昭和45年
年次世界経済報告
新たな発展のための条件
昭和45年12月18日
経済企画庁
1970年の西ドイツ経済の特徴は,前年10月のマルク切上げのあと,経済拡大が鈍化するなかで,インフレがさらに高進したことであり,1970年はインフレとの戦いに終始ししたといえる。
経済拡大鈍化の様相を国民総生産と工業生産の動きでみよう。まず実質G NPの伸び(前年同期比)は,69年上期の8.5%,下期の7.6%から,70年上期の5.4%へと一層の鈍化をみせた。季節調整ずみ数値で前期比増加率をみても,69年上期の7.5%,下期の3.5%に対して,70年上期はわずか1.5%増にとどまった。
工業生産も同様であり,その前年同期比増加率は69年上期14.6%,下期10.4%から,70年1~9月の7.3%へと,次第に鈍化してきた。
とくに70年にはいってから,工業生産は全く横這いとなった。すなわち第一四半期はまだ前期比2.6%増(季節調整ずみ)だったが,第二四半期以降は高水準の停滞をつづけている(第3-1表)。
それでは何故70年にはいって経済拡大テンポが一層鈍化したのか。その第1の理由が供給側の制約にあったことは疑いない。67年下期以来2年半もつづいた景気上昇過程のなかで,遊体設備と余剰労働力が吸収され,いわば超完全雇用状態に達したから,生産拡大の余地も著しく狭まり,そのことが拡大テンポを鈍化させた。この点は,たとえば製造業操業度の推移からも窺われる(第3-1表)。ドイツ経済研究所作成の数値(季節調整ずみ)によると,製造業の操業度は68年第1四半期の80.8%から69年第1四半期の90.8%へと急上昇したが,この90.8%という操業度は過去のブーム期である60-61年にもみられなかった高率であった。それが69年中にさらに上昇し,同年第4四半期には93.2%となり,既に生産拡大の余地が設備面からほとんどないことを示していた。その後70年上期中に操業度は95%近い異常な水準に達したが,当然ながら工業生産は殆んど横這いとなった。
労働力の予備も少なくなったことは,69年はじめはまだ0.9%だった失業率(季節調整ずみ)が同年央から0.7%という極端に低い水準へ低下したことからも窺われよう。国内の労働予備は無くなり,もっぱら外国人労働者の移入に頼らざるをえなくなった(外国人労働者数は69年9月の150万人から70年9月の約195万人へ)。
このように供給側の制約が生産拡大テンポを鈍化させた第1の原因であるが,それと同時に,とくに70年にはいってから一部の需要が頭打ちとなった点が指摘される。これが拡大鈍化の第2の理由であり,しかも時間の経過とともにこの需要側の要因が次第に重要となりつつある。この点は製造業の新規受注の動きに現われており,新規受注は70年第1四半期をピークに第2四半期には前期比2.1%減となり,その後もほぼ横ばいを続けている。主要な需要のうち拡大鈍化の要因となったのは,第1に在庫投資であり,金融引締めの影響もあって在庫投資は70年にはいって減少した。設備投資も伸び率が大幅に鈍化した。これは最初は供給側の制約によるものだが,次第に企業の投資意欲に衰えがみえてきた。また政府消費も政府の引締め方針を反映して増勢を著しく鈍化させた(第3-2表)。
このように内需が個人消費を除いて軒並みに鈍化したのに加えて,輸出も鈍化しはじめてきた。
輸出増勢の鈍化は,先行指標である受注統計に最もよく現われているが,現実の輸出もやや鈍化した。国民所得統計による輸出(サービス輸出も含む)は,季節差調整ずみ数値で70年上期に前期比4%増で,69年下期の増加率7%を下回った。ただし前年同期比増加率では69年下期の9.5%,70年上期9.3%であまり変らない。
商品貿易だけについてみると,70年1~9月の輸出は前年同期比10%増で,69年の14.1%増より鈍化した。これは1つには国内に生産余力がなくなったせいだが,やはり69年秋のマルク切上げの影響もあったとみられる。
マルク切上げの影響は,しかし製造業の輸出向け受注に一層敏感にあらわれている。輸出向け新規受注(季節調整ずみ)は,マルク切上のあった69年第4四半期に前期比約9%も減少したが,これはマルク切上げを見越して異常に膨張した前期の水準に対する反動もあったようで,70年第1四半期になると前期比約6%増と回復したが,第2四半期には前期比2.8%減となった。しかし,第3四半期には再び約5%増加した(第3-3表)。このような動きからみると,マルク切上げによって輸出向け受注は一時減少したが,競争相手国のインフレの持続などで最近は減少傾向がとまったのかもしれない。
このように,製造業の輸出向け受注が減少したのに対して,現実の輸出が増勢鈍化程度にとどまったのは,マルク切上げ時に受注残が多かった(5カ月分の出荷に相当したといわれる)のみならず,その後も70年央頃まで受注が出荷を上回って,受注残が増加をつづけたからであった。
固定投資は70年上期にも実質で前年同期比9.6%と,前期の伸び率よりやや鈍化しながらも,依然として大幅に増加して経済拡大の主柱となった。固定投資のうち建設投資は,一つには悪天候もあって,実質で前年同期比僅か2.8%増にすぎなかったが,設備投資は16.6%も増加した(69年は22.6%増)。季節調整ずみ数値(名目)でみると,設備投資の前期比増加率は69年下期の9.5%から70年上期の15%増へと,増勢がむしろ高まっているが,これは一つには資本財価格の上昇のためである。
このように設備投資は69年にひきつづき70年中も著増したが,これは工事ベースであって,受注ベースでみると,70年上期中に既に投資意欲の衰えがみられる。たとえば資本財の国内受注(季節調整ずみ)は,70年第1四半期のピークのあと,第2四半期には前期比5.2%減となり,さらに第3四半期にも前期比1.5%減となった。前年同期比でみても第1四半期には19.4%上回っていたのが,第3四半期には僅か1.2%増にすぎなくなった(69年は35%増)。
企業の投資意欲の頭打ちは,産業用建設許可額にもあらわれており,70年上期の平均水準は69年下期と殆んど変らず横這いであった。価格上昇分を考慮すると,実質的には減少である(第3-4表)。
IFO研究所の工業投資調査(70年10月)をみても,70年の工業投資額は前年比22%で著しく高いが(69年は36%増),前回調査(5月)にくらべて投資計画を下向きに改訂する企業数がふえている。
こうした投資意欲の頭打ちは,70年にはいって経済拡大テンポが鈍化し,景気の先行きについても必らずしも楽観を許さなくなってきたことと,賃金コストの上昇により利幅が減少し,さらに金融引締めにより外部資金の調達も次第に困難となってきたためである。
個人消費は好況末期にはつねにそうであるようにますます増勢を高め,次第に経済拡大の主柱となりつつある。季節調整ずみ数値でみると,69年下期の前期比5%増に対して,70年上期は前期比6.5%も増加した。小売売上高をみても,70年1-8月間の売上高は前年同期比11.2%増で,69年の10.2%増を上回った(第3-5表)。小売売上げの内容からみると,とりわけ耐久消費財の売行が活発であった。
他方,民間家計の可処分所得の上昇率は69年の11.4%に対して,70年上期は10.1%(前年同期比)と,僅かながら鈍化したから,個人消費の増勢の高まりは貯蓄率の低下(69年の12.4%から70年上期の10.2%)によってもたらされたことになる。これは可処分所得の増加の大部分が消費性向のつよい勤労所得の増加によるものであり,後者は69年の10.4%増から70年上期の14.7%増へと,増勢を高めたのが1因だとみられている。いま1つの要因としては,インフレ心理の浸透により値上りを見越した耐久消費財の買い急ぎがあったようである。
前年または前年同期比増加率(%)マルク切上げの究極的な目的が物価上昇の抑制にあったことは疑いないが,その目的はこれまでのところ,十分に達成されたとはいい難い。むしろ物価は切上げ後に上昇テンポを加速させた。すなわち消費者物価は切上げ直後の69年第4四半期も前年同期比2.8%高で,第3四半期の上昇率と変らず,しかも70年にはいって第1四半期3.5%,第2四半期3.9%,第3四半期4.0%と,期を追って前年同期比上昇率を加速化させている。ただし現在までのところ,消費者物価の上昇率は,過去の同様なブーム局面にくらべて,特に高いわけではない。
また工業製品生産者価格の動向も同様であって,69年第3四半期には前年同期比2.6%高だったのが,第4四半期には4.4%高となりさらに70年にはいると前年同期比6%余と上昇テンポを加速化させた。この上昇率は,消費者物価の場合と異り,過去のブーム期にもみられなかった高率であり,まさに朝鮮戦争以来の急上昇ぶりであった。
このような物価情勢から,当初70年の消費者物価上昇率を3%と予想していた政府も(70年1月末の年次経済報告書),その後予想上昇率を上向きに改訂して約4%としたが(5月),7月初旬の一連の財政引締め措置以降はその引締め効果を買って3.5%~4%と,予想上昇率をやや引下げた。
物価上昇を品目別にみると,まず消費者物価の場合,供給側の事情に左右され易い食糧価格を除くと,サービス価格や家賃の上昇幅が大きいという従来と同様なパターンが69年中つづいていたが,70年になると家賃の値上りが鈍化する半面,工業製品の価格上昇率が急速に高まってきた(第3-6表)。
このように消費者物価のなかで工業製品の価格が急上昇したことは,工業製品生産者価格の上昇を反映したものであろう。そこで工業製品生産者価格のなかでどの品目が最も大幅に上昇したかというと,それは資本財であって,資本財の価格は70年央前後から前年同期を9%上回るにいった(第3-7表)。これはいうまでもなく,69年以来の投資ブームの反映であり,この投資ブームのなかで昨年秋以降の賃金コストの大幅上昇が価格に転稼されたのだと思われる。このほか,生産財も本年はじめ頃は前年同期比7%近い高騰ぶりを示していたが,その後は横這いとなった。これには海外高などによる非鉄金属や鉄鋼の価格上昇と,春以降におけるその反落が大きく響いている。これに対して,消費財の価格上昇率は平均を下回り,前年同期比約4.7%高であった。このように資本財や生産財の価格上昇幅が異帯に高かったことが,工業製品生産者価格の上昇率が消費者物価の上昇を上回るという従来になかった異常な現象の理由となっている。
それではマルク切上げが期待された物価の抑制に成功しなかったのは,何故であろうか。
第1に,切上げは一応輸出需要の抑制に成功したが,国内需要が予想外につよく,その結果総需要の増勢がつづいた。そのため切上げ前に既に異帯な高水準にあった受注残が切上げ後も増えつづけ,景気過熱の一因となった。
第2に,マルク切上げ直前に賃金の爆発的上昇がおこり,それが消費需要を一層盛上げると同時に,賃金コスト圧力をつよめた。こうして西ドイツのインフレは次第にコストインフレ的性格をつよめることになる。
第3に,輸入価格が予想ほど低落しなかった。輸入品価格は切上げにより理論上は8.5%低落するはずであるが,切上げ前のマルク相場が切上げを見越した思惑のために既に異常な高水準にあったことから,実質的な切上げ幅は約7%とみられていた(経済専門家委員会年次報告書)。ところが実際の輸入価格(マルク建)は,切上げ前の9月から11月までの期間にわずか3.6%しか低落しなかった。しかもそのあと反騰に転じ,70年3月まで毎月上昇してほぼ9月の水準へまで戻ったあと,再び弱含みとなり,8月の水準は前年9月の水準を3.2%下回っていた(第3-8表)。これで明かなように,外国の西ドイツ向け輸出業者は,マルク切上げを契機にその西ドイツ向け輸出価格(外貨建)を引上げたほか,その後における外国のインフレ傾向の持続のために,西ドイツの輸入価格は予想ほどには低下しなかったのである。しかも切上げと同時に,4%の国境税調整措置(実質的には輸入補助金)が廃止されたから,輸入品の税込み国内販売価格は切上げ前にくらべて1%程度高くなったわけだ。それでも国内価格の上昇幅の方が大きかったから,輸入品の価格が相対的に安くなったことは事実であり,そのかぎりでは国内の物価上昇圧力の緩和に若干役立ったといえよう。
第4に,農産物の生産者価格の低落が消費者段階へまで反映しなかった。
周知のように,EEC共通農業規則の適用をうける農産物はその最低価格が共通計算単位(実質的には米ドル)によって表示されており,したがって,マルク切上げによりそれら農産物のマルク建価格は当然下落することになる。マルク切上げ当時,農産物については69年末まで過渡的措置として追加的輸入課徴金制度が採用され,マルク建農産物価格の引下げは行なわれなかったが,70年1月1日からは課徴金制度が廃止されてマルク切上げが実質的に農産物にも適用されるようになった。その結果西ドイツの農産物生産者価格は,70年1月に前月比2.5%低下し,その後もほぼ微落傾向をつづけてきた。これに対して消費者段階での食糧価格は70年1月に逆に1.5%上昇のあと,6月まで上昇をつづけた。そのため,1-8月間の食糧消費者価格は前年同期比3%高となった。切上げ直後に発表された経済専門家委員会年次報告書は,切上げにより,食糧の消費者価格は70年中に前年比2%安となるとみていたのだが,実際には(8月までのところ)3%高となったのである。
以上要するに,マルク切上げの時機が遅れたため(約半年遅れたといわれている),国内のインフレ圧力が手がつけられぬほど強くなってしまったこと,また諸外国でインフレがひきつづき進行したことが,マルク切上げのインフレ抑制効果を薄めたといえよう。
西ドイツの賃金は67年下期以来の景気の回復と上昇の過程で著しく立遅れていた。いま工業の協約賃金の上昇幅をみると,1960~66年間の平均7.6%に対して,67年は4.2%,68年も4.6%にすぎず,さすがに69年には上昇率が高まったが,それでも1-9月間に前年同期比5.7%にとどまった。他方生産性の上昇率は高く,その結果生産物単位あたりの賃金コストは67年の横這いのあと68年には2.8%低下し,69年にはいっても1-9月間は,殆んど安定していた。このような賃金コストの低下ないし安定と売上げの急増により企業所得が67年上期-69年上期間に27%も増加した半面,勤労所得の伸びは同期間に16.6%にすぎなかった。
こうした賃金の相対的な立遅れが背景となり,さらに69年9月の炭鉱業における山ねこストの勃発が契機となって,西ドイツの賃金はその後急カーブに上昇することなる。すなわち工業協約賃金は69年1-9月の前年同期比5.7%増のあと,10-12月期には一挙に10.1%増となり,その後も増勢を高めて70年7-9月の水準は前年同期比13.1%増となった。賃金収入の動きもほぼ同様で,69年第4四半期以降急カーブで上昇したが,上昇率は協約賃金のそれより高く,70年7-8月の水準は前年同期比17.8%増となった(第3-9表)。
このような大幅な賃金上昇は,過去の好況期である60-61年,64-65年にもみられなかった現象である。
しかも景気過熱に鎮静化のきざしがみえる最近でさえ,賃金上昇の波は容易におさまりそうもない。70年9月から71年春までに賃金更改期のくる労働者数は約1,400万人といわれており,そのうち賃金リーダーとしての金属労組(組合員数210万人)の賃金交渉の成行が注目されていた。金属労組の賃上げ要求は当初15%であったが,その後の交渉過程で,平均12%アツプの線で妥結したようである。この金属労組の賃上げが他の労組の賃上げパターンにも影響を与えることは必至とみられており,他方生産性の上昇率は4%前後とみられるから,賃金コスト圧力が一層強まることは疑いない。したがってごく最近やや鈍化したかにみえる物価の上昇テンポが70年暮から71年はじめにかけて再び高まる可能性も残されている。
マルク切上げは前述のように物価に対してはそれほど顕著な効果をあげなかったが,国際収支に対してはかなりの効果をあげた。第1に,マルク切上げを見越した思惑的な短資流入(約40億ドルといわれる)が,切上げ後に国外へ流出して,国際収支不均衡の改善に役立った。すなわち69年第4四半期の短資勘定(誤差脱漏を含む)は約108億マルクの赤字となり(前期は約98億マルクの黒字),ブンデスバンクの金外貨準備は222億マルク余も減少した。切上げの実施は同時に当然のことながらマルク投機の波を当分の間消減させることで,国際通貨情勢の一応の安定化に大きく寄与した。
第2の効果は,経常収支の黒字を大幅に縮小させたことであり,またそこにこそ切上げの本来の効果を求めるべきであろう。
70年1-9月間の経常収支は8.0億マルクの黒字であったが,前年同期の黒字41.0億マルクからみると約33億マルクも黒字幅が縮小したことになる。その主たる原因は,貿易外収支の赤字幅が69年1-9月の9.4億マルクから70年同期の31.4億マルクへと約22億マルクも増加したことにあった。この貿易外赤字増大の主因は観光支出の増加にあり,観光支出は同期間に33.1億マルクから45.3億マルクへと12億マルク増加した(第3-10表)。これは好況による所得増加もさることながら,切上げによるマルクの対外購買力の増加に刺激されたものと思われる。
貿易外のほかに移転収支の赤字も約10億マルク増加したが,これはもっぱら外国人労働者の国外送金が著増した(11億マルク増)のことによるものであり,外国人労働者数の激増を反映したものであろう。
これに対して,貿易収支は,69年1-9月の106.7億マルクから70年同期の106.0億マルクへと,わずか1億マルク弱しか減らなかった。これは,前記のように受注残が多かったために輸出の増勢が僅かしか鈍化しなかったことと,輸入の増勢も鈍化したからである。すなわち70年1-9月間の輸入は前年同期比11%増で,69年の20.6%増からみると著しい鈍化ぶりである。このような輸入増勢の鈍化は,経済拡大テンポの鈍化にも一因があるが,何よりもマルク切上げによりマルク表示価格が低下したせいである。ドル表示額でみると1-9月間の輸入増加率は21.8%増となっている。
ドル表示でみると輸出の伸びも1-9月間20.0%(マルク表示では10%)と著しく高くなるが,これまた切上げ効果によるもので,短期的には切上げによる輸出数量の抑制よりもドル建輸出単価の上昇(約11%)の方が強く働いて,ドル表示の輸出額を大きく膨脹させたことになる。数量でみると,1-9月間の輸出数量の伸びは9%で69年の12.1%より鈍化した。
貿易尻もドル表示額でみると,やや様相が変り,69年1-9月間の27.3億ドルから70年同期の29.5億ドルヘ,僅かながら逆に増加したことになる。
しかしながら,ドル表示額でも経常収支全体の黒字が大きく縮小したことに変りはなく(10.3億ドルから22億ドルヘ),その意味でマルク切上げは経常収支不均衡の是正という本来の目的の達成に一応成功したとみることができよう。
だが,金融引締めによる金利の高騰と国内金融の逼迫は,資本の流入をさそって,総合収支全体としてみると不均衡が是正されたとはいい難い。すなわち,69年に著増した長期資本の流出額は,70年にはいって減少し,1-9月間に48.0億マルクの流出にとどまった(69年同期は140.0億マルク)。加えて短資(誤差脱漏を含む)が1-9月間に約183億マルクと,前年同期の約105億マルクを上回る流入をみた。69年の短資流入が主として思惑的なものであったのに対し,70年のそれは主として内外金利差と国内の流動性不足によるものであった。もちろんカナダ・ドルの変動為替相場制への移行やリラ不安などの対外要因で或る程度の投機資金が流入したし,また,70年後半にはマルク再切上げの噂もちらほらあって,それが投機的な資金の流入をよんだことも事実だが,全体としてみれば,比較的少なかった。
いずれにせよこうした短資の流入により,ブンデスバンクの金外貨準備は1-10月に170億マルク(46.5億ドル)増加して10月末現在で433.9億マルク(118.6億ドル)に達した。
69年10月のマルク切上げ直後の政府は,切上げのデフレ効果を懸念して,財政・金融政策を若干刺激的に運用する必要ありとしていたが,その後における経済動向,とりわけ物価騰貴の加速化から,70年1月中旬には早くも引締め政策へ転換して,次のような一連の引締め措置をとった。
(1)70年度連邦予算の一部棚上げ(連邦予算の規模を914億マルクとし,そのうち27億マルクを一時的に棚上げして,歳出規模を前年比8.8%増とし予想される国民総生産の名目成長率9~10%より低く抑える)。
(2)予定された減税の延期(勤労者所得控除額の倍額引上げの実施期日を70年1月1日から70年7月1日へ,また所得税付加税(3%)の第1回軽減の実施期日を70年7月1日から71年1月1日へ,それぞれ延期する)。
(3)景気調整基金の設置(連邦15億マルク,州10億マルク,合計25億マルクの景気調整基金を70年6月末までに設置する)。
(4)税制上優遇される財産形成的給付の限度額引上げ(年間312マルクから624マルクヘ,できるだけ速やかに引上げる)。これは7月から実施された。
(5)州地方政府の発注の繰延べとその支出の10~20億マルクの追加的棚上げ
(6)公共料金引上げの自粛
(7)独禁法の運用強化
この1月の措置は,その後5月に強化され,勤労者所得控除額の引上げの再延期(71年1月まで),税の自然増収(推定総額25億マルク)の追加的な景気調整基金への繰入れ等が決定された。
しかし,これらはすべて財政支出に関する決定であって,増税措置については6月に一部の州選挙がある関係で容易に実施できなかった。その後物価騰貴がやまぬのに加えて,6月の州選挙が与党の敗北におわり,その原因が物価騰貴にあったとみられたことから,政府は7月初旬に増税など一連の財政引締めの措置を決定した。(1)所得税,法人税の一時的な10%増税(これは景気付加金Konjunkturzuschlagの形をとり,70年8月1日から71年6月末まで実施,ただし73年3月末までに償還される。これにより推定約55億マルクの購買力吸収)(2)前記減税措置の再々延期(1973年まで),(3)特別優却制の一時的停止(70年7月5日から71年3月31日まで,これにより推定30~40億の投資が延期される予想)。
このように,政府の財政政策も次第に反循環的色彩を濃化してきたが,7月の一連の増税措置も時機が遅れたとか,一時的措置であること等の理由から,どの程度の効果があるか疑問とする向きもあった。加えて70年に入ってからの物価騰貴は次第にコスト・インフレ的様相を帯びてきており,この段階での財政引締めが物価の抑制にどれだけの効果があるか注目されるところである。
財政政策が比較的出遅れていたのに対して,金融上の引締め措置は比較的早く強化された。すなわちブンデスバンクは70年3月はじめに公定歩合を一挙に1.5%も引上げ(6%から7.5%へ),また債券担保貸付金利を9%から9.5%へ引上げた。さらに非居住者預金の増分に対する30%の追加準備率を導入した(4月1日より実施)。その後5月には銀行の債券担保対外借入れ増加分の再割枠からの削減を決定(6月1日より実施)。また7月1日から預金準備率が15%引上げられた(約30億マルクの流動性を吸収)。ただし,これらの流動性削減措置は引締め強化措置といわんよりは,大量の短資流入による流動性増加の一部を相殺せんがためのものであった。そこに開放経済下における金融政策の限界が示されている。金融引締めは銀行並びに企業の流動性を抑制するが,後者は対外借入れにより流動性を補強するから,さらにそれを相殺するために準備率引上げなどの措置をとらざるをえない。結局,金融引締めは国内の流動性削減という本来の目的をあまり達成しないまま,いたずらに大量の短資流入を誘って国際収支の不均衡と高金利をもたらすだけとなる。
いずれにせよ,こうした金融政策への過度の依存に対する反省から7月はじめに一連の財政引締め措置がとられたわけだが,この財政引締めのあとブンデスバンクは7月中旬に政府の要望に答えた形で公定歩合を7.5%から7%へ引下げた(債券担保貸付金利も9.5%から9%へ引下げ)。しかし,これは1つには海外金利の低落に呼応したもので,金融引締め政策の緩和を意味するものでないことは,8月12比に追加準備率を導入したことからも窺われる(4~6月平均を上回る預金について40~20%の追加的準備率を導入,9月1日から実施,約28億マルクの流動性を吸上げ,同時に非居住者預金増分に対する30%の追加準備を廃止)。
その後国内景気の鎮静化がますます明白となったばかりでなく,海外金利の低落が急歩調となり(特にアメリカの公定歩合が11月10日に引下げられた),それに伴い金利差による短資の流入が激しくなったので,ブンデスバンクは11月17日公定歩合の再引下げに踏み切った(7%から6.5%へ)。債券担保貸付金利も9%から8%へ引下げられた。その半面で預金準備率について手直しがなされ,追加準備率を廃止し,その代りに居住者預金一般準備率を15%引上げた。ただし,非居住者預金については追加準備率が30%の率をもって存続された(基準は10月16日~11月15日間の平均残高)。これらの措置の銀行流動性に対する効果は,差引きゼロとされている。さらにアメリカの第2回公定歩合引下げに追随して,12月3日に第3回の公定歩合引下げが行なわれ(6.5%から6%へ),債券担保貸付利率も8%から7.5%へ引下げられた。この11月と12月の公定歩合引下げは,主として対外的考慮(金利差縮小による短資流入の阻止)にもとづいたものであるが,国内景気の面からみても景気鎮静化の様相が次第に濃化しつつある現状においては,歓迎さるべき措置といえるであろう。しかしまだ準備率の引下げに踏み切っていない点で,本格的な緩和措置とはいえない。
最後に,所得政策の動向であるが,労使双方の代表者および政府代表の協議機関である「協調のとれた行動」が70年にはいってから数回にわたって開催された。(これはシラー経済相の提案で67年3月にはじめられ,その後経済安定成長法で法律上の根拠が与えられた。70年10月までに18回開催)しかし,労組に好意的な与党SPDの性格もあって,適切な賃金上昇率を確保するという意味での所得政策がうまくいかなかったことは,すでに賃金の項目でみたとおりである。これは1つには1月末発表の年次経済報告書で示された賃金の誘導指標が労組の主張をとり入れて非常に高く設定されたことも一因であろう(勤労所得の増加率12.5~13.5%雇用者1人あたり賃金収入の増加率9.5~10.5%)。
いずれにせよ,「協調のとれた行動」を通ずる所得政策がうまくいかぬところから,秋以降の賃金交渉に対拠するために71年の誘導指標を発表せよとの要望が民間,野党はもとより連立与党のFDPからも出てきたので,政府は10月22日に71年の誘導指標を発表し,それと同時に公共料金の引上げ抑制と資本市場での資金調達の計画化などを決定した。新誘導指標によれば,71年の1人あたり賃金・俸給収入の増加率8.5~9.5%(70年実績見込14%)とされている。
この1人あたり賃金・俸給収入の増加率は年平均でみた増加率である。ところがこの誘導指標発表時の賃金水準は70年平均より既にかなり高くなっているので,71年の平均水準を8.5~9.5%増に抑えるためには今後の賃金交渉において賃上げ幅を7~8%へ抑える必要がある。つまり賃金誘導指標は実質的には7~8%となる(この誘導指標は71年の誘導指標であるが,71年以前にも大体においてこの誘導指標に従うべきだとされている)。
西ドイツ経済の現局面は,一口にいえば好況末期に近い局面である。たしかに完全雇用は維持されており,賃金も物価も根強い上昇傾向をみせているが,需要の増勢は長くつづいた引締め政策により弱まってきている。そうした過熱景気の鎮静化ないし正常化の傾向は71年もつづくであろう。
これまで経済拡大を支えてきた二本の柱である輸出と設備投資には既に衰えの兆候がみえる。製造業の輸出受注は既述のように春以来減少気味である。受注残が多いので,現実の輸出の増勢はなお暫くつづくであろうが,やがて受注とほぼ一致した動きを示すようになるだろう。
対外環境も,西ドイツの輸出にとって有利とはいえない。西ドイツの主要な市場である西欧諸国では,フランスを例外として概ね引締め政策が最近強化されており,供給側の制約もあって,その経済拡大テンポは鈍化するとみなければならない。西ドイツにとって最大の市場であるフランスが最近拡大政策へ転じたのは心づよいが,まだ積極的な拡大政策とはいい難いし,71年の予想成長率も70年の推定成長実績とあまり変らない。アメリカも景気刺激措置をとりつつあり,事実景気回復の兆候もあるが,GMのストもあって回復力がいまのところ強いとはいえず,また景気回復が輸入の増加をもたらすまで一定のタイム・ラグがあろう。
国内需要も総合して増勢鈍化の方向にある。設備投資は,先行指標である資本財工業の新規受注が既述のように減少傾向にあり,加えて,10月発表のIFO調査によると,前回調査にくらべて投資計画を縮少した企業があるという。それでも70年の工業投資は前年比22%と69年の36%ほどではないが,ともかくも大幅な増加予想であるのに対して,71年の工業投資は8%増と,増勢が大幅に鈍化する。物価上昇を除いた実質でみると殆んど横這いだという。こうした設備投資の減衰傾向は,2年つづいた大幅増加のあと,景気見通しの悪化やコスト増による利幅の縮少などから当然の動きともいえる。半面では,特別償却制の一時停止措置が71年1月末で切れるし,71年央には10%の景気付加金も期限切れとなるなど,投資刺激的要因もあるので,設備投資が大きく落ち込んで景気の足をひっぱるおそれは少いが,少なくとも71年とくに同年下期には設備投資からの景気拡張力は多くを期待できない。
在庫投資についても,鉄鋼や繊維などにみられるように在庫べらしが進行中であって,おそらく71年においても在庫投資からの刺激はあまり期待できないようである。
個人消費の盛上りは,大幅賃上げを背景になお暫くつづくであろうが,71年中には賃金上昇テンポの鈍化と雇用増勢の鈍化とから,これまた次第に拡大力を失うものと思われる。
他方,70年は抑制的に働いた財政が71年は拡張的な効果をもつだろう。71年度連邦予算案の規模は前年比12%増で,予想される71年の名目GNPの伸び率(7~8%)を上回る拡大予算である。支出増がとくに大きいのは,教育,科学,交通,都市建設,住宅などである。このような財政の膨脹は2年つづけた財政緊縮のあと,ブラント政権の内政改革の実現のためにはこれ以上財政規模の圧縮が不可能という立場から決定されたものであるが,景気的にみてもちょうど財政からの支えを必要とする局面に立ち至っているとみられる。
金融政策も,71年春頃までに引締め緩和の方向へ進むものと期待される。
景気情勢が以上のような需要の減衰によって次第に落ちついてくるとすると,物価も当面の賃上げから上昇テンポを高めたあとは次第に落ちつきを取り戻すものと思われる。
71年についての政府の経済見通しは,7月の「協調のとれた行動」のときと10月下旬の誘導指標の発表にさいして,大まかに示されているが,それによると名目GNPの伸び率7.5~8.5%(70年は12.5%)とされている。実質GNPの伸びについては,7月の発表で3.6%(70年は5.8%)という予想数値が示されていた。この予測値は,来年1月,未発表の年次経済報告書でさらに再検討されるはずである。
このほか10月下旬に発表された有力民間経済研究所の合同経済報告書や11月発表の経済専門家委員会年次報告書でも71年の見通しが述べられているが,その数値はいずれも政府見通しよりやや高い(第3-11表参照)。