昭和40年

年次世界経済報告

昭和40年12月7日

経済企画庁


[目次] [年次リスト]

第1章 アメリカ

1. 1964~65年の景気動向

-完全雇用経済への接近-

1961年初め,ケネディ大統領が完全雇用経済の実現を最高政策目標に掲げて以来5年,アメリカ経済は,その間多少の起伏はあったものの,総じて順調な経済拡大の道を歩み続け,65年暮近くにはかなり完全雇用に近づいた。すなわち,失業率は,65年10月4.3%(季節差調整値)となって,57年8月以来8年ぶりの最低となった。完全雇用水準とされる4%にはまだ間があるが,それにしても64年第4・四半期に5%に低下して以来,1年の間に意外にも早く完全雇用目標に迫ったのはまことに目ざましいことだといえる。もちろん,これには,ベトナム戦争による徴兵,巨額の軍事支出といった特殊要因もあるが,なんといっても,減税その他の経済政策の奏功が一番の要因といえよう。細かくみれば,ティーン・エージャーや黒人の比較的高い失業率に問題はあるが,しかし,こうした人たちにも職場を与えるための施策は「偉大な社会」つくりといったジョンソン大統領の構想によって,徐々に推進されている。

国内の繁栄は往々国際的な不均衡を呼びやすいのであるが,過去1年のアメリカ経済にはそうした欠陥も表面化されなかった。経常収支面の悪化が資本収支面の好転でカバーされたからである。もちろん,後者には65年2月の巧妙な国際収支対策が大きく寄与しており,65年第2・四半期の国際収支は8年ぶり6で黒字化した。すなわち,今回の対策では,従来のように公定歩合の引上げによって,国内の成長を阻害しなかったばかりでなく,むしろ,在外資金の国内還流によって国際収支尻を好転させると同時に,旺盛な国内資金需要を充足させることができた。つまり,60年秋以来数次にわたる対策をもってしても容易に手のつけられなかった銀行,その他企業の資本輸出の規制が強力なジョンソン大統領の政治手腕によってはじめて実施され,資金ばかりでなく,間接的には職場の輸出をも防止できたからである。

しかし,最近に至り,国内成長の高まりから,ようやく輸入がふえ,輸出は停滞しており,65年第3・四半期の国際収支は再び赤字化した点が注目される(年率約15億ドル)。

以上のように完全雇用経済に近づいて来た過去1年間のアメリカ経済の特徴を追求してみると,第1には,5年目を迎えた平和時最長の経済拡大期にあたって,成長速度がまだ衰えていないことにが挙げられる。こうした高成長は66年にも持続され,やがては大幅景気後退のない「新時代」が訪れつつあるかのようにもみえる。第2には,その起動力が相変わらず乗用車売上げの好調や工場・設備投資の活況に求められること,第3には,景気変動に少なからぬ役割を持つ在庫や住宅建築が,景気伸長のこの1両年間国民総生産の増大にほとんど寄与しておらず,したがって,この間の国民総生産の増加速度を落として,今後他の生産活動の上昇力が衰えはじめたとき,これを引き上げる含みを残していることである。

つぎに,いま掲げたいくつかの特色にふれてみよう。

前にも述べたように,50数ヵ月にわたる今回の経済拡大期間は,第2次世界大戦期間を含む1938~45年の80ヵ月成長を除けば,過去1世紀における記録的な長さである。しかも,今回の上昇局面では,4年を経過してもなお上昇速度にほとんど衰えををみせていないばかりか,逆に高まりつつあるようである。おおざっぱな比較であるが,61年から64年にいたる4年間の対前年比実質成長率は年平均4.4%であったのに対し,65年上期では年率4.9%であり,下期には鉄鋼在庫蓄積の影響が出るとしてもかなりの増加になりそうである。こうした上昇速度の高まりは,もちろん注目されるところであるが,61年にケネディ政権が生れる前までの10数年間,すなわち,1945~60年にみられた,より長期的な成長速度(約3%)に比較してもいちじるしい高成長といえよう。しかも,今回の上昇局面は,66年にも持ち越される見込みであり,いまや「繁栄の終わりを告げ始める伝統的な徴候はまったくみえない」(アクレー大統領経済諮問委員長,65年5月16日演説)といわれるほどである。はたして同委員長のいうように,アメリカ経済は景気循環のない「新時代」にはいったのかどうかの問題は,いま少し細かい分析が必要であり,また,いま少し経済事情の推移をまたねば答えられないが,アメリカ経済が戦後最良の繁栄期にあることは間違いない。

こうした長期成長がなにによってもたらされたか。この点についてはすでに昭和39年度年次世界経済報告(110ページ以下)でも説明したので,ここでは64~65年の好況を支えた特徴的な要因だけを掲げることにしたい。

第1-1表 失業率

第1-2表 国民総生産の増加率

第1-3表 国民総生産

第1-4表 国民総生産の実質増加率

第1-5表 国民総生産の寄与率

(1)乗用車購入を中心とする消費支出

国民総生産の構成項目として最もウエイトの大きい個人消費支出は,64年に前年比5.6%増となって,それ以前の3年間平均(3.7%増)をはるかに抜き,65年上期にはさらに増加速度を高め,国民総生産に対する寄与率もまた増大した。その原因には,好況を反映する雇用の増大,可処分所得の増大,あるいはそれを促進した各種の減税措置などあるが,一面では,消費者が景気や所得の見通しにかなりの明るさを加えたことも指摘できよう。

個人消費支出の内訳では耐久消費財の伸びが目立つが,それは乗用車購入の増加に負うところが大きい。乗用車景気は2年と続かないというこれまでの不文律を破って,65年9月に終わる65モデル・イアーまで4年にわたる増産を続け,65年度では前年度を100万台も抜き,800万台の大台を越え900万台に近づいた。期末在庫がふえているので,生産台数の増加がそのまま売行きを反映するわけではないが,しかし高級車の売上台数がふえたことなどもあって,個人消費支出の増大に大きく寄与している。このことは,65年1~9月に,消費者支出の6.5%が自動車および部品に支出されて,55年の記録7%につぐ高水準に達したことからも明らかであろう(この支出割合は63年,64年=6%,61年=5%)。

こうした乗用車ブームを持続させた原因は,①自動車信用の供給量増加,信用条件の緩和,②過去に登録された乗用車の廃車増,③新規購入年齢層の増加,④都市の郊外延長,別荘増加に伴う多車世帯の増加など,従来から認められる要因のほか,64~65年には,①消費税減税(65年5月より小売価格で平均1台当たり60ドル(2%)安),②消費者の先行景気上昇期待感の高まり,③多車世帯の著増(65年央現在全世帯数の24%が2台以上を持ち,64年の22%,62年の19%をかなり上回った)といった新しい要因が加わった。しかも66年初にはさらに消費税が軽減されて新しい刺激を加えるであろう。

つぎに国民総生産ベース(時価)で自動車生産のシェアを示すと,65年1~9月には季節差調整値で総生産の4.7%を占め,それ以前の3年間における4%ないし4.2%のシェアをかなり上回った(1955年の5.3%につぐ記録)。不変価格でみれば,65年1~9月5%で,62~64年の4.5%をやや上回って55年の5.5%に近づいた。

個人消費者支出のいちじるしい伸びを反映して,個人の可処分所得に対する貯蓄率は,64年平均の6%から65年第1・四半期5.3%,第2・四半期5.0%に下がり,さらに65年下期にも減少傾向を続けるとみられているが,こうした消費ブームに加えて,設備投資の著増が加わり,本格的な好況過程にはいったのが過年1年の一つの特徴であろう。

(2)工場・設備投資の増大

国民総生産からみた工場・設備投資は,64年に10.O%と大幅増をみせたのち,65年にもこれに近い伸びを期待される。過去の投資ブーム期であった1955年の前年比10.9%増にはやや及ばないとはいえ,当時の投資ブームは2年の短命に終わっているのに反し,今回は62年以来かなり高い増加速度を持ち続けており,65年第4・四半期には増加率の高まる気配さえ示している。

こうした工場・設備投資の増大に寄与したのは旺盛な消費需要であるが,設備投資助長政策も無視できない。すなわち,政府の低金利政策と,62年後半から実施された設備償却期間の短縮,投資減税がそれであり,特に,後の二者は,63,64年の法人利潤の増大に寄与して投資資金ぐりを豊かにし,64年春になるとさらに一般減税が行なわれて消費支出はふえ,生産活動・利潤ともに増大し,製造業の操業率は,63年末の85%から64年末には88%に高まり,最適操業率92%に近づいた。こうして工場・設備投資には,従来の近代化投資に拡張投資が加わってきた。

産業別にみれば,好況下の自動車製造業・鉄鋼業の増加がいちじるしいが,繊維その他の斜陽産業でもかなりの増加があり,広く産業全般の近代化が進展しつつある。

(3)在庫,鉄鋼労使交渉

以上のような景気上昇要因のあった半面,在庫投資は減少し,経済拡大の足を引っ張る作用をした。在庫管理技術の進歩や活発な売行きを反映して,64年の在庫投資は前年63年よりも減少した。65年上半期には鉄鋼スト予想の保険買いがあったためかなりの在庫蓄積の増加があった。ところが,鉄鋼労使が交渉のデッド・ラインを4月末から8月末へ延期したため,スト・ヘッジ買いは8月末まで続き,鉄鋼在庫をかなり増大させた。これは,65年後半から66年初へかけて在庫投資の増大をおさえる作用をするであろう。とはいっても,最近の在庫・売上比率は64年または63年よりも低く,かつ,一部商品の値上りも予想されるので,将来在庫投資の増大を予想させる。

(4)住宅建築の停滞

住宅建築支出の増加率は,62年の10.2%を近年の最高として,64年には前年比減となり,65年1~8月にも減少傾向が続いている。政府が抵当債金利を低目におさえて住宅建築を刺激する方針を変えなかったにもかかわらず,住宅建築が不振であったのはアパートの過剰がかなりの圧力となったためであって,着工件数で示したアパート建築は65年1~9月期に前年同期比13%減となり,1戸建住宅はさほどでないまでも,1.3%の減少であった。

65年の年間着工件数では,147万5,000戸で,64年比約5%減を予想される。

こうした住宅建築不振を招いた他の原因としては,旺盛な乗用車購入が住宅購入をややおさえたこと,過去3年間における建築費の騰貴(毎年6%)などがあげられる。だが,長期的観点に立てば,在庫投資の減少と同じように,今回の景気上昇速度を順調化し,上昇期間を伸ばす役割をするかもしれない。66年の予測は好悪まちまちだが,一部専門家の間では64・65年の停滞のあとだけに,66年にはわずかながらも着工件数の増加が予想されている。

2. 経済成長持続政策

前節にも一部記述したように,5年にわたる長期経済成長はケネディ,ジョンソン2代の大統領による積極的経済政策にまつところが多い。この点については1964年度の報告に解説したので,ここでは64~65年の主要な経済成長政策だけにふれることとしたい。

(1)財政政策

ケネディ政権前の戦後景気循環の上昇局面では,上昇過程が高進するにつれて連邦財政の黒字幅は拡大し,その結果購買力が民間部門から吸収されて,上昇圧力が弱まり,やがては景気後退につらなることが多かった。景気上昇が約2年半続いたのちの63年第4・四半期には,国民経済計算でみると,連邦財政はわずかとはいえ,すでに黒字化していた。ところが64年第1・四半期には一般減税の効果もあって,再び赤字化し,64年いっぱい赤字続きであった。もし64年第1・四半期に減税がなかったら,今日のアメリカ景気はかなりちがったものになっていたであろう。

国民経済計算からみた連邦財政は,65年にはいって久しぶりに黒字となり,第2・四半期には黒字幅を広げたし,また連邦財政の対民間収支もまた第2・四半期に5年ぶりで均衡した(5億ドル黒字)。こうしたことから,政府が再び一般減税を66年に考慮することになったと思われるが,第3・四半期にはベトナム戦費の支出増加もあって,いまいずれとも決定しがたい事情にある。しかし減税の議会審議には長い時間を要するので,大統領はすでにその下準備を財務省に指令している。

なお,64年の減税額は当初予想では2年間に111億ドル(64年に3分の2,65年に3分の1実施),うち個人所得税89億ドル,法人所得税22億ドルとされていたが,ニューヨーク連邦準備銀行調べによると,64年の実績は64年上半期60億ドル(うち個人所得税56億ドル),同下期43億ドル(個人33億ドル),計103億ドルで,予想以上の成績をあげた。しかし,時の経過するにつれて減税効果もうすらいでくるのと,66年1月には社会保障税が約50億ドルの増徴となって,購買力を吸収する面も出てくるので,これを相殺するねらいもあって,65年6月から消費税の軽減となった。減税の規模は減税が完全に実施される1969年1月には47億ドルとなるが,さしあたり65年7月(1部は5月15日に遡及)からは17億5,000万ドルを軽減する。

65年7月1日より実行される主要品目はつぎのとおりである。

つぎに66年初に減税される主要品目はつぎのとおりである。

67年初からは自動車と電話のみ減税の対象となり,減税が完全実施される1969年初には自動車消費税1%,電話税は全廃される。減税額は,65年17億5,000万ドル,66年34億5,000万ドル,最終的な69年初には47億ドルと推定される。65年の減税額のうち,製造業者減税が12億ドル,小売業者減税が5億5,000,万ドルであるが,自動車減税は5億7,000万ドノレでかなり大きい。

消費税は製造業者・小売業者段階で賦課され,消費者負担となるが,所得税減税の場合とはちがって,減税効果が最終消費者に及ばず,製造業者ないし流通業者段階で減税分の一部が吸収される可能性がある。たとえば,初年度の減税額17億5,000万ドル中,3分の1にあたる6億ドルが消費者に還元されないとみられる。また,消費税は連邦税であるが,この減税に便乗して,州の諸税があいついで増徴された。したがって,消費税を軽減して,消費支出をふやし,経済拡大に貢献させようとする当初の予想はかなり効果薄となったとみられている。

(2)金融政策

これまで政府は二重金利操作によって短期金利は比較的高目に推持して,金利差による資金流出をおさえ,他方,長期金利の上昇をおさえて,設備投資,住宅金融を容易にしてきたが,64年11月には主としてイギリスのポンド防衛目的の公定歩合引上げに追従して公定歩合を0.5%引き上げ4%とした。その後活発な経済活動,特に設備投資増などから長・短期金利とも騰貴した。特に,長期金利は設備投資その他の資金需要が旺盛なため,65年8月には4.19%(国債,3~5年)となり,金利の二重操作がはじまった61年の平均金利3.95%をかなり上回った。他方,短期金利は公定歩合の引上げや連邦準備の引締め基調もあって,65年初以来3.8%~3.9%(財務省証券,3ヵ月)といった近年の最高水準にある。こうして,65年8月平均の長・短期金利差はわずか0.354%にせばまった。61年当時1.222%もあったこの開きがその後しだいに縮小して前記のような小差になったことは,二重金利操作の限界を暗示するかのようにもみえ,今後の金融政策のゆくえが注目される。

(3)偉大なる社会

65年度予算では,ジョンソン大統領の提唱に-より新たに救貧対策費を加え,貧しきを救うと同時に雇用の増大をはかってきたが,65年初の大統領経済報告は,「偉大なる社会」建設構想を打ち出し,救貧対策もそれにふくめることにした。

「偉大なる社会」構想は,後述するように,経済・社会の両面からアメリカの若返えりをはかろうとするもので,66財政年度を起点とし,1970年度にも及ぶもので,66年度76億ドル,最終の1970年度には194億ドル以上の支出を計画している。その内容は以下のとおりである。

第1-6表 「偉大なる社会」の支出計画

第1-7表 狭義の救貧対策費

3. 国際収支

(1)1964~65年の動き

1963年夏の金利平衡税を中心とするドル防衛によって,63年第4・四半期以降の国際収支は好転したが,64年第4・四半期には海外民間直接投資その他長期投資がふえ,赤字幅は急速に拡大した。それは,海外高利潤の魅力や金利平衡税の実施(64年9月)によるカナダその他のニューヨーク市場における起債増,金利平衡税適用範囲の拡大予想によるかけ込み借入れなどがその主因であった。これが65年2月にジョンソン大統領をして改めてドル防衛を強化させる有力な動機となった。

つぎに,主要項目別に述べると,まず,64年の貿易収支はかなり良好(前年比17%増)であったが,この年の前半には対ソ小麦輸出,後半では65年初の港湾スト予想の輸出品積み急ぎ現象が,特別に64年の輸出金額をふくらませている。

64年の輸入は国内景気の伸長を反映して,工業原料・完成品を中心として前年比10%増となった。しかし,輸出のいちじるしい伸びには及ばなかったため,黒字幅は63年の44億ドルから64年の50億ドルへかなり増大した。ところが,65年上半期になると,輸出と輸入の増加関係は逆転し,輸出の前年同期比がわずか0.9%増であったのに対し,輸入は15.4%増となり,黒字は大福に減少した。

通関統計による65年1~9月の輸出は,前年同期比3%増で,いぜんかなりの停滞を思わせるものがある。もちろん,港湾ストの影響で輸出が妨げられ,また64年には小麦輸出増など特殊要因のあったことも考慮しなくてはならないが,化学品・機械・輸送機器の輸出が最近激減(逆に輸入が激増)したところから察して,国内需要の増加が輸出に不利な影響を及ぼしているように思われる。また,かねて一部に予想されていたように,ドル防衛によってアメリカの対外銀行融資,企業資金の輸出が抑制されたため,その反動がアメリカの輸出にあらわれたのではないかとも考えられる。

一方,輸入は,同じ期間に64年同期を12%上回っている。もっとも第3・四半期には前2・四半期ほどの速度ではふえなかったが,それにしても輸出の増勢鈍化がいちじるしいので,現状から推して,65年の黒字幅は64年の70億ドルから53億ドルに激減する見通しである。

貿易外収支では,投資収益のいちじるしい増加が目立っが,その大部分は過去に累積された投資の果実送金がふえたからでもあるが,国内の減税措置が効いた面もある。

海外軍事支出は,ネットでかねてからドル防衛の線にそって削減努力が重ねられ,1958年のピーク31億ドルから漸減して64年は21億ドルになった。これは海外軍備の近代化,兵器売却の増大によるところが多く,兵器売却は58年の3億ドルから64年の7億ドルになった。政府の対外融資は63年の38億ドルから64年には37億ドルに減少したが,その大部分はひもっきである。

63年の民間資本流出は,64年には前年比21億ドル急増した。この増加分(21億ドル)の3分の2(14億ドル)は短資流出である。注目された外国人の証券新規発行は,前年よりも2億ドル減少したが,64年第4・四半期には急増した。なお,直接投資も同じ四半期に激増した。

こうした資本面での悪化を防ぐため,65年2月,新たなドル防衛措置が発表された。その中心は,銀行ならびに企業の海外投融資を自主的に規制させるものであって,金利の引上げはふくまれなかった。規制方法が民間の協力にまち,金利引上げを伴わないことなどから,対策の効果を怪しむものもあったが,第1・四半期の国際収支赤字は通常取引で年率31億ドル(前期62億ドル)に好転,第2・四半期には5億ドルの黒字となって意外の効果をあらわした。実に8年ぶりの受取超過である。

なお外国証券の発行状況は,65年上半期と前年同期はほとんど差はないが,64年第4・四半期よりは大幅好転である。

第1-8表 アメリカの商品貿易

(2)新ドル防衛措置

1964年9月に金利平衡税が実施されたが,この税金の適用を免れたカナダその他の起債が増大し,そのうえ金利平衡税審議の最終段階で挿入された大統領のスタンド・バイ権限によって,いつ1~3年の対外銀行融資にこの税金が適用されるかもしれないといった不安から,64年第4・四半期中に海外からの借入れが殺到し,民間資本の流出は激増,一方,直接投資も激増した。民間資本の合計では実に前期比26億ドル(年率)もの流出増となって,この四半期の赤字幅を急激に拡大させた。

こうした情勢のもとに,フランスは65年1月初め手持の余剰ドルをニューヨーク連邦準備銀行で金にかえると公表することなどもあって,アメリヵは25%の法定金準備率を改正して,発券高だけに適用することとし,こうして開放される金をもって,アメリカの対外短期債務に見合う金の比率を高めることができた。

しかし,フランスの攻勢は2月の金本位復帰声明となり,1~2月の港湾ストはアメリカの輸出を激減させ,しかも民間資本流出は続くという悪情勢を迎え,ついに2月10日の国際収支教書の発表となった。

その内容はつぎのとおりである。

ドル防衛の効果は意外に急速にあらわれた。通常取引収支の赤字幅は65年第1・四半期に前期の半分となり,第2・四半期には8年ぶりの黒字(4億7,600万ドル,季節差調整ずみ,年率)を記録した。主因は銀行融資の引き揚げである。銀行は自主的に65年中の融資を64年末現在高の5%増以内におさえることになったが,第1・四半期中に大量貸出しを行なった反動もあって,第1-10表のようにかなり引き揚げられ,65年6月末現在4億ドル近い貸出わくを残している。

ところが,海外民間直接投資は,65年上半期中に21億ドルとなって,64年同期の速度の倍となり,64年全体の24億ドルにせまった。65年末までは34億ドルになるかもしれないとみる当局者もある。

カナダ,中近東における大規模な開発が海外投資を伸ばしたという特殊要因もあるが,先手を打って海外に資金を流したものもあるようである。それにしても,非金融企業に関するかぎり,自主規制の実効がそれほどあがっていないのは明白であり,これが政府の不安の種となっている。しかも66年の海外直接投資計画は,にわかにふえている。

そのためファウラー財務長官は65年10月,改めて企業の協力を要請したが,もし思わしい効果があがらないときには,さらに厳格な規制(たとえば直接投資税のようなもの)も考慮されるであろう。

なお,外国人の対米投資を刺激するために65年3月,政府は外国人の対米証券投資収益課税の軽減を議会に要請していたが,10月初め下院歳入委員会を通過,66年初めには実施の目算が立つようになった。しかし,これでどれほどの投資がふえるか疑問だが,政府の当初見通しでは年1~2億ドルである。

上述のように,新しいドル防衛は2四半期にわたって国際収支をいちじるしく好転させたが,第3・四半期には再び赤字に転化した様模であり,65年年間とすれば25億ドル程度の赤字となりそうである。

第1-1図 アメリカの国際収支

第1-9表 アメリカの国際収支

第1-10表 銀行の対外融資残高変動

第1-11表 アメリカの長期資本投資

4. 当面の問題点

アメリカ経済は過去数年間長期繁栄をおう歌することができたばかりでなく,この繁栄を与えた経済成長力は,総体的にみれば,いまなお衰えをみせていない。楽観論によれば,いまや景気後退のない新しい時代にはいっているともされるのであるが,しかし個別的に分析してみれば,いくつかの黒点も指摘される。たとえば,国際収支問題や物価騰貴が過去ほどの強成長を阻むことにはならないが,信用不安がいつ突発するかもしれないといった点であるが,つぎにそのあらましを説明しよう。

(1)物  価

物価は58年以来安定していた。もっとも消費者物価は,年平均1%強の騰貴を続けたが,それはやむをえないものとされていた。ところが65年3月からは,食料品価格が急騰して消費者物価を押し上げ,65年7月には前年同月を約2%上回った。食料騰貴の原因としては,天候不順,家畜サイクルの影響,農業熟練労働者離農による労働力不足などがあげられる。

卸売物価は58年以来安定であったが,1964年夏ごろから騰貴傾向を示した。

騰貴はまず原材料にはじまって,中間財,完成品に波及していったが,65年初には農産物騰貴が加わった。後者は65年夏にピークを迎えたが,金属類(銅,銅製品,鉄鋼,鉛,アルミニウムなど),硫酸,機械,繊維,燃料,包装紙は上昇傾向を保っており,65年9月の総合指数は,前年水準より約2.3%高となった。ただし,工業製品は1.6%高で,農産物価高の影響は総合指数にまだ残存している。工業製品価格は過去数年間安定していただけに,わずか1.6%高(65年9月)とはいってもかなり注目に値する。最近にいたって特に関心のもたれるのは,従来物価騰貴の背後にあった需給関係の悪化のほか,労務費の騰貴が新たに加わったことである。

政府は過大な賃上げを防ぐため,賃上げ幅を生産性の上昇範囲内におさめるガイド・ライン方式を打ち出し,65年には3.2%の線を明示していたが,年初来アルミ産業,製かん業など有力産業では4%の賃上げがあり,9月には鉄鋼業の3.5%賃上げが決まった。鉄鋼労組は最初5月1日からのストを予定したのであったが,政府の勧告もあってこれを9月1日に延長,交渉を続けたが,話し合いのまとまらぬまま,ついに大統領の強力な介入となり9月8日ようやく妥結した。こうして政府のガイド・ラインに近い線の賃上げに落ちついたわけだが,業者側からみれば鉄鋼業の生産性を上回っている,ので,一部製品の値上げによって労務費増加分の一部を消費者に転嫁した。

アルミ産業は64年11月の賃上げでコストの一部を消費者に転嫁したが,65年11月上旬再び2%の値上げを発表,政府は,議会の反感をかった。政府は説得と備蓄在庫30万トンの放出計画によって,業界の反省を求め,ついに11月10日,業者は今回の値上げを撤回した。これが1962年のケネディーブラウ(U.S.スチール会長)の対立ほど劇的なものではなかったにしても,ジョンソン政府が今後の物価動向に強い関心を持ちその抑制に強い態度を示すことを示唆するものといえよう。とはいえ,こうした政治力によって物価を抑制できる産業はかぎられているばかりでなく,こうした強圧的態度が,政府・財界の関係にひびをはいらせて,今後の景気動向に微妙な影響を与えることも注意しなくてはならないだろう。

第1-2図 消費者物価

第1-3図 卸売物価

(2)住宅建築

アメリカ経済にかなり大きな役割をする住宅建築(着工件数)は過去1両年停滞している。住宅建築はこれまでのところ経済成長阻害要因ではあったが,この点については前節でふれたので,ここでは省略する。

(3)金利,信用

公定歩合は,64年11月に物価騰貴やイギリスの引上げに伴う短期資金の流出を懸念して3.5%から4.O%へ引き上げられたまま,今日まで変化がない。しかし65年にはいり,企業の運転資金,株式信用の増大,鉄鋼スト・ヘッジの在庫蓄積などで短期金利はややあがり,10月にはプライム・レートの引上げもうわさされたが,経済成長を重視する政府の圧力もあって,情勢まちといったところである。

長期金利は,設備投資需要の増大,自動車割賦信用の増大などで微騰した。

しかし長期金利の騰貴をおさえ,短期を割高に保つ政府の金融政策には変化はなかったようである。しかし,65年秋ごろ現在では短期金利が上昇4して,長期金利との差はせばまり,短期金利の上昇が長期金利を押し上げる傾向にあり,二重金利操作の限界がきたかのようである。

他方,民間信用の膨張については65年6月マーチン連邦準備理事長は「現在の繁栄と20年代との間には気懸りな類似点」があるとして,1920年代には「今日と同じように個人の国内負債が激増していた。今日の住宅低当債と賦払購入の双方から発生する消費者負債の増大は20年代よりもはるかに急速である」と述べ,その他の類似点とも合わせて,政府ならびに大衆に警告した。この言明は株式市場などに大きなショックとなったが,しかしその後政府の楽観的な声明やペトナム戦線拡大に伴う軍事支出の増大などによって,経済拡大テンポはすすみ,不安感は一掃された。

たしかに,民間債務はふくらみ,可処分所得に対する個人債務の返済割合は増大している。しかし,政府および金融界ではいちおう警戒観はもっているものの,可処分所得の増大に伴う債務返済割合の増大は過去数年持続しているところであって,一般にはまだ楽観的な気分が支配的である。

なるほど,消費者信用,特に,自動車の割賦信用はかなりふえている。すなわち,信用残高では62年23億ドル,63年27億ドル,64年23億ドルとかなりふえ,65年はすでに1~7月で27億ドルとふえて,記録的であり,また64年までの3年間で最高であった63年1年間の実績に迫った。これを64年同期の18億ドルに比べてみても,かなり高い。しかし同じ期間の消費者非割賦信用はむしろ減少しており,消費者信用残高総額からみると,むしろ前年同期以下であり,さほど憂慮すべきものではない。

第1-4図 金利の動き

第1-12表 民間債務の拡大

5. 1966年の経済見通し

上述したように,アメリカ経済には,なお少なからぬ問題が残されているけれども,1966年の経済見通しはかなり明るい。アクレー大統領経済諮問委員長は65年10月,66年の経済成長率を6%とみ(65年名目で6.6%予想),国民総生産では7,100億ドル(前後に50億ドルの変動幅を予想)としている。民間の予測は初秋のころはまだそれほど明るくなかったが,10月中旬ごろになると,かなり明るさを増し,政府予測に接近してきた。

国民総生産の主要構成項目別にみると,まず設備投資は65年に14%増ののち,66年にはやや衰えるが,それでもなお10%程度の伸びが期待されよう。民間住宅建築(着工件数)は63・64年に引き続き減少したあとだけに,専門家の間では2~2.5%増が期待されている。個人所得はかなりの伸びが期待されるので,乗用車その他耐久財の購入はふえるだろうし,非耐久財,サービス支出もかなりの増加を期待される。事業在庫水準は65年央までのところかなり低いので,66年には多少上がるであろう。

政府支出のうち,連邦財政は救貧対策費とベトナム戦費で66年財政年度では25億ドルふえたのち,67年度では30億ドル程度追加されて,生産を刺激するであろうし,予算の支出規模は1,000億ドルを超すとみられる。一方,地方財政の支出もこれまでの趨勢にしたがって数10億ドルふえるだろう。また,66年1月からの第2回の消費税減税も予定され,またかりにベトナム戦費が不要となれば,所得税減税の可能性もあるので,財政面からの刺激はかなりなものとなろう。

こうして,アメリカ経済は6年目の長い繁栄をおう歌することになりそうであるが,しかしそれもいま問題の物価騰貴が鎮静化し,金融が現在よりもはげしく引き締まらないと仮定しての想定であるから,金利動向のいかんによっては,多少のくるいもあらわれるであろう。


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