昭和46年
年次世界経済報告
転機に立つブレトンウッズ体制
昭和46年12月14日
経済企画庁
ソ連経済は70年に第8次5ヵ年計画を完了し,71年から第9次5カ年計画に入った。第8次5ヵ年計画は68年まではほぼ順調に推移してきたが,その後かなりの屈折を示した。68年には国際緊張の高まりとともに国防支出が大幅に膨張し,5ヵ年計画の投資は農業中心に削減を余儀なくされた。続いて69年には年初の冬の悪天候のため,農業生産が減少したばかりでなく,工業生産も年次計画を下回る不振に見舞われ,国民所得成長率はまれにみる低さに落ち込んだ。
このあとを受けて,70年のソ連経済は前年の不振から回復して大幅に拡大し,工業および農業生産,国民所得などの諸指標はいずれも計画を上回った。71年に入ってからの経済もほぼ同様な動きを続けている。工業生産の拡大テンポは年央からいくぶん低下気味ではあるが,なお年次計画の予定テンポを超えている。他方,農業生産は70年ほどではないにしても,かなりの作柄が期待されている。このようにして,71年のソ連経済は,国民所得成長率からみて,ほぼ計画に近い拡大を示すものとみられる。
そこで,まず70~71年の動向を主要経済指標からみていこう(第8-1表参照,ただしソ連の公表する経済指標は,その内容と算定法が西側諸国のそれと異なるので,両者を直接比較することはできない)。
国民所得(ソ連方式では物的生産および流通に関連のある部門の純生産額)の伸び率は,69年の4.8%という著しい低率に対して,70年には目立った回復を示し,8.5%と計画を2.5ポイント上回った。69年には工業生産は前年に比べ7.1%の増加にとどまり,農業生産は3.3%の減少となったが,70年には工業生産が8.3%増,農業生産が8.7%増と,いずれも計画を上回るほどの拡大をみせた。
70年の工業生産は,前年の低成長から回復したばかりでなく,計画の6.3%をかなり上回る伸びを示したが,労働力の増加が著しく制約されている現在の条件のもとで,工業生産がこれほど増加したのは,労働生産性の向上によものである。すなわち,工業の労働生産性の向上は前年比で計画の5.2%に対して,実績では7%に達した。これは,70年はじめから国家規律や労働規律の強化とか労働力を含む生産資源の節約による増産とかのキャンペーンが行われたことによるところも多かったとみられる。
さらに,70年には比較的好天に恵まれて穀物など一部の農作物の作柄がよかったため,他の農産物とくに畜産物の増産が小幅であったにもかかわらず,農業生産は69年の減産を取戻したばかりでなく,計画をいくぶん上回る拡大を示した。
71年に入ってからも,工業生産はかなりの伸びを示している。ただ,その伸び率は上期の前年同期比8.5%から1~10月の前年同期比7.8%へと鈍化した。しかしそれでも71年計画の年間の伸び率6.9%をなお上回っている。
農業生産も,70年ほど大輻な増産ではないにせよ,比較的順調のようである。71年計画の5.5%の増産目標が達成されるかどうかは,いまのところ予測しがたいが,実績が計画を大きく下回ることはないとみられる。
このようにみてくると,71年の経済は年間計画による国民所得成長率に近い6%前後の拡大をとげるものと予想される。71年経済のもう一つの特徴は,本文( 第5章第8節) で指摘したように,近年ソ連経済を悩ましてきた消費財需給のアンバランスが,主として個人所得の増勢の鈍化によって,一時的にもせよ縮小してきたことである。したがって,71年はソ連経済にとって安定的な拡大の年であるといえる。
さらに,ソ連をめぐる国際環境は,70年から71年にかけて好転している。
すなわち,コメコンの結束を強化する「経済統合」について一応加盟国の合意が成立したこと,中国との国家関係が不安定要因を含みながらも維持されていること,西欧諸国のうち西ドイツ,フランスとの関係が緊密化していること,また,米ソの戦略兵器制限交渉が行なわれているほか,最近ではアメリカが経済関係を積極的に強化しようとしていることなどを列挙することができる。
このような国際情勢の緊張緩和によって,ソ連経済にとって大きな負担となっている国防支出の膨張は避けられよう。すでに71年の予算では国防費が高水準ながら横ばいにとどめられた。この国防支出の負担がいくぶんでも軽減されるならば,国民生活の向上をうたった第9次5ヵ年計画の実現にとって恵まれた条件が生まれるであろう。
さきにも述べたように,工業生産は70年の前年比8.3%増から71年(1~10月)の前年同期比7.8%へと,上昇が鈍化した。第8-2表に示すように,とくに71年の年央からそれが目立っている。これを部門別にみると,電力を例外として,生産増加テンポは鉄鋼,機械,軽工業部門でほぼ横ばい,その他の部門ではすべて低下している。
このような生産上昇率の鈍化は,投資および建設事業の遅れと部門間のアンバランスによるもののようである。すなわち,71年上期の実績に関する報告によると,国家投資の前年同期比の伸び率は8%と,年間計画のテンポ(6.5%)を上回り,建設事業量は全体としては上期の計画を上回ったものの,一部の経済部門と工業部門では生産能力の稼動開始が計画に達しなかったといわれる。
このように,工業生産の上昇は,鈍化傾向を示してはいるが,なお計画を上回るテンポを保っている。そして,労働力の補給に限界があるにもかかわらず,生産上昇が続いているのは,工業における労働生産性の上昇によるところが多い。すなわち71年1~10月に労働生産性は前年同期に比べ6.3%の向上を示しているが,他方工業労働力の増加は1.4%にすぎない。
とくに注目されるのは,一部の工業部門では,増産が続いている一方で,労働生産性の向上により労働力が削減されたことである。それらは,石炭,鉄鋼,非鉄,木材など,労働力に対する需要の多い工業諸部門で,たとえば,石炭業では71年1~10月に前年同期に比べて生産は4%増加したが,これは労働生産性の7%向上によるもので,労働力は3%近く削減された。
相対的に高い拡大テンポを示している部門は,電力,石油精製および石油化学工業,ガス工業,一般化学工業,機械工業のうち計測器およびオートメーション装置,自動車の生産などである。とくに乗用車の生産は,西側諸国との協力による新工場が操業を開始したため,71年1~10月には前年同期に比べ54%も増した(ただし生産台数は同期間に42万台余と,先進工業国に比べて少い)。その半面,計画が達成されなかった工業品目の数は70年よりも増えているようである。近年,消費財生産が重視されているにもかかわらず,71年1~10月にはテレビ,洗濯機など,前年同期より減産しているものさえある。こうした耐久消費財生産の一部の停滞は新5ヵ年計画の発足とも関連して注目される。
農業生産は,70年には前年の減産から回復したこともあって,高い伸び率を示したが,71年にも一部の農産物の生産は,ほぼ順調に推移しているようである。
主要農産物をみると,第8-3表に示すように,70年には穀物と綿花の生産が著しく増加し,ともに史上最高の水準に達した。これが農業生産全体の水準を引上げたのであった。他の農産物の生産は必ずしも好調だったとはいえない。肉,卵などの畜産品の生産はいくぶん加速化したものの,綿范以外の工業原料作物,野菜類には前年の減産が取戻されなかったものもある。
71年にも穀物と綿花をはじめ農作物の作柄は概して良好と,11月6日の革命記念前夜祭で報告されている。また畜産部門では一部の家畜の保有頭数と肉,卵など畜産品の生産および国家買付は,いずれも前年に引続いてかなりのテンポで増加している( 第8-4表 , 第8-5表 )
こうした生産の増加にともなって,一部の食料品の出回りも増している。
たとえば,野菜の小売売上げは,70年にかなり回復したのち,71年上期には前年同期に比べて17%増加し,また同じく肉類が12%,卵が20%も増している。
このように,70~71年の農業生産は,部分的ながら,ほぼ順調に推移しているといってよい。
70年の経済は,69年の不振からの回復要因もあって,かなり,大幅に拡大したが, 前掲第8-1表 にみるように,貿易は輸出入合計(実質)で8.5%増と69年より伸びが鈍化した。さらに,71年上期には前年同期比7%増にとどまっている。しかし名目の貿易額では70年の伸びは大幅であった。
70年の貿易額は 第8-6表 に示すように,輸出総額が128億ドル,輸入総額が117億ドルで,その前年比の伸び率は輸出が9.8%,輸入が13.7%と,ともに69年の伸びを上回った。
70年の貿易には69年の農業の不振が大きな影響を与えた。輸出面では殻物,植物油とその原料,畜産品の輸出がかなり減少し,他方輸入面では穀物(4倍),てん菜(2倍),綿花の輸入が著増した。そのほか注目されることは,重要輸出品である原油の増加が比較的小幅であり,また完成プラントの輸出がいくぶん減少したことである。そして半面では鉄鋼,非鉄金属,木材等の輸出が目立って増加しまた鋼管など鉄鋼製品の輸入も増加した。
その結果,貿易の商品構成には 第8-7表 に示すような変化がみられた。すなわち,食料および同原料について輸出のシェアが減少し,輸入のシェアが増大したことである。また輸出入とも機械のシェアは減少した。輸出では,鉱石および金属,化学品,木材および紙パルプの比重がいくぶん増大し,これに対応して機械の比重が縮小したのである。他方,輸入では,食料とともに繊維原料や鉱石および金属のシェアもかなり増大した。
次に相手地域の動きをみると,社会主義諸国との貿易では輸出も8.9%と前年より大幅に拡大したが,とくに輸入が14.2%という近年みられなかったほどの高率の伸びを示した。コメコン諸国からの輸入は69年の不振から回復し,コメコン以外の諸国からの輸入も過去2ヵ年の減少から大幅な増大に転じた。これを国別にみると,ブルガリアと北ベトナムへの輸出が微減したほかは,ほとんどの国との貿易は拡大した。ただ一つの例外は中国で,輸出入とも減少を続け,貿易総額に占める比率は69年の0.3%から0.2%まで低下した。
資本主義諸国との貿易は,輸出が12.6%増,輸入が12.8%増と69年の伸びを下回ったが,これは先進国との貿易が輸出入ともに拡大したためである。発展途上国との貿易では,輸出は69年に引続き著増したが,輸入はいぜん大幅に伸びたものの,69年に比べるとそのテンポはかなり落ちた。
このような動きを貿易の地域構成からみると( 第8-1図 ),69年から70年にかけて,コメコン諸国との貿易のシェアは輸出入ともわずかに滅少したが,なお55%を超えている。従来縮小をたどってきたコメコン以外の社会主義国のシェアは,輸入ではいくぶん拡大した。他方,資本主義先進国の比重は近年ではめずらしく後退したものの,輸入ではなお4分の1に近く,また発展途上国のシェアは,輸出入ともに拡大が続いた。このように,社会主義国と資本主義国に分けると,それぞれ65%対35%のシェアを占めている。
次に貿易収支を地域別にみると,70年にも69年同様資本主義先進国との貿易における入超と他の諸地域との貿易における出超というパターン,が続いた。このうち,出超傾向の持続はかなりの部分が経済援助によって支えられているものとみられる。
これを70年についていえば,コメコン加盟国であるモンゴルに対する出超は1億3,860万ドルで,コメコン地域に対する出超額の半ば以上を占めている。そのほかのコメコン加盟国では東ドイツに対する2億ドル余の出超が主要なものである。コメコン以外の社会主義国に対する出超は69年よりかなり減少したが,なお北ベトナムの1億6,640万ドル, キユーバの1億2,780万ドル,北朝鮮の8,680万ドルなどかなり多額にのぼる。
また発展途上国の場合をみると,全体として黒字がさらに拡大している。
発展途上国のうちマレーシアとの貿易はソ連のゴム輸入による片貿易で,これを除外すれば出超額は70年には8億880万ドルと,69年の7億ドル余をさらに大きく上廻った。このうちにはイランの1億1,870万ドルをはじめアラブ連合,イラク,シリアなど中近東諸国に対する出超額の増加が目立っている。
他方,資本主義先進国との貿易では入超額が69年よりさらに増加して4億ドルを超えた。そのうち西ドイツ,フランス,イタリアとの貿易はそれぞれ1億ドルを超える入超を示した。先進国との貿易決済には,コメコン諸国との間の「振替ルーブレ」による決済とか他の社会李義国や多くの発展途上国との間の清算勘定による決済とは異なって,交換可能通貨を必要とする。そして過去においてソ連は先進国との貿易赤字の決済にあてるため国際市場で金を売却した。しかしこうした金の大量売却は66年以来行なわれていない。
このことから69~70年における先進国からの輸入超過の大きな部分は延払いによるものとみられる。
次に西側諸国との貿易を国別にみよう。これを輸出入合計の規模の順位でみると 第8-8表 のとおりである。すなわち, 70年に日本との貿易は輸入が著増して,輸出入の不均衡が緩和されるとともに,その規模で西側諸国中で首位を占めた(輸入の首位はいぜんとして西ドイツ)。主要相手国ではイギリス,西ドイツとの貿易が69年に比べて多少増しだが,イタリア フランス1との貿易は徴減した。その他の西欧諸国はあまり変化がなく,68年から69年にかけて激増したアメリカとの貿易も70年にはほぼ横ばいにおわった。これとは対照的にカナダからの輸入は穀物を中心に著増した。
発展途上国ではアラブ連合との貿易が前年に引続いて70年にも目立った増大を示し,規模の順位で第3位に躍進した。またイランとの貿易が主として輸出を中心に増加した。これに対してインドとの貿易はほとんど規模に変化がなく,輸出が69年に引続いて減少した。このような動きはこれらの諸国に対する経済援助の実行あるいは債務の返済を反映するものであろう。
71年に入ってからの総貿易額は,さきに述べたように,上期に前年同期に比べ輸出入合計の実質で7%増加したが,OECD主要国とユーゴ(ソ連統計では社会主義国に含まれる)など西側20ヵ国との貿易額(輸出入合計の名目)は10%余増加している。従ってソ連貿易に占める西側諸国のシエアにはさしたる変化はないとみてよいであろう。
71年上期の西側主要国の対ソ連貿易をOECD統計でみると( 第8-9表 ソ連統計は未発表),西側20カ国合計の対ソ輸出は前年同期比10%増,対ソ輸入は11%増と,70年年間の拡大テンポとあまり変化はない。各国の対ソ輸出ではイギリス,フランス,イタリアなどの減少に対して,日本,西ドイツの輸出が増加を続けている。注目されることは,まだ小規模ながらアメリカの対ソ輸出もほぼ一貫して拡大していることで,同国が対ソ貿易に積極策をとっているので,今後の動きが注目される。
他方,ソ連からの輸入では,日本,フランス,ユーゴのそれが増加したが,その他の諸国の対ソ輸入は70年上期に比べてほぼ同じ水準にとどまっている。
ソ連では第8次5ヵ年計画(1966~70年)がおわり,71年から新しい5ヵ年計画(1971~75年)が発足した。この第9次5ヵ年計画は,71年3月末に側かれたソ連共産党第24回大会でその大綱が決定され,次いで71年11月下旬の最高会議(国会に相当)で正式に承認された。
すでに述べたように,第8次5ヵ年計画が発足してからほぼ2カ年間,ソ連経済は比較的順調な発展をたどったが,68年の国防費の大幅な膨張と69年初の冬の悪天候による影響で不調と停滞に落ちこんだ。しかし70年には好天に恵まれたこともあり,労働生産性の上昇を主因として経済は停滞から回復し,71年にかけて拡大を続けている。
しかし,ソ連経済の基本問題は解決されたわけではない。建設事業の遅れはいぜんとしてみられるし,設備,資材,労働力などの利用の効率を高める余地も少なくない。労働力の増加余力はますます小さくなっており,生産性向上の必要はいっそう高まっている。
したがって,資源配分の問題は深刻化こそすれ,緩和されてはいない。それは,国防か投資か消費,あるいは重工業,消費財工業,農業のいずれに優先順位を与えるかの問題である。ソ連のように,中央集権的な経済運営の行なわれているところでは,中央の計画当局による問題の決定が最高の重要性をもっている。
さらに,第8次5ヵ年計画の遂行を通じて残された問題がある。第8次5カ年計画の基本方針は,①生活水準の向上の重視,②農業の安定的増産,③「利潤導入」と通称される新しい経済計画・管理制度の実施による経済効率の向上であるが,計画の遂行はほぼこの方針に沿って進められた。
しかし計画指標のうち達成されなかったものもある。また,経済の計画・管理制度の改革も工業はじめ運輸,商業,農業,建設と漸次進められており,労働生産性の向上に寄与したとみられるものの,新制度の核心ともいうべき利潤はよる刺激効果はいぜんとして制限されている。
もう一つの問題は,第8次5ヵ年計画の遂行期間を通じて消費財の需給のアンバランスが発展したことである(本文第5章第8節参照)。
一方で個人所得が増大する半面,他方では小売売上げが大幅に増加しているにもかかわらず,なお一部で消費財の供給が不足し,余った購買力が滞留して個人預貯金の著増となって現われている。
そのほか,技術水準と品質,生産効率と労働生産性などの向上が不十分であり,国家規律と労働規律の強化が足りなかったこと,それぞれの部門の生産物に対する必要度の研究が不十分で,ロスと非生産的支出が生じたことが欠陥として指摘されている。
第9次5ヵ年計画は,,以上のような諸問題に対応して,その計画目標が立てられている(本文第5章第8節参照)。そしてそれを貫く主要課題は,生産効率の向上,科学技術の進歩,労働生産性の向上を基盤として,国民消費水準を高めることにあるとされ,その具体化の方針として次の諸点があげられている。
すなわち,①生産とくに農業および消費財工業の高テンポの成長と調和のとれた発展を保持し,経済全部門の効率を高めること,②科学技術進歩を加速化し,機械による省力化を広範に実施し,経済構造の改善をはかること,③勤労者の教育および技能水準を高め,一般中等教育の完全実施,高技能の専門家の養成,要員の再訓練を行うこと,④生産の計画・管理および物的刺激の諸制度を改革する方策を続け,管理における最新の技術を採用す,ること,⑤科学的労働組織を全面的に導入し,労働報酬と道徳的物的刺激の形態とシステムを改善すること,などがそれである。
このような基本方針に基づいて,5ヵ年計画の重点となる諸施策がとられるのであるが,第1には「社会的施策の広範なプログラム」を実施することがうたわれている。それは実質個人所得の増大,労働力の効率的利用や労働条件の改善,労働保護の徹底などの労働問題,国民生活様式の向上と改善,都市と農村の生活水準の接近などの諸部面を包括するものである。
第2に技術の分野では物的生産技術,情報の処理と管理について科学技術の進歩を促進し,統一的な技術政策を実施するものとされる。
第3には基礎および応用科学の研究を全面的に発展させ,その新しい成果を急速に国民経済に導入することがうたわれ,研究の実施に当っては研究機関の効率を高めるための諸措置が要求される。
そして第4には,社会主義諸国との協力を一貫して発展させ,いわゆる「社会主義体制」を全面的に強化させることがあげられている。
このように,新5ヵ年計画では社会開発,技術進歩,新分野での科学の効率的研究とその応用,ソ連圏の結果の強化が重点施策として実施されるのである。
東欧諸国の工業生産は70年には概して好調であった( 第8-10表 )。チェコとハンガリーでは69年に著しい不振に陥っていた生産が70年に入って回復をみせた。他方,東ドイツでは70年に工業生産の拡大テンポーがかなり低下し,ブルガリアとルーマニアでも増勢はいくぶん鈍化した。しかし全体としてみれば,各国足並をそろえて増産傾向をたどったといえる。
71年に入って,工業生産は東ドイツで増産テンポが引続いて低下しているばかりでなく,ハンガリーとポーランドでも増勢が鈍化し,東欧の工業国の多くが多少のかげりをみせている。
70年の特徴はチェコの生産不振からの回復であった。68年のチェコ事件後の経済危機は,70年に小売物価の凍結,新投資の抑制,補助金支出の削減,賃金引上げの規則など一連の安定化政策によってほぼ克服され,経済情勢が一応鎮静化するにしたがって,労働意欲も正常となり,生産性の向上ととも生産もかなり目立った回復を示した。しかしその半面,燃料,エネルギーの不足はいぜんとして解消しなかった。
71年に入ってからも,工業生産は年間計画テンポを上回って70年なみの上昇を続けており,5月には消費財価格の広範な引下げも可能となった。また燃料,エネルギーの不足も改善に向った。しかし建設事業の不振がこの改善を制約することが懸念されている,ハンガリーの工業生産も70年に著しい不振を脱し,化学,機械,軽工業を中心に増産テンポを高めた。69年の工業の低成長は,一つには経済改革の一環として消費者の需要を考慮した生産の転換によるものであったが,経済改革が本格化するとともに,その効果で生産性が向上し,増産に寄与したのである。そのほか,引締めの緩和による投資の増大,賃金や農産物価格の引上げ,機械を中心とする輸出需要などが,生産拡大の好条件となった。しかし,労働力の不足はいぜん続いており,建設では未完成工事が増加している。このよ,うな状況のもとで,71年上期には工業生産の増勢が鈍化している。
東ドイツでは70年,71年と工業生産の伸びが小幅になっている。70年には電機および電子工業,化学工業などは比較的高いテンポで生産が拡大したが,原料部門や軽工業は不振で,結局生産計画は達成されなかった。これは,農業の不振からくる原料不足,投資計画の未遂行,機械工業における部品不足などによるものであった。71年に入ってからは冬の異常寒気のほかに,輸送の不円滑や水,電力,エネルギーの不足が顕在化して,生産拡大の隘路となっている。
ポーランドでは70年には生産の伸びはいくぶん鈍化したものの,なお計画を上回ったが,71年にはさらに拡大が小幅になっている。とくに従来の消費財生産の軽視は,70年末の労働不安の根因となったので,71年計画の改定が行なわれ,消費財部門への投資の転換が意図されている。
ルーマニアの工業生産は70~71年とほぼ好調を続けている。70年には洪水による操業停止と資材の不足が生じたにもかかわらず,被害の復旧に努力が注がれ,国家投資の増大によって生産能力が維持された。しかし現在でも原料在庫は低水準にあるといわれる。
次に東欧諸国の農業をみると,70年には天候不順と水害のため,大部分の国で生産は前年に比べて横ばいないし減少におわった。しかし,71年には農業生産は回復し,チェコやハンガリーでは穀物の豊作が伝えられている( 第8-11表 )。
70年にブルガリアの農業生産は,計画に達しなかったものの,ほぼ好調を示した。しかし,土地生産性はいぜんとして低く,飼料の不足が畜産の不振を招いている。
東ドイツとポーランドでは,農業は69年に引続き70年にも不振を脱しな力った。とくに東ドイツでは飼料の不足から畜産が不振で,食料の値上げを余儀なくされた。ポーランドでを,さきに述べた軽工業の軽視もあって,小売価格の引上げが行われ,ついに70年12月の労働不安を引起したのである。事件後成立した新政権は,価格の凍結,最低賃金の引上げを行なうとともに,肉の生産を最優先させる政策をとっている。
ルーマニア,チェコ,ハンガリーでは70年には洪水や天候不順のため,いずれも穀物の大幅減収をみた。しかしチェコでは畜産の減退はやみ,71年の穀物の作柄はまれにみる豊作であるといわれる。またハンガリーでも71年には穀物が国内需要を十分まかないうるほどの豊作に恵まれている。また畜産部門の近代化のための投資が行なわれ,食料の供給は増加している。
以上に述べた工業および農業生産を反映して,70年の東欧諸国の国民所得の成長率は,東ドイツ,ポーランドで69年より上昇したほかは,いずれも前年を下回った( 第8-12表 )。東ドイツ,ポーランドの場合は69年には農業不振で国民所得も異常な低成長を示したことを別にすると,70年の東欧経済はおしなべて成長鈍化の傾向にあったといえる。71年には,一部の国を除いて前年実績に比べ成長率の上昇が計画されているが,農業が概して好調を示しているので,その達成は多かれ少なかれ工業生産の動きにかかっでいる。
なお東欧諸国は71年から新しい5ヵ年計画の実行に着手している。その国民所得および工業生産の成長率の目標は 第8-13表 に示すとおりである。これからみると,各国とも1971~75年の5カ年間に過去5カ年とほぼ同じテンポの経済成長を遂げることが予定されている。
ひるがえって,対外面をみると,70年に東欧諸国は全体として69年に引続いて貿易拡大の幅をひろげた。( 第8-14表 )。国別では,東ドイツとポーランドの輸入,ハンガリーの輸出を除いて,大部分の国の輸出入はともに増加率を高めた。とくにチェコ,ポーランド,ルーマーニアの輸出は目立った拡大を示し,東ドイツの場合には工作機械など先端技術商品の西側への輸出も開始された。もう一つ70年の貿易の特徴は,水害や農業不振に対拠するため食料や原料の緊急輸入が行なわれたことで,東ドイツ,ポーランド,ルーマニアでは多かれ少なかれかなりの規模に達した。71年に入ってからは,ハンガリー,ポーランドなど一部の国で輸入が著増したため,入超幅の拡大が目立っている。
次に東西貿易の動きをOECD貿易統計( 第8-15表 )でみると, 70年には各国ともOECD諸国からの輸入の伸びが著しく拡大した。とくに,ブルガリア,チェコ,東ドイツ,ハンガリーの場合は20%を超える増加を示した。71年に入っからは,第1四半期の貿易額でみるかぎり,これらの国のOECD諸国からの輸入はいくぶん伸びが小幅になっている。しかし,ハ為ンガリーやルーマニアの外資導入立法の制定にも現われているように,名国の西側との経済提携の意欲は強く,東西貿易は今後もなお拡大傾向をたどるものとみられる。