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付論3:アジア通貨危機と背景

 1997年7月、タイの通貨下落に端を発したアジア通貨危機は韓国やインドネシア等にもコンテイジョン(伝染)し、アジアの金融、実体経済に大きな打撃を与えた。
 以下では、現在のアジアのマクロ経済政策、為替政策に大きな影響を及ぼしたアジア通貨危機について特にマクロ的側面を中心に概観する。

(i)危機発生の状況

●海外からの資本流入の増加と形態の変化
 東アジア各国は、1980年代の後半から、海外からの直接投資ブームを背景に高い経済成長率を続けていた。90年代半ば以降からアジア通貨危機発生までには、80年代後半からの海外との資本取引自由化を受けて、直接投資に加え、対外借入(その他投資)や証券投資を通じた資本流入が急速に増大した(図1)。規制緩和による大量の資本流入により、短期資金を中心に債務は増加していった(図2)。東アジア各国に資本が引き付けられた要因の一つとして、国内外の金利差が挙げられる。当時の東アジア各国の名目金利をみてみると、国内の高いインフレ率を反映して金利が国際的に高い状態が続いており、特に事実上のドル・ペッグのため為替リスクがないこともあって、海外から急速に資本が流入したとみられる(図3)。

●事実上のドル・ペッグ維持のための資本流入によるマネーサプライの増加
 東アジア各国は、外資を呼び込むことや貿易の安定を目的として、ほとんどが事実上の(de facto)ドル・ペッグを採用していた。このような中で大量の資本流入が起こると、中央銀行は自国通貨のドルに対する増価圧力を抑えるために自国通貨売り、外国通貨買いの為替介入を行う。この結果、国内のマネーサプライが増大し、金融は緩和状態となった(図4)。

●実効為替レートの増価による経常収支の赤字
 事実上のドル・ペッグであったため、90年代からのドルの実効為替レートの増価は、東アジア各国の実効為替レートの増価をもたらすことにもなった。その結果、貿易収支が悪化し、危機が発生した1997年までの数年間は大幅な経常赤字となった(図5図6)。また、資本の大量流入に対する為替介入により、外貨準備は増加していたが、対外短期債務を下回る低水準であった(図7)。アジア危機時に起こった大量の資本流出に対して、外貨準備では対応し切れず流動性危機に陥った。

●株式市場の過熱
 金融緩和と資本流入により、危機前の東アジア各国の株式市場は活況を呈した。株価指数は、東アジア各国が総じて景気後退していた1985年と比較して、株式のピークは約8〜10倍に上昇している(図8)。96〜97年以後は総じて下落しており、特にタイではその後も株価が戻っていないことから、危機前の株価の上昇は、ファンダメンタルズから乖離していた可能性がある。

(ii)通貨危機の背景

●開放経済のトリレンマ(三律背反)
 開放経済のトリレンマとは、(1)為替レートの安定(ないし固定)、(2)金融政策の自律性(3)資本移動の自由(自由な資本取引)という3つの政策目標を同時に完全達成することはできず、2つの政策目標を選択したら、残りの1つは達成できないという関係である。ここでの金融政策の自律性とは、失業やインフレの動向等自国の経済情勢に対応して、自国の裁量で金融政策が自由に運営できることである。アジア危機前の東アジア各国は、自由な資本移動の下で、事実上のドル・ペッグを採用しており、為替レートが金融政策のアンカー(金融政策運営の指針となっている目標)となっていた。この下では、資本が流入すれば、外為市場での介入を通じてベースマネーが増加し、不胎化が行わなければ金融は緩和される方向に向かう。その結果、潤沢な資本が資産に流れ込み、資産価格がファンダメンダルズと乖離して上昇し、バブルの様相を呈する可能性がある。こうした状況下では、変動相場制度を採用し、アンカーを国内経済指標(例えば、物価やマネーサプライ)としていれば、金融環境を安定的に維持することが可能であったと考えられる。

●金融システムの脆弱性
(ア)期間と通貨のダブル・ミスマッチ
 東アジア各国は、企業の資金調達方法として、間接金融を利用するケース(銀行等からの借入)が、直接金融(株式や債券の発行)より総じて多かった。資金配分において、銀行など仲介部門の存在は、資金提供者と資金需要者の各々が求める期間等の貸借条件が異なる際に、短期から長期へと期間を変換するなどの役割を果たす。しかし、当時、銀行などは短期の借入に対して流動性資産の割合が低かったため、万が一、短期資金の出資者に大量に返済を迫られた時、危機につながる可能性をはらんでいた(図9)。これが期間のミスマッチである。
 また、短期借入の原資はオフショア市場の設立もあり、海外から大量に流入したドル建て資金であり、銀行等はこのドル建て資金を自国通貨建て資金に変換して企業へ大量に長期貸出をしていた。このことは、不意の資本流出が生じた場合、国外債権者への債務返済のため、ドル需要が急増し、為替切下げ圧力が高まって危機につながる可能性があった。これが通貨のミスマッチである。さらに、事実上のドル・ペッグであったため、為替のリスク管理上、リスクヘッジの必要性が感じられず、多くの企業で為替リスクヘッジが活用されていなかったことも、危機を深刻化させたと考えられる。
 このような期間と通貨のダブルのミスマッチが危機の温床になった。

(イ)国内金融システム
 東アジア各国は、経済成長促進の観点から商業銀行や企業に対し、優遇的な政策を行っていた。例えば、韓国では70年代に重化学工業の振興を図ろうと政府により財閥に対するリスク軽減措置が行われ、財閥企業の高債務構造を誘発した。また、中央銀行が、コール市場より低い貸出金利で資金を銀行に提供し、銀行のリスク管理体制を甘くさせた。こうした政策は、本来民間企業が負うべきリスクを政府や中央銀行が負担したものである(暗黙の政府保証)。ただし、このような政策自体が問題とは一概に言えない。産業の育成期においてある程度の政府介入や保護が正当化できる場合もあり得る。しかし、政府介入や保護が各経済主体の合理的な利益追求に対するインセンティブを歪めるほど過度になり、長期間にわたると、モラル・ハザードによる副作用が深刻になる。企業のモラル・ハザードの抑止には、銀行の健全性に関する金融監督当局の監督機能が重要である。こうした金融監督体制が不備であったことが、アジア危機以前の東アジア各国でリスクに見合わない貸出を助長し、銀行の健全性を損ねた一因と考えられる(2)


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