうした大幅な賃金上昇は物価との悪循環を招くため,政府は74年3月に購買力の現行水準維持の方針を打ちだしたが,労組側から「偽装された所得政策」との批判を受けたため6月にはこれを修正して購買力の四半期平均上昇率を0.5%を目標に自粛するよう要請している。しかし労働攻勢の強まりもあって購買力上昇はこれを上回っているのが現状である。
一方消費者物価上昇にスライドして上昇する法定最低賃金(S.M.I.C)1は74年はほぼ2ケ月ごとに改定され最近では前年比で25%前後の上昇を記録している(第5-6表)。
フランは74年初来共同フロートの下限にあったが,石油危機を契機として経常収支の大幅赤字が予想されるもとで共同フロート内にあって市場介入義務を有することは投機筋からのアタックを受ける危険があったため,1月,6カ月の期限付で共同フロートを離脱し単独フロートに移行した。この結果フランは共同フロート通貨から4~5%の実質切下げとなり以後も共同フロートの「ヘビ」を下回って英ポンド,イタリアリラとともに切下げられた状態にある。このフロート措置により二重為替市場の差が狭まり実質的意味が薄れたこと,また二重相場を続けると貿易フラン安,金融フラン高が予想され差が拡大する懸念がでたことから3月二重相場制は廃止された。
フランの共同フロート復帰については期限切れの7月に政府は短期援助機構が実現していないことなどを理由に復帰を見合わせ,その後も復帰する意志のないことを表明している。
73年の国際収支は貿易収支の黒字にもかかわらず石油危機下での手数料収入の減少を含む貿易外収支の不振が響き経常収支は赤字となった。また資本収支は短期資本収支プラス誤差脱漏の黒字幅が72年の約2倍となったものの,長期資本の大量輸出で赤字幅を拡げ,この結果総合収支は72年の黒字から一転して赤字へ転落した。
74年に入り貿易収支が原油価格高騰から赤字へ転化したため,政府はユーロ市場から1月に15億ドルのシンジケートローンを組んだのをはじめ3月にも約40億フランにのぼる借入れを実施;収支改善に努めた結果,74年上半期には経常収支が173億フランの赤字となったにもかかわらず,資本収支が148億フランの黒字を計上,誤差脱漏の黒字を加えて総合収支では11億フランの黒字に戻した(第5-7表)。
今後の見通しについて政府は1~10月累計で約170億フランに達している貿易収支赤字額を74年年間で220億フランに押え,75年年間ではその半分程度にとどめて75年末時点では収支均衡へ持って行きたいとしている。 しかしこの見通しについては楽観的すぎるとの批判がある。すなわちアメリカの景気回復がはかばかしくないところから世界景気の回復は予想よりも遅延する可能性が強く,輸出増進維持が困難とみられるほか,計算根拠である石油輸入コストが過少評価されている点も指摘されている。
しかし政府は原油価格引上げによるとうした国際収支悪化を是正するため,種々のエネルギー対策を打ちだしている。すなわち3月には新エネルギー政策を発表,74年のエネルギー消費量を73年水準とし75年以降も毎年3%程度の増加率に抑制することを目標とし,具体的エネルギー消費節約策として暖房制限,速度制限などを実施した。さらに6月には石油製品価格の引上げ,石油製品消費規制を含むエネルギー消費節約策を打ちだした。また7月には家庭用燃料割当制,9月には①75年の石油輸入額の枠設定②家庭用燃料販売枠の設定③工業用重油の消費節約を盛り込んだ省エネルギー政策と相次いで消費規制措置を打ちだし,石油輸入削減して努力している。
政府は74年9月,75年度予算案を閣議決定した。特色としては①歳出規模が前年比13.8%増と名目経済成長率予想(14.3%)を下回り総合収支尻で3億フランの黒字を計上していること②歳出内訳をみると公共事業関係歳出の伸び(12.1%)は平均以下に抑える一方,老齢者,身障者対策など社会保障関係支出の伸び(27.5%)は平均を上回っていること③歳入面ではアルコール製造税,パスポート印紙税などを引上げたことなどがあげられるが,そのほか税制改正として所得税の所得区分の改定,給与所得者の免税点引上げ措置も盛り込み,税負担の公平化を図っている(第5-8表)。
こうして75年度予算は物価安定と成長維持を目標とした均衡予算となっているが,歳出内容をみてもインフレ抑制基調が貫かれているといえる。
予算編成に際し発表された75年の経済見通し(第5-1表)は実質経済成長率.2%,消費者物価上昇率8%,輸出入収支赤字額は120億フランと予想している。しかしこの見通しは75年中に石油価格が安定することを前提としているため,価格の動きいかんによっては目標が達成されないことも考えられ,景気動向ともからみ新らたな予算措置がとられる可能性もあるといえよう。,なおインフレ対策の項でも述べたように景気先行き不安から最近引締め政策の部分的手直しが行なわれているが,政府は必要に応じて75年初めにも企業の自己資金確保,機構改善のための低利貸付けなど弾力的措置をとる考えである。
69年の「暑い秋」以来停滞を続けてきたイタリア経済は,73年にずれこんだ金属・機械労組の労働協約改訂斗争による゛生産低下後急速に回復し,73年後半の生産は著しく増大した。しかし,石油危機の影響が本格化した74年以降は国際収支,インフレ問題が深刻化し,後半からは需要・生産の不振から失業増大も加わって経済困難は一層深った。
73年のGNPは実質5.9%の伸びで69年以来の最高であった。投資の急増(純投資で実質23.9%増)が目立っているほか,民間消費も順調な伸び(実質6.2%増)を示した。このため国内需要は実質7.6%増でGNPのびを1.7%も上回り,これが輸入の大幅な伸び(実質11.9%増)につながった(第6-1表)。投資需要の急増は,経済の先行きに対する信頼の回復と,大幅な賃金上昇によるコスト増を削減するための省力化投資,将来のインフレ見込みのための投資急ぎ等が原因といわれる。また,民間消費は所得の大幅増大,インフレ見込み等が原因となり,耐久消費財,サービスを中心に活発であった。
需要・生産の回復に伴い,73年中雇用情勢は急速な改善がみられたが,反面では,内需の活発化,原材料を中心とする輸入物価の上昇などからインフレの加速化がみられた。また,貿易収支の大幅な悪化から経常収支は赤字に転落し,慢性的な資本流出傾向も依然続いていたため,リラ相場は大幅に軟化した。
さらに,73年秋からは石油危機が加わり,これが74年に入って経済全体に深刻-な影響を与え,インフレ,国際収支は極度に悪化した。石油価格の高騰は経常収支の巨額の赤字をもたらしたため,積極的な外貨取入れにもかかわらず総烹辰支は巨額の赤字を記録した。74年4~5月頃になると外貨借入れ能力にも限界がみえはじめ,イタリア経済は破産寸前とさえいわれる危機的様相を呈した。
こうした状況の中で,政府は経済政策の重大な変更を迫られたが,金融引締めの強化をめぐって度々政府部内が対立し,内閣の総辞職ないし総辞職寸前の状況(3月,6月,10月)に発展するなど政治面でも不安定となってきた。結局,IMF-ECなどから外貨取入れを進める緊急の必要性もあったため本格的な引締め政策の採用を余儀なくされ,4月から金融引締めを強化,5月には輸入預託金制度を導入,さらに7月には財政面でも増税を中心とする総需要抑制政策を打出した。
こうしたことにより,74年夏以降需要・生産に対する引締め効果の浸透がみられはじめた。生産は74年8月以降停滞傾向となっており,9~10月からは需要不振により操短・レイオフが広がるなど失業問題が再び表面化してきた。一方,輸入預託金制導入の5月以降貿易収支は改善に向い,また積極的な外貨借入れもあって国際収支は回復に向っているものの,インフレは依然衰えをみせていない。
73年1~4月にかけて,労働協約改訂交渉に伴う金属・機械労組の大規模なストライキによって鉱工業生産は大幅に低下したが,73年後半からは上記のストライキ部門を中心に飛躍的な増大をみせた。このため73年々間では9.4%増となった。74年に入ってからも生産は増勢にやや鈍化がみられるものの,引続き高水準を維持していた(1~6月前年同期比12.2%増(注))。
しかし,金融・財政両面からの厳しい総需要抑制政策(後述)の影響もあって,本年後半あたりから生産活動は急速に冷えつつある(第6-2表)。とくに自動車と建設部門が不振であり,自動車は石油価格高騰と8月の自動車臨時保有税の影響が特に大きく,また建設業は金融引締めによる住宅購入の減少が大きい。また9月以降は,自動車・繊維産業などで操短・レイオフの発表が相次いだ。このため7 ~10月の鉱工業生産は前年同期比0.7%減となった(1-10月では7.3%増)。特に,自動車生産は年初来10月まで前年同期比21.6%の急減,また繊維産業も8.7%減となった。
73年から74年前半にかけて,雇用情勢はかなりの改善をみせた。完全失業者数(未調整)は,生産が回復した73年後半からかなり減少し,74年4月には48万4千人にまで低下,また失業率も73年初の4.0%から74年4月には2.5%へ低下した。しかし,74年後半からは,需要・生産ともに不振となるにっれ多くの業界で操短・レイオフが広がり,再び失業の増大がみられる。10月の完全失業者数は60万人をこえ(失業率は3.1%へ上昇),不完全雇用者(週労働時間が33時間に満たないもの)数は31万4千人で前年同月(7万j千人)4倍以上も上回っている。
また,最近景況悪化の西ドイツ,スイスなどからのイタリア人労働者の帰国が増加していることも雇用情勢を悪化させている。
物価は,72年秋以降上昇テンポが高まり,73年に入ってからは一段と加速,さらに74年に入ると原油価格高騰の影響もあって異常な上昇を示した。
卸売物価は,農産品を中心に73年中騰勢を加速していたが,73年12月から74年3月にかけては原油価格高騰が加わって前月比4~6%もの記録的な上昇となった(3月の前年同月比44%高)。一方,消費者物価は73年前半の前月比1%前後の上昇から7~9月には物価・家賃の凍結令(注)により0.5%台の上昇にとどまっていたが,10月からは騰勢が加速化し74年2~3月には2%台の上昇ぶりとなった(3月の前年同月比16.0%高)。
74年4月以降は,農産物の下落と高価格原油の影響の一巡もあって卸売物価は前月比2%台(ただし5月は0.5%高),8~10月は-1%台で推移している(10月の前年同月比は42.1%高)。消費者物価は4~6月の1%台から7~9月には電力料金,都市交通料金などの分共料金,ガソリン価格の引上げ,生活必需品の物価凍結措置の解除などから再び騰勢が2%台へ加速している(10月の前年同月比24.3%高)。
イタリアの物価上昇の背景には以下の三つ要因が指摘される。第1に,輸入物価の上昇である。72~73年の国際商品価格の高騰はイタリアの主要輸入品である食料,工業原材料等の輸入物価を大幅に引上げたし,リラ相場の下落(対スミソニアン・レート比実効切下げ率,73年3月末8.7%,9月末12.8%,74年3月末16.7%,6月末19.0%)も輸入物価の上昇に拍車をかけた。
第2に,強大な労組の要求によってもたらされた賃金の大幅上昇である。68~73年における工業労働者賃金は94.7%も増加した(同期間における消費者物価上昇率は32.3%にすぎない)。こうした大幅な賃金上昇はコスト・需要両面からインフレ加速要因となっている。第3には,財政の大幅赤字とその赤字補てんのための中銀引受けに起因する通貨の増発である(第6-5表,後出第6-16表)。このほか需要圧力の増大,インフレ心理のまん延などもあげられる。
賃金の動向をみると,69年以降の相次ぐ労働争議の結果,70年代に入ってからの賃金(製造業時間当り)は著しく上昇している。とくに72年度金属労組の労働協約改訂交渉妥結後の73年第2四半期以降における上昇が著しく,前年同期比では20%以上の大幅な上昇となっている。実質賃金も73年中かなりの増大をみせたが,74年に入ってインフレが激化するにつれて増加テンポは鈍り,7~8月には前年同期とほぼ同じ水準となった(第6-6表)。また賃金の物価スライド制(注)による引上げ率も最近の著しい物価上昇により大幅に増加している(第6-7表,第6-8表)。こうした激しい賃金の上昇は産業に大きなコスト増をもたらしており,国際競争力の低下や物価上昇の大きな原因となっている。
73年の輸出は19.5%増,輸入は44.0%増で,輸入が過去に例をみないほど急増した。数量ベースでみても,輸出はわずか4.2%増であるが,輸入は13.5%も増大した(第6-4図)。輸出は,73年前半の金属労組を中心とするストライキにより自動車・機械を中心に輸出の約40%を占める部門が打撃をうけたため72~73年の世界的ブームに十分乗り切れなかったこと,73年後半には先進工業国の景気拡大のテンポが鈍化しはじめたこともあって期待されたほどの伸びを示さなかった。他方,輸入は国内消費需要の堅調,73年後半の生産の急拡大,機械・設備投資の急増,将来のインフレ見込みによる投機的在庫需要の増大等により大幅な伸びを示した。また,食料・原材料などの国際商品の値上り,リラ相場の低落による輸入価格の上昇も輸入の増大をもたらした(交易条件は72年=100として73年は91.6に低下)。さらに資本の逃避を目的として輸入のオーバー・インボイス,輸出のアンダー・インボイスが行われでいることも見かけ上の輸入増,輸出減をもたらしている。このため,73年の貿易収支(通関ベース)は,72年の4,152億リラの赤字から一挙に3兆2,547億りラもの大幅赤字となった。
74年に入うてからは,こうした貿易収支悪化の要因が続いているうえに原油価格の高騰が加わったため交易条件はさらに悪化し,貿易収支赤字は一段と拡大した。1~4月の貿易収支赤字は月平均6,925億リラで前年同期の2,263億リラの赤字を3倍以上も上回っている。5月に輸入預託金制度(後出)が導入されたこともあって(OECDは,この制度による輸入コスト増を4%程度と推計),5~10月の貿易収支赤字は月平均5,637億リラへとやや改善をみせているものの赤字幅は依然として大きい。
輸入品の中でとくに問題となっている原油と牛肉の輸入状況をみると,1~8月では,牛肉は数量・金額ベースとも前年同期を下回っているが,原油は数量ベースでは若干の増加であるが金額ベースでは4倍近くも増えている(第6-11表)。
1~10月の貿易収支の累積赤字額をみると,6兆1,512億リラでそのうち石油収支による赤字分は4兆2,400億リラ(69%),非石油収支による赤字分は1兆9,222億リラ(31%)である。月別にみると,非石油収支の赤字は5月以降徐々に減少している。
とくに73年に貿易収支赤字の38%を占めていた牛肉収支の赤字が74年1~8月では14%まで低下しているのが目立っている。
イタリアは,60年代の初期に貿易収支の悪化から深刻な国際収支の危機を経験したが,64年には回復し,64~71年にかけて経常収支は毎年かなりの黒字を記録(ただし70年はほぼ均衡)した。この間,民間資本の流出が続いていたが,72年6月のポンド・リラ危機以降,合法・非合法ともに流出が激した(73年の非合法資本流出は約1兆リラにのぼると推計されている)。しかも,イタリアの民間資本の流出は,金融政策の変化にあまり敏感でないとされているため,直接的な流出規制が度々とられるようになっている(第6-12表)。しかし,民間資本の流出は,貿易決済時のリーズ・アンド・ラッグス(72年には約25億ドルにのぼるとされている)や,観光収入,移民送金の非公式な為替市場への流出というルートでも行われている。最近は,こうした資本流出と経常収支の悪化が重なったため,リラ相場は強い圧力をうけている。
73年の経常収支は2兆3,662億リラもの巨額の赤字(72年は2,905億リラの赤字)であった。貿易収支の悪化によるところが大であるが,外貨の稼ぎ頭である観光収入と移民送金が十分に伸びなかったことも大きい(これは前述したように非公式為替市場への流出があったことなどによる)。この巨額の経常収支赤字は,中銀のユーロ市場からの借入れ(第6-14表①)による資本収支の黒字でほぼ相殺されたため,73年の総合収支は1,761億リラの赤字にとどまっていた。しかし,74年に入ると原油価格の引上げにより,経常収支の赤字が昨年同期の2倍以上も拡大したため,積極的な外貨取入れにもかかわらず総合収支は巨額な赤字を,計上するに至っている。しかも今年の前半ごろには政治不安,ユーロ市場からの債務の累積の急増などから,借り入れ能力の限界が伝えらるようになった。このため,74年以降はG-Gベース(対外国政府又は国際機関)の借入れに頼らざるをえなくなっている(第6一14表②)。
74年に入ってから国際収支の動きをみると,総合収支は第1四半期1兆3,430億リラの赤字,第2四半期1兆6,070億リラの赤字のあと第3四半期には1,700億リラの黒字と大きく改善した。これは,観光収支,移民送金などの季節的要因がプラスに作用したことが大きいが,貿易収支がひところよりも改善したこともあげられる。
国際収支の大幅赤字は,イタリアの公的準備のみならず,中長期資産をも合めた政府および民間金融機関全体の対外バラ.ンスを極端な悪化に導いている。中銀発表の金外貨準備等の数字をより実態に合うように修正した第6-15表をみると,イタリアの対外ポジションは73年末の52億ドルのプラスから,74年10月末には0.32億ドルのマイナスに転じている。しかし,外貨保有高は年央以降の積極的対外借入れ(第6-14表②参照)により増加がみられる(もっともその分だけ公的部門の中長期バランスはマイナスとなっている)。
イタリアの財政は,公務員給与の引上げ,年金等社会保障費の増加,公共料金裾置きによる公企業等の経常赤字補てん金の増大などの経常的経費増大に起因する大幅な赤字が続いている。73年の財政赤字額(一般会計プラス特別会計の赤字合計額)は約3.7兆リラ,74年は6.2兆リラという巨額の赤字となっている。この赤字を補てんするため発行される国債のうち,その相当分は中銀引受けという不健全な方法をとっている(第6-16表)ため通貨発行量増加の大きな原因となっている。またイタリアの金融機関は,中銀に対する強制準備預金のうち10%を国債で預託する義務があるほか,73年6月には新たに国債保有義務が加えられるなど,国債の発行増大は民間金融市場をも圧迫している。反面,政府支出の増大は,景気支持的役割も果していることは事実で,中銀の推計によると73年には名目GNP成長率を3.8%押し上げたとされている。
財政赤字増大には,支出面だけでなく収入面にもその原因がある。つまり,徴税体制の不備,脱税の横行などによって税収が伸び悩んでいるためである。このため,政府は付加価値税(VAT)の導入(73年1月),直接税制の改革(74年1月)を実施したがあまり実効はあがってないようである。しかし74年に入リインフレ,国際収支が極度に悪化したため,74年7~8月には3兆リラの増税,徴税体制の拡充・整備が打出された。さらに8月,議会に提出された75年度予算策においても,連年の財政赤字膨張にピリオドをうつため,一般会計の歳出増は19.7%,歳入増は27.9%(74年度はそれぞれ21.3%,10.4%増)と歳出入の伸びを逆転させ,赤字幅を前年度に対しほぼ横ばいにとどめている(第6-17表)。
73年中のイタリアの経済政策をみると,金融面でいくつかの引締め措置がとられているもののその目的は投機的な資金需要を抑えたり,海外の高金利に追随して資本流出を防止することにあり,本格的な引締めを意図したものではなかった。しかし,74年に入って石油価格引上げが物価,国際収支に深刻な影響を及ぼすに至り,3~4月からようやく本格的な引締め政策をとり出した。まず金融面で公定歩合の引上げ,金融機関の貸出規制の強化が行われ,5月には輸入抑制と同時に国内過剰流動性吸収をも目的とした輸入預託金制度が導入された。財政面からの引締め政策は,政治不安による政府のリーダーシップの不足から難行したが,7月になってようやく間接税増税を中心とする一連の措置が打出されたほか,75年度予算案(第6-17表)もかなりの緊縮予算となっている(73年からの総需要抑制措置の概要は第6-18表のとおり)。
しかし,74年後半にあたりから金融面での厳しい引締め措置により中小企業を中心に資金不足が深刻化し,またプライム・レートも徐々に引上げられ高水準に達している(12月初には19%)。このため,最近では借入コストの・急増で大企業までが借入れ困難におちいっている。こうしたことから12月に成立したモロ新内閣は,生産・輸出の振興めざして金融引締めの部分的緩和1に踏み切った。
最後にイタリアの経済情勢の現状をふまえたうえで,OECDの見解に沿って今後の見通しについてふれてみよう。これまでみてきたように,金融・財政の引締め政策により,74年夏以降生産は急速に停滞傾向となり,需要も74年後半には実質減少しているとみられる。75年にも生産の停滞は続き,需要も横ばいで推移するとみられる。
こうした生産の動向を反映して,雇用は今後も減少するとみられ,失業率は75年前半より後半に一段と高くなろう。
物価は,最近卸売物価の急騰がおさまりつつあるものの,消費者物価は生活必需物資の統制解除,間接税増税,公共料金引上げにより,7月以降騰勢を強めている。しかし,これらの上昇要因も74年中には出つくすであろうし,今後の景気情勢からみても物価上昇率は多少の鈍化が見込まれる(ただし,原材料,石油価格の上昇がモデレートであること,リラの為替レートが安定しているという前提が必要であるが)。
輸出は,政府の中東産油国向け輸出振興策などから,これらの地域での増加が見込まれる。しかし,先進国向けは,75年中先進国景気の停滞が見込まれることから伸びは鈍化すると思われる。輸入は,国内需要の低下によりわずかな上昇にとどまろう。このため,経常収支の赤字は縮少しようが,50億ドルをこえる赤字は依然のこるものと予想される。 実質賃金は,74年中物価の高騰で伸び率の低下が著しい(このため三大労組は現行の賃金の物価スライド制の改訂を要求している)が,75年に物価上昇テンポが鈍化すれば,若干の回復が期待される。
73年の実質経済成長率16.5%(前年7.0→)と過去最高を達成した韓国経済は,74年に入っても上期15.3%増と引続き高い成長を示した。これは,73年の好景気の余波をうけ,重化学工業が急速に伸びたことなどによるものである。しかし後半は,次第に世界の景気後退と石油危機の影響があらわれはじめ,夏頃から景気に鈍化傾向がみられ,年末は不況の様相を示している。
73年の産業別GNPをみると,まず農林漁業において73年上期の異常気象による不振から5.5%(前年5.0%)増とほぼ横バイで,74年上期も5.9%増(前年同期5.3%)と鉱工業に比べ芳しくない。
一方,鉱工業部門は73年30.4%増(前年比,うち製造業30.9%増)と輸出の拡大によって大幅に伸び,74年上期も前年同期比28.9%増(うち製造業29.8%増,前年同期は28.3%増)と引続き好調であった(第7-1図)。しかし,74年後半は日米の景気後退や,石油危機の影響をうけ増加率が急速に落ち,倒産や失業も増加している。とくに合板や繊維業界など軽工業部門の生産が悪化して,これらの操業度は正常時の6割まで落ち込み,企業は在庫調整に苦慮している。
その他,73年には社会間接資本が14.7%増と著しく拡大したのに対し,74年上期には9.3%増と大きく後退している。
74年度(暦年)予算は前年度比28.6%増と過去5年間の平均増加率21.1%をかなり上回り,当初からインフレ加速化が懸念される大型予算となった。そして,10月中旬に約2千億ウォンの補正予算が組まれ,その規模は初めて1兆ウォンを上回るものとなった。 75年度予算も前年度比24.4%増と引続き拡大予算を組んでいる。歳入の約66%を税収入で予定しているが(74年度の20%増),民間企業にとっては内外の不況時にこのような税収偏向は,むしろ国内景気の後退を招くとして難色を示している。
また,「土地金庫出資」のため300億ウォンを韓国銀行から借入ることになっており,支出面でも国防費が約28%占めていることなどから,野党はさらに高インフレを招くとして強く反発している。 その他,政府見通しでは75年は8%経済成長率(実質)と輸出65億ドルを目標としている。
73年の貿易の特徴は,輸出が大幅に伸び,貿易赤字がかなり縮小したことである(第7-2図)。
まず輸出については,前年比98.3%増(約33億ドル)と史上.最高を記録したが,これは軽工業はもちろんのこと重化学工業も大きく伸びたことによる。とくに衣服,繊維,合板,かつら,皮革だけで13億ドル(全体の41%)電子部品3億ドル,鉄と機械が2億ドルにのぼった。
輸入についても前年比70%増の約42億ドルと大幅に増加した。このような増加は主として世界インフレによる輸入価格高騰によるが,実際原材料輸入 が前年比87%増の25億ドル,資本財輸入が45%増の11億ドルと,加工貿易の進展を示している。
このような好調な貿易も,74年に入って輸出伸び率が鈍化し始め,第3四半期には,輸出入ともに前期比減となり,74年1-10月の貿易赤字は17.8億ドル(73年赤字8.9億ドル)と前年の2倍となった(輸出38.8億ドル,輸入56.6億ドル)。
とくに石油については73年輸入実績3.1億ドルから74年には10.8億ドルに増加すると予測されている。その後,輸出成約も低調で,政府輸出目標45億ドル達成は困難となってきた。政府は輸出振興策として,日米以外の西欧,中近東諸国の輸出市場開拓や繊維製品滞貨金融等の措置をとってきたが,12月についにウォン通貨の17.6%切り下げにふみきった。 さらに,政府は国際収支改善のため,観光客の誘致,外資導入,IMFオイルファシリティやユーロ市場からの借入れ等,あらゆる努力を行っているが,とくに外資導入が不振で外率準備は73年末の10億ドル台を割って減少しつつある。
73年の物価動向は,消費者物価3.1%,卸売物価6.9%とともに比較的落ち着いた動きをみせた(第7-3図)。とくに消費者物価では最大ウェイト(14 %)の穀物が前年比△2.2%と低下したことと,卸売物価でも食料が安定していたことが原因である。
しかし,石油危機後の物価高騰は著しく,74年第3四半期で消費者物価26.7%増,卸売物価45.2%増(前年同期比)と次第に騰勢を強めている。なかでも石油141.3%,合成繊維62.3%,化学製品50.0%増(前年同期比)と石油関連製品の上昇幅が大きい。
政府はインフレ対策,として73年12月の価格事前承認制の実施のほか,74年1月に経済緊急措置第3号を打出したが,その効果が出ないうちに国内景気が不況に突入したので,目下景気浮揚政策に重点を移している。8月の下期経済運営政策の発表や,12月の「国際収支改善と景気回復のための特別措置」,75年度大型予算発表等がその例である。なかでも「特別措置」では,通貨切下げとともに,10月の公務員給料30%引上げに続きガソリン,プロパンガスを36.3%,電気料金42.4%,鉄道運賃39%引上げており,米価高騰と伴い物価の見通しは明るくない。
73年の台湾経済は輸出増進に支えられ,実質経済成長率12.3%(前年11.0%)と史上最高を記録したが,その後石油ショックと先進国景気の低迷を映じて急速に停滞拭を強めるに至った物価動向は,73年を通じて消費者物価,卸売物価ともに上昇し続け,石油危機でさらに拍車がかかり,74年第1四半期に異常な高騰をみせたが,以後,上昇率は鈍化ないし反落している。
まず鉱工業生産の動向をみると,73年は22.7%増と高成長を示したが,74年に入って,石油危機によるエネルギー・原材料不足や先進国景気後退による輸出成約不振等から,74年上期は6.7%増(前年同期比)と減速した。これを1~9月の速報値でみれば5.1%増とさらに後退している(第7-4図)。
業種別にみると,繊維,合板,雑貨などでとくに鈍化が著しく,これら関連の中小企業の大半が受注難や金融ひっ迫などで操業度が大幅に低下しており,企業倒産も失業も増加している。
74年上期の農業生産は,農産物が米,砂糖など主要産品の増産などから2.6%増(前年同期比)と前年同期の1.3%増に比べやや好転した。
その他,設備投資も十大建設関係(高速道路,ダム,鉄道建設等公共工事が主体)を除けば不調で,73年中高い伸びをみせた個人消費も,物価高の実質賃金目減りから年初来伸び悩んでいる(74年上期前年比3%増,73年中8.8%増)。
73年の金融状況は,7月の公定歩合引上げ(1%)にもかかわらず好況を反映して超緩慢のうちに推移した。とくに国内設備投資や輸出好調等を理由に,貸出46.,2%増(72年24.4%増),預金37.2%増(72年33.5%増),マネーサプライ47[0%増(72年34.6%増)と著増した。しかし74年に入ると景気の急速な後退を反映して金融も引締まり,9月には1前年同月比で貸出40.3%増,預金21.8%増,マネーサプライ16.2%増(速報値)まで落ち込んでいる。 中央銀行は,このような景気の急速な冷え込みに対し,9月に公定歩合(1.5%)と市中預貸金金利の引下げを行い,金融緩和の傾向を強めている。
73年の貿易は,輸出44.8億ドル(前年比50.0%増),輸入37.9億ドル(前年比50.9%増)と,72年に引続き輸出入ともに好調であった(第7-5図)。
商品別にみると,輸出では紡織品(29.7%),電気機械機器(17.3%),木材製品(9.3%)等,工業製品が全体の85.6%(前年84.4%)を占め,輸入では工業原材料と農産品だけで67.0%,次いで資本財27.8%となっている。貿易相手先では,輸出先としてアメリカ(38.3%),日本(18.8%),香港(6.8%),輸入先として日本(37.8%),アメリカ(26.3%)などが大きい。しかし,74年上期の動向をみると,輸出は前年同期比55.4%増と73年の伸びを上回ったが,輸入は同114.0%増と大幅増加となり,この結果,貿易収支尻は1~13月の25百万ドルの黒字から4~6月には591百万ドルの赤字に急転した。
このような輸入の伸びは,主として輸入原油価格の高騰(上期前年同,期比232.1%増),工業用原材料の急伸に:よるものである。貿易収支悪化のほか,海外からの直接投資流入の停滞や,観光収入の-伸び悩みなどが加わって,国際収支は赤字に転換したことから,政府は国際収支改善のために,年初来一連の措置を講じている。
まず5月に,輸出前貸金利の引下げ(再割12→10%)および輸出再割枠の拡大などの輸出促進策を打ち出すとともに,6月に「投資奨励条例」の改正(税制優遇等),その後も高級消費財の輸入制限,とくに日本製テレビ,乗用車の輸入暫時停止,困窮輸出産業への滞貨融資(9月に綿紡,鉄鋼,合板業界に55億元融資)等行っている。また,アメリカからの商業借款の取入れなど資本の導入努力も続けており,このため外貨準備は年央以来ほぼ横ばいに推移している。
目下,輸出業界から台湾元の変動相場制移行の強い要請がなされている。
これまで比較的落ち着いていた台湾の物価動向は,72年央から海外インフレの影響をうけ,73年には卸売物価22.9%増(72年4.7%増),消費者物価13.1%増(72年4.9%増)と著しい上昇をみせた(第7-6図)。とくに上昇幅が大きかったのは,卸売物価では木材(74.9%増),鉄及び鉄製品(68.3%増),皮革製品(39.2%増)などで,消費者物価では衣類(24.9%増),医薬(16.6%増)などである。食料は豊作もあって比較的落着いた動きをみせた。
74年に入って両物価とも原油価格高騰による石油製品価格,電力・ガス料金の大幅引上げや原材料輸入価格上昇などから3月頃までさらに騰勢を強めていたが,4月以降は輸入物価の上昇一服,金融引締めや輸出減退による国内製品需給緩和などから,合板,繊維,金属などの品目を中心に低落している(前年同期比,卸売物価74/1~3 56.8%,74/4~6 52.9%,74/7~9 38.1%増,消費者物価54.1%,54.6%,49.0%増)。
このため政府は,73年10月以降実施していた生活必需物質などに対する価格規制を74年3月以降次第に廃止し6月には全廃している。
フィリピン経済は70年に6.2%の成長をみせたあと,71年5.5%,72年4.1%と成長率は鈍化傾向にあったが,73年は10.0%と近年にない大幅な成長をみせた。 このように73年経済が好況であったのは,先進諸国の景気急拡大や一次産品価格高騰を主因に輸出が急増し,これが生産活動を刺激したこと,近年低迷していた農業生産が順調であったことなどが大きく,加えて毎年多大な被害を繰返している洪水等の災害が73年は軽微であったこともあげられる。また71年以降上昇の著しかった物価も73年に限ってみると7.1%と比較的落着いた動きであった。これは72年9月の戒厳令施行後,政府による厳しい物価統制が効を奏したためである。 しかし,石油危機の発生,先進諸国の不況,一次産品価格の軟化と73年末以降の外的経済情勢の変化から74年経済は厳しい情勢に直面している。工業生産は74年上半期は前年同期に比べ0.5%の減少であり,上半期の貿易も輸出は依然好調だが,輸入が急増しているため,貿易収支赤字は拡大傾向にある。一方,物価も73年後半から騰勢を強め,74年1~8月の消費者物価は前1年同期に比べ42.4%もの上昇をみせている。政府は74年の経済成長(実質)を約7%と予測しているが,その達成.は懸念される。
73年の農業生産は前年比6.2%増と久し振りに順調であった。人口一人当り農業生産をみても,71年が前年比3%減,72年同1%減と2年連続減産を続けたが73年は3%の増産であった。特に72年に前年比13.4%と減産の著しかった米の生産は73年には555万トンと25.7%増の大幅な回復をみせた。また,米と同様主食料であるとうもろこしも73年は220万トン(前年比20.1%増)の生産,また主要輸出産品である砂糖も世界市況の好調に支えられ作付面積の拡大などから226万トンと21.5%増であった。ただ,コプラの生産は165万トンと14.3%の減産であった。 なお,71年,72年と2年連続した米の減産,および世界的な食料価格高騰及び食料不足から政府は73年に入ってから「マサガナ99」((注)第3章参照)と称する食料増産大キャンペインを展開しており,74年の農業生産も概ね順調である。 一方,工業生産は72年に前年比9.3%,73年は同11.1%の成長をみせた。
政府は近年輸出志向型・労働集約型産業の育成等工業化推進に力を入れており,73年は輸出の急増を背景とした輸出産業の伸びがみられ,また,一次産品加工輸出の促進という見地から,銅については精錬業の振興に,また木材についても76年から原木の輸出を禁止することとしており,大規模造林事業,紙パルプ工場,合板加エプラント等設置の動きが活発化するとみられる。ただ,前述の73年後半からの外的経済情勢の変化から73年第IV四半期(前期比△6.1),年第I四半期(前期比△3.5)と工業生産は減少し,第II四半期には再び前期比12.4%増と大幅回復をみたものの,74年上半期の工業生産の伸びは前年同期比△0.5%と停滞している。
75年度(74年7月~75年6月)の予算は178.4億ペソと前年比27.2%増で,歳出は経済開発費53%,社会開発費19%,国防費12%などとなっている。75年度ばとくに公共投資関係に重点がおかれており,前年度比3.2倍の55億ペソ(総予算の31%)がこれに充てられている。うち道路・橋梁(前年度比2.2の14.3億ペソ),電力(前年度比6.1倍の13.7億ペソ),かんがい(前年度比倍2.3倍の5.6億ペソ)などに重点がおかれており,また,公共建設契約額のコスト・スライド調整用として別途2.5億ペソの予算が計上されている。
60年代におけるフィリピンの物価は比較的落着いており,消費者物価は年率4%強の上昇であったが,70年の変動相場制移行をきっかけに高騰に転じ,71年23.3%,72年15.7%の上昇をみせた。ただ,73年は72年9月の戒厳令施行後とられた厳しい物価統制により近隣諸国が物価高騰に悩まされているなかで,前年比7.1%増と上昇は押えられていた己しかし,73年後半から,騰勢は再び強まり,74年にはいってからは公共料金の大幅値上げなどもあり1~8月の上昇は前年同期比42.4%(うち食料品50.6%)とかつてない高騰をみせている。こうした物価高騰にたいし,政府は総需要抑制策として2月に中央銀行債務証書発行(中央銀行の行なう選択的金融調整手段のひとつで銀行,保険会社,個人等が引き受けている),7月には預金金利引上げなどの金融政策,また73年の石油危機発生時にはセメントや石油製品など重要物資の輸出禁止措置等をとったが,その効果は思わしくない。
72年の貿易が輸出入ともに低迷し,貿易収支も152百万ドルの赤字であっ,たのに対し,73年は一次産品市況の好調に支えられフィリピンの主要輸出産品である木材,ココナッツ,砂糖,銅がいずれも前年に比べ45~90%におよぶ増加をみせたため,輸出総額も72年の1,105百万ドルから1,788百万ドルヘと62%の伸びをみせた。一方,輸入(cif)は前年の1,366百万ドルから1,773百万ドルへと30%の伸びにとどまったために久し振りに貿易収支は172百万ドルと大幅な黒字を記録した。また,73年の総合収支は観光収入の増大,外国からの援助の増大等移転収支,資本収支ともに好調であったことから664百万ドルとかつてない大幅黒字となった。なお,73年の輸出の急伸は単価が49%,数量が14%各々伸びたことに寄与する。
74年に入ってからは一次産品市況が軟化傾向にあるものの昨年の水準より高いことから輸出は上半期で前年同期比52%増と好調を持続している。しかし,一方で石油価格の急騰等から輸入が116%もの増加であったため上半期の貿易収支は赤字を記録した。
なお,外貨準備は73年末に1,038百万ドルと前年末比88%の増であったが,74年も上半期は順調に増加を続け,7月以降頭打ち傾向をみせているものの10月末現在で1,556百万ドルと73年末比50%の急伸である。これは,政府が石油危機,一次産品市況の軟化傾向等から貿易収支の悪化を必然とみて,この悪化を未然に防ぐために74年3~5月にかけ,日米欧の銀行から総額6.5億ドルにのぼる外貨借入れを行なうなど対策をとったことによる。
タイ経済の成長率(実質国民総生産)は71年が5.5%,72年には国内総生産の約3割を占める農水産業が干ばつの影響などからマイナス3.1%であったこともあって2.8%と第3次5カ年計画(71~75年)の目標成長率7%を大きく下回っていたが,73年は前年不振であった農業生産の回復と輸出の急増,工業生産の伸びなどから8.7%の成長を遂げた。しかし,一方で物価高騰,労働紛争の激増,73年10月の政変と政治・経済ともに混乱がみられた。
特に,10月の政変の時期に石油危機が重なったことから,それ以降,年末から74年前半にかけ物価の急騰,デモ・労働争議の頻発と経済社会不安が増大しており,好調であった工業生産も繊維業界を中心に不況に悩まされている。また,こうした情勢に加えて外資規制の強化などから投資意欲も低下している。
貿易面をみると,本年上半期は米の記録的輸出増など好調が続いており,74年農業生産も順調である。
農業生産は72年に全国的干ばつに見舞れ,前年比マイナス3.1%と大減産となったが,73年は作付面積増大や好天に支えられ,また海外における農産品の価格高騰もあって好調であり8.7%の成長をみせた。主要品の73年生産動向をみると,米が1,420万トン(前年比22%増),とうもろこしが250万トン(同90%増),砂糖76万トン(同7%増),その他ゴム,ケナフ(麻)も増産であった。74年の農業生産は当初肥料不足及び肥料価格高騰などから生産の伸び悩みが懸念されたが,好天にめぐまれたこともあり作柄は順調である。
工業生産は73年当初から世界的景気拡大による輸出需要及び国内需要がともに旺盛で,セメント(数量ベース前年比10%増),繊維(綿布同18%増),食品(砂糖同22%増)等順調で製造業部門全体では9.4%の成長であった。
建設関係は資材高騰から政府支出がストップしたことなどから73年は前年比2%の伸びにとどまった。なお,74年に入ってからは農業は順調であるが,繊維など輸出指向型産業の停滞,金融ひっ迫,労働争議の続発,個人消費の頭打ちなどから製造業を中心に企業活動は停滞している。
74年度の予算は総額360億バーツと前年度比14%の増で,71年,72年のそれぞれ前年度比1%及び9%増に比べると積極的予算となっている。歳出は経済関係費20.4%,教育費19.2%,防衛費18.9%,返済金14.4%の順になっており,うち経済関係費の割合いが年々減少しているのに反し,返済金の割合いは増加傾向にある。
歳入は経常収入が73.7%で残りを借入金にて賄っており,この借入金は年々増大している。
また経常収入のうち25%が関税収入で,所得税は12.5%と割合いが小さい。
タイの物価は60年から72年を通じ消費者物価で年率2.2%の上昇と全く安定していた。しかし,72年の世界的食料生産不振の中でタイも同様に米の生産が不振で,かつ米の輸出好調から国内で米不足が生じ,73年に入ってから食料品価格を中心に物価高騰が目立ち,年間で11.7%(うち食料14.4%)の上昇をみた。さらに年末から74年にかけ,政情不安,社会不安に石油危機などが重なり74年1~8月の物価は前年同期に比し23.9%(うち食料品28.6%)とかつてない上昇をみせている。このため政府は73年8月および74年1月の2回にわたって公定歩合の引上げをはじめ,とする一連の金融引締め措置を採り,また,暴利取締法による最高小売価格の設定,重要物資の輸出禁止措置による価格鎮静化,輸入インフレに対処するための輸入関税引下げ等様々なインフレ対策を実施している。タお,74年5月以降物価の騰勢は鈍化している。
73年の貿易は国内生産活動の活発化と世界的需要拡大,一次産品価格高騰から輸出が1,584百万ドル(前年比46,5%増),輸入が2,057百万ドル(前年比38.6%増)とともに増大した。輸出についてみると米は6月から11月の約半年間輸出禁止となったこともあり前年を下回ったが,ゴム(前年比2.5倍),錫(同21.4%増),とうもろこし(同44%増)など一次産品の伸びが順調で,セメント,繊維などの工業製品も80%もの大幅な増加をみた。また,輸入は機械機器が前年比42.7%と増大している一方,原油関係も49%の増加であった。なお,73年の国際収支は貿易収支が△511百万ドルと大幅な赤字であったが,貿易外,移転,資本の各収支の黒字によって57百万ドルと2年連続黒字となった。
74年上半期の貿易は輸出をみると,米や砂糖の輸出がすでに73年一年間の輸出額の約2倍に急増したこともあって,前年同期に比べ83.7%増と好調を持続している。しかし,輸入も原油関係が前年同期の輸入の約3倍に達しているなど全体で75.0%の伸びとなっている。
インドネシア経済は69年から72年における平均成長率が7%と近年極めて順調な成長を続けているが,73年も7.5%の高成長であった。このような順調な発展は外国からの政府援助,民間投資等の資金流入がスムーズで,国内各産業部門に活発な投資が行なわれていることが大きく寄与している。また,73年の高成長は72年に不振であった農業生産の回復や石油,木材,ゴム等一次産品輸出の好調が大きい。しかし,近年ようやく安定してきた物価が72年後半から再び騰勢を強め,73年の消費者物価は前年比31.1%の上昇で,74年も著しい上昇である。
また,73年秋以降の石油危機の発生などに伴う国際経済情勢の変化は,インドネシアが東南アジア唯一ともいえる石油立国であることから同国に極めて有利に作用している。特に同国の石油は硫黄分が少ないこと,必ずしもアラブの決定に拘束されずに経済面では独自の決定がなせること等有利である。
なお,政府は第1次5カ年計画の終了にともない74年4月,第2次5カ年計画(74年4月~79年3月)を発表した。同計画は国民生活の向上と所得分配の公正化を目指しており,重点目標として,①食料の自給化達成,②資源加工から消費財産業にわたる工業化推進,③インフラストラクチァの整備,雇用機会の増大,などを掲げている。また,計画期間中の経済成長率は年率7.5%(実質)としている。
農業生産は,72年が干ばつの影響から△1.6%とマイナス成長であったが,73年は天候にめぐまれたこともあって7.4%の成長であった。うち,農業生産の約5割を占めている米の生産は2,032万トン(もみ)と前年より12.7%の増産で,その他とうもろこし(前年比10%増),ゴム(同4.9%増),コーヒー (同4.8%増),パーム・オイル(同11.4%増)と順調な生産であった。
また,74年の穀物生産は米については天候にめぐまれていることから良好と見込まれているが,とうもろこしは乾期に雨が多いこともあり,稲作に作付転換が進む可能性が大きく,73年より減産になるものとみられている。
一方,鉱工業生産をみると,石油生産は第1次5カ年計画の始まった69年の271百万バーレルから72年には395百万バ-レルと堅実に増加しており,73年は450百万バーレル以上,74年は約500百万バーレルと推定されている。価格も73年10月の4.75ドル(バーレル当り)から11月に6ドル,74年1月に10.8ドル,4月に11.7ドル,7月には12.6ドルと大幅に引上げられ,このため外貨収入も急増している。
工業生産は72年に引続き73年も10.9%の成長と順調で,セメント,硫安,鉄筋,ミシン等の生産が好調であった。なお,第2次5カ年計画では工業の目標成長率を年率13%としている。
74年度(74年4月~75年3月)の予算は総額15,773億ルピーと前年度比83%増の大型予算である。これは歳入が石油価格高騰に伴う石油会社税の急増(前年度比2.6倍)や関税の増加(同2.2倍)によって大幅に増加したことによる。また,歳入の中で石油収入についで大きい外国援助は前年度に比べ12%の増加であったが,歳入全体に占める割合いは14%と前年度の22%から低下している。一方,こうした歳入増に見合って歳出も増加しているが,経常支出では公務員給与が前年度比65%増と大幅に引上げられている。これは消費者物価の高騰に伴う実質収入減を補てんし,士気高揚をねらったものである。また,開発支出では第2次5カ年計画の重点部門である農業開発,地域開発,インフラストラクチァや教育の整備等に優先的な資金配分が行なわれていることが目立っている。
72年の干ばつによる米作不振から米価を中心とした食料品の値上げを主因に69年以降安定していた物価は72年後半から再び騰勢に転じ,その後,石油危機の発生等による輸入品価格の上昇その他が加わり,73年の消費者物価は前年比31.1%(うち食料43.4%)増と急騰,74年の1~8月は前年同期に比しさらに44.0%(うち食料46.1%)と急騰した。このため,こうしたインフレも一因となって73年後半から74年初にかけ暴動の発生等社会不安もみられた。こうした事態に対し政府は74年4月,販売税の減免,預貸金金利の引上げ,民間企業の外貨借入れ規制と一連のインフレ抑制策を実施した。これは生活必需物資等の生産コストを引下げるとともに流通の円滑化を図るほか,貯蓄を奨励し,優先度の低い部門の資金需要を抑制することなどをねらったものである。なお,物価の騰勢は74年4月頃から鈍化している。
73年の貿易は極めて好調で,輸出は前年比80.6%増の3,211百万ドル,輸入は同50.3%増の2,347百万ドルであった。 輸出では石油が1,479百万ドルと前年比50.2%増のほか,ゴムが2.1倍,木材2.5倍と大幅に伸び,このほかパーム・オイル,こしょう等伝統的輸出商品も高い増加率を示し,輸入では生産財や化学製品の増加が目立っている。なお貿易収支は約11億ドルの黒字である。73年1~6月の国際収支をみると貿易外収支が各国石油会社の利益送金等により△237百万ドルの赤字であるものの,貿易収支,資本収支が好調で124百万ドルの黒字である。74年上半期の貿易をみると,輸出が3,681百万ドルと前年同期の3倍にも達している。これは石油価格の大幅上昇によって石油輸出が急増したのが原因であり,上半期の石油輸出額は2,425百万ドルと前年同期の5倍にも達しており,上期輸出総額の66%を占めている。また,輸入も前年同期の約2倍と急増している。
なお,輸出の好伸により外貨準備高は72年末の574百万ドルから73年末には807百万ドル,さらに74年10月末には2,026百万ドルと著しい増加である。
インド経済は71年度,72年度と連続農業生産がマイナスとなったことから経済成長は71年度1.7%,72年度△1.7%と低迷を続けたが,73年は農業生産が10~15%の成長をみせたことから6.0%の成長を達成した。しかし,72年の大干ばつの影響は大きく,インドは食料危機に見舞れ,73年の農業生産の回復が思った程でなかったこともあり国内に深刻な社会不安を醸成した。
また,工業生産も72年度は5.3%の成長をみせたが,73年度は電力・エネルギー危機やストライキの頻発によりわずか0.5%の伸びであった。 一方,物価は食料不足の深刻化から,73年に入ってからの食料品を中心とした上昇が著しく,各地でデモと暴動が頻発している。74年の経済は農業生産,工業生産ともにおもわしくなく,インフレ,食料危機,失業増大と大きな問題がより一層深刻化しており,石油危機の影響も大きい。 なお,74年度から第5次5カ年計画が実施され,同計画では経済成長率を年率5.5%,農業生産を4.6%,鉱工業生産の伸び率を8.2%としているが,非常に困難なスタートの年となっている。
インドはアジア諸国の中では有数の工業国であるが,GDPの約45%が農業生産と農業の生産動向は経済に大きな影響を与える。この農業生産は71年度に前年比△0.8%,72年度には同△9.1%と大幅に減産となったが,73年度はようやく回復して10~15%の成長を遂げたと推定される。しかし,この成長も前2年間がマイナス成長であることからみると回復度は低い。主な産品の生産は,米(もみ)が前年比16.5%増の6,750万トン,とうもろこしも同4.7%増の650万トンと順調であるが,小麦は同△5.6%の2,490万トンと減産であった。また,前年不振であったジュート生産は73年は39.7%の増産であった。なお,74年の穀物生産は米・小麦ともに不作とみられている。不作の理由としては天候の不順,石油危機に伴うかんがい用重油及び電力不足,肥料の供給不足に加え,小麦については小麦の卸売業の国営化政策等゛により小麦価格が粗粒穀物より不利となり,作付転換が行なわれたこと等があげられる。このため,食料不足はインドにとって今後とも重大な問題となっている。 工業生産をみると,73年度の成長率は前年度比0.5%と伸び悩んだ。それは72年の大干ばっで73年に入って水力発電量が低減し,火力発電も過重負担による故障や労働争議によって発電量が減少したこと,貨車不足などの輸送上のネック,ストライキの頻発,原料不足などが原因である。また,74年3月で終了した第4次5カ年計画の工業の目標成長率は9.0%であったが,推定実績値は約3.9%と目標の半分にも達していない。74年の工業生産も,電力不足,輸送上のネック,ストライキの頻発,原料不足等に加え,石油危機の影響から伸び悩むとみられている。
74年度(74年4月~75年3男)の予算総額は前年度比16.2%増886.5億ルピーで,重点施策はインフレの抑制と農業振興においてある。
歳出をみると,経常支出は公務員給与の大幅引上げを主因に一般行政費が著増(23%増)したため,社会福祉費と州政府交付金を抑制している。資本支出は農業振興などの経済開発費が前年度比48%の増加である。一方,歳入をみると経常収入は租税収入が550億ルピー(前年比7.6%の伸び)で,うち55%が物品税,所得税は13%にしかすぎない。また,資本収入310億ルピーのうち外国からの援助が55億ルピー,国債発行50億ルピーと,前年比がともに38%,53%の大幅増加を予定している。 なお,本年も12.5億ルピーの赤字予算であるが,本年度予算には災害復旧対策費がほとんど計上されていないこと,国鉄赤字に対する補てん支出の急増が見込まれていることから,赤字額の増大が懸念される。
72年の大干ばつによる食料不足を主因に72年央頃から消費者物価の高騰が目立ち,73年は前年比16.8%(うち食料21.3%)の急増となった。このためインド各地で食料不足とインフレに対するデモや暴動が,また賃金引上げをめぐってストライキが頻発した。物価上昇は石油危機を機に一層加速しており,74年1~7月の消費者物価は前年同期に比して27.6%の上昇と騰勢は依然根強い。
これに対し政府は73年中において5月の公定歩合引上げ,6,9,11月にそれぞれ預金準備率引上げなどの一連の金融引締政策をとり,また,小麦の緊急輸入,小麦卸売業の政府接収(失敗して74年3月元に戻す),予算の縮減等様々な措置をとった。しかし,10月には公務員の給与引上げを実施し,また石油危機の影響などもあってこれらの政策は余り効果を収めなかった。このため,74年に入ってからも7月に公定歩合の引上げ,賃金等の一部強制貯蓄の導入,8月にはインフレ抑制をねらいとした増税措置等一連の財政・金融政策が実施された。
73年の貿易は輸出入ともに大きく伸長しており,輸出は前年の34.3%増3,224百万ドル,,輸入は同じく40.8%増の3,190百万ドルで,輸入が輸出の伸びを上回ったものの2年連続貿易収支は黒字となった。品目別にみると,輸出では皮革および皮革製品,油粕,鉄鉱石,綿布等が増加した反面,ジュート,茶,カシューナットが停滞しており,輸入増大は食料輸入再開,肥料,鉄鋼,機械類の価格上昇等によるものとみられる。74年上半期の貿易は輸出が前年同期比55.3%増,輸入が石油価格の高騰等から同じく78.3%増とともに急増している。なお,外貨準備高は72年末の1,180百万ドルから73年末には1,142百万ドルと若干減少したが,74年9月末現在では1,342百万ドルとなっている。
パキスタンの73/74年度(73年7月~74年6月)の経済成長率は6.1%と前年度の7.6%は下回ったが順調な成長であった。パキスタンは71年の東パキスタン(現バングラディシュ)との内乱,印パ戦争,72年に入ってからの一連の国有化政策,土地改革等の社会主義的改革実施などにより経済は70/71年度0.8%増,71/72年度1.2%増と低迷を続けていたが,この2年間順調な回復をみせた(73/74年度の成長が前年度を下回ったのは,73年8月の大洪水で農業生産が大被害を受けたためである)。一方,73年の貿易も著しく増大しており,経済活動は順調であったが,最大の問題となったのはインフレの進行で,消費者物価は72年に8.9%,73年には22.6%と急騰し,インフレに抗議して各地でデモやストライキが発生した。こうしたインフレの高進に対して政府は公定歩合の引上げ等金融引締措置をとる一方,低所得者層の政府に対する不満抑制の必要もあって,73年後半から米の輸出の国営化,自動車等の輸入国営化,食用油工業の国有化,綿花輸出の国営化を推進し,74年1月には懸案であった銀行の国有化を実施し,また海運業及び石油販売業の国営化等活発な改革を実施した。
73/74年度の農業生産は73年8月の大洪水で農作物が大被害を受けたものの,その後天候の回復が順調であったことから,全体では前年度比5%の成長を達成した。これは,農産物に対する価格維持政策等,農業生産振興策が効を奏したものといえる。主要作物の73年の生産は小麦が前年比8%増の744万トン,米が同9.3%増の381万トンと穀物生産は順調であった。また,砂糖生産は20%の増産であったが,主要産品の綿花は△14.1%と減産となった。
工業生産についてみると,72年秋以降低迷を脱した工業生産は大規模製造業が72/73年度に12%,73/74年度7%(推定)の伸びを示している。これは原材料輸入の自由化が進展したことから,操業率が一般に上昇に向ったことによるものである。ただ,今後はバングラデイシュ承認に伴う貿易の再開に新しい市場の期待が寄せられる反面,国内における新規投資が政府の度重なる投資の呼びかけにもかかわらず,国有化に対する懸念から極めて低調であり,また外資も米国,英国等の特定国以外は現在対パ投資を行なっていず,新規投資問題が工業発展のかぎをにぎっている。
74/75年度の予算は218億ルピーと前年度の予算171億ルピー(修正後)に対して27.5%増となっている。本年度予算では,①停滞が目だつ民間企業の設備投資促進,②輸出の拡大,③基礎的物資の輸入代替化の推進とこれによる輸入インフレの防止:④物価上昇の被害者である低所得者層の救済等が重点施策となっている。
歳出は債務返済が支払繰延べによって減少したが,開発支出が39%の増加であり,また軍事費も19%で全支出の25.7%を占めている。一方,歳入は関税が39%の増を見込んでいるものの,その他の諸税は小幅な伸びにとどまっており,歳入総額は126億ルピーである。このため収支尻は92億ルピーの大幅赤字で,うち56億ルピーを外国援助に,残りを国内借入れによって賄うかたちとなっている。
一次産品市況の高騰,インド等隣接諸国の食料不足による食料品価格高騰等により,72年央から騰勢を強めている消費者物価は72年が前年比8.9%増(うち食料品12.0%),73年はさらに上昇して22.6%(うち食料品28.8%)の上昇となっている。
74年に入ってからの動向は政府の発表が遅れているため不明であるが,騰勢が続いているとみられる。政府はインフレ対策として73年8月と74年9月に公定歩合の引上げなど金融引締め措置をとる一方,前述のように企業の国有化,輸出入の国営化等を実施している。
73年の貿易は輸出が961百万ドルと前年比41.3%の増加であったが,輸入も981百万ドルと47.1%の伸びをみせた。
輸出を品目別にみると,綿糸,綿布,セメント,たばこ,タオルなどの輸出が急増した反面,綿花,革,羊毛等は急激に輸出が減少している。また,73年の上半期までは輸出が輸入を上回っていたが,73年下半期から逆転し,74年上半期をみると前年同期に比べ輸出は14.0%の伸びであるのに対し,輸入は90%と急増し,貿易収支は著しく悪化している。
73年の国際収支は162百万ドルの黒字と前年の黒字22百万ドルから大幅に改善した。
なお,外貨準備高は72年末の281百万ドルから73年末には479百万ドルと急増したが74年に入ってからは貿易収支の悪化傾向などから伸び悩み10月末現在で510百万ドルである。
1973~74年度(7~6月)のオーストラリア経済はきわめて好調であった。しかし,74年の第2四半期になってかげりが見えはじめ,74~75年度に入って経済活動の諸指標は低下,不況の色を濃くした。
従来実質5%程度の成長をしてきたオーストラリア経済は,71~72年度に不況に見舞われて3.2%の伸びに落ちこんだが,72~73年度1こは一次産品の高騰に恵まれて名目で13%強,実質で3.8%とやや回復した。73~74年度には引続く一次産品の上昇,生産の増加,内需の旺盛を反映して経済成長は名目で12.6%,実質でも6.2%という69~70年度以来の力強い伸びを示した。しかし,のこの急成長も四半期別(実質)でみると,74年3月期をピークに下降し始めており,9月期には前期比2.7%減,前年同期比でも3.0%減となった。その内容も前期に比べて農業部門が3.7%の増加であったのに対し,非農業部門は逆に3.4%の減少となっている。ウェイトの大きい非農業部門の減少は,経済界全般の不況深化を反映するものである。
農牧業は国際価格の堅調を映して73~74年度の総生産額は前年度比4.6%の増加であった。羊毛,食肉の不調にもかかわらず,小麦を初めとする穀類,砂糖などの増収穫と価格の高騰が大きく寄与した。74~75年度に入って小麦,砂糖に対する海外需要は極めて強く,酪農業も順調であった。これに反し,羊 毛,食肉に対する輸出需要は低下傾向をみせており,価格も軟調でここ暫くは回復は望めないようである。非農業の生産の推移を鉱工業生産指数(63~64年基準)で見ると,1972年(歴年)の147から73年は162へと10.2%の大幅上昇であった。一般の景気指標が74年に入るとともに下降し始めているにもかかわらず,上昇傾向は74年の年央まで続いた。しかし7月の170をピークに,その後直線的な急下降に転じた。食料品工業を除いて繊維,衣類,自動車を中心にほとんどの産業にわたって生産は低下した。
国内需要面では,小売売上げは需要の旺盛をうつして順調に伸びつづけてい今。
73年は前年比20.8%の増加であり,74年は10月までに前年同期比21.4%の増加であった。物価の上昇を考慮に入れても順調に推移している。需要の増加は自動車の面にも強く現われ,新車登録台数は73年の前年比8.2%増から74年(1~10月)は前年同期比9.9%の増加であった。
しかし,景気の先行指標とみるべき民間住宅建築許可戸数は,73年1゛hの13,038戸から急上昇して7月には19,256戸を記録したが,早くもこれをピークに下降し始め,74年7月には13,755戸となり,続いて9月には9,710戸と遂に1万戸台を割ってしまった。9月の住宅建築許可戸数は前年同月に比し45%の減少である。この建築不振は金融の引締めと建築費の上昇のためである。建築費は9月までの1年間に24%の上昇(消費者物価は16%の上昇)であった。
オーストラリアは完全雇用の国であった。失業率は72年末の1.78%から低下傾向を続け,73年6月には1.55%,74年3月には1.3%という低水準となった。しかし,その後不況の深化とともに急速に上昇し,7月1.59%,8月1.85%,10月2.5%と加速化し,11月には遂に3.23%という記録的な高水準を示した。11月の失業者数19.1万人は73年の最低9月の8.2万人に対して実に2.3倍の増加である。
一方,未充足求人数は72年3月の29.3千人を底に緩かな上昇をみせ,同年末36.0千人,73年末67.7千人,そして74年3月には92.2万人に達した。しかし,その後急速に減少して10月には36.2千人となり,好況時の求人数の4割1にまで減少した。
この最近の労働事情の悪化は自動車産業を中心に繊維,電機などの工場閉鎖,操短,一時解雇の続出や,建築活動の低下などに因るものとみられる。
1972~73年度の消費者物価は,年度後半から食料品,特に肉類を中心に上昇テンポを早め,年率8.2%(前年度は5%)の上昇となった。その後73年10月以降の石油危機によって上昇に拍車が加えられ,73年12月には年率13.2%高となった。物価の騰勢は74年に入っても衰えず,73~74年度の上昇率は17.6%となった。さらに9月末の前年同期比では19.8%となったが年末には騰勢が鈍化した模様である。
一方,賃金の動きは物価とほとんど同じ軌道を通って最近急上昇を続けている。第8-4図にみるように,賃金と物価(ともに未調整)は74年第3四半期には相接近して記録的高水準に達している。ただし第1四半期と比べて上昇率は物価の9.4%に対し,賃金は17.7%と大幅に伸びている。
インフレ対策はオーストラリアの取組む最大の課題の一つである。ウィットラム政権のとった主な対策を列挙すれば次のようである。
1)1973年5月に物価庁を,同6月に合同物価委員会を設置し,物価の騰貴をチェックする。
2)輸入価格の引下げを主目的にオーストラリア・ドルを切上げた。オーストラリア・ドルの切上げは72年12月23日(労働政権成立直後)の7.05%と,73年9月9日の5.0%の2回行われた(ほかに73年2月14日,米ドルの10%切下げに伴ってオーアトラリア・ドルは11%切上げられている)。
3)輸入の増加によって国内供給を増加し,物価の上昇を抑えることを目的に,73年7月18日,輸入品目のすべてについて一律25%の関税引下げを行った。
4)金融面からの対策として,金融の引締めを強化,法定準備預金率を中心に預金金利を引上げた。
5)財政面からは,73年7月日,異例なミニ・バジェットを発表し,財政の緊縮を通じてインフレの抑制を策した。
オーストラリアの石油自給率は70%を超えるにもかかわらず,石油危機を引き金とした世界的インフレーションは輸入物資あるいは海運賃などを通じて国内に浸透し,政府の懸命なインフレ抑制策も十分効果があがっていないのが実情である。
1973~74年度(7~6月)の貿易は輸出6,906百万Aドル(前年度比11.1%増),輸入6,085百万Aドル(同47.7%増)で差引き821百万Aドルの黒字であった。
しかし,前年度の2,097百万Aドルの黒字に比べると著しい減少となっている。
これは世界的不況による輸出の伸び悩みに対して,関税の大幅引下げなどによる輸入の増大のためである。この貿易収支の悪化は74年に入ってーだんと高進し,1~11月の収支は258百万Aドルの赤字(前年同期は633百万Aドルの黒字)となった。しかも8月には1か月で105百万Aドルの大幅赤字を記録している。
73~74年度の貿易を商品別にみると,輸出では食料(32%)及び原燃料(39%)で71%を占め工業製品は25%に過ぎない。前年度と比較して穀類(78%増),石油(2.3倍),石炭,金属鉱石などの増加に対して,羊毛,肉類は減少した。一方,輸入では機械(38%),繊維品(12%),化学品などの工業製品が82%を占めている。輸入工業製品の前年度比増加率は44%で,なかでも繊維品は71%増,自動車,航空機などの輸送機械は54%増であった。 なお,国別貿易でみるに,輸出のシェアは日本が31%でトップにあり,次にアメリカ10.9%,イギリス6.6%,ニュージーランド6.5%の順となっている。輸入ではアメリカが1位で22.2%,以下日本17.8%,イギリス14%,西ドイツ7.4%であった。
オーストラリアの国際収支のパターンは,貿易収支の黒字で貿易外収支の赤字を相殺し,さらに資本の純流入で黒字となるのを常態としている。 1973~74年度の国際収支をみると,先ず貿易収支は輸出6,764百万Aドル,輸入5,742百万Aドルで,差引き1,022百万Aドルの黒字であった。しかし前年度の黒字2,187百万Aドルに比べて黒字幅は半減している。輸出が13%の増加であったのに対し,輸入は51%という大幅の増加をみたためである。 貿易外収支は3,603百万Aドルの赤字で貿易量の増大に伴う海運賃,保険料支払いの増加などのため,赤字は前年度の3,054百万Aドルに対し約20%も増大した。この結果経常収支は前年度の665百万Aドルの黒字から707百万Aドルの赤字に転落した。
資本収支では,73~74年度に28百万Aドルの純流入で辛うじて黒字を保っているが,前年度の678百万Aドル,前々年度の1,876百万Aドルの各黒字と比較して,資本流入の急激な減少を知ることができる。その主因は云うまでもなくきびしい外資流入規制であった。 この資本収支悪化は74~75年度に入ってーだんとエスカレートした。すなわち,年度の第1四半期である9月期の輸入は2,086百万Aドルという記録的の高水準となったため,貿易収支も遂に642百万Aドルの赤字を記録,従って経常収支は642百万Aドルの赤字となった。一方,資本の純流入は22百万Aドルにすぎなかった。 国際収支の悪化によってオーストラリアの金・外貨準備は著しく減少した。
金・外貨は73年1月末に4,849百万Aドルに達していたが,その後減少の一途をたどり,74年1月末には40億Aドル台を割り,12月11日には3,079百万Aドルと30億Aドル台すれすれにまで激減した。
政府は72年12月,その成立直後「資源の自主開発」を目指して外資のきびしい流入規制を強化した。オーストラリアの鉱物資源開発の主力は,米国資本を中心とする外資で,外資の支配度は,鉱業全体では62%,各鉱業についてみれば石油85%,ボーキサイト 72%,鉄鉱石57%,石炭25%となっている。こうした関係から労働政権の政策基調は外資支配体制からの脱却にあった。外資規制の主な措置は,外資の無利子預託制度とオーストラリア・ドルの切上げである。しかしこれらの措置は物資の供給を窮屈にし,特に輸入材料の不足をもたらし,却って不況を進行させ,インフレ助長の要因となった。よって政府は33.3%にまで引上げていた預託率を74年6月に25%へ,8月には一挙に5%へ引下げ,さらに11月にはこれを全廃してしまった。また,9月25日にはオーストラリア・ドルの12%(対米ドル)切下げ,米ドルとのリンクを断ち,主要貿易相手国と実勢レートにフロートずることになった。オーストラリア・ドルの切下げは,外資の流入を促して国際収支の改善を図ろうとするものであるが,そのほかにも輸入価格の引上げによる国内産業の保護と失業の減少,農産品や鉱産品の輸出増加など,不況対策を狙いとしたものであることは云うまでもない。 なお,オーストラリア・ドルの推移は次のようである。
1)スミソニアン体制以前 1Aドル=1.12米ドル
2)スミソニアン体制時(71.12.20)6.34%切上げ 1Aドル=1191米ドル
3)第1次単独切上げ(72.12.23)7.05%切上げ 1Aドル=1.275米ドル
4)米ドルの10%切下げ(73.2.14)1Aドル=1.4167米ドル
5)第2次単独切上げ(73.9.9)5%切上げ 1Aドル=1.4875米ドル
6) 12%切下げ(74.9.25)1Aドル=1.309米ドル
国際収支の悪化,失業者の急増,インフレ高進など,不況ムードの深まると共に経済界は先行きに対し悲観的見通しが強くなった。オーストラリア商業会議所とナショナル・バンクが9月に行った定期アンケート調査によると,企業が良好ないし満足すべき業況と報告したものは6月調査の83%から66%に低下した。次に,収益事情がよいと報告したものは65%から51%に減少した。また,当面の景気見通しについても回答は悲観的で,回答者の57%,は今後半年間に景気は悪くなるとし,多少とも回復すると予想したものは僅か10%に過ぎなかった。 ホイットラム首相は11月19日のラジオ・プログラムで「75年はオーストラリアにとって最悪の年となろう。しかし,オーストラリア経済は年央には徐々に回復の途につくと思われる」と述べている。
ニュージーランド経済は1972年から73年にわたって好調な発展を続けたが,74年に入って転換のきざしが現われ,後半にはインフレの高まる中で生産の停滞,内需の不振,国際収支の悪化など,景気後退の様相を濃くしている。
1972~73年度(4~3月)は一次産品輸出の好調と国内需要の拡大によって物価騰貴を伴いながらも好況のうちに推移し,経済成長率は名目で12.7%,実質で4,8%であった。 73~74年度は後半に入って輸出が伸び悩む一方,輸入需要は強く,国際収支の悪化が目立ってきた。74~75年度には石油の輸入代金のみで5億ニュージーランド・ドル(以下NZドルとす)が必要とみこまれており,国際収支の悪化はなお進むものとみられる。 基幹産業である羊毛は73~74年度(7~6月)には生産の減少(7.7%),と価格の低下(3.4%)で売上高は前年度比4.2%の減少となった。酪農業の生産も低下し,73~74年度(6~5月)には前年度比バターは15%,チーズは14%の各減少であった。しかし,ウェイトは低いが食品,繊維,家庭用電気機器などの工業生産は旺盛な需要を受けて順調な伸びをみせている。
労働力の不足なニュージーランドでは失業率は常に1%以下という完全雇用状態を続けている。73年の月平均失業者数は2,321人で,前年の5,618人から著しく低下した。この低下傾向は74年に入っても続き,2月には646人という最低を記録した。しかし,その後景気の停滞をうつして失業者数は増加し,8月には1,058人となった(推定失業率0.09%)。
売上げは小売・卸売ともに73年中に著しい伸びをみせたが,74年に入って伸び率が鈍化した。四半期の小売売上高を前年同期と比較すると,72年第2四半期の14.5%増が73年第2四半期には22.4%増と上昇したが,74年第2四半期には18.2%増と上げ幅を縮小した。同時に在庫も73年の後半から74年に入って急増し(前期比で73年上期1.8%増,下期10.3%増,74年上期20.1%増),需要の減退を反映している。
消費者物価は従来年間平均5%程度の上昇率であったが,72年には6.9%高,73年には8.2%高とその上昇幅を拡大した。しかも74年に入ってこの上昇テンポはーだんと早まり,前年同期比で第1四半期は10.3%,第2四半期は11.0%,第3四半期は11.5%と上昇率は加速化された。インフレは依然ニュージーランド経済の当面する最大課題の一つとなっている。政府のとった最近の主な物価抑制策は次のとおりである。
1) 73年3月,羊肉および鮮魚の価格凍結措置
2) 73年8月,賃金・物価凍結令
3) 73年9月,輸出規制,消費財及び原料品輸入のライセンス枠の拡大,食肉価格の上限設定
4) 73年11月,新物価安定令
5) 73年12月~74年1月,石油消費規制措置
6) 74年4月,新所得・物価政策
貿易は近年急速に拡大し,収支の黒字も増大した。とくに73年は一次産品価格の高騰によって,貿易収支の黒字は前年の2億2,600万NZドルから3億2,170万NZドルに急増した。しかし,73年後半からは国際市況の軟調で輸出の伸びは鈍化し,加えて石油価格の急騰(原油の輸入価格はトン当り73年の21NZドルから74年上期は52.6NZドル)で輸入は大幅に増加したため,貿易収支は赤字に転落した。この赤字は74年にはーだんと拡大し,上期の赤字1億6,900万NZドルが,下期に入って7,8の2か月のみで3億6,700万NZドルとなり,赤字幅は加速度的に拡大した。 73~74年度の輸出商品の構造をみると,食肉(33%),羊毛(23%),酪農品(17%)の3品目で全輸出の4分の3近くを占めている。さらにその他の動物産品,林業等の一次産品を加えると一次産品の輸出総額に占めるシェアは91%にも達し,ニュージーランド輸出品目の特異性を示している。
また,同年度の輸出の相手国では,イギリスが27.6%を占めて首位にあり,以下アメリカ15.9%,日本13.4%,オーアトラリア8.4%の順となっている。日本およびオーストラリアのシェア拡大に対して,イギリスの低落が目立っている。
ニュージーランドの国際収支は1968年以来黒字を続けてきたが74年には逆に赤字となった。73年に3億57百万NZドルの黒字が74年(1~8月)には2億33百万NZドルの赤字となった。これは輸出が前年同期に比較して10%の減少であったのに対し,輸入が石油(3倍)を中心に52%の大幅増となったためである。黒字を常態とする貿易収支が74年に入ってこのような赤字となった上に貿易外収支の恒常的な赤字幅が拡大(1億41百万NZドルから1億93百万NZドルヘ)したことがニュージーランドの国際収支をーだんと悪化させた。
国際収支の悪化により外貨準備は急激に減少し,73年末の7億67百万米ドルから74年6月末には4億78百万米ドルヘ,そして10月末には3億55百万米ドルに激減した。
政府は国際収支の悪化やインフレの進行に対処するため,74年8月に緊縮財政措置を発表し,各種の財政圧縮措置をとることを示した。また9月にはニュージーランド・ドルの9%切下げ,10月には新経済政策(強制貯蓄,選別融資,消費の抑制など)を発表した。また,12月には75年1月から実施予定の賃金の引上げ率7~8%を4%に引下げることなど,賃金・物価の抑制策を含む新経済政策を発表した。
75年の景気見通しについては一般に悲観的で,回復のきざしを望むにしても後半遅くなってからであろうと云われている。
1975年に最終年次を迎える第9次5カ年計画は,技術進歩と生産性の向上に基づく消費水準の向上および経済の効率化を目指して発足した。71年には一応順調な出発をみせたが,72年には悪天候と農業の減産によってはやくも大きな障害に打ちあたった。この農業の減産は食料品や農産加工品など消費財生産の拡大テンポを引下げ,畜産品の増産による食料消費の向上を遅らせた。第9次5カ年計画の一つの特徴である消費財の増産は目標を下回る公算が強くなった。 他方,第9次5カ年計画の達成のための有利な要因は,東西関係の緩和にともなう貿易および経済協力の拡大である。これによって家畜飼料の不足を緩和することができたし,工業部門の生産能力の稼動が促進された。
このような条件のもとで73年には停滞から回復への傾向をたどった。農業は前年の不作にひきかえ未曽有る豊作となったし,工業生産も上向いて年次計画は超過達成された。この回復のあとを受けて,経済は正常な軌道に乗ると思われた。しかしそこにはなお問題が残されている。74年の工業生産は年初来計画を上回るテンポで拡大してきたが,年の後半になって伸び率の鈍化の兆しが現われている。また農業生産はまずまずの成果を収めたが,穀物はじめ一部の農産物は目標に達しなかった。 他方,対外経済関係はかなり有利となっている。石油をはじめ原料品の国際価格の値上りによって72~73年の西側先進国に対する貿易赤字は,74年に入って黒字に転じた。また産金国として金自由価格の値上りからも利するところがある。このような有利な条件は,東西の経済関係の進展を有効に活用する余地を与えることになろう。
こうした状況のもとで第9次5カ年計画はその終点に近づきつつある。しかしその目標は大部分が未達成におわろうとしている。消費財の増産にも経済の効率化にも遅れが生じていることは明らかである。そして,これらの問題の解決は,労働力と資源の制約のもとで,1976年から始まる第10次5カ年計画に継承されることになろう。
工業生産の伸び率は第9-1表にみるように,72年には消費財産業の不振から計画を下回る低さであったが,73年には低目に設定されていた計画をかなり上回った。しかし73年の7.4%の伸びは,72年に引き続いて5カ年計画の平均成長率である8%に依然として達しておらず,また工業労働生産性も72年が5.2%,73年が6%の上昇にすぎず,5カ年計画の平均生産性向上率6.8%をかなり下回った。このように生産額と労働生産性がいずれも5カ年計画のテンポより遅れていた。
さらに5カ年計画の予定と大きく食違ったのは,工業生産における生産財(ソ連の分類法では資本財を含む)と消費財の関係である。国民消費の充実を主要な課題の一つとしている第9次5カ年計画では,いわゆる「重工業優先」政策をとってきたソ連の5カ年計画史上はじめて消費財生産の伸びが生産財生産の伸びを超えることになっているが,73年までの実績はその方針からはずれた。すなわち,消費財と生産財の両部門の伸び率は,71年には計画と異なり同一となった後,72年には生産財生産が年次計画を達成したのに対し,消費財生産は計画に達せず,生産財部門の伸び率を下回った。さらに73年には年次計画自体が生産財6.3%,消費財4.5%となっていたが,実績では生産財が8.2%(計画遂行率は101.8%),消費財が5.9%(計画遂行率101.3%)と両部門とも計画を上回ったものの,計画遂行率からみても生産財部門が優位を占めた。 74年に入ってからの工業生産は,前年に引き続いて年次計画を上回るテンポで拡大している。計画は6.8%で71年,72年の計画(6.9%)とほぼ同率であって,72年の農業不振の影響で低目に予定された73年計画(5.8%)から,みると,正常なテンポに復帰したといえる。これに対して,実績見込は前年に比べ8%となった。この伸び率は5カ年計画以来はじめて年平均の計画成長率に達したものとして一応評価される。また労働生産性は同じく実績見込で前年に比べ6.6%の向上を示し,5カ年計画の年平均の向上テンポ(6.8.%)には及ばないが,年次計画の6%からみると,かなりの成果を収めたも,のといえる。
しかし74年の工業生産にはなお楽観を許されない点が多い。その一つは,74年下期に入ってから伸び率が低下してきたことである。これは本報告にも述べたところであるが,第9-2表にみるように,工業の総合指標は前年同,期比で1~6月の8.3%から1~9月の8.2%にわずかながら低下し,さらに年間では8%となった。
第2には,消費財生産のうち繊維や靴などの軽工業品の生産が1~9月で前年同期比4%と伸び悩んでいることである。それは,食品工業の伸びが農業不作の後遺症ともいえる73年の低成長(4.5%)から74年(1~10月)の9%へ大幅に拡大したのと著しい対照をなしている。軽工業関係の多くの企業では綿および毛織物,メリヤス製品,靴の生産計画が達成されていないが,ソ連紙の報ずるところによれば,その原因は原料,資材の補給が中断すること,設備の運休が計画以上に多いこと,生産能力の始動と利用が不十分なことである。
消費財生産の不振を予想させるもう一つの要因は,化学工業と製紙工業の消費財関連品目の生産状況である。第9-2表にみられるように,化学工業は11%と機械工業(12%)と並んで最高の伸び率を示しており,1~10月の生産計画も全体としては101%達成されている。しかし,化繊,合成樹脂,プラスチックの生産は,工場の操業開始が遅れ,原料の供給が円滑を欠き,設備の活用が延引しているなどの原因から,計画に達していない。また,木材,製紙工業部門は1~9月に前年同期に比べわずか4%の伸びにとどまっており,パルプ,原紙などの生産は設備の利用が十分なため計画を下回った。
ここで,耐久消費財の生産についてみると(第9-3表参照),乗用車は西側先進国の設備,技術を輸入して大量生産が軌道に乗ったのに対して家庭用電器はテレビを除いて伸び悩みの状況にある。乗用車の生産は,第9次5カ年計画開始以来大幅な増加を続け,74年(1~10月)にも前年同期に比べて23%増を示した。このテンポで拡大すれば,第9次5カ年計画の目標は十分に達成されるものと予想される。しかし,その生産水準は年間120~130万台程度で,普及率は世界の主要国に比べ格段のひらきがある。乗用車普及率について公式統計はないが,イギリス自動車工業会の推計によると,71年末の乗用車1台当たりの人口数は187人と,アメリカの2.2人,日本の9.9人に比べると,まだ普及の初期の段階にあったので,国民の強い需要に追いつくためには今後も大幅な増産が必要となろう。
他方,家庭電器では,テレビが生産と普及率ともに5カ年計画のペースで順調に進んでおり,74年(1~10月)の生産も前年同期比5%増で計画を上回った。しかし他の家庭電器の生産は遅れており,5カ年計画の達成は困難とみられる。もう一つこの分野ではモデルチェンジが進んでいることを考慮しなければならない。この数年間,テレビのカラー化,洗濯機の自動化などが行われているが,その進行は必ずしも円滑ではないようで,旧型のための売行き不振(74年上期の販売高は前年同期比テレビ2%減,洗濯機4%減)がみられる。
工業部門で注目される第3の点は,生産財生産のうちで計画が超過達成された品目と計画未遂行の品目の対照が目立っていることである。第9-2表にみられるように,生産財部門は各業種とも73年,74年とほぼ同程度の拡大テンポを示しているが,物資別に細分してみると,計画遂行にアンバランスがある。すなわち,燃料・エネルギー産業では,74年(1~10月)に石炭2.3%,石油0.7%,天然ガス2.9%計画を上回り,また天然ガスの増産テンポは72年以来加速化してきた。他方,電力1キロワット当たりの燃料使用は1.4%切りつめられた。これからもわかるように,燃料の増産と節約には努力が払われている。また,鉄鋼業では銑鉄,粗鋼の生産計画が達成されている半面,鋼材,鋼管は計画に達しなかった。こうした対照は機械工業でもみられる。一方で,技術進歩と農業増産に関連のある諸品目は,74年(1~10月)に前年同期比でオートメーション機器14%,計算機17%,自動車(乗用車を含む)16%,農業機械17%と大幅に増産され,かつ計画を上回ったのに対して,産業機械は鉄鋼,化学,石油,軽工業,食品工業関係の設備がいずれも機械工業の総合の伸び率である12%以下であり,また生産計画が達成されていない。
農業生産は,総生産額で71年の前年比1%増,72年4.1%減少のあと,73年には14.2%と著増し,70年の水準を10.7%上回った。これで5カ年計画の年平均4.3%という成長傾向線にかなり近づいた。
73年の農業生産の回復は,恵まれた気象条件によることはもちろんであるが,穀物を中心にした増産努力が寄与した。機械,肥料の供給の増加や土地改良の効果,播種面積の拡大などがそれである。総播種面積が前年比2%余拡大したなかで(72年は1.6%)とくに穀物の播種面積の拡大は牧草地への播種もあって5.5%となった半面,工芸作物が2.1%,野菜が1%にとどまり,牧草地は4%減を示した。また,単位面積当たりの収量も著しく向上し,穀物では1ヘクター当たり17.6ツェントナーと前回の5カ年計画の平均を28%も上回った。
このようにして,ほとんどすべての農作物の収穫高は史上最高を記録した(第9-4表参照)。ことに穀物,馬鈴薯,野菜などは大幅な増収を示し,ヒマワリ種子の収穫高も著増して数年来の減収を取り戻して,74年(1~10月)の植物油の前年比40%増産を裏付けるものとなった。ただテン菜だけは,かなりの増収ではあったものの1967,68年の生産水準(それぞれ8,710万トン,9,430万トン)には達しなかった。
穀物の収穫高(注)は2億2,250万トン,前年比32.3%増,そのうち小麦が1億970万トン,前年比27.6%増,小麦以外の大部分飼料にあてられる穀物が1億1,280万トン,前年比37.2%増であった。その結果,1971~73年の平均穀物生産量は1億9,060万トンとなり,5カ年計画の5カ年平均目標の1億9,500万トンに接近した。
74年の穀物収穫高は,12月18日の最高会議(国会に相当)で1億9,550万トンと発表されたが,これは同年の政府目標の2億560万トンを約5%下回る。そのうち小麦の生産量は,国際小麦理事会の予測(74年11月24日発表)では約9,000万トンとされているが,この予想が正しいとすれば,74年には小麦以外の穀物(ライ麦,米などを除くと大部分が飼料穀物)が比較的多く,飼料穀物を確保する努力が注がれたことを示すものかも知れない。
ここで,最近の穀物需給について述べよう。73年の増収によってソ連の穀物需給はかなり緩和されたとみてよい。これは1968~73年の需給からも推測されるところである。第9-5表にみられるように,71,72年と続いた穀物の減収のため72,73年に約3,000万トンの純輸入が必要となった。5カ年計画の穀物の平均生産量の1億9,500万トンから1971~75年の需要量(国内需要と正常な輸出量の合計)を1億9,000万~2億1,000万トンと仮定すれば,減収による不足量は71年が約1,000万トン,72年が約2,000万トンで,72年,73年の純輸入によって充足されたことになる。
こうみてくると,74年には従来の最高記録である8,600万トンの輸出を行ったとしても現在の国内需要(前掲内閣調査室資料によれば,食糧穀物4,300万~4,500万トン,飼料穀物1億5,000万~1億6,000万トン)をまかなって余りがある。つぎに74年の穀物生産が前出の発表どおりとし,他方政府目標を必要量とみれば,74年の生産量では1,010万トン不足となる。この不足分は73年産穀物のストックで補填されても,75年には相当量の輸入が必要となろう。
ところで,74年10月次降の穀物買付契約については本報告で述べたとおりであるが,10月8田こアメリカ議会で農務長官が言明したところによると,ソ連は600万トンの買付の計画を進めていたといわれ,74年11月までにアメリカからの輸入が220万トンで合意をみたほかに,オーストラリアから100万トン,アルゼンチンから18万トンの買付けを行った。
穀物以外の農作物の74年収穫高については,綿花が840万トンを超える豊作とされており(74年12月,最高会議におけるゴスプラン議長の言明),従来の最高である73年の生産量をさらに上回って記録を更新することになる。
これとは対照的にテン菜と油料種子の生産は計画に達しない。ことにテン菜は過去に一進一退を続けた上74年には不作であり,砂糖の輸入の増加も予想されて,国際市況に影響を及ぼした(原糖の輸入は72年170万トン,73年250万トンで,約60%がキューバからの輸入)。
つぎに畜産部門をみると(第9-6表参照),72年には穀物の減収からくる飼料の不足は,輸入によって一部補填されたものの,家畜保有に打撃を与え,頭数は牛が微増,豚がかなりの減少,家禽がほぼ横ばいにおわった。このあとを受けて73年,74年には飼料不足が緩和されたのを反映して,牛の頭数は2%から4%へ増加テンポをいくぶん早め,豚の頭数は72年初の水準に回復した。しかしその増加はまだ71年以前のテンポを下回っている。
他方,畜産物の生産は,73年には一応の水準を維持した。第9-4表に示したように,コルホーズ農民の私営畜産部門を含む全生産量で,肉類が前年に比べ0.7%と微減したが,72年の記録をほぼ保ったし,羊毛の生産も72年の減退を取り戻して,71年の過去の最高水準に近かった。また牛乳,卵の生産は前年に比べかなりの伸び率を示し,いずれも過去の記録を更新した。
この後をうけて,74年(1~10月)には,第9-7表に示した私営部門を除いた統計(前述の第9-4表の数字とは一貫性がない)でみるかぎり,肉類の生産の伸び率は10%と前年の横ばいから目立った回復をみせ,その他の畜産物の増産テンポもほぼ前年並みとなっている。
このように,畜産部門は71~72年の穀物の減収による打撃から回復して一応増産軌道に乗ることができたが,そこには本報告にも指摘したように,飼料不足の問題がある。73年の実績からみて,5カ年計画の畜産物の生産目標(75年に肉1,600万トン,牛乳1億トン,卵520億個,羊毛50万トン)を達成するには,なお多くの努力が必要である。しかし,そのための飼料に隘路が横たわっていることは,西側のみならずソ連の専門家も認めている。すなわち,計画達成には飼料のうちで濃厚飼料を現在の水準に据え置く場合にすら畜産用の穀物供給は1億5,000~1億6,000万トンに増加されねばならないとされているが,これは飼料穀物の生産目標を3,000万トン程度上回るものである(前掲,内閣調査室資料参照)。この不足分は,今後も国内産の小麦を飼料に転用したり,飼料穀物を海外より輸入することによって補填されることになろう。
73~74年の貿易動向には,貿易物価の上昇と穀物輸入の動きの影響が顕著に現われている。73年から74年にかけて石油その他の原料が値上りし,また73年の豊作のあと74年には穀物輸入が減少し,そのため第1にすでに73年の総合の貿易収支は黒字となり,とくに西側とのバランスは73年の大幅赤字が74年にかなりの黒字に転じた。第2には,東西貿易の急速な拡大が続いており,とくにソ連側の輸出が著増している半面,アメリカからの輸入が73年に比べ目立って減少する形勢にある。
貿易の概況については,すでに本報告に述べたとおりであるが,第9-8表により輸出入のバランスをみると,73年には輸入が17%と前年に引き続いて拡大し,とくに西側先進国からの輸入は30%を超える著増を続けたが,他方,輸出は73年に入ってから24%も増加し,なかでも西側向けが先進国,発展途上国ともに40~50%という激増を示した。その結果,総額で72年の5億7,000万ルーブルの赤字から73年の2億6,000万ルーブルの黒字に転じ,地域別では発展途上国とのバランス(72年6億6,000万ルーブル,73年12億ルーブル黒字)以外は依然として赤字ながら,対社会主義国の赤字が2億3,000万ルーブから1億ルーブルヘ,対先進国の赤字が4億2,000万ルーブルから3億ルーブルヘ減少した。
こうした貿易バランスを決済面からみると,コメコン諸国とはコメコン銀行を通じての振替,コメコン以外の社会主義国と多くの発展途上国とは清算勘定による決済を原則としており,また発展途上国に対する黒字の一部は経済援助を反映しているとみられるので,ソ連の対外決済で重要視されるのは先進国との決済である。この場合も先進国からの信用供与を考慮しなければならないが,貿易赤字が72年から73年へと減少したものの,なお多額にのぼり,その決済にあてるためソ連は72年に200トン,73年に330トンの金を売却した(国際決済銀行の推定)。
73年における貿易バランスの好転は,輸出価格の上昇によるところが大きかった。このことは,第9-9表に示した貿易数量指数の動きから明らかである。すなわち,73年の貿易額の増加には,総額でも地域別でも多かれ少なかれ輸出入価格の上昇が寄与したのであるが,とくに西側先進国および発展途上国への輸出の著増は輸出価格の上昇によるところが大きかった。コメコンなど社会主義諸国への輸出は,原料エネルギーの比重がかなり大きいにもかかわらず,価格の上昇が小幅であった。これは5カ年計画期間中は価格を原則として据置くという規定が守られたことを示すものであろう。
第9-8表にみるように,72年に先進国からの輸入が著増したこと,さらに73年には先進国,発展途上国を問わず西側との貿易が輸出入ともに大幅に拡大したことは,貿易の地域別構成に目立った変化をひきおこした。従来から東西貿易が急速に拡大するに応じてソ連の貿易における西側諸国,とくに先進国のシェアは次第に増大してきたのであるが,72年から73年にかけて急速になった。すなわち,第9-10表に示すように,輸出入合計額に占める西側諸国のシェアは,先進国が70年の21.3%から73年の26.6%に,発展途上国が同じく13.5%から14.9%に増大する一方,社会主義国のシェアは70年の65.2%から73年の58.5%に縮小した。東西貿易の増大,経済協力の進展にともなって,こうした傾向は今後も続くものとみられる。
つぎに商品別の貿易構造をみると,72年から73年にかけて輸出面では第9-11表にみるように,燃料のシェアが増大した半面,機械,金属のシェアが後退し,食料がさらに後退を続けた。機械の輸出額は社会主義国向け,発展途上国向けがともに30%近く増したのであるが,石油の輸出が数量で10.4%,金額では44.4%も増した。しかも価格がほぼ据置かれた社会主義国向けの輸出量が12%増で,西側向けの数量は6%増にすぎなかったが,輸出金額の増加分の70%以上は西側向け輸出によるものであった。したがって社会主義向けの輸出の構造では機械と燃料のシェアがともに増大したが,総額ではこれら二つの商品グループが異なった動きを示したのである。食料のシェアが72年に引き続いてさらに縮小したのは72年の農業不作によることはいうまでもない。
輸入構造では,第9-12表にみるように,72年に引き続いて食料のシェアがさらに増大した半面,消費工業品のシェアが縮小するという目立った動きを示した。このことは穀物輸入のため消費財の輸入が抑えられたことを示すものであろう。機械の輸入は総額で30%(社会主義国からの輸入は26%)増加したが,そのシェアはほとんど変化しなかった。
73年の貿易を西側主要国に対する輸出入の動きからみると,アメリカとの貿易規模が著しく拡大したことが目立っている(第9-13表参照)。輸出入合計の貿易規模からいって,アメリカは72年はソ連の西側貿易相手国として第6位にあったが,73年には第2位に進出した。これは穀物の輸入の引き続く増加によって輸入額が2.2倍になったことによるが,対アメリカ輸出も小額ながら72年より80%増加した。アメリカについで輸出入とも著増したのは西ドイツとの貿易である。輸出は77%増加し,そのうち石油(ソ連の国別輸出統計では原油と石油製品の合計しか示していないが,対先進国の場合は主として原油であることはいうまでもない)が2.4倍(数量では微減)となったのに対し,輸入は機械と鋼材を中心に32%増した。主要国のうちではフランスとの貿易が輸出40%増,輸入28%増,イタリアとの貿易が輸出36%増,輸入29%増とほぼ同程度の伸びとなったが,品目では原油,木材の輸出増加と機械,鋼材,鋼管の輸入増加という同じパターンを示した。
ソ連側の輸入が減少したのは日本とイギリスの場合である。日本との貿易は,輸出が原油(数量で2倍,金額で2.6倍)と木材(数量で22%増,金額で約2倍)を中心に63%増したのに対し,輸入は主として機械と繊維で14%減少した。またイギリスの場合は輸出が木材,毛皮,亜麻,石油などで46%増,輸入は繊維を中心に65%も減少した(機械は不変)。
74年に入ってからの貿易は,前年よりさらに拡大テンポが早まるとともに商品構造も急激に変化している。ソ連の貿易統計は公式には年間しか発表されないが,外国貿易省の機関誌の報ずるところによると,上期の輸出入額は173億ルーブルで,前年同期に比べ20.3%といままでにない伸びとなっている。過去の各上期の半年間は前年同期比で71年7.0%,72年8.7%,73年18.7%と次第に加速化して74年に至っている。
輸出は第9次5カ年計画の経過した期間に年率で15.2%拡大し,1966~70年の第8次5カ年計画期より60%早いテンポであるといわれる。輸出拡大の主要品目は依然として機械,燃料・エネルギー,各種金属鉱石,動植物性原料,木材である。
他方,輸入も前年同期に比べ増加はしたが,その拡大テンポは輸出より遅れている。輸入増加を先導している品目は機械,設備で,70%がコメコン諸国からの輸入であるが,先進国から輸入も大きく伸びている。74年上期には73年に引き続いて鋼材,鋼管の輸入が増加している半面,73年の豊作の結果,農産原料,穀物,油料種子,植物性油などの輸入は減少している。こうして「動植物性原料」の商品グループの輸入額,総輸入に占める比重も減少した。また食料品や工業品などの消費財の輸入は前年同期より増加してはいるが,その比重は低下した。
国別の貿易額については,ソ連の公式発表がないので,OECDの貿易統計により加盟主要国とユーゴ(ソ連の統計では「社会主義国」に含まれる)の74年上期における対ソ貿易をみておこう(第9-14表参照)。
日本との貿易は,ソ連側の輸出が前年同期に比べ49%増加して,日本は依然として先進国中第1位の輸出先となっており,輸入も88%増して73年の後退を取り戻した。西ドイツとの貿易はとくに著しい拡大を示している。ソ連側の輸出は2.3倍と激増し,輸入も60%増加して,先進国中でソ連の第1の輸入相手国となっている。またイタリアとの貿易も輸出88%,輸入68%と引き続いて大幅に拡大している。こうしたなかでソ連側の輸入が停滞しているのがイギリスとフランスである。輸出ではそれぞれ29%増,36%増となっているが,輸入ではイギリスが5.3%減,フランスが前年からの横ばいにおわっている。さらに著しい減少を示したのはアメリカからの輸入で,74年上期には前年同期比54.2%減となり,少なくとも上期中の穀物輸入が前年より少なかったことを物語っている。これとは対照的にソ連の対アメリカ輸出は2.3倍となり,71年以来の倍増のテンポを保っている。74年12月にアメリカ議会を通過した新通商法による対ソ最恵国待遇が今後ソ連の輸出にどのような影響を与えるかが注目される。
以上OECD諸国に対するソ連の貿易は74年に入ってからソ連側の出超に転じている。すなわち,第9-14表にみるように,74年第1四半期にソ連のOECD向け輸出は73.5%増加し,輸入が17.9%の増加にとどまった結果,月平均で73年の3,800万ドルの入超から74年第1四半期の8,900万ドルの出超に転化している。
第9次5カ年計画(1971~75年)はいま最終年次に入った。すでに74年12月のソ連最高会議で75年年次計画が決定され,5カ年計画がどの程度達成されるかも明らかになりつつある。いま,74年実績見込と75年年次計画とを考慮に入れて,75年計画が完全に遂行された場合を想定して,5カ年計画の目標と5カ年間の実績とを対比してみよう(第9-15表参照)。
国民所得,工業生産,農業生産などの主要な総合指標についてみると,いずれも5カ年計画の目標に達していないが,農業の目標達成率が93%と最も低く,国民所得の95%,工業生産の96.6%を下回る。また工業生産の内訳は明らかにされていないが,生産財生産部門は74年の計画(6.6%増),75年の計画(7%増)はおそらく達成可能であり,その結果5カ年計画の目標は連成されることになろう。これに反して,消費財部門は73年に5カ年計画125.1(70=100)に対し120.6と立遅れ,また74年計画(7.5%増)も未達成におわったとみられるし,75年計画は5カ年計画の当初の方針に反して,生産財を下回る低い伸び(6%増)が設定されている。このようにして,消費財生産の5カ年計画目標はかなりの遂行不足におわることはほぼ明らかである。
農業および工業消費財部門の目標の未達成に対応して,個人消費関係指標である実質個人所得,小売売上げ高も5カ年計画の目標に達しないことになり,国民消費の充実をうたった第9次5カ年の主要課題は完全には実現されないであろう。
5カ年計画の遂行状況について,さらに注意しなければならないのは,投資効果が計画を下回ることである。74年12月の最高会議の報告によれば,71~74年の投資総額は3,870億ルーブル(固定価格)で計画の枠内におさまっており,さらに75年の投資規模は1,130億ルーブルと予定されている。それにより5カ年間の投資累計額は5,000億ルーブルとほぼ計画目標5,010億ルーブルに達することになる。他方,さきにあげた経済指標はいずれも多かれ少なかれ目標を下回るとみられるので,5カ年間の投資効率は予定には達しないことになる。この点も,第9次5カ年計画が経済の効率化を基本方針としていることからみて,明らかに失点といえよう。
5カ年計画の達成度の評価をめぐる問題点には,工業生産の総合指標と工業品の実物指標の計画遂行率が整合しないこともある。さきに述べたように,生産財工業の5カ年計画はほぼ達成されるものとみられるのに対して,個々の工業品の生産計画は石炭,化学肥料など一部の品目を除いて生産財も消費財も計画遂行におわることになっている(第9-16表参照)。このような生産財の総合指標と個々の主要生産財の実物指標の関係は,後者の包括性によるにしては不明な点が多い。総合指標は固定価格(現在は1967年価格)で表示されているので,問題は新製品や技術上の改善が加えられた工業品が過大に評価されるのではないかという点にある。このことは西側の論者の指摘するところであるが,5カ年計画達成を評価する際に注意されなければならない。
以上のように,第9次5カ年計画の達成には,種々の問題点が含まれ,その解決は1976年からの第10次5カ年計画に引き継がれるであろう。
第10次5カ年計画(1976~80年)は,現在1976~1990年の長期展望計画と並行して作成が進められている。その内容はまだ明らかにされていないが,国家計画委員会の当局者の説明によれば,当面する不利な諸要因に対応した計画の方向が示唆されている。すなわち,その諸要因とは,労働人口の自然増加率が低下すること,ヨーロッパ・ロシアの原燃料の採掘条件が悪化すること,これと関連して北部,東部の資源の開発が必要とされ,多額の投資と輸送の遠距離化をともなうことなどである。このような条件のもとで,新5カ年計画は,科学,技術進歩の達成を基礎とした一貫した省資源策の実施,産業構造の改善,労働生産性の急速な上昇を可能にするような最適能力の設備,装置の創造などをはからなければならないとされている。
中国政府当局の発表によると,1973年の工農業総生産額は前年比8%増であった。また,アメリカ政府推計によると,国民総生産(西側のGNP概念にもとづき,72年米ドル価格表示で推計された実質GNP)の伸びは,72年に比べ6.8%増で1,720億ドルとなった。ソ連の援助を受けて遂行された第1次5カ年計画期(1953~57年)の最終年次の国民総生産の大きさに比べて,実質GNPは約15年間に倍増したことになる(第10-1表参照)。
第2次5カ年計画期(1958~62年)以降からは,中国は自力更生路線を堅持して,ソ連からの経済援助を断ち切られ,いわば自力で独自の社会主義建設路線を模索し始めたが,1957年から73年にかけての経済成長率が,実質で年率4.3%というテンポは必ずしも高いものではない。
しかし同期間中に工業生産は約3倍増となったが,GNPの工業対農業の相対比率は,1957年の工業56.5%,農業43.5%からあまり大きな変化はない。なお,農業が支配的な産業構造はトービン教授の推計による都市・農村人口比率,あるいは労働力人口比率をみても明らかである。1971年の都市・農村人口比率は,都市20%,農村80%,労働力人口比率は,農業75%,工業15%,サービス10%であった(注)。
こうした農業が支配的な産業構造は,農業重視という政府当局の産業政策のほか,人口の都市流入を阻止し,学卒者の農村下放を促進するという人口政策が,強力に推し進められている結果でもある。
1974年の工農総生産額の実績については,現在のところ公表されていない。しかし食料生産については晩稲の出来高いかんによって左右されるが,アメリカ農務省あたりでは,ほぼ前年並みの水準は維持されるとみている。
工業生産については上半期の伸びの鈍化がそのまま下半期にもち越せば,前年の8.5%増の伸びは幾分鈍化することになり,工農業総生産額の伸びは前年の8%増をいくぶん下回ることになるかも知れない。
なお現行の第4次5カ年計画は1975年を以て完了し,1976年から新たに第5次5カ年計画(1976~80年)の発足が予定されて,近く開催される全国人民代表大会で,概括的な構想が発表されるものとみられる。
すでに広東省では,第5次5カ年計画に関連した「農業発展計画」が討議されていると伝えられ,また上海特別市の嘉定県に所在する19の人民公社では,1974~80年農業発展計画が策定され,目標年次の生産,所得,消費水準の設定と,これを実現するための措置についての詳細な内容を明らかにしている。
いずれこのような農業発展計画は,全国の人民公社において逐次策定されてゆくものと思われる。
中国の農業生産は1960年代に入って,自然災害に打ち勝つための農業近代化の基礎固めが推し進められてきた。中国が指向する農業近代化の方向は,ソ連あるいはアメリカの大規模機械化方式をそのまま踏襲することではなく,中国の自然条件に密着して,伝統的農業技術を生かしながら,それを補完するものとして大規模方式と小規模方式を併用した機械化,化学化(化学肥料,農薬の増投),水利化,電化など多種多様な近代的技術を導入するものである。
農業近代化のプロセスについては,①作付体系の改変,②灌漑と水利保全,③化学肥料の投入という三点について,詳細な紹介は昭和48年度「年次世界経済報告」に報告されている。
政府当局の農業重視政策と農業近代化の促進による効果は徐々にあらわれ始め,天候条件に左右されることの多かった農業生産は,1960年代後半以降からは,かなり安定的な生産動向が示されるようになった。食料生産もほぼ同様な傾向を示しているが,品種別にみて米,小麦,とうもろこしの伸びは著しいが,大豆の生産はやや停滞的である。家畜生産のなかでは,豚の増産が著しい(第10-1表,第10-2表)。
だが順調な拡大テンポを示してきた農業生産も,1972年には自然災害の影響をうけて減産し,食料生産も71年の2億5,000万トンから72年には2億4,600万トンに縮小した。
ところで1973年に入ると,年初来懸念されていた農業生産は,気象条件の改善もあって年央にはもち直し,政府当局の発表によると,73年の食料生産量は71年の生産量を上回る2億5,700万トンと記録的な水準に達した。73年の全国的な好転のなかでみられる特徴の一つは,以前は長年にわたって食料不足に悩まされていた河北,山東,河南三省および江蘇省北部,安徽省北部地域も,ここ数年らい食料の自給自足を実現して,「南糧北運」という表現で示されるような,南方地区の食料供給に依存してきた状況からようやく脱出することができたが,73年には,これらの地区で食料自給態勢はいっそう前進した。
こうした農業生産の好調は74年に入っても続いている。政府発表によると,冬小麦および早稲の収穫は好調だったが,晩稲の出来高いかんによっては,73年の史上最高水準の食料生産高には及ばぬとしても,2億5,000万トンを上回る豊作が期待されるとしている。
アメリカ農務省の予測をみても,74年の食料生産の好調によって,1974~75食料年度の輸入契約量は552万トン(小麦510万トン,とうもろこし42万トン)に低下するだろうとみている。73~74食料年度の900万トンの輸入契約量に比べるとかなりな減少で,対米輸入量も73~74食料年度の320万トンから,74~75食料年度には175万トンに低下するものとみている。
ところで,政府当局の農業重視政策によって,農業近代化が着実に促進され,食料増産も達成されているにもかかわらず,依然として食料輸入が継続されるのは何故であろうか。
政府当局の発表によると,1949年に新中国が成立して以来1973年までの24年間に,総人口は約50%増加したが,同時に食料生産は1億800万トンから2億5,700万トンヘ約1.3倍増加し,年率平均でみると,2%の人口増に対し,4%の食料増産であり,しかも最近10年間の食料増産率は年平均5%に達している。このような食料増産の長期的な趨勢にもかかわらず,国内食料消費は現在でもなおきびしい配給制のもとでコントロールされており,また500万トン以上の食料がカナダ,オーストラリア,アメリカ等から毎年輸入されている。
これは一面,新中国が成立する直前の食料生産水準と食料消費水準がきわめて低水準だったことを示すものであるが,同時に食料消費の構成内容からみて,現在もなお副食品のなかで肉食のウエイトは低く,食料需要は今後いっそう強まるものとみてよい。
ここで食料輸入についての政府当局の考え方を,さらにくわしく立ち入ってみてみよう。
中国は戦後穀物純輸出国となったが,これは必ずしも国内の食料消費状況が完全に充足された上での輸出という状態ではなかった。国内的には主食,食用油等は現物配給制がとられ,国営商業公司によって完全に統制された小売価格のもとで,全国統一的に食料の需給調整が行なわれてきた。
中国が穀物純輸出国からふたたび穀物純輸入国の地位に転じたのは,周知のように1950年代末に発生した未曽有の農業災害と,大躍進政策のもとにおける農業政策の挫折によって,食料生産の急減少を招来した時期からである。穀物輸入は1961年に始められた。当初不足する食料供給量を補填する意味で年間600万トンを超える緊急食料輸入が始められたが,その後大躍進政策挫折後の調整段階(1961~64年)を過ぎて,国内食料生産の増産によって供給量が漸増するにつれ,食料輸入も急速に減少してきた。したがって輸入される穀物輸入の動機も,不足する国内供給を緊急に補うという立場から,主として米を輸出し小麦を輸入するという比較生産費的な食料需給調整の観点と,中国をとりまく国際環境の政治的緊迫のもとで,備蓄需要を充足するといった観点が取り入れられるようになった。
ところが1972年の農業不作によって,中国はふたたび国際穀物市場に積極的な買出動に乗り出し,穀物輸入量は大幅に増大して世界の穀物市場価格を急上昇させる一因を作った。1973年の国際穀物市場に示された一つの特徴は,中国がカナダ,オーストラリア,アルゼンチンなどこれまでの穀物輸入相手市場に加えて,戦後始めてアメリカから大量の小麦,とうもろこし,大豆など農産物の買付けを開始したことである。
中国の食料輸入について,政府当局が比較生産費的な考慮に沿った食料需給調整に関する見解を始めて明らかにしたのは,1964年7月,対外貿易部の陳明第三局長とFar Eastern Economic Review誌のデイック・ウイルソン編集長の対談である。さらに1971年4月,周恩来総理も同様な趣旨をアメリカのジャーナリスト,エドガー・スノーに語った。またローマで開かれた国連の世界食糧会議の席上,赦中士団長は「中国は1972年から74年までの3年間に小麦を主とする20億ドルの食料を輸入したが,一方米を主として20億ドルの食料を輸出した」と語っている。
中国が食料増産対策の上で,土地利用率の向上を目ざし,米の増収をねらいとした二季作化あるいは米作の北上化を企てているのも,こうした配慮にもとづくものと思われる。
中国において食料備蓄の必要性は基本的な命題となっている。それが毛沢東主席の「戦争にそなえ,自然災害にそなえ,人民のために」という戦略方針との関連において明確に打ち出されたのは,1973年元旦の「人民日報」,「紅旗」誌,「解放軍報」の合同社説においてである。そこでは毛沢東主席によって「深く地下道を掘り,いたるところで食料を貯え,覇権を求めない」と明示されている。
「いたるところで食料を貯える」ということは,国家ベースで食料備蓄を進めるだけではなく,農村人民公社の生産隊や各社員の家庭でも食料備蓄を進めることを意味している。
ここ数年来,多くの人民公社では各生産隊や各家庭で食料備蓄を進め,それぞれ自らの力で食料倉庫を建設している。国家ベースおよび人民公社で備蓄された食料の総量は,すでに4,000万トンを上回ったことはかなり以前から公式に発表されてきた。
なお,1974年9月14日,李先念副総理は,国家ベースの食料備蓄量は少なくとも8,000万トンを目標とすることを明らかにした。
中国の工業生産は1960年代に入って農業重視の産業政策のもとで,産業別では農業に関連する化学肥料,農業機械,鉄鋼等の各部門が重視されるようになった。また規模別では基幹産業の大規摸企業と同時に,いわゆる「五小工業」と称せられる鉄鋼,石炭,セメント,化学肥料,機械(電力をふくめる場合もある)等について小規模企業が全国各地に無数建設されるようになり,省・県等の地方行政地区単位の自給態勢が推し進められるようになった。中国語の表現で言えば,「自力更生ならびに二本足による社会主義経済建設路線」の推進である。
工業生産の成長テンポをみると,1950年代初期のソ連の経済援助を受けて進められた「重工業優先,大規模企業重視」のソ連方式による工業開発の段階(第1次5カ年計画,1952~57年)の成長率が,年率14.3%(米政府推計,中国公表の工業生産額指数では,年率18%)であったのに対して,1962.~72年には,年率8.7%(米政府推計,1957~73年の工業生産増加率は年率7.5%)に低下した。
1970年代に入って,農業関連産業を重視するという政府当局の政策自体は変わらないが,とくに1973年頃から石油,電力,鉄鋼,石油化学,化学肥料の開発が重視されるようになり,さらに航空,海運,港湾,鉄道,道路等の輸送施設の整備が強化されるようになった。そして文化大革命以来中断していた西側諸国とのプラント輸入契約も1972年に再開され,アメリカのU.S.China Business ReviewおよびイギリスのChina Trade News Letterによると,73年中に契約されたブラント輸入契約高(航空機,船舶,自動車等を除く)は10.5億ドル,74年1~9月間にも8.3億ドルに達した。また,1972年から1974年6月までに輸入契約が締結された主要単体機械は,トラック・同部品1億320万ドル,自動車・バス340万ドル,建設機械7,180万ドル,機関車1億9,580万ドル,航空機・同部品4億3,170万ドル,掘さく船1億5,260万ドル,通信機械1億510万ドル,合計11億9,120万ドルとなる(U.S.China Business Review1974,No.4)。
このように旺盛な投資活動が,文革の収束とともに急速に高まり,1972,73年の工業生産の伸びはそれぞれ8.5%に達した。しかし74年に入って工業生産の伸びはいくぶん鈍化し,上海,北京,天津,遼寧省など主要工業地区の上半期の伸び率は,前年同期比6~10%で,前年の9~12%を下回った。 工業生産の伸び率鈍化の理由は明らかでないが,西側では批林批孔運動の影響を一因として指摘している(本文第1章第4節(2)参照)。
ただ原油生産は,73年に5,000万トンに達したが,74年に入ってこれまでの大規模油田の東北地区の大慶油田,山東省の勝利油田,新彊省のクラマイ油田,青海省のツアイダム油田,鋏西省の玉門油田などのほかに,山東省の東部沿海地区の大港油田に関する情報が新たに発表された。74年の原油生産量は前年比20%の増加(大慶油田22%増,大港油田24.7%増,勝利油田16%増)となった。
中国の原油生産はこれまで陸上地域油田にかぎられ,現在採掘可能な陸上油田の埋蔵量は60~100億トンと推定されている(U.S.China Business Review)。うち大慶油田の生産は中国全体の年間生産量の約30%を占める。大慶油田の原油生産は,1965年以降74年11月までに年間平均31%の増産をし,投資収益比率は11倍にも達したことが政府当局によって明らかにされた。
陸上油田の埋蔵量に加えて,オイルシエールの埋蔵量は3,500億トンを上回るものとみられている。もしこのオイルシエールの石油含有率を平均6%とすると,200億トン以上の原油が得られることになり,陸上地域油田の総埋蔵量は250~350億トンとなる(Nicholas Ludlow,U.S.China Business Review1974,No.4)。
中国では現在,撫順(遼寧省)および茂名(広東省)でオイルシエールの精製を行なっている。
1969年に国連ECAFE(アジア極東経済委員会)が,「日本と台湾の間の大陸棚には世界で最も豊かな原油層があり,黄海の海底鉱床はそれに次いで豊かな油田となっている可能性がある」と報告して以来,中国の沿海油田の石油開発に対する関心が高まってきた。
この地域の徹底的な海底調査が行なわれていないため,ほとんどの石油推定埋蔵量は信頼できないが,U.S.China Business Reviewでは200億トン程度と推計している。
中国の石油精製能力は,原油生産量の伸びとほとんど平行した速度で増大している。1972年における中国の精油所の処理能力はほぼ2,900万トンであったが,一方同年の原油生産量は約3,670万トンに達した。現在では原油生産量は石油精製能力の伸びを上回る速度で増大している。
なお原油需給状況をみると,現在,エネルギー需要量の約12%を石油で占めているが,今後石炭から石油へ,エネルギー消費の転換が進むにつれて石油への依存度は急速に高まるものとみてよい。一方,1973年から対日原油輸出を開始し,対日供給量は73年に100万トン,74年には400万トンに達する見込みである。またフィリピンに対しても74年に原油輸出にふみ切ったが,そのほか北ベトナム,北朝鮮,香港,タイにも石油製品を輸出し,74年にば年間総額6億ドル程度の石油輸出額に達する見込みである。75年には約1,000万トン程度の原油輸出が予定されている。
現在,北京市場で人民幣二元(日本円に換算して約300円)で購入できる主要商品の数量は次のとおりである。
(米)5キログラム(1キロ当り60円,日本では210円)
(小麦粉)5キログラム (羊肉)1.4キログラム
(牛肉)1.3キログラム (トマト)20キログラム
(玉ねぎ)15キログラム (綿布)2.3メートル
この小売価格水準は1952年以来ほとんど変動していない。前掲した商品にかぎらず,主要生活用品の小売価格は一般的に変動がすくなく,日用工業品の価格は漸次低下している。たとえば薬品の平均価格は現在,1952年に比べ僅か20%相当額となっている。家賃,水道料金,電気料金,交通費も変動がない。家賃は一般に労働者賃金(月間平均賃金65元)の3~5%程度である。また石油工業の発展につれて,民需用の石油,ガス価格も引下げられた。
労働者賃金はまだ比較的に低いが,基本的な生活物資は供給が保障され,価格も長期的に安定している。さらに個人所得税も徴収されない。
また農業生産の増大ならびに農民所得の引上げをねらって,政府当局は過去数度にわたって,農産品および農業副産物の政府買上げ価格を引上げ,一方,農業に供給される生産資材(化学肥料,農薬,農業機械,農業用重油など)の販買価格を引下げてきた。現在,食料買上げ価格は1950年に比べ2倍となったが,食料小売価格は1950年以降ほとんど変動がなく,買上げ価格と小売価格との差額および流通管理費はすべて財政からの補助金でまかなわれている。その他野菜,肉,卵など生活必需品に対しても,必要に応じて補助金が支出され,小売価格の安定がはかられている。
こうして1972年の全国小売価格指数は,1965年に比べ3%低下した。
中国における物価安定の理由としては,おおむね次のような諸点を指摘することができよう。
第1に,計画経済体制のもとに,工農業生産物の生産,流通,分配は国家計画の中に統一的に組み入れられ,商品価格はすべて統制されている。また主食,食料油,綿布など基礎物資は配給制である。
一方,貨幣購買力(総支払賃金,農産品買上総額,政府機関および企業管理費,福利事業費)も国家計画の中に組み入れられ,マクロ的には貨幣購買力と社会総生産物との需給バランスの枠組みが設定される。アンバランスが発生した場合は計画的に調整されることになっていて,物価の安定がはかられる。
第2に,賃金政策については,平均労働生産性を下回る賃金支払という基本路線を維持し,また名目平均賃金は1950年代末以降約10年間据置かれている(本文第2章第2節(2)参照)。中国では労働市場はなく,自由な労働移動は禁止されているので,この面からの賃金上昇圧力もない。また個人の現金保有については制限はないが,支払賃金の約50%は半ば強制的に銀行預金を奨励されるもようで(日銀調査団報告),消費財に対する超過需要の発生を防止している。
第3に,財政収支バランスの均衡によって通貨膨脹が抑止されている。財政収支は主として国営企業の上納利潤と租税収入(租税項目は流通税の性格をもつ工商統一税,工商所得税,農業税,塩税,都市家屋土地財産税,屠殺税,車船使用鑑札税の7項目からなる。上納利潤と工商統一税を加算した金額は,財政収入の約90%を占める)に依存し,ここ25年間,財政収支は均衡を維持して,僅かながら黒字財政となっている。
人民幣の発行準備の裏付けとなるものは,国家によって掌握されている「物資」という考え方をとっている。為替レートについてもゴールド・パリティというような考え方をとらない。貨幣の発行も計画的に行ない,通貨供給の急増によって超過需要が発生しないように考慮されている。
第4に,資源保有国の中国では貿易に依存する割合いが小さく (1973年のGNPに対する貿易依存度5.3%),また貿易収支も均衡している。したがって海外経済変動の影響をうけることがすくない。また対外貿易は国家の統制のもとにすすめられ,輸出入は国家計画にしたがって,業種別の対外貿易公司が統一的に経営し独立採算制をとっている。
価格については国内価格と貿易価格は遮断され,国内市場と海外市場との間には,基本的に価格関係はなく,国際市場価格の上昇を反映した輸入インフレの可能性は少ない。
しかし対外貿易公司の貿易特別会計の上で,赤字が発生した場合は,財政から補助金が支出されることになっているが,交易条件の悪化によってこれまで貿易収支バランスで入超になった年はあったが,貿易特別会計の上で赤字となった前例はないといわれている。
中国は「人民日報」紙上で,1973年の輸出入総額は52年に比べ5.66倍に増大し,365.6億元の規模に達したことを明らかにした。仮りに1974年11月末現在の中国銀行発表による人民元対米ドル相場(1米ドル=1.902元)を以て米ドルに換算すると,約192億ドルとなって,西側推計による米ドル表示の貿易規模(89億ドル)を大きく上回る(第10-4表)。
こうした相違が生み出されるにはそれなりの理由があって,第1に,中国の価格体系のなかで,貿易価格と国内価格は完全に切離されていること,そして中国側の発表は国内価格表示による貿易額であり,西側推計は外貨表示による貿易額であって,両者を直接比較することは問題である。
第2に,西側推計の際,貿易相手国の貿易統計を利用して中国の貿易額を推計する場合,為替レートの取扱についても若干の問題がある。中国の貿易相手国は自由圏諸国と共産圏諸国に分かれ,1950年代には輸出入総額の80%以上を共産圏諸国で占めていたが,最近は自由圏諸国の占める比重が80%以上になっている(第10-5表)。
共産圏諸国との取引は,1960年代まではルーブルを以て決済通貨とされ,70年代に入って,従来のルーブルに取ってかわって中ソ貿易,中国・東ドイツ貿易,中国・チェコ貿易などではスイス・フランを決済通貨とし,中国・ルーマニア貿易では中国商品は人民元,ルーマニア商品はルーマニア・レウ(基本レート),中国・アルバニア貿易,中国・北ベトナム貿易,中国・北朝鮮貿易ではそれぞれ人民元を決済通貨としている。
一方,中国と自由圏諸国との取引は,現在各国通貨もしくは人民元を以て決済通貨としている。人民元を決済通貨としている国は,共産圏諸国をふくめ60カ国を上回っている。また米ドル相場もしくは日本円相場などが設定される以前には,主として英ポンド,フランス・フラン,スイス・フランが決済通貨となっていた。
したがって戦後1954年まで設定されていた人民元の対米ドル為替相やが廃止されて以降は,人民元対米ドルの計算単位は,主として英ポンドを仲介とする裁定レートが利用されるようになった。米ドル相場が正式に発表されるようになったのは,1972年9月以降からである。
問題は共産圏貿易について,ルーブルを介在させた人民元→ルーブル→米ドルという系路を以て換算された人民元の対米ドル相場と,自由圏貿易について,人民元→英ポンド→米ドルという系路を以て換算された人民元の対米ドル相場との間に,大きな喰い違いが発生する点である。とくに共産圏貿易の占める比率が大きかった1950年代が問題となる。
例えば,ルーブルを介在させた人民元対米ドルの為替相場は,旧ルーブル(1950~60年)が1米ドル=4.0人民元,新ルーブル(1961年以降)が1米ドル=2.0人民元であるのに対し,英ポンドを仲介とした裁定レート(1957~71年)が1米ドル=2.46人民元,現行の変動為替相場(1974年11月末)が1米ドル=1.89人民元というように,1950年代には,ルーブルを介在させた場合,人民元が相対的に弱く評価されている。
ところで西側推計による1973年の貿易総額が,前年比56%増の89億ドルヘ急増した後,増勢は74年に入っても続き,対OECD諸国との貿易は1~5月間に前年同期に比べ,中国の輸出58.9%増,中国の輸入81.7%増となった(第10-7表)。主要国の貿易の伸びから判断すると,74年の貿易総額は130億ドル程度に達することも可能である。
しかし,74年秋の広州交易会の状況をみると,西側諸国の景気停滞の影響をうけて,中国の輸出契約は大幅に縮小している。中国は軽工業品,繊維品,工芸品等について約30%の値下げを行なったが,契約量は増加しなかった。
一方,輸入契約については先行き価格低落を見越して,中国側が契約取極めに慎重だった。
さらに貿易収支バランスの上で1973年には大幅な入超となり,74年に入ってもさらに大きな入超幅が見込まれるところから,中国は輸入契約についていっそう慎重な態度を示し始めている。
中国の貿易収支バランスは,国民経済計画の枠内において,厳重な収支均衡化がはかられているので,1950年代初期にソ連から援助輸入を受けていた期間を除いては,これまで入超になった年は少なかった(第10-8表)。それが1973年には5億3,900万ドルという大幅な入超となり,アメリカのFNCB(First Nat10nal City Bank)の予測では,74年には7億3,500万ドルの大幅な赤字に達するだろうとみている。
入超の理由としてFNCBは,廷べ払い方式による大規模な資本財輸入計画が立案されたことを指摘している。同時に,世界経済の停滞によって,繊細品,軽工業品を中心とした中国の輸出が,予想以上に伸び悩みを示したことが,輸入の増加と相まって入超幅を拡大させた主要因となっていることは間違いない。
交易条件との関連では,1973年には一次産品価格の昂騰および原油輸出が開始されたことによって,交易条件はいくぶん改善し入超幅縮小に役立ったことは明らかだが(第10-9表),74年に入って,中国は春,秋の広州交易会において,繊維品,軽工業品の輸出価格を大幅に低下させているので,交易条件はふたたび悪化傾向に向う可能性がある。
貿易収支対策として,中国は次のような輸出促進対策ならびに外貨対策をとり始めている。
第1に,FNCBも指摘するように,石油の増産と日本やほかの国に対する石油の輸出増で外貨取得の増大を期待している。対日原油供給量は1975年には800万トン程度を見込み,フィリピン向けその他をふくめて,原油輸出総量は1,000万トン程度が見込まれている。
第2に,1974年の春および秋の広州交易会で,生糸および軽工業品の輸出価格を引下げ輸出の増加を期待した。74年秋の広州交易会では,引取り未了の一部既契約商品についても,輸出価格の値下げを行なったという情報も伝えられている。
第3に,ECの一般特恵供与に関心を示し,積極的な働きかけを開始したといわれている。
第1に,西側諸国からのプラント輸入が74年後半期から停滞していることである。プラント輸入の停滞理由としては幾つかの要因があげられるが,フィナンシャル・タイムズ紙は次の4つの理由を指摘している。①自力更生を掲げる国内の政治的圧力,②港湾,鉄道など輸送設備が未整備なためプラント輸入の受入れ能力が限界に達していること,③プラント価格の上昇,④批林批孔運動による工業生産の拡大テンポのスローダウン。
プラント輸入の停滞理由として,以上の諸要因のほかにプラント輸入一巡説を指摘する向きもある。しかし今後輸入が期待されている石油開発あるいは石油化学プラントの附属設備需要を考えると,プラント輸入一巡説は必ずしも当てはまらない。むしろ外貨準備の減少を一因として取りあげる必要があろう。
第2に,アメリカ農務省によると,中国の穀物輸入契約量は1974~75食料年度には552万トンに減少するものと予測している。アメリカ農務省は輸入契約量の減少理由として,中国の食料生産の好調を指摘しているが,外貨不足も若干影響しているのかも知れない。
第1に,中国銀行総管理処は,1974年11月18,中共系の在香港銀行における人民幣預金利子の引上げを実施した(6カ月定期・年率4,5%→7%,1年定期・年率5.75%→8%,2年定期・年率6.25%→8.25%,3年定期・年率6.75%→8.5%)。これは香港,マカオ華僑の外貨預金吸収の増大をねらいとしたものである。
第2に,最近ユーロ・ダラー資金取入れが活発になっているといわれている。
第3に,日中貿易において既契約の化学肥料引取りが延期されたこと,鉄鋼輸入の代金決済について,延べ払いが要請されたこと,あるいは昭和49肥料年度下期の尿素,硫安輸入契約交渉が,中国側の外貨準備不足を理由とする延べ払い要請によって中断されたことなどがあげられる。
第4に,未確認情報ではあるが,中国は保有金の一部を自由市場で売却していると伝えられている。
こうした諸情勢をふまてみると,1975年の対外貿易はがなり大幅な増勢鈍化が見込まれるかも知れない。