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むすび

最後に、各章の分析を要約し、日本経済の当面の先行きについて考えてみよう。

日本経済は、東日本大震災の発生と海外経済の変調により急激に変動した。景気は 2011年の年初は持ち直しに転じていたものの、 3月の震災によるサプライチェーンの寸断等で弱い動きとなった。夏にはサプライチェーンの立ち直りから持ち直しに復帰したものの、今度は海外経済の減速から輸出・生産が鈍化し、持ち直しのテンポが緩やかになった。この間、個人消費と住宅投資は、政策による押上げ効果とその反動減で不安定な動きを示した。雇用情勢は持ち直しているものの、所得は弱含みである。中期的にみても、デフレは継続し、また、繰り返す経済的ショックとともに潜在成長率は低下するなど、困難な状況が続いている。

そうした中、震災を契機として円高が加速した。円高は、輸入価格の低下というメリットはあるものの、短期的には、現在の経済構造を前提とする限り、経済全体としてはマイナスとなる。特に、円高にもかかわらず交易条件は悪化していることは、日本経済に対するダメージが大きい。企業としては、円高に対して現地化、効率化、製品差別化を進めているが、経済全体として考えた場合、円高の影響を受けにくい産業構造に転換していくことが重要である。

震災は甚大な人的被害をもたらしたほか、それによる原発事故がエネルギー供給に重大な制約を課すことになった。震災直後には計画停電が実施され、夏の電力需要期には電気事業法に基づき電力の使用制限が課せられた。今夏の電力需要は大幅に減少したが、これは企業や家庭に犠牲を強いるものであり、今後も量的な目標設定による電力使用の抑制を継続することは大きな負担となる。原子力発電の減少を再生可能エネルギーで直ちに代替することは困難であることから、とりあえず火力発電による代替が進められている。こうした電源シフトが日本経済に及ぼす影響を、生産性の低下としてとらえてシミュレーションを行った。シミュレーションでは、資本を一定と仮定する場合と投資の変化による資本蓄積の効果を勘案した場合の2つのシナリオを設定した。いずれのシナリオにおいても、実質 GDPはかなりの影響を受けることになる。

震災により人的・物的ともに大きな被害が生じたが、人々や企業の懸命な努力により復興が始まっている。最も早く立ち直ったのは、自動車などのサプライチェーンである。全国的に生産が大きく落ち込んだが、予想以上に早い復旧が実現した。東北自体の生産もある程度回復してきている。しかし、鉄鋼や食料品、紙・パルプにおいては低迷が続いている。また、東北全体でなく被災地域だけをみると、生産はほとんど回復していない。さらに、震災により生産が完全に停止してしまった企業も、まだほとんど回復していない。従業員規模別にみると、比較的規模が大きい企業において生産が低迷もしくは操業が止まったままである。被災地域にある大規模企業の操業が停止した場合、需要の低迷もあり、再稼働のハードルが高いことがうかがえる。

震災下の経済・生活の様子をみると、被災県では雇用者数は大幅に減少した。内陸部に比べて沿岸部の有効求人倍率は低迷しており、大量の人が職を失ったことに加えて、地域間・職種間のミスマッチが雇用の回復の足を引っ張っている。これを受けて、所得環境は非常に厳しい状況が続いている。一方、消費は、震災直後に落ち込んだものの、その後は堅調に推移している。ただし、震災による所得減少による消費の低下というリスクが十分に回避されていたかどうかは、より詳細な検証が必要である。

いわゆる復興需要については、被災3県における震災後の補正予算累計額は本予算なみの規模となっている。予算上の手当ては着実に進んでいるが、それを執行するキャパシティが円滑に確保されることが必要である。設備投資については、設備の不足感が震災後拡大しており、復興需要が見込まれている。津波の被害を受けた自動車の補充の需要はすでにみられている。

今回の震災に限らず、リーマンショックなど大きな経済的なショックが次々と日本経済を襲っている。こうした経済における極端な変動のリスクにどう対応するかは重要な課題である。サプライチェーンの再編成はまだ方向性が明確になっているわけではないが、供給元の分散化の徹底や代替先の確保等の動きがみられる。ただし、リスクに対して頑健なサプライチェーンの再編成は、効率性との間にトレード・オフも存在することに留意する必要がある。リーマンショックなどによる経済の極端な変動リスクは、発生する確率は小さくても大きな影響を経済に与える。マーケットや企業はこうした極端な変動のリスクを安定的に予想しているわけではなく、適切なリスク管理が必ずしも実現されているとは言えない。震災後、改めてリスクへの対応として、事業継続計画や機能分散などが意識されている。ただ、例えば地震保険の加入動向をみると、地震が発生したかどうかに強く影響されていたり、大規模災害発生の確率を過小評価している可能性があるなど、人々のリスクの認知や対応の仕方の特性を考慮した上で対応することが望まれる。

日本経済に大きな影響を与えたものに欧州の財政危機等に端を発する国際金融市場の動乱がある。直接には関係のないような国の出来事が、国際金融のネットワークを通じて伝播するという状況が続いている。

国際金融取引のネットワークの構造という観点からみると、リーマンショック後、リスクに対して慎重な姿勢が強まったことから、対外与信においても投資先の選択と集中が進んでいる。このため、ショックが伝播する度合が高まっている。最近の欧州政府債務危機についてみると、ギリシャ発のショックの伝播は限定的とみられるが、イタリアやスペインにおいてショックが生じた場合には、我が国の銀行によるイタリアとスペイン向けの対外債権の価値の毀損を通じた直接的な影響に加え、ドイツやフランスを中心とした国際金融市場の混乱による間接的な影響も生じ、相当のインパクトになる可能性は否定できない。

欧州の政府債務危機が伝播するリスクがあるだけでなく、我が国自体が財政についてのリスクを持っている。過去に政府債務のデフォルトをした国をみると、資本流入の逆転が生じ、これを受けて、投資の減少、実態経済の悪化、金融システムの不安定化などが生じたというのが、財政リスクが顕在化した時の状況である。特に、危機以前の資本流入が非効率な投資等に結び付いていた時は、経済の混乱も大きい。

財政状況の悪化にかかわらず日本において財政リスクが顕在化しなかったのは、基本的に、国内における貯蓄超過によると考えられるが、経済情勢や制度的要因によりそうした国内資金が日本国債の保有に向かうインセンティブがあることも無視できない面もある。国債需要を高めている要因としては、設備投資の低迷による銀行貸出需要の低迷、不確実性の増大によるリスク回避や国債選好(「質への逃避」)、時間軸政策により国債価格が高止まりする見通し、金融機関のリスク管理の強化などがある。金融機関の国債保有行動をみても、国債選好の高まりやリスク管理の強化などが裏付けられる。また、低金利が持続して利払いが抑制されたことも財政リスク顕在化を回避することに貢献した。しかし、こうした国債需要が今後も無条件で保証されるわけではない。高齢化等に伴う国内貯蓄率の低下、デフレ脱却に伴う金利上昇による利払い費の増加、成長の回復や不確実性の解消等によるリスク資産へのシフト等もあり得る。

当面の景気の先行きを考えると、日本経済にとって短期・長期の成長を促進するための課題が山積しており、非常に厳しいものがある。目先、海外景気の減速に円高が加わって輸出や生産の増勢が鈍化している。これに欧州政府債務危機やタイの洪水被害の影響等が加わって、持ち直しを維持できるか否かリスクが非常に高い状況にある。消費は、所得環境が弱含みであることを背景に力強さに欠ける。復興需要の発現が期待されるが、迅速かつ円滑に執行されることが重要である。今冬や来夏には原発事故の影響で電力供給の制約が生じることが予想され、成長率を押し下げる可能性もある。さらに、長期的な成長を確保するためにも、潜在成長率の引き上げや財政状況の改善などの困難な課題に対して足下から取り組んでいかなければならない。繰り返し外的ショックの波に洗われる中、景気の持ち直し基調を維持し、さらには自律的回復へつなげることができるかどうか。不確実性は非常に高い。

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