昭和45年

年次世界経済報告

新たな発展のための条件

昭和45年12月18日

経済企画庁


[目次] [年次リスト]

第1章 アメリカ

1. 1969~70年の経済動向

1961年に始まるケネデイ・ジョンソン時代はアメリカ史上最長のブームをつくり出したが,その末期において景気過熱現象を露呈,国際収支赤字とインフレ問題を解決できないまま,政権は共和党のニクソン大統領に引き継がれた。

1961年1月,政権を担当したニクソン大統領は上下両院において野党の民主党に絶対多数を制せられたまま,しかも前大統領ジョンソン氏の予算の大わくを継承して,インフレ,国際収支問題と対決する非運にめぐり合わせ,そのうえ持ち味の漸進主義(グラデュアリズム)による解決をはかったため,難問は容易に解かれず,景気後退を伴わないアメリカ経済の正常化もついに実現に至らなかった。

1969年秋までの経済事情については前年の海外経済報告に詳説したので,今回の報告ではそれ以後1年間の諸事情に論及したい。

ジョンソン前大統領は1969年1月,そのポストを去るに当って新年度の引締め予算を議会に送り,これを受けたニクソン大統領は部分的な手なおしを加えながらも,財政引締め方針を継承,一方,金融当局ではマーチン氏がなお連邦準備理事長にとどまった関係もあって,金融引締め政策を持続ないしは強化して景気過熱の冷却につとめた。

このため連邦財政は69年第2四半期以後しだいに引き締まり,短期金利は年初の5%から秋の7%に上がり,国内の引締めを免れるための米銀ユーロダラー取入れは69年5月~11月の間に50億ドル近くも増大し,その影響は西欧ひいては世界的に波及した。こうした財政・金融面の引締めによって,一般経済活動はやがて鎮静化すると思われたにもかかわらず,永年にわたるブームと大衆のインフレ持続予想は過熱の冷却をおくらせた。

引締めの影響は69年初め住宅建築に現われたが乗用車販売に変化を起こすまでにはその後数カ月を経過し,工業生産指数に変化が感知されたのは69年8月であった。この月初めて前月比0.3ポイントの生産低下がみられたが,なお,第3四半期のGNPは上昇を続けた(第1-1図)。

第1-1図 国民総生産の動き

不変価格によるGNPの減少はようやく年末の四半期に現われたが,前期比減少率は,0.2%ときわめて小幅にとどまった。生産活動は低下したけれども,物価や国際収支には期待されたほどの好転はみられず,そのために景気後退現象が現われると,ただちに採用されるリフレ政策もこれまでどおりには実現しなかった。

69年第4四半期の国民所得ベースによる財政収支は年率61億ドルの黒字であって,引締め的であり,通貨の供給量は第3四半期にはまったくふえず,第4四半期でもほとんど増減なしであった。

実質GNPの減少し始めた次の四半期-1970年第1四半期-になると,2,3月に工業生産が微増したが,失業率はそれぞれ4.2%,4.4%となって,久しぶりに完全雇用下の失業水準4%を越え,ニクソン大統領とすれば,60年秋,同じ共和党のアイゼンハワー政府時代に高失業のもとで苦戦した当時の大統領選挙も追憶されたようであって,失業の多発を回避したい気持が強まった。このため住宅金融を緩和して,建築を促進,一方,70年2月,マーチン氏のあとを襲ったバーンズ氏はすでに就任前から金融引締め緩和論に傾いていたが,15日の連邦準備制度公開市場操作委員会は「今後数カ月」通貨や信用のゆるやかな増加方針を決定し,連邦政府もまた3月17日,前年9月に決定された建設支出規制のうち州,地方財政による支出15億ドルの支出を解除し,金融・財政政策が久しぶりに緩和方向に転換した。

4月には公務員給与や社会保障給付の増大があって,個人消費の増大に寄与し,一方,連邦財政は70年秋の中間選挙を控えて,支出増大傾向にあった反面,70年初の企業利潤減少から税収の伸びが予想を裏切り,収支尻は悪化し,71年度では当初の13億ドル黒字予想が13億ドル赤字予想に転落,こうして個人消費の落込みを回避することができた。

69年第4四半期に始まる戦後第5回目のリセツションは70年第1四半期を底にその後ゆるやかな回復に向かった。しかし9月央からゼネラル・モータース(GM)のストが発生,11月まで続いたため第3四半期の実質GNPは前期比0.3%増にとどまった。ストの長期化により第4四半期のGNPも横ばい,または微減と思われる。

このl年をふり返ってみると,財政,金融政策による,いわゆる総需要引締め政策は,さしも根強かった設備投資(不変価格)を69年第4四半期において横ばいに追い込み,70年第1四半期には減少させるに至った。しかし引締めの基本課題であったインフレと国際収支の改善はついに中途半端に終わった。

(1)景気後退の要因

1968年以来の強度な引締めによって,69年上期のGNP増加速度は四半期平均0.6%まで落ちており,第3四半期には一時0.7%に上げたが,それは主として在庫によるものであり,最終需要はむしろ減少した(第1-1表)。

第1-1表 国民総生産の変化

第4四半期になると,GNPの絶対額が低落し,69年全体の成長率は68年の4.7%から2.8%に縮小した。GNPの減少過程は70年第1四半期まで続き,この期の下落速度はむしろ高まって0.7%に達した。

しかし第2四半期になると,財政・金融政策の効果も現われて,前期比0.2%の回復となり,第3四半期には加速して,0.3%となった。

ピークから底までの国民総生産低下率は1.0%で,50年代ならびに1960~61年の景気後退時に比べ著しく小幅であり,ピークから底までの工業生産低落幅もまた小幅にとどまった(第1-2,3表)。

第1-2表 景気上昇と後退調間

第1-3表生産低下率

また69年第3四半期のピークから70年第1四半期の底までの実質GNPの減少に寄付した主要因は在庫と政府購入の減少にあり,在庫が主導的な役割をはたした点は50,60年代のリセッションを通じて共通の要因であったが,政府購入の減少が主因として数え上げられるに至ったのは1953/54年当時以来のことである。これはあとにも述べることではあるが,インフレ対策のほか,ベトナム戦の縮小など軍事的な要因もあり,これは朝鮮事変休戦の影響が現われた53年と同じ環境にある。

在庫投資は69年第3四半期に年率99億ドル(1958年価格,季節調整,年率)に達したあと反動的に第4四半期の61億ドルに減少,70年第1四半期には僅か13億ドルとなった。このためピークから底への減少は86億ドルにもなり,同じ期間のGNPの落込み額71億ドルをはるかに上回った。

政府購入もまたピークから底の四半期までに23億ドル(年率)(58年価格)減少,とくに連邦財政は41億ドルも減少した。

住宅建築は引締めの影響ですでに69年初めから減少を続けていたが,後退前のピークから底までの低落は16億ドル(年率)に達し,GNPの減少に22.5%寄与した(第1-4表)。

第1-4表実質GNP寄与率

設備投資は68年来の引締めにもかかわらず容易に下がらなかったが,70年第1四半期にはかなり減少,ピークの四半期から底までの間に10億ドル減った。

これに反し個人消費と海外経常余剰は景気後退下に増大を続け,ピークの四半期から底までに前者は53億(年率)ドルにふえて,GNPの減少を下支えした。これは後退下においても,個人所得の伸びがよく維持されたからであった。

海外経常余剰は景気後退による輸入増加速度の減速もあり,58年価格で測った金額は69年第3四半期の9億ドルから70年第1四半期の19億ドルまで回復した。次にGNP主要構成要因別に述べれば,以下のとおりである。

(2)個人消費の拡大

引締め下にもかかわらず,個人消費は引続き増大し,景気後退中といえども消費は衰えをみせなかったし,回復過程でも比較的順調にふえてきた。

だが,その内容にはかなりの変動があった。たとえば耐久消費財は69年第2四半期をピークとして70年第1四半期まで減少傾向をみせたのに反し,非耐久財は景気下降とは無関係に上昇傾向を示し,サービス支出は非耐久財以上の増加速度をみせた。

耐久消費財だけがひとり減少傾向を示したのは,主として自動車売上げの不振と住宅建築の減少に伴なう家具,家庭電機の不振による。国産乗用車売上げ台数はすでに69年初めにも前年同期を割る月もあったが,決定的に減少し始めたのは7月からであった。それが70年にはいると,前年同期比の落込みが大幅となり,70年第1四半期では10%を越えるに至った。その後第2四.半期にはやや回復したが,9月にはGMストの影響もあって,前年同期比,31.2%,10月には23%減少した。GMスト前につくられた新車の在庫はあったけれども,消費者に選択の余地が乏しかったこともあり,またGM車の潜在的購入者がストのないフオードやクライスラーの車に転換することも比較的限られていたこともあって,以上のような大幅な落込みを避けられなかった。したがってスト終了後には回復需要が強い生産の刺激となると期待される。

上述のように個人消費支出全体とすればよく増大傾向を維持できたのであるが,その背後には個人所得の増大が多額の消費支出を支えたという事実がある(第1-6表)。

第1-6表 景気後退局面の個人所得

個人所得の増加は第1-6表に示したように景気後退局面でもよく維持され,50年代の景気循環にみられない特色となった。これは60年代の高雇用,高成長政策によって失業がさほどでなく(第1-5表)賃金が近年上昇を高めたことも指摘する必要がある。

第1-5表 景気後退局面の失業

(3)前回の景気後退期との比較

1)特  色

今回の景気後退期には前回とは違ったパターンがあり,また50年代と60年代のそれを比較すると,共通のパターンが見いだされる。

今回の景気後退の特色は

①40年ぶりの高金利下にありながら個人所得と消費は引続き増大,②設備投資(名目値)は容易に落ち込まず,物価の騰貴は戦後の景気下降局面では前例のない大幅なものとなったことである。このほか,③工業生産指数ではかった後退期間(月数)は戦後4回の平均10.5カ月に近かったが,減少幅は最も小さく,GNPの減少幅は1.0%と最低であり, (第1-3表),また④対外面では諸外国の最も恐れた輸入の減少はみられず,不況が諸外国に輸出されることもなかったことが特筆されよう。

また60年代の景気後退を50年代のそれに比較してみると-

これは60年代において完全雇用策がより重視され,失業の発生も比較的少なく,とくに69/70年においては景気後退が短期かつ軽微に終わるといった見通しから,企業が人員整理を急がず,また賃金が比較的大幅に上昇した事実があげられる。

50年代との比較でいえば,60年代における低所得層の税負担軽減,企業および政府による社会保障の充実など制度的要因が大きく貢献した。

2)景気後退パターン

今回の景気後退のきっかけをつくったものは,財政支出の削減であり,1953~54年の場合と同様である。その意味から,この二回の後退をガバーメント・リセツションと呼ぶこともできよう。

1953154年には朝鮮事変後の防衛費削減がきっかけであった。1957~58年にも有人航空機のミサイル転換があったが,財政支出の減少とはならなかった。

1953~54年当時は朝鮮事変の終結によって軍事支出の削減が始まり,その最初の影響が現われたのは53年第3四半期,すなわち戦後第2回目の景気後退の開始時期であり,GNP減少額(前期比)に対する寄与率では64.7%の多きに達した。今回の後退局面でも同じく最初の後退が起きた69年第4四半期において防衛費は前期よりも時価で10億ドル(年率)減少した。このため政府支出全体とすれば,不変価格で7億ドルの落込みとなり,この期のGN P減少に41%寄与した。

なお,1953/54年では個人消費も今回同様下支えの役をはたし,純輸出の増加,民間投資の減少など総需要の増減方向は今回と同様である。この点では最近四回の景気後退のうち,今回に最もよく似るものといえる。

今回の景気後退要因をGNP主要構成要素からみると在庫投資の縮小と政府購入の減少が主因であって,非住宅固定投資(構造物ならびに生産者耐久財)も減少したが,前2回の後退期ほどではなく,個人消費は堅調で後退を下支えし,海外経常余剰もまた落込みを防ぐ役割をした。前3回の後退要因と比較すると,強弱の差はあるとしても在庫は共通の後退要因としてあげることができる(第1-7表)。なお在庫変動については(4)の2)を参照されたい。

第1-7表 GNP寄与率の変化

また個人消費支出のパターンにも多少の変化があった。すなわち50年代のリセツションでは耐久,非耐久消費財支出ともに減少したのに対し,60年代の後退期では非耐久財支出はふえて,これが個人消費支出を増大させる一因となった。消費の質的向上や嗜好の変化が食品,衣服の支出を増大させたとみられる(第1-8表)。

第1-8表 個人消費支出の変動

3)景気後退下の物価動向

1950年代の景気後退局面では卸売物価(工業品)が下落するか,あるいは騰貴速度をゆるめたが60年代の後退局面では微騰した(第1-9表)。

第1-9表 物価の動き

ただし60/61年当時は上昇局面最初の2四半期で,0.6%(年率)落ちた後,底の四半期では微騰した。これに対し69/70年では後退の始まった最初の四半期では年率4.9%上昇して,前期の騰貴速度を上回っただけでなく,次の四半期でもなお3.8%上昇し,後退前のピークの四半期以上となった。これは過大な賃上げによるコストの上昇によるとみられる。

消費者物価は,50~60年代の下降局面で2回騰貴速度を落とし,2回は逆に上げている。だが後者のうち1957/58年の底での上昇率の高まりは食糧その他の騰貴によるものであって,工業品はむしろ下落している。これに反し69/70年では工業品も騰貴したのが特色である。

4)金利動向

50年代以降の景気後退期においては後退前のGNPがピークに達した四半期か,あるいはそれよりも1~2四半期前に公定歩合が引上げられ,金利の高騰が総需要の伸びをおさえてきた。一方,下降局面になると,一般金利は低下するのが普通であったが,今回の後退局面では逆に騰貴し,(第1-10表)1970年1月には7.914%と40年来の最高を記録した。物価の騰貴圧力も強かったため引締めが強化されたわけであるが,さほどの強い引締め下にありながら,GNPの減少幅は前3回の景気後退時ほどではなかった。

第1-10表 財務省証券レート

5)世界経済への影響

今回の景気下降は後退幅が小さく,後退期間も2四半期に終わり,しかも輸入は堅調を続けたため,貿易面では日本,イギリス,EEC,カナダにさほど悪影響を与えず,低開発国からの輸入はむしろ増加速度を高めた。こうした意味では不況は輸出されずにすんだが,しかし国内の不況圧力から輸入制限運動の高まりもみられ,70年通商法の成行きが警戒される。

(a)減らなかった輸入

前2回の景気後退局面では,後退局面にはいった最初の四半期から第3番目の四半期までにいずれも輸入(季節調整値)が前期水準以下となったが,今回は逆に輸入が増大した(第1-11表)。

第1-11表景気後退局面の輸入

国別,商品別輸入動向を知る場合には,残念ながら季節調整ずみ金額が発表されていないので,前年同期比で調べなくてはならないが,今回の景気循環局面では69年第1四半期に港湾ストがあったため,70年第1四半期の対前年増加率が異例に高くなる。そこでストの影響を薄めるため1四半期あとヘずらせて,70年第2四半期まで9カ月間の輸入を前年同期と比較した。こうした計算によると,69年第四4半期から70年第2四半期中の輸入総額は12.5%ふえ,主要商品別では,粗原料,工業製品の伸びがそれぞれ0.1%,3%にとどまって,景気停滞を反映したが,機械・輸送設備,農産物はそれぞれ18.4%,17.3%と著増して,購買力増大に伴う嗜好の多様化と質的向上を反映し,一部には,自動車同部品のようにインフレによる国際競争の低下を思わせるものもある(第1-12表)。こうした要因が重なり合って,後退期には輸入が減るというこれまでのジンクスが破られたのであろう。

第1-12表 景気下降局面の商品別輸入

1969IV-70IIの主要地域別輸入を前述の方式で前年同期と比較してみると今回の下降局面で減少した地域はない(第1-13表)。しかし前年同期,前々年同期の増加率に比べると,イギリスその他西欧,カナダ,日本の工業国では伸率が鈍化した反面,一次生産国では逆に増大したことがわかる。これは農産物,鉱油の輸入増を反映したものだろう。

第1-13表 アメリカの輸入増加率

とくにアジア地域に対する影響を知るために通関データから前述の方法に従って,今回の景気後退局面におけるアメリカの輸入増加をみると,10.9%増であるが,(第1-14表)前年および前々年同期平均の増加率には及ばない。こうしてみるとその他低開発地よりもより強い影響を受けたといえよう。

第1-14表アジアからの輸入

(b)国際金利5の影響

前述のように金融は景気後退開始前から異例に強く引締められ,後退の底である70年第1四半期の中ごろまで続き,財務省証券(3カ月もの)利回りは70年1月7.914%のピークに達した。この引締過程においてアメリカの銀行はヨーロッパの支店を通じユーロダラーを取りあさり,69年初から11月のピーク時までに実に85億ドル取入れた。もちろんアメリカの国際収支赤字から流れ出すドルもあってユーロダラーの供給量がふえたけれども,アメリカの大量需要はこの市場の金利を釣り上げ,それが魅力となって西欧その他諸1国の資金がユーロダラー市場に流出して,主要国の金利を引き上げた。69年10月連邦準備は69年5月28日に終わる4週間の平均残高を上回るユーロダラー取入高に対しては新たに預金準備率を適用してユーロダラーの資金コストを上昇させ,こうして取入れを抑制すると同時に国内の引締めが尻抜けとなるのを防いたが,その後の国内金利の上昇もあって取入れ増加は,11月中旬まで続き,19日の残高は150億ドル台に乗せた。

アメリカの長期金利の上昇とドル防衛によって資金を調達しがたくなった在欧米企業子会社はユーロボンド起債によって長期資金を調達した。このため海外長期金融市場をひっ迫させ,金利の上昇を招いた。

(4) 1969-70年の回復期の需要動向

1)回復期の特色

1969年後半から70年初めへかけて景気後退面の総需要の動きは上述したので,次にはそれに続く回復のGNPの動きをみよう。この期間の特色は個人消費,生産者耐久財,在庫投資,純輸出がふえ,政府支出は減少したことである。

(a)個人消費

個人消費が景気後退期中も比較的堅調を保ったことは前にもふれた。その後の回復段階でも,伸び続けたが,増加速度は高いとはいえなかった。とくに耐久消費財は1970年第2四半期に前期比増となったのち,第3四半期にはふたたび微減した。カラー・テレビの売行きが峠を越え,過去の住宅着工停滞の影響が家具,家財の需要をおさえ,公害,安全性問題の台頭が乗用車需要に影響したからであろう。また部分的には9月央以降のGMストが自動車の供給をおさえ,また関連産業従業員をも含めて,所得の減少をもたらしたからでもあろう。

b)国内民間総投資

1)固定投資

固定投資も在庫投資(1958年価格)も1969年第3四半期をピークとして減少に向かい,固定投資は70年第3四半期においてもなお減少過程にあったが,一方在庫投資は第2四半期を底として,第3四半期には回復に向かった(第1-15表)。

第1-15表 GNP構成項目の増減

固定投資を住宅と非住宅に分けてみると,非住宅投資は;69年第4四半期に横ばいとなり,70年第1四半期以来2四半期にわたって漸減を続けたが,70年第3四半期には横ばいとなった。固定投資が69年第4四半期に下降しなかったのは生産者耐久設備がこの四半期になお堅調を維持したからであった。それでも70年第1四半期には微減し,第2四半期には回復しはじめ,第3四,半期もまた前期比微増となった(第1-2図)。

第1-2図 固定投資

経営者は10年近いブームを経験していたので,景気後退があっても,それは短命に終わるとみて,設備投資も容易に手控えることなく,しかも好況のなかで発生したインフレは設備投資財を一般物価以上に引き上げたため,経営者はむしろ設備投資を急ぐ気持をもった。そればかりではない。完全雇用政策の結果,熟練工の不足や大幅な賃上げが行なわれ,経営者は省力設備の購入を急いだ。しかも設備投資は長期計画に基づいて発注,施工されるため,景気後退中に工場の建築や設備の据付けが行なわれる結果になった。このほか異常な高金利で設備投資支出が繰り延べられ,このために景気後退中の支出を比較的高めに支えた面もあるようである。

2)在庫投資

在庫投資(1958年価格)は69年第3四半期を100として,第4四半期には61.6,70年第1四半期には13.1に減少したが,在庫の取崩しまでには至らなかった。しかも減少は2四半期で終り,70年第2四半期からは増大に変わった。このように在庫投資が大きな変化をみせなかったことが,今回の景気後退を軽微に終わらせた一因である。この点については

製造業,流通業の売上在庫比率でみると,1954年と58年には平均1.60となり,相対的に高い年であった。また50年代には平均して1.54であったものが60年代では,1.53に微減している。この二つの数字の比較では,50年代と60年代の相違がはっきり出てこないが,50年代と60年代の景気後退前のピークと底の売上・在庫比率の開きをみると,60年代の変動幅の方がより小幅となり,同じ60年代であっても,69~70年の後退期の方がより小幅となった(第1-16,17表)。

第1-16表 製造業,流通業売上/在庫比率

第1-17表 在庫売上比率の変動

売上・在庫比率の変動がピークと底の間で小幅になったということは在庫投資の変動もまた小幅となり,GNPに及ぼす衝撃も弱まったといえよう。

3)純輸出

財貨・サービス輸出は,1958年価格で69年第3四半期の季節調整年率508億ドルから第4四半期の500億ドルに微減ののち,景気後退の底の四半期から回復に向かい,70年上半期にも微増した。

一方,輸入も69年第4四半期に前期比微減,その後,70年上期平均でも微減を続けたため,収支尻は好転,70年第3四半期では年率3億ドルとなり,69年全体の2億ドル,68年の9億ドルを上回って,68年の36億ドルに迫った。とはいえ,今後景気回復による輸入の増加が収支尻を悪化させる可能性は否定できない。

4)政府の財貨・サービス購入

政府とくに連邦政府の財貨・サービス購入(1958年価格)は1969年第2四半期をピークに減少傾向にあり,州・地方政府支出の増加傾向にもかかわらず,双方の合計額は景気後退中も引続き減少し景気下降下支え要因とはならなかった。通常なら後退局面では政府の景気対策支出などもふえるはずのものであるが,今回と1953/54年においては,その逆であった。前回では朝鮮事変終結後,軍事支出の削減が始まったからであり,今回はベトナム事変の支出が縮小されたためであった。

2. 部門別動向

(1)工業生産

工業生産は1960年に4.7伸びたあと,69年7月まで微増,8月から減産に変わった。GNPは早くも70年第2四半期から上昇に変わったにもかかわらず,工業生産が低迷ないし減少を続けたのはGMストにもよることである。

69年の生産をマーケット別にみれば,原料,設備,消費財者の順で伸率が高い。しかし70年1~10月では,設備が最も大幅に落ち込み,以下消費者財,原料の順であって投資ブームの鎮静化を明らかに読みとることができよう。

一方,産業別にみると,69年の耐久財製造業は9月以降減少したのレと非耐久財は増大し,70年1~10月では耐久財の減少が非耐久財よりも大幅であった(第1-3図)。

一方,鉱業は69年に約3%伸びて,むしろ総合指数の伸足をひっぱったが,景気後退中も増加傾向を持続,70年1~10年でもほぼ同じ速度で増大した・エネルギー需要が強く,石炭,原油,天然ガスの生産が活況を呈したからである。

第1-3図 工業生産

公益事業の生産指数は,69年中約10%ふえ,景気後退中から回復期へかけて,引続き上昇を記録した。異例な電力不足が電力のみならず,その代替エネルギーであるガス需要を触発させたからである。

製造業の設備利用度は減産と過去の設備投資による能力の増大により低下傾向にある(第1-18表)

第1-18表製造業の操業率

(2)住宅建築

住宅建築は金融引締めに敏感な反応を示す部門といわれながら,今回の引締め局面では容易に減少せず,住宅着工戸数で前月比減をみせ始めたのはようやく69年2月になってのことであった。それが前年同月以下になったのは7月であった。反応がおくれたのは住宅需要の根強さにあったが,その背後には住宅建築コストの値上りが大きく,従って建て急ぎ現象がみられたからである。

しかし:資金の入手難も加わって69年央以降,着工数は急減,70年1月には106万戸(季節調整,年率)の最低を記録した。その後2~3月には,一時立ち直ったがこれは政府が住宅金融を優遇したためとみられる(第1-19表)。

第1-19表民間住宅着工戸数

住宅着工数がはっきり立ち直りをみせ始めたのは70年7月以降である。この背後には次のような政府の特別措置がある。

7月24日発動した新住宅法(EmergencyHomeFinanceAct.1970)によって,抵当債資金が,27.5億ドル増額された。このほか,低所得層の住宅建築を促進するため,利子補給金を出すことになり,低所得層は7%で家を購入できるようになった。当時の住宅金融金利は8~9%であったから,利子負担は大幅に軽減されることとなった。

(3)物  価

(1)インフレの進行

アメリカの物価は1958年から64年まで安定し卸売物価はほとんど動かず,消費者物価の上昇率は年間2%にも及ばなかった。それが65年のベトナム戦,によって加速することとなり,66年の消費者物価は3.3%騰貴し,67年には年初に軽微な景気後退があり,騰貴率は年3.0%に落ちた。しかし68年(4.6%),69年(6.0%)と騰勢は強まり,70年上期には6%近くなり,その後,第3四半期にはやや衰えた(第1-20表)。

第1-20表消費者物価騰貴率

卸売物価(総合)もまた1958~64年にはきわめて安定し,この6年間の騰貴率は0.1%にすぎず,単純平均だと年率0.016%にすぎなかった。それが65年には2.0%騰貴したのち66年には3.3%となって消費者物価と同一の騰貴速度を示した。その後は消費者物価の騰貴速度が異常に上がったため,卸売物価の騰勢を上回るに至った。

それにしても68年以来2.5%以上の騰貴が続いている。70年にはいって,引締政策効果が現われ騰勢はやや衰えて10月には前月比0.1%安となったが,季節調整すれば,逆に0.1%高となる。9月の季節調整後0.5%高に較べ,騰勢をややゆるめた。

工業品卸売価格もまた,68年以来上昇速度を高め69年第1四半期には年率6.5%も上昇したが,その後69年第4四半期の49%を二度目のピークとして,70年にはしだいに騰貴速度をゆるめてきた。それにしても10月の前年同期比では3.9%高であって,69年の前年比騰貴率3.4%なお上回っている(第1-21表)。

第1-21表 卸売物価騰貴率

2)原  因

最近の賃金騰責は5%を超えているのに,労働生産性の伸びは鈍い。とくに69年初めに生産性の低下する反面単位生産物当たり賃金は年率5%余りも上昇し,同年下期には賃金の騰責速度が高まったため,生産性上昇速度の回復をもってしても単位生産当たりの賃金を引き下げるには至らなかった。結局過大な賃金引上げが,物価に転嫁されるに至った。68年に締結された従業員1,000人以上の労使労働協約による初年度賃上幅は7.4%,翌69年には9.2%上昇後,70年第1四半期には10.8%(第1-22表)となって,西欧なみに二けたとなった。さらに70年秋のGM労組が13%の賃上げを獲得,それが他労組に波及,71年8月1日には鉄鋼労使の協約更新も予定され,賃金問題は重要な局面にはいりつつある。

第1-22表 協約賃金の上昇年率

なお,70年上期の労使協約賃金の上昇率では産業間軽差が,かなり目立っている。大統領経済諮問委員会′CCEA)調べによると,この期間に締結された賃金は平均13.4%上昇し,製造業では8.3%,非製造業では16.2%もに達し,とくに建設や陸上輸送部門では高く前者の上昇率は17.1%に達した(第1-23表)。

第1-23表 労使協約賃金の上昇

建設業の大幅賃上げは最近,始まったものではなく,1969年すでに製造業のそれを100%上回っていた。原因は労働力不足である。建設業のなかでも技術水準が高く,かつ,労働組織率の高く,閉鎖的労組の多い非住宅建設部門の賃上げ幅が大きかった。

建設業の生産性はこの期間に2%も上がったとはみられないので,CEAは賃上げの大部分は建設費の引上げに転嫁されたとみるべきだとしている。

建設部門の過大な賃上げはやがて今後の設備投資制約要因となり,また,政府の重要視する住宅建築の障害にもなるだけに,対策を要望する声が強い。

3)インフレ対策

ここでとくに1968年以降の物価対策を記述しておこう。68年といえば,まだジョンソン大統領の治下であったが,ガイドポスト方策はすでに放棄されており,もっぱら財政,金融財政による総需要の抑制により,超過需要の削減に重点がおかれた。

a財政措置

b金融措置

財政引締めのタイミングがずれ,また野党に議会の多数派を制された関係もあって,引締めの程度も朝鮮事変当時ほどではなかった。このため,金融にしわ寄せする結果となり,金利は空前の高水準に達した。金融引締め強化の記録をたどればつぎのとおり。

Cインフレ警報

アメリカの物価高がキー・カレンシーとしての地位をあやうくするだけでなく,貿易収支をも悪化させるなどのことから,賃金対策を考慮しなければならない段階になった。しかし,ニクソン大統領は前大統領時代に採用された賃金物価のガイドポストがほとんど効果をあげられなかったのに顧みて,ガイドポスト方式にはよらず,国民に警告することによって,賃金,物価の引上げに節度を保たせようとした。

1970年6月17日,ニクソン大統領は労使に賃上げの抑制を呼びかけ,物価,賃金対策の研究ないしは啓蒙機関として全国生産性委員会を設立すると発表した。

この委員会は生産性の引上げ方法を検討し,賃上げ幅が大きくても,生産性の上昇率を引き上げれば,物価に転嫁せずにすむようにするというものだが,長期的対策としてならともかくも,短期対策としての効果はあまり期待されない。

また同じ日,大統領は,「規制,購入監査委員会」の設立を公表した。この委員会は輸入制限や政府の購入方針によって,物価の騰貴する例やその対策を検討する。国防条項やドル防衛によって編み出された「バイ・アメリカン」(アメリカ製品優先購入法)は,これまで,それなりの意義をもってきただけに,急速に廃止できるかどうかは疑問としなければならない。

このほか大衆啓蒙手段として,大統領経済諮問委員会(CEA)は一定時期ごとに「インフレ警報」を作成し,全国生産性委員会を通じて公表する。

その第1回は8月7出こ発表され,また第2回分が12月1日公表された。

第1回警報は100ページを越える内容をもち統計的分析には委しいけれども,インフレの脅威を警告したものでもない。また,賃金,物価の上昇関係をこまかく分析するところもなかった。むしろ,そのハイライトは最近コスト・インフレを誘発させる産業部門,ゴム,タバコ,運送業についてコストや利潤の上昇を解説したにとどまった。

これによると,70年上期中に卸売物価の騰貴に寄与したのは,農産物および加工品(寄与率16%),工業製品(84%)であり,後者の中でも,金属および金属製品のウエイトは35%と高い。鉄鋼,非鉄(地金)が大幅に上がったからである。

70年6月までの1年間に電力卸売料金は1,8%上昇した。他物価ほどではないとしても,過去数年にはみられないほどの上昇率であった。値上げ理由は燃料油の値上がりであるが,高金利によって,電力債の発行が割高につき,金利負担の上昇が値上げの一因となった。

このほかコスト高を口実とした便乗値上げのあることも否めない。CEA調べによると,70年4,5月中に五大ゴム会社(従業員7万人)で3年間に時間賃金を7~8%引き上げることになった。その主要製品,ゴム,タイヤ,チューブの生産性はマン・アワー当たり1960年代には5.1%上昇したが,70年には新型タイヤへの生産転換や自動車安全問題も加わって,生産性上昇テンポは低下したと思われる。そうした仮定に立ってみると,7.8%の賃上げは,生産単位当たりの賃金コストをおよそ3%引上げたであろう。ところが,労務費はタイヤ,チューブの出荷額の30%にしか当らないので,0.03×0.3-0.009(%)しか単位賃金コストは騰らないはずとCEAは計算する。

賃金コストのほか,原料の騰貴を含めなければ,製品値上げの適正を論じるわけにはゆかない。原材料の生産費に占める比率は比較的高く,約半分とみられる。この割合は最近数カ月間変わらなかった。人造ゴムは事実上,過去数年間安定し,天然ゴムは下落した。にもかかわらずメーカーは乗用車タイヤ,チューブ価格を6~7月中に約5%引き上げた。だが,この値上げは全般的なものではなく,大口需要向けは据え置いた。大口需要は出荷額の3分の1を占めるので,メーカーの総売上げとすれば2%ぐらいしか増加しない。それにしても賃金コストは1%足らずしかふえないのに,5%値上げし売上げの伸びは2%にもなる。だから賃上げによって正当化されるコストの上昇を上回ると,この「インフレ警報」は指摘した。

またCEAの指摘するいま一つの例によると,70年5月,主要タバコ・メーカーはタバコの卸値を0.9%引き上げた。その結果メーカーの収入は7.8%ふえた。原材料の葉タバコは70年に3%値上がりした。このため製造原価は約1%の上昇,労賃による製造原価の騰貴は同じく1%になると思われる。

このほか69年6月にタバコ税が引き上げられているけれども,メーカーの収入は賃上げ分以上になると「インフレ警報」は指摘した。

第2回「インフレ警報」は自動車,燃料,地方交通などの重要分野の価格動向を分析,大幅な賃上げに終わったGMの賃金協約や鉄道賃金の勧告に評価を加えた。前回の警報と異るのは,GMなど企業名をあげて論評し,前回よりも格調が高くなった点であろう。

GMはスト前に71年モデル車の6.2%値上げを発表していたが,スト終了後さらに0.7%の値上げを公表した。1952年以来最大の値上げであるが,「インフレ警報」はこの値上げによって,卸売物価指数は0.3%,消費者物価は0.13%上昇しようと指摘し,また輸入車との競争力が激化している現在,メーカーによって危機だろうと警告した。

また,GMとUAW(合同自動車労組)の賃金協約はエスカレーター条項を除いても3年間平均年率7%の賃上げとなる。このような賃金交渉が経済全体を通じて一般化するようだと,コスト上昇から,ひいては物価の上昇をもたらすであろうとした。

また70年11月9出こ発表された鉄道労働者の賃上げ勧告もまた3年間に年率9%となっており,しかもこの上昇率は6%の消費者物価上昇率が今後も続くと仮定した上で算出されている。6%の騰貴率は過去3カ年の実績よりも高い。このような数字を今後の賃金協約に織り込むのはこの産業のコスト上昇に拍車をかけると警告した。

なお,物価,賃金のガイドポストについては,70年11月以来CED(経済発展協会),民主党有志議員などから実施が要望され,また70年春ごろ,ガイドポストの一時的採用を要望したバーンズ氏は12月7日改めて物価,賃金監視委員会の設置を提案した。しかしニクソン大統領は,12月4日の施政方針演説でも,インフレ抑制目的の直接手段には反対の態度を変えなかった。

4)賃  金

1968,69年には5%を上回る賃金の上昇が続いた(製造業時間賃金)が,70年においても1~9月に5.1%上昇し,前年同期の上昇速度4.1%をかなり上回った。(第24表第1-4図)しかしながら物価の騰貴がはげしいため,実質賃金(週平均賃金)は68年2.3%,69年0.3%上昇の後70年には減少し,10月の水準は前年同月比3.5%減であった。

第1-4図 乎均時間賃金

第1-24表製造業の賃金

マン・アワーあたり生産(季節調整ずみ生産性,民間非農)は68年に前年比2.8%上昇した後,69年には景気停滞によって0.4%の上昇にとどまり70年第1四半期には前期比でも,前年同期比でも1%近く下回ったが,第2四半期にはややもち直した(第1-25表)。

第1-25表 マンアワー当たり生産

賃金の上昇率は前述のように相対的に高かったため,生産性を上回る過大な賃上げが物価に転嫁され,また賃金コストの上昇を口実として,企業利潤をふくらます値上げもあった。製造業の単位生産当たり賃金コストの上昇率は1967~69年の平均4.3%,69年上期の前年比5.6%へ急増した(第1-26表)。

第1-5図 製造業の単位生産当たり賃金コストと卸売物価

第1-26表 製造業の単位生産当たり賃金コスト

これが物価を押し上げる結果になったが,反面,企業利潤を圧迫した。第5図にみられるように工業製品卸売物価指数は68年度までの数年間に単位賃金コストに追い上げられ,その後70年へかけて賃金コストの上昇が工業製品卸売物価指数を上回っている。

(4)財  政

1968年央の10%付加税を中心とする財政引締め強化方向は69年中にも変わらなかった。69年初めに提出されたジョンソン大統領編成にかかわる予算案は4月,ニクソン大統領によって修正され,さらに5月修正されて,63億ドル黒字となり,ジョンソン大統領の原案34億ドルをはるかに上回った。だが,実績は,景気後退による税収減で,黒字予算は逆に29億ドルの赤字に転化した。

1970年2月二クソン大統領の提案した(71年度予算=1970年7月~71年6月)では,歳入を2,021億ドル(当時の推定で前年度比27億ドル増),歳出2,008億ドル(29億ドル増)とし,収支尻では13億ドル黒字(2億ドル減)となる予想であった。歳出の伸びは前年比1.5%にとどまってGNPの伸びを下回るだけでなく,財政のぼう張率としては65年度以来の最低であった。10%の付加税は70年1月から5%に引き下げ7月からは廃止,4月以降は,社会朱障給付を引き上げることとした。しかしその後の改定見通しによって5月には13億ドルの赤字に修正された。その後議会の委員会では赤字幅が100~150・億ドルにふくらむと推定,一方,シュルツ予算局長は10月のビジネス・カウンシルで13億ドルの公式赤字推定は的中する見込みはないと言明した。中間選挙によって支出が削減しがたくなったほか,郵政労働者の賃上げなど,予想外の支出がふえたからである(第1-27表)。

第1-27表 連邦予算

連邦財政はもともとインフレ,国際収支対策として68年以来急速に引き締められ,69年第2四半期に134億ドルの黒字となって,51年第1四半期の,180億ドル50年第4四半期の171億ドル,同第3四半期の164億ドルにつぐ大幅黒字となった。それでもなお物価や国際収支には望ましい効果がみられず,設備投資は増大した。69年第3四半期にも83億ドルの黒字,第4四半期にも,61億ドル黒字となって,財政の引締めは続き,金融引締めと相まって69-70年の景気後退を招来したのであるが,国民所得勘定では70年第1四半期には17億ドル(季節調整,年率)の赤字にかわり,第2四半期には142億ドルの大幅赤字となって,経済刺激を強めた。景気対策のタイミングとすれば,一四半期おくれたといえるであろう(第1-6図)。

第1-6図 連邦政府

(5)金  融

前にもふれたように景気過熱防止対策としての財政引締めがタイミングを失したうえに,まだ不十分であったということもあって,総需要抑制策はもっぱら金融政策の負担となった。69年4月に公定歩合は5.5%から0.5%引上げられて6%となり,1929年以来の最高に達した。同時に預金準備率も1年3カ月ぶりに引き上げられた。このためTB(財務省証券)3カ月もの利回りは急速に騰貴し,7月には7%台に達したが,それでもなお活発な設備投資は余りゆるむ気配をみせず,インフレはさらに高進した(第1-7図)。

第1-7図金利動向

そこで公開市場操作その他によって通貨の供給が締められ供給量の増加速度は70年第2四半期の前期比4.4%(年率,季節調整値)から第3四半期の±0におさえた。これが財政引締めと重なったため,工業生産指数では69年8月,GNP(1958年価格)では第4四半期以来減少に変わり,工場,設備投資は第3四半期の前期比5.3%増から第4四半期の±0(いずれも季節調整値時価)へ急減した。

けれども物価の騰貴は持続というよりも,むしろ加速する時期さえあった。

なお金融引締めの裏をかくためのユーロダラー取入れは急増を続け,69年9月末に143億ドルとなって年初以来83億ドル増となっていた。そこで前にも指摘したように10月にはいって取入れが規制され,また同じ月にはコマーシヤル・ペーパーに6.25%の金利制限規則を適用して,銀行の資金取入れを抑えた(第1-28表)。

第1-28表 ユーロダラー取入高

だが,景気後退の気配が強くなった69年第4四半期にも,通貨の供給量はあまりふえず(1.2%増),70年にはいって,1月には年率9.0%も急増後,2月には,10.8%も激減するといった変動をみせた。

2月10日の連邦公開市場委員会は「今後数カ月間の通貨,銀行信用のゆるやかな増加を刺激するため」漸進的に金融事情を緩和する決定を行ない,ここに67年11月の公定歩合引上げに始まる高金利政策は実質的に終了した。とはいえ景気過熱現象はなお進行を続けたので,急速な金融緩和は進行せず,公定歩合の引下げは11月11日まで待たねばならなかった。

公定歩合は下がらなくても,通貨供給の増大により,実質的な金融引締め緩和は3月以来進行し,金利は1月をピークにしだいに下げていた。2月に前月比年率10.8%減った通貨供給量は3月には急増して13.2%と記録的な速度となった。その後第2四半期には平均4.1%,第3四半期5.1%と増加テンポを高めていた。もっとも10月には微減した。GMストにもよることながら11月には再び伸び始めた。

このように供給量は増大する反面,資金需要もゆるんだので,金利は70年1月を今回の引締め期間における最高として,しだいに下落した。TBレート(3カ月もの)で示すと,69年7月7%台に達したのち,70年1月には8%台に迫り,その後下落して3月には7%台を割り,5,6月一時上昇したものの7~10月と下落を続け,9月央以降公定歩合の6%を割る週もあった。

一流商業手形もまたほぼ同様の動きをみせた。これに対し社債金利は70年央すぎまで上昇,グレードの落ちるBaa債だと,8月の9.44%が今回の引締期中のピークとなった。これは設備投資の増大から長期資金需要が強かったことのほか,長期資金を借りて,短期負債を整理するための需要も強かったためと考えられる。

なお,市中金利の実勢を反映して,大銀行のプライム・レートは70年3月25日にこれまでの最高8.5%から8%に引き下げられたのち,9月21日にはさらに0.5%引き下げられ,7.5%,11月12日には7.25%,23日には7%まで引下げられた。

なお,70年6月23には預金額10万ドル以上,期間30~89日の定期預金については,一時レギュレーションQの適用を停止した。これまでの規定では30~59日もの6.25%,60~89日もの6.5%に金利の上限を規定されていたが,これが廃止されることによって,銀行はこれまでの制限金利ではえられなかった資金を入手できるほかコマーシャル・ペーパー増発による信用危機の発生を防止する役にもたった。

この制限金利撤回に先立つ数日前,ペン・セントラル鉄道の破産があり,このほか6月中にはフオーア・シーズンズ・ナーシング・センターズ・オブ・アメリカ,ヘンリー・ローゼンフオルド(ドレス.メーカー),ミロ・エレクトロニクスなどの大企業または著名企業の倒産が相次ぎ,その一因が金融のひっ迫とコマーシヤル・ペーパーの過大な利用にあった。そこで無担保で発行されるコマーシヤル・ペーパーの市場をおさえて,これまでこれを購入した企業や投資家の資金を銀行預金にふり向けさせ,銀行を通じる金融ルートに資金を乗せて,信用恐慌を防止しようとした。

(b)貿易収支

経済活動の停滞を反映して,輸入の伸びが弱まり,他方輸出はやや伸びて,69年暮ごろから貿易収支はかなり改善,70年1~10月の黒字は25.9億ドルとなり,すでに69年いっぱいの黒字13億ドルを越えたばかりでなく,商務省が70年7月に発表した25億ドル黒字目標をも上回った。もっとも黒字幅は季節差調整後70年第1四半期の5.9億ドルから第2四半期の10億ドルにふえたのち,第3四半期は8.2億ドルに減少して,景気回復に伴う貿易収支尻の悪化が懸念されている。

1~9月の輸出増に寄与した商品は鉄鋼,スクラツプ,石炭,機械,化学品,航空機であり,農産物では大豆,小麦,綿花であった。一方,輸入品でふえた主要商品としては乗用車,くつ,衣服,ラジオ,テレビ・セットの消費者財のほか,機械,工業原材料とくに石油製品,繊維,鉄鉱石などがあげられる。

なお,今回の景気下降段階では,諸外国の恐れた輸入の減少は起きなかった。

1970年上期の季節調整済み輸出金額を地域別に前期と比べると,日本,イギリス,EEC向けが大幅に伸び,有力な輸出先カナダ向けが減少した。これはカナダ経済の停滞にもよることながら,アメリカの乗用車需要が弱いため,カナダ向け自動車部品輸出が思わしくなかったからでもある(第1-29表)。

第1-29表 地域別貿易

他方,輸入では中南米,日本からの増加率が高く,EEC,イギリスからの輸入増加はそれぞれ4.1%,2.3%にとどまった。

輸出価格は69年下期に前期比3%,70年上期にはさらに3.3%上げ,相対的に高かった。農産物,非鉄金属も上がったが,紙,厚紙,事務用機械,一般機械はとくに大幅な騰貴をみせた。

(6)国際収支

強度の引締めにもかかわらず,国際収支はあまり好転しなかった。引締め効果は69年上期から下期へかけての貿易収支に現われ,黒字は上期の1.6億ドル(季節調整値,通関)から下期の10.9億ドルとなり,さらに70年第1四半期には5.9億ドル,第2四半期10億ドルと著しく好転した。こうしてサービスを含む経常収支尻もまた好転したが(第1-8図)資本収支の悪化によって,総合収支尻(流動性ベース)は,さほど好転せず,70年上期の赤字は合計25.8億ドル(季節調整値)となった(第1-30表)。

第1-8図 国際収支

第1-30表国際収支

SDRの配分を除けば30.2億ドルの赤字になる。これは69年下期の18.6億ドルに比べ大幅な悪化になる。ただし69年下期にはドル防衛措置により企業の直接投資が一時抑制されるか,あるいは引き揚げられたために前期比5億ドルも減少し,またヨーロッパ人の長期対米投資(主として証券投資)が前期比13.2億ドルも増大するという特殊要因があった。

70年第3四半期の流動性ベースによる赤字は6億8,000万ドル(季節調整済)となり,前期比5.2億ドルの好転であった。

70年1~9月の赤字は政府の特殊取引やユーロダラー市場関係の資金流出を除去して約40億ドルであり,前年同期よりも5億ドル減少した。しかし今後さらに改善努力を続けない以上,諸外国からの改善要求はしだいに高まるだろう。

1968年春のドル不安のあと,国際通貨市場は平静を取りもどし,今日までのところドル不安らしいものも発生しなかった。その一因はアメリカの国債発行による諸外国からの過剰ドルの吸収,69年中のユーロダラー大量取入れにより,諸外国中央銀行の保有するドルが相対的に減少しニューヨーク連邦準備において金を購入する意欲を強めなかったからでもある。

だが,アメリカの金融引締めがゆるみ,70年1-10月にはすでに30億ドルのユーロダラーがヨーロッパに返還された。11月のアメリカ公定歩合の引下げがアメリカの金利を相対的に引き下げると,ユーロダラーの返還が加速される恐れもある。このため12月1日からの公定歩合引下げに際してユーロダラーの預金準備率非適用基準を69年5月28日までの4週間平均か,預金総額の3%かのいずれが高い方という旧計算方法を変更して,70年11月25日までの4週間平均か,預金総額の1%か,いずれか高い方にし,これを越えるものについては預金準備率を10%から20%へ引き上げた。ユーロダラーの急激な返還を防ぐためであった。

国際収支の大幅赤字がなお今後永らく持続するようだと,SDR(IMF特別引出権)の第2回配分(1973年1月)にも影響するだろう。SDRは米英の国際収支が均衡するか,それに近いところまで改善されることをSDR配分の前提条件としているからである。

3. 1971年の経済見通し

1970年下期に回復を予想されたアメリカ経済は,9月央に始まるGMストによって期待はずれとなり,本格的回復は71年にもち越されそうである。

回復の主導力となるのは今回も個人消費と場合によっては財政支出や在庫蓄積もこれに加えられそうである。

消費者動向を示唆するミシガン大学サーベイ・リサーチ・センターの消費者態度指数は,70年第2四半期の調査結果を底として,回復に向かいかけ,商務省のセンサス・ビューロー調査でもまたいくらかの好転が認められるが,まだ大幅に好転したわけではない。

ミシガン大学調査の結果は,1966年第1四半期を100として,69年第1四半期の95.1から70年第1四半期の78.1%,第2四半期の75.4%に下がり,最低を記録したが,第3四半期には77.1%(いずれも季節調整値)までもち直した。

一方,1970年10月に調査されたセンサス・ビューローの新車購入指数は,1967年=100として103.8となり,前年同期の103.1をやや上回ったが,前回調査(7月)の105.8に比べればむしろ減少している。住宅購入予定は70年10月に95.6で,前年同期の96.7をまだ下回っているが,7月調査の92.9よりは好転した。一年前に比べ新車は好転した反面,住宅は下回るどいった状態であって,消費者態度が好転するまでには,まだ時間がかかりそうである。

このように,消費者がいまなお慎重な態度をとっているのは,調査当時の世帯所得が1年前よりも減少しているからである。同じセンサス・ビューロー調査によると回答者の13.6%は前年よりも所得が減少したとし,同じ所得減少を報告した比率は前回調査の13%,69年10月の11.1%を上回っている。

ところで,70年11月の中間選挙に敗れたニクソン大統領は,72年末までに失業率を4%まで引き下げるため,財政刺激を加え,一方金融当局もまた通貨供給量の増加方針を再確認したもようである。伝えられるところによれば,72年度の歳出は2,300億ないし2,350億ドルともいわれ,71年度を300億ドルも上回るもようである。このような刺激によって70年第2四半期から72年第2四半期までの年平均成長率を6%に引き上げようとするCEAスタイン委員の構想もある。

一方,需要面では71年初めにはGMの喪われた生産の回復のほか,鉄鋼スト・ヘツジの鉄鋼備蓄が加わって,景気局面は本格的に好転するだろう。

下期になると,鉄鋼ストまたはスト・ヘツジ在庫の取りくずしが生産の上昇をはばむ恐れもある。下期の活動水準を決定するのは,いわゆる完全雇用予算や金融政策の動きであろう。

財政・金融の緩和は住宅建築や設備投資を促進するだろう。70年第3四半期の民間住宅着工戸数150万戸は前年同期水準よりも高く,68年同期に2%及ばないだけであって,水準はかなり高い。12月4日の大統領施政演説は住宅建築の促進を約束した。設備投資はピエル・リンフレツト社(コンサルタント)予想では71年に8%増,マクグロー・ヒル社では2%増で,商務省調べでは70年上期の年率で,70年比2%増でかなりのひらきがあるが,発表時点がより新しく,かつ知名度の高い商務省の調査結果を70年の前年比増加予測率6.6%に比べると,いちじるしい増勢鈍化であり,実質的に経済活動を上昇させる力に乏しい。もっともこの予測調査は,まだ11月の政策転換発表前のものだけに多少の好転は期待できるだろう。

だが,財政・金融面の同期的緩和は成長を促進する反面,インフレを助長する恐れがある。インフレ対策はその効果を十分発揮することなく,中途にして政策転換するのであるから,マクラケンCEA委員長の指摘するように,「インフレとの戦いは困難な局面,種々の点においては,より困難な局面にはいりつつある」。また,もしインフレ下の高成長を続けるようであれば,ヨーロッパ方面からの批判も高まるであろうし,異例な刺激予算となるようなら民主党の支配する議会の抵抗も予想されよう。

OECD見通しによれば,71年の成長は4%(70年の予測値は0.25%減)であり,全米統計協会やビジネス・カウンシルでは2.5~4%,イギリスの経済社会研究所(NIESR)では2.7%の成長を見込んでいる。

これらよりも,より最近の発表であるペンシルバニア大学ワートソン・スクールの経済モデルによれば,71年上期7.5%,71年全体で7%であって,かなり高く,70年央までに完全雇用を実現するために必要な年平均6%の成長速度を上回っている。

かりに高成長への政策転換が実現しても,物価や国際収支面からの制約もあるので,71年の成長率を7%まで引き上げるのは困難であろう。


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