昭和46年
年次世界経済報告
転機に立つブレトンウッズ体制
昭和46年12月14日
経済企画庁
1971年は後世の歴史家から経済転換に悩んだ年というよりも,「むしろ強力かつ秩序ある拡大の始まった年」と評価されるだろうといったニクソン大統領の年頭経済報告のねらいは完全に崩れ去ろうとしている。
71年の第1課題は「急速な拡大による失業の克服」にあり,高成長は生産性の上昇をもたらし,物価抑制は結実するだろうと期待し,賃金・物価の統制は「無意味」であり,政府は「自由市場の力を自由に発揮させ,またこの力を強化するよう有効かつ合法的な力すべてを行使したい」と述べたのであったが,こと志と違い,四半期別の失業率は年央へかけてむしろ増大,物価の上げ足も容易に弱まらず,加えて公的決済ベースの国際収支赤字は四半期ごとに記録を更新していった。
この結果,8月にはアメリカ経済にのしかかる内外の難問をいっきょに解決する新経済政策を発表,経済報告に盛られた趣旨とはまさしく正反対の物価・賃金凍結策さえ採用し,金とドルの交換停止,輸入課徴金の実施などにより世界に大きな影響を与えた。
次に過去1年余のアメリカ経済の動きをふりかえってみると,1970年9月15日に始まるゼネラル・モーターズ(GM)のストライキは11月まで続き,第4四半期の実質国民総生産は季節差調整後の前期比で0.7%減少,この年第1四半期の減少と相まって,年間では0.6%減少した。
71年に入ってGMの生産が回復するとともに経済活動は上向いたが,第3四半期には工業生産が7,8月連続低下,貿易収支は4月以降赤字を続けて,国際収支赤字は増大した。このような円外の危機に直面して,ニクソン大統領は8月15日,新経済政策を発表,景気の立直しを策した。この措置は海外諸国に深刻なショックを与えたが,アメリカ国内経済に及ぼす刺激効果は徐々にしか現われていない。
(1)新経済政策の内容
1970年後半からの事象をふり返ってみると,この1年余の期間に①インフレは速度をゆるめながらも,いぜん継続し,8~11月には物価・賃金の凍結を余儀なくされ,②国際収支は赤字は70年第3四半期以降引き続き増大して,公的決済ベースの赤字は記録的となり,外国人に保有されるドル残高は急増,ついに非常手段として金・ドル交換停止,輸入課徴金の採用となった。③生産の低下につれて失業率は70年12月6.2%に高まり,60年10月以来の最高となった。その後71年初めには減少方向にあったが,3,4月には再増し,5月の失業率は前年10月と同水準となった。その後の動きも思わしくなく,ついに政府は新経済政策による経済刺激を余儀なくされた。
以上のような内外の危機に直面して大統領は,本文第1章第5節に掲げるような諸措置を発表した。
以上の構造は前にも述べたように内外のねらいをもっている。まず第1に金とドルの交換を停止することによって,諸外国からの金交換請求を絶ち切り,アメリカの保有する金がさらに減少するのを防ぐと同時に,海外におけるドル相場を変動制に移行せしめ,事実上ドルを切り下げることになった。
10%の輸入課徴金賦課がこれに加わり,諸外国からの対米輸出は因難となった。70年の景気後退下にも増大し,71年にもふえ続けた輸入を価格面から抑圧し,輸入品を国産品に代替させ雇用を促進させる効果をねらったものといえる。対外関係のいま一つの措置としては対外援助の10%削減があるが,これは戦後長期間にわたった対外援助の負担を軽減しようとするものである。
以上の諸措置によって,戦後の国際通貨制度に果たしたドルの役割を停止すると同時に,国内政策優先への道を開いた。
賃金・物価に関する新政策はケネディ・ジョンソン時代に始まるインフレを食い止め,安定成長を取りもどそうとするものであり,90日間の凍結期間満了後,11月14日から第2段階に入り,物価・賃金の管理組織を設け,物価には2.5%,賃金には5.5%のガイドラインを設定し,本格的な所得政策となった。
自動車物品税の廃止投資税額控除,個人所得税減税の1年繰上げは明らかに国内景気のてこ入れ手段である。すなわち,第1の措置は乗用車1台当たりの負担を200ドル軽減することによって,それまで低調であった自動車販売を促進しようとするものである。第2の措置は設備投資の停滞を新規設備購入額の10%を納税額から控除し,設備コストの低減によって,新規投資を促進するねらいをもっている。しかし,この税額控除はアメリカ製機械だけに認められ,外国製にはその特典を認めていない(初年度中に輸入課徴金撤回の際にはに5%軽減する,いわばバイ・アメリカン条項が付加されている)。関係法案が原案どおり議会を通過すれば,外国製機械はかなりの差別を蒙る上に,輸入課徴金の10%に実質的切上げ幅をプラスしたものだけ高くなり,逆にアメリカ製機械は10%安くなり,内外品の価格差は約30%となるので,アメリカ製が圧倒的に有利となる。第3の措置については,その規模は約10億ドルであって,ケネディ大統領時代の減税規模2ヵ年に111億ドル(1964年に3分の2,65年に3分の1)に比べればはるかに少ない。もっともケネディ大統領時代には法人所得減税22億ドルが含まれており,個人所得税の減税は89億ドルであった。今回は法人,個人にも自動車物品税廃止23億ドルの特典が与えられ,また設備投資には30億ドルの減税が予想されるので,これらを合わせて合計63億ドルの税収減となる。ケネディ大統領当時の初年度減税に比べ約10億ドル小さい。この場合,不変価格で比較すれば,この差はもっと大きくなるだろう。
以上の減税が72財政年度の赤子幅を異常に拡大させるのを防止するため,新経済政策では47億ドルの財政支出削減を予定している。その内容は公務員数の削減,昇給繰延べ(18億ドル),州交付金,公共援助の削減(29億ドル)であって,減税効果の一部が相殺されている。
ニクソン大統領の新経済政策は多くのアメリカ人から支持され,初め賃金凍結政策に強く反対した労組幹部もしだいに折れ,凍結期間終了後の賃金政策についてはミーニーCIO-AFL(全米労働総同盟・産別会議)会長も,賃金の安定に協力する意向をみせた。
新経済政策の効果は9,10月の物価動向乗用車販売の増大などにみられたが,乗用車売上げには一時的な要因も加わっているので,永続的効果についてはやや疑問がある。設備投資についてはマクグロー・ヒル社調べの示すところではまだみるべき効果はない。重要な貿易収支については,9,10月に港湾ストがあり,それ以前のかけ込み輸入もあって,課徴金の影響を十分に判定しがたい。
また11月14日以降のいわゆる新経済政策の第2段階において採用された①配当の増加わく(4%),②物価上昇わく(2.5%),③賃金ガイドライン(5.5%)の設定は物価の安定に寄与するものと思われるが,反面では法人の資金調達に影響し,個人消費の伸びを押さえる面もある。
このような悪影響を相殺するためには,財政金融の積極的な運営が必要であるが,すでに財政収支は71年1月予算の赤字を大幅に上回っているし,金融はかなり緩和されているので,72年の成長を助けると考えられる。
(2)景気後退から回復へ
1969年第4四半期に始まる戦後第5回目の景気後退は70年第1四半期を底として,続く2四半期は回復に向かったが,9月15日からのGMストによって再び下降に変わり,第4四半期が二番底となって,年間では0.6%の後退となった。その後,四半期別のGNP(58年価格)は 第1-1表 に示したように70年第4四半期を底として回復に向かったが,上昇速度は71年第1四半期の1.9%を最高として続く2四半期には鈍化した。
また69~71年の需要動向でみると,個人消費支出は1958年価格で70年第3四半期まで引続き増大し,70年第4四半期の景気後退の底で初めて減少する程度で戦後第5回目の景気後退の落込み幅の拡大を防いだ。
実質GNPに対する寄与率からみると,69年第4四半期と70年第1四半期の落込みには政府購入在庫変動,輸出が2期連続寄与している。政府支出は70年第1四半期以降も減少して,景気の落込みを防ぐ役割を果たさずようく70年の第4四半期になって,わずかばかりの景気浮揚力となったにすぎない。
70年第2,3四半期の回復に寄与したのは,個人消費と国内民間総投資とくに非住宅投資であった。純輸出もまたこの期間には浮揚要因の一つであった。第4四半期にはGMストが弱い回復段階にあった個人消費を落し,さらに国内民間総投資と純輸出の減少が加わって,今回の景気後退期間中の四半測としては最大の落込みとなった。
71年第1四半期にはGMストのキャッチ・アップ需要,第2四半期には8月に予想されていた鉄鋼ストに備えるための備蓄需要,個人消費を中心として景気は回復に向かった。だが,第3四半期にはいって,工業生産は7,8月と低下し,小売売上げもまた思わしくなかった。
6月末,ニクソン大統領の山荘キャンプ・デービッドで主要閣僚の重要会議が開かれ,景気は上昇過程にあるとの判断のもとに,追加的な刺激措置をいっさいとらず,経済の自律作用に任せる方針を決めた。
しかし7月半ば以降,明らかになった主要経済指標は景気回復力の鈍化,失業の増大,インフレの持続,輸入の増加などいずれもかんばしいものではなかった。8月に入ると,フラン切上げ投機に加えて,合同経済委員会国祭,為替分科会長ロイス上院議員が金・ドル交換停止を示唆する報告を発表するというようなこともあって,8月13日に終わる週のドル流出は30億ドルに達した。
この日,ニクソン,マックラケン,シュルツ,パーンズ,コナリーの要大たちがふたたびキャンプ・デービッドに集まり,14日各種の措置を決定,翌15日二クソン大統領がこれを発表した。
(3)69~70年の景気後退の特徴
ところで,69~70年の景気後退を前3回のそれと比較すると,次のような特徴が見いだされる。
① 後退期間をGMPで測ってみると(後退前のピークから後退期の底まで),今回は4四半期であって,1953~54,1960~61年のそれにひとしく,1957~58年2四半期よりも長くなっている。しかし今回の場合,途中でわずかながら上昇に転じた期間があった。
② 工業生産の減少月数は,14カ月であって,これまでの景気後退期に比べて最も長い。
③ 落込み幅を実質GNP(58年価格)で測ると,今回は1.6%であって,60~61年当時と同じであり,それ以前の2回に比べて約半分ですんだ。また,工業生産の落込みは前回のそれをやや上回ったが,それ以前の2回の落込み幅まではいかなかった。
④ 輸出の増加率は今回が最低であるが,57~58年当時のように減少とはならなかった。58年の減少はアメリカ品の値上がりやヨーロッパの需要減退によるものである。輪入は前3回の景気後退時には減少したが,今回は逆に増大している。
⑤ 今回の後退期における失業率はピーク時から底までに約2%増大し,前回よりもやや大幅であったが,53~54年,60~61年の3%強までにはいたらなかった。
⑥ 消費者物価の騰貴率は今回も前回もわずかばかり鈍化したにすぎず,53~54年ほどの大幅な減速はなかったが,逆に57~58年ほどの騰貴はみられなかった。一方,卸売物価(工業製品)の騰貴率は今回微減にとどまった。
⑦ いずれの景気後退期においても,国内民間総投資がGNPを減少させる最大の要因であり,なかでも,在庫は共通した要因であるが,今回は53~54年同様政府購入の減少が目立っている。
工業生産は68年に5,2%,69年に2.6%増と伸び率が低下した後,70年には1.0%にとどまった。前にも述べたとおり,GNストによるところが大きい。
総合指数は70年11月を底に回復に向い,71年2月まで上昇を続けたが,3月に1時低落,4~6月上昇,1,8月微落と変動を繰り返しながら,9,10月に1は再上昇に転じた。それでもなお10月の生産水準は71年に初めて前年同月を上回って2.5%増となったとはいえ,後退前のピーク(70年9月)の水準を5.0%下回っている。
これを製造業と鉱業,公益事業に分けてみると,製造業は70年に4.8%減少したのに対して,鉱業,公益事業は微増して,工業生産活動全般の大幅な落込みを防止した。製造業のうち,非耐久財は微減にとどまったのに耐久財が6.4%も減少したのはGMストによるものである( 第1-1図 )。
71年上期の回復過程では耐久財生産がゆるやかに上昇したが,これは自動車の需要回復,8月に予想された鉄鋼スト見越しの在庫積み増しなどによるところが多く,スト不発となった8月以降の耐久財生産は低水準に推移した。
一方,非耐久財生産は71年初め以来7月まで上昇し,以後横ばい状況にある。
製造業の操業率は1966年第2,3四半期の92.3%を60年代の最高として,以後しだいに低下し,とくに70年の低下率は大きかった。GMストを反映して,同年第4四半期には74%まで低下し,以後回復に向かったものの,その足どりは鈍く,71年第3四半期にはふたたび減少し73.2%と,戦後としては58年第2四半期の72.5につぐ低さとなった。鉄鋼スト・ヘッジの在庫が取り崩されてメーカーの生産が減退したからである。
70~71年の設備投資はさえなかった。企業の売上げ見通しが悪かっただけでなく,既設設備の増大から稼動率が悪化したからでもある。
70年の設備投資は前年比5.5%増で,69年の11.5%増の半分にも足らなかったが,71年にはさらにそれを下回って2%増程度にとどまりそうである。
商務省の7~8月調査によると,2.2%増になっている。この増加率は71年最初の調査(1~2月)では4.3%,第2回調査(4~6月)では2.7%であったから,調査を重ねるたびに増加率が鈍っている。
最近の調査によると,四半期ごとの投資金額は70年第1四半期から増大に転じたが,第4四半期の伸びは前期比0.1%で事実上横ばいに近かった。
産業別には製造業,鉄道,航空の設備投資が前年以下となったのに対し,鉱業,公益事業,通信,商業その他の投資の増大が総額の落込みを防いだ。
航空は71年第4四半期に増加を予想されているが,製造業は引き続き減少傾向にある。
設備投資の任調を打破するため,71年6月に減価償却20%繰上げの措置をとった。これによって71年1月以降の取得資産に対する減税額は72年度30億ドルとみられている。
次いで71年2月の新経済政策の一環として,8月15日以降稼動する設備については投資額の10%を法人税から減額措置をとった。(議会で7%,4月1日発注または8月15日引渡と改定)72年の設備投資はマクグロー・ヒル社調べによる7%増であるが,物価の騰貴を差し引けば,2%増にすきない。これによると,71年6月の減価償却規則の緩和によって71年の投資をふやした会社は全体の3%にすぎず,また,税額控除措置によって計画を増額した会社は7%で影響力がやや強い。増額された金額でみると,償却規則緩和と税額控除の双方で72年に0.5%,73年に0.75%となっており,効果とすれば多くを期待できないようである。
71年11月下旬発表のコンファレンス・ボードの大手製造業1,000社の設備投資資金割当調査によると第3四半期に前期比12%増となって,過去2年ぶりで初めて大幅増加となった。資金割当から支出までの間には約半年間のタイム・ラッグが予想されるので,72年上期の製造業投資をかなりふやすと期待される。ちなみに,マクグロー・ヒル社調べの製造業投資は8%増にすぎないから,これに比べると大幅な好転といえようが,しかし,コンファレンス・ボード調査は大企業だけを対象とする点を割り引いて考慮しなくてはなるまい。
1969年には高度の金融引締めで,新規民間住宅着工数は激減したが,70年には前半の立直りが鈍かったため,69年を2.3%下回る結果となった。71年に入ってからは年初の2ヵ月不振であったものの,その後は急速に回復し,7月には222万戸(季節調整,年率)となって,1950年8月の記録212万戸をも上回り,8月にはさらに224万戸となって,ふたたび記録を更新した。だが,9月になると,8月のニクソン大統領による物価・賃金凍結措置の一環としての家賃の凍結がアパート建築業者の不安感を醸成して,激減し,10月にはやや持直してし205万戸となった。10月には前月に引き続き一戸建が減り,アパート建築は反動的に増大した。
住宅抵当債金利の低下が着工数の増大をもたらしたとみられ,今後なおしばらくは金利の低下傾向が続くと予想されるだけに,政府筋では71年に200万戸の大台に乗せると楽観的である。11月14日以降の新経済政策第2段階では,家賃はガイドラインの適用を除外されているので,アメリカ経済動向の重要指標である住宅建築は200万戸の大台には達しないにしても,なお高水準を維持できそうである。
新規建設支出は名目金額で70年に前年比微増であったが,70年12月からは連邦,州,地方政府の支出が急増,民間非農住宅の増大と相まって大幅増となり,1~8月の間に新規建設支出は約7%増大し,8月の水準は前年同月を釣20%上回った。ふえたのは主として民間非農住宅であって商工業用建築ならびに連邦,州,地方政府建設は前年同期をやや上回るにすぎなかった。先行指標である建設契約指数(1967=100)でみると,71年4月の161が最高であり,その後は減少して,7,8月平均152となったが,水準としては高く,前年同期の126をはかるに上回った。
1)いぜん衰えぬインフレ
68年来騰勢を強めた物価は71年に入り,需要抑制策の浸透により,やや鈍化の傾向をみせているが,期待された水準にまでは下がらず,失業率の低下をめざす拡大政策の足かせとなり,8月15日,新経済政策の一環として物価,賃金の凍結に踏みきった。
消費者物価は68年,4.2%,69年5.4%,70年上期前年同期比6.1%と騰勢を強めたあと70年後半5.7%,71年に入って第1四半期,4.9%,第2,第3四半期4.4%(前年同期比)とやや鈍化傾向を示している。
これはサービス価格の上昇率がやや鈍化したことのほかに,食料品価格の上昇率が低落したことが大きく響いており,食料品,サービスを除く財の上昇率はいぜん高水準を続けている。
卸売物価は68年2.5%,69年3.9%,70年上期4.2%と上昇したあと,70年下期と71年第1四半期には農産物価格の低下が著しかったことなどにより,やや鈍化の傾向を示したもの,第2四半期3.4%,第3四半期3.5%と再び騰勢を強め,消費者物価の動きと対称をなしている。
2)根強いインフレの原因
以上みたように物価の上昇は需要軟化を反映して,やや鈍化の気配をみせているが,いぜん根強いものがある。
このインフレの執抑さの原因としては,長く続いたインフレ心理の浸透によるところが大きいとみられる。組合の賃金要求は実質賃金の減少を防ぐために,将来予想される生計費上昇分を含めたものになり,雇主側は将来価各への転嫁を見越して,この賃金要求を安易に認めることになる。
一方,生産性の上昇率が低いことから,この賃金の上昇を吸収できず,賃金コストが上昇している。69年以降,需要圧力が弱まったことからこれの価格への転嫁が,従来ほど容易でなくなり,企業利潤を減少させた。
最近の物価上昇率が鈍化したのはこの要因によるところが大きいと思われる。最近,卸売物価にやや上昇の気配がみえるが,これは景気の回復が,賃金コストの価格への転嫁をしやすくしていることがあげられる。
① 賃金の高騰
1968年6.2%,69年6,0%,70年6.3%(製造業時間賃金前年比)と6%を上回る賃金の上昇は71年に入っても1~9月に6.8%の上昇と,騰勢を弱めていないが,71年第1四半期7.1%第2四半期6.8%,第3四半期は,賃金凍結の影響で6.5%とやや鈍化の傾向を示している。しかし,実質賃金は物価騰貴の影響で,68年2.3%,69年0.3%と横ばい状態となった。70年には2.5%減となり,71年9月の水準も前年同月比3.5%減となっている。
② 低い生産性上昇率
マン・アワーあたり生産(季節調整ずみ,生産性,民間非農)は68年2.8%上昇したあと,69年横ばい,70年は0.5%の上昇と停滞を続けた。71年上期は3.7%増と上昇をみせたが,これはGMストからの回復要因が大きく影響しているとみられる。
③ 高水準を続ける賃金コスト
賃金の上昇が高水準で,その上生産性の伸びが68年以降ほぼ横ばいを続けたことから,単位生産当たりの賃金コストは,68年8.3%,69年3.6%,70年6.0%と上昇を続けている。71年に入っても賃金の上昇率は大幅ながら,生産性が回復したため,賃金コストの上昇率は第2四半期まで前年同期比3.8%増とやや鈍化を示しているが,第1四半期3.3%,第2四半期3.7%,第3四半期4.4%とGMストからの回復要因がうすれるにつれて,再び,上昇の気配をみせている。
3)インフレ対策
ニクソン大統領はインフレ対策として,総需要管理に重点を置き,62年に統き,69年に入っても金融財政両面からの引締めを続けた。この結果69年後半以降景気は鎮静化をみせ,70年には失業率が急上昇をみせた。しかし,実体経済の停滞にもかかわらず,物価の上昇はむしろ加速化をみせた。ニクソン大統領は,このスタグフレーションから抜けだすため,総需要管理を慎重に緩和し,失業率の低下をはかる一方,所得政策を採用しないといった当初方針の修正をせまられた。
これを70年以降の動きでみると,
① 1970年6月,物価,賃金対策の研究ないし啓蒙機関として「全国生産性委員会」設立。
② 輸入制限や政府の購入方針によって生ずる物価騰貴の例をあげ,その対策を検討する「規制,購入監査委員会」の設立。
③ 70年8月,「第1回インフレ警報」発表。
④ 70年12月,石油製品の値上げに対し,62年通商拡大法の国家安全保障条項を適用し石油輸入割当の拡大措置をとる。
⑤ 70年12月,「第2回インフレ警報」発表。
⑥ 71年1月,鉄鋼値上げに介入(ベスレヘム・スチールの値上げに介入,値上げ幅を小幅に止めさせた)。
⑦ 71年1月,69年9月設立の建設業界団体交渉委員会の委員および,その他の労組,経営者の代表を招き,建設業界の賃金,価格の相互循環を弱める計画の立案,実施を要請。
⑧ 71年2月,連邦政府の建設計画に従事する建設労働者にその地域で一般的な賃金を保証すべきことをきめた「デービス・ベーコン法」の適用停止を発表。
⑨ 71年3月,建設業のインフレ傾向抑制のため,建設業の賃金,および価格を抑制する大統領令を公布。公労使各4名からなる「建設業安定委員会」を設立(18職種の紛争処理機関の業務の再審査,団体交渉をめぐる紛争の処理に勧告,援助を与えることを目的とする)。
⑩ 71年4月「第3回インフレ警報」発表,3月の製缶業での過大な賃上げや,鉄鋼の賃上げに警告。
以上徐々に介入の度合を強めてきたニクソン大統領は8月15日ついに,新経済政策の一環として90日間の物価,家賃,賃金の凍結を行なった。これは1970年の経済安定法によって大統領に与えられた権限により農産物,輸入品を除く,すべての物価,家賃,賃金を,8月14日に終る30日間の最高を越えない額に,凍結するものである。
同時に,凍結の実施と,90日の凍結期間終了後11月14日以降のインフレなき経済成長を計るための政策,機構,手続を検討するために,コナリー財務長官を委員長とする閣僚レベルの生計費委員会を設立した。そして,10月7日には,凍結解除後の新経済政策の第2段階が発表された。
このいわゆる第2段階は当面の目標を72年末に物価上昇を2~3%に抑えることを目的として,規制の対象を価格,家賃,賃金のみならず,配当,金利,不当な利潤におよぶこととした。第2段階を実施する機構としては,全体の中心に8月15日設立された生計費委員会を置き,ここで,全体の政策のガイドラインを設定し,この下に,労働,企業,公益代表各5名よりなる賃金評議会,公益委員7名よりなる物価委員会が設けられ,賃金,価格の上昇の一般的な基準の設定,個々のケースの審査を行う。この両委員会の決定は最終的なもので,生計費委員会は拒否権を発動しないことになっている。以上の機関のほか,生計費委員会を支援する機関として,既設の生産性委員会の拡充,利子,配当の抑制を目的とする利子,配当委員会,医療費の高騰を防ぐための保健サービス産業委員会,コスト,価格決定の大きな要素となっている地方,州政府による税,利用者負担料金の合理化をはかるための州地方サービス委員会を設立した。
11月2日に金利,配当委員会は配当の増加額のガイドラインを4%に,また8日に賃金評議会が年間賃金上昇率のガイドラインを5.5%に決定した。10日には生計費委員会により,第2段階の実施要領が発表された。これによると,経済は 第1-13表 のように3つの分野に分けられ,それぞれ,抑制方法が異っている。また,抑制の対象外として,凍結期間中も凍結されていなかった品目(未加工農産物,未加工海産物,有価証券,輸入品の第1取引および輸出品)のほか新たに,中古品,連邦財産,,オーダー,メード品,こっとう品,不動産,一部の地代,家賃,粗糖等が加えられた。さらに11には,物価委員会より,物価上昇率のガイドラインとして年間2.5%の上昇率が発表された。しかし,11月14日以降に生じたコストの上昇に伴う値上げだけが認められ,コストの上昇幅によっては2.5%以上の値上がげ認められることもある。
賃金評議会の決定したガイドライン5.5%は労組の反対を押し切って決定されたことから労組の態度が注目されたが,11月18のAFL・CIOの全国大会で同代表3名の賃金評議会への残留が決定された。
所得政策が成功するかどうかは,労組の協力がえられるかどうかにかかっている。第2段階は一応労組の協力を得て出発することになったが,AFL・CI0は労働者に公平な扱いがなされる見通しがある限り賃金評議会にとどまるとの態度を表明しており,今後の賃金評議会の個々のケースについての決定が注目される。
なお凍結解除後,自動車メーカーその他の値上げ申請が相次ぎ,クライスラーは11月26日4.5%の値上げを認められた。もともと同社は5.9%値上げを申請したが,物価委員会から明細なデータの提出を求められ,24日に5.3%値上げ幅を引き下げた。しかしGMが23日3%の値上げを申請したこともあって,クライスラーは26日以降の値上げを3%にとどめた。なお,フォード社は4.4%の値上げを申請したが,実際には3%程度の値上げにとどまるもようである。
鉄鋼業の値上げは11月23日物価委員会からベスレヘム7.6%,ナショナル7.2%(いずれもブリキ関係)の値上げを認められた。
ニクソン大統領はすでに70年秋から完全雇用予算を採用するむね明らかにしていた。かつてケネディ・ジョンソン大統領時代に採用されたこの制度は,現在の税率のもとで完全雇用が実現したと仮定した場合の歳入を想定し,これに現実の歳出が見合っていれば,財政は均衡したとみなされ,もし歳出がこの仮定上の歳入を下回るときには,歳出不足であって,歳入の線まで歳出を引き上げても,インフレは起きない。つまり,完全雇用予算ではまだ黒字とみなされて,均衡点まで歳出を引き上げるのが望ましいということになる。
ケネディ・ジョンソン時代にはこうした予算を編成し,60~61年の景気後退から脱出し,長期的なブーム時代を招いたのであったが,65年にはベトナム戦争の刺激も加わって,物価騰貴のきっかけとなった。
ニクソン大統領が70年の中間選挙に敗れ72年の大統領に備えて,景気を刺激するため,完全雇用予算を採用するにいたったのは,69~70年の景気後退からの回復を確実にするためであったと思われる。
具体的的な数字をあげると,1月29日発表の72年度連邦予算は歳入2,175億ドル,歳出2,292億ドルであって,差引116億ドルの赤字であった。だが,完全雇用予算でいうと,1億ドルの黒字である。というのは72年度に完全雇用実現できたと仮定すると,歳入は2,293億ドルと予想され,新年度歳出予想額を1億ドル上回るからであった。
ところで71年6月に終わる71財政年度も186億ドルの赤字予想ではあるが,完全雇用予算では収支均衡と説明され,それ故にインフレ的ではないといわれた。
ところで,完全雇用予算ではなくて,従来の歳出,歳入金額だけでみる,と,71年度の歳出は前年度に比べ162億ドル増(8.25増%)であって,72年度の前年比増加率(7.7%)を上回っていた。その上,71年度の赤字は186億,ドルで72年度の116億ドルをはるかに上回っていた。平時において,これほど大規模な赤字を予想した大統領はニクソン大統領以外にはいない。
過去の例にかえりみると,同じ共和党のアイゼンハワー大統領は,1959年度に128億6,000万ドルの赤字を出したが,当初から計画されたものではなかった。また,68年にはジョンソン大統領が1968年度に251億ドル赤字を出したが,これはまた当初から予定されたものではなかった。
71年度予算が70年2月,ニクソン大統領から議会に提出された当時は,13億ドルの黒字であったが,同年7月には逆に13億ドルの赤字に改定され,さらに71年1月にはその10倍余の赤字に拡大された。
景気上昇が予想はずれとなったため歳入実績が見積額を繰り込んだ。歳出も減少したが,赤字は71年1月見積を大幅に上回って232億ドルになった。
70年初めの予算に比べると,245億ドルの狂いであった。
1972年度予算もまた,1月推定の赤字に収まる見通しはない。コナリー財務長官の71年9月の言明によると,270億ないし280億ドルとされ,1月推定の2倍以上となった。
1972年度予算は公害対策,社会福祉,地方財政の強化など,数多くの項目で支出をふやしている。前年度に減少見込みであった嘩事費は増加に変わったが,航空宇宙開発費は69年に人類を初めて月に送って以来減少傾向にある。
主な歳出項目をあげれば,次のとおりである。
地方財政を堅実化するため,連邦の交付金を71年度よりも25%ふやす。
環境(公害)予算を24億ドルふやして,261億ドルとする。国防費は71年渡の764億ドルから13%増の775億ドルとする。(支出総額に占める割合は71年度の36%から72年度の34%に減少)。ジョンソン大統領時代にはベトナム支出推定額が予算書に掲げられていたが,ニクンン大統領になってからはその発表がない。航空宇宙開発費は71年度の34億ドルから72年度の32億ドルに減額する。ベトナムの兵力は71年春までに69年1月現在の水準より半減し引き続き撤兵を行なう。最低所得を保証するための支出を計上する。
対外援助は70年代にふさわしいものにし,アジア開銀の特別基金として再び6,000万ドルを要請する。軍事援助は前年と変わらず,開発援助はわずか1億ドル余の増加にとどまった(対外援助は71年11月上院で全面的に否決され,下院は政府案を削減し,両院協議会で部分的に復活した。
現在の連邦政府機関省を18省に統合し,郵政省は合理化を目的として公社に移すことになっている。政府の機構改革は官民双方の抵抗にあって容易に実現し難いものであるが,これほど大規模な改革は過去30年来に見られなかったところであるだけに,そのなりゆきが注目されている。
全国民経済計算ベースでみた連邦財政は71年度に191億ドルの赤字,71年4~6月には年率226億ドルの赤字となった。連邦財政が縮小傾向にあるのに対し,州,地方財政は引き続支出を増大し,支出規模においても,68年以.来連続して,連邦を上回り71年第3四半期には1.4倍となった。
インフレ抑制および国際収支悪化防止の観点から金融は引締め的に推移したが,70年11月にはニクソン大統領の要請もあって,以後急速に緩んだ。しかし71年初めにはヨーロッパ筋からの要請もあって,短期金利を引き上げ,長期金利の上昇を抑えるいわゆる二重金利操作(オペレーション・ツウイスト)もあって,年初に一時,短期金利が上昇した。その後,経済活動の活発化もあって,財務省証券(3ヵ月もの)利回りは7月の5.41%まで上げたが,前年同月の6.47%よりははるかに低かった。
8月の新経済政策後も,金融緩和が続いたが,賃金需要があまりふぇず,加えて,10ヵ国グループの合意によって諸外国が過剰ドルをユーロダラー市場で運営する代わりにニュ-ヨーク市場に投入したこともあって,低金利が促進され,11月15日の財務省証券(3ヵ月もの)利回りは4.12%に下がり,5月10日以来の最低となった。
金融緩和の進行過程で商業銀行のプライム・レート,(一流企業向け貸出金利)は70年3月以来71年4月まで数回にわたって引き下げられた。しかし5~7月には一時引き上げられ6%に達したが,10,11月にはふたたび引下げに変わった。
公定歩合は69年の6%を第2次大戦後の最高として,70年11,12月,71年12月と連続引き下げられ,7月には一時引き上げられたものの,11月11日には市場の実勢に追従,引き下げられて4,75%となった。
金融引締めから緩和への過程でユーロダラーの大量返還問題が発生した。
69年11月末145億ドルにも達した米銀のユーロダラー取入れはその後徐々に返還されたが,アメリカの低金利によってユーロダラー市場との金利差を拡大すれば,大量に返済され,それが諸外国中央銀行にたまって,対米金請求に移ることを恐れ,本文第2章4に述べた,ように,預金準備率の操作によって返済の阻止につとめた。だが,その効果はほとんどなく,大量流出が続いたため,71年1~4月には輸出入銀行債,財務省証券を米銀海外支店に発行30億ドルを吸い上げた。これは,3ヵ月の短期証券であったため,借換えを余儀なくされたが,8月の金,ドル交換停止措置により,もはや諸外国からの金交換請求を心配する必要もなくなったため,その後は借換えされていないようである。
1970年は景気停滞の年であったにもかかわらず,輸入は前年以上の伸びをみせ,71年の1~6月には輸入の増勢が輸出のそれをはるかに上回って,収支尻は赤字に転落,71年全体としても赤字になりそうである。
上期の輸入増加は鉄鋼スト見通しによる鋼材輸入の増加に負うところが多く,第3四半期には太平洋岸の港湾ストが7月以降9月まで続き,10月には政府介入によって就業したものの,大西海岸ではなお部分的なストが続いている。このようなストと8月以前の通貨不安はかけ込み輸入を増大させた。
また,港湾ストを避けて外国品はカナダ,メキシコに陸揚げ後アメリカに輸入された反面,アメリカの輸出はストップして,貿易収支を悪化させた。このほか,アメリカの相対的な物価高が輸出入の両面で,収支尻を悪化したことも見のがせない。
貿易相手地域別に取引高の増減率でみると,69年以来アジア地域とくに日本からの輸入増加が目立ち,ヨーロッパからの輸入は71年1~8月にアジア地域を上回った。一方,輸出は69,70年にはアジア,ヨーロッパ向けがふえたが,アジア地域では71年1~8月に伸び率が急減した。これは大平洋岸の港湾ストによるものであろう。
貿易収支の改善をはかる一策としての輸入課徴金賦課は対米輸出の多い日本,西ドイツ,イギリスに大きな打撃となり,対米輸出金額が最も大きい。
カナダは自動車が米加自動車協定により課徴金を,負課されるので,課徴金の影響は比較的僅小である。
課徴金のほか,投資税額控除の制度のバイ・アメリカン(米国品優先購入)条項も日本,西欧の対米輸出に強く影響したと思われる。
1)国際収支の悪化
70年には相対的に財政,金融面の引締めがあったにもかかわらず,公的決済ベースの国際収支はむしろ悪化した。すなわち70年の赤字は前年比125億ドルの悪化となり,71年に入って第1四半期222億ドル,第2四半期225億ドル,第3四半期484億ドルと急速に悪化した。政府は71年第2四半期から国際収支集計方法を改定し,「流動性ベース」に代わって「純流動性ベース」の国際収支を記録することとした。
1965年から70年まで使用された流動性ベースの国際収支と公的決済ベースの2種類の表示方式の概要は次のとおりであった。
流動性ベースではbelow the lineにアメリカの公的準備資産の変化と外国人に対する流動債務の変化を掲げた。この場合,外国人というのは民間個人企業,商業銀行,国際通貨機関,外国通貨当局,その他公的機関であった。流動債務というのは外国人の米銀預金,譲渡可能米政府証券(期限に無関係)中期転換可能非譲渡政府証券,短期民間金融市場資産であった。
だから,外国の民間資金がアメリカの銀行預金,コマーシャル,ペーパーもしくは財務省証券(TB)に流入すれば,それはabove the lineの取引をファイナンスする決済項目として処理された。このため,これらの資金移動は国際収支を改善する傾向のある正規の資本流入としては記録されないうらみがあった。すなわち,このような資金流入が起きると,外国人に対する流動債務が増したとみなされ,アメリカの国際収支ポジションは悪化した。
ところが,この種の外国資金が流出すると,債務の減少として国際収支を改善させた。
次に公的決済べースでは,アメリカの準備資産とアメリカの対外流動債務ならびに非流動債務(公的機関に限る)の変化だけがその他の取引から発生するバランスの決済項目とみなされた。そこで,流動性ベースと公的決済ベースの相違は民間対外流動ドル資産の変化の扱いいかんにかかっていた。すなわち民間対外流動ドル資産を決済項目とするよりも,むしろabove the lineの項目とする点で流動性ベースとは違っていた。もしアメリカの外国商業銀に行対ずる債務がふえれば,流動性ベースだと赤字がふえるが,公的決済ベースだとそうではない。もし,外国中央銀行に対する債務が発生すれば,流動性ベースでも公的決済ベースでも赤字がふえる。ふたつのベースによるこうした処理上の相違はわずかなものであるから,過去10年間の大部分にわたって公的決済ベースの赤字は流動性ベースのそれよりも小幅であった。
しかし最近数年間,政府,学界,実業界において,これらふたつの計算方法について不満が増大し,とくに流動性ベースに非難が集まった。
たとえば,アメリカと外国の銀行がお互いに100ドルを貨付けあったとすると,流動性ベースではこのふたりの取引が相殺されない。なぜなら,アメリ7力の対外短期資産の増加はabove the lineの資本流出として記録され,赤字の扱いを受ける。これに対して外国の対米短期資産の増加はbelow the lineに赤字として記録ざれるからである。ところが外国ではこのようなドル資産の獲得を通常の資本輸出と扱い,対外準備の増大とはみなされない。したがって,アメリカの赤字はこれに対応する黒字国をもたないことになる。
またカナダの銀行が米ドル預金をアメリカの居住者から受入れて,これをニューヨークのコール市場その他金融市場インスツルメントに投入すること,この資金がアメリカの対外債務となって,赤字を増大させる。
流動性ベースの欠陥が強く指摘されたのは1969年であった。この年米銀は海外支店からユーロダラーを大量に借り入れた。この中には金利差によってアメリカの居住者が外国に預けた預金が大量にあった。これは商務省の指摘するように「う回的な資金フローがアメリカの債務をふやす結果になった。
しかじそれは結局のところ,アメリカの居住者に対する債務であって,対外国人債務ではなかった。そこでアメリカの流動性ポジションは本質的には悪化していない」と述べた。
71年央に発表された新計算方法では,「経常収支長期資本」と「純流動性ベース」のふたつの新しい概念が採用された。
「経常収支,長期資本」の中には財貨,サービス,民間の送金,政府贈与,アメリカならびに外国との長期資本取引(民間資本とアメリカの準備資産ならびに外国の公的ドル保有高を除く政府資本の和)を含み,これはアメリカの長期的国際収支動向の大まかな指標である。これは基礎収支ともいうべきものである。多くの国ではこの計算方式を用いて基礎的動向の尺度としている。
純流動性ベースではabove the lineに「経常収支,長期資本」,非流動短期民間資本取引(未回収残高など),SDRの配分,誤差,脱漏を含める。
この純流動性ベースはこれまでの流動性ベースとほぼ同様であるが,ひとつだけ重要な相違点がある。それは短資移動の扱いであって,新方式では内外の短資移動を均整に記録する。すなわち双方が決済項目としてbe1ow the line下に記録される。すなわち,アメリカからの短資流出とそれと同時に起きる外国人の短期ドル保有の増加は純流動性ベースには影響を与えない。上述したようにこれまでの扱いでは米国と外国の民間短期資金の不均整な扱いから,このような同時的な移動が起きると赤字を増大させる結果となった。
新旧流動性概念のいまひとつの相違点は外国公的機関に対する一部非流動債務の取扱いである。古い概念によると,流動的公的資金が非流動資産〔これまで「特殊金融取引」とよばれたもの〕に転化すると,いわゆる非流動資産がかなり流動資産に近いものであっても国際収支に好影響を与えてきた。
新しい処理方式によるとこの種の非流動資産はbelow the lineに金融項目として記録され,バランスには影響しない。
2)国際収支改善目標
9月中旬,経常収支の130億ドル改善計画が出された。これによると,アメリカ政府は72年までに完全雇用ベースでの貿易収支赤字を50億ドル,経常取支赤字を40億ドルとしている(公的振替を除く)。そこで,完全雇用ベースで,公的振替えを除く経常収支を90億ドルの黒字にすることを目標にした。
この中,60億ドルは公的援助と民間長期資本流出(主として低開発国向け),10億ドルは誤差脱漏をカバーし,残り20億ドルは基礎収支黒字として安全弁の役割をもたせようとするもののようである。
アメリカが40億ドルの経常収支赤字を90億ドルの黒字に転化させれば,その改善幅は130億ドルとなり,その大部分が先進工業国国際収支の悪化となる。OECD諸国はその国別負担をめぐる検討を重ねたとみられるが,130億ドルの目標は高きにすぎ,80億ドルを限度とみているようである。
連邦準備理事会(FRB)の推定によると,輸入課徴金によるアメリカO輸入削減効果は71年下期に3億ドルないし6億ドルといわれる。その内訳は工業原材料ならびに資材で8,800万ドル,完成品2億7,800万ドルないし5億5,200万ドルである。71年上期の輸入総額約222億(年率)ドルに比べて,1.4%ないし2.7%であって,比率とすれば僅かなものである。71年中における,効果はたとえ微々たるものにしても,72年中にも課徴金が維持されるとすれば,その影響は急速に増大するであろう。というのは外国の輸出者はアメリカにおける市場シエアを維持しようとして,最初3ヵ月ないし6ヵ月の間ば輸入課徴金を負担して輸出の減少を防止するであろうが,いつまでもそうしたぎせいは続けられないので,次第に課徴金とアメリカのディーラーや消費者に転嫁することになろう。こうした前提に立ってFRBは72年には22億5,000万ドルないし30億ドル輸入を削減するだろうと計算した。
商務省のフランク・バーゴ氏も課徴金の影響を試算し,72財政年度に23億ドル,73年度に44億ドル,74年度67億ドルと次第に効果の増大することを認めている。このほかカリフォルニア大学助教授スチーブン・パット・マギーニクソン大統領の新経済政策発表直後,GEAの求めによって,通貨切り上げ効果を試算している。変動相場の採用されている現在では効果は輸入課徴金と併せ考えられるべきものであるから,次に同助教授の報告内容を紹介しておこう。この計算によると,主要15ヵ国で5%切り上げれば,32億ドル,10%切り上げれば67億ドルアメリカの貿易収支を好転させるという,主な国別切上げ効果は次のとおりである。
5%切上げ 10%切上げ
日 本 776百万ドル 1,571百万ドル
カナダ 715 1,600
この切上げ幅のいずれをとってみても,アメリカが期待する経常収支の130億ドル好転にはほど遠いように思われる。ただし貿易外収支でその半分をカバーすることができれば,話しは別である。なおアメリカの輸入に影響するものとして,10%の投資減税額控除をあげなくてはならない。この制度によってアメリカ製の機械,設備購入者は10%の減税を期待できるが外国品にはその特典が認められない。そこで,外国品は輸入課徴金と変動相場制ならびに10%の減税特典喪失によって,国産品との競争力を著しく減殺される。
この影響は年間7億5,000万ドルと推定されている。輸入課徴金が撤廃されたあかつきには,外国製機械,設備についても,5%の控除を初年度に認めることとしているので,課徴金撤廃後もその影響は残るとみるべきであろう。
ニクソン大統領の経済政策によって,アメリカ経済は急速に立ち直ると期待されたが,長期港湾スト,炭坑ストの影響もあって,上昇速度は予想ほどではない。第3四半期の実質GNPは年率3.9%増となり,第2四半期の4.6%を下回った。10月の工業生産の伸びは0.2%増にとどまり,余り力強いものではなかった。9,10月の乗用車売上げは好調であり,11月上旬にも同様であったが,11月中旬の物価凍結解除後の値上がりを予想した買急ぎもみられ,メーカーは自動車売上げの回復にはまだ警戒的である。
71年10月初週に商務省が調査した消費者動によると,乗用車購入意欲は前回調査(7月)よりも好転したが,前年同期水準に回復した程度である。同じ調査によると,家庭用大型機器も前回調査よりも好転したことになるが,これまた前年同期水準以上にはなっていない。
消費者動向と同じく重要な指標である企業の設備投資意欲もやや好転したとはいえ,72年のGNPを大幅に浮揚する力にはならないだろう。同じくアメリカ経済の重要指標である民間住宅建築は71年第4四半期に年率200万戸の高水準を維持すると期待され,72年にも高水準を続けるではあろうが,最近の商務省消費者動向調査では,7月調査よりも悪化しており,前年同期に比べれば,同水準であって,余り力強いものではない。とはいえ金利の低下などからアパート建築の増大に期待が寄せられている。
物価の上昇速度はGNPデフレーターで71年第1四半期の5.3%から第2四半期4%,第3四半期3%としだいに減少し,景気刺激政策の余地を拡大するかにみえるが,第3四半期には物価,賃金凍結の影響も含まれており,第4四半期以降にはその反動も予想される。11月史に降の第2段階ではすでに大幅な値上げ申請が続き,ガイドラインを上回る値上げが許可された。
すでに物価,賃金,配当のガイドラインが設定された現在,過度の賃上げは押さえられるにしても,このような抑制措置が企業利潤率の増大をさまたげ,設備投資意欲を弱めることを警戒しなくてはなるまい。
以上のように現状では,72年の景気急上昇を予想させる指標は少ないけれども,港湾ストの解決,鉄鋼在庫調整の終了,売上げ上昇に見合う在庫の増大などのほか,新経済政策効果もしだいに侵透するだろう。
新経済政策発表直後に発表された72年の経済見通しの多くは6.5~7.0%の実質成長を期待したが,その後の上昇速度が思わしくなかったため,最近の見通しは6%を割るものが少なくない。たとえば,ワートン・スクールでは8月28日の見通しで6.5%としていたが,11月4日のそれを5.8%に引き下げた。
72年の見通しは諸外国通貨の対米レート調整にも左右されるのはいうまでもないが,現状では5~6%の実質成長となるのではないかと考えられる。