昭和43年
年次世界経済報告
再編成に直面する世界経済
昭和43年12月20日
経済企画庁
第8次5ヵ年計画(1966~70年)の初年度である66年に工業の好調と農業の豊作でかなり大幅な成長を達成したソ連経済は,67年には,工業生産が一層拡大テンポを早めたにもかかわらず,農業生産が横ばいにおわったため,66年より成長率の低下を示した。さらに68年に入ってからは,農業生産はやや上昇したものの,他方で工業生産が投資計画の未達成から前年の拡大テンポを維持することができず,しだいに伸び悩みの傾向をみせはじめ,5ヵ年計画の予定のテンポを下回っている。
一方,5ヵ年計画の開始とともに進められてきたいわゆる利潤原則による経済の計画・管理制度の改革は,工業部門の多くの企業で実施され,さらに建設,運輸,商業などの部門にも及んで,ある程度の成果を収めた。しかしその進捗状況は必ずしも予定どおりではないようだし,実施の過程で種々の問題も発生している。また農業部門では,5ヵ年計画にうたわれている穀物の「安定的増産」という目標のうち,安定化は一応軌道に乗ったといえるが,増産の目標自体の達成にはなお多大の努力が必要となっている。
こうして,5ヵ年計画の第4年度に入ろうとしている現在,その達成には種々の隘路が発生してきているが,とくに国防支出の増大は国民経済全体の動きに少なからぬ影響を及ぼしているとみられる。このようなソ連経済の現状を,まず67~68年の主要経済指標からみよう( 第69表 参照,ただし,ソ連の公表する経済指標は,その内容と算定方法が西側諸国のそれと異るので,両者を直接比較できない)。
67年の国民所得(物的生産と直接関連のないサービス部門を除く物的純生産)の増加率は6.8%と年次計画を上回り,5ヵ年計画の年平均成長率を達成した。しかし66年の成長率8.1%に比べると,1.3ポイントも低下した。これは,工業総生産(エネルギー部門を含む鉱工業の企業別生産総額の集計)が農産原料供給の好転と労働生産性の著しい向上によって10%増と,前年の実績とこの年の計画の伸びを上回るほどの好調を示したものの,農業部門で穀物生産が66年の未曾有の大豊作には及ばず,全体としての農業生産が,66年の8.6%増に対して,わずかに1%の増加にとどまったからである。
68年に入ってからの工業生産は,前年に比べると,しだいに伸びの鈍化を示している。すなわち,生産増加率は第1四半期には前年同期比9.3%と67年年間のそれにかなり近い拡大テンポを維持していたのに,上期全体では前年同期比9%,さらに1~11月累計では8.2%と,時間を経るごとに低下してきた。,その後拡大テンポは若干もちなおし,68年年間では生産の伸びは8.3%と年次計画の8.1%をわずかながら上回るものと見込まれている。しかし,従来のように工業生産の実績がおおむね当初の計画をかなり上回るのを常としてきた近年の状況からみると,68年の実績は異例に属するといえるし,また5ヵ年計画の年平均増加率8.9%に比べてもかなり低い。このような生産の伸び悩みは,後に述べる固定投資の計画未達成によるものとみられる。近年,投資計画はほとんど慢性的に未達成が続いてきたが,すでに鉄鋼,建設資材の不足が生じていることからもわかるように,生産能力の限界が最近の生産の伸び悩みをもたらしているようである。
他方,農業部門では前年に引続き天候にはあまり恵まれなかったが,耕作法の改善が気象条件の不利な影響を打消して,68年の穀物生産は前年比12%増と比較的良好な作柄を示した。また,畜産物の生産も,記録的水準に達した67年の実績をかなり上回る模様である。このようにして68年の農業生産は概して好調で,前年の水準を上回る実績を収めるものと予想される。
以上のような工業および農業生産の動きに対応して68年の国民所得の増加率は年次計画の6.8%を上回って7.2%となるものと見込まれている。ただ国民所得の支出配分では若干の問題がある。
国民所得を支出面からみると,投資計画の未遂行と計画を上回る個人消費の拡大というアンバランスが続いている。 第69表 にみるように,67年の固定投資は前年比7.6%増で年次計画の7.9%に達せず,とくに国家計画の枠内の投資は4.9%増と年次計画を1.6ポイントも下回った。68年に入ってからもこの傾向は続き,上期の国家投資計画は94%の達成にとどまっている。これと対照的に,個人消費の動きを示す小売売上高(総額の3%余を占めるコルホーズ市場の取引額を除く国営および協同組合商業機関の売上高)は,67年,68年上期とも前年比9.3増のテンポを維持し,いずれも計画を上回っている。
一方における投資計画達成の不振は,主として建設資材の不足と労働力の確保難によるもので,67年には従業員住宅の建設を促進する措置が講ぜられたが,建設資材工業自体で生産能力の操業開始が計画より後れ,割当てられた資金が年々全額支出されずにおわるような状況で,建設資材の不足は解消していないようである。その半面,企業と建設現場における未据付の設備の在庫は年々増加しており,この在庫を削減することによって,68年中に10億ルーブルの投資規模の拡大が可能であるといわれるが,68年の国家投資計画規模434億ルーブルと比べてもその大きさがわかる。
他方,計画を上回るほどの消費の増大は,個人所得の増加に裏付けられている。67年の国民1人当りの個人所得は前年に比べ,実質で計画の5.5%に対して6%の伸びを示し,68年上期にも名目で前年同期比10.4%増(年間計画は実質で6.9%増)となっている。68年に入ってから,最低賃金の引上げ,機械,金属加工工業における賃上げ,極地勤務手当の増額,低額所得に対する減税,コルホーズ員などの年金受給年令の引下げ,一部の年金の最低額の引上げなど,所得増加措置がーせいに実施されたため,個人所得,とくに農村のそれの増加が目立っている。例えば,67年に労働者,職員の平均賃金は前年比4%,コルホーズ員の労働報酬は6%増加したが,68年上期には前年同期比でそれぞれ8%および9%増となっている。このような購売力の増加に裏付けられて,消費は計画以上に伸びているのであるが,他方,個人貯蓄残高も67年中に17%,さらに68年には上期だけで10.8%も増加しており,潜在的消費購売力の強さを物語っている。
以上のような投資と消費の動きと並んで,国民所得の支出配分における問題点の一つは国防支出の増加である。予算面の国防費(海外軍事援助がこれに含まれるかどうか不明であり,また国防産業および教育など他の歳出項目に含まれる国防関係支出も多いと推測されている)は67年から68年にかけて大幅に膨張し,これに示されているような国防支出全般の著しい増加が,他の国民所得支出項目とくに固定投資の伸びを抑えていることは,過去の事例からみても明らかである。すなわち, 第65図 にみるように,ベルリン危機を端緒とする61~63年の国防支出の増加が著しかった時期には固定投資の伸びはきわめて小幅に推移し,その後64~65年に国防支出の減少にともなって投資の伸びは拡大したが,66年以降再び国防支出が増勢に転ずるとともに投資の伸びは鈍化している。このような動きから,当面の国防支出の著増が投資の伸びを抑えることによって,国民経済に少からぬ影響を及ぼしつつあるとみることができる。
このことは,工業生産の動きにも現われている。前述したように,67年に近年にみられない大幅な拡大を示した工業生産も,68年に入ってほとんどすべての部門で増加率が低下している( 第2表参照)。
67年の工業生産が全体として好調を維持したなかで,とくに消費財生産は従来にない著増を示し,計画を大きく上回った。すなわち,前掲 第69表 により生産財生産部門と消費財政産部門の内訳をみると,生産財は伸び率では66年のそれを1ポイント上回り,年次計画を2.5%超過達成したのに対して,消費財生産は前年の伸びを1.6ポイント上回り,年次計画を10.2%も超過達成した。
これを部門別にみると,重工業諸部門では電力・熱エネルギー,燃料,機械・金属加工工業だけが前年を上回る伸びを示し,しかもそのうちでも前年より増加率の拡大した生産品目は少い。例えば,燃料工業では主要品目中,増産の幅が拡大したのは石炭だけで,石油,ガスなど重要品目の伸びは鈍化しており,また機械類では発表された生産品目で増加率が上昇したのは全体の3分の1に過ぎない。その他の重工業諸部門はいずれも増産テンポの低下を示し,とくに化学工業における肥料の生産は65年当時に比べると伸びが大幅に縮小している。このように工業全体の増産に対する重工業の寄与は比較的小さいし,またそれに寄与した生産品目も少い。
これに比べると,木材,製紙工業や軽工業,食品工業などの伸び率は前年を大きく上回り,とくに家庭用器具など耐久消費財の生産は過去数年にわたり,拡大の幅を広げてきた。こうした動きは,66年の農業の豊作と67年の畜産物の記録的増産によって消費財産業とくに食品工業に対する原料の供給が好転したという特殊要因を反映すると同時に,第8次5ヵ年計画における消費財生産を重視する政策の推進を示している。
第8次5ヵ年計画で伝統的な「重工業優先」が緩和され,消費財生産が重視されている点をみると,重工業優先度係数(生産財生産増加率の消費財生産増加率に対する倍率)は61~65年平均の1.52に対して第8次5ヵ年計画期(66~70年)には1.11に引下げることになっている。ところが66年には実績が1.24で計画の1.15に達しなかったが,67年には消費財生産の好調により1.13と計画の1.14を超えた。そして68年の計画では,前掲第65表に示したように,消費財生産の伸びは生産財生産の伸びを上回り,重工業優先度係数は0.92に低下することになっている。
そこで,68年(1~9月)の実績をみると,生産財と消費財の内訳は発表されていないが, 第70表 に示した工業諸部門のうち,電力・熱エネルギー部門と家庭用器具などの耐久消費財が67年の増産テンポを維持しているのを除くと,すべての部門の伸びが鈍化しており,軽工業,食品工業など消費財生産部門の増産テンポも67年のそれをかなり下回って,重工業諸部門の場合より目立っている。
重工業部門でとくに注目されるのは,石油,ガス,鉄鋼,肥料,建設資材など第70表に掲げた生産品目がいずれも,66年以来あるいはそれ以前から増産テンポが年々低下していることである。すでに,67年10月の最高会議で計画当局は鉄鋼や建設資材の不足を訴えているが,当面の生産状況からすると,これらの物資の需給はますますひっ迫しているものと判断される。
以上に述べたように,工業生産が伸び悩みの傾向をみせてきたのと対照的に,農業生産は数年前と異なり,最近になってやや安定化の傾向を示しつつあるようである。これは,第8次5ヵ年計画の一つの柱である農業の安定的増産が部分的に達成されようとしていることを意味する。この5ヵ年計画では,農業面で肥料の増投と大規模な土地改良の実施によって集約化を図り,不利な気象条件もあるていど克服して農産物とくに穀物の安定的増産を軌道に乗せることが基本方針とされている。過去における豊凶の著しい差はソ連経済全体を動揺させ,成長率を低下させる有力な要因だったからである。とくに,穀物不作は東欧向けを中心とする穀物輸出を減少させ,また,西側からの輸入増加による金売却を余儀なくさせた。したがって農業の安定的増産の中心課題はまず,穀物生産の「安定化」であって,これによって国民経済全体に好影響を与えることであろう。
では,このような農業の安定的増産という目標はいかに達成されたか。
農業全体の動きはすでに述べたとおりであるが,ここでその内容をみよう( 第71表 , 第66図 参照)。
まず穀物生産であるが,60年代前半の変動はとくに著しかったのに対し,近年やや安定化の傾向を示してきた。すなわち,第64図に示すように,63年と65年に落ち込みをみせた穀物生産は66年に天候に恵まれて記録的な豊作となり,さらに,67~68年と気象条件が悪かったにもかかわらず,かなりの水準を維持した。とくに68年には1億6,500万トンを超える収穫が予想され,史上2番目の64年の豊作をも上回っていることが注目される。
他方,穀物以外の農畜産物の生産をみると,比較的安定した増産が続いている。すなわち,63年の穀物不作は同年および64年の畜産に悪影響を及ぼしたが,65年の不作の影響はほとんどみられなかった。そして67年には綿花が前年の生産水準からほぼ横ばいだったのを除くと,他の農畜産物は増産が続いて,史上最高の生産水準に達した。さらに68年にも綿花,テン菜,ヒマワリ,馬鈴薯などの農作物の豊作が報告され,また,畜産物の生産と国家買付も前年を上回って,肉類,牛乳,卵,羊毛の国家買付計画は期限前に達成されたといわれる。
以上のように,農業は全般的に安定的増進の軌道に乗りつつあるが,穀物に関するかぎり第8次5ヵ年計画として発表された目標に達するかどうかは疑問視される。すなわち,5ヵ年計画の目標は5ヵ年平均で1961-65年平均1億3030万トンの30%増,約1億7000万トンとなっているのに対して,66~68年の平均は1億6.000万トン余の水準にとどまっている。したがって5ヵ年計画の目標に達するためには,69~70年に穀物生産は,1億8.000万トンを上回らなければならないことになる。もちろん,穀物の増産のために肥料の増投や土地改良などの努力は続けられるであろうが,従来の記録的豊作である66年の生産量から考えても,今後2ヵ年に上記の生産水準を維持して5ヵ年計画の目標を達成することには,かなりの困難がともなうものとみられる。
しかし,当面穀物需給がかなり緩和されていることは明らかである。第67図に示すように,63年の不作で西側から,1000万トンを超える穀物輸入が行なわれたあと,66年まではかなり大量の輸入が続いたが,67年には220万トンの輸入にとどまった。他方,東欧諸国に対する300万トン前後の供給が常時必要であるが,67年には,これを含めて600万トンを超える輸出が行なわれた。ところが,68年にはハンガリーなど一部東欧諸国できわめて不利な気象条件による穀物不作の見通しやチェコへの供給増加の約束もあって,貿易収支,金の売却との関連からも,今後のソ連の穀物需給の動きが注目される。
(3) 貿易の動向
そこで,貿易の動向をみると,輸出入合計の伸びは,66年にはわずか3.3%に過ぎなかったのにひきかえ,67年には8.5%と近年みられぬほど大幅であった。相手地域別では, 第72表 に示すように,社会主義圏が10%余の急増を示し,対中国貿易が激減した半面でコメコン諸国との貿易が停滞を脱したことが注目される。これと対象的に先進資本主義国との貿易は輸出入合計で6%増と66年の伸びを大幅に下回り,また,低開発国との貿易は,微増にとどまった。さらに輸出と輸入に分けてみると,輸出では先進国と低開発国向け,輸入ではコメコンからのものが著増し, 第68図 に示すような地域構成の変化をもたらした。
つぎに商品構成をみると, 第73表 に示すように,輸出では65~67年に機械・設備,化学品,食料のシエアが一貫して増大し,燃料・エネルギー,工業原料,半成品のシエアが縮小しでいる。一方,輸入では機械・設備,とくに消費工業品のシエアが増大する半面,食料のシエアが目立って縮小している。このような商品構成の変化は,経済および産業構造の高度化という一般的傾向を反映するとともに,67年における特殊要因としての穀物需給の好転を反映している(前掲 67図 参照)。
ここで,各地域との貿易をさらに具体的にみると,まず,コメコン諸国との総貿易が67年に従来の停滞を脱して急増したなかで,とくに,コメコンからの輸入の増加が目立っている。これは,66年の機械を中心とする輸入の減少と際立った対照をなしており,第8次5ヵ年計画の発足を転期として,コメコン諸国との計画の調整を通じてこれらの諸国との貿易が回復したことを示すものとみられる。
資本主義先進諸国との貿易では輸出の増加が著しい。輸出の増加率は66年より落ちたが,なお,かなり大幅であり,その半面,67年には輸入の伸びが小さく,対先進国貿易収支は著しく改善された。これには,穀物需給が好転して,主どして,西側からの穀物の輸入が66年の3分の1に減少したことが寄与している。この穀物需給と関連して考えられるのが,ソ連の金売却である。62年以前にはそれは年間2~3億ドル程度であったが,63年の不作を契機とする西側からの大量の穀物輸入で63年5.5億ドル,64年4.5億ドル,65年5.5億ドルに上った。しかし,その後は対西側貿易収支の好転で多額の金売却はみられない。
低開発国との貿易の場合も輸出がかなり伸びた半面で,輸入が減少し,出超幅はますます拡大している。この出超額は,マレーシア(ゴムを中心とするソ連の一方的な輸入の相手国)との貿易を除くと,66年が4.7億ドル,67年が6.6億ドルに上っており,ソ連の低開発国援助の実施を反映している。
つぎに西側との貿易を国別にみると, 第74表 に示すように,まず目に付くのは67年に日本が貿易相手国として首位に立ったことである。これは,日本からの輸入は船舶を中心に減少したが,輸出が著増したためである。また,イタリアとの貿易も輸出入ともに大幅に伸びて西ドイツを上回ったが,その他の西欧諸国との貿易も,イギリスへの輸出を除き,いずれも順調に拡大した。その反面カナダからの輸入は穀物を中心に著しい減少をみた。低開発国のうちでは,アラブ連合との貿易が大きく,輸入の減少にもかかわらず,経済援助の実施もあって輸出が大幅に拡大した。これと対照的にインドとの貿易は輸出入とも減少し,67年には過去の借款の返済もあって輸入超過さえ示している。
68年に入ってからの総貿易額は,上期に前年同期比9%増と67年の拡大テンポを維持しているが(前掲 第69表 参照),そのうち,西側主要国との貿易は輸出入とも8.3%増で,総貿易額の伸びを若干下回っており,全体に占めるシエアは67年に引続きわずかながら縮小している。
これを西側からみると,第75表に示すとおりであるが,輸出入ともに前年よりかなり増加率が低下している。ここで注目されるのはソ連の西側に対する貿易収支がさらに改善されていることである。
日本の場合は対ソ輸出が依然として低調であり,日本側の慢性的入超というアンバランスが続いている。一方,西欧主要国では対ソ輸出がかなり伸び,イギリス,フランスの貿易尻は著しく改善されている。
以上,第8次5ヵ年計画の第2~3年度である67~68年の経済をみてきたが,この5ヵ年計画の時期に行なわれる経済改革の推移も注目される。一般に利潤方式と呼ばれる新しい経済計画・管理制度は5ヵ年計画の開始とともに漸次工業企業に実施されており,新企業に移行した工業企業は67年末までに7000余に上り,さらに68年11月末までに26,300に達した。これら企業は工業生産全体の72%,工業利潤額の80%余を占めており,その範囲は大部分の機械工業関係の各省,木材工業省および紙・パルプ工業省管下の全企業,鉄鋼,非鉄,石油,工作機械の各工業省管下の多数企業,一部の繊維,軽工業,食品工業の諸企業に及んでいる。
さらに工業以外にも,連邦関係の全鉄道,海運,河川運輸,,民間航空,.自動車運輸のすべての企業でも新制度が導入されており,,また商業,日常サービス部門,公営事業,設備配給でも試験的に改革が行なわれているほか,建設事業ではすでに新制度への移行方式の原則の作成をおわり,今後漸進的に実施される予定である。
新制度に移行した工業企業は売上高,品質向上,利潤および収益性,労働生産性と技術進歩などの諸指標についてみるべき成果を収めているが,また売上計画を遂行できず,経済指標の悪いものもあるといわれる。そしてその原因は,新しい作業方式に対する準備を怠り,工場内の計画化と生産組織に新制度に即した改善を加えず,工場内独立採算制と能率刺激策を整備しなかったことにあるとされている。
他方,中央集権的計画体制の改革も立遅れを示している。中央の省庁は各企業の計画課題や報奨基金への利潤の積立て基準(いわゆるノルマチーフ),企業相互間の生産的結びつきをなんらの根拠なく変更することがしばしばあるし,資材・設備配給制度における重大な欠陥もなお改められていない。
いまや,経済改革は新たな段階に入り,中小規模の企業の新制度への移行が始まろうとしている。そして,近い将来工業,運輸その他の部門の新制度への移行を完了し,独立採算制を上級の経済管理機関の活動にまで及ぼさなければならないとされている。さらに他方では第9次5ヵ年計画(1971~75年)の作成をひかえて,計画化とその方法の改善,計画と管理における計量的方法と電子計算機の利用範囲の拡大,,経済管理および資材・設備配給制度の整備,技術進歩と研究の効率向上,各企業と各省における経済刺激手段の機能と経済活動の水準の向上,経済および経営関係の要員の養成と教育機関の拡充などの諸課題を解決するため努力を集中することが必要とされている。
以上のような,計画化と経済活動の改善に関する諸問題を,経済改革の成果の上に立って検討する「全連邦経済会議」が68年5月14~17日モスクワで開かれた。会議は国家計画委員会議長の基調報告に始まる総会と7つの分科会に分れて進められた。各分科会のテーズは,①国民経済の,計画化の改善,②科学,技術進歩,③資材・設備配給の計画化と実施の改善,④財政,信用,価格形成,⑤企業および企業連合の従業員の物的報奨,⑥企業における経済活動の改善,⑦エコノミストの養成および要員の経済知識の向上などの諸問題である。
これらの諸問題の検討の結果,最終総会は勧告案を修正,採択したが,これに基づいて68年9月末「生産の計画化と経済的刺激の新制度の実施の改善策」に関する政府決定が行なわれた。この決定は,利潤から経済刺激のための基金に積立てる基準(ノルマチーフ)を必要に応じて改定すること,②上級機関が次期5ヵ年計画(1971~75年)期間中固定させた前記の積立て基準を作成して,管下の企業に通告する方式と期限を定めること,③重要生産物について供給企業と需要企業との間の長期,安定的な結びつきの設定をほぼ69年中に完了すること,④計画化の改善に関する措置と技術進歩のための資金的措置を講ずること,⑤工業その他の経済諸部門で固定資産の再評価を実施すること,などを主なる内容としている。このように,政府決定は前述の経済会議で明かにされた,改革にともなう諸々の欠陥を是正する第一歩を意味するものといえる。
この経済改革実施の改善策に引続いて,研究機関にも経済的刺激策を導入することが決定された。すなわち,68年10月下旬「研究機関の活動の効率化と国民経済における科学・技術上の達成の利用強化のための措置」に関する共産党と政府の共同決定がそれである。これによって,大学や企業付属のものも含めて,研究機関の職員に対する経済的刺激策を定め,学術研究や新技術を利用した結果,経済部門で得られた経済効果に直結して物的奨報を行なう必要が認められ,69年初から試験的に新制度が実施されることになった。
そして①経済的刺激は,新研究を利用してコストを引下げたために得られた利潤からの積立てによって行なうこと,②電気機器工業省の企業が他の省庁や大学の科学・技術研究機関,設計機関の作業結果を利用する場合,その作業のための資金を支払う手続きを定めること,③他の工業省と農業省も一部の研究機関を試験的に新制度に移行させること,などがその主な内容である。
このように,経済改革は工業企業をはじめとして運輸,商業,サービス部門に及んでいるばかりでなく,研究機関においても同様の構想に基づく新制度となって現われている。これによって,経済性の原則は経済とそれに関連した活動分野にますます浸透し,第8次5ヵ年計画の基本方針の一つたる経済の効率化が進められようとしているのである。
経済計画・管理制度の改革と並んで,現行5ヵ年計画における農業部門の基本政策の一つとなっているのは,農業集約化のための大規模の土地改良事業である。この事業は1966年6月に決定された10ヵ年計画で,700~800万ヘクタールの灌漑,1,500~1,800万ヘクタールの干拓を中心に牧草地への給水,石灰分の施肥,土地の浸蝕の防止,天然飼料採取地の改善などの土地改良を行なおうとするもので,現行5ヵ年計画(66~70年)期に250~300万ヘクタールの灌漑と600~650万ヘクタールの干拓が予定された。
この計画に基づいて66~67年の2ヵ年間に55万ヘクタールの灌漑と145万ヘクタールの干拓が実施され,そのほかに140万ヘクタールの牧草地給水が行なわれたと発表されているが,現在までのところ,計画実施のテンポは必ずしも早くない。これは5ヵ年計画における農業技資が当初の予定より削減されたことにも関連があるものとみられ,今後の土地改良事業の進捗状況が注目される。
農業集約化のための施策の一つである化学肥料の増産については,すでに5年前の63年12月に開かれた共産党中央委員会総会の化学工業の振興に関する決定によって,1970年に7,000~8,000万トン(標準単位)という生産目標が立てられていたが,第8次5ヵ年計画では70年の目標が6,200~6,500万トンに引下げられている。しかもこの5ヵ年計画のはじめ2ヵ年66~67年の投資計画は未遂行におわり,67年の生産は4,010万トン(68年には4,300万トンを超えると予想される)と,65年の3,130万トンに比べ900万トンの増産に過ぎず,しかも増産テンポは年々低下してきた。
このような肥料生産の立遅れを取戻すため68年6月党・政府共同決定が行なわれた。これによると,1968~72年の5ヵ年に4,800万トン(前掲標準単位)の生産能力の増設が予定されている。とくに69年,70年には急テンポの拡大を図ることとして,年間1,300万トン(66,67年の建設着工の4倍)ずつの能力が操業を開始することになった。これによって5ヵ年計画の目標を達成しようとするもので,農業の安定的増産への努力を示している。
さらに広範な農業集約化による増産策を提起したのは,68年10月末日に開かれた共産党中央委員会総会の決定である。この決定は5ヵ年計画の目標を達成するため,当面の諸欠陥を是正するとともに,肥料,農薬の増産テンポの引上げ,いわゆる「農業の化学化」のための長期計画の作成,土地改良計画の達成に対する資材設備,要員の確保,各地帯別の土地改良事業の実施やその土地および河川の利用に関する10~15ヵ年計画の作成,次期5ヵ年計画(1971~75年)における穀物の固定買付計画(5年間一定の国家買付量を据置き,超過分には奨励金を支払う方法で,現行5ヵ年計画で実施されている)の決定,ソフホーズが得た奨励金の一部を従業員に対する報奨に利用するための具体的措置を講ずるととを指摘している。
以上にみた諸決定は,現行の5ヵ年計画を達成するためのものであるとともに,すでに,次期5ヵ年計画の具体的方策の一部を含んでいる。新5ヵ年計画(1971~75年)の基本方針は68年中に作成されることになっているが,計画当局者は新計画作成の方法として①各年次割りに重要課題を配分した5ヵ年計画を作成し,これを各企業に通告すること,②従来より計画指標の数を減らし,中央で決定する生産・配分計画の対象とする重要製品の品目表を作成すること,③投資の課題を5ヵ年間安定したものとし,投資計画を確実に実行できるようにすること,④各企業にできるだけ高い目標を立てさせること,⑤現在多くの種類に分れている従業員の報奨制度を一本化し,その額を企業利潤に結びつけること,⑥地域間の現在の結びつきを改善するため,部門別計画と並んで地域計画を重視すること,⑦企業連合などの統合組織を強めること,などを明らかにしている。
このようにして,ソ連は現行の5ヵ年計画を達成し,新しい5ヵ年計画を作成するため,新しい計画・管理制度に沿った諸政策をとりつつあるといえよう。
東欧では,67年に地域全体としての工業生産は前年より拡大テンポを早め,近年にみられない高い増加率を示した( 第76表 参照)。すなわち,60年代に入ってから東欧の工業生産は伸び率が鈍化し,63年に4.9%に落ち込んだ後,反転して,67年には8.6%に達した。そして,いずれの国でも実績が年次計画を上回ったが,この高い増産率は労働生産性が著しく上昇したことを反映している。チェコ,東ドイツなどの諸国では,この生産性の向上は主として新技術導入の加速化と経済計画・管理制度の改革によるものでもあるが,ハンガリー,ルーマニアでも生産性の向上は著しかった。ただポーランドだけは例外で,生産の伸びに対する雇用の増加の寄与が大きかった。
67年の工業生産のもうーっの特徴は,消費財生産の伸びが大きかったことである。これは,ソ連の場合と同様,消費水準の向上を重視する政策を反映するとともに,生産能力の増大に加えて,66年の豊作によって消費財生産用農畜産原料の供給が潤沢だったためである。
東欧諸国における67年の工業生産の伸び率は,ほとんどが66年のそれを上回ったが,チェコではわずかながら前年を下回った。これは,近年この国で発生している過剰在庫が生産の伸びを抑えているためである。
他方,農業生産をみると,67年の伸びはほとんどの国できわめて小幅にとどまった( 第77表 参照)。これは,66年が著しい豊作で,このあとを受けて生産の伸びが低下したのであって,67年の不調を意味するものでははい。すなわち,ほとんどすべての国で作柄は良好で,穀物をはじめ多くの農作物の収穫高も単位面積当りの収量も,豊作の66年のそれを上回った。また畜産物の生産も前年の穀物の豊作の好影響を受けて,前年を上回る水準に達した。
以上のような工業および農業生産の好調を反映して,67年の国民所得の伸びは各国とも計画を達成あるいは超過達成して,前年の実績に近いか,それを上回るものとなった( 第78表 参照)。これを一部の国についてみると,チェコ,ハンガリーは65年までの低成長を脱け出て66~67年もかなり高い成長率を示し,東ドイツも67年,68年(計画)にわずかながら成長率の上向き傾向をみせている。
68年に入って,上期の工業生産の実績は一部の国では年次計画の予定を上回る拡大テンポを示した。しかしチェコだけは上期実績が年次計画のテンポに達せず,67年実績をかなり下回っている(前掲 第76表 参照)。これで65年以来の工業生産増加率の低下傾向がさらに明らかになっており,さきに述べた過剰在庫の問題がなお解決されていないことを示唆している。
他方,農業をみると,67年から68年にかけての気象条件はきわめて不利で,主要農業国であるブルガリア,ハンガリーは厳しい早ばつに見舞われた。そのためブルガリアではトウモロコシ,ヒマワリなどの蒔きなおしが広大な面積にわたって行なわれ,一方ハンガリーでは,天候不順があるていど克服され,例えば冬小麦の単位面積当り収量は計画をかなり上回ったと報告されている。そのほか,チェコ,東ドイツ,ポーランドでは畜産物の上期の国家買付量が多かれ少なかれ前年同期のそれを超えたといわれる。
68年の天候不順が東欧諸国の食糧需給をどの程度ひっ迫させるかいまのところ不明であるが,常時300万トン前後の穀物をソ連からの輸入に仰いでいる東欧諸国の需給状況いかんによっては,前述したように安定化の傾向を示してきたソ連の穀物需給に新たな負担を加えることになるかも知れない。
そこで,貿易の動きをみると67年にはハンガリとルーマニアを除いて,多くの東欧諸国で前年に比べて輸出の増加率が上昇した半面,輸入の伸びの鈍化あるいは輸入の減少をみた( 第79表 参照)。これは,66年に各国とも多かれ少かれ貿易収支が悪化したため,貿易収支の改善策をとったからであるとみられる。そのほかチェコでは貿易外収支の圧迫が加わり,資本財輸出にともなう信用供与の必要もあって,輸出増強策がとられ,またポーランドでは従来の貿易外の黒字を貿易赤字が上回るほどの水準に達したため,輸入の削減を余儀なくされたといわれる。
このような一般貿易の動きは,ある程度東西貿易にも反映している。すなわちOECD諸国の対東欧貿易( 第80表 参照)からみると,67年にOECD諸国からの輸入はルーマニアで著増したほかは,チェコ,東ドイツで66年の停滞から回復して多少増勢に転じたが,ポーランド,,ハンガリーのOECD諸国からの輸入の伸びは目立って低下した。他方西側への輸出は,景気情勢の影響もあって一部の諸国で多少減少したものの,ルーマニア,ハンガリーの対西測輸出は66年に引続きかなり大幅に増加し,ポーランドの輸出も増勢に転じた。
68年に入って上期の東西貿易は過去に比べてやや低調となっている。すなわちOECD諸国への輸出は,67年にかなりの伸びを示していたハンガリー,ポーランド,ルーマニアでいずれも増勢が目立って鈍化し,ブルガリア,東ドイツでは前年よりさらに著しい減少をみた。また西側からの輸入もチェコ,東ドイツ,ハンガリーで増勢を維持したが,他の諸国ではほとんど横ばいにとどまっている。このことは,東欧諸国の対西側貿易は,各国の対西側輸出の困難と外貨不足によって頭打ちとなっていることを示しているのであって,東西両側から要望される東西貿易の拡大には,これらの問題の解決が前提となっているといえる。