昭和44年

年次世界経済報告

国際交流の高度化と1970年代の課題

昭和44年12月2日

経済企画庁


[目次] [年次リスト]

第1章 アメリカ

1. 1968~69年の経済動向

1968年は物価騰貴の加速化に対して年央以降,10%の増税が実施されるなど財政・金融の引締めが強化されたが,65年以来,ひき続くインフレから,企業,個人の間にインフレ・マインドが浸透し,引締め効果はほとんどなく,インフレ的な成長をいぜん続けた年であった。この年11月には総選挙があり,61年に始まるケネディ・ジョンソン大統領時代は終わり,69年1月,共和党のニクソン大統領が登場した。ケネディ大統領就任当時とは違って,ニクソン大統領は漸進主義をとり,経済政策の運営にも,前大統領時代の方針を踏襲するものが少なくなかった。ベトナム戦費の増大,インフレの高進,国際収支の悪化などによって,政策転換の余地が乏しかったからでもあるが,70年6月まで,大統領就任後1年半の長い期間にわたって独自の連邦予算を実行することができず,ジョソン予算を踏襲しなければならなかったという制度上の制約もあろう。

1968年3月のゴールド・ラッシュで金の二重価格制が実現して以来,ドル不安は遠のき,かわってフラン,マルク投機の中心が移動したため,ドルの信認を取りもどす好機が与えられたのであったが,69年第1四半期には港湾ストなどの影響があって,国際収支は極度に悪化し,第2四半期には,年率148億ドルもの赤字を記録した。貿易収支は69年第3四半期に前年水準に回復したがインフレと国際収支赤字はニクソン政府にとって早急に解決を要する課題となっている。

1968~69年における国民総生産は1968年上期に名目5.2%(季節調整済み,前期比)の成長をとげたのち下期には3.9%,69年上期には3.6%としだいに速度を下げ,一方物価騰貴を除いた実質成長率ではそれぞれ3.2%,1.8%,1.1%と漸減した(第1表および第1図)。

69年の四半期別では第1,第2四半期に名目1.8%,第3四半期に1.9%となって,成長速度は高まったかのようにみえるが,物価の騰貴をさし引いてみると,上半期に1.9%となって,成長速度は高まったかのようにみえるが,物価の騰貴をさし引いてみると,上半期の四半期平均0.57%から第3四半期の0.51%へ僅かながら成長速度の鈍化がみられた。69年第1~第3四半期の動きを通してみられる特質は①設備投資ブームの持続,②財政引締め下にあっての,政府支出の急増,③個人消費支出の増勢鈍化傾向,④在庫投資の増大などである。

(1)設備投資の増加

次に以上の特色をやや細かく検討してみよう。

1968年の設備投資は前年比3.9%増,69年では10.6%(7~8月調査による)増見通しとなっているが,しかし年初商務省,証券取引委員会が調査した前年比13.9%増,4~5月調査の12.6%増予測を下回り,調査を重ねるたびごとに投資意欲の減退が明らかになった。69年7~8月の調査結果によると,設備投資は68年第3四半期に6億ドル(季節調整済み,年率)ふえたのち,第4四半期には27億ドル増,69年第1四半期にはさらに力を増して30億ドル増となったが,第2,第3四半期の増加はそれに及ばず,第3四半期をピークとして,第4四半期には1億ドル減少見通しとなっていた(第2図)。年初来の経験によると,設備機械の納期遅延,建設工の不足などで,支出実績は計画を下回り,つぎの四半期にずれ込む傾向もあった。はたして10~11月調査の結果は第4四半期の予測値を大幅に増額修正したばかりでなく,第3四半期も上向きに修正,69年全体としては11.2%増に改定された。70年第1四半期は69年比11%増と強気に変わった。なお,マクグロー・ヒル社調は5%増(8月表発の数字による11月発表では8%増),ライオネル・エディ社調べでは7%増の見通しである。

(2)政府支出の増大

1967年央に増税と連邦支出の削減が抱き合わせで議会を通過した関係もあって,68年第4四半期以来連邦・地方財政による経済刺激効果はしだいに減衰していたが,69年第3四半期には急増した。この原因は69年はじめ以来絶対額で減少していた連邦財政支出が第3四半期に再増に転じたことである(第3図)。防衛支出の増大,公務員給与の引上げによるものである。連邦財政のほか地方財政もまた引続きふえているため,68年に議会が可決した60億ドル程度の連邦支出削減の場合,地方財政の増加で帳消しになり,連邦・地方財政の総額が減少する可能性はまずないようである。またGNP増加寄与率でみた財政支出は68年平均28%,同年下期24.6%,69年上期19.2%(いずれも四半期平均)としだいに減少したのち,第3四半期には,28.0%となった(第2表)。しかし上述したようにこの期には特殊要因もあり,ベトナム支出がしだいに弱まる方向にあるので,今後1~2四半期の間大きな経済浮揚力とはならないであろう。

(3)個人消費の弱まり

個人消費の伸びはしだいに弱まる傾向がある。68年第4四半期には異常寒波やかぜの流行から増勢が鈍り,実質価格では僅かながらも前期水準以下となった。その反動もあって69年第1四半期には年率113億ドルふえたが,第2四半期には108億ドル,第3四半期には88億ドルとしだいに増加速度が衰え,GNP増加寄与率でも,69年第1四半期の69.8%を最近のピークとしで第2四半期67.1%,第3四半期50.3%としだいに減少した。その反面個人の可処分所得に対する貯蓄率は68年下期の四半期平均5.9%から69年上期の5.3%へ減少した後,第3四半期には6.4%に急上昇した(第4図)。

それにしても最近発表される消費者動向がやや警戒色を強めているのは注目されよう。

ミシガン大学消費者リサーチ・センター調べによる消費者購買態度指数は,2~3月調査の95.1(1966第1四半期=100)から5~6月調査の91.68~9月調べの86.4としだいに低下しており(第3表),10月央に発表された全米産業評議会(NICB)のアンケート調査でもまた今後6カ月間に大型家庭電機購入計画をもつ世帯は全回答者の37%で,前回調査当時の44をかなり下回り,新車購入計画世帯は前回の5.3%から5.1%へ微減し,新規住宅では前回同様1%であったが,中古住宅購入計画世帯は前回の3%から今回の2.7%へ減少した。

以上のような消費者態度が実支出に現われるまでには通例3~6カ月かかるので,69年第4四半期と70年第1四半期にその影響が現れるであろう。

(4)在庫の増大

1968年第4四半期には在庫が異常に増大し,その反動から69年第1四半期には在庫調整があったが,第2,第3四半期すはふたたび増勢に変わって,その成行きが注目される(第5図)。69年第1~3四半期のGNPから在庫増加分を差し引くと,最終需要はそれぞれ9,021億,9,179億,9,329億ドル(季節調整済み,年率)となり,第2四半期の最終需要は前期比158億ドル増,第3四半期150億ドル増となって,名目値による最終需要の増勢は鈍化している。

在庫投資を農産物と非農産物に区分すると,第3四半期に非農産物の増加額が大きかった。全事業の売上・在庫比率は68年下期にやや下がる傾向をみせていたが,12月に急増,その反動もあって,69年第1四半期には比較的低水準にあったものの69年7~8月には前2カ月平均以上となり,前年同期比でもまた69年7~8月の方が高くなった(第4表)。

(5)その他

その他GNP構成項目のうち,注目されるのは財貨・サービスの純輸出動向であろう。商品貿易については別項で述べるが,サービスを合わせた対外取引黒字は68年に前年比約50%の減少となった。68年第1四半期に港湾ストの影響で輸出が振わず,半面輸入は非鉄金属ストの影響で増大したため,財貨・サービス純輸出は減少,第2,第3四半期に回復したものの,インフレ的ブームの進行からその後3四半期には10億ドル台(年率,季節調整済)まで下った。もちろん港湾ストの影響も加味しなければならないが,ストの影響の去った69年第3四半期でもなおネット20億ドルの黒字にとどまり,61~65年平均(61億ドル)の3分の1に縮小した。

2. 部門別動向

(1)工業生産

工業生産は1967年に1.2%増加の後,68年には4.6%伸びて,前年を大幅に上回った。69年にはいっても7月まで増勢が続いたが,8~10月には2カ月連続低下した。(第6図)低下の原因は自動車のモデル・チェンジや在庫圧力であるが,10月~11月自動車在庫増から12月には生産調整が行なわれた。

68年の生産をマーケット別にみると消費財,原料,設備財の順で伸率が高い。しかし,69年1~9月についてみると,原料ならびに設備(7%増)が主導力となっており,消費財の1,2%増をはるかに上回った。これは上述したように自動車のモデル・チェンジの影響とみられるが,70年型車の販売見通しはよくない。

産業別にみれば68年中の非耐久財の生産の伸びは耐久財生産以上に増大したが,68年暮から逆転し,耐久財生産がリードした。69年の投資ブームを反映したといえるが,8~9月にはいずれも減少に転じた。

過去の設備投資によって,生産能力はしだいに増大したため,製造業の操業率は66年の90.5%をピークとして,68年には第3四半期まで減少の後,その後3四半期にわたり微増した。いずれにしても,適正操業率水準には達していない。(第5表)

なお工業生産には,かなりベトナム戦の影響があると思われるが,工業生産指数では直接補捉できないので,製造業の出荷額でみると,67年から68年へかけて軍需品出荷額は17.6%ふえ,69年1~8月では僅か4.6%にとどまった。防衛発注でみれば,69年2月の43億9,200万ドル(季節調整済)を69年のピークとして年央まで減少傾向を示し,7~8月にやや増大したが,69年夏には防衛費30億ドルの削減発表もあり,今後はこれまでほどの生産増加要因とはならないように思われる。

(2)建  設

新規建設支出は引締め下にも引続き上昇したが,69年1,2月には頭打ちし,第2四半期に微減のあと7~8月は横ばいに終わった。

住宅建設は金融引締めの影響を最も強く受ける部門といわれながらも,今回の引締め期にはさほど急速な反応を示さなかった。しかし住宅着工戸数でみれば,69年2月から減少に転じ7月はじめて前年同月水準を割った。反応が遅れたのは需要の根強さにもよることながら,建築費の値上がりが余りに急速であり,かりに高金利を負担しても,いまのうちに建てた方が有利というインフレ・マインドにも無関係ではあるまい。それにしても69年8月の民間住宅着工戸数は前月比微増となり,9月には急増して,4カ月前に水準にもどったが(第6表)これは一時的な特殊要因に基づくものとされている。新規民間住宅許可戸数では69年4月をピーク(着工戸数では1月がピーク)として,9月まで傾向的に減少しているところからみると,住宅建築は趨勢的には減少過程にあると思われる。

(3)物  価

1)卸売物価

物価騰貴はいぜん継続しており,ジョンソン大統領以来のインフレ抑制対策はあまり奏功していない。卸売物価は1967年には0.2%騰貴したのち68年には2.5%と近年まれな大幅騰貴となった。69年にはいっても騰勢が続いているが,7~8月やや安定後,10~11月に上昇速度を高めた(第7図)。68年の騰貴は67年に下落していた農産物が反騰に変わり,加工食糧および飼料が上昇に変わったからである。しかし工業製品も前年よりは上げ足を早め,69年にもいぜん騰貴を続けた。69年央以降総合指数の騰貴速度が衰えたとはいっても,それは農産物ならびに加工食糧および飼料の値下がりによるものであって,工業製品価格は8~9月に年率5%の速度で上昇し,上半期の年率3.6%以上に達したところに,なお問題を残している。

なお68~69年の特色はといえば,こうしたインフレの主因が工業原料よりも,むしろ完成品の騰貴に求められることであろう。これはあとにも述べるように生産性を上回る賃金が物価に転嫁されたものとみられる。

2)

消費者物価もまた卸売物価同様急騰を続け,68年には前年比4.2%もの上昇となり,67年の2.8%騰貴とは比較できないほどのインフレとなった。(第8図)68年以降の財政,金融引締めにもかかわらず消費者需要は余り衰えず,69年にはいってからは農産物反騰の影響も加わり,1~9月には前年同期比5.3%の騰貴であった。

3)賃  金

1961年以来,65年まで年間2%台にとどまった製造業の時間賃金上昇速度は66年には3.4%となり,67年4.7%,68年6.1%と加速的に上昇し,69年7月までの12カ月間でもなお6.2%に達した。しかし物価の上昇がはげしかったため1957~59年価格でみた製造業の実質週間賃金は68年央以降低下に変わり年末上昇したものの69年にはいってからは,前年同期水準以下に下がる月さえみられた。(第7表)

一方,製造業の生産性は賃金ほど上昇しなかったため,単位生産当たり賃金コストは上昇した。すなわち68年初から年央までには1.2%上昇したのち,その後年末までは1.9%にも達した。68年には非鉄,鉄鋼など大手の賃上げが続いたからであるが,その後69年9月までに製造業の単位生産当たり賃金コストは2.8%上がり,一方工業製品卸売物価は2.7%高となって,賃金コストの上昇速度の方がやや高い。

賃金の大幅上昇を防ぐため,ケネディ大統領は1962年にガイドポスト方式に訴え,年間の賃上げをその年の生産性上昇わくのなかにおさめれば,インフレを起こさずにすむとして,労使の説得にかかったが,ブームの進行とともに完全雇用が実現し,部分的には労働力不足もみられるに及んで,労働組合の交渉能力は高まり,需要の強さは経営者に大幅賃上げの一部を価格に転嫁させるに至った。こうしてジョンソン大統領末期には事実上,ガイドポスト方式は廃止さそ,物価,賃金の安定は政府が労使に値上げや賃上げを抑制するようアピールするにとどまった。

ニクソン政府は組閣当初から物価,賃金問題には関心を示しながらも,ガイドポスト方式の復活には反対し,前政府同様,もっぱら財政,金融政策によって,総需要を抑え,景気の過熱を冷却する方法を選んでいる。

(4)財  政

1968年1月,ジョンソン大統領は懸案であった10%の付加税その他の財政引締やを議会に要請した。総額153億ドルに及ぶものであったが,60億ドルの財政支出削減を要求する議会との間に意見の対立があり,ようやく6月,60億ドルの支出削減と抱き合わせで成立,7月実施された。しかし後述するように翌8月には金融が早くも緩和されて,タイミングを失したこともあって,需要抑制効果はほとんどみられなかった。

ジョンソン大統領は69年1月,70年度の黒字予算を編成し,ニクソン新大統領に引き継いだが,3月26日ニクソン大統領は,69,70年度予算の一部を補正した予算教書を議会に送った。これによると,70年度予算では4月1日に引下げを予定されていた電話,自動車の消費税が1年繰延べとなり6月末期限のくる10%の付加税もまた延長された。これによる増収分は105億ドル(付加税95億ドル,自動車,電話消費税据置10億ドル)歳出面ではジョンソン大統領の要請額(1,953億ドル)の削減を要請しただけで,金額は示さなかった。

1969年4月議会に提出されたニクソン大統領の新予算案によると,支出額はジョンソン予算よりも24億ドル削減,歳入は不変であった6その後5月には物価騰貴分を修正,歳入を5億ドルふやして収支尻では63億ドル黒字(ジョンソン予算原案では34億ドル黒字)となった(第8表)。なおジョンソン大統領の予算提出後のアメリカ景気はいぜん過熱を続けていたため,ニクソン大統領は7%の投資減税を取りやめると発表し,10%の附加税は69年末まで10%,70年6月まで5%とした。

それでもなお財政引締めての効果は出なかったので8月21日には年間31億ドル防衛支出を削減すると発表され,9月には連邦政府の建設計画を75%削減することになった。69年度内の節約額は約16億ドルに達するが,発注と支出の時間的ずれから,実支出の削減は3億ドルにとどまる見込みである。

なお連邦財政の動きを国民経済計算ベースでみると68年第2四半期以来,支払超過額が急減し,69年第1,2四半期には黒字幅をしだいに拡大して,財政引締め状況がはっきり読みとれるが(第9図),暫定データによると,第3四半期には支出の増大する半面,歳入が微減して,黒字幅は縮少したようである。

(5)金  融

1968年8月15日,連邦準備理事会はミネアポリス連邦準備銀行の単独公定歩合引下げ(0.5%から5.25%へ)を承認した。増税と財政削減が既定方針となり,その結果として金融市場に変化が起きたので,公定歩合を引き下げるというのであった。しかし,このとき連邦準備理事のなかには反対意見をもつものもあり,またニューヨーク連銀は国内インフレは続き,国際収支にはなお問題ありとして,引下げを渋った。しかし,その後他の連銀が徐々に追従したため2週問おくれて8月29日ようやく,5.25%へ引き下げた。(第10図)

この引下げが失敗であったことは後日の金融動向からも明らかであった。

ミネアポリス連銀の公定歩合引下げ後,まもなく短期金利は上昇に転じた。

生産活動も引き続き上昇し,インフレは続いた。国際収支(基礎収支)も,いまだ引締めを緩和すべき段階でもなかった。なぜ,このような引下げが行たわれたかは,①秋の大統領選挙の切迫,②増税ならびに財政引締め効果の過大評価と無関係ではあるまい。増税(10%の付加税)可決の条件として議会鴫連邦政府支出の69億ドル削減を要求したが,現実の支出は68年第2四半期の990億ドル(季節調整年率)から第3四半期の1,019億ドルヘ10億ドル増大して需要刺激の方向に動いた。10%の増税も7月から実施されたが,個人消費抑制効果はほとんどなかった。(68年第3四半期の個人消費支出は年率146億ドルもふえて,前期の97億ドルをはるかに上回った)。

つまり財政引・締めの効果はほとんどみられず,その上生産活動は上向いていたので,賃金需要はますます高まり,3ヵ月もの財務省証券レート(新規発行分のみ)は8月平均の5.095%から11月の5.492%へ上昇,超一流社債利回りは同じ時期に6.02%から6.45%へ騰貴した。

以上のような金利上昇動向を反映して,プライム・レートもまた上昇した。連邦準備の金利引下げ方針を反映して68年9月25日以来6.5%から6%ないし,6.25%へ引き下げられていたものの12月2日には6.5%,同月18日には6,75%と矢つぎ早に引き上げられた。

こうした情勢にかえりみて,1968年12月18日,連邦準備は従来の引締め緩和方針を逆転させ,公定歩合を5.25%から5.5へ引き上げた。これによって過去40年来の最高本準となった。

これだけの高水準でありながらも,消費者の購買欲は衰えず,投資は高水準を続け,物価の騰貴速度はさらに加速する気配さえ感じられ,しかも69年第1四半期の国際収支は港湾ストの影響も加わって,極度に悪化した。(68年第4四半期の季節調整年率34億4,800万ドル黒字から69年第1四半期の66億1,200万ドルヘ)。このため69年4月3日,連邦準備理事会はボストンを除く全連銀の公定歩合引上げを承認した。これで5.5%から6%へ0.5%引き上げられ,前回の0.25%の幅より大きくなったばかりでなく,預金準備率も0.5%引き上げられ(前回の公定歩合引上げ時には変更されなかった),公定歩合の水準は1929年以来の最高となった。また預金金利の最高を定めたレギュレーションQは68年4月19日の公定歩合引上げ時に部分的な引上げがあっただけで,68年12月,69年4月の公定歩合改定時にはいずれも据置きとなった。このため銀行は預金の取入れが困難となり,窮余の策として銀行はユーロダラーの借入れその他の手段に訴えた。しかしそれは制限金利以上のコストを必要としたため,貸出金利を引き上げる作用をした。

商業銀行のプライム・レート(超一流企業貸出金利)は金融の引締まりを反映して67年末から上昇傾向にあり,68年上期に1回,下期に3回小刻みな引上があり,69年1月には公定歩合引上げ前の1月7日に6.75%から7%へ,3月17日にはさらに7.5%に引上げられており,公定歩合との開きはすでに2%にも達していた。この当時から公定歩合が市場金利にさや寄せするのは,時間の問題とみられていた。2%も開いたのは,1958年以来のことであったが,連邦準備が公定歩合の引上げをその後2旬にわたって引き延ばしたのは,当時入手された1,2月の経済指標では,引締めの浸透をいくらか感知させるものがあったからである。1月の個人所得の伸び悩み,乗用車売上げの激減,製造業受注の横ばいなどがそれであったが,その後発表された統計は景気過熱の再発を思わせるものが少なくなかった。

2月の個人所得は再増して,68年と同一速度を取りもどし,2月の耐久財,工作機械受注もまた増勢に変わり,12系列の先行指標も上昇,1~2月中に調査された商務省・証券取引委員会の工場・設備投資予測は69年に前年比13.9%増と発表され,68年の3.9%増,67年の1.7%増をはるかに上回った。68年末落ち着くかの様相をみせた消費者物価は1,2月に上げ足を早め,賃金も上昇,単位生産当たり労務費は68年第4四半期にやや安定するかのごとくみえた後,69年1月1.1ポイント,2月0.3ポイントと,インフレの悪性化が目立った。こうした背景のもとにニクソン政府下最初の公定歩合引上げがあった。それに伴ないプライムレートも6月8.5%へ引き上げられた(第9表)

以上のような高度の引締めでもなお,需要は衰えず,物価の騰貴は続き,国際収支にもいちじるしい好転はみられなかった。そこで連邦準備は69年6月24日の理事会で,公定歩合引上げの可能性を検討したが,多数説とはならなかった。多数意見ではむしろ引上げを時期尚早とし,銀行の預金以外の手段による資金取入を規制することに決定した。その後理事会は別項に述べたようにユーロダラーの取入れ規制にふみ切り,またバージンアイランドのように連邦準備の規制を受けない地域で制限金利以上の利息を払って預金を取り入れる抜け穴をふさいだ。また10月には商業銀行には認められていないコマーシャル・ペーパー(短期単名手形)がワン・バンク・ホールディング・ロンパニーを通して発行され,事実上制限金利(6.25%)以上で取引されているため,金融引締めの抜け穴となっていた。これを防ぐため,連邦準備理事会は10月29日,レギュレーションQを改定して6.25%の最高金利をコマーシャル・ペーパーにも拡大適用する意向を声明した。

以上のような引締めにより通貨の供給量は改定統計によると,金融引締めの再開された68年12月日から69年4月までの間に年率5.2%ふえ,68年下期の7%増をはるかに下回った。その後の4カ月間ではほとんど横ばいし,公定歩合の引上げこそなかったにしても引締めは通貨供給の抑制によって,その目的をはたす方向に動いた。

(6)前回の引締めとの比較

6%の現行公定歩合は1929年以来40年ぶりの高水準であり,前回の高金利時代よりも,1.5%高い。前回の引締め当時は65年12月に公定歩合が4%から4.5%に引き上げられ,引締め政策は66年11月まで約1年間維持され,67年はじめにミニ・リセッションの原因となった。今回の引締め局面では68年12月に公定歩合が0.25%引き上げられて5.5%となり,4月にはさらに0.5%引き上げられ,前回の引締め当時よりも引上げ回数が多く,引上げ幅もまた大きかった。それを反映して3カ月もの財務省証券利回りは6月央までの半年間に0.876%騰貴した。これに反し前回は同じ期間に0.184%の上昇にとどまった。なお今回の引締め開始後9カ月目の時点とそれに相応する前回の金融引締め時点とを比較すれば,次のとおり

    ① 前回の引締めは1965年12月の公定歩合引上げから66年11月ころまで約11カ月続いた。今回もほぼそれに等しい期間を経過した。

    ② 今回の引上げは68年12月と69年4月の2回あり,第1回引上げ後約5カ月の間に急速に引き締められた。

    ③ 商業銀行の投融資は公定歩合の初回引上げ後9カ月目に今回は3.3%増で,前回の5.496に及ばない。

    ④ 一方,預金は今回の2.3%減に対し前回4.4%増はであった。

    ⑤ したがって,今回は前回よりも借入金をふやして投融資需要を伸ばした。

    ⑥ 預金がふえず,投融資需要の多かった事実は今回の預貸率の高まりにみられる。69年4月末現在の預貸率は前回引締めのきびしかった66年10月の水準を越えた。( 第10表)

なお,今回は資金補給目的に米銀が多量にユーロダラーを取り入れたため,この市場を通して,高金利を世界に輸出する傾向がみられた。(前回は65年11月から66年8月までに3カ月ものユーロダラー金利は5.07%から6.62%へ1.57%上げたのに対し,今回は68N.11月の6.86%から69年8月の10.72%へ3.86%も騰貴した。)前回は民間住宅着工戸数に早目に引締め効果が現われ前年同期以下まで下がったが,今回はさほど急減しなかった。65~66年の金融引締めで,銀行の資金状況を示す指標である自由準備(連邦準備加盟)銀行の連邦準備銀行に対する超過準備から加盟銀行の連邦準備借入を差し引いたもの)は69年11月末のマイナス8,300万ドルから66年8月末のマイナス3億9,000万ドルヘ3億700万ドル悪化したのに対し,今回は同じ期間にマイナス2億5,000万ドルから9億9,000万ドルヘ約7億4000万ドル悪化した。(第11図)今回の引締めが異例なきびしさであることを明示している。これほどの引締めであるにもかかわらず,物価の上昇速度が早いのは(前回の公定歩合引上げ後9カ月目に消費者物価は2.9%上昇したのに対し,今回は同一期間に4.8%上昇),68,69年にはコスト・プツシュも強まり,消費者,生産者のインフレ・ヘッジ的な気構えが根強い需要をつくり上げたからであろう。

(1)国際収支

1968年1月のドル防衛措置強化,政府間の特殊取引増加によって68年の国際収支は1億6,800万ドルの黒字を記録した。1957年以来久しぶりのことであった。67年の35億4,400万赤字ドルに比べてみれば実に驚くべき好転であった。とくに68年第4四半期には季節調整済,年率で34億4,800万ドルもの黒字となった。主因は特殊的なものであって,69年にはいって,その反動が現われた。

68年の国際収支好転要因の一つは68年夏以来の証券投資流入である。ヨーロッパや中近東の政治不安から対米証券投資が活発化し,外国人の買ったアメリカ証券はほぼ前年の倍となった。またドル手持の多い主要国に対しては長期の米政府証券の購入を要請し,約20億ドルの黒字要因となった。またアメリカ国内の高金利と商業銀行の手持資金のひっ迫から対外融資は前年とは逆に引き揚げられ,前年比約7億ドルの好転となり,68年1月のドル防衛目標を2億ドル上回った。

以上のような資本収支の好転が黒字花の主因であって,経常収支黒字はむしろ減少した(第12図)。すなわち68年の経常収支は25億ドルの黒字であって,67年の半分以下であり,それ以前の年に比べるとそれ以上に大幅な減少である。海外軍事支出が約2億ドルふえたということもできようが,原因はむしろ好況下あ大幅輸入増と輸出の減退である。68年の輸入は前年比約62億ドルふえたのに対し,輸出は29億ドル増にどどまったので差額32億ドル悪化した。69年にはいってもこの傾向は変わらず,第1四半期には港湾ストもあって約4億(季節調整,年率)ドルの赤字となり,第2四半期にもなお3000万ドル近い赤字であった。このため69年上期の経常収支黒字は13億ドルにとどまり,前年同期の26億ドルの半分となった。

前述のように68年における経常収支の悪化は資本収支の好転で救済されたのであったが,69年には前述した特殊要因が失なわれたほか,外国資本の流入がいちぢるしく減少,また海外民間直接投資緩和の声も聞かれて,第2四半期にはその流出増加も加わり,四半期としては最高の総合収支赤字(季節調整,年率で148億ドル)を出した。これで69年上期の総合収支は約107億ドルの赤字となって,前年同期の11億ドル赤字,68年下期の14億ドル黒字とは比較にならぬほど悪化した(第13表)。

1)輸出の不振,輸入の増加

通関ベースでみた1968年の貿易収支は僅か10億ドルの黒字にとどまり,近年まれにみる小幅なものであった。①インフレ,②国内需要の増大によるもので,出超幅は第3四半期の4億7,000万(季節調整済)ドルをピークに第4四半期にわずか5,300万ドルに減少,69年にはいってからはいっそう悪化した。港湾ストの影響でもあって第1四半期には6,800万ドルの赤字に転落,第2四半期に回復したものの,2億1,800万ドル黒字にすぎず,年率になおしてもまだ1967~68年平均の3備にははるかに及ばなかった。第3四半期にようやく5億8,100万ドル黒字まで回復したが。それでもなお67~68年の四半期平均約10億ドルの半分である(第11表および第13図)。

69年1~9月の輸出を年率になおせば364億3,000万ドルで,前年比7%増,一方,輸入は69年1~9月を年率にひき伸ばして354億6,000万ドル,同じく前年比7%増である。68年に輸出は前年比10.1%の伸びにとどまったのに,輸入は23.9%も伸びていたのと比べれば,輸入の落ち着きがみられる半面,輸出の停滞が気がかりになる。

69年1~7月の地域別輸出額ではカナダ向けが16.2%増で,最も大幅であり,ヨーロッパの11.2%増がこれに次ぎ,日本向けは8.6%増であった。その他地域は2~3%増にとどまり,大洋州向けは9.6%減少した。

輸入は68年にヨーロッパ,北米地域から26%,アジア地域からは24%ふえ,69年1~7月では前年同期比アジア22%,北米17%ふえた半面,ヨーロッパから1,496減となった。

品目別の輸出では農産物よりも工業製品その他非農産物の伸びが大きい。

69年1~6月の非農産物輸出は季節調整後147億ドルで,68年7~12月水準の約2%増,68年上期比11%増であった(ただしこのなかには軍事輸出約6億ドルが含まれている)。主要品目別で最も大幅に伸びたのは電気機械であり,なかでもエレクトロニクス部品,テレビその他電気装置である。部品輸出の増大原因は,香港,シンガポール,韓国向け輸出の増大であり,電気装置ではカナダ,イギリス向けレーダーがあげられる。非電機は68年上期から下期にかけて大幅にふえたが,その後は停滞的である。コンピューター完成品ならびに部品輸出も68年上期の2億1,900万ドルから下期の2億6,800万ドル,69年上期の3億1,800万ドルヘ順調に増大した。しかしメキシコ,韓国,香港向けコンピューター部品の増加は現地系列会社で組立後アメリカに再輸出されるものが多かった。

自動車輸出も増大した。完成車ならびに部品の多くが陸路カナダに輸出され,港湾ストの影響を受けなかったのも一つの原因であった(カナダ向けは季節調整後前期比11%ふえて,14億ドルとなった)。このほかカナダで69年からサブ・コンパクト・カーの生産が始まり,そのための部品輸出増があげられる。民間航空機の輸出は68年上期急増後,下期には微減し,69年上期にやや回復,7億100万ドルとなったが,前年同期の7億2,500万ドルにやや及ばなかった。(このほか航空機部品ならびにアクセサリーの輸出が69年上期に2億5,800万ドルある。前期比では2,200万ドルふえたが前年同期よりも500万ドル少ない)。

化学品は船積輸送される関係から69年上期に大きな影響を受けた。

1969年上期の輸入商品では,消費財の増加が目立っている。季節調整後の消費財輸入は53億ドルに達し,68年下期を9%近く上回った。だが68年上期,下期にみられたほど大きな伸びではなかった。なかでもカナダ製自動車の輸入が急増した。アメリカの親会社がカナダに部品を輸出し,完成品として輸入するサブ・コンパクト・カーがふえた。アメリカ・カナダの間には65年に自動車協定ができ,相互に無関税の取引きが実現した。このためカナダ製自動車の対米輸出比率が激増,684.には56%,69年上期には60%に達した(65年=5%)。なお日本製自動車の輸入は引き続き増大し,外車輸入総数に占める毛率は6秤の4%から69年上期の18%とな。

テレビ,ラジオの輸入は季節性もあって68年下期に急増したのち,69年上期には減少した。しかし,前年同期水準をはるかに上回っている。国内需要の増大のほか,国内での組立てがしだいに低賃金の海外工場に移りつつある事実も見逃がせない。ラジオの輸入はすでに国産額を上回るに至り,外国製テレビは国内売上総額(輸入を含む)の20%余に相当する。

投資ブームの影響から資本設備(機械類とバス・トラック)の輸入は急増し,69年上期には季節調整後19億ドルとなり,68年下期比8%,資本財輸入の約20%を占める機械類は前期比10%増となった。主要増加品目は事務用機械,カナダ製電気通信設備,建設機械,冷暖房装置,科学実験機械であった。

第12表 商品貿易

2)貿易不振の原因

1968年には操業率も落ちて,製造業にはゆとりが発生したが,一方,コスト・アップから製品価格が上昇し,国際競争上不利となった。製造業輸出価格指数では68年に前期比2%騰貴し,主要6カ国の平均とは逆な動きをみせた( 第13表 )。とくに68年第2四半期には3%,第4四半期には2%,いずれも前期を上回り,69年第1四半期にも2.8%上昇,前年同期比では5%高となった。6カ国の総平均2.8%高に比べて,いちじるしい騰貴といえよう。

その原因が大幅な賃上げにあったのはいうまでもない。

製造業の単位生産当たり賃金コストは68年後半から増加テンポを高め,69年第1四半期にはやや落着いたものの前年同期比2.8%となり,安定的であったイタリア,西ドイツ,日本に比べていちじるしく不利であった(第14表)。(日本69年第1四半期に前年同期比1%高,西ドイツ1%安,イタリア68年第4四半期に前年同期比1%高)わが国の対米輸出はベトナム戦のはじまった。1965年以来黒字を続けているが,日本品の進出がアメリカの業者に打撃を与えるといった理由から,わが国は早くより国際綿製品協定による対米輸出の自主規制を行なってきた。

その上68年7月には鉄鋼輸出を自主規制することとなり,11月ヨーロッパ諸国も同じく規制しはじめた。

第14表 単位生産当たり賃金コスト

3)ドル防衛の強化

1968年1月18,ジョンソン大統領はドル防衛を強化し,とくに海外民間投資や銀行融資を引き締めることにした。その効果もあって海外民間投資は67年の31億5,400万ドルから68年の30億2,500万ドルヘ減少し,銀行の海外融資は国内金融の繁忙もあり,短期請求権で6詳中1%増にとどまり,長期請求権では減少さえ示した。

ドル防衛方針はニクソン大統領に継承され69年4月4日の「国際収支特別教書」は次のような6項目の改善方針を明らかにした。すなわち,①輸出の増大,②外国の対米差別の撤廃,③諸外国に対する防衛努力の肩代わり要請,④観光収支の改善,⑤対米投資の促進,⑥SDRj(IMF特別引出権)の早期発効促進などである。

以上の措置は1960年に共和党のアイゼンハワー大統領以来民主党大統領によって提唱された対策の域を出ていない。

だが,この教書のなかで,国内のインフレ抑制が奏効し,またドル防衛が結実すれば,対外投融資規制の緩和が可能になるとして,次に掲みる三つ具緩和方針を明らかにした。

    ① 直接投資の規制わくを1社当たり,100万ドルに拡大する。

    ② 金利平衡税の実効税率を1..25%から0.75%へ引き下げ,69年7月から1年半延長する。

    ③ 対外融資に新たに選択基準を設ける。

というのであった。これに対応して同日,財務,商務両省と連邦準備理事会はそれぞれ具体化措置をとった。

①は従来1社当たり20万ドルとなっていた対外投資わくを100万ドルに拡げ,③は従来65年末融資額の109%となっていた銀行の対外融資わくのほか新たに68年末現在の全資産の1.5%というわくを新設し,いずれか有利な方を選択できることにした。

②の金利平衡税は63年7月,ケネディ大統領の提案により,後日実施され,当時は1%となっていたものをそのご1.25%まで引き上げた。これを今回0.75%まで引き下げることになった。これに伴なって株式に対する金利平衡税は18.75%から11.25%まで引き下げられる。(株式に対する金利平衡税は67年8月26日まで15%,それ以後18.75%へと引上げられていた)。

以上のような規制緩和に対して自動車,化学,石油,電機の大手企業は不満を示し,第2次緩和を政府に要望している。

一方,前政府時代に大幅削減を実現できなかった海外軍事支出に思い切った節約が行なわれようとしている。69年春にはベトナム派遣軍の一部本国引揚げがあり,8月21日には年間30億ドルの軍事支出削減が発表された。その過半に相当する17億ドルは兵力22万人Q削減であるが,次いで10月末にはアメリカ内外の軍事基地307カ所の閉鎖,縮小,兵員3万7,800人,文官2万7,000人の整理を発表した。8月発表の削減わくのなかでの具体的措置と解されるが,これによる節約額は年度6億900万ドルである。これが国際収支に及ぼす影響は明らかでないが,べトナム戦争の縮小だけでも,かなりの支出軽減となろう。

3. 1970年の経済見通し

1969年10月に開かれたビジネス・カウンシルによると,70年の実質成長は1~2%で,69年以下となり,上期停滞,下期上昇となっている。物価の騰貴速度は,69年の5%から70年の4%へ下がるが,まだかなり高い。

政府筋の70年見通しは10月29日,ロスアンゼルス地区商業会議所でスタンズ商務長官から発表された。これによると69年のGNPは9,330億ドル,名目成長率は7.8%,物価騰貴はビジネス・カウンシル資料と同じく5%,実質成長率では3%未満であり,70年には名目5%ふえて9,800億ドルとだけ発表され,物価騰貴は明らかにされていない。前記資料の推定騰貴率4%を当てはめてみると,実質成長率は1%となる。上期と下期の別はビジネス・カウンシル報告資料と同様である。

現状はといえば,8月~10月の工業生産が下がり,9月の失業率がいっきょに0.5%上昇して4%となり,その後好転したものの一部には景気後退を恐れる声もでており,金融引締め緩和の要望も強い。そのほか70年秋には中間選挙を控えているため,物価騰貴や国際収支問題の解消をまたずして,政策転換の行なわれる可能性がなくもない。それにしても連邦準備の金融引締めはなお当分継続を予想され,財政引締めの効果と相まって70年上期中のある時点では軽微な景気後退におちいる可能性もある。下期にどの程度回復するかは政府の政策努力のいかんにかかるだろう。