昭和40年
年次経済報告
安定成長への課題
経済企画庁
昭和40年度年次経済報告
経済成長と企業、国民生活の安定
成長と安定の両立のために
財政の新しい役割
国民経済の安定的成長のために財政が果たすべき役割は大きい。
戦後の日本では、財政が果たした最も重要な機能は、経済の成長のために必要な分野に資源を配分することだったといえよう。それは戦後の各時期には、それぞれ財政の力によって、それを行うことを必要とする事情があったからである。
戦争直後には、戦争で破壊された産業を、どのようにして軌道にのせるかといった問題があった。これは、民間経済の価格の自動調節力にまかせておいて自然にうまくいくというわけにはいかない。そこで、 第74図 にみるように財政は、超均衡財政によって、政府部門の貯蓄率を高め、これによって民間への出資や投資を行った。このため開発銀行、輸出入銀行など一連の政府関係金融機関が設立され、石炭、鉄鋼、電力などの基幹産業に重点的に資金が供給された。また、民間への補助金も極めて高水準であった。
次に社会資本の充実が重点となる時期が続いた。民間投資が活発化し、社会資本はともすれば遅れ勝ちだったからである。
社会資本に対する需要はまず国鉄に始まったが、次いで道路、港湾等に広がっていった。こうした公共資本の充実のだめに、道路公団、住宅公団等の政府企業が設立された。一般財政における公共投資のウェイトはもとより大きいが政府企業は、政府投資の経済効率を高め、私企業の持つ長所をとり入れたわけだ。
さらに最近になると、私的な消費が向上した反面、住宅、上下水道等生活環境施設の遅れが目立つようになってきた。また、農業や中小企業等、経済発展にとり残されがちな部門の近代化も重要性をましてきた。そこで35年度以降になると住宅等生活基盤整備のための財政支出の伸びが高くなっている。絶対額はまだ低いけれども、伸び率としては 第75図 にみるように、国土開発投資を上回っている。また、財政による民間への投融資は基幹産業に対するものはその重要性を減じたが、最近では、中小企業等の低生産性部門の近代化を目的とする投融資が増え、その比重が高まってきている。
このような財政の資源再配分機能の変化は 第64表 の通りで、民間産業の育成、国土開発、住宅環境衛生施設の整備と次第に財政支出の重点がうつりかわってきたことがみられる。
資源を経済の成長や、生活の改善に重点的に割くことができた理由として、無視できないのは軍事支出が小さいことである。財政支出構造を、戦前やアメリカ、イギリスと比べてみると、 第65表 の通りであり、現在の軍事支出比率は5%で戦前の38%、アメリカの45%、イギリスの26%に比べ極めて小さいことがみられる。
第2に、財政が所得再分配に果たした役割はどうであったか、国民1人当たりの社会保障給付額でみても、国民所得に対する振り替え所得でみても、日本の振り替え支出の水準は低い。これは日本の1人当たり国民所得水準が低いこともあって、年金制度など、社会保障制度の整備が遅れたことが原因である。経済の成長と共に振り替え支出も伸び、財政が所得分配に果たす役割も次第に大きくなってきているが、欧米に比べて、日本ではこの点ではまだかなり低い。 第65表 にもみられるように、財政支出に対する振り替え支出の割合はイギリス、アメリカに比べて小さく、国土開発支出が著しく高い。
財政の役割が大きくなれば、当然その財源が問題となる。財政支出の財源としては、租税、政府企業の料金、公債等いろいろなものがあるわけであるが、戦後の日本では租税、社会保険料収入、政府企業の剰余など主として経常収入で財源を賄ってきた。財政資金調達については、租税負担、金利、物価等の面にいろいろ考慮を必要とする問題がある。
租税についていえば、所得税も法人税もこれまで年々かなり、税率が引き下げられてきたけれども日本経済の高度成長期には、所得が増加するために、税収が増え財源も増えてきた。一般会計の租税収入についてみれば、過去10年平均の伸び率は、15.8%だが、高度成長期の35、36年度はそれぞれ、33.4%、24.7%と増加率が非常に大きかった。租税収入の伸びが大きかったために 第74図 にみられるように、この時期には、政府部門の貯蓄率が高かった。
成長率と政府の経常収入、及び経常支出や資本形成といった政府支出の間の時間的な関係をみると、 第66表 の通りである。一般に経済成長とほぼ同時的に租税収入を中心に政府の経常収入が増加し、それにやや遅れて政府の経常支出や資本形成の増加が起きてきたことがみられる。従って、高度成長による租税収入の高い伸びが財政支出の大幅な伸びを支え、財政による資源配分を可能にしたといえる。しかし成長率が低くなると、租税収入の伸びも低下し、財政支出の拡大を支える力が弱まってくる。それでは税率を引き上げて税収をあげることは可能であろうか。現在の日本の租税負担は、 第67表 にみられるように、国民所得に対する比率や、就業人口に対する納税人員の比率では、アメリカ、イギリス等に比べて低い。しかし1人当たり国民所得水準が低いこともあって、実質的にはかなりの負担感を免れない。所得税の課税最低限をみても、日本では欧米諸国に比べてかなり低い所得まで課税されていた。また、企業経営の改善のために企業減税に対する要請も強い。財政支出によるサービスの増加と、租税の増加による個人や企業の負担の増大とのプラス・マイナスの比較、あるいは租税と他の財源との間の得失の比較が重要な問題となってくる。
財源の選択については、この他金利や物価との関連が最近問題となってきた。財政による公共的目的への資源の配分に果たした政府企業の役割が大きかったことは、前述の通りだが、 第77図 にみられるように、政府企業の資本形成支出は一般財政支出の伸びを大幅に上回った。一般財政では、原則として、財源は租税など政府の経常収入によってきたが、政府企業の発展に伴って民間資金吸収の道が開かれると共に金利問題との関連も深まることとなった。こうした政府企業は鉄道・道路・水道などのように巨額の投資資金が必要であるため、内部資金のみで賄うことは不可能だ。従って、28年度以降、政府保証債による民間資金の吸収も行われることになったが、この政府保証債の発行によって、財政は、資金調達の場として金融市場との関係を深めることになった。政府企業の民間資金への依存度は次第に高まっている。いま、道路公団、住宅公団、帝都高速度交通営団などの政府企業の資金調達の方法をみると 第78図 の通りで、自己資金や政府出資の比重が低下し、公募債・借入金などの民間資金の比重が高まっている。民間資金に対しては利子を払わなければならないから、その比重が上がると資金コストも高まることになる。
第78図 政府企業に資金調達パターンと新規調達資金コストの変化
資金調達のもう1つの方法として料金の引き上げがある。戦後、政府企業は、国鉄の32、36年の運賃引き上げのように料金引き上げによって投資資金の一部をまかなってきた。料金引き上げは、また、自己資金の比重を高め、資金コストを低める効果をもたらす。30年代前半の消費者物価が安定していた時期には、こうした公共料金の引き上げは、国民生活を圧迫するおそれは少なかった。しかし、最近のように消費者物価の根強い上昇傾向がある時には、料金引き上げによる資金調達は消費者物価に与える影響を十分考慮しなくてはならない。こうした資金調達やコストの問題を解決するためには、政府企業が経営の合理化によって、経費の節約を図ることが重要なのはもちろんであるが、料金引き上げという形で利用者が負担するか、公募債・借入金等の民間資金によるか租税負担によるかの決定も重要な問題となろう。また、政府保証債等による民間資金の吸収を増やしていくためには、金利機能を回復して、政府部門と民間部門との間で、資金が適切に配分されるようにすることが必要である。
安定成長を遂げるために財政に期待される役割は、道路、港湾などの国土開発投資、産業基盤の強化、経済協力及び輸出の振興、中小企業、農業等の近代化、住、上下水道等の生活環境の改善、消費者物価の安定、社会保障の充実等、数多いが、景気安定に対する財政の役割も次第に大きくなろう。投資中心の成長期には、景気調整に対して金融政策が大きな役割を果たしてきた。財政の景気安定に果たした機能も、対民間収支を通じる自動的な安定作用が中心であった。すなわち、景気上昇期には自然増収が増えて、資金を吸い上げ、下降期には逆に資金の払い超が増えることによって景気安定機能を果たしてきたわけだ。しかし、景気の過熱を抑え、沈滞を防いで、経済の安定的な成長を持続していくためには、金融の調節力だけでは十分でなく、税収や財政支出の調整によって景気の安定化を図っていくことが重要となろう。
金利体系の正常化
成長と安定の両立を図るために、金利体系を整備して資金の流れ、従ってまた資源の配分を、最も効率的なものにしていくことが大切だ。
これまでの日本の金利には次の3つの特徴があった。第1は、金利の水準が外国と比べても、戦前と比べても割高なこと、第2は、短期金利と長期金利のバランスがとれていないこと、第3は、金利が資金需給の状況によって自由に変動するというメカニズムに欠けていることだ。過去10年間の水準について外国の金利と比べてみると 第68表 の通りである。金利が高いといっても、企業の借入金利や、事業債発行者利回りは、西ドイツやイタリアと比べてそれほど違わなかったが、預金金利とコールレートが飛びぬけて高かった。こうした特徴はそれぞれ次のような理由から生まれたものだ。
第1に、日本の金利が外国に比べて高いのは1つは経済成長率が高かったことを反映している。企業がどれだけの金利なら金を借りようとするかといえば、その上限を決めるものは企業の期待利潤であるから、大体、経済成長率が高かった国ほど、企業が負担する金利は高くなっている。
第2に、長短金利のバランスがとれていないこと、特に短期資金であるコールのレートが飛びぬけて割高であることは、都市銀行の資金繰りが常に窮屈で、コール市場への依存が大きかったことによる。戦後我が国では民間投資にリードされた高成長が続いたが、企業がその盛んな投資活動を賄うには、その内部資金の蓄積では不十分であった。このため、所要資金の大半は金融機関を通じるいわゆる間接金融方式によって調達されたが、その際成長の担い手である大企業と取引の多い都市銀行に特に資金需要が集中した。このような事情から都市銀行は、日本銀行の追加信用とコール市場に対する依存度を強めることとなった。
一方、企業の金利は、国際競争力をつけるために低い方がよいと考えられた。そこで公社債利回りは低位に据え置かれた。公定歩合も長期的には引き下げられていった。公定歩合操作が金融政策の中心に復帰した30年8月からの5年間と、36年から最近までの5年間の最高最低を比べてみると、8.40%~9.94%から6.94~5.48%まで下がってきている。公定歩合と連動して市中貸出金利の水準も低下し、その結果として国際的な金利水準へ次第にさや寄せされることとなった。こうした事情からコールレートの水準は、公定歩合はもちろん、銀行貸し出しや長期金利すら上回ることが多くなった。また、預金金利は貯蓄率を上げるために高い方が望ましいと考えられ、36年4月に一度下げられたきりであった。こうして日本独特の金利体系が生まれたが、この金利体系によって、コール市場を媒介として中小企業金融機関や農林水産金融機関の余裕金が都市銀行へ回され、また企業に対しては期待利潤率に比べ低い金利で資金が供給され、経済成長を高めるのに役立ったといえよう。
第3に、金利に資金需給調節機能が欠けているのは、上のような規制が行われているためだ。もちろん公定歩合は金融政策の中心手段として景気動向に応じて上げ下げされたが、それと連動する金利は市中貸出金利とコールレートに限られていた。企業の立場からみても借入金利が期待利潤の水準に比べて低位にあり、しかもそのうち固定化されている部分も多かったので、企業の資金需要は金利メカニズムを通して調節されることは少なかった。このような事情もあって、日銀が窓口指導によって市中銀行の資金繰りに直接介入することが必要だった。
しかし、以上のような方式は金融機関、証券会社などの経営面にゆがみを生んだ。そしてそのゆがみは現在産業界の経営健全化を妨げるように働いている。金利のゆがみが、金融の機能の発揮を妨げている例として注目されるのは、最近の金融緩和後もその効果が企業金融になかなか波及しないことだ。都市銀行の貸し出しやその金利に対する金融緩和の波及がおそいのは、産業界の信用不安が都市銀行の態度に影響している面が大きいが、これに銀行の経営面の事情もからんでいる。今回引き締め期に新金融調節方式が引き締め手段として用いられたため、都市銀行のコールマネー依存度は著しく上昇した。現在コールレートはかなり下がっているが、今までのような金融構造が続く限り金融情勢の変化によって再びコールレートが高騰する懸念は大きい。そうなれば都市銀行の採算は再び圧迫されるおそれがある。また、預金金利が固定化されているので、銀行の資金コストも最近では下がる余地が少なくなっている。こうしたことから金融引き締めが解除されたにもかかわらず都市銀行の貸し出し態度は一般に慎重で、貸出金利の下がり方も全体としてこれまでに比べ小幅だった( 第79図 )。
また、金利機能が十分発揮されなかったことの欠点として長期金利が低位に固定されていたことから公社債流通市場が発達しなかったことが挙げられる。公社債流通市場が発達しなかったので第1に起債は実質的に銀行に対する割り当てにたよらざるを得ず起債規模もなかなか拡大しない。第2に自由な市場において企業の収益力格差を反映した合理的な金利の格差が存在しない。また第3に、証券会社の経営も株式市場と公社債流通市場のバランスのとれた発達がなければ安定しない。そして現状では証券会社の経営悪化が株式市場の不振を一層はなはだしくしている面もある。
金利メカニズムが回復し、これによって自由な資本市場が発達すれば、収益力が高い企業ほど資本調達能力が大きいわけだから、収益力の高い企業の資本構成は改善し、それがその企業の銀行からの借り入れ能力を高めることにもなる。経済成長に必要な通貨の円滑な供給と金融政策の効果的な運営という面における効果も重要だ。この場合に初めて本格的なオープンマーケットオペレーションが実施されるようになるだろう。金利政策も、金利の上下が株式、社債の利回りに敏感に影響し、資本市場における企業の資金調達のタイミングを変えさせ、政策の実体経済面への浸透を一層効果的にするだろう。こうして、金利の資金需給調節機能を回復することは、今後の経済の成長と安定を実現するために極めて重要である。もちろん金利メカニズムの回復に際しては、現在の金利体系を前提にして成り立っている金融構造の変化に伴う摩擦から、金融秩序に不安が生ずることがないよう注意しなくてはならないが、少なくとも当面企業経営を安定させるため、公定歩合の引き下げが企業金融に円滑に波及するように今まで固定化されていた金利にもある程度弾力性をもたせるような政策が必要とおもわれる。
さらに、経済成長に伴って必要となる通貨の供給を一層円滑にするためには積極的に資本市場育成に努めなければならない。これら金融環境の整備は、今後の経済の成長と安定のための重要な条件となっている。
輸出の増大
経済が成長しなければ、国民生活の向上も企業経営の安定も不可能だ。成長の条件として、一番大切なのは輸出を伸ばすことである。設備が増えても、製品がどんどん海外へ売れていくならば、過剰設備の心配はいらない。戦後の日本の産業の成長のあとを振り返ってみると、輸出力がずいぶん強まり、それが国際収支の天井を高めて、日本経済の発展に役立ってきたことがわかる。
一国の輸出の発展をたかめる原因は複雑でそれを分けることは難しいが、世界貿易が拡大すること、その国の輸出商品構成が特に輸出発展に有利であること、その国の輸出市場構成が輸出拡大に有利であること、輸出競争力が強く、販売体制の整備、その他の市場対策とあいまって、シェアを拡大できることの4つを考えることができよう。この4原因のどれが輸出拡大に寄与していたかを、30年から34年までと、34年から38年までに分けて、日、米、独について比較してみると 第69表 の通りであった。日本は輸出競争力の強化が、輸出拡大の大きな原因となっているのが特徴である。ドイツでは、世界の需要拡大率が大きい重化学工業品の比重が高いことや、EECという発展的な市場を持っていることが輸出発展の原因となっていた。しかし日本では、市場面では停滞的な東南アジアの比重が大きいのでこの点では不利であったし、また、商品別の構成でも重化学工業品の比重が小さくそれほど有利ではなかった。 第69表 によれば、日本の輸出拡大に対する競争力強化要因の役割は30年~34年では70%、34年から38年では54%を占めている。
競争力を決定する条件としては、生産の伸びが大きくて輸出余力が十分にあること、賃金上昇を上回る労働生産性の上昇等によって輸出価格を低位に維持すること、品質の向上すること、販売条件を整備すること、輸出商品を、世界の需要の変化に応じて速く転換できること等が考えられよう。
製造工業の生産、労働生産性、労働費用(生産物単位当たり賃金)、輸出価格等の変化の国際比較を行ってみると 第72表 の通りで、日本は、これらの点で世界の主要工業国中最も優れた輸出条件を持っている。
また商品構成の転換も速かった。出発点では不利な輸出構成であっても、それを有利な方向に転換していく力があれば輸出は伸びていくわけだ。昭和30年から38年までの工業国からの輸出工業品を輸出成長商品と輸出停滞商品とに分類して、各国の輸出中に占める成長商品の比重を比べてみると 第73表 の通りである。昭和30年には、日本の輸出商品中、成長商品が占める割合は19%であったが、38年には38%となっている。まだ欧米諸国に比べれば水準は低いが、輸出構造の停滞型から発展型への転換が速いことがわかる。特に重化学工業では生産規模の拡大、技術進歩等によって労働生産性の上昇も高く、これまで輸出できなかったような機械や化学品が次々に輸出可能商品となってきている。今後も日本が高い輸出の成長を持続していくためには、労働生産性を高め価格の安定を図って、価格競争力を維持していくと共に、輸出の商品の高度化や、輸出市場の開拓にも努めていかなくてはならない。
輸出構成については、現在では、重化学工業化もかなり進み、輸出の発展に有利な構造となっているが、まだ欧米に比べればかなり低く、一層高度化を進めていくことが必要だ。そのためには技術水準を向上させると共に産業規模の拡大等によって、重化学工業の労働生産性をさらに引き上げていかなくてはならない。日本とアメリカとの生産性比率と、輸出比率とを比べてみると、 第80図 の通りで、生産性の高いものは輸出が多く、低いものは輸出も少ないという関係がかなりはっきりみられる。重機械類ではまだ、日本の生産性も低く、これが重機械類の輸出が相対的に少ないことの一因となっているとみてよいだろう。
次に市場面であるが、この点では 第71表 に示したように、これまで日本は不利であったが、それは、1つは、貿易拡大テンポの最も速い、西欧向け輸出が少ないことと、日本の重要市場である、アジアの貿易が停滞していることだ。
日本の輸出中ヨーロッパ向け輸出は、13%(1964年)に過ぎず、また、輸出入商品構成をみると 第70表 の通りである。日本の貿易商品構造は1959年と1963年とをしらべてみると、全体としては、原料輸入、労働集約商品輸出という型体からかなり変わって労働集約商品の比重が急減して、資本集約商品が増加するという変化をみせている。しかし、英、独との貿易では、原料や、労働集約財輸出、資本集約財輸入という型が残っている。EECでもEFTAでも輸入増加率が高いのは、化学品と機械である。日本の対西欧向け輸出は、当分は、食料や軽工業品が中心となると思われるが、次第に、先進国間の資本集約商品を中心とする水平分業の波にのることが、発展のために必要だろう。
低開発国向け輸出では、最大の問題は、相手国の購買力が乏しいことだ。特に東南アジア地域の輸入に占める日本の比重は大きく、またそのシェアは拡大してきているが、低開発国の輸入増加率自体が低いために、日本の東南アジア向け輸出もあまり伸びないわけであり、この地域からの輸入の促進や、開発を援助することによって、相互の貿易を拡大していくことが重要であろう。
また、世界経済が順調に発展していくことが重要な条件である。いくら日本商品の国際競争力が強くなっていても、世界経済が不況であっては、伸ばしていくことができない。これまで、日本では、世界経済の変化は、外から与えられたもののように考えられ勝ちであるが、日本経済がここまで成長してくると日本の動きが世界経済に与える影響もだんだん大きくなってくる。日本は1964年にOECDへ加盟し、IMFの八条国となったが、世界経済の有力なメンバーとなった現在では、世界経済の発展に対しても日本は積極的な役割を果たすことができる。低開発国産品の輸入促進、輸出秩序の確立等、世界経済の発展と調和した道を進んでいくことが長い目でみた日本経済の繁栄を約束することになるだろう。
日本経済と世界経済とのつながりが大きくなると、日本の国内の体制自身も変化しなければならない。日本では、これまで、輸出は、内需を満たしたあとの余剰がむけられるという傾きがあった。従って国内の景気が悪くて売れないときは、輸出に努力するが、景気が回復すると、輸出はおろそかになった。しかし、国際分業が盛んになり、企業の輸出比率が高まっていけば、輸出は国内向け販売と同様に重要となる。輸出が不安定であれば、企業の経営も不安定になる。国民経済全体にとって輸出の発展が大切であり、このため輸出振興策の一層の強化を図る必要があることはいうまでもないが、企業自身の経営という面からも、安定した輸出市場を開拓維持するよう努力することの重要性が高まってくる。