昭和29年
年次経済報告
―地固めの時―
経済企画庁
国際収支の危機
日本経済の危機の焦点は、国際収支の悪化にある。昭和28年度(昭和28年4月~29年3月)の国際収支は3億1,000万ドルの赤字である。27年度にはそれが約1億ドルの黒字であったのだから、この1年間の悪化の幅はおよそ4億ドルに達する。一時は12億ドルに垂んとした外貨の手持高も本年5月末現在では7億8,000万ドルにまで落ちてしまった。
一体国際収支の悪化や外貨の手持高の減少がどうして日本経済の危機なのか。それは我が国経済の貿易に対する依存度が非常に大きいからである。8700万の日本国民が現在の生活を維持してゆくためには食糧の2割、工業原料の3割を外国から輸入しなければならない。もし輸出が伸びず年々入超を続けてゆくと、最初は現在のように外貨の食い減らしで賄ってゆけるだろう。しかしその手持高を全部使いつくしてしまったあげくには、いよいよ輸入を切り詰めなければならない時が来る。食糧輸入を大幅に切り詰めると日本国民は再び終戦後のような食糧不足の苦しみを味わわなければならない。工業原料の輸入が思ったようにできないならば工場も人員を整理し、巷には失業者があふれるであろう。外貨はなお8億ドル以上あるのだからこれを食い延してゆけばまだまだ相当持つはずだと安心していてはいけない。いま世界各国の輸入額と外貨手持高の割合をみると、およそ1年の輸入の3~4割の外貨をもっているのが普通である。我が国はいま20億ドル以上の輸入をしているのだから8億ドルというのはほぼその比率に相当する。しかしこの8億ドルの中にはポンドが足りないために国際通貨基金から借りた金や貸越しになったまますぐには決済の困難なインドネシア、韓国に対する債権が含まれている。それでこれらを除外してみると、本当に日本の財産と呼ぶに値する外貨はさらに3割も少なくなる。
外貨の手持高は外国からみれば日本の経済力のバロメターである。もし外貨がさらにどんどん減り続けてゆくならば、外国の人達は為替の切下げさえも憶測するようになるであろう。そういう噂が海外市場で広まり、日本の品物は先にのばして買う方が得だと考えられるようになるならば、日本の輸出はとまり外貨の手持高はもっと急速に減り始める。従って8億ドルの手持高も、決して危機水準から遥かに遠いということはできない。今のうちに何とか立て直し策を考えて外貨の手持高の減るのを防ぐことが肝要である。対策を立てるとするならば、まず何が原因で国際収支がこんなに悪くなってきたのかを明らかにすることがその第一着手でなければならない。
そこで調べてみると、その主たる原因が普通にいわれているように「輸出の停滞」や「特需の減少」にはないということが判った。輸出は11億7,000万ドルから12億4,000万ドルへ、むしろ7,000万ドル余増加し、単価の低落を考えれば、数量としては1割強増大した。特需は8億ドルから7億6,000万ドルの減少に過ぎない。
なるほど昭和28年の輸出は年初にはポンド地域の輸入制限の影響を受けて相当低い水準に落ち込んでしまったが年央以来若干回復している。鉄鋼のごときはポンド向輸出が3分の1に減少してしまった上に前年アメリカの鉄鋼ストなど特殊事情によって増大したドル地域向も2分の1以下に激落し、輸出商品として前年の首位を再び綿布に譲っている。綿布もポンド地域向は2割以上減ってしまったが、インドネシアその他に輸出を増大し、総額においては相当の増加をみせている。人絹スフなどは輸入制限にもかかわらず、ポンド地域向もむしろ微増を示している。これらの動きのうちに我が国繊維の国際商品としての強さがうかがわれる。なお重工業品の輸出において船舶が前年の2倍に達し、これが金額的にも28年の輸出のかなり大きな支えになっているのだけれども、これは既契約分の輸出が当年において集中的に行われたためであって、永続的な増加は必ずしも期待できない。
このような推移の結果、輸出全体としてポンド地域向は前年の40%から27%へ低落し、ドル地域向は38%から36%へほとんど横這い、オープンアカウント地域向は22%から37%へ急増している。この増加の中にはインドネシア向のような問題を含んだ輸出増が含まれているのだから、前に述べた船舶輸出の特殊事情もあり、輸出は若干増加したというものの決してそれを健全なる増大とのみ評価することはできない。
次に特需は前年とほぼ同じ規模を持している。しかしその内容は大分変わってきた。いわゆる特需はその主要部分を三つに分けることができる。すなわち第一は朝鮮に駐留している国連軍に対する物資サービスの売上げ、第二は駐留軍の将兵及びその家族の日本国内における個人消費、そして第三は防衛分担金のドル払いである。この最後のものは相互安全保障条約の締結以後それまでほとんど日本側だけで負担していた駐留費のおよそ半分をドルの形で受けとる部分である。このほかに国連朝鮮復興資金、MSA買付、仏印特需等があるけれどもそれは金額にしてみれば少ないものである。
この特需の第一の分類、つまり朝鮮特需は昨年夏休戦が成立して以来発注漸減の傾向を示しているが、昨年度の外貨受取高は2億4,000万ドルと大体前年水準を維持した。これに対して第二の個人消費すなわち円セールは昨年中休戦後の部隊の移動等に伴ってかえって増加し、年度間3,000万ドルと他を引き離して一番大きい項目になった。そして第三の防衛分担金のドル払い分は秋以来減り始め、昨年度中およそ1億1,000万ドルと27年度に対し4,000万ドルの減少を示した。こうして広義の特需全体としては7億6,000万ドルの収入を得たのであるけれども、本年に入ってからは第一の朝鮮特需においてはもちろん第二の個人消費においても減少がはなはだしい。
以上説明してきたように国際収支の悪化の主たる原因が輸出や特需にないとすれば、それでは何処に原因があるのであろうか。主因はもっぱら輸入の増大、17億9,000万ドルから22億4,000万ドルへ、4億5,000万ドルの増加にあるとみなければならない。この増大額は昨年の世界でカナダにつぐ第二位である。その増大率は金額にして2割強、単価の1割以上の下落を考えに入れれば、数量にして約4割でもちろん世界一である。
一体このような急激な輸入の増大はどんな物質によってもたらされたのであろうか。まず目につくのは主食である。米麦の輸入は前年度に比べて約50万トン増加した。次に砂糖、羊毛、自動車など嗜好品ないし贅沢品に類するものも3割から4割の増加を示した。そのほか増加の著しかったものとしては、木材、大豆、非鉄金属、原油、屑鉄、パルプ等が挙げられる。さらに注目すべき一つの特徴は28年度中の輸入が小口品目まで一様に増大したということである。輸入額が一品目5,000万ドル以下の小口品目は総輸入額の3分の1しか占めていないのに、その小口品目の輸入総額の半ば以上にあたる2億5,000万ドルも増えている。これらのことを考え合わせながら輸入の急増が行われた原因を以下四つに分けて説明することにしよう。
原因の第一は昨年の食糧不作によるものである。昨年の我が国は天候の不順なために米作は2割以上の減収を示した。このために計画よりも約2億ドル余分に食糧を輸入しなければならなくなった。28暦年中の実際にはまだこの追加輸入の影響は現れていないが、28年度になるとその影響は1億3,000万ドルほどの輸入増となって現れている。
第二に、少なかった27年の輸入の反動という意味の増加があった。この数年間日本の輸入は一年毎に波を打っているようである。26年は輸入促進という掛声が喧しく輸入は増大したが、あとで外国の物価が下がったりしたために貿易業者は傷手を被った。その反動で27年は輸入が手控えられ、26年中に輸入した在庫を食って同年中の国内生産と消費を支えた傾向がみられる。そして28年は再び輸入を増大させねばならないめぐり合わせになった。小口品目の増加はこの事実と密接な関連をもっていたようである。
第三の原因として挙げなければならないのは、我が国の物価割高の作用である。1ドル360円という換算率が一定していて昨年のように輸入価格が低下し逆に日本の物価が上向き傾向であれば輸入業者の儲けは増大する。これまで運賃や保険料の経費などを入れると輸入しても引き合わなかった物資が今後は輸入して儲かるようになった。人絹パルプや木材の増加はその適例であろう。これを価格効果による輸入増大と名づけよう。
しかしながら以上三つの原因だけでは4~5億ドルもの輸入増大の十分な説明にはならない。輸入増大の最も基本的な原因は、丁度人間が肥るとバンドを緩めなければならないように、国内の購買力が増えたから輸入が増大したという関係である。つまり価格効果に対してこれは所得効果である。
以上いくつかの原因を背景に陰に陽に輸入を促進した輸入金融の行き過ぎも忘れることはできない。しかしその点は後に述べることにして、ここでは第四の所得効果、その中でも、最も比重の大きい消費購買力から説明することにしよう。