21世紀ビジョン コラム「私の描く2030年」 第5回

篠崎彰彦(経済財政展望WG委員)

世代を越えた「豊かさ」の継承-「私の描く2030年」

(平成16年11月9日)

1.所与の条件は何か

篠崎彰彦 2030年は今から25年後であり、この時間軸はちょうど「一世代」分に相当する。過去25年間の変貌をふり返ると実感できるように、一世代先の社会を正確に見通すことは難しい。だが、確からしいこともある。それは、生産年齢人口が年率1%前後で減少するという予測である。少子化対策が重要なのは論を俟たないが、すぐに効果があらわれた場合でも、その世代が本格的に経済活動の担い手となるのは2030年以降になる。移民や外国人労働の増加を考慮しても、毎年100万人規模で混乱なく受け入れが進むと考えるのは現実的でない。したがって、2030年までの経済社会を展望する場合、生産年齢人口の減少は所与の条件といえる。

2.「成長率」ではなく「生産性」

 この与件が影響するせいか、日本が衰退するかのような見通しが描かれやすい。しかし、こうした「うつむき加減の展望」は必ずしも的確ではない。そもそも、人口増加に支えられた経済の拡大は豊かさと同義ではない。むしろ、それが貧困を伴いがちなことは産業革命後の世界史が示すところである。

 日本21世紀ビジョンでは、量の概念である「成長率」ではなく、人口動態に左右されない「一人当たり所得」、より厳密には、時間当たり「労働生産性」を下敷きにすることが、次の二点から望まれる。第一に、「豊かさ」の概念は個人の価値観によって異なり、こうした個人の内面に政策が介入する余地はないが、生産性は多義性や規範的判断を排除する客観的な指標で、メッセージとして適している。第二に、「富はまずこれを創造してからでなければ分配できない」のであって、財政再建や社会保障のあり方を考える場合にも、その大前提として、富を生み出す力=生産性の概念が重要となるからである。

 人口が減少すれば生産性が低下するとの警鐘もあるが、これは事実に反する。世界経済を見渡すと、日本より一人当たりGDPが高い国の多くは、北欧諸国など日本より人口の少ない国々である。逆に、日本より人口の多い国は、中国、インド、ロシア、インドネシアなど、米国を除いて、一人当たりGDPが低い国ばかりである。

3.日本の基礎力:一世代で2倍豊かに

 労働生産性は、資本装備率と全要素生産性に分解できる。景気循環の要因を取り除くと、日本経済は、停滞感の強かった1990年代も資本装備率で1%台半ば、全要素生産性で1%程度、合計で2%台半ばの時間当たり労働生産性の上昇を維持していた。これは日本経済の基礎力と考えられるが、一人当たりGDPにも敷衍できるならば、「30年弱で2倍豊かになる社会」を意味する。人口が減少すれば資本ストックが減少してもおかしくないが、資本の不可分性などもあり、人口と同率で減少するとは考えにくい。また、今後も技術革新の渦中にあるとすれば、新しい資本の装備率を上げて付加価値を高める余地も広がる。競争社会が維持され、人材が自由に移動し、外国企業の優れた経営資源が対日直接投資で流入してくれば、資源の最適配分や組織の見直しが進み、資源投入を上回る産出の増加(全要素生産性の上昇)効果が期待できる。

 つまり、民間企業の創意工夫を活かしやすい仕組みが有効に働けば、資本装備率の面からも全要素生産性の面からも、2%台半ば程度の労働生産性上昇は充分可能と考えられるのである。むしろ、長らく生産性の低迷に苦しんだ米国が、財政再建と情報化投資の両輪によって、1990年代に労働生産性の上昇率を1~1.5%程度加速させたように、この基礎力をさらにどう高めるかの工夫と努力こそが重要である。たとえ人口が年率1%程度減少しても、それを上回る労働生産性の上昇が見込めるならば経済が縮小することはない。成長率鈍化は避けられないものの、2030年頃までに一人当たりGDPで「2倍豊かな社会」を展望するのは、現実的な射程だと思われる。

4.キー・コンセプトと実現への課題

 経済社会は世代を越えてダイナミックに引き継がれていく。豊かになったから現状維持で充分という「生産性一定」の考えは、人口移動の抑制や階層の固定、さらには、鎖国を暗黙裡にした観念的中世モデルに過ぎない。東アジア経済が躍進するなか、日本の生産性が停滞すれば、交易条件の悪化に直面して、今の豊かさは脆くも崩れ去る。このような若い世代を置き去りにした「うつむき加減の展望」では、諸外国から有望な人材を誘致するどころか、意欲に満ちた若い世代の国外流出が続くことにもなりかねない。2030年を展望するビジョンの鍵概念は、「世代を越えた豊かさの継承」を図るべく「多様性と躍動感」に満ちた「活力ある経済社会」を形成することだといえる。

 問題は、人口が増加し、平均寿命が短く、生産性上昇率がはるかに高かった高度成長期に形成された強固な再分配の構造にある。当時は一世代で約6倍豊かになったが、時代の変化に対応して再分配の構造をうまく再設計しなければ、富を創造する力が削がれて社会は疲弊する。かつて許容できた負担も今後は致命的な重荷へと転化するからである。その点で、規模の大きな財政赤字を長期間放置することは、非効率な資源配分の増長を定着させかねず、財政再建への取り組みは重要課題といえる。

 「財政再建」と「経済再生」を両立させた1990年代の米国では、政治の意思によって「法的実効性のある財政規律の枠組み」が課された。また、元来福祉を重視してきた民主党政権の下、「福祉から就労支援へ」という社会保障給付改革に取り組み、運営コストの効率化や負担と給付の関係を明確するような「税制措置と社会保障給付の統合政策」が実施された。これらの政策を支えたのが当事者意識をもった市民の意思であった。

 日本でも、財政再建のためには、法的実効性のある財政規律を課すことが求められるが、量的規律のみならず、その内容に関する基本理念の再設定も要される。次の一世代では、歳入と歳出の両面で、再分配機能だけでなく富を生み出す力にも配慮した決定メカニズムが望まれるからである。いくつかの実証分析によると、公共投資には一貫して所得再分配効果が働いていた反面、富の創造力としては有効でなかったと指摘されている。人口減少下の経済社会では、開発空間の拡大や外延的維持を目的とした社会資本整備は必要性が低下する。また、グローバル化と知識経済化が進む中で、過去の産業構造を固定化する施策は長期的に望ましくない。公共投資など財政を通じた希少な経済資源の配分について、「再分配重視から富の創造力重視へ」と基本理念の軸足を移す社会的合意の形成が求められる。

5.市民の意思と政治の意思

 日本は、人口が減少する中にあっても、2030年までの一世代で2倍豊かな社会を実現する基礎力を有している。それを現実のものにするためには、「分配」の恩恵だけでなく、「富の創造と分配」の両面に当事者意識を持ち、社会参加する「市民の意思」が大切であり、同時に、分配構造の再設計には、時代を見すえた「政治の意思」が欠かせない。

 社会に受け入れの意思がなければ、ビジョンは画餅に終わってしまう。これからの一世代で創造し得る富を、その潜在能力を削ぐことなく、経済社会の安定のためにどう再分配するか、社会的合意の形成に不可欠な「情報の開示」と、合意形成に向けた「議論と説得と納得」のプロセスが強く求められる。

(以上)