昭和44年
年次世界経済報告
国際交流の高度化と1970年代の課題
昭和44年12月2日
経済企画庁
1968年から69年にかけてソ連経済は伸び悩みの傾向を強めてきた。68年を通じて拡大テンポを緩めた工業生産は,69年に入って年初の異常な寒気で著しい打撃を受け,その後伸びは多少回復を示したものの,まだ69年年次計画のテンポには達していない。またやや安定化の傾向をみせてきた農業も,69年には天候の不順で逆転するかも測り難い。
こうした気象条件が69年のソ連経済に打撃を与えたが,さらにソ連をめぐる国際情勢の緊張も軍事支出の増大その他直接間接の影響を与えていることは,いうまでもあるまい。このようなソ連経済の現状を,まず68~69年の主要経済指標からみよう(第75表参照,ただしソ連の公表する経済指標は,その内容と算定方法が西側諸国のそれと異るので,両者を直接比較できない)。
68年に工業生産は,第1四半期から第3四半期まで漸次伸び率が鈍化したが,第4四半期にやや回復して,年間では総生産額(エネルギー部門を含む鉱工業の企業別生産総額の集計)が8.1%増と計画目標に達した。しかし従来工業生産は計画を超過達成することがほとんど常態となっていたことから考えると,68年の実績は必ずしも好調だったとはいえないし,また5ヵ年計画の平均増産テンポ(8.9%)をもかなり下回った。他方農業部門では,穀物生産が前年を大幅に上回るほどの豊作となり,その他の農畜産も上昇を続けたにもかかわらず,68年の総生産額の伸びは3.6%と,計画の7.4%を下回った。
このような工業および農業生産の状況のもとで,国民所得(物的生産と直接関連のないサービス部門を除く物的純生産)の成長率は7.5%と,67年の成長率を1.1ポイントも下回ったものの,68年計画6.8%をかなり超過達成した。工業部門が計画どおり,農業部門が計画未達成であったのに,国民所得の成長率が計画を上回ったのは,建設部門と商業その他の流通部門の伸びが計画をかなり超過したからであると思われる。このことは,第75表に示した固定投資総額と小売売上高の68年実績からもわかる。
このように,68年における計画を上回る経済成長に大きく寄与したのは工業,農業以外の諸部門であって,工業や農業の68年実績は好調だったとはいえない。ところが,69年に入って工業はさらに伸び悩みの傾向を強くした。
さきにも述べたように,69年はじめの異常な寒気で著しい打撃を受け,第1書の推計によれば66年の国民総生産は3,570億ドル(国民1人当り1,532ドル)で,工業生産年平均増加率は61~65年が7.6%,66~67年が7.4%となっている。
四半期には前年同期に比べ6%増にとどまった。第2四半期には前年同期比7.8%増とかなりの回復をみせたが,その後の伸びははかばかしくなく,1~9月では前年同期比7%増で,年間計画に予定された7.3%という拡大テンポには達していない。
つぎに,農業についてみると,まだほとんど実績の発表はないが,年初の気象条件からすれば,とうてい豊作とは考えられない。西側の観測では,穀物は平年作が見込まれるとされているが,68年の豊作に比べればかなりの減収は免れないであろう。また畜産部門も一部にかなりの打撃を受けており,畜産の大幅な拡大は期し難い。したがって69年の農業総生産は,年次計画に予定された6.1%増を達成しうる可能性は少いとみられる。
さらに運輸,建設などの経済部門の実績も好調とはいえない。運輸では,全貨物輸送量をみると,第1四半期には前年同期を下回ったようで,第2四半期に前年同期比4%増となって,上期全体でようやく前年同期を2%上回ることができた。しかし過去の増加率(前年比で67年が7%,68年が9%)に比べると,69年の運輸部門の不調はほぼ明らかである。
また建設部門も固定投資の状況からみて,不振のようである。すなわち69年上期の実績によれば,国家計画の枠内の固定投資(中央の国家機関が決定,計画化する,いわゆる国家集中投資で固定投資総額の70%余を占め,国民経済的に重要な新規建設,大規模な拡張,改造のための建設事業に向けられる)は209億ルーブルで,年間計画の466ルーブルの約45%に達した。しかし国家投資総額(前記の集中投資のほかに,企業が自主的に決定,計画化する「非集中投資」を含む)は68年上期に比べ4%増,国家計画投資による生産能力の新規稼動は同じく3%増に過ぎなかった。以上は国家投資だけに関する実績であって,投資総額(国家投資のほか協同組合およびコルホーズの投資,個人の住宅投資を含む)についてはまだ発表がないが,その状況はほぼ推測される。少くとも上期に発表されたデータでは建設部門の不振は否定しえない事実である。
このように,69年における生産,建設,運輸の実績は,近年まれにみる不調を示している。これとは対照的に,小売売上高(売上高が総額の3%余を占め,農産物の自由価格販売を行うコルホーズ市場の取引額を除いた国営および協同組合商業の売上高)は,67年以来多少伸びが鈍化しているものの,69年上期にもかなりの増大を示し,年間計画の増大テンポを上回っている。
また日常生活用サービスの提供も年に17~18%ずつ伸びている。
しかし,このような小売売上高,サービス提供の増大も国民の消費購買力の増加には追付いていないようである。第75表に示すように,国民1人当りの実質個人所得の増加はそれほど大幅ではないし,67年以来増加テンポが目立って低下している。また賃金の上昇も,労働者と職員の平均で,67年の4%から68年の7.5%に拡大したが,これは最低賃金の引上げ,極東およびヨーロッパ地域北部在勤者に対する追加額の支給,機械・金属加工工業における賃率の引上げなどが重なったためで,69年上期には,建設関係の賃上げがあったにもかかわらず,平均賃金は前年同期比4%の上昇にとどまった。
こうした個人所得ないし平均賃金の伸びからみると,消費購買力はそれほど増大しているとは考えられないのであるが,消費財の供給やサービス提供はなお十分ではないようである。68年には毛織物,衣類,靴,建設資材,一部の耐久消費財の供給が不十分だと報告されたし,69年に入ってからも上期に肉類,植物油,野菜,果物などの食料品の売上高は前年同期を下回った。
消費購買力に比べて相対的に消費財とサービスの供給が不足している結果,余剰の購買余力は個人貯蓄となって現われている。国家貯金局などの個人預金の残高は,67年に17%,さらに68年には20.4%も増加し,69年にも上期だけで8.7%増した。
消費需要はこのように供給を上回っているのであるが,消費者物価は公定価格制のもとで固定されている。67年に卸売価格の方は,利潤原則の導入を中心とする経済改革の一環として,赤字部門の解消と収益性の保障のため重工業製品につき総合して15%引上げられた。しかし消費財については重工業品の値上げからくるコストの上昇は間接消費税の一種である取引税の減額によって吸収され,卸売価格,小売価格とも据置かれた。こうした状況のもとで,いわゆる「物的刺激」のため賃金増額や農民所得の引上げなど貨幣所得増加の諸政策がとられているので,これに対応する消費財の増産とサービス業の拡充が必要なわけである。
いずれにせよ,問題を含みながらも,小売売上高は顕著な伸びを示しているが,これがほとんどただ一つの例外で,他の諸指標は,前述のように,いずれも不調に終っている。しかもその程度は,戦時を除いては,ソ連の経済史上その比をみないといっても過言ではないであろう。では,この状況を生んだ要因はなにか。もちろん,前述の酷寒が生産,建設,運輸などほとんどすべての経済部門に被害を与えたことはいうまでもない。しかし,果してそれだけであろうか。ここで想起されるのは,68年から69年にかけてソ連の対外関係が異常な緊張状態に陥ったことである。すなわち,チェコ事件,中ソ国境紛争,中東問題,アメリカとの核兵器競争などがそれである。これらはいずれも直接の軍事行動かあるいは軍備の拡充を伴っており,多額の軍事支出を必要としている。
ところで,ソ連の国防予算は64~65年と年々削減されたあと,66年以来増加を続けている。その前年比の増加率は67年の8.2%に続いて,68年には15.2%と著しく大幅となり,69年にもさらに6%となっている。しかもこれは予算に計上されたものであって,実際の軍事支出が恐らくこれを大きく上回ったことは,軍事行動や軍備拡充に関して伝えられる規模からいっても,容易に推測される。
68~69年の軍事支出の著増が経済全体に強い圧力を加えていることはいうまでもない。すでに,68年度国家予算では軍事費の著増が決定されると同時に,5ヵ年計画の投資額が,農業関係を中心に削減されたことからも明らかなように,軍事支出はまず資金面で投資その他の費目を圧迫した。さらに実体面でも軍事生産や軍事建設は軍事以外の生産や建設に影響を及ぼした。とくに近年の建設事業の立後れの原因となっている建設資材の不足は軍事建設の盛行によるものと思われるが,この建設の不振は経済全体に作用し,工業生産の伸び悩みとなって現われているといえる。
この傾向は69年に入ってますます強まったようである。さきに述べたように,この年の初めの冬の悪天候が生産,建設,運輸に被害を及ぼしたことはもちろんである。それは第1四半期の生産事情にはっきり現われている。しかし第2四半期以降の回復がはかばかしくなく,容易に立後れを取戻していないことは軍事関係の生産,建設,輸送の影響によるものと思われる。
69年になって,とくに目立つのは運輸部門の動きである。さきにあげた貨物輸送量の指標からもわかるように,輸送の伸びはきわめて小幅である。しかも他方では鉄道輸送のひっ迫(68年12月の最高会議における国家計画委員会の当局者の報告,69年9月6日付プラウダ社説)やトラックの有効利用の必要性(69年7月23日付プラウダ)が伝えられる。このことは,軍事関係の輸送が輸送力に対する大きな負担となっていることを示すものとみて恐らく誤りないであろう。
このように,軍事支出の著増は資源配分の問題をますます緊迫化させている。すなわち,軍事支出と民需経常支出,投資と個人消費の間にいかに資源を配分するかの問題である。いま,その手がかりとして国民所得の項目別の支出配分をみると,第76表に示すとおりである。それによると,個人消費と民間サービスは一貫してかなりの伸びを示し,第8次5ヵ年計画(1966~70年)における国民生活の重視の政策を反映しているが,他方で固定投資のうち,いわゆる「生産的」すなわち物的生産部面の固定投資は67年から増加率が著しく低下し,さらに「非生産的」(ソ連の定義によれば,教育,学術,保健,住宅,旅客輸送,民間用通信,公共および協同組合管理,信用,保健)の固定資産の増加は,67年に比べ68年には大幅に縮小した。これに反して,物的流動資産と予備の増加の項目は,67~68年と著しく拡大している。この増加は,67年に前述の卸売価格の引上げに伴って名目的増加もあって在庫が20%増,したことによるところが大きかったかも知れないが,68年にはまさに軍事関係の「予備」の蓄積が大きな部分を占めたと思われる。
この傾向は69年に入ってさらに強まったとみられる。それは,さきにあげた,国家固定投資と個人消費を反映する小売売上高の動きからもわかる。とくに注目されることは,投資ばかりでなく,個人消費を示す小売売上高の伸びがやや鈍化していることである。このことは,軍事支出の増加が最も競合関係の深い固定投資のみならず,5ヵ年計画の重点施策の一つとなっている国民生活部面にも次第に圧迫を加えてきたことを示すものであろう。
以上のように,軍事支出が国民経済にほとんど耐え難い重圧となってきたことが,69年10月ごろからソ連の対外融和の兆候が現われはじめた一因とみられる。すなわち,その兆候は中ソ会談の開始,チェコスロバキア情勢の「正常化」のための経済援助の意向,西ドイツの新政府に対する柔軟な態度,全欧安全保障会議開催の提案,米ソ戦略兵器制限交渉の推進など枚挙にいとまない。この対外融和策によって軍事支出の負担が軽減され,国民経済の緊張が緩和されるかどうかは1970年のソ連経済に与えられた課題といえよう。
68年から69年にかけてソ連経済における資源配分の問題が緊迫化したことは,工業の動向にも現われている。
さきにもみたように,68年の工業生産は計画どおりの伸びを示したのであるが,67年に比べるとその伸び率はかなり低かった。部門別では,第77表に示すように,エネルギー部門を除いて,いずれも伸び率が鈍化した。このような全面的な増勢の鈍化は,個々の部分的な隘路によって生じたものではなく,過去数年にわたる大規模建設投資の不振と立後れが累積的な効果を及ぼしたためであるとみられる。それだけに生産の増勢の立直しは困難になっていたのである。
ところで,工業生産を生産財生産部門と消費財生産部門に分けてみると,前掲の第75表にみるように消費財生産を重視するという5ヵ年計画の基本方針に従って,68年の計画では生産財生産の伸びより消費財生産の伸びが高く決められていた。これはソ連の経済計画としてはごくまれなことなのであるが,68年の実績ではこの方針は一応達成された。しかし,その達成度は十分ではない。すなわち,生産財生産は計画をわずかながら上回ったのに対し,消費財部門は計画をかなり下回った。これを,いわゆる重工業優先度係数(生産財生産の伸び率/消費財生産の伸び率)でみると,計画が0.92であるのに,実績は0.96で,それだけ消費財生産の比重は計画より小さかったわけである。なお,69年計画では重工業優先度係数は68年実績と同じ0.96となっている。これからもわかるように,68年計画に示された消費財生産重視の方針は,その後幾分か後退しているのである。
この後退が軍事生産によるものかどうかは速断はできないが,少くともある程度の影響を受けているとみても誤りはないであろう。軍事生産の影響をかなり明瞭にみることができるのは,機械・金属加工工業の内部における軍需と民需の関係である。アメリカの議会の上下両院合同経済委員会の報告書(Soviet Economic Performance:1966~67)の推定によると,すでに,66~67年にも軍事生産の拡大によって民需用機械(軍需にも向けられる電子工業製品を含めても)の生産増加率が61~65年平均の11.3%に比べ2ヵ年平均で9.8%に低下したといわれる。68年には国防予算の増加テンポが著しく拡大したことからすれば,民需用機械の増産率はさらに低下したものとみられる。これはソ連で公表される個々の民需用機械のうちで,増産率の低下あるいは前年比減産を示す品目が多くなっていることからも裏付けることができる。すなわち,比較可能な20品目のうちで,68年には増産率の低下が9品目,減産が77品目,さらに69年(1~9月)には前者が7品目,後者が6品目となっている。このように,軍事生産が一般民需用機械生産を圧迫しつつあることは,ほぼ推測してよいであろう。
69年に入ってから工業生産は全般的に伸び悩みの傾向を強めた。とくに第1四半期には第78表に示すように,エネルギー部門,機械・金属加工工業を除いて他のすべての部門では悪天候のため輸送が混乱し,原材料の補給が停滞して,生産の伸びは多かれ少かれ低下した。燃料工業,建設資材工業は最もひどい打撃を受けたようで,統計数字の公表さえなかった。また,鉄鋼,非鉄,木材,製紙,食品の各工業も増産テンポは前年の半分以下に低下した。
これらの諸部門は,いずれも輸送に依存するところが大きく,それだけに混乱も激しかったのである。
これらの諸部門は第2四半期に一せいに拡大テンポを高め,上期全体としての増産率は,いずれも第1四半期のそれを上回った。しかし,その後エネルギー部門は次第に伸び率が鈍化し,また,鉄鋼,非鉄,木材,製紙の各工業,軽工業および食品工業など多くの部門は伸び悩みとなっている。
こうしたなかにあって,エネルギー部門が,かなり大幅な拡大テンポを維持していることは,69年の工業生産の強みといえる。すなわち,前掲第77表にみるように,エネルギー部門は,幾分上昇率は低下しているものの,電力を中心に66年以降みられなかった拡大テンポを示し,また,燃料工業は目立った回復をとげて,石油工業を除いて,68年の増産率に近づきつつある。
もう一つ目立った特徴は,機械・金属加工工業が69年にも従来の増産テンポを続けていることである。これは,さきにも指摘したように,軍事生産が寄与しており,一般民需用機械の生産は圧迫されているとみられる。そのなかで,特殊機器,オートメーション装置,制御システム(恐らくは軍需用も含まれる)の生産は,6岬(1~9月)に前年同期比18%増と,68年の拡大テンポを保持しており,また,農業機会の生産は同じく12%増で,68年の伸び率を上回っている。
つぎに農業をみると,68年にはかなり安定した状況にあったが,69年には,工業生産と同様,悪天候からかなりの被害を受けた。さきにも述べたように,68年の農業総生産額は計画に達しなかったが,穀物は豊作であり,その他の農畜産物の多くは増産テンポは低下したものの,従来の最高の生産量に達した。すなわち,第78表にみるように,穀物の生産量は過去の記録的豊作の年である66年のそれに近く,ほぼ平年作とみられる67年の収穫を14.6%も上回った。他の農畜産物の生産も,綿花が微減し,野菜がかなり減産となったのを別とすれば,前年より多少とも増して,従来の最高水準を記録し,1961~65年の平均を大幅に上回った。このように,68年の計画は達成されなかったが,第8次5ヵ年計画の基本方針の一つである農業生産の安定化という目標は大きく外れてはいない。しかも投資の削減の対象となったとみられる農業投資も,国家投資とコルホーズの投資を含めると,前年比12%増と,67年の前年比10%増からみると,増勢を強めた。こうして68年,農業部門は生産面でも投資の面でも一応の成果をあげたのである。
ところが,69年には年初から春にかけて豪雪酷寒,砂あらしなど悪天候が続き,農業にも大きな被害をもたらした。広大な面積にわたって秋蒔作物が枯れ,播種し直さなければならなかったし,家畜も主としてめん羊が多数死んだ。その結果,播種面積は208百万ヘクタールと68年の206.7百万ヘクタールを上回ることができたが,家畜頭数は7月1日現在で乳牛と羊が前年より減り,とくに後者は9%少かった。
穀物の作柄は,かなりの豊作だった68年の1億6,950万トンに対し,1億6,050万トンと64~68年平均に近い平年作とみられている。冬小麦を中心に秋蒔作物は,68年比15~20%の減産を余儀なくされたものの,春蒔作物の好調と作付面積の拡大でこれを補って,ほぼ平年作が達成されるというのである。
他方,畜産は,前掲第78表に示すように,牛乳が微減,肉が3%の増産と,あまり好調とはいえない。また,さきに述べたように,上期の肉,野菜,果物の小売高が前年同期より落ちていることからも,穀物を含めて全般的に農業生産が前年を下回る懸念さえある。
しかし,69年の穀物生産が,さきにみたように,ほぼ平年作にこぎつけたとすれば,かなりの悪天候に見舞われ,作物の播種し直すなどの悪条件を克服して,一応の抵抗力を示し,国内需要と通常の輸出をまかなうに十分な水準を確保したものとして,それなりに評価される。だが,これにも,穀物の成熟と刈取が平年より後れ,他の農事作業と重なったため,都市の労働力や輸送手段の動員が必要となったという特殊事情がある。とのことは,ソ連の農業,とくに穀物生産が5ヵ年計画の方針に沿って安定化の方向に向っていること,しかも,それにはなお多くの努力がなされなければならないことを示している。
68年の国内経済の拡大は,すでにみたように,前年より小幅であったが,対外貿易は近年まれな著増を示した。すなわち,第80表にみるように,輸出総額が106億ドル,輸入総額が94億ドルと,いずれも,67年のそれを10%余も上回った。(数量指数では輸出入合計9%増)輸出の増加の大幅なのは社会主義国向けで,西側への輸出は比較的低調であった。社会主義国では,コメコン諸国への輸出も最近みられないほど目立って増加したが,コメコン以外の社会主義国向けの輸出が著増を示した。そのうち中国への輸出は従来著減を続けていたものが,逆転したという程度で,規模そのものはいうに足りないのであって,キューバ,北鮮への輸出が大幅に増した。西側諸国向けの輸出では低開発国よりも先進国が目立ってはいるが,66~67年に比べると,その増加テンポはかなり低下した。
他方,輸入の面では西側,とくに先進国からの輸入が著増し,また,低開発国からの輸入もかなり大幅に伸びて67年の縮小を取戻した。これに比べると,社会主義国からの輸入は前年ほどでなく,比較的小幅な拡大にとどまった。これは,コメコン諸国からの輸入は前年に引続いてかなり増加したが,中国だけでなく,その他の社会主義国からの輸入が大幅に減少したためである。
このようにして,貿易の地域構成(第55図参照)では,67年から68年にかけて,輸出入の両面でコメコン諸国のシェアが拡大し,輸入の面では先進国のシェアが著しく増大したのである。
つぎに商品構成をみると,第80表に示すように,輸出入とも機械の比重が一貫して増大している。また輸出では,化学品と消費工業品についても,シェアそのものはまだ小さいけれども,同じく拡大傾向がみられる。これとは対照的に,木材,繊維などを中心とする原料品の比重は漸減傾向にある。
輸入の面でも機械の比重は目立って増大し,67年には輸入総額の3分の1を超えて,68年さらに上昇した。また,これと並んで鋼材・鋼管など金属製品のシェアの増大も目立っている。
また,消費工業品の比重はここ数年間に著増し,総額の20%と大きなシェアを占めるに至った。これとは対照的に,食料品,同原料の比重は,国内穀物需給の安定化に伴って,急激に減少している。
以上のような商品構成の変化は,経済構造の変化と5ヵ年計画に具体化された経済政策とを反映している。すなわち①産業構造と消費構造の高度化によって機械の輸出入,消費財の輸入が増大していること,②国民消費水準の向上策も消費財の輸入を促進すること,③穀物生産の安定化が一時大量に上った穀物輸入を急減させていることがそれである。
ここで,各地域との貿易を収支の面からみておこう。まず,総額からいえば,黒字は年々増大している。このうち,社会主義国に対する輸出超過が67年から68年にかけて拡大している。コメコン諸国に対する輸出超過も同じ動きを示したのであるが,その貿易額からすると出超幅は比較的小さいのであって,コメコン以外の社会主義諸国に対する出超が絶対的にも相対的にも大きく,67年の3億6,100万ドルから,68年の6億7,000万ドルに著増した。これはキューバ(67年約2億ドル,68年3億ドル余のソ連側出超),モンゴル,北ベトナム(ともに,1億4.゛000万ドル前後のソ連側出超),北朝鮮(68年のみ)に対する援助支出によるものであろう。
西側先進国との貿易は,年によって収支に変動があるが,最近3ヵ年を通算するとほぼ均衡している。これは,63~65年に西側から大量の穀物を輸入して大幅な赤字を出していたことと比較すると,穀物輸入の消滅が収支の好転に大きく寄与したことを示すものとして注目される。他方,低開発国との貿易収支は一貫して大幅な黒字を続けている。低開発国のうち,マレーシアとの貿易はゴムを中心とするソ連の一方的輸入であるから,この輸入超過分を差引くと,他の低開発国に対する輸出超過は,66年が4億7,000万ドル,67年が6億6,000万ドル,68年が6億4,000万ドルに上る。この出超の大部分は,援助支出を反映するものとみられ,その相手国はイラン,パキスタン,レバノン,シリア,ギニア,マリなどである。
以上のような地域別貿易収支によって,公式発表を欠くソ連の外貨ポジションをほぼ推測することができる。コメコン諸国との貿易はコメコン銀行を通じて,「振替ルーブル」によって決済が行われ,他の社会主義国や西側低開発国の多くについてはルーブル決済や清算勘定による決済が行われ,いずれも外貨が用いられない。したがって,ソ連の外貨ポジションを決定するのは西側先進国との貿易収支(貿易外については発表がない)の状況である。
ととろでさきにみたように,西側先進国との貿易収支はこの2~3年に著しく改善されたので外貨ポジションもある時期よりは大いに好転したとみることができる。このことは,65年を最後にソ連が大量の金を西側で売却しなくなったことからも裏付けられる。こうした外資ポジションの好転の半面で,社会主義圏内および西側の双方の低開発国に対して相当な額の経済援助を行っているのである。
つぎに,西側との貿易を国別にみると(第82表参照),まず目立つのは,68年に西欧諸国との貿易とくにこれら諸国からの輸入が前年に比べて激増したことである。イギリスとの貿易は輸出が21%伸びたのに対し,輸入は38%も増し,輸出入合計額でソ連の西側貿易相手国のなかで,再び首位を占めた。
その他西欧主要国からの輸入は,イタリアが35%,西ドイツが40%,フランスが56%と激増した。そのほか,スウェーデン,ベルギー,オーストリアなど西欧諸国との貿易も輸出,輸入ともに着実に伸びている。日本との貿易は67年に比べ輸出が10.8%,輸入が11.2%増と,他の主要相手国の場合より輸入の伸びが小幅で,日本に対する輸出超過額は最も大きい。
従来,ソ連の経済援助を受けていた主要国であるアラブ連合とインドとの貿易は輸出入合計でみて多少拡大しているが,援助の実際支出を示す出超がみられるのはアラブ連合だけで,しかも,68年にはそれが縮小している。また,カナダとの貿易は穀物輸入の減少で規模が縮小し,アメリカとの貿易も停滞色を強めた。
69年に入ってからの総貿易量は,上期に前年同期比8%増(数量指数,前掲第76表参照)と,68年よりわずかに拡大テンポが鈍化している。他方,西側主要国との貿易は第1四半期に金額で,前年同期より約10%増しており,ソ連貿易における西側諸国のシェアは大した変化はないとみられる。
69年に入ってからのソ連の貿易統計は発表されないので,西側統計からみると,第82表に示すように,69年第1四半期に20ヵ国合計で対ソ輸出が前年同期比14.5%増で,68年とほぼ同じ拡大テンポで伸び,またソ連からの輸入は6.5%増と68年の伸び率を多少上回った。そして,対ソ輸入超過はなお続いている。
対ソ輸出が比較的大幅に拡大したのは日本と欧州大陸諸国であり,対ソ輸入面では日本,イギリスの輸入拡大が目立っているが,日本の場合は,依然として多額の対ソ入超が続いている。
1968年から69年にかけての東欧諸国の工業生産の動きは国によってはっきり差が生じており,いわば高成長国と低成長国とに分れる。第83表にみるように,高成長グループに属するのは,東ドイツとポーランドであり,またブルガリア,ルーマニアは,成長率は多少鈍化したもののなお高成長国といえる。これとは対照的に低成長グループにはいるのはチェコスロバキアとハンガリーで,とくにチーコの経済は全般にわたって著しく悪化し,危機的情勢を現出している。
まず,高成長グループをみると,東ドイツの工業生産は,68年には計画を幾分下回ったが,69年に入ってからは目立って上昇している。高成長の主な要因は経済の計画,管理方式の改革であって,その結果労働生産性は68年に6%,69年上期に8%の向上を示し,増産に大きく寄与した。増産テンポが高い部門は機械および化学工業であって,とくに「先端技術製品」のごときは68年に35%,69年上期に30%の増産となっている。すでに,69年計画では機械工業の生産構造改善策として,電子計算機の急速な増産,半導体部品,ユニットの量産化,高度に自動化された機械体系の生産開始が予定されている。
ポーランドの工業生産も好調で,68年には64年以来の高成長を記録し,69年上期にもほぼ同じテンポで拡大して,いずれも計画を上回った。この国でも機械および化学工業の伸びが大幅であるが,68年には全体としての生産財生産は10%増したのに対し,消費財生産も7%増で,従来より両部門間の不均衡はせばまった。他方,建設事業の立遅れが次第に目立ってきており,今後の工業の伸びを抑えるかも知れない。
ブルガリアとルーマニアの工業生産も大幅な拡大を続けて工業化にかなりの成果をあげ,ブルガリアでは68年に電力,鉄鋼(鋼材),機械,化学など重工業の伸びは19%前後に達したが,そのうち電機,薬品工業などは輸出産業として育成されている。
以上の4ヵ国とは対照的に,チェコとハンガリーの工業生産は68年以降低成長に陥っている。チェコでは工業生産の伸びが67年の前年比7.1%から68年の5.3%に,さらに69年上期には前年同期比わずか3.7%に低下した。68年には鉄鋼,機械,建設資材などを中心に生産財工業の伸びが4.9%ととくに悪化し,従来の傾向とは逆に消費財工業の伸び(5.7%)を下回った。69年に入って情勢は一層悪化し,燃料不足が深刻になりつつある。上期の建設資材の生産はついに前年同期を下回り,また軽工業ではガラス,陶器などの伝統的工業以外の生産は停滞ないし低下し,日用品さえ不足を告げている。
ハンガリーの工業生産は68年にはまだ5%の拡大を示していたが,69年上期には前年同期に比べわずか1%の増加にとどまった。この国では建設計画の不振と燃料の不足が続いて工業生産の伸びを抑えている。また経済改革の方針に沿って,国内市場の需要に対応した生産構造の改善が一部の部門で行われ,ラジオ,衣料などの工業は輸出向けに再編成されつつあるが,これも工業の伸びに一時的にもせよ影響したようである。さらに週間48時間から44時間への労働時間の短縮も行なわれて,労働生産性は68年にわずか1.5%の向上にとどまり,69年上期には2%の低下さえ示した。(69年上期の場合マン・アワーでは5%の向上)
つぎに,第84表により農業生産をみると,68年には多くの国が悪天候に見舞われて,ブルガリアとルーマニアなどでは前年に比べ減産さえ示したが,チェコとポーランドの農業は好調であった。とくにチェコの農業は,工業が不振であったのと対照的にチェコ経済の安定的部面となって危機的情勢の緩和に寄与し,69年にも全体としての農業は比較的好調といわれる。しかし,穀物の収穫は前年を下回ると予想されるし,畜産物の政府買付も減少し,肉類の不足が深刻になっている。ポーランドでは天候に恵まれたうえに,肥料の増投や穀物の耕作法の改善もあって農産物の作柄が良好であったことが農業増産に寄与した。それとは逆に69年には気候不順で作物の枯死が発生したが,小麦の作付の増加と肥料の増投でこれに対処している。
東ドイツとハンガリーの農業生産は68年に,全体として低成長におわったものの,一部の部門は好調を示した。すなわち,東ドイツでは穀物収穫は史上最高を記録し,畜産物の政府買付も計画を超過したといわれる。また69年にも天候に恵まれなかったが,上期の畜産は前年を上回り,農産物の政府買付計画は超過達成された。ハンガリーでも68年には悪天候で家畜頭数の減少をみたが,畜産物の生産は前年を上回り,穀物などの作柄は良好であったし,また69年にも豊作が伝えられる。
68年の東欧諸国の国民所得の成長率は以上のような工業および農業生産の状況を反映している。第85表にみるように,東ドイツとポーランドの成長率は近来まれな高さであり,これとは対照的に,チェコの成長率は,計画を上回ったものの,66年以来の最低であるし,ブルガリアとルーマニアの経済もまれにみる低成長を示した。
以上に述べたところからも明らかなように,東欧諸国のうちチェコスロバキアの経済は危機的情勢に陥った。これは物価と賃金の上昇にも現われている。元来,中央集権的計画経済体制のもとでは,いわゆる「国民貨幣収支バランス」によって個人貨幣所得,租税,貯蓄,小売売上高がバランスされ,この枠内で物価も賃金も公定,固定化される。しかし,小売価格は間接税である「取引税」の占める割合が大きく,またある場合には補助金による抑制が行われ,それらの変更を通じて変動する。また賃金にはいわゆる「物的刺激」の手残としての特殊の性格がある。したがって市場経済の場合と物価,賃金の変動のメカニズムは異る。
ところで,第86表にみるように,チェコでは,68年以来,賃金,物価,小売売上高が異常な動きを示している。経済改革によって賃金決定が企業に委ねられ,68年8月のチェコ事件による作業の停止とそれを取戻すための追加作業が行われたこともあって賃金支払が増加し,68年の個人所得総額は前年に比べて11.5%も増加し,消費財生産の伸びを大幅に上回った。
他方,経済改革の方針に沿った価格体系の整備の一環として補助金の整理,価格の引上げが行われた。その上に社会不安や通貨改革が行われるとの流言が加わって,消費者の買い急ぎが起り,小売売上高が著増したのである。
69年4月に成立したチェコスロバキア新政府は経済危機対策を打出した。
すなわち,新規投資とくに工業部門の投資の抑制,政府支出,とりわけ経済発展や生産水準に影響を及ぼさない支出の制限,賃金引上げの抑制,不当に価格を低めている補助金の制限ないし廃止など一連の緊急措置を講ずることになった。また10月末にはソ連との間に交渉が行われ,経済危機に対するソ連の援助として,①1971~75年の新5ヵ年計画期に,石油,銑鉄,綿花その他の原料と機械類を既定計画以上に供給すること,②70年に耐久財を追加供給する,とともに,チェコが現在不足している耐久財を第三国市場で買付けるため,援助を与えることが取決められた。
ハンガリーやポーランドの場合はチェコと同様に論ずることはできない。
ハンガリーでは賃金が着実に上昇し,他方生産性はわずかに向上し,あるいは低下さえしている。しかし生産性の低下は,さきに述べたように,一時的な要因によるものであるし,物価の上昇も比較的小幅にとどまっている。ポーランドでは賃金の上昇が次第に大幅になってはいるが,もちろん生産性の上昇を上回るほどではない。だがこれらの国でも,賃金は「物的刺激」の手段としては一貫して引上げられる傾向にある。そしてこれによる消費需要の増加は,小売売上高の大幅な増加にもかかわらず,十分には充足されていないといわれる。そのため,さきにソ連の場合について述べたように各国とも個人貯蓄の著増が認められるのである。このように,これらの諸国では,チェコのように,賃金,物価の異常な上昇はみられないとはいえ,賃金支払額と消費財の供給量とのアンバランスが拡大する可能性が残っているといえよう。
ここで対外面に目を転ずると,68年には,チェコスロバキアの異常事態を除けば,多くの国で輸出の伸びが輸入の伸びを上回り,概して貿易収支が好転した。すなわち,第87表にみるように,東ドイツでは68年に黒字が増したし,ポーランドでは,68年に黒字に転じたうえに,69年上期にはこれがさらに拡大している。またハンガリーでは68年から貿易赤字が縮少傾向にあり,ブルガリアでは69年上期に赤字幅が縮少した。
以上の諸国どやや動きを異にしているのはルーマニアとチェコである。ルーマニアでは66~67年に輸入が著増して以来大きな赤字となり,69年には上期にも依然としてこれが続いている。チェコの場合には,68年に輸出は例年よりわずかに上回る増加をみたが,輸入は消費財,原料,食料の緊急輸入で大幅に増加し,さらに69年上期には輸出入とも前年同期に比べて微減した。
このほか68~69年における東欧諸国の貿易の特徴は,第1に,商品構成が高度化し,機械・設備,消費工業品の比重が従来に引続いて増していることである。チェコでは機械と消費品がすでに輸出の70%に達しているが,比較的後れて工業化したポーランドなどでも,輸出に占める機械・設備のシェアは67年の36.2%から68年の37.2%に増しているし,同様にブルガリアでは25.2%から30.2%へ,ルーマニアでは19%から21.3%に増している。つぎに第2には,先端技術商品の取引が増加していることである。たとえば高度工業国である東ドイツのソ連からのオートメーション制御装置の輸入は,68年にも増したが,69年に入ってこれが急増している。こうして,ソ連は高度に工業化した一部東欧諸国にとっても先端技術商品の輸出国となる兆候をみせはじめたといえる。他方東ドイツ自体もソ連,東欧圏におけるこの種の商品の主要供給国となろうとしている。
つぎに東欧諸国の西側諸国との貿易を第89表のOECD統計でみると,68年には多くの国で概して不振であり,68~69年に輸出入とも増加したのはチェコだけである。しかも輸入(OECD側の輸出)が異常に大幅に増していることが注目される。
66年ないし67年まで西側からの輸入を目立って増加させた東ドイツ,ハンガリ,ルーマニア,ブルガリアは,その後西側からの輸入を削減したり抑制したりしている。ただポーランドは例外で66~68年に西側に対する黒字を続けてきたが,69年に入って輸入が微増にとどまっている。このことはこれら諸国における外貨不足を物語るものであろう。