昭和45年
年次世界経済報告
新たな発展のための条件
昭和45年12月18日
経済企画庁
1970年は先進諸国の経済活動が相前後して鈍化するなかで,インフレが根強く進行するというきわだった特色をもつ年となった。
まず景気局面についてみれば,アメリカが前年末来の景気後退底入れを終り第2四半期以降回復過程に入ったもののストの影響なども加わりはかばかしい動きをみせぬまま年を終ろうとしており,イギリス,イタリアなども停滞から回復せぬまま,この年をすごすこととなった。また上半期中活況を呈してきた西ドイツ,フランスをはじめとする欧大陸諸国ならびにわが国などは下半期に入るとともにようやく需給緩和の兆候をみせはじめている。この.ように時期的ずれはあったものの先進諸国の経済活動が鈍化するに至ったのは,いうまでもなくここ数年来のインフレ抑制のためにとられた引締め政策の結果といえよう。
しかし少なくともこの1年をみる限りインフレ抑制効果はあまりみられず,むしろ物価上昇のテンポを早めさえした国が多かった。とくに米英両国にみられた景気後退下のインフレ進行というかつてあまり経験したことのない現象がみられたのは注目されていいであろう。
ではこのような世界経済は4後どのように推移するのであろうか。その第1の焦点はアメリカの回復過程の姿いかんである。アメリカ景気は回復過程に入ったとはいえ,従来の回復期のごとく直線的に上昇局面に進むというのではなく,現在一進一退の横ばい状態をつづけている。この傾向はおそらく70年いっぱいつづき,本格的な回復過程に入るのは71年になってからであろう。しかもおそらく,その上昇過程もGMストの反動という一時的要因を除けばゆるやかなものになると思われる。それは一つには,今回の景気後退それ自身がゆるやかであったということ,すなわち後退期間も短かく後退幅も小さかったということに起因する。過去の景気後退回復パターンから類推すれば,ゆるやかな後退であったが故に,回復もまたゆるやかであろうということである。また個別に各種の条件を検討してみてもそのような姿をえがく可能性が強いと思われる。さきにみたごとく個人消費や建築需要は根強いも.のがあるが,在庫投資,設備投資,政府支出などに浮揚力が余り期待されない。しかも物価動向からみれば,インフレ抑制の必要が消えたわけでなく,ここで強力な景気振興策もとりえないからである。71年にアメリカ景気が本格的な上昇に向うことはほぼ間違いあるまいが,だからといって60年代後半にみられたような活気ある局面を迎えるということにはなるまい。
つぎに西欧諸国の景気の先行きが問題となろう。イギリス,イタリア両国.は,国際収支,物価の両面から強力な景気対策をとりえず,経済自体の中にも自律反転を招来するほどの要素が見当らない。ここ当分いぜんさえないままに推移することとなろう。問題は西ドイツ,フランスの動向である。この両国は,平価調整が一応の成果をあげ,国際収支上かなりの好結果をもたらしている。しかし西ドイツでは年の半ばから過熱の中で漸次的な需給緩和がみられ,フランスでも需給のひきゆるみがかなり明確化してきている。このまま推移すれば71年に入ってからの成長鈍化はさけられない。しかもこの両国ともまだインフレ抑制には成功していないのである。
以上総じみれば,71年の先進国経済はアメリカ経済が徐々に好転し,それと入れかわりに西欧諸国の景気が停滞的となっていくであろうということである。69年から70年にかけては,アメリカの後退にもかかわらず西欧の好況持続により世界経済全体としては相応の成長をふることができた。これと対照的に70年から71年にかけては西欧の後退をアメリカの回復が埋め合わせるという形で全体としては落ちこみないし停滞化を回避することができるのではないかと思われる。しかし先進諸国共通のなやみであるインフレはいぜん解決することなくジリ.ジリと進行していくのではないだろうか。
なお,アメリカの景気後退と関連して同国の輸入制限運動が表面化したことも注目される動きであった。すなわちアメリカでは,景気後退にもかかわらず輸入がほとんど減少しなかったが,これには同国の国際競争力低下も大きな要因となっており,このため保護貿易主義がにわかに拾頭してきたのである。アメリカが世界経済に占める地位にもかんがみ,その連鎖反応を考えると,従来自由化の進展,国際交流の積極化を軸に進展してきた世界経済の今後の健全な発展にとって大きな障害となるものであり,我国としても一層の自由化の促進をはかるとともにその動向には十分注意して′いく必要があろう。
1960年代の世界経済は,技術革新を中核に,かつてない大きな成長をとげた。これが所得一消費水準を著しく高め,その内容を高度化し多様化したことは高度成長の何よりの成果であろう。この点は,高く評価しておかなければならない。
このような高度成長は70年代もまたつづくであろう。なぜなら一方で60年代の高度成長は著しい成果をもたらしたとはいえ,発展途上国はもとより,先進国においても貧困の問題が解決したわけではなく,その解決のためには富の再配分だけではなく,原資の拡大をなお必要とするという認識が強く,主要国の70年代の目標はいぜんここにおかれており,他方すでに軌道に乗った技術革新,消費革命はここでとめようにもとまらぬほどの勢いをもって走っているからである。ちなみに70年代の成長率は先進国,発展途上国を通じ60年代のそれをさらに上回るほどのものが計画され,見込まれているのである。
しかし,とくに先進国において70年代も同じような態度で高成長をつづけていくことが果して適切であろうか。すでに指摘したごとく,60年代の高度成長は,所得,消費の著しい向上をもたらしたが,それにもかかわらず,人々の不安,不満は解消していない。いなむしろ高まる傾向さえある。それが単なる心情的なものだけでなく,経済的,社会的意味をもつものならばこれを無視しさるわけにはいくまい。多くの国の70年代の政策目標が単なる成長第1主義を反省し,成長とともに経済面での他の問題への配慮はもとより社会的側面をも重視した総合的なものになりつつあるのは,こうした情勢の変化にもとづくものであろう。60年代の高度成長は,その速度が早かったため,対策のおくれ,制度,慣習,意識の適応のおくれなどもあって,多くの問題が発生した。これらは,今後調和ある発展をとげていくために解決していかなければならない課題である。われわれは,そのなかで,世界経済的にみてとくに重婁と思われるもの3つをとりあげて検討してきた。その①はインフレであり,②は生活環境の悪化であり,そして③はいぜん拡大をつづける南北格差の問題である。
60年代のインフレは時の移りとともに加速化してきた。そしてそれはまた国際化時代の急進展とともに各国間に急速に波及しやすくなってきており,さらに完全雇用に近づくにつれて賃金コスト面からの圧力をますます大きくしてきているという特色をもつ。このようなインフレの影響は,対内的にも対外的にも決して小さいものではない。しかも経済的影響にとどまらず政治的にも社会的にも影響するところが大きい。このため各国は,早くからインフレ対策をとっており,最近ではそれも多様化してきているが,現在までのところ必らずしも十分な成果をあげていないのが実情であり,むしろ解決のむづかしさが改めて認識されているのである。
60年代における完全雇用下の成長では,ほとんどの国がある程度の物価上昇を経験してきた。しかしそれが程度をこえたものとなり,賃金,物価の循環的上昇が定着するようなことになれば,その影響は深刻なものとなろう。
したがってこの際,物価抑制策をますます拡充強化する必要はいうまでもないが,同時に物価上昇の影響を緩和することについても配慮していく必要があろう。
なお,前述のごとく最近のインフレが国際的なものとなってきているのでその対応策もまた一国のみでは限界がみえてきている。したがって今後のインフレ対策は,国際的な協力のもとに実施していく必要があり,その方策が真剣に検討されねばならない時代になってきていることも見逃してはならないであろう。
つぎに公害を中心とする環境問題であるが,これは技術革新を中核とし,消費革命を伴った高度成長のなかから,対策のおくれもあって発生してきたことはすでにみたとおりである。この公害問題は直接的に人間の生命および健康を脅かすものであり,これを解消することが一刻も早く望まれるのは当然のことである。しかもこの問題はいまや長期的観点からすれば経済発展を阻害する要因にさえなりつつある。その意味からもこの問題は解決を迫られているのである。
公害はすぐれて社会的,政治的,生態学的問題であるが同時に経済的問題であることも忘れてはならない。
その重要な意味の一つは従来自由財と考えられていた大気や水などの自然資源が経済的価値をもつに至ったということである。いいかえれば環境が生産要素となってきたということである。したがって今後の経済発展は,かかる生産要素に対する社会的費用も含めて資源の最適配分を行なうという観点から考えていかねばならないということである。
経済的側面からいえばこのような観点から公害対策が進められることとなろうが,公害はいまや狭い地域内の問題にとどまらず,国際的規模をもつまでに拡大してきている。そうした意味でこの問題解決のためには国際的協力が必要とされ,そうした方向に進みつつある。
第3は南北問題である。60年代の発展途上国の成長は,決して低すぎるものではなかったが,先進国の成長も高く南北間格差は一向に縮小しなかった。南北問題はひきつづき70年代にも世界経済の大きな問題として残るであろう。しかしこの問題は永久に解決しえぬものでは決してない。解決の端緒は60年代の発展途上国の成長のうちにすでに芽生えている。これらの国のうち60年代に先進国を上回る成長率を実現し,経済的離陸がほぼ成功したとみられるものがいくつか現われたのである。われわれは,これらの要因について検討してきた。それによると少なくとも経済的には自国の労働力の量と質に応じた開発戦略をもって努力した国が成功している。
しかしこれに対し高成長への契機をつかめず,いぜん低所得,低成長のままとり残されている国も数多い。
世界の調和ある発展のためにはこれら低成長の国々を高成長路線に乗せる必要があることはいうまでもない。そのためにはなおしばらく先進国の大幅な協力,援助を要しようが,その際高成長を実現した国々の前例は先進国にも低成長発展途上国にも多くの示唆を与えるであろう。
× × ×以上にみた問題はいずれもその解決への道が決して平坦ではない。しかもそのいずれもが国際的規模での解決を要請されているのであり,とくに先進国の責任と役割が大きく問われている。わが国はいまや経済力の充実に応じ国際的分野で果す役割がますます高まりつつある。このことを自覚し先進国の一員として,世界のこの要請に応えていくことが必要であろう。