昭和34年
年次経済報告
速やかな景気回復と今後の課題
経済企画庁
各論
中小企業
昭和33年度の中小企業
軽微だった景気後退の影響
上半期停滞から下半期回復へ
33年度の中小企業の生産動向を顧みると、全般の景気の推移とほぼ同一傾向をたどり、上半期中は停滞が続いたが、秋頃から回復に向かっている。
中小企業全般の生産動向を端的に示す指標がないので、これを業者数の割合でみると(東京都) 第3-1図 、8月頃までは生産が増加したという業者は、全体の3割程度であったが、9月を境にして次第に増加し、本年3月には5割強(前年同月は約4割)にまで回復している。このことは、業種数で示した 第3-1表 によっても裏付けることができる。上半期には、前年同期に比べてよくなっている業種が、製造業では8%、卸売業では6%に過ぎなかったが、下半期にはいると、前者が26%、後者は29%とそれぞれ大幅に増加した。これを業種別にみると、雑貨、建材、家具等の消費財部門で好転したというものが多かった。また前年同期が好況であっただけに、上半期に悪化したという業種の多かった機械工業も、下半期にはその度合いはかなり弱まっている。
これにひきかえ、繊維は1年間を通じて沈滞傾向を脱し得ず、むしろ下半期に入って悪化の度合が強まってさえいる。しかし34年1~3月頃までには、それまで業種別に跛行性をみせていた回復の様相も、次第に全般化してきている。
景気後退の影響とその背景
以上のように、繊維の停滞を別とすれば、中小企業の景況は年度後半で次第に活気をとり戻したが、上半期には大企業からのしわ寄せもあって、下請代金の支払状況は悪化し、中小企業の人員整理や倒産等が増加したため、一頃は相当の破錠が予想されたのである。
しかし、いま過ぎ去った一年間を顧みると、その予想はくつがえされ、中小企業の受けた打撃は29年の景気後退時に比べれば、軽微にとどまったということができる。
第3-2表 にみるように、中小企業における企業整備件数、賃金不払未解決件数、不渡手形は、経済規模が拡大しているにもかかわらず、今回の方が少ない。また、中小企業の設備投資があまり減少しなかった 第3-3表 ということからも打撃の程度がうかがわれよう。
では、このように今回の景気後退下で、中小企業が比較的軽微な影響にとどまることができたのはなぜであろうか。主な要因として考えられることは、次の諸点である。
第一に景気後退の性格が異なっていたことである。前回の景気後退では、機械工業が大きな打撃を受けた。今回は生産財部門が在庫調整によって大幅な後退を示したのに対し、機械工業は高水準の受注残高をかかえており、設備投資があまり減退しなかったため堅調に推移した。
第二は、高水準の消費に支えられたことである。「国民生活」の項にみるように、33年度の個人消費支出は29年度以降の最高を記録した。
第三は、雑貨を中心とする中小企業製品の輸出が、米国市場に支えられて堅実な伸びを示したことである。
以上のように、中小企業の多い部門がそれほど悪化しなかったということ、これが基本的な要因であった。ただし織物工業は例外に属するが、これについては後述する。
第四は組織化が進み、自主的調整が強化されていることが挙げられよう。33年4月には「中小企業団体組織法」が施行され、このような法的支援の下に、商工組合を中心とする業界の調整活動が、一段と広範囲に、かつ活発化し、不況への抵抗力を強める要因となった。
第五に、経営基盤が強化されていたことである。ブーム時の蓄積も大きかったし、その過程では過去の経験に学んで借入金を返済したり、不良債権を切捨てるなど、経営内容を健全化する努力が行われた。その結果信用度が高まり、景気後退時における金融を容易にしたということができる。
第六は、以上の諸事情を背景として、金融面の支えが極めて大きかったことである。今回の場合でも金融引締め当初には、中小企業へのしわ寄せは強かったが、前回に比べれば、その程度はかなり弱かった。例えば、全国銀行の中小企業向貸出は、前回の景気後退時(29年1月~12月)には74億円回収されているのに対して、今回は(32年7月~33年6月)、837億円増加している。中小企業にとって金融問題が大きな隘路であることを考えると、金融が支えた役割は高く評価してよいであろう。 第3-2図 にもこのことがはっきり反映されている。これは東京の場合であるが、前回は長期間にわたって金融相談が経営相談をはるかに上回っているのに対して、今回はそれが初期にみられただけで、その後逆転しており、企業にとっては合理化、近代化問題の方が当面の大きな関心事であることを物語っている。
では、これらの諸要因が、どのように働いたか、今回の景気後退で特徴的な動きを示した機械工業と、織物工業について項をあらためてみよう。
堅調に推移した中小機械工業
回復がはやかった生産動向
通産省の生産動態統計によると、中小機械工業の生産は、32年8月から下降し、33年2月頃を底としてその後は上昇に向かった。この結果、33年平均では前年の4%減にとどまった。 第3-4表 。
中小企業庁による下請け工場実態調査をみても、前期に比べ受注が増加したという業者数の割合は、4~6月期22%であったものが、その後25%、34%、41%と期をおって増加し、生産上昇を裏づけている。もっとも 第3-3図 にみるように、通信器具が好調なのに対して、銑鉄鋳物が停滞的であるといった業種間の差異はみられるが、総じて中小機械工業は、33年度当初から既に上向過程に転じていたといえよう。
このように回復がはやかったが、約半年にわたった生産低下の過程では、企業整備もかなり増加したものの、前回(29年1~12月)の景気後退時に比べれば今回(32年7月~33年6月)は3割余少なかった。
29年との比較
過去と比較して破綻が軽微であったという場合、まず念頭におかなければならないのは、景気後退それ自体の強度である。中小企業が、同一もしくはそれ以上の圧力にたえることができたのか、それとも強度が弱かったのかは、この問題を解明する基本的なものであろう。
景気後退の強度を、生産動向のみに限定することは若干問題があるが、ここでは生産の低下度をもって、景気後退の強さをはかることにしたい。通産省算定の指数によって、まず全体の機械の生産動向をみると、33年度の前年度に対する上昇率は、製造工業平均が4%であるのに対して、機械工業は10%を示している。このうち電気機械は30%、輸送機械(除鉄道車両、鋼船)は10%と、それぞれ大幅に上昇した。29年度の場合は、製造工業平均が4%増加しているのに対して機械工業は12%も大幅に低落している。これを年間の推移でみると両年の相異が一層はっきりする 第3-4図 。
つまり、二つの時点では景気後退の様相が、機械工業の場合は大きく異なっており、不況の強度は今回の方が弱かったといえよう。次に二三の業種について、中小企業の動向を比較してみよう。
自動車部品工業
まず自動車部品工業をみよう。 第3-5図 に示したように、前回の方が生産の落込みが大きい。当時は大型トラックの比重が大きく、乗用車、小型トラックの生産はようやく緒についた段階であった。金融引締め後も外車輸入の削減に伴う国産車の増産によって、29年春頃までは部品工業の生産は上昇傾向を示していた。しかし大型トラックを中心とした構成は景気後退の影響を受けやすく、その深化とともに5、6月以降国内需要は減退し、一方特需の減少もあったため、7、8月頃から大メーカーは操短体制に入った。これに部品輸出の不振が加わったので、下請工業の生産も大幅に低下した。当時横浜地区では生産は半減したといわれる。沈滞状況はその後もしばらく続いたので、人員整理もかなり大幅に行われたのである。
今回は事情が大分異なっている。デフレの影響を受けて、32年度下半期には、大メーカーでも減産体制(約2割)がとられはしたが、景気後退の波を受けにくい小型車の比重が飛躍的に大きくなっているので生産低下も小幅にとどまった。そのうえ33年9月頃から小型車を中心とした対米輸出の伸長、大量の特需受注があった他、景気回復とともに内需も増勢に向ったため、33年12月にははやくも過去のピーク(32年6月)を凌駕するに至っている。
従って部品生産は、秋頃まで横ばい状態が続いたが、その後急速に上昇している。
神武景気中における自動車生産の増大はめざましく、生産水準は29年当時に比べほぼ5倍に達していた。発展のテンポがあまりにも急激であったため、下請工業では、合理化、近代化が行われたものの、基本的には残業や雇用の増大で対応した。従って受注の減少にも比較的容易に対応できた。また生産が低下したとはいっても、生産数量は29年当時より格段に多いから、経営に及ぼす影響もおのずから前回よりも軽かったといえる。
銑鉄鋳物工業
これに比べると、機械の素材部門である鋳物工業の動向は、若干傾向を異にしている。
第3-6図 にみるように、今回の生産は32年6月から、33年2月頃まで低下傾向が続いたのち、秋以降幾分上向くまでの数ヶ月間は横ばい状態であった。前回も、下降過程の推移は、ほぼ同様の傾向をたどっているが、今回の方が落込みが大きい。これは、溶接技術の進歩によって鋳物より小型化しえて、価格も安い鋼材に代替される傾向(モーターやトランスカバー)があることにもよるが、主因は比重の大きかった繊維機械が低調であったためである。
それにもかかわらず、デフレによる痛手は、今回の方が少なかった。企業の収益性も今回の方がよかったし 第3-5表 、前回は比較的大きな企業も人員整理を行った。今回は、以前から問題の多かった若干の企業の整理が表面化したにとどまり、目立った現象は少なかった。通産省の統計によると、従業員数は、32年下半期中に全体で8%ほど減少しているが、33年に入ってからはほとんど減っていない。ピーク時に対して、半減という大幅な生産低下をみたところでも、積極的な、人員整理は行わず、残業を打切る一方、余剰人員はブーム時に手がつけられなかった設備や建物の修理にふり向けている。
このことは、ブーム時の蓄積が大きかったことにもよるが、好況期においても設備増設はあまり行われず、主として残業によってカバーしてきたため、受注減少に比較的容易に対応できたからだといえよう。
以上のように、中小機械工業の破綻が少なかったのは、景気後退の性格の相異に負うところが大きい。従って、景気後退に対する抵抗力を今回の経験だけから、過大評価することは避けなければならないであろう。
一方、大企業と中小企業との結合の仕方は、以前に比べて変化してきている。いわゆる一部下請企業の系列化がそれであるが、そこでは傘下中小企業に対して合理化、近代化を促進するための配慮がなされており、その限りでは、クッションとしての中小企業の利用形態も、従前に比べて若干変化してきているといえよう。この変化については、第二節でふれることにする。
沈滞の色濃い中小織物業
対照的な生産動向
機械工業に比べれば、織物の生産低下はかなり長期間続いている。 第3-7図 によってみると、32年12月以降33年8月まで、一貫して低下し、その後若干持直している。この結果、33年度は前年度にたいして12%の生産減となった。品種別では、毛織物が比較的好調に推移したため12%の増加となっているのに対し、絹、人絹織物は7%減、綿織物は15%減で、綿織物が特によくなかった。
29年度には織物合計で10%、うち綿織物が11%と前年度より増加しているのと極めて対照的である 第3-6表 。このように生産動向からみる限り、織物の場合は今回の方が、デフレ圧力が強かったといえそうである。しかし 第3-7表 にみるように繊維商社整理状況は、今回の方がはるかに少なくなっている。また企業の収益率も33年の方がかなり高い 第3-8表 。例えば、綿スフ織物では、売上高営業利益率が3倍を示しているため、経営資本営業利益率でも2倍となっている。この事実はどのように考えたらよいであろうか。以下綿織物を中心に検討してみよう。
景気後退の背景
自転車操業の29年
両時点における綿織物の生産の推移を比較したのが 第3-8図 である。これをみると29年はいかにも順調に推移したようにみえる。しかし実際は表面上の生産上昇に過ぎなかった。28年秋以降実施された金融引締めによって、まず問屋の資金繰りが極度に悪化し、換金売や不渡手形が増加する中で倒産や整理が続出した。負債1,000万円以上の繊維商社の整理件数は648件に達し、その負債総額は334億円にのぼった 第3-7表 。こうして、市況が悪化することによって中小機屋の危機が深化し、休業、倒産の続出、工員の一時帰休制等がみられた。後掲 第3-10図 によれば、高水準の生産の背景が糸買業者の場合、織工賃もでない出血生産であったことがわかろう。この結果は安値輸出となってあらわれ 第3-9表 、年間輸出高は全国で13億平方ヤードに達したが、これは戦後最高記録であった。
こうして業者間の競争は激化し、業界の自主的生産調整も効果なく、市況悪化にもかかわらず、生産はむしろ増大するという「自転車操業」に追いやられたのである。 第3-9図 にみるように専業力織機の運転可能台数は、28~9年を通じて急激に増加している(28年3月末225,751台、30年3月末258,178台)。そこで政府は11月に中小企業安定法29条命令(生産設備制限)を発動したが、ここでは生産数量規制は除外された。
生産調整の33年
今回は、設備制限措置が講じられている一方、過剰織機が買上げられたので 第3-10表 、生産能力は減少している 第3-9図 。しかも、未登録織機の封緘に続いて政府命令を背景に、33年1月から3割操短(登録織機の2割封緘、4日休日制)という大幅な調整措置がとられ、さらに8月には5割操短(織機20台以下は基礎控除5台、2割封緘、20台以上は1割封緘、7日休日制)に強化された。
32年春頃には、原糸の増産が糸安となって中小機屋の採算を好転させたが、その後紡績が操短にふみきったためそれも長くは続かなかった。採算悪化は急速に強まり、安値輸出によってかろうじて操業度を維持し、先行きが懸念される状態であった。そこで32年度末に前述のような大幅な生産調整が実施され、乱売を防止する努力が行われたのであるが、その結果、価格条件の悪化は阻止された。
これを代表的な品種についてみると、生産調整が進むにつれて、まだ不安定ではあるが採算悪化は是正されてきている 第3-10図 。29年の場合は、原糸より織物の値下がりが大幅であったのに対し、33年度にはその開きがほとんどみられなかった。
以上のような大幅な生産調整が可能となったのは、政府の生産数量規制命令が発動されていることもあるが、金融の裏付けがあったことも大きな要因であった。全国銀行の中小繊維工業に対する貸出は、29年度は96億円減少したが、33年度は190億円増加している。また中小金融機関からも多額の操短資金が供給されている。 第3-11表 。
新製品への転換
絹人絹織物も綿織物と同じく生産設備、数量制限命令が発動されている中で、沈滞の色が濃かった。伊勢崎地区では、商社のつまずきから信用不安を引きおこして原糸手当が不能となり、一頃操業できたのは600軒のうち200軒程度という現象もみられた。また輸出三銘品については、値くずれ防止のため、一手買取機関が設けられた。
こういう実情から、他品種への兼業転業が進んだ。伊勢崎地区の場合を例にとると、系列生産の形での毛織物、合成繊維織物、メリヤス等へ転換するものが多かった。八王子においては、30年に約100工場あった絹、人絹専業者は、現在ではそのほとんどが他品種(合繊織物やウール御召地)を兼業もしくは専業し、八王子はじまって以来の好景気をうたったほどである。このように新分野開拓にはやく乗り出しているところでは、破綻を大きくしないですんでいるが、転換できる業者はどちらかといえば上層のものの方が多い。
以上みたように、前回に比べれば織物工業の悪循環(自転車操業)は一応断切られてはいる。これは生産調整に加えて、従来過度の信用によって思惑的取引を行っていた商社の経営態度が健全化したこと、及び原糸メーカーによる系列化が進み、商社の多くが単なる手数料業者に過ぎなくなって、打撃が少なかったことなどのためであった。
しかし、操短はより以上の悪化を阻止する上で効果があったものの、企業にとっては相当な重荷である。採算が好転したとはいうものの、それはまだ本格的なものではなく、黒字は小幅で標準加工費を考慮すればなお赤字である。そのため企業整備件数はむしろ今回(33年中)の方が前回(29年中)より約1割多い。先にみたように、中堅企業の収益性は今回の方が高かったが 第3-8表 、全般的には強力な生産調整が行われてはじめて、前回程度の採算をかろうじて維持できたのである。中小織物工業の不振の根は深く、打撃は決して軽くなかったとみなければならない。