昭和40年
年次世界経済報告
昭和40年12月7日
経済企画庁
1962年秋から63年にかけての輸出の著増を契機として,63年下期から戦後第4回目の循環的な景気上昇期にはいった西ドイツ経済は,1964~65年に設備投資ブームを現出し,旺盛な経済拡大過程をたどった。経済成長率も64年は名目で9.7%(63年6.3%),実質で6.6%(63年3.3%)へ急上昇した。この6.6%,という実質成長率は,60年代では60年の8.8%につぐ高さである。
しかし,65年になると経済成長率がやや鈍化してきた(上期の前年同期比実質成長率5%)。これは主として労働力不足の激化(65年9月の未充足求人数は失業数の約8倍),設備の高率操業など,供給面の隘路によるものだが,64年春以降しだいに強化された引締め措置もある程度影響している。
その後65年下期になっても,成長鈍化の傾向は変わっていない。四半期別の鉱工業生産指数でみると,64年第1・四半期から65年第1・四半期まで,毎期2%前後の上昇テンポ(前期比)だったのが,第2・四半期には前期比わずか0.6%増となり,第3・四半期にはわずかながら前期比で低下(0.6%)さえ示した。これには第2・四半期の悪天候による建設および関連産業の不振や,毎年ふえていく夏季休暇による工場閉鎖などの要因もあるが,基本的には設備の高率稼動と労働力不足などの供給側の隘路と,引締め政策の強化から,一部産業が影響をうけたためである。
この1964~65年の投資ブームの過程で,需要とコストの両面から経済は再び強いインフレ圧力に見舞われるにいたった。それに対処するために行なわれた関税引下げの効果もあって輸入が激増してきたことは,国際収支の赤字化をもたらしたが,その半面で国内のインフレ圧力を緩和するのに役立った。それでも,64年秋以来の物価上昇テンポの高まりを回避することはできなかった。
これを要するに,西ドイツ経済は1964~65年に投資ブームを主軸として急速な拡大をとげたものの,労働力・設備面の隘路の現出,インフレ圧力の拾頭,それに対処するための引締め政策の採用など,景気局面としてはかなり成熟した段階にたちいたったといえよう。
64年および65年上期の国民総生産とその内訳を分析した第3-1表から明らかなように,1964~65年の高成長の主たる原動力は,まず固定投資と在庫投資であったということができる。
固定投資のうち,建設(住宅をふくむ)は64年には約17%もふえて有力な拡大要因となったが,65年になると伸び率が半減し,拡張力を失った。これは一つには65年上期に悪天候が長びいて戸外の建設作業が妨げられたこともあったが,同時に金融に敏感な建設活動が金融引締めの影響をうけたことも原因とみられる。固定投資のなかでもとりわけ最大の拡大要因となったのは設備投資であって,これは期をおって増加し,64年に12%増,65年上期に14.3%増(前年同期比)となった。
在庫投資も1964~65年に景気上昇に伴い急増して大きな拡大要因となった。
しかし64年の在庫投資が主として景気上昇に伴うメーカーの原材料在庫,および販売業者の製品在庫の蓄積を反映していたのに対して,65年にはいってからの在庫蓄積は,主としてメーカーの製品在庫の増加であり,原材料在庫は,むしろ部分的には減少したようである。メーカーの製品在庫は64年中需要の急増に供給がおいつかないために減少したあと,65年上期にその補充が行なわれたわけであるが,これも年央ごろにはほぼ一巡したようである。
個人消費も64年上期の7.8%増(前年同期比)から下期の8.2%増,65年上期の9.3%増へと,しだいに増勢を高めた。とくに65年上期の増加率はGNPの増加率を上回っており,65年にはいって個人消費が設備投資についで景気拡張要因となりつつあることを物語っている。このような個人消費の増勢のいちじるしい高まりは,賃上げ幅の拡大というブーム下における基調的要因のほか,65年1月から実施された所得税減税と社会年金給付の引上げ(9.4%増)という政策的要因によるところも大きい。
また,63年に輸出についで景気の支柱となった政府消費は,64年には国防支出の減少からわずか4.5%増(63年は11.5%増)にとどまった。しかし,65年上期になると,前年同期比12%増となって再び拡張要因となりつつある。
他方,輸出は,64年上期までは重要な拡張要因としてはたらいたが,下期以降はしだいに景気の原動力としての力を失ってきた。これは国内ブームによる納期の延長,輸出意欲の相対的低下,輸出価格の上昇など,ブーム期特有の国内要因に加えて,重要な市場であるイタリア,フランスの景気沈滞とイギリスの輸入課徴金などが原因であった。
以上のように,1964~65年の経済拡大の最大の要因が設備投資ブームにあったことは明らかであるが,設備投資がこの時期になぜ急増したかといえば,輸出増を起原力とした急速な景気上昇に伴い,一般的に操業度が上昇し,多くの企業で設備面から隘路が出てきたことから拡張投資への意欲が高まり,また同じく景気上昇過程で売上増から利潤が急増して設備投資を資金面から可能にする条件がととのったことが指摘される。
いま,住宅を除く企業の内部資金(減価償却プラス留保利潤)の動きをみると(第3-2表),60年に約26%も増加したあと,63年までの3ヵ年間はほとんど横ばいに推移した。これは減価償却が年間10%以上も増加したにもかかわらず,留保利潤が減少し続けてきたからである。ところが64年になると,減価償却費の増加率にはほとんど変りはなかったが,留保利潤が18%も増加したため,内部資金全体でも13%という大幅な増加となった。このような利潤の急増が投資を大きく刺激したことは前述のとおりであり,企業投資は63年の0.3%減に対して64年は10%も増加した。
いずれにせよ,以上のような投資環境の好転が現実に企業投資の増加となるためには,潜在的な投資機会がなければならない。操業度上昇による拡張投資については前述したとおりだが,そのほか,労働力不足を背景とする労働節約投資,新製品の製造や新生産技術の採用など技術革新投資についても潜在的に強い投資需要があり(第3-3表参照),それが投資環境の好転によって開花したとみられる。
それはともかく,戦後の西ドイツの経済循環においては,概して輸出が景気拡張の起動力となり,それが国内の投資ブームをよび,この投資ブームの過程で個人の所得が著増し,その結果投資ブームが漸次衰退していくときに今度は個人消費が景気の支えとなるというパターンが繰り返されてきた(第3-4表参照)。
戦後の西ドイツの高成長は概ねこのような循環的変動を通じて達成されたのであり,したがって輸出先導型の経済成長であるといえよう。現在の上昇局面においてもほぼ同様なパターンが示され,63年の輸出ブームが1964~65年の投資ブームをよび,この投資ブームの過程で個人の所得が著増し,いまや個人消費が拡大要因としてはたらきはじめた段階であるといえよう。
西ドイツ経済がこのような輸出主導型の成長を現在まで続けてきた理由は,① 世界需要の伸びのもっとも高い資本財および生産財が輸出の8割余をしめているという輸出構造,②近隣に高所得,高成長国が多いという地理的環境,③ インフレの防止に比較的成功し,物価上昇率が相対的に低かったという物価情勢,④国民経済的にみて輸出依存度が高く,したがって輸出の増加が国内景気に対して与える拡張効果が大きい(GNPに対する輸出の比率は約20%,資本財産業の売上高にしめる輸出の比率は25%)などの事情によろう。
64年上期中比較的安定していた物価は,その後景気上昇に伴う需要圧力によりしだいに上昇しはじめた。需要の増加が供給側におよぼした圧力の度合いを,たとえば製造工業の操業度でみると,63年の平均86%から64年および65年1~9月の平均88%へ上昇した。またこのような操業度の上昇に伴う出荷の増加(64年11%,65年上期10%)にもかかわらず,64年には新規受注が出荷高を3%上回り,65年にはいっても同様な状態が続いたため,製造工業の受注残はしだいに累積し,納期が延びてきた。
このような需要面からのインフレ圧力に加えて,賃金コスト面からのインフレ圧力もしだいに強まってきた。すなわち,労働力需給が逼迫の度を高め,失業率は63年の平均0.8%から64年の平均0.7%,65年の平均0.6%(推定)へ低下し,失業者1人当たり求人数は,63年の平均3人弱から64年の平均4人弱,65年の平均5人弱へとふえており,いずれも労働力不足の激化を物語っている。それでも,64年秋までは協約賃金率は前年に締結された比較的穏健な賃金協約にしばられていたためにあまり大きな上昇はなかったが,それ以後新しい賃金協約がぞくぞくと締結され,そのいずれもが前年を大きく上回る賃上げを認めた形となった。それに好況による時間外手当の支給などが加わって,実際に支払われた賃金額はいちじるしく増加しはじめた。賃金の上昇率がしだいに高まり,しかもその半面で生産性の上昇率は操業度が高水準へ達するにつれて急速に減衰したため,賃金の上昇率が生産性のそれを上回るにいたったのである。いま製造工業のマン・アワー当たり賃金と生産性の動きをみると(第3-1図参照),賃金のほうは63年の8.1%増に対して,64年上期は8.7%増,下期9.5%増へと増勢が高まり,65年になっても同様な増勢をみせている。これに対して生産性は,64年上期に9.6%増加したあと,下期8%増,65年第1・四半期7.6%増,第2・四半期5.5%増と急速に増加テンポを低下させた。これでみると,最近の賃金・生産性ギャップの拡大には,賃金の上昇もさることながら,生産性上昇幅の鈍化のほうが大きな原因であったといえる。これはもちろん,生産設備がフル操業に近づいた結果として,操業度上昇による生産性増加の余地が乏しくなったためである。現在の旺盛な投資ブームが今後さらに生産性の上昇に寄与することは確実だとしても,操業度上昇過程にあった64年中にみられたような循環的な生産性の上昇は期待しにくく,したがって,賃金の大幅上昇傾向がやまぬかぎり,コスト圧力は今後当分続くものと思われる。
このような情勢の下で物価騰貴が生ずるのは当然であって,工業製品生産者価格は64年下期からじりじりと上昇を続け,その結果64年後半の平均水準は前年同期比2.2%高となり,さらに65年にも騰勢が続いた。最近はやや騰勢の鈍化がみられるものの,それでも1~9月の平均水準は前年同期比2.6%高となっており,この上昇率は西ドイツとしては53年以降最高である(63年の上昇率は0.5%,64年は1.1%)。値上りはほとんどの商品グループにみられるが,とりわけ投資ブームを反映した資本財の値上り幅が大きい。
消費者物価も同じく64年秋ごろから上昇テンポを早め,とくに65年の夏にはかなり急テンポで上昇した。ただし,これには春の長い悪天候による食糧価格(生計費指数の35%をしめる)の値上りがひびいており,最近は食糧出回り好転による食糧価格の低落でやや反落傾向をみせているが,季節性のある食糧を除外した総合指数でみると,いぜんとして上昇を続けているのである(第3-2図参照)。食糧価格を別としても,家賃およびサービス価格の趨勢的上昇が続いているほか,また衣料・家具など消費財も微騰を続けている。
以上のような旺盛な需要と賃金・物価の上昇傾向から,当局は1964~65年中に数回にわたって,金融引締めの強化をよぎなくされた。64年春から夏にかけてとられた各種の資本流入阻止および流出促進措置(昭和39年度年次世界経済報告参照)を別にすれば,今回の景気上昇過程で最初に金融引締めが行なわれたのは64年7月であって,このときは居住者預金に対する支払い準備率の引上げ(8月1日から実施)という形をとった。これをふくめて,その後現在までとられた金融引締め措置を要約すると,つぎのとおりである。
① 支払い準備率の10%引上げ(64年8月1日)……これによって銀行流動性が約12億DM吸い上げられた。
② 公定歩合引上げ(65年1月22日)……公定歩合が3%から3.5%へ引上げられ,それと同時にブンデスバンクの金融市場証券利子の引上げ,商業銀行の貸出金利最高限度引上げが行なわれた。公定歩合政策が採用されたのは61年5月以来約3年半ぶりであった。
③ 公定歩合の再引上げ(65年8月13日)……公定歩合が3.5%から4%へ引き上げられ,それと同時に,ブンデスバンクの金融市場証券利子と銀行貸出金利最高限度も引き上げられた。
④ 商業銀行の中央銀行再割枠の引下げ(65年10月1日)……これは,65年3月に決定されていたのだが,8月の公定歩合再引上げ時に銀行流動性に対する影響を考慮して引下げ幅を当初の半分に削減し,予定どおり10月から実施された。
以上のような金融引締めの強化は,国際収支赤字化による民間資金の吸上げと相まって,金融市場および資本市場のいちじるしい逼迫をもたらし,長短期金利の上昇を促進した。在庫投資と建設投資が既にその影響をうけたことは前述のとおりであり,そのかぎり,金融引締め政策はある程度効果をあげたということができるが,物価の騰勢を抑えるところまではいっていない。
金融政策が1964~65年に引締めの方向で活用されたのに対して,財政はむしろ拡張的にはたらいた。なるほど64年は政府(中央および地方政府)の経常支出(物資サービスの購入と振替支払い,補助金など)は前年比わずか6.6%増(63年は9.4%増)で,EECの勧告により政府が設定した目標6%をやや上回る程度におさまっており,またGNPの伸び率(6.6%)と見合っていた(第3-5表参照)。しかし,これは国防支出が大幅に減少したためで,民事支出は64年と同じく10%近い伸びを示した。
ところが,65年上期には国防支出が増加し,振替支払いも社会年金給付の増額によりふえたため,経常支出全体では前年同期比約12%という大幅な増加となった。他方,経常収入の伸びは,65年1月からの所得税減税の結果として,65年上期に5.8%にとどまったため(前年は8.8%),経常収支の黒字幅は64年上期の151億DMから65年上期の120億DMへ減少した。
このほか,政府投資の大幅増加も64~65年に拡張的にはたらいた。政府投資(粗固定投資の約16%をしめる)は63年に約17%増のあと,64年にも15%も増加した。ただし,65年上期は悪天候と金融引締めの影響で5%増にとどまった。
西ドイツ連邦政府としては,64年4月のEEC勧告もあって,財政支出の膨張を極力抑えるべく,64年度も65年度も財政規模を予想される国民経済の成長率6%の範囲内におさめる方針を貫いたのだが,州地方政府を十分に説得することができず,その結果,たとえば地方政府の65年度予算規模は平均して9%も膨張したのである。また65年1月に実施された所得税減税も,政府の説明では景気刺激的でないとのことであったが,結果はかなりの景気刺激的効果をもったといえる。
いずれにせよ,65年の連邦財政は社会年金給付の引上げ,国防費の増加などで支出が膨張する半面,減税により収入の伸びが鈍化したため,現金ベースでみると,1~8月間の対民間現金収支は10億DMの赤字(64年同期は6.3億D Mの黒字)となった。さらに秋の大統領選挙を控えて,議員立法による多くの支出法案が成立して,連邦政府の支出が当初予算を大きく上回りそうな形勢となったため,7月に政府は人件費などを除く全経費の一律3%削減の方針を決定した。さらに66年度予算案についても前年比8.6%増の694億DMの枠内に抑えるべく,各省の予算要求に大なたをふるうと同時に,火酒・シャンパンの増税案を11月に発表している。
以上のように西ドイツ政府は,金融引締めと財政膨張の抑制努力によって総需要の過度の増大を阻止すべくつとめると同時に,ガイド・ラインの設定と企業および労組に対する自粛要請ならびに世論の喚起という形で,所得政策を推進してきた。
しかし,好況の持続と労働力不足の激化という事態の下では,所得政策の効果にも限界があり,64年秋以来賃金上昇率が高まったことは前述したとおりである。
1964年春以来の国際収支対策により,西ドイツの国際収支は64年第2・四半期以降大きな変貌を示した。まず63年から64年初めにかけて大幅な黒字をみせた長期資本収支がほぼ均衡化し,他方,経常収支が輸入の激増で赤字化したため,基礎収支尻が64年第2・四半期以来赤字となった。
これが1964~65年における西ドイツ国際収支の最大の特徴である。
これを数字的にみると(第3-6表参照),長期資本取引のうち,政府資本は恒常的に赤字で1964~65年にも大きな変化はなかったが,民間資本は60年以来大幅な黒字,とくに63年は31億DMもの黒字を出し,64年第1・四半期にも5億DMの黒字であり,そのことが国際収支面からするインフレ圧力(輸入されたインフレーション)を強めた。そこで政府は,64年3月に資本流入抑制と流出促進策をとり(昭和39年度年次世界経済報告参照),その結果民間長期資本は64年第2・四半期に8億DMの流出と代わった。その後民間長期資本は再び黒字化したものの,黒字幅が政府資本の流出とほぼ見合う程度であったので,長期資本全体としてはほぼ均衡ないし若干の黒字(65年1~9月に3億4,000万DM)にとどまっている。
もっともドラマチックな転変をみせたのは経常収支であり,これは63年の黒字約10億DM,64年上期の黒字約19億DMから,下期の赤字10億7,000万DM,65年1~9月の赤字55億6,000万DMへと激変した。かかる経常収支の変貌をひき起こしたものは商品貿易であって,64年上期の黒字43億6,000万DMが下期には17億2,000万DMへと縮小,さらに65年第2・四半期にはわずかながら赤字化(5,000万DM)し,第3・四半期にはさらに赤字幅が4億3,000万DMへと拡大している。
かかる貿易収支の逆調をもたらしたものは,いうまでもなく輸入の激増である。西ドイツの商品輸入は64年の15%増のあと,65年1~9月には22%増加,とくに製品輸入は23%も増加した。このような輸入の激増はもちろん国内ブームの反映であるが,輸入促進のために実施された関税引下げ(64年7月)も輸入増加に役立ったことはいうまでもない。
いずれにせよ,このような長期資本と経常収支の動きを反映して,基礎収支は64年第2・四半期から赤字を続け,64年4~12月間に15億6,000万DM,65年1~8月では52億2,000万DMの赤字となった(63年は29億2,000万DMの黒字)。
他方,誤差脱漏をふくむ短期資本取引は65年第1・四半期までは若干の黒字基調を続けていたが,その後は国内の金融逼迫による銀行在外短資の引揚げや企業の対外借入れ増加を反映して,大幅な黒字となった。かかる短資の動きにより,金外貨準備の減少額は基礎収支の赤字より少なく,64年4~12月間に6億3,000万DM(1億6,000万ドル),65年1~9月間では約19億DM(4億8,000万ドル)となった。
このように,西ドイツの国際収支は赤字化し,金外貨準備の減少を来したけれども,西ドイツの政府当局はこの事態を少なくとも現在までのところ憂慮しておらず,むしろ国際収支赤字から生ずる国内流動性の減少と輸入の増加が国内のインフレ圧力を緩和するのに役立つものとして,歓迎の態度を示している。これは国内景気の現状からみれば当然の態度といえるし,また金外貨準備が65年9月末現在でなお72億ドルの巨額に達していることを考えると,西ドイツの過大な国際流動性を吐き出させて流動性の国際的配分を公正化するためにも望ましい事態の発展であるといえる。
もちろん,西ドイツの国内には,経常収支の赤字化をもって西ドイツ経済の対外競争力弱化の兆候として警鐘をならす向きもあるが,経常収支の赤字化の原因はもっぱら国内ブームによる輸入の激増にあるのであって,輸出は1~9月間で前年同期比約10%増とまず満足すべき速度で伸びているのであるから競争力の弱化を云々することは当をえていないであろう。
かかる経常収支の悪化傾向が今後も長く続くならば,政府当局の態度も変わってくるであろうが,現在の情勢では,商品貿易尻の悪化傾向は一時的なものとみられる。すなわち,現在の投資ブームが今後しだいに衰えて輸入の増勢が鈍化する反面で,輸出は主要な輸出市場であるイタリア,フランスの立直りで増勢を高める可能性があると思われる。
これまで示唆してきたように,西ドイツの現在の景気局面はブーム成熟の段階にあり,一方で労働力や設備など供給側に隘路が出ているのに対して,需要側にもインフレ阻止のための金融引締めなどによりかなりまちまちな情勢が出ている。たとえば,64年の拡大に一役果たした在庫投資や建設投資は,金融引締めもあって現在は鎮静化しており,設備投資も少なくとも受注ベースでみるかぎりやや頭打ちの兆候が出ている(資本財産業の国内受注は第3・四半期にやや低下)。もちろん現実の投資支出は過去の受注残があるので,当分かなりの増加を続けるであろうし,また個人消費の増勢にも当面衰えがみえず,輸出も若干増勢が高まるかもしれないので,総需要の伸びがそう急激に落ちこむこともないだろうが,それにしても,需要側にボツボツ問題が出てくる段階だといえる。
このようにみてくると,かりに需要が全般的に強いとしても,供給側の制約から66年の実質経済成長率は5%程度がせいぜいであろうし,これに総需要が漸次鎮静化に向かうと考るならば,成長率はおそらく5%を下回るものと思われる(最近発表されたドイツ経済研究所の予測では,66年の実質成長率は4.5%となっている)。
したがって,64年から65年にかけて世界貿易の大きな支えとなっていた西ドイツ輸入の拡大テンポも,66年には,かなり鈍化するものとみなければならない。