昭和45年

年次世界経済報告

新たな発展のための条件

昭和45年12月18日

経済企画庁


[目次] [年次リスト]

第2章 イギリス

1. 1969~70年の経済動向

1969~70年のイギリス経済は,対外面では国際収支の黒字基調を維持したものの,国内需要は停滞を示し,生産不振,高失業率のなかで賃金,物価の大幅な上昇が続くというジレンマに悩まされた。

国際収支の改善は,67年11月のポンド平価切下げの主目的であったが,期待された効果は早急にはあらわれず,それが国際通貨不安の激化を促進したためにポンドはしばしば危機的様相を呈し,IMFをはじめ先進主要国から,多額の信用供与を受けて急場をしのぐという事態が1年以上も続いた。

しかし,69年に入って国際収支はようやく立直りを示すようになり,その後の改善はきわめて順調で69年度の基礎収支黒字幅は約6億ポンドに達し,政府目標の2倍に当る大幅改善となった。70年上期の基礎収支も,貿易収支が赤字化したことから黒字幅が縮小したものの,約2億ポンドの黒字を計上している。こうした国際収支の改善は,ポンド平価切下げとその後に導入された一連の財政,金融引締め強化の効果が浸透したことが主因となって達成されたものであるが,同時に,この間の世界貿易が拡大基調を持続し,また,国際通貨不安がマルク,フラン平価の調整を契機に一応の落着きを示したことなども有利に作用したとみられる。この結果,64年秋以降において瀕発したポンド危機のたびに急増した対外中,短期債務のかなりの部分を返済し,公的ポンド債務残高は約46億ポンドまで減少している。

一方,国内の経済活動はあいつぐ引締め政策の影響をうけて停滞色を示し,とくに69年上期には国内総生産の低下(前期比1.4%減)をみたが,下期には輸出の好調と設備投資の上昇からやや明るさを取もどした。しかし,70年に入って,輸出が若干の特殊要因もあって伸び率を鈍化させ,国内需要も伸びなやみを示したために,上期の国内総生産は前期比0.4%減となった。

工業生産もストライキの影響もあって69年央以降ほぼ横ばいにとどまり,自動車部門などでは供給不足がみられるほどであった。雇用者数は減少傾向を続け,失業率も70年第3四半期には2.6%(季節調整済み)と63年来の高水準を示している。こうした労働需給の緩和が続いているにもかかわらず,69年秋以降,急激な高まりをみせた賃上げ攻勢は衰えを示さず,最近の賃金協約改訂では15%を上回る大幅賃上げの妥結も珍しくなく,また,協約改訂後1年もたたないうちに新交渉をはじめる例が増加するなどますますエスカレートする傾向にある。このため,物価の騰勢もやまず,70年上期の消費者物価は前年同期比5.4%高,第3四半期6.8%高となり,卸売物価は同じく6.4%高,7.8%高と大幅な上昇を続けている。

こうした,景気停滞下の物価,賃金上昇という好ましくない組合せに直面して,政策運営はきわめて微妙なものとなっている。さきに,労働党政府は4月の70年度予算で小幅の所得税減税,減価償却率の引上げなどの財政緩和措置とともに,公定歩合の引下げ(7.5%から7%へ),銀行貸出規制の一部手直しなどの金融面での引締め緩和を導入し,70年度の国民総生産の実質上昇率を0.5%高めて3.5%に引上げることを目標とした。この政策効果がまだあらわれないうちに政権の交替が行なわれたが(6月),保守党新政府の景気対策も賃金,物価の大幅上昇に制約されて積極的な需要刺激措置に踏切れない情勢にある。

すなわち,10月末に発表されたミニ・バジエツトは,保守党のはじめての経済政策の表明として注目されたがその主要内容は,(1)71~72年度の歳出規模を約3.3億ポンド削減し,(2)それにほぼ相当する減税(所得税,法人税,減価償却の加速化)を行なう。(3)輸入農産物に対する価格差補給制度を課徴金制度に切換える。(4)産業再編成公社(IRC)および物価・所得委員会(PIB)を解体するなどとなっている。これらは選挙公約にほぼ見合ったもので,社会保障費などの膨張により拡大した財政規模を縮小化し,また政府による経済介入をできるだけ小さくしようとする保守党の年来の主張を具体化したものであり,当面の景気に対する効果としては,バーバー蔵相は「中立的」としている。

2. 部門別動向

1969年の国内総生産は,前年比実質1.0%増(名目4.5%増)と60年代に入って62年を除けば最低の上昇率にとどまった。ポンド平価切下げを支援するために導入された一連の引締め措置の強化が69年に入ってようやく内需抑制に作用しはじめたのに加えて,年初の港湾ストにより対米輸出が伸びなやみを示したことなどから,上期の国内総生産が前期比1.4%減となったのが主因である。下期には輸出の回復,設備投資の大幅増などから前期比2.6%の増加となり,とくに輸出の寄与率は前年の85.6%をさらに大幅に上回って216.5%に達した。しかし,70年に入って輸出の伸びが鈍化し,国内需要も弱まったことから第1四半期の国内総生産は前期比実質1.9%減となり,第2四半期には民間投資および個人消費の回復を中心に増勢を示したものの(前期比2.1%増),上期全体ではほぼ前期の水準にとどまった(前期比0.4%減,前年同期比は2.2%増)。

(1)国内需要の停滞

69年の国内需要は,上期の減少を下期にとりもどしたが年間ではほぼ横ばいとなり,70年上期にも前期比0.9%増の小幅の伸びにとどまった(前年同期比は2.5%増)。こうした内需の長期にわたる停滞は,主として,国際収支改善のために生産資源を内需から輸出に移行させるという労働党前政府の基本的政策によるものであった。国際収支が黒字化した現在では,政策の優先順位は需要支持に移っているとみられるが,賃金,物価の強い騰勢が続いているため,保守党新政府の経済政策も積極性を打出せないのが実状である。

個人消費は69年に前年比実質0.3%増にとどまり前年の伸び2.2%を大幅に下回った。しかし,69年下期には回復に向い,下期の前期比1.5%増,70年上期には前期比1.4%増となった。

69年秋以降の大幅賃上げにより,可処分所得は増勢を強めたが(69年下期の前年同期比6.6%増),消費者物価の上昇率も大幅であったため実質可処分所得は69年中はそれほど伸びなかった(前年比0.6%増)。しかし,70年に入って実質可処分所得の伸びも大幅となり,上期の前年同期比は3.3%増となった。

第2-1表 イギリスの国民経済計算

こうした傾向はその後も続いており,過去1年間停滞していた小売売上げにも夏以降上昇傾向がみられるようになった。とくに,賦払信用残高は68年11月の規制強化のあと急減したが,乗用車や耐久消費財需要が堅調化したのに伴なって69年秋以降上昇に転じ,最近では規制前のピークの水準まで回復している(8月)。新車登録台数は70年夏に月平均10万台を上回ったが,ストライキによる国産車の供給不足から輸入車の比率が50%にも達したといわれる。

69年の国内総資本形成は実質3.7%減と60年代に入ってはじめての大幅減少を記録した。相つぐ財政,金融引締めの導入により,68年下期以降,民間住宅投資,政府投資が減少に転じ,それぞれ前年比実質15%減,7.5%減の著しい減少となったのをはじめ,車輛6.7%減,設備投資3.7%減と全般的に不振を示したことによる。産業別にみても,構築物への投資増加がみられた製造業,商業などを除いては,いずれも投資水準の低下をみた。

70年に入ってからも,年初における悪天候,季節的金融逼迫などの一時的要因もあって建設投資が不振を続けたために,国内総資本形成は70年第1四半期にも前期比実質3.4%減となったが,第2四半期には前期比6.2%増となり前期の落ちこみをほぼ回復した(上期の前期比は0.4%減)。とくに,製造業固定投資は年初の停滞も小幅であり,その後も相対的に増勢が強く,上期の前期比は実質0.8%増となった(前年同期比8.8%増)。こうした70年上期における国内総資本形成の実績(前年同期比2.1%増)は,4月予算発表時の政府予測(3.2%増)をかなり下回るものであり,70年の投資予測調査(技術省,10月実施)も2~3%増と前回,前々回調査の7~8%増から下向きに改訂された。また,機械工業受注残高は70年1~9月に前年同期比5.9%高とまだ高水準にあるものの,新規受注の動きをみると,国内受注が回復に向っているのに対して海外受注は減少傾向を示しているため,第3四半期には減少を示しており,投資の先行きはかなり警戒色を強めている。

第2-1図 個人消費と関連指標のうごき

第2-2図 投資のうごき

69年の在庫投資増は前年の約2倍となり,国内総生産に対する比率も0.9%に高まった(67,68年は0.6および0.5%,60年代の在庫率の平均は1.1%)。前年末の急増の反動もあって70年第1四半期の在庫投資は減少したが,第2四半期には再び増加し,上期全体としては小幅の増加となった。しかし,製造業在庫は70年第1四半期には主として製品在庫の増加によって大幅化した。また,生産が停滞しているにもかかわらず,原材料輸入の増加がみられるために第2四半期の製造業原料在庫も増加した。

(2)不振をつづける生産

工業生産は69年平均では前年比2.5%増となったが,年間を通じて伸び率の鈍化がみられ,さらに70年1~8月の前年同期比はわずかに0.6%増にとどまった。とくに70年については部門別の明暗の差が大きく,工作機械,機械,電機,化学,繊維部門などでは輸出を中心に好調な伸びを示し,70年1~8月の前年同期比は3~6%増であった。これに対して,建設,自動車,造船,金属部門では停滞を示しており,とくに自動車生産は内需に回復がみられるものの輸出が大幅な減少を続け,またストライキが瀕発したために第3四半期の乗用車生産は前年同期比30%減となった。

過去1年におけるこうした生産停滞をもたらした主要因の1つは,69年秋以降,急増したストライキによる生産阻害である。たとえば,操業停止日数は69年上期の2,700日から下期には4,200日に急増し,さらに70年上期には5,000日に増加している。とくに,自動車部品の大手メーカーであるGKNーSankeyなどのストが長期にわたったこともあって,金属,機械,造船,自動車部門の操業停止日数は70年1~9月に3,850日に達し(前年同期は2,800日),生産を大幅に減少させ,大量の失業者を出した。

雇用者数は66年央以来の減少傾向を維持しており,69年に4.5万人減となった後,70年1~8月間にも約22万人減少した(生産労働者)。こうした雇用者数の減少にもかかわらず,生産停滞が続いたことから,69年前半までみられた生産性上昇率の高まりは止み,69年下期の上昇率(前年同期比)は1.5%増に鈍化し,70年上期にも1.8%増にとどまった(68年7.2%,69年上期3.0%,製造業)。部門別にみると,ガス,電気,水道部門ではいぜん大幅の上昇が続いており,繊維部門などでも生産性の向上がみられるが,金属加工,機械,車輛部門などでは上昇率の鈍化が著しい。

第2-2表 部門別生産のうごき

(3)労働需給の緩和と賃上げ攻勢の高まり

生産の停滞を反映して,労働力需給はかなりの緩和を示している。69年の失業者数は年平均53.5万人(新規学卒者を除く)と,前年の54万人を若干下回ったが,70年に入って失業者数は漸増傾向を示し,第3四半期には59.2万人となり,失業率も2.6%に高まった(69年は2.3%)。未充足求人数は69年平均20万人と前年(18.8万人)より若干増加したが,70年には低下傾向を示し,第3四半期には18.5万人と前年同期(20万人)を若干下回った。製造業における超勤時間数も70年8月には67年8月につぐ低水準となっている。

70年秋に入って,失業者数が若干減少しており,また,高失業地域でも雇用の拡大がかなりすすんで労働情勢は若干改善に向ったとみられる。しかし,70年9月における北アイルランドの失業率は7.2%,北部4.8%,スコツトランド4.3%,ウエールズ4.1%と地域格差がいぜんとして大きい。

第2-3図 工業生産と労働力需給

こうした労働需給の緩和傾向がみられたにもかかわらず,69年秋以降,賃上げ攻勢が急激に高まりを示し,70年に入ってこの傾向は一段とエスカレートしている。このため時間当り賃金率(全産業)は69年下期の前年同期比5.4%増から70年上期8.4%増,第3四半期10.7%増と急上昇し,生産停滞による生産性の伸びなやみと相まって賃金コストの上昇をもたらした。賃金ドリフトも大幅な上昇を示しており,69年上期1.5%増のあと下期には2.5%増となっている。このため賃金所得の上昇率はさらに大幅となっており,70年秋には年率14%に達したとみられる。

69年下期に賃金協約の改訂を行なった主要組合は,地方公務員(事務系),手形決済銀行(書記),国民健康保険職員,石炭採掘夫,印刷業などであり,平均6~8%の賃上げであった。さらに,70年に入って,賃金協約改訂を行なう組合とその対象人員が急増をみ,その引上げ幅が10%を超すようになったばかりでなく,協約改訂期間が急速に短縮化するという傾向がみられた。

この結果,賃金コストの上昇も大幅化しており,69年における製造業の賃金コストは前年比5.4%増と,68年の3%増,67年2.5%減と比較して著しい上昇となった。とくに,車輛部門では69年の上昇率は10%に達しており,これまで低下傾向を示していた繊維部門でも6.4%増となっている。

(4)物価上昇の持続

国内需要の停滞が続いたにもかかわらず,物価の騰勢は衰えを示さず,政策運営をむずかしくしているとが過去1年間の特徴の1つである。また,最近における主要国の物価上昇と同様に,卸売物価のほうが消費者物価より大幅な上昇率を示すという特徴がイギリスでもみられた。

卸売物価は69年平均では前年比3.1%高と前年の3.9%を下回ったが,年央以降,上昇率は急速に高まりを示し,69年下期の前年同期比3.8%高,70年上期6.4%高,第3四半期7.8%高と大幅化している。69年央から70年初にかけての卸売物価の上昇は,主として,輸入原材料の急騰による原材料価格の上昇によるものであった。しかし,70年に入って国際商品相場が低下し,輸入原材料の騰勢も鈍化したため,原材料価格は大幅な低下を示し,70年3月のピーク時から9月までに3.1%低下した。したがって,70年に入ってからの卸売物価の上昇は,主として,賃金上昇率が生産性の伸びを上回って賃金コストをおし上げていることによってもたらされたものとみられる。

消費者物価は60年代に入って根強い騰勢が持続しており,67年の前年比2.5%高,68年4.7%高,69年5.4%高のあと,さらに70年に入ってからも上期の前年同期比5.4%高,第3四半期6.8%高と騰勢の高まりがみられる。

第2-3表 最近における主要な賃金協約の改訂

70年に入ってとくに著しい上昇を示したのは,サービス料金,住居費,食料,耐久消費財であり,70年1~9月の前年同期比はそれぞれ7.5%,7.1%高,6.7%高,6.2%高となっている。食料価格は70年央に季節的要因もあって低下したが,秋以降は再び騰勢を示している。

消費需要が70年第2四半期以降かなり回復しているものの,需給条件はまだ全体に緩和しているなかで,このような消費者物価の騰勢が強まっていることがとくに注目される。

(5)貿易収支の赤字化

国内需要が69年にはほぼ横ばいに止まったのに対して,輸出は14.1%増と前年の23%増に続いて大幅な上昇となった。一方,輸入の伸び率は68年の22.7%増から69年には5.4%増に大幅に鈍化したために貿易収支赤字幅は1.4億ポンドに縮小した(国際収支ベース,68年は6.6億ポンドの赤字)。とくに,69年8月から70年1月までの輸出は前年同期比15.6%増と好調であり,輸入は3.7%増にとどまったことから,貿易収支は66年第4四半期以来はじめて黒字を計上した(約1.5億ポンド)。

しかし,70年に入って輸出の伸びは若干鈍化し,70年上期の前年同期比が14.6%増となったのに対して輸入は7.2%増と増勢を強めたために貿易収支は再び赤字化した(5,700万ポンド)。その後,7月後半に発生した港湾ストによる不規則な動きがみられたが,第3四半期の貿易収支赤字幅は8,600万ポンドと前期なみの赤字を計上している。

69年下期から70年初にかけての輸出の大幅な上昇は,主として世界貿易の好調とポンド平価切下げによる価格競争力の改善がみられたためであった。70年に入って世界貿易の伸びが若干鈍化し,とくに対米輸出が第3四半期に大幅に減少して前年同期比8.6%減となったことから増勢は急に衰えを示し,第3四半期にはほぼ前年と同水準にとどまった。しかし,EEC,EFT A向けでは第3四半期の前年同期比はそれぞれ9.0%増,8.4%増とかなりの増勢を維持している。

商品別にみると,69年下期には金属加工,繊維,化学製品,機械,車輛などを中心に工業品輸出がきわめて好調であり,前年同期比20.4%増となった。しかし,70年上期には工業品輸出の伸びは16.7%増に鈍化し,さらに,第3四半期には自動車部門のストにより車輛輸出が8.6%減となったのをはじめ,機械,繊維なども減少を示したため,工業品全体では前年同期比2.6%減となった。

一方,輸入は69年下期に原燃料および完成品を中心に伸び率の鈍化がみられたのに対して,70年上期には,原材料,半製品輸入が大幅化した。これは主として,国内生産の停滞による部品不足と,前年下期における大幅な原材料在庫調整の反動によるものとみられる。

ポンド平価切下げによる交易条件の悪化は,その後輸出価格が急上昇したために68年央までにその約半分が相殺され,その後はほぼこの水準に落着いていた。しかし,70年に入って,輸出価格の上昇が再び輸入価格の上昇を上回るようになり,交易条件は1~9月間に4%改善している。したがって,70年に入ってからの輸出の鈍化は,数量的にはさらに大きなものとなっている。

第2-4図 卸売物価,輸入価格,時間当り賃金

第2-5図 消費者物価―主要費目別動向

(6)国際収支黒字基調の持続

イギリスの国際収支は69年初から黒字基調に転じ,69年の総合収支(新方式による)は7.4億ポンドの黒字を計上したが,70年上期にも13.1億ポンドの大幅黒字を計上した(SDRl.7億ポンドを含む)。これは60年代を通じて国際収支が赤字基調を持続し,とくに,64~68年間には赤字幅が4~14億ポンドに拡大していたのと比較すると著しい改善である。

これは主として,貿易収支が69年下期から70年初にかけて黒字化するほどの改善を示したため経常収支が69年初来黒字基調に転じ,69年の黒字幅4.2億ポンド,70年上期2.3億ポンドを計上したことに加えて,70年に入って国際通貨不安が鎮静化し,ポンドの信認が回復したことなどを反映して投資等収支が大幅な純流入となったためである。

第2-6図 イギリスの貿易収支

第2-4表 イギリスの貿易構造―地域別

第2-5表 イギリスの貿易構造―商品別

従来,イギリスの国際収支は,貿易収支赤字を貿易外収支の黒字で相殺して経常収支を黒字とし,それで長期資本の赤字を埋めて基礎収支を均衡させるという基本的構造をもつものとして,基礎収支の概念が重視されてきた。

しかし,国際資本取引が複雑化するにしたがって,資本の流出入を長期と短期に区分するのが困難となっており,また,長期資本移動だけでは対外金融ポジションの変化が把握できないなどの理由で,大蔵省は基礎収支にかえて総合収支概念を新たに採用することを決定した(70年9月)。

新方式では,①経済的な自立能力を示す指標としての経常収支は従来どおりとし,②対外準備の増強,ないしは対外債務の返済能力を示す指標として総合収支が中心的な概念となっており,③総合収支は,経常収支と投資等収支(investment and other capital flow)の合計とされる。④投資等収支は従来の長期資本収支と金融勘定を一本化したもので,貿易信用,海外投資用のユーロ・ダラー借入,ポンド残高の増減,市中銀行の外貨取引,その他短資の流出入などを含んでいる。そうして,⑤総合収支は公的金融取引(official financing)に対応しており,⑥この公的金融取引は,IMFや中央銀行などからの借入,返済および金・外貨準備の増減からなっている。

69年の経常収支改善には,貿易外収支の黒字幅拡大が大きく貢献しており,68年の黒字幅3.2億ポンドに対して69年には5.6億ポンドに達している。

この大幅黒字基調は70年上期にも持続し,2.7億ポンドの黒字を計上した。

70年に入って経常収支の黒字幅が若干縮小したにもかかわらず総合収支がむしろ黒字幅を拡大したのは,69年下期に赤字であった投資等収支が大幅な黒字に転じたためである。なかでも,スターリング地域諸国の対外収支残高が大幅黒字を計上し(4.1億ポンド),対英投資が大幅な伸びをみせていること(3.9億ポンド),イギリス商業銀行の外貨取引の純増(1.7億ポンド)などが主要な改善要因となっている。その他短資は,マルク平価切上げ前までは純流出となっていたが,70年第1四半期までにはほぼ還流し,その後,再び純流出に転じている。

総合収支の大幅な黒字持続により,ポンド債務残高も急減し,金・外貨準備も増加を続けている。69年の総合収支黒字7.4億ポンドの大部分は外国中央銀行に対する返済(6.7億ポンド)にあてられ,またIMFにも3,000万ポンドの純返済が行なわれ(その残りが金・外貨準備の増加となった(4,400万ポンド)。70年上期においても13.1億ポンドの国際収支黒字(SDRを含む)のうち,10.9億ポンドが外国中央銀行に,1.1億ポンドがIMFに返済され,金・外貨準備の増加は1.1億ポンドにとどまった。

第2-6表 イギリスの国際収支表

こうした大幅な債務返済が行なわれた結果,64年秋以降に急増し,とくに68年末のピーク時には約35億ポンドに達した中,短期対外債務残高も70年第2四半期末には14.6億ポンドまで低下した。しかし,長期債務を含めた累積した公的ポンド債務残高はまだ46,4億ポンドもあり,ポンドにかかっている重荷は依然として軽くはない。

国際通貨不安がマルク平価の切上げをもって一応の鎮静化を示し,貿易収支が69年下期から70年初にかけて黒字化したことなどを背景に,ポンドの信認は急速に改善し,ポンド相場も69年末以降,平価を上回るようになった。

しかし,70年に入って,貿易収支が再び赤字化し,マルクの再切上げの噂がひろまり,内外金利差が拡大して短資が第2四半期以降,純流出に転じ,さらに,6月初にカナダが変動相場制に移行したことなどから,ポンド相場は再び平価を下回るようになった。そうして,7月後半の港湾ストによる貿易収支の大幅な悪化,経済の先行きに対する悲観論の高まり,IMF総会における為替制度弾力化の進展が予想されたことなどからポンド相場は8月後半にかけて急落し,さらに9月初には介入下限の2,3825ドルを一時下回った。

その後,国際収支の黒字基調が確認され,為替相場の弾力化も急速には実現されないことが明らかとなったことなどからかなり立直りを示しているが,平価を回復するまでにはいたらない(直物,12月初)。

経常収支の改善がすすんだため,政府は70年1月に海外観光旅行費の持出し制限を廃止し,さらに,輸入担保率を9月1日より20%に引下げ,12月4日以降は全廃することを決定している。

第2-7表 投資等収支の内わけ

第2-7図 ポンド債務残高と金・外貨準備

3. 経済政策の転換と今後の見通し

国際収支の改善と国内需要の伸びなやみを背景に,経済政策の重点は対外均衡の持続と国内経済の安定的成長の同時的達成に移り,ポンド平価切下げ以降,あいついで導入された財政,金融面での引締め政策も70年に入ってしだいに緩和の方向を示すようになった。しかし,69年秋以来,大幅化した賃金,物価の上昇が依然として衰えをみせないため,内需刺激に対する政府の態度はきわめて慎重である。

(1)金融引締めの緩和

金融政策は,70年に入って公定歩合が3月および4月にそれぞれ0.5%ずつ引下げられて7%へ低下したことをはじめとして,量的規制もしだいに緩和の方向を示している。

70年3月5日の公定歩合引下げは,ポンド相場が堅調を続け,とくに1月に入って平価をかなり上回るようになり,また,海外からの大規模な短資流入がみられたことなどを背景としたものであった。さらに,4月15日には,新年度予算における財政面での若干の引締め緩和と歩調をあわせて公定歩合の再引下げが行なわれた。この結果,イギリスの金利水準は西ドイツやフランスなどよりも低い水準となった。

4月予算では,金融面における量的規制について一連の措置がとられたが,その主な内容は,①従来の銀行貸出し規制を廃止するかわりに新規制措置をとり,②国内信用増の枠を4億ポンドから9億ポンドに拡大することに加えて,③イングランド銀行の特別預金率の引上げ(ロンドン手形交換所加盟銀行については0.5%引上げて2.5%とし,スコツトランド系銀行については0.25%引上げて1.25%とする,5月6日より)などの引締め強化措置も同時に導入されているのが特徴であった。

銀行貸出しについての新規制措置は,①ロンドン手形交換所加盟銀行およびスコツトランド系銀行のポンド建貸出し増加率を70年3月央から1年間5%以内とする。②その他銀行については7%以内とし,とくに国際収支改善に寄与する生産,投資向けを優先して,消費者金融の増加をできるだけ抑制する。③賦払信用商社の貸出し増加率を5%以内に抑制するなどであり,従来の規制基準と比較するとかなりの緩和となっている(68年11月実施のものは,①については,貸出し残高を67年11月央の98%以下に,②,③については67年10月末の102%以下に抑制することを内容としていた)。

70年度に入ってこのように量的規制が緩和に向かったこともあって,国内信用増(DCE)は第2四半期以降大幅な増加を示している。すなわち,69年度の国内信用増は,財政引締めの影響でイングランド銀行の対政府部門貸出しが減少し,また,国際収支改善によって政府の対外借入が大幅なマイナスになったために,6.1億ポンドの減少となった。これを69年6月のIMFへの趣意書のなかで示された努力目標の4億ポンド増と比較すると,69年の国内信用の縮小ぶりが明らかとなる。しかし,銀行の対民間貸出しは69年度にもほぼ前年と同規模の増加(6.3億ポンド,前年度6.7億ポンド)となっている。この傾向は70年第2四半期以降さらに強化されており,第2四半期の対民間貸出しは6.9億ポンドにも達した。こうした国内信用の拡大傾向を反映して通貨供給量も70年春以降大幅に増加している。

第2-8表 国内信用増と通貨供給

また,銀行貸出しの増加が70年9月までに年間貸出し枠いっぱいに達しているなど,国内流動性の急増傾向がみられたため,イングランド銀行は特別預金率を11月11日以降引上げることとし,ロンドン手形決算加盟銀行については1%引上げて3.5%,スコツトランド系銀行については0.5%引上げて1.75%とした。

(2)新政権の財政政策 ミニ予算案の内容

1970年度予算案に示された前労働党政府の財政政策は,基本的には前2年度の超緊縮予算に比較して引締め緩和の方向を示していた。しかし,一般会計が前年を若干上回る大幅黒字を計上するなど,その内容は内需の刺激についてはきわめて小幅であるのが特徴であった。

70年度予算における主な財政的措置としては,①所得税の基礎控除の引上げによる初年度1.4億ポンドの減税,②所得税特別付加税の課税基準の引上げ,③産業建設投資の期初減価償却引当率を,1970年4月5日から2年間,開発地域,中間地域,北アイルランドでは現行の15%から40%へ,その他地域では30%へ引上げることなどであり,全体で初年度総額1.5億ポンドの減税効果をもつと推定されていた。

このことは,68年度および69年度予算がそれぞれ9.2億ポンド,3.4億ポンドの増税を行なったことと比較すると,小幅ながら減税にふみ切ったことは政策方向の転換を示すものとして注目された。ただし,所得税率の引下げを見送ったのをはじめとして,間接税,法人税,選択的雇用税などの主要項目がいずれも前年までに導入された高水準に据置かれているなど本格的な財政政策の緩和からはほど遠いものであった。

6月の総選挙で保守党は6年ぶりに政権に復したが,10月末,はじめて保守党の財政政策の方向を示す「公共支出の新政策」および「投資奨励策」に関する白書を発表した。その主な内容はつぎの通りである。

第2-9表 イギリスの1970年度一般会計予算案

このほか,国民健康保険料の引上げ,学童ミルク支給の廃止,学校給食費引上げ,通勤運賃値上げ,国立美術館,博物館の無料制廃止など,概して受益者負担の増額による政府支出の節減をはかる措置がとられている。

これらの財政措置の導入に伴なう71年度の歳入減は,減税分と経費節減分をあわせて平年度約3.5億ポンドであり,一方,歳出面でそれにほぼ見合った削減(約3.3億ポンド)が予定されている。この歳出削減計画は,昨年秋から導入された中期財政計画(1970~74年度)の一環でもあり,74年度の削減規模は17.2億ポンド,歳出追加分1.6億ポンド,純歳出削減額15.6億ポンドとされる。この歳出削減計画によって,1970~74年度における公共部門支出の伸びは年率3.5%から2.8%に鈍化し,この5年間における歳出削減額は11億ポンドに達すると推定されている。

今回の財政措置は,保守党が政権についてからはじめての財政政策の表明であり,選挙公約に沿った保守党の政策路線を示すものとして注目をあつめた。なかでも,労働党政府のもとで拡張した,政府部門,社会保障関係費の膨張に対しては,民間部門の自主的活動範囲の拡大,公共サービスの受益者負担原則の適用という政策の基本的転換が行なわれている。しかし,内需の刺激についてはきわめて慎重な態度がみられ,法人税の引下げなどによる投資刺激措置を所得税引下げよりも早期に実施することとしているものの,その純効果についてはCBI(イギリス産業連盟)などは疑問を表明している。

第2-10表 新政府の減税,歳出削減計画のおもな内容

こうした景気刺激に対する新政府の慎重な態度は,賃金上昇圧力が依然として衰えを示さず,消費需要がすでに堅調化しているという最近の景気情勢を反映したものとみられる。

今回の財政措置が71年度の需要に与える効果は,蔵相によれば中立的であるとされる。しかし,OECDなどは今回の措置によって来年の消費の伸びは0.5%高まって3.5%となり,GNPの伸びを2.5%から3%弱に上昇させるとみている。経常収支についても,71年の黒字幅は本年の見通しより2.5億ドル程度縮小して約8億ドル程度と予測しているが,この縮小の約半分は今回の措置によるものとされている。

また,今回の一律2.5%の減税は高所得層には有利であるが,低所得層については社会保障費削減による負担増,および生計費上昇を促進するものとして労働党,組合側などは強い反発を表明している。

(3) EEC加盟交渉の進展

イギリスのEEC加盟交渉は,70年7月より正式に開始され,加盟にともなう諸問題の技術的な検討をすすめるとともに,閣僚レベルの政治的交渉も定期的に行なわれている。これまでに取り上げられた主な問題点はつぎのものである。

これらの問題については,70年末までにほぼ解決の見通しがつくものと期待されている。このあと,英連邦砂糖協定,ニュージーランドの酪農品問題がとりあげられる予定であり,さらに,その他英連邦諸国との連合関係についても具体的な検討が行なわれることになっている。

今回のEEC加盟交渉の具体化は保守党によってすすめられることになったが,与野党ともに加盟支持が多数を占めているので,イギリス側では加盟条件が合理的なものである限り,加盟が実現する見通しは前回の63年当時よりははるかに明るくなっている。しかし,国民のEEC加盟についての関心は依然としてうすく,最近の世論調査(70年3月)でも賛成は22%にすぎず,労働組合や一部産業界からの加盟反対もつづいている。とくにEEC加盟によるプラスの側面は,どちらかというと長期的なもので評価しにくいという性質をもつ一方,マイナスの側面では,食料品価格の値上りのように直接的影響をもつため,依然として根強い懸念がみられる。

したがって,イギリス政府がEEC加盟交渉に成功するためには,国民を十分満足させうるような加盟条件を獲得すると同時に,EEC側に対してもイギリス経済の先行きについて信頼を高めるような政策を示すことが必要となろう。この関連でとくに重要なのは,①懸案の労使関係改革法案を深刻な労働争議を引きおこさずに成立させること。②賃金の高騰を抑制し,設備投資を活発化させ,政府支出の削減をはかること。③国際収支の改善を持続し,ポンドの信頼を高めること,などであるとみられている。

一方,EEC側においてもイギリスの加盟交渉に大きな影響を与えるような統合の進展がいくつかみられた。なかでも,EEC通貨同盟を目ざすウエルナー委員会の段階的通貨統合計画は,加盟国間の平価変動幅を縮小する措置を含んでおり,ポンドとの関係をいっそう複雑なものとしている。こうした通貨面での統合の進展をはじめとして,外交,防衛,科学技術などの分野におけるEECのうごきは,イギリスがEECに正式に加盟すると否とを問わず大きな影響をもつものであり,この面からみてもEEC加盟の必要性が強いことをイギリス側に印象づけている。

(4)今後の経済見通し

70年度予算における引締め政策の若干の緩和によって,70年上期~71年上期における国民総生産の増加は0.5%高められて3.5%となると政府は予測していた。しかし,70年上期の国内総生産は,前期比実質0.4%減,前年同期比2.2%増にとどまった。

70年下期においては,第2四半期以降の国内需要の上昇傾向が持続し,とくに,個人消費は大幅な賃金上昇を背景に堅調化するとみられ,輸出も伸び率の鈍化を示しながらも上昇を持続していることなどから,上期にみられたような停滞を脱して景気は回復にむかっている。しかし,問題なのは民間固定投資の盛り上りが弱いことと,賃金,物価の騰勢が依然として衰えを示さないことである。

最近の政府による産業固定投資調査は,70年の実質増加率を2~3%とみており,71年については,ほとんど増加しないと予測している(70年10月)。70年上期の産業固定投資実績は前年同期比2.6%増(前年の不規則変動調整後)であったから,このことは下期の水準も前年同期比ほぼ2~3%増となること,また,前年下期の産業固定投資水準は相対的に高かったので,前期比ではかなり大幅な伸びになることを示している。政府はこうした投資見通しに基ずいて,CBIなどからの積極的投資促進の要請を退けており,今回のミニ・バジエツトにおいても,従来の投資補助金にかえて法人税の引下げ,減価償却の加速化という選別的な投資刺激措置を導入した。この政策措置がどの程度の効果をあげるかは,今後の景気見通し,企業利潤の改善状況,金融情勢など多くの要因に依存しているが,少なくとも補助金の場合よりも高効率の投資を促進する効果をもつであろう。

第2-11表 1970年度予算発表時の政府経済見通し

景気停滞下の賃金,物価上昇は,イギリスにとってはそれほど珍しいことではないが,69年秋以来の上昇幅の加速化はこれまでほとんど経験したことがないほど急速である。このため,賃金コストが大幅に上昇し,それが輸出物価の上昇となってポンド平価切下げによる国際競争力の改善を後退させたこともあって,すでに輸出の伸びには鈍化傾向があらわれている。これまでのところでは,経常収支は黒字基調を持続しており,70年および71年の国際収支黒字幅は5億ポンド前後と政府は予測している。したがって,従来の景気停滞局面と比較すると,国際収支の天井がかなり高いだけに内需を刺激する余地が大きいとみられる。しかし,政府はここで政策の手づなを大きくゆるめれば,従来のようなストツップ・アンド・ゴー政策に復することになりかねないため,当面は内需の刺激よりも賃金上昇の抑制に重点をおくことを繰返えし強調している。このため政府は,さきに議会に提出した労使関係法案(12月3日)の成立を促進中である。

最近のNIESR(国民経済社会研究所)による経済見通しでも,今回の措置が明年以降の景気に若干の刺激を与えるとみている。すなわち,70年下期の景気回復はあまり力強いものではなく,国民総生産の伸びは前年同期比1.7%増程度にとどまるが,71年に入ると,個人消費,固定投資の伸びがやや大幅化するため,国民総生産は上期に2.8%増,下期1.9%増,71年全体では2.3%増となるとみている。しかし,このような景気回復過程において,失業者数は依然として増加傾向を示すとみており,また,過去1年間の大幅賃金上昇による個人消費の堅調化も,消費者物価の騰勢がさらに強まると予想されるため一時的なものに止まる効算が高いとして,NIESRは需要支持政策をとる必要があるとしている。同時に,そのためには政府が現在考えているよりもより厳しい形での所得政策の導入が必要であることを指摘している。


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