昭和48年
年次世界経済報告
新たな試練に直面する世界経済(資源制約下の物価上昇)
昭和48年12月21日
経済企画庁
1) 国民総生産
1972年秋の大統領選挙前後に年率8%の経済成長速度を回復したアメリカ経済は73年初めにも同じ速度を維持した。この急成長過程でドルの再度切下げがあり(73年2月),その後の貿易収支は好転した。物価の急上昇は法的に規制されていたにもかかわらず,国際物価急騰の影響,73年秋のアラブ石油禁輸による影響などから卸売物価の急騰があり,経済成長率鈍化過程において高物価と取り組む困難な事態が訪れた。
過去1年の推移をたどってみると,実質国民総生産は72年第4四半期と73年第1四半期に8%をこえる高率を維持したが,第2,3四半期には減速し,第4四半期には石油不足がさらに成長率を抑えると思われる(第1-1表)。
経済成長の主力は四半期による変化を免れなかったが,注目されるのは73年第2四半期には個人消費のGNP増加寄与率が著しく衰え,代わって純輸出が急速に回復したことである(第1-2表)。個人消費が第2四半期にほぼ横ばいになったのは,イースターが例年よりも早く訪れ,第1四半期にはいったため消費者の買いものが前期に算入されたという特殊要因によるものだが,乗用車の売行きが前期ほど活発でなかったためともいえよう。
純輸出の増大は71年8月以降の実質的ドル切下げの影響が部分的に現われたといえよう。
過去数年間増加方向にあった住宅投資は72年第2四半期以降は景気上昇の主力とはならず,73年第2四半期からあとは逆に経済成長の足をひっぱることになった。73年初め以来の長期金利の急騰や資金手当ての困難が住宅建築を抑制したからである。
71年以降の景気上昇過程において,在庫蓄積が強力な景気上昇要因とならなかったのも一つの特徴であった。72年の中ごろにはかなりの寄与率を示したとはいえ,その後の2四半期ではマイナスとなり,73年第3四半期では,むしろ減速要因となった。この期の動きは原材料不足や製品在庫の不足で在庫を増やずゆとりがなかったためとみられる。
設備投資は72年に前年比名目で11.0%ふえ,73年にも力強く伸びて,かなり高い寄与率となった。
純輸出ば71,72年に寄与率マイナスであったが,72年第2四半期からはプラスとなり,73年ではかなりの成長率増加の要因となった。
政府購入は景気上昇過程では,むしろ減速作用をなすべきものであり,現実にも連邦政府支出は1958年価格で72年第1四半期を近年のピークとして,73年第3四半期まで減少を続けたが,州・地方財政支出の持続によって,連邦の努力が相殺された。
2) 鉱工業生産
1970~71年の停滞のあとを受けて,72年の工業生産は活況をとり戻し,前年比7.9%増となった。
73年初めには,まだ月間1%近い上昇速度を維持しrこが,その後しだいに衰え,第3四半期には毎月0.2%の増加にとどまった。
このような減速の背景には①製造業稼操業率の上昇,②原材料不足,③物価統制という原因があった。
第1-3表のように製造業の操業率は70年第4四半期を最近の底として,しだいに回復,73年第3四半期では83.4%に達した。全製造業を平均してこの程度の操業率になると,部門によっては90%を越え,あい路産業となるものも出ている。とくに基礎資材の部門では近年の底が製造業平均の場合よりも,1四半期前に現われて72年第3四半期には90%台に達し,その後も急速に増大した。その結果一部には需要を満たしえない品物も発生した(鉛,紙など)。拡張投資がおくれたためでもあるが,73年秋以降には石油不足も加わって原料不足を激化させ,それが設備の引渡しや据付けをおくらせる悪循環となった。
物価統制が生産阻害要因となったのは利潤が統制されたり,未加工農産物価は自由であるのに加工品の売値が制限されて,企業の生産意欲を減殺した場合であった。
72年末の失業率を5%とする目標は達成されたが,73年になってからの失業率は必ずしも一本調子では減少せず,年末4.5%の目標は達成困難となった。
初年度の賃金引上幅は本文第2章11表のように賃金ガイドラインに0.7%の付帯給付を合わせたものを僅か上回るにとどまったが,物価の上昇が激しかったために製造業の実質賃金はあまり上がらず,73年第3四半期では前年同期とほとんど変わらなかった。
1) 騰勢を強めた物価
1971年8月の新経済政策によって賃金・物価が凍結され,続いて11月にはガイドラインを物価と賃金に適用,強制的にインフレを防止する対策がとられ,73年春まで続いた。このため,71,72年は景気の回復段階にありながら消費者物価の上昇速度はそれ以前の景気後退局面ほどの上昇をみせなかった。
すなわち70年に5.9%上昇した後,71年4.3%,72年3.4%としだいに落ちつき卸売物価も70年3.7%,71年3.2%と減速したが,72年央以降はアメリカ景気上昇による需要増のほか,世界的農産不足の影響が出始めた。
卸売物価の急上昇はやがて消費者物価に反映され,それは73年1月の物価・賃金の統制緩和が加わって,それまで長い間抑圧された物価値上げがいっせいに爆発し,卸売,消費者物価ともにふたたび急騰を開始,統制は再び手直しされた。
2) 物価・賃金の統制
物価・賃金については総需要抑制措置と直接規制措置が採用された。後者は,次の4段階に区分される―
1 第1段階(1971年8月15日~71年11月13日までの90日間)
2 第2段階(71年11月14日~73年1月10日)
3 第3段階前期(73年1月11日~6月12日)後期(73年6月13日から最大限60日間)
4 第4段階(73年7月18日より)
第1段階では賃金と物価が凍結された(未加工農産物を除く)。詳細は本文第2章参照されたい。
第2段階では凍結を解除して,貨金・物価にガイドラインを設定し,賃金に5.5%,物価に2.5%の上昇わくを置き,72年末までの物価上昇率目標を2~3%とした。ガイドラインを強制するため年売上げ1億ドル以上の企業には四半期ごとに報告を求め,値上げについては事前に物価委員会の承認を義務づけ,他方賃金に対しては組合員5,000人以上の労組に賃金委員会に通告させ,その承認をえさせることにした。大企業と大労組をきびしく取締ることによって,目的は達成されるとみたからであって,規模の相対的に小さい企業や中小労組の統制はゆるやかであり,従業員60人以下の小企業は規制を免除された。
第3段階は1月11日から始まった。72年秋から農産物を中心に卸売物価が上昇過程にあり,やがてそれが消費者物価に響くと考えられた時期に,ニクソン大統領は第2段階でのインフレ速度が大幅に低下したことに力をえて,第3段階に移行した。
第3段階では①73年末までの物価上昇率を2.5%に押さえ,②物価,賃金ガイドラインはそのまま自主規制として存続し,③年売上げ2億5,000万ドル以上の企業からは四半期ごとに値上げ状況,利潤報告を徴収することとした。
事実上の統制廃止に近かったため,凍結ないし強制統制期間中に抑圧された値上げが相次ぎ,前年秋以降の卸売物価上昇と相まって,消費者物価を急騰させた。72年第4四半期からの年率8~9%の高成長も物価上昇に大きく作用した。
このため値上がりの激しかった肉類には3月29日最高価格制が導入され,5月2日には,大企業の事前申告義務を復活し,1月10日の水準よりも1.5%以上値上げし,また値上げしようとする企業は30日以前に生計費委員会に通告義務を負うこととなった。それでもなお値上がりは激しさを加えたため,直接規制の強化を余儀なくされた。
それが同年6月13日からの第3段階の後期に当たる。このとき大統領は60日間の物価再凍結と農産物輸出規制を実施した。しかし未加工農産物農場渡し価格は統制外とされた反面,農産加工,食品製造業者の販売価格は6月1~8日の最高価格に据え置かれたため多くの加工業者が採算割れとなり,供給はかえって減少する危険が発生した。
そこで早くも7月18日には,前記再凍結期間の満了を待たずして,第4段階入りが発表された。これによって,①牛肉を除くその他食品は7月18日から第4段階入りし,9月12日までは6月8日以降の原料農産物価格の値上がり分だけの値上げを認められ,②9月13日以降については牛肉の最高価格制を撤回し,その他食品と同じく,賃金上昇分をも含めたすべてのコスト上昇分を物価に転嫁できることとなった。③工業品ならびにサービスなど食品以外のものは8月12日まで凍結,それ以降については73年1月10日以前に終わる企業会計年度の最新の四半期に比べたコストの上昇分だけを上乗せすることとし,利潤の金額はふやすことを認められなかった。④年売上げ1億ドル以上の企業は値上げ30日前に申告,許可を受けることとされ,⑤賃金には5.5%のガイドラインを残すが,前段階で非公式に認められていた付帯賃金の0.7%を加算できる。⑥年売上げ5,000万ドル以上の企業は四半期ごとの報告を課された。
なお第3段階でば農産物の騰責を抑制するため,輸出を規制した。すなわち6月13日には主要農産物の輸出規制を発表,7月2田に実施し,9月の収獲期まで続けられた。それはアメリカの物価抑制には寄与したけれども,一時的に国際物価を高める一因となった。
次にその効果であるが,段階別にみれば,凍結の実施された第1段階の物価上昇率が最も小幅であり,自主規制に任された第3段階での上昇率が最大である。第4段階では規制がむしろ強化されたにもかかわらず,物価上昇率が高いのは需要の増大から品不足となり,物価の統制が業種別に緩和されて生産を刺激する方向に変わったからであり,またドル切下げの影響が現われて輸入品価格が上がり,また国際商品相場が上昇するなど持続要因が加わったからである。
なお,直接規制の効果については本文第2章も参照されたい。
労使交渉による幅(初年度のみ)はしだいに落ち着いてはいるが,なおガイドラインを上回っており,問題を残すといえよう。
3) 最近の物価動向
季節差を調整しない物価の前年比または前年同月比上昇率は第1-7表のように卸売物価では72年第4四半期から,消費者物価ではそれよりもややおくれて73年第1四半期以降急速に増大した。主因は農産物であったが,73年にはいってからは工業品の上昇率も高まった。
最新月である73年11月の卸売物価は石油不足の影響を受けて,ふたたび上げ足を速めた。労働統計局によると,11月の季節差調整後の前月比上昇率は,1.8%である。しかもこの月には「農産物および加工食品」が下落した(1.4%)にもかかわらず,工業品が3.2%も上昇した。このうち燃料は19%も上昇し,工業品価格上昇に70%余寄与した。
だが,値上がりは鉄,非鉄金属,繊維を始め家具,家庭用大型機器にも及んでおり,さらに第4段階の物価賃金統制が緩和されて,続々上昇し始めた。
別表に示すように需給の不均衡な産業には暴騰を防ぐためと高く売れる外国へ流れるのを防止するため値上げを認め,これによって増産をはかることになり,物価,賃金統制の第4段階入りと同時に石炭,故銅,木材の統制は解除された。しかしこれら基礎的な物資を自由化し,それを使用または加工する産業の価格を凍結できないのは73年6月の物価再凍結の失敗から明らかである。このときには未加工農産物価格は統制を解除されていたにもかかわらず,肉その他加工食品は凍結されたため,家畜が姿をかくすか,あるいはと殺され,多くの幣害が現われた。
生計費委員会はその後もセメント,肥料,非鉄,自動車などの統制を解除した。これは結局,他産業の値上げ,あるいは統制解除を余儀なくするであろうし,事実上,第4段階は74年1月末に終わるとみる向きさえある。
自動車産業の統制解除理由はクライスラーを除くGM,フオード,アメリカン・モーターズの3社が74年型車の値上げを一定範囲に抑えると誓約した上で,エネルギー危機で急速に売れ始めた小型車の増産をはかるための措置だとダンロップ生計費委員会事務局長から説明された。
自動車業界では解除の代償として①小型車1台の小売価格引き上げを150ドル以下とする,②GM,フオードは卸売価格の引上げを1台平均150ドル以下に押え,アメリカン・モーターズは100ドル以下とする,③小型車の製造をできるだけふやすことを約束した。
74年1月下旬に予定されるニクソン大統領の一般教書よりも早目に第5段階入りが発表され,常設の経済安定機関が設立されるもようである。
1) 好況下の赤字予算
73年1月20日就任第2期を迎えたニクソン大統領は29日に,予算教書を提出し「インフレと戦争のない高度雇用下の繁栄」をめざした。これは前年度の「戦争の衝撃とインフレの損失のない年」を志向したのとあまり変わらない。二つの辞句を比べてみると,インフレと戦争の順位が逆転しただけで,内容に大きな変化はない。
1974年度予算の特色は―
(1)景気急上昇下に大型予算を組み
(2)赤字は73年度より減るけれども,127億ドルで,かなり多い。当時大統領は完全雇用予算とすれば3億ドルの黒字だと述べて,非インフレ的と説明した。
(3)ベトナム停戦にもかかわらず,防衛費は6.2%増
(4)対外援助については負担と利益を相互に分担とする原則を説き
(5)軍事援助の贈与をしだいに借款や現金取引に代える方針を明らかにした。
予算編成の基礎資料によると,73歴年の各目GNP増加率は10%とされていた。これと新年度の財政増加率7.6%を比較するのは余り意味がないが,73年第3四半期のGNPデフレーターが年率7.0%上昇し,第4四半期以降にも同程度ないしそれ以上となると考えられるだけに,財政支出の伸びはさほどの景気刺激にはならないであろう。
74年度の歳出は2,687億ドル,前年比7.6%増,歳入2,560億ドルで前年比3.8%増,どちらかといえば,歳入の伸びが大きいので,赤字は73年度の248億ドルから74年度の127億ドルヘ半減する。
大統領は好況下にこれほどの赤字予算を組んだことについての弁明として,もし社会福祉支出の一部をぎせいにしなかったとすれば支出をこれまで押え込めなかった。支出項目を削減,整理しなかったとすれば,74年度歳財は2,880億ドル,75年度3,120億ドルにも達しただろうと語った。
なお,ニクソン大統領の説明によると,大統領就任の年である1969年度から74年度までの間に教育,労働,保健,所得保証,恩給その他人的資源関係費は97%ふえ,財政支出総額の伸び(46%)をはるかに上回った。このため支出総額に対する人的資源関係費の比率はニクソン大統領就任当時の約3分の1から74年度の約半分へと増大した。
ところで政府は73年に実質6.75%もの高成長を予想するにもかかわらず,財政の伸率も高く,かつ巨額の赤字を予想するなど,財政に反循環的な役創が認められない。
ブームの年には黒字財政によって,過去の国債を整理するのが理論的であるにもかかわらず,いぜん赤字財政を続けるのは問題であろう。
大統領は73年度に都市再開発14.5億ドル,緊急公共サービス雇用12.5億ドルほか約20億ドルを削り,74年度では1.4億ドルの都市再開発を支出権限から削除した。このほか74年度にはいってからの物価,景気情勢から74年度税収は100億ドル増加見通しとなったが,それを支出に振り向けなかったため,収支尻は当初の127億ドル赤字から27億ドル赤字に縮小した。その後73年7月の第4段階発表に当たり,これまで金融面に偏していた総需要引締攻策を財政面から補うため,数10億ドルの支出を削減,74年度財政均衡目標が打ち出され,10月18日には収支をそれぞれ改定し,均衡予算となった。
2)防衛費とベトナム停戦73年1月28日の休戦協定によって10年近くにわたったベトナム戦争は大詰めを迎えた。これによって国際収支や国内経済には通常の終戦時ほどの衝撃を与えなかった。ニクソン大統領就任直後からベトナム撤収が始まり,戦費は69年度の288億ドルから73年度の62億ドルヘ激減,経済に対する影響力は昔日の比ではなかった。
74年度防衛費の中にも29億ドルのベトナム戦費が組み込まれていたが,これは事実上不用となったであろう。
停戦時の米軍兵力は23,700人で,67年の53万人に比べると,ものの数ではない。これらは徐々に除隊したため,雇用情勢を一挙に悪化させることもなかった。
1) 緩和から引締めへ
70~71年には総需要もまだ弱く,物価も相対的に落ち着いていたので,金融は72年末まで緩和方向をたどったが,73年初めには経済成長速度も高まり,物価は卸売を中心に上昇過程にあったため,久しぶりに引締方向に変わり,公定歩合(ニューヨーク連邦準備銀行)は1月以来3,4月を除いて8月まで毎月引き上げられ,史上最高の7.5%となった。
74年度予算のもつインフレ・バイアスを除去するためにも,金融の調節機能に期待されるところが大きかった。ニクソン政府は72年11月の大統領選挙前から商業銀行貨出金利を抑制し,直間接的威力を行便して,プライム・レート(一流企業に対する貸出金利)が6%に上昇するのを防止した。
だが,市中金利の上昇から商業銀行のプライム・レートを抑制することは困難となり,12月26日には6%の大台に達し,73年2月2日には大銀行ではなくて,フランクリン・ナショナル,ファースト・ペンシルベニア,バンク・オブ・ニューヨークのような中小銀行が6.25%へ引き上げ,利子配当委員会による大手銀行への介入を不可能にした。
通貨供給量(M1)の増加速度は73年第1四半期には年率4.6%にとどまったが第2四半期には年率6.9%に達し,連邦準備理事会が正常な経済成長に必要な増加速度の6%をこえた。このため8,9月には供給を引き締め,8,9月には連続して前月を下回り,第3四半期の増加率は5.1%で第2四半期をかなり下回わり,10月は微増にとどまった。
このほか5月と9月には大口CD(譲渡可能定期預金証書)の新規増加分に対する準備率を引き上げるなどの銀行資金抑制措置を採用した。このような引締め措置によって,7,8月の金利は急騰し,9月にはついにプライム・レートで10%の史上最高を記録した。
10月には資金需要も一時的に鈍り,プライム・レートは22日から月末までに0.25%ずつ2度引きあげられて,高金利時代の終わりを告げたかのようであったが,11月下旬と12月上旬に引き上げられて,10%の記録的水準に逆戻りした。総需要は年末を控えて活発ながら,すでにエネルギー不足の影響が自動車,化学などに現われており,年を越えても,長く高金利を維持できる段階ではない。
1) 貿易収支の好転
71年暮れのスミソアン合意は1両年後には主要国の対外不均衡を解消すると期待されたのであったが,通貨調整後の各国の経済政策はまちまちであり,ドルを切り下げたアメリカ自身がこれまでの切下げ国のように耐乏政策をとることなく,逆に積極的な経済成長政策を強化した。72年初め発表された73年度予算について前連邦準備理事会のマーチン氏は「無責任に近い」予算であり,「妥当な必要限度をこえる」刺激を与えるものと論評したほどあった。
金融もまた高成長政策の一翼を担い,通貨供給量(Ml)増加率は71年第4四半期の1.1%(年率)から9.3%に急増,公定歩合は71年12月央に4.5%へ引き下げて後1年余にわたって据え置かれた。
このような刺激政策によって経済はしだいに拡大,雇用はふえ失業率は71年初の5.9%から12月の5.1%へ減少した。
その反面では貿易収支赤字はしだいに拡大し,72年央以降減少に変わったが,まだ切下げ効果といえるほどではなかった。年間でみれば,前年の約2倍余に達する赤字となった。
国内総需増大に伴う輸入の増大や切下げ直後のJ効果によるものでもあった。
経常収支もまた71年の28億ドル赤字から72年の84億ドル赤字へ悪化したが,資本勘定で好転し,総合収支での赤字は前年より減少したとはいえなお100億ドルを超え,史上第2位を記録した。しかも大量のドル流出が黒字国の対外準備をぼう張させ,ドル不安の主因となった。アメリカの赤字は他の黒字国の経常,資本収支黒字を増大させただけでなく,短資の流入は国内均衡化努力をも阻害した。
ドル切下げ初年度の貿易収支が悪化したことは前にも述べたが,最大の相手国カナダとの赤字は約2億ドルふえ,日本,西ドイツの切上げ国に対してはそれぞれ9億ドル,6億ドル赤字幅を拡大し,相互の通貨調整幅に問題のあることを示唆した。
しかも72年のアメリカの輸出金額が13%もふえて,71年の増加率の数倍に達したとはいえ,①世界の農産物不足,②71年末数カ月間の港湾ストの反動,③ドル切下げ期待による71年末の諸外国の買控えなど特殊要因によるものであって,ドル切下げ効果というほどのものではなかった。
一方,輸入の22%という異例の増加は景気上昇以外の原因をもっていた。
第1にはドル切下げによる輸入価格の上昇,第2は原料相場の急騰,第3は燃料輸入の急騰(30%)が挙げられる。
73年にはいって,まだ年初の3カ月間は8億ドル(季節調整値)の入超を記録したが,それでも72年第4四半期に比べれば半分あまりであり,改善ということもできた。それがはっきり好転といえるに至ったのは第3四半期から後のことであった。再度のドル切下げによってアメリカの輸出品に競争力がつき,世界的農業不作から農産物輸出が激増,輸入面では外国品のアメリ力国内における競争力喪失のほか,鉄鋼,自動車のように外国にあい路が発生して,対米輸出をふやせないものもあった。このような特殊要因を除いた場合にはかなりの黒字が消え去るであろう。73年1~9月の輸出を非農産物と農産物に分けてみると,農産物の46.7%増に対し非農産物は23%増にとどまった。後者から物価の騰貴を差し引くと,物量での増加は半分程度のものであろう。
なお経常収支に長期資本収支を合わせた基礎収支赤字は72年第1四半期の151億ドル(季節調整年率)をピークとして第4四半期には半減,73年にはいってからは四半期ごとに改善,第3四半期には黒字化したとみられる。
公的決済ベースの赤字は投機的短資移動によって大幅に変動したが,73年第2,3四半期にはそれ以前の流出賃金の還流によっ2期連続黒字となった。
2) 新通商法の提案
1973年4月10日ニクソン大統領は1973年通商改革法案を議会に送った。それは①関税,非関税障壁(NTB)の撤回と②過大黒字国の輸入障壁打開策として輸入課徴金などのセーフ・ガード(緊急輸入制限)を合法化して,アメリカの貿易収支を改善するだけでなく,広く国際貿易の拡大といまでは旧体制化したガットの根本的建直しを志向した。
その大要は
①今後5カ年関税を撤廃ないし引き上げる権限を機会に要請する。(関税撤廃は貿易促進のためだが,引上げは他国への報復措置として要請する)。
②NTBの引下げ権限
③ アメリカ品の輸入を制限する国に対する報復権限
④ 不公正な輸入に対抗する権限(諸外国が不公正手段によってアメリカの輸出が阻害される場合の防御措置。たとえばダンピング防止や相殺関税制度の改革)
⑤ アメリカの国際収支を理由とする一時的輸入制限
⑥ 国内インフレの抑制を目的とする輸入自由化権限(73年春,食肉価格の急騰防止目的に肉の輸入割当を自由化した)
⑦ ソ連を含む共産圏との通商交渉権限により差別待遇をやめる。
⑧ 発展途上国に対する一般特恵供与権限これらの権限を5カ年有効とし,その間にガットの国際ラウンドで,諸外国の譲許を求め,アメリカもこれに相応する譲歩を行って,国際貿易を相互に促進しようというものである。
ケネディ・ラウンドの根拠となっていた1962年通商拡大法との相違点は次のとお)
(1)前回は関税引下げ権限が50%に限定され,100%の引下げ権限はアメリカと拡大ECとを合わせた場合,世界貿易に対する占有率が80%以上となる品目,たとえば航空機,自動車,化学品などに限られていた。今回はこれら特定品に限らず,無制限に引き下げる権限が要求されている。
(2)前回にはなかった関税引上げ権限が今回は要請されている。
(3)ケネディ・ラウンドでは交渉対象とならなかったNTBが今回は含まれている。
下院はこの通商法案を1部修正の上ソ連がユダア人の移民の自由を認めるまでソ連に対する輸出信用と最恵国待遇を禁止する抱合わせ法案をつけて可決した。
これに対し74年にはいってからの上院の出方が注目されるが,ビジネス・ウィーク誌(73年12月15B)社説は「ユダア人の移民を緩和するようモスクワに圧力を行使しようとして,下院修正案がソ連に対する輸出信用と最恵国待遇を拒否すれば,必ずしも修正案の目的をはたすことなく,アメリカの対ソ貿易を激減させるであろう」と述べた。
3) 国際通貨調整と貿易
ドル切下げ,その他主要貿易相手国通貨の切上げはアメリカの貿易収支に大きな影響を及ぼしたとみられる。それにしても通貨調整効果を判断するための長期間にわたる貿易統計がえられないので,受注統計でその動きを調べてみると,次のような結果がえられる。
まず,71年8月から同年12月までの期間はドルがフロートによって実質的に切り下げられた時期であって,商務省調べの製造業耐久財新規輸出受注高(自動車を除く)は同年9~12月にそれ以前の同期間の受注を,11.1%上回り,5~8月の退勢をばん回した。
またマグロー・ヒル社調べの非電機新規輸出受注指数は5~8月に1~4月の4.2%増,9~12月には6.1%増で伸率が増大,フロートの効果を示唆するようにみえる。
スミソニアン調整後の1年間でば自動車を除く製造業耐久財新規受注は13%ふえ,非電機新規輸出受注は43%も増大した。このよう-な受注増が実績の引渡しとなって現われたのが73年の輸出統計であろう。
1973年2月にはドルの10%切下げがあり,同時に日本円がフロートに移り3月には他の主要国もまたフロートに移行した。しかも実際にはドルの切下げとなって,非電機新規輸出受注も製造業耐久財新規輸出受注も大幅に好転した。これは今後の輸出増加を示唆するといえる。
1973年暮れに入手できた諸指標によると,設備投資は強いが個人消費見通しはむしろ暗く,年末も迫って盛り返した金利の上昇は74年の住宅投資に暗い影を投げかけた。期待された輸出の増大も,エネルギー危機によって見通し難となり始めた。主要顧客である日本,ヨーロッパの景気動向が急速に悪化したからである。
アメリカ政府は中東戦争前に,74年の経済成長率を3%とし,民間見通しはそれよりもやや低く2.5%前後のものが多かった。アラブ禁輸の影響によって最悪の場合,つまり禁輸が74年中続くとしてGNPは2%減,消費者支出がさほど減らなければ,GNPの落込みは0.5~1%ですむとスタインC EA委員長は予測した。これを差し引くと74年の成長は最悪の場合1%,うまくゆけば2.5~2%とした。
これに対し商務省は最悪の場合GNPで4%下がり,万事うまく行っても0.5%の影響が出るとみた。とすれば,74年の成長率予測はマイナス1%から2.5%と幅広いものとなる。
なお,OECDではエネルギー不足が広範囲にわたる経済障害を引き起こさない限り2.25%成長し,失業率は年末5.5%程度と推定した。
物価の上昇は74年にも持続するだろう。中東戦争前の民間見通しではGN Pデフレークーで5%とみるものが多かったが,スタイン氏は12月11日の議会証言で石油不足が生計費を3%上昇させると言明,失業率では6%に達しないとみた。いずれにしても,アメリカにも初めての経験であり,いっまで,いかなる形でエネルギー不足が続くかも予測しがたい現状では,74年の経済予測は非常に困難である。
(1) 景気動向
カナダ経済は,71年以降積極的な財政,金融政策に支えられ,実質成長率71年,72年とも5.8%と順調に拡大してきた。特に,72年第4四半期からは,GNPの約6割を占める個人消費支出及び輸出需要に先導され,後には民間設備投資,在庫投資の盛り上がりもあって,実質成長率(年率)は72年第4四半期11.6%,73年第1四半期10.8%と経済は過熱の様相を呈してきたが,耐久消費材を主体とする個人消費支出の増勢鈍化を中心に第2四半期2.8%,第3四半期1.6%と経済は鎮静化してきている。(第2-1図,第2-1表)このような景気鈍化の理由は設備能力の頭打ち,原材料,熟練労働者の不足等供給面の隘路が表面化してきたためであり,また第3四半期における鉄道スト等労使間の紛争もあって73年の実質成長率は当初見込みの約7%からやや低下するものとみられる。
しかし,製造業受注残高をみても需要は依然として根強く(第2-2図),また73年春の民間投資動向調査によれば,73年の設備投資は対前年比約20%増と見込まれており,カナダ経済は設備投資主導の下で安定成長路線にのっていくことが期待される。
(2) 失業率は高水準
71年以来6%台の水準にあった失業率(季調済み)は,経済活動の活発化に伴い,73年に入ってから低下しはじめ5月には5.2%まで改善されたが,経済成長の鈍化と鉄道ストの影響もあって8月5.5%,10月には5.8%と上昇傾向をみせている。(第2-3図)
このような失業率の高まりは,雇用の著しい増加にもかかわらず,若年及び女子層を中心に労働力人口が大幅に伸びているためである。すなわち,73年1-9月の雇用は41.7万人と前年同期比5%もの記録的な増加をみせているが,労働力も38.2万人と前年同期比4.3%増と著しく増加している。これをもって,ターナー蔵相は,失業率の高さは,カナダ経済の強さに由来するものであると述べている。
カナダの失業問題の特色は,地域間の格差が著しく大きいことである。これは,地域によって気候,市場規模,資源の賦存,教育の程度の差が大きいというカナダ特有の事情によるものであり,9月現在の全国平均失業率は6%であるが,例えば平原三州4.0%,オンタリオ州4.7%に対し,太西洋沿岸諸州8.7%,ケベック州7.9%となっている。また,オンタリオ州に比べて太西洋沿岸諸州の一人当り所得は35%も低く,地域格差の是正はカナダの経済,社会政策の重要な課題となっている。(第2-2表)
(3)物価は急騰
72年夏の異常降雨による農産物特に穀物の不作と所得の増加に伴う牛肉の需要増大を中心に,食料品価格の上昇は著しく,9月において全体の8.5%(前年同月比)に対して食料品価格は16.0%の値上りをみせている。(第2-4図)しかし,最近においては食料品価格の上昇は峠を越したものとみられるが,住居費は9月に7.1%(72年4.7%),衣料費5.4%(72年の倍)と他の品目の上昇が目立ちはじめている。
他方,卸売物価は,72年に7.0%の上昇であったのが,72年秋頃から速度を早め73年8月には実に28.9%と最高に達したが,10月には26.8%と鈍化傾向をみぜてきた。最近の上昇は,特に建設費及び輸出物価に顕著にあらわれているが,これは民間設備投資の活況に伴う建築資材の上昇,木材,銅などの一次産品価格の急騰の国内価格への波及によるものである。(第2-3表)
カナダの物価上昇に与える輸入インフレの効果はきわめて大きい。カナダは,輸出入の70%を占めるアメリカとの間の為替レートがほぼパーに推移しているため,アメリカからの輸入インフレの影響をそのまま受けることとなり,他方その他の主要国との間ではカナダドルの実質切下げにより,カナダドル建価格の値上りを招いている。さらに,カナダは主要な一次産品輸出国であることから,輸出を通ずる輸入インフレ効果が大きく,これらの要因が重なってカナダの物価を大きく押上げているのである。
政府は,物価上昇の原因は国際的需給の不均衡にあり,供給の増加こそが唯一の解決策であるとの見解をとっている。従って,野党が主張する賃銀,物価の一時的凍結のような直接規制策を採用する意志はなく,特に,インフレ圧力の主要な要因である食料や工業原材料は物価規制にはなじまない性質のものであるとしている。
物価対策としては,73年度予算で示された消費材を中心とする物品税の一時免除,関税引下げ等の措置のほか9月には食料品に対する補助金交付,家族手当の引上げ,老令年金引上率の枠撤廃,ガソリン等燃料価格の一時凍結等の措置を講じ,さらに食料品価格監視委員会(Food Prices Review Board)を設置した。
また,賃銀は,66-72年において年率7.6~8.5%の上昇に止まっていたため,物価上昇の主因とはいえなかった。しかし,最近のインフレは労組の賃銀交渉に刺戟を与え,第3四半期には年率9.8%の上昇をみせており,今後コストプッシュ要因が強まる可能性がある。
(4) 貿易は堅調
72年の貿易収支は,輸出の対前年比12%増に対し,輸入が20%増加した結果,黒字は約9億ドル減少した。
73年1-9月においては,輸出入とも対前年同期比約24%増加し,貿易収支は72年1-9月の7.5億ドルの黒字から約9.5億ドルに黒字幅が拡大した。(第2-4表)
このうち,対米貿易収支は72年1-9月の約8億ドルの黒字に対して73年1-9月には4億ドルへと黒字幅が半減しており,特に第3四半期でみれば約1億ドルの赤字に転落している。(第2-6図)他方,対日輸出はきわめて好調であり,対米貿易収支の不振を補う形となっている。
カナダは一次産品輸出価格の高騰によって当面貿易の黒字基調に不安はないものとみられているが,カナダの国際収支は利子配当の送金を中心に貿易外収支が拡大傾向にあるため,対米貿易収支の推移には注目する必要があろう。
(1) 積極的な財政政策財政
政府は73年2月に73年度予算案を議会に提出した。それによれば予算支出189億75百万ドルに対し,才入180億ドルで予算収支赤字は9億75百万ドルであり,また予算外収支を含めると73年度の財政収支赤字は20億ドルにも達する積極的な赤字財政政策をとっている。
73年度予算案は,経済成長の促進と経済基盤の強化による失業の減少,カナダ産業の国際競争力の強化を図ることを目標とし,新たに物価対策を加えている。重点項目としては,歳入面では個人所得税の5%減税,製造業,加工業に対する法人税の軽減(49%から40%へ),固定資産の特別償却,歳出面では社会福祉の充実,経済開発の遅れた地域の開発促進,企業の近代化,合理化への補助等が挙げられる。インフレ対策は,前述の措置のほか所得面において物価の上昇率にスライドさせた自動的物価調整減免措置を74年1月から実施する予定である。
特に製造業,加工業に対する法人税の軽減措置ば,国際競争力の強化に必要な設備投資を促進するものとして,政府の強い決意の下にようやく7月に下院を通過し,近く成立が予定されている。
なお,急速な成長とインフレによって歳入は上向きに修正が加えられているが,歳出も物価対策の実施等によって追加支出が必要となり,財政赤字は当初の20億ドルをやや上回るものと見込まれている。
(2) 過熱予防のための金融政策
71年10月に公定歩合を5.25%から4.75%に引下げて以来金融政策は景気刺激のため緩和基調を維持してきた。しかし,72年後半からアメリカの景気拡大に伴う短期金利の上昇により,カナダからアメリカヘ短期資金が流出し,他方国内の資金需要が旺盛となり73年に入って市中銀行の貸出残高は年率30%を越えるハイペースで拡大し,市中金利の上昇が目立ってきた。
このため,中央銀行は公定歩合を4月,5月,6月,8月及び9月の5回にわたって0.5%づつ引上げ,9月13日に7.25%とした。
政府,中央銀行は,公定歩合の引上げは,金融引締め策への転換ではなく,経済の過熱を予防し,アメリカの金利動向に対応した措置であることを強調している。従って,民間設備投資を促進するためには円滑な資金の供給を図っていく意向であり,特に中小企業に対しては市中銀行による優良企業向けのブライムレートと同等もしくはそれをやや上回る金利を適用するよう配慮している。
(3) 進展ずる石油政策
カナダは石油を自給できる体制にある。72年における原油生産は5.6億バレル,輸出3.4億バレル,輸入2.8億バレルであり,生産は国内需要(5.0億バレル)を上回っている(在加日本国大使館資料)。また,天然ガスは内需の4割を輸出し,アサバスカのタールサンド及び北極海諸島,東部海上等にも相当の原油埋蔵量が確認されており,エネルギー資源は豊富に存在する。
しかし,カナダは,石油需給構造がきわめて特殊であるため,種々の問題を抱えている。すなわち,カナダの石油市場はオタワ・バレーを境に東西に二分されている。西部はアルバータ州を中心とする国産原油に依存し,パイプラインを通じてアメリカの中西部に輸出され,他方東部は輸入原油に依存している(ただし,アラブ産油国への依存度は全輸入の15%を占めるにすぎない)。
近年の石油需給の逼迫によって,輸出面では国内需要を確保するため,アメリカ向け原油,石油製品の輸出を許可制とし,さらにアメリカの石油価格の急騰により輸出税を賦課するに至っている。輸入面ではベネズエラ原油の価格高騰と中東原油の削減により,東部の原油確保が最大の課題となっており,アルバータ産の石油を東部に供給するためパイプラインを75年末までに建設し,国産原油による市場の統一を図る方針である。中長期的には,アサバスカのタールサンド及び北極海諸島,東部海上における原油の開発を促進し自給体制の確立をめざしているが気象条件,採掘技術,輸送手段の克服,開発資金の調達等多くの問題が残されている。
短期的には国内需要の増大を背景に,平原州を除くカナダ全土でエネルギー不足が目立ってきており,暖房温度の引下げ,自動車の最高速度制限,学校休日の延長,航空便の調整等自主規制の形での対策が講ぜられていたが,政府は12月7日緊急事態に備えるためエネルギー供給確保緊急法案を議会に提出した。
その概要は,①政府が緊急事態において原油,石油製品等の供給を確保する必要があると認めるときは,強制割当制を適用する。②その実施機関としてエネルギー供給割当委員会(Energy Supp11es Allocation Board)を設立する。③その機関は卸売取引につき,全国的かつ衡平な割当制度を内閣の承認を得て実施するというものである。
政府は消費自主規制の対象から産業用のエネルギーは除外し,割当制の下においても基幹産業には優先供給を行なうとしており,石油危機の生産活動に与える影響を極力くいとめる方針である。
(4) 強まる外資規制
カナダにおいては,従来経済開発のために外資を歓迎するという態度であったが,広汎な外資支配に対し経済ナショナリズムからの反発が生じてきた。(第2-5表)
72年5月には,政府は外国企業によるカナダ企業の買収を規制する「カナダ企業買収審査法案」を議会に提出したが廃案となり,73年1月旧法案を強化した「外資審査法案」を議会に提出し,12月に成立をみた。
その概要は,この法律に基づき設立の予定される外資審査機関を通じて,2万5千ドル以上の資産を保有するか又は3百万ドル以上の売上げを有する外資を対象とし,単にカナダ企業の乗取り防止だけでなく,新規投資又は既存外資が異なった事業分野に進出する場合に政府の事前許可を要するというものである。その際政府は,外資がカナダの経済・雇用に対する影響,カナダ人の事業参加の程度等の諸点を審査し,カナダ経済に著しい利益を与える場合にのみ承認を与えることとされている。
カナダ経済は,過去3年にわたって順調な成長を遂げてきた。特に,昨年秋から経済は急速に拡大し過熱の様相を呈してきたが,73年春頃から安定化に向いつつある。しかし,失業率は依然として水準が高く,また物価は根強い騰勢を続けており,これらの問題の解決は容易ならざるものがある。
今後,カナダ経済は,個人消費主導型の高度成長から設備主導型の安定成長への移行が期待されている。民間設備投資の拡大は,財貨,サービスの供給増加によってインフレ圧力を緩和し,雇用効果の最も大きい製造業部門における雇用の増大と国際競争力の強化による国際収支の安定にも寄与するとの観点から,政府は最も力を入れており,カナダ経済の持続的成長に大きな役割りを果すこととなろう。
73年の経済成長率は,能力不足と鉄道スト等労使紛争の影響によって当初予想されていた7%に達することはできず6.5%程度に止まるという見方もある。また,74年の経済成長率について,OECD事務局は,個人消費支出と民間設備投資が景気拡大の主導力になるとの前提の下に5%をこえると予測しているが,石油削減が長引けばこの予測の不安定性は高くなるとみている。石油危機の影響は,カナダがエネルギー資源に恵まれていることから,他の主要先進国に比較すれば軽度のものとなろう。
イギリス経済は,約2年半にわたる景気停滞のあと,72年下期から回復に向い,73年上期には政府見通し(年率5%増)を上回る急拡大となった。個人消費の堅調化,世界的なブームを反映した輸出の好調,在庫投資の大幅増などが主要な拡大要因であった。
この急速な景気拡大過程で,失業者は一貫して減少を続け,設備稼動率も急速に高まったのに加えて,労働争議がいぜんとしてあとを絶たず,一次産品価格の急騰による原材料の調達難など供給面からの制約がしだいに強まった。
政府は,成長最優先の基本的方針の下に,国際収支面の制約に対しては,72年6月末にポンドをフロートさせ,また,インフレーションに対しては,72年11月初来,法的規制をともなうきびしい所得政策を導入するなど,ポリシイ・ミックスを適用してきた。
昨秋来の景気拡大は,こうした成長政策に負うところが大きい。73年下期には能力生産にほぼみあった拡大テンポに鈍化したが,経常収支の大幅悪化,内外金利差縮少などからポンド相場がさらに低落し,輸入価格上昇を招いてインフレ圧力を強め,それがさらにポンド相場を軟化させろという悪循環がみられるようになった。
このため,政府の政策運営は次第に慎重化し,73年5月末,公共支出の削減計画を発表し,金融政策も73年7月のポンド相場急落を契機に引締めに転じた。その後,第4次中東戦争勃発による石油価格急騰,石油供給削減措置に加えて,炭鉱,発電部門などの労働争議の悪化からエネルギー危機が発生し,11月央,国家非常事態が宣言された。これにより,石油供給の10%削減などが行なわれたのに加えて,年末にかけて,操短を含む厳しい産業用電力節減措置が導入された。
国家非常事態宣言と同時に,金融引締めは一段と強化され,さらに12月下旬,74年度公共支出の12億ポンド削減をはじめとする一連の総需要抑制策が発表された。
こうして,74年の経済成長を生産能力の拡大にみあった年率3.5%とする政府の当初見通しの達成はいっそう困難となっており,政府は情勢の変化に応じて弾力的に対応するとしている。
(1) 急速な景気上昇
イギリス経済は,70~71年のスタグフレーションを経て,72年下期から景気の急速な上昇をみた。
実質国内総生産は,70年1.5%5増,71年2.1%増の小幅上昇のあと,72年上期には年初の炭鉱ストによる電力危機の影響で大幅に減,少(前期比年率13.6%減)したが,下期には年率3.2%増に回復,73年上期には10.2%増の急拡大となった。その後は,生産能力に見合った成長(年率3.5%)を続けているとみられる。
72年下期の景気回復は,個人消費の根強い上昇と政府支出の拡大を直接の契機としていた。
個人消費(実質)は,72年初から回復に向い,とくに,72年後半から73年初にかけて活発化し(72年下期~73年上期の前年同期比6%増),寄与率でみても中心的な拡大要因であった。72年度予算の大幅減税(所得税を中心に平年度12.1億ポンド)と実質可処分所得の着実な伸びを背景としたものである。このほか,特殊要因として,73年4月からの付加価値税制移行による便乗値上げや物価凍結解除後の反騰を懸念した買い急ぎも重要であった。このため,73年第1四半期には前期比年率11.2%増の急増となったが,第2四半期にはその反動で減少し,その後は緩やかな上昇基調にあるとみられる。
個人消費の約半分をカバーする小売売上げ(実質)でみると,72年下期から78年初にかけて急増したあと(72年下期の前年同期比7.3%増,73年第1四半期10.2%増),第2,3四半期にはそれぞれ3.6%増,3.3%増と鈍化傾向を示している。
新規賦払信用は71年以降急増しており(71年18.3%増,72年21.6%増),とくに,73年初には付加価値税制移行前の買い急ぎを反映して急増した。
新車登録台数は72年から73年初にかけて急増したが,73年春以降は伸びなやみを示している。
(2) 緩慢な産業投資の回復
国内総資本形成(実質)は,71,72年にそれぞれ0.5%増,1.2%増と不振であったが,73年上期には前年同期比3.3%増へ回復した。
主として,設備投資と民間住宅の回復によるも-のであり,上期の前年同期比はそれぞれ5.2%増,19.6%増であった。民間企業の産業固定投資は同期間に3.9%増と小幅増にとどまり,とくに,製造業部門では前2年の大幅減のあと73年初には回復に向ったが,ほぼ前年と同水準にある。
車輛,船舶,航空機などの投資は72年に大幅増となったが,73年上期は横ばいにとどまり,政府住宅投資は73年に入って回復したものの,前年水準を下回っている。非住宅投資は72年初来停滞を続けており,これまでの投資回復がまだ拡張投資に及んでいないことを示している。
企業利潤の大幅回復による資金の潤沢化,設備稼動率の高まり,経済の先行きに対する確信の高まりなどから,企業の投資意欲が強く,貿易産業省の投資動向調査(8,9月実施)では,73年の製造業固定投資は6.0%増,74年15%増となっている。
71,72年の低成長は,在庫投資の減少によるところが大きいが,とくに,72年下期の寄与率は50.9%減に達した。73年上期には一転して大幅増となり,寄与率も40.5%増と,個人消費につぐ拡大要因となった。しかし,製造業在庫水準はまだ低く,在庫/生産比率(1969=100)は87.5%と60年代初来め低水準となっている。
(3) 供給面の制約つよまる
鉱工業生産も,70~71年の停滞のあと,72年後半から回復に向っており,とくに,72年末から73年初にかけて急速な生産拡大をみた。72年下期の鉱工業生産は,前年同期比3.5%増,73年上期は9.7%増,最近時(9月)では7.7%増となっている。73年上期の急拡大は,主として,機械,金属加工,化学などの好調によるものであり,鉱業も72年初の炭坑ストからの回復で大幅増となった。
この生産拡大過程で,設備の稼動率も72年第1四半期(86.9,1964=100)を底に急速に上昇し,73年第2四半期には95.1に高まった。需給ギャップも急速に縮少して,73年第3四半期までにほぼゼロに近づいたとみられる。
失業者数も72年9月以降,一貫して減少しており,完全失業者数(新規学卒,北アイルランドを除く.季節調整済み)は,72年初の約87万人から年末には73万人へ,さらに,73年10月には49万人へ減少した。
失業率でみると,3.8%をピークに最近では2.2%と69年6月以来の低水準となっている。
未充足求人の強い増勢も続いており,72年の7.3万人増のあと,73年1~10月間に17.8万人増加して,10月央に36.2万人となった。
失業の地域格差はかなり改善されているものの,まだ高失業の地域が残されており(北アイルランド6.3%,北部5.3,スコットランド4.9%,ウェールズ3.9%。いずれも男子),一方で,未充足求人数が失業者数を上回る地域も増加している。また,熟練労働者の不足がさらに深刻化した。
労働争議による生産阻害もいぜんとしてみられ,とくに,炭鉱,電力,運輸部門における争議の悪化は,73年11月の非常事態宣言,年末からの操短を招来した。
争議件数は,71年に減少したが,72年には若干増加し,73年に入ってからも,,ほぼ前年なみの発生率となっている(73年1~9月2,090件,72年1,851件)。
71年に労使関係法が成立して労働関係の正常化がはかられたが,いぜんとして山猫ストがあとを絶たず,合法ストは72年6.4%,73年3.7%にすぎない。
設備および労働面での制約に加えて,72年秋以来の国際商品相場の高騰は,企業の原材料確保に支障を来しており,生産拡大の阻害要因となった。
(4) 物価,賃金の急騰つづく
72年11月以来,イギリスでは,法的強制力を伴なう物価,所得の規制が行なわれているが(詳細ば本論第2章第4節参照),物価,賃金は大幅な上昇を続けている。
消費者物価は,71年7月のCBI(イギリス産業連盟)による自主規制(当初1年間,3カ月延長)によって,しだいに鈍化傾向を示していたが,72年夏以来,再び上昇テンポを高め,物価凍結期間中(インフレーション抑制計画,第1段階,72年11月~73年4月)も年率9.4%の上昇となった。主として,凍結対象外の未加工食品,輸入品などの急騰によるものであり,この間の食料価格上昇率は年率約20%にも達した。73年5~10月の第2段階では,上昇率は年率7.0%に鈍化したが,これは食料価格の急騰が小幅化したためであり,非食料価格はむしろ騰勢を強めている。このほか,サービス料金,家賃などの根強い上昇も続いている。
卸売物価(工業品)は,凍結期間中ほぼ横ばいに止まったが,第2段階では年率13.2%高へ急騰した。これは,主として,第2段階の価格規制方式が,「不可避的なコスト増」の価格転嫁を認めているため,原燃料価格の引続く急騰(年率40.6%。うち,食品加工用は42.5%)が製品価格の値上げとなってあらわれていることによる。こうした卸売物価の大幅上昇は,今後さらに,消費者物価の上昇にはねかえるとみられている。
昨秋来の物価急騰は,景気の急拡大という国内要因とならんで,一次産品価格の異例な急上昇が主要因となっている。とくに,イギリス経済は,原燃料の海外依存度が高いために,他国にくらべて海外要因の影響が大きかった。
輸入価格は,72年11月以降,前年比10%をこえる上昇となり,73年中,上昇テンポはさらに高まりを示し,73年9月の前年同月比は37.3%高となった。急騰の中心はこれまでは食料および非鉄などの原材料であったが.,73年秋以降はさらに石油の大幅値上げが加わることになった。
73年上期までの急速な景気上昇過程で,生産性が順調に高まっていたことから,賃金コストの上昇が抑制,されてきたが,下期以降は,生産性の伸びが鈍化する一方で,賃上げ圧力が高まりを示しており,物価抑制はますますむずかしい段階にさしかかったといえよう。
賃金率(時間当り,全産業)は,所得政策の段1段階中は年率4.3%増にとどまっていたが,73年4月の第2段階移行を契機として急上昇に転じた。
新規の賃金協約改訂は,前年比4%増プラス1人当り週1ポンドの合計という第2段階のガイドラインにほぼ準じているといわれるが,これまで凍結されていた妥結分が実施されたこともあって,4~9月間に年率18.6%の急上昇となった。
73年11月初からの第3段階では,賃金のガイドラインが7%増または週2.25ポンドに緩和され,物価スライド制なども導入されたが,労組側の不満が強く,とくに,炭坑労組はこれを大幅に上回る賃上げを要求して,政府の所得政策とまっ向から対立している。
(5) 経常収支の赤字幅拡大
イギリスの経常収支は69年来,黒字基調を続けてきたが,72年第3四半期以降赤字化し,73年中悪化を続け,73年上期年率7.6億ポンド,第3四半期年率13.3億ポンドの大幅赤字を計上した。これは,貿易収支の赤字幅が拡大したためで,赤字幅は73年上期年率15.2億ポンド,第3四半期年率21.1億ポンドに達した。10,11月にも貿易収支は大幅赤字を計上し,年初来の赤字幅は累計19.2億ポンド,経常収支では12億ポンドとなった。
輸出は73年1~11月間に前年同期比28。2%増となったのに対して,輸入が41.1%も増加したことによる。この輸入の大幅増加は,第1に,景気急上昇による輸入の急増によるものであり,原燃料ばかりでなく工業品も大幅な上昇となった(前年同期比44.8%増)。工業品の輸入急増には,需要の急増ばかりでなく,自動車輸入の増加にみられるように,ストライキによる供給不足なども影響している.。第2に,一次産品価格の上昇とポンドのフロニトに
よる実質的切下げを反映して,73年第3四半期の輸入価格が前年同期比30.6%も上昇したことがあげられる(輸出価格は11.4%高)。
輸出については,ポンドの実質切下げの効果がすでに出はじめており,73年上期の世界貿易の伸びをかなり上回る拡大となった。
数量ベースでみると,輸入は73年1~9月に前年同期比16.9%増と輸出の16.5%増をわずかに上回ったにすぎず,貿易収支の悪化は主として交易条件の悪化によるものであることがわかる。73年第3四半期の交易条件は,前年同期比14.6%の悪化となっている。
(6) 国際収支も再び赤字化
総合収支は,69年初来黒字基調を維持してきたが,72年6月央のポンド危機に際して短資の流出をみたこともあって赤字化し,71年の32.3億ポンドの黒字から72年には一転して12.7億ポンドの赤字を計上した。73年に入ると,経常収支は赤字化したものの,公企業による積極的な外資取入れやポンド・フロートの効果などもあって資本収支が大幅黒字を計上したため,上期に4.5億ポンドの黒字となった。しかし,その後は,経常収支がさらに悪化し,ポンドの軟調を背景に短資流出が続いたために,第3四半期には再び赤字化した。
73年7月末のポンド不安以降,短資流出はかなりの額に達したが,これは1つには,新バーゼル協定が9月末に期限切れとなることを反映したものである。この協定はさらに半年間延期されることとなったために,これによる流出はその後やんだが,ポンド相場はいぜんとして軟調を続けた。
公企業による外資取入れは,73年I~III四半期に約5億ポンドに達し,資本収支を黒字基調に維持した。これは,主として,73年春以降の政府による外資取入れ促進策①公共部門の期間5年以上の外貨借入れについて,イングランド銀行は,為替リスク・カバーを供与する(3月6日,ドル建のみ。10月19日,その他通貨建にも適用),②外貨建借入れ基準の期間を5年以上加ら2年以上に短縮する(10月19日発表),などを反映したものである。
72~73年における経済政策は,高成長の達成,維持を目的として,総需委支持を続ける一方で,ポンド危機を回避するためにフロート制に移行し,インフレーション抑制に対しては所得政策で対処するというポリシイ・ミックスが適用されてきた。
この結果,拡大テンポは急速に高まったが,それに伴なって,需給の逼迫が強まり,経常収支の赤宇幅拡大,ポンド相場の急落,インフレ圧力の高まりが顕著となった。このため,73年夏以降,総需要管理政策は引締めの方向を示していたが,その後,エネルギー危機によって事態は急速に悪化し,年末にかけて,石油,電力供給の削減措置を導入するとともに,財政金融面でも一連の引締め政策がとられた。
73年度予算(3月6日発表)は,若干の引締めになるという一般の予想に反して,中立的な性格のものとされた。しかし,一般会計予算が,付加価値税制への移行に伴なう税収入のおくれなどの特殊要因もあって,はじめて赤字を計上したため,公共部門の借入必要額が44億ポンドに達し(前年は28.6億ポンド),実質的にはかなりの景気拡大効果をもっものとなった。政府はこの政策の下で,72年下期~74年上期の成長率は年率5%程度に維持されると予測した。
その後,経済拡大が軌道に乗ってきたことから,景気過熱を予防し,投資および輸出中心の拡大に移行するために,5月21日,公共支出の削減措置(73年度1億ポンド,74年度5億ポンド)が発表された。この削減計画によって,74年度の公共支出は,72年12月の支出推計に対して約1.8%減,GNPに対する政府部門の需要誘発効果を年率5.3%から4%台に低下させると推定された。
金融政策は,73年初から夏ごろまでは,やや緩和ぎみに運営され,最低貸出し金利も年初の9%から6月末には7.5%まで低下した。この間,海外金利は,急テンポで上昇し,内外金利差が縮少したため,短資流出を招き,6月央以降ポンドの低下傾向が強まり,とくに,7月末の大幅な低下を契機に,金.融政策は再び引締め基調に転じた。
まず,イングランド銀行は,7月19日,72年秋来3度目の特別預金制度の発動を発表し,預入率は1%引上げられて,累計4%とさ,れた。同時に,割引商社の公社債保有義務も撤廃された。これらの措置を反映して,最低貸出し金利は,7月20日,一挙に1.5%高の9%へ,一週間後にはさらに2.5%上昇して11.5%という史上最高に達した。
最低貸出し金利は,その後,季節的要因もあって,小幅の低落を示したが(11.25%,10月19日),11月央,イングランド銀行は最低貸出し金利の13%.への引上げ,特別預金制度の預入率引上げ(4%から6%へ)などの一連の緊急金融引締め措置を発表した(11月13日)。
この措置は,10月の貿易収支赤字幅の急拡大によるポンド相場の急落を回避することを直接の契機としていたが,間接的には,国家非常事態の宜言を招いた中東戦争による石油需給の逼迫,炭坑,発電所などの労働争議による石炭,電力供給不安というエネルギー危機を背景としたものである。
今回の最低貸出し金利の引上げは,大蔵省証券の入札レートに自動的に調整されたものでなく,イングランド銀行のイニシアティブにょって決定された点で従来のそれと異なっている.。昨秋来の特別預金制度による市中銀行流動性の吸収は,全体で15~20億ポンドに達し(通貨供給量M3の約6.5%),最低貸出し金利の記録的高水準とともに,かなりの引締め効果をもっものとみられる。
73年下期に入って,バーバー蔵相は,これまでの急成長段階から,生産能力に見合った需要増の正常成長に移行すべき段階にあるとして,成長目標を予算発表時の実質5%から3.5%増に引下げた。
10月央のエネルギー危機発生後も,蔵相は石油などの供給条件が許す限りの最大の成長を達成すべきであるとして,これまでの政策を変更しないことを表明していたが,年末にかけて,エネルギー情勢がさらに悪化するにおよんで,一連の総需要抑制政策を導入した。
12月17日発表された総需要抑制政策は,財政面では,①公共支出の削減(74年度の公共事業費を中心として総額12億ポンド),②付加税の増徴(10%追加)③土地,建物の開発.利得に対する課税(74年度増税額は約8,000万ポンド)金融面では,①割賦販売条件規制の復活,②新特別準備預金制度の創設などを主要内容としている。
これらの措置は,今後,生産が期待された水準以下にとどまり,生産が需要を下回るとみて,国民生活への波及を極力避ける方向で需要抑制をはかったものである。
石油供給削減や労働争議解決の見通し難が加わって,景気の先行きについては例年以上に判断が難しくなっている。
政府は,年末の総需要抑制政策の発表に際して,74年の生産はこれまで期待された水準をかなり下回ることを認め,成長率についても,石油供給の削減率が前年比15%を越すと,3.5%の正常成長率の達成はできなくなるとしている。また,国際収支についても,これまでの大幅赤字傾向が,石油危機によってさらに悪化するとみている。
政府は,事態の進展に応じて弾力的に適応していくことを表明しているが,今回の危機が一部労組のストにより招来されたことを指摘して,とくに,その責任ある行動を要請している。
NEDC(全国経済発展審議会。政府,労使代表から構成)も,エネルギ一危機発生後,政府の成長目標は達成不可能であるとしている。
OECDは,高金利の持続,通貨供給増の鈍化,所得政策第3段階の成功,ポンド相場の急落なしという前提の下に,プ4年のGDPの伸びを3.5%(上期3.25%,下期4.25%)と予測している。ポンドの実質切下げによる輸出促進,どれまで出遅れていた製造業固定投資を中心とする非住宅投資の回復,在庫率の回復などによるものである。物価は,食料価格の鈍化が緩慢であること,これまでの輸入価格の急騰が今後,消費者物価にはねかえるとみられること,石油価格の上昇などから,74年央頃までは急騰を続けるとしている(GNPデフレーターの上昇率6.75%)。経常収支の赤字幅は,石油価格の上昇もあって,74年上期にはさらに拡大するが,74年末までは改善に向い,74年には約25億SDRの赤字(73年赤字幅は約23億SDR)を計上するとみている。
NIESR(全国経済社会研究所)の見通しは,石油,電力の供給削減以前のもので,74年のGDP成長率を4.2%増,経常収支赤字幅を約21億ポンド(前回の8月には3.5億ポンドと予測),消費者物価11%高,賃金所得の上昇16%としている。とくに,所得政策の第3段階の先行きについては悲観的であり,直接税の引上げと間接税の引下げを併用する必要があるとしていた。
今後の石油情勢の展開にもよるが,世界経済が74年には全般的に後退に向うことがすでに予測されており,イギリス経済も適正な成長過程への復帰はそれだけ遅れそうである。
西ドイツ経済は,71年2.7%,72年3.0%と,2年つづけて低成長におわったあと,72年秋頃から73年春にかけて急速な成長局面にはいった。72年第3四半期の実質成長率(前期比)がわずか0.5%であったのに対して,第4四半期の成長率は2.0%となり,さらに73年第1四半期の成長率は実に6%という1四半期としては最高のスピードとなった。これには,異例の好天候による建築活動の活発化という特殊要因もあったが,基調的に景気上昇テンポが早まったせいである。
だが,こうした急速な景気上昇はインフレ圧力をつよめ,食肉,じゃがいも,野菜などの供給不足による価格上昇と相まって物価上昇率を加速化させ,消費者物価の上昇率は4月に前年同月比で7%台を突破した。
そこで連銀ならびに政府は,既に72年秋から引締め気味に運営していた政策基調をさらに一段ときびしくし,5月には各種増税と政府支出削減など一連の財政措置をとり,また6月からは公定歩合を7%へ引上げると同時に,債券担保貸付を停止するなど,財政と金融の両面からきびしい引締め強化措置をとった。そのほかマルク切上(3月と6月),共同フロートなどの措置もとられたそのため,春以降,経済活動は高原横ばいとなり,失業者もわずかながら増加しはじめた。建設業を中心に企業倒産がふえ,また衣料・織維産業も不振に陥ったが,中東戦争を契機とした石油危機の発生が,景気情勢を一層悪化させた。こうしたしのびよる景気後退に直面した政府は,物価の上昇鈍化が十分に定着しないままに,11月下旬から12月にかけて引締め政策の一部手直しをしはじめたのである。
工業生産(建築を除く)の動きをみると,72年第4四半期に前期比3.6%と大幅に増加したあと,73年第1四半期にも前期比4.1%増加したが,第2四半期以降は全く横ばいとなった(第4-1表)。部門別では,基礎財の生産がやや強含み,資本財生産が弱含みであるのに対して,消費財の生産は期をおって減少している。
製造業新規受注の動きもほぼ同様で,72年第4四半期に前期比10.9%と急増したあと,73年第1四半期にも8.2%増だったが,第2四半期には横ばいとなり,さらに第3四半期には4.5%減となった。
こうした新規受注の減少傾向はもっぱら国内受注の減少によるもので,国内受注は73年第1四半期に前期比10.3%増のあと,第2四半期2.3%減,第3四半期8.0%減となったが,とくに資本財と消費財の国内受注の減少幅は大きく,第1四半期から第3四半期までに前者13.4%,後者11.3%減となった。これに対して輸出向け受注が一貫して増加傾向をつづけたことは,後述のとおりである。
以上のような工業生産の動きを反映して,製造業の稼動率(IFO研究所調査)も,72年第4四半期から73年第2四半期まで上昇したあと第3四半期から再び低下しはじめた。第4四半期(正確には10月)の水準86%は,前年同期のそれ(86.3%)とほとんど変らない。この水準は,過去10年間の平均(86.4%)とほぼ同じである(なお稼動率のグラフについては,白書本文第1章第1節参照)。
また製造業の受注残(IFO研究所調査)も,73年第1四半期,第2四半期に増加したあと,第3四半期以降に再び減少に転じた(第4-1図)。
この72年秋から73年春にかけての急速な景気上昇において主導的役割を果したのみならず,その後も景気の主柱となったものは,輸出の急増である。第4四半期の輸出は前期比10%もの大幅増となり,73年にはいっても増勢鈍化ながらも増えつづけ1-10月の輸出は前年同期比21%増となった(72年は9.6%増)。数量でみても1-9月間に19.8%増(72年は8.6%増)となった。
これは通関実績であるが,製造業の輸出受注の増加はもっと著しい。すなわち製造業の新規輸出受注は,72年1-9月間は前年同期比3.9%増であったのが,10-12月に前年同期比35.8%増と急増したあと,73年1-9月間も前年同期比39.6%増となった。
マルクが73年3月に共同フロートヘ移行し,それを契機として3%切上げ,さらに6月末にも5.5%切上げられ,マルクの対世界実質切上げ幅(72年末の基準レート比)が73年6月末には22%に達したにもかかわらず,西ドイツの輸出が好調な伸びを続けていたのは,(1)世界的好況(2)マルクの再切上げを見越した西ドイツ製品の買い急ぎ,(3)他の欧米諸国にくらべて西ドイツ工業の供給能力に余裕があり,とくに輸出の主力である機械工業では納期の早さがものをいった,などの諸要因が指摘されている。
輸出の好調に伴ない,輸出部門を中心に企業の投資意欲がつよまるのが,通常みられる循環的パターンであり,今回もたしかにそれがみられたものの,強力な抑制措置のため,投資意欲は大きぐ盛上ることなく挫折した。
その様相を資本財国内受注の動きでみると,72年1-9月間は前年同期比わずか3.0%増(実質では-0%減)にすぎなかったのが,10-12月には前年同期比15.3%増と膨張し(実質では12.6%),さらに73年上期には23.9%増(実質19.9%増)となった(第4-2表)。
しかし7月以降になると,新規受注の増勢が鈍化し,7-9月平均では前年同期比わずか5.8%増にすぎなくなり,物価上昇を控除した実質ではおそらく前年同期と同じ程度とみられる。
またIFO研究所の工業投資調査(アンケ一ト調査)をみても,73年の工投資は72年10月末発表では名目6%,実質3%増の予想(72年は名目5%減,実質7%減)であったのが,6月の調査では名目8%増と上向きに改訂され,さらに9月はじめ発表の調査では73年8%増,74年15%増と設備投資が盛上る形となったが,10月末発表では73年名目4%(実質ゼロ),74年名目9%(実質5%)と逆に下向きに改訂されたのである。
このように,せっかく盛上りかけた設備投資意欲が腰折れとなったのは,5月に発表された一連の財政上の投資抑制措置と金融引締め,マルク切上げなどで企業の景気見通しが急速に弱気となったせいである。この点は,景気の現状と向う6カ月間の見通しに関する企業の判断を指数化したIFO研究所の景気動向指標がマルク切上げの行われた3月以降急速に低下し,7月からは下方過冷地帯に突入したことからもうかがわれる(第4-2図参照)。
建設活動は,年初は異例の好天候で活発化し,第1四半期に一前年同期を5.5%上回るほどで,あったが,その後はその反動もあり,さらに2月以降とりわけ往宅建築と公共建設の抑制措置がとられたことと金融引締めにより低下し,4~9月間の建築活動は前年同期比0.5%増にすぎなかった。
とくに住宅建築は,許可面積でみると71年17.5%,72年9.6%と大幅に増加していたのが,73年にはいって減少に転じ,1-8月間に2.6%減少した。
1こうした住宅建築不振は,70-71年の住宅ブーム期に手をひろげすぎた一部の住宅建築業者の倒産をまねき,73年上期の建設業の倒産数は前年同期比34.3%増となった。
個人消費は70-71年の停滞期に景気を下支えする役割を果したが,73年にはいってからは次第にその活力を失ってきた。
いま小売売上高の動きでみると,72年8.5%増のあと,73年上期はまだ前年同期比10.4%だったが,7-9月間には前年同期比3.9%増にすぎなくなり,物価上昇を控除した実質額では2-3%減となった。とくに衣料・靴などの売行きは,名目額でも前年同期を3.6%下回った。自動車の新車登録台数も1-6月の前年同期比3.1%増から,7-9月には8.1%,減となった。
こうした消費者の購買意欲の低下は,金融引締めによる消費者信用の不振も一因であるが,物価高で実質購買力の伸びが鈍ったのと,景気見通しが悪化したためである。この点は,経済社会経済研究所作成の消費者動向調査(第4-3図)からもよみとれる。
消費者物価,工業製品生産者価格とも,73年はじめから年央頃まで騰勢を高めたあと,夏場に一時的に横ばいないし騰勢鈍化をみせたものの,10月から石油価格の上昇を反映して再び上昇テンポが加速化した。
まず消費者物価は年初に前年同月比6.3%高だったのが6月までに7.6%高となった。7-9月間は食糧価格の低落を反映して著しく騰勢を鈍化させ,前年同月比上昇率も7月以降低下して,9月までに6.2%高まで鈍化した。
だが10月になると再び騰勢が高まり,前月比0.8%高,前年同月比6.6%高となった。ただしこの10月の消費者物価上昇は,もっぱら石油価格の上昇によるもので,石油を除けば前年同月比5.9%高にとどまったはずである。
工業品生産者価格も,年初の前年同月比4.8%高から8月の7.4%高まで上昇したあと,9月には前月比0.2%,前年同月比6.9%高と一時的に増勢が鈍化したが,10月になると前月比0.6%,前年同月比7.2%高となった。
いま消費者物価の動きを主要費目別に分析すると(第4-3表),72年央までは主としてサービス価格や家賃の上昇が消費者物価の上昇をリードしていたが,72年下期には食料品価格の大幅上昇がリードするようになり,さらに73年上期になると食料品価格の上昇が加速化すると同時に,工業製品やサービス価格も加速化しはじめたことが判る。
雇用者数は71年第3四半期から72年第2四半期まで減少したあと,第3四半期からふえはじめたが,その増加はわずかで72年平均の雇用者数は前年を0.3%下回ったし,73年第2四半期の雇用者数も前年同期比0.7%増にすぎなかった。
こうした情勢を反映して,失業者数は72年平均で前年より増加し,失業率も71年の0.9%から72年の1.1%へ高まった。73年第1四半期には異例の好天候による建築活動の盛行で失業率(季調ずみ)が1.0%へ低下したが,その後は第2四半期1.2%,第3四半期1.3%と上昇しつづけ,10月1.5%,11月1.6%となった(66年末に景気後退のはじまりで緩和政策に転じた12月の失業率は1.3%)。
未充足求人数も第1四半期の60.5万人をピークに減少に転じ,10月には52.3万人となった。
その結果,失業数に対する未充足求人数の倍率も70年平均5.3,71年3.5,72年2.2から73年10月には,1.6となった(66年第4四半期も1.6であった)。
雇用情勢でいま一つ注目されるのは,秋以降における操短労働者の激増である。操短労働者数は9月から激増し,8月の1.1万人から9月の3.6万人(72年9月は1.4万人)となったあと,10月6.8万人,11月10.5万人と飛躍的に増加した。主として景況不振の衣料,繊維産業が中心である。66-67年不況の直前にも操短労働者が増加したが,今回は増え方が大きい(第4-4表)。
なお雇用問題に関連して外国人労働者について述べると,外国人労働者数は,70-71年の景気停滞期と72年以降の上昇期を通じて増えつづけ,73年9月現在で約260万人となった(雇用者数の約11.6%)。当初は経済成長を促進するとして歓迎していた西ドイツ政府も,各種社会問題の発生,社会施設充実のための負担増などから,次第に抑制の方向へ変り,73年6月6日の閣議で(1)密集地域での外国人労働者の入国許可は社会資本の受入れ能力に応じて行う,(2)連邦労働省の外国人労働者紹介料を現行300マルクから1,000マルクヘ引き上げ(9月1日から)(3)場合によっては,特別賦課金を徴収するなどの方針を決めた。その後年末に失業増加の傾向がみえはじめたため,11月22日こEC以外の外国人労働者の新規雇入を一時中止することを決定した。
73年の初めの賃金情勢は比較的穏かだったが,インフレの加速化で春頃から賃金戦線も次第に緊張しはじめ,年末にかけてかなりきびしい情勢が現出した。
73年1月はじめに妥結した金属労組の賃上げ率は8.5%で,政府の73年度経済報告書に示された目標値9-10%の範囲内にあったが,その後インフレの高進で労組の不満が高まり,賃上げ妥結額も4月頃には10%余のものがふえはじめた。そうしたことから既に妥結した金属労組の不満が爆発,8月に山猫ストが瀕発し,結局経営者側がインフレ手当を出すことでおさまった。
秋から暮にかけての賃金斗争は,ルール地方鉄鋼業がトップ・バッターとなり,15%アップの要求をかかげたが,結局11月末に11%賃上げ,協約期間10カ月で妥結した。そのあと,金属労組と公務員組合の賃上げ交渉の行方が注目されているが,いずれも15%の賃上げを要求している。
以上のように,72年下期から73年春にかけて,賃上げ率が比較的穏かであった半面,生産性は大幅に上昇したので賃金コストは72年秋から73年春にかけてほとんど横ばいとなった。しかし73年春以降は生産性の停滞に対して賃上げ率が逆に高まったため,再び賃金コストの増大傾向がみられた(第4-6表)。
西ドイツの国際収支は,経常収支が72年秋から再び黒字化の傾向をつよめると同時に,通貨投機による短資の大量流入で総合収支が73年2,3月と異常に大幅な黒字をみせた。その後3月中旬以降の共同フロート移行により,総合収支の黒字幅は著しく縮小したが,経常収支の黒字幅はむしろ拡大している。
まず総合収支の動きをみると,73年1-3月間は198.7億マルクという大黒字を出したが,これはこの時期に技機的短資が189億マルクも流入したせいであった。
4月以降は共同フロート移行により短資の流入も小幅となり,その結果,4-9月の総合収支黒字幅は110億マルクにとどまった。これは共同フロートの効果とみることができる。
その半面で貿易収支と経常収支の黒字幅が拡大したが,その詳細については,白書本文第4章第2節を参照されたい。
(1) 引締め政策
インフレ圧力の強まりに対して,政府とブンデスバンクは73年秋から金融引締めの方向に転じ,73年春以降は金融と財政の両面から戦後最もきびしい引締め政策を実施した(その詳細は白書本文第2章第4節参照)。
(2) 引締め緩和へ転換
しかし前記のように,一般的な景気停滞,失業の漸次的増大,とりわけ建設業と衣料,繊維などの消費財部門の不況色濃化に直面して,政府はようやく10月央頃から引締め政策の一部手直しを示唆するようになり,11月22日にはブンデスバンクが6月以来停止されていた債券担保貸付を再開,また政府も(1)社会住宅(5万戸)の建設を促進する(低利融資)(2)衣料,繊維産業の困難の緩和のために,アジア諸国からの輸入割当の増額(5月の第2次安定計画で決定)を年内一杯で中止,また共産圏からの輸入割当を増額しない(3)連邦,州共管の公共事業の棚上げ分を解除するなどの方針を決定,さらに12月にはいってエネルギー危機との関係でエネルギー関係投資については投資税を免除することを決定したあと,19日に(1)投資税を73年11月末に遡って廃止(投資税は73年5月9日から発効,有効期間75年4月末まで,ただし随時政令により廃止できるはずであった)(2)機械設備の定率償却制の復活(3)住宅建築の割増償却の復活(73年5月8日から74年5月1日まで一時停止されていた)など追加的な緩和措置をとった。
西ドイツはエネルギー消費の約58%を石油に頼り,その石油消費のうち74%をアラブ諸国に頼っている。したがってエネルギー消費全体のアラブ依存度は約43%となり,イギリス(31%)よりは高いが,フランス(54%)やイタリア(67%)よりは低い。
今回の石油危機に際して政府は,12月はじめ頃から石油供給が約15%減少するとの予想の下に,とりあえず石油の消費規制にのり出し,11月10日にエネルギー保全法を議会通過させてエネルギーの生産,輸送,貯蔵,使用,最高価格について政令で規制できる緊急権限を入手したあと,11月25日から12月16日にいたる4回の日曜についてドライブ禁止とスピード制限を実施し,また石油製品の輸出(年間約7.5百万トン)を許可制とした。
政府の方針は産業用石油の供給を極力確保して,民生用の消費を削る方針である。
また西ドイツはルール炭坑をつぎつぎと閉鎖してきたとはいえ,まだ一億トン近くの石炭生産があり,発電所と鉄鋼業に対しては政府助成の下に国産炭を使用させるようにしてきた。だから例えば西ドイツの発電所の石油依存度はわずか20%にすぎない(日本は90%)。今回の石油危機においては,混焼型発電所の石炭使用の増加,鉄鋼業における石油から石炭への切換え,その他暖房用石油の石炭による代用などで,合計12百万トンの石油を石炭で代替できるとみられている。これに対して山元貯炭は約18百万トンあるので,石炭による代替は短期的にも可能とみられている。
それにしても,石油危機が今後の経済動向に大きな影響を与えることは疑いなく,自動車,化学などの一部企業は既に操短をしはじめた。74年の経済見通しについては,政府は9月の74年度予算案編成時に実質4%成長と予想していたが,その後五大経済研究所(3%),経済専門家委員会(2.5%)など2-3%の成長予測が一般的となった。政府は11月22日,経済専門家委員会年次報告書に対する意見書のなかで,(1)石油危機か短期におわる(2)賃上げ率が11%以内にとどまる,という仮定の下で,14年の実質成長率2-3%(73年5.5%),失業率1.5%(73年1.3%),消費者物価上昇率6%(73年7%),経常海外余剰,GNPの2%(73年2.5%)という予測を発表,それと同時にもし石油危機が長びくなら成長率がもっと低下するか,またはゼロ成長もありうるとしていた。その後政府要人は機会あるごとにむしろゼロ成長の可能性の方を強調する場合が多かったが,12月17日発表の経済専門家委員会特別報告は74年の実質成長率1%と,やや強気の見方をしている。いずれの見方が正しいかは,石油危機の長さにもよるが,石油危機がおそくとも74年春までにおわる公算が大きいこと,政府が既に緩和政策を打出していることなどからみて,少くとも66-67年型の不況(67年の実質成長率マイナス0.2%)は,回避できるのではないかと思われる。
比較的順調な景気上昇を遂げてきたフランス経済は,1972年後半以降の世界的好況に伴って拡大をみせ,72年の実質国内総生産(GDP)成長率は5.6%増を達成,73年も政府見通しでは6,.6%増を見込むほどである。
国内面では輸出需要のほか個人消費が堅調に推移するとともに,出遅れが心配されていた民間設備投資も,景気拡大に伴い設備不足が指摘されたことから投資意欲が高まり,回復してきている。
労働市場をみると72年秋に一時増大した求職者は好況を映じて漸減を示したが,その後女性労働者の市場参加などもあり73年春以降は増加傾向をみせている。一方求人数は熟練労働者不足からほぼ一貫して増加傾向にある。
国際収支面でも,好調な輸出を背景に貿易収支は黒字を示した。一方資本収支面では年初の通貨危機に際し一時流入した短資は,9月のフランへのアタックで流出し,総合収支の黒字幅は縮小したとみられる。
こうしてフランス経済は国内面,国際収支面でほぼ順調に推移しているが懸念材料は物価の動きである。従来の直接規制に加えるに72年秋以降数度にわたる総需要抑制のための財政金融政策発動にもかかわらず,物価の騰勢は顕著で,最近では年率換算すると10%にも達する上昇を示している。
また73年10月に勃発した中東戦争に端を発する石油危機はアラブ友好国として比較的有利な位置にあるフランスにとっても,輸出減少,成長鈍化,失業増大などを招くと憂慮されており重大な問題となりつつある。
74年予算は歳出規模で前年比12.4%増となり中立予算とはいうものの大型で,既往の経済成長路線を踏襲しているものとみられる。
最後に政治面では73年3月に実施された国民議会(下院)総選挙で,これまで圧倒的多数を誇っていた与党の共和国民主連合(ドゴール派)は左派勢力の巻き返しから,その他与党をあわせ辛くも過半数を守ったものの勢力は急減した。選挙後の勢力分野は第5-1表の通りである。
(1) 需要動向
1972年に実質GDP成長率5.6%を達成したフランス経済は,73年も6.6%(政府見通し)というかなりの成長を見込んでいる(第5-2表)。こうした成長ば72年後半以降の世界的景気の同時的好況化に伴い輸出が増進したこと,個人消費が堅調であること,設備投資が回復しはじめ,在庫投資も在庫払底から積増しの動きがみられること,などによるといえる。
1) 輸出は好調
72年下期に前年同期比(季節調整済み)で13.6%増を示した輸出は,73年に入っても先進国経済,特にフランスの第1の貿易相手国である西ドイツの好況やECへのイギリスの加盟でイギリス向け輸出が増加したこと(第5-3表),などから上期の増加率は19.8%(前年同期比,季節調整済み)となった。
これを品目別にみるとおしなべて増加しているが特に農産物を中心とした食料・飲料が増加し,また完成品も自動車などを軸とした消費財に伸びがみられた。そのほかセメント,ガラスなど建設資材,プラスチックなど化学製品,といった原材料・半製品の増加も顕著である(第5-4表)。
こうした増加傾向は73年後半に入っても続き第III四半期では27.5%(季節調整済み)の大幅増加となっている。
しかし73年3月以降の世界総フロートのなかにあってフランス・フランの実効為替レートが若千ながらフロートアップ(OECD試算によると3月19日~21日基準で8月時点では0.5%の切上げ)となったことから,フランスは相対的切下げ国のイタリア,イギリスなどと第3国市場で競合状況に陥っているといわれる。その後,最近のドルの高騰でフランの実効為替レートはわずかながらフロードダウン(12月時点で1.5%の切下げ)に転じたがポンド(同7%切下げ),リラ(同7.25%切下げ)は一層のフロートダウンとなっているため輸出への影響は無視できない。こうしたレート変化による減少とともに最大の貿易相手国である西ドイツで,インフレ抑制のための金融引締め強化により景気鈍化がみられはじめ輸出に影響が及ぶことも指摘されている。
世界全体の景気がスローダウンするとみられる74年においてはのちに述べるような石油危機の影響も加わるため,急拡大を続ける経済を支えてきた輸出の今後の動きは予断を許さない。
2) 堅調な個人消費
個人消費は賃金上昇も相まって堅調に推移し輸出とともに景気を支えている。72年第III四半期に6.3%(前年同期比)と急増した個人消費は,第IV四半期に一服(4.8%)したのち73年第I四半期には5.0%,第II四半期も6.3%増を記録している。
こうした増加の大きな要因は賃金上昇による大幅な所得の増加である。次いでインフレ傾向が強まるなかでインフレ被害からの自衛手段として消費者の買急ぎも指摘できる。ちなみに73年7月実施の一連のインフレ対策では,個人貸付を7月3日時点で残高凍結したり,消費者信用残高を規制しセカンドハウスや自動車などへの換物行動を抑えようとしている。
しかし一方で貯蓄意欲も衰えていない。すなわち,71年の16~17%増には及ばないものの72年後半から73年にかけFは,流動性吸収のための預金金科引上げ,非課税貯蓄限度引上げなど貯蓄奨励措置がとられたこともあって,預金残高は15~16%増を記録している(第5-5表)。
3)回復してきた設備投資
72年前半を底として徐々に回復の兆しをみせていた設備投資は73年3月の総選挙で,金融機関や重要な生産部門の国有化をスローガンとする野党の壮会党,共産党による左翼連合有利,との世論から投資意欲は冷却された。しかし結局は与党が勝利を握ったことで経営者も事態を好感し,設備投資は回復へ向かった。
その後,景気が拡大を示すなかで強い需要の高まりから設備不足による生産能力不足を訴える経営者が続出し,稼動状況を示す設備能力不足感は過去最高の69年当時にほぼ匹敵するほどである(第5-6表)。特に鉄鋼,化学など生産財産業での不足感は強く,これ以上の増産は不可能といえるフル稼動状況にあるものも少なくない。
こうした状況から73年の設備投資は,名目で13%,実質でも7%増程度と71年(実質7.1%),72年(同7.2%)に匹敵する水準が見込まれている。
そのほか在庫投資も,最終生産物の在庫縮小から在庫が払底しているため,積増しの動きがみられるなど投資意欲は旺盛といえる。ちなみに在庫と受注の動きをアンケート調査でみると,72年後半以降逆の動きを示し在庫の取り崩しが目立っている(第5-1図)。
以上より住宅投資などを含めた73年の粗固定資本形成は72年の6.8%増を大幅に上回り8.2%増が見込まれている。
(2)生産
1)好調な鉱工業生産
鉱工業生産は前年同期比で,72年第IV四半期に7.5%増を記録したのに続き,73年に入ると第I四半期で10%台(10.2%)を越え,前期比でも4.3%増と大幅な伸びをみせた。その後も4月のルノー,6月の金属工業のストライキなどで第II四半期は前期比で横這いとなったものの第III四半期は再び増勢を示した(第5-7表)。
これを部門別にみると,鉄鋼非鉄金属,自動車,化学ゴムなどの伸びが目立っている。鉄鋼,自動車,化学などは輸出の増進に大きく依存して生産を伸ばしているとみられる(第5-2図)。
また財別にみると各々上昇テンポは速いが,いままで出遅れ気味だった中間財が,消費財需要の高まりから受注が多く,しかも在庫が低水準のため,大きく伸びている(第5-3図)。
しかし最近では高まる需要を賄うだけの設備,熟練労働力,原材料供給などが不足し生産面で遅れがでている点が指摘されている。
更に西ドイツの景気後退がフランスの輸出へ響いた場合,生産への影響は避けられないとみられるほか,今般の石油危機は,石油供給削減及び原油価格引上げから生産面へ大きな打撃となるといえる。
2)労働需給の動き
求職者数は72年秋から増加傾向にあうたが,景気拡大を反映して9月をピークとし73年こかけては漸減へと転じた。しかし2月を底に再び増加しはじめ,遂に7月には40万人台を記録するに至った。
一方,求人数ば熟練労働者不足を映じて増加傾向にある(第5-4図)。
求職者数の増加については,例年バカンスの影響や新規学卒者の労働市場への参加,といった季節的要因も指摘できるが,構造的にみると女性労働者が市場へ参入しはじめた点が注目される。物価高騰を反映して賃金水準が上昇しているため女性労働者も就業機会を求めているわけだが,たとえばOECDによると70年から75年にかけて労働供給増加要因のうち,女性については労働市場への参加率の変化が自然人口増を上回って大きく寄与するとしている(第5-8表)。
このほかの要因として74年の景気の行方を危惧する経営者が採用を見合わせている点も見逃せない。
なお,石油危機による経済の停滞は失業を大幅に増大させるものと懸念され社会不安を呼ぶおそれすら考えられる。
(3)物価と賃金
1)物価
72年後半から物価の騰勢は加速化した。しかし73年第I四半期には,付加価値税引下げ,長期国債による流動性吸収策など一連の財政金融政策の効果もあり騰勢は一時おさまった。
しかし第II四半期に入ると再び高騰に転じ,最近(10月)では消費者物価は前年同月比で8,1%高と急速な上昇となった。
この間,隣国西ドイツは,強度の金融引締め策をとった結果,上昇テンポ因(1970~1975年)に鈍化がみられたため,前年同月比上昇率では両者は逆転している。こうして73年4月より実施中の「年間価格管理計画」の目標一上昇率を他のヨーロッパ諸国より1%方低位に抑える‐は達成されていない(第5-5図)。
第5-5図 フランス,西ドイツ消費者物価の対前年(同月)比上昇率推移
こうした急テンポの上昇を部門別にみると(第5-6図,第5-9表),食料品価格の急騰が目立つ。EC価格支持制度の影響もあって上げ足を速めていた食料品価格は,72年後半以降の一次産品価格上昇もあって,急角度の伸びをみせ,6月からは前年比で10%台の上昇テンポとなった。
また家賃,電話料金などの値上りからサービス価格も上昇に転じ7月からは8%(前年比)を越える伸びとなっている。
一方,工業品価格は直接規制の影響もあって比較的落ち着いた動きをみせているが,趨勢的には上昇傾向にある。
こうした物価上昇の原因としては輪入原材料価格高騰(第5-7図)のほか,最近は物価対策もあって伸びが鈍化しているもののマネサプライの増加(第5-8図)に伴う銀行貸出の急増(第5-9図),次にのべる賃金の上昇,などがあげられよう。
第5-7図 フランスの工業原材料卸売物価と輸入工業原材料卸売物価の推移
政府は,物価対策として数度にわたり手を打ってきている(詳細は本文参照)。ただし賃金の直接規制についてはフランスでは所得格差が大きいこと(第5-10図)もあって,社会不安を招ぐとの危惧から,政府も慎重な態度をとっている。
2) 賃金
物価上昇にスライドし法定最低賃金が72年11月から5度にわたって引上げられたのを典型として,賃金は,製造業時間当り賃金でみると72年後半以降,前年比増加率で11%から13%台を記録するなど,大幅な上昇をみた(第5-10表,第5-11表)。
こうした名目賃金の動きと同時に実質賃金の動きを購買力らみると,72年は物価上昇のテンポが速かったこともあり購買力は低下気味であったが73年には若干回復している(第5-12表)。
なおこうした賃金上昇は生産性の上昇を上回っているため企業としては,賃金コスト上昇分を価格へ転嫁するケースもありコストプッシュから物価を押し上げている面も指摘できる(第5-13表)。
第5-13表 フランス製造業の生産性・賃金・賃金コストの推移
(4) 国際収支は改善
73年2,3月の通貨危機に際しては,71年8月に導入した二重市場制が十分機能せず大量の投機的短資が流入したため,政府は3月,EC協調維持の意味もあって共同フロート移行を決定した。
しかしフランスにおいては強い為替管理の影響もあって従来から国際収支の調整という制約がなく,また最近では好調な輸出を反映して貿易収支が黒字を続け,資本収支も短資流入で黒字となったため総合収支は72年第IV四半期の約8億フランの赤字から73年第I,II四半期は各々3億フラン,20億フランの黒字へと改善した(第5-14表)。特に第II四半期の黒字幅は72年年間のそれを上回るものであった。こうした改善から政府は8月,対外支払,輸出取引などにつき為替管理を緩和した。
しかし9月のオランダ・ギルダー切上げに際してのフラン売り投機で短資はかなり流出したため,現在黒字幅は縮小しているとみられる。
なお共同フロート参加通貨のうちでは比較的弱い通貨とされるフランにとり,EC縮小変動幅の上昇時にはフロートアップによる輸出への悪影響,下降時にはフラン買支えによる外貨準備流出の危険があり共同フロートはフランスにとって問題を含んでいるといえる。
政府は73年9月19日の閣議で74年予算案を決定した。その概要は以下の通りである(第5-15表)。
① 5年連続の均衡予算であるが74年経済の先行き見通し難から歳出規模は前年比で12.4%増と大型である,
② 世界経済の沈滞に対し弾力的な財政政策を展開するため景気調整基金として16億フランの凍結措置を実施する,
③ 公共投資を前年比18%増とし,特に道路,通信に重点を置く,
④ 老人対策として老齢年金を1月と10月に引上げる,
⑤ 公務員の増員を行う,
⑥ 社会正義実現の見地から一連の税制改正を実施する。内容としては,相続税免除条項つきのピネー国債の借換え償還,源泉徴収制の導入(78年1月目標),低所得者層・老人層の課税最低限引上げ,
などである。なおそのほか名目所得上昇に伴い課税所得の区分幅の拡大,間接税としてのアルコール税及び広告税の引上げも実施される。
以上から,74年予算案は経済成長という政策目標には沿っているといえよう。しかし,もう1つの目標である物価・賃金の安定という観点からみると,均衡予算原則が貫かれているとはいうものの歳出の大幅な伸びからみて,財政面からの物価抑制効果は期待しにくいとみられる。,したがって物価高騰に対処する方策として政府は,既往の価格直接規制に加え,今後とも金融面からの総需要抑制政策を継続していく考えである。
景気見通しについては当初,実質GDP成長率5.5%(名目では12.6%)増を見込んでいたが(第5-2表),石油危機のため二その改訂に迫られている。石油危機の影響については節を改めてみよう。
アラブ産油国からの石油供給制限については,フランスはアラブ友好国として遇せられているためアメリカ,オランダ,その他ヨーロッパ諸国に比し影響は比較的軽微とされる。削減規模も12月の輸入が予測の5%減,1月は8~10%減程度とされ1月以降も73年1~9月並みの実績は確保できるとみられる。またフランスは以前から「戦略ストック(軍,警察,輸送用の優先割当分)」として,3カ月分の備蓄がある。以上より政府はエネルギー政策上は長期的にも短期的にも問題はない,としている。したがって対策も電力節約による消費規制程度しか行っていない。
しかし,原油価格引上げを含めてこうした事態は,第一次エネルギーの7割近くを石油に依存し,しかも年々20%近くの増加を示している石油輸入量の約7割を中東,イランに仰いでいる(第5-16表)フランスにとって全く問題がないとはいえまい。
特に今回の景気上昇を支えてきたともいえる輸出についてみると,のちにのべるように西ドイツをはじめとする貿易相手国の景気後退から輸出は減少へ向かうとみられる。こうした減少は企業の投資意欲を冷やし個人消費を鈍化させるとみられる(ちなみに個人消費の伸びは当初予想の5.6%を下回り2,5~3%との試算もある)。
そこで74年の経済見通しについても,現在改訂作業中といわれるが,73年1~9月の石油輸入実績が確保されたとして,実質GDP成長率は2.5~3.5%増程度と,当初見通しを2~3ポイント下回ると予測する向きもある。
1) 産業別影響
影響の度合の大きい産業は自動車と石油化学,なかでも合成繊維とみられる。
まず自動車産業については,既に74年の投資計画に影響がでているといわれる。金融引締めが浸透するとみられるうえに石油危機は74年の自動車生産の伸びをゼロとするおそれもあるからである。フランスの自動車産業は,生産の6割近くを輸出へ振り向けているが,74年は西ドイツ,イタリア,ベルギー,オランダなどで景気,の停滞が予想されるため輸出減は避けられないし,またガソリンなどの値上げは需要に響くと思われる。こうした事態を反映して,年末から年初にかけては工場を閉鎮する企業もあらわれた。
化学業界では原油価格引上げにより,トン当り(対72年11月比)で非公式の数字だがナフサが約30%以上,エチレンが55%~130%,ベンゼンが50%~330%増と急騰し,原料の手当てに苦慮しているといわれる。またその消費の過半を合成繊維など石油に依存している繊維業界では原料不足から減産の動きがみられる。たとえばナイロンは平均して20%の減産を余儀なくされているようである。
2) 物価に及ぼす影響
家庭用灯油,産業用重油などの値上りで物価も上昇するとみられる。INSEEの試算によると消費者物価は0.6%程度上昇するとされ,また各部門別の影響度は第5-17表の通りである(10月の原油価格引上げ後)。
3) 国際収支に及ぼす影響
輸出については,西欧各国の景気停滞が予想されるなかで,特に西ドイツの景気後退がフランスにとっては大きく影響するとみられ,74年の伸びは当初予想の12%を大きく下回り約4~5%程度とみられる。一方,輸入は原油価格引上げで大幅に増大するとみられるため74年の輸出入収支はゼロないしマイナスになるとの見方もある。
以上より,74年は,金融引締め措置が浸透するなかで石油危,機も加わり,景気は後退色を強め失業増大が懸念される。更に,物価の動きも予断を許さないとみられるため政府の政策運営はいままで以上に難しい局面を迎えつつあるといえよう。
69年の「熱い秋」以来イタリア経済は停滞を続けていたが,政府の強力な景気刺激政策によって,72年後半から内需が回復,第4四半期に生産は活発化し経済は不況から脱却の兆しをみせた。73年第1四半期にはストライキのため一時生産活動は停滞したが,景気の回復基調は根強く,第2四半期以降経済は本格的な拡大軌道に乗ったものとみられる(第6-1図)。
1972年の実質経済成長率は3.2%(名目では9.3%)と71年の1.6%(名目では8.3%)を上回ったものの,政府の5%成長という当初見通しをかなり下回った。経済成長率が政府の予想を下回った理由としては,第1に72年は3年毎の労働協約改訂交渉のピークの年であった(前回は69年)ため,協約改訂交渉は長期の経済停滞を反映して比較的平穏のうちに終ったとは言え,企業の正常な経済活動を困難ならしめたこと,第2に繰り上げ国会選挙の行なわれた72年5月頃には,政局の不安定を反映して企業の先行見通しが冷却し,設備投資が停滞したこと,第3に輸出が年初来第3四半期まで伸び悩んだこと,第4に72年の農業生産は不振であったこと等を指摘できよう(第6-1表)。
しかしながら72年第3四半期には輸入の伸びが急になるなど景気が回復へ,向う最初の兆候がみられた。この頃には,国際商品価格の先高予想が強まり,企業は在庫増加を急いだ。一方国内的には,年後半の労働協約改訂交渉に伴って予想されるストライキに対処するため在庫積増が図られた。さらに資本財購入に対する取引高税の免除措置(1972年5月25日実施,72年末まで有効),企業の利益が前年より好転していたことなども,企業の投資を促進した。
72年10月には,設備の稼動率は1971年末の水準に達し,それと同時に非農業雇用も増加した。景気拡大の主柱は総投資であったが,更に消費増が加わった。消費は政府の移転支出増に併せて,1973年1月1日の付加価値税の導入に備えての買急ぎがあったために増加した。さらに輸出の急増が景気の拡大を支えた。輸出の急増は海外需要が旺盛だったことの他,72年12月31日に廃止された輸出業者への取引高税の還付措置の適用を受けるために生じたとみられている。このように多分に特殊要因に支えられつつも,イタリア経済は自律的拡大へ移行したとみられる。
73年第1四半期には72年から持ち越された金属機械部門の労働協約改訂交渉に伴うストライキのため鉱工業生産は前年同期比で0.1%の減産となった(金属機械部門の生産は前年同期比15%減)が,非ストライキ部門の生産は同8~9%増を維持した。協約改訂交渉の妥結により第2四半期以降は鉱工業生産は前年同期比で平均11~12%の拡大あ続けている。個人消費は賃金の増加,雇用労働者数の増加などにより増勢を維持した。在庫投資はインフレ期待のため更に増加した。設備投資は確実に増加を続けているものとみられている。輸出も海外の需要が根強く,73年第2四半期以降増加している。
72年央以降食料品価格の急騰により消費者物価の上昇速度は加速を始めた。食料品価格の急騰は72年の農業生産が不振だったことを反映している。
72年末には73年1月1日の付加価値税制移行により物価が上昇するのではないかという不安が広がったため,消費者は買急ぎに走り,物価の騰勢を強めた。さらに景気の拡大による非農業雇用者の増加,年金の引上げ,賃金の大幅な増加などのため個人可処分所得が増え,さらに消費性向.も高まりをみせ,消費需要は増加し,物価の上昇を促進した。リラがフロートヘ移行してからは,リラの実質切下げによる影響と,国際商品価格の高騰により輸入物価は急騰をつづけ,これが国内物価の上昇を刺激した。政府は7月25日より食料品および工業製品価格,家賃などの凍結を実施し(90日間),さらに10月20日にはこれを弾力化して74年7月末まで延長することを決めた。
イタリアの景気は69年第2四半期をピークに下降を始め,71年第4四半期を底として徐々に景気上昇過程へ移行したとみられる。
前回の景気回復過程(65年第1四半期以降)と今回のそれとを比較すると,,景気回復のきっかけが前回は輸出増によりもたらされたのに対し,今回は輸出の比重が低下し,内需増によりもたらされたとみられる。今回の景気回復が内需に指導されて生じたことは,これまでの外需指導型の景気回復と著るしい対照をなしている(第6-2表)。
(1) 内需は急増
72年の国内総需要は,年間を通じて徐々に増勢を強め,年間で実質3.5%増と71年の0.5%増をかなり上回った。73年初にはストライキの影響で需要は一次停滞したが,その後急速な増加をみせ,73年には実質6.5%増が見込まれている(OECDによる)。
72年の個人消費は実質3.8%増と71年の2.8%増を若干上回った。72年央までは家計の実質可処分所得の増加は,ごく僅かであり,さらに雇用労働者数も減少を続けていたため消費は僅かな伸びにとどまった。72年下期には年金の増額(個人消費の1.5%に相当する),73年初の付加価値税導入前の買急ぎなどのため消費は急増した(名目個人可処分所得は72年に10.0%増加した)。73年に入ると雇用者所得の増加,インフレ期待から生じた消費性向の高まりなどのため消費は更に増加し年間で7%(実質)程度の伸びが見込まれている(OECDによる)。
総固定投資は71年に実質値で3.5%減少したが,72年央には減少は底を打ち,投資は増加に転じ,年間では実質0。2%減と僅かな減少にとどまった。
73年4月以降投資は増加をつづけ,年間で実質6%増が見込まれている(OECDによる)。
民間設備投資は72年上期には遊休設備の存在,労働協約改訂に伴う見通し難,政局の不安定などのため企業利益の好転にもかかわらず投資意欲が冷却し伸び悩んだ。72年下期には固定投資に対する取引高税の免除措置に刺激され投資は増加したが,上期の減少が大きく,年間では4.7%(実質)の減少となった(71年は6.6%減)。73年初にはストライキ,政情不安などのため投資意欲が再び冷却したが,4月以降の急速な需要の増加,企業利益ならびに先行見通しの好転などにより設備投資は増加した(OECDによると実質年間12.5%の投資増が予測されている)。
民間住宅投資は71年の実質11.7%減から,72年には実質12.2%増と増加に転じ,73年にも実質2.75%増(OECDによる)が見込まれるなど,力強い増加を示している。
政府固定投資は71年の実質9.5%増から,72年も実質3.0%の増加となり,景気の拡大に貢献した(公営企業,特殊法人の名目投資は72年16.9%増,政府直接投資は2.4%減であった)。73年の政府固定投資は実質0.5%増が見込まれている(OECD)。
在庫投資は一次産品の先高予想,年後半の労働協約改訂に伴うストライキ予想などにより72年後半から急増した。73年第上期には,一次産品などの投機的な買急ぎ,順調な景気拡大に伴う在庫積増などのため急増を続けた。73年後半には年初ほどの増加はないにしても在庫増が図られているとみられる。
72年の輸出は年初から徐々に増加していたが,税制上の措置などもあって年末に急増し年間で実質11.2%増(国民所得ベース)と71年の6.2%増を上回った。73年初の生産部門,税関のストライキにより輸出は急激したが,73年下期には輸出の急増がみられ,73年では年間実質6%程度の増加が見込まれる(OECDによる)。
(2) 73年に生産は急増
71年の鉱工業生産は0.1%の減産となったが,72年には僅かに回復に転じ,4.2%の増産となった。部門別にみると電気,ガスは7.9%増,鉱業2.4%増,製造業3.9%増である。
72年初から9月までは各部門の動きはまちまちであったが,9月以降全部門で生産の増加がみられた。資本財の生産は全般に低調で73年第1四半期には前期比3.1%の減,第2四半期1.1%減,第3四半期1.1%減のあと第4四半期に8.6%の増加となった。工業原材料の生産は前期比で第1,第2,第3四半期にそれぞれ0.9%増,1.0%減,3.8%減のあと第4四半期に9.8%増となった。消費財は前期比で第1,第2,第3四半期にそれぞれ2.0%増,1.0%減,1.0%減のあと第4四半期に7.1%増となった。年央には輸出が停滞し機械,化学,食品部門の生産は伸びなかった。第3四半期には労働協約改訂交渉に伴うストライキのため,化学,繊維,電力部門の生産は減少したが,その後,交渉妥結により生産は再び増加した。
秋にはほとんど全部門で生産活動は活発化した。生産の急増は輸出の急増に刺激されて生じたとみられるが,72年を通.じて内需の自律的回復が生産財,消費財ともにみられたことがより重要な増産の要因とみられる。さらに基礎資材,半製品の先高予想のため在庫投資が急増し,生産増を促進した。
73年初の金属機械労組の協約改訂に伴うストライキのため第1四半期の鉱工業生産は前期比5.4%減となったが,イタリア経済の景気拡大基調は根強く非ストライキ部門の生産は前期比で2%程度の増産を維持した。4月2日の協約交渉妥結後,生産は再び活発となり1~10月で前年同期比8.0%の増産となっている(第6-3表,第6-2図)。
(3) 雇用の改善と大幅な賃金上昇
1972年も70年に始った労働需要の傾向的な減少が続き,前年比1.7%の需要減となった。工業部門の雇用減は11万8千人に及んだが,サービス部門の雇用増(9万4千人)により,ほぼ相殺された。農業の雇用減は29万人に達した。特に工業部門での女子の失業増は全体の失業増の70%を占めた。
72年も71年に続いて雇用者1人当りの平均月間労働時間は1.9%減少した。これは週当り労働時間を40時間にする動きと,労働協約改訂交渉に伴うストライキの影響である。一方労働の時間当り生産性に年間6.9%増大したものとみられる(この値は中期的な趨勢埴とほぼ一致する)。労働の生産性の伸びの回復は72年に再び工業生産活動が活発化し始めたことを裏書している。
労働力は72年に1.2%減少した。失業は前年比14.4%増加したが,特に若年労働者の失業の増加は31.8%と大きい。失業は地域的には南部,離島で高かった(第6-4表)。
72年の経済停滞の主因となった労働協約改訂についてみると,72年中に改訂を要した全国規規の労働協約は協約数で47,労働者数で約450万(イタリア全就業者の1/4弱)であった。
72年第4四半期から雇用の改善傾向が始り,景気の拡大につれて工業部門の雇用は急速に増加しtこ。生産の増加は短期には既雇用者の労働強化により可能とされるが,労組の超過勤務の拒否により,生産増と,雇用増とがほぼ並行的に進むことになった。73年には時間・1人当り生産性は7%程度の増加が見込まれる。雇用は労働集約的な建設活動の活発化によって更に増加した。
72年の製造業部門の雇用者所得は年間10.7%増と前年の13.3%増を下回ったが,過去の景気停滞下の上昇率と比較すれば増加率は高かった。73年の増加率は72年の労働協約改訂のため,20.9%増が見込まれている。
こうした賃金上昇の加速は①生計費エスカレーター条項の存在②インフレの進行による賃金上昇刺激③労組の全産業部門の平等な賃金の獲得要求④技能格差賃金体系決定への労組の介入強化などによりも.たらされたとみられる(第6-3図 )。
(4) 急騰に転じた物価
世界的なインフレと国内的な物価上昇要因(労務費の増加,食料品の供給不足など)によって,イタリアの物価は72年を通じて上昇をつづけ,72年末には需要の急増もあって物価は急騰に転じた。73年2月以降はリラの下方フロートによる実質切下げ効果が加わって輸入物価(工業原材料,石油,食料品などの輸入品の物価)は上昇速度を速め,それが国内物価の上昇を刺激した。
政府は7月25日,食料品および工業製品価格,家賃などを凍結( 第6-11表 )しインフレの抑制に努めた。8月以降物価の騰勢は,やや落着きを取り戻したものの,9月30日,11月23日の2度に亘る石油価格の引上げは今後の物価動行に暗い影を役げかけている。
卸売物価は前年同月比でみて72年1-3月は2%台の上昇率に推移した後4-8月は3%台の上昇率と比較的落着いた動きあみせていたが,9月以隆騰勢を強め,72年12月には7.3%の上昇となった(72年の平均上昇率は4.1%)。73年に入ると物価の騰勢は一段と強まり,3月には前年同月比の上昇率は2ケタ台に乗せ,7,8月にはそれが20%台を越した。前月比の上昇率は7月の2.6%高をピークに8月1.2%高,9月0.5%高と減速したが,10月には2.0%高と再び騰勢を示した。
工業材料価格は国際一次産品市況の高騰と比較するとその上昇は抑えられていた(72年末の上昇率は10.3%,年間平均上昇率は3.8%)。が,これは石油製品に対する生産段階での減税が拡大されたためであった。72年を通じて上昇テンポは加速していたが,73年2月にリラがフロートヘ移行し,輸入物価が2月に前月比で10.8%も上昇したため,その後は一段と騰勢を強めた。
工業製品価格は輸出競争の相手諸国の物価上昇により,上昇が刺激されたとみられる。72年末には値上げの動きが強まったが,これは付加価値税の導入(73年1月1日実施)前に買い急ぎが生じ需要が急増したことと,付加価値税導入を理由に生産コストの価格への転嫁が容易になったことが指摘できる。73年初には需要の増加に対し,ストライキにより供給が制限されたため,物価上昇圧力は強まった。72,73年の原料の高騰の影響は工業製品価格の上昇となって既に現われてきているとみられている。
リラのフロートによる実質的な切下げ効果のため,輸出製品のリラ建の価格は実効レートの低下分にほぼ相当する程度まで引上げられており,こうした動きは国内価格の上昇を刺激したとみられる。
食料物価は72年央まで上昇する品目は限られていた。牛肉は国内生産の不足のため輸入が増えたが,牛肉の国際価格は高騰していたため,国内価格も上昇テンポを速めた。8月以降,悪天候により農産物の供給が減少し,野菜類も急騰した。加工食品も72年末には上昇した。73年3月に農産物卸売物価は前月比で3.9%の上昇をみせたが,3月をピークにその後騰勢は徐々に弱まり,前月比で7月1.2%高,8月0.6%高,9月0.5%安となっている。
消費者物価は72年の9月以降,徐々に上昇テンポを速め,73年4月には前年同月比の上昇率は10.5%となり,以後毎月11%台の上昇が続いている。73年夏には季節的な要因と,7月25日に実施された物価凍結措置により騰勢は弱まり,78,9月と三カ月続いて前月比の物価上昇率は0.6%となったが,10月には再び0.8%高と騰勢は強まっている(第6-5表)。
(5) 国際収支,リラはフロートヘ移行
72年6月のポンドのフロート移行前後の国際通貨不安と,長期の経済停滞などから,リラの信認は低下し,リラ切下げ予想が強まった。このため為替市場ではリラは強い売り圧力を受け第2四半期以降総合収支の悪化傾向は強まった。72年6月28日イタリア銀行は非居住者が海外から持ち込むイタリア銀行券等の代り金を,為銀の資本勘定に貸記することを禁ずるなどのリラ防衛措置を採った(しかしながらリラの再流入に対する総合的な停止措置は採られなかった)。公共機関,中銀の海外からの借入れ,商業銀行のスワップ取決めによって外貨準備は強化されたが資本の逃避は止まらなかった。
資本逃避と,リーズアンドラグズによって72年上期の総合収支は悪化したが,72年下期には基礎収支の悪化が進んだ。通常は黒字部門である居住者の海外証券投資が大幅な赤字を記録したことと,輸入の急増により貿易収支が悪化したことがその原因である(第4四半期に生産が急増したこと,国際一次産品市況の高騰,投機的な買い急ぎ,非貨幣用金の大量輸入などが貿易収支を悪化させた)(第6-6表,第6-7表)。
73年1月22日,資本の逃避を抑えるため二重為替市場制が採用され,同時にリーズアンドラグズを防ぐため輸出信用支払期限の短縮,輸入前払期間の短縮措置が採られた。2月13日のドル下切げ後はリラは二重相場制を維持したままフロートヘ移行した(72年6月からフロート移行時までにイタリア銀行は為替市場で55億ドルもの介入を行ったと伝えられている)。
フロート移行後リラは急速に減価し,73年4月末にはリラの実効切下げ率は11%に達した(OECDの計算による。以下同じ)。
73年第1四半期の貿易収支は国内のストによる供給減のため輸出は減少し,輸入は急増したため大幅な赤字(通関ベースで6,540億リラの赤字)を記録した。こうした貿易収支の悪化は73年上期を通じて続いた。輸入はインフレ期待の浸透,国内供給の制約,内需の根強い増加,国際商品市況の高騰,リラフロート移行後の実質切下げなどのためその後も増加を続けた。輸出も4月以降急増しているが,輸入の増加には及んでいない。(第6-4図)
4月以降再び資本の逃避が活発化した。これはイタリアの政情不安,社会不安,インフレの高進,貿易収支の大幅な赤字,経済の年初来の停滞などを反映しているものとみられる。このため総合収支は大幅な悪化を記録することとなった。6月14日にはリラの実効切下げ率は18%程度に達し,政府は6月18日一連のリラ防衛措置を決めた。この結果.リラ相場は回復し,実効切下げ率は15%程度へ回復した。その後,経済の好転,7月27日に採られた資本取引の規制措置などのため,リラは8,9月を通じて堅調に推移した(第6-5図,第6-8表)。
73年7月8日に成立した中道左派ルモール内閣は物価上昇の抑制と経済の拡大維持という困難な政策目標を達成しつつあるようにみえる。
一般政府の財政は71,72年にかけて大幅な赤字を記録した(72年の財政赤字はGNPの6.5%に相当する)が,73年には赤字幅はさらに拡大するものとみられている。73年の赤字拡大の原因は,間接税制の付加価値税制への移行に伴う税収減(約10%の減収が見込まれている)に対し,財政の硬直性が強まり,経常支出が大幅に増加したことにある。7月31日発表された74年予算案によれば,インフレの原因は大幅な財政の赤字にあるとの認識から赤字幅は極力抑制されているが,予算赤字総額は8兆6,061億リラ(73年には5兆9,758億リラ)に達するなど,74年も引続き景気拡大予算が組まれている(歳出の伸びは前年比19.7%増と74年の名目GNPの予想成長率14.5%を上回る一方,歳入の伸びは前年比10.4%増となっている)。財政赤字の拡大要因としては,74年1月1日の実施予定の直接税制の改正に伴う税収減に対し,インフレのため政府の経常支出が増加(前年比21.4%増)したことが指摘される(投資支出は前年比20.6%増と経常費の伸びを下回っている)(第6-9表)。
金融は72年を通じて超緩和政策が続けられたが72年12月4田こは投機的な短資の流出を阻止するため債券担保短期貸付利子歩合が引上げられ,73年6月18日には同高率適用金利が,9月15日には割引歩合が4%から6.5%へ引上げられた。こうした公定歩合の引上げは欧州各国の金利高に追随して行なわれたもので,失業水準が依然高いことから,景気の抑制を目指すものではないとされている(第6-10表)。投機的な短資の流出,投機的買占めの阻止と,国内生産投資刺激を目的として,73年に種々の措置が採られた。
6月18日には①市中銀行に対し,債券保有を73年中に72年末の預金残の6%以上とすること(うち1%は国債,地方公共団体債の購入に,5%は政府系金融機関,企業,中銀の指定する一定の民間債の購入にあてなければならない)②海外からの信用享受(ECの短期信用供与取決めの発動により15.6億UC,ニューヨーク連銀とのスワップの引出し12.5億ドル,フランス銀行,西ドイツプンデスバンクとの間にそれぞれ4億UCの新規スワップ協定を締結)を発表した。この措置により長期利子率は7.5%の周辺で安定することとなったが,短期利子率は上昇をつづけた。7月26日には更に選択的な銀行貸出規制が実施された(①製造業向け貸出のうち銀行貨出残が73年3月末で5億リラ以上の大口取引先に対する74年3月末の貸出残は前年同月比で12%超となってはならない②非製造業向け貸出残高の合計額を74年3月末時点で前年比12%増以内にとどめること。ただし特別金融機関から融資される長期貸出金が契約後貸出されるまでのつなぎ金融については上記措置の枠外とすることにより,長期の生産投資への配慮をしている)。
6,7月の金融引締めによって短期金利(プライムレート)は7月に8%,8月に9.25%,公定歩合引上げ後の11月には9.75%となっているが,長期金利は11月末現在で依然として7~8%に据え置かれている。
73年の年間通貨供給量は前年比17~18%増が目標とされており,年後半からの通貨供給量の伸びには,かなりのブレーキがかかる見通しではあるが,それでも名目GNPの伸びを1~2%上回ると予想される。
国内物価の異常な上昇と短資流出とに処するため,上記の引締め措置と同時に一部物価,家賃の凍結(7月258)措置と,短期,長期の資本取引規制(7月27日)措置がとられた。(第6-11表)。
イタリアでは今回の石油危機に対し石油の輸出規制(10月6日)に加えて,11月22日次の措置が採られることが閣議決定された(ガソリンの値上げは11月23日より実施,その他は12月1日より実施)。
①日曜,祝日の自家用車,自家用船舶,航空機の運転禁止。②週末,祝日のガソリンスタンドの閉鎖,③ガソリン代の値上げ,④自動車の速度制限,⑤官庁の時間外勤務の制限,⑥劇場,映画館の営業時間の短縮,⑦テレビ放送時間の短縮,⑧レストラン・バーの営業時間の短縮,⑨一般商店の閉店時間の繰り上げ,⑩照明の節約,⑪暖房温度を20度までにする,⑫21時~7時まで電圧を下げる,⑬官庁の公用車の使用規制,⑭産業用燃料の価格引上げ。
なお12月8日以降,イタリア政府は産業用重油確保のため石油業界に行政指導を実施している。
イタリアの石油の供給減は,中東諸国の生産削減に加え,イラクのエクソン・モービルの国有化による供給削減が加わり,全体として25~30%になるという予想がある(イタリアのアラブ・中東原油への石油輸入依存度はリビア21~22%,中東55~56%である)。
今回の石油危機の影響のため,74年の経済を予想することは極めて困難となっている。石油供給の削減,11月以降の石油価格の上昇の影響を考慮せずに作成されたOECDの見通しによると,74年にも景気拡大基調が持続するとされている。以下この見通しについて述べると設備投資は需要増,企業収益の増加など先行見通しが好転したため74年9.5%の増加が予想されている(OECDによる)。
住宅投資,在庫投資は74年も景気を拡大に導くことが期待される。個人消費支出は73年の伸びには及ばないものの,過去10年の伸ぴをやや上回る伸びを示すものとされる(5.5%増を予想)。
非農業雇用は73年に続いて増加するが,賃金上昇率は73年の上昇率から比較すると鈍化する見通しである。
消費者物価は73年の11%程度の上昇から,74年には9~10%程度へ騰勢の鈍化が期待されるが,激しいインフレであることにさして変りはない。
74年の輸出はリラ下方フロートの効果が現われて,実質で21%程度の輸出増が期待される。一方輸入は,ほぼ73年と同程度(15%)の増加が期待される。このため経常収支はかなり改善されることが期待される(経常収支の赤字は73年の16億ドルから74年には8億ドル程度へ改善されるものとみている)。
イタリア経済はエネルギー供給の80%を石油に依存しており,(そのうち97%は輸入に頼っている),うち50%が生産部門に,25%が家庭,商業部門に,25%が輸送部門に使われている。前記の石油消費規制により節約できる石油の量は高々全消費量の6%程度とみられている。これをすべて生産部門へ回したとしても生産部門における石油供給減は10%程度に達するものとみられ(30%の供給削減の場合),雇用の減少,GNPの成長率鈍化,物価の上昇,国際収支の悪化は避け難いとみられる。
72年の韓国経済は71年下半期以来の景気後退により実質成長率が7.0%に止どまり,60年代の9.5%,70年の7.9%,71年の9.2%のいずれをも下回った。消費および投資需要の増勢鈍化が景気停滞の主因である。総じて景気停滞下にあった72年も,後半には8.3経済緊急措置の効果もあって景気は回復に向った。
73年に入ると,先進工業国の同時的景気上昇による輸出の大幅増加や日木などからの外資流入に誘因され企業の投資活動,民間消費,個人消費などが前年に比し著しく伸長した。この結果,73年における国民総生産の実質成長率は前年比16.9%増,73年9月の生産指数は前年同月比43.4%増の大幅成長となっている(7-1図)。
一方,物価動向は72年の激しい上昇のあとを受け,73年当初は比較的小康状態を保ってきたが,卸売物価を主体に上昇傾向が強まっている。今後,石油危機の影響によって卸売物価・消費者物価ともに上昇テンポの加速化が懸念されている。
(1) 生産動向
72年における産業別にみた国民総生産の内訳は,まず農林漁業で米穀の減産により前年の3.3%増に対し,1.7%の増加に止どまった。73年の上期は異常気象による農業生産の不振で前年同期比5.5%増(72年上期,同7.2%)と依然低迷状況にあるが,今年の米の作柄が9月時点で420万トンと史上最高の豊作を予想されるなど,比較的良好な気象に恵まれたこともあって年後半にかけ農業の立直りが期待されている。
次に鉱業部門をみると,72年は製造業が輸出の拡大にともない15.7%(71年17.7%)成長し,全体的に停滞した生産活動の中にあって,牽引力となった。73年に入っても製造業に引続き活況を呈し,上期に前年同期比30.8%(前年上期,同12.2%)と大幅に増加した。繊維,皮革,電気機器,金属製品,機械などの業種が生産拡大の主役であった。
この他,73年上期における韓国経済の特徴として社会間接資本およびその他サービス部門が著しく拡大したことを挙ることができる。この部門は前年同期の1.2%増から73年には16.7%と大幅に増大し,なかでも建設業(17.1%増),卸小売業(27.3%)の伸びが顕著であった。
(2) 財政,金融動向
73年度の予算規模は歳入不足のため,前年度比7%減の緊縮予算が組まれた。70年以降の不況下にあって税収が伸び悩となったことに制約された結果である。歳人の減少に見合って,一般経費は前年並に据え置かれ,また財政投融資は大幅に削減された。現実には好況を反映して,歳人は上期に9.4%増加している。一方,歳出が16.5%増加したために,赤字幅は前年の上期を大幅に上回った。しかし7~9月には税収が好調で,一方歳出が抑制された結果,前年9月までの累積赤字を大幅に下回る水準で治まっている。
74年度については,前年度比28.7%増の大型予算が組まれている。歳出の重点は重化学工業化に置かれ,その関連投資は31.8%の大幅増加が見込まれている。
一方.金融面では財政投融資の進捗,輸出急増による代り金の流入,景気上昇にともなう民間資金需要の増大を映じて,マネー・サプライが上期に前年同期比56.1%増と大幅に増大した。7月以降,マネー・ザプライの増勢は鈍化しているが,10月末で45,9%増と依然増大している。貸出も企業の資金需要増大にともない大幅に増大し,10月までに27.8%増となっている。韓国銀行はマネー・サプライ急増による物価上昇を懸念し,5月に昨年末に引続いて,支払準備率を3~4%引上げた。
不渡手形の発生状況は,本年6月に一時的に増加したものの,以後小康状態を保っている。しかし石油危機に加え,資金需要の増加する年末に向うこともあって,原材料の品不足およびその価格高騰,資金繰り窮迫など企業,特に中小企業にとって経営環境は悪化に向っている。
(3) 物価動向
72年の物価動向は卸売物価が14.0%,消費者物価が11.8%といずれも大幅に上昇した。
政府は73年当初見通しで物価上昇率を3%程度に抑えることを目標とし,物価統制を行ってきた。本年11月で,卸売物価が前年同月比9.9%,消費者物価が同5.1%上昇し,物価上昇の傾向が強まっている。卸売物価について内訳をみると,食料品が同6.1%,食料品以外が同10.7%,輸入商品が同17.2%増で,輸八商品の価格高騰が著しい。消費者物価については,米の作柄が順調という好材料もあるが,卸売物価上昇の影響を受け,今後上昇傾向の強まりが懸念されている。12月に政府は石油製品および砂糖,肥料,柄ガラ,スナイノン繊維などの9種の工業製品について,市場流通の円滑を図るため,最高30%にのぼる価格引上げを認めた。
(4) 貿易動向
72年の貿易の特徴は輸出の大幅な伸び(52.1%増)と輸入の増勢鈍化(5.3%増)である(7-2図)。輸出は衣類やカツラなどを中心にアメリカ(増加率21.9%増,構成比47.8%),日本(同53.3%増,22.3%)向けが主体であった。一方,輸入の増勢鈍化は政府の輸入規制措置に加え,景気の沈滞で内需用資本財の輸入が伸び悩んだことが要因として大きい。
73年に入ると輸出は1~9月に前年同期比91.0%増と,増勢が一層強まるとともに,輸入も同64.6%増と大幅に拡大した。輸出の増勢加速化は,先進工業国の同時的景気上昇と通貨調整時におけるウォン貨切下げで輸出競争力が強化したことによるところが大きい。輸出商品としては電子製品,鉄鋼,合板などの伸びが著しい。輸入の拡大は国内景気の上昇による工業原材料の需要増に加え,世界的なインフレ傾向と,ウォン貨切下げで輸入価格が高騰したこと,原材料不足で買い急ぎがみられたことなどによるものである。
国際収支(為替決済ベース)についてみると,72年は経常収支3.0億ドルの黒字,資本取引1.3億ドルの赤字などで総合収支は,1.6億ドルの黒字となった。この結果年末の対外準備は7.4億ドルに増大した。ついで73年上期は,貿易収支が輸出急増の反面,輸入も増大したためほぼ前年同期並みの0.9億ドルの赤字になった。これに対して,貿易外収支は観光収入の増加などで2.2億ドル,資本収支が0.3億ドル各々黒字で,総合収支は1.6億ドルの大幅黒字となった。対外準備は期末で8.5億ドル(10月末10.0億ドル)に達している。
72年の台湾経済は順調に推移し,実質成長率11.0%を達成した。経済成長の要因として輸出の進展に牽引された工業生産の拡大が大きい(7-3図)。この傾向は72年も継続し,上期の実質成長率は11.6%とされている。物価動向は72年央まで安定していたが,8月以降台風による農作物の被害を契機に卸売,消費者物価ともに高騰した。消費者物価は一時反落の後12月より再び上昇に転じ,また卸売物価は8月以降ほぼ一貫して上昇し続けている。
(1) 生産動向
72年の農業生産は台風など気象条件の悪化により1.9%の低成長に止どまった。73年上期も農作物が前年同期比0.1%減,総体でも同1.3%増と生産活動は停滞している。米作については耕地面積の減少が,またその他作物について農村人口の都市流出や農作物の価格不安定などにより,傾向的に生産が減少している。
一方,72年の工業生産は,輸出拡大や内需の盛上りによって史上最高の26.2%を記録した。
建設業,製造業の伸びが著しく,業種別では,電機電子工業,一般機械,木材・同製品,化学品などが大幅に増大した。
建設業ばアパートを中心に高層の進展によって活況を呈した。ついで73年上期には,前年同期比23.9%(72年上期,同27.1%)増加し,重化学工業を主体に依然として高水準を維持している。製造業は同25,8%増加し,うち,一般機械,電気機器,石油・同製品などの伸びが著しい。反面,紙・同製品が暫定輸出禁止措電などにより,また食品工業が原料となる農産物の不足によって伸び悩んでいる。
(2) 金融動向
72年の金融状況は緩慢のうちに推移した。貸出は好況を反映して前年末比24.4%増加し,高水準を維持したものの,預金が輸出好調による代り金の流入などで同33.5%と著増したため,72年12月末の預貸率は86.1%(71年末,92.4%)に低下した。通貨供給高は33.1%増加した。このような情勢のもとで72年7月に公定歩合が0.75%引下げられた。
73年に入ると,預金の増勢が続くとともに貸出の伸びも高まり,9月には前年同月比で預金が40.5%,貸出が43.3%(速報値)各々,拡大した。この結果,預貸率も88.7%に上昇している。7月に貸出抑制のため公定歩合が1.0%引上げられた。
(3) 貿易動向
72年の貿易は輸出が29.9億ドル(前年比45.0%増),輸入が25.1億ドル(前年比36.3%増)と輸出入ともに大幅に拡大した(6-4図)。商品別にみると,輸出が紡織品,機械,雑貨,また,輸入が機材設備,化学品,穀物の比重が大きい。次に貿易の相手国としては,輸出先としてアメリカ(構成比40.9%),日本(同13.0%),香港(同7.4%)などが大きく,伸び率も高い。輸入先としては,日本(構成比38.0%),アメリカ(同28.9%),西独(同4.1%)などの割合が大きい。貿易収支尻は輸出が輸入の伸びを上回った結果,4.7億ドル(72年2.2億ドル)の余剰となった。
73年に入っても,輸出入の増勢は継続し,上期に輸出が18.2億ドル(前年同期比44.1%増),輸入が15.7億ドル(同33.5%増)であった。商品別にみると,輸出では電気機器,運輸工具,合板木材製品および家具の伸びが高く,輸入では化学品,プラスチック原料,基本金属,原棉および人造繊維の伸びが高い。輸出先としては日本向けが前年同期比129.4%増と急増し,輸出先の構成比も17.6%に増大している。アメリカ向けは同28.4%増で,相対的には伸び悩み,構成比も38.6%に減少した。一方,輸入先としては二大市場である日本,アメリ力両国からの輸入は依然として増加している。上期で日本からの輸入が前年同期比38.6%増,アメリカが同49.5%増,輸入先の構成比では日本が38.2%,アメリカが24.9%を占めている。
貿易収支が余剰で推移した結果,72年の対外準備は5.1億ドルの大幅増となった。73年に入ってからは9月末までに1.5億ドル増加し,対外準備残高は11.9億ドルである。
(4) 物価動向
台湾の物価動向は60年から71年にでけて,年率で卸売物価が1.4%,消費者物価が3.0%の上昇に止どまり,比較的安定していた。しかし72年は卸売物価が4.7%,消費者物価が4.9%上昇し,物価の上昇傾向は強まった。8月における消費者物価の急上昇は,台風で農作物が被害を蒙ったことによるところが大きく,また,卸売物価は食料品,繊維・同製品,鉄鋼・同製品を中心に上昇し,なかでも食料品価格の高騰は著しい。
73年に入ると,9月以降,一時下落した消費者物価は再び騰勢に転じ,上期に前年同期比6.3%上昇した。食物類の他,衣類,医薬保建類の価格上昇が大きい。一方,卸売物価は国際商品市況の高騰を背景に,上期に前年同期比13.9%の高騰になっている。品月別では木材,皮革・同製品をはじめ,プラスチック・同製品,紡織繊維・同製品,金属・同製品の価格が著しく上昇している。
価格高騰の原因としては,輸出好調にともなう外貨流入などによる国内の通貨供給増大や国際商品市況の高騰および日本円の切上げなどで輸入原材料価格が上昇していることなどが大きい。
72年のフィリッピン経済は前半比較的順調に推移していたが,7~8月にかけ一申部ルソンを一襲った大洪水は農作物,道路や通信施設備等のインフラストラクチャー,工業部門など経済活動に多大の損害を与え,被害額は総計2億ドル以上にのぼるといわれている。
この災害復旧と救済のため実施した予算の振替(2億ペソ),30万トンの米の緊急輸入などの措置は財政を大きく圧迫した。さらに71年以降上昇傾向の著しかった物価はこの洪水によってさらに急上昇し国民生活を苦しめ,また失業増大などから社会不安が醸成され,治安状況が悪化し遂にマルコス大統領は72年9月,戒厳令を全土に布告した。
戒厳令後,政府は「新しい社会建設」をスローガンに農地改革,雇用の促進,規律向上,物価統制など各種の改革措置を実施している。
一方,72年の貿易は主要輸出産品である木材,ココナッツ・オイル等の一次産品の低迷から輸出が伸び悩み貿易収支は104.8百万ドルと大巾赤字を記録した。こうしたことから72年の経済成長は前年比3.5%増と71年の成長率7.3%に比し停滞色を強めた。
73年に入ってからは一次産品市況の好転から輸出が順調に伸び72年10月以降73年8月まで連続11カ月貿易収支は黒字を記録しており,外貨準備高も8月末現在で899百万ドルと増大している。
(1) 生 産
72年の農業生産は大洪水の影響で減産となった。特に主要穀物である米の生産は70年には534万トンを生産し,一時的にでも米の自給を達成したが,71年には病害虫で,72年は洪水の影響で生産はそれぞれ510万トン,489万トンと減産を続け,再び米の輸入が恒常化しつつある。特に72年は世界的に農業生産が不振であったことから米不足は深刻となっており,政府は73年3月全食料品の輸出を禁止する一方,各国からの食料輸入を確保することに努めている。しかし,タイが米の輸出を禁止したこと,日本も米の輸出余力が減少したこと,などから米の確保に苦慮している。なお,73年の農業生産もあまりかんばしくない。
工業生産は乗用車の国産化計画の推進,鉱業開発プロジェクトの推進等72年前半は活発な動きを見せたが,やはり洪水,戒厳令の影響で後半伸び悩んだ。鉱工業生産指数でみると72年は対前比7.8%(71年は11.4%)の伸びであった。なお,73年に入ってからは鉱業生産,建設業を中心にかなりのテンポで生産の回復がみられる。
(2) 物 価
70年の変動相場制移行をきっかけに,高騰に転じた物価はその後上げ足を早め,消費者物価指数(対前年比)は71年に17.4%の上昇後,72年に入ってからも物価上昇は継続し,さらに大洪水により一層加速化の傾向にあった。
しかし,9月の戒厳令後政府が厳しい物価統制を実施したことから10月以降ようやく物価は落着いた。72年の消費者物価は19.9%の上昇で,うち食料品は22.4%もの上昇であった。なお,73年に入ってからも政府の厳しい物価統制は続いており,73年1~8月期の物価上昇は前年同期に比べ5.9%の上昇と比較的落着いており,うち食料品は△0.1%とマイナスを示している。しかし,世界的なインフレの中にあって,今後どれだけ政府の強制的物価統制が続けられるか,先行き楽観は許されない。
(3) 貿易と国際収支
72年の貿易は輸出が1,087百万ドル前年比3.0%減,輸入は1,191百万ドル同じく3.2%増と不振で,貿易収支は71年の35百万ドルの入超から72年ば105百万ドルの入超へと大きく悪化した。輸出を品目別にみると,ココナッツ,砂糖が伸び悩み,また大きな輸出ウエイトを占める木材が大巾に減少した反面,銅鉱石,バナナ,コプラ等が増加している。一方,輸入は穀物及び生産用原材料の輸入が増大し,資本設備材の輸入が減少している。
輸出の停滞は72年前半まで主要輸出産品である一次産品の国際市況が低迷していたことによるもので,72年秋以降世界的一次産品市況の高騰により輸出は著しく伸長した。
72年の総合収支は95億ドルの黒字を示しているが,これは外国からの援助,観光収入の増大等貿易外収.支が好調であったことによる。
73年に入ってからも貿易は一次産品市況の好調の波に乗って順調に推移し,貿易収支は大巾な黒字を続け,外貨準備高は72年末の551百万ドルから73年8月末には899百万ドルへと大巾な増加をみせている。
68~69年にかけ10%近い経済成長を遂げてきたタイ経済は70年6.6%増,71年6.4%増と成長率が鈍化し,72年は遂に3.9%増と目標値であった成長率7%を大きく下回った。72年経済の停滞は国内総生産の約3割を占める農業が干ばつの影響で減産になったことが原因で,農業の成長率は前年比△2.1%であった。なかでも主産品である米の生産は71年に比べ14.2%の減産であった。72年の米の生産は各国軒並み減産であったことから,73年に入り米の需給は逼迫の度を強め,タイは東南アジアでも最大の米の輸出国であり,輸出が急増したことから米の在庫が払底し,国内の米不足と国内インフレ抑制のため,遂に6月12日米の全面輸出禁止に踏切らざるを得なくなった。また,食料品価格を中心とした物価上昇は激しく,73年春以来労働争議も頻発しており社会不安が高まった。こうしたなかで73年10月,恒久憲法の早期制定を要求して行なわれた学生デモは,最近の激しい物価上昇等に対す名政府の無策に不満を強めた一般市民が同調し,71年11月以来の軍事政権が崩壊し,政権は民政に移管した。
(1) 農業生産
72年の農業は5月からの雨期に雨量が少なく,全国的な千ばっに見舞われた。このため農業生産は大減産となり成長率もマイナスであった。うち,主食であり,主要輸出産品である米の生産は71年1,374万トンと史上最高の豊作であったのが72年は1,180万トンと前年に比べ14.2%もの減産であった,。メイズの生産も71年に230万トンの生産のあと72年は170万トンとこれも前年比26%もの減産であった。しかし,その他の農産物についてはゴムが33.6万トンと前年比6%増,砂糖,ケナフも増産であった。
73年の農業生産は当初天候不順で心配されていたが,その後持ち直し作柄は順調である。
(2) 鉱工業生産
タイでは鉄鉱石,錫,マンガン鉱等を産出しているが,72年は錫の国際市況が低゛迷していたことなどから鉱業の生産は1,864百万バーツと前年に比べ4%の減産であった。
一方,タイの工業は60年代にはいってから本格的工業化が進められ,67~71年にかけての第2次5カ年計画中は年平均9.2%の成長を遂げてきた。第3次5カ年計画(72~76年)では工業の成長率を年8%においているが,初年度の72年工業生産は24,884百万バーツ(前年比10%増)と目標を上回った。
(3) 財 政
72年度の予算は総額290億バーツで対前年比1.2%増と緊縮財政であり,歳出は経済関係費24%,防衛関係費費18%,教育関係費19%が主なものであった。73年度の予算はこれに対し総額316億バーツ対前年比9%増とやや積極的なものとなった。
歳出について見ると防衛関係費,教育費,一般行政費は9%又はそれ以上の増加であるのに対し経済関係費,公共社会関係費は前年の予算額を下回った。一方歳入面では租税収入の伸びが対前年比7.2%増,また借入金(83億バーツ)は32%の増加が見込まれている。
(4) 物 価
タイの物価は60年代を通じ全く安定していたが,73年の農業生産なかでも米の生産が不振であり,かつ72年から73年初にかけて国内の在庫が払底するほど輸出に米を回したため国内で米不足が生じ,73年に入り食料品を中心に物価高騰が目立った。72年中の消費者物価の上昇は対前年比4.0%増(うち食料品6.4%増)であったが73年1~8月期は対前年同期で10.7%増(うち食料は14.4%増)となっている。
(5) 貿易と国際収支
72年の貿易は輸出が1,063百万ドルと対前年比28%の増大を示したことから輸入が1,484百万ドルと対前年比15%の伸びを示したにもかかわらず,貿易収支の赤字巾は71年の456百万ドルから421百万ドルへと若千の改善をみた。
72年の輸出が急伸したのは,1っに,主要輸出産品である米の需要が旺盛であったことによる。例年であれば100~150万トンの輸出量が,72年には210万トンを記録しており,又,国際的に価格が高騰したことから大巾な輸出の伸びにつながった。
また,砂糖も前年に比べ3倍強の輸出の伸びを示し,その他えび,衣類も,好調であった。
一方,貿易収支は観光収入の増加が著しく,資本収支も短期資本の流入増があり,総合収支では3,970百万バーツと久し振りに黒字を記録した。
インドネシア経済は68年以降毎年約7%の成長を続けており,71年も7.1%の高成長であった。
72年も上半期は前年に引続き順調で,あったが,下半期に大干ばつに見舞われ主食である米を中心に農産物が大きな被害を蒙むり農環は大きく停滞した。
インドネシア経済にとって農業は国内総生産の約45%と大きなウエイトを占ており,この農業の停滞により当初見込まれていた7.0%という72年の経済成長率は大きく下回ったものとみられている。
また,米作の不振から年末にかけ米不足が深刻化し,米価を中心に物価は大巾に上昇しており,政府はその対策に苦慮している。
農業が停滞した反面,鉱工業生産は順調で貿易も石油の輸出が好調で,さらに72年央以降一次産品市況が高騰に転じたことから極めて順調に推移し,73年に入ってからも好調である。
(1) 農業生産
前述のとおり,インドネシアの農業は国内総生産の約半分を占めており,労働人口の約6割が農業に従事している。また,主食である米の生産は農業生産の約5割を占ており,インドネシア経済の中で重要な位置にある。こうしたことから政府は69年から始まった第一次5カ年計画の中で米の自給を最大の目標に掲げ,その増産に努め69~71年の3カ年は目標を上回る実績をあげてきた。このため72年初頭には米の過剰生産を危惧する声もあり,73年の生産目標1,542万トンを1,480万トンへと下向き修正を行なった。しかし,同年8月頃から乾期が異常に長引き,72年の米の生産は大巾に減少し71年実瑣の1,277万トンを20%近く下回るのではないかとみられている。
その他の農作物についてはゴム,コプラ等が干ばつの影響で減産になったと推定されており,一方,パームオイル,コーヒー,タバコ等は順調な生産であった。
(2) 鉱工業生産
鉱業生産のうち原油の生産は第1次5カ年計画の始まる69年に271百万バレル,70年312百万バーレル,71年326百万バーレルと近年大巾な生産上昇を続けており,72年には約4億バーレルの生産が見込まれている。また,錫,ボーキサイト等その他の鉱産物の生産も72年は拡大基調にあり,不振だったのはニッケルのみである。73年に入ってからは非鉄金属,石油等の国際市況が暴騰していることもあって一層の増産が見込まれる。
一方,工業生産も72年は非常に順調に推移し,繊維生産が72年度中に5力年計画最終年の目標値を達成しており,尿素,セメント,ミシン,テレビ,亜鉛鉄板等の生産も増加している。
(3) 財 政
73年度の予算は前年に引続いて均衡を維持しており,予算総額は8,624億ルピアと前年比14.7%の増加である。このうち歳出は経常支出が5,183億ルピア,開発支出が3,441億ルピアで前年比各々18.5%,9.6%の増である。
歳入は石油収益増を映じて石油会社税の増収(前年比22%増)が目立ち,また,歳入に占める割合も72年度予算の27.5%から29.3%に増大している。
なお,本予算は72年が千ばつの発生により深刻な食料不足に直面したことから,食料増産など農業開発に最重点を置いている。また,食料品を中心とした物価高騰の関係から公務員,軍人の大巾な給与引上げ(3割引上げ)が因られたことも特徴である。
(4) 物 価
69年以降著しく安定してきた物価は,72年の農作物生産の不振で米不足が表面化したことから72年央以降食料品価格を中心に再び騰勢に転じ,72年の消費者物価上昇は対前年比6.5%増,うち食料品価格は10.4%増であった。
73年に入ってから,米不足が一層深刻になったことから物価上昇をさらに加速化させ73年1~7月の消費者物価は対前年同期比で26.8%の上昇を示し,うち食料品は41.0%の暴騰であった。こうした事態に対し,政府は保有米の放出,緊急輸入,米の省問移動禁止等の措置を講じているが,73年の農業もあまりかんばしいものでないこと等もあって依然上昇基調にある。
(5) 貿易と国際収支
インドネシアの貿易は近年石油と木材の輸出増によって支られて来たが,72年の輸出においても両者の伸びは著しく,うち石油は71年に比べ約5割の輸出増であった。また,72年後半からの一次産品市況の好転もあってタバコ,錫等の伸びも好調で,輸出額は1,549百万ドルと前年比25.5%増であった。なお,石油の輸出額は約8億ドルと総輸出額の半分を占ている。
一方,輸入は72年1~10月までは前年と同じ水準であったが,その後,食料の緊急輸入等があり年間では1,458百万ドルと前年比24.2%の増であった。
インドネシアの72年度の経常収支は貿易収支が黒字を見込まれている反面,貿易外収支が外国の石油会社の利潤送金を含む石油部門の支払いが増大していることから620百万ドルの赤字が見込まれている。一方,外国からの援助等資本収支は大巾な黒字を計上しており,国際収支は340百万ドルの黒字が見込まれている。
なお,73年の貿易は石油,錫等一次産品市況の高騰から輸出の伸びがさらに著しく好調である。
72年のインド経済は鉱工業生産が比較的順調であったこと,貿易収支が独立後はじめて黒字に転換したこと等印パ紛争後ようやく明るいきざしが見えだしたものの,国内総生産の48%を占める農業がインド全域に及ぶ干ばっの影響で2年連続の減産となり,各地に食料不足をもたらしたことから72年後半以降再び暗い見通しとなった。
73年に入ってからのインド経済は食料不足がさらに深刻となり,また食料品を中心に物価も著しく騰貴しており,インド各地で食料不足と物価高騰に抗議するデモと暴動が頻発し,貿易収支(1月~6月)も食料の緊急輸入等で再び逆調になっており,電力不足,原材料不足も深刻でインドの社会・経済は非常に困難な状況に至っている。
(1) 農業生産
インドでは総作付面積のうち7~8割を食料穀物が占めており,農業のG DPに占めるウェイトからいってもその生産の動向は経済に大きな影響を与えてきた。この穀物生産は68/68年以降94.0百万トン,99.5百万トンと順調に増産を続け70/71年には108.4百万トンと1億の大台を突破し,食料自給を達成するかにみえたが,71/72年に104.7百万トンと若干の減産の後,72/73年は干ばつの影響で1億ドンの大台を割ったものとみられ,食料不足は再びインド経済にとって深刻な問題となっている。
一方,非食料の生産ではジェートが71年1,023千トンから72年には876千トンヘ,また,綿花は71年1,175千トンから72年1,134干トンへといずれも減産となっている。
(2) 鉱工業生産
72年の鉱工業生産指数は前年比7.0%増となり,70年(4.0%増),71年(2.9%増)と続いた工業生産の停滞から3年振りに7%台をとり戻した。これは主として綿繊維,輸送機器,鉱業,セメント等の分野の生産復調によるところが大きい。
しかし,72年の雨期が大干ばつであったことから9月以降水不足による電力危機(石炭や貨車不足により火力発電も悪化),さらに原料不足(鉄鋼等)から鉱工業生産は低下している。73年に入ってからも工業生産の動向は一層厳しいものがあり,73年1~4月期の指数は対前年同期に比べΔ0.3となっている。これは,石炭・鉄道車両の不足,絶え間ない労働争議,世界的な原料品不足と価格高騰,電力不足の継続等の阻害要因によるものである。
(3) 財政,金融
73年度予算は,71年度におけるー千万にのぼる東パキスタン難民流入とその後の印パ戦争,72年の干ばつの影響をふまえ,第4次5カ年計画の残された目標の達成を図り,さらに74年4月からの第5次5カ年計画発足の基礎固めを行ない,また72年以降の食料不足,物価高騰などに対処するものとして組まれ,次の諸項目が予算の重点施策としてあげられている。
①生活必需物資の増産,配給制度の拡充等によるインフレの抑制,②成長率を高めるための貯蓄,投資率の引上げ,⑧輸出の促進,輸入制限による対外経済面の建直し,④失業問題を解決するための都市・農村における雇用機会の増大,⑤社会正義の達成。
73年度の予算総額は771億ルピーで前年当初予算に比べると13.2%の伸びとなっているが,同修正予算(食料危機対策のための補正)に比べると2.0%の減少である。
(4) 貿 易
インドの貿易収支は67年まで毎年大巾な赤字を続けてきたが,68年以降急速な改善を見て,72年には独立来初の黒字を記録した。これは輸入のなかで大きなウェイトを占ていた食料穀物が68年以降の国内穀物生産の好調で減少していたこと,貿易に関しては国営貿易機関による窓口の一本化が進められているがこの国営貿易機関による輸入規制の効果があがったこと,紅茶,綿製品等の輸出が好調であったことなどによる。
72年の貿易についてみると輸出が前年比16.5%増の24.0億ドル,輸入は前年比6.5%減の22.6億ドルと1.4億ドルの黒字であった。しかし,73年にはいってからは食料の緊急輸入や73年中は比較的抑制されていた鉄鋼,肥料等の輸入の増加が見込まれること,さらに電力事情の悪化,原材料不足等からジェート製品,農産加工品,機械機器などの輸出の伸び悩みが見られ,すでに73年1~6月期の貿易収支はわずかではあるが赤字を記録しており,73年の貿易収支は再び悪化するものとみられる。
(5) 物 価
卸売物価は71年に対前年比で3.6%増にすぎなかったが,72年にはいってから上昇は高まり,72年は8.1%増と前年の2倍以上の高騰となり,73年に入ってからこの傾向は一層拍車がかかり近年にない激しい物価上昇を示し,73年8月の卸売物価は昨年の同時期に比べ実に21.3%も上昇している。これを品目別に見ると食料品22.4%増,工業原材料58.3%増とこの両者の高騰振りは著しい。
一方,消費者物価も72年央ごろから高騰が目立ち,卸売物価同様73年に入ってからの高騰は著しく,なかでも食料品の高騰は激しい。72年の消費者物価は前年比6.3%増(うち食料品は6.4%増),73年1~6月は前年同期比で12.6%増(うち食料品16.5%増)である。これら物価上昇の原因としては2年連続の農産物の減産,非鉄金属・工業原材料・原油等の国際市場における価格高騰と品不足があげられるが,それに加え政府の従来からの赤字財政も大きな要因となっている。
71年末の印・パ戦争,東パキスタンの分離(バングラディシュ独立)という異常事態はパキスタン経済に大きな打撃を与え,政府は72年に入ってから鉄鋼,石油化学,公益事業等重要産業の国営化,土地改革,財閥支配の排除,労働組合の強化など社会主義的改革を図った。また72年5月にはルピー平価切下げ(1ドル4.76ルピーから11ルピーヘ)や貿易制度の改革を実施するなど経済復興のために各種の改革を実施したが,早急には改革の実はあがらずしばらくは労働争議の頻発,投資活動の停滞が続いた。このため経済成長率は70/71年度(7~6月)は0.8%増,71/72年度は1.2%増と停滞を続けたが,72/73年度に入ってからパキスタン経済は目ざましい回復を見せ,GNPは6.5%の成長を示した。
(1) 農業生産
72/73年度の農業生産は東南アジア各国が軒並み減少したなかにあって,パキスタンは3%強の成長をみせた。農業はGNPの約4割を占めており,過去2年間ほとんど成長を見せていなかったことから,この時期に回復をみせたことは歓迎すべきことである。なかでも小麦生産は9%,砂糖きびも7%の増加を示した。しかし,同様に主要産品である綿花は病害虫のためさほど伸びなかったとみられている。
(2) 工業生産
パキスタンの工業はバングラディシュの独立によって国内市場が縮少し,さらに外貨不足,干ばつによる電力不足,労働争議の頻発などから71/72年度には前年に比べ工業生産指数は12%もの減少を示し,この減少傾向は72/73年度の第1四半期まで続いた。しかし,72年5月に行われた貿易制度の改革によって輸入原材料の入手が容易となったこと,72年後半以降,綿花等の一次産品市況が高騰に転じたこともあって72/73年度の第II四半期以降工業生産は著しい回復をみせ,72/73年度の工業生産は前年度に比べ6.3%の増加が見込まれている。
(3) 財 政
73/74年度の予算は156億ルピーと前年度の予算(修正予算)135億ルピーに対し15%増を予定している。うち歳出は電力,運輸,灌漑等の開発支出が前年度比29%増の61億ルピー,債務返済が対外債務の返済増もあって同じく2倍増の30億ルピーであるのに対し,軍事比は4.7%減の42億ルピーである。これに対し歳入は関税引上げによる関税収入の増加等前年度比12%増の85億ルピーを予定している。このため収支尻は前年度の60億ルピーを上回る71億ルピーの大幅赤字となっており,これは外国援助(35億ルピー)と国内借入れ(36億ルピー)によって賄われる形となっている。
(4) 物 価
71年末の印・パ戦争を契機に上昇基調に転じた物価は72年のルピー切下げ,一次産品市況の高騰等世界的インフレ,隣接諸国の食料不足による価格高騰により更に加速化された。消費者物価は72年の前年比8.8%増(うち食料品12.0%増)から73年1~6月期には前年同期比で16.2%増(うち食料品21.6%増)と大巾な上昇を続けている。
このため政府は食料の配給制度や公定価格制度の採用,73年7月の綿花等の輸出規制,米の輸出の国営化など様々な対策を講じている。
(5) 貿 易
貿易は,主要輸出産品である綿花の国際需給が逼迫していること,バングラディシュの独立により従来東パキスタンに向けられていた物資を輸出に振り向けたこと等から,印・パ紛争による一時的中断があったにもかかわらず順調に推移している。71年は輸出666百万ドル,輸入917百万ドルと貿易収支は251百万ドルの赤字であったのが,72年は大巾な輸入減少(一方的なモラトリアム実施によって外国からの援助がストップしたこと等による)もあって貿易収支は32百万ドルの黒字を記録した。73年に入ってからも輸出は依然好調で貿易収支の黒字基調は続いており,外貨準備高も72年末の273百万ドルから73年10月末に407百万ドルと45%の増加を示している。
(経済動向)
オーストラリア経済は,1970年ごろから消費需要の沈滞,資源開発ブームの一段落による鉱工業生産の停滞が主因となって低迷していたが,72年中ごのから景気は上向きに転じ73年に入って完全に回復した。景気上昇のきっかけは一次産品の国際価格が高騰したことにある。このため農産品の輸出が増大し農業所得が向上したため,国内消費が刺激され耐久消費財を中心に工業生産も上向きとなった。また,72-73年度(6月に終る年度)予算において景気刺激型予算が組まれたことも景気回復に大きな役割を果した。
72-73年度の実質経済成長率は3.8%で前年度の3.2%を上回った。農牧畜生産額は72年後半からの羊毛を中心とする農産品価格の異常なまでの高騰により著しく増加し,73年第1四半期には前年同期比70.5%(実質では3.9%減)となっている。鉱工業生産は,72年2月を底に緩かな上昇を示していたが,同年秋以降上昇テンポを高めている。家庭電気製品,建築資材などの耐久財生産が大きく寄与しているほか,非耐久財生産でも金属・機械・化学製品などの生産が伸びている。しかし最近,生産設備は100%に近い稼動率を示しており,さらにストの頻発,鉄鋼・建築資材などの原材料不足などもあって供給面の不安が目立ってきている。設備投資は生産の増大ほど活発ではないが,最近の設備不足惑からようやく盛上りをみせてきた。
こうした景気の好転に伴い,昨年までの最大の問題であった失業も改善が進んでいる。失業者数は72年8月未の12万1,000人から急速に改善し73年8月には8万8,000人となった。失業率も72年8月の2.14%をピークに低下し,73年8月には1.53%まで改善が進んでいる。
国内需要をみると,小売売上高は農村経済の好況や賃上げを反映し旺盛に推移している。住宅建築許可件数も72年秋ごろから急激に増加し72-73年度は24.3%増となっている。
金融面では,商業銀行の預金は72年10月頃まで大幅に増加していたが景気回復とともに11月頃から増勢に鈍化がみられた。貸出は72年9月以降増勢が目立っており,73年初には貸出増加率が預金増加率を上回るに至った。
72-73年度の輸出は前年度比27%の大幅増加であったが,輸入は年度当初の国内需要の停滞もあってほぼ前年度並みであった。このため貿易収支は2,200百万オーストラリア・ドル(以下Aドル)の大幅黒字となった。輸出がこのように伸びた背景には羊毛・食肉などの農産物輸出価格の急騰が特に大きい。農産物の全輸出に占める割合は,近年鉱産物輸出の急増によって低下を続け71-72年度には50%を下回ったが,72-73年度は再び50%を上回るに至った。またわずかずつではあるが,製造品,機械類の輸出ウエイトも着実に高まってきていることも注目される。国別の貿易取引をみると,イギリスのEC加盟によって対英貿易取引が急速に縮小しており,かわって日本その他のアジア太平洋圏諸国との取引が急増している。資本取引では,昨年来の労働党政権による外資規制の強化により資本収支は様変りとなり,72-73年度271百万Aドルの入超(前年度1858Aドルの入超)にとどまった。この結果総合収支では980百万Aドルの黒字(前年度1,442百万Aドルの黒字)となった。このため外貨準備の水準は依然高いものの,ひところよりも増勢は落着いてきている。
このような中で,物価問題はオーストラリア経済の最大の問題のブつとなっている。従来年率2~3%の上昇にとどまっていた消費者物価は,昨年12月以降食肉を中心に急騰し,73年第2四半期には年率13%に及ぶ異常な高騰となっている。この原因としては,①外貨準備が増加し高水準にあるため国内流動性が過剰となったこと,②食肉などの輸出増加が国内における供給力不足をもたらしていること,③輸入品価格の上昇など,世界的なインフレのあおりを受けている面が強くみられるが,また労働力需給のひっ迫による賃金の大幅な上昇が価格上昇圧力となっている点もみのがせない。
第8-2図 オーストラリアにおける最近の消費者物価・賃金の上昇率
このため以下のような物価対策がとられている。まず,外貨準備を適正水準に戻し輸出にブレーキをかけこれを国内需要に向けるとともに輸入価格上昇を緩和することを目的として,73年7月全輸入品目につき一律25%関税を引下げると伴に,オーストラリア・ドルの切上げ(72年12月,73年9月それぞれ7.05%,5%)が行われた。また金融面でも引締め対策がとられ,9月の公定歩合,連邦債利子率引上げに続いて,連邦準備銀行のオーバードラフト金利も引上げられた(10月末)。しかし財政面では,73-74年度予算案をみると前年度に引続いて拡大赤字予算が組まれており,当面財政以外に重点をおいたインフレ対策がとられることになった。
また物価抑制のための組織上の柱として公正物価庁(PriceJustification Tribunal),上下両院合同物価委員会が設置された。前者は大企業による価格操作をチェックする機関であり,後者は特に値上りのはげしい品目に対する監視をするのための委員会である。さらに連邦政府はインフレ抑制の切ふだとして所得・価格政策を実施する権限を連邦政府に賦与するための憲法改正を試みたが,12月8月のレフレンダムで否決されている。
第8-3表 オーストラリアの国内総生産(1969年)29,721百万Aドル
(労働党政権の資源・外資政策)
オーストラリアはその発展のテコとなる長期資金供給が国内において不足し外貨に依存せざるを得なかったため,外資流入に対し極めて自由な政策がとられてきた。このため英米資本が大量に流入し,主要産業の大部分とくに鉱物資源産業における外資の支配が最近とくに進んでいた。このような中で,最近外貨支配に対する強い警戒心が生じ,また,近年貿易収支の大幅な黒字化が進んできたことなどが背景となって経済ナショナリズムが急速に台頭し,従来の資源・外資政策に対する反省が高まってきた。72年12月「蒙州人による蒙州の買戻し」を標傍し国益最優先をその対外経済政策とする労働党政権の誕生はそのあらわれである。労働党政権は,諸産業(とくに資源産業)におけるオーストラリアの所有と支配を拡大強化することを基本的立場とし,豊富な資源の所有,支配をバックに,国内における鉱産物の処理加工の推進,国際水準の価格による輸出の確保,エネルギー資源の国家管理などを推進している。具体的措置としては,①原則として返済期間2年以内の外資流入を認めず,2年をこえる借入れについては借入金額の25%を無利子で連邦準備銀行に預託することを義務づけるなど前政権末期から行われてきた外貨流入規制の強化,②テークオーバーの規制強化,③AIDC(オーストラリアの産業を助長し,かつ重要産業を外資の支配から守ることを目的とし,て71年2月に設立された全額政府出資の金融機関)の機能強化のためのAIDC法改正案の上程などがあげられる。また資源政策としては上記の外資攻策に加え,石炭,ボーキサイト,鉛,亜鉛などを追加品目とする許出許可制度の拡大,資源開発助成措置の廃止,パイプライン公社の設立などがあげら,れる。
ニュージーランド経済は近年低調の一途をたどっていたが,72年央以降の一次産品の国際価格の高騰と,主要工業国の景気回復によって貿易が順調に伸び,国内需要も回復歩調に転じたため73年には完全に不況を脱した。
実質GNPの伸びをみると1970-71年度-4.0%から71-72年度1.0%にまで低下したが,72-73年度は3.5~4%と推定されている。農産品(牧蓄を含む)の生産額は,羊毛,食肉などの輸出価格が高騰したことにより72-73年度は大幅な増加が予想される。これに伴い消費,投資活動も活発になっている。
一方物価・賃金は,72年中比較的落ち着いていたが,73年に入って上げ足をはやめ大きな経済問題となった。このため73年3月物価安定政策の一環として羊肉,鮮魚の価格凍結などの措置がとられた。しかし景気の拡大が進むにつれ物価・賃金の騰勢はさらに強まったため,8月10日には物価・賃金の凍結,また,9月には豪ドル切上げに歩調を合せニュージーランド・ドル(以下NZドル)を10%切上げる(7月にも3%切上げが行われている)とともに,海外のインフレの悪影響をしゃ断するため,羊肉の一時輸出全面規制,魚の輸出制限,消費財などに対する輸入ライセンスわくの拡大等の新物価対策がとられた。
貿易の動きをみると,輸出は羊肉,食肉の著しい伸びを反映し大幅に増加(72-73年度7~5月,24.8%)し,輸入も国内経済の好況を反映し着実に増加(同9.2%)したが輸出の増勢ほどではなかった。このため72-73年度(7~3月)の貿易収支は243.1百万NZドルとなり,外貨準備も73年6月末現在1,093.5百万NZドルと記録的な水準となった。
72年から73年にかけて,ソ連経済は停滞から回復への道をたどった。国民生活の向上をうたった第9次5カ年計画は,71年に一応順調な発足をみせたが,72年にははやくも大きな変調を示した。その主因は年初以来の打続く天候の不順からきた農業の減産であった。穀物の減収が畜産の増大による国民生活の食料摂取の改善策を破たんに導かないよう,西側諸国から主として家畜飼料にあてるrこめ穀物を大量に輸入することが必要となり,これが穀物ひいては一次産品の国際市況の高騰の端緒をなした。国内でも農産原料の不足から食品工業や軽工業が不振に陥り,また野菜の減収や畜産の停滞は国民の食生活にも影響を及ぼした。
さらに,工業部門では長年にわたって続いてきた設備の稼動の開始の遅れや,設備利用の不十分などから重工業も必ずしも好調とはいえなかった。正常ならば超過達成される生産財生産の計画もかろうじて達成されたとの観があった。
このようにして,第9-1表にみるように,72年は工業では,消費財部門の計画末達成を原因として,計画の6.9%増に対し,実積が6.5%と下回り,また農業生産は前年に比べ4.6%の減少となった。その結果,国民所得(ソ連では物的生産および流通の純生産額を示し,対個人サービスを含まない)の成長率は,計画の6.2%に対してわずか4%にとどまった。このような低成長は前回の農業不作の年である1963年以来はじめてのことであった。これにともなって,5カ年計画の核心である国民生活の改善も遅れ,実質個人所得の増加は,71年実績は4.5%と計画に近かったのに,72年には計画の5.2%に対してわずか3.7%にとどまった。
ソ連経済は72年の停滞を脱して,73年にはかなりの回復を示した。その最も大きな要因は農業の好調,とくに穀物の記録的農作であった。これは,なによりも穀物輸入の負担を軽しく,輸入契約はストックの補充に向ける程度にとどめられた。現在ではなお穀物の輸入が続いているものの,今後西側からの先端技術設備の輸入を輸加させる余裕が生ずるならば,国内生産の向上,とくに近代化と効率化に好転の機会が与えられることになろう。
73年の回復のもう一つの要因は,年初来工業生産の前年同期比の伸び率が拡大していったことである。73年の工業生産計画は前年からの停滞の要因が続くものと予想されたこともあって,著しく低い伸び率が予定されたのであったが,実績は次第にそれを上回るに至った。これは一部の重工業部門の伸び率が前年を上回るほどの勢いを示したことによるものであるが,その大きな要因は設備の稼動が促進されたことであって,それには西側からの設備,技術の輸入が少なからぬ寄与をしたものとみられる。しかしその半面,非耐久消費財生産部門は72年の農業不振から残されている農産原料の不足に悩まされ,依然として前年同様低調におわった。したがって,5カ年計画の方針である消費財部門の生産財部門を上回る伸び率を定めた基本方針には反したが,全体としての工業生産は年次計画をかなり大幅に上回ることになった。
これをさきの第9-1表についてみると,農業は年次計画の前年比12.6%増には達せず,10%前後にとどまるものと予想されるものの,71年以来の不振を脱したとみられるし,その上工業生産は,生産財生産部門の計画のかなり大幅な超過達成を主因として,計画5.8%増を上回って7.3%の増となる見込みである。これらの農工業生産を反映して,国民所得の成長率は6%の計画に対し,6.3%となることが予想される。これらの成長率は,5カ年計画の平均には達していないが,72年の低調ぶりに比べると,5カ年計画の予定線にやや接近したといえる。この点は生活水準に関連する指標についても同様で,1人当り個人所得も4.5%と年次計画どおりの伸びとなる見込みである。
さきにも述べたように,工業生産は72年には計画を下回る伸びであったが,73年に入って伸び率が拡大して,著しく低く設定された年次計画をかなり上回るようになった。第9-2表に示すように,73年の工業生産の総合の伸び率は時間の経過とともに拡大を示していることがわかる。これを業種別にみると,電力・熱エネルギー,化学工業,機械工業など工業の基幹部門でそれが目立っている。これに対して軽工業や食品工業は,わずかながら伸び率の向上の兆しはみられるが,依然として低成長を脱しきったとはいえない。
このような対照的な動きは,つぎのような要因によるものとみられる。その第1は,基幹部門の伸び率の拡大は,生産設備の稼動開始が急速に行われていることに起因している。すなわち,生産設備の稼動開始は上半期には前年伺期に比べて13%も増大し,設備額は70年比26%の増大となるといわれる。
これは従来しばしば指摘されてきた稼動開始の遅れが西側からの設備,技術の輸入による刺激で取戻されつつあり,生産にも好影響を与えているもののようである。他方,非耐久消費財の生産不振は,前年の農業不振のための農産原料の不足によることはいうまでもない。それが,73年に入ってから農業の好転によってわずかながら緩和の方向に向っており,消費財生産の伸び率も今後いくぶんなりとも拡大することが期待されている。
耐久消費財の生産は,第9-2表にみるように非耐久財に比べれば,かなり大幅な伸びとなっている。乗用車の生産は73年(1~11月)に前年同期に此べ26%の著増となっているが,年間で生産台数は90万台余と予想されるように,モータリゼーションも始まったばかりである。また家庭電器のうち冷蔵庫は9%増と一応増産体制に乗っているが,カラー化の段階にあるテレビがわずかに5%増,自動化など新型化を必要としている洗濯機が前年比で2%減と依然停迷していることは,5ヵ年計画の方針からみても,問題であろう。
農業生産は,総生産額で71年にはほぼ前年から横ばいのあと,72年には4.6%減少した(第9-3表)。71年には横ばいとはいえ,農作物はほとんどが減産で,畜産の増大がこれを補填したものであった。72年には農作物は,綿花の増産が続いたほかは,すべて大幅の減産となったか,あるいはテン菜のように前年の減収を取戻せなかった。とくに穀物の減収が,国民の食生活の向上を目指す第9次5カ年計画の達成を阻止する重大問題であることは,すでに述べたとおりであるが,事実畜産品は羊毛が減産したほか他の畜産品の生産も小幅になるか,横ばいとなった。
穀物の減収は,西側からの輸入によって影響は緩和されたものの,なお引渡の遅れなどもあって,畜産部門に打撃を加えることになった。家畜頭数は,第9-4表に示したとおり,増加してはいるが,その増加率は小幅であり,豚などはほとんど横ばいである。しかもこの統計は私有家畜を除いたもので,恐しく飼料不足が公有部門より激しかった私営部門を含めると,あるいは減少したか,も知れない(総頭数は未発表)。とくに育成の容易な豚については減少が著しかったとみられる。他方畜産物の国家買付高は第9-5表(この統計は私有部門を含む)に示すように73年上期には家畜・家禽がわずかながら減少している。これらから知られるように,穀物減収は畜産部門に少なからぬ被害を与えたのである。
73年には,本報告でも述べたとおり,農業は著しい好転を示した。増産対策と好天のため穀物の収穫高は,12月に入ってからのソ連首脳者の報告によれば,2億2,250万トンと記録的水準に達し,綿花の収穫も760万トンと従来の最高である72年の730万トンを超えるものと予想されている。
貿易の概況については,すでに本報告第1章に述べたとおりであるが,その第1-19表に示したとおり,72年にはコメコン諸国と先進国からの輸入が著増し,貿易バランスは赤字となった。この輸入の著増は,穀物の減収に対処した穀物の大量輸入と第9次5カ年計画,とくに技術の近代化のための機械,設備の輸入によるものであることはいうまで,もない。他方,輸出では機械,設備がコメコ-ン諸国向け,発展途上国向けともに増加したのに対し,石油,木材,鉄鋼など伝統的な輸出品が軒なみに横ばいないし減少し,穀物は輸出から輸入に転じた。その結果,第9-6表に示すように,輸出入の商品別構造は71年から72年にかけて大きく変化した。すなわち,主要なものとしては,,機械,設備は輸出入ともにそのシェアが増大し,また食料品,同原料は輸出シェアが著減し,輸入シェアが著増するという対照的な動きをみせた。
貿易の地域別構成は,本報告第1-9表からも知られるように,輸出ではコメコン諸国と開発途上国のシェアが増大し,輸入ではコメコン諸国,とくに先進国のシェアが増大した。こうして,72年のソ連貿易ではコメコン諸国が輸出入ともに約60%のシェアあ占めて,ソ連を含むコメコン地域の経済統合の進行を示しているが,先進国が輸入-の26%近くまでそのシェアを増大させ,また発展途上国がなお輸出の約16%を占めている。このことはソ連の西側からのしばしば信用供与をともなう穀物,機械,設備の輸入増加と発展途上国に対する経済技術協力の実行を反映するものである。
この西側諸地域との貿易,ひろくは経済関係は両地域との輸出入バランスにも現われている。すなわち西側先進国との貿易は恒常的にソ連側の輸入超過であり,とくに72年には10億ルーブル(約12億ドル)に達した。また発展途上国との貿易は一貫してソ連側の5億ドル前後の輸出超過が続いている。ここでソ連の発展途上国との経済協力をみると,西側の推計によれば71年までの信用供与約束は総額76億ドル(ソ連側発表では70年までの総額は56億ドル)で,そのうち総支出額は37億ドル,返済を差引いた純支出額は27億ドルにすぎない。しかしそれはエジプト,インドなど政治的関係の深い諸国に集中しているのが特徴的である。71~72年における経済協力の実施状況を技術援助協定の件数とその輸出からみると,第9-7表に示すように,共産圏諸国との協定は別として,非共産圏の発展途上国との関係ではエジプト,イラン,シリア,トルコなどの中近東諸国とインドとの協力が目立っている。とくにエジプトとの間では73年1月に15年の経済,技術協力協定が,また73年11月にはインドとの間に同じく15年の経済,貿易協定が調印されている。
次に発展途上国を含む西側との貿易を国別にみると,72年にはかなり激しい変化が起った。第9-8表に示したように,ソ連の輸出相手国の第1位は目本,輸入相手国の第1位は西ドイツが占めてはいるが,輸出入合計では西ドイツが第1位となった。とくに面目を一新したのは,エジプトの地位が大きく後退したのに対し,アメリカの地位は著しく高まった。そのいずのも外交関係の変化を直接反映するものとして注目される。
73年に入ってからの西側諸国との貿易関係については,すでに本報告において述べたとおりであるが,OECD諸国とユーゴの対ソ連輸出入は,第9-9表に示すとおりである。すでに上期中にアメリカは対ソ輸出で首位に進出し,西ドイツも対ソ輸出を著増させており,1-8月累計の輸出額では,前年同期比でアメリカが3.4倍,西ドイツが2.4倍と躍進している。
72~73年におけるソ連の重要な政策としては,食料増産策,西側諸国との経済交流,工業部門の管理機構の改革の三つをあげることができるが,前二者については,すでに本報告で述べたとおりである。
第3の工業部門の管理機構の改革は,従来から大きな問題となっていた慢性的な欠陥を是正しようとするものもある。それは既存の工業管理体制のもとでは,投資の分散を主因として建設の進捗テンポが遅く,設備の利用も不十分なことである。これに対処して,73年4月3日発表の共産党と政府の共同決定をもって,工業管理体制が改革されることになった。
その内容は,もともと71年の共産党大会で公式決定された5カ年計画に盛られた基本方針に沿ったもので,連邦または共和国7(ソ連には連邦を構成する15の共和国がある)の部門別の工業関係各省による国営企業の管理体制を改組し,73~75年に新体制に移すというものである。すなわち,従来の個則企業を合併して,これに研究機関などを加えた独立採算制の「生産合同」(コンビナート),さらにそれらを統轄する「全連邦工業合同」と「共和国工業合同」を創設する。
これによって,従来の各省の直接管理体制に比べて,経済管理を生産の現場に近づけ,経済管理機構の各段階の権利,義務を明確にし,管理の機動性と弾力性を高めることができるのであって,そのねらいは生産の集中,科学・技術的基礎の強化,企業間の専門化と協業化を通じて,労働生産性の向上,品質の改善,コストの引下げなどをはかることにあるといわれる。
今回の決定は,西側でいう1965年以来の「利潤導入」による経済改革を通じて行われてきた個別企業の自主性向上策からの転換である。もちろん,経済改革にともなう報奨制などの諸制度は引き継がれるが,管理の集中と直接,具体的な指導の強化が意図されている。
さきに述べた緊急農業増産策は,比較的天候に恵まれたこともあってかなりの成果ああげたし,東西交流策は,なお交渉中の問題が残されているものの,貿易の大幅拡大を通じて生産にも次第に好影響を与えている。これらに比べると,工業管理機構の改革はあまり進捗をみていないようであり,その成否は今後の問題である。
こうした政策を通じて第9次5カ年計画(1971~75年)は果してどの程度達成されるであろうか。これを過去3年の実績ないし実績見込と4年目の年次計画とから判定してみよう。
第9次5力計画には多くの指標について年次別の予定が定められているが,これを各年次の実績および計画の累計とを対比したものが,第9-10表と第9-11表である。すなわち,総合的な指標でみると,いずれも5カ年計画の予定より遅れているが,そのうちでも遅れの小さいものと大きいものとの二つの類型がみられる。前者は国民所得,工業生産とくに生産財生産であり,後者は個人所得と工業生産のうちの消費財生産である。また工業品の生産量にもほぼ同様の傾向がみられる。そのことは5カ年計画の基本方針の一つである国民生活の向上という目標の達成が困難なことを示している。
ファスト・ナショナル・シイティ・バンクの推計によると,1972年の中国のGNPは1,380億ドル(70年米ドル価格表示),1人当りGNPは約159ドルである。発展途上国のなかでも,1人当りGNPの大きさでは低水準グループの中に入る(第10-1表参照)。
また同推計によって,72年の前年比伸び率をみると7.5%である。文革収束後,毎年10%を超えてきたGNP成長率が72年に入って低下したのは,主として自然災害にもとづく農業減産の影響が原材料の供給減少あるいは財政収人の減少,輸出減少などを通して経済全般に波及したためである。
しかし,73年に入って気象条件の好転および増産対策の効果と相まって,農業生産は71年の史上最高水準を上回った。また工業生産も73年上半期に前年同期比10%の伸びを示し,工農業総生産額は前年に比べ8%以上増加した。
なお鉱山開発,発電設備,冶金,石油化学および港湾,道路,鉄道など輸送設備を中心に,投資活動の大きな高まりがみら-れ,プラント輸入契約も相次いでいるので,先行き工業生産の増大がみられよう。
(農業生産)
食料生産は71年の250百万トンから72年には240百万トンヘ4%減収し,綿花生産も71年の760万俵から650万俵へ14.5%減収となり,大豆,落花生など油脂原料作物もそれぞれ減産した(第10-2表参照)。
ところで1973年に入って年初来懸念されていた農業生産も好転し,政府当局の見通しでは,食料生産全体としては72年水準を上回るだけではなく,これまでの最高記録71年の250百万トンをも上回る見込みだといわれている(西側推計では270百万トンを上回るという情報もある)。また綿花生産も前年に比べ20%増となった。73年に急増した食料(とうもろこし,大豆をふくめ700万トン以上),および綿花(200万俵)の買付けも今後漸減し,外貨支出の面で制約されていた工業資材の買付けに好影響を与えることになろう。
農業生産の改善理由としては,気象条件の好転と農業増産対策の効果を指摘することができる。
中国の農業増産対策は,「農業は大寨に学ぶ」というスローガンのもとで展開されている。「大寨に学ぶ」という意味は,全国の人民公社は自力によって自然改造を行ない,農業増産を勝ちとった山西省昔陽県大寨人民公社の農地建設と農業生産を見習うべきだというのである。その含意するところは,資本,農業用資材,化学肥料が不足しても,自力更生,克苦奮斗の精神によって,与えられた条件のもとで農業増産をかちとること,また貧農,下層中農の団結とイニシアティブによって農業集団を強化し,大寨分配方式にみられるような,奉仕の精神にもとづく社会主義的モラルの上に,新しい農村を建設するという意味である。
しかし,大楽学習連動ば思想運動だけを主張しているわけではない。これからの農業増産の方途として,農業近代化の必要性も強く主張している。
中国農業は,解放後すくなくとも1950年代末までは,農業セクター内部の蓄積をもとに,高度に集約化された「伝統的農業技術」というFrameworkのなかで一応の生産水準に達していた。この「伝統的農業技術」のもとでの生産バランスが崩れるきっかけとなったのは,50年代末に発生した末曽有の農業災害である。自然災害によって崩れた農業バランスは,若干の非農業からの資源援助によって立ち直ったが,同時に農業技術分野では,災害に打ち勝つための農業近代化の基礎が徐々に打ち立てられた。
中国が指向する農業近代化の方向は,ソ連あるいはアメリカの大規模機械化方式をそのまま踏襲することではなく,中国の自然条件に密着して,伝統的農業技術を生かしながら,それを補完するものとして大規模方式と小規模方式を併用した機械化,化学化(化学肥料,農業の増投),水利化,電化など多種多様な近代的技術を導入することである。
つぎに農業近代化のプロセスを,①作付体系の改変,②灌漑と水利保全,③化学肥料の投入の3点についてみることとする。
①作付体系の改変
農業技術変化の基本的なねらいは土地集約化による農業増産である。そのなかでも土地利用率の上昇を目的とする作付転換が土地集約化の決定的な手段とみられている。中国では反収の大きい米作を中心とした多毛作化が重点的に取りあげられてきたが,多毛作指数(耕地面積を100とする作付指数)は,52年から65年にかけて130.9から143.1に上昇した。63年当時のインドのそれが115.1であったのと対比するとかなり大きい。米の多毛作化の手段の一つは,揚子江沿岸を中心とした華中地域における米の二季作化の普及と,もう一つは華北および山間地区の小麦,雑穀地帯の稲作化である(第10-3表,第10-4表参照)。
第10-3表 1956年全国水稲生産技術会議における1967年の米作付面積目標
この政策は気象条件,水不足あるいは農民が新しい作付転換に適応できなかったことなどの理由により,50年代末以降失敗に失敗を重ねてきたが,約10年間の試行錯誤の結果,作付体系の改変にともなう技術的基礎条件はほとんど完成した。残る問題は作付体系の改変に必要な化学肥料,灌漑排水用設備,電力,石油など追加的資源の確保と改良品種の育成である。
品種改良については,東南アジアで開発されたIR8,IR5など高収量品種が,パキスタン経由で導入されたようだが,それが肥料,農薬など資本使用的な品種であるため,たとえ収量が増えても資本をたくさん喰う品種として経済的でないという理由で否定され,中国在来種の品種改良が進められ
②灌漑と水利保全
中国の水利保全は歴史的に洪水対策に集申してきた。それは農耕地区の大半が揚子江,黄河,准河,珠江流域に集中して洪水が瀕発したこと,華北地区では黄河の河床が農耕地よりも高く冠水しやすいことなど,地勢,土壌条件によるものである。
水利保全投資のうち,潅流投資にようやく関心が向けられ始めたのは1957年以降である。それも多くの灌漑プロジェクトは,人民公社など地方の共同体ベースで進められてきた。そして多くは動力および機械に頼らない伝統的灌漑設備によるものである。耕地面積に対する灌漑面積比率は,57年に20.6%に達したが,潅流総面積の約80%は伝統的灌漑設備であった。動力および機械を利用した完全に新しいパターンの,中央政府ベースの灌漑プロジェクトが展開されるようになったのは1964年以降である(第10-5表参照)。
揚水灌漑の普及と海河水系の水利工事が基本的に完成したことによって,従来食料自給が困難だった河北,山,東,河南省など,華北地区にある各省も,70年代に入って基本的に食料自給が可能になったと伝えられている。
③化学肥料の投入
中国の肥料投入量の圧倒的な部分は,役畜の糞,堆肥,緑肥,河川泥など有機′肥料によって占められている。肥料投入量,は1960年代に入って作付体系の改変が進むにつれ増大したが一方50年代末期の大躍進期に,飼料不足による家畜飼育量の減少によって有機肥料の供給量が減少して化学肥料の投入量が急増した。肥料投入総量に占める化学肥料の割合いは,1957年の2.5%から65年には13.5%に増大し,さらに70年代に入って化学肥料の増産と輸入増加によってその割合いはいっそう増大したものとみられる(第10-6表参照)。
一時減少した家畜飼育量も,70年代に入って再上昇に転じたが,飼料供給などの面でその増加テンポは穀物の増加テンポに及ばず,作付体系の改変にともなう追加的肥料需要の大部分は,今後無機肥料に依存しなければならなぐなるだろう。中国農業は史上初めて本格的に農業外肥料に依存するようになったわけである。
(工業生産)
自然災害による農業減産の工業部門に対する影響は,72年中にほぼ落ちつき,73年上半期-の工業生産は北京,天津′など主要工業地区で国家計画を達成または超過達成し,国家全体としては前年同期に比べて10%の伸びを示した(ファー・イースタン・エコノミック・レビュー誌,73年10月1日号)。
工業生産の重点は石炭,石油,電力などエネルギー産業,鉄鋼業,,化学肥料,農薬,農業機械,など農業関連産業,繊維,軽工業品など輸出産業に向けられている。
原油生産は人造石油をふくめて72年に3,000万トン,73年には5,000万トンに達したものとみられる。国内消費状況をみると,従来の軍事用および貨物輸送用,重点から,最近は産業用,農業用,建設用あるいは旅客輸送用もふくめて,ほぼ自給の域に達している。1962年以降,北朝鮮,北ベトナム,東アフリカ諸国に対し石油製品の輸出が行なわれてきたが,73年には日本向けに約100万トンの原油輸出が行なわれた(74年には500万トン輸出の予定)。
今回の石油危機に関しては,中国は石油自給国であってむしろ有利な立場にある。石油危機発生後,すでに香港に対しては緊急輸出が開始され(11月末と12月央に合計11,000トンの石油を供給),タイも石油とタバコのバーターという中国側の申入れを受け入れ,フィリピンも11月末始めて中国の経済ミッションを受入れ,石油危機の期間中,アメリカの石油会社の供給価格を下回る価格で石油供給を行なうというオファーを受けた。しかし現在のところ輸出余力は少量であり,本格的な石油の供給は,現在探査が進んでいる勃海湾を始めとする大陸棚の油田開発の結果をまたなければならない。
電力生産も急増している。73年1~10月の電力生産は,前年同期に比べ漸江省41%増,湖南省40%増,福建省35%増,青海省10.7%増であった。農村地帯を主体とする以上各省の電力増産は,主として小型電力の開発と普及によるものである。なお日本および西欧との間に大型火力発電プラントの輸入成約が続々と成立し,電力開発に力が入れられていることがわかる。(第10-7表,第10-8表参照)。
石炭は中国におけるエネルギー資源の主体であって,エネルギ-総消費量の70%以上は石炭に依存している。今後も輸送用および火力発電用のエネルギー源として,あるいは石炭化学の育成に必要な石炭開発に重点をおくことを明らかにしている。
粗鋼生産は72年に2,300万トンの規模に達し,73年上半期にも鞍山,上海,武漢の主要工場で大幅な増産が達成されている。
なお現在日本との間に大型鉄鋼プラントの商談が進んでいるが,これは熱間圧延300万トン,冷間圧延100万トンという大型規模のものである。
農業関連工業として重視されてきた化学肥料生産は,72年に1,980万トンの生産規模に達し,73年1~8月間にも前年同期に比べて30%の増産となった(農業ジャーナリスト訪中団に語った政府当局の話では,72年1,700万トン,73年2,300万トン)。農薬生産も72年には65年に比べ倍増し,73年1~8月には前年同期比で13.4%増となった。さらに73年に入って,欧米諸国および日本との間にアンモニア・尿素プラントの成約が相次いでおり,先行き化学肥料の増産は必至である。また国内産原油の増産を背景に,新たに石油化学コンビナート基地を設定し,日本および西欧諸国との間に石油化学プラントの輸入契約が次々に成立している(第10-7表,第10-8表参照)。
機械工業生産も着実な増産を示している。72年の機械生産は65年に比べ倍増し,うち鉱山設備,冶金設備,石油工業設備,発電設備,トラクター,内燃機,重型トラック,ベアリングなどは3倍から20倍の生産規模になった。
また全国2,100県(西蔵,新彊を除く)に農業機械製造修理工場が設置されている。73年に入っても機械工業の増産は継続し,北京の1~8月の機械生産額は,前年同期に比べ16.6%増であった。また電子工業生産も最近急増を示し,73年上半期には65年上半期に比べて倍増し,同じく73年上半期のテレビ,ラジオの生産は前年同期に比べ88%増,83%増となった。
農業機械化の展望について政府当局は,1980年までに全国的に農業の機械化を実現したいと述べている(73年10月,農業ジャーナリスト訪中団に対し,華国鋒政治局委員の談話)。
1972年の貿易総額は57億ドルを突破した(第10-9表参照)。71年の45.7億ドルに比べると約25%の増大である。貿易相手地域別にみると,自由圏諸国との貿易額が約80%を占め,共産圏諸国との貿易額は約20%である。前年比の伸び率も自由7圏諸国の方がはるかに大きい。もちろんこれは,中ソ間の微妙な政治情勢を反映したものであって,国境をぢかに接する中ソ両大国間の貿易額が,中国の貿易総額のわずか4%程度というのは驚くほかはない。中ソ貿易にわずかな回復のきざしが見えるとはいえ,現状の政治情勢からみて,中国の対外貿易は今後ますます自由圏諸国に傾斜することとなろう。
自由圏諸国のなかで中国との取引額が大きい国は日本,香港,カナダ,西ドイツ,イギリス,フランス,シンガポールといった諸国である。なかでも日本,香港の貿易額がずば抜けて大きいが,アメリカも急ピッチで貿易額を伸ばしており,73年の米中貿易は8~9億ドルに達し,おそらく日本に次いで第2の貿易相手国となることは間違いない(第10-10表参照)。
輸入額の大きな商品は鉄鋼,機械,化学品(化学肥料など),穀物,原材料(生ゴム,綿花など)で,とくに72年の農業減産の影響をうけて,穀物,綿花等の輸入増が目立った(第10-11表参照)。
輸出額の大きな品目は,やはり食料品,農産原料,衣類,軽工業品などである。日本向けの輸出が最近大きく伸びているが,その主もな商品は食料品,繊維品,雑品等である。とくに生糸,綿織物,絹織物,書画骨とう品の伸びが大きかった(第10-12表参照)。
好調な対外貿易の伸びは,73年に入って一段と拡大テンポを高めている。全地域を網羅した貿易統計は見当らないが,自由圏諸国のうち23カ国を力ヴーアし,貿易総額の約50%を占めるOECD諸国との貿易は,1~6月間に前年同期比で,中国の輸出59.4%増,中国の輸入90.0%増となった(第10-13表参照)。とくに日本およびアメリカの伸びが顕著で,日中貿易は1~11月間に17.7億ドルに達し,前年の年間実績を大きく上回り,年間20億ドル前後に達する見込みである。また米中貿易も1~11月間に6.1億ドルに達し,前年の年間実績0.92億ドルを大きく上回った。米政府当局の見通しでは年間8~9億ドルに達する見込みである。そのほか西ドイツ,イギリス,フランス,カナダ,香港など主要国は軒並みに増大を示しており,73年の対外貿易総額は,75億ドルを突破することは必至とみられている(日経,73.12.19)。
このような自由圏諸国との貿易増大は,中国の国連参加,米中会談,日中国交回復など一連の国際的な動きを背景とした中国の国際化の高まりと,石油化学プラント,アンモニア・尿素プラント,鉄鋼圧延プラント,火力発電プラント,航空機,貨物船など多額の輸入成約にみられるように,国内投資活動の急上昇を反映したものである。さらに72年に発生した農業災害が食糧,綿花など農産品の輸入量を大幅に増大させた。そのほか米ドル切り下げにともなうドル表示額の名目的な増加分もあり,また最近の国際的な商品価格の上昇を反映した輸出入価格の上昇も影響している。日銀の試算結果によるしかし74年の対外貿易の見通しについて,近着のフィナンシャル・タイムズは,中国は石油自給国ではあるが,世界的な物資供給不足とデリバリ遅延の影響を受けて,増勢は鈍化するだろうとみている。
このように急テンポで拡大する貿易の増大,とりわけ輸入の増大に対して,中国は当然のことながら外貨獲得に力を入れ始めている。日銀調べによると,73年春の広州交易会では,「国際価格での取引」を強調し,その引合い価格を一挙に生糸2倍(前期比以下同じ),綿布類40~60%,繊維二次製品70~80%,食品20~30%,美術工芸品数倍と引上げるに至った。この価格引上げの理由として日銀では,①中国の輸出品に農産品関連のものが多く,輸出数量を伸ばすのに限界があること,②西側諸国の中国品ブームを背景とした需要の高まりに加え,世界的インフレーションの進行もあって,西側諸国が値上げを受け入れやすい環境にあることなどを指摘している。
中国産品の輸出入価格の上昇傾向は,73年秋の広州交易会では,若干の農産品価格の値下りを除いては,ほぼ春並みの横ばいに推移した。値下りを示した商品は生糸(キロ当たり96元より68元へ30%減),大豆(トン当たりFOB710元より480元へ32%減),アンゴラカシミア(37%減),えびなどであった。
また北京における友誼商店(外人専間店)での商品価格の引上げも,中国の外貨獲得熱の一端を示すものである。さらに日銀調べによると,香港において中国系銀行が同地で資金を吸収し,これを原資として北京への外貨送金の増大を図る動きが活発化していると伝えられている。すなわち,中国系銀行が73年初以来二度にわたり,人民元建予金金利の引上げ(1月および3月,それぞれ一律0.5%)を行なったほか,同年5月からは中国系保険会社(代理店として中国系銀行)が,人民元建生命保険の取扱いを開始した。すべて外貨獲得政策に関連するものである。
中国の香港市場向け輸出商品の動きをみると,農産品,繊維品などの伝統的輸出商品にまじって,ポリエステル,アクリル系の合繊の新製品も登場しはじめた。綿製品,衣類など伝統的商品の輸出強化とともに,鉄鋼,セメントなど中間材や,さらに新製品の輸出開拓や外交政策に裏付けられた新市場の開拓も今後積極的に展開されてゆくだろう。
なお資本財の輸入に当って,中国は一般的な商慣習としての延払決済は受入れるが,海外からの借款供与は一切受入れず,輸出力の増強によって貿易収支の均衡化を図ろうとしている。
しかし72年後半から73年11月未までに成約されたプラント輸入代金だけでも(航空機を除く),すでに10.5億ドルを上回り,引きつづいて鉄鋼圧延プラント(熱間圧延300万トン,冷間圧延100万トン)など大型プラントも続々成約されようとしている。こうした国際化の高まりのなかで増大する輸入需要に対して,輸入決済問題は中国にとって今や重要な課題となりつつある。
ソ連からの借款返済の経緯からみて,政治的圧力がからむ二国間の借款供与は受入れないと言明しているが,最近バンクローンに関心を示し始め,中国銀行は西欧諸国の同銀行に対する外貨予金の預け入れに対しても,関心を示し始めていると伝えられる。