昭和40年

年次世界経済報告

昭和40年12月7日

経済企画庁


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第8章 ソ連および東ヨーロッパ

1. 1964~65年のソ連経済

(1)1964~65年の概況

1960年代にはいって成長鈍化の傾向をみせてきたソ連経済は,63年に農業不作の打撃を受け,それまでにない低い成長率に落ちこんだが,64年には,農業の回復をまって成長率を高め,さらに,65年にはいると,従来,増勢鈍化を示した工業生産も増産の幅を拡大した。しかし他方,農業の作柄は65年に再び不良を伝えられ,すでに,西側諸国から小麦の輸入がはじまった。このことは,経済成長率や対外経済関係にかなりの影響を及ぼす可能性をもっている。

このようなソ連経済の現状を明らかにするため,まず,主要経済指標について1964~65年の概況をみよう(第8-1表参照。ただし,ソ連の公表する経済指標は,その内容と算定方法が西側諸国のそれと異なるので,両者を相互に比較しえない)。

第8-1表 ソ連の主要経済指標

1)国民所得と工業および農業生産

国民所得(ソ連の統計では物的生産とその関連部門の純生産額)でみた経済成長率は,60年以来の鈍化傾向から反転して,63年の4.3%に対し,64年には,前年の農業不作からの回復を主要な原因として7%に上昇した。また,工業総生産(企業別の総生産額の集計)の増加は,63年の8%から64年の7%へと従来の低下傾向を続けたものの,65年にはいって8.9%(1~9月)と拡大を示した。そのほか,建設や商業部門の成長率も,固定投資と小売り売上高の伸びからみて,64~65年に上昇しているとみられる。

したがって,65年の経済成長率が8%と,計画どおり前年を上回るかどうかは,作柄不良を伝えられる農業生産の規模いかんによるところが多い。この点はまだ明らかでないが,仮りに計画が達成されたとしても,7ヵ年計画の最終年次たる65年の国民所得は,対58年比56.4%増で,当初の計画の目標の62~65%増には及ばない。これは,低成長を続ける農業生産が7ヵ年計画の対58年比70%増という増産目標に達しないことによるものである。工業生産は64年にすでに58年の水準を70%程度上回っており,また65年1~9月には前年同期に比べ8.9%増しているので,65年には対58年比80%増の7ヵ年計画の目標を上回る予想である。

2)雇用と労働生産性

雇用者数(コルホーズ農民を除き,国営部門の労働者職員)の増加率も,60年以来低下してきたのに対して,63年(3.2%)以降,64年の4%,65年上期の5%と,やや上向き傾向にある。58年以来のコルホーズ部門からの労働力の流入がこの2年間どの程度であったかは不詳であるが,戦時中および戦争直後低かった人口増加率が,1950年ごろから高まってきたことは,現在の労働力人口の増加率上昇の一因とみてさしつかえなかろう。

この雇用者数の増加率の上昇は,農業以外の諸部門の成長率を高める一つの要因となったと考えられるが,工業部門の雇用は61年の5.3%増に対して,62~64年に3・3~3.0%増と増勢が鈍化したのち,65年(1~9月)には対前年同期比3.7%増に上昇した。工業部門の労働生産性も62年以来ほぼこれと同様の動きを示している。

3)固定投資と個人消費

固定投資(国家計画投資)も,63年の6%増から64年の7.8%,65年(上期)の10%増と,増勢を強めているが,国家計画を達成するまでには及んでいない。建設事業における欠陥としては,労働生産性の向上にはみるべきものがあるものの,作業の休止による労働時間の喪失がなお多く,建設機械や設備の利用も不十分である点が指摘されている。しかしさらに問題なのは,投資額の伸びが拡大しているにもかかわらず,未完成建設が急増しているため,稼働にはいった資本ストック(コルホーズを除く)の増加率が62年の14%から63年の10.7%,64年の6.9%へと低下していることである。

64年には,63年同様,固定投資の配分にいちじるしい変化がみられた。ただ,その内容は異なり,63年が,鉄鋼,機械などの工業部門よりも化学工業,農業に重点がおかれたのに対して,64年には従来,優先順位の低かった石炭工業にかなりの重点がおかれた。このため,石炭工業の資本設備の稼働開始は,63年に比べ17%増し,石油,ガスおよび化学工業のそれとならぶ伸び率を示している。このような投資配分の特徴は65年上期にもいぜんとしてみられる。

つぎに個人消費の指標として,小売り売上高(コルホーズ市場を除く国営および協同組合商業の売上高で,売上高の9.6%を占める)をみると,その増加率は64年に5.3%と前年(5%)よりわずかな上昇を示したのち,65年上期には9.2%とかなり大幅になっている。とくに農業の回復によって畜産品の売上げが著増し,また従来売行き不振を示していた繊維品の売上げも増加していることが注目される。この売上高の増加は,所得と価格の両面から促進されたとみられる。

個人所得は64年には労働人口1人当たり実質で63年より4%増したのに引き続いて,65年にはいってからは,同年の国民1人当たり実質所得を7%増加することを計画目標として,つぎのような所得増加のための政策が打ち出されている。すなわち,①従来比較的低かった教育,保健,商業など公共サービス部門の賃金水準の引上げ(64年第4・四半期からはじめられ,該当者は1,900万人),②最低賃金引上げの全面的実施,③小麦,ライ麦などの国家買付価格の引上げ,計画超過買付分に対する追加金の支払い,④コルホーズ員に対する国家年金制の実施(7月1日現在の該当者600万人余)などの諸措置がそれである。

他面,小売物価についてみると,65年4月25日からの織物・衣料の値下げ,政府の奨励策と農産物の出回り増加によるコルホーズ市場の自由価格の値下り(65年上期に対前年同期比17%低下)などで,一般に低下傾向にある。

このようにして,個人消費の増加率は,64年に比べて65年にはかなり高まっていると推測される。したがって,投資と消費の関係は,64年には前者の比重が増大したが,65年にはいってからに,投資の比重の増大は小幅になっているとみられる。

(2)工業生産の動向と管理機構の改革

1)  64年の低成長から65年の好調へ

さきにもみたように,全体としての経済成長率が上向きに転じた64年に,工業生産の伸びは7.1%と,従来みられなかったほど小幅となり,計画を下回った。これを工業部門別にみると(第8-2表参照),機械金属加工工業の増産率が63年の13%から64年の9%へと目立って低下し,石油,ガスの増産率も鈍化したが,これらは,ほぼ計画に対応した動きであった。これに対して化学工業は,重点施策の対策として64年に増産テンポの増大が計画されていたにもかかわらず,実質は63年より低下した。消費財部門では,63年の農業不作の影響で,食品工業の増産率は63年,64年と引き続いていちじるしい低下を示した。

65年にはいると,全体としての工業生産は1~9月に前年同期に比べ8.9%増と,64年までの成長鈍化傾向から反転し,年間計画の8.1%増をも上回っている。64年の伸び率を上回り,かつ計画を超えているのは石炭,鉄鋼の両部門で,これらの工業全体に占める比重からみて,65年の増産率の上昇に寄与するところが大きかったとみられる。石炭の増産テンポは,従来,石油,ガスの生産の高成長と対照的に低く抑えられ,「燃料生産のバランスの改善」が進められてきたのであるが,両者の成長の格差は若干縮小する傾向にある。しかし,近年燃料(とくに家庭用)の不足から石炭鉱業を発展させる方針がとられ,65年には大幅に投資を増すことになった。

また,鉄鋼生産の動きをみると,重工業部門の構造変化に若干の手直しが行なわれたことを示唆している。すなわち,63年以来,鉄鋼業および機械金属加工工業の増産テンポは鉄鋼より化学への重点の切換えという政策を反映して緩慢化し,一方,化学工業は,計画には達しないながらも大幅な増産率を示してきた。

しかし,65年には鉄鋼業と化学工業との関係に若干の手直しが加えられ,鉄鋼業への投資がいちじるしく増加される一方,化学工業への投資は当初の予定よりわずかながら削減された。このような手直しはあったが,化学工業を当面の最重点部門とすることには変更があったわけではない。それにもかかわらず化学工業は,65年にも64年に引き続いて伸び率が低下し,年次計画も達成する可能性はない。その結果,第8-3表にもみるように,主なる重工業品が長期計画の目標に達するのに対して,肥料,化合繊など重要化学品の生産は目標を下回るものと予想される。

軽工業と食品工業など消費財工業部門は,65年には64年に比べていちじるしい増産を示しているが,これは食品工業の生産が64年の農業回復により好転したためである。しかし,65年の農業の作柄の不良が伝えられており,そうであれば65年後半の食品工業の動きには,その影響があらわれてくるであろう。

消費財産業のうち,軽工業品,とくに織物,衣料の生産は停滞を続けている。これは品質や型が消費者の好みに合わず,多くの滞貨が発生しているため,当面,量的増産よりも品質の向上と品種の改善に重点がおかれていることによるもののようである。一部では,商業機関の注文による生産がすでに実験的に行なわれてきており,65年には,この方式が400余の企業に拡大され,その業績は商品販売額と利潤の計画の遂行状況で評価されることになっている。

第8-2表 ソ連の部門別工業生産の推移

第8-3表 一部品目の65年生産計画および実績

2)工業の管理機構および計画方式の改革

このような新しい企業運営方式の実験は,軽工業部門のみならず,他の部門でも利潤原則や新しい報奨制など各種の形態で行なわれている。これらは,1962年9月にリーベルマン教授の論文が発表されて以来論議されてきた経済管理機構および計画方式の改革のための実験であった。この改革の意図するところは,ソ連の経済が,物資動員的な段階から,資源の有効利用を必要とする段階へと漸次移ってきたのに応じて,国営企業の運営を効率化し,技術進歩を促進し,究極的には経済成長率を高めることにある。そのため企業の自主性を高め,中央当局の統制の手段としては,上からの行政的指導だけにたよらずに,後述するように,利潤,信用,価格といった「経済的テコ」を重視し,また従業員の労働意欲を刺激する合理的な報奨制度を定めようとするのである。

このような新しい管理機構と計画の方式は,65年9月27~29日の共産党中央委員会総会で,「工業管理の改革,工業生産の計画化の改善および経済的刺激の強化」に関する決議として正式決定され,10月初めには最高会議で国家管理機構の改組が承認,立法化された。党の決定は,1966年から実行に移され,1967~68年に完全実施となるが,党の会議での報告によると,その概要はつぎのようなものである。

① 工業管理の改革

まず,1957年に,中央の管理機関である工業部門別の各省が廃止され,全国を100余(後に約半数に統合)の経済行政地区に分け,地区の国民経済会議(ソフナルホーズ)による国営企業管理が行なわれるようになった。この改革では,行過ぎた中央集権的体制から,現場の実状把握に便利な地方分権的体制へ移った。しかし,その後,地方第一主義と統一的政策の阻害という傾向が出てきたため,統一政策,とくに技術政策を実施する中央機関として,部門別の各種の国家委員会や上級の管理機関としての連邦・共和国などの国民経済会議が設けられた。ところが,今回の決定では,この国民経済会議による地域別工業管理体制は廃止され,生産,技術,研究開発を統一的に指導するため,中央に工業部門別の各省が設置された(連邦と共和国にある同一系統の省17,連邦のみにある省11)。

② 計画方式の改善と自主性拡大

このような中央機関による個別企業の指導,統制とならんで,従来どおり,中央の計画策定も行なわれることはいうまでもない。しかし,経済計画については,計画作成にいっそう科学的な方法を使い,成長率や経済内部のプロポーションは現有の資源をもっとも有効に利用しうる最適なものとすることが要請されている。また,科学技術の最新の成果を導入して工業生産の増大テンポを高めること,長期計画を重視することも必要とされている。

他方,個別企業の側からみると,上級機関から確認される計画指標の数が減らされ,とくに品質,品種の改善を阻害してきた従来の「総生産高」指標を「販売高」指標に代え,また,生産効率の向上を示す指標として,利潤や収益率(生産フォンド1ル-ブル当たり利潤額)などが重視されることとなった。その半面,技術開発,投資,価格,賃金・給与,財政などの諸部面の統一的政策は従来どおり中央で推進されるのである。

③ 企業に対する経済的刺激と従業員報奨制度

以上述べた企業の自主性向上は運営面だけにとどまらず,資金面からも裏付けが与えられる。すなわち,企業には,増産,技術開発,従業員に対する報奨および福祉向上のため,十分な資金を,業績に応じて,利潤のなかから残すようにし,生産発展基金(利潤からの控除と従来上級機関により集中的に使用されていた減価償却積立金の一部),従業員報奨基金(販売額,利潤額,収益率,新製品の割合,品質向上に対する割増価格に応じて利潤の一部を積み立てる),福祉施設・住宅建設基金などが設けられる。とくに,報奨制度については,従来も利潤の一部を積み立てる「企業基金」なるものが設けられてはいたが,これを保有しないか,あるいは積立額の少ない企業が多く,報奨金は賃金フォンドから支払われていたし,また報奨が計画の超過遂行を主なる基準としていたため,企業側が故意に生産目標を低め,投資資金や資材の申告を水増ししようと努めるという弊害があったので,報奨の資金も基準も今回のように改められることになったものである。

このように,企業の自主性は資金面から裏付けられるのであるが,その半面,強い経済的責任も求められる。すなわち,企業相互間の契約に対して責任が強化されるが,とくに注目されるのは,いわゆる「生産フォンドの有償化」である。これは従来のような返済を要しない国家投資の支出を制限して,資金の貸付が拡大されること,運転資金の不足の補填を,返済不要の予算支出から臨時貸付に変えることにみられる。また,従来は企業利潤からの国家予算への控除はかなり高率で,かつ企業の生産フォンド(固定設備,運転資金)の規模とは無関係であったため,企業側はできるだけ多くの生産フォンドを保有しようとし,利用効率が低下する弊害があった。

そこで,今回の改革では,企業は一定の生産フォンド使用料を納入することになったのであるが,これが将来国家予算の重要な財源をなすようになるのである。

④ 価格の改訂

以上のような利潤原則および報奨制を実施するには,現行価格を改訂し,正常に運営される企業には利潤が保証されることが必要である。そこで,66年初までに,工業製品卸売価格決定の基本方針が提案され,新価格は1967~68年に実施されることになる。なお,それ以前に,新制度に移る部門においては,収益率に不当に格差のある価格に対して修正を加えることになっている。

以上のような計画方式の改革と新しい経済的刺激および報奨の制度は,工業関係について決定されたものであるが,それは建設や鉄道運輸,その他の部門にも漸次適用されることになろう。

(3)農業生産の推移と新農業対策

1)65年農業は不作

さきに述べたように,64年の農業生産は天候に恵まれて対前年比12%増と,63年の穀物不作からいじるしい回復を示し,経済成長率の上昇に寄与した(第8-4表参照)。穀物以外の農産物の生産量は発表されていないが,穀物,テン菜,馬鈴薯,綿花などの買付計画(第8-5表参照)は達成されたとだけ報告されている。その半面,63年の穀物不作が畜産に及ぼした影響は予想外にきびしかったようで,肉類,牛乳,卵,羊毛など畜産物の64年買付計画は,いずれも未達成におわったとみられる。

この畜産の不振は家畜頭数の推移からもうかがわれる(第8-6表参照)。すなわち,63年後半から64年にかけて家畜(乳牛を除く)頭数は減少し,65年央になっても過去の最高水準には回復していないもようである。

このように,農業生産は,64年に前年の不作から回復したが,65年には穀物,とくに春まき小麦の作柄が再び不良となった。原料用作物はさほど不作ではなく,綿花は豊作に恵まれた。しかし全体としての農業生産は,64年収穫を2~3%下回る見込みである。この不作のため,穀物の国家買付量も計画(後述のように当初計画より切り下げられた)に達しないものと予想され,西側の観測によれば,1,000~1,200万トンの供給不足を生ずるとみられている。

このような65年の不作のほかに,①63年の不作でストックがないこと,②後述するように65年から穀物調達方式が変わったこと,③ソ連の穀物輸出先である東ヨーロッパに水害があったことなども,穀物需給に影響を及ぼしたと考えられる。そこでソ連は,65年8月西側諸国と小麦買付契約を結び,カナダから570万トン余(小麦粉をふくみ,金額4億5,000万ドル),アルゼンチンから110万トン,フランスから70万トン,合計650万トンを輸入することになった(63~64年はカナダ,オーストラリア,アメリカなどから1,200万トン輸入)。

第8-4表 ソ連の穀物収穫高

第8-5表 ソ連の主要農産物の国家買付高

第8-6表 ソ連の家畜頭数

2)新農業政策の決定

これよりさき,65年3~4月には,新5ヵ年計画(1966~70年)に織りこまれる基本的な農業政策が決定された。その主なる内容は,①従来の国家買付計画が不合理で,稀にしか目標が達成されなかったことにかんがみ,65年の穀物および畜産物の国家買付計画の目標を引き下げ,計画を超過する買付量には追加金を支払う(第8-5表および同注参照),②65年から,小麦,ライ麦,その他一部地域の穀物の国家買付価格を引き上げる,③穀物の国家買付計画3は,65年買付量を70年まで据え置く,④新5ヵ年計画期間中に,戦後19年間の総額とほぼ同額の農業投資を行なう,⑤コルホーズ所得税の新規程を定め,15%の所得控除を認める,というものである。

このような新農業政策は,農産物価格および資金面から農業振興を図ることを目的としており,従来の集約化による増産措置とならんでどの程度の効果を収めるかが注目される。

(4)貿易の動向

1963年後半から64年にかけての西側からの小麦輸入は,貿易の動きにかなりの影響を及ぼした。64年には輸出が76億8,100万ドル(ソ連の公定換算率0.9ルーブル=1ドルで換算,以下同じ),輸入が77億3,700万ドルで,輸入とも,伸び率は63年のそれを上回ったが,そのパランスは,63年に出超額が62年の約40%に減って2億1,300万ドルとなり,さらに,64年には5,600万ドルの入超に転じた。とくに,西側先進国からの輸入は小麦を中心として24%の増加(輸入総額の増加に対する寄与率は50%)を示し,入超額は62,63年の1億6,000万ドル前後から64年の4億5,100万ドルに激増した(第8-7表参照)。

第8-7表 ソ連貿易の地域別構成

1)地域別構成

その結果,すでに30%に近づいていた東西貿易の比率は,64年にソ連側の輸入においては30%を超えるにいたった。しかし,輸出では,圏内向けの伸びが大きく,コメコン諸国への輸出は主要地域のうちもっとも大幅に増大した。輸入の面でも,コメコン諸国との取引は63年より伸び率は落ちたものの,なおかなり増加し,いずれのコメコン加盟国との貿易も,従来からの一貫した拡大を続けている。これに反して,中国との貿易は64年輸出入とも63年以上に大幅に減少し,北朝鮮,北ベトナムの貿易もいくぶん縮小した。なお,中ソ貿易は中国側の対ソ借款の完済により,さらに対ソ輸出が減る可能性がある。

圏外貿易は,全体として輸出入とも63年より大福に伸びた。これは,輸出面で先進国向けの伸び率が低下した半面,低開発国向けが63年の減少から拡大にしたこと,輸入面では先進国からの輸入が激増したこと(低開発諸国からの輸入は減少)による。

低開発地域との貿易は,経済援助(第8-8表参照)もあって,毎年ソ連側の出超となているが,近年は先進国との貿易が資本財と食糧の輸入を中心に目立つた拡大を示しているのに比べると,やや不振といえよう。

圏外貿易をさに国別にみると,第8-9表のとおりである。先進国のうちでは,小麦の買付でカナダからの輸入が63年に引き続き増加し,アメリカ,オーストラリアからの輸入も著増を示した。そしてこれら3国からの輸入の増加は全体としての西側先進国からの輸入増加分を上回っている。西ヨーロッパ工業国との貿易は,西ドイツからの輸入が63年の減少を取り戻したほかは,概して停滞的であり,これに対して,日本との貿易は63年に引き続き輸出入とも目立った増加をみせ,64年には日本は,主要工業国中,首位(輸入では西ドイツとほぼ同列)を占めるにいたった。このような傾向は65年にはいってからも続いている(第8-10表参照)。

低開発国のうちでは,最大の被援助国たるインド,アラブ連合への輸出が63年に引き続き64年にもかなりふえ,また,インドからの輸入は60%余の激増を示した。その結果,インドは貿易相手国中,フィンランドにつぐ地位を占めた。

第8-8表 ソ連の低開発国援助

第8-9表 ソ連の西側諸国との貿易

第8-10表 主要先進国の対ソ連貿易

2)商品別構成

つぎに商品別構成をみると,第8-11表にみるように,63年から64年にかけて,輸出では「食品,同原料」の商品グループの比重がいちじるしく低下した。また,毛皮,化学製品,消費財などの比重も多少落ちているのに対して,機械をはじめとする重工業品の比重が増大している。これと対照的に,輸入では,「食品,同原料」が大幅に比重を高めている半面,他の商品グループの比重はいずれも横ばいないし低下を示している。このような動きはすでに62~63年においてもみられたのであるが,64年にはいってますます顕著になっている。このことは,とくに,輸出において貿易構成の重工業化という一般的傾向を示すものと考えられるが,主として,63年から64年にかけて穀物をはじめとする食品の輸出が減少し,逆に輸入が増大したことを反映するものである。

これを,主要個別商品の取引額についてみると,64年の輸出では,穀物が前年に比べて約43%減り,砂糖が半減,毛皮が3分の1以下に減った半面,木材が20%以上も増加し,機械類も約13%増した(石油は原油が23%増加したが製品が減少して全体として微増)。また,輸入では,穀物が2倍以上に増したのに対し,鋼材・鋼管が15%前後,天然ゴムが40%余,綿花が30%余も減った。ただ機械は約8%とかなりの増加を示した。このように,64年の主要輸出入品の取引額の動きは,穀物輸入が開始された63年とほぼ同様の傾向を示している。

第8-11表 ソ連貿易の商品別構成

(5)新5カ年計画への展望

以上にみてきたように,ソ連経済は60年にはいってからの成長鈍化の傾向から一転して,64~65年には成長率を高めた。しかし,そこには,63年の農業不作からの回復という要因がはたらいており,さらに,65年には再び農業は作柄不良に見舞われ,多かれ少なかれ経済成長にも影響を受けようとしている。また,西側諸国からの大量の小麦輸入は,65年後半からの貿易に63~64年と同様の変化を与えるであろう。

このような微妙な条件のもとで,1966年から新5ヵ年計画が開始される。この5ヵ年計画の内容はまだ発表されていないが,その基本的な方向は成長の促進と生活水準の向上にあるといわれている。そして,農業振興策の推進と経済の計画・管理機構の能率化が計画,実現の重要なテコとなるものとみられる。

すなわち,新5ヵ年計画では,第1に,長期にわたる重工業優先主義で立遅れた農業,消費財産業にかなりの重点をおいてきたここ数年来の方針がさらに強化され,第2には,経済の成熟化にともなって資源の利用,労働生産性の面で効率の向上が求められるであろう。しかも両者は消費水準を高める一方,高能率に対する物的刺激を与える点で関連をもっているのである。

新5ヵ年計画をどのように実現するか,また,経済成長の鈍化傾向からいかにして離脱するかというソ連経済の今後の課題は,それらの効果のいかんにかかっている。

2. 1964~65年の東ヨーロッパ経済とコメコンの動き

(1)東ヨーロッパ経済概観

東ヨーロッパ諸国では,1963年に比べ64年に工業生産の面では各国とも増産テンポを高めたが,農業生産の面では,半数の国で伸び率が上昇しただけで,残りの諸国では,ほぼ同一水準にとどまった。64年に経済成長率を高めたのは,東ドイツとルーマニアで,他の諸国では国民所得の伸びが鈍化したか,あるいは前年なみにとどまった。

1)経済成長

1964年の工業生産は,すべての国で,63年より成長率が高まり,かつ年次計画を上回った。これを各国別にみると,第8-12表にみられるように,工業国であるチェコ,東ドイツで成長率が最も低く,比較的工業化の進んだハンガリー,ポーランド,工業化のおくれたブルガリア,ルーマニアの順で増産の幅が大きく,従来に引き続き工業化の水準の格差が縮小している。64年の工業生産の伸び率が高まったのは,一つには1962~63年のヨーロッパの寒波の影響を受けた63年の低成長からの回復という要因にもよるが,原燃料の供給の増大の影響が大きかった。すなわち,64年の原燃料の供給はおおむね良好であり,たとえば,ハンガリ-では原材料の輸入が著増し,,チェコとポーランドでも原燃料の輸入が増し,工業の増産テンポを促進した。

ルーマニアやポーランドでは,63年ないし64年の農業生産の回復が,農産原料の供給面から工業の増産に寄与した。

工業の好転を促進させた要因として,このほかに各国で経済効率の向上のためとられている新経済制度,すなわち管理と計画化の改善措置があげられる。

この新制度は,前述のソ連の改革に先立って東ドイツでは64年から発足し,チェコでは64年末に正式決定をみたが,ハンガリー,ポーランド,ブルガリアなどでも多かれ少なかれ同様の措置がとられつつある。その効果が,長期的に成長鈍化の傾向にある工業生産の面にどの程度あらわれているかは必ずしも明かでないが,東ドイツでは,工業生産が65年上期に64年に引き続いて同国としてはかなり高い成長率を示し,また,チェコでは,大幅な増加となっていることは注目に値する。少なくとも,従来東ヨーロッパ各国,とくに工業国においてみられた経済的不振は改善の方向をたどっている。大部分の由では品質の向上,無駄の排除,ストックの利用の向上,生産構造と需要構造の不一致の調整などの努力が漸次実を結び,冶金,機械工業部門ではすでに好結果をもたらしているといわれる。しかし,その半面,軽工業部門ではいぜんとして需要と供給双方のパターンの不一致が統いている。

工業生産がすべての国で好転を示したのに対して,農業生産は64年には国によりかなり状況が異なっている(第8-13表参照)。すなわち,ブルガリアでは,農耕,畜産とも平行して大幅な増産を示し,ル-マニアでも62年の不作と農業集団化の強行によってうけた衝撃から回復した63年より,さらに好調を示している。また,東ドイツでも農産物の出荷状況からみて,生産もかなり上昇したと考えられる。これに反し,チェコ,ハンガリー,ポーランドの3国では64年夏の旱ばつで穀物不作に見舞われ,農業生産は63年に比べて微増にとどまった。

このように,64年の農業の動きは,国により区々であるが,長期的にみた農業の低成長に対して,各国とも投資の増大や農耕方法の近代化によって増産につとめている。そして,66年からはじまる新中期計画では,農業投資が大幅に増加され,計画管理体制の改革と関連して農業生産の指導と労働意欲の刺激に,新たな経済的手段が導入されることになるものとみられる。

以上のような工業および農業生産の動きに対応して,64年の国民所得の成長率(第8-14表参照)は,東ドイツとルーマニアでは63年より高まり,ハンガリーとポーランドでは農業の停滞により全体としての経済成長率は鈍化した。チェコとブルガリアはやや特異な動きを示し,チェコでは工業のかなりの高成長と農業生産の微増があったにもかかわらず国民所得は横ばいであり,また,ブルガリアでは工農業ともに63年の成長率を上回ったが,国民所得の伸びは前年なみであった。これは,総生産と純生産との格差が,とくに農業において大きいことによるもので(農業,純生産はチェコでは8%減,ブルガリアでは4%減),産出量1単位当たりの投入量の増大を反映している。このような傾向は多くの国でみられ,近年における国民所得の成長率を抑える要因の一つとなっている。

第8-12表 東ヨーロッパ諸国の工業生産

第8-13表 東ヨーロッパ諸国の農業生産

第8-14表 東ヨーロッパ諸国の国民所得

2)貿  易

東ヨーロッパ諸国の貿易は,1964年に,ブルガリアとハンガリーが輸出入ともに63年より大幅な増加率を示し,他の諸国でも輸出入合計でみると,多かれ少かれ,その伸び率を高めた(第8-15表参照)。この好調により,大部分の国では計画を上回る実績を示したが,これは,国内生産が予定以上に伸び,輸出余力ができた結果である。これに対応して,輸入も計画を超えて,また,工業生産の拡大を促進した。

つぎに貿易収支をみると,チェコと東ドイツは,64年にも引き続き輸出超過を続け,ポーランドは輸出促進と輸入代替の特別措置によって入超から出超に転じた。これに反して,ハンガリー,ルーマニアでは,原料,資本財を中心とする輸入が大幅に伸びたため,入超額は増大した。

64年の東ヨーロッパ諸国と西側諸国との貿易の比重は,東ヨーロッパ諸国が貿易の地域別構成をほとんど明かにしないので不詳であるが,ほとんどの国で,とくに輸入において増大しているものとみられる。すなわち,西側との貿易の比重は,ブルガリアでは63年の17%から64年の22%へと従来みられないほどに拡大し,また東ドイツでは,コメコン諸国との貿易の比重が63年の75%から64年72%に縮小し,チェコでもコメコン諸国との貿易より西ヨーロッパ諸国との貿易の伸びがいちじるしかったとみられる。このような西側との貿易の拡大は第8-16表のOECD諸国の統計からもみられるところで,64年にはチェコ,東ドイツでは,輸出入とも全体としての伸び率を上回り,ポーランドを除く他の諸国でもOECD諸国からの輸入は総額より大幅に拡大しているなど,東ヨーロッパ諸国がとくに輸入において西側に向かっていることを示している。

第8-15表 東ヨーロッパ諸国の貿易

第8-16表 OECD諸国の対東ヨーロッパ貿易

(2)コメコンの活動状況

コメコン(経済相互援助会議)を構成するソ連,東ヨーロッパ各国およびモンゴルをふくむ諸国の経済協力の一つは,いわゆる「生産の専門化と協業化」による国際分業である。この専門化がもっとも進んでいるのは機械工業と化学工業であって,現在すでに専門化されている機種ないし品目は,化学工業用プラントの生産量の約半分,石油精製設備の3分の1,圧延設備の85%,約2400種のベアリング,182種の化学品,1,488種の試薬,42種の薬品などであるが,鉄鋼,非鉄金属工業などでも専門化が進められている。

このような専門化と協業化は,コメコンの協力の形態の一つである各国の経済計画の相互調整と結びついており,当面コメコンでは,各国の1966~70年計画の調整が行なわれている。しかし,計画の調整と生産の専門化には困難な問題がある。それは,ルーマニアのコメコンの活動に対する態度にもあらわれているように,個々の加盟国の利益とコメコン全体としての利益の不一致である。

最近この不一致を調和させる手段の探求が行なわれ,各国とも各種の専門化計画の利点を評価するための新しい方法の研究や協力推進のための制度的・政策的措置の採用に努力している。

コメコンの経済協力のうちもっとも顕著なものは,電力やパイプ・ラインの共同事業である。共同電力網はソ連の西部ウクライナ,ポーランド,東ドイツ,チェコ,ハンガリー,ルーマニア,プルガリアを結びつけるもので,その総出力は3,400万キロワットに達し,電力の相互供給は64年には45億キロワット時,65年には50億キロワット時となる。また,63年末に完成した共同パイプ・ラインは,ソ連,ポーランド,東ドイツ,チェコ,ハンガリーを結び,65年9月までに2,000万トン余のソ連石油を各国に輸送して輸送費の節減に資するところが多いといわれる。

64年にはさらにいくつかの国際組織が創設された。すなわち,ブルガリア,ハンガリー,東ドイツ,ポーランド,チェコ,ソ連は,ベアリング工業の協力機関と鉄鋼業の協力機関「インテルメタル」を結成し,参加国の生産能力を合理的利用することになった。また,64年夏,ブルガリア,ハンガリー,東ドイツ,ポーランド,ル-マニア,ソ連,チェコは,9万3,000両から成る共同貨車プールを結成したが,これにより輸送される貨物は,参加国相互間のそれの70%を占めるといわれる。

コメコン諸国の貿易決済,貿易金融を行なう国際経済協力銀行(通称コメコン銀行)は,コメコン全加盟国が参加して設立され,64年初から業務を開始した。この銀行は,「振替ルーブル」による加盟国間の多角決済,貿易その他の分野の信用供与,交換可能通貨の預金の受入れなど各種の銀行業務を行なうもので,その主目的は,多角決済によって従来の2国間決済の制約を除き,コメコン域内の貿易を多角的に拡大することにある。コメコン銀行の業務開始から1年間における取引額は,230億「振替ルーブル」といわれているが,実際は,加盟各国とも,貿易協定ではいぜん2国間均衡を固守して,多国間均衡は考えられていないし,多角決済といっても,貿易協定実施中のある時点で生じる不均衡を一時的に清算する,まったく技術的なものにすぎないといわれる。

その理由の一つは,「振替ルーブル」が金または交換可能通貨に交換できないことで,この欠陥を是正するため,ポーランドは,65年半ばに銀行資本(各国の出資金)の一部を金または交換可能通貨で払い込むこと,貿易残高勘定の一部(たとえば10%)を金または交換可能通貨に交換すること(借越しをもつ国が負債の一部を交換し,貸越しをもつ国が引き出すこと)を提案したと伝えられる。この提案は,コメコンの機関で検討中の模様であるが,結論に達するにはなお時日を要するであろう。

以上みたように,コメコンは,同銀行を通ずる多角決済により多角的貿易と国際分業を発展させるにはなお解決すべき問題を抱えているが,他方,加盟国が共同の電力網,パイプ・ライン,鉄鋼業などの協力機関によって,経済的に結びつけられていることは注目に値しよう。


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