昭和43年

年次世界経済報告

再編成に直面する世界経済 

昭和43年12月20日

経済企画庁


[目次] [年次リスト]

第1章 アメリカ

1 1967~68年の経済動向

1967年11月ポンド危機に続くゴールド・ラッシュはいまにもドルの切下げを招来するのではないか,と世界の神経をいらだたせた。アメリカはドル防衛の強化,金二重価格移行,IMF特別引出権(SDR)の創出促進,財政,金融の引締めをもって,いちおう危機を脱したが,アメリカの国際収支をただすための努力は今後も継続を余儀なくされ,それが内外の経済動向に及ぼす影響は決して小さくはないであろう。

こうしたゴールド・ラッシュの一因としてはここ一両年にわたるアメリカ景気の過熱現象があげられる。すなわち61年にはじまる長期ブームは67年第1四半期に一服したのち,再上昇に変わって,アメリカ経済はふたたび超過需要におちいり,物価,賃金の上昇が目立ち,貿易収支は悪化した。その対策として金融政策はふたたび引締めにかえった。1967年8月,ジョンソン大統領は10%の増税を中心とする財政引締め策を打ち出したが,議会の抵抗にあい,約1年後にようやく実現するに至った。

この間67年11月のポンド切下げを契機としてドル不安,ゴールド・ラッシュの再現となり,68年3月まで続く世紀の事件となって,同年1月にはドル防衛の強化,3月には民間に対する金売却停止など,急遽対策を講じたのであったが,肝心の貿易収支はますます悪化して,68年5,6月には2ヵ月連続入超を記録するに至った。貿易収支の悪化する反面では,資本収支の好転があったため,総合収支の赤字幅はしだいに減少しつつあるとはいえ,資本収支好転の背後には一時的とみられる要因もあり,まだ収支均衡にはかなりの道程がある。

景気過熱の一要因であったベトナム戦争はすでにピークを越え,3,10両月末の北爆停止宣言は休戦への一里塚にはなるであろうが,いまのところ,そのめどはたっていない。ベトナム和平が実現すれば,景気過熱の鎮静を期待できるが,いまのところ68年央における財政引締め措置の効果は予想外に弱く,効果出遅れの感が強い。

次にこの1年間におけるアメリカ経済の動きを国民総生産(GNP)から探ってみよう。

(1) 国民総生産の動き

67年上期の一時的停滞から立ち直ったアメリカ景気は68年上期になると,急速に上昇速度を早め,67年上期の3.5%から4.8%(前期比,季節調整済み)へ増大した。アメリカの歴史的成長速度をはるかに上回るこの好況局面で,製造業の操業率は,84%を維持し,比較的ゆとりを残していたが,総需要は強く,物価,賃金は上昇,貿易黒字は縮小して,景気過熱の様相が強まった。過熱防止をねらいとする租税措置法案は67年8月に米議会に提出されたままであったが,ジョンソン大統領は68年1月改めて69年度予算に織り込み,議会の60億ドル財政支出削減要求と合わせて,ようやく6月議会を通過した。

しかし財政引締めのタイミングを失したため,第3四半期中にはまだ十分な景気抑制効果がみられず,年率5%に近い経済拡大がみられた。過去1年前後の経済拡大過程で,最も大きな役割をはたしたのは個人消費支出であって,国内民間総投資は67年下期には強い上昇圧力となったが,その後はかなりの衰えをみせた。純輸出は67年第4四半期と68年第1四半期において経済拡大の足をひっぱる要因となり,政府の財貨・サービス購入は68年第1四半期までの3四半期にわたって寄与率を高めたが,以後その役割を失いかけた。とくに第3四半期においては防衛支出の増大速度の衰えが目立つが,州・地方政府の支出が急増し,連邦財政引締め効果を減殺した。

(2) ベトナム戦の影響

ベトナム戦による財政支出の増大がこの1年間,アメリカの生産を刺激したのは過去数年来と変わらぬ事実であった。しかし68年3月末の北爆部分停止以降は防衛支出の増加が弱まり,68年第3四半期では僅か7億ドル増(季節調整済み)にとどまった(第2四半期は22億ドル)。このためGNPの増大に対する寄与率は68年上半期の10%余から第3四半期の3.9%に落ち,ベトナム戦争増強後約3年間での最低となった。一方GNPに対する防衛支出の割合も減少気味となった。

これを朝鮮事変当時に比べてみると,開戦後3年目のGNP寄与率は9.1%で今日よりも高く,GNP比率もまた13.5%と今日の水準を大幅に上回っていた。ベトナム戦争によって軍事支出は増大したとはいえ,GNPそのものが大きくなっているため,軍事支出の占めるウエイトはベトナム戦争継続期間を通じて相対的に小さかった。それがさらに縮小する過程で,和平への動きが現われたのであるからアフター・ベトナムの経済運営は朝鮮事変休戦後よりも,はるかに容易と考えられる。

ベトナムの軍事費は68年秋現在約280億ドルと見積られ,停戦から完全撤収となれば,この280億ドルの大半は不用となるが,しかし軍人給与の引上げ,兵器価格の騰貴ならびにミサイル迎撃ミサイルのような支出もふえるので,100億ないし150億ドル程度の節約にしかならない。それも1~2年かけて削減されるであろうから,デフレ効果は比較的僅小に終わるであろう。また場合によっては軍事費削減分を民生費に充当するようになり,10%の付加税を廃止することもできよう。また100億ドル軍事費を削減してみても,増税案と抱き合わせで実施された60億ドルの財政支出削減分の復活,過去両三年,戦費の増大によって,顧みられなかった一般民生費の増加に食い迭まれ実際に残るところは僅かであろう。

しかしベトナム50万の動員解除が急速に進展すれば労働需給はやや緩和され,軍需産業が民需転換によって供給をふやし,一部の戦略物資の価格の値下がりから物価の騰貴を緩和することも期待され,賃上げ圧力もやや弱まるであろう。

ベトナム戦による国際収支赤字は15億ないし20億ドルと推定される。ベトナム和平によってその全部がなくなるわけではないが,それが半減したとしても東南アジア諸国の外貨収支に響くであろう。

第1表 国民総生産の増加寄与率

第2表 防衛支出とGNP

第3表 GNPに対する防衛費寄与率

2 部門別動向

(1) 個人消費支出の増大

67年上期の景気停滞期間中も個人消費支出は順調にふえ,設備投資の減少を相殺し,下期から68年第1四半期へかけては設備投資の増加と相まって好況を支える大きな力となった。68年第2四半期の個人消費は比較的僅小な伸びにとどまったが,これには増税や景気見通しの混迷が影響したと思われる。増税は7月に実施の運びとはなったものの個人消費に大して作用せず,第3四半期にはふたたび勢いを取り戻した。しかし増加速度は上期ほどではなかった。

増税があっても意外に個人消費に響かなかった理由は①個人の貯蓄率を落として割賦信用を利用して支出をふやすことができた。②個人所得は引き続き増大し,1人当たり可処分所得も増大傾向にある。③物価の騰貴速度が早いため,買い急ぎ傾向があるとみられるからであるが,増税の実施された68年第3四半期では,個人所得の伸びは前2四半期とほぼ同額であったにもかかわらず,税負担は前2四半期の平均31億5,000万ドル増(季節調整済み,年率)から一躍して65億ドル増となり,1人当たり可処分所得の伸びは前2四半期の平均60ドルから21ドルヘ激減した。また第3四半期の貯蓄率は前2四半期の平均7.3%から6.2に下がって1965~66年平均の線に復帰した。この二つの事実一一人当たり所得の伸び悩み,貯蓄率の低下一はやがて第4四半期以降に増税の影響をより明確化すると思われる。

なお個人消費のなかでもとくに伸びたのは乗用車と新世帯形成増によるその他家庭用耐久財であった。

乗用車の売上台数は68年に940万台となり,65年のブームを越える見込みとなった(輸入車を含む)。輸入車は急増して100万台(67年77万台)にのぼると思われる。

(2) 投資は拡大へ

63年から上昇過程にあった設備投資は67年に入りー時減少を見せたが,第3四半期を底として再び上昇に転じた。そして68年第1四半期においては,従来までのピークであった66年第3四半期の628億ドル(季節調整済み年率)を21億ドル上回る最高の水準に達した( 第1図 )。その後第2四半期にはやや減少したものの,第3四半期は回復し,第4四半期も上昇することが見込まれており,年間で645億ドルに達するものと思われる。これは 第2図 の機械受注の伸びから裏付けされる。年間の伸び率では,67年は1.7%増と小幅に留まったが,68年は4.7%とかなり伸びは高くなるであろう。しかし,68年における設備投資の伸びは当初予想された程伸びずSECと商務省の設備投資予測調査は, 第3図 のように5月調査から8,11月調査にかけて,かなり計画が縮小されてきている。すなわち,68年全体で658億ドル(5月調査)から644億ドル(11月調査)に2%減少したのをはじめ第2,第3四半期とも実績は予測値を下回った。次に業種別にみてみると製造業は66年20%増のあと67年12%減となり,68年も11月調査ではほとんどすべての部門で横ばいないし減少の予測となっている。ただ,電気機械産業が,67年以上の投資計画を持っているにすぎない。非製造業においては66年14%増,67年4%増のあと68年でも9.5%程度の堅実な上昇が見込まれる。これは電気ガスの公益事業で15.2%増,鉄道を除く飛行機,トラックなどの輸送部門で14.9%増といずれもきわめて高い投資が計画されていることによる。

以上のように,設備投資は68年においても4.7%程度の上昇が見込まれるものの当初予想された10%をかなり下回ったのは次のようなことが考えられる。

第1に,法人利益は67年,68年とも頭打ちの状態にあることがあげられる。税引前利益では,68年第2四半期に910億ドルの新記録を作ったが,増税が行なわれたため,税引後利益は圧迫されぎみである。このことが,投資意欲を減退させる一方, 第5図 にみられるように投資支出における内部調達資金を比較的窮くつ化し,外部資金への依存を高めることとなった。このため賃金コストの上昇に結びつく。これがいっそう投資の圧迫要因となる( 第4図 )

第2に,製造業における生産設備の判断において,不足とする企業の割合は66年初めの51%から,68年6月には41%と10%下がっており,逆に,適正とする企業の割合が,その分だけ増加している事実がある。これは,設備投資への意欲が次第に弱まっていることを示している。

第3に,鉄鋼を中心として,生産は比較的停滞しているため,設備が過剰傾向にあり稼働率は66年の90.4から,67年は85.3に,最近時は83.4とすう勢的に下がっている。これから企業は投資拡大をせずとも,需要の拡大に適応できることから,投資意欲が生じない。この稼動率低下による営業経費の増大も利益圧迫の要因となっている。

第4に,増税,財政引締政策の影響が68年下期から69年上期にかけて現われてくることが予想されており,先行需要の大幅な増加は期待できない状態にあることである。

このように,現在設備投資は多少弱気の面が出てきているものの拡大基調にあることは事実である。そして69年上期の設備投資の伸びも,予測(11月調査)によれば,7.8%(前期比,季節調整済み)で,68年の4.4.%をもかなり上回っている。

2) 在庫投資

67年における在庫投資は,61億ドルで66年の147億ドルに比べて半減し在庫調整が急ピッチで進んだことを示している。これはまず,商業在庫が小売売上げの堅調な伸びによって47億ドルから7億ドルに急減し,製造業在庫も耐久財産業を中心として在庫水準の適正化が進み,95億ドルから,48億ドルに減少したことによった。68年に入ってからは,在庫投資は再び上昇をみせ 第6図 のように,年率で第1四半期21億ドル,第2四半期108億ドル,第3四半期77億ドルと第3四半期までの平均で前年を12.5%上回っており,68年景気上昇の要因の一つとなった。製造業在庫は第2四半期までに22億ドル増加したが,第3,第4四半期にはさらに37億ドルの増加が予想されている。第2四半期までの製造業在庫の増加は,鉄鋼ストを懸念した鉄鋼の備蓄在庫が主で,自動車,機械,金属加工等の産業でかなりの在庫蓄積が行なわれたからであった( 第8図 )。売上在庫比率は6年10月の1.85をピークとして低下を続けてきたが,68年第3四半期に入って上昇に転じている( 第6図 )。これは,売上が停滞していることが原因であり,これから先も一部には売上の減少が予測され,売上在庫比率は上昇を続けるものと思われる。在庫水準の判断では高いと思う企業の割合は,67年に比べかなり減少してきて,適正と判断する企業の割合が増加している( 第7図 )。

商業では,小売売上の好調な伸びによって,売上在庫比率は,すう勢的に減少してきている。

卸売業では,この比率が67年の1.26から68年8月には1.19に,小売業でも1.40から1.31とかなりの低下を示した。このように商業在庫は,個人消費支出の増大に支えられて,第3四半期においても減少している。

以上述べたように,在庫投資は第3四半期は第2四半期に比べ31億ドル減となったため,一時問題となっていた30億ドルにのぼるといわれる鉄鋼在庫の調整は,急速に進んでいることを示している。これは生産調整が急速に進んでいること,自動車売上が好調なこと,住宅建設が盛んであることなどが原因である。

3) 住宅建設

住宅建設は,66年から67年始めにかけて減少したが67年第1四半期の205億ドル(民間非農家・年率)を底として,それ以降上昇に転じ68年第3四半期においては288億ドルと前年同期を13.4%上回る伸びを示した。民間住宅着工件数も着実に増加し66年117万戸,67年129万戸,68年の10月には155万戸(季節調整済み,年率)と67年を20.1%上回っている。このような67年,68年における住宅建設の伸びは,住宅貸付の大幅な増加にもあらわれている。

住宅建設の内訳をみると, 第9図 のように67年においては個人住宅,アパート建設ともに増加したがアパートの伸びの方が高かった。68年に入って個人住宅の建設は,停滞気味であるのに対し,アパートの建設は堅実に増加している。これはアパート建設が66年の落込み.が激しく,回復が遅れていたこと,労働コスト,土地,原材料費の値上りによって建築費が上昇し,個人住宅からアパートに需要が移っていること,現在の住宅需要の中心が若年層にあることなどが原因である。

今後も住宅建設はかなり(伸びてて69年上期には,過去の最高水準である63年の158万戸を抜いて160万戸に達し,69年の景気停滞期における経済の浮揚力となることが予想されている。

このような強気の見通しの背景には次のような要因があるからである。第1に結婚率が高まっていることもあって年々100万程度の世帯数が増加しており,住宅需要がきわめて強いことである。第2に一般の金利が高いことから貯蓄の伸びが目ざましく住宅金融機関は,かなり資金的な余裕をもっている。貯蓄貸付組合には記録的な資金流入があったが,貸付はそれ程伸ばしていないし,商業銀行,相互貯蓄銀行も資金的な余裕があることから,住宅貸付のわくを拡大する傾向にある。第3にアパートや借家に対する需要が多く,しかも空家率は 第10図 のように58年来の低い水準にあり,アパート建設を増加される要因となっている。第4には新住宅立法によって,公営住宅が増加していることや,民間の住宅建設に財政援助が増大してゆく傾向にある。

(3) コスト・インフレの継続

1) 卸売物価

67年における卸売物価は比較的落着いており総合指数で前年比0.2%高程度に留まった。

これは工業製品の1.5%程度の騰貴が農産物加工飼料の価格の下落によって打消されたからであった。しかし,68年に入ると卸売物価は再び上昇に向い10月現在で前年同期を2.8%上回る109.1となり,これまでの最高水準を記録し年間でも2.2%程度の上昇が見込まれている。この68年における卸売物価の上昇原因は,工業製品,農産品の両方にあった(第11図)。 まず,工業製品においては,原材料生産者設備,消費財いずれの価格も上昇しているが,特に原材料の値上りが目立っている。原材料の値上りは金属,木材同製品,繊維を中心にしてみられた。銅,アルミ等の金属業界はいずれも賃金改訂期に当り,ストを見越した需要の一時的増大と賃金交渉妥結後における賃金上昇分の価格への転嫁によってこれらの金属類はかなりの値上がりを見せたが,最近では落ち着きをみせている。木材,同製品は木材供給が天候の影響で減少したのに対し,住宅建設の活発化によって需要が増大したため,8月でみると,前年同期比13.5%高ときわめて高い値上りをみせている。繊維も原糸が上がっていることや繊維産業における賃上げの価格転嫁の影響を受けて増加が目立った(第12図)。

次に生産者耐久設備の価格は継続して上昇を見せているが,これは建設,農業,金属加工等の機械類と自動車の価格上昇によるところが大きい。農産品は68年に入って上昇に転じ10月には前年同期を4.3%上回っており,これも卸売物価を押し上げる要因となった。

以上のように卸売物価は67年68年と続いて上昇を示したが基本的には需要の強かったことと労働コストの上昇が価格に転嫁されたことが原因であった。しかし第16図にみられるように工業製品の物価上昇率は67年68年ともに単位労働コストの上昇率を下回っており,賃上げによる労働コストの上昇分が100%価格に転嫁したわけではないことを示している。

これには,政府が鉄鋼,自動車大幅値上げを阻止したように,政治的圧力が作用したとみられる。

2) 消費者物価

67年,68年は消費者物価上昇のきわめて激しい年であった。67年に前年比2.8%の上昇を示した消費者物価は,68年に入ってから騰貴速度をますます早め,10月までのところ平均年率4.5%の上昇となり,51年来の大幅な上昇率となった( 第13図 )。この物価上昇の原因は,個人消費支出の拡大にみられるように需要が急速に拡大したこと,労働コストの上昇が激しかったこと,医療その他サービス価格の上昇,農産品が天候不順により供給不足に陥入ったことなどである。物価の値上りは耐久消費財,非耐久消費材,農産品,サービスのあらゆる項目にみられた。まず,非耐久消費財は1~9月の間に約4%の上昇をみせたが,特に値上りが目立ったのは,衣類で6%程度の上昇を示している。この他にガソリン,タバコ,新聞など軒並みに上昇している。耐久消費財では1~9月に3.3%の上昇であったがこれは68年型自動車の値上りによる所が大きかったが,69年型も1.6%~1.8%程度の価格引上げがなされたことから,今後も増勢は続くものと思われる。家具類も木材価格の値上りの影響を受けて高くなっている。一方,食料品関係は異常に根強い購買力の影響と天候不順による供給不足から68年において,最高の価格となった。特に値上りが目立ったのは果物,野菜,肉類で酪農品も政府の価格維持政策によって上昇を続けた( 第14図 )。最も騰貴の目ざましかったサービス部門は1~9月の間に5%の上昇をみた。これは最低賃金法のサービス産業への適用と,労働力不足下における賃上げ圧力によって労働コストが急上昇したことか原因であった。この労働集約的サービス部門の中でも極度の労働力不足と不断の需要増に悩む医療部門は病院経費と医者の手当があがったことからかなりの上昇をみた。この他にも,家事サービス,自動車修理,乗物,家賃等の費用もかなりの上昇を示している。

このように連続20ヵ月にわたって上昇をみた消費者物価も9月に入ってその上昇率が,前月比0.2%,年率で2.4%と過去の今年に入って最低の上昇率にまで落ちたこと先行増税と財政支出削減の影響が考えられることからして物価上昇のピークは過ぎたという見方が強かったが10月に再び年率7.2%の大幅上早となったため物価上昇がおさまったとはいえない。68年全体では4.5%程度の水準に落ち着くものとみられるが,16年ぶりの騰貴の年であったことは注目されよう。

3) 労働コスト

67~68年における労働コストは失業率が低いことが賃上げへの圧力ともなり,きわめて大幅な賃上がなされたことによってかなりの上昇をみた。失業率は67年3.8%,68年1~10月平均3.6%と過去の最低水準にあり,完全雇用に近い状態にある( 第15図 )。今後は景気が弱含みに推移することもあって69年には4%台に上昇するものとみられる。この低い失業率を受けて,67,68年に賃金改訂期にあった銅,アルミ,鉄鋼等の有力組合は大幅な賃上を獲得したこのため,賃金上昇率は66年3.6%,67年4.4%,68年6.0%と次第に大きくなっており,新規妥結額でみると66年4.8%,67年5.7%,68年7.0%とさらに一段と大きくなっている( 第4表 )。これに対し生産の増加は稼動率の低下にみられるように思わしくないため生産性は次第に低下している。かくして製造業の単位労働コストは66年101.1,67年106.5,68年1~9月で110.0と次第に上昇しており,コストインフレの大きな圧力となっている( 第16図 )

(4) 国際収支の改善

1) ドルの動揺

67年11月のポンド切下げに続いて,ドル切下げ=金価格引上げの臆測が高まり,ドルから他通貨または金への乗換えが起きて,67年12月,68年3月と3回にわたる大ゴールド,ラッシュに発展,この間政府,中央銀行は金プール加盟国とともに再三金価格不変声明やドル防衛の強化をもって市場鎮圧を試みたけれども,ついに投機を抑制できず,68年3月188,金の二重価格制移行によって,ようやく事態は収拾に向かった。

ドル動揺の根源は67年11月突然発生したものではない。58~60年の大幅国際収支赤字に起因する60年秋のドル不安以来,再三にわたってドル防衛措置を講じたけれども,国内の需要圧力の高まりからドル防衛の本命ともいうベき貿易黒字はしだいに縮小する気配をみせた。こうした時期にポンド切下げとその附随措置はイギリスの貿易,資本移動,海外軍事支出を通じて,アメリカの国際収支に悪影響をもたらすと考えられ,それがドル不安をさらに高める作用をした。

こうして積年の国際収支赤字がつくり出した多額の海外諸国ドル保有残高がドル不安を回避するため,金に交換された。当時はまだロンドン市場でもニューヨーク連邦準備銀行でもドルを金にかえることができたため,大量の金がアメリカから流出し,いまにもアメリカは金とドルの交換停止を余儀なくされるのではないかとみる向きさえあった。事実,いつでも金に換えることのできる外国公的機関の保有する短期性ドル債権は67年,10月末149億9,100万ドルとなり,同じ日現在の金保有高130億3,900万ドルを上回っていた。もちろん,貿易決済その他の運転資金需要もあるので,上記の短期ドル債権がたちまち,100%金の請求に向けられるとは考えられなかったが,しかし,このほか外国の民間保有にかかわるドルの短期債権が同日現在で公的保有分以上にあり(150億7,660万ドル)その一部が諸外国公的機関を経由して,アメリカの金との交換を請求されないわけではなかったので,アメリカに保有される金の量は必ずしも十分とはいえなかった。

こうしてポンド切下げ後,ロンドン市場においては大量の投機的金購入が発生,またドルから他通貨への乗換えが発生した。これを防止しようとして金プールの7か国中央銀行総裁は,11月26日フランクフルトに会合して,「7か国の保有する金を合わせれば,金需要を十分充足できる。」「金価格は変更しない。」と声明,一方民間への金売却を活発に行なっていたスイスの三大銀行からは金売却制限の約束を取り付けた。また連邦準備は諸外国に保有されるドルが.やがてニューヨークで金にかえられることを防ぐためスワップ網を活用して,このドルを買いもどした。こうして67年12月27日現在の連邦準備のスワップ引出し実施額は17億9,500万ドルを記録した。うち3分の1余がスイス,フラン(6億5,000万ドル相当額)であり,次いでイタリア・リラ(5億ドル相当額)ドイッ・マルク(3億5,000万ドル),オランダ・ギルダー,ベルギー・フランのような健全通貨であったが,フランス・フランは含まれなかった。ポンド危機のショックが弱まるにつれてこうした操作によって,ヨーロッパ中央銀行に対するドルの流入は逆転するものと期待された。

68年1月1日,ジョンソン大統領は改めてドル防衛を強化する措置を発表,その心理的影響もあって,欧大陸中央銀行からドルの還流が起きた。一方米当局はIMFから欧大陸通貨2億ドル相当額を引き出し,また外貨建証券を発行して1億6,600万ドルを調達,これによって先にスワップによって取り入れたヨーロッパ通貨の返還額は12億3,400万ドル,3月8日の残高は5億5,700万ドルに減少した。

ところがその後の金投機はふたたび勢いを盛り返えし,ドル相場は大幅に落ち込んだ。ホット・マネーが流出したからであるが,これに対しアメリカは3月14日公定歩合を0.5%上げ,5%とし(15日実施)2月21日下院を通過していた25%の金準備率廃止法案を3月14日39対37の小差で上院を通過させた(大統領署名は3月18日)。一方3月15田にはロンドン金市場の閉鎖を要請,19田には金プール7か国中央銀行総裁をワシントンに招いて,17日金プールの停止と金の二重価格制を発表,ようやく危機を脱却した。もちろんこれには3月末のSDR合意,ジョンソン大統領のベトナム北爆停止宣言もかなり貢献したとみられる。

こうしてドルの小康状態が続いているうち5~6月のフラン危機となり,フランス銀行は,はじめて連邦準備からスワップによって当時の預金額いつぱいにドルを引き出した(1億ドル。68年9月には償還ずみ)。一方ドル防衛の効果もあって,アメリカの国際収支は68年第1四半期以降しだいに好転し,第3四半期には季節調整済み年率で,1億4,000万ドルまで縮少,ドル相場は落ちつきを取りもどしつつある。

この大ゴールド・ラッシェをふりかえってみると,その原因はあとにも述べるようなアメリカの慢性的国際収支赤字にある。この問題は早くから存在したにもかかわらず,アメリカの議会,政府がその基本的な解消を怠り,ドル防衛のような一時的な対策,あるいは金プール,スワップその他の国際協力によってその場をしのぐに過ぎなかった。

こういった遠因のほか,次のような近因もあげられる。66年以来アメリカ経済は一般的な景気上昇によって需要圧力を増し,過熱気味であったところへ,ベトナム戦の支出が加わって超過需要を発生物価は騰り,貿易収支は悪化した。67年8月,ジョンソン大統領は景気過熱防止,国際収支の改善目的に10%の増税法案を議会に提出したが,議会はこれを審議せず,このため諸外国はドル価格維持に対するアメリカの熱意に疑念を抱きはじめた。ニューエコノミクスによって与えられたジョンソン大統領の政策は,65年12月のマーチン連邦準備理事長との対立にみられるごとく,ただ完全雇用の維持と高度成長にあり,物価の騰貴や国際収支は必要悪と考えられたかのようであった。

現行IMF制度は米英の国際収支赤字のつくり出すドル・ポンドを基盤にしており,それ故米英はドル・ポンドの流出をさほど意に介しなくてよかった。だがそれが過剰となり,またその購買力が国内のインフレによって低下して行けば,やがては金との結び付きを変更せざるをえなくなる。これが67年秋以降約半年にわたるゴールド・ラッシュの原因であった。

3回のゴールド・ラッシュのうち2回は金プール諸国の金価格不変声明によって鎮められたけれども,第3回目ではすでに声明だけでは効かなくなり,ついに金二重価格制の採用となり,ついでアメリカの増税,財政引締め実現の見通しが強くなる一方,IMFのSDR実現の可能性も固まって,ようやく金自由価格は公定相場を20%上回る程度におさまった。

2) 国際収支の好転

総合収支でみたアメリカの国際収支赤字は65,66両年の約13億ドルから67年の36億ドルに悪化し,68年1月の新ドル防衛によって,ようやく好転しはじめた。だが好転要因のなかには一時的なものもあり,手放しの楽観は許せない。

過去1年前後の動きを四半期別にみると,67年上期平均の20億ドル赤字(年率,季節調整値)から第3四半期の32億ドル,第4四半期の36億ドルとしだいに赤字幅を拡大した。68年1月にはドル防衛の強化された関係もあって,その後しだいに好転に向い,第3四半期では黒字になった。

ここで以上のような総合収支尻の変動要因を調べてみると,67年第3四半期には短期資金の流出増(4億ドル),海外民間直接投資増(10億ドル)その他長期資本流出増(13億ドル)とドル不安に脅えた外国資本流入減(2億ドル)など悪条件が重なった。

第4四半期になると,海外民間直接投資,その他長期資本の流出速度はやや弱まったが,反面,ポンド危機によるイギリス政府は手持ドル証券の売却,ドル不安による外国資本の流入減(17億ドル),貿易収支の異例な悪化(輸出6億ドル減,輸入24億ドル増)がみられた。もちろん貿易収支の悪化には長期産銅ストや鉄銅スト見越しの備蓄買いも響いたが,それよりも大きな原因は景気上昇による国内の需要圧力であった。

上記の特殊要因と需要圧力は68年にはいってますます貿易収支を悪化させ第1四半期の黒字は僅かに3億4,800万ドル(季節調整済み,年率),第2四半期にはただの3,600万ドルまで縮小した。67年でさえ35億ドルあった貿易黒字に比べ,異例な縮小であった。このように貿易収支が悪化しているにもかかわらず,総合収支で赤字幅の縮小した理由は資本収支の好転である。ドル防衛の影響もあって海外民間直接投資の伸びが抑制されその他長短期資本流出も減少した。ドルの小康状態が取り戻せたと同時にフランスのゼネスト,チェコの事件などによって,西欧通貨からドルへの乗換えや対外証券投資がふえた。だが同時に政府証券が外国政府,中央銀行ないしは民間に大量に売却され,それがアメリカの国際収支統計に黒字と記録されているからでもあった。

この政府債は中期性のものが多く,しかも非譲渡性証券であるため,向こう3~4年間は海外過剰ドルの凍結に役立つではあろうが,満期時に問題を残すであろう。過去1年間増大方向にある外国人の米有価証券購入もまた満期時の問題とウオール街株価下落時の売り集中といった危険を残している。

第5表 国際収支

3) 貿易収支の悪化

総合収支は好転しているが,それは資本収支の改善によるところが多く貿易収支は悪化した。

引続く物価騰貴と国内需要の増大から1967年の輸出は事実上まったく増大しなかった。すなわち,67年第1四半期には季節差を修正して前期比僅か5,000万ドルふえただけで,続く第3四半期まったく横ばいに終わり,68年第1四半期も同様であった。この四半期にはニューヨーク港湾ストがあって約2億ドルの滞貨が発生し,それが次の四半期の輸出に記録されたけれども,この四半期の輸出もまた目立った増加を示さなかった。第3四半期になってようやく10%の伸びをみせたが,この期中には10月の港湾スト見越しの積急ぎが加わっていることも注意しなくてはならない。

他方,輸入は67年上期の景気停滞によって第3四半期まで横ばいの後,第4四半期以降四半期ごとに10%前後増大した。銅,鉄鋼がストライキやスト・ヘッジによって増大したからでもあるが,その影響がほとんどなくなった68年第3四半期でもなおかなり高水準の輸入が続いている。以上のような輸出停滞と輸入の増大によって,出超幅は67年第4四半期以降急速に減少し,68年第1四半期は月平均1億ドルも満たない低水準に落ちた。その後の黒字は漸増傾向にあるとはいえ,68年第3四半期のそれをもってしても前年の半分に足らない。

貿易収支悪化の原因としてはまず,輸入の増大があげられる。 第7表 は最近の輸入と国民総生産(GNP)とを比較したものだが,これによると朝鮮事変当時のピークでさえもGNPに対する輸入比率は3.41%であり,製造業の操業率は90.4%と高かった。1966~67年の輸入比率もこの水準まで高まっており,68年にはさらに上昇,第2~3四半期では4%近くとなった。しかも製造業操業率はしだいに下がるなかで,こうした輸入比率の増大がみられる。この原因は国内物価の騰貴などによるものとみられる。

一方,輸出の停滞は,輸送設備,機械などの値上がりによるが,農業輸出の減少も指摘・されねばならない。 第8表 にみられるとおり,67年以来の農産輸出は減少し,68年上期においても減少傾向は続いている。主要消費国における増産が米農産物需要を圧縮したからである。

農産輸出の減少については,とくに次の2点を指摘しておかなくてはならない。

第一に,農産輸出中約20%は農産物処分計画による公的援助を受けた輸出であること。

第2に,農産物その他公的援助による財貨輸出がなかったとすれば,66年以降アメリカの輸出黒字はほとんどゼロとなる点である。

68年における貿易収支の不調は半ば構造的であると同時に循環的なものである。構造的なものについては設備投資の増大,輸出の意欲の高揚,その他の対策を必要とするが,循環的なものについては財政,金融の引締めにより,景気上昇速度を落すことによってある程度目的を達成できよう。前者の対策としてははじめて輸出目標を産業界別に設定して輸出意欲を増進する動きがみられまた長期的にはEECの採用する付加価値税制移行も提案されている。

また短期決戦的な対策としてはEECの国境調整税,撤回要求,輸入課徴金,輸出戻し税,鉄鋼相殺関税の新設など考慮され,鉄鋼についてはすでに日本,ヨーロッパからの対米輸出に自主規制の枠をはめたし,こうした自主規制方式が他品目に拡大される可能性がある。また諸外国からの安値売りを防ぐため,反ダンピング法の運用も強化されつつある。とくに保護貿易を強く要求する鉄鋼,化学,繊維,くつ,ガラス業界は69年のニクソン大統領就任後政府に強く働きかけ,初志を貫徹する可能性がなくもない。また国際的には新通商拡大法によって,関税障壁の引下げを推進すると同時に,ガットその他国際交渉の場を通じて,非関税障壁の撤廃を要求するであろう。

第6表 商品貿易収支

4) ドル防衛の強化

連邦準備は銀行の海外投融資増加傾向にかえりみて,67年11月銀行貸出枠規制を強化し,11月20日には公定歩合を引き上げていた(4%から4.5%),しかし財政引締めはいまだに実現しておらず,金融措置だけで大幅な国際収支赤字を食い止めるわけにはいかないので,68年1月1日,5項目からなる30億ドル節約を目的とした次のような新ドル防衛措置が発表された。

    ① 政府の海外支出削減……………………5億ドル

    ② 貿易収支の改善…………………………5〃

    ③ 民間銀行の海外融資抑制………………5〃

    ④ 海外民間直接投資の削減………………10〃

    ⑤ 海外観光収支尻の改善…………………5〃

ドル防衛実施後まだ半年の計数しか入手できないため,その効果を評価するのは,時期尚早であるが,いま判明するところは次のとおりである。

①の政府海外支出の削減は海外駐留文官ならびに現地委員の削減,ヨーロッパ駐留軍の部分的引揚げ財務省証券の外国向け売却の形で進行し,とくに後者はカナダ,西ドイツなどの協力により,大きな効果をあげた。

しかし1968年8月にはチェコ事件など在欧兵力の削減をはばむ出来事も発生した。

②の貿易収支の改善については最初EEC諸国の国境調整税,輸入課徴金なども考えられたし,また,積極的に関税を引下げて,世界貿易を推進する新通商拡大法も考慮されたが,今日までそのいずれも実現しなかった。恐らく収支の改善は景気のスローダウンの進行につれて,追々実現されるであろうが,大統領選挙の年に当たって,産業界に保護貿易主義が台頭し,ニクソン新大統領の出方が注目される。

③の銀行融資規制はドル防衛による西欧向け1年以上の融資制限,アメリカの金利高などから上半期中に予定の成果をあげることができたが,年末ごろ金利の低下現象が起きれば,再流出することもありえよう。

④の海外直接投資は第2四半期までの資料しか入手できないが,これによるとまずまずの成績である。だが第2四半期の水準は季節調整済み,年率で前年の速度よりも高いため,予断を許さない。

西欧先進国向け直接投資金融には,現地利潤と現地資本を利用させることとし,アメリカからの送金を禁止したため,68年1~10月の米企業海外起債は20直ドルとなり,前年同期の4.5億ドルをはるかに上回った。ヨーロッパでの起債額が急増し,ヨーロッパの産業資金調達が妨げられた。

⑤の海外,観光収支の改善はもともと税制によって海外渡航を規制する一方,国内の運賃,ホテル料を割引いて海外から観光客を誘致しようとした。

前者については選挙の年という理由もあって骨抜きとなり,後者だけが実現した。

(5) 財政・金融の引締め

1) 遅れた増税

67年1月,予算教書に盛られた6%の一般増税は上期の景気停滞によって見送りとなったが,しかしベトナムのエスカレーションによって財政支出は増大して,財政収支の赤字は290億ドルと異例な額にのぼる見通しとなり,一方財政支出の刺激が景気の過熱を促進する危険もあって,67年8月3日,ジョンソン大統領は10%の増税と電話,自動車の消費税減税の取りやめを合わせ74億ドルの財政引締めを議会に要請した。しかし議会には増税よりも,財政支出の削減を優先する意向が強く,政府原案通りの通過は困難となった。

次いで政府は68年1月,あらためて69年度予算に153億ドルの増税法案を提出した。その内容は,次の通りである。

    ① 個人の所得税付加税(10%)を68年4月より実施,(ただし税額290ドル以下の夫婦,145ドル以下の独身者を除く)これによる増収78億ドル

    ② 法人税に10%の付加税をかけ,68年1月から適用(税収増38億ドル)

    ③ 法人税納期の繰上げ(10億ドル)

    ④ 消費税率の据置き(30億ドル),68年からの電話消費税,自動車消費税はケネデイ時代の一般減税計画によって引き下げられることになっていたが,これを取り止める。

以上の財政措置に対し議会は68年秋の選挙もあって,容易に承認を与見るもようがなかったが,3月のゴールド・ラッシュ,前後から,議会に対する風当たりがアメリカ内外から強まってきた。すでに公定歩合は67年11月のポンド切下げ当時にゴールド・ラッシュのピークに達した68年3月15日に引き上げられて,5%となり,30年来の高水準に達していた。しかし財政支出の増大が金融引締めの効果を減殺し,景気上昇速度は高まって,物価,賃金の上昇,貿易収支の悪化など景気過熱は進行していた。連邦準備マーチン理事長,ファスト,ナショナル・シティ銀行のムーア会長のごとき要人は声を高くして増税を要望,財政の引締めによってインフレを食い止めなければ,ドル不安はさらに進行すると警告,海外の世論もまたアメリカ財政の節度を強く要望するに至って,議会はようやく動きはじめた。しかし議会は増税可決の条件として政府支出の60億ドル削減を要求,削減を渋る大統領との間にちょっとした応酬があったが,結局68年6月下旬に至ってようやく政府原案と60億ドル支出削減の抱き合わせで可決,7月実施された。

これによって政府は景気過熱の結果を期待し,GNPで示せば68億第3四半期120億ドル(名目GNP,季節調整済み,年率),第4四半期50直ドル(68年上期では200億ドル)へ収縮し,第4四半期では実質成長ゼロと見込んだのであったが消費者支出の根強さから所期の引締め効果は現われなかった。

その一因としては8月の金融緩和が時期尚早であったことがあげられる。

2) 早過ぎた金融緩和

67年1月ロンドン効外のチェッカーズに開国れた5ヵ国蔵相会議は金利の引下げ協力を約束し,おりからアメリカ経済停滞期にあったため,4月7日公定歩合を引き下げた(4.5%から4%へ)が,そのごまもなく景気は回復,ふたたび物価騰貴圧力もみられ,8月の増税案も棚上げとなって金利は騰貴しはじめた。このためイギリスその他から資金の対米流出があり,イングランド銀行は10,11月3回にわたって公定歩合を引き上げ,ポンドを切り下げた。こうしてアメリカも11月20日公定歩合の引き上げ(4.0%から4.5%へ)に踏み切り,翌68年3月にはゴールド・ラッシュ対策として,ふたたび公定歩合を引ぎ上げ5%とした。

68年第1四半期の経済成長速度は10%,うち物価騰貴分が4%となって,物価の騰貴が目立ち,一方貿易収支も思わしくないため4月19日またまた公定歩合を0.5引き上げ,5.5%とした。もちろん増税案を可決させるための側面功勢といった意味もあった。こうして各種金利は66年秋のピークをも突破して,約100年前の南北戦争当時以来の高水準となった。

68年7月の増税実施は金利引き下げの機会を与えるものと期待されたが,総需要は容易に弱まらず,金利に敏感な住宅建築さえ容易に衰えをみせなかった。ところが8月15日連邦準備理事会はミネアポリス連邦準備銀行の単独公定歩合引下げを承認した(5.5%から5.25%へ)。このとき連邦準備は「増税とそれに関連する財政支出削減に起因する財政引締め強化と財務省借入れの減退があり,その結果として金融市場に変更が起きたから」,「金融市場情勢の変化に公定歩合を合わせる」技術的な引下げと説明した。このときの引下げ幅が従来の半分(14%)であったところから,連邦準備理事の間に景気の現状判断や見通しに食い違いがあり,妥協の結果小幅にとどめたものとみられた。こうした連邦準備理事会の動きとは反対にニューヨーク連銀は国際収支に相変わらずトラブルがあり,国内にはインフレが続いているのだから公定歩合引下時期ではないと反対,引下げを渋ったが,他の連銀が散発的にミネアポリス連銀に追随したため,8月29日に至ってようやく同調した。

皮肉なことながら短期金利の標準とみなされる財務省証券3ヵ月もの利回りはミネアポリスの公定歩合引下げ後まもなく騰貴に変わり,9月後半に至って一時徴落に変わったが,10月にはいって再騰に転じ,9月中にプライム・レートを公定歩合以上に引下げていたチェース・マンハッタン銀行は11月上旬0.25%引き上げた。増税効果の浸透がおくれ,資金需要が相変わらず強かったからである。今後は財政借入の急増,成長速度の鈍化が予想されるのでいずれは低下するではあろうが,現状では国際収支面の顧慮とくにヨーロッパ金利とのかね合いなどから大幅かつ急激な低下は予想しがたい。

第17図 金利の動き

3 今後の経済見通し

68年10月,政府,実業界代表を集めたビジネス・カウンシルは例年のごとく翌年の見通しを発表し,多数意見として69年のGNPは前年比6.3%増の9,110億ドルとした。はじめて9,000億ドル台のGNPとなるが,増加速度は68年の8.5%をかなり下回る(68年8,570直ドルの推定)が物価騰貴速度は68年の4.0%から69年の3,3%へ弱まるので,実質成長率は68年の4.5%から69%年の3%へ1%縮まるにすぎない。なお上期の成長速度は大幅に鈍化するが,下期には急速に回復するとみられる。

一方,低い方の推定としてはミシガン大学スーツ教授の実質1.5%見通しがある。

以上はベトナム戦争が継続し,10%の付加税が69年中継続された場合の推定であるだが69年央にベトナム和平が実現し,付加税の一部だけが年内延長されても,大勢はほとんど変わらないであろう。

問題はニクソン政府の経済政策夕あるが,いまのところ取沙汰されるところによれば,これまでの民主党政府よりも慎重かつ保守的であり,財政,金融政策はより正統派的となり,完全雇用よりも物価の安定に重点がおかれるであろう。貿易政策についてはより保護主義色を増し,割当,保徴金類似の措置によって輸入を制限する恐れがあるとともに,同時に諸外国には輸入障壁撤廃を迫るであろう。

一方ベトナムの和平交渉が成立しても軍事行動の停止から軍隊引揚げまでにはかなりの時間を必要とするであろう。その間かなり長い時間を必要とするであろうから,かりに69年中に停戦が実現しても,この年の国民総生産には大きく響くことはあるまい。

要するに新大統領執政後,ただちに急激な国内経済政策の転換がないと仮定すれば,69年上期の実質成長速度は衰えるとしても,下期に回復すると思われ,年間を通じての成長率は実質3%前後に止まるものと思われる。