昭和41年

年次経済報告

持続的成長への道

経済企画庁


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持続的成長への道

経済成長の天井

国際収支の均衡

投資が供給力と需要とを同時に増やすという型をとって、拡大を続けることができるならば、投資が増大しても設備過剰にはならないはずだが、供給力が高まっても、国際収支に不安があるために、需要を伸ばすことができなければ、供給能力は十分稼動できず、設備は過剰となり、不況となってしまう。

国際収支の天井を決めるものは、輸出や貿易外収入や資本輸入等の外貨収入である。一方、外貨の支払いは、経済の成長率と対外支払い依存度(国民総生産に対する対外支払い額の割合)によってきまる。外貨獲得力と、外貨支払い必要額とがバランスがとれる限り国際収支問題は起こらない。

過去8年間(32年度〜40年度)をみると、外貨収支の年千均増加率は第63表のとおりで、基礎的収入(経常収入+長期資本流入)は13.7%、基礎的支出は12.5%で、収入が支出を上回っており、全期間を通じてみれば重要な国際収支問題は発生しなかった。

第63表 国際収支の変化

第57図にみられるように、貿易外収支では悪化したが、貿易収支の改善がそれをカバーしてあまりあったからである。もっとも8年間全体ではバランスしていても昭和32年、36年、38年には、輸入の急増によって基礎的バランスがくずれ、それが、次の不況の原因となった。持続的な成長のためには、輸出を伸ばし国際収支の天井を引き上げると共に、経済の過熱を防ぎ、輸入の急激な変動が国際収支の不均衡を引き起こさないようにすることが大切である。

第57図 外国為替収支の推移

これまでの輸出がなぜ高いテンポで伸びることができたかといえば、1つは戦後世界貿易が順調に発展したからであるが、いま1つは日本の国際競争力が強く、世界貿易中の日本の輸出の比率を高めていくことができたのである。第64表に示すように32年から40年までの日本の輸出の平均増加率は16.4%だが、その間の世界の輸出増加率6.6%、世界輸出に占める日本のシェアの上昇率7.6%であった。従って日本の輸出の増大は世界貿易の拡大よりは、むしろ日本の輸出のシェアの増大によるところが大きかった。日本の世界貿易に占めるシェアは32年には2.6%であったが、40年には4.6%にまで高まっている。

第64表 世界貿易と日本の輸出

それでは、輸出のシェア拡大はなぜ可能であったか。その原因として、日本は、生産や労働生産性の上昇が大きく、労働コストや輸出価格が安定していたことが挙げられよう。第65表に示すように、1958年から65年までについてみると世界のどの国についても輸出の増加率は、生産や労働生産性が高いほど高く、また輸出価格の上昇率が小さいほど高いという関係が、ほとんど例外なしに認められる。日本は、この期間に、賃金の上昇率も、年率9.5%と高かったが、生産15.1%、労働生産性9.4%と世界最高の伸びを示しており、これが、日本の輸出競争力を支える基盤となったと考えられる。しかしそれと並んで無視できないのは、この期間における日本の輸出構造のめざましい転換であろう。

第65表 製造工業の生産・生産性・労働費用の国際比較

昭和30年当時の状態を振り返ってみると、日本で輸出比率が高い産業は、がん具、ミシン、衣類、陶磁器、合板、綿織物等であったが、伝統的な輸出産業は既に輸出拡大力が鈍っており、新しい輸出産業を必要とする状態にあった。こうした要求に応じて出現したのが鋼材、ラジオ受信機、自動車、テレビ受像機等の新商品であった。日本の工業製品を、昭和30年における輸出比率の高さの順に5つに区分して、その各グループの輸出増加率と輸出増加寄与率をみると、第66表の通りで、30年当時輸出比率が高かった伝統的産業(第Iグループ)のその後の輸出増加率は極めて低く、39年までに年率8%の増加に止まっている。逆に、当時ほとんど輸出されていなかった新商品(第Vグループ)の増加率は年率37%と極めて高い。

第66表 輸出比率と輸出増加率

増加寄与率をみても、伝統的産業の寄与率は20%にすぎず、30年当時輸出比率が小さかった新商品の寄与率が大きい。日本の輸出拡大は、伝統的な輸出産業の発展によって実現されたのでなく、新しい産業が輸出産業へ成長するという輸出構造の変化によって達成されたのである。

こうした輸出構造の転換は、内外両面から必要であった。

まず、戦後の日本の輸出構造は、世界全体の需要の動きからみて決して発展に適したものではなかった。世界の需要が拡大している商品は事務用機器、電気機器、金属加工機、自動車等の機械、有機化合物、プラスチック等の化学品、毛皮、宝石等のぜい沢品等が多かったが、日本の輸出では繊維品や雑貨が大きな比重を占めており、成長商品の比重は小さかった。工業品70商品を世界貿易の増加率の大小によって、5つに区分し、各国の輸出に占めるウェイトを比較してみると、第67表 第67表(II)の通りで、30年には日本の輸出商品構成中高成長品(最高及び高輸出成長品グループ)は2割にみたず、低成長品は6割を越していた。これに対しアメリカや西ドイツは5割以上が高成長商品で占められており、日本は最低であった。しかし、その後日本では重化学工業品の増加は著しく、過去9年間に主要工業国のなかで成長商品の比重を最も大きく高めることに成功し、特に最高輸出成長商品の比重は総輸出の4分の1を越え、工業国の平均を上回るようになった。輸出の発展のためにはこうした輸出構造の転換に成功することが必要であったわけだが、これに成功したために、最高輸出成長品の工業国全体に占めるシェアは30年には第68表に示した国のうちスウェーデンを除き最低であったが、39年には米、独、英に続いて第4位となり、輸出が伸びやすいような輸出構造となった。

第67表 世界の工業品の増加率と比重

第67表(II) 世界の工業品の増加率と比重

第68表 工業品輸出に占める主要工業国のシェアー

輸出構造の転換を必要とした第2の理由は国内側にあった。日本のように、労働力が多く、資本が不足している経済では、賃金水準が低い商品で比較優位性をもつような傾向があった。第69表にみるように昭和30年では、最高輸出依存産業では、平均賃金は、最低輸出依存産業の半分であった。しかし、その後の経済成長につれて、低賃金部門の賃金格差は縮小の方向に向かってきている。昭和39年でも、その差がなくなったわけではないが、賃金の低いことによる国際競争上の優位性は小さくなってきた。これは経済が発展するにつれて当然起こることであり、低賃金商品に代わって、高い技術や資本を必要とする商品を輸出するように転換しなければ輸出を伸ばすことができなかったであろう。

第69表 賃金と輸出との関係

こうした内外の条件の変化に適応して輸出を伸ばすことができたのは、高い成長によって新しい商品が国際競争力をもつことができるようになったことによるところが多い。

前掲の表と同じ55業種を30〜39年における輸出増加率の大きい順に5つのグループに区分して(詳細は付表を参照のこと)各グループの設備投資増加率2みると、第70表の通りで、輸出成長率の高い産業ほど、投資の増加率も大きかった。また、投資増加率あたりの輸出の伸び率も大きい。すなわち投資の増加は、競争力を強め、新しい産業の発展を促進するのに役立ったのである。

第70表 輸出増加率と設備投資

世界需要の停滞している商品を無理に輸出しようとすれば、企業の収益は悪化するが、輸出の発展が高い生産性の伸びによって支えられている限り、それはまた企業の収益性を高めていく。

第71表は、このことを示している。日本では高輸出産業グループは、労働の付加価値生産性の伸びも高く資本の分配率も高まってきた。

第71表 賃金、付加価値生産性および資本分配率の変化率

経済の発展につれて所得は上がり国際的にみた日本の賃金水準の低さは改善されていく。また世界の需要も常に変化していく。こうした内外の諸条件が流動している世界で、輸出を伸ばしていくためには、常に生産性の向上による競争力の強化と輸出商品の高度化を続けていかなくてはならない。

一方外貨支払いの面をみると第72表に示すように、日本の対外支払い依存度は大体11%で安定していた。貿易外支払いは増加したが、輸入依存度が幾分低下したためである。国民総生産に対する輸入の比率は、第73表の通りで、資本財、耐久消費財、石油、木材等は上昇しているが、綿花、羊毛、小麦等の減少がそれを相殺してきた。このように、対外支払い依存度が変わらなかったので、輸出等外貨収入の増加率が高まれば、そのまま外貨面からみた経済成長の可能限度が高まることになった。

第72表 日本経済の国際収支依存度

第73表 商品別輸入依存度

以上みたようにこれまでの日本では、経済の成長は、輸出力を強め、逆に、輸出力が強くなったことが、経済成長の可能限度を引き上げてきた。

今後も、価格競争力を強め、商品構造の転換を進める等国際競争力の一層の強化に努めると共に、経済協力、1次産品輸入等により低開発地域に購買力を付与する等、積極的な市場拡大を図ることによって、輸出を伸ばし、また、逐年増加している貿易外収支の赤字を最少限に押さえる努力を続け国際収支の天井を絶えず引き上げていくことが日本経済の発展のための根本的条件である。


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