昭和43年

年次世界経済報告

再編成に直面する世界経済 

昭和43年12月20日

経済企画庁


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第2章 イギリス

1 1967-68年の経済動向

(1) 平価切下げと緊縮政策

1967年のイギリス経済活動は,年初以来極めて停滞的であった。鉱工業生産は,6月まで,ほぼ横ばいをつづけ,失業者数も増大して,8月には55.9万人となった。そこで,政府は,投資特別補助金の繰上げ支給,地域雇用補償金制度の新設,賦払信用規制の緩和などの景気刺激措置を実施した。その結果,個人消費,公共投資,住宅建築などを中心として,景気は立直りの傾向にあった。

ところが,世界景気停滞の影響で,年初以来輸出が減退していたうえに6月の中東紛争,9~11月のイギリス港湾ストなどがわざわいして,貿易収支が急速に悪化し,ポンド危機が再発して,ついに,11月18日,戦後2回目のポンド平価切下げが行なわれた。

この平価切下げとともに,①財政支出の年間4.5億ポンドの削減,②公定歩合の6.5%から8%への引上げ,③約30億ドルの対外借款の要請など,総合緊縮政策が打ち出された。

政府は,これらの措置によって,①68年に5億ポンドの国際収支改善,②国内総生産の実質約4%の上昇,③失業率の低下,④生計費上昇の抑制などの達成を期待した。

(2) 引締政策下の景気上昇

しかし,現実には,中東紛争や港湾ストの影響が次第に薄れたものの,国内景気が,個人消費支出を中心に,上昇基調にあったため高水準の輸入が続き,国際収支改善には,懸念がもたれた。

鉱工業生産は,11~12月には,大幅に上昇し,失業者数も10月から減少しはじめた。その背景としては,まず,11月に港湾ストが解決して,12月以後輸出が急増したことや,クリスマス消費景気が異常に高まったことなどがあった。この消費景気は,イギリス経済に対する危機感とそぐわないものではあったが,67年7月以後,賃金上昇が大幅になったことや,平価切下げによって,先行き物価上昇が見込まれたことなどが,その要因となっている。

68年に入ると,1月には,68~70年度を対象とする政府支出削減計画が発表された。削減予定額は約10億ポンドで,削減措置の主なものは①極東,ペルシャ湾からの駐留軍の撤収時期を,従来の目標である1975年頃から繰上げて,1971年末とする,②アメリカからのF111型戦闘爆撃機50機の購入を中止する,③健康保険の受益者負担を引上げるなどで,削減項目は,このほか,極めて広範囲にわたっている。この支出削減計画は,イギリスの国際的役割の再検討や,労働党政権の政策の柱である社会保障の分野まで削減の範囲を広げたことなどを含んでいるだけに,画期的なものではあったが,この計画の効果が,現実に生ずるのは,69年以降であるから,当面の経済危機に対する対策としては,不充分とみられた。

このため,2月下旬に発表された68年度歳出予算案(経常支出のうちの議定費)でも,その見積り総額は,105億ポンド,と,前年度当初見積り額に比して,名目10.7%,実質6.6%増となった。

この増加率は,前年度の名目8.5%,実質5.0%を上回るものであった。歳出予算案の削減が充分でなかったため,ポンド相場は低落した。

第18図 生産水準の上昇

(3) 個人消費の抑制

輸出の増加,輸入の節約,製造業の投資拡大による輸出主導型経済の再建という目標のためには,個人消費に対する抑制措置が必要とみられた。

個人消費は,クリスマス景気の後も,引締の強化や増税を見越した買急ぎなどから,耐久消費財を中心に急増を示した。これを小売売上高指数(1966=100)でみると,67年第3四半期の102に対し,第4四半期は104,68年第1四半期は105であった。この消費急増が中心となって生産活動は刺戟され,第1四半期の鉱工業生産指数は,前期比3ポイントの上昇で,輸入もまた急増した。

そこで,3月下旬に発表された歳入予算案は,きびしい超デフレ型のものとなった。その眼目は,購買税,酒税,煙草税,石油税,とばく税,自動車税など,間接税の引上げを中心に,このほか,選択雇用税の引上げ,投資収益特別税の新設など,総額923百万ポンド(初年度775百万ポンド)の増税を実施することにあった。

これとともに,経済成長率の目標は,実質3%に引下げられ,国際収支の見通しも,68年1.5億ポンドの黒字,69年以降5億ポンドの黒字に改められた。

新予算発表のあと,ポンド相場の立直りや,ゴールドラッシュの一応の鎮静化などもあっで,3月21日に,公定歩合は「超危機レート」の8%から,4ヵ月ぶりに引下げられ,7.5%となった。

4月以後は,増税が逆に作用して,消費支出はおさまってきたが,それに代って,製造業における製品在庫補充を中心にし,在庫蓄積が増大した。これは第1四半期の在庫取り崩しが大きかっただけに,第2四半期の主たる需要拡大要因となった。

ところが,4月の輸出入は,3月の輸出入と殆んど変わらなかったので,金融面からの引締め措置が再びとられることになった。

商業銀行(ロンドン手形交換所加盟銀行)の貸出は,68年初めより増えっづけ,5月には,67年11月の4810百万ポンドに対し,5.2%増の5,060百万ポンドになった。この貸出増加の殆んどは,67年11月の貸出規制の対象外であった公共部門(地方公共団体による借入増加)および輸出金融であったが,非優先部門への貸出も増えているとみられた。

そこで,イングランド銀行は,5月下旬,輸出金融を含めて民間部門への貸出に,新たに,融資限度枠(67年11月の水準に比し104%)を設定し,また。消費財輸入や在庫蓄積のための輸入に対する融資を抑え,輸出関連金融を優先するよう要請した。

7月に入ると,ケネディ・ラウンド関税引下げなどの特殊要因もあったが輸出の伸びが著しくなり,この傾向は,8~9月にも続いて貿易収支改善のきざしがようやく現われてきた。

第19図 小売売上げの増加

第9表 需要要因の変化

第20図 銀行貸出の増加

(4) 賃金・物価の上昇と新物価所得法

このように,引締政策下にもかかわらず,個人消費および輸出を中心に需要が根強く,生産,輸入が高水準を続け,また賃金・物価の上昇圧力も強かったので,貿易収支改善の目途は,なかなかつけ難かった。

賃金・物価の上昇圧力は,67年6月末で,賃金・物価に対する「きびしい抑制期間」が終了したため,強まってきた。時間当り賃金指数は,7月には前月から3.1ポイントも上昇して,前年同月比3.9%高となった。この7月の急上昇は,「凍結」で延期されていた賃金協約が実施されはじめたからである。卸売物価は,7月以降,石油製品の値上りによって上昇に転じ,また,消費者物価は,電力VI金,家庭用燃料などの値上りによって急上昇した。

平価切下げによる輸入物価の上昇懸念が,このような物価上昇と相まって労組の賃上げる圧力を激化させた。

こうした賃金・物価の上昇圧力の急速な高まりから,所得政策の今日かを要請する声が強まっていた。政府としても,現行の物価・所得法では,事前通告時から最長7ヵ月間,引上げを延期できる権限しかなく,このため,賃上げが3.5%を越える場合には,新たな法的規制措置が必要であるとの立場を明らかにしてきたが,3月19日の財政演説で,所得政策強化の具体的内容を明らかにした。それによると,①賃金,配当を含むあらゆる所得の年増加率を少なくとも,69年末まで3.5%に抑え,②賃金・配当などすべての所得,および価格の引上げを延期できる権限を,現行の最長7ヵ月から12ヵ月に延長する,ということを骨子とするものであった。

こうした所得政策の強化は,いうまでもなく,大幅増税とともに平価切下げ効果の最大限実現をめざすものであった。

時間当り賃金は,前年同月比でみて,67年7月の3.9%高から,9月には4.7%高,68年1月には7.7%高と急速に上昇した。また,物価は68年2月以来,小売物価の上昇が目立ち,4月には増税の影響もあって,前年同月比4.4%高となった。卸売物価も,原燃料,工業製品とも上昇を続け,工業品は4月には前年同月比5.6%高であった。

このような賃金・物価の上昇に対処するため,政府は,前述の新物価・所得法案を議会に提出したが,労働組合および労働党左派の強い反対を考慮して,賃金上昇限度年率3.5%を法案には明記せず,実際上の目標にするにとどめ,且つ,69年末までの時限立法とした。この法案は,結局,7月上旬に成立したが,その主な内容は,①政府が賃金・物価の引上げを延期せしめうる期間を最長12ヵ月とする,②物価が高すぎると判断された場合,政府は最長12ヵ月間,その引下げを行なわしめる権限をもつ,③政府は,家賃引上げを制限し,企業の配当増額を抑える権限をもつ,などである。

この法案の審議中にも,機械・鋳物・建設・鉄道・公務員などの組合が大幅賃上げを要求し,ストが頻発して,一部の生産障害は,輸出成約にも影響した。

(5) 平価切下げの効果

さて,問題の平価切下げの効果はいかに生じたであろうか。政府は,当初国際収支は68年1.5億ポンドの黒字,69年以後5億ポンドの黒字を達成することを目標とし,68年下期に入れぱ,ポンド切下げの効果が生じるものと期待した。また,その目標を実現すべく,前述の緊縮政策を実施し,新物価所得法をも成立せしめた。

そこで,67年11月以後の経済動向を,こういう観点から検討しよう。

まず,国際収支の推移からみると,第10表によれぱ,平価切下げのあった67年は,基礎収支で490百万ポンドの赤字で,これには貿易収支の赤字637百万ポンドが大きく作用した。そして,第4四半期には最も悪化して,貿易収支で,245百万ポンドの赤字,基礎収支で284百万ポンドの赤字であった。

68年に入っても,貿易収支は,第1,第2四半期とも,なお大幅の赤字がつづいたが,長期資本収支赤字減少で,第2四半期の基礎収支は,赤字幅がやや減少した。

基礎収支の赤字は,貿易収支の赤字のみならず,政府海外支出や長期資本収支の赤字によっても,もたらされていることは第10表に明らかである。しかし,貿易収支の慢性的赤字は,経済体質の脆弱性を物語るとみられるからこの意味で重視される。しかも, 第10表 によれぱ,基礎収支の赤字額は,貿易収支の赤字額とほぼみあっている。

貿易収支は,平価切下げ後,12月,1月とやや改善したものの,2月以後は再び悪化して,国際収支ベースでみて,80百万ポンド程度の赤字が続くようになった。その原因は,旺盛な個人消費支出や生産の活況のために,輸入が高水準をつづけ,輸出の伸びを上回る伸びを示したことにある。 第22図 の輸入には商品のみならずサービスの輸入を含んではいるが,輸入の水準が次第に高まっていることや,個人消費が,67年から68年にかけて急増したことなどが,この図に示されている。

第21図 貿易収支(国際収支ベース)

輸入水準が高めに推移した背景には,まず第1に,67年暮のクリマス景気や,68年第1四半期の増税見越し買い急ぎなどで,個人消費支出が旺盛であったことがある。この旺盛な消費支出を支えたのは,賃金所得の上昇であることは言うまでもない。

第2に,このような消費支出を中心に,国内需要が強く,生産活動が上昇したので,原材料などの輸入が増え,また,機械など資本財の輸入も大きか第3に,平価切下げの結果,輸入単価が上昇し,食糧・原材料など必需品った。

のポンド建て輸入価額が増大し,完成財-などの輸入数量は輸入単価の上昇の割には減少しなかったことなども,その要因であった。輸入単価は,切下げ前の10月に比して,食糧では6%,原材料では13%,工業品では17%程度上昇している。(68年9月)工業品が最も大きく上昇したのは,輸入代替促進効果の点から好ましいが個々の商品をとると,外国製品の平価切下げに対抗する値下げなどもあって,あまり下っていないものも多いようである。また第11表にみられるように,食糧・原材料などの必需品輸入価額が単価上昇で増大するのを,工業品の輸入数量減少によって相殺するという期待も現実に反するものとなった。

第11表 輸入単価と輸入数量

第23図 輸出入の推移

このように,輸入の高水準が続いたため,貿易収支の改善は,はかどらなかったが,8月以後は,輸出の増大が著しくなり,この面から,貿易収支赤字の縮少傾向がでてきた。

ここで,1967~68年の輸出入の推移の特色を一層明らかにするために,前回の平価切下げ後の輸出入の推移と比較してみよう。1949年と67年の平価切下げには,次のような差異があった。

①1949年の切下げ率は,30.5%で,67年の切下げ率14.3%より2倍以上も大幅であった。しかし,49年には,西ドイツ,フランス,イタリーなど,主要工業国を含む多くの主要国が追随切下げを行なったが,1967年には,追随切下げを行なった国は,デンマークなどを除き低開発国に限られている。②海外景気がアメリカを中心に上向いていたことは,両者に共通している。50年6月には朝鮮動乱が発生し,65年以来ベトナム戦が拡大したことも似通っている。③しかし,49年当時は,世界的ドル不足の時代であったのに対し,今回はドルをも含めての国際通貨体制が動揺した。④イギリス国内では,1949~50年には,政府支出が減少したのに対し,1967~68年上期には,政府支出は増加し,また個人消費支出の伸びも大きかった。さらに,1949~50年には,物価の上昇が賃金の上昇を上回ったが,1967~68年には,賃金の上昇が物価の上昇を上ったし,且つその上昇の程度も大きかった。

さて,輸出入の推移は,まず,輸出についてみると,1950年の輸出の伸びが22.3%と大きかったのに対し,68年上期の輸出は,前年同期比12.8%増であった。これを世界輸出の伸びを勘案して相対的にみても,1950年の弾性値が6.56であったのに対し,68年上期は1.80であって,輸出の伸びが前回の時ほど大きくなかったことを示している。次に輸入についてみると,1950年には,前年比114.5%であったが,68年上期の輸入の前年同期比は122.1%で,今回の輸入の伸びは極めて大きかった。この輸出入の推移は,第24図に明瞭に示されてある。すなわち,1949~50年には,輸出入が切下げ後約10ヵ月ほぼ歩調をそろえて伸びたのち,輸出が輸入をかなり上回るようになったが,67~68年では,輸出が持続して輸入を下回っている。これが今回の切下げ後の輸出入の大きな特色である。

49年当時は,公定歩合は2%に据置かれ,また,今回のような大幅な増税もなかった。賃金・物価の抑制が唱えられ,政府支出が削減されたのは共通しているが,それが現実に現われた状態は,前回の方が著しかったようである。67年11月以後の緊縮政策・引締政策は多岐にわたったが,やや事後策的な感があり,その成果は,前回の切下げ後の状況と比較して,未だ現われ方が不充分のようである。

従って,緊縮政策によって輸出主導型経済を実現し,国際収支の黒字を確保して,負債を返済するという課題は,69年には,一層,切実なものになるであろう。

第12表 イギリス国内経済と輸出

第24図 賃金・物価の上昇と輸出入の伸び

2 ポンド相場の低迷とポンド残高

(1) ポンド相場の動き

ポンド相場は,67年11月の平価切下げ後,しぱらく2.42ドルの上限を維持していたが,鉄道ストを契機として12月上旬に急落したあと,中旬には,2.4015ドルと新平価すれすれのところまで落ちこんだ。

しかし,12月から1月にかけて,輸出の伸びにより貿易収支の赤字幅が縮小したことや金外貨準備の増加などもあって,ポンド相場はもちなおし,年初に発表されたアメリカのドル防衛強化措置にもかかわらず,おおむね小康を保っていた。

ところが,1月中旬の政府支出削減計画,2月下旬の歳出予算案の発表をきっかけとして低落し,さらには,ゴールド・ラッシュの再発も影響して,新平価を割り,3月中旬には,2.39ドルを一時下回るにいたった。

しかし,金プール会議での対英借款の増額などもあって,ポンド相場は平価を回復し,超緊縮予算発表後も,一応,小康を維持した。

その後,貿易収支の改善がはかばかしくなく,また,ポンド圏の輸入期に関連する先行き不安とともに,スターリング地域諸国によるポンド残高引出しなどの要因が加わって,ボンド相場は,5月中旬以来,2.39ドルを割って低迷し,ポンド危機の再発が懸念される状態となった。

第25図 ポンド相場

(2) 新バーゼル協定の成立

スターリング地域諸国によるポンド残高の引出しは,67年第2四半期以後目立つようになり,68年第2四半期には,ことに著しかった。67年11月のポンド切下げの際には,49年の平価切下げの際と異なり,スター-リング地域諸国の多数は追随切下げを行なわなかったから,それらの諸国の保有してぃたポンド残高は,ドルに対して減価したのみならず,それら諸国の通貨に対しても減価したのであった。外貨準備の大半をポンドで保有していたために受けた打撃やポンドの先行き不安などを考慮して,外貨準備資産の多様化をはかるという方針が,スターリング地域諸国の間に表面化してきたわけである。

そこで,このポンド残高引出しに対する対策が,7月上旬およぴ9月上旬に,バーゼルで主要国中央銀行総裁の間で協議され,その結果,BISを中心として先進12カ国が,総額20億ドル,支払期限最長10年の借款をイギリスに供与するという協定を結ぶことになった。また,他方,この協定の前提として,スターリング地域諸国のポンド残高(公約保有分)の価値保証とポンド残高引出しの時期的,金額的制限を内容とする協議が,イギリスとこれら諸国との間で行なわれた。

新バーゼル協定は,9月上旬に正式に成立した。これにより,イギリスはスターリング地域のポンド残高が一定水準以下の額に減少すると,BISより,米ドルまたは他の外貨を引出すことができるし,また,公的保有分のみならず私的保有分に対しても,使用しうることになっている。

しかし,66年のバーゼル協定が,スターリング地域のみならず,非スターリング地域のポンド残高をも対象としたのに対して,新協定は,スターリング地域のポンド残高のみを対象としている。旧協定も新協定も,イギリスの国際収支の赤字を補てんするものではない。

新協定の運用は,BISによって管理され,BISは,次の三つの方法により,資金を調達する。①国際金融市場で,短・中期の資金を借入れる。②スターリング地域諸国の中央銀行は,BISにポンド以外の外貨を預金する,③BISおよび先進12ヵ国による2億ドルのスタンド・バイ・クレジット。

この新バーゼル協定は,前述のように,イギリスの国際収支改善には,直接に役立つものではないが,ただ,ポンド残高の引出しがイギリスの金・外貨準備に及ぼす影響は軽減された。また,スターリング地域諸国は,イギリスとの個別交渉により,外貨準備総額の10%相当分を除く保有ポンドの価値を保証されたのでその利益をうけようし,また,ポンドに対する信認もそれだけ高まるであろう。

第13表 イギリスの短期純債務

(3) 今後の課題

ポンド相場ぱ,新バーゼル協定が成立してややもちなおし,11月初め現在では,2.39ドル程度になっている。とはいえ,ポンド相場が依然,新平価を下回っている事実は,ポンドに対する信認が充分回復していないことを,端的に示している。

イングランド銀行と大蔵省は,10月下旬,非スターリング地域第三国間の貿易金融にポンドを使用することを禁止する新為替管理規定を発表したが,これも,ポンドあるいは金外貨準備に対する負担の軽減を意図したものとみられる。この発表によると,イギリスの銀行は,貿易の当事国の一方が,英連邦諸国であれば,引続きポンド金融を行なうことができ,また,ユーロ・ダラーなど他の通貨を使って第三国間の貿易金融をすることも,引続き認められる。

金外貨準備は,10月末現在で,1128百万ポンドで,66年末の1107百万ポンド,67年末の1123百万ポンドと比べ,さして減少してはいないが,その背後には,新負債によって旧負債を返済するという操作があるため,必ずしも実態を表わしていない。

政府によって明らかにされている負債は,約33億ドル,明らかにされていないもの約20億ドルで計約53億ドルの負債があると推定されており,現在の金外貨保有高約28億ドルを差引いても,約25億ドル(10.5億ポンド)の負債となる。なお,1971年までに支払期限の到来するものは,約31億ドル(13億ポンド)となっている。

第26図 ポンド直物相場

第27図 金外貨準備

3 今後の経済見通し

(1) 貿易収支の改善

8月以後の貿易収支の改善は,主として,輸出の増大に負うものであるので,この輸出の増大が一時的なものであるか,持続的なものであるかが,今後の貿易収支改善の一つのカギとみられる。

政府の見通しでは,68年1.5億ポンドの国際収支黒字,69年末までには年率5億ポンドの黒字ということであったが,最近では,68年は6億ポンドの赤字,69年は,2.5億ポンドの黒字という見方もでており,政府見通しと現実とは,大きくくいちがってきている。

(2) 個人消費の抑制

輸入水準が高めに推移している原因には,生産活動が高まっていることや,ポンド切下げに対抗する外国製品の値下げなどの事情もあるとみられているが,前述のように,個人消費支出が,再三の引締めにもかかわらず,いつこうに衰えないことも一因となっている。

3月の大幅増税によって,68年の個人消費支出は,僅かながら減少するというのが政府の見通しであったが,68年下期の消費は,前年同期と同水準になる見込みが強まった。小売売上げ指数は,8月の104から,9月には102に低下したが,第3四半期を前期と比べると1%増で,これは,67年下期平均の水準に相応している。また,消費者割賦残高は第2四半期には,28百万ポンド減少したが,第3四半期には,8百万ポンド増加している。

そこで,11月初めには,賦払信用の規制強化による消費抑制措置がとられたが,消費者物価の上昇よりも賃金所得の上昇の方が大きく,実質所得は増大しているとみられるので,個人消費需要は,引続き根強いものであろう。

(3) 設備投資の動向

再三の抑制措置にもかかわらず,根強さをみせている個人消費支出とは反対に,製造業の設備投資はいっこうに上向かない。

68年5月の商務省調査では,製造業の設備投資は,68年には5%増が予想されていたが68年上期にも,前年同期比で,減少した。これは,商業・サービス業など,その他の産業で増加しているのと好対照である。

このような傾向は,製造業の投資拡大による輸出主導型経済の再建という観点からは,期待を裏切るものである。

設備投資が全体として,ほぼ横ばいを続けているので,9~10%の伸びを示している住宅建築を含めての固定投資の伸びは緩慢で,67年後半から68年にかけては,需要刺戟要因とはならなかった。

68年8~9月に行なわれた商務省の調査によれば,68年の製造業の設備投資は,67年をやや上回るものと予想されているが,最近では,67年とほぼ同じ水準か,やや減少するのではないかとみられている。69年については,1967~68年の水準を,10~15%上回る投資が予定されている。しかし,過去の例をみれば,投資が上向いている局面では,投資予定額は多目に報告されているので,実際にはこれほど,増えないとみられる。

第14表 緩慢な固定投資の伸び

第28図 設備投資の動向

(4) 賃金・物価問題

67年7月以後,賃金・物価の上昇が著しかったため,68年7月には,新物価所得法が実施されたが,物価については,卸売物価は,工業品,原材料とも,68年3月以後安定しているものの,小売物価は,7月以後上昇速度を速めている。これに対して,賃金も,ストが続発した後,その上昇幅が大きくなったようである。CBI(英産業連盟)によって10月に行なわれた景気動向調査によれぱ,産業活動が上向いているため,設備能力に制約が生じてきており,熟練労働者の不足のほか,生産コストが上昇すると予想している企業が増えている。

(5) 失業問題

失業者は消費支出の急増がおさまった4月頃から急に増大して,8月には58.5万人となり,これから判断すると,69年1~2月には,75万人位になるのではないかと,一時懸念されたが,68年9月頃から目立って好転し,一部では,前述のように,熟練労働者の不足という状況も生じている。

イギリス政府は,失業増加による社会不安を懸念することなしに,さらに引締めをおこなえる余地が生じてきたわけである。

第29図 失業者数

(6) EEC加盟問題

イギリスのEEC加盟交渉は,63年1月に,フランスの拒否権によって中断されていたが,67年5月,イギリス政府は,EEC理事会に対して,正式に申請手続をとった。しかし,10月のEEC理事会で,フランスが,加盟の条件として,「国際収支の均衡とポンドの国際通貨としての役割の放棄」を主張し,事実上これを拒否したため,不成立に終った。

その後,68年に入って,イギリス,ノルウェー,デンマーク,アイルランドの加盟問題に関するEEC委員会案が作成された。(4月)これは,まず,工業製品の関税相互引下げ,農産物価格についての特別協定,および技術協力などを内容とする協定を,加盟申請国とEECの間で結び,加盟の条件が熟したならぱ加盟交渉を始めるというものであったが,フランスは,このような協定と加盟問題とを結びつけることに反対した。

11月上旬に開かれたEEC理事会では,フランスが,EECと他のヨーロッパ諸国との貿易取決めを提案,西ドイツも「拡大の第一歩」として,これを支持した。

フランスの提案の骨子は,さきのEEC案と類似しているが,関税引下げの時期を具体的に示したこと,イギリスなど加盟を申請している国のみならず,スイス,オーストリアなど他の西欧諸国もこの協定に参加できるとしていること,そして,この協定を加盟問題と切り離している点で異なっている。

この結果,イギリスとEECとの連携としては,貿易協定以外の可能性は,かなり薄らいだようである。


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