昭和49年
年次世界経済報告
世界経済の新しい秩序を求めて
経済企画庁
第2章 世界インフレの高進
現在の二桁インフレはいかにして生じたものであろうか。第1章でみたように,石油危機後,各国のインフレはおおむね二桁をこす爆発的な高進を示しているが,インフレは石油危機以前にもすでに平時としては極めて高率なものとなっていた。
OECD諸国のGNPデフレーターをみると60年代前半の2.6%から65~68年には3.4%と上昇率を高めたあと,68~70年5.4%,70年5.9%と,60年代前半の約2倍にまで加速していた。その後,71年5.6%,72年5.0%とやや鈍化をみせたものの,73年には7.5%と再び急上昇に転じ(第2-1表),現在の消費者物価年率15%近い大幅上昇につながっている。65年から68年までの加速化は,60年代前半に安定していたアメリカ,カナダにおけるインフレの高まりを反映したもので,一方,60年代前半に3~5%の上昇を示していた欧州諸国および日本は,60年代後半にもこの上昇率を続けていた。しかし,69年からは,各国とも物価上昇率の加速化が目立ってきた。また,72年以降の加速期には,各国いっせいに従来にない高率のインフレを経験し,73年に入ると早くも二桁を上回る国も出てきた。さらに石油危機以後の74年には,西ドイツを除き,二桁インフレに突入した。
この間,70年,71年には,主要国は,景気が停滞し実質成長率が大幅に鈍化したにもかかわらず,物価はすう勢を上回る上昇を続けるという,「スタグフレーション」を経験した。さらに,石油危機後は,ゼロないしマイナスの実質成長と二桁インフレとが共存する深刻なスタグフレーションがいっそう広範囲に各国経済を覆ってきた(第2-1図)。
現在の高率のインフレは60年代後半にその根をもっている。60年代後半のアメリカにおける需給のひっ迫は,他の先進国に波及しインフレ要因となっtこほか,西欧諸国における賃金の爆発的上昇も加わり60年代後半にインフレは加速しはじめた。そこで以下で60年代後半から70年初めにかけてのインフレについてその要因をみよう。
上にみたようにすでに60年代後半に世界的なインフレは加速化していたが,これは主としてアメリカのインフレ高進によってもたらされたものであった。
60年代前半までのアメリカの卸売物価はほぼ横ばい,消費者物価も年率2%弱の上昇でかなり安定的に推移していた(第2-2図)。しかし,62年以来の長期好況のなかで需給ギャップが縮少してきたところに,65年より本格化したベトナム戦争への介入などにより財政支出が膨張し始め,66年に入ると景気は過熱ぎみとなった。66年末から67年上期にかけて軽いリセッションを経験したものの下期には再び景気は拡大に転じ,結局66年から69年初めまでの3年以上の期間にわたり需給のひっ迫を続けることとなった(第2-3図)。こうした需要圧力の高まりにより65年後半ごろから物価は上昇速度を速め,さらにこの景気拡大局面の末期から賃金上昇が高,まり,これが次の後退期にも物価上昇を持続させる主因となった(後出第2-6図)。
このような長期の需給ひっ迫をともなったアメリカ経済の拡大が,67年後半ごろから各国のアメリカ向け輸出の急増をもたらし,これも加わって各国の景気拡大をいっそう促進し,それらの国の需給をひっ迫させた。
さらに,基軸通貨国アメリカの引続く国際収支の大幅赤字が国際流動性の増大を通じたインフレの原因となってきた。
また,この間の輸入価格の影響をみると,景気上昇にともなって一次産品などの若干の上昇はあったものの,主として輸入価格(自国通貨建て)の変動は為替レートの変動によるところが大きかった。すなわち,イギリスは67年11月のポンド切下げ後,またフランスは69年8月のフラン切下げ後輸入価格が大幅に上昇しており,これに対して69年10月マルクを切上げた西ドイツでは輸入価格の低落をみた(第2-4図)。
一方,68年ごろから西欧では賃金の爆発的上昇がみられるようになった。 68年央のフランスにおけるゼネスト,69年秋のイタリアの「暑い秋」と-よばれる大規模な闘争はともに政治的,社会的問題を含んだものであったが,これを契機に若年労働者を中心に意識の変革が進み,これが西欧全体に波及し賃金の爆発的上昇をもたらした。
イギリス,西ドイツでもこのころから山猫ストが激増しはじめるなど労働攻勢が高まり賃金の大幅上昇が目立った。
このため賃金上昇率(製造業,時間当り)はフランスでは60-67年の平均約6%から68年半ばから69年半ばにかけては15~17%もの大幅上昇となった。イタリアでは62-64年にかけて二桁上昇がみられたもののその後は比較的緩やかな上昇であったが,70年には一挙に21.7%もの異常な上昇となった。イギリスでも60年代平均5.2%の上昇から70年の後半には10%をこえる上昇となり,また,西ドイツでも60年代約6%であったものが69年末から加速化し,70年に入ると10%をこす勢いとなった(第2-5図)。
西欧におけるこうした労働攻勢の高まりの背景には,労働環境の変化などにともなう労働者の不安,意識の変化が生じたことがあげられる。その過程で下部組合員の活動が活発化するなかで,労働組合の統制をこえて山猫ストがひん発し,また,企業,工場段階での交渉権の確立を目指す動きもみられるようになった。
アメリカは69年末からすでに景気後退をみていたが,西欧でも70年に入ると全般的に景気が鈍化しはじめ後半に至って景気停滞ないし後退局面に入った。これにともない,先進国の需要圧力はおおむね69年をピークに70年から71年にかけ低下傾向がみられた (第2-3図)。また,労働生産性も景気停滞を反映して大幅に鈍化した。一方,前述したような賃金の大幅上昇は,景気停滞下に失業率が上昇したにもかかわらず持続し,賃金コストを引上げることになった。賃金コストの上昇は2アメリカを除くほとんどの国で60年代の景気下降局面にみられたいかなる上昇をも上回った(第2-2表)。
この間の物価上昇要因をみるとアメリカを除き賃金コスト要因が大きいが,イギリス,フランスは60年代末より,また西ドイツ,イタリアは70年代に入り賃金コスト圧力が一層高まり,これが物価を押し上げていることがわかる。一方,アメリカでは68~69年の物価上昇の加速化は需給,コスト両面から説明される(第2-6図)。
このような強いコスト圧力を背景に,物価上昇率がなお高かった時期に引続く景気停滞と失業の増大に対処して西ドイツを除く各国は,おおむね70年後半からは景気拡大策をとらざるを得なかった。さらにその後の通貨危機に際して,先行きの景気不安を懸念し,または一部黒字国にあっては,大幅黒字の縮小の見地も加わり,71~72年にいっそうの刺激策強化が行われた。
このような政策の効果も加わって,72年秋から先進国の景気はほぼ同時的に拡大した。72年のOECD諸国の実質成長率をみても5.7%で60年代の平均5.3%をかなり上回っていたが,73年には6.3%と急速な拡大であった。
物価は景気回復の始まった72年上期には多くの国で上昇率にはむしろ鈍化傾向がみられていた。しかし,秋以降は先進国の景気の急拡大にともない,急テンポの上昇となり,73年に入ってからますます加速した。
73年春以降には多くの国で消費者物価は10%前後の高率の上昇ぶりであり,しかも60年代末同様に各国で同時的に高進してきた。
この時期におけるインフレの加速化はいかなる原因によって生じたものであろうか,以下にみてみよう。
まず,景気の急上昇にともなって需給がひっ迫したことである。今回の景気上昇過程はきわめて急速であり,OECD加盟主要7カ国の実質成長率は,72年下期6.1%,73年上期8.4%に達した。このため,需給ギャップは短期間に急速に縮小したが,今回の需給ギャップのピークは前回(68~69年)のピークに比して,むしろ低位にとどまっていた (前出第2-3図)。しかし,第1章でみたような基礎資材部門における供給制約のために,実際の需給はマクロ的な指標でみるよりもひっ迫の度が強かった。
72年後半以降のインフレ加速化の最大の特徴は,多くの国で輸入価格が急騰したことに求められる。輸入価格は,景気や為替レートの変動によって若干の振幅をみせながら,60年代後半から緩やかな上昇にとどまっていた(前出第2-4図)。しかし,72年後半に至り,一次産品の急騰にともない,輸入価格はにわかに大幅な上昇に転じ,これが国内物価を押上げる重要な要因となった(第2-7図)。
それでは,このような一次産品価格の急上昇はいかなる要因によるものであろうか。国連の一次産品価格指数(石油を除く)の8割のウエイトを占める農産物の価格変動をみると,供給要因である農産物の在庫残高,需要要因である先進国の鉱工業生産,貨幣的要因である先進国の通貨供給量と密接な関係があることがわかる(第2-8図)。
これによって,72年末から73年末にかけての上昇をみると,需要要因が約50%,供給要因が30%強,貨幣的要因が20%弱の寄与をしている。また,72年については需要側の2つの要因がほぼ半々の寄与をしている(注)。
すなわち,先進諸国の景気拡大による需要の増大を基本的背景とし,70年世界的な不作という偶然的要因が重なって生じた農産物在庫の危機的水準への 低下があり,これに72年以降の各国の通貨供給拡大による過剰流動性なども加わって,農産物を中心とした一次産品価格の高騰をもたらしたものとみられる。 これは,世界景気の同時的拡大が,単に,各国それぞれの国内需給をひっ迫させたばかりでなく,世界的に一次産品に対する需要圧力を生じさせ,これが輸入価格の高騰となって相互に波及する結果をもたらしたことをも示している。
上にみたようにこの時期においては,マネーサプライが60年代にみられなかったほど急増したことが特徴であった。すでに60年代末から強い国際競争力を背景に国際収支が黒字化し,ドル流入が続いていた西ドイツ,日本をはじめ主要先進国は自国通貨の為替相場維持のためドル買支えを余儀なくされ,金外貨準備を中心とする対外資産残高を急増させた。その結果対外資産の増加は各国でマネーサプライ増加の大きな要因となった(第2-3表)。
これに加えてこの時期のマネーサプライ増加の要因としては財政赤字の増大がある(第2-9図)。景気停滞下にあった各国は財政面からの景気刺激策を講じたが,その際赤字予算によってマネーサプライを増加させたのである。とくにアメリカでは70,71年と政府向け信用が急増してマネーサプライ増加に犬きく寄与している。また銀行貸出に代表される民間向け信用も大きく増大した。
つぎにこのような状況のもとで,インフレ期待が高まったことが特徴である。60年代末来物価は下方硬直性に加え上昇テンポも速まっている。こうした慢性的物価上昇下にあっては物価が上昇することがさらに将来の物価上昇期待をもたらしがちである。
先にみたようにマネーサプライは急増をはじめたが,インフレ期待を背景にその一部は土地,金,一次産品など実物資産へ投ぜられその価格を急騰させた。こうした投機的上昇の典型は地価である。欧米諸国では一様に71,72年から地価は急騰しはじめている(第2-10図)。また自由金価格も通貨危機下でのドル不安から投機資金が流入し急上昇した。
また,このようなインフレ期待の高まりを企業経営者の販売価格予想でみると,72年末より73年にかけて先高期待の高まりをみせている(第2-11図)
先にみたように,今回のインフレの加速化は60年代末と同様に世界的に同時的に進行しているところにその大きな特徴の一つがある(第2-12図)。60年代末の同時化は,固定レート制のもとで,アメリカのインフレが各国の輸出需要の増大,ドルの流出というかたちで国際的に波及したことが大きな要因であった。しかし,72~ケ3年には,前回と異なってアメリカの物価上昇率はむしろ遅れて高まった。より基本的な変化として70年ごろより,ドル流出から国際流動性が急増していたことである。世界の対外準備の合計をみると,69年末の755億SDRから73年末には1,528億SDRへと倍増している。このような流動性の増大が各国のマネーサプライの増加を通じてインフレ要因となったことは前述したとおりである。
このような国際的過剰流動性が存在するなかで,各国国際収支の不均衡が拡大するとともに,投機的資金の移動が活発化し,73年初めには主要国通貨が一斉にフロートに移行するとととなった。こうしたフロートへの移行はインフレの国際波及についてどのような効果を持ったのであろうか。68~69年にみられたインフレの国際波及は固定レートのメカニズムのもとで不可避的に伝播したものであったが,今回のフロートは,これをしゃ断する効果を持つものであった。
現に西ドイツ,日本など実質切上げ国ではフロート移行で為替レートが高まり輸入単価指数の伸び率は下落ないし鈍化している。とくに西ドイツの場合71年5月のフロート移行でその動きは顕著であり,73年2,3,6月の切上げないしフロート移行においても輸入単価の伸びは鈍化している(前出第2-4図)。
このようにフロートが国際収支黒字国へのインフレ波及をしゃ断する効果をもちながら同時的なインフレが続いているのは先にみたような一次産品価格の高騰など各国に共通する輸入インフレ要因が高まってきたためである。
また,フロート自体についても,以下にみるような一面を持ったことも否定できない。
即ち固定相場制で赤字国であったアメリカでは70,71年と景気が停滞しでいたこともあり政策の重点は景気拡大におかれていたが,主要国のフロート移行等により政策の自由度が相対的に高まった71年後半以降はドル相場の実勢にまかせて国内の成長政策を推進することができた。イギリスではフロート後),従来のストップ・ゴー政策から財政面で72年度予算での大型減税,金融面でも公定歩合引下げなど積極政策へ転換し,この結果73年第1四半期には実質GDP成長率(前期比年率)は18.5%と記録的水準に達した。こうした過度ともいえる積極成長政策は需給をひっ迫させてインフレ要因となり,レート下落による影響も加わって物価上昇を加速させる要因となった。
レートの上昇,下落が国内物価に与える効果が非対称的であることも,むしろ物価上昇要因となった。アメリカ,イギリス,イタリアなど自国通貨が実質的に切下げられた国下は,輸入価格で上昇して,国内物価を上昇させ,とくに輸入依存度の高い国では,そのような傾向があった。反面,西ドイツなどでは切上げによって為替レートの調整がなかった場合に比べ自国通貨建て輸入価格の上昇は抑制されたが,価格の下方硬直性により,抑制分は部分的に国内物価に反映されたにすぎなかった。
石油危機後,先進国の景気は停滞を深めたが物価の上昇は,その要因を変容させながら一層加速化し,主要国のインフレ率は74年前半には年率約15%に達した。この間の経過は第1章にみたとおりである石油危機が無かったとしても,従来の経験によれば,72~73年にみられたような需要インフレの後には,賃金コスト・プッシュ局面があらわれるはずであったが,今回のスタグフレーションは,このような従来の典型的な経過に加えて,以下のような特徴的な要因が重なって,これをより厳しいものどしている。
第1は,石油価格の大幅上昇によるコストの急増を原因に,これと直接,間接関連する国内価格が,大幅な上昇をみたことである(第1章第1節参照)。
第2は,73年中の一次産品価格急上昇の影響がなお残っていたところに石油危機を契機に,原材料手当ての確保,投機などにより需要が強まり,一次産品を中心とする原材料価格が高騰し,これがコストを高めたことである。
これらの結果,輸入価格は74年に入って一層高騰し,74年上期における各国の物価上昇要因の3~5割を占めるに至っている(前出第2-7図)。
第3は,以上のような石油危機後の物価上昇の加速化が多くの国で実質所得の低下ないし鈍化をもたらし,これを取戻そうとする名目賃金引上げ要求の著しい高まりや賃金協約に含まれるエスカレーター条項もあり賃金上昇率が高まったことである(第2-4表)。主要国における賃金決定の要因をみると,多くの国において,73年の物価上昇加速化と石油危機後の大幅な物価上昇が今回の名目賃金上昇の加速化をもたらしている(第2-13図)。
このように,74年に入り,主要国とも物価上昇要因のうち需要要因の割合が減少し,輸入価格ないし賃金コスト要因の割合が増大しており(前出第2-7図),複合的なコストプッシュ・インフレヘ移行したといえる。
また,消費者物価を品目グループ別にみると,73年中にほぼ5割を占めていた食料の寄与が低下し,それに代わって73年11~12月ごろより石油直接関連商品の割合が高まったが,さらに74年春ごろからは,工業製品の価格上昇が目立ってきている(第2-5表)。また,原材料コスト上昇の波及過程をアメリカの例についてみると,素原材料が73年12月から74年3月にかけて急騰したのち,大幅に鈍化し,その後低落しているのに対し,中間材料,最終財,消費者物価と進むにつれて,なお上昇が根強く残っている(第2-5図)。
また,イギリス,西ドイツ,フランスについても,74年後半になると,景気停滞の進行から,漸く原材料価格が軟化してきたが,消費者物価は引続き高い上昇を続けている(第2-15図)。
昨年来的二桁インフレは,単に従来分からの物価上昇の弊害を拡大したばかりでなく,その影響はいっそう多面的なものとなった。
まず,従来においてはインフレ下にあっても実質個人所得が前年を下回るということはきわめてまれであった。しかし,今回のスタグフレーション下で74年初めにおいては,アメリカ,イギリスで実質所得が減少しているほか,西ドイツなどでも大幅に鈍化している (第2-16図)。この要因としては,石油危機を契機として各国経済の停滞が深刻化したことがあげられるが,加速されたインフレが実質所得を大幅におし下げたことも大きい。
またアメリカ,イギリスでは労働分配率も低下しているが,これは賃金上昇が激しい物価上昇に遅れたことを示している(第2-17図)。しかし法人利潤の内訳をみると保有在庫の評価益が73年から急増して利潤を支えていることがわかる(第2-18図)。
また,高進するインフレ下におけるひっ迫した資金需給を反映して金利は全般的に上昇し,引締め政策の実施によって更に押し上げられ,多くの国において短期金利は10%をこしたが,インフレの影響を除いた実質金利でみると,マイナスになるかないし大幅に低下した。これが後述のように個人や企業における資産選択行動での変化をもたらしている(第2-19図)。
また金融資産が目減りするのとは逆に金融負債はインフレによりその実質負担を減ずるが,最近の高率インフレはこれを急激に大きなものとしている。ここで各経済主体別に資金循環表により金融資産の債権・債務関係をみると,おおむね家計が債権者損失を被り企業が債務者利潤を得ており,この額は年々拡大傾向にある(第2-6表)。
次に最近のインフレ下において,実質所得が伸びないにもかかわらず名目所得の上昇によって税負担が増加するという傾向が各国において強まっている。所得税負担をみなおすにあたっては控除と税率の改正が考えられるが,ここでは所得税の課税最低限をみてみよう。この課税最低限の水準と名目所得・賃金の水準を比較してみると,日本,イギリスを除きほとんどの国では最低限引上げが所得・賃金上昇より遅れていることがわかる(第2-20図)。
ではこうしたインフレ下で経済主体はどんな対応行動をとっているのか。
インフレのもと金融資産が目減りしていることから個人の行動としては,まず貯蓄行動への変化が考えられる。しかし,貯蓄率の推移をみると,アメリカ,イギリスでは最近貯蓄率は下落しているが,インフレ下での貯蓄率のすう勢的変化は明瞭でない(第2-21図)。
さらに個人の金融資産の選択をみると,従来インフレ期にはインフレヘッジの対象とみられていた株式保有については今回は従来と異なった動きが現われている。すなわち73年に入って多くの国でインフレが加速化するなかで株価が下落を持続しているのが特徴である。また,実物資産についてみると,72年ごろより多くの国で土地や金などに対する投機的購入がおこり,これがインフレ心理をあおったことは前述したとおりで,実質金利の低下もこうした動きを助長したものとみられる(前出第2-10図)。
他方,企業の行動をみると従来穏やかなインフレは,利潤の増大,投資の拡大などを通じて企業の生産活動を積極化してきた。しかし最近のようにインフレ率が二桁にまで高まってくると実質金利低下のなかで企業は本来の生産活動のみならず原材料などを中心に在庫積増しを積極化し(第2-22図)大きな在庫評価益を獲得するような行動に走りやすくなる。しかし高率インフレ下での総需要抑制政策が継続されて景気停滞が長引くと企業の生産活動はさらに減退し投資意欲が損われることにより,これが長期的な成長を阻害する要因になると考えられる。
さらに企業のとる行動で特徴的なのは個人の場合でもみたように土地など,供給の弾力性が低い実物資産への志向である。これは価格の急騰やインフレ心理の強まりを招き,資源の効率的利用をさまたげる結果となる。