昭和46年

年次世界経済報告

転機に立つブレトンウッズ体制

昭和46年12月14日

経済企画庁


[目次] [年次リスト]

第9章 中  国

1. 中国経済の規模

(1) GNP規模

中国経済は1969年に文化大革命がもたらした経済的混乱から立ち直り,70年には上昇過程に入ったが,外務省中国課の推計によると,70年のGNPは前年比10%増の750億ドルの規模に達したものとみられる(第1表参照)。世界各国と比較すると,アメリカ9,765億ドル,ソ連が4,286億ドル,つぎに日本の1,962億ドル,あとは西ドイツ1,855億ドル,フランスが約1,600億ドル,イギリス1,207億ドル,イタリアが約900億ドル,カナダ800億ドル,そして中国が750億ドルで世界で第9番目のGNPの大きさである。

中国の人口は約8億といわれているから,1人当たりGNPは94下ルとなる。国民所得ベースに換算すると約85ドル前後とみられる。1969年の数字しか得られないが,東南アジア諸国の1人当たり国民所得が,台湾268ドル,フィリピン182ドル,セイロン137ドル,タイ126ドル,パキスタン120ドル,インド76ドル,ビルマ59ドルであるから,中国の1人当たり国民所得はパキスタンとインドとの中間にあることになる。日本の70年の1人当たり国民所得1,515ドルと比べると18分の1にすぎない。しかし中国の場合,個人所得税がとられない上に生活必需品の価格がきわめて安く,住居費も安いということから,物的消費水準は一人当たり国民所得にみられるほどの開きはない。

なお,外務省中国課が推計したGNPとは別に,カナダの経済学者B..M.リッチマンが,70年のGNPを890~990億ドルと推定している。かれは66年5月中国を訪問した。その際北京の計画担当者が,個人的見解だとして,1人当たりの収入は225元から250元(91~102ドル)であると語ったという。

この数字を66年における1人当たり国民所得とみなし,一定の操作を加え七GNPを推定すると,70年のGNPは890~990億ドルとなる。

さらに米人記者エドガー・スノーが周恩来首相と会談した際に70年の工農業総生産額は1,200億ドルであったと発表したという。この工農業総生産額について,一橋大学の石川滋教授は一定の統計概念を適用し,一定の所得率を操作することによって,70年の国民所得を計算しているが,その結果は国民所得ベースで746~883億ドルであった。GNPベースでみると前述のB.M.リッチマンの数字とほぼ同一規模となる。

第9-1表 中国のGNP規模の推移

(2) 経済成長率

中国は1953年からソ連の社会主義建設の方式を御手本にして,第一次5ヵ年計画(53~57年)を,発足させたが,53年から70年にいなる18年間の経済成長率は年率5.4%であった。55年に始まる第二次5ヵ年計画(58~62年)からは,中国はソ連式の重工業優先主義から,その発展段階に適した農業重視主義へと試行錯誤的に移行した。このような政策転換が行なわれたのは,農業生産の停滞からの脱却という国内経済要因のほかに,スターリンに対する評価をぐって中ソ論争が展開され,やがて国家間の対立までに発展して,ソ連の経済援助にいつまでも頼れないという事情が大きく影響した。ソ連の経済体制の枠組みから離れて,「中国独自の社会主義建設路線」をたどり始めた中国経済の発展過程は,必ずしも安定的なものではなかった。57年から70年までの成長過程には,大躍進政策の挫折や文化大革命にともなう経済混乱もあって,結局経済成長率は年率3.4%という低水準に止まらざるを得なかった。60年代の発展途上国の経済成長率が5.2%であったから,それをかなり下回っている( 第9-2表 参照)。

第9-2表 中国と発展途上国の成長率比較

60年代の中国の経済成長率が低成長だった理由としては次の三点が指摘されよう。

第一に,農業が支配的な地位を占めているので,気候条件によって経済変動が発生しやすいということである。

中国農業の歴史は自然災害との戦いの歴史だということができる。60年4月に採択された「全国農業発展要綱」でも,自然災害の克服に重点がおかれてきたが,その後近代的農法を取り入れて,自然災害の克服にはかなりの成果を収めてきたものの短時日で満足な成果をあげるとはとうてい不可能である。

自然災害によって農業が凶作に見舞われると,その影響はただちに工業生産,財政収入・輸出貿易など国民経済全般に波及してゆく。

中国の経済学者,葛致達も1960年当時について,つぎのように述べている。

第二に,中央の計画当局が新しい政治路線を打ち出す場合,政治路線が確立するまでに,しばしば経済後退がおこることである。たとえば,中ソ対立の結果,中国が自力で独自の社会主義建設路線をたどらなければならなかったが,60~62年に大躍進政策が挫折して経済後退に陥ったこと,また文化大革命が生産企業の管理部門にまで波及し,67~68年に政治混乱によって生産活動が停滞し経済後退に陥ったことがそれである。もしこの二回の落ち込みがなかったら,大躍進段階にうたわれた68~72年に鉄鋼,石炭,セメント,化学肥料,工作機械など重要工業品の分野で,「イギリスに追いつき追いこす」こともできたはずである。しかし,社会主義体制をとってから22年,中国は急進と穏歩の間を行きつもどりつしながら,70年に入って文化大革命も収束して,ようやく政治,社会状勢は安定したようである。

第三は,中国をとりまく国際環境のきびしさによって,経済発展が制約されてきたという事実である。朝鮮戦争以来,西側諸国は中国を国際的に孤立させるために,貿易規制を強化してきたが,これによって中国は,工業化を促進するための資材,設備,技術の導入がある程度阻まれ,経済成長が制約されてきたという一面があった。

さらにベトナム戦争の勃発,中ソ対立の激化などによって,中国は長期的に臨戦体制をとらざるを得なくなった。国防費の増大は必然的に経済成長を制約するものとなっている。

ところで71年4月,米大統領は中国に対する貿易,旅行規制緩和に関する明を発表し,さらに7月,中国はアメリカと同時に,米大統領の中国訪問を発表した。そしてついに10月25日,中国は国連に参加した。こうして中国をめぐる国際環境は,かなり好転し,経済交流も促進される見通しが強まってきた。しかし中ソ対立のきびしさはいぜん続いており,長期的な臨戦体制という基調そのものは変っていない。

(3) 文革後の経済成長

69年4月に中国共産党第9回全国代表大会(9全大会)が開催されて,文化大革命は一応収束段階に入った。文革の収束とともに政治的混乱も収まり軽済は上向きに転じた。

第9-3表 GNP,工農業生産の推移

67,68年と2年続いた経済後退からの回復要因もあって,69年にはGNPベースでみて前年比13.7%の増加,70年には同じく前年比10%の増加となった。工業生産も前年比19.4%増,農業生産も前年比6.1%増,食糧は62年以来連続9年の豊作となって2億3,000万トン(中国当局の発表では2億4,000万トン)生産された。すくなくとも人口増と見合った食糧の増産は維持された。

71年に入って工業生産と建設の面では,原材料工業を重視し,とくに鉄鋼および鉱山建設に重点がおかれるようになったが,工業生産は1~8月間に前年同期比18.7%増となり,業種別にみて石炭11.8%増,原油27.2%増,銑鉄22.0%増,粗鋼19.6%増,銅材19.1%増,鉄鉱石31.4%増,電力(1~5月)24.0%増となった。このほか機械(鉱山設備,工作機械,農業機械,トラクター,トラック,船舶)や化学肥料,綿糸布の増産も伝えられている。

農業生産も71年上半期には,小麦,早稲,油料作物など夏季作物を中心として,全国29の1級行政区のうち,前年同期比10%を上回る地域が多かった。米を中心とした秋季作物の生産も好調で,食糧生産は62年以来,連続10年の豊作となる見込みが強い。とくに従来食糧自給が困難だった北方地域(河北,山東,河南,遼寧の各省)で基本的に食糧自給を達成したといわれている。食糧輸入も70年以後急減している。

食糧の増産は,ダム建設や河川改修によって濯概面積が増え,二毛作が全国的に普及したことや,化学肥料や農薬などの投入量が増え,農業機械化が進展し,多収獲品種が開発されたことによって,土地生産性が著しく高まったためもたらされたものである。全国耕地面積1億900万ヘクタールのうち,40~50%がすでに潅漑面積に造成されたという。また,食糧重視=(以糧為綱)という農業増産の基本方針には変りはないが,最近綿花など経済作物も重視されている。工業原材料の需要増大によるものであろう。しかし大豆落花生など油脂原料作物の増産テンポは緩慢である。

中国は71年に,第4次5ヵ年計画(71~75年)を発足させたが,第四次5カ年計画の全体的な規模と構想を直接的に明らかにするような報道は,北京当局からは何も発表されていない。

しかし文革収束後の社会主義建設の方向は,文革期の革命昂揚段階に極左的に偏向した行きすぎを是正し,文革によっておし進められてきた毛沢東路線の一層の深化を図りながら,生産に重点をおいて進められようとしている。

毛沢東路線の基調は,工業分野では「大慶に学ぶ精神の強調」という点に示されているが,大慶油田建設の特徴は66年5月7日毛沢東主席から提示された「5・7指示」に指摘されるように,「自力更生」と「三大差別」解消である。前者は外部からの助けに頼らず自分たちの力で仕事を完成するということである。また後者のいわんとするところは,ともすれば起こりがちな頭脳労働と肉体労働,工業労働と農業労働および都市と農村との間の著しい格差を生ぜしめないよう,あるいは縮小させるような方向で経済建設を進めるということである。

大慶学習のねらいである「自力更生」と「三大差別」解消の方針は,大慶油田のような中央政府管轄の大規模工業建設の場合だけではなく,地方小工業の建設の面により多く生かされている。

地方小工業は,いわゆる「自力更生」の精神を生かして,地方政府機関(省,専区,県,人民公社,生産大隊)が経営主体となり,中央政府の援助に頼らず,独力で地方の農業生産を増大させ,地方経済圏を確立する目的のもとに建設が進められている。

地方小工業の業種範囲は,いわゆる「5小工業」と称される石炭,鉄銅,化学肥料,セメント,機械のほかに,水力発電から日用品にいたるまで広汎にわたっており,71年上半期には,地方小工業によるセメント,化学肥料,鉄鉱石,銑鉄の生産量は,全国総生産量のそれぞれ50%,40%,25%,20%を占めるようになった。こうした地方小工業の建設によって,地方の農業生産が高まり,農民所得の増大を通して都市と農村の間の格差縮小に役立っている。

毛沢東路線の基調は,農業分野でも「大稟に学ぶ精神の強調」という点に示されている。大稟学習のねらいは,やはり工業の場合と同じように,「自力更生」と「政治優先」により山西省の一寒村を全中国の農業モデルに仕上げた大寨人民公社の精神を,全国の人民公社が見ならうべきだというのである。

第四次5ヵ年計画の工業建設の枠組みについて明示した文献は見当らないが,人民日報紙上で紹介された「電子中心論批判」という論文によって,第四次5ヵ年計画の工業建設の重点が重工業部門とくに鉄鋼,機械など基礎産業の建設に指向されていることがわかる。そして鉄鋼業のなかでも原料部門が重視されている。第一次5ヵ年計画当時のソ連の社会主義建設の歴史的経験を取り入れた「重工業優先論」のむしかえしに似た点が問題だが,第一次5ヵ年計画期と違って,社会主義建設路線の総体的な方向としては,「農業基礎論」に論拠をおいた農業重視路線の枠組みのなかで,鉄鋼および機械など基礎工業を重視していくものとして理解すべきであろう。

文革後の社会主義建設の特徴の一つに,造船,自動車,鉄道車両など輸送施設の増強が,あげられる。こうした外部経済の強化によって,工業生産拡大の基盤が整備されできているが,中国経済はここ1~2年の地固めを終えて,本格的な上昇に向かうものとみられる。

第四次5ヵ年計画の成長率について,アメリカのE.F.ジョーンズは年率5~6%と予測している。これには米中接近にともなう最近の国際情勢の変化が織り込まれていない。しかし10月25日正式に国連に参加したこともあって,中国をめぐる国際環境はいちぢるしく好転しているので,第四次5ヵ年計画の経済成長率はさらに上向きに転ずるものと思われる。労働力人口の伸びが2%,生産性上昇率が5%前後とみて,年率6~8%の経済成長率は達成されるだろう。

一方,生産の発展と労働生産性の上昇によって,労働者,農民の賃金所得も高まっている。現在都市労働者の平均賃金は年間650元で,52年の賃金水準に比べで50%増である。最低と最高の間は8等級に分かれているが,両者の開きは次第に縮小し,技術者および企業管理者もふくめて最高賃金は最低賃金の5倍を越えていないといわれる。

賃金水準は全体的に低目に押えられているが,しかし個人所得税がとられない上に,生活必需品や住居費が安いので,物的消費水準は所得水準に比べて相対的に高い。

また農業については,主要農産物と副業生産物の政府の買上価格が50年に比べ現在約90%高となり,農業税の農業および副業生産額に占める比率も,53年の12%から70年には6%に低下した。このため農業生産の増大とともに農民所得はかなり高まってきた。

労働者,農民の所得の増加によって貯蓄性向も高まり,70年末の貯蓄総額は65年に比べ28%増加し,また71年1~8月期間にさらに12.2%増加した。

2. 中国の対外貿易

(1) 1970~71年の貿易動向

文革収束後の経済好調を反映して,対外貿易も1970年には急増し,貿易総額で前年比9.1%の伸びを示した。戦後,ピーク水準に達したのは66年であったが,70年には文革期の落ち込みから回復して,ほぼ66年の貿易総額42億ドルの規模を取り戻すことができた( 第9-4表 参照)。

第9-4表 中国の対外貿易の推移

70年の対外貿易については,およそ次の三つの特徴を指摘することができる。

第一に,輸入は前年比17.9%増と大幅な伸びを示し,21億1,600万ドルとなったが,輸出は前年比1.2%の増加に止まり,20億5,200万ドルとなった。

このため,貿易赤字は6,400万ドルに達したが,とくに自由圏諸国に対しては2億4,400万ドルの赤字となった。60年代に入って中国が入超となったのは,わずかに60年,67年,70年の3年のみである。

第二に,市場構成の面では,輪出で25%を社会主義圏,75%を自由主義圏で占め,輸入では15.7%を社会主義圏,84.3%を自由主義圏で占め,60年代に入って自由主義圏に偏ってきた比重は,70年に入っていっそうその比重が高まった。これは61年以後,中ソ対立がきっかけとなって中ソ貿易が減少し,70年には中国の貿易総額のわずか1%強まで縮小したためである。

しかし,文化大革命期間中に無協定となってしまった中ソ貿易協定も,70年11月に3年ぶりに締結され,さらに71年8月にも貿易協定が締結されたので,これ以上の中ソ貿易の落ち込みはとまるだろう。

自由圏諸国のなかでは,日本が首位に立ち,香港,西ドイツ,イギリスがこれに続いている。

第三に,輸出入商品についてみると,まず輸入面では鉄鋼,非鉄金属,機械(自動車,工作機械)が著増し,化学肥料は横這い,小麦は減少した。輸出面では輸出商品の多様化の傾向がいっそう強まっているが,石炭,鉄鉱石,非鉄金属など原材料の輸出余力が乏しく,ほとんど輸出されていない。

ところで70年に急増を示した対外貿易も71年に入って停滞を示している。

71年1~3月のOECD諸国との貿易は,前年同期比で輸出7.6%増,輸入11.8%減となった。

なかでも輸入は,各国別にみると日本(1~9月)4.1%減,イギリス(1~5月)65.1%減,西ドイツ(1~4月)27.0%減,イタリア(1~4月)9.3%減,カナダ(1~4月)3.6%減と,70年の好調とは逆に主要国からの輸入は軒並みに減少し,わずかにフランス(1~5月)47.2%増,スウェーデン,オランダが増加しているだけである( 第9-5表 参照)。

第9-5表 1971年上半期の貿易動向

このように71年に入って,とくに輸入の減少が目立つのは,おそらく,備蓄用として69年から70年にかけて,買い急がれた非鉄金属の輸入需要が一巡したことと,また70年に自由圏諸国との貿易が大幅な入超となったため,入超是正がおこなわれて,輸入の大幅な減少,輸出の増大といった状況を生み出しているものと思われる。

しかし,71年下半期以降には中国の対外貿易は拡大に転じるのではないかという徴候も幾つか現われ始めている。

第一に,71年春の広州交易会は,最近5年間の交易会では最良の交易会であったといわれ,輸出入契約高も10億ドルと70年秋の契約高を20%も上回ったと推測されている。さらに現在開催中の71年秋の広州交易会には,世界各国から多数の企業が参加し,契約高の増大が予想されている。

第二に,中国の輸入総額のなかで最大のシエアを占める日本の輸出の月別推移をみると,71年4~6月には,前年同期に比べ確かに25%前後減少を示したが,7~9月に入って前年同期比22%増と大幅な増加に転じていることである。

第三に,71年4月14日の対中国貿易ならびに旅行制限緩和に関するアメリカ大統領の声明につづいて,7月16日,中国はアメリカと同時に,ニクソン米大統領の中国訪問を発表して,にわかに米中接近の動きが高まった。米中接近によって1950年12月以来停止されてきた米中間の直接貿易再開の可能性が強まってきた。貿易制限緩和に関するアメリカの措置に対して,現在までのところ中国は公式には反応を示していないが,間接貿易の形式ではすでに70年から米中間の貿易は再開され(イタリアのロベルト・ペルリニー社にょってGMのトラック用エンジンが輸入された),71年には香港,スイスを通じて食糧品および生糸が輸出された。アメリカのChina Trade Associationの見通しによると,71年の間接貿易は5,000万ドルに達するだろうとしている。

米中接近に刺激されて西側諸国の動きも活発で,イギリスは71年7月中国産品の輸入制限を緩和し,またトライデント2E・ジェット機の輸出契約を結んだ。イタリア,マレーシア,アルジェリアはともに中国と政府間貿易協定を締結し,イギリス,フランス,イタリア,カナダ,オーストラーリア,日本,マレーシア,トルコ,シンガポール,イランなど諸国は貿易使節団を派遣し,中国もまたヨーロッパ,南米,マレーシアにそれぞれ貿易使節団を派遣した。

こうした西側諸国の動きは,たしかに中国の対外貿易の先行き増大を示唆するものといえる。さらに10月25日中国が正式に国連に迎え入れられたことによって,こうした傾向はいっそう助長されるだろう。

(2) 日中貿易の現状

日中貿易は1966年から68年にかけて減少したあと,中国の国内生産の上昇にともない69年から急速に増大している。とくに70年には,輸出入総額で8億2,270万ドル(前年比32%増)と大幅に伸びた。なかでも日本の輸出は前年比45.6%増と飛躍的な増大であった。中国にとってこの年は第三次5ヵ年計画の総仕上げの年であったわけで,文革の経済後退を一挙に回復するために必要資材を買入れたのであろう。それに海上運賃の高騰が近距離にあるわが国をいっそう有利にした点も考えられる。

一方日本の輸入は前年比8.2%の増加に止まり,結局70年には前年の1億5,626万ドルの出超幅をさらに拡げて,3億1,506万ドルの出超となった。これによって65年に出超に転じて以後の日本側の黒字累計局は6億2,067万ドルとなった(第9-6表参照)。

第9-6表 日中貿易の推移

このような連続6年の出超傾向は,71年に入って多少出超幅は縮小したもののまだ続いているが,そのアンバランスは中国側の対日需要が強かった反面,日本側で中国産品の輸入規制を行なったり(たとえば食肉,液卵)ある,いは中国側の対日輸出余力が乏しかった(たとえば石炭,鉄鉱石,とうもろこしなど)ためにもたらされたものである。

輸出入アンバランスの問題とともに挙げられるもう一つの点は,覚書貿易(MT貿易)の割合いが著しく低下してきていることである。

MT貿易が当初LT貿易として発足した63年頃には,日中貿易に占めるL T貿易の比率は,ビニロン・プラントの輸出が成約されたこともあって63%に達したが,69年には10%,76年には9%へと低下しでしまった。LT貿易の道が開かれたとき,LT貿易と友好貿易は「車の両輪」として,50対50でゆくだろうという見通しは結局夢になってしまった。

71年のMT貿易協定による計画額は,輸出入総額で7,000万ドルであるが,要は中国向け輸出に輸出入銀行の資金を使って,プラント輸出の道が開かれないかぎり,MT貿易の割合いを高めることは難しいだろう。

70年の日本の輸出商品の構成をみると,鉄鋼を主とする金属および同製品が48.5%と圧倒的比重を占めている。第二位が肥料など化学製品の24.3%,第三位が機械の20.9%である。機械のなかで自動車の輸出が目ざましい伸びを示したことが注目された。これら三品目で実に総輸出の93.7%を占めている。

近年における輸出品目構成の変化をみると,肥料,繊維原料の比重が年々低下する一方,鉄鋼,機械類は著しく比重を高めている。中国側の事情を憶測すると,肥料,繊維原料といった分野では,国内生産が伸びて輸入代替が進み,「自力更生」がかなり成功してきたので,輸入の重点を国土建設,輸送力増強,重工業化に移行しているのであろう。むろん国防体制の早急な充実という要請も無視できない。

主要輸出商品についてみると,70年の鉄鋼輸出は157万トン,約300億円でアメリカに次ぐ第二の市場である。肥料の中国貿易依存度はきわめて高く,輸出総量のほぼ70%は中国市場向けで硫安換算330万トン,約500億円である。伸びの高い機械業界のなかから工作機械だけを取り出すと,中国市場のウエイトが大きく,70年の中国市場向けは50億円でアメリカ市場向けの38億円を抜いて第一位である。中国市場は工作機械メーカーの期待する市場である。

第9-7表 は中国市場における自由圏諸国産品のなかで,日本と西欧諸国がいかなるシエアを占めるかを示したものである。鉄鋼,化学製品,機械いずれも日本のシエアが上昇し,西欧諸国のそれが低下している。

第9-7表 中国市場における日本および西欧諸国のシエアの変化

日本側の輸入に目を転ずると,輸入総額に占める食料品の比重は66年の40.8%から70年の26.4%に減少している。米の輸入が69年以降皆無となったことが響いている。とうもろこしも中国側に輸出余力がなかったせいか,69,70年と輸入はゼロである。えび,くらげ,くりのウエイトが引き続き高い。中国側に輸出余力がある液卵,食肉などについて,日本側が中国側の要請に応ずれば,食料品の輸入は増大しよう。大豆は「食料品」ではなく,「原料品」に分類されているが,単一品目としては最大のウエイトを占めている。年によって変動し,中国からの輸入全体の10~20%で推移しでいる。

みそ,しょうゆ,とうふといった大衆食品の原料であり,また食料油の原料である大豆は,その八割がアメリカ,二割が中国から輸入されている。一方著増しているのは生糸,絹織物,衣類などの繊維品と,「化学製品」に分類されている松脂(ロジン)である。

ところで70年に著増した日中貿易も71年に入って停滞し始めた。71年1~11月間の輸出入総額は7億9,687万ドルとなり,前年同期比でみて6.1%の増加である。これは日本の輸出が前年同期に比べて2.3%の減少となったことが大きく響いている。しかし月別推移をみると第9-8表の如く,4~6月に縮小した輸出も,7~11月に入って拡大に転じているので,年間を通してみれば70年の輸出実績にほぼ近いところまで回復しそうな気配である。品目別にみると鉄鋼,自動車,人造プラスチックの輸出が大幅に減少し,反面,化学肥料,工作機械,合成ゴムの輸出は大幅な拡大を示した。鉄鋼輸出も8月に入って回復に転じた。

一方日本の輸入は好調で,1~11月間に前年同期に比べて26.0%の増加となった。品目別にみると,えび,雑豆,生糸,塩,松脂(ロジン)など軒並みに増大を示しているが,大豆の輸入はやや停滞的である。

以上のような輸出入額の推移からみて,年間を通してみれば,70年を約5%程度上回る輸出入規模を実現するものと思われる。

71年秋(10月15日~11月15日)に開催された広州交易会にも,ドルショックで対米貿易偏重から市場多角化を逼られた企業の思惑も手伝って,71年春の参加企業数815社,,参加人員1,451人から71年秋には参加企業数1,350社,参加人員2,300人に増大した。成約高も輸出入合計で2億ドル台に達し,春の1億6,000万ドルを上回って史上最高となった。これは輸入成約高が春の6,000万ドルを大きく上回って1億ドル台に達したためで,輸出成約高は春と同様1億ドルの水準に止まった。

こうした輪出入成約高の成果については,①貿易不均衡是正への日中双方の努力によって,食品,繊維品,原材料の輸入が増大したこと,②変動相場制移行で円レートが実質的に切上がっているため,輸出が難かしく,輸入がしやすい環境になっているためだとみられている。とくに決済面で,人民幣を決済通貨に定めている西欧諸国に対して,円・元決済問題が未解決なままの状態にある日本は,不利な立場に追いこまれたといわれている。

第9-8表 日本貿易月別推移

3. 中国市場の展望

(1) 戦後貿易の日中比較

朝鮮戦争直後の1952年に,中国の貿易総額は18億9,000万ドル(輸出8億7,500万ドル,輸入10億1,500万ドル)となったが,当時の日本の33億1,100万ドルのほぼ半分ということであった。その後18年間を経た70年の中国の貿易規模はようやく41億6,880万ドルに達したが,一方日本は実に381億9,886万ドルとなり,両者の開きは約10対1という大きさになった。

この間の中国の貿易の伸びをみると年率4.5%になるが,実は50年代急伸,60年代横這いとなっている。60年代の世界貿易(社会主義圏を除く)が年率9.2%で伸びていたのをよそに,中国貿易の60年代の伸びが横這いというのは注目に値する。

中国の貿易規模は59年に輸出入そろって20億ドルを超したあと急落,66年にふたたび輸出入はそれぞれ20億ドルを突破し,そしてまた後退,70年の輸出入とも20億ドル台達成は実に三度目である。

このように戦後18年間の貿易の発展が停滞的なのは,それなりの理由がある。

第一に,戦後経済発展の上で二度の落ち込みがあったこと,一つは50年代末の大躍進政策の挫折とそれに引き続いておこった3年にわたる農業災害によるものであり,二つは66年から激化した文化大革命の影響によって,生産の停滞,輸送の混乱がおこり,対外活動が不活発となったためである。

中国の経済成長率は52~70年間に年率5.4%であったが,比較的安定的な成長を示した第一次5ヵ年計画期(53~57年)を除くと,57~70年の成長率は年率3.4%に止まった。

第二に,中ソ対立が深刻となって66年7月,ソ連の技術者が中国から全面的に引揚げ,ソ連からの経済技術援助の供与が停止されて中ソ貿易が激減した。

第三に,朝鮮戦争直後から,中国政権を国際社会のなかから経済的に孤立させようとする自由圏諸国の貿易規制が強化され,工業化を促進するために必要な資材,設備,技術の導入が著しく制約されてきた。

中国に対する貿易規制は57年5月,チンコム・リスト(対中国特別禁輸リスト)が西欧諸国によって撤廃されたために,かなり緩和されてきたが,事実上の中国差別は最近の米中接近まで残されてきた。

第四に,中国の貿易政策が社会主義貿易の特質として輸入先行型を採用し,輸出入均衡の原則を保持していること,また貿易政策の基調として,大国の支配のもとでの社会主義国際分業と生産の専門化を拒否する立場をとり,とくに文革期に入って自力更生路線の強化とともに,アウタルキー的傾向を助長してきたことが挙げられる。このため52~70年間の経済成長率が年率5.4%であったのに対し,貿易の伸びは年率4.5%と貿易依存度の低下傾向がみられる。

しかし,国内資源が豊富で国内市場が大きい中国では,きして輸入依存度を高める必要はないが,資本蓄積不足による商品需給ギャップを埋め,あるいは先進国との技術格差を縮小するための資材,設備,技術を導入する必要性は大いにあるわけで,中国はとくに自由圏諸国との貿易拡大を真剣に考えているようである。

(2) 中国市場の規模を決定する諸要因

中国の対外貿易は50年代から60年代にかけて,きわめて緩やかな増大しか示さなかったが,文革の一応の収束をみた70年には,文革前(1966年)の戦後最高水準の貿易規模にほぼ回復し,71年に始まる第四次5カ年計画(71~75年)の発足とともに,今後大きく増大する気運がうかがわれるようになった。また60年代に入って,中国にとって貿易相手国としての自由圏諸国の重要性が急速に高まり,とくに71年に入って国際環境の好転と中国内部の政情安定とともに,中国市場に対する西側諸国の関心が急速に高まってきている点に注目する必要があるたろう。

今後,輸出市場としてみた中国市場の大きさを決定する要因は幾つか挙げられるだろうが,ここでは①経済成長予測,②中国の貿易政策の動向③輸入決済能力④自由圏諸国の貿易規制緩和の四点に着目したい。

① 経済成長予測

第四次5ヵ年計画(71~75年)の構想と運営方法については,北京当局から現在まで何も公表されていないが,アメリカのE.F.ジョーンズは第四次5ヵ年計画の成長率を年率5~6%と推測している。

またさらに長期間を予測した70年代の長期予測については,ミシガン大学のR.F.ダーンバーガー準教授の長期展望(65167~80年)と一橋大学の石川滋教授の長期展望(66~81年)の二つのプロゼクションがある。

前者は 第9-9表 に示されるように,65167年を基準時点とした80年までの経済成長率を年率7.7%と想定しているが,これは現状から推測して,比較的楽観的な仮説を前提とした予測モデルにもとづいて推計されたものだとされている。また後者は幾つかのバリアントに従って,66年を基準時点とした81年までの成長予測をおこなっている。そして最も楽観的な仮説として,農業部門における農業技術進歩率がかなり高まり,また計画当局の強い説得に対して農民,労働者が高度の協力姿勢を示し,単位労働当たりの報酬増加をともなうことなしに,経済成長率を高め得ると想定した場合,81年までに年率6.2%の成長が可能だとしている。

第9-9表 1980年の中国経済の水準と構造

以上いずれの長期予測も,米中接近に始まる最近の国際情勢の変化を的確に織り込んでいないので若干問題はあるが,1970年代の経済成長率を,年率6~8%がマキシマムだとする点ではほぼ一致している。

なお成長率予測とともに産業構造の変化が問題となる。前述したように,中国側の文献の示すところでは,第四次5ヵ年計画の工業建設の重点は銑鋼,機械など基礎工業に向けられているようである。そしてこのような基礎工業の重視は,第一次5ヵ年計画当時の「重工業優先方式」へ逆もどりするのではなく,「農業重視」あるいは「農,軽,重」という経済建設の優先順,位は従来の方針をそのまま踏襲しながら,農業関連産業(化学肥料,農業機械)とともに,第一次5ヵ年計画当時重視されてきた鉄鋼,機械などがふたたび重視されようとしている点に今回の特徴がみられる。また文革収束後,輸送部門(自動車,鉄道,船舶)の建設がとくに重視されるといった特徴も,みられる。

② 中国の貿易政策の動向

西側の推測によると,70年代の経済成長率は年率6~8%に達するだろうとみているが,中国貿易の伸びが経済成長率に見合って伸びるかどうかは,要するに中国の貿易政策の動向によってきまる。

これまでの実績をみると,52~70年の経済成長率は年率5.4%であったが,これに対し貿易の伸びは年率4.5%で,貿易依存度はむしろ低下傾向を示してきた。これには中国の貿易政策の基調が,ソ連の大国主義的支配のもとでの社会主義諸国間における「国際的分業」と「生産の専門化」を拒否する姿勢を示し続けてきたためである。

しかし中国は「国際的分業」を批判する一方で,自力更生にもとづく中国の貿易政策の基調は,必ずしも一面的なアウタルキー,または封鎖経済を意味するものではなく,国際貿易の利益も十分受入れるということを明らかにしている。

要するに国内資源あるいは国内市場という観点からみれば,中国は貿易依存度を高める必要はないが,先進国との技術格差を縮小し,また資本蓄積不足を原因とする商品需給ギャップを埋めるという観点からは,資材,設備および技術を導入する必要があり,さらに,中国をめぐる国際環境が好転さえすれば,西側諸国から輸出信用(延払輸出)を受入れる可能性も十分ある。

米中接近を契機とする71年初来の動きは,自由主義圏との貿易をいっそう拡大させる方向に向っている。中国の国連参加によって国際環境はますます好転してきたので,中国が徐々に国際分業的要素を取り入れて,自由圏諸国との貿易拡大に本格的に取り組むことも考えられよう。そうなれば貿易の伸びが経済成長率を上回り,貿易依存度が高まることも十分考えられる。ミシガン大学のR.F.ダーンバーガー準教授は,1980年の中国の対外貿易総額は約100億ドル程度に達するだろうと予測している。70年の42億ドルの貿易総額を基準にすると,年率約9.2%の伸びであって,年率6~8%という予測経済成長率を上回っている。

なお綜合政策研究会(有沢広巳教授主査)は,80年の中国の対外貿易総額牡,R.F.ダーンバーガー準教授の見通しよりもさらに大きく,155億ドル程度を見込んでいる。しかし,この目標額にはアジア共産圏諸国を包括しているばかりではなく,推計そのものにも若干問題点があるようである。

③ 輸入決済能力

中国の対外貿易のパターンは,社会主義貿易の特質として輸入先行型になっているので,輸入決済能力が問題となる。

輸入決済手段として考えられるものに金,外貨保有高,輸出稼得外貨,華僑送金などがある。

まず,金・外貨保有高については確たる数字は分らないが,外務省中国課は70年末の保有高を約6億ドルと推測している。この外貨準備高の大きさは,中国の貿易政策が輸出入均衡をたてまえとしており,さらに対外債務が皆無なので,最近数年の輸入規模が20億ドル程度だという点を前提にすると外貨準備高は必ずしも小さくない。

しかし長期的にみれば,中国の輸入決済手段は,輸出による稼得外貨と華僑送金などに大きく依存することとなる。

現在中国は香港,シンガポールなど特定のアジア市場で稼得した輸出外貨をもって西欧先進国および日本からの入超を決済するという方法をとっており,香港,シンガポール両市場で稼得する外貨高は年間5億ドルを上回っている。しかしこの外貨稼得額は今後毎年急増するという性質のものではない。また華僑送金は最近やや減少傾向をみせ,年間5,000~7,000万ドル程度と推計されている。

したがって,中国が輸入規模を拡大させるためには,輸出余力がいっそう増大するとともに,西側先進国および発展途上国において中国商品に対する需要が増大することが必要である。

現状では中国の輸出余力が小さいという説が通説となっているが,これには西側先進国だけでなく,フイリピン,タイなど東南アジア諸国の輸入規制が,中国産品の輸出を大きく制約している実状を考慮する必要がある。

また,中国の輸出商品が一次産品から加工品輸出へと多様化することによって,とくに発展途上国向けの技術集約材の輸出が大きく伸長することも考えられる。中国の輸出余力は国際環境が改善し,中国が国際社会に仲間入りすることによって,逐次増大してゆくとみるのが順当であろう。

もちろん自由圏諸国との経済交流が活発になれば,西側先進国から多額の輸出信用が供与されるという途も開けよう。

④ 自由圏諸国の貿易規制緩和

アメリカ大統領の対中国貿易・旅行制限緩和に関する発表,さらに続いて米大統領の訪中声明によって,にわかに米中接近の動きが高まってきたが,こうした米中接近に刺激されて,西欧諸国や日本でも中国市場に対する関心をいっそう強めてきている。

米中貿易については,香港に待機していたアメリカのビジネスマンも,ついに秋の広州交易会に招待されず,アメリカの規制緩和に対して現在までのところ中国側の公式的な反応は認められないが,直接貿易だけではなく,世界各国に所在する多国籍企業を通しての間接貿易の役割を重視する必要がある。またイタリア,マレーシア,アルジェリアとはこのほど政府間の貿易協定を締結したが,西側先進国から延払いによるプラント輸出も近く再開されるものと思われる。

いずれにしても,アメリカおよび西欧諸国の対中国貿易規制緩和の最近の動きは,中国の貿易拡大にとってプラス要因として作用することは間違いなかろう。

(3) 日中貿易の見通し

戦後日中貿易は政治的要因に攪乱されて変動を激しくしてきたが,62年から急増し始め,70年には輸出入総額で8億2,270万ドルと大幅な増大をみせて,香港,西ドイツ,イギリスなどの諸国を抜いて首位を続けている。これは国際競争力の強い日本および西ドイツが,国交末回復ながら急速に輸出を拡大させてきたためである。

日本の輸出入総額に占める日中貿易のシエアをみると,70年に輸出2.9%,輸入1.3%となったが( 第9-6表 参照),戦前(1934~36年平均)に比べるとまだかなり小さい。もっとも戦前の日中貿易は,規模そのものが小さかったし,また日本の輸出総額の18.3%,輸入総額の10.8%を日中貿易で占めたものの,このうち日本の権益が支配的であった旧満州,関東州との貿易が全体の70%を占めていた。日本の投資企業からの原材料輸入と在外日本人消費を対象とする日本からの輸出に特徴があった。広大な中国本土との貿易はわずかに30%である( 第9-10表 参照)。裏返していえば,戦前に日中貿易が盛んだったといっても,それは日本の軍事力を背景にした植民地貿易の性格をもっていたので,戦前戦後の比較はあまり意味がない。

第9-10表 戦前日中貿易の地域別構成

中国の輸出入総額に占める日中貿易のシエアをみると,70年に日本の輸出26.9%,日本の輸入12.4%,総額で19.7%となった。かつて50年代に,ソ連一国でも輸出入総額で50%以上のシエアを占めたことがある。しかし,中国は中ソ対立の教訓のなかから学びとって,一国の市場に偏って大きく依存することにはきわめて警戒的である。

現在中国の輸出入総額に占める日中貿易のシエアは約20%であるが,情勢の推移によってはこれが30%以上に高まることも考えられようが,要は日中両国間の政治環境の動向によって決まるだろう。

輸出信用の供与あるいは中国の資源と日本の資金,技術を結合した経済開発という形態が導入されるような事態が生み出されるならば,当然中国の輸出入総額に占める日中貿易のシエアの増大も考えられる。しかしその道程は険しいし,それよりも前に決済問題を初め,解決されるべき課題はあまりにも多い。

経済動向日誌


[目次] [年次リスト]