昭和44年
年次世界経済報告
国際交流の高度化と1970年代の課題
昭和44年12月2日
経済企画庁
67年の経済回復は先進工業国の景気回復とアジア諸国の農業増産によるものであったが,68年にはこうした経済拡大要因に加えて,工業生産の回復と輸出の好調がみられ,おおむね順調な経済拡大が続いた。
アジア諸国の農業生産は,67年の増収に及ばなかったが前年に引き続いて増産を記録した。これは,米の収穫がインド,パキスタンで伸び悩み,韓国で減産となったが,フィリピン,インドネシアをはじめ多くの国では67年に引き続いて増産を記録したことによる。こうした背景には天候条件にめぐまれたことのほかに,高収量品種の採用,肥料の投入,かんかいの普及などの農業技術の改善努力がしだいに効果を表わしてきていることがあげられよう。
一方,鉱工業生産は韓国,台湾が投資需要と輸出の増大を背景に67年の増加テンポを上回り,また,不振を続けていたインドの工業生産も機械工業,肥料,セメント,鉄鋼部門などを中心に回復をみせた。これら諸国を中心にアジアにおける工業生産の増加が続いた。
こうした生産の拡大を通じて輸出は,タイ,南ベイナム,セイロン,ビルマなどを除いて前年を上回る増加をみせ,東南アジア全体では前年比10.0%増と60年代はもっとも高い伸び率であった。輸入も前年比6.7%増となったが67年の上昇率8.3%を下回っており,アジア諸国の貿易収支は総じて67年より改善されたといえよう。とくに,インドでは輸出増加,輸入減少により貿易収支の赤字幅はかなり改善をみたことは注目される。68年後半からは一次産品市況が回復し,マレーシア,インドネシアなど一次産品輸出国に好影響を及ぼしている。
つぎに,物価は,消費者物価が2年連続の農業増産を主因に台湾,韓国を除いておおむね68年中に上昇率が鈍化した。なかでもインフレーションに悩まされてきたインドネシアの物価騰勢の弱まりが目立っている。
こうした経済情勢は概ね69年前半にも続いているが,今後,ベトナム特需,英軍支出の減少などがアジア諸国の経済に大きな影響を及ぼすものとみられる。
ベトナム特需の直接,間接の影響を受けているタイ,韓国,フィリピンではすでにこれが68年の貿易収支,貿易外収支など国際収支の悪化をもたらしており,69年前半の国際収支の赤字増大に及んでいる。また,マレーシア,シンガポールでは輪出の好調に支えられて経済拡大が続いているものの71年までの英軍撤退に伴う支出額の減少が建設活動の伸び悩みとなっている。
こうした対外要因に加えて,インド,パキスタン,マレーシア,などでは政治,社会騒動が68年後半から69年前半にかけて発生した。一応の収束をみているものの,その根底には根強いものがあり,安定的経済成長を図るためにはこれら諸国では政治,社会の安定に特に配慮しなければならないだろう。
しかし,70年代の経済開発に向けてアジア諸国では新たな経済計画に意欲的である。69年4月にはインドネシア,インドが新計画をスタートさせ,中国(台湾)も第5次経済計画を実施した。その他の国も70年,71年にかけて新計画の策定をむかえている。一方,国連やその他の国際機関も70年代の低開発国の経済開発に積極的に取組む姿勢をみせている。
67年の農業増産を基盤に経済回復に転じたインドは,68年には農業増産に加えて工業生産が回復に向い,輸出部門も好調に推移した。69年に入り工業,輸出部門を中心にさらに経済拡大テンポが高まり,政府は今年度の実質経済成長率を8%と見込んでいる。
農業生産は65,66年と不作を続けていたが67年の穀物の収穫は9,560万トンを記録し,68年も西ベンガル,ビハール州,オリッサ州での減産によって全体として9,600万トン(推定)と67年の増収幅に及ばなかったものの前年に引続いて増産を記録した。これは多くの地域で適当な雨量にめぐまれたという天候条件によるほかに,化学肥料の投入,農業機械道具の導入や新品種の採用,また農民に対する資金貸付など政府の農業促進政策がかなり効果を上げてきているといえよう。今年度も概ね前年の収穫を上回るものと見通しされている。農業生産の改善は経済のあらゆる分野にわたって大きな影響を及ぼしており,工業生産の分野においても農民の農機具購入などの工業製品需要の増加要因となっている。68年の工業生産は機械部品,肥料,セメントなどの生産が著しく,鉄鋼,繊維工業なども回復し,また鉱業部門も回復に転じたため,鉱工業生産指数は前年比6.6%増(暫定)となった。インドの工業生産は64年以降不振を続けており,とくに66,67年は前年比1.7%増,0.4%増と停滞していたが,68年には原料入手か円滑となり,操業率も前年より上昇した。69年に入り,鉄鋼,ジェート,紙・パルプで鈍化がみられるが,化学,金属,機械工業部門では順調な生産をみせている。
このような農・工業生産の順調な拡大に支えられて輸出が顕著な増加をみた一方で,輸入の減少が続いた。68年の輸出は第2四半期より増加テンポが高まり,鉄鋼,機械,綿製品等を中心に68年全体としては8.7%増と64年以降,もっとも高い伸びをみせた。一方,輸入は2年連続の農業増産により食糧輸入(特に小麦)が減少したこと,工業生産の回復が肥料,機械,鉄鋼などの国内の供給を高め,このことがこれら品目の輸入減少をもたらしたことなどにより前年比10.6%減と大幅に減少した。輸出増加,輸入減少により68年の貿易収支は7,260万ドルの赤字に止まり前年の1億1,950万ドルの赤字より大幅に縮少した。また,金・外貨準備高も67年末の6億6,200万ドルから2,200万ドル増加して6億8,200万ドルになった。このような対外部門の好調は69年に入っても続いており,69年4月までの輸出は9.4%増,輸入26.7%減となっている。しかし4月以降こうした増加テンポは鉄鋼不足などの影響によりやや鈍化している。
つぎに物価の動きをみると,消費者物価は68年第2四半期より上昇率が鈍化し,第3四半期から第4四半期にかけてさらに低下したため,68年全体では2.6%の上昇に止まった。この上昇率は64年以降毎年10%前後の物価上昇にみまわれてきたことからみればかなりインフレが弱まったといえよう。特に食料品を中心とする物価の安定は67,68年の農業増産を反映したものである。また,卸売物価も農産物需給の緩和,工業製品,原材料生産の増加により前年より下落した。こうした物価上昇率の鈍化傾向は69年第1四半期も続いている。しかし,最近の傾向として卸売物価は工業原材料の値上りなどにより4,5,6月に上昇をみせている。
インド経済の68年以降の経済拡大は確かに65,66年の全くの経済不振と比べ著しいものがある。2年連続の農業増産を基盤とする工業,輸出部門の回復といった背景には政府の経済政策が適切に作用したということもいえるだろう。66年3月,第3次5ヵ年計画を終了したインド経済の情勢は,経済活動の停滞,インフレの進行,外貨事情の悪化といった深刻な経済危機にみまわれていたがこうしたなかで政府はルピーの切下げを実施し,それまでの割高を是正することによって輸出の増加,外国援助や民間投資の流入の増大を図ろうとした。このことはまた,輸入制限の緩和をはじめとする統制的経済政策からプライス・メカニズムの働く,自由市場経済路線を指向するものであった。67年に成立した第二次ガンジー内閣におけるデザイ蔵相の経済政策はインフレを抑制し,物価安定を図ろうとするものであり,財政の緊縮化がとられるようになった。こうした政策転換が68年以降の経済安定に大きな役割を果しているといえよう。3年間実施を見送ってきた第4次経済計画は68年の経済事情の好転もあって69年4月に正式に実施されることになった。新計画は農業増産,緩衡在庫による食糧供給,インフレ抑制のための国内財源の確保,外国援助の漸減,輸出増加などの達成を図ろうとするものであり,これまでの計画に比べ民間部門による投資比率が上昇している。しかし,初年度の年次計画では規模そのものは小さいが,農業投資が前年より減少し,工業部門への投資額が増大しており,第2年度からの計画がどのように実施されるか注目される。
また,8月に国民会議派内部の対立も絡んで突如,打出された14民間銀行の国有化措置は,新計画の所要資金の効率的調達をねらったものであり,とりわけ中小企業,農民層などの経済的に低生産性部門への資金調達を図ろうとするものである。この措置に関しては発表と同時に種々の批判がなされたが,なかでも銀行国有化に伴い市場メカニズムを通ずる資金の適正配分が期待できず,資金の非効率化となろうという見方がある。国有化は,さらに,原材料輸入の窓口一元化にも及んでいる。
67年は農業生産の回復と順調な工業生産により7.5%の経済成長率を記録したが,68年には農業生産,工業生産とも前年の拡大テンポを下回り,経済成長率は5.2%となった。
パキスタンの農業生産は人口の3分の2,輸出の55%を占めており,経済全体に占める比重が大きいが,69年の生産は3%弱の増加率に止まり67年の15%増の増加テンポを下回った。これは東パキスタンの米の収穫が天候条件の悪化により減少し,ジュートも10%余り減産したこと,また,小麦を主産地とする西パキスタンでも67年の630万トンから690万トンの増加に止まったことによる。このほか大豆,綿花などの収穫も伸び悩んだ。一方工業生産は,ジュート,ゴム工業をはじめ,化学,肥料,セメントなどで不振を続けた。これは農業生産の伸び悩み,工業素原材料の不足に加えて政治情勢の不安定が就業状態を悪化させたことが影響している。しかし,工業生産の30%を占める綿糸業や砂糖工業の順調な生産により68年の鉱工業生産は前年の増加率(9.2%増)をやや下回って7.1%増と見込まれている。
こうした農・工業生産の拡大テンポの鈍化にもかかわらず貿易部門は順調に推移した。すなわち,輸出は主な輸出品である綿花(全輸出額の14.0%,前年比41.7%増)と,ジュート製品(同21.7%前年比6.6%増)の輸出増加を中心に11.6%増(67年,7.3%増)となった。一方,輸入は従来の厳しい量的制限が緩和されたが,68年1月に実施されたキャッシュ・カム,ボーナス制度(外貨割当の50%公定レートを適用,残余の50%は実勢を示す割高ボーナス制度を適用)の適用品目削減により抑制を図ったので,食糧,工業原材料などが減少し,輸入全体では9.5%の減少となった。また,パキスタンに対する援助もほぼ前年並みであったことにより金外貨準備高(68年12月末)は2億5,200万ドルの著増をみた。
69年前半の動きをみると,輸出(1~6月期)は前年同期比で7.3%の減少となった。これには,主要輸出品であるジュートの輸出価格の低下が影響している。一方,輸入は前年同期比5.4%増となっている。しかし,金外貨準備高は資本収支における外国援助の新規流入もあって,6月末には,68年6月末の1億9,500万ドルと比べ3億1,600万ドルの水準にある。
つぎに物価の動きをみると,卸売物価は農,工業生産の伸び悩みを反映して前年比10.6%増と67年に引続いて高水準の上昇となった。これに比べて消費者物価は東パキスタンで食糧品などの急上昇がみられたが,西パキスタンでは緩慢な上昇に止まり,総じて67年より安定傾向をたどった。
以上のように68年の経済は前年の経済拡大テンポを下回り,加えて政治,社会情勢,とりわけ労働情勢が不安定のまま推移した。3月に誕生したヤヒラ政権はこうした問題に取組むため,まず6月の69~70年度予算では低所得者層にも恩恵がゆきわたるよう予算の配分の面でいくつかの変更をとった。
しかし軍事費,公債費はさらに増加しており全体で予算規模は前年よう8.9%の増加となった。また,年間開発計画(第3次5ヵ年計画にもとづく)では,昨年,暴動の中心地となった東パキスタンに対する事業経費割当を西パキスタンより多くするなどの配慮がみられる。また,これらに要する財源確保の面でも高所得層の課税を強化し,低所得層の課税を低くするような調整が行なわれた。こうした措置にもかかわらず,労働紛争はなお発生しており,69年前半の輸出の停滞要因の一つとなっている。
ところで,パキスタンでは,65年から実施してきた第3次計画が今年で終了するが,この計画では農業生産が5.0%の目標に対して実績が4.6%(見通し),工業生産が15%の目標に対して10.0%(見通し)に止まるなど計画の達成は不充分なまま推移しそうである。この原因としては国境紛争による国防支出の増大,外国援助が135億ドル見込んでいたにもかかわらず103億ドルしか得られなかったことなどの対外要因に加えて,農・工業生産がうまくかみ合わないことや公共部門中心の開発が充分効果を上げられなかったことがあげられよう。70年から実施される第4次計画(70~75年)は,これまでのところ,3次計画の農業開発と軽工業の優先策から重工業部門の開発が重点となりそうである。この狙いは第1に農業機械の供与ということにあり,第2に国内における重工業生産により輸入依存度を減少させ,外貨の節約に役だてようというものである。
永年インフレ-ションに悩まされてきたインドネシア経済は67年の収束傾向から68年には一段と沈静化をみせた。これにともなって為替レートも安定をみた。政府はこうした事実をふまえて69年4月より経済開発5ヵ年計画に着手している。
スハルト新政権は従来の政治偏重政策を改め,内外の支援を得て地道に経済復旧・経済安定政策をとってきた。まづ,財政支出の緊縮を図るとともに財源の面では増税および徴税の効率化を実施した。
69年度予算では,外国援助を考慮に入れた場合に財政の総合収支が黒字となるように編成された。金融面でも68年10月には,貯蓄増強のため国立銀行が定期預金金利を大幅に引上げた。また,66年8倍,67年2倍強に増加した通貨供給量は,68年中は適正な供給のまま推移した。
68年は,また,食糧事情の好転が経済安定に寄与している。米の生産は67年の800万トンから,68年には1,070万トンの史上最高の収穫となり,農業生産は前年比4.1%増となった。これは60年代では,1964年以来の高率である。また,原油生産が67年の839万トンから1,076万トンヘ大幅に増加し,スズの生産も4,500ロングトンから5,500ロングトンヘ増加した。こうした一次産品の増産により輸出は,67年の65億7,800万ルピアから68億8,500万ルピアへと増加し,主要輸出品である石油は前年比12%増と好調であった。
工業の分野では,繊維などの工業生産が回復した。
こうした経済の一般的な好転に加えて外貨の導入がスハルト政権下で積極的に促進されている。67年から68年7月までに政府が承認した外資プロジェクトは58件であり,68年末まで操業開始する外国企業は100件を越えている。また,インドネシアに対する経済援助も復活し68年のそれは2億7,300万ドル(69年には5億ドル)となっている。
以上のような内外の経済環境の好転によりインフレーションの沈静化は68年には一段と進んだ。65,66年の7倍もの物価上昇から67年には2倍の上昇へと収束傾向をみせ,68年には85%の上昇率に止まった。また,これにともなって為替レートも安定傾向をたどり,BE(輸出ボーナス制),DP(補助外貨による輸入)市場などの外貨市場に反映されている。69年に入り,1ドル当り326ルピア前後で安定をみせている。
政府はこうした経済の安定化を背景に,69年4月に経済開発5ヵ年計画(1969~74年)を発足させた。新計画の目標は,国民生活水準の向上と経済基盤の整備を図ることにあり,年平均実質経済成長率5%,一人当り所得の増加率2.5%の達成をめざしている。このため農業開発が最重点におかれており,食糧の自給,ゴムなどの輸出農産物の増産を促進するため,政府開発支出の31%を投入することになっている。また,道路,港湾施設などインフラストラクチュアの整備を図るため政府支出の21%を充当し,さらに,農業関連産業,輸入代替産業を中心に工業生産を40%増大させることとしている。
新計画の投資総額は約40億ドル(1兆4,200億ルピア)でありこのうち24億ドルを外国援助に依存することになっている。しかし,計画期間中に,外国援助に対する依存度を漸次低下させ,プロジェクト援助に重点を移していくなどの配慮がみられる。また,農業と経済基盤の整備に重点をおいたこともインドネシア経済の現状から着実な経済開発路線といえよう。
1967年のゴム輸出の停滞による経済成長の鈍化を比べ,68年はまずまずの経済拡大を示した。マレーシアは現在,第一次総合開発計画(1966~7年)に取組んでおり,年平均経済成長率(実質)を3.5%と見込んでいる。68年の経済成長率は5.0%(暫定)と前年の3.9%を上回っている。この結果,過去3ヵ年間の経済成長率は4.1%と経済計画の目標を上回るものとなっている。
経済の基幹部門である農業生産は,ゴム,パーム・オイル,コプラとも順調な生産を記録した。とくに,西マレーシアのゴム生産は68年には57万3200トン(推定,前年比9.0%着)と63年以降もっとも高い生産であった。また,スズ,木材なども順調な生産を示した。
こうした一次産品の順調な生産を反映して輸出は64年以降もっとも高い伸びをみせた。マレーシアの輸出は,ゴム,スズ,木材の3品物で全輸出の67.2%(67年)を占めており,68年の輸出の好調はこれらの品目を中心に前年を10.5%上回った。このほか,木材(増加率39.5%),やし油(同61.1%)パーム・オイル(同67.4%)ココナッツ・オイル(同16.7%)などで顕著な輸出増加を示した。
一方,輸入は化学品(前年比4.0%減),食糧等(同1.3%減)の減少があったが,工業原材料の(前年比72.3%増)急増などにより前年比6.7%増となった。この結果,貿易収支は輸出増加により64年以降最大の黒字幅となり,サービス勘定の赤字増大にもかわらず国際収支の赤字は67年の2億4700万マレーシア・ドルから2,700万マレーシア・ドルへと減少した。これに伴って金,外貨準備高も年初の4億5,700万ドルから年末は5億1,500万ドルと5,800万ドルの増加となった。
このような対外部門の好調は一次産品市況の回復により69年前半の輸出の増勢へと続いている。ゴム,スズ等の一次産品の価格は,66,67年にわたって低迷していたが68年後半からしだいに回復をみせ,ロイター指数でみると69年5月末には朝鮮動乱時につぐ異常高となった。こうした市況回復には次の諸要因があげられよう。第1は先進工業国の工業生産増大により非鉄金属,ゴムに対する需要が増大したこと,第2に国際通貨不安が国際商品に対する投機買いを誘発さたこと,同様に世界的インフレ傾向が非鉄金属,ゴムなどに反映したこと,第3に砂糖,スズ,コーヒなどの国際商品協定が締結されたことなどである。マレーシアの69年上半期の輸出はゴム,スズ,パーム・オイルなど主要輸出品の増加により,前年より3億ドル増加し,前年同期比44%増となっている。一方,輸入は前年同期比44%減となっており,貿易収支の黒字を反映して金・外貨準備高は6億1,400万ドル(6月末)と急増している。
こうした輸出の好調を軸とする経済拡大にもかかわらず,マレーシアの政治,社会情勢は5月の人種暴動にみられるように不安定を増した。これは人種構成そのものが複雑であることに加えて,都市,農村間の経済格差が大きいこと,都市部の失業者数が増大していることなどによる。
また,騒動による経済への直接的影響に加えて,今後マレーシアに対する投資家の意欲も低下するとみるむきがある。政府は,社会騒動の当面の打解策として都市,農村間の経済格差の是正,外国投資の促進を図るため新投資奨励策を発表した。
1968年のタイ経済は,前年の実質経済成長率を4.0%を上回る8.5%(推定)の伸びを示した。しかし,輸出部門は主要輸出品である米をはじめとして前年の輸出額を下回った。この結果,貿易収支の赤字幅が拡大し,国際収支の黒字幅が縮小した。69年前半も,輸出の停滞が続いており,特需の減少もあって国際収支の悪化が続いている。
タイの農業生産は国内総生産の30%余りを占めているが,68年の農業生産は米,ゴム,とうもろこし,タピオカなどの順調な生産により前年比9.3%増となった。これは66年の増産に及ばないが,67年の減産(12.4%減)と比べれば,顕著な回復といえよう。
工業生産は,セメント(前年比25%増),石油精製(同18%増)の顕著な増加がみられたが,砂糖(18.8%減)などの減産があり前年比8.6%増(67年11.5%増)に止まった。鉱業生産は,鉄,鉛などの減産があったが,スズなどの生産増加が見られた。また,タイ政府が外国資本を含む民間資本の工業投資を奨励優遇する措置としてとってきた産業投資奨励法による企業の認定は,68年に新たに116企業に適用された。
68年の通貨供給量は67年の7.3%の増加率を上回り,8.4%増となった。これは政府部門の大幅赤字を反映したものである。しかし,商業銀行の預金,貸出しなどは67年,あるいは3~4年前の急増と比べ緩慢であったといえよう。
68年の物価は卸売物価,消費者物価とも前年より上昇率が低下した。まず卸売物価は米などウェイトの高い農産物の価格安定により,前年を4.6%下回った。消費者物価も66年の38%,67年の4%の上昇率と比べ68年は2.1%とかなり安定をみた。これまで上昇率の高かった食糧品のなかで米などが前年より低下したからである。
一方,68年の対外部門は不振であった。まず,輸出は米,ゴム,メイズ,タピオカ,チーク材などが主要輸出品であるが,68年にはゴム,メイズ,タピオカを除いて前年より輸出額が減少した。減少した輸出品には生産の減少によるもの,輸出価格の低落によるものがある。また,輸出向けの米が集荷に当って農民,業者の思惑もあって進展しなかったことが影響している。一方,輸入は過去5年間の平均輸入増加率,14.1%,67年の増加率19.9%を下回ったものの,前年比12%増とかなりの増加であった。このため貿易収支の赤字は,67年の81億5,100万バーツから113億300万バーツと大幅に悪化した。タイの貿易収支は第48図にみるように64年以降,毎年赤字幅を拡大しており,とりわけ67年に続いて68年の赤字幅はこれまでの最大である。
貿易収支の悪化に加えて,これまで貿易収支の赤字を相殺してきたサービス勘定の黒字は,68年には61億400万バーツ(67年59億1270万バーツ)と67年よりわずかに増加したにすぎない。このほか資本収支の黒字もほぼ前年の水準に止まった。この結果,総合収支の黒字は4億4,700万バーツ(暫定)と67年の12億7,300万バーツに比べ大幅に減少した。
69年に入っても貿易収支,資本収支ともさらに悪化を続けており,69年6月末の金・外貨準備高は前年同期を2,700万ドル下回って10億2,400万ドルとなっている。ベトナム特需の減少に加えて米軍の建設も一巡したためとみられる。また,主要輸出品である米の輸出停滞もあってタイ経済の前途に混迷がみられる。
政府はこうした国際収支の悪化に対処するため,1月には10年振りに公定歩合を引上げ,6月にはさらに再引上げを実施した。また為替平衡基金の市中銀行直物取引の操作などの金融引締めを行なっている。
5ヵ年経済開発計画(1963~67年)に引き続いて実施した新4ヵ年経済開発計画(67~7年)では,経済成長率の引上げ(67年の5.8%から70年の6.8%へ),食糧自給の達成,工業化の促進などの目標をかかげている。計画初年度の67年の成長率が6.0%とほぼ目標を達成したのに対し,68年は米収穫の増大にもかかわらず鉱工業生産,貿易の伸び悩みにより6.3%の経済成長率に止まった。貿易も輸出が前年より多少上回ったものの経済計画に基づく工業化促進,機械製品の需要増大により貿易収支の赤字幅は前年を上回った。69年に入ってもコプラ,砂糖などの主要輸出品の減少によりさらに国際収支の悪化をまねている。
農業生産は,米の生産が436万トンとかつてない収穫を示したことにより,砂糖,コプラ,アパカなどの減産にもかかわらず農業生産指数は前年比4.1%増となった。また,鉱業生産は金,銀,銅,鉄鉱石などが前年より減産した。こうした一次産品の減産は後述するように輸出向けの減少をもたらすものであった。
一方,政府は新経済4ヵ年計画における工業化促進のため67年9月投資奨励法を施行し,国内資本の鉱工業への重点投資を奨励するとともに外資導入を図ってきた。このほか税の軽減などがとられたこともあって外国企業の進出は69年4月まで73件にのぼっている。しかし,こうした工業化の促進は現在のところまだ充分な生産増加に結びついていないようである。むしろ機械等の資本財輸入の増加により国際収支の圧迫要因となっている。
68年の輸出は,前年に比べてコプラ,アバカの輸出が減少したが,木材,砂糖,ココナッツオイルなどの増加により前年比4.4%増となった。この伸び率は前年に引続いて生産の伸び悩みを反映しており,主な輸出品である砂糖(前年比1.6%増),木材(同2.1%増)の徴増,コプラ(同4.9%減)の減少にみられる。
輸出が徴増にとどまった一方では,輸入が輸送用機械,弱電及び電気機械などの資本財の増加を中心に前年のそれを9.2%上回った。これは,67年の22.4%の増加率には及ばないが65年の3.0%,66年の7.1%の増加率を上回るものである。とろわけ,67年からスタートした新経済4ヵ年計画の方針である工業化育成の実施とともにここ2年間輸入が高い増加率を示したことは注目されよう。
この結果,貿易収支の赤字は67年の2億5,000万ドルから3億200万ドルヘと増大した。
つぎに財政,金融の動きをみると,新経済計画もとで財政規模が67年に引続いて増大し,中央銀行の借入れ依存が高まった。民間銀行に対する資金需要も増大し,銀行貸出しは67年ほどではなかったが増勢を続けた。政府はすでに国際収支の回復を目的として6月に輸入信用状の開設を規制し,11月には貿易外取引の為替制限を実施した。しかし,こうした政策にもかかわらず国際収支はさらに悪化し,69年に入っても赤字幅は拡大している。
68年の物価動向は主要食糧品である米の記録的な収穫により,消費者物価の安定が続いた(前年比0%)。卸売物価も67年の4.5%の上昇率から2.6%へと鈍化した。
ように68年の経済は,67年からみられる貿易収支の赤字増大を主因とする国際収支の悪化に特徴づけられよう。こうした背景には輸出の伸び悩みはもとより,新経済計画の進展による財政資金の大幅散超による国内景気の過熱,生産財などの輸入増大があげられ69年に入り,国際収支の悪化は政府の政策措置にもかかわらず依然として改善されていない。
政府は,68年の金融引締めをさらに強化し,5月には公定歩合引上げ,商業銀行のプライムレート引上げや,69年度予算に当り歳出規模を前年比5%減にして縮小均衡予算を編成するなどの政策をとった。
こうした措置にもかかわらず上半期の国際収支は輸出が前年同期比1%減,輸入が3.1%増となり貿易収支は1億4,069万ドルの赤字であり,アメリカの特別支出の減少などもあっで,総合収支は1,561万ドルの赤字となっている。このため外貨準備高は前年に引き続いて減少を示し,8月末1億4,525万ドルとなった。このように外貨事情の悪化は深刻化しており,ペソ通貨の相場低落に及んでいる。
68年の経済成長率は,農業,工業生産とも67年の拡大テンポを上回ったため,10.3%(暫定)となった。第4次4ヵ年計画(1965~68年)の目標経済成長率は年平均7.0%とされていたが,65年12.0%,66年9.4%,67年9.9%と計画を上回る伸びを続けている。政府は引続いて第5次開発計画(69~72年)を実施しており,13.0%の年平均経済成長率の達成及び機械,造船,電気,石油化学などの重化学工業の重点開発に取組んでいる。
68年の農業生産は,さつまいも,バナナ,落花生などが前年より減産したが,米の豊作,砂糖,とうもろこしなどの増産により前年比6.4%増となった。これは66年の5.9%増,67年の5.6%増を上回るものである。
工業生産は,輸出,設備投資の増大を背景に1964年以来の活況であった。
すなわち,セメント(前年比14.5%増),人造繊維(同47.7%増)鉄棒板(同8.9%増),綿織物(同8.9%増)などの製造業の伸長により前年を19.1%上回った(67年は16.6%増)。しかし,砂糖,綿糸では前年より多少下回る生産であった。このほか,電力(供給電力が前年比16.5%増)ガス(同33.6%増)も経済計画にもとづく開発により供給の増加が続いた。また,鉄道,自動車などの輸送力も拡大された。
つぎに,貿易の動きをみると,輸出は綿織物(前年比26.6%増)金属製品同51.0%増)合板(同43.2%増)砂糖(同15.3%増)などの主要輸出品の増加を中心に前年を23.4%上回った。この伸び率は1965年以降もっとも大きく,輸出に占める工業品製品比率は第48図にみるように66年55%,67年60%から6詳65%へと上昇した。しかし,米,バナナ,パイナップルなどの食糧品の輸出はいずれも前年より減少した。一方,輸入は石油,原綿,木材などで増加したが,機械及び機械部品などの輸入が前年より減少したこともあって増加率は9.3%になった。この結果,68年の貿易収支は9,030万ドルの赤字となり,67年の赤字幅(1億6,700万ドル)に比べかなり縮小した。
このような実体経済面の活況を反映して,銀行の民間貸出が急増し,通貨供給量も68年初来8月まで8.8%増加した。また,物価の動きもこれまで比較的安定を続けてきたものの,1~8月間に卸売物価8.8%,消費者物価11.7%の上昇をみた。
政府はこうした景気の過熱に対処するため8年ぶりに公定歩合を引上げるとともに,市中預金金利の引上げなどの一連の金融引締め措置をとった。この結果,9月からは通貨供給量,物価の上昇テンポも鈍化をみせて次第に効果があらわれてきた。年間を通じて,通貨供給量は前年比10%増と1962年以来最低となり,物価上昇率も卸売物価2.0%,消費者物価6.3%と当初の予想よりも小幅に止まった。
69年に入り,5月には公定歩合の引下げ,支払準備率の引下げなど引締め緩和策がとられた。また69年よりスタートした第5次4ヵ年計画の所要資金の円滑な調達をはかるため市中預金金利の引上げを行なった。
一方,69年前半(1~6月)の貿易は,輸出が木材,織物,バナナなどの増加により前年比28.4%増と好調である。
輸入も高級機械,電気機械設備等の急増により前年比25.5%増と高い伸びであるが,輸出の増大により貿易収支は68年の500万ドル(1~6月)の赤字から500万ドルの黒字となっている。また,外国民間資本の流入も,電機,品食加工,プラスチックなどの分野を中心に増加しており,観光収入も前年同期(1~6月)に比べ19.2%増である。このため,外貨準備高の増加が続いている。
農業生産は67年に引き続いて68年も不作であったが,鉱工業生産の増大,建設活動,輸出の伸長により実質経済成長率は13.1%と67年の成長率8.1%を上回った。これはまた,第2次経済開発5ヵ年計画の目標を前年と同様上回るものであった。しかし,輸出増を上回る輸入増で貿易収支の赤字が激増し,物価の上昇テンポも依然として高い,こうした状勢は69年に入っても続いており,11月にはウオン貨の対米ドル相場の切下げ措置がとられた。
68年の農業生産は,米の減産なとにより67年に続いて不作であり,農林漁業全体の伸び率は0.3%にとどまった。
一方,5ヵ年計画で重点的に育成策がとられた鉱工業部門は,67年の22.5%の成長率に続いて68年は26.2%の成長を記録し,国民総生産の成長寄与率は45%に達した。この拡大は計画にもとづく高い投資需要と輸出増大を反映するものであり,製造業の増加率は28.5%と顕著であった。なかでも機械工業部門,肥料,石油,繊維工業の生産が急速に増加しており,軽工業対重工業の比率は67年の68対32から66対34へと重工業部門のウェイトが高まっている。また,公共,サービス部門は,道路建設,ビル建設活動が前年比34%増と好調を続け,卸売,小売業の増加も著しく,これら部門の成長寄与率は54.2%に及んでいる。
ところで,こうした高成長を支えた要因を需要別にみると,投資支出は28.3%増加し国民総生産に対する比率である総投資率は67年の26.8%から24.5%に上昇した。しかし,民間消費需要も前年比12.7%増を記録し,国内消費率が88.1%と依然として高水準にある。国内総貯蓄率は67年の12.8%から13.4%に止まり,外資への依存を高めている(67年の9.0%から68年11.1%)。高度成長の持続には高い投資率が必要であり,このためには国内貯蓄率が高められなければならないが,韓国の貯蓄率水準はその意味でまだまだ低い水準にあり,消費需要を抑制して貯蓄を増強するための方策が検討されている。
つぎに,貿易をみると,輸出は国内生産力の増大と輸出振興策により前年比47.4%増を記録した。一方,輸入は輸出用資材と不作に伴う食糧輸入が増大し,前年比42.2%増であり,輸出を上回る輸入の増加が続いた。輸入依存度も67年の22.4%から25.4%に上昇している。韓国の輸入は輸出の増加と平行して増大しており,輸出増進の効果が減殺されている。従って貿易収支面での改善をはかるには輸出用原資材の国内生産の自給がある程度達成されなければならない。
また,68年の物価は,卸売物価が穀物価格の高騰により67年の上昇率6.8%から7.6%の上昇率となった。消費者物価も67年の上昇率(10.9%)のまま依然として高い上昇を示した。
69年の前半の動きをみると,輸出は第1四半期(前年同期比)30.6%増,第2四半期31.1%増であるが,これは,68年の第1・第2四半期の増加率37.0%,51.1%増に比べ増加テンポが鈍化している。一方,輸入はそれぞれ16.8%,28.5%増と前年同期の増加率(第1四半期48.9%,第2四半期67.5%)を下回っているが,その水準は依然として高い。また,物価も消費者物価(10月25日現在)が9.8%,卸売物価6.0%が上昇率を示しており,すでに年間の抑制目標に達している。また,通貨供給量(1~9月)も30%の増発をみせている。
このような根強い物価上昇と貿易収支の悪化を反映してウオン貨の対米ドル相場が低落し続けてきたが,世銀,IMF筋からウオン貨切り下げの要請がなされたこともあって,政府は11月3日現行のローリングシステムのもとでウオン貨の4.5%切り下げを実施した。同時に,通貨発行の抑制などの物価対策を打ち出した。