昭和46年
年次世界経済報告
転機に立つブレトンウッズ体制
昭和46年12月14日
経済企画庁
1970~71年のイギリス経済は,国内需要の停滞,生産不振,高失業率がつづくなかで賃金,物価の上昇テンポが加速化するという典型的なスタグフレーションを経験した。一方,国際収支は経常収支の大幅黒字に加えて短資が大量に流入したことから,前年を上回る大幅黒字を計上している。このため,70年央に政権に復帰した保守党政権は,財政の建直しや労使関係の正常化など各種の構造改革に取組むとともに,71年春以降は景気拡大政策に転じ,一連のリフレ措置を導入している。
1)低成長の持続
戦後のイギリス経済は,主要先進国のなかで成長率がもっとも低かったが,イギリスの平均成長率からみても,この2年間の成長率は低水準にあり,とくに,71年上期にはストなどの特殊要因もあって景気停滞が深化したため成長はほとんどみられなかった。
国内総生産(GDP,名目)は69年の前年比5.3%増のあと70年9.7%増,11年上期の前期比年率0.7%増となったが,この間にGDPデフレーターが上昇テンポを高めたために,実質では69,70年とも前年比1.7%増にとどまり,71年上期には前期を1.5%下回るにいたった。半期でみた実質成長率が前期を下回ったのは,60年代にはいってからはポンド平価切下げ前後の67年下期だけであり,その低下率は0.1%減(前期比)と今回にくらべるときわめて小幅であった。イギリス経済の潜在成長率は2.9%程度とみられているが,60年代後半には68年を除いて,いずれもこの水準を下回っており,とくに最近の2年間においては超過供給の拡大が著しい( 第2-1図 )。
最近におけるこうした低成長の持続は,主として,67年11月のポンド平価切下げ以来長期にわたって導入された引締め政策による国内需要の停滞を反映したものである。すなわち,国内需要は69年0.7%減,70年3.0%,増,71年上期2.5%増となったのに対して,輸出はポンド切下げの効果がようやくあられて,69年9.3%増,70年4.8%増,71年上期2.8%増(前年同期比,いずれも実質)となっており,輸出が主たる成長要因であったことを示している( 第2-1表 )。
個人消費は,69年下期以降回復に向い,69年の実質0.3%増に対して,70年には2.9%増となった。しかし,71年に入って郵便ストやフォードのストライキなどの特殊要因もあって,乗用車をはじめとする耐久財消費を中心に再び不振となり,第1四半期に前期比1.0%減となったため,,第2四半期には回復に向ったものの,上期全体ではほぼ前期の水準にとどまった(前年同期比は2.3%増)。個人消費の約半分を占める小売売上高でみても,71年上期の水準は前期を1.5%下回っている(前年同期比1.2%減)。
個人消費が70年下期から伸び悩みを示したのは主としてつぎの要因によるものとみられている。すなわち,①高率の賃上げにもかかわらず,雇用減超勤の減少などにより賃金実収の伸びが鈍化していること,②物価上昇の加速化により実質可処分所得の伸びが鈍化したばかりでなく,71年上期には前期比1.0%減となったこと,③消費者の購買態度が慎重化して貯蓄率が70年下期に9%近くに高まった(68年7.5%,69年8.0%,70年8.5%)ことなどである。
個人消費のこうした伸び悩み傾向に刺戟を与え,景気回復の牽引力とするために,政府は,後述のように,4月と7月に一連の財政措置を導入した。
この結果,7月以降,個人消費は耐久財を中心に急速に回復しており,第3四半期には前期比1.5%増(前年同期比2.9%増)となった。とくに,乗用車の売行きはきわめて大幅な増加となっており,新車登録台数の7,8月平均は,上期平均を31.7%上回った。新規賦払信用も急増して,第3四半期には前期比26.2%増となっており,賦払信用残高もさらに水準を高めている。しかし,小売売上げの伸びは,第3四半期に前期比1.1%増(前年同期比0.8%増)とより小幅にとどまっている。
投資の停滞はより深刻である。実質国内総資本形成は69年に1.1%減となったあと,70年にはやや回復して1.6%増となったものの,71年に入って再び不振となり,上期の水準は前期を1.1%下回った(前年同期比では1.1%増)。民間部門(70年のウエートは57%),政府部門とも不振であるが,政府部門投資が,68年をピークに急速に減少む示し,71年上期に回復を示すまで停滞をつづけたのに対して(69年7.3%減70年0%,71年上期の前期比3.8%増),民間投資は増勢を徐々に鈍化させ,とくに,71年上期には前期比4.8%減となった(69年4.4%増,70年2.8%増)。
政府投資の不振は,主として,公企業投資の減少(68年6.3%減,69年12.5%減,70年0.2%減),および公営住宅建設の減少(69年5.8%減,70年12.8%減)によるものである。71年に入って,公企業投資は大幅に回復し,上期の前期比9.9%増となったが,公営住宅は71年上期にも前期比5.2%減となっている。
民間投資については,設備投資が71年に入って大幅に低下し上期の前期比6.2%減となったため,住宅建設の70年初来の回復および,やや遅れた車輛投資の回復(上期の前期比はそれぞれ11.5%増,2.2%増)にもかかわらず停滞をつづけた。
景気循環のうごきをより直接的に反映するとみられる産業固定投資(民間固定投資の81.5%,70年)は,69年に9.0%増(68年末の補助金制度廃止による繰上げ投資調整後)のあと,70年には7.4%増に鈍化,さらに71年に入って第1四半期の大幅減少を第2四半期にかなり取りもどしたが,上期の前期比は5%減となった(前年同期比1.3%減)。これは主として製造業の固定投資が71年第1四半期に前期比6.2%減,第2四半期3.1%減と2期つづいて大幅減少を示したことによる。
貿易産業省の投資予測調査(10月)の71年投資見通しでは,実質6~8%減となっており,上期の実績はほぼこの予測にみあったものとされる。機械工業の新規受注は低調をつづけていたが,71年下期に入って輸出向けを中心にかなりの回復を示しており,第3四半期には前期比12.1%増,前年同期比1.5%増となっている。7月のミニ・バジェットも投資刺戟措置を含んでおり,今後は徐々に回復に向うことが期待される。しかし,現在の投資不振は,①操業度の著しい低下,②賃金コストの上昇による企業利潤の減少,③景気の先行きに対する企業家の不安などを背景としており,急速な回復は困難とする見方が多い。貿易産業省やNEDCの調査でも,投資の回復は72年いっぱいかかるとしている。
在庫投資は70年中かなり高水準を維持していたが,71年に入って在庫べらしがすすんだ。この結果,在庫・生産比率は68年末の88.7(1962=100)を底に上昇傾向をつづけていたが,71年初には93.2に高まった。
2)生産の停滞と失業の急増
国内需要の不振に加えて,輸出の伸びも鈍化したことから生産は70年中ほとんど横ばいとなり,70年の前年比は1.0%増にすぎなかった。製造業生産も前年比1.2%増と69年の3.5%増を大幅に下回り,伸び率は鈍化傾向をつづけた。71年に入って,国内需要がさらに停滞し,郵便ストやフォードのストなどの影響もあって,製造業生産は減産となり,71年上期の前期比は0.5%減(前年同期比0.7%増)となった。とくに,金属部門では鉄鋼の不振を反映して生産は大きく落ち込み,70年下期の前期比1.6%減につづいて,71年上期には6.7%減(前年同期比8.2%減)となった。食品,化学造船部門などでも71年上期にはそれぞれ前期比0.4%減,0.9%減,2.4%減となっている。
第3四半期に入って生産は鉄鋼をはじめとして回復に向うものが多くなり,製造業生産は前期比0.5%増となった。しかし,機械,電機,造船,自動車部門などではむしろ減産となっている。これまでのところ国内需要の回復は,主として在庫べらしを促進しており,在庫・生産比率もむしろ低下している。
こうした長期にわたる生産不振は主として最終需要の停滞を反映したものであるが,加えて,70年秋以降労働組合の賃上げ攻勢が高まり,さらに71年に入ってからは労使関係法に対する反対,解雇に対する抗議などを目的とするストが急増したことも生産を大幅に阻害した。とくに,71年第1四半期には郵便,自動車部門などで大規模なストライキが続発したために,労働日数は950万日も減少した( 第2-3表 )。
雇用者数は66年央以降の減少傾向をつづけており,生産労働者数は70年中に28.9万人減少し,さらに71年9月までに41万人減少している(前年末水準に対してそれぞれ2.6%,3.8%減)。
このため失業者数も増勢をつづけており,とくに71年に入ってからの増加は大幅であった。完全失業者(新規学卒を除く,季節調整済み)は70年初には約60万人であったが,71年初には67万人となり,さらに10月までに17万人増加して80万人となった。失業率も70年初の2.4%に対して,71年初2.7%,10月には3.6%に達している。この水準は第2次大戦直後を除けば,63年初の厳冬にみられた高失業に匹敵するものである。
とくに問題なのは,失業が低開発地域に集中していることであり,北アイルランドなどでは男子失業率が10.2%(10月)にも達している( 第2-5図 )。こうした高失業が社会不安の′背景ともなっているため,政府は公共事業費の追加支出を主とする失業対策を7月および11月末の2回にわたって導入した。
3)インフレーションの高進
こうした景気停滞の深化と失業率の急激な高まりのなかで,物価・賃金はきわめて大幅な上昇をつづけている。
GDPデフレーターは,69年秋以降,急速に上昇率をたかめており,65~69年の年平均上昇率3.5%に対して,70年上期6.4%,下期9.4%,さらに71年上期には10.5%に達している。こうした大幅な物価上昇はイギリス経済がかつて経験したことのない異常な高水準であり,最近の主要国にみられたインフレーションの高進のなかでも最も高率となっている。
物価上昇率は70年初から71年第1四半期までは卸売物価の方が消費者物価よりも大幅であったが,その後は消費者物価の騰勢がより強くなっていることも最近の特徴である。
消費者物価は60年代に入って根強い騰勢を示していたが,70年秋以降はとくに上げ足をはやめ,71年夏の上昇率は遂に10%を突破した。すなわち,消費者物価上昇率は65~69年平均4.3%であったが,70年上期には5.4%,下期7.3%,71年上期9.2%となり,とくに71年6~8月の前年同期比は10.3%高,を記録した。
70年以降とくに大幅な上昇を示したのは,サービス料金,住居費,食料,交通費,耐久消費財などであり,70年の上昇率はそれぞれ7.9%,7.6%,6.9%,6.6%,6.5%であり,71年1~9月の前年同期比はそれぞれ10.5%,9.2%,10.6%,12.2%,8.1%といずれも上昇テンポをさらに高めた。
卸売物価は69年央以降,急速に上昇率が高まり,69年下期3.8%,70年上期6.4%,下期8.4%,71年上期9.1%となった。しかし夏以降,騰勢の鈍化がみられるようになり,第3四半期の前年同期比は8.2%高となった。69年央から70年初にかけての卸売物価の上昇は,主として輸入原材料の高騰による原材料価格の上昇によるものであった。しかし,その後は賃金上昇率の大幅化がより大きな上昇要因となった。
71年夏以降の卸売物価の騰勢鈍化は,賃金率はいぜんとして上昇傾向を維特したものの,雇用減,超勤の減少などから賃金所得の伸びが鈍化して賃金コスト圧力が緩和したのに加えて,7月央にCBI(イギリス産業連盟)による物価の自主規制の申し合せが発表され,加盟企業の過半数によって支持されたことが影響しているとみられる。
賃金率は69年秋頃から大幅な賃金協約の改訂が相ついだこともあって上昇テンポが高まっていたが,70年秋から71年初にかけては一段と上げ足をはやめた。すなわち,時間当り賃金率(全産業)の上昇率は,60年代には年平均4~5%にとどまっていたが,69年5.4%,70年上期10.8%,下期12.1%と急速な加速化を示し,71年上期の前年同期比は13.4%増に達した。しかし,71年第2四半期以降は上昇率にやや鈍化傾向がみられるようになり,第2四半期の前年同期比13.2%増,第3四半期13.1%増となった。
賃金所得の上昇率は,失業の増加,超過勤務の減少などを反映して賃金上昇率よりは小幅であり,70年12.2%,71年上期12.1%となっている。超過勤務時間は71年に入って目立って減少しており,超勤率(全労働時間に占める超勤時間)は,70年初34.6%,71年初32.4%,71年9月29.3%(前年同月はS3.5%)となっている。
生産性の伸びは,景気停滞の持続を反映してきわめて小幅にとどまっており,65~68年平均の4.2%に対して,69年3.2%,70年1.6%,71年上期1.4%と鈍化している。一方,賃金所得は増勢をやめないため,賃金コストの上昇は大幅化し,70年の上昇率は10.7%増に達した。
4)黒字基調をつづける経常収支
経常収支は69年以降,黒字基調をつづけており,黒字幅も70年5.8億ポンド,71年上期(年率)6.3億ポンドと拡大している。こうした経常収支の好調持続は,主として貿易収支の改善がすすみ,71年春以降は黒字基調に転じていること,また,貿易外収支も大幅の黒字をつづけていることによるものてある。
貿易収支(国際収支ベース)は70年中,不安定なうごきを示したが,年全体ではわずかながら黒字を計上した。71年に入って,年初の郵便コストやフォードのストライキなどの影響もあって一時的に大幅な赤字を計上したが,4月以降は黒字をつづけており,しかも黒字幅は著しく拡大して,4~10月の黒字額は3億ポンドに達した。
輸出は70年央の港湾スト,71年初の郵便ストなどによる不規則なうごきを示したものの上昇傾向をつづけている。しかし,上昇率は69年14.1%,70年9.9%,71年上期9.6%増(前年同期比)と増勢を鈍化させている。しかも,この増勢のかなりの部分は輸出価格の上昇(70年7.1%高,71年上期9.1%高)によるものであり,実質では70年3.3%増,71年上期1.6%増にとどまっている。
一方,輸入は国内需要が停滞しているにもかかわらず,69年5.3%増,70年8.8%増,71年上期6.9%増と上昇テンポを早めた。輸入価格はこの間,相対的に安定を示し,70年4.0%高,71年上期1.9%高であったので実質の伸びも70年6.2%,71年上期6.9%となっている。
地域別にみると,輸出は70年にはEFTAおよびEEC向けを中心に拡大したが,71年に入ると,アメリカ向けが回復した。とくに,第3四半期には港湾ストを予想してアメリカ向け輸出が急増し,前年同期比34%増となった。一方,輸入は70年にはアメリカ,EFTA,EECが中心であったが,71年にはアメリカからの輸入は減少し,代ってスターリング地域からの輸入の伸びが大きくなっている。
商品別には,輸出は工業品を中心とした拡大をつづけており,鉄鋼をはじめとする金属,機械,化学製品の伸びが大きい。71年に入って車輛の輸出も急増している。一方,生産の不振が続いているため原材料輸入の増加は小幅にとどまり,とくに,71年に入ってからは前年同期を下回る水準となっている。半製品輸入は70年中は増加を続けたが,71年に入ってほぼ横ばいとなった。しかし,完成品輸入は70年に13.1%増のあと71年上期17.2%増,第3四半期21.3%増と急増を示している。この完成品輸入の急増は,第2四半期以降の国内需要の回復が主として耐久消費財を中心としていることを反映したものである。この結果,耐久消費財の輪入比率も急上昇している。
貿易外収支の黒字幅は,69,70年に5.8億ポンドとなったあと,71年上期には年率6.2億ポンドに拡大した。
投資等収支も70年の6.2億ポンドの黒字につづいて,71年上期にも8.8億ポンドの大幅黒字を計上した。これは主として,市中銀行による外貨借入の純増,海外ポンド保有の増加,短資の流入などによるものである。
この結果,総合収支も70年に14.2億ポンドの大幅黒字を計上したあと,71年上期にも17.3億ポンドの黒字と前年同期のそれ13.1億ポンドを上回る大幅黒字となっている。
こうした大幅の国際収支黒字の持続により,ポンド平価切下げ時を中心に累積した35億ポンドにのぼる中・短期公的債務は,IM Fからの借入分を除いてすべて返済された。また,IMF借款も71年9月末現在4億ポンドに減少している。
金・外貨準備は70年に1.3億ポンド増となったあと,71年1~9月間には9.1億ポンド増加して20億8,900万ポンドに達した。これは20年来の高水準である。
こうした国際収支の堅調を反映して,ポンドは堅調を維持してきたが,とくに,71年に入ってからは平価を上回るようにならた。8月15日のアメリカの新経済政策発表後,ロンドン為替市場はその他の主要市場と同様に一週間閉鎖された。再開後の為替市場でポンドは一時的に上方のみフロートされるこどとなり(下限は1ポンド=2.38ドルに固定),ポンド相場はさらに上昇し,11月末現在,平価を約5%上回っている。
なお,68年9月に締結された新バーゼル協定は3年を期限としていたが,さらに2年間延長することが合意された(71年9月21日)。今回の更新にあたり,外貨準備に占めるポンド保有残高の最低比率は当初の水準から約10%引下げられた。この協定はもともとポンド平価切下げ後,ポンド残高が急減するのを防止するために導入きれたもめであり,ポシドのドル価値保証を条件にスターリング地域のポンド保有残高を安定化することを主内容としていた。現在では,スターリング地域は大幅の黒字を計上しており,ポンド残高も)68年の底に比較すると10億ポンド増の27億ポンドに達している。また,スターリング地域諸国は協定で決められたよりも多くのポンドを保有するようになっている。このため,イギリスにとってこの協定の重要性は以前ほどは大きくない。しかし,国際通貨情勢の動揺がつづき,国内景気の回復が十分にすすまないこと,加えて,EC加盟に際してポンドの準備,通貨としての役割を徐々に減少していくという約束などを考慮して協定の更新が行なわれたものとみられる。
71年におけるイギリス経済の景気停滞の深化は,主として,67年11月のポンド平価切下げ後に導入された一連の引締め政策が長期にわたって適用されたことに端を発している。すなわち,はじめは平価を切下げたにもかかわらず国際収支の改善がはかばかしくすすまず,また,国際収支が明るさを取りもどした69年以後はインフレーションの高進がみられたために,政府は引締め政策の緩和に慎重にならざるをえなかったからである。しかし,71年に入って,景気情勢がさらに悪化を示したために,政府は3月末の71年度予算に-おいて所得税減税をはじめとする財政面からの景気支持措置を導入した。
その後も景気の回復がはかばかしくすすまなかったため,政府は7月央に補正予算を発表し,賦払信用規制の撤廃,消費税減税などによる需要刺戟の強化をはかった。このため,耐久消費財を中心として国内需要の回復がみられるようになったものの,8月央のアメリカの新経済政策の発表が不確定要因として加わったこともあって,全般的な景気回復にはいたらなかった。とくに,投資の停滞がその後もつづき,失業の増勢が止まないために,政府はさらに11月末,公共事業費の追加支出を中心とする景気対策を発表した。
1)1971年度予算のリフレ措置
71年度予算(3月30日発表)は,所得税,法人税などの減税を中心に,初年度5億4,600万ポンド(平年度6億7,100万ポンド)の大幅減税を行なった。これは一部は,前年10月に発表された保守党の新財政政策を実施したものであるが,減税規模が前年の減税(平年度2億2,000万ポンド)の3倍以上となっており,予想を大幅に上回ったことが特徴である。この減税幅は戦後最大の規模であるばかりでなく,租税体系の大幅な改訂を含んでいる点が注目される。
一方,一般会計の歳出規模そのものは,前年比2.5%増で,70年度の5.5%増をむしろ下回っており,一般会計余剰も23億1,600万ポンドと前年のそれ17億5,300万ポンドをかなり上回る黒字を計上しているなど,この面での需要刺戟はひかえ目なものとなっていることも特徴である。
71年度予算の主な財政措置はつぎの通りである。
① 所得税の減税,初年度1億8,400万ポンド(平年度2億7,900万ポンド)。
② 法人税の2.5%引下げ。初年度5,500万ポンド(平年度1億500万ポンド)。
③ 選択的雇用税の50%引下げ(71年7月1日より)。なお,73年4月以降は,選択的雇用税および消費税は付加価値税におきかえられる。
④ 資本利得税の基礎控除引上げ。短期の資本所得税を廃止し,資本利得税一本とする。
⑤ 老齢年金の引上げ(9月20日より)。
⑥ 国民貯蓄証書の個人所得限度の引上げ(1,000ポンド,4月1日より)。
⑦ 貯蓄促進制度の拡充。
予算案にはこのほか金融面での措置も含まれているが,その主なものはつぎの通り。
① 銀行貸出し規制の緩和(四半期当り2.5%増に拡大。従来は年間5%増)。ただし,消費関連の個人貸出しは極力抑制する。
② 貨幣供給量の増加を企業の流動性と雇用を阻害しない程度にする(四半期当り3%)。
こうした71年度予算の財政金融措置によって,政府は71年上期~72年上期の国内総生産は1%高まり,約3%増となると予想している。これはほぼ潜在成長力にみあった成長が達成されることを意味している。
2)補正予算によるリフレ措置の強化
71年上期の経済成長は前期比1.5%減と,71年予算案の発表時の予想(0.5%減)よりもはるかに低水準にとどまったことから,政府は7月19日,補正予算による追加的な需要刺戟措置を導入した。今回の措置は,消費税減税,賦払信用規制の撤廃などの個人消費需要の促進を中心としたものである。主な政策内容は,①消費税の18.2%引下げ,②賦払信用規制の撤廃,③特別償却制度の拡充(初年度特別償却率を現行の60%から80%に引上げる,73年8月まで。開発地域のサービス業について自由償却を認める)などである。
この措置により,71年上期~72年上期の実質成長率は4~4.5%に高まると政府は予測している。
こうした政府の景気の先行きに対する楽観的な見通しに反して,その後も景気回復ははかばかしくなく,とくに,失業者の大量発生による社会不安が強くなったために,政府はさらに公共事業費の追加支出を中心とする景気対策を導入した。これは,国有企業を中心に総額1億8,500万ポンドの公共事業費を今後2年間に支出するもので,7月の措置がスコットランドを中心とする3,300万ポンドの公共事業費支出であったのと較べると,支出規模,適用地域とも拡大している。
主な支出計画はつぎの通り。①北東部の火力発電所建設(1,200万ポンド),②送電計画の開発(2,000万ポンド),③ガス配送網の開発(950万ポンド),④石炭公社の設備投資(700万ポンド),⑤東部,南部からロンドンへの通勤路線の更新,⑥ロン下ン北部道路の整備に対する助成,⑦道路補修,維持(5,000万ポンド),⑧防衛用訓練飛行場建設費の追加(450万ポンド)。
3)金融政策はさらに緩和
金融政策はすでに70年初から緩和に転じ,71年に入ってからも,71年度予算措置,公定歩合の引下げ(4月6%へ,9月5%へ)などが導入された。
これらは主として,景気の停滞を金融面からテコ入れすることを目的としたものである。ただし,9月初の公定歩合の1%引下げの主目的は,アメリカの新経済政策の発表後に急増した投機的短資流入を抑制し,ポンド相場の実勢を上まわる高騰を抑えて,今後に予定される多角的平価調整過程で過大なポンド切上げに追いこまれるのを避けることにあった。
金融政策の緩和を反映して資金は潤沢であったが,景気の停滞がつづいたため資金需要は小幅の伸びに止まっている。国内信用増(DCE)は,1970~71年度には14.2億ポンドとなり,前年度の6.3億ポンド減から大幅に回復した。これは63~68年平均の13億ポンド増をやや上回る水準である。しかし,71年第2四半期には約4億ポンドの増にとどまり,前年同期の8.3億ポンド増の約半分にすぎなかった。これは主として,民間部門に対する銀行貸出しの減少,政府部門の海外借款の返済増などによるものである。,その後も資金需要の伸びは緩慢で,71年の予算措置と同時に導入された金融緩和措置は,銀行貸出しを年率10%増に引上げたが,第2,第3四半期の対民間貸出しはこの枠をかなり下回るものにとどまっている。
一方,通貨供給は70年春以降,大幅な増加をつづけており,70~71年度の増加は20.4億ポンドに達した。しかし,第2四半期の増加をよ5.7億ポンドと前年同期の8.6億ポンド増よりは小幅となっている。
短資の急激な流入が国内流動性を攪乱する懸念があったため,大蔵省は71年1月初および,8月末の2度にわたって短資流入規制措置を導入した。1月末の措置は企業による短資取入れ規制を中心としている。8月末の措置は,国際通貨危機の再発による投機的短資の流入を抑えることを目的としたものである。その主内容は,①非居住者預金の増分に対する利払の一時停止,②金融機関,地方公共団体による非居住者新規預金受入れの一時停止,③非居住者によるポンド建CD,大蔵省証券,国債,政府保証債,地方債の追加取得のための売却を禁止し,為替銀行による外貨預金のポンド転換を制限する,などである。
イングランド銀行は懸案の金融調節方式の大幅改革を71年5月に発表し,9月16日より実施した。その主な内容はつぎの通りである。
① これまで国内金融の需給調節には主として市中貸出し規制による直接的規制方式がとられてきたが,これを撤廃し,代りに,全銀行に最低準備比率(ポンド建預金などの12.5%以上の特定の準備資産を常時保有する)を課するとともに,特別預金制度の適用範囲を拡大して全銀行に一率の預入率を課することとするなど間接的信用調節方式を強化する。
② 大銀行間の伝統的な預貸金金利協定を廃止し,主要預金・貸出金利を公定歩合と一定の幅を維持して連動させるという一世紀以上にわたる慣行を取止めることとした(10月1日より)。また,主要割引商社間の大蔵省証券共同入札協定を廃止し,競争入札を行うことに改める。
③ 長期国債価格支持操作を原則として停止し,残存期間1年以上の中・長期国債価格を市場の需給にまかせることとした。
この新金融調節方式のねらいは,基本的には,①金融調節方式を弾力化し,かつ差別性を改めて,金融市場にプライス・メカニズムを有効に作用させることにある。これにより,金融政策は全金融機関の流動性ポジションを直接の対象とすることになり,市場の金利構造の変化を通じて政策効果をあげることが期待され,また,公定歩合操作もより弾力的に運用されることになろう。②金融機関相互間の対等かつ自由な競争を促進することにより,金融界の体質改善をはかり,長期的にイギリス金融機構の効率を高めることが期待される。これは,保守党政権の競争原理の強化によりイギリス経済を長期停滞から脱却させようとする基本方針の一環でもある。③特別預金制度の改訂に際して,海外預金の預入率を国内預金のそれと区別したのは,最近における短資の大量流入に対する規制をねらいとしたものである。⑤E C加盟後の通貨統合に備えて,イギリスの金融構造をより効率化すること,などである。
本改革はイギリスの長年の伝統を破る画期的,かつ包括的なものであり,その影響は少なくないとみられる。しかし,この新金融調節方式が意図どおりの効果を発揮しうるかどうかは,今後の運用いかんにかかっている。
4)CBIによる物価の自主規制措置
政府が7月の補正予算により,予想を上まわる大幅な需要刺戟にふみ切った背後には,CBI(イギリス産業連盟)が,今後1年間の物価引上げについての自主規制案を7月15日に発表したことが重要な要因となったとみられている。この自主規制案に対してCBI加盟民間主要企業200社(従業員5,000人以上の大企業)のうち176社が同意しており,またその他の中小加盟企業もおおむね賛意を表明している。一方,国有企業も政府の強い勧奨により協力の方針を明らかにしている。また,これらの企業の多くはその原材料供給先に対して同様の値上げ自粛を要請しているため,この措置はかなり広範囲にわたって実施されることとなった。
価格引上げ自主規制の主要内容はつぎの通りである。
①72年7月31日まで,製品,サービス価格の引上げを避け,やむをえない場合でも,その引上げ幅を5%以内に押える。
②特定製品の価格が例外的な,不可避の事情により5%をこえて上昇する場合でも,関連する製品,サービスの価格引上げ幅の加重平均を5%以内に押える。
③価格引上げが不可避の場合でも,前回の引上げ時より少くとも12ヵ月経過したあととし,その引上げ幅の最高限度を年率換算5%以内に調整する。
④公約の遵守が困難となった場合は,価格引上げの前にCBIに通告し,協議する。
⑤食料品,金属,基礎原材料については,輸入価格や農産物価格の変動にともなうコスト上昇をとくに考慮する。
こうした民間のイニシアティブによる物価上昇の自主規制措置は,現在のイギリスにおけるスタグフレーションの深化のなかでとくに必要性を強く意識されて実施されたものである。程度こそちがえ,先進国はひとしくコスト・プッシュ型のインフレーションに悩まされているため,その成果が内外から注目されている。夏以降,卸売物価には騰勢の鈍化傾向がみられるようになったがCBIのこの自主規制措置もある程度は影響しているとされている。
5)労使関係法の成立
保守党の最重点政策の1つであった労使関係法は,71年8月5日,成立した。これによりイギリス経済にとって長年の課題であった労使関係の近代化,合理化の基礎が確立し,山猫ストなどの不当労働行為は処罰されることとなった。今後,実施規則の成立をまって漸次実施されることになるが,その影響は労働市場にとどまらず,生産性の向上を通じて物価上昇の抑制などにも有効に作用すると期待されている。
労使関係法の主な改革の目標はつぎの通りである。
①スト権の制限:非公認スト(山猫スト)はすべて禁止する。公認ストでも不当労働行為は禁止。非常事態に際して政府は介入する権限をもつ。
②労使関係を改善するための一般的改革:労組の法的および契約上の地位の明確化,手続に関する協約と労組の承認。
③労働者の権利の確立:不当解雇からの保護。ただし人員過剰,無能力,不品行を事由とするものは公正な解雇であり,スト参加による解雇が参加者全員を対象とする場合にも公正とされる。不当解雇と認められる場合,労使関係審判所は補償を命ずることができる。また,すべての労働者は組合に加入する権利と,加入しない権利をもつ。クローズド・ショップ制をよ禁止される。
6)EC加盟の妥結
懸案のEC加盟問題は約1年にわたる集中的な交渉の末,71年6月23日,ようやく実質的な妥結をみた。10月末の下院による票決の結果,賛成356票,反対244票の大差をもってEC加盟を決定した。この後,加盟条約の作成,批准,関連法案の成立をまって,イギリスは73年1月1日より拡大ECの一員として出発することがほぼ確定したことになる。
一般国民のEC加盟に対する関心は交渉妥結後かなり高まりを示し,反対も減少しているが,最近の与論調査でも加盟賛成30%,反対50%と引続き反対意見が多い。とくに,生計費の上昇に対する国民の懸念はいぜんとして強い。EC加盟によるイギリスの国際収支の負担は,最高年額5億ポンドと政府は推計しており,これは成長率が0.5%上昇すれば十分償なわれるとしている。
イギリス経済は春以後の一連のリフレ政策に支えられて回復過程にあるが,投資の停滞,失業の増勢などがいぜんとして続いている。政府は7月の補正予算によるリフレ措置の導入によって71年上期~72年上期の成長率は4~4.5%に高まるとしていたが,11月末には,失業対策として公共事業費の追加支出を決定し,さらに景気対策を強化することを考慮中といわれる。
こうした政府の積極的な景気回復に対する態度もあって,イギリス経済はしだいに本格的な回復に向うものとみられる。71年下期の回復は個人消費の急増を中心としており,成長率もかなり高まると予想されるが,71年の伸びは上期の停滞を反映して前年比1%強の上昇にとどまるとする見方が多い。
政府消費,投資は下期にも前期とほぼ同率の伸びを維持するとみられ,71年の増加率は1.5~2%となろう。民間投資は下期にも停滞をつづけ,71年の前年比は1%増を下回るとするものが多い。在庫投資は下期に大幅の在庫べらしが行なわれ急減が予想される。貿易収支は,輸出の増勢鈍化,輸入の増加テンポの高まりがみられるものの,下期には黒字幅をむしろ拡大し,71年の黒字幅は3.5億ポンドに達するとNIESR(全国経済社会研究所)などはみている。この結果,経常収支も10億ポンドにちかい黒字を計上することになろう。
失業の増勢はいぜんとして衰えをみせないが,相つぐ失業対策の導入もあり今後はしだいに収束にむかうものとみられる。
72年中も景気の回復がつづこうが,民間投資の回復ははかばかしくなく,個人消費の増勢もしだいに弱まるとみられる。このため,国内総生産の伸びは上期に4~5%程度に高まった後,下期には伸び率を鈍化させるとする見方が多い。物価はCBIの物価抑制措置もあって今後さらに騰勢を鈍化させ,消費者物価の上昇率は現在の8~9%から6~7%程度まで下るとNIESRは予想している。