昭和32年
年次経済報告
速すぎた拡大とその反省
経済企画庁
総説
序言
昭和31年12月、我が国は正式に国際連合に加盟し、ここに国際社会への復帰を完了した。あたかもこの年において、我が国経済は神武以来と称された未曾有の好況を謳歌していた。鉱工業生産と国民所得の成長率は先進諸国について比較する限り世界一であった。終戦直後のあの荒廃から十数年にしてここまで立ち直った日本民族の生命力は西ドイツの発展と並んで国際場裡の注目と感心を集めている。この時において日本経済が国際収支の赤字に直面し始めたことは誠に皮肉なめぐり合わせではないだろうか。この赤字は輸出の停滞や特需の減少によってもたらされたものではない。輸出は2割というこれまた世界一の伸長率を保持した。原因はもっぱら輸入にある。対前年8割という平年としては未曾有の増大を示した民間設備投資の活況とこれに基づく異常な経済拡大のスピードが、輸入を4割も膨張させたのである。1954年以来の世界の投資ブームにおいても速過ぎる発展速度そのものが種々の困難を引き起こした。55年には既に数ヶ国の国際収支がかなり大きく赤字になり、大部分の国々が好況の行き過ぎに悩み始めた。この時各国が採用した国際収支改善策、あるいは、景気抑制措置にほぼ共通してみられる特色は、輸入割当、その他、直接的、物的統制を避け、財政金融引締めを中心とする間接方式を採ったことと、政策の早目の発動を旨とし、行き過ぎが生じてから抑制策を採るよりも「むしろ後になって景気の後退が続くことを避けるために予め景気が行き過ぎないように防止策を講じた」(国際決済銀行56年年報)ことにあった。これらの国々はブームの背骨を折らずにインフレ気運を沈静することに成功して経済拡大のスピードこそ鈍化したものの現在おおむね高原景気を維持している。
世界景気の立ち上がりに1年半ないし2年遅れていた我が国は、今や同じだけの時差を持って同じ抑制の途に乗り出そうとしている。しかし、景気の行き過ぎがはなはだしかっただけに、その調整の過程も若干の摩擦なしには行われ難いであろう。我々は、進んだ資本主義諸国があえて予防的景気調整策を採用した態度から多くの有益な示唆を汲み取らなければならない。
そこでまず総説においては以上のような世界的背景に加えて、我が国固有のいかなる特殊事情が内需ことに民間投資をあおり立てたか、それが国際収支の悪化とどのように結びついたかを分析しようと試みた。