昭和31年
年次経済報告
経済企画庁
序言
1955年は世界の工業ブームの年であった。工業国の生産とこれらの国々相互間の貿易は力強い発展を示した。世界の好況を背景に我が国の輸出は世界第2の上昇率を示し、これに伴って工業生産は増大し、あまつさえ気象条件に恵まれて、未曾有の豊作を享受したために、国民所得は久々に1割を上回る発展テンポを取り戻した。顧みれば昭和28年、日本経済が内需の膨張、国際収支の悪化の過程をたどっていた際に、これを薄氷上の乱舞と評した世界の眼は、国際収支の大幅改善、物価騰貴も信用膨張も伴わない経済拡大を達成した日本経済の力を、西ドイツの発展と対比して高く評価し直している。しかし我々はこの好評に酔うことができるであろうか。31年に入るとともに、我が国好況の基盤であった世界景気も、前年の発展が急テンポであったそのこと自体が原因となって伸び悩みを示し始めた。また沈静していた内需も再び台頭への動きを明らかにし、物価、国際収支、金融情勢等に若干の変化がうかがわれる。この事態を前にして世人あるいは数量景気の価格景気への転化を惧れる。もちろん経済動向にインフレ化あるいは国際収支の悪化の惧れを胎むときには、内外の経済情勢を深甚なる注意をもって見守り、ときに機動的に内需の拡大テンポを抑える措置を講じなければならない。
しかし戦後10年の経済発展は、右のような経済の短期動向の問題に加えて、経済の長期的趨勢に関する新しい問題を日本国民の前に提示している。それは再建を終わった日本経済の成長力が弱化し、今まで覆われていた経済循環運動が今後次第に顕かになってくるのではないかということである。日本経済はその内部に、高い一本調子の成長によってのみ矛盾の激成を防止しえた諸問題を包摂している。従って、成長率の鈍化、循環運動の復活こそはインフレ化の危惧とはまた別の見地から注目すべき問題ではないだろうか。
以下本報告第一部総説においては数量景気の発展過程と、それを可能にした諸要因を探るとともに、復興過程を終えたのちに日本の経済成長を可能な限り高くかつ安定的に維持するための方途について検討を行いたい。