昭和44年
年次経済報告
豊かさへの挑戦
昭和44年7月15日
経済企画庁
これまで物価の安定というと常に消費者物価のみが対象とされてきた。たしかに卸売物価が安定的であつた37,38年頃までは,消費者物価の安定のみを図ればよかつたわけである。しかし,すでに43年度年次経済報告でも指摘したように,卸売物価は38年頃から下方硬直性を強め,40年代に入つて強含みに推移している。本報告でもすでに指摘したように,消費者物価は40年代に入つてサービス料金の騰勢はあまり変らないが,農水畜産物では騰勢鈍化のきざしがみられる。しかし,工業製品では大企業性製品が強含みになり,中小企業性製品でも根強い騰勢がつづいている。これは消費財工業製品の卸売物価が騰勢を強めたことや流通段階の近代化の遅れなどと関係があろう。
そこで,まず卸売物価と消費者物価の動向およびそのかいりの要因を分析し,つぎに卸売物価の動向,上昇メカニズムを分析することにする。
昭和30年代以降の物価の動きをみると, 第9-1図 のように35,6年頃以降,消費者物価が急騰しているのに反して,卸売物価は変動幅を小さくしながらほぼ横這つていたために,両者は次第にかいりしてきた。しかし,43年度年次経済報告でも指摘したように卸売物価は38年頃から次第に下方硬直性を強め,40年代に入ると41年2.4%,42年1.9%と上昇し,43年には0.8%と上昇率はやや鈍化したとはいえ,年率1.7%の上昇傾向にある。
他方,消費者物価は30年代後半には年率6.2%の上昇テンポであつたが,40年代に入ると年率4.8%と上昇率はやや鈍化した。この結果,35年ないし40年の基準年から3年後に当たる38年と43年の卸売物価と消費者物価のかいりの程度をくらべてみると,38年の場合は19.7ポイントもあつたものが,43年の場合には9.5ポイントとかいりの程度は半減している。これは,40年代に入つて生産財卸売物価が強含みとなつているうえに,消費財卸売物価が消費者物価の上昇テンポに近づいてきたためである。
ちなみに欧米諸国の卸売物価と消費者物価の指数水準とくらべると, 第(9-2)表 のようにわが国の消費者物価の上昇テンポは38年,43年のいずれでも欧米諸国のいずれの国よりも高い。他方,卸売物価は40年以前はイギリスと同じ位に安定していたが,40年以降はイギリスの卸売物価はわが国よりも高い上昇テンポとなり,わが国の卸売物価もイギリスほどではないが,上昇テンポが若干高まつている。
また,卸売物価と消費者物価のかいりの程度は,わが国の場合が38年,43年ともにもつとも大きく,消費者物価の上昇テンポがわが国の半分以下である西ドイツのかいりの程度がもつとも小さい。
いま,もしGNPデフレーターでの総合物価の安定を望むならば,イタリアの場合のように,消費者物価の上昇テンポは西ドイツよりもやや高くとも,卸売物価がかなり安定的な場合の方が,西ドイツよりも総合物価は安定しているといえよう。わが国の場合も,消費者物価は急騰していても卸売物価が安定的であつた37,38年頃までの方が,たとえ両者のかいりの程度が大きかつたとはいえ,総合物価の安定度は現在よりも高かつたともいえよう。何故ならば,消費者物価と卸売物価がともに上昇傾向にあることは,現在のところは成長率,生産性の伸びが大いに違うとはいえ,コスト・インフレに悩むアメリカ,イギリスなどの物価構造に近づきやすい可能性があるとみられるからである。
卸売物価と消費者物価のかいりの問題は物価構造の背後にある経済成長率,賃金上昇率などと関連するものである。ここでは若干指数技術的ではあるが,わが国の卸売物価と消費者物価のかいりの要因について分析してみよう。
かいりの要因としては,(1)財の構成,(2)品目別ウェイトの相違などの指数技術的なことと,(3)流通費用比率,すなわち小売価格に占める流通費用の割合などがあげられよう。そこで,指数算定上に若干問題のある生鮮魚介,野菜,果物などの季節商品(卸売物価指数では生鮮食品と称している)を除いた卸売物価指数のかいりの要因をまとめたのが 第9-3表 である。
(1)財の構成 まず,指数の性格上消費者物価指数は家計の消費対象となる消費財とサービスからなつているが,一方,卸売物価指数は企業が相互に取引の対象とする生産財,資本財,消費財からなつている。そこで両指数に共通していないサービス,生産財,資本財が含まれていることによるかいりの寄与率を推計すると,38年には44.8%,43年には53.6%となつている。このようにかいりの要因の約半分が非共通の財貨・サービスの存在によるものであるだけに,卸売・消費者物価がかいりするのはある程度やむをえないともいえよう。
また,生産性向上テンポの観点からみれば,サービス提供業種よりも生産財生産業種の方が一般に生産性向上テンポが高いだけに,賃金の高位平準化のもとにあつて,サービス料金が上昇しても,生産財価格は下落しうることもあろう。この場合,卸売,消費者物価がよしんばよりかいりしたとしても,総合物価の安定をそこなつているとは必らずしもいえないであろう。
(2)ウェイトの相違 卸売物価指数のウェイトは基準年の企業相互間の取引額の構成比からできており,消費者物価指数のウェイトは基準年の家計の品目別支出金額の構成比からできているので,同一品目の消費財を対比してもそのウェイトは当然違つてくる。そこでどちらかの指数のウェイトを基準にして,共通品目についてウェイトの相違によるかいりの程度を調べる必要がある。この推計では消費者物価指数のウェイトを共通のウェイトとして用いた。この理由は,卸売物価指数の場合は企業間における生産段階の統合の状況や構成品目が原材料から製品までの同一系列の生産工程から選ばれる頻度によつて,品目別ウェイトの評価が過大となつたり過小となつたりしやすい。それに反し,消費者物価指数の場合は家計が消費を目的として購入した財貨・サービスを対象としており,ウェイトの算定時が一定しているので,共通のウェイトとして適しているからである。
そこで,38年の共通品目の卸売物価指数を,消費者物価指数のウェイトに転換して計算すると108.2となり,卸売物価指数のウェイトで計算した場合の104.8を3.4ポイント上まわることになつた。この3.4ポイントが38年の場合の両指数のウェイト構造の相違を反映した分とみた。同様に,43年の場合は前者が111.5となり,後者が109.8で1.7ポイントの差が生じた。
このように同じ卸売物価指数でも,消費者物価指数のウェイトによつて計算した方が大きくなるということは,卸売物価指数のウェイトより消費者物価指数のウェイトの方が相対的に大きな品目(中小企業性製品ないし非耐久消費財)の卸売価格が,そうでない品目(大企業性製品ないし耐久消費財)の卸売価格よりも相対的に上昇していることを意味しているわけである。
なお,消費財のなかでも企業が主として消費する品目や,品目のつき合わせの不明なものは非共通の財貨品目としてとり扱つた。
(3)流通費用比率かいりの要因として卸売段階から小売段階に至る間の流通費用にも注目する必要がある。ここでは共通品目の消費者物価指数から,共通品目の卸売物価指数を共通ウェイトとしての消費者物価指数のウェイトで転換して求めた「卸売物価指数」を差し引いた分を流通費用比率の変化を反映したものであるとした。この流通費用には,卸売物価指数の価格が調査される第一次卸売段階以降の二次卸売業者とか仲買人のマージン,運送費用や倉敷料などの物的流通費用,小売業者のマージシなどが含まれることになる。ただし,この推計では指数のポイント差で求めているので,基準年の小売価格に占める流通費用の割合がその後どう変つたかを示すにすぎない。たとえば,同一品目の消費者価格がその卸売価格にくらべて上昇テンポが大きいとすれば,それは商品1単位当たりの流通費用が卸売価格にくらべて相対的に増加したからであるとみる。
つぎに流通費用比率の変化分が全体のかいりのどの位の割合を占めるかを推計してみると,30年代後半には2~3割も占めていたが,40年代に入ると2割以下となつている。このことは本報告の 第172図 でも趨勢的にも認めることができる。
さらに消費者物価指数の特殊分類の基準に準拠して,農水畜産物,大・中小企業性製品別に流通費用の動きをみると,本報告の 第172図の②, ③ のように30年代後半にはともに流通費用比率は拡大傾向にあつたが,40年代に入ると農水畜産物や中小企業性製品の流通費用比率はあまり変わらなくなつているのに反し,大企業性製品では耐久消費財を中心にして流通費用比率はいぜん拡大傾向にある。
ところで特殊分類とは,当該製品の生産者が農水産業か大企業か中小企業のいずれによるものが多いかによつて分類したにすぎない。卸売価格には当該生産者の生産者価格と第一次卸売業者までの物的流通費用や卸売マージンまでが含まれるが,小売価格にはその後の二次卸・小売業者までの物的流通費用と,マージンが含まれることになる。そして一般に二次卸・小売業者には中小零細業者が多く,物的生産性が低いために,賃金コストは上昇傾向にある。
大企業性製品の流通費用比率がいぜん拡大傾向にあるのは,生産段階での生産性向上による価格引き下げへの成果配分が卸売価格まではある程度反映したものもあつて,卸売物価は下落ないし横這いとなつている。しかし,小売価格には中小零細な卸小売業者の賃金・業主所得の増加によるコスト増加分が卸売価格に上乗せされているために卸売物価が下落しても,流通費用の増加によつて消費者物価は逆に上昇することになる。この結果,流通費用比率は上昇することになるが,これは卸・小売業者によるもので,生産者は関係がないといえるであろうか。
大企業で生産される家庭用電気製品や化粧品,医薬品などは,生産者が広告,宣伝を行なつて商標を消費者に印象づけるとともに,再販売価格維持行為などで小売価格までも生産者が定めている場合もある。このような小売価格は一般に小売段階までの物的流通費用や小売業者の所得などが保証されているだけに,小売業者もコスト増加分を生産者価格や卸売価格の引下げ要求などに求めず,生産者とともに小売定価販売に協力している場合もあるのではなかろうか。
一方,農水畜産物や中小企性製品の販売をしている小売業者は,38年頃までは消費需要の急増したこともあつて,業主所得や賃金の増加によるコストの増加分を小売価格に上乗せしていた。しかし,あまり小売価格を上げすぎると売上(需要)も鈍化するので,次第に卸売価格の上昇テンポと同じ位に小売価格を上昇させて,物的流通費用やマージンの現状維持を図つているのではなかろうか。
以上の分析から,卸売物価と消費者物価のかいりの要因としてはサービス,生産財など財の構成の違いやその生産性格差によるものが大きく,同じ消費財でも指数技術上からみたウェイトの相違によるものもかなりあることが認められた。また,卸売段階から小売段階に至る流通費用の増加でかいりが生ずる割合もかなりあることが認められた。ところで,40年代に入つて流通費用比率の上昇による卸売・消費者物価のかいり要因が少なくなつたことは,物価の安定をもたらす一つの要因ではあるが,同時にそれは卸売物価の上昇が直ちに消費者物価の上昇をもたらしやすくなつていることでもある。
それ故,今後の消費者物価の安定にはサービス関係の生産性の向上や流通段階の近代化が必要とされるとともに,卸売物価の安定も必要不可欠の条件である。つぎに卸売物価の動きについてみてみよう。
卸売物価は,30年代後半には景気変動の波はあつたものの,ならしてみれば0,3%(年率)の上昇ときわめて安定的であつた。しかし40年代に入ると,40年の不況期にもめだつた下落をみせず,1.2%と根強い騰勢を示すようになつた。これを類別でみると( 第9-4表 )食料品,木材・同製品の騰勢が強まり,繊維品,窯業製品も依然上昇をつづける一方,従来弱含みであつた非鉄金属,金属製品,機械器具が反騰に転じたことがわかる。総じて卸売物価は43年度年次経済報告でも指摘したように,景気後退期にも下がりにくくなり,景気上昇期にはかなり顕著な騰勢をみせるようになつた。
このような動きをさらに内容にわたつてみると( 第9-5表 ),非工業製品では農林水産物が米価の大幅引上げや木材の騰勢の強まりによつて30年代後半の2.4%から40年代の4.4ないし4.5%に上昇率を高める一方,工業製品も0.2%の下落から1.0%の上昇に転じている。工業製品について,規模別にみると,中小企業性製品は40年代に入つてさらに騰勢を強めている。なかでも生産財は36,37年の不況期に下落して以来めだつた上昇は示していなかつたが,40年代に入つてからは息の長い景気上昇がつづいていることもあつてとくに騰勢がつよまつている。また消費財では,耐久消費財で,やや騰勢が鈍化したものの,40年の不況期には需要の減少にもかかわらず下落せず,根強い上昇をつづけており,非耐久消費財は39年に下落したのち一段と騰勢を強めているのがめだつている。他方,大企業性製品では,消費財は耐久消費財の下落幅が小さくなつたことにより,わずかに上昇を強め,資本財はやや下落しにくくなつたが,動きは少ない。これに対して生産財は36,37年の不況期に下落したまま40年まで低迷をつづけていたが,41年以降景気の上昇とともに反騰に転じた。42年秋以降景気調整策がとられ,43年に入つてからやや反落したが,中小企業性製品の生産財も含めて,今回の景気上昇期における生産財とくに製品原材料,建設材料の騰勢は強い。
以上みたように40年代に入つて工業製品卸売物価は景気上昇にともなう生産財の上昇および中小企業性製品を中心とした消費財の騰勢の強まりによつて,強含みに推移している。生産財については,上昇傾向とともに他方で43年秋以降の景気調整期にみられたように下方硬直性がつよまつており,これが相対価格の変化を通して物価水準の下支えをしていることも注目されるが,すでに43年度年次経済報告でこの点についてはとりあげたので,以下では消費者物価と関係の深い消費財とくに中小企業性製品の卸売物価を中心にみていくことにしたい。
消費財卸売物価はさきにもみたように30年代後半から上昇しており,なかでも中小企業性製品あるいは非工業製品の上昇がめだつていた。こうした卸売段階での消費財物価の上昇は消費者物価上昇の一因ともなつていた。しかし,すでに本報告第2部3成長経済の苦悩の項でもみたように,30年代後半には流通部門の近代化の遅れから生じた流通費用比率のいちじるしい上昇により,消費者物価の上昇が相対的に大きく,卸売物価とのかいりがみられたが,40年代に入ると,流通費用比率の上昇が鈍化し,消費財卸売物価と消費者物価がいわば平行的に上昇するようになつており,こうした傾向はとくに中小企業性製品,農水畜産物ではつきりあらわれていこる。このような状態のもとでの消費財卸売物価の騰勢の強まりは,これまで以上に消費者物価を押し上げる働きを強めることとなる。
消費財とくに中小企業性製品の卸売物価の上昇は,まず労働市場のひつ迫を背景とした賃金・所得の強い上昇傾向が一面で旺盛な消費需要となつてあらわれたこと,他面で労務費の上昇が製品市場のひつ迫を条件として価格に転稼されたこと,さらにこうした需要に対する供給休制の適応の遅れが生じたことによつてあらわれたものである。中小企業とくに消費関連業種では労務費の上昇は他のコスト要因にくらにべとくに強いコスト圧力となつている(本報告第2部 第174表参照 )。時期的にみると,30年代後半では原材料費の低下に対して償却費,販売・管理費などの比率も上昇したが,もつとも上昇したのは労務費比率であり,さらに40年代に入ると,償却費,販売・管理費などの比率はほとんど変らず労務費比率の上昇のみがめだつようになつた。これは大企業においては労務費の上昇圧力はそれほどめだたず,むしろ償却費,販売・管理費,金融費用の圧力がつよかつたのと著しい対照をみせている。また大企業では,賃金コスト圧力をある程度,利益率(売上高営業利益率)の低下で吸収した面もみられるが,中小企業では利益率が大企業にくらべて低いこともあつて,こうした吸収の仕方はできなかつた。このように中小企業では労務費の上昇圧力が強かつたが,業種別にみると30年代後半には繊維,衣服・その他の繊維製品,出版・印刷など,また40年代に入つてからは食料,衣服・その他の繊維製品,パルプ・紙・紙加工品などの消費関連業種でめだつている。しかし,資金コストの上昇がこれら製品の物価上昇の潜在的な条件であつたとはいえ,それが直接物価上昇に結びついたわけではない。 第9-6表 にみられるように労務費に対するマークアッブ率(売上高/労務費)は大企業では32~36年平均の8.97に対して36~42年9.14と上昇気味に推移しているが,中小企業では32~36年8.70,36~42年7.53と低下している。さらに36~42年を二つに分けてみると,36~39年には,大企業では8.97から9.31へと上昇しているのに対し,中小企業では8.70から7.76へと低下し,賃金コスト圧力が物価の上昇を上まわつている。39~42年になると大企業,中小企業とも労務費マークアップ率は低下しているが,中小企業においてとくに大きく,なかでも繊維,衣服・その他の繊維製品,出版・印刷など消費関連業種でめだつている。このように中小企業では労務費の上昇ほどには製品価格は上昇していない。つぎにこうした賃金上昇を吸収したメカニズムをみよう。(本報告第2部 第175表 )
第9-6表 製造業規模別業種別人件費率・マークアップ率の動き
まず,35~39年についてみると,大企業では,賃金上昇はほとんど物的生産性の上昇で吸収されており,労働分配率,付加価値率はあまり変らずこれによつて吸収された部分は小さい。他方中小企業では賃金上昇率は大企業を上回わつており,労働分配率(55.1%→56.7%)付加価値率(20.6%→23.8%)の上昇によつて吸収した部分がかなりあつたにもかかわらず,物的生産性の上昇が低いため,製品価格の上昇により吸収せざるをえなかつた部分が約7%あつた。業種別にみると( 第9-7表 ),中小企業のなかでも,賃金上昇圧力を労働分配率の上昇によつて吸収することができたのは,主として食料品,繊維,衣服・その他の繊維製品などの消費関連業種であり,付加価値率の上昇による吸収も衣服・その他の繊維製品,ゴム製品,食料品,繊維など消費関連業種で顕著にみられた。
39~42年になつても大企業の吸収メカニズムはそれほど変らず,賃金上昇は殆んど物的生産性の上昇によつて吸収されている(ただし,わずかではあるが製品価格の上昇へのはねかえりもみられるようになつた)。これに対して中小企業では消費関連業種を中心に賃金上昇率は若干鈍化したものの,労働分配率(56.7%→55.5%)付加価値率(23.8%→24.6%)の上昇による吸収効果はほとんどなくなつた(消費関連業種で労働分配率の上昇による吸収効果がやや高いのは化学品,ゴム製品が高かつたためである)。これは労働分配率は39年にすでに56.5%と高まり,大企業(ほぼ40%弱で一定)との格差が拡大しすぎたことや償却費,金融費用が上昇してきたことなどにより,それ以上の上昇が困難となり,付加価値率も大企業との格差が急速に縮小し,それ以上の上昇は困難になつたためである。このため,物的生産性は上昇テンポを速め,これによつて吸収する効果はふえたにもかかわらず,製品価格の上昇へのはねかえりが大幅に増大した。業種別では食料品,繊維,木材・同製品などがめだつている。このように中小企業における賃金上昇の吸収メカニズムは年代に入つて大きく変わり,物的生産性の上昇でカバーできない部分が直接製品価格の上昇圧力として働くようになつてきたことが注目される。 第9-8表 にみるように,労務費の上昇は40年代に入つてからの物価上昇の要因として,中小企業とくに消費関連業種で強くあらわれており,なかでも衣服・その他の繊維製品,ゴム製品で顕著にみられる。
第9-7表 中小企業業種別にみた賃金上昇を実現した経営条件(製造業)
第9-8表 40年代の消費関連中小企業における卸売物価の上昇要因
以上供給側のコスト要因とくに賃金コストの上昇圧力をみたが,本報告でも指摘したように,中小企業性製品の場合これがそのまま製品価格に転嫁されたとみることはできない。一般に中小企業性製品の卸売物価は大企業性製品のそれにくらべて市場支配力が弱く需給バランスの影響をうけやすく,在庫率の変動に対する卸売物価の変動の弾性値を試算してみても,39~42年で大企業が△0.10に対して中小企業は△0.24となっている。
このように中小企業の場合には価格も伸縮的であるため,コスト上昇圧力の価格上昇への転嫁は需給バランスのひつ迫を条件として初めて可能になると考えられる。
規模別に需給バランスの動きをみると( 第9-9図 ),大企業性製品,中小企業性製品とも35,6年のひつ迫した状態から,37年の不況期には大幅に需給バランスがゆるんだが,その後の動きをみると,大企業性製品では需給バランスの回復はにぶく,40年の不況期には37年を上まわつて需給バランスが緩和したのに対し,中小企業性製品では38,9年に再び需給バランスがひつ迫し,40年の需給バランスの緩和も37年ほどではなかつた。このような規模別の需給バランスの変化のちがいが,規模別にみた卸売物価の動きのちがいをもたらしている面も否定できないであろう。(40年代に入つてからは景気の上昇から大企業性製品,中小企業性製品ともに需給バランスのひつ迫がみられる。)さらにこのうち消費財だけをとりだしてみても同様な傾向がみられるが,とくに非耐久消費財の中小企業性製品が38年以降ひつ迫をつづけているのがめだつている( 第9-10図 )。
このように中小企業性製品の需給バランスが大企業性製品に比べて相対的にひつ迫気味に推移している理由としては,需要とくに消費需要が堅調な伸びをつづけたことがあげられる。それとともに本報告でものべたように,需要の伸びに対する供給力の伸び方が,大企業と中小企業では大きな違いがあり,中小企業とくに小企業では労働生産性の上昇もあるが,事業所数の増加で供給力が伸びる傾向が強く,こうした形で供給力を増加させるかぎり需要の増加に対する供給の遅れが生じがちであり( 第9-11表 にみるごとく中小企業は潜在的な需要の増加に対して併給が遅れがちであり,潜在的需要増加に対する調整速度は約2.5年と長く,供給の遅れは40年代に入つてますます拡大している),零細規模の事業所の増加がいちじるしいこともこうした傾向に拍車をかけている。小企業の場合には近代化のおくれが大きくコスト面からみても労働生産性の上昇を上まわる負金コスト上昇の圧力がとくに強いが,消費関連業種をとりあげこれが製品価格の上昇でどのていど吸収されたかを試算( 第9-12表 )してみると,中企業でも約13%みられるが,小企業では約35%にものぼつている。また大・中・小企業別に卸売物価の動きをみると,( 第9-13表 )36~39年,40~43年のいずれについても小規模になるほど物価が上昇しやすいという傾向がみられる。小企業の零細化をともなつた急激な増加は,物価の動きとも密接な関係をもつている。しかし,中企業ではあるていど近代化が進み,労働生産性もかなり上昇しているのに対して,小企業はかなり停滞的な色彩がつよく,いわば近代化からとり残されている部分であり,この規模から生ずる物価上昇は需要が強いこともあつて,きわめて解決がむずかしい。
第9-12表 消費関連業種規模別にみた賃金上昇と価格上昇の関係
第9-13表 業種別規模別(大企業.中企業,小企業)卸売物価の動き
以上みたように30年代後半からの賃金・所得の上昇は,一方で消費財とくに中小企業性製品あるいは非工業製品の賃金コス卜上昇圧力として供給曲線を上方にシフトさせるとともに,他方でこれらの財に対する消費需要を高め,需給バランスをひつ迫させる役割を果している。賃金・所得の伸びは労働力需給のひつ迫および労働生産性とくに大企業の労働生産性の伸びを反映したものであり,これを中小企業などの低生産性部門で吸収した機構が,セクトラルなデマンド・プルを実現条件としたセクトラルなコスト・プッシュなのである。
第9-14表 賃金の消費者物価および有効求人倍率に対する弾性値の変化
40年代に入つて,消費財卸売物価と消費者物価の動きはほとんど一致するようになり,これが消費者物価上昇の根強さとなつてあらわれているが,こうした消費者物価の上昇が逆に賃金・所得を上昇させる効果もあることは注目される。それは消費者物価の上昇が新規労働力市場における供給価格をシフトさせるからであり,また既就業労働力の賃金決定においても団体交渉要因として賃金を上昇させる方向に作用するからである。消費者物価の賃金に与える影響を計量的に計測することはむずかしいが, 第9-14表 にみられるように40年代に入つて消費者物価上昇の影響が賃金上昇により強くひびくようになつてきていることがうかがわれる。
このように消費者物価の上昇は賃金を上昇させ,これが中小企業などの低生産性部門に需給両面からセクトラルに働き消費財,サービスの物価上昇を招きいわば「擬似的」な賃金・物価のスパイラル現象が生じているのではないかと思われる。